...

Hodogaya Vol.96(aprox. 2.9MB) - web site of Hodogaya Catholic

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

Hodogaya Vol.96(aprox. 2.9MB) - web site of Hodogaya Catholic
保土ヶ谷カトリック教会
教会報 イースター号
Catholic Hodogaya Church Magazine Vol.96
神父様お別れ特集 12 年間
主任司祭 バリー・ケンズ… ……… 2
コロンバン会神父様方との
出会いと保土ヶ谷教会
青木敏彦…………………………………… 4
ケンズ神父様への感謝の言葉
瀬田義雄… …………………………… 5
神父様のドレッシング
渡邊順子… …………………………… 5
作品展を終えて
戸上美知子… ………………………… 6
本のご紹介
広報 角屋美佐………………………… 6
十字架
柏木昌子… …………………………… 7
あの日あの時わたしの洗礼
小塚伸恵・瀬田義雄・清野幸雄………… 8
「改定入管法問題」を考える
今井惠子… ………………………… 10
あい らぶ ミサ
典礼より… ………………………… 11
ネパール国ポカラ市の
聖アンナマリア教会の建設
林 好・カヨ………………………… 12
交わりとしての教会をめざして
共同体の将来を考える会より………… 14
イ・ビョンホン神父様への
7 つの質問 ほか……………… 15
Hot News 木村神父様金祝 総務よりお知らせ 編集後記………… 16
恐れるな、
わたしはあなたと共にいる
目 次
発行:2014 年 4 月20 日
12 年間
主任司祭 バリー・ケンズ
保土ヶ谷教会のみなさん こんにちは
これは私の最後の教会報の記事です
50 年前 私は天草 崎津の主任司祭でした
その地域では 400 年の信仰の歴史があり 村の半分ぐらいが先祖代々の信者です お御堂はゴシック様式で海の近くに建ち非常に素敵だったので観光客が多く来ました あるとき観光客の一人が信者さんに「あの外国人は誰ですか?」と尋ねました 信者さんは「外国
人じゃなかと ここの神父たい!」と答えました それは私のため大きな励ましになりました
2002 年 私は保土ヶ谷共同体の一員となってからの 12 年間ずっと 皆さんの温かいもてなしを
とおして 崎津と同じ無言の励ましをしみじみ感じました
皆さん本当にありがとうございました
私はこの記事を書くために次のような思い出が浮かんできました
1番目に
キリスト教入門講座のリーダーが 10 人以上もいて 私が主任司祭になってからの 12 年間に 175 名
の洗礼がありました 布教は大切です 共同体がもし信仰を分かち合わなければ死んでしまいます
分かち合ったら元気になります 保土ヶ谷教会は元気です ぜひ続けてください
2番目に
2012 年 11 月 17 日 私の司祭生活の中で一番喜ばしい洗礼式でした
奥さんたちが長年信者さんである4名のご主人たちが一緒に洗礼を受けました
芹澤さん 長崎さん 馬場さん 鏑木さんです 本当に印象深い洗礼式でした
3番目に
神学生の現場養成 森田神父
(札幌教区)ディン神父
(さいたま教区)
グンテル神父(グアダルペ宣
教会)宮内神父(横浜教区) 岡野神学生(横浜教区)
私はコロンバン会外国宣教
師会のメンバーですが 教区司祭を育てることは うちの会の大事な目的です
4番目に
保土ヶ谷教会のホームページには 毎日 20 ~ 80 のアクセスがあります これはインターネット時代の現代には 大切な布教活動だと思います
2
5番目に
聖堂の将来を考える会のワークショップの中で信徒の意識に変化を与えたと思います それは 建物(聖堂)
より 人間の共同体の大切さを強調しました
非常に良かったと思います またそのチームはよく働きました
6番目に
生花と作品展 毎年のバザー 野外調理器でのバーベキュー
そのようなイベントは 共同体づくりに大切だと思います
7番目に
祭壇の上の赤い聖体ランプ それは 15 年間香部屋の段ボール箱の中でした
聖体ランプは 聖櫃の中のイエス様の大事さを示すと思います
8番目に
70 周年の時に十字架の道行きを塗りなおしました またその時に信徒のみなさんで
作った聖家族のモザイク画は 美術的価値よりも意味深いものだと思います
9番目に
私の司祭 50 周年記念式と 77 歳の喜寿のパーティーです なかでも 50 周年のとき 枇杷晃平君の
はっきりした聖書朗読をよく覚えています けれど 私にとって大切なのは そのような記念ミサ
より毎日曜日にごミサをささげることです 私は司祭として祭壇から皆さんに向かい 一緒に祈る
ときに心の一致をしみじみと感じました 一人の司祭である私のために大きな励ましとなりました
その活気ある典礼の裏には典礼係のチームの努力がありました 荒井さんご夫婦 加茂さん 岩崎
さんご夫婦 他にもたくさんの方が奉仕してくださいました オルガンの大竹さんは その時々の
ごミサに合う聖歌を選んでくれました また 結婚式 ご葬儀のとき 聖歌隊 婦人会の方々の歌
う聖歌のおかげで非常に良い雰囲気でした そして子供のミサでは 教会学校の子供たちの朗読は
いつもはっきりとゆっくりで上手でした
10 番目に
いろいろな人との思い出 総務の芹澤さん ハウスキーパーの笹原さん
渡辺さん 教会委員長だった岡田さん 岩崎さん 林さん 馬場さん 平島
さん 瀬田さん なかでもエスコラピアスのシスター達は特に大きな助け
でした 他にも副委員長 婦人会 壮年会 星窓会のメンバー
最後にお願いがあります 布教の面を強調してください! キリスト教入門講座の募集はもちろん よそから来た人 また見学に来た人に
温かいもてなしが大事です 決して排他的なクラブのようにならないでください 開かれた共同体なら元気な教会 楽しい教会になります
保土ヶ谷共同体のみなさんとの 12 年間は本当に楽しかった!
心からありがとうございます! 皆さんのために祈ります ご復活おめでとうございます
3
神父さまお別れ特集
コロンバン会神父様方との出会いと保土ヶ谷教会
青木敏彦(第5代教会委員長)
12 年間保土ヶ谷教会を司牧されたケンズ神父
教会活動以外でも、個人的になりますが、天草
様が新子安教会に赴任されるにあたり、編集委
の教会を夫婦で巡礼し、コロンバン会所属の
員からのお話もあり、改めてこれまでにお世話
教会、大江、崎津(ケンズ神父様も居られた)
、
になったコロンバン会の神父様方との様々な
本渡(委員会の方々と懇親)
、熊本手取教会等、
出会いに思いを馳せ、記させて頂きました。
各教会のご聖体訪問の折、神父様方にも大変お
世話になりました。
丁度、私が教会委員長の折(1987 年)
、当時の
また、出張の折、ロンドン郊外のコロンバン会
山手教会司教様から、今度保土ヶ谷教会には
同地本部を訪ね、日本にも居られたことのある
教区の司祭に代わりコロンバン会の神父様が
オブライエン神父様にお会いできました。地元
来られるとの報を頂き、その準備に藤沢教会
では分厚いカトリック新聞がデイリーで発行・
(コロンバン会)のガラハ神父様にお会いした
配達されているのは驚きでした。
のが最初でした。1987 年 5 月、司祭館で、婦
保土ヶ谷にも来られた東京管区長のホーガン
人会ともどもデイキン神父様をお迎えいたし
神父様には、たまたまお会いした折、野毛の居
ました。背が高く温厚な優しい笑顔で気さくに
酒屋で、職場後輩ともども気さくにお話を頂い
声をかけられる方で、すぐ保土ヶ谷教会に溶け
たことなど思い起こします。
込まれ、新しい「開かれた教会・地域共同体づ
くり」を進められました。また、着任後保土ヶ
保土ヶ谷教会は、歴代コロンバン会の、バーン
谷の英連邦戦士者墓地で、仏教の僧侶団との共
神父様(臨時司祭)
、デイキン神父様、カラン
同司式による追悼ミサを毎年捧げて来られま
神父様、ケンズ神父様を通して、本当に明るく、
したことは、特筆すべきことと思います。
闊達な教会に発展していきました。主任司祭休
デイキン神父様は、前任が九州コロンバン会管
暇中や赦しの秘跡時には、ホーガン神父様、
区長の要職に在った方でした。以降、保土ヶ谷
ジョー神父様、ティエン神父様とあたたかな
教会はコロンバン会の歴代の神父さま方をお
交流がもてました。東日本震災時にはマッカー
迎えしています。
ティン神父様にご講演いただきました。
心からの感謝を申し上げます。
このような経緯から、出張の折、福岡の平田司
教様を訪ねてお礼を申し上げ、ついで、前々任
福岡老司教会の竹森神父様(現水巻教会)にも
Fr. ケンズ
お会いいたしました。その後、
老司教会とは「姉
Fr. カラン
妹教会」として交流し、委員会の方々がデイキ
Fr. バーン
Fr. デイキン
ン神父様を訪ねてこられた折、今のお聖堂の電
光掲示板(同信徒が開発し普及中)を寄贈して
Fr. ジョー
いただきました。
Fr. ティエン
4
Fr. マッカーティン
神父さまお別れ特集
ケンズ神父様への感謝の言葉 Y. S ケンズ神父様には 2002 年から 12 年間、保土ヶ谷教会の主任司祭として私たち信徒
を導いて頂きまして、有難うございました。
個人的には、2004 年に妻 H 子がなくなった際の葬儀を初め、毎年 12 月の追悼ミサ
をケンズ神父様にお願いして参りました。H 子の姉夫婦がいつも一緒にミサに与って彼
女の冥福を祈ってくれました。昨年のミサ後には、神父様から『H 子さんのお姉さんで
すね』と声をかけられ、
年に一回しかお会いしないのにと、
姉はとても喜んでおりました。
また、姉の主人は未信徒ですが、
『ミサの中で、神父様が「○回」H 子ちゃんために祈っ
てくれた』と、
喜んでおりました。娘親子も、
たまにしか神父様にお会い出来ませんのに、
お会いする時はいつも温かく接していただき、神父様のおもてなしの心に感謝しており
ます。
新子安教会に移られましても、ご健康の内に、良き牧者としてお働き頂き
ますようにお祈り申し上げます。 感謝の内に。
神父さまのドレッシング
「ドレッシングを作りましょう!」と神父さまのひとこと
から始まりました。それまでは市販のドレッシングを私
が買ってきていました。ほとんど毎日サラダを召し上が
るのでドレッシングの種類を変えてみたりしてました。
神父さまは時間があるときにお豆とお野菜がベースのシ
チューを作られます。
(おいしいですよ〜♡)その中に
いろいろなスパイスが入っていて、スパイスはお持ちに
なってましたので、そこに足りないものを私が買ってき
て、最初は神父さまが私にレシピを見せて下さって、ご
自分で作られました。作りたてはやはりおいしいですし、
安全だなぁ〜と私は感じました。そのうち、私も作りた
くなり神父さまのレシピを見ながら作り始めました。温
室にはフレッシュなパセリが植えてあり、夏にはバジル
を植えてくださり、にんにくも神父さまの畑のものです。
ドレッシングの中には、神父さまの手作りスパイスたち
が入っています。
今年も畑にはにんにくが植えてあります。
一度『神父さまの味』のドレッシングを作ってみてくだ
さい。市販品にも劣らない味ですよ。ぜひお試し下さい。
✽イタリアンシーズニングは、ハーブの
入ったマジックソルトなどで代用できます
by わたなべじゅんこ
5
神父さまお別れ特集
「作品展」を終えて
戸上 美知子
昨年 6 月に催した「お花展」が好印象だったの
神父さまのおじいさまが描かれた油絵 100 年前のものだそうです
引っ越しの度に神父さまは持ち歩いてらしたのでしょうか・・・
でしょう、
ケンズ神父さまから「絵画展」をやっ
たらどうですか、と言われました。迷っていた
のですが、絵画だけでなく、いろいろな作品の
展示会をしてほしいとの声にも押され、
「作品
展」を実施することになりました。
出展してもらう作品を募集したところ、なんと
30 人を超える方々から、絵画、パッチワーク、
大勢の人で賑わった信徒会館会場
刺繍、人形、鎌倉彫など、さまざまな種類のエ
展示には工夫がみられ、大変だったこ
とと思います 2 日間だけの展示ではもったいないく
らいでした
ントリーがあったのです。多くの方がいろい
ろな趣味の世界を楽しまれているということ
神父さま制作の木工作品
を知り、なんだか嬉しくなりました。なかには
当日ギリギリまで制作しつづけて完成させた、
本のご紹介
ガールスカウトの可愛らしい作品もありまし
『いのちへの答え』 た。展示会当日には、それぞれの作品を前に制
星野正道 著 オリエンス宗教研究所
作時の苦労話や、どのような思いをもって描い
たのかなどと、あちらこちらで話が弾んでいた
この本には、
「傷つきながらも生きる」とい
ようです。ところで、神父さまの作品の「犬」
う副題がついています。私たちが生きている
を見て、
「これほしい!」と言っていた方、交
この世界は、アウシュビッツのようなものを
渉はうまくいったのでしょうか。
二度と許さないという気持ちを持っているで
日頃、同じ共同体の仲間でありながら、あいさ
しょう。しかし、形を変えた小さな「収容所」
が社会のあちこちにあるのではないか、愛が
つも交わさない人が大勢いると感じたことは
なければどこでもなり得る、家庭や教会でさ
ありませんか。今回の「作品展」が 作品発表の
えも。後半は、ルツの話と善きサマリア人に
場というだけでなく、普段あまり言葉を交わし
ついて、丁寧に読み解かれています。善きサ
たことがない人達との交流の場になったとい
マリア人については、私たち
うことで、本当にやって良かったと思いまし
が陥りがちなステレオタイプ
た。誰とでも気軽に話ができる、そんな共同体
の理解に鋭く一石を投じてい
ます。ふ~むと考えていたら、
づくりのきっかけのひとつになってくれたら
偶然にも最近の『聖書と典礼』
と心から思います。
に同主旨の文章があって、や
今回出品して下さった皆さま、ありがとうござ
はりそういうことなのか・・・
いました。皆さまの、さらなるパワーアップを
と今も考えさせられています。
期待しています。
(広報 角屋)
6
十字架
「死にたくない」「苦しい」今でも祖母の顔は忘れる事ができない。
私が殺した、私を恨みながら亡くなった祖母である。
それは丁度 40 年前、昭和 49 年(1974 年)の体育の日の事であった。
当時は第二日曜日を祭日としてはおらず、10月10 日の木曜日だった。父の
運転する車にて家族で親戚の家に行くべく秩父の家から出かける最中の事
であった。途中どうしてもトイレに行きたくなった私は熊谷にあった公衆
トイレで車を止めてもらい、そのまま面倒くさいと祖母に席を替わっても
らった。その 5 分後、熊谷警察前で国道 140 号を右折する時に事故は起き
た。父の前方不注意であったが、直進の大型トラックに乗用車は挟まれた。
事故死した祖母と相反して、私は目に見える損傷は全くなく、運び込まれ
た救急病院では検査を拒否し、
(母方の)祖父の迎えを待っていた。祖母
の葬儀では「昌子の代わりに死んだんだ」という言葉にその場にいたたま
れなくなり、逃げた私は母に見つかり折檻を受けることとなった。確かに、
私がトイレに行きたいと訴えなければ、席を替わらなければ祖母は亡くな
柏木昌子
る事はなかったであろう。何よりも、祖母が亡くなった事を悲しむ人は多
かった。私は「早く死んだらいいのに」と言う人間ばかりに囲まれる日々
だった。幼稚園、小学校では体育の時間など他の場所で茫然と過ごし、上
級生にみんな教室に行ったよ、と教えていただくような子供であった。努
力しても他の人が簡単に出来る事が出来ない。母は他の子供とは違う私を
嘆き、夜中に豚小屋で寝かされた事もあった。変わった子ではあったが、
この事故を契機として、実にネガティブな人間となり「いじめられて当然」
の日々を送っていた。私が生きている事を喜ぶ人はいなかった。
その時の罰であろう。今では「てんかん」発作に苦しむ日々である。何
よりも己の生きている根源にあるものは、
「殺人者」という前科であった。
ある日、教会の庭で磯部さんとパウロの話をした。
「パウロは多くのキ
リスト者を殺したという罪の重荷があったのではないか」という事から導
き出された結論は、パウロの手紙にある通りではないか。
ベロニカ
花言葉:faithful 忠実、貞操
—「 神は、私たちの一切の罪を赦し、規則によって私たちを訴えて不利に
陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださ
ベ ロ ニ カ と は、 十 字 架 を
いました」コロサイ 2 :13,14 背負って歩く受難のキリ
現在、
私は許してもらえずに苦しむ事がいくつかある。
「死ねばいいのに」
ス ト に、 ハ ン カ チ を 差 し
出した聖人ベロニカにち
なむという
と夜中に電話をいただいている。神様が赦してくださったのだと、イエス
様に委ねるしかない事として受け止める姿勢を持っていきたい。この社会
で、教会で、変人の私は嫌われている。多くの罪を犯し、生きている事自
体が苦しい。けれども、私の罪を十字架につけてくださったイエス様を復
活の時にもう一度知りたい。
7
隣の人が火を分けてくれようとしました。し
あ の 日あ の時 わ た しの 洗礼
かしそのとき、わたしの代母はあわてずその
人に「ありがとう」の意味を込めてにっこり
微笑み、無言のままで復活のろうそくを指さ
し「あちらから」という表情で、もう一度祭
壇から火をもらってきてくれたのです。その
とき、どうしてだかわからないけれど、
「ああ、
こういうことなんだ」という気持ちがわたしの
中に広がりました。洗礼を受けたら、こうやっ
て直接 1 対 1 で神様と付き合っていくんだ、
仲を取り持ってくれる人はいるけれど、輝く
光はいつも神様からなんだ、とろうそくが先
ほどよりも重たくなった気がしました。
洗礼式の記憶
あの日から、わたしの中で信仰の火が消えた
ガブリエラ 小塚伸恵
ことは今のところはないつもりです。でも、
もしそういうことが起きても、またきっと復
わ
たしの洗礼式は、1989 年、12 月 9 日でし
活のろうそくからいただけると思っています。
た。それから今までに何回洗礼式に立ち会っ
またきっと石川真理子さんが仲を取り持って
たかわかりません。ただ、
そのたびに思うのは、
くれて。
「わたしもこんなことを言ったのかしら」とい
(次回は菊池康子さんへ)
うことです。自分の洗礼式の「神のことばの
宣言」の部分の記憶がないのです。その当時、
私の洗礼
幼稚園児だった息子がカメラを首にぶら下げ
て聖堂の中をちょろちょろ動き回り、それを
目の端で追いながら頭の中は「おとなしく座っ
ペトロ・カニージオ Y. S
私
が洗礼を受けたのは、1955 年 12 月 24 日
ててよ」とばかり思っていました。そんなわ
です。洗礼名は、ペトロ・カニージオです。珍
たしにもはっきり覚えていることがあります。
しい聖人だと思いますので、略歴をご紹介し
ます。
女性ばかり大人3人、幼児3人の洗礼でした。
信者ではない幼稚園ママがオルガンを弾いて
『聖ペトロ・カニージオ
(以下「カニージオ」
)は、
くれました。末吉町教会の友達が「アヴェマ
1521 年オランダのネイメーゲン(ニンヴェー
リア」を歌ってくれました。でも何よりも鮮
ゲン)に生まれましたが、生涯の大半をドイツ
明に覚えていることは、ろうそくの授与のと
で過ごした人です。1543 年にケルンでイエズ
きのことです。その日は風が強かったのかも
ス会に入会、1546 年司祭叙階、1597 年に死去
しれません。代母が復活のろうそくからとも
されました。そして、
1925 年に列聖されました。
されたろうそくをわたしに渡してくれました。
カニージオは、イエズス会にとっては、ドイツ
しかしそれは受洗者全員にろうそくが行き渡
最初の同会員になられた方であります。当時の
る前に消えてしまったのです。えっ、どうす
ドイツは、町や人、教会も荒廃しており、ひど
れはいいの、とどきどきしていると、すぐに
い状態にありました。ルターの宗教改革期に
8
あり、ドイツ語圏にあっては改革の勢いの前に
家計のやり繰りをしていた母が、重い病気に
カトリック信仰の火は消えかねない状況にあ
かかっていたのでした。風邪がなかなか治ら
りました。カニージオは、司祭となった後、ト
ないということで、医師に診てもらった時に
リエント公会議でカトリック擁護の立場を強
は、既に、進んだ胸の病と言われました。それ
調したり、学問向上と人々の宗教的・倫理的刷
から、母の入院待ちの自宅療養が始まり、一
新に努力しました。神学やカトリック要理に関
年後、漸く待望の国立病院に入院することが出
する著作の出版や説教によって、人々を信仰へ
来、以降、順次快方に向かうようになりました。
と導いた方であります』
入院一年を経過して、医師の勧めもあって
私は自分の守護の聖人の祝日は、自分の誕生日
肺の整形手術を受けたのでしたが、体力が持
と同じと長い間思っていました。当時、公教要
たず、術後一週間で世を去りました。享年 40
理を教えて頂いた神父様から洗礼名は、自分の
歳でした。
誕生日を祝日とする聖人を選ぶ方法があると
母の死後、私は、生前の母の手紙を頼りに、
言われ、神父様から誕生日を聞かれたりしてい
入院中の母を見舞い、力づけ励まして下さっ
ました。その神父様に洗礼名を決めて頂いたも
たシスターにお礼を申し上げたくて修道院を
のですから、すっかりそのつもりでいました。
訪ねました。
ところが、あるときケンズ神父様から洗礼名を
「マリアの宣教者フランシスコ修道会戸塚修
問われて、ペトロ・カニージオですとお答えす
道院」を訪ねたのが、私のカトリックとの出会
ると、ケンズ神父様が、すぐにイエズス会で
いでした。
しょうと言われました。まさに、卒業した学校
メール・シャロットと呼ばれるシスターは、
はイエズス会が経営する学校でした。早速、聖
年配の優しいフランスの方でした。母の臨終
人略伝を調べましたら、イエズス会の司祭で、
の洗礼も、シスターがなさったとのことでし
12 月 21 日が祝日とわかりました。守護の聖人
た。私は、そのシスターの母への温かい思い
には、大変申し訳ないことをしたとお詫びする
遣りの気持ちをうかがい、大変有難く、また、
ばかりです。
嬉しくて、涙が止まりませんでした。
(次回は A. S さんへ)
それから公教要理を勉強することとなり、
洗礼を受けるに至ったのでした。
じ らい
爾 来、60 余年、この半世紀余の間、私は、
私の洗礼
気がつかない間に、数々の神の恵みを頂いて
パスカル 清野幸雄
来たように思います。神に感謝。 (次回は広瀬正雄さんへ)
私
が洗礼を受けたのは、昭和 27 年の春、田
園調布教会で、大学 3 年の時でした。洗礼を
受ける契機となったのは、その 2 年前の母の
死でした。
思えば、太平洋戦争の苦しい時代も、戦後
の食糧難の時も、私たち家族は両親を中心に
懸命に生きて参りました。そして世の中が新
しい平和の時代に向けて動き始めた時に、母
の病気という不運に見舞われたのでした。
父の国鉄職員としての働きで、私の家族の
9
れるのか先の見えない生活を送ることとなり
「改定入管法問題」を考える
〜キリスト者として ます。当然ながら精神的不調をきたします。
そのためボランティアの面会活動はとても
大切です。日本の難民認定は 2012 年 21 人、移
今井惠子
民局もないうえ外国人受け入れの姿勢が全く
外登法が廃止され「改定」入管法・入管特例
なく、震災復興の下支えになって物づくりして
法・住民基本台帳が実施されました。
いるのも、かなりの部分が外国人。ビザが切れ
「改定」入管法は今まで以上に外国籍住民を
たら追い出せという考え方は乱暴と言わざる
管理する法律です。
を得ません。私は人権を大事にするカトリック
どうしてこのような改定が行われたのか。こ
信徒が、日本の多文化共生の先駆者となるべき
れまでに日本国は歴史的に外国籍住民をどの
と考え、人間は人間らしく人生の価値ある時間
ように扱ってきたのか、今回の改定でどのよう
を過ごさなければならないと思います。
な問題が生じるのか・・・.
現在、日本では 17 組に 1 組が国際結婚、日
2012 年 7 月 8 日、私はそれを学ぶために、
本に 90 日以上住んでいる外国人は 213 万人、
都内で開かれた「外国人住民基本法の制定を求
その出身国は 191 カ国にもなります。また夜間
める神奈川キリスト者連絡会(神奈川外キ連)
」
中学の生徒の 80%は外国籍、東日本大震災の
「外国人住民基本法の制定を求める関東キリス
災害救助法が適用された 160 市町村のうち外国
ト者連絡会(関東外キ連)
」共催の「改定入管
人がいないのは 4 ~ 5 か所のみ、国籍は日本で
法学習会」に出席しました。
も外国にルーツを持つ人は 80 万人になるとい
また、翌 2013 年 2 月 9 日に開催されたカト
います。
リック末吉町教会での集まり「外国につながる
果たして日本人が外国人に関わる法律を知
人々と共に創る教会」で、
『在日外国人女性が
らなくて良いのでしょうか。
抱える問題について』
(講師・駒井知会弁護士)
「入管法」とは「出入国管理及び難民認定法」
にも参加し、2013 年 9 月 21 日には同教会で講
の略称で、外国籍住民の在留資格取り消し、退
師・飯田学史弁護士から、外国人支援者として
去強制、再入国許可、難民認定などにおいて法
どのよう関わったら良いのかを実務上からそ
務省の広範な自由裁量があり、これらの処分が
の実践的なお話を伺いました。
行政手続法、行政不服審査法から適用除外され
外国に滞在するには有効な旅券と在留資格
ています。
が必要であるため、これらがないと逮捕されま
「入管法」の当事者は外国人であると感じ、
すが、不起訴や執行猶予判決となる場合も多
これは他人事であるという「無関心」の壁と戦
く—日本人ならこれらの処分・判決を受けた場
前から続く「排外思想」の厚い壁は、入管法に
合、家に戻れますが — 外国人の場合たいてい
限らず、それぞれ自分自身の問題として考えな
入管収容施設に送られます。帰国できる人は帰
ければいけないのです —文化や言葉の違いが
国して問題はありませんが、本国で迫害を受け
あったとしても、私たちには人と人をつなぐ共
る難民、そもそも祖国に帰国を認められない無
有できるものがあり目指す平和な社会は同じ
国籍者ほかさまざま事情を有する人は、帰国を
である— お二人の弁護士の講演から、なかな
拒んだ結果、収容施設に入れられ、いつ解放さ
か関心を持っていただけない末吉町教会の活
10
動と役割を再認識したと同時に、私自身に勇気
ち。2 人に 1 人がこの「改定入管法問題」に直
を与えられたような気がしました。
面しているのです。私たちキリスト者の基本問
私たちキリスト者は、社会的弱者に対し無
題として捉え直し、共に考えて心をそえる事か
知、無関心であってはなりません。今、日本の
ら始めるものと学習会から学びました。
カトリック教会の信徒の半数は外国籍の人た
♡
あい らぶ ミサ ~2月典礼研修会報告にかえて~
主よ、私の心の目を開いてください
皆さんはミサの時「聖書と典礼」を手に席に着
の奉仕は、朗読をとおして神のことばを拝聴す
き表紙の絵をみたあと、どこを読みますか?
ることです。心の目であじわいましょう。その
あとの説教は、神のことばを説き明かし、祈り
へとつなげる役割があります。
ぜひ、
まずは福音を読んでください。なぜでしょ
う?その日のテーマをつかむためです。
福音の下の脚注も読んで理解を深めましょう。
信仰を宣言し、共同祈願は、その日の神のこと
そのあと第1朗読を読みます。旧約ですね。旧
ばにこたえ、すべての人の救いのためにする私
約を読む理由は福音を旧約的背景のもとで受け
たちキリスト者の祈りです。教会のため・困難
止めるためです。
「旧約の中に新約が隠れてお
に悩む人のため・国政に携わる人々のためなど
り、新約において旧約が明らかになる」から
の意向で祈ります。
です。
「神はことばを語るとき、私たちの答えを待っ
次は答唱です。詩編本文は聖書朗読に準じます。
ています」
そして第2朗読、アレルヤ唱と、福音との関係
教皇ヨハネ・パウロ2世『主の日』より
を考えながら読んでみてください。つながりを
ぜひ感じていただきたいのです。
私はそんな風に考えたことは一度もありません
でした。神が私たちの答えを待っておられると
教会は神のことばを聴くことによってたてら
考えると、ミサの流れの中での私たちのことば
れ、成長していきます。ことばの典礼としてみ
は、ただなんとなく語るのではなく、私たちの
ことばを聴き、味わい、そこから告げ知らせる
答えを待ってくださっている神に届くように発
奉仕へと進んでいきます。みことばを聴くとき
したくなります。
は、
「主よ、私の心の目を開いてください」と
ミサの中での各所の会衆の応答・唱和・信仰宣
祈りましょう。ケンズ神父様は聖書を開く前に
言なども私たちの答えですから、待っていてく
は必ず、そう祈るそうです。私たちも心の中で
ださる方に届くように答えたいとおもいます。
祈りましょう。
派遣されたあとの私たちの姿も、もちろん神の
待っておられる私たちの答えです。
ミサの中での朗読者の奉仕は、はっきりと皆が
味わえるように読むことでしたね。一方、会衆
11
( 典礼より)
ネパール国ポカラ市の聖アンナマリア教会の建設
聖アンナマリア教会建設支援の会 林 好・林
カヨ
ネパールと聞くと多くの人はヒマラヤ山脈と
舎が、丁度その頃にネパール大使だった教え
かチョモランマ(エベレスト)を連想すると思
子の栄光学園 14 期生の平岡邁君を通じての日
います。そして、首都のカトマンズに着いたら
本政府からの援助もあって完成した 2008 年末
雪をかぶったヒマラヤ山脈が間近に眺められ
からです。それまでに、広島学園で大木神父と
ものと思っています。ところがカトマンズで出
共に働いておられた倉光先生が主宰する「ポカ
迎えてくれるのは車や燃料から出たスモッグ、
ラの会」を中心とした各種の募金活動などによ
車とバイクのエンジン音や、やたらに吹き鳴ら
る資金で土地は少しずつ買い増してこられて
される車の警笛による喧騒です。よほどの幸運
おり、シュシュビカスの近くに充分な広さで教
に恵まれないとカトマンズではヒマラヤは見
会用地が確保されていました。現在の栄光学園
えないし、見えたとしてもはるか遠方にうっす
の聖堂・図書館棟やシュシュビカスの障害児学
ら見えるだけで拍子抜けします。
校の新校舎を設計された栄光学園 13 期生でカ
トリック茅ヶ崎教会所属の山口洋一郎さんや、
ところが、雪をかぶったヒマラヤに間近に迫
シュシュビカスの校舎工事の工事監理をされ
られるとの思いが勘違いではない街があり、
ていたカトリック春日部教会所属の氏家豊浩
それがネパール第二の都市でもあるポカラ市
さんと共に基本案が固まっていきました。私達
なのです。晴れればダウラギリ、
アンナプルナ、
も 11 月の新校舎の落成式に参加して、山口さ
マナスルという標高8千メートル級のヒマラ
んや氏家さんとの面識を得ました。そして、そ
ヤの山々の頂も市内から望めます。特に、鋭い
れがご縁で 2009 年の新春に、以前から何回も
三角形のマチャプチャレ山(6,993m)はスイス
ポカラを訪れて大木神父への支援をされてい
アルプスのマッターホルン
(4,478m)の5割増
た 17 期生の飯沼修さんや、ヒマラヤを借景に
以上の高さがあるうえ、ポカラに一番近いため
しようとのアイデアの発案者であった 13 期生
に、街角から眺められる特徴的な山容は非常に
の村田彰二さんの奥様で逗子教会所属の村田
印象的です。
昌子さんも含めて「ポカラ教会建設支援の会」
を立ち上げるに至りました。それまでにも林カ
六甲学院、栄光学園、広島学院と約 20 年間に
ヨが 30 年ほど前にポカラに大木神父様を訪ね
わたりイエズス会の中高で多くの日本の若者
たことがきっかけとなり、栄光学園の同期生に
を育てた後に、30 年以上もの長い間ネパール
呼びかけて寄付を集めて運動場の土地の資金
で障害児教育に尽くしてこられたのが大木神
を提供したりしていましたが、聖堂建設に的を
父です。そんなヒマラヤの山々を祭壇の借景に
絞って本格的なお手伝いを始めました。
して、ポカラに教会堂を建てようとの大木神父
の思いが一挙に具体化したのは、ポカラ市内の
日本の多くのカトリックの教会堂は宣教のた
シュシュビカスの地に障害児向け学校の新校
めに来日された欧米の司祭や、その出身地の信
12
ヒ
マ
アンナプルナ
▲
INDIA
ラ
ヤ
山
脈
CHINA
ポカラ
カトマンズ
エベレスト
▲
徒の寄付金等で建設されています。カトリック
会の皆様に心から感謝の気持ちを伝えたいと
保土ヶ谷教会も 70 年以上も前の昭和 13 年
(1938
存じます。有難う御座いました。尚、大木神父
年)にパリミッション会によりフランスのカト
は 2009 年春に日本に帰国され,2014 年 3 月ま
リック信徒の援助で建設されました。そこで、
で長崎の二十六聖人記念館で活躍されていま
「今度は私たちの番だ」との思いが今の私たち
すが、4月からは伊万里のトラピスト修道院に
のクレドです。
移られるご予定とお聞きしています。
ネパールのインフレによる資金不足や地域の
状況に対応するために山口さんや氏家さんが
大変ご苦労されましたが、2012 年から氏家さ
んが現地に常駐し工事が開始されました。2013
年 12 月の段階では、右の写真にあるように梁
のコンクリート打ちが完了しています。今後は
屋根の部分の木組みを行い、その後に、屋根工
事、壁や内装工事へと進みます。出来れば今年
の夏には完工したいと思っていますが、万事マ
コンクリート打ち完了の教会全景
イペースのネパールですのでどうなるでしょ
うか、少々心配なところもあります。
現在のところ、10 月 11 日 ( 土 ) 頃に祝別式を
兼ねた完工式を行いたいと計画しております。
是非皆様もご参加頂ければと思っています。
そのツアーのご案内は、下記の通りです。
▶「聖アンナマリア教会建設支援の会」
http://www.annamaria-church.com/index.html
▶林 [email protected]. jp Tel.045
(333)
9332
旅費はアンナプルナ山麓のトレッキングを含
めた 8 日間前後で 25 万円程度を見込んでい
ます。ご連絡いただければ、幸いです。
末筆になりましたがこれまでの各種の募金活
動にご協力いただいたカトリック保土ヶ谷教
ポカラよりマチャプレチャ山の眺め
13
第6回
「班の集いでのワークショップ・報告会」
ワーキンググループ (WG) 共同体の将来を考える会
同体の将来を考える会」では、昨春「交
「共
わりとしての教会」を実現するためのステップ
3 月 9 日ミサ後の報告会の様子
として「班の集い」においてワークショップ ( W
S ) を開催しました。将来の保土ヶ谷教会像を
(3)3 月 9 日は「祈る」をテーマにワークショッ
考えていくためのステップとして、まずは信徒
プを行ったグループの分の取り纏めを、岡田俊
各々が抱える課題を仲間と分かち合いつつ、そ
さん(1 班)から報告して頂きました。
の解決策を考えていくための作業でした。その
以下「祈る」グループ報告資料より
後、皆さんから頂いたご意見について、多くの
方々のご協力を頂きながら、今後に活かすため
の取り纏め作業を続けてまいりました。
2 月 23 日、3 月 2 日及び 9 日の 3 回にわたり、
ミサ後にWSの報告会を行いました。
(1)2 月 23 日は「信仰を伝える」をテーマに
話し合いをしたグループのまとめを、矢島恵美
子さん ( 1班 ) から報告して頂きました。
以下「信仰を伝える」グループ報告資料より
班の集いにおいては、皆さんから沢山のご意見
を頂きましたが、まだまだその方法や形式につ
いては試行錯誤が必要な段階です。自分が出し
た課題や解決策が今回の報告に反映されてい
たのだろうか、と疑問を感じた方も少なくない
かもしれません。皆さん一人一人が本音を出し
易い貴重な交わりの機会となり、且つその成果
(2)3 月 2 日は「神の愛を証する」をテーマに
が形になっていくような分かち合いの場が提
分ち合いをしたグループについての報告を、渡
供できるよう、私たちも工夫していきたいと思
辺千香さん
(5 班)から発表して頂きました。
いますので、皆さんからも要望、意見を沢山出
以下「神の愛を証する」グループ報告資料より
して頂ければ幸いです。
まずは、次年度の班の集いを再び意見交換の場
にしたいと考えています。その際は「交わりの
教会」としての将来の保土ヶ谷教会をイメージ
しつつ、再度のご協力のほど、よろしくお願い
します。
14
イ・ビョ ン ホ ン 神 父 さ ま へ の
つの質問
7
4 月 24 日より着任予定のイ・ビョンホン神父さま。
正式なご紹介は次号にてさせていただきますが、ケ
ンズ神父さまの「温かく迎えてあげてください」の
言葉に、編集部員がさっそくコンタクト。ホットなイ
ンタビューをお届けします。
1
洗礼名を教えてください。 洗礼名はペトロです。
2
好きなみことばを教えてください。
好きなみことばは、1 テサロニケ 5.16 〜 18「いつも喜んでいな
さい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」です。
3
好きな食べ物は何ですか?
基本的に和食が好きですが、その中で一つを選びなさいと言わ
れるとお寿司かな。
4
語学力習得の秘訣は何ですか?
実は、頭は良くありません。日本語を学ぶのに精一杯だったし、
常に日本語の難しさを実感しています。けれどもある程度日本
語が話せるようになったのは信者さんとの交わり ( ふれあい )
と聖書クラスのおかげだと思っています。
5
何故、韓国にはカトリック信者が多いと思いますか?
難しい質問ですね。色々な理由があると思いますが、私が考え
る一番大きなちがいは、日本という国民の価値観は仏教がベー
スになっていることに対し、韓国は儒教がベースになっている
からだと思います。
〆をした時点でご報告いたし
ます。
ありがとうございます。
ほほえみは 善きことと 常に知り乍ら
15
献金につきましては、最終の
老い我 今日は黙していた
編み方はお教えいたします。 小田、北澤、荒井、神山まで。
温かいお心が感じられます。
つる田さんが『今日も必死』と詠みにけり
純毛 毛糸
(赤道直下で使用のため) 並太ぐらい
編み針 4 本針 8 号か 9 号
・30cmまで編む ・2目一度で目数を半分に減らす
・最後の段は糸を通してしぼる
みなさまのコロンバン会への
(百一才の鶴田雪枝さん宇宙に遊ぶと言ふ)
横浜港に入港する貨物船の船員さんのために、毎年帽子を編んで
プレゼントしています。11 月バザーまでに今年もよろしくお願
いします。下記の要領です。
くださったコロンバン会。
五尺の小躯を
我また必死 船員さんの帽子
今年もお願いします
長い間、私たちに愛を注いで
好きな聖歌は何ですか?
典礼聖歌集 29「エルサレムよ ほめたたえよ」です (^^)。
ガレージセールを開催。
遠き日に 家族のありて 春ありて冬ありて
7
をテーマに、3 月 23 日より
みなすこやかなりしを
日本でも取り入れられそうな宣教方法はありますか?
宣教方法は、神の知恵とイエス様の導きに従って、皆さんと一
緒に考えたいと思っています。
その中で私がより力を入れたいところは、神学生の育成と同時
に、こどもからお年をめされた方までが教会で一緒に笑ったり
泣いたり、お祈りする声が聞こえられる教会を目指したいと
思っていますね。
ガレージ
セール
『コロンバン会に
感謝を!』
の人 つれづれなるままに詠む
西 6
春の
H ot News!
総務よりお知らせ
パウロ 木村 孝神父様
金祝おめでとうございます
♥成人おめでとうございます
阿部陵亮さん
(3班) 田村 茜さん(1班) 枇杷晃平さん(4班)
♥入門者
秋元菜摘さん 白鳥麗子さん 森 咲子さん 畑山晴美さん 畑山由紀さん 相蘇雄作さん
✚お悔やみ
ユーモアを交え、よくとおる声でお話
される神父様
1964 年 3月20 日荒井司教様
より叙階される
当教会ご出身の木村神父様の
司祭叙階 50 年のお祝いの記念
ミサが 3 月 30 日行われました。
横 須 賀 三 笠 教 会 を 皮 切 り に、
1966 年から 5 年間ブラジルへ、
帰国後は横浜教区で司牧され、
現在は現役を退かれています。
木村神父様に続く召命を皆で
祈り続けましょう。
11/20 ローザ乗松幸子さん(享年 92 歳)
12/4 古川 勉 師(横浜教区事務局長・
教区司祭)の御母堂マリア・マグダ
レナ 古川ナホ様
12/15 デニス・カラン神父ご命日
12/31 フランシスコ川尻次雄さん
(5 班・享年 78 歳)
2/25 パウロ原 巍さん
(2 班・享年 84 歳)
☆ようこそ保土ヶ谷教会へ 横田直子さん(菊名教会より・5 班へ)
(3 月 31日までのお知らせより)
《編集後記&広報よりお知らせ》
この季節に、一瞬一瞬を大切にすること、そして心の向きを変
えればいつでも生き直せると、今一度、心に刻みつけたいです。
(角屋)
復活祭おめでとうございます。保土ヶ谷カトリック教会では新
しい主任司祭イ神父をお迎えし、新しい共同体を切り開いてい
きます。詳しくは次号でご紹介しようと思います。 (亀井)
神さまのご計画は、ゆっくりと進んだり突然だったり、戸惑う
ばかりです。視野をひろげて、すべての人たちが同じ幕屋の下
にいると思えるようになりたいです。そうすれば、あらゆる別
離は悲しくなくなるように思います。 (門岡)
星に導かれて、アブラハムが旅立ったように、新天地に出発な
さる神父さま。新しいことにチャレンジする心を久しく忘れて
いたことに気づかされ。 (高橋)
今年は特に記憶に残る復活祭になります。
ケンズ神父様お世話になりました。 ★広報委員会へのご協力をいつもありがと
うございます。作品展が、知らない方との
交流の場となったように、
「ほどがや」も
また、みなさまのよきわかち合いの場と
なるよう、思いを込めて制作しておりま
す。今後も、投稿ご協力よろしくお願い
いたします。
★広報委員会の方針として、投稿いただ
いた文章は、原則、原文のまま掲載さ
せていただきます。また教会のホーム
ページにも掲載されますこと、ご了承
ください。差し支えある方は入稿時に、
その旨お伝えください。
★次号は、洗礼者ご紹介号。6 月初旬発行
予定です。
(成瀬)
発行/保土ヶ谷カトリック教会 教会委員会 編集/広報委員会 HP http://hodogaya.catholic.ne.jp
16
Fly UP