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ジョルジュ・バタイユにおける形態の弁証法: 雑誌 『

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ジョルジュ・バタイユにおける形態の弁証法: 雑誌 『
Kobe University Repository : Kernel
Title
ジョルジュ・バタイユにおける形態の弁証法 : 雑誌『
ドキュマン』における「人間の姿」(De la dialectique
des formes chez Georges Bataille : <> dans la revue
Documents)
Author(s)
唄, 邦弘
Citation
美学芸術学論集,3:18-40
Issue date
2007-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002322
Create Date: 2017-04-01
1
8
美学芸術学論集
神戸大学芸術学研究室
2007年
ジョルジュ ・バタイユにおける形態の弁証法
一雑誌 『ドキュマン』における 「
人間の姿」-
唄 邦弘
は じめに
1
9
20年代か ら 30年代にかけて、ジョルジュ ・バタイユはブルジョワ社会を越 えようと
するシュル レア リスム運動に肯定的な態度を示 しなが らも、決 して彼 らの運動に従 うこと
なく、常に批判的な立場をとっていた。性倒錯的なサ ドの行為に対するシュル レア リスム
の態度に表れているように、バタイユは、彼 らの理念が、低俗なものを追求 しなが らも、
それを驚異的なもの- と置き換えることによって、最終的にはイデアの世界- と逃げ込ん
で しまっていると批判する。それ とは反対に、バタイユは、汚れたものや 「
低級なもの」
に潜む物質性 をより具体的に捉えることで、そ うしたイデア リズムから逃れ ようとした。
こうしたシュル レア リスム批判において、バタイユは、彼 らの用いたイメージに対 して
も同じようなイデア リズムを読み取っている。なかでもシュル レア リスムの出発点 として
1
92
4 年 ・29
出版 された 『シュル レア リスム革命』誌(
以下、『
革命』誌)
の創刊号 と最終号(
午)
に掲載 されたシュル レア リス トたちのモンタージュ写真は、バタイユにとってシュル レ
ア リスムにおける人間の理想化を明瞭に示す ものであった。 こうした時代の中、雑誌 『ド
キュマン』は、複数の学問的領域を含む総合的な美術雑誌 として 1
929年 4月に出版 されて
いる。ジョルジュ ・バタイユは、この雑誌の中で編集長のひ とりとして様々な写真イメー
ジに表れる具体的な対象物を用いて独 自の観念論批判 を展開する。
これまで、『ドキュマン』における視覚イメージの問題は、シュル レア リスムの影響を抜
きにして語ることはできなかった。実際この雑誌には、シュル レア リスム運動からの離反
者が多 く参加 してお り、シュル レア リスム的イメージと形容することができるよ うなもの
が数多 く掲載 されている。 しか しながら、それぞれの雑誌を見比べてみれば、バタイユ と
シュル レア リスム、 とくにその中心人物だったアン ドレ ・ブル トンとの視覚イメージに対
する考え方はまった く異なってお り、
そのため、
彼 らの間の思想上の対立は明らかである。
本論の 目的は、雑誌 『ドキュマン』の中でジョルジュ ・バタイユがどのようにイメージを
捉えていたかを、シュ/
レレア リスムにおける写真イメージと比較することによって考察す
ることにある。
『ドキュマン』において、バタイユが批判 したのは、ものの形態や人間の身体に対 して、
人間が理念的に作 り上げた理想的形態だった。バタイユは、この人間的形態をシュル レア
リスムのイメージの中にも見出 しているのである。バタイユは、こうした理想的な形態を
たんに物質 と対立 させ るのではなく、「
低級な物質」- と接近 させることによって、その背
後に潜む、醜悪 とみなされるような形態を引き出そ うとする。バタイユが呈示 した 「
形態
の弁証法」 とは、まさに彼の主張する形態の変容 を視覚的に実践 しようとするものであっ
た とい うことができるだろ う。さらにバタイユは 『ドキュマン』においてそ うした形態を、
たんに視覚的な次元にとどめることなく、読者の身体そのものをも脅かすかのよ うなもの
1
9
- とレイアウ トしたのである。
以上のような議論のために、本論でははじめに、シュル レア リスムとバタイユによるモ
ンタージュ写真をめぐる論争か らはじめる。そこには、それぞれの写真イメージに対する
対照的な態度がよく表れている。次いで、バタイユが呈示する理想的な形態を逸脱する形
態について、『ドキュマン』の写真図版を通 じて具体的に考察 していく。そ して最後に、バ
タイユ とシュル レア リスムにおける視覚的認識の差異が最 もよく表れている例 として、手
のイメージの表象の仕方についてそれぞれ具体的に分析 してい く。これ らの分析を通 じて、
本論では、『ドキュマン』におけるテクス トとイメージの力学を明らかにするとともに、バ
タイユの観念論批判をたんに 「
観念」- と回収することなく1、より具体的な実践 として捉
えていく。
1シュル レア リス トの肖像
シュル レア リスム的モンタージュ
92
4年のブル トンによる 「
シュル レア リ
バタイユのシュル レア リスムに対する批判は、1
929年の 『シュル レア リスム第二宣言』に至って最 も明確なもの
スム宣言」か ら始ま り、1
となった。バタイユは、一貫 してブル トンが掲げるシュル レア リスムの理念の中にイデア
リズムを読み取っている。
周知のよ うに、シュル レア リスムは、無意識、夢、狂気、エロティックなものなど、文
学や思想においてこれまで眼を向けられてこなかった領域から出発することによって、従
来のブルジョワ的思考を越え出ようとする。それによって、彼 らは、これまで自己を保証
するもの として人間の存在の中心にあった主体を問い直 し、もはやそ うした主体を支えて
いる 「
理性」には到達できない 自由を獲得 しようと試みる。
ブルジョワ批判だけではなく、既成の論理的思考に頼ることのないこうした彼 らの運動
に、バタイユは一定の評価を与えている。 しか しながら、彼は同時に、ブルジョワ社会を
否定 しながらも、それを越 え出るために彼 らの運動がブルジョワ的な権威主義にとらわれ
ていることを批判する。
シュル レア リスムは、低俗 な ものの価値(
無意識 、性欲 、卑猿 な言語 な ど)
を もた らし、それ だ けで も
ほかの ものか らははっき りと区別 され るが、問題 は、 これ らの価値 を最 も非物質的 な価値 に結びつ け
るこ とで、それ らに卓越 した性格 を与 えてい る とい う点である。
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2.
ブル トンは、「
シュル レアリスム第二宣言」において、バタイユの観念論批判が結局は観念によって行われていること
を批判した。「
バタイユ氏の場合は、次のような矛盾 した、彼にとっては厄介な問題をはらんでいる、すなわち、「
観念」
に対する彼の病的な恐怖は、彼がそれを伝達しにかかる瞬間から、イデオロギー的傾向とならざるを得ないのである。」
1
(
RS1
2,1
6・
)
2
「
「
老練なモグラ」と超人および超現実主義なる言葉に含まれる超 とい う接頭辞について(
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20
こうしたバタイユのシュル レア リスムに対する批判は、恐 らくシュル レア リスムの理念そ
のものに含まれている矛盾にあるよ うに思われ る。J・B ・ボンタ リスが指摘するよ うに、
た しかにシュル レア リス トたちは無意識のような否定的な力を奨励 したが、ただ しそれ と
同時に、彼 らはそれを肯定的に捉えようとした3
。そのために、無意識のメカニズムを明ら
かにする様々な方法 (
夢の記述、自動記述、偶然的出会い)が生み出されたのである。そ
れゆえ、ブルジョワ的なあらゆる社会を乗 り越 えようとしたシュル レア リスムが、革命の
ために諸々の矛盾 を解決 しようと試みた とき、その運動は、従来よりもはるかに権威主義
的な革命思想に到達 したのである。その結果、シュル レア リスム運動において、不安を掻
き立てるような力は、「
驚異的なもの(lemeⅣeil
l
e
ux)
」-、さらには、美 しいもの- と変貌 さ
第二宣言」において、ブル トンは、諸々の矛盾を統合する
せ られるのである4。そのため 「
かのように以下のごとく述べる。
あ らゆるこ とか ら、生 と死、現実 と想像 、過去 と未来 、伝達 可能 な もの と不可能 な もの、高い もの と
低 い ものが、相反す るものだ とみ な され るのを止 めるよ うな、精神 のある一点が存在 してい る と考 え
RS1
2
,1
.
)【
下線筆者】
られ るのである(
この宣言からも明 らかなように、シュル レア リス トは、諸々の低俗なものを、これまで
の権威 よりもさらに高みにある別の権威 を獲得する「
精神」- と至る一つの過程 とみなすO
バタイユは、こうした矛盾 したシュル レア リスムの理念の中にイデア リズムを読み取った
のである。そ うしたシュル レア リスムの運動をバタイユは、太陽よりもさらに上昇するた
めに太陽 とい う権威 に挑み、墜落 していくイカロスの姿 と重ね合わせている。バタイユに
とって、彼 らの革命は、イカロス と同じように、理想的に新たに作 り出された権威 を掲げ
ることで、ブルジ ョワ的社会を破壊することができるとい う錯覚に陥っているに過ぎない
s
u
r
」とい う接頭辞に象徴 されるように、そこには必然的
のである。シュル レア リスムの 「
にイデア的な性格が含まれている(
oc,2,1
03.
)
。
こうしたバタイユの批判は、当時の未発表の論文において行われたものであ り、当時シ
ュル レア リスムの活動が盛んであったにもかかわ らず、直接 『ドキュマン』において行わ
れたものではなかった。またこの雑誌には、彼 らについての論文 さえ掲載 されることはな
9
29年第 4号の論文 「
人間
かった。 しか し、多 くの論者が指摘するよ うに、バタイユは、1
の姿」において、テクス トではなく、ブルジ ョワ的なイメージを組み合わせ ることによっ
て、暗にシュル レア リスム的イメージをパ ロディ化 しようと試みている5
(
図 1)。この論文の
最後に掲載 された組写真は、実際編集に携わった元シュル レア リス トである J・A-ボワフ
1
9
24)
に掲載 されたモンタージュ写真に倣って制作 され
ァールによって、『
革命』誌創刊号(
たものである(
図2a
)
。そこでは、シュル レア リス トとして承認 された人物たちが紹介 されて
L
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〝由比t
e)
」(
OC,
2,1
03.
)
3 ゴーチエ 、2
05年 、21
22頁
ブル トンは、「
シュル レアリスム第一
一
宣言」において、以下のように述べるo 「
驚異的なものは常に美 しいOそれがど
Br
e
t
o
n,1
988,
31
9.
)
のようなものであっても美 しい。美 しいと呼べるものは驚異的なもの以外にないとさえ言える。」(
4
5 cf
,
J
o
yc
e
,
2003,
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4・
,
Di
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998,
41
46・
21
い るo その中央 には、女性 テ ロ リス ト、 ジェル メ-ヌ ・ベル トン(
Ge
ma
r
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neBe
r
t
o
n)
が配 され、
それ を取 り囲む よ うに して 26人 のシュル レア リス ト、そ してシュル レア リスムが連帯 を望
む 2人の人物 が並置 され てい る。さらに、それ らのイ メー ジの下には、「
その女性 は最 も大
きな闇 と最 も大 きな光 を私 た ちの夢 の中に映 し出す人物である。Ch
.
B.
」(
RS1,17.
)とい うボ
ー ドレール のテ クス トが添 え られ てい る。
ベル トン とい う女性 は、1
923年 1月 23 日に、右翼系新 聞 「
ア クシオ ン ・フランセ-ズ
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)
」のオ フィス を襲撃
し、王党派 の指導者、マ リウス ・プラ トーov
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u)
を射殺す る。 そ して彼 女 は、約 1年後 の 1
92
4年 1
1月 1日に、服毒 自殺 によって亡 くなっ
た。 シュル レア リス トた ちは、彼女 の こ うした政治的犯行 をシュル レア リスムが 目指す革
命 と同 じく、ブル ジ ョワ社 会 を破壊す る革命 的行為 として英雄視 していた。 しか しその一
方で、彼女のイ メー ジは、本誌 の別 の トピック と関連 してい る。 とい うの も、本誌 の序文
には、 「自殺 は解決 とな りえるのか ?6
」 とい う問いが投 げかけ られ てお り、また本文 には
何 の注釈 もつ けず に当時の新 聞か らの 自殺 に関す る記事が一覧 されてい る。そのため、彼
女 は、革命家で ある と同時 に悲劇 的な女性 として扱 われた。ルイ ・ア ラゴンは、彼女のプ
ラ トーの殺害だ けではな く、 自殺 とい う自身 の殺害 に対 して 「
幸福 とい うおぞま しい嘘 に
対 して、世界 に向けて提 出 され た最 も美 しい抗議 」 (
RS1,1
2.
)と賞賛す る。また彼女 は、若 き
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i
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peDa
ude
t
)とのスキャンダル が噂
活動家であ りなが らも殺 害 され た フィ リップ ・ド-テphi
され ていた とも言 われ てい る7
。そのた め、シュル レア リス トたちに とって、ベル トン とい
う女性像 は、たん に革命 のた めのイ コン とい うだけではな く、死 とエ ロスが結びついた最
もシュル レア リスム的 な女性像 となったのである。
グザ ヴィェル ・ゴーチエ は、『シュル レア リスム と性』において、ま さに女性 を観念 にま
で高めるこ うしたシュル レア リスムの男性 中心主義的な側面 を批判 してい る。彼女 によれ
ば、シュル レア リス トたちに とって女性 的イ メー ジは、男性 的欲望 によって、一方で、破
壊 の対象 として、他方 で、 「ミューズ」 「
フ ァム ・アンファン(
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e
mme
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nf
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nt
)
」 とい う純真 で無
垢 な魅惑的存在 、つ ま り理性 を超 えた未知 の存在 として捉 え られたのである8
。 それ ゆえ、
このベル トン とい う女性 に よって引 き起 こされ る破壊 的なエ ロスの観念 は、革命 のライ ト
モチー フ として シュル レア リスム運動 の推進力 となるものだったのである。 ボー ドレール
のテ クス トが示す よ うに、 「
そ の女性」、つ ま りベル トンは、私たち男性 シュル レア リス ト
の夢 の中に闇 と光 を もた らす最 も理想 的 な存在 だったのである。
さらにここで、 こ うしたシュル レア リスム運動 において、写真的実践が如何 に行 われ た
のか とい うこ とを明 らか にす る必要 が あ る。 実際 シュル レア リス トた ちは、写真 を矛盾
した方法で用いてい る。 とい うの も、一方 で、ブル トンが文学的な 自動記述 を 「
写真 の思
全文は以下のようになっている.「
アンケート:
人々は生き、そして死ぬ。こうしたすべての中で如何に意志を共有す
ることができるのか?私たちは夢を見るような仕方で、自らを殺すことができるように思われるが、それは、私たちが
問うているような道徳的な問題ではない。:自殺は解決となりえるのか?」(
RS
1
,
2.
)
7 フィリッ
プ・ド-テは、王党派のジャーナリストであり作家であるレオン・ド-チ(
Le
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)
の息子。父レオンはベ
ルトンが殺害したプラトーと同僚だった0
8ゴ
ーチェ、2
0
0
5年、5
8-6
7頁、1
1
3-1
8
1頁o前者に関しては、ハンス・
ベルメールの球体関節人形に見られる女性の
肉体の解体を例に挙げることができるO後者に関しては、バンジャマン・
ペレは以下のように述べているO「
子どもであ
る女は、まさに男のものである愛を刺激する。すみずみまでこれを充足させる。そして、この愛が、女を脅威の世界へ
投影し、彼女の真の姿を啓示する。」(
ゴーチエ、205年、11
2頁より
引用)
6
22
考9」として定義 したように、彼 らにとって写真の機械的な現実の記録は、人間の手か ら離
れて、意識には届かない心的イメージを生み出す 自動記述に対応するものであった。その
ため、ブル トンは、写真が現実を超えて、人間の意識では捉えることのできない無意識の
世界を表象することができるものと考えていた。だが他方で、ロザ リン ド・クラウスが述
べるように、シュル レア リスム写真は、写真のフレー ミングによって排他的に対象を選択
することで、そのイメージの内部にある種の時間的な遅延 [
ズレ]や、意味を内包 させ、
。例 えば、≪自動記述 ≫
写真イメージに新たな意味を生み出す よ うに構成 されている10
(
1
938
)と題 されたブル トンの肖像のフォ トモンタージュは、そのフレーム内で、「
自動記述」
とい う言葉 とともに、前景のブル トンと背景 とを合成することで、現実そのものをシュル
レア リスム的なイメージ- と置き換えている(
図3)
0
こうしたブル トンの肖像のモンタージュ写真を、先のページ上にある組写真 と比較 して
みるならば、そこにはある種の共通点が浮かび上がる。すなわち、このページには、ブル
トンのフォ トモンタージュと同じように、肖像写真に対 して、女性テロリス トの写真、そ
して 「
夢の中で最 も大きな闇と最 も大きな光を映 し出す人物」 とい うテクス トを異質な仕
方で並置 し、関係づけることによって統一性が与えられているO このページでは、一見す
ると、このシュル レア リス トたちの集合写真は、シュル レア リス トを紹介するためにレイ
アウ トされているイメージ群であるように見えなが らも、その中心に闇 と光を照 らすェロ
ティツクな女性のイメージが接合 されているのである。そのため、彼 らは、このページの
中でそれぞれの肖像写真を、たんに証明写真 として レイアウ トするだけではなく、その他
のイメージやテクス トと組み合わせ るモンタージュの手法を用いることによって、このペ
ージ全体をシュル レア リスム的実践 として機能 させたのである。それによって、このペー
ジでは諸々の観念が混合 され、実際にはあ りえないはずの集団が、無時間的に組み合わさ
れることとなる。
それに対 して、バタイユの論文に用い られている写真イメージは、『ドキュマン』執筆者
の姿でも、ま してやバタイユの姿でもない。それは、ナダールのスタジオで撮影 されたベ
ル・
エポック期に活躍 した舞台俳優、公爵 といった過去の偉人たちである1
1(
図1
)
。そ して、
このページの中央には、かきわ りを背にしてジュピターを演 じる俳優の写真が、その周 り
の1
2枚の肖像写真 を従えてオ リンボスの神話を演 じるかのごとく配置 されている。
それに
よって、演劇的なセ ッ トやポーズ、当時の流行のファッシ ョンによって作 り上げられたこ
のページの写真には、たんなる人物の記録 とい う性質 とい うよりも、ブルジ ョワ階級の典
型的なイメージとしての神話的・
虚構的な性質が与えられている。
バタイユ とって、こうしたブルジョワの写真は、「
全体的に見て人間の構想 した偉大で強
烈なすべてのものの中で、古びた噸るべきもの として人間的形態がはっき りと見て取れる
唯一の時代」(
Dl
(
4
)
,1
9
4
.
)
が表象 されたイメージだった。バタイユが主張す るには、現代の
人々は、これ らの写真の姿を過去の遺物 として切 り離す ことで、たんに笑 うべきもの、あ
リ「写真 の発 明は、旧来の表現様式に致命的な打撃を与えてきた。これ は絵画のみならず 、詩 についても同様であって、1
9世
紀末 に現れた 自動記述 はまさに思考の写真 に等しいものであるD」
(
Br
e
t
o
n
,
1
9
8
8
b
,
2
4
5
.
)
1
0 クラウス、
1
9
9
4年 、7
3-9
4頁
l
l『
ドキュマン』に掲載された注釈 によれ ば、中央はジュピターを演じる俳優ムネ -シュリー、また左上からヨハン・
シュトラウスな
9世紀の舞 台俳優が並べられる。また一番右 下は、ハ ノーヴァ-公 国ゲオルク五世 になっている。
どの 1
23
るいは 「
異常者」 として否定的な意味 しか与えよ うとは しなかった。恐 らく、実際それ ら
の写真は、シュル レア リスムに とっても同様 に否定 され乗 り越 えられ るべきブルジ ョワ階
級の典型的なイメージだった といえるだろ う。 しか し、バタイユは、あえてこのブルジョ
ワ階級のモンタージュとシュル レア リスムのモンタージュに対 して類似関係 を与えること
で、シュル レア リス トたちが、結局の ところ、ある種の権威的なイデアを含んだブルジ ョ
ワ的イメージを生み出 していることを示唆 しよ うとした。そのため、バタイユにとって、
シュル レア リスムのモンタージュ写真は、シュル レア リス ト個人 とい うよりも、「
シュル レ
ア リスム」 とい う権威そのものを直接イメージ化 したものだったのである。つま り、バ タ
イユにとって彼 らの姿は、神話 に現れ る神の姿のごとく、理想化 された人間の姿に過 ぎな
かったのである。それを暴 くために、バタイユはこのよ うな演劇的なポー トレイ ト写真に
よって、間接的にシュル レア リス トを 「
演 じられた」芸術家像 として呈示 し、ある種の笑
いを引き起 こさせ ようとしたのだった。
去勢 されたライオン
お よそ 5年後の 『
革命』誌最終号の論文 「
シュル レア リスム第二宣言」の中で、ブル ト
ンは、こうした 『ドキュマン』の運動をあらかさまに批判 している。 しか しなが ら、ブル
トンがバタイユに苛立ちを覚 えたのは、モンタージュ写真 に写るナダールの肖像写真では
なかった。実際ブル トンは、『ドキュマン』の中でバタイユが行ったよ うなイメージ戦略に
対 してはほとん ど無関心であった。
では一体、何がブル トンをそこまで際厩させたのか ?
もちろん、それは、シュル レア リスム運動か ら離党 して、『ドキュマン』- と活動の場所
を代 えたボワファールや ロベール ・デスノスな どの何人かのシュル レア リス トに対す るも
のでもあった。 しか しなが らそれ以上に、ブル トンを怒 らせたのは、バタイユが論文 「
人
間の姿」の中で書いた 「
演説家の鼻先にとまった-エの出現」だった(
Dl
(
4)
,1
9
6.
)
。
na
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ur
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uma
ne
i
)
」のよ うなものがあるかのよ うに
バ タイユによれば、人間は、「
人間の本性(
想定す ることで、 自然を合理的秩序- と組み入れ ようとしてきた。それによって生み出さ
れた人間の 「自我」は、世界のあらゆる矛盾 を認識可能なもの- と置き換 えることで、 自
己と非 自己のアンチノミーを論理的に還元可能なものに してきた。--ゲル弁証法は、こ
うしたごまか しの操作を行 うために意図的に考えられたものである。だが、バ タイユに と
ってそのよ うな矛盾 した関係 は、抽象的な表現で しか表 されないものであ り、実際それは
「
人間 と自然の間の全般的な不均衡のある様相のひ とつ(
unde
sa
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pe
c
t
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adi
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pr
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po
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tl
ana
t
re)」(
u
Dl
(
4)
,1
9
6
.
)
を示 しているに過 ぎない。
バ タイユにとって、 このよ うな 「
全般的な不均衡」を暴露す るものこそが、このハエな
のである。バタイユによれば、ハエが鼻先に留まるとい う偶然の出現は、「
形而上学全体の
中での 自我の出現」 とい う哲学的な論理的矛盾 とはまった く異なっている。それは、 自我
と非 自我のアンチノミーを還元 して しま うよ うな合理的秩序 とは対照的に、非蓋然的なも
のであるがゆえに、還元不可能なものである。バタイユは、このハエを自我- と還元す る
とい う逆操作 を行 うことによって、二つ(
形而上学における自我 とハエ)
が同 じもので しか
ないことを明 らかにす る。 もちろん、ここでバ タイユはハエによって世界を認識 しよ うと
しているのではない。バタイユにとってそれは、ハエ とい う低俗なものに価値 を与えて し
2
4
ま うことを意味 しているだろ う。そ うではなく、バタイユは、あ りそ うもないハエの出現
を人間中心的な世界認識によって隠蔽 された人間の姿に関係付けることで、そこに表れ る
「
不均衡」を暴露 しよ うとしたのである。そのため、「
周知の通 り、白人の男女は、頑固に
も、努力 して何 とか人間の姿 (1afigu
rehu
m a
i
ne) を取 り戻そ うとしていた」 (
Dl
(
4)
,1
97.
)と述べ
るように、自らの姿を理想的なもの- と作 り上げることによって、ハエのような醜悪なも
のから逃れよ うとしてきた人々にとって、このあ りそ うもないハエの出現は、人間の顔 を
醜悪なものとして映 し出す ことになるのである。
それに対 して、ブル トンは人間の姿にまとわ りつ くハエを追い払お うとす る。
私 たちが この よ うに長 い間-エ について語 ってい るただひ とつの理 由は、バ タイユ氏 はハエが好 きだ
か らである。私 た ちはそ うではない。私 た ちが好 きなのは、古の降神術者 の法冠 、前面 に金 の羽根 が
着 け られ 、そ して-工 を追い払 うた めに清 め られてい るために、そ こにハエが留 ま るこ とができない、
積れのない麻布 の法冠 なのである120
ブル トンは、醜悪 さを引き起こすハエを追い払 うために自らの姿を積れのない 「
古の降
神術者の法冠」をかぶった人物 として形容する。その身体は、決 してハエが留まることの
できない積れなき身体なのである。
この『
革命』誌最終号には、創刊号 と同 じ形式によってモンタージュが構成 されている(
図
「
森に隠れた女が私
には見えない」(
RS12,73)とい うテクス トが配置 され、その周 りには、1
6人の新たに選ばれ
。そもそ
たシュル レア リス トたちが眼を閉 じた姿でアルファベ ッ ト順に並べ られている13
もこの愛のア レゴリー的形象 として描かれたマグリッ トのヴィーナス像 とその周 りを取 り
囲むシュル レア リス トの証明写真は、「
愛についてのアンケー ト」とい う記事の返答 として
制作 された(RS12,6576.
)
1
4
。その問いは、自分の自由や信念を捨て去ってまでも愛を選択す
るか どうかの問いである。 この自問 自答のような問いに対 して、このモンタージュは、シ
ュル レア リス トたちの集団的な返答を表 している。それは、愛を選択するとい うシュル レ
ア リスムの明確な意思の表明である。
しか し、そこに写る彼 らの眼は閉じられている。また、愛の対象 となる女性 をまなざす
こともない。「
森に隠れた女が私には見えない」とい うテクス トに示 されているよ うに、彼
らはまだ愛を発見 してお らず、それには目覚めてはいないのである。む しろ、彼 らが追及
したのは、ヴィーナスのような女性ではなく、ヴィーナスとい う愛の概念だった。それゆ
え、「
シュル レア リスムと絵画」において 「
今 日あらゆる精神が合意 している現実的な諸価
2b)
。そ してその中央には、マグリッ トによる愛の女神、ヴィーナス と
値を絶対的に修正する必要に答えるべ く、造形作品はしたがって、純粋に内的なモデル に
従 うだろ う、 さもなくばそれは存在 しないであろ う15」 と主張するように、シュル レア リ
o
1
3この絵画のモデルは、マグリットの妻であるジョーゼットといわれており、またそのポーズは、ポッティチェルリの『ヴィーナス誕
生』
を模している。Cf
,
Ba
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e
,
200
4,1
481
53.
1
4 このアンケート
の第二設問は以下のように始まるO「
あなたは愛の思想から愛する行為-の移行をどのように考えますかC愛の
.
.
」(
RS1
2
,6
5.
)
ためにあなたの自由を、心からにせよ心ならずにせよ、犠牲にしますか。.
1
2 Br
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1
5 Br
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RS4
,28.
2
5
ス トにとって、その絵画は、「
内的モデル 」を表す超現実的なイメージとなる。それによっ
て、このページでは中央のヴィーナスを中心 として、
彼 らの閉 じられた眼や沈思 した姿が、
「
精神のある一点」を目指すシュル レア リス ト自身の内的モデルを示すかのように表象 さ
れた。そこには、た とえ自由を捨て去 り、 自己を犠牲にしてでも愛を選択するとい うイデ
オロギーが示 されているのである。
こうした 『
革命』誌のイメージに対 して、バタイユを含め、多 くの元シュル レア リス ト
たちは、ブル トン-の反論 として小冊子 『
死骸(
Unc
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r
e
)』 (
1
9
3
0
)
を出版 している(
図4)
oこ
の小冊子のタイ トルは、シュル レア リスムの出発点 として、アナ トール ・フランスの葬儀
の際に出版 したものを真似てつけられている16。ブル トンによる小冊子の 目的は、アナ ト
ール ・フランスとい う権威的な存在をもはや単なる死者 として埋葬することで、当時の伝
統的な文化、あるいは社会を乗 り越えよとするものであった。それに対 して、バタイユ ら
による小冊子の表紙には、ブル トンによる 『
死骸』の 「
死んだ後まで、この男の遺骸を残
してお くことはない」 とい うかつてブル トンがアナ トール ・フランスに対 して書いた結論
と同 じ文章が添えられた。そ して先のブル トンの写真がキ リス トのごとく茨の冠を被せ ら
れてモンタージュされている。またその下には、シュル レア リスムのオー トマティスムを
皮肉って、「自動予言者(
AUTOP
ROP
HかI
E)
J とい う言葉が添えられている。
その小冊子の中で、バタイユは、論文 「
去勢 されたライオン」を書いている。 このタイ
トルに示 されるように、彼は、シュル レア リスムを去勢 された思想 として批判する。バタ
イユにとってシュル レア リスムの代表であるブル トンの姿は、例えばキリス トのような宗
教 と同じように、グロテスクな危険を前にしてそこか ら逃避するために、偽 りの世界、つ
まり 「
神話の領域」- と逃げ込み、その中で生きる人間の姿で しかない。バタイユが批判
するように、「
この男 らしい存在 とは影に過ぎない し、続いて人間は、臆病にも自分の生命
をこれ らの影のひ とつ と取 り違 えて しま うのである」
。そのブル トンの姿はもはや死骸同然
の偽善革命家の姿で しかない。それゆえ、ボワファールによって制作 されたブル トンのモ
ンタージュ写真は、「
ここに眠るのは牛のブル トン、老いたる審美家、キ リス トの頭 をした
偽善革命家」 とい うバタイユの言葉によって強調 されているように、死者の如 く眼を閉じ
たブル トンとい う偽善革命家を、権威的なアナ トール ・フランスと同 じく死者 として葬 り
去って しま うのである(
oc,
1
,
21
8
21
9
,
)
。
2形態の弁証法
低級な唯物論
『ドキュマン』を含 め当時のバタイユの活動からは、彼がシュル レア リスム運動に対す
る一定の価値を認めなが らも、そこに隠されたイデア リズム的な性格を読み取っていたこ
とが窺える。また彼の批判は、単にシュル レア リスムのテクス トだけではなく、彼 らが呈
示 したイメージにまで及んでいた。 こうしたシュル レア リスムにおけるイデア リズム批判
1
6 このパンフレット
には、総勢 2
0名の元シュルレアリストが参加 し、そのうちの 6人(
ロベ ール ・
デスノスやレリス、ジョルジュ・
ラン
プール 、ジャック・
バ ロン、リブモン-デセェニュ)
は、『ドキュマン』執筆者だった。またブル トンのフォトモンタージュは、ジャック
-アンドレ・
ボワファール によって制作されたO
2
6
を行 う一方で、 さらにバタイユは、そ うした観念論- と陥ることのない独 自の唯物論 を展
開する。
そのために、バタイユはまず これまでの哲学的伝統に基づ く唯物論 と自身の唯物論 とを
区別す ることか ら始める。バタイユによれば、これまでの唯物論者 は、諸々の事物の本質
ない し原理 として物質を捉 えることで、あらゆる精神的なものを排除 しよ うとしたにもか
かわ らず、そ こに固有の価値 を与えて しまい、結局の ところ観念論的な体系に陥って しま
de
voi
re
t
r
e
)
」 とい う統一的なヒエ
っている.そ うした唯物論は、物質が 「
そ うあるべきもの(
ラルキーの頂点- と向か うべき強迫観念に服従せ ざるを得ず、死んだ物質に理想的な形態
を与えているに過 ぎなかった(Dl(
3)
,1
70.
)
。
これに対 して、バ タイユは、あらゆる観念論 を排除 した 「
低級な唯物論O'asmat
e
l
i
a
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me
)
」
(
1
93
0年第 1号)
を呈示する。バタイユは、 この唯物論 を正統派のキ リス ト教徒か らは異端
視 されたグノーシス派の二元論的な世界観 を基に展開 している。バ タイユの分析 によれば
グノーシス派の善悪の二元論は、闇を光の不在 とみなすのではなく、光の不在の中で捉 え
ることができる積極的な原理 とみな していた。 これは、悪 と物質を高次の原理(
善、形相)
の不在ない し、低次なもの とみなすギ リシア精神以来の一元論的思考 とはまった く対立す
る。そのため、バ タイユが主張す る低級な物質 とは、「
人間のイデア的渇望の外 にあって異
質なものであ り、そのよ うな渇望の結果 としての存在論の尊大な機構に還元 され ることを
拒否す る」 (
α(
1
)
∫6.
)
。存在論的に物質 を捉 えるとい うことは、 自己の存在 とそれ を保証す
る理性 に偽の権威 を与え、その理性 によって規定 された物質を一つの高次の原理 として捉
えることになる。 この意味において、低級な物質は、理性のよ うな抽象的な概念 によって
3)
,1
70.
)
に基づ
捉 えられ るのではな く、む しろ 「
諸々の心理学的あるいは社会的事柄 」 (Dl(
いて捉 えられなければな らない とバ タイユは主張す る。
後年バ タイユは、こ うした理性によっては観念化 され ることのない低級な唯物論 を 「
異
質学
j
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1
6
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r
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)
」とい う 「
まった く別 ものの科学(sci
e
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o
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r
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)
」(
OC,
2,
61
.
)
によっ
て さらに理論的に展開 している17。そ もそ もバ タイユは、この論文 をブル トンがバタイユ
の論文 「
花言葉」(『ドキュマン』 1929年第 3号)
におけるサ ドに関す る挿話一一サ ドは監獄 の
中で、バ ラの花 を取 り寄せては、汚水溜めの上にその花弁 を篭 り散 らした と言われている
一一 の批判 に対す る反論 として書いた。バ タイユによれば、 「
シュル レア リスムがま さに
RS1
2,1
2.
)
と述
いかなる道徳的美徳 に訴えかけるのかをはっき りさせてお くことが重要だ」(
べ るブル トンに とって、サ ドの破壊的行為は、道徳的には否定的な価値 しか与えられず、
フィクシ ョンやポェジーのような抽象的な表現- と置き換えられることによっては じめて
価値 を持つ。そのため、彼がたんにサ ドの行為を美徳-の反論 として捉 えるに留ま り、実
際には排唯物そのものを見よ うとは していない とバタイユは批判す る18。
しか しそれ とは反対に、バタイユは、異質なものが 「
違和体(
c
or
pse
t
r
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nge
r
)
」(
OC,
2,
5
9
.
)とみ
1
7
「
サ ドの使用価値-現在の友人たち-公開書簡O.
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F.
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s
)
」
(
oc,
2,
5
5-6
9.
) この論文は末刊行であるが、1
9
3
23
3年頃に書かれた といわれているO
8̀ ブル トンはバタイユを 「
糞便哲学者」 と批判 し、 「
第二宣言」の中でサ ドについて以下のように反論 している。 「
けだ
し、サ ドの場合は、その精神的 ・社会的解放-の意欲は、バタイユ氏のそれ とは反対に、はっき りと人間精神 をしてそ
の鎖をかなぐり捨てさせ る方向を目指 してお り、その行為を通 じてひたす ら詩的偶像を非難 しようとした、つま り好む
と好まざるとにかかわ らず、一輪の花を、誰でもそれを贈 りうるとい う限 りでは、最 も低俗な感情 と同様に高貴な感情
のきらびやかな伝達手段に仕立て上げるあの常套的な 「
美徳」を非難 しようとしたと考えざるを得ない」(
Br
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o
n
,
RS1
2
,1
7.
)
0
27
なされ る限 りにおいて、それが 「
聖なるもの」のよ うに、汚れたもの(
精液、経血、尿、糞
便)
であれ神聖なもの(
神的、驚異的なもの)
であれ、主観的には同 じものであることを明 ら
かにしている。そのため、まさにサ ドが小説で示 したよ うに、排推 された糞便を食 らうと
い う排世 と獲得のプロセスによって生み出されたものこそ、バ タイユにとって、異質なも
の と呼び得 るもの となる19。それは、たんに同質的なもの と対立 させ られるものではなく、
む しろ、同質化のプロセスの中で、還元不可能なもの として排出され、異質なもの- と転
化 したものである。言い換 えるな ら、それは、一方で、「
封臼世する力の突然の侵入」として、
他方で 「
この侵入 に抵抗 して設定 されたものすべてを的確なや り方で限界づけ、厳 しく支
配下に置 く」 (
oc,
2,
5
6.
)もの として現れ る。 この意味において、この異質な学問は、何 よ り
も世界を同質的な方法によって再現するよ うなすべての哲学的体系や学問 と対立す るので
ある。したがって、「
客観化 された異質性 とは、抽象化 された形態のもとで しか考察 されて
いない とい う欠点を持つ。それに対 して、特殊な要素のもつ主観的な異質性 は、実践的に
は唯一具体的である」 (
oc 2,
63.
)と述べるように、バタイユにとって、異質なものは理性 に
よって抽象的に捉 えられるものではなく、主体によって実践的且つ具体的なもの として捉
えられるものでなければな らない。そ うしたプロセスによっては じめて異質なものは、同
質的な世界の中で 「
まった く別なもの」 として絶えず不安定なまま留まることができるの
である。そのためバタイユに とって、サ ドが排唯物に対 して行ったような背徳的行為は、
まさに同質的世界の中で作 られた社会的必然性、人間的尊厳な どの虚偽 を暴 こうとする実
践的な行為 と言 うことができるのである。
ところで、『ドキュマ ン』におけるバタイユの唯物論 とは、まさにこうした異質学を具体
的に実践 しよ うとす るものだった といえる。なかでも、バタイユが呈示 した 「
低級な唯物
論」はそれを明確 に表 している。だがこの論文では、バタイユは、グノーシス主義の原理
に従いなが らも、
その二元論的な考えを自らの形態学の問題 にひきつけている。そのため、
物質を積極的な原理 として捉 えるグノーシス的な二元論は、低 き物質に陥る形態の変容の
問題に結び付けられ る。
そこでバタイユが取 り上げた図版は、ローマ期に活躍 したグノーシス主義の四枚の石版
であった「
ア ヒルの頭 をもつ執政官」 「
イアオ ・パンモル フ神 」 「
動物の二つの頭 を戴
いた無頭の神 」 「
足は人間、胴体は蛇、頭は鶏の神」一一(
図 5)
。そこには、動物の頭 をも
った人間や、またその他にも、動物 と人間か ら構成 された神の姿が表 されている。バタイ
ユは、ギ リシア精神 とグノーシス主義の形態を比較 しなが ら、この図版資料について以下
のよ うに述べる。
このような比較の重要性は、グノーシス派特有の反応が、古代のアカデ ミズムと根本的に対立する形
態の形象化に行きついていたために、よりいっそ う増大する。それは、低級な物質のイメージを見出
す ことができる形態の形象化であ り、それ こそが唯一その愚劣 さと比類なさとによって、知性が観念
主義の拘束か ら逃れ ることを可能にしていたのである。
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この論文でバタイユは、マルキ ・ド・サ ドの小説 『
新ジュステイ-ヌ ・あるいは美徳の不幸』の一節を引用 している。
「
ヴェルヌイユは、ひ とに排便 させた。彼はその糞便を食べ、そ して彼のものを人が食べてくれるように望むのだった。
彼が 自分の糞を食べ させた女は、堰吐 したが、彼は女が吐き出 したものを飲み込んだ.
」(
OC,
2,
59,
)
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(
D2(
1
)
,8.
)【
下線筆者]
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ul
e
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バ タイユが主張す るには、ギ リシア精神 に基づ くアカデ ミックな形態に対 してグノーシ
スの形態は、醜悪な形象を表 している。バ タイユにとってグノーシスのこうした形態の形
象化は、
低い唯物論 としてその他の観念主義的な形態の拘束か ら逃れ ることを可能にす る。
物質を積極的な原理 として捉 えるバタイユにとって、グノーシスの石版 に見 られ るような、
観念的な形態 を物質的な次元- と接近 させ ることは、諸々の事物の形態を 「
低級な」次元
- と導 くことを意味 していたのである。そのため、グノーシス主義 より導かれた二元論的
思考は、決 して物質 を観念- と還元す ることな く、常に 「
低級なもの」 として、形態その
ものを脅か し、観念的なフォルムを持つ ことはないのである。
i
nf
o
me
r
)
」とい う言葉によって、
後にバ タイユは、『ドキュマン』のなかで 「
アンフォルム(
そ うした観念論- と陥ることのない具体的な形態について説明 している。バタイユが主張
す るには、 「
アンフォル ム」 とい う語は、確定的な意味を持つ ことな く、 「
無(
ie
r
n)
」 とい う
非形象的な次元 と 「
何か(
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hos
e
)
J とい う形象的次元を媒介す るひ とつの働 きであるこ
とを意味 している。バ タイユはこの論文の最後 を、 「
宇宙が何 ものにも類似せず、ナシラ
i′
レムなもので しかない と断言す ることは、宇宙が蜘妹や唾にも盟主包むであると述べて
Dl
(
7
)
,38
2
.
)[
下線筆者]
と結論づけて終えている。そのため、アン
いることになるのである」 (
フォルム とは、単にフォルムの否定を意味 しているものではない。また古典的な唯物論が
主張 したよ うに、フォルムをマチエール- と還元す ることでもない。む しろ 「
何 ものにも
類似 しない」ものであ りなが らも、「
似た何か」とい う語であるために、アンフォルムとは、
常に一定の方向-意味をもっ ことな く常に変化 し続 け、言語そのものや フォルムそのもの
の分類 をかき乱す語 として作用す る。 したがってグノーシスの低級な物質の形態は、形態
そのものの分類 をかき乱 し、低級な物質のイメージを生み出す、ただ 「
アンフォルム」 と
言 うことしかできない ものなのである。そのイメージは、抽象的に形態 を理想化す る人々
にとっては、形態 を 「
低級なもの」- と粒める醜悪なもの となる。まさにアンフォルム と
い う語で示 したよ うに、バタイユは物質を形態- と接近 させ ることで、アカデ ミックな理
想的形態 とい うものが、それ 自体の内部に醜悪な形態の変形 を含んでいる、 とい うことを
示唆 したのである。
『ドキュマン』のモンタージュ
バ タイユは、論文 「自然の逸脱」 (1930年第 2号)
において、こうした視覚的次元における
形態の問題 を、弁証法によってさらに理論的に展開 している。それを示すために、バタイ
ユは、1
8世紀に製作 された奇形学の図版 を掲載 し、 「
時代によって、現れ方がいろいろ変
化するとはいえ、人類がそれ らの怪物 を前に して冷淡ではい られなかった事実」(
D2,79.
)を
1
775
)
か ら引用 されたこ
明 らかに しよ うとす る(
図6
h ルニ ヨー夫妻の著作 『自然の逸脱』(
れ らの図版 において、ある者は、別の身体 と合体 し、またある者は頭や手足が切断 されて
いる。にもかかわ らず、それ らの身体は、丘の上でポーズをとった り、 ソフィス トのよ う
2
9
に座 して、人間的な性格が与えられている。バタイユが主張す るには、人は、人間的 自然
か ら逸脱 した身体に対 して、不安 を感 じずにはい られないために、あえて理想的な身体的
ポーズを与え、怪物 を人間的な仕方で表出させ ようとす る。そこには、怪物にさえも人間
的形態 を与えようとす る人間の 「
神人同形論的」な欲望が表れている。だがバタイユにと
って 「
怪物」 と呼び得 るものは、まさに、このよ うに人間的な仕方でいわば 「
反」人間的
なものをも表出させ よ うとす る人間本来の内に潜む欲望の中か ら生み出され るのである。
ここで問題 となるのは、以上のよ うなバタイユの形態における逸脱の論理が、<形態の
弁証法 >に基づいて考えられているとい うことである。
形態の弁証法 を問題 にす る とす るな ら、まず第- に逸脱 の よ うな ものを考慮せね ばな らないのは明 ら
かであろ う‥.
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(
D2
(
2
)
,
7
9
.
)
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バタイユは、この形態における結合 とそこか ら逸脱するもの との弁証法的関係 を、--ゲ
ル的な弁証法を基にして考 えていた。 しか しバタイユが行ったのは、--ゲルのテクス ト
の厳密な解釈ではな く、--ゲルの弁証法を従来の伝統的な哲学を越 えることができるひ
とつの新 しい思考様式 として取 り入れ ることだった。
930年前後のフランスにおいて、--ゲルの
た しかに、一般的に言われているよ うに、1
思想の紹介は、1
93
4年か ら開始 されたア レクサン ドル ・コジェ- ヴの 『
精神現象学』の講
義が大きな転換期 となっている。講義の中でコジェ- ヴは、存在に対す る人間の行動の二
重の否定によって達成 され る--ゲル哲学を 「
否定性の哲学」 と規定 した。主人 と奴隷の
弁証法に示 され るよ うに、
承認 をめぐる闘争は、
労働 によって 自然 を否定す るの と同時に、
人間そのものの存在 を否定す る。 コジェ- ヴは、この否定する行動によって直接的な存在
(
l
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畠t
r
e
)
が否定 され、そこか ら媒介 されたもの として実在(
l
eR6e
l
)
を備 えた総合- と至るプロ
セスこそが--ゲル弁証法だ と考える。またこの否定性 こそが人間の歴史を作 り出す もの
となる。そ してこの人間の歴史があらゆるものを否定 し、それが終結 した ときに人間の歴
史は完了す るのであ り、それ こそが--ゲルの絶対知なのだ とコジェ- ヴは結論づける20。
しか し、バタイユは、後に述べ るよ うに、こ うしたコジェ- ヴの弁証法における否定の
Ⅷe
否定のプ ロセスを受 け入れ なが らも、それで もその後 には、 「
使 い道 のない否定性 (
」(
OC,
5,
370.
)
が消滅することな く残 ると言 う。その否定性は、--ゲル弁
ne
ga
t
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it
v
is
a
nse
mpl
oi
)
証法の総合へ と至るプロセスの中で、捨象 され、乗 り越 えられ ることによって使い道なき
もの として残 されたものである。その否定的なものの働 きこそ、バタイユが--ゲル的弁
証法の中か ら引き出 したものなのである。バタイユにとってその弁証法を規定す る否定性
は、総合(
全体性)
なき弁証法 として、安定 した統一 を獲得す ることな く、絶えずその否定
的な働 きによって全体性 を脅す。言い換えるな らば、バタイユは弁証法を、絶対知- と向
かう 「
総合」 とはまった く異なった次元で、様々な事物や事象に元来内在的に備わってい
る否定性 を認識す ることができる新 しい思考様式 として捉 えたのである。『ドキュマン』時
2
0 とり
わけ第八章「
--ゲルにおける実在するものの弁証法と現象学の方法」
を参照のこと。コジェ-ヴ、1
98
7年
3
0
代、まさにバタイユは、こ うした弁証法の否定性の働 きを視覚的形態の問題 を理論的に展
開す る方法 として積極的に取 り入れた。そのため、この論文に掲載 された人間的な形態を
保 ちなが らも、常に引き裂かれた崎形の身体は、理想化 された人間の形態 を否定する怪物
的な人間の姿 として、 このバタイユ独 自の弁証法を視覚的に図解 したもの となる。
この論文の中でバタイユは、こ うした弁証法的形態を、二つのモンタージュを比較す る
ことによって、明 らかにしている。そのひ とつは、フランシス ・ゴル トンの優生学による
複合的な顔のモ ンタージュであ り、 もうひ とつはセルゲイ ・エイゼ ンシュテインによるモ
b)
。ゴル トンのモンタージュは、複数の顔 を合成す ることによって、
ンタージュである(
図7a平均的な理想の顔 を生み出す。バタイユによれば、このモンタージュによって合成 された
美 しい顔は、諸々の差異を捨象 し、理想的な形態を示す ものであるが、そ こに映 し出され
ている人物は、決 して具体的な一人の人物には還元す ることができない。それ とは対照的
に、実際人間の顔はそれぞれ、こ うした共通の顔か ら逸脱 しているものであ り、またその
意味で多少な りとも怪物的なのである。
それに対 してエイゼ ンシュテインの呈示するモンタージュは、決 してそ うした差異を排
除す ることな く、総合不可能な多数性 を保持 したまま眼に見える具体的な形態によって示
され る。「
諸々の形態による哲学的弁証法」と述べるよ うに、バタイユにとってエイゼンシ
ュテインの 『
戦艦ポチ ョムキン』に見 られ るよ うな形態の弁証法は、実際に視覚芸術 を通
じてバ タイユが考 える弁証法を表現 したもの となった。1
9
30年の第 4号では、こ うしたモ
ンタージュを示すために、エイゼ ンシュテインの 『
全線 』(
1
929)
のスチル写真が見開き一
面に配 されている21。 このスチル写真は、エイゼ ンシュテイ ンが 1
930年(
2月 1
7日)
のソル
ボンヌ大学での講演会で上映中止になった映画を 『ドキュマン』の紙面上で再現するため
に、彼 自身の手によってモンタージュされたものである。 このページの中で、エイゼ ンシ
ュテインのモンタージュは、様々な顔 をフレームによって切 り離す と同時に、組み合わせ
ている。 しか しなが ら、ここで行われている弁証法的対立は、論理的なものではな く、断
片 と断片を非合理的に結びつけるものであ り、それぞれの差異が保持 されたまま となる。
したがって 『ドキュマン』のイメージとイメージの相互関係 は、決 して理想的な身体- と
形成 され ることな く、異質に接合 されなが らも、互いに対立 し反響 し合 うのである。バタ
イユは、このよ うに、『ドキュマン』のなかで異質なイメージ同士を組み合わせ ることによ
ってこそ、は じめて理想的な身体 とい うものを破壊す ることができると考えたのである。
それゆえ、それぞれのイメージは反響 し合いなが らも、「自然の逸脱」に掲載 された引き裂
かれた人間の姿のよ うに、決 してひ とつのイメージ- と還元 されることな く、複数のペー
ジの中で生み出され る。そこでは、ゴル トン、 さらにはシュル レア リスムに見 られ るよ う
な 「
空間的な」モンタージュとい うよりも、む しろ 「
時間的な」モンタージュによって、
絶えず視覚的な衝突が生み出されているのである。
デ ィデ ィ-ユベルマンによれば、『ドキュマン』におけるこうした配置によって、いわば
神人同形論的な類似概念は視覚的に解体 され ることになる。論文 「
人間の姿」で主張 され
たよ うに、人間が理解 しよ うとす る自然は、諸々の形態を人間的な自然- と類似 させ るこ
とで、同 じものの類似 として捉 えられた 自然で しかない。それは、人間的な価値判断によ
このスチル写真に対して、
ジョ
ルジュ・
アンリ-リ
グィェ-ルとロベール・
デスノ
スが記事を寄せているoD2(
4)
,
21
7221
21
31
る 「
人間 と自然の間の全般的な不均衡」がひ とつの形態- と解消 されたある様相に過 ぎな
いのである。
バ タイユは、まさにこ うした神人同形論的な類似概念 を雑誌におけるレイア ウ トによっ
て解体 しよ うとしたのである。美術雑誌である 『ドキュマン』にとって、民族誌はここで
重要な役割 を果たす。 この雑誌に並置 された写真資料は、従来の芸術的イメージと共に、
民族誌的なイメージを挟み込んでいる。『ドキュマン』は、時に 「
民族誌的」に、また時に
「
美術的」にとい うよ うに、 さまざまなカテ ゴリーの視覚的イメージを寄せ集 めることで
成立 している。だが、当時の人々にとって、そこに提示 された民族誌的イメージは、決 し
て 自明の事柄ではなかった。そのため、イメージそれ 自体が決 して一義的な意味に収欽す
ることな く、各々がまさに 「
不均衡な類似 (
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mb
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o
p
o
r
i
t
o
n
n
i
e
)22」を生みだ し、認
識そのものを混乱 させ るよ うな視覚を苛立たせ る類似- と形態が侵犯 されてい くのである。
その結果、そ うした民族誌的イメージと一般的な美術的イメージが同一平面に並置 され る
ことは、 ミシェル ・レリスが述べるよ うに 「
苛立ちを与える芸術作品23」 として読者 に提
示 され ることになるのである。
3切断された身体
足の親指
前章で述べたよ うに、バタイユの低級な唯物論 とは、諸々の理想的な形態を物質的な次
元- と接近 させ ることで、それを視覚的に捉 えよ うとす る具体的な実践だった。当時紹介
され始めた--ゲルの弁証法は、バタイユにおいては、決 して抽象的なものではな く、む
しろ 「
形態の弁証法」 として、諸々の形態を捉 える実践的なもの として展開 された。その
ため、こうしたバ タイユの視覚的形態における表象の仕方は、シュル レア リスムのそれ と
はまった く異なっていた と考えることができる。本章で述べるよ うに、彼 らのそ うした違
いは、手の表象の仕方においてより明 らかなもの となる。
シュル レア リス トたちにとって手のイメージは、それが切断 され ることによって、象徴
的に身体の破壊 を意味 し、無意識的な心理-の架 け橋 となるよ うな特別な意味を持ってい
た。多 くのシュル レア リスム芸術には、切断 された手が頻出 している。そのひ とつの例 と
して、マ ックス ・エル ンス トの 《シュル レア リスム と絵画》(
1
9
42)
をあげることができる(
図
8
)
。そこでは、身体が変形 され、右上か ら伸び る手だけがオー トマテ ィスムを実践す るか
のよ うに絵画を制作 している。オー トマテ ィスムによる夢の思考の中で、何 ら概念的な思
考を持ち得ない とき、そ こに残 されているのは、たんに描 くとい う行為そのものである。
そこにおいて手は、頭 をもつ身体か ら切 り離 され、無意識の表現を引き出す唯一の手段 と
なる。まさにエル ンス トが絵画において示 したよ うに、 自動記述の実践において、シュル
レア リス トたちがあらゆる思考の介入を退けた とき、手は身体-の隷属的な手段 として用
い られ るのではな く、む しろそれ 自体が独立 したもの として、 自由にエクリチュール を行
2
2Di
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n,1
99
5,
39・
2
3レリス、1
98
6年 、3
22頁
3
2
うことができるのである。
またシュル レア リスム写真においても、手のモチーフは重要な意味を持っていた。例 え
9
2
4年のマン ・レイによる作品では、腕 までが切断 された手が椅子 と重ね られた写真
ば、1
。多重露光によって幽霊のよ うに浮かび上がるその手は、現実的な
が掲載 されている(
図9a)
手であ りなが らも奇妙に幻想的なもの として再現 され ることで、フロイ トが言 うよ うな「
不
気味なもの」 としてたち現れ る24。 フロイ トに とって不気味なもの とは、かつて親 しんで
いたものが、抑圧 によって疎外 されたものである。それ ゆえ、キルステイン ・ホ- ヴィン
グ(
K血t
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nA.Ho
i
vng
)
が述べるよ うに、去勢 コンプ レックスのような不安を連想 させ る手は、
観者 に同時に親 しみの感情 と自己分裂的な恐怖の感情 を引き起 こす ことになる25。それは
オー トマティスム と同 じく、まさに不気味な手 として、意識的な身体の抑圧か ら無意識 を
解放する。身体か ら切 り離 された手のイメージは、不気味なもの として現実 と夢の対立が
解消する超現実的なイメージとな り、それ 自体が合理性か ら逃れた 自律的なもの として立
ち現れ るのである。言 うなればその手のイメージは、エクリチュール によるオー トマティ
スムによって身体か ら切 り離 され ると同時に、写真によって真の現実に触れ ることを可能
にするシュル レア リスム的イコンとなったのである。
『ドキュマン』 においても、同 じよ うな方法で切断 された四肢のイメージが掲載 されて
いる。シュル レア リスムにとって手がそ うであったよ うに、バタイユにとって足の親指は
これまでの統一性 をもった身体イメージを解体す ることができる最 も重要な器官だった.
バタイユの論文 「
足の親指」には、それ を例証す るためにボワファール による足の親指の
写真が掲載 されている。それは、カメラのフレームによって切 り取 られ、切断 されたイメ
ージである(
図 10)
。バ タイユは、この論文で、歴史の中で性器 と同 じよ うに足の親指が如何
に魅力的であ り、最 も人間的な部分であったかを論 じ、それによって足の親指を本来のあ
るがままの姿で見なければな らない ことを主張す る。一般的に人間の足は、低級なもので
あるがゆえに、人間的精神 とは対極にある。そのため、足の親指が示す よ うな、低級な次
元においては、「
そ うあるべきもの」のよ うな理想的な身体イメージを持つ ことはない。し
か しそ うした対立は、人間的な価値判断によって決定 されたものに過 ぎないのであ り、実
際の ところ人間の生活においては、「
汚物か ら理想-また理想か ら汚物-の往復運動 」(
Dl
(
6)
,
29
7.
)
が常に繰 り返 され ることになるのである。
不均衡な類似
た しかにバタイユ論文 「
足の親指」の足の親指の写真は、シュル レア リスム的イ コンと
なるよ うな不気味な手 と形容することができるかもしれない。あるいは、同 じようなクロ
ーズア ップによる写真の提示方法は、その他のシュル レア リスム雑誌 において数多 く見出
す ことができるかもしれない。 しか しなが ら、それぞれの写真が用い られたコンテクス ト
を通 してみてみれば、「
足の親指」の写真図版は、シュル レア リスムのそれ とはまった く異
なった方法で読者 に衝撃を与えている。
2
4 この論文の中で、
フロイトは、ヴィル-ルム・
ハウフの小説『切 り離された手の話』における手の切断の話 について触れながら
以下のように述べているO「
ハウフの童話 に出てくるような、切断された手足、切られた首、腕から離れた手、…こういうものには、
9
6
9年 、3
4
9頁
何かこうひどく不気味なものがある。」
フロイト、1
2
5日
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2
04
,
9
3
9
5
・
33
そ もそ もこのマン ・レイの作品は、アン ドレ ・ブル トンその他 を中心 として、シュル レ
ア リスム運動の発端 を担った 『
革命』誌の創刊号に掲載 されたものである。 もちろん、こ
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ha
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r
」 とい う語 呂合わ
の<無題 >の作品は、手 と椅子のモチーフによって、英語の 「
せ を連想 させ るもの として制作 されているのは明 らかである。そこには、マン ・レイ とい
う作者の意図を明確 に読み取 ることができるだろ う。だがこのページでは、マ ックス ・エ
ル ンス トのイラス ト(
左下)
には作者名が記 されているにもかかわ らず、このマ ン ・レイ作
品に対 しては、タイ トル も署名 も記 されてはいない(
図9b)
。そのため、この雑誌の中で、こ
の作品は、その他のテクス トの中で意味を生み出す視覚的資料 として用い られていると考
えることができるだろ う。実際このイメージ横 にある 「
私は通 りすが りの女性 を捉 えて離
RS1
,1
2.
)とい うジ ョルジュ ・マルキイヌのテク
さなかった。その手 とその前腕 は、- ・」 (
ス トを読めば、マ ン ・レイの作品がテクス トと相互依存的な関係のなかで レイア ウ トされ
ているとい うことは明 らかである。 この創刊号全体を見てみれば明 らかなように、この雑
誌では、ほとん どの絵画イメージやイラス トに署名が記 され、作品 として扱われているの
に対 して、写真イメージは、署名が記 されず、オ リジナルの意味を変容 させ ることによっ
て新たなシュル レア リスム的意味が付与 されているのである。
したがって、この写真イメージは、多重露光によってシュル レア リスム的イメージとな
りなが らも、『
革命』誌 とい う雑誌メディアにおいては、作者 によるオ リジナルの意図を越
えて、テクス トによって厳密 に意味を与えられ提示 されている。つま り、雑誌の中で、こ
の手の写真は、不気味なもののシュル レア リスム的イ コンとい うよりも、む しろシュル レ
ア リスム的な言語 によって明確 に認識可能な手の視覚的な資料 として レイア ウ トされてい
るのである。た とえ、如何 に切断 された不安定な身体が再現 され よ うとも、それは、常に
言語 によって意味を持つ もの- と組み替えられ、シュル レア リスム的身体 として可視化 さ
れ るのである。言 うなれば、シュル レア リス トにとって可視的なものの視覚的証拠 として
の手のイメージこそが、超現実的なもの、意味を成す もの となったのである。そこには、
シュル レア リスムによって新たに組みかえられた理想的な人間的フォルムが与えられてい
る。
それに対 して、『ドキエマン』で用い られた足の親指の写真は、270×21
0(
r
r
m)とい う雑誌
のサイズに対 して、ほぼ全面に拡大 されてお り、被写体である足の親指はその本来の大き
さよりもさらに大きく撮影 されている。またこのイメージは、論文の中でページの全面に
テクス トの間に挟 まれて掲載 されている。そ こで、読者は先にテクス トを読み進 めること
になる。 しか し、読者 は次のページを捲 った瞬間に突如、雑誌の見開き両面に配置 された
足の親指のクローズア ップを目の当た りにす る。そのため読者は、背景を黒で覆い被写体
だけを浮き立たせ ることによって突付けられた切断 された足の親指に直面 し、これまで「
見
ないよ うに」避 けてきた足の親指か ら目が離せな くなって しま う。 もはやそ こには、安定
した遠近法を確保す ることができるような視覚的距離が存在 しな くなって しま うのである。
それはあたかも、「
足の親指の前で 目を大きく見開かざるを得ないよ うな」(
Dl(
6
)
,
302.
)
状況
へ と読者 を陥れ るのである。
ディデ ィ-ユベルマンは、このクローズア ップ された足の親指の写真が、雑誌空間内に
34
おいて具体的に形態の類似 を引き起 こしていると考える26。そのため、読者 に とってその
写真 は単に 「
足の親指」のテクス トを補完す るよ うな視覚的イメージを提示す るだけでは
ない。 この雑誌空間においては、足の親指が雑誌全面に配置 され、他の対象 と較べ得 るも
のが何 もないために、唯一その雑誌 を持って写真 を見る読者の手の指 との間に形態の類似
が生み出され る。つま り、足の親指対手の親指 とい う類似が引き起 こされ るのである。 こ
こでは、読者が雑誌 を持つ とい う経験的な次元において初めて形態の類似が引き起 こされ
るのであ り、それは形態学、 さらに言えば視覚的次元以上のものを要求す る。
バ タイユ 自身、 この二つの指の関係 をその一方 〔
足の親指〕が 「
遅鈍 と低俗 な愚劣 さ
(
1
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」を意味 し、
他方 〔
手の指〕が 「
器用な動 きと確固たる性格(1
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」(
Dl
(
6)
,3
00.
)を意味す ると考えているよ うに、読者がこのページに指 を
置いた瞬間、この二つの指の高貴/卑俗、上/下の二項対立は、形態の類似 によって同 じ
次元- と引き戻 され る。すなわち、そのイメージは、読者の眼を弦ませ、身体を類似- と
引き込ませ る 「ドキュマン=資料」として、つま り 「
現実」そのもの として、絶えず視覚的
認識 を分散 し、複数化す る 「
イメージを侵犯す ることができるイメージ27」 となるのであ
る。低級なもの-の触覚的な接触によって、その形態の視覚的認識は不安定にな り、そ こ
で読者 は、足の親指 と手の指、言 うなれば視覚イメージ と他の身体器官の不均衡な類似 を
体験 し、それ とともに 「
汚物か ら理想-、また理想か ら汚物-の往復運動」を目の当た り
にす るのである。そのため、足の親指のイメージは、もはやたんにシュル レア リスム的な
可視的証拠 としての意味を持つ ことなく、絶えずアンフォルムな形態 として読者に触覚的
な接触 を引き起 こす ことになるのである。
おわりに
以上のよ うに、本論では、『ドキュマン』を通 じて提示 した様々なイメージによって、バ
タイユが如何に して可視的に意味を与えられたフォル ムに対 してアンチテーゼを呈示 した
のか とい うことを明 らかに した。 グノーシスの形態の変容 に示 され るよ うに、バ タイユの
形態に対す る考え方は、形態そのものが低級な物質- と貝
乏め られることによって、それ 自
体の中に形態そのものを逸脱す る形態を備 えているとい うものだった。まさにエイゼ ンシ
ュテインのスチル写真の 「
形態の弁証法」は、視覚的な次元において諸々の形態の関係 の
中で生 じる引き裂 きの状態を論理的に展開 したものなのである。 さらにそれはたんに雑誌
表面上だけではな く、それ を読む/
見る読者の身体までをも脅かす ものだったのである。
もちろん、ここでシュル レア リスムの運動そのものを完全に否定す るわけではない。第
一次大戦後パ リにおいて、ダダ運動の衰退 とともに現れたシュル レア リスムの実践は、従
来の伝統やブルジ ョワ的思考を越 えよ うとす る。その方向性は、
バタイユ と通底 している。
実際、写真イメージによるシュル レア リスム的実践は、バタイユのイメージに対す る認識
に大 きな影響 を与えている。元シュル レア リス トであるボワファールによって呈示 された
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.
35
足の親指写真が、シュル レア リスム的 レ トリックによって構成 されていることも当然明 ら
かであろ う。しか し、本論で問題であったのは、雑誌 とい うメディアを対象 とす ることで、
シュル レア リスム とい う芸術的文脈では決 して見えてこなかった部分を浮き彫 りにす るこ
とができたのではないか とい うことである。 当時写真 について議論 していたジークフ リー
ト・クラカウア-が論 じるよ うに、グラフ雑誌の流行による写真イメージの氾濫は、たん
にシュル レア リスムに限った話ではな く、その時代の文化的状況にも当てはまる28
。実際
に彼が批判 したのは、当時の一般的なグラフ雑誌の紙面に現れた、オ リジナルなき複製 さ
れた世界ではなかったか。 こ うした議論 を踏まえれば、バタイユのシュル レア リスム-の
批判、 さらにそれに対する 『ドキュマン』での実践は、決 してシュル レア リスム的 ・反シ
ュル レア リスム的 とい う対立関係だけに還元 され ることのない、 さらに周縁的な状況まで
も拡張す る可能性 を呈示す る。
またそれ とともに、バタイユのアンフォルムとい う考え方に含まれ るもう一つの不均衡
について明 らかにす る必要があるだろ う。アンフォルムとい う考え方は、た しかに諸々の
形態を差異 と類似 を同時に引き起 こし、それ 自体に明確な可視的な意味を与えることはな
い。それは、一般的な視覚的認識、あるいは人間の認識 自体の持つ不均衡 を明 らかにする
ものだ といえる。だが、はた してそれが、たんに 「
形態の弁証法」に示 され るよ うに視覚
的次元にとどまるものなのか、あるいは触覚的な接触の次元にかかわるものなのか、 さら
にバタイユ 自身がそれ らを実際 どのように使い分けていたのか とい うことは明 らかにされ
ていない。 こうした問いは、バ タイユのアンフォルムとい う考え方をより掘 り下げること
を可能にす るとともに、『ドキュマン』の中で彼が如何 にその理論を実践 していたのかを明
確 にす るであろ う。
(
ばい くにひろ :神戸大学文化学研究科博士課程)
<参考資料 >
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2.
<参考文献>
バタイユ、ジョルジュ 『
異質学の試み-バタイユ ・マテ リア リス ト<1>』吉田裕訳著、書韓山
田、2001年
Br
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クラカウア一、1
9
9
6年 、2
812
9頁 またフランスでは 、1
9
2
8年 に一般的週刊誌『ヴユVu
』が刊行されている。この雑誌の編集
長リュシアン・
ヴオージェルが主張するように、この雑誌 は、文芸誌や風刺雑誌などの従来の 「
読む」という形態とは異なり、「
見
る」
ことを中心とした雑誌形態を用いている。
28
36
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B.
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2004.
Ba
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e,
Da
vi
d,
チャ ドウイック、ホイ ッ トニー 『シュルセクシュア リティー シュル レア リスム と女性たち、1
924
-47』伊藤俊治、長谷川祐子訳、P
ARCO 出版 、 1
989年
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,『
早稲 田大学大学院文学研究
科紀要』、51号 、2005年 、3959頁
クリフォー ド、ジェイムズ、 「
民族誌的シュル レア リスムについて」、『
文化の窮状 -20 世紀の
民族誌、文学、芸術』所収、人文書院、2003年 、1
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1
93頁(
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