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福島県・川内村 現地視察 報告書 2015 年 9 月 16 日∼ 17 日 9 月 16、17 日の 2 日間に渡り、CSV 開発機構による福島県川内村視察が行われた。 本視察は、川内村内に蓄光材の工場を設立するなど復興支援に努め、CSV 開発機 構にも参画している「コドモエナジー」の協力のもと、村の復興、地域活性化に 機構がどのようにアプローチするかを探るために実施されたもの。CSV 開発機構 副理事長の水上武彦氏ら 7 名が村内の様子を視察し、川内村のキーマンとの意見 交換なども行った。 CSV 開発機構 【1 日目】 警備員の他に人の姿が見えない、閑散とはして ◆川内村へ いるが緊張感のある独特の様子が見られた。 日程初日、東京駅鍛冶橋バス駐車場を朝 8 時 昼食後は再び常磐道に戻り、サービスエリア に出発。車内では CSV 開発機構の専務理事、小 「ならは」に立ち寄る。入口に立てられた空間線 寺氏から視察に至るいきさつの説明があった。ま 量の計測装置が示していた数値は 0.1 μ Sv(マ た、視察を設定するにあたって分かったことの イクロシーベルト。ミリシーベルトの 1000 分の 一つに、原子力災害の被災地である相双地区方 1) 。トイレと自動販売機しかない SA で、中の壁 面、もしくは全面開通した(二輪車を除く)6 号 には避難指示区域、除染についての案内が掲出 線を走るバスがほぼないという交通の問題があ されていた。 ることなども語られた。 その後、川内村へは常磐富岡インターチェン バスは首都高から三郷を抜けて常磐道へ。思 ジで降りてアプローチする。IC を降りると、道々 いのほか快適な道行きで、スムーズに昼食場所 に「除染作業中」ののぼりが見られる。のぼり の広野町へ到着。予定よりも早い到着だったた の色で除染請負の JV が分かる。青は清水建設、 め、原発事故対策の前線基地となっている J ヴィ 黄色は大林組だ。また、村への道すがら、除染 レッジ周辺をバスで巡回した。平日の朝や夕方に した汚染物質を入れるフレコンバッグ(フレキ は、J ヴィレッジから福島第一原子力発電所(1F) シブルコンテナバッグ)が積まれている様子も へと作業員を運ぶ車、各種作業車が列をなすが、 見ることができた。 SA ならはに設置された空間線量計。このあたりに来ると、常磐道 の道筋のところどころにも線量計が立っている。 避難指示区域内の放射線量案内を写真に収める視察団。 このエリアの車窓から見える風景。のぼ り、フレコンバッグ。フレコンバッグの 黒々とした姿は、何度見てもなじむこと ができない。 2 ◆ふくしま未来学「むらの大学」 14 時前に川内村コミュニティセン ターに到着。ここで福島大学が取り組 んでいる「ふくしま未来学」の活動報 告会に出席する。 ふくしま未来学は、文科省の「COC 事業」※ 1 に認定されたプログラムのひ とつで、 「原子力災害からの経験を踏 まえ、地域課題を実践的に学び、未来 を創造できる人材の輩出と原子力災害 からの地域再生」を目指すもの(HP より) 。「むらの大学」はそのコア科目(1 年目の だった。いつの時代も、世の中を変えるのは若 履修科目)のひとつで、地域実践学習を行う。8 い力だった。今日は、ぜひ若々しい考えで村へ ∼ 9 月にかけて実際に現場で学ぶべく、南相馬 の提案をしてほしい。それが 1600 人の村民の希 市小高地区、川内村の 2 カ所でフィールドワー 望になる」と期待を語った。 クを行った。川内村には、9 月 4 ∼ 17 日の間、 学生たちは 5 ∼ 10 班に分かれ(1 ∼ 4 班は南 35 名の学生が 6 班に分かれて泊まり込み、地域 相馬市小高地区のフィールドワークに参加)、う の現状を学び、課題の掘り起しを行った。 ち 5、6、10 班は川内村 2 区(上川内関場) 、7 当日、報告会には川内村住民 50 名ほどが出席 ∼ 9 班は 1 区(上川内前谷地、旧高田島)へ。 し、会場は大いに盛り上がった。視察団は、福 それぞれの区で講義や学校訪問などの共通プロ 島大学から「 (学生のプレゼンテーションを)企 グラムを経てから各班の活動に移る。各班では 業人の目から見て判断、評価してほしい」との フィールドワーク前からあらかじめ現状を想定 依頼を受けての出席である。 し、仮のテーマを設定してきているが、現地調 報告会に先立ち、川内村教育委員会教育長の 査でそれが変わる班もある。活動報告では、想 秋元正氏が挨拶に立ち、「この 2 週間、村のあち 定と現実のギャップに悩む姿なども赤裸々に語 こちで精力的に活動する学生のみなさんの姿を られた。以下、各班の報告の概略を記す。 見ることが村の人々にとっても楽しみのひとつ ※発表順 川内村教育委員会教育長 の秋元正氏 ※ 1…Center of Community。地域再生・活性化の拠点となる大学を形成するのが狙い 3 現 場 責 任 者 の 福 島 大 学・ 丹波准教授 知ってもらえば、地元に帰ってからも川内村の魅力を発信す 【9 班】 村民へのインタビュー、村内の見学、宿泊生活の中での実 る生きた PR になる」。また、はやま保育所は保育所から別荘 感から、 「豊かな自然」 「心の交流」などの川内村の魅力を確認。 などに転用されて現在は空所になっている施設。村民の「交 中には「おいしい野菜が取れてトマト嫌いが治った」とい 流の場所がない」という声に応えようと発案された。いずれ う学生も。また、i ターン移住者へのインタビューでは、移 も具体的な実施プランではないが、 「今後も継続して企画を 住者が趣味を存分に楽しむ生活を送り、「趣味を広げていく」 出し続けたい」 「住民のみなさんの声に耳を傾け、寄り添い 楽しそうな姿が「印象的だった」と語った。 続けたい」と話し、 「今は全員が『帰りたくない』という思い」 現在の村の課題は「少子高齢化に見られる住民の減少」 。 「村 と締めくくった。 の人が『若い人が少ない』と寂しそうに言っていた」ことを 【5 班】 非常に強く感じとり、 「若い人は、避難先の便利な生活に慣 れたり、子どもが学校に慣れてしまうとなかなか戻らない」 ことから、解決策として、 「呼び込みのためのイベントを企画」 すると発表した。具体的には「第 2 回川内オリンピック」の 開催を目指す。これは昨年のむらの大学で企画、実施された もので、継続することで交流人口を増加させたいとしている。 滞在初期は主に農村訪問と野菜作り教室への参加、商工会、 商店などへのヒアリングを実施。当初「村には利用できる施 設が少ないのでは」「雰囲気が暗いのでは」と予測しており、 「若者の交流を促進するきっかけづくり」をテーマに設定し ていたが、施設もある程度充実しており、なおかつ村の住民 がみな明るく楽しげであることを知り、テーマ変更に至る。 特産品を作ることなども考えたが、村に 20 ∼ 40 代の労働生 【8 班】 産人口を誘致するためのツアー実施を目標に掲げたという。 その名も「感じて」 「笑って」 「動いて」「近づこう」 、頭文 字を取って「かわうちツアー」 。外部の若年層に喜んでもら うとともに、村民との交流を起点に「村のみなさんにも楽し く喜んでもらえるようなツアーにしたい」。具体的な実施案 はこれからとなる。 【10 班】 10 班も現地調査でテーマ変更を行っている。当初は「子 ども目線で川内村の未来を考える」としていたが、小学校、 来村前に「川内村の魅力アピール、交流人口の拡大」をテー 教育委員会、塾、保護者らへのインタビューや調査で「子ど マに設定していたが、フィールドワークで村内 20 名のヒア もを取り巻く大人たちの思いを考えを理解して川内村の未来 リングを実施し、村に根差した生活をし、不便ながらも楽し を考える」と変更した。 「外から来た大学生の目線がどれだ く充実しているさまを目の当たりにしたことから「地元のみ けのものか」という疑問が上がり、あくまでも子どもが中心 なさんの声を外へ伝えたい。よりよい川内村になるための提 に大人の意見を取り入れていきたいという考えだ。ヒアリン 案をしたい」とテーマを変更。一時的な提案ではなく、長期 グ後にそれぞれの課題を整理したところ(1)地域内での大 的に関わることを意識したようだ。 人と子どもの交流機会が少ない (2)生活施設の不足 と そして今回は「除染作業員との交流促進」 「はやま保育所 いう共通課題が浮き彫りになったという。そのうえで修学旅 の改装・利用拡大」の 2 案を提案した。前者は福島各所で見 行などの子どもたちの村外活動を村内活動へ振り向ける、生 られる除染作業員に対する不安解消と、 PR 促進を見込むもの。 活施設の充実拡大などの可能性を議論、考察してきたが、結 「全国から集まっている作業員のみなさんに川内村の魅力を 局答えはまとまることなく「考察を続けていく、を今後もテー 4 マにしたい」と締めくくった。 【6 班】 フィールドワークに入ってからは村内の移動販売に同行し て調査を実施。移動販売の生活物資供給の必要性、重要性に 加え、 「人との交流・つながり」が重要であるとの認識に至る。 また、地域内の農産品がおいしいのにもかかわらず風評被害 で売れない等の問題もあることから、フィールドワーク前の スタディ(5 月)で旧第 3 小学校にピザ窯があることを把握 していたこともあり、地元産品を使った「ピザ」の開発をテー マに設定した。 【7 班】 「高田島を活気づける」を掲げて乗り込み、「大人から子ど もまでが楽しめる交流の場を作る」ために、豊年祭りで流し そうめんを実施するため 3 日目からその準備に突入した。プ レゼンでは流しそうめんのための竹取りから、祭りでの実施 までを詳細にレポートした。実施後は「高齢者の方々には寒 い思いをさせてしまった」(9 月とはいえ川内の夜は思いの ほか寒い)、 「踊りが中心のお祭りであることを把握していな かった」など若者らしい反省があったが「村の人々の心の温 地域の特産品として知られるそばとイワナを使ったピザに かさに触れることができ、助け合いの精神を学ぶことができ トライ。そばの風味を生かしながら固くなり過ぎない生地を た」と貴重な体験ができたことを報告した。 作るために試作を繰り返したという。この日は「完成ではな いが現時点のベスト」という試作品を会場で振る舞った。ク リスピータイプのピザで、さっぱりしたイワナの食感が非常 にマッチする。イワナが非常に高額で仕入れのコストの問題、 加工の問題、味や食感の改善等多数の問題はあるものの、 「こ れからもみんなで育てていきたい」と話している。 6 班は発表後に試作したピザを振る舞っ た。活動報告会のクライマックスだ。ピ ザは好評で、一口食べた村の人も「うま い!」と歓声を上げた 5 発表後、受け入れ先の一区長の遠藤氏、二区 活動報告としては提案が十分ではなかったの 長代理の神元氏からコメント。「わずか 2 週間な ではとの問いに対し、実施責任者の丹波史紀准 がら成長が感じられた。これからも息の長いお 教授は、「今回のフィールドワークの最終ポイン 付き合いを期待したい」と遠藤氏。神元氏は「ぜ トを 認識の変化 に置いていた」と話してい ひ移住も視野に入れて」と呼びかけた。 る。 「提案はできなくてもいい、最初の予想が現 その後教育長の秋元氏、福島大学の中川伸二 地調査でどのように変わったのか、提案に至ら 教授から講評があった。秋元氏は「村の未来を なければ、どのように変わったのか、なぜ変わっ 考えるという正解のないものによく取り組んで たのかを報告」するよう学生に指導したという。 もらえた。川内村住民にとって、福島大学がよ そもそも今回の活動報告は「中間報告」のよう り身近に感じられるようになったとも思う。今 なもので、11 月には、南相馬のフィールドワー 度くるときには おかえり と迎えてくれるよう クを含めた報告会・発表会を行う予定だ。 になるだろう」と継続的な関係を訴えた。 中川教授は、小高地区でのフィールドワーク また、今後のアクションは未定だが「授業が を担当している。2 年目を迎えたむらの大学が なくても自発的に関わっていく関係を作る仕組 「昨年の 3 倍の人数になった」と内外から期待が み」、 「継続性を深化させる仕組み」を作りたい 高まっている反面、「宿泊施設がない、洗濯物を としている。「やり散らかして終わりではなく、 洗う場所がない、お風呂がないなど、学生たち 長くかかわり続け、学生の活動をきっかけに川 の滞在中の生活をサポートに苦心した」という。 内村の活性化が進めば」とも話す。大学としては、 報告については全員が大学 1 年生であることに 復興における教育機関としてのプレゼンス向上 触れ、「ついこの前まで高校生だった学生が、1 という目的のほか、福大の学生の多くが地方公 年目の 9 月でここまでプレゼンテーションでき 務員や学校教諭を就職先と選ぶことから、「地域 るのは驚くべきこと。貴重な学びの経験ができ と深く関われる人材を育成」することも大きな たと思う」と学生たちを高く評価した。一方で 目的としているという。 提案の内容については「思いつき程度で、未熟、 具体的には、「学生たちの活動をなんらかの形 未完成のものが多い。村のみなさんには、時に にするスモールスタート」「自発的な自己学習プ は厳しい目で評価してほしい」と訴えた。 ログラムの設置」「ロールモデルの策定」といっ た項目を設定し、議論を重ねていきたいとして 教育長の秋元氏は報告会終了後の取材に答え、 いる。 「2 週間では村の課題の本質に迫ることは難しい」 としつつも「多くのヒントをいただくことがで 大学 1 年ということは、発災時は中学 2 年生 きた」と評価している。また、「一見豊かな自然 程度だったということ。福島県外からの学生も が、実は放射性物質の問題もあって存分に利用 多く、むらの大学に参加した理由を問うと「原 できないところもあるなど、一皮むくとジレン 子力災害からの復興に役立つことがしたい」「こ マが無数にある。村民の関係も同じで、一歩入 こでしか学べない、特殊な環境下での地域貢献 るとさまざまな分断と課題がある。学生たちに 活動を知りたい」という非常に熱意ある、純粋 は、そういう厳しい現実にも触れて、課題解決 な声が聞こえてきたことが印象的だった。 型の人間に成長していってほしい」と今後の期 待を語った。 6 ◆川内の夜は更けていく 【高増氏】若い人の取り組みが素晴らしいと感じ 報告会を拝聴したのち、視察団は駆け足でコ た。また、川内村の現状を垣間見ることができ ミュニティセンターに隣接する「かわうちの湯」 た点も良かった。 で湯を取り、投宿先である「いわなの郷」へ移動。 【佐藤氏】良いプレゼンだったが、社会への積極 夕食後は落ち着く間もなく、村の中心地の旅館・ 的な関与があることが期待される。その社会へ 食事処の「小松屋旅館 / 蕎麦酒房 天山」で、丹 の窓口になるのが大学なので、大学ももっと地 波准教授、COC 推進事務局地域コーディネーター 元に関わってほしい。 の高橋氏、北村氏、新田氏らと意見交換を行った。 川内村に工場を建設したコドモエナジーの岩本 活動報告についての議論の後は、福島大学の 社長も合流した。 取り組みや現状、原子力災害からの復興に向け、 冒頭、この日のプレゼンに対し、視察団から どのような方向性やコンセプトが必要なのか、ア 感想が述べられた。 ルコールも入った中、ざっくばらんな議論が交 【水上副理事長】良いプレゼンだった。目的が何 わされた。岩本社長は「福島から made in Japan かよりも、毎年コミュニケーションを続けてい を世界に発信したい」と話し、そのためには「横 くことが重要だろう。 展開、横のつながりが必要」と大学、企業を巻 【小寺専務理事】継続性と経済性がポイントにな き込んだ活動の裾野の拡大を図りたいという意 るかと思う。次につながる経済的循環を生むべ 見も出されていた。視察団の議論は小松屋を辞 きだが、ビジネス的な視点で見ると難しいこと して宿に戻ってからも続き、大学生たちの活動 も分かる。 がもっと社会に吸収されていく素地――政策で あれ経済的なものであれ――を作るべきではな 【永山氏】学生にもっとビジネス的な観点がある いかという意見が強く出されたのだった。 と良いと感じた。しかし、毎年続けるだけでも 価値のある取り組みだ。 小松屋は古民家を利用しており、内装に も趣がある。人気なのにも納得 (上)小松屋で丹波准教授と意見交換を行った。 (左奥が岩本社長、右 奥が丹波教授(左)宿に戻った後も部屋で延々と議論を続けた視察団。 学生のプレゼンが印象的だったようだ 宿 泊 先 の「 い わ な の 郷 」 も趣のある古民家風の ロッジである。大勢での 宿泊に適している 7 【2 日目】 ◆川内村の現状――行政の視点 視察 2 日目、いわなの郷を後にして、川内村 難指示解除準備区域」に 役場へ。副村長・猪狩貢氏から「震災から 4 年 スライドした。こうした 半 川内村の現状」と題しての講演をいただいた。 地域区分から補償や賠償 冒頭、猪狩副村長は 2011 年当時の様子を振り の地域格差が生じ、住民 返り、地震による被害はほぼなかったものの、3 感情も複雑化する。 月 12 日の水素爆発から始まる一連の原子力災害 村内の除染作業は、国 で 16 日には全村自主避難に至った様子を赤裸々 に 先 駆 け て「 見 切 で ス に語った。 タートした」が、これが功を奏し、現在は生活 川内村は全村で郡山市へ避難していたが、そ に関わるエリアはほぼ完了。 「農地林縁部(20m)」 の後 2012 年 1 月に「帰村宣言」を発表。 「なん 265ha を残すのみとなっている(完了率 18%)。 ら制約のあるものではなく、行政機能を最前線 林縁部の除染は表土剥ぎ取りのために、土砂の に戻して再開することが本旨であり、帰村の可 流出や大規模の場合は表土崩壊の危険性がある 能性を広げることを目指す」ものであったが「当 ことが悩みになっている。ちなみに川内村のい 時は全国からバッシングを受けた」という。現 ち早い除染活動が、後の環境省の除染規格化に 在は村民の約 60%に当たる 1661 人が帰村して 役立てられている。 いるが、「60 歳以上の帰村率 74%に対し、60 歳 こうした背景のもと、 「選択・自立・信頼」をキー 未満は 48.6%。若年層の帰村を促すことが課題」 ワードに、復興というよりは「新たな村づくり」 だと語る。 に取り組む川内村だが、現在、行政では以下の 人は戻りつつあるが、原子力災害の例にもれ ように課題を認識している。 猪狩副村長 ず、川内村も「分断」されていることが大きな 課題のひとつ。20㎞圏に含まれるエリアが避難 ○農林畜産業 指示解除を受けたのは 2014 年 10 月 1 日。これ <現状>過去 300ha あった水稲作付面積が、現 に伴い、特に線量の高い「居住制限区域」は「避 在 190ha まで回復、今後 200ha を目標に推進す 8 る。畜産農家は 70 戸から 7 戸にダウン。牛 1 頭 ・避難している児童との交流を体験学習として実施 50 万円のうち 30 万円を村で補助し、回復に努 ・複式学級(学年をまとめること)は回避 める。 <課題> <課題> ・少人数教育⇒中学生が 1 人 ・担い手の確保 ・団体種目の部活動ができない⇒相双地域の体育 ・風評被害対策⇒県内でも対立が見られる 連盟は崩壊 ・就農意欲の減退 ・高校進学の課題 ・ 木 材 へ の 影 響 ⇒ 村 面 積 90 % に 当 た る 1 万 ・都市部との教育環境の格差 7000ha が森林で、村有林が 8000ha あるが利 用再開が進まない このほか、健康管理の課題として、入院体制、 救急搬送体制の欠如(浜通りに依存していた)、 ○雇用 中核医療の欠如、放射線に対する知識普及が指 かつて村内には 1300 人の給与取得者がおり、 摘されている。インフラ整備では、現状ビジネ うち 800 人が東電関係企業に従事。「東を向いて スホテル開業、かわうちの湯、いわなの郷の再開、 生活してきたので、西を向いて生きろと言われ 路線バスの開通など、好材料が揃っている。こ ても難しい」(猪狩副村長)。発災後すべての就 の日の午後視察する複合商業施設(2016 年 3 月 業者が失業した。 にオープン予定)、同じく視察する産業創造拠点 <現状> 整備事業の工業団地(15ha)が造成中であるこ ・新規企業:コドモエナジー(蓄光材) 、菊池製 とも語られた。工業団地は平成 29 年(2017 年) 作所(試作メーカー) 、四季工房(家具製造) の稼働を目指している。 が進出(定員 110 名) 猪狩副村長は、最後に「これまでの川内村の ・野菜工場「KiMiDoRi(キミドリ)」を村設(定 村づくりはすべて壊れた。生きる意味や目標を 員 25 名) 新しく見据えて、村づくりに取り組みたい」と ・メガソーラー誘致(3 地区 8 メガワット) 締めくくった。 ・既存の企業・工場で雇用促進 この後、役場に設置された除染廃棄物仮置き ・工業団地建設誘致(7 社が名乗り上げ) 場監視システムを視察、担当者の説明を受けた。 ・1120 名の雇用創出。現在就業率 50% <課題> ・職種によるミスマッチ⇒やりたい仕事ではない ・賃金体系への不満⇒東電関連企業のほうが給与 額が大きかった ・人員不足 ○教育環境 川内村にある除染廃棄物 の仮置き場には、モニタ リングポストが設置さ れ、オンラインでリアル タイムチェックできるよ うになっているという <現状> ・保育園小中学校で 65 名が復帰⇒震災前:保育 園 65 名、川内小学校 102 名、川内中学校 54 名→平成 27 年それぞれ 17 名、35 名、13 名に ・村営の学習塾「興学塾」 、放課後子供教室再開 9 ◆植物工場「KiMiDoRi」 役場を後にして、副村長の案内で村内の視察 へ向かう。大規模な大林 JV 除染作業員宿舎、応 急仮設住宅などを見ながら、震災後に発足した 村営の植物工場「KiMiDoRi」へ。 KiMiDoRi は川内村 49%、食品流通を手掛け るまつのが 51%の出資で 2013 年 4 月に設立さ れた。現在は主にフリルレタスを生産しており、 大林 JV の宿舎 生産量の 80%を占める。そのほか葉物野菜、ハー ブ等も生産しており日産 200㎏。出荷先は東北 各県のスーパー、東京の外食産業。完全水耕栽 培で無農薬、安定供給が可能なのが特徴である。 光源は蛍光灯と LED の併用。中温度タイプのエ アコンとファンで 25 度に一定管理。14 時間ご とに明期と暗期を切り替える。変動費が大きく、 電気代が 30%を占めるのが悩みだという。 応急仮設住宅 担当者の説明の後、視察団からは雇用体制や採 算分岐点などについて質問が出され、熱心な議 論が交わされた。月 1000 万円の売上で採算ベー スに乗るが、現在は 800 ∼ 850 万円程度。補助 金のおかげで成り立っているが、これからが本 当の勝負どころ。5 期目で黒字化するのが目標だ という。 (上左)LED と蛍光灯併用の栽培プラント。光の色は植物栽培に適したものを選ぶ。フリルレ タスは 40 日で出荷可能になる。多くの植物工場が撤退をしている現状もあり、今後さらに施 策が必要になるだろう (左)工場の敷地内にはイチゴの栽培施設もあった。植物工場の最大のネックは電気代で、イ チゴなどの栽培期間が長いものは採算に合わない。今後工場内の蛍光灯を LED に変更する、 さらに効率の良い LED に切り替えるなどの施策が求められる 10 ◆蓄光材、コドモエナジー コドモエナジーは蓄光材「ルナウェア」を製 造販売する。ルナウェアは、400 年の歴史を持 つ有田焼の伝統技術と、蓄光性能のある素材を 組み合わせたもので、焼き物として製造される。 20 分の蓄光で、暗闇の中 720 分発光する。避難 用のサインボード、緊急時用の発光サインなど、 内装材として活用されている。その技術力、発 想力から 2012 年の「ものづくり日本大賞」を受 賞した。 川内村工場は、岩本社長の「福島の復興の一助 に」という熱い思いで 2014 年 5 月に設立、稼 働した。 「このルナウェアが、大災害が起きた時 に一人でも多くの命を救う。そんな商品を、実 は福島の人が作っている。そこに僕は、大きな 意味があると思っています」(2013 年 11 月『道 経塾』インタビュー「リーダーの条件」より抜 粋)。現在工場勤務 8 名のうち、7 名が地元採用。 広々とした工場に組まれた生産ラインを視察する。現在の現場は 2 名で回せるという。生産ラインの機械類は企業秘密になるため、 詳細は映せない。 「大小 2 つの金型を用意しており、現在は小さい 型で月産 3000 枚。今年度中に月 6000 枚が目標」 だという。 ルナウェアは、夜光塗料で世界トップシェアを誇る根本特殊化学のルミノーバと、有 田焼の窯元の技術を組み合わせて実現したものだ。焼き物なので耐候性、防火性に優 れ、蓄光の機能は半永久的に続く。建材としての利用だけでなく、アクセサリーなど も作られている。ぜひ BtoC の製品にも力を入れてほしいものである。 工場内には視察用に さまざまなルナウェ ア製品が並べられて い る。 暗 転 さ せ る た め の 小 部 屋 も 用 意。 上の写真も小部屋で 撮影したもの 11 ◆除染の現実――農地 村内視察を終え、天山で昼食を摂った後は、環 境省福島環境再生事務所の井出寿一氏のアテン ドで、富岡町への除染視察へ出発する。井出氏 は発災時は川内村職員であり、2014 年 3 月に退 職するまで復興に努めてきた。その後環境省に 引き上げられ、平成 28 年度まで現職を勤めると いう。 富岡町は 20㎞圏内にすっぽり入っており、国 環境省福島環境再生事務所・井出氏 直轄除染地域に指定されている。現在面的除染 地には富岡町 JV 工事事務所長の新木安夫氏も同 を進めており、今年度中には宅地除染を終え、 行してくれた。新木氏の説明でまず農地の除染 平成 28 年の帰還予定に備える。しかし、人口 のあらましを聞く。農地には重機が入り、荒々 1 万 1300 人のうち、帰還を希望しているのは しくむき出しにされた土のうえの、黒々とした 17%足らずで、除染区域の 4000 世帯のうち、 フレコンバッグが目に痛い。 約 800 軒で解体希望が出されているという。移 農地除染の基本は表土剥ぎ取りと客土(別の 動中、富岡の町を走るとバリケードが目につく。 土地の土を入れること)である。「3 年前に始め 走行可能なのは主要な幹線道路のみ。富岡町だ たときは雑草がぼうぼうだった」が、それらの けで 570 カ所のバリケードが設置されている。 草も丁寧に刈り取り、可燃物堆積物として処理。 富岡町の除染を担当しているのは大林 JV。現 その後バックフォーやスキマーといった工作機 町には至るところバリケードが 剥き出しの土にフレコン。これが 20 ∼ 30㎞圏内でよく見られる光景だ 大林 JV・新木氏 奥に見える重機の右端がスキマー たまに見える山は客土用のもの 圧巻のフレコンバッグ 12 械で表土をはぎ取る。農地の除染基準は 1kg あ たり 5000Bq(ベクレル)にまで抑えること。そ のために表土剥ぎ取りは 5cm が基本である。土 をはぎ取った後は、代わりの土とともに、肥料 とゼオライト(吸着剤の一種)を入れ、20㎝の 深さで撹拌する。客土は宮城県丸森町、いわき 市小名浜から運搬してきている。 富岡町の農地では、1kg あたり 3 ∼ 4 万 Bq あ るところもあり、国直轄除染地で初めて 7cm で 剥ぎ取りをしたところもあった。「放射能量を抑 除染中の宅地ではこのように足場が組まれる えるには深く掘るしかない」のだという。「正直 設で処理されることになる。 言うと、早く耕作を始めてほしい」と新木氏は 1 軒 当 た り、 作 業 費 用 は 約 300 万 円。50 ∼ 言う。放置しておけば雑草がはびこり、また手 100 人工が必要で作業期間は約 2 週間。「大きい を入れる必要が出てくる。とはいえ、農業を再 農家になるとさらに時間と手間がかかって大変」 開しても売れる保障はまったくないために再開 だという。足場を組み、丁寧にふき取り、庭が のメドはまったく立っていない。 ある場合は農地同様表土剥ぎ取りと客土を行う。 宅地周辺の林縁部の除染も行うが、「雨などで表 ◆除染の現実――宅地 土が流れていくのが心配だ」と新木氏は話して 続いて場所を住宅地に移し、除染作業につい いる。 て聞く。 農地も含め、作業員は全員が放射線管理手帳 宅地除染は、ウェースでのふき取り作業が基本 必携で、線量計、線量バッチの携行も義務付け である。かつてもっともよく行われた高圧洗浄 られているという。被ばく量は、年間 50 μ Sv は、「(汚染した)水の回収が困難なため」採用 と国が定めているが、大林 JV では 30 μ Sv を基 されなくなった。 「ウェースで丁寧にふき取るし 準にしている。今までのところ年間 10 μ Sv が かなく、表で 1 回拭き、裏でもう 1 回拭いたら 最大被ばく量。平均で 3.8 μ Sv だという。 捨てるしかない」 。スタッコやリシンなど凹凸の 宅地の除染状況を視察した後、旧富岡駅前方 ある壁面ではブラシなどを使って除染する。使 面へ。町の様子を見るとともに、焼却減容化施 われたウェースは汚染物質として焼却減容化施 設の近くの様子を伺った。また、その後 6 号沿 宅地横のこうした雑木林でも表土剥ぎを行 う。今は下草が戻っているが、土砂の流出が 危惧される 13 いに北上し、中間貯蔵地の建設予定地となるエ リアを概観した。井出氏の説明によると、6 号の 東側 1600ha が中間貯蔵施設となる予定で、当 該地域には 2400 軒の地権者がいるが、9 月の 時点で 7 軒で交渉が終わっているのみだという。 常磐富岡 IC で別れる際、井出氏は「これからど うなるんだろう。人は減るだろう、合併もある だろう。そう思うと眠れない夜が、今でもある」 と胸中を語った。 富岡町の焼却減容化施設。270ha の敷地で処理能力は 250t/ 日 焼却減容化施設の近くには、このような処理待ちのフレコンが山 と積まれている ◆最後に 帰りの車内でも、引き続き視察団内部での議論は続け られた。 水上副理事長は「今しか見ることのできない、川内 村、富岡町を見ることができた。特に富岡町は震災から 変わっていない世界だった。宮城、岩手とは異なる世界 だと思った。除染という手におえない困難な問題もある。 しかし、CSV 開発機構として関われる可能性はゼロでは ないだろう」と語った。 時が止まったままの富岡町の駅前の様子 14