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日本英文学会関東支部 第7回大会(2013 年度夏季大会) プログラム

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日本英文学会関東支部 第7回大会(2013 年度夏季大会) プログラム
日本英文学会関東支部
第7回大会(2013 年度夏季大会)
プログラム
日時: 2013 年 6 月 22 日(土)
会場: 明治大学(駿河台キャンパス・リバティタワー)
〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台 1-1
アクセス
JR 中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅 下車徒歩 3 分
東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅 下車徒歩 5 分
都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線/神保町駅 下車徒歩 5 分
日本英文学会関東支部事務局
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂1-2
研究社英語センタービル
Tel/Fax 03-5291-1922
E-mail:[email protected]
開場・受付開始( 11:45 よ り リ バ テ ィ タ ワ ー 7 階 1075 号 室 前 に て )
【 ワ ー ク シ ョ ッ プ 1 】 1086 教 室 12:15~ 13:45
モダニズムにおける<亡霊>と<声>――ダブリンとプラハを中心に
(司会) (講師) (講師) (講師) (講師) 群馬大学教授 吉川 信 成蹊大学准教授 桃尾美佳
早稲田大学教授 岡室美奈子
東京医科大学教授 城 眞一
滋賀大学講師 川島 隆
今回の企画は、基盤研究 B「プラハとダブリン」の英独共同研究グループによるも
のである。当グループは過去 8 年間、世紀転換期における二つの都市、プラハとダブ
リンの作家たちを比較・検討してきた。いずれも二重言語(ドイツ語とチェコ語/英
語とゲール語)とナショナリズムの問題を抱え、いずれも多くの文学者を輩出してき
たからである。今回はとくにリルケとカフカ、イェイツとベケットを中心に、20 世紀
におけるオカルト的なるものの再来を考察したい。司会は吉川が担当する。桃尾は、
W・B・イェイツの演劇作品から死者との邂逅を主題とする三作品をとりあげ、亡霊
の表象が変遷してゆく過程を、視覚と聴覚に関わる描写に注目しつつ検証する。岡室
は、W・B・イェイツがサミュエル・ベケットに与えた影響を、具体的な作品に触れ
ながら降霊術とメディア・テクノロジーという視点から考察する。川島も、カフカに
おける降霊術とメディア・テクノロジーへの関心に着目し、両者の相関関係を、カフ
カが「亡霊」を取り上げた物語作品や手紙などのテクストに見ていく。城は、リルケ
が多様な時空を糧に形成した詩論そのものが、モダニズムにおけるオカルト的なるも
のを体現していた点を論じる。キットラーが指摘したように、それは作品『始源の音』
その他に読み取れるはずである。
【 ワ ー ク シ ョ ッ プ 2 】 1075 教 室 12:15~ 13:15
“Daffodils”から見えるもの――(大学)英語教育における文学テクストの raison d’être
(司会・レスポンデント)東京大学教授 アルヴィ宮本なほ子
(発表者)東京大学大学院 鈴木哲平
河内紀彦
山田敏幸
中川映里
日本の英語教育では、文学テクストは「実用」的な英語ではないとされ脇に追いや
られる傾向にあるが、本ワークショップは、非「実用」的な文学テクストが、いかに
実用的か――学習者の英語へのセンスや意識、英語圏の文化への理解をいかに深める
か――を、詩の生成の過程(改訂のプロセス、日記との比較)や現代の他のジャンル
(新聞記事、ラップ)との組み合わせを使った授業案によって示す試みである。各発
表は、東京大学総合文化研究科の「英語教育プログラム」の授業から発展したもので
あり、共通のテクストとして、Thatcher の葬儀でも話題を撒いた William Wordsworth
の最も人口に膾炙した “I wandered lonely as a cloud” を用いる。
【 研 究 発 表 : 第 1 室 】 1075 室 第 1 発 表 : 13:30~ 14:30 (発表者)国士舘大学講師 目野由希 (司会) 埼玉大学准教授 大久保譲 Occultism had become the favorite sport of Britain’s leisured classes
――International PEN club in London とそのオカルト・コネクション John Galsworthy が初代会長を務め、Herbert George Wells が二代目会長となった
国際ペンクラブ。戦前から戦後にかけては E. M. Forster が活躍し、現在も独自の存在
感を示している。
1921 年に C.A. Dawson Scott がロンドンに設立した作家団体・国際ペンクラブにつ
いては、意外にも、これまでどこの国も本格的な調査をしていなかった。
2010 年から 2012 年にかけ、他国に先駆け、本邦で初めて戦前のロンドン本部資料を
中心とする資料収集と調査が行われた。
その結果、創設期の国際ペンクラブ・ロンドン本部については、
「政治弾圧に負けず、
表現の自由を守る反権力の団体」といった一般的印象とはまるで異なる、1920 年代ロ
ンドンの、ソーシャルクラブ文化を土台とする知識人団体という特徴が浮上してきた。
さらに、ロンドン本部を軸とし、インド・日本・中国など、英連邦とその外延にま
で至る独自の人的交流からは、英連邦のオカルト・コネクションの価値評価を促す暫
定的結論を得た。本発表では、上記事項について考察する。
第 2 発 表 : 14: 40~ 15: 40
(発表者)実践女子大学准教授 土屋結城
立正大学専任講師 伊澤高志
(司会) 一橋大学准教授 河野真太郎
英語教育における「文学」――New Horizon を読む「行為」からの一考察
本発表では、過去に日本英文学会でなされてきた英語教育関連の発表にしばしば見
られる「文学教材」という文言に注目し、
「文学教材」に関する先行研究の批判的検討、
及びそれらの研究に見られる「文学」対「コミュニケーション」という対立構造につ
いての問題を提起することを目的とする。
発表の中では、文学研究の現状に鑑みた立場から「文学」ないし「文学教材」の定
義を再考する必要を提案し、さらにその提案から、「文学」対「コミュニケーション」
の対立構図に疑問を呈したい。その疑問とは、この二者の対立をいかにして乗り越え
るべきかではなく、そもそもこの二者は対立しているのか、この二項対立は妥当なも
のなのかという疑問である。具体的には「コミュニケーション能力育成中心の教育体
制」を具現化する中学生向けの検定教科書 New Horizon の検討を通してこの二項対立
の無化を試み、その試みを通して文学研究者が英語教育にかかわる方法についての考
察及び提案を行う。
【 研 究 発 表 : 第 2 室 】 1076 室 第 1 発 表 : 13:30~ 14:30
(発表者)慶應義塾大学講師 中村祐子 (司会) 聖心女子大学教授 中川僚子 『灯台へ』におけるナラティヴ・モードの揺らぎ 『灯台へ』(To the Lighthouse, 1927) は、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf,
1882-1941)が両親へのエレジーとして書いたとされる。しかし、第 3 部は両親を投影
したラムジー夫妻の娘ではないリリー(Lily)が中心となることから、これまで様々な
解釈がされてきた。まず母子関係、レズビアンといったフェミニスト・リーディング
があげられる。リリーが画家であることから、ブルームズベリー・グループの画家た
ちの影響やウルフの芸術観と重ねた研究も多い。それらを合わせた大きな枠組みとし
て重要なのは、第 1 部におけるラムジー夫人の「家庭の天使」としての「勝利」の物
語と第 3 部におけるリリーの芸術家としての「達成」の物語の対比であろう。どちら
も他者からの承認を得ない自己肯定を目指すが、本来、自己肯定には他者からの承認
が必要なためナラティヴ・モードに「揺らぎ」が生じる。本発表では引用符の(不)
使用と 2 種類の括弧の使用の 2 点から分析し、その「揺らぎ」を検証したい。
第 2 発 表 : 14: 40~ 15: 40
(発表者)早稲田大学大学院 小林広直
(司会) 一橋大学教授 金井嘉彦
亡霊譚としての「死者たち」――Re-reading “The Dead” as Ghoststory
James Joyce の短編集 Dubliners の最後に置かれた「死者たち」は、そのタイトル
が示すように、死と深く関わりを持つ。この作品の最後に登場するマイケル・フュア
リーは、主人公ゲイブリエルの妻グレタが、故郷のゴールウェイで懇意にしていた少
年であり、ガス工場での労働のため肺炎に罹り、十七歳という若さで死んでしまった。
グレタが語る死んだ恋人の思い出は、ゲイブリエルにとって全く知ることのなかった
妻の一面であり、その驚きと恐れは、彼の自我を崩壊させてしまう。最終場面で死者
と生者の両者に遍く降り注ぐ雪は、彼の想像の中でアイルランド全土を覆い尽くす。
本発表では、ゲイブリエルが受けた衝撃を「トラウマ的経験」として捉え直し、亡
霊として表象されるフュアリーとの関わりについて考察する。その際、ジャック・デ
リダの議論を参照しながら、パーティのスピーチでゲイブリエルが語った「歓待」
(hospitality)の精神が、死者との「和解」において重要な役割を果たすことを論証した
い。
【 研 究 発 表 : 第 3 室 】 1084 室 第 1 発 表 : 13:30~ 14:30
(発表者)東京大学大学院 坪野圭介
(司会)東京家政大学講師 並木有希
機械装置と同期する人物たち:『シスター・キャリー』の身体運動
セオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』
(1900)には、鉄道、ロッキング・
チェア、馬車、舞台装置、路面電車、といった可動性の機械装置に包摂される登場人
物たちの姿が頻繁に観察できる。キャリーやハーストウッドは、あたかも機械に包ま
れて運ばれることそれ自体に快楽を得ているようである。ひとつの比喩を考えてみた
い。ドライサーが新聞記者として訪れた 1893 年のシカゴ万博では、巨大観覧車「フェ
リス・ウィール」が最大の目玉となっていた。観覧車における経験とは、結局出発し
た場所に戻ってくるだけの目的地を持たない移動である。それにも関わらず、移り行
く風景は乗客の驚異を引き出し、機械装置に身体が運ばれること自体が気分を高揚さ
せる。キャリーたちもまた、観覧車のような機械に包まれて運ばれることを常に欲望
しているのではないか。本発表では、そのように 19 世紀末の大都市に生まれたと考え
られる、機械装置と同期した新たな身体運動こそが、
『シスター・キャリー』の基本的
な動線を形作っていることを明らかにしたい。
第 2 発 表 : 14: 40~ 15: 40
(発表者)東京大学大学院 山崎はずむ
(司会)一橋大学教授 越智博美
疑似全知の語り手と作者の消去-Truman Capote, In Cold Blood における語りの構造
本発表はカンザスで実際に起きた一家殺人事件を題材とした Truman Capote の『冷
血(In Cold Blood)』
(1966)の語り手の特徴とテクスト内における作者の存在の消去と
いう二つの側面に焦点をあて、作品の語りの構造を分析する。語り手の特徴について
は『冷血』がノンフィクションに帰属することを明らかにしたうえで、
『冷血』の語り
手が全知の語り手のように振舞うことに注目する。この語り手をフィクションにおけ
る全知の語り手と区別するために「疑似全知の語り手(pseudo omniscient narrator)」
と名付け、疑似全知の語り手が読者を殺人事件の観察者の立場に導くことを明らかに
する。つぎに、疑似全知の語り手が作者の意見や判断を伝えないこと、またテクスト
中から作者の存在が消去されていることに注目し、作者の消去が読者を殺人事件の分
析者の立場に置くことを示す。さらに作者の消去により、テクストが客観性を装う点
にも留意する。これらの考察を通して『冷血』の読者が殺人事件の観察者、分析者と
しての役割を担うことになり、事件の解釈を委ねられることを明らかにする。
【 シ ン ポ ジ ウ ム 1 】 1074 教 室 16:00~ 18:00 モダニズム再考――マクニース再評価の文学史的意義を考える (司会) 東京大学教授 中尾まさみ (講師) 首都大学東京教授 髙岸冬詩 (講師) 専修大学教授 道家英穂 (講師) 明治大学教授 辻 昌宏 MacNeice は、Spender、 Day-Lewis と共にオーデングループの一員とされ、従来
その存在は Auden の影に隠れがちであった。しかし Heaney、 Mahon、 Muldoon ら
北アイルランド出身の詩人たちが活躍するにつれ、そのパイオニア的存在として再評
価の機運が高まっている。2007 年 9 月の生誕百年の節目には、記念学会がベルファス
トのクイーンズ大学で開催され、世界各地から多数の詩人、研究者、愛読者が集まり、
マクニース人気の根強さが証明された。彼の詩の朗読や研究発表を通して、一般読者
にもよく分かる日常的視点、詩人たちが称揚する玄人好みのテクニックとオリジナリ
ティ、学者たちの研究意欲をそそる知性と抒情性の高いレベルでの融合、といった多
面的魅力があらためて確認され、賞賛されたのである。この年に新編集の全詩集がフ
ェイバー社より出版され、2010 年には初の書簡集も公刊、ちょっとしたマクニースブ
ームが起きていると言っても過言ではあるまい。
3人の講師(髙岸、道家、辻)はこのブームが一過性のものではなく、MacNeice
が Auden のみならず T. S. Eliot や Yeats と並ぶ、あるいは彼らに取って代わる、英文
学史上重要な詩人になりつつある動きであるととらえている。
本シンポジアムでは、最初に髙岸が、Muldoon を中心に北アイルランド詩人に
MacNeice が与えた影響を論じ、現代の詩の潮流を決定づけた MacNeice 像を浮き彫
りにする。道家は MacNeice の詩に夥しい、ロマン派へのアリュージョンやパロディ
を取り上げ、ロマン派的な詩情が MacNeice においてどのように受け継がれ、変容し
たのかを探る。このふたりの発表によって、MacNeice が英詩の歴史の結節点となって
いることが明らかにされる。辻は、MacNeice の詩に見られる社会や宗教にたいするス
タンスと、MacNeice が敢えて伝統的な韻律を用いたことに着目し、内容・形式両面か
ら彼の詩をモダニズムの巨人たちの作品と比べ、MacNeice が彼らに取って代わりうる
詩人であるや否やを検証する。
3人の講師は敢えて polemic な見方を提供することで、会場全体に活発な議論を巻
き起こそうと目論んでいる。ディスカッションの交通整理役は中尾が務め、司会兼デ
ィスカッサントとしてバランスをとり、シンポジアムを実り豊かなものにする。
ひとりの詩人を中心に据えるのはシンポジアムのテーマとしては狭い印象を与える
かも知れない。しかし本企画は MacNeice を立脚点として、英詩の歴史を見直すとい
う意欲的な試みであり、総花的でない、論点のかみ合ったシンポジアムを目指してい
る。
【 シ ン ポ ジ ウ ム 2 】 1083 教 室 16:00~ 18:00 英文学教育の現在 (司会) 東京大学教授 山本史郎 (講師) 明治大学准教授 梶原照子 (講師) 明治学院大学専任講師 貞廣真紀 (講師) 早稲田大学教授 冬木ひろみ 人文学に対する関心低下という大きな潮流の只中にあって、大学における英文学科
(またはそれに類する学科・研究科)はその存在意義を問われるほどの難局に立たさ
れ、腰を据えて後進の育成に取り組むことが困難な状況にある。
「英文学」と総称され
る学問領域そのものの変質、英語という言語をめぐる政治的・経済的状況の複雑化、
日本の大学教育全体を巻き込む制度的変容、英文学科に進学してくる学生の多様化な
ど、英文学教育が直面する問題はいずれも一筋縄での解決を望める類のものではない。
本シンポジウムは、このような状況に対する組織レベル・個人レベルでの現状認識、
対応策とその実践、今後の展望などをできるだけ具体的な形で議論することにより、
英文学教育の(絵空事ではない)現実を直視しその実像を共有するきっかけを作ると
ともに、日本の大学における英文学教育の体系構築の手がかりを得ることを目的とす
る。 学部英文学教育が担いうるもの――実利教育への貢献と抵抗をめぐって 梶原 照子 私の勤務校の現状を見るに、学部生の大多数は一般企業への就職を目指し、大学を
挙げて「就職力」を強めようと躍起になっている。一方、研究者である教員は、学位取
得まで 10~15 年間学生を続け、その後も研究を毎日続けられる文学研究好き、という
変わり者である。実利的な効果――とりわけ就職に役に立つこと――を短期間で見た
がる今日の学生と教員の間には、出発点において大きな溝がある。この溝を認識し、
学生にとっての文学(教育)の意味と同時に、自分にとっての意味についても問い直す
作業が日々の教育現場で求められるだろう。とくに私が問うてきたのは、英文学(教育)
の価値は即物的な実利教育への貢献なのか、逆に、そのような風潮を人間の画一化・
機械化とみなし、抵抗する役割こそ本領なのか、である。後者の見地では、そもそも
教育の体系化に抵抗する特質を文学は内包している、と言えるのかもしれない。本発
表で、英文学教育が担いうるものについて整然とした答えを出せるとは思わないが、
これまでの授業を具体的に振り返りながら、学生の反応や自分の感じ方についてお話
し、皆さんと問題を共有したいと思う。 明治学院大学の英文学教育の試みの一例 貞廣 真紀 学生の文学離れが指摘されるようになって久しいが、明治学院大学でもその傾向は
顕著に見られる。本学の教養課程では基礎英語のクラスが5つ程度開講されている他、
ネイティブ講師が担当する異文化理解のクラスなど、英語教育のカリキュラムは比較
的充実しているが、リーディングに関しては、その成果が文学教育に直結していると
は言いがたい。英語学習教材で用いられる英語と小説の英語の難易度差は大きく、学
部後期過程の小説読解の授業は、学生にとっても教師にとっても困難を伴う。本発表
では、リーディング力の弱い学生をサポートするために発表者がとっている対策や、
英語教育と文学教育をつなぐための学科レヴェルの試みのいくつかを紹介する。
「アメ
リカ文学概論」の授業形態、3年生対象の「アメリカ文化を英語で学ぶ」講座、creative
writing のクラスとその成果発表の場としての同人誌、また、本学で毎年開催してい
る「英文学を英語教育にいかに組み込むか」についてのカンファレンス“Liberlit”にも
触れたい。
シェイクスピアを教えることの諸問題 冬木ひろみ 現在の学生の英語力の低下と興味の多様化は大きな問題であるが、そうした中で、
英文学関係の授業が英語力を補い、同時に「文学」を多角的かつ立体的に受容できる
ようにすることは可能なのではないだろうか。その可能性を模索しつつ、個人レベル
で行っているシェイクスピアの授業の具体例を挙げて、その実態と問題点を検証して
みたい。演習においては原典精読を中心にするが、パフォーマンス面からのアプロー
チも必要であり、柔軟な視点で多様なシェイクスピアを実感できるようにすることが
重要ではないかと感じている。一方、学部でシェイクスピアを卒論に選ぶ学生の多さ
に比すと、大学院への進学率は減少しつつある。現在、大部分の大学院教育では課程
博士号取得を奨励・支援しているが、博士の学位を取得しても就職が困難であるなど
の閉塞感も大きく、それにどのように対処してゆくのかが大きな課題である。社会的・
経済的な状況への対処は困難だとしても、大学院生を大きな視野で育てる上で、個々
の組織を越えた、海外も含めた大学院間の交流の場の活性化なども考えられると思う
ので、その可能性についても言及したい。 懇親会 (1 8:3 0 〜 2 0:3 0)
会場 明治大学紫紺館 4階会議室
紫紺館 HP http://www.meiji.ac.jp/koyuka/shikonkan/
会費:4,000円(学生2,000円)
事前申込は不要です。奮ってご参加ください。
研究発表
第2室 1076 教室 シンポジ
ウム1 1074 教室 ワークショ
ップ2・研究
発表第1室 1075 教室 リバティタワー7F地図 書籍展
示場 1085
教室 ワークショッ
プ1 1086 教室
シンポジウム
2 1083 教室 リバティタワー8F地図 研究発表第3
室 1084 教室
交通アクセス JR 中央線・総武線、御茶茶ノ⽔水駅 下⾞車車徒歩 3 分 丸ノ内線/御茶茶ノ⽔水駅 下⾞車車徒歩 3 分 東京メトロ 千代⽥田線/新御茶茶ノ⽔水駅 下⾞車車徒歩 5 分 半蔵⾨門線/神保町駅 下⾞車車徒歩 5 分 都営地下鉄 会 場: リバ ティ タ ワ
ー 7 階& 8 階
ワークショップ 1086,
1075
研究発表 1075, 1076,
1084
シンポジウム 1074,
1083
書籍展示 1085
懇 親会
紫紺館4階
会議室
三⽥田線・新宿線/神保町駅 下⾞車車徒歩 5 分 懇親会会場:大隈ガ
ーデンハウス 
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