Comments
Transcript
松本清張【1909-1992】 1939 年処女作「西郷札」が「週間朝日」の「百
松本清張【1909-1992】 1939 年処女作「西郷札」が「週間朝日」の「百万人の小説」に入選、さらに 1953 年「ある小倉日記伝」が芥 川賞を受賞したのを契機に以降作家活動に専念しました。1958 年発表の推理小説「点と線」「眼の壁」がベストセラー となったのを始め、フィクション、ノンフィクション、歴史物まで多芸多才な作家活動を展開しました。 1998 年、北九州市はその功績を称え彼の全容を紹介する日本唯一の記念館【入場 9:30~17:30 一般 500 円 休 館 12/29-31 】を設立し、映像や展示物でその詳細を紹介しています。 森鴎外【1862-1922】 (現)島根県津和野町生まれ 1899 年 6 月~1902 年 3 月まで小倉に居住。 本名、森林太郎。明治・大正時代の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医総監、医学・文学博士など広範なジャン ルで卓越した才能を発揮しました。小倉には 1899 年 6 月陸軍第 12 師団軍医部長として赴任、始めの 1 年半を鍛 治町住居【入場 10:00~16:30 無料 休館月曜、祝日】で過ごし、「我をして九州の富人たらしめば」に代表され る随筆・評論を著しました。なお帰京後書いた「鶏」はこの家を舞台にしたものです。 また後半を小倉駅前の京町(現在は碑のみ)に住みましたが、18 歳年下の「志げ」と新婚生活を送り、 「即興詩 人」の名訳を完成させ、後に小倉の風物を活写した小説「独身」の舞台となったのがこの家でした。 信号なし 井上歯科 手前左折 る 最初の角 石畳 階段下る る ● 必ず準備運動を行いましょう。 ● 自分のペースで歩きましょう。 ● ウォーキング中の負傷等については責任を 負いかねます。ご了承ください。 森鴎外鍛治町住居 明治・大正時代にマルチ才 能を発揮した森鴎外が約 18 ヶ月住んだ家。明治の 町屋形式の貴重な建造物。 入場 10:00~16:30 無料 休館:月曜、祝日 中津口門の大石 八坂神社東側 元々古船場にあった中津 口門の石垣。曲折を経て平 成 12 年に現在地に。明治 時代、大石をにらむと成功 すると云われ若者が睨ん だ。「大石にらみ」という 無法松の碑 旦過市場 小倉の作家「岩下峻作」の 小説「富島松五郎伝」に登 場する松五郎(無法松)。 昭和 34 年、彼を慕う人々 によって建立。毎年 3 月 4 日には碑前で供養あり。 八坂神社 小倉城庭園 鴎外橋の近くにあり、鴎外の 小説「独身」に登場する広告 柱がモチーフ。代表作「小倉 日記伝」などの一文を表出。 小倉城主・小笠原氏の下屋 敷跡に 98 年オープン。日本 庭園を持つ「礼儀作法のテ ーマ館。入場 9:00~17:00 一般 350 円 年中無休 大正2,3年頃神獄川を上る船 が荷をあげ商売を始めたのが始 まり。その後、地の利の良さか ら発展。昭和になると川にせり 出す形で成長。太平洋戦争中は 戦時統制され機能を失ったが、戦後すぐに復活し現在に至る。 旦過という名称の由来(2説) ①17 世紀この地に宗玄寺の山門があった。その門前にあった 修行前の雲水(旅の僧)の宿泊所名「旦過寮」の名称から ②同じ宗玄寺から旅立つ雲水は早朝=旦(あした)過ぎ去っ た(旅立った)から 小倉城 1617 年、細川忠興が鋳物師町 に南北両神殿を造営し、愛宕山 と古船場町の両祇園社を各々 南北にして統合。昭和 9 年に現 地に遷座。 9:00~17:00 森鴎外文学碑 中津口前付近からが最美麗 関ヶ原の戦で徳川方の武将 として活躍した「細川忠興」 が 1602 年に築城。1837 年焼 失 1959 年再建。入場 9:00~ 17:00 一般 350 円年中無休 大門跡 妙乗寺(摩訶不思議な明星石) 常盤橋を起点として西進する長崎街道、その最 初の門が大門。大きな門という意味ではなく、 江戸時代はすぐ北側が海であり、藻が大量に漂 着したことから「大藻」それが「大門」に訛っ た。1632 年、小笠原忠真の転封後この地を「大 門町」と呼ぶようになった。平成17年夏門の 基礎が発見され、一部をそのまま現状保存。 1425 年、日親上人が小倉沖を航海中 難破しそうになったが、明星天子(金 星)の光で上陸。明星寺(後に妙乗 寺)に逗留した。1834 年頃海岸で光 を放つ石が見つかり、故事に因み明 星天子降臨石として本寺に納めた。 明星石は、本堂右下階段横の祠 内 松本清張記念館 小倉生まれの現代作家「松 本清張」の全容を紹介する 日本唯一の記念館。 入場 9:30~ 17:30 一般 500 円 休館 12/29-31 小倉県庁跡 築 130 年以上の由緒ある建物 は、福岡県内最古の「擬洋風建 築」 。2012 年 4 月 20 日に国の登 録有形文化財に認定されまし た。現在は衣料品販売のお店 三の丸土塁跡 小倉城内と城郭を区切っ ている土塁で現在残存し ている唯一の場所。内側の 思永中の校庭からは武家 屋敷遺構が多数発掘さる。 伊能忠敬顕彰碑 江戸時代、伊能忠敬が九州 測量を開始したであろう 常盤橋。功績を称え測量開 始 200 年目 H13 年設置。 安国寺 森鴎外の短編「二人の女」 に出てくる「安国寺さん」 は27代住職のこと。松尾 芭蕉翁像や柳塚など芭蕉 ゆかりのものも残存する。 森鴎外京町住居跡 明治 33 年暮れから 35 年3月 まで茂子夫人と過ごした京 町住居の跡。「即興詩人」の 名訳を完成し、後に小説 「独身」の舞台となった。