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日本各地で見られる 歴史的な建物が立ち並 ぶ街並み。 これら
日本各地で見られる 歴史的な建物が立ち並 ぶ街並み。 これらを地域の資源 として活用したまちづ くりに取り組んでいる 地域も少なくありませ ん。 今回ご紹介する地域 は、青森県黒石市、岐阜 県高山市・飛騨市、京都 府京都市、愛媛県内子 町・大洲町・西予町です。 ① ② ③ ④ Vol.21 1 青森県黒石 市は十和 田湖北西(青森県 のほ ぼ中央)に位置す るま ちで、黒 石市中町 には こ みせ が残さ れた通り があります。 こ み せ と は 、今 でい う ア ー ケ ー ドの よ うな も の で 、 商 家に と って は 欠 か せ な いも の で した。雨の日や雪 の日、夏の強い日差 しから、人々を守って くれる こみせ は、現在も 人々 に快適な空間 を与えて います。 この こみせ には 、昔なが らの造り 酒屋 等が軒を連ね 、中 には 国の重要文化 財に指定 さ れているもの もありま す。現在は喫 茶店とし て庭園でお茶 を頂くこ とができ、地 域のみな さ んの もてな しの心 も味わうこと ができま す。 こ みせ こ みせ 重要文化財 高橋家住宅 多 目 的 ホ ー ル 「 こみせん 」 温泉地で有名な大分県湯布院町で は、①独 自性 、②開 発 抑制、③ 情報発 信、④人材育 成の4つ を キーワードに 、 「観光温泉地 」ではな く「保養温泉 地」 を目指し た「 湯布院 型 」として のまち づくりや 、ま ちづく り のリーダ ーや農 業の後継 者育 成を通 じ たまちづ くりな ど、様々 な分 野から ま ちづくり に取り 組んでいます 。 Vol.16 2 岐阜県高山 市は岐阜 県の北部飛騨 の中央高 山盆地に位置 している まちで、古くか らの街 並 みが残されて います。 その景観から 「飛騨の 小京都」とも 呼ばれて います。 この古くか らの街並 みを活かし、朝市等に よる賑わいづ くりに取 り組み、市民 と観光客 が ともに楽しめ るまちづ くりを行って います。 昭和 41 年、市民が 中心となって 景観保存 の取り組みを 始め、現 在では市の市 街地景観 条 例に基づいて 、個人へ の補償、町並 み保存会 への維持管理 費補助等 を実施してい ます。 1 下二之町伝統的建造物群保存地区 周 辺 の状 況 上三之町伝統的建造物群保存地区 上三之町伝統的建造物群保存地区 歩 道 の段 差 解 消 を しました 岐阜県飛騨 市は岐阜 県の最北端に 位置して いるまちです 。なかで も古川町地区 は、白壁 土 蔵と瀬戸川・ 古くから の町並みを活 かしたま ちづくりに取 り組んで います。 明治 37 年、大火に よって市街地 のほぼ全 域が焼失して しまいま したが、町民の 熱意と 努 力により現在 の町並み が形成されま した。伝 統的建造物群 保存地区 には指定され ていませ ん が、条例やガ イドライ ン等を活用し 、町並み を保全するた め町民は 全力を注いで います。 散 水 消 雪 施 設 や 電 話 線 の地 中 化 、電 力 線 ボ ッ クス のデ ザイン への配 慮 がされ て います 瀬 戸 川 沿 いの町 並 み 白 壁 土 蔵 と瀬 戸 川 沿 いの町 並 み 古 川 町 地 区 の町 並 み 高山市・飛騨市のまちづくりの特徴は、①昭和の時代から長き に 渡 っ て 住民自らが古 くからの 町並みの保存 を主体に まちづくりに 取り組ん でいる、②町 並み・景 観 を誇りに思い 、それ を 守ろうという 意識が強 い、③観光 に頼らず 、そこに住む人 が住みよ い まちづくりに とりくん でいることだ と感じま した。 住民気質とまちづくり みなさんの 地域には 、どのような 住民気質 がありますか ? 岐阜県飛騨 市には次 のような住民 気質があ ります! ①やんちゃ:住民が一致団結し、創 意と工夫 によってひと つの目標 に向かってい く 。 ②そうば:ルールを守っていこうと する気質 を表し、ルー ルを破る ことを「そう ばく づし」と言っ て嫌われ る。 ③こうと:地味で質素ながらも上品 な気質や 品格を表す言 葉。 古川町地区で は、この ような気質と 町屋建築 を担う匠の技 が融合し 、ルールと技によ る町並みの形 成が持続 して行われて います。 みなさんの 地域の住 民気質をまち づくりに うまく活かす ことで 、持続的なまち づくり ができるので はないで しょうか。 Vol.20 3 794年の 建都から 約1200年 の長い歴 史を持つ京都。きっと 多くの皆さん が1度は 訪 れたことがあ ると思い ますが、京都 の魅力は 一体どこだと 思います か? や っ ぱ り 金閣 寺 や 祇園 祭 ( 毎 年 7月 1 日 から 3 1 日 ) など の 観 光で し ょ ! 京町家とか 伝統的で趣の ある町並 みもいいです よ! 嵯 峨鳥居本や鴨 川のよう な自然もいい ですね! などなど、た くさんの 声が聞こえて きそうで す。 ここでは、「 歴史的な町 なみを活かし たまちづ くり」につい て紹介し たいと思いま す。 昔の日本にタイムスリップしたような町並み。ここは京都市の祇園 町を南北に貫く花見小路です。ここ花見小路では、祇園の情緒ある 雰囲気を多くの人が味わえるよう町並みが再整備されました。 普段の花見小路通りの写真が無いのが残念ですが・・・、道路照明は周辺の景観 に調和されたものを、また、歩行者と自動車が共存しているのが見て取れます。歴 史的な町なみでありながらも現代の車社会も受け入れる。今の福島県だけでなく、 もしかしたら全国的な課題なのではないでしょうか? 都をどりが開催される祇園甲部歌舞練場 花見小路では 毎年4月1日 から30日ま での1ヵ月間 「都をどり」 が開催されま す。是非一度 足を運んでみ てはいかがで しょうか? 注)こちらの写真(2 枚)の複写・転載を禁じます。 鴨川の護岸工事が 1670年に完成し、 新しい堤防ができる と、急速に新しい町な みができていきまし た。憩いの場・交流の 場として評判が定着 し、都の人だけでな く、様々な国の旅人も 足を止めるようにな ったのが先斗町のは じまりといわれてい ます。 まちづくり推 進グルー プでは『元気 なうつく しまづくりの 本』 を発行してい ます。 「ま ちづ くり ?聞 いた こと はあ るけ ど、 よく 分か らな い。」と いう方!この 本を読む とお分かりい ただける と思います! 読んで見たい という方 は、まちづくり 推進グル ープのホーム ペ ージ「うつくしま、まちづくり情報発 信 局 」よりダ ウン ロー ドし てご覧くださ い。 URL http://www.pref.fukushima.jp/machi/ この電柱はとて も長く、 電線は屋 根の高さよりも 高い位置に配線 されているので す。 これならゴチ ャゴチャの電線 もあまり気にな りませんよね!? 特に、 夜間は目に 入らないと思い ますよ!! Vol.17 4 愛媛県内子町は愛媛県のほぼ中央にしているまちです。ハゼの流通で財をなした商家 が建ち並ぶ町 並み保存 を手かがりに 、白 壁と 木蝋(もくろう)の まち づくりを進め てきまし た。 今日 では 、 町 並みから村 並みそして山 並みへ をキャッチフレ ー ズと し、 農村 景観保 全や農産物の直売、農村民泊、グリーンツーリズムなどの、交流人口の受け入れ、第一 次産業の活性 化などの 取組みで全国 的にも知 られています 。 赤 いポスト がい い味 だしていますね! 八 日 市 ・ 護 国 の町 並 み 内子町には、江戸時代中期から昭和初期までに建てら れ た 商 家 や 蔵 等 が 現 在 で も 数 多 く 存 在 し て い ま す 。(商 家 と 蔵 の 数 を 合 わ せ て 89 棟 も あ る ん で す !) 当 時 の 面 影 を 残 す 建 物 が 600m に わ た り 残 っ て い るこの通りは、 「 八 日 市・護 国 の 町 並 み 」と 呼 ば れ 、昭 和 57 年 に 国 の 重 要 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 と し て 認 定されました。 内子座は 大 正 5 年 (1916 年 )に 大 正 天 皇 即 位 を 祝 って建設された歌舞伎劇場です。 大正時代の建物であるため老朽化が著しく、一時期解 体して駐車場という意見が出たそうですが、修理の気 運 が 高 ま り 昭 和 60 年 (1985 年 )に 、 大 正 期 そ の ま ま の姿に甦り現在では愛媛県内に現存する唯一の芝居小 屋だそうです。 こちら が内 子 座 です 内 子 座 の中 はこん な感 じです! 愛媛県大洲市 は四国西 南地域の玄関 口で、市 の中央を流れ る肱川を 中心に、農林 水 Vol.18 産地域、流通 ・商業の 拠点として栄 えてきま した。 特に肱川での 鵜飼いは「日本三大 鵜飼い 」の ひとつにも数 えられて いて、大洲 市の風物 詩 となっていま す。 大洲は南側の 山地と北 側の肱川に挟 まれた 、ごく狭い土地 に発達し た城下町で 、現在 も整 然とした町並 みが残っ ています。そ の趣から、「伊予の小京 都」と呼 ばれています 。 明 治 の町 並 み この通りは商家と 武家屋敷の境界に あ り 、両 者 で 好 対 象 を 見 せ て い ま す 。腰 板張りの武家屋敷 やなまこ壁の土蔵 が あ り 、通 り の い た る所に小京都の風 情をみせています。 昭和41年にNH K朝のテレビドラ マ「おはなはん」 のロケが行われた ことから「おはな はん通り」の名称 で親しまれている 江戸・明治時代の 町並みです。 愛媛県西予市 は南西部 に位置するま ちで、江 戸末期から明 治初期に かけて造られ た Vol.19 白壁や出格子 の建物が 残されたまち 並みを見 ることができ ます。な かでも、中町 の町 並みはシーボ ルトの愛 弟子である二 宮敬作や 、シーボルトの 娘であ る楠本イネら も往来し た 通りとしても 有名で、 訪れる観光客 も耐えな いそうです。 中 町 の町 並 み 中 町 の町 並 み 大洲市は、 「寅 さん」シ リーズ第19 作「寅次 郎と殿 様」の撮影場 所です。(1977年8 月公開) 実際の撮影で は、市内 中央を流れる「肱川」の河畔や、 冒 頭 で ご 紹介 し た 「おは な は ん 通り 」 な どで撮 影 さ れ たようです。 町 並 みに配 慮 され たゴ ミ 集 積 所 『車優先からトラム(現代路面電車)へ』 フランスの地方都市でも、現在の日本と同じように車社会の進展に対する対応の遅れなどに より中心市街地の空洞化が問題となっていました。 そこでフランスでは、1980年代頃から地方分権政策と車優先の交通政策の修正(路面電 車の復活)という社会変革を行い、中心市街地の活性化に大きな成果を挙げています。 日本とフランスは他の欧米諸国に比べ社会構造に類似点が多く、まちづくりにおいても参考 になることが多いといわれています。 Vol.2 フランスと日本 こんな所 が似 てい ます! ストラスブール ナン ト ト ラ ム を 導 入 す る こ と に よ っ て 、公 共 交 通 中 心 の ま ち づ く り を 展 開 し 、大 き な成果を挙げています。 ト ラ ム の 導 入 に よ っ て 、高 齢 化 社 会 へ の 対 応 ( 低 床 式 )、 環 境 へ の 配 慮 ( 騒 音 ・ 排 気 ガ ス )、 安 全 性 、 街 並 み と 一 体 と な っ た 景 観 の 形 成 、街 の に ぎ わ い などが期待されます。 ナ ン ト は 、1 9 8 5 年 に フ ラ ン ス で 初 めてトラムを復活させた街です。 歴 史 的 地 区 の 中 心 市 街 地 全 体 を 、歩 行 者 優 先 道 路 地 区 に し 、ト ラ ム と 歩 行 者 中心のアーバンデザインを実現して います。 ・中央集権的な官僚 国家 ・農業をベースとし た社会構造 ・公共事業の重要性 ・車中心の都市政策 (路面電車の撤 去) ・郊外型のスーパー マーケットが活発 な経済活動を行っ ています Vol.7 フランス・パリの街並みです。 エッフェル塔の景観を阻害する高層建築はありませんよね。 パリは超高級住宅地と言われていますが、ほとんどが6∼7階建てです。 エッフェル塔は、フランスの首都パリのランドマークとなっている塔です。フランス 革 命 1 0 0 周 年 を 危 難 し て 、1889 年 に パ リ で 行 わ れ た 第 4 回 万 国 博 覧 会 の た め に 建 造されました。 建 設 当 時 の 高 さ は 57.6m、 115.7m、 276.1m。 第 2 展 望 台 ま で は 階 段 で も 昇 る ことが可能です。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動してい ます。 あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれました。反対派の文学者 ギ・ド・モーバッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通いましたが、その理 由として「ここがパリの中でいまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だ か ら 」 と 言 っ て い ま す 。 こ こ か ら 、「 エ ッ フ ェ ル 塔 の 嫌 い な や つ は 、 エ ッ フ ェ ル 塔 に 行け」ということわざも生まれました。 … 出 典 : フ リ ー 百 科 事 典 『 ウィキペディア』 よ り ま ち づ く り 推 進 グ ル ー プ で は 、「 す ば ら し い ま ち 写 真 コ ン テ ス ト 」 を 開 催 し て い ま す 。 こ れ は 、ま ち づ く り 月 間 (6 月)を 契 機 に 、県 民 の 皆 さ ん 一 人 一 人 に 自 分 た ち の す ば ら し い「 ま ち 」(自 慢 で き る ま ち 、 誇 れ る ま ち)を 改 め て 見 て も ら い 、 こ れ か ら の 「 ま ち 」 の す が た を 考 え る き っ か け づ く り を 目 的 に 写 真 を 募 集 す る も の で 、 平 成 16 年 度 か ら 実 施 し て い ま す 。 それでは、これまでの最優秀受賞作品をご紹介しましょう! 「まちと人 」部門 「まちの風景 」部門 平 成 18 年 度 受 賞 「 蔵 と町 民 」 佐 藤 恒 雄 さん 平 成 18 年 度 受 賞 「 渡 利 水 辺 の楽 校 の夕 べ」 渋 谷 浩 一 さん 平 成 17 年 度 受 賞 「春 の喜 び」 酒井 なみさん 平 成 16 年 度 受 賞 「夢 いっぱい」 佐 藤 邦 大 さん 平 成 17 年 度 受 賞 「郡山駅前」 岩 崎 秀 夫 さん 平 成 16 年 度 受 賞 「 県 都 ふくしまの夜 」 丹 治 美 知 夫 さん ※最 優 秀 賞 ・優 秀 賞 受 賞 作 品 は、まちづくり推 進 グループのホームページ「うつくしま、まちづくり情 報 発 信 局 」よ りご覧 いただけます。 URL http://www.pref.fukushima.jp/machi/shashinshuu.html ま ち づ く り 推 進 グ ループ で 取 り 組 ん で い る事業 の 中 に 「 元 気ふくしま、 地域づく り・交流促進 事業」が あります。 この事業は、 地域のみ なさんが主役 となり地 域の歴史や文 化などの地域 資源を活 用し、持続的 成長が可 能な個性と魅 力 ある美しい地 域づくり や、交流人口 の拡大に 結びつく施策 を 各主体の役割 分担のも と、ソフト・ ハードの 両面から推進 す ることにより 、地域に 愛着と誇りを 持ち、未 来に希望が持 て る地域社会の 実現を目 指して、平成 16年度 に創設したも の で、県内各地 で実施し ています。 今 回 ご 紹 介 す る の は、 つ る の 湯 丸 の 就航で 注 目 を 集 め ている大沼郡 三島町早 戸地区での取 り組みで す。 ( ホームページで はこの他の地 区での取り 組みも紹 介していますのでぜひご覧 下さい!!) みんなの目 標 ○奥会津の文 化を生み 出した風光明 媚な 只見柳津県立 自然公園 の自然景観と オ ープンから2 年で入湯 客10万人を 達 成した早戸温 泉など地 域資源の活用 を 図っていきま す。 ○地域が主体 となって 、早戸温泉等 発着 の只見川周遊 観光船の 就航による「川 の駅」を中心とした交 流人口の拡大 を 図っていきま す。 地域の取 組み これからの取り組み ・只見川 周遊観光 船就航 ・温泉情 報誌に広 告 ・高速道 ・鉄道周 遊チケット販 売 ・只見川 流域市町 村との連携に よる ツアー ・地区の 人々と湯 治客と長期交 流 ・水鳥・ 野鳥との ふれあい ・つり情 報の提供 ・山菜採 り体験 ・いなか 料理教室 の開催 これまでの取り組み ・つるの 湯ホーム ページ立ち上 げ ( 検索サイ トで 、つるの湯と入力 し検索すると ご覧にな れま す)・屋形船 の購入 ・飲用温 泉水の売 り出し ・パンフ レット作 成 ・四季の 写真の展 示 ・イベン ト開催 こちらが力作のパン フレットです! 只 見 川 山 峡 21 景 を 紹 介 し て い ま す ( *^_^*) Vol.22 懇談会を開催しました ○懇談会の構 成メンバ ーは、早 戸温泉つ るの 湯 企業組合関係 者と早戸 地区の住民計 12名 です。 ○平成16年 度(4回 開催) 早戸温 泉を核 と した地域づく りについ て、船着場 護岸の整 備 やつるの湯H Pの立ち 上げ、飲用 温泉水の 売 り出しなどの ソフト対 策を中心に話 し合い をしました。 ○平成17年 度(4回 開催) 只見川 山峡2 1 景の命名、船の運航・PRの方法 、今後のソ フト的取り組 みの短・中・長期的展望 につい て話し合いを しました 。 懇談会の様子 つ い つ い 、 話 し に 熱 が 入 っ て し ま い ま す ( *^_^*) 【発行元】 福 島 県土 木部 都 市領 域まちづくり推進グループ 〒960 −8 67 0(住 所 記載 不要 ) TEL 024-521-7510 FAX 024-521-7956 e-mail [email protected] URL http://www.pref.fukushima.jp/machi/