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第68号 - 筑波大学

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第68号 - 筑波大学
筑波フォーラム第68号目次
漫筆漫歩
北欧の図書館巡り
植松貞夫
ある出会い
小野 基
7
芸術とオリンピック・断章
太田 圭
10
3
卒業生の眼
20代の過ごし方
阿瀬はる美
14
学生という労働力
亀山恵司
19
個人と組織−転職から学んだこと−
福田勝吉
23
世界との交流と環境整備
鈴木英一
28
世界に通用する人材が育って欲しいけれど
西田正規
32
意味のある「国際性」と意味のない「まねごと」
門脇和男
35
世界に通じるとは何か
受川史彦
39
南極越冬経験と教育の接点
池田 博
42
冷や汗が学生を育てる
石川本雄
46
教室の改革からはじまる−その戦略
西原清一
49
コスモポリタン育成のための視点
近藤文代
53
世界への学生を育てる:Q先生の思い出
小川勇二郎
57
ステップアップ戦略
白岩善博
60
国際的人材育成システムの一例
柳澤 純
65
青柳秀紀
68
Face to Face
熊谷嘉人
72
世界に通じる学生を育てるために
篠原吉徳
75
世界に通じる留学生を育てる
原田 昭
79
日高健一郎
83
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
生物系大学院生のための英語コミュニケーション能力
21世紀を創る筑波大学独自の“ひとづくり”
「
“ひとかど”の人物は世界で通用する」
世界に通用する学生を育てる
世界遺産専攻開設と今後の戦略
1
世界に通じる学生を育てる教育への提言
宮内 卓
88
病院実習の充実と生涯教育
山田信博
91
世界の人的ネットワーク構築へのストラテジー
井田仁康
94
インターフェースを持った学生を育てる
田中和世
98
An Innovative New Program:
International Business Management at Tsukuba University
Jonn Benson
101
わたしの提言
外国語教育のあり方をめぐって
武井隆道
106
主役の顔が見えない?
木村俊範
110
病院を新しくするということ
五十嵐徹也
113
教員養成の伝統を伝える
金子 守
119
私の授業:参加型を目指して
茂呂雄二
123
医学教育におけるコミュニケーション教育
前野哲博
128
文法は好きですか?
杉本 武
131
新しい半導体の開拓と新規デバイス実現をめざして
末益 崇
135
世紀を越えて∼茗渓陸上競技101年の歩み∼
永井 純
139
わたしの講義
研究室だより
学内トピックス
海外ビジネススクール事情最前線
徐 渡邉 聡
142
総合研究棟B竣工
福井幸男
146
研究と情報処理教育にオープンソースソフトウェアを
藤巻晴行
150
佐藤貢悦
154
評価する側、される側
望月 聡
155
研究評価に対する視点の多様さ
小野寺夏生
156
前号を読んで
「研究評価」
:ポジティブかネガティヴか
2
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界との交流と環境整備
鈴木英一
人文社会科学研究科教授
世界に通用する学生を育てるためには、 る。学会の際には歓迎会や近郊の観光旅行
世界と交流することが最も重要な要件の一
があり、これを機会に、多くの研究者と交
つと考えられる。ここでは、世界の研究者・
わることができる。
学生と交流するための環境整備を整備する
国際的な学会は、単に参加して基調報告
ことが重要であると考え、その一環として
や講演や研究発表を聴くだけでも研究活動
時間の確保と時間の有効利用を提案したい。 を進める際に有益であるが、更に進んで自
分の研究成果を発表することも考えられる。
海外滞在の勧め
海外の学会で発表することは世界で活躍す
博士課程研究科の学生、特に、中間評価
るための重要な第一歩である。大きな学会
論文を終えた 3 年次以降の学生は博士論文
は、発表内容を予稿集に掲載するだけでな
につながる研究を進めるためにも、また、 く、発表内容を基に書かれた論文を大会論
大学院修了後に研究者として教育研究活動
文集として刊行することもある。これは、
を行うためにも、海外に出かけて研究者や
学生にとって重要な研究業績に含めること
学生と活発に交流することを勧めたい。
ができる。
海外滞在には数日から一週間ほどの短期
滞在と数ヶ月から 1 年間といった長期滞在
長期滞在の取り柄
が考えられるが、いずれも有益な活用が可
数ヶ月から一年といった中・長期の海
能である。短期滞在の目的としては学会へ
外滞在は得ることがより一層多くなる。半
の参加が考えられ、そのついでに研究会や
年間の滞在であれば、アメリカの場合には
ワークショップなどに出席できることもあ
9 月から始まる秋学期の滞在がお勧めであ
28
筑波フォーラム68号
る。
9 月は日本では年度の途中であるが、ア
曜日の正午から1時30分頃まで開かれ、参
メリカでは秋学期が新学期であり、授業を
加者は昼食をとりながら研究発表を聴く。
受けるのに好都合である。大学院の新入生
発表内容は、近く開かれる学会の研究発表
に対する指導を最初から体験することがで
の予行演習のようにきちんとした発表もあ
きるし、授業を初めから聴講するので、内
れば、メモ程度のハンドアウトで進行中の
容の理解も容易になる。授業は学期集中・
研究を発表することもある。
Lunch Talkには
学期完結型であるので、日本の通年授業を
教員や国内外からの研究者も出席するので
一年間受講する経験を秋学期だけで味わえ
格好の勉強の場となる。
る。
一学期まるまる滞在できると、たとい単
二学期・学期集中・学期完結授業の提案
位を取得しない形での受講であっても発表
中・長期の海外滞在なると時間の確保が
や質問の機会に恵まれることは間違いない
重要になる。時間的・経済的な両面からお
し、授業に関して論文(レポート)を書け
勧めなのが新学期一学期おおよそ 4ヶ月の
ば先生は同じように指導・助言をしてくれ
中期的な滞在である。欧米では9月や10月、
る。さらに、授業に出席することによって、 アジアでは 9 月に加え 3 月が新学期の開始
同世代の学生の研究活動から学ぶことも多
という大学が多い。このような中で新学期
い。海外の学生がどのような姿勢で研究に
を海外の大学で過ごすためには、筑波大学
取り組み、実際どのように研究しているか
の教育課程を改定することが望まれる。
を身近で見ることは有意義である。
筑波大学では開学から今日まで国立大学
また、ある程度長い期間滞在すると、短
(国立大学法人)には珍しく三学期・75 分
期滞在の際に得られない、授業や指導以外
授業・通年3単位(講義・演習)という教育
の様々な機会に恵まれる。一流の研究者を
課程を採ってきている。三学期制度を二学
招いてコロキアム(colloquium)が開かれる。 期・学期集中・学期完結授業に変更し、同
これは単なる講演会ではなく、十分に質疑
時に、
75 分授業・通年 3 単位(講義・演習)
応答の時間が確保されており、発表内容だ
を 90 分授業・通年 4 単位(講義・演習)に
けでなく質疑応答も勉強になる。これと対
することを提言したい。新しい教育課程で
照的に思いつきや未完成の論文を発表で
は、一学期(前期・秋学期)が4月初めから
きる機会もある。ある大学で行われている
7 月末までの 15 週、二学期(後期・秋学期)
Lunch Talkは好例である。学生が主催し、木
が10月初めから2月第1週までの15週とし、
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
29
夏期休業は8月・9月、春期休業は2月・3月
このような変則的な事態は早急に正常化さ
となる。
90 分授業・通年 4 単位については、 れることが望まれる。また、筑波大学開学
現行の75分授業を15分延長するだけで3単
以来実施している二学期推薦(帰国生徒特
位が 4 単位になり、学生の履修授業科目数
別選抜)入試による二学期入学者の教育が
が 25%少なくなり、余裕のできた時間を学
より円滑に行うことができるという利点も
生自身の勉強時間に当てることができるよ
ある。さらに、三学期末の授業・期末試験
うになる。
と前期個別入試の監督・採点の業務が重な
90 分授業・二学期制の提言は、教育改
るという問題を回避することができる。
善の要望を求められた際に、人文学類カリ
二学期制は学期集中・学期完結授業とい
キュラム委員長をしていた1992年11月26
う制度と組み合わせることによって更に多
日に「学期制と授業時間の変更に関する要
くの重要な長所をもつことになる。最も大
望」として教育担当副学長に提案している。 きな利点は、学生が少数の授業科目を集中
この問題はこれまで何度か議論されてきた
して勉強できるという点である。例えば、
がなかなか意見の一致が見られなかったが、 現在、通年で16科目履修している学生の場
現在では新たな検討課題となっている。図
合、新しい制度では一学期と二学期にそれ
書館情報専門学群は図書館情報大学の場合
ぞれ8科目ずつを週に二コマ(2回)受講し、
と同じく90分授業・二学期制をとっている。 結果的に一年間で 16 科目を履修すること
一つの大学に二つの教育課程があることに
になる。この方式では、予習・授業・復習
は多くの問題があるので、この問題の検討
が 8 科目に集中でき、試験や単位請求論文
を早急に開始し、筑波大学の教育組織がす
(レポート)も8科目でよいことになる。
べて 90 分授業・二学期制を採用するよう
また、二学期入学者の授業履修が容易に
になることを期待したい。
なる利点もある。現在は、二学期入学者は、
夏季休業中に特別補習授業を受けて二学期
二学期・学期集中・学期完結授業の利点
の授業に臨むが、この方式は教員と学生に
二学期制の最大の取り柄の一つは年間30
多大の負担を強いるものであるが、その効
週という授業時間の確保が容易になるとい
果はそれほど大きくないと思われる。それ
うことである。筑波大学では、授業時間の
は、二学期入学者が夏休み中の限られた短
確保のために月曜日の授業を水曜日に行う
期間にすべての授業の特別補習授業を受け
といった曜日変更がここ数年行われており、 ることは時間的にかなり困難であるし、ま
30
筑波フォーラム68号
た、たとい特別補習授業を受講したとして
7 年に一度一年間の研究専念期間というサ
も、二学期授業が途中からの受講であるこ
バティカル・リーブはこのような目的で考
とには変わりがないからである。他方、二
えられているが、これを確保することは難
学期・学期集中・学期完結授業という制度
しい。特に通年の必修の共通科目を担当す
では、二学期入学者は、二学期の開始まで
る教員の場合は短期間であっても極めて困
2ヶ月ほどの準備期間があり、さらに、二学
難である。通年の必修の共通科目の場合は、
期には他の学生と同じく授業を最初から受
専門科目と異なり、集中授業による補講や
講することが可能になる。
翌年開講が不可能だからである。
さらに、上でも触れたように、二学期・
このような厳しい状況の中でも、
二学期・
学期集中・学期完結授業という制度では海
学期集中・学期完結授業という制度を採用
外との交流が容易になるという長所もある。 するなら、一つの学期にできるだけ授業を
現在は欧米の 9 月新学期の大学に留学する
行い、もう一つの学期を研究専念期間とす
場合には年度をまたいで履修する手続きを
ることが可能になるからである。欧米の大
とり、通年とはいっても変則的な履修にな
学を考えた場合、学生だけでなく教員に関
る。しかし、新しい制度では一年であれ半
しても半年であれば、秋学期がお勧めであ
年であれ、海外の大学に出かけることが容
る。
9月の新学期の開始に合わせて出かけ行
易になる。欧米の大学に半年留学する場合、 き、秋学期だけ滞在し、秋学期終了後の 12
筑波大学の一学期の終了後、夏休みの期間
月半ば過ぎに帰国するなら、入学試験など
中である 9 月に海外の大学に出かけ、秋学
の校務を勤めることも可能になる。
期終了後の 1 月に帰国できる。また、
3 月が
筑波大学で世界に通じる学生を育てる一
新学期であるアジアの大学に関しても、春
つの方策として二学期・学期集中・学期完
休みの期間中に出かけ、一学期終了後の 7
結授業という制度の確立を強く期待したい。
月に帰国できる。
(すずき ひでかず/英語学)
教員の研修時間の確保
世界に通じるような優れた学生を育て
るためには教員も絶えず研究をしていなけ
ればならず、そのためには十分な研究時間
と研究機会が与えられなければならない。
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
31
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通用する人材が育って欲しいけれど
西田正規
人文社会科学研究科
不安定社会
孫々までの暮らしを支え続けたのである。
現代社会の最も重要な特徴は、何といっ
人間は何をするにも学ばなくてはならな
てもその激しい変化にある。私の父は車の
い。自ら学ぶことも多いが、親世代から学
運転も、パソコンや携帯電話を使うことも
ぶことはさらに多い。そのようにして親世
なく一生を終えたが、この社会では、親世
代から子世代へと学び継がれる知識や技術
代の暮らしを支えた知識や経験の多くが子
の全体を広い意味での文化という。しかし
世代には時代遅れになり、あるいは、若い
現代社会における文化は子供世代の生活さ
時に学び取ったことが生涯役に立つとは限
え保証できない。激しく変化する社会の文
らない。変化の激しい不安定な社会では、 化は脆弱であり、末長く人類の生活を保証
全てがそそくさと色褪せてゆく。
しうる安定した文化はすでにない。一般に
文明社会以前の人類は全く異なる状況に
文明社会は高度な文化を持つと見なされる
あった。たとえば 180 万年ほども前のアフ
が、その意味において私は、むしろ文明社
リカに成立したアシュール石器文化は、そ
会は文化を失いつつあると考えている。
の後 150 万年間にもわたって続いた。ある
人間には知恵があるとしても、しかし人
いは縄文時代の生活技術や社会の仕組み
生は短く、個々の人間の知恵や知識は未来
は、一万年もの間ほとんど変化することが
には届かない。子々孫々にまで受け継がれ
なかった。文明以前の技術や知識は、何千
る文化がなくては、優れた知恵も霧散する
年、何万年も安定して続くことがむしろ普
ばかりである。文化を失った人類社会は、
通であった。親世代から学んだ知識や技術
また同時に未来への手掛かりを失うことに
は、
子世代の生活を保証するばかりか、
子々
なる。
32
筑波フォーラム68号
数百万年の人類史を通じて、これほど激
なからず恥ずかしさを感じてきた。受賞は
しく変動する社会は存在したことがない。 おめでたいこととしても、受賞を目標にし
まさに未曾有の事態である。だが現代社会
た研究や大学運営などというのは本末転倒
に生きる人の多くは、それをことさら異常
も甚だしい。
とも思わず、むしろ大半は、自ら進んで変
どんな分野でも未知への探求は研究の原
化の渦中に飛び込もうとする。人々は新し
点であり、それが私たちを夢中にさせる。
い知識や道具を求め、国家や企業は拡大や
研究活動への最も深い素朴な動機は、受賞
革新の道を探り、そして大学は最先端を売
や名声などとは全く関係のないところに存
り物にする。だれもが、ただ遅れないよう
在する。私は、心の底から沸いてくるその
にと力まかせにアクセルを踏むのであるが、 ような研究や教育の動機が、この大学に広
しかし一体どこへ行きたいのか。
く息づいていて欲しいと願っている。だが
頼りになる文化も未来も失った社会は、 競争的な評価は、そのような素朴な研究動
今日あしたの生き残りにしか関心を持てな
機を侵食するだろう。
くなるのは当然のことだ。覇権を巡る国家
この大学で耳にするもう一つの不愉快な
間の競争から、企業や教団間の競争、さら
事は、
「卒業生が一流企業に就職してね」な
には受験や昇進に至るまで、現代社会はた
どと自慢する態度である。そもそも学生が
えず私たちをより厳しい競争へと追い立て
どこへ就職しようと、それは本人の思想や
る。この流れのままに国立大学が法人化さ
信条、能力に関わるプライベートな問題で
れた。業績や効率に劣る大学は、教職員も
ある。大学や教員が気軽に扱うことではな
ろとも切り捨て可能になったのである。
く、ましてや自慢のネタにすることではな
い。それを教育業績としてひけらかすよう
希望
な精神は、素朴な研究の動機から最も遠い
大学を競争的環境に置くにしても、一体
所にあると思うからである。
何を目指し、何をもって大学の業績とする
そしてまた、
「世界に通用する学生を育
のか。我が筑波大学には、ノーベル賞受賞
てるための戦略」という本特集のテーマを
者を学長に据えようと考える人が多いよう
見てガックリする。我が筑波大学は、この
であるし、また、受賞者を出すことを大学
ように薄っぺらなキャッチコピーを研究教
の目標に据えてきたところがある。そのよ
育の基本方針としたいらしい。そして結局
うな大学の姿勢を見聞きするたび、私は少
は、一流企業や一流組織に就職した卒業生
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
33
の数をもって教育の業績とするのだろう。 ために、平和で安全な社会を築くために学
私には、そのような発想の低俗さが堪え難
んで欲しいと話す。単純ではあるが、学ぶ
い。
動機の原点はそこにしかない。輝くような
おそらく多くの教員がすると思うが、私
新入生の眼の光が消えるようでは、この社
は新入生への授業で、学ぶことの意味をも
会の未来はない。大学は彼らの眼の輝きを
う一度しっかり考えて欲しいと話す。大学
失わせてはならない。だが現実には、学ぶ
に合格して受験勉強の目標は達成したが、 意欲を減退させる学生がかなりの比率で存
入学後の目標を見出せない学生は多い。受
在する。
験競争は、彼らを当面の勉強に駆り立てて
目指すべき未来のイメージを持つことは、
はきたが、それが、本当の意味での学ぶ動
研究教育の場には必須の条件であり、また
機や生きる意欲を育てるとは限らない。競
魅力的な人間や組織であるための条件でも
争的な環境は人間を当面の努力に向かわせ
ある。かつて日本人はエコノミックアニマ
るが、それは鞭から逃れようとしてひたす
ルと蔑まれたが、目指すべき未来のイメー
ら走る馬と同じであり、希望に向かっての
ジを持たず、ひたすら当面の利益や業績を
努力ではない。むち打たれて走るだけの人
追うだけの人間や社会は無気味でしかない。
間には、未来も満足もありえない。
激しい変化の中で文化と未来が失われつ
それは大学も同じであろう。追い立てら
つあるとき、確かな文化を再生することは
れるのではなく、大学自身が目指すべき未
大学が担うべき最重要課題である。それな
来について明確なイメージや目標を持たな
のに、ノーベル賞や最先端を売り物にして
くてはならない。それがなければ教育や研
いるようではピンボケもいいところであり、
究など、そもそもはじめから成り立たない
若者たちが共感してくれるとは思えない。
ことである。未来の方向を指し示すことは、 大学は未来に対するビジョンを示し、それ
大学が果たすべき重要な使命であり、また、 に対するたゆまぬ努力を重ねなくてはなら
大学が示すビジョンへの共感があって始め
ない。筑波大学が、世界に通用する学生を
て学生諸君は、真剣に学ぶ姿勢が取れるの
育てたと誇れるようになるのは、その後の
だろう。
ことである。
(にしだ まさき/歴史・人類学)
責任
新入生には、人生を楽しく豊かに生きる
34
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
意味のある「国際性」と意味のない「まねごと」
門脇和男
数理物質科学研究科教授
ロシアという国
べきものである。その奇抜で斬新な発想は
最近、ドイツの友人のホームページを
今では宇宙を始めとし、素粒子から物性に
見ていたら、
Brain=made in Russia, Time=the
到るほとんどすべての分野で常識となって
most expensive tool!と書かれていたので思わ
いるが、当時、論文が発表されてから 10 年
ず「ぎくっ」とした。私は超伝導を研究し
以上もの間、全く理解されることはなかっ
ているが、この分野ではロシア人が圧倒的
たのである。
な強さを誇っている。彼らの多くはソビエ
旧ソビエト連邦が超伝導(超流動も同様
ト連邦崩壊後、悪化したロシアの経済状況
であるが)の研究に力を注いだ理由は簡単
を脱出し、ヨーロッパ諸国やアメリカに移
である。超伝導は自然現象の中で量子力学
住しているが、その勢力は衰えていない。 的な位相にコヒーレンスが巨視的スケール
昨年度のノーベル物理学賞を受賞した 3 名
で発現する希な現象であるから、自然界の
のうち、ギンツブルグ(Vitaly L. Ginzburg)
中で最も興味深い重要な問題であるとの認
とアブリコソフ(Alexei A. Abrikosov)の両
識があり、それを理解することは人類の最
氏もやはりロシア人である。
1950∼1960年
高の英知であるとの考えがあるからである。
代の業績が評価されたわけだが、師であっ
従って、核開発競争と同様に西側には絶対
た、かの有名なランダウ(Lev D. Landau)の
に譲れない国家的重要課題なのである。超
強い影響があったことは明かである。自然
伝導の研究はソビエト連邦時代には国家機
界の根底に潜む基本法則を深い洞察力に
密事項とされ、研究内容は一切公表されな
よって浮き彫りにした Ginzburug-Landau 理
かったのである。
論はランダウスクールの最高傑作とも言う
ソビエト連邦時代には優秀な人材は半強
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
35
制的に国家にとって重要な研究に従事させ
Bogolyubov)
、ゴルコフ(Gor'kov)
、シュミッ
られた。ランダウも天才であったがために
ト(A. Schmidt)
、ラルキン(A. I. Larkin)
、オ
その犠牲者の一人である。湯川秀樹氏はラ
ブチニコフ(Yu V. Ovchinnikov)らは特
1995 年、旧ロ
ンダウと合った数少ない日本人であるが、 に有名である。そういえば、
「彼は天才的だ。ランダウの前で本当のこと
シア連邦崩壊後間もない時期にロシアの
をしゃべっちゃいけない。
」と語ったという。 Chernogolovka にあるランダウ理論物理学
アメリカは60年代初頭、ロシアの科学技
研究所を訪ねたことがある。そして、運良
術の独創性とそのレベルの高さに驚き、ロ
くかの有名なランダウ研究所の金曜セミ
シアに視察団を送り、実体調査を行ったの
ナーに参加することができたのである。そ
は有名な話である。その結果として、大学
の時のエピソードを紹介しよう。
での物理教育のレベル向上のため、
「教科
セミナーは朝 10 時、定刻に始まった。一
書作り」が一大国家プロジェクトとして行
人の 30 過ぎの若い男が聴衆の前に進み出
われたのである。この施策は大成功を納め、 てロシア語で何か話し始めた。手には数枚
アメリカが 60 年代後半から 70 年代に渡り、 のメモを持っているだけである。話が始ま
ロシアとの宇宙開発競争に勝った一因とま
り数分もしないうちに、最前列から機関銃
で言われている。バークレーコースやファ
のような声が上がった。ロシア語なので意
インマンの教科書などはこの時代に生まれ
味が分からないが、何か鋭い口調で、重い
た。アメリカでは現在でもこの流れが引き
響きがある。早口の独特の巻き舌である。
継がれ、優れた教科書が次々と書かれ、世
彼は一言二言、返事をしたが、顔面からは
界各国で使われている。勿論、ランダウの
汗がしたたり始め、見る見る若い男の形相
物理学教程本は名著としてあまりにも有名
が変わっていった。片手に持っていた数枚
であり、言うまでもなく、その価値は普遍
のメモ書きはもうその汗ですっかりグチャ
的である。物理を志す学生の多くは今でも
グチャである。と、突然、彼は、背後にある
ランダウの教科書にあこがれると思う。
1 メートルほどもある高い壇上へ腹這いに
なって一気によじ登った。そして、壇上に
意味のあること
横に並べられた 4 つの大きな黒板に向かっ
そのほかにも大勢のロシア人が超伝
て、その端から猛然と数式を書き始めたの
導の歴史の中に名を残している。カピッ
である。なにやら、ランダウの自由エネル
ザ(P. L. Kapitza)
、ボゴリューボフ(N. N.
ギーの展開式のようである。式を書いてい
36
筑波フォーラム68号
る途中でまた、あの重く鋭い機銃のような
意味のないこと
質問が複数の方向から矢継ぎ早に飛んでく
小泉内閣の行政改革の一貫として政府関
るのである。それに答えながら猛烈に式を
係機関の独立行政法人化が実施され、今年
書いていく姿は異様な激しさを持っていた。 4 月から国立大学法人が発足した。明治か
世界各地で会議やセミナーを体験してきた
ら昭和初頭にかけて 9 帝国大学が設置され、
が、こんなに激しい議論のやりとりはこれ
戦後、
90 余りの国立大学が新たに設立され、
がはじめてであった。極度に張りつめた緊
国立大学は我が国の近代化とその後の発展
張感、重機関銃のような質問の嵐と発表者
に大きな役割を果たしてきた。これは大変
の全身全霊を傾けた質問に対する応対、そ
「意味のあること」であったと思う。しかし
して質問者に対する誠実な態度には驚きと
ながら、我が国の国立大学は政府の行政機
同時に感銘さえ受けた。大学院生の頃「泣
関の末端組織に過ぎず、大学の設置形態と
きを見なければオリジナルな仕事はできな
しては好ましいことではなかった。それを
い」と我が師から教えられたことをふと思
行政機関から切り離し、経営形態を独立し
い出した。確かにそのその通りだと改めて
法人化した。これは極めて的を射ており、
当時を思った。
OHP プロジェクターは横に
「意味のあること」と思う。戦後、学制が大
あるが、それを使わず、頭脳と肉体だけで
きく変わり 6334 制が導入されたときこの
勝負する。
「物理はまさに芸術だ」とその時
点をなぜ改められなかったのか、と不思議
確信した。ランダウ研究所の真髄を垣間見
なくらいである。
た気がした。私を今も強く惹きつける「何
戦後、時代は大きく変わった。国民の多
か」がそこにある。今のこの日本にはない、 くは大学で学び、そして社会へ巣立って行
意味のある「何か」が確かにそこにある。
く。今日の大学の存在意義は極めて重大で
私は芸術には詳しくないが、ロシアには
ある。独立法人化後の大学の再構築は、ま
優れた芸術家が多いことは知っている。芸
ず、国民全体としてこのことを認識し、そ
術には物理と深層部で共通する「何か」が
の上で各大学が独創性を発揮しながら進め
あると思っている。ランダウ研究所では現
るのが基本的な筋道であろう。
在でもランダウの時代から行われてきた流
ところが、現実はどうだろうか。現状で
儀が継続されているのである。まさに正真
の国立大学の独立行政法人化は、先進諸国
正銘のランダウスクールである。友人のホー
で行われている手法を単に模倣した感が強
ムページの1行に強く共感を覚えるのである。 い。このことは当初から懸念されたことで
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
37
あるが、大学の様々な規則も経営方針も、 して「国際化」の名のもとに「まねごと」を
教育や研究の方法も、予算の配分法も、あ
いま本気で進めようと言うのである。
りとあらゆることに関して、一体、どこに
本当の「国際性」とはそういうことでは
大学の独創性があるのだろうか?アメリカ
ないと思う。他国の制度や文化を理解する
の大学制度を模倣し、イギリスの評価制度
ことは確かに重要であるが、それを模倣し、
を導入して、第一級の国際的な総合大学を
それに同化することではない。それを知っ
目指しているという。幽霊のごとく実体の
て自国の独自の制度や文化を構築しながら、
ないMITやスタンフォード大学を日本に作
それを未来へ向かって継承していくのが真
る意味はどこにあるのだろうか。果してこ
の国際性であろう。その様な確固たる意識
のような日本の大学に外国の若者が魅力を
が大学人を含め、一体、この社会のどこに
感じるだろうか。
見られるのだろうか。以前にも増して経済
我が国は明治初頭から西洋文明を取り入
的に厳しくなる大学は「意味のあるまねご
れ、富国強兵策によってヨーロッパ列強の
と」すら実行出来ずに、ただ上を見ては諂
支配を回避した数少ない国である。西洋列
い、左右を見てはただ同胞意識を確かめ合
強に追いつくため、西洋文明の「まねごと」
い、下を見ては卑しい優越感に浸る矮小化
「意味
を敢えてせざるを得なかった。その結果、 が急速に進行している様に見える。
日清、日露と2つの大戦を経て、模倣した西
のないまねごと」をそのまま鵜呑みにしよ
洋文明を武器に経済大国と言われるまでに
うとしている様に見えてならない。
成長した。
明治以来100年を経て、
目標の
「富
国」は「まねごと」によって達成されたの
「何か」に向かって
である。先人は「意味のあること」をやり
意味のある「国際性」を備えた大学で学
遂げたと思う。
び、それを理解する教員と学術の頂点を極
改めて考えてみると、この100年間の「ま
めるなら自ずと国際性豊かな「世界に通じ
ねごと」は、単に「まねごと」だったので幸
る学生」が育つと信じている。押し寄せる
いであったと思う。今、世界は市場開放や
国際化の波の中にあって、
「筑波大学は何
グロバリゼーション、ボーダーレス化が叫
を成すべきか」がいま強く問われていると
ばれ、それを「国際化」として我が国でも
思う。
強く推進されている。行政改革にも多分に
その性格が含まれている。我が国は政策と
38
筑波フォーラム68号
(かどわき かずお/超伝導)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通じるとは何か
受川史彦
数理物質科学研究科助教授
世界に通じる学生を育てるための戦略と
ておけばよろしい。
の題目を頂いたが、そもそも世界に通じる
より現実的な問題は、我々が彼らの土俵
とは何を意味するのかを考えてみたい。推
に上らねばならない場合であろう。たとえ
測するに筑波大学の学生・卒業生あるいは
ば大学院を修了した後にかの地で研究職に
一般に日本の大学で学んだ学生が「国内で
就いたとして、そこで十分な活躍ができる
は通用するが世界では通じない」という仮
か。答えはもちろん「可能」である。それで
定あるいは概念が前提としてあると思われ
は、日本国内では活躍していたあるいは活
る。これは真であるか? つまり日本国内
躍が期待されたにもかかわらず、世界では
では活躍しあるいは評価されても国際的に
通用しないということがあろうか? これ
はそうではないということがあるのか? に対する答えは「否」である。もちろん個々
個々の事例ではそれはもちろん存在するで
の事例はさまざまであろうが、一般に成り
あろうが、一般的に成り立つ真理であるか
立つ真理であるとは到底思えない。少なく
と問われればはなはだ疑問であるというの
とも筆者の専門とする分野においては。
が私の意見である。
たとえば、言語の問題があろう。かの地
そもそも外国人(筆者が直接の接触のあ
ではそこでの言語あるいは英語を用いる必
るのは主に米国人であるが)は日本のこと
要に迫られるであろう。一般に日本で教育
など何も知らないのである。あるいは興味
を受けた者は外国語をしゃべることがあま
がないのである。彼岸から正当な評価など
り得意ではない。しかしながら重要なのは
できるはずがないのであって、よしんば低
行っている研究の内容の質であって、それ
い評価を受けたとしてもそんなものは放っ
を口頭で発表する際の見かけの巧拙ではな
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
39
い。もちろん発表のしかたは重要であって、 あるいは global standards の水準に達してい
内容を正確にかつ理解しやすく伝達するこ
ないということである。情報伝達の手段が
とに努力し、周到に準備することは必要で
高度に発達した現在においてはこのような
あるが、ここでは提示の仕方の巧拙という
ことがあろうとは思えないが、もし存在す
よりむしろ相手に理解させようという熱意
るならそれは学生の責任ではなくて、我々
が重要であって、外国語が一般に不得手で
研究者の側の問題である。世界に通用しな
あることあるいは我々が彼らの言語を母国
い教員からどうして世界に通用する学生
語とはしていないことが決定的な要因とは
が生まれるであろうか? よって、我々は
ならない。最も重要なのは伝達に値する内
我々の研究の質を高めることに邁進すべき
容と質を持っているかどうかである。した
である。
がって、おのれの研究の充実に励むべきで
以上極めて抽象的な議論を展開してきた
あり、もしそれが国内で評価される水準の
ので、ここからはこれから海外に出て勝負
ものであるならば、当然世界に通じるはず
しようという若者に向けて具体的な方策を
である。
伝授したい。世界に通じるためにするべき
もし通じないとしたら、その質に対する
ことは以下の通りである。
評価の基準を振り返る必要がある。少なく
1. 寡黙はいけない。自分でよく理解して
とも自然科学においては真実は普遍であり
いないことでも決してわからないな
不変である。自然の法則は宇宙のどこにお
どといってはいけない。議論に割って
いても同じである。そしてその法則は、後
入り、口を挟むべきである。その際、
になってそれ自体を含むより一般的・基本
自分の述べていることが的を得てい
的な法則が見出されるということはあって
るか否かは問題ではない。重要なのは、
も、法則が去年と今年で異なるなどという
何かを言うことであって、雄弁である
ことはない。したがって、国内で評価され
という印象を与えることである。
るものが世界に通じないということはあり
2. 針小棒大。ある研究に対する自分の寄
えないわけである。もしあるとすれば、そ
与がたとえわずかであっても、あるい
れは研究が述べているところの命題の真偽
は零であっても、その大部分あるいは
を問題としているのではなくて、研究の質
すべてが自分の貢献であるように言
の基準がむこうとこちらで異なっていると
わねばならない。謙虚さは美徳ではな
いう場合である。つまり井の中の蛙である。
い。言わなくても見るべき人は見てい
40
筑波フォーラム68号
てくれるなどというのは甘い考えで
に向けての具体策については、くれぐれも
ある。
反論のメイルなどお送りくださらぬようお
願い申し上げます。
3. 機を見るに敏。まわりをよく見渡すべ
し。何が重要な研究課題であるかを理
(うけがわ ふみひこ/物理学)
解すること。その際、過去の賢人が何
十年もかけて解決できなかったよう
な根源的な問題には決して取り組ん
ではいけない。また、独創的なものを
編み出そうとしてもいけない。他人が
苦労してやった研究のおいしいとこ
ろを頂戴し、少しだけ味付けを変えれ
ばよろしい。
4. 自信を持つこと。その量は過剰なほど
よい。自分の能力は世界一であると信
じよ。その際、根拠がなくてもよろし
い。あるいはないほうがよい。自信に
満ちた態度を見ると人は安心するも
のである。そして、能力が高いと誤解
してくれるやも知れぬ。
以上の点に気をつければ、世界で活躍で
きること間違いなしである。あなたの将来
は明るい。ただ、世界で通用しても日本で
は通用しないことは保証します。
さて、結論は以下の通りである。
世界に通じないというのは幻想である。
よって、我々は日本に通じる学生を育て
ることに努力すべきである。そのためには
我々教員あるいは研究者が世界に通じる研
究をすることが先決である。将来ある若者
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
41
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
南極越冬経験と教育の接点
池田 博
数理物質科学研究科講師
隔離された生活と人間教育
かのトラブルも在りましたが無事に立上げ
私は第 44 次南極地域観測隊地学担当越
も成功し、現在も順調に稼動しており今後
冬隊員の機会を得て2002年11月28日より
10年以上に亘って重力変化を精密に観測し
2004年3月27日まで1年4ヶ月の長期出張期
続けます。
間の内、
1 年 2ヶ月間を南極昭和基地での越
それでは、具体的に南極へ向かう航海の
冬生活を経験しました。一般社会とはまっ
様子について振り返ってみたいと思います。
たく隔離された生活を経験した訳ですが、 日本からの物資と観測隊員は砕氷艦「しら
そこで感じた人間教育との接点について、 せ」によって昭和基地まで運搬されます。
いくつかのエピソードを簡単にご紹介しな
「しらせ」は基準排水量 11600 トン全長 134
がら考えてみたいと思います。私は観測部
m全幅28mで出力30000馬力、速力19ノッ
門に所属し地学担当で重力の精密測定を行
ト、ヘリコプター2 基を搭載しており乗員
う新超伝導重力計の立上げ、南極とアフリ
は170名の巨大な船です。
2002年11月14日
カやオーストラリアや南米などの大陸間距
に東京晴海を出港し12月3日に南極観測隊
離を精密観測する VLBI
(超長基線電波干渉
員 69 名を西オーストラリアのフリーマン
計)観測とオーロラ出現によって変化する
トルで乗せて昭和基地へ向かいました。南
地電流観測が主な仕事でした。特に新超伝
極への物資は総量千トンにもなり燃料、食
導重力計の立上げはメーカー以外の人が立
料、建設資材、観測物資、雪上車などで、今
上げるのはヘリウム液化(−269℃)が可能
回はNHK放送資材も34トン含まれていま
な冷凍機を付属した超伝導重力計では世界
した。
「しらせ」は出航してまもなく暴風圏
で初めてのケースでした。そのためいくつ
に入りました。この暴風圏とは長い間、南
42
筑波フォーラム68号
極に人が近づくことを許さなかったいつ
幸いなことに私はそれ程酷い船酔いもしな
も荒れる海なのです。よく暴風圏のことを
いですみました。暴風圏を過ぎると今まで
「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と船員
の荒海が嘘のように静かな海面になりまし
の方が言われます。我々、第 44 次隊が南極
た。そして初氷山が見えるようになり氷縁
へ向かうときの揺れは最大片側30度で、南
近くになるとペンギンやアザラシなどが出
極から帰るときの揺れの方が大きく片側40
迎えてくれました。
度ほどの揺れでした。第43次隊のときは最
このような荒波を経験することは普段の
大で片側 53 度も揺れたと記録されていま
生活では考えられませんが南極へ行く前に
す。何故、
「しらせ」がこんなに大きく揺れ
行った合計1週間にも及ぶ健康診断と精神検
るのかというと「しらせ」は砕氷艦のため
査での経験がこんな荒波でも“大丈夫だ”と
に船底が“おわん”のような形状をしてい
いう気持ちを持たせてくれました。何事も事
て揺れ防止の突起物が付いていないのです。 前にいろいろな場面を想定して訓練して置
だから揺れ易いのです。その揺れを経験し
く事がいかに重要であるかを痛感しました。
てみると今までに経験出来なかったことを
つまり、大学においても学生や研究者が
実感しました。それは揺れが30度以内です
未知のことにチャレンジするのであれば十
と捕縛されていない荷物は床を左右に滑る
分な用意と訓練が大切であると特に感じま
ように走り、揺れているのを実感するので
した。そして、このような自然現象と向か
すが、揺れが30度を越えると左右に滑った
い合ったときには個人の的確な判断がいつ
荷物が反対側に滑るのでは無く、反対側に
も要求されると思いました。
荷物が移動するとき荷物が飛び上がって落
2003年12月18日、昭和基地のある東オン
ちるのを目撃しました。大事な日本酒やワ
グル島の沖合に停泊していた「しらせ」から
イン等がそれでビンごと割れてしまい中身
昭和基地へ第 1 便が飛び立ちました。基地
が部屋中に散乱してしまいました。当然、 では前次隊の第 43 次越冬隊が待ちわびて
寝ていても内臓の位置や向きが変わってし
いました。越冬隊のために生野菜や家族か
まうような感じがしました。また、うねり
ら託された手紙などが積込まれ 20 分程で
が大きい時は船首を持ち上げ一呼吸おいて
昭和基地が見えて来ました。想像していた
落下しながら波を砕く感じがします。そん
白い大地とは、かけ離れた茶色の岩場が広
なときは船独特の油の臭いが気になりトイ
がり、赤や青のプレハブ小屋が点在し、各
レとの往復をしている人も何人かいました。 種のアンテナがやたらと多い、まるで工事
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
43
現場に降り立ったような第一印象でした。
テナの取り付け作業が行われ直径 4.8m の
ここで 1 年間の厳しい越冬生活を乗り越
巨大アンテナが設置されました。インド洋
えた第43次越冬隊員は、まさしく隔離され
上にあるインテルサット衛星に送信するた
た生活の中で限られた人間との生活で普通
め通常のアンテナのイメージとは異なり仰
であれば経験できない人間教育を学んだ人
角はほぼ水平でした。作業は慎重に行われ
達だと思います。その顔色の黒さにもまし
無事に設置が終了しました。作業は順調に
て越冬隊員の人達がとても大きくたくまし
進んでいると思っていたのですが、とんで
い人間のように見えました。
もないことが起きたのです。それは肝心の
ハイビジョン放送を送り出す送信機の心臓
与えられる教育から発想する教育へ
部に当たる導波管に亀裂が入っていること
次にNHKテレビ放送50周年記念南極ハ
が判明したのです。予備として持込んだ導
イビジョン放送センターの立上げについて
波管も同様の亀裂が入っていました。やは
のエピソードを紹介します。第44次隊が夏
り、長い間、南極に人が近づくことを許さ
期間中に昭和基地で行った最大の工事は、 なかった暴風圏での荒波の試練は凄まじい
NHK放送棟、
NHK発電機棟、そしてハイビ
ものであったのです。放送開始は2月1日と
ジョン大型パラボラアンテナの建設でし
決められている。国内では大々的に宣伝も
た。世界初南極からのハイビジョン放送、 している。さて、どうしたものかNHKとし
テレビ放送開始50年記念2003年2月1日南
ては最大のピンチに立たされた訳です。そ
極・昭和基地 NHK ハイビジョン放送セン
んな中、私のところに導波管の修理依頼が
ター開局と国内ではすでに大々的に宣伝
舞い込んで来ました。偶然にも私は筑波大
が行われておりました。さっそく放送セン
学で低温実験の際に何回か導波管を修理し
ターの建設に取りかかりました。建設のプ
た経験があったのです。そこで現物(導波
ロは 3 人、他の人は建築とは関係ない分野
管)を見るとみごとにフレキの導波管が引
の企業の技術者や大学の研究者など、まっ
きちぎられていました。材質はリン青銅で
たく経験の無い素人集団です。開局予定日
厚さは 0.3mm しかありませんでした。薄肉
まで 1ヶ月しかない強行スケジュールです。 なので難しいが、作業としては銀ロウ溶接
ちょうど昭和基地は白夜で沈まぬ太陽の
しかないと第一印象で思いました。しかし、
下で建設作業は毎日朝早くから夜遅くまで
片側は真鍮のブロックで熱容量が大きく
続けられました。
1月5日にはパラボラアン
熱のバランスが難しい、それに導波管なの
44
筑波フォーラム68号
で少しでも溶接部に突起があればスパーク
からのハイビジョン放送が修理された導波
してしまい一瞬に焼切れてしまう。そのた
管を介して放送されたのです。そして 2 月
めフライス盤で精密な接合面を作る必要が
1日のテレビ放送50周年記念放送から12月
あると考えました。幸い昭和基地に持ち込
31日の紅白歌合戦まで無事にハイビジョン
んだフライス盤があり端面の加工は無事に
放送を南極昭和基地から日本へ送り出すこ
出来ました。熱容量の違いを解決するため
とが出来たのです。
の絶縁材として天然の雲母が隕石専門の越
ここで重要なのは、まさか導波管がすべ
冬隊長から昭和基地内にあったと言われて
て壊れて来るとは誰も考えていないので修
黒々とした雲母板を差し入れてもらいまし
理をする道具も材料も何も用意されていま
た。直接、銀ロウ溶接できないので溶接作
せん。つまり、すべては昭和基地にある物
業のための治具を作って作業しやすいよう
を利用し、無いものは代用品を見つけ加工
にして慎重に熱容量の違いを考慮しながら
し、自分の考えが及ばないところは他の越
銀ロウ溶接を行いました。
当然、
テストピー
冬隊員の知恵とアイデアを借りて創意工夫
スで何回もテストして本番は息をとめな
して修理作業をするしかありません。この
がら行いました。少しでも火力を間違える
ことはまさしく与えられる教育から発想す
と0.3mmしかないリン青銅が溶けてしまい
る教育への転換点のような気がします。今
ます。溶接が修了したので検査には医者の
の日本では足りない物があればネットやお
使用する胃カメラ用のファイバースコープ
店で購入し、何の意識も無く恵まれた環境
を使用して内面の接合状態と突起物が無い
で仕事をしていますが、いざ何も無い現場
か検査しました。そして最後に内面を綺麗
で起きたトラブルや問題解決に必要なのは
にするために特殊な液体を希釈して使用し
やはり与えられる教育では無く発想する教
綺麗な面を出すことが出来ました。こうし
育だと思います。そして、発想する教育に
て無事に導波管の修理を行うことが出来ま
は様々な経験と知恵がとても大切なように
した。
1 月 27 日いよいよ日本への電波を送
思います。
るテストが行われました。高画質のハイビ
私は日本では経験できない季節の変化と
ジョン画像を送るためにはアンテナの角度
南極昭和基地の自然を直に感じ取ることに
と出力の調整が重要です。徐々に出力を上
よって、
“雄大な自然は人の心を大きく育
げながらテストは行われ、テスト開始から
てる力を持っている”と思いました。
10時間後に無事に日本に世界で初めて南極
(いけだ ひろし/低温工学)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
45
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
冷や汗が学生を育てる
石川本雄
システム情報工学研究科教授
1.世界で通用する内容がまず大切
などです。
「世界に通じる学生を育てる」がメイン
しかし、学生にはいつも言っているので
テーマですが、このテーマを深く検討して
すが、一番大切なのは国際会議で通用する
きたことはありませんので、最近数年間の
内容です。英語が人より少々うまく話せて
私の体験を報告することにします。
も、発表内容がつまらなければ、
「世界で通
私の研究室では基本的には全員に修士 2
用」はしません。
年生で国際学会に出席し、英語で論文を発
表してもらうことにしています。学類 3 年
2.具体的目標を持つ
生の研究室見学のときにそのように説明し
修士 2 年生で国際学会で発表しようとす
ますので、研究室に来る学生は一応は覚悟
ると修士 1 年生でがんばらないと不可能で
してやってきます。
「英語ができないと研
す。私の研究室の M1 学生はよくがんばっ
究室には入れないのですか」と聞く学生も
ていると思っています。また、学会発表の
いるのですが、先輩の例を説明しながら、 後は、お金と相談しながら、広く見学をし
英語のエも話せなくても大丈夫と言います。 てくるようにも学生には言っています。お
これは本当のことです。
互いの相互理解こそが国際平和の基礎であ
研究室に来た学生は、普通は、自分の英
ると信じているからです。
(学生は遊んで
語では通用しないことは自分自身がよく分
くるだけですが。
)そのため、自分で色々と
かっていますから、自主的に日常的に英語
現地のことを調べ、ホテルの予約なども、
の勉強をはじめます。具体的には色々です
当然ですが、自分でします。これらのこと
が、英会話教室に行く、英会話のCDを買う、 も「世界で通用する」人になる貴重な訓練
46
筑波フォーラム68号
であると思っています。
3.誰でもなんとかなるものだ
2、
3 年前のことですが、英語が不得意と
自分で思っている学生で、実際英語を読ま
せても、たどたどしく、発音も日本語のよ
うで、国際会議の発表は本当にできるのか
とずいぶん心配した学生がいました。もち
図 冷や汗をかいて英語で説明
(USA, AIAA PDL Conf., 2003)
ろん、口では、心配ない、何回も練習して
覚えてしまえば、発表はなんとかなるし、
質問は私が付いているから大丈夫、と励ま
4.英語をどう身に付けるのか
してはいたのですが。
話す、聞く、読む、書く、の 4 つの能力が
ところが、実際の発表はすばらしく、心
必要ですが、私の経験では、
「話す・聞く」
配は全くの杞憂に終わりました。もちろん
と
「読む・書く」
はかなり違う機能で、
「読む・
何回も自分で練習した結果なのですが、本
書く」
は知識として習得できますが、
「聞く・
人も英語だけでなく今後の仕事にも自信に
話す」は知識としては習得できず、具体的
なったと思います。発表前は青白い顔で心
な技能としてしか修得できません。
「聞く・
配していたのですが、帰国後はとても良い
話す」力を身につけるため、研究室の討論
経験になったと喜んでいました。またこの
を英語にすればいいのですが、現在の学生
ような先輩の経験を聞くと研究室の後輩も
の力では本来の研究のための討論が全くで
来年、再来年は自分もがんばろうという気
きなくなってしまいます。
になって研究室全体の志気が高まります。 試行錯誤の結果、私はエネルギー・環
図の学生は上で述べた学生ではないのです
境分野の仕事をしていますので、地球温
が、冷や汗をかいて英語で説明している様
暖化問題ではもっとも重要な文献である
子です。
2003年に米国のOrlandoで開催され
IPCC2001 報告を毎週順番に少しずつ朗読、
た会議でのひとこまです。会議後はディズ
翻訳してもらっています。朗読は英語を話
ニーワールドで大いに楽しんだそうで、会
す訓練になることを発見しました。翻訳は、
議での発表も含めて非常に満足であったと
学生が英語を理解しているかこちらが把握
の感想でした。
することに役立ちます。
4年生や修士の学生
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
47
が小学生のように大きな声で朗読するのは
が必要です。英語による講義(教育)は検
いやがるかとも思いましたが、先輩もして
討課題として残っています。
いるのでいやとも言わず全員がしてくれて
(いしかわ もとお/体験的教育論)
いますし、実際 1 年ほどすると英語の発音
が非常に改善されるのを発見しました。
5.学類教育の国際化は可能か
以上、体験的「世界に通じる学生を育て
る」を述べてきましたが、これが「戦略」と
なると、話はまた別です。私は現在、工学
システム学類長をしていますが、学類(学
部)学生の教育の方策となるとなかなか困
難です。教育内容からすると、語学を別に
して、諸外国で勉強しなければならないこ
ともありませんし、諸外国から来てもらわ
なければならないこともありません(もち
ろん大学院は全く別ですが)
。
一方、
目を外に向けると、
あの多様なヨー
ロッパ諸国が、
1999 年のボローニャ宣言以
後、大学教育の統一に向けて大きく動いて
おり、また東アジアでも各国がアジア地域
における教育中心になることをめざしてい
ます。この状況のなかで我々はどうすれば
いいのか。一つは、留学生が来て良かった
と思う大学を実現することであると思って
います。工学システム学類でも留学生の意
見を直接聞くつもりです。もう一つは、日
本人学生が留学生から直接学ぶ(できれば
英語で)システムの実現ですが、試行錯誤
48
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
教室の改革からはじまる
−その戦略
西原清一
システム情報工学研究科教授
‘世界に通じる学生を育てるための戦略’
ると突然、なんと教卓の天板が台座からは
はあるのか。その前に、教員自身が、そし
ずれてしまった。学生が笑う。その瞬間、
て大学自体が世界に通じるように努めるこ
昨年もまったく同じことが起こったこと
とが先なのでは?という意見が来そうであ
を思い出した。支援室に行って念のため電
る。ならばまずは自分自身の反省から始め
池を入れ替えて、今度は学務担当の人と一
るべきかもしれないが、それに付き合って
緒に教室に戻った。
「接触が悪いのかも知
下さる方がいるはずもない。というわけで、 れませんね」と言いながら、少しいじって
ここでは、せっかくの機会なので、日ごろ
もらったら、すぐに音が出た。次に黒板に
感じていることに絡めて、いくつかの戦略
取り付けられているチョークボックスを
を提案させていただきたい。
‘戦略’という
引っ張ったら、奥のストッパーが壊れてい
以上は具体的に、しかし紙幅に納まるよう
て、中のチョークごと粉と一緒に教壇に散
にと心がけるつもりなので、表現が断定的
らばった。そうだそうだ、右のボックスは
になってしまうことはお許しください。
壊れていたんだ。次は、
OHP を使おうとし
たら、何が入っているのか知らない鍵のつ
1.ある日の教室
いた大きい箱があり、これを移動しないと
今年度 1 学期初めのある日、講義のため
スクリーンを取り出せない。ところがその
に昨年度と同じ教室に入っていった。持っ
箱の重いこと。電源コンセントは黒板の下
て行ったハンドマイクをセットして、ス
方にあるのだが、それより高い教壇によっ
イッチを入れたが、音が出ない(やっぱ
てふさがれている。しかた無いので、教壇
り?)
。教卓を叩いたりゆすったりしてい
を壁から数センチ離した。教壇というのは
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
49
重いもの、というより、そもそも教壇て動
いったのである。まるで、チャップリンの
かせるもの? それから、学生が座っている
コメディのようだが、これらはすべて本当
席を移動してもらって、旧式のOHP機器を
のことである。このような不具合が気にな
置かせてもらう。しかし、
OHP が机の幅を
るかどうかは個人差が大きいようで、ぜん
はみ出し、うまく水平が取れない。ライト
ぜん気にしないという方もおられるかもし
を照らしたら、ガラス面を汚れた雑巾で拭
れない。私はどうかというと、結構許して
いたのか、スクリーンには一面に縞模様が
しまう方だと思っている。というより、授
映った。トイレから紙を持ってきてキレイ
業をいい加減に流してしまうという方向に
にする。透明シートを映したら画面が小さ
引いてしまうので、タチが悪い。こんな環
過ぎる。が、しかし、ズームスイッチが壊
境で毎回やっていると、無意識レベルで、
れていたので、このまま授業を進める。次
教室に行くということが条件反射的にユー
は、液晶プロジェクタで正面のスクリー
ウツになってしまったりはしないだろうか。
ンに画像を写す。スクリーンは黒板横のス
たとえ教員は我慢したとしても、学生への
イッチを押せば降りてくるすぐれものだが、 影響はどうだろう?無駄となった時間だけ
惜しいかな、その位置が黒板より 1 メート
でなく、
「やる気を削ぐ」という目に見えな
ル近くもせり出しているので、前列両脇の
い損失は大きいのではないだろうか。
学生は見づらそう。同時に黒板に何かを書
授業アンケートを見るまでもなく、今期、
こうとしたが、スクリーンが中央で出張っ
学生からは教室自体の改善、空調、情報コ
ていて、狭い黒板の字は(少なくとも反対
ンセント、無線LANなどの整備の要望が殺
側の半分以上の)学生からは見えない。し
到している。よい学生を大勢集め、快適な
かたがないので、スクリーンを元に上げて、 教室環境で迎えたいものである。それには、
説明を書いては、また下ろして…、の繰り
授業内容も大切であるが、まずは、予算を
返し。また、教壇の幅が黒板の幅ほどしか
割いて、設計のよい教室を始めとして、授
無いので、端の方に字を書くとき、何度教
業環境の物理的改善が必要である。
壇から足をすべらせたことか。しかも、教
壇は床に取り付けてあるのではなく、ただ
2.成績評価の厳格化と授業改善
置いてあるだけなので、その上で移動する
情報学類では、平成 16 年度からいわゆ
たびにガタガタと音がする。
る‘成績評価の厳格化と授業改善’のため
こんな調子で、その日の授業は進んで
の新方策をスタートした。その骨子は、
(1)
50
筑波フォーラム68号
安易に評価 A を与えないということ、およ
人的には、開設科目を大きく 3 つほどのタ
び、
(2)授業においてクイズやレポートを
イプ(スキルを身につけるドリル型科目、
課すなどしてより綿密な指導を行うこと、 理論や体系や概念を学ぶ理解型科目、自分
の2点である。前者(1)については、米国の
で問題を設定し種々のコミュニケーション
GPA
(grade point average)を導入して国際ス
を援用しながら考える科目の 3 つ)に思い
タンダードに合わせることを企図したが、 切って分類してしまい、授業の実施方法も
学群履修規程等の制約もあり、中途半端な
明確に異なる斬新なやり方で行うのがよい
ものとなった。しかし、幸い学類教員の積
のではないかと考えている。
極的な協力を得て、目下、かなり厳格な成
績評価が実施されつつある。
GPA の導入は
3.英語について
すでに私学では浸透してきているが、それ
‘世界に通じる’といえば、
‘英語’という
以外でも、
例えば東大のある学部では優
(本
ことになるかと思うが、個人的には必ずし
学のA)の割合を25∼35%にするよう枠を
も本質的とは思っていない。ただ、論文が
設けているなど、先例がある。後者(2)に
理解できないのでは、勉学もままならない。
ついては、期末テストのみの評価ではどう
また、研究室に留学生がいるケースなど、
しても不正確であり、また、予習・復習を
言葉の障壁ゆえに遠巻きにしてしまい、そ
促すためでもあるが、本旨は、
‘ちゃんと勉
の留学生につらい体験を味わわせてしまう
強しようよ’という基本的な意識を持って
ことはお互いに残念である。このようなこ
もらいたいということである。そのために
とは日本のどこの大学でもめずらしくない
は、授業のレベルを受講者全体の中間あた
光景かと思われるが、そうだとすれば、国
りに合わせることが有効と考えられた。つ
家レベルの損失である。
まり、絶対評価でもなければ、相対評価で
そう考えると、学生に‘英語力をつける’
、
もない。授業レベルを適切に設定して、丁
というよりは‘慣れさせる(馴れさせる?)
’
寧に評価を行えば、おのずと成績は多様に
ということは、重要かもしれない。これに
なるという考え方である。適正な成績評価
ついては、すでに、たとえば某国立大学の
は、学生の勉学意欲を刺激するはずと期待
ある学科では卒論を英語で書くことを義務
している。
付けているし、某大学院では、一人でも留
今後の課題は、大学院の教育との連動を
学生が受講していれば授業は英語で行うと
図ること、
e ラーニングの実用、さらに、個
いう。また、某大学院のある専攻では、講
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
51
義で使用する言語を隔年で日英を交互に入
ものではない。上述したような制度的・物
れ替えている。教員も含めて、逃げられな
理的な改善整備だけでは何かが足りない。
い状況を、あえて導入しているわけである。 それは、学生を含めた大学構成員の‘やる
また、国際会議で発表する学生には、旅費
気’である。それをどう醸成するか?
を支援するなどの仕組みが学内にあっても
先に述べたように、
‘可能性あふれる学
よいと思う。
生を大勢集めて、素晴らしい教室でしっか
り学んでもらうこと’が、まず基本的に重
4.そうはいっても…
要であり、それが大学のニルヴァーナ境で
上では、
‘世界に通じる学生’とはどうい
ある。そういう意味では、冒頭の「教室の
うものかを明確にしないまま、漫然と思い
改革」は案外手始めとしては間違っていな
つくことを羅列してきた。しかし、それら
いのかもしれない。加えて、もう一つの前
のどの一つもいざ実施するとなると一筋縄
提要件の‘可能性あふれる学生を集めて…’
ではいかない提案である。しかも、
「教室を
は、入試方法の工夫、すなわち、どんな学
快適にし」
、
「世界の成績標準語である GPA
生をどのように選考するのか、についての
を導入し」
、
「授業を改善し」
、そして「英語
議論も避けられないことを物語っている。
を怖がらないように」ということが実現さ
(にしはら せいいち/コンピュータサイエンス専
攻・知識工学)
れたなら、それで即、世界に通じる学生が
育つであろうか?そうは一概に言えない
ところから本当の議論が始まるのではない
だろうか。たとえば、教室の IT 環境の整備、
電子ジャーナルの系統的な充実を含めた学
術情報の整備計画の策定、いわく、
FD、筑
波スタンダード、産学連携とアカデミック
フリーダムのバランス、
JABEE、
…。どれを
とっても重要な課題である。これらが総体
的かつ丁寧に議論され、果敢に実施されて
初めて、その結果の一つとして‘世界に通
じる学生’が育つことは言うまでもない。
そうはいっても、この小文で書き切れる
52
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
コスモポリタン育成のための視点
近藤文代
システム情報工学研究科講師
8 月に出席した国際会議に加え、オリン
はキースティックで行うそうだ。それは売
ピック、特に日本人が沢山のメダルを取っ
れるだろうか?.
.
.
」
「それは売れないだろ
たことは本稿を書くにあたっての絶好の題
う」と会場の誰もが思ったにちがいない。
材を与えてくれた。
「世界に通じる」
、
「戦略」 「速い、小さい、安い」は、現象でしかなく、
の2つのキーワードが国際会議、
オリンピッ
人々が望むものから派生する潮流ではな
クにそのままあてはまるからである.最後
い。
“convenience”
とつぶやく小さい声もあっ
のキーワード、
「学生を育てる」は教育経験
た。答えは“easy access to information”である。
およびITを使った新しい指導方法から導き
携帯電話はその良い例である。この基調講
出されよう。
演で得られたヒントから、
「世界に通じる
学生を育てるための戦略」その第一要素と
1.世界の潮流をつかむ能力
して、
「世界の潮流をつかむ能力を持った
まず、国際会議の朝食付の基調講演で得
学生に育てよう」というスローガンを筑波
たヒントは「潮流をつかむ」能力を養うこ
大学として掲げよう。
とである。
「コンピュータや情報産業での
これまので潮流は何か」と講演者の問いか
2.英語を使う機会の提供
けがあった。
「速い、小さい、安い」ことに
世界の潮流をつかむにはグローバルな情
関してこの業界では現象となってきてい
報収集や意思決定の際に必要な言語能力が
る。しかし、
「これからの潮流の本質はなん
戦術的に必要である。オリンピック選手は
だろうか?ヒューレットパッカードがカー
英語ができなくても、世界に通用する技術
ドサイズのコンピュータを作ったが、入力
をもっていればよい。しかし、アカデミッ
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
53
クの世界ではそうはいかない。そこで、使
ローガンであった。練習や本番で辛いとき
える英語を学ぶ機会を学生に与える必要が
などそれが頭の隅にあり、頑張れたそうで
ある。つまり、英語を使う場所を提供しな
ある。世界のトップにある人は常に限界に
ければならない。日本人の英会話能力は他
挑戦するのが宿命であり、孤独である。そ
国人に比べて劣っているといわれている。 れに耐える力を与えてくれるのが「チーム
英語を使うというモチベーションを高め、 としての精神」である。つまり、個人的な
実際に英語を使う場面を多くしよう。
不安も「チームとしての精神」は解消して
くれるのである。戦略の第三要素として
3.協働できる能力
「チームとしての精神」を挙げよう。ビジネ
アテネオリンピックを最初にテレビで見
スの世界ではメーカーや流通間での「協働」
たときはアメリカにおり、アメリカ選手の
など、
“collaboration”という言葉が最近良く
オリンピックの成績やインタビューばかり
使われる。これは明らかに自分ひとりでや
を見続けることとなった。その中で興味を
るよりは誰かと上手に「協働」することに
ひいたのは、アメリカの女子体操のチーム
より、より成功を収めることができること
が銀メダル獲得は“team spirit”という戦略
を示唆している。
「チームとしての精神」を
をとった結果であるという報道であった。 培う、つまり、学生に「適切な協力者を探し、
ルーマニアの女子体操は世界的にその実績
明確な目標を立て、そして協働で達成する
が認められているが、選手が小さい頃から
こと」を教えることは意義のあることであ
共同の生活をしており、
“team spirit”がその
ろう。これは実習などを通して教えること
強さの源であるとの解説があった。同様に
が有効であると思われる。
アメリカの水泳男子リレーでもメダルを取
れたのは
“team spirit”
であるとの解説があっ
4.基本をきっちり教えること
た。
今回、日本の男子体操団体で金メダルを
奇しくも、日本に帰ってきてから、日本
取れたのは基本をきっちり教え込んでいる
の男子体操団体で金メダルを、また、水泳
からであると新聞の記述があった。ルール
男子ではメドレーリレーで銅メダルに輝い
や種目が変わっても、基本さえしっかりし
たのであるが、その中のインタビューで印
ていればどんなに状況が変化しても対応を
象的だったのは「アテネの空に日の丸を掲
できるということである。世の中が目まぐ
げよう」というアテネオリンピックでのス
るしく変化し、知識がすぐに陳腐化する時
54
筑波フォーラム68号
代において、
「寿命の長い知識をきちんと
るしかない場合に、自分で育つのである。
教えること」が非常に大切である。戦略の
しかし、その時に必要なものは良い教育環
第四要素として、
「基本をきっちり押さえ
境である。昨今のIT技術、特にTV電話を駆
たカリキュラムで、しっかり教えよう」を
使して、学生が勉強したいときに勉強でき
掲げたい。これまでの筑波大学での 4、
5年
る教育環境を作ることが必要になってくる
の教員生活の間で学生から聞いたことでは
であろう。
NOVA などでは、英語、算数、
PC
あるが、学生は異なる科目で、同じような
スクールではコンピュータの授業を現実に
時期に、同じような内容の授業を学んだ経
TV電話を使って行っている。大学入学後の
験があるとのことである。同じ内容を複数
基礎的な勉強はこのようなシステムにより、
回指導されれば効率が悪く、深いレベルま
システマティックに行えば、労働集約的な
で習熟しないうちに学期が終わってしまう
教育から、資本集約的な効率的な教育に抜
こととなる。各クラス間でシナジー効果が
け出せるであろう。そして、特に重要な部
生まれるように有機的にカリキュラムを編
分のみを教員が教えることにすればよいこ
成し、教育水準を高めることが必要であろ
とになる。
う。また、学部のある科目のレベルに到達
していなければ大学院生でも、レベルに応
6.市場機会の利用
じて学部の授業をとるようにしてはどうか
最後に、私は授業でマーケティングサ
と思う。私自身、修士課程で分野を変えた
イエンスを教えているのであるが、マーケ
ので、学部の授業を2科目とったが、今でも
ティング的に考えた場合、欠かしてはなら
それは正しい教育方法を受けたと感じてい
ないのは市場機会の分析、
SWOT 分析であ
る。
る。
SWOT 分析とは strength
(強み)
、
weakness
(弱み)
、
opportunity
(機会)
、
threat
(脅威)の頭
5.学生の育つ力を引き伸ばすための教育
環境の整備
文字をとったものである。まず、筑波大学
の強み、弱みを考える。つぎに、これらに、
「育てる」ための戦略として「学生の育つ
(1)独立法人化、
(2)つくば新線開通、
(3)
力を引き伸ばそう」というのが戦略の第五
3 年次終了後、
4 年次より大学院進学という
要素である。私の個人的な育児体験の中で
「機会」と、競合大学からの「脅威」を加え
得たものは、
「手を掛けない方が子供は育
て、上記の戦略要素を考えあわせ、
「世界に
つ」というものであった。子供は自分でや
通じる学生を育てるための戦略」として完
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
55
成する。
性が大きくなる。学生個人やその親にして
つくば新線開通により、平成18年度より
みれば、
1 年間分、費用と時間が浮いたので
筑波大学は明らかに都内の私立大学と競合
あるから、早く卒業するより、より能力を
するようになることが挙げられよう。秋葉
高める方が良いと考えるであろう。
原から 1 時間強で来られる筑波大学は今の
以上、世界に通じる学生を育てるための
ところ、学費は私立大学より安い。そうす
要素をまとめると、次のようになる:
(1)
ると、
これは
「強み」
になり、
良い資質を持っ
世界の潮流をつかむ能力、
(2)英語を使う
た学生が沢山来るようになり、基本をきっ
機会の提供、
(3)協働できる能力の育成、
(4)
ちり教えることにより研究者として世界に
基本をきっちり教えること、
(5)学生の育
通用する学生に育つようになるかもしれな
つ力を引き伸ばすための教育環境の整備、
い。また、つくば新線開通時には各企業に
よる様々な広告が流れるであろうから、そ
(6)市場機会の利用。
これらの要素を総合的に考えた場合、一
4年次より大学院博士課
の際に大きなプロジェクトを打ち上げれば、 つの具体案として、
シナジー効果により、筑波大学の宣伝効果
程へ進学した学生が初年度に利用できる交
はかなり大きくなるであろう。
換留学という制度を設ける案が考えられる。
独立法人化という面で、授業料の値上げ
また、筑波大学の強み , 弱みについては上
をしなければならない状況が生まれれば、 記ではあまり考慮されていないが、この要
私立大学と十分競争できるように建物は冷
素を加えれば、さらにより良い選択肢が考
房設備が完備している立派な建物が必要に
案されるであろうから、本テーマに関する
なり、経費がよけいにかかるようになるか
アイディアはこのくらいにして本稿を終え
もしれない。
たいと思う。
4 年次より大学院博士課程進学というこ
とで、その最初の一年次に交換留学という
制度を設ければ、かなりの英語能力が養わ
れ、国際的なセンスのある学生が早い時点
で育つのはいうまでもない。もともと最優
秀な学生であり、博士論文を書くにしても、
英語能力があり、他の学生より広い経験を
もつのであるから、良い論文が書ける可能
56
筑波フォーラム68号
(こんどう ふみよ/計量ファイナンス・マネジメ
ント)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界への学生を育てる:
Q先生の思い出
小川勇二郎
生命環境科学研究科教授
「海外で通用する研究をするように」と
Q先生は、私たちの学年の「進論」の指導
「進論」とは、卒論に入る前の
は、一言も教えない。しかし、それでいて、 教官だった。
その先生からは、毎日接するごとに、ひし
学年の、つまり3年次生の夏休みに、教師と
ひしとそのことが伝わってきた。私が教養
学生(10名ばかり)が、寝食を伴にしながら、
から学部へ進学した3年次生だったとき
(昔
地質野外調査をすることであり、現在では
は、一般に、教養課程と学部課程がはっき
ほとんどの大学でなくなってしまった制度
りと分かれていて、それは旧制高校のなご
だが、やはり、これも、当時を懐かしむ声
りだ、との理由からか、大綱化、アーリー
が強い。一般に、時代の流れに逆らえず消
エクスポージャーなどの流れの中で、消え
えてしまった制度に、復活すべき制度が多
て行ってしまった制度であるが、今でも、 いのは、なぜだろうか?
そのころ教育を受けた人からは、強く支持
そのころ、日本の地質学の教育で、世界
されている教育課程ではないだろうか?)
、 的だと言われていたことが二つある。それ
Q 先生は、講義でも、おれが世界一だ、と
は、学部レベルでの偏光顕微鏡を用いた岩
は言わなかった。しかし、次の年、アポロ
石薄片鑑定能力であり、もう一つが、複雑
11 号が月に行って、岩石を取ってくると決
な地質構造の場所での地質調査能力である。
まったとき、
Q先生の研究室が、その岩石を
そのどちらも、それを身に着けて卒業して
真っ先に研究することに決まったのである。 いった理学部の地質の学部卒業生が、世界
身をもって教える、という言葉がある。ま
に出て行って、全く引けを取らないばかり
た、その人の背中を見て育つ、という言い
か、現地の多くの人々を指導し続けたとい
方もする。
うことが、言われている。
Q 先生は、その二
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
57
つの能力を、学生に徹底的に仕込んだ。ま
たのではない。また、誠心誠意の人、単刀
だ、地質の「ち」の字も知らない学部生に
直入の人だった。すこしばかりおどけ者で、
である。我々は、密かに毎日の苦痛からど
小さな失敗はよくあった。
でも、
すぐに謝っ
うやって逃れるかを考えた。でも、妙案は
ていた。自分の欠点を隠そうとはしなかっ
なく、ともかく進論を提出するまでがんば
た。こわい人であると同時に、子供のよう
るほかないと思い、各班ごとにともかくや
なところのある人だった。
(神田の生まれ
り通すことにしたのである。そのとき、
Q先
そのものだった。
)彼よりも頭脳明晰な人
生は言った。
「露頭に立って、分からないと
はいくらもいたかもしれない。しかし、頭
いうことのないように、とことん考えなさ
を非常によく使っていた。彼の弟子のある
い。
」炎天下の夏の暑さで、生存さえ危ぶま
先生が、
Q先生ほど、頭を使う人はいないと
れる状況にもかかわらず、頭を使うなどと
言っていた。つまり、努力の人だった。そ
はとても考えられないのに、と思ったもの
のあたりが、学生から敬愛される理由だっ
だ。しかし、
Q 先生は、それを見本で示した。 たかもしれない。
川の向こう岸に露頭があれば、自らパンツ
その当時の岩石学は、野外で見られる実
一つになって泳いで行き、そこを自分の目
際のありさまをどのようにして実験で示す
で調べた。今でこそ思えば、そのような態
か、
Q先生の分野では、ある深さで生じるマ
度が、世界一であることの自信から来る、 グマがどのような条件で生じるかに絞られ
先生の確固たる教育方針だったのだろう。
ていた。地殻やマントルの温度と圧力や、
我々はその 1 年後、卒論の研究室に入り、 その他の条件がどのようなものである場合
多くの者がさらに大学院に進んだ。私は Q
に、どのようなマグマが生じるかを実験で
先生の講座には行かなかった。しかし、そ
示し、それが、また野外での産状を示すこ
1対1のいわゆる実証がなさ
この先輩や研究者は、全員外国に留学し、 とができれば、
何人かは、外国の大学や研究所の教授や研
れる、という点にあった。
究者となって行った。その研究室には、毎
Q 先生は、当時まだ、海洋がどのような
日世界の情報が集まるようだった。ファッ
ものであるかがほとんど分かっていない時
クスもメールもない時代だったのに。その
点で、アメリカの学者との交流を通じて、
結果の一つが、最初の月の石の研究である。 ポイントを押さえていた。当時(1960年代)
Q 先生は、豪放磊落で、しかも闊達な人
は、荒唐無稽として退けられていた、海底
だった。しかし、泰然自若としてばかりい
下に蛇紋岩がある、という説も、プリンス
58
筑波フォーラム68号
トンの H. H. Hess との交流で知っていた。 だった。私は、当時の Q 先生と同じ年齢に
会う人ごとに、君はどう思うかねと聞いて
なって思う。世界レベルの研究をしている
いた。それが、
20世紀も最後の時期に、現実
だろうか?と。学生を国際級に育てる、な
にあることが、海底下の研究で判明したの
ど、掛け声だけでできるものではない。私
である。まさに、半世紀近くもかかって証
は、はっきり思う。教育に政治は不要だ、
明された説である。先の、マグマの生成条
重要なのは、人間だ、と。
件についても、当時出版された唯一の地球
(おがわ ゆうじろう/地球進化科学)
科学書に、
Q 先生は最近の成果という最終
章を設けて、野外と実験との接合点を解説
した。そして、近い将来高圧実験が進めば、
このようなことが判明するだろう、との予
測をあえて書いた。さらに、もしこの原稿
があと 1 年後に書かれたら、その内容はさ
らに変わったものになっただろう、
との
「予
言」まで、していた。案の定、実際そうなっ
た。
(予測能力は、科学者の最も大切な能力
の一つである。
)
Q先生は、アポロ11号が最初に月面に着
陸し、
2人の宇宙旅行士が月面地質を調査し
始めたとき、
TV 出演していた。
Q 先生は TV
に向かって言った。
「ああ、あの石を取って
きてくれたら。
」それが、最後の言葉になっ
た。まさに、壮絶な殉職であった。生き急
ぐという言葉があるが、我々は、
Q先生の人
生全体から、研究者としての態度を学んだ
のであった。
Q 先生は、いわゆる戦略というような、
恣意的・政治的なことがきらいであった。
それでいて、学生が自然に育っていくよう
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
59
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
生物系大学院生のための英語コミュニケーション能力
ステップアップ戦略
白岩善博
生命環境科学研究科教授
エピソード
なかったケースがいくつかあり、一部の外
5 月にある国際会議が日本で開かれた。 国人参加者が不満を持っていたという事情
公用語は英語で、参加者 200 人程度の小さ
があった。発表者の研究成果が素晴らしい
な学会であるが既に 20 年以上の歴史があ
程それに対する嫉妬と得ようとする情報が
る。その会議の席上で実に「珍しい発言」
うまく引き出せないイライラが重なり尚更
があった。アメリカ人の座長がセッション
不満が高まることになるようである。想像
に先立ちこう述べたのである。
「我々英語
するに、前の晩に飲みながらでも「日本人
を母国語とする人間は、日本人に感謝しな
の英語」についての議論が一部で盛んだっ
ければならない。なぜなら、彼らが英語を
たのだろう。くだんの座長はそのような状
話すために多大な努力をすることによって
況に対して意見を述べたものと思われる。
この会議が成り立ち、多くの研究情報が自
似たようなケースはどの国際会議でも見ら
分たちの語学習得の努力なしに得られるか
れるが、座長がわざわざマイクを持ってこ
らである。
」
のような発言をするのは大変珍しい。
読者の皆さんは、この言葉をどう聞き、
どのような感想をもたれたでしょうか?読
生物学における英語の必要性と現状
者の専門分野によっても異なるかもしれま
英語が共通語となってきているのは世の
せんが、多くは複雑な心境になったのでは
趨勢で、生物学も例外ではなく、英語の読
ないでしょうか?実は、この話には伏線が
み書き能力や会話能力無くしては生物学は
あり、前日までの日本人発表者が会場から
できない。最近は、多くの大学院生が気軽
の質問に十分答えられず満足な議論ができ
に国際学会に参加するようになったことに
60
筑波フォーラム68号
よって、大学院生の語学力の向上も重要な
な要素となるものと認識している。
課題となってきた事情もある。
1980 年頃ま
では大学院の入学試験には第二外国語試験
生物系2専攻(構造生物科学専攻、情報生物
があった。生物学ではドイツ語が主流で、 科学専攻)の英語教育基本戦略
学生同士の会話でもドイツ語の単語を織り
(1)大学院必修英語導入戦略:
まぜて話すのが粋な学生の証であった。し
語学教育が一朝一夕になるものではない
かし、第二外国語の習得にあまり興味のな
ことは自明である。そこで、学類との密な
いアメリカ人が生物科学をリードするに
連携が鍵となる。生物学類では基礎科目と
つれて(?)
、英語しか通用しない世界へと
しての英語を必修とし、専門課程に進んで
徐々に変わってきて、もはや日本の生物系
からは専門英語として外国人教師および生
大学院入試でも第 2 外国語を課している大
物専門教員による授業が各学年で実施され、
学はもうなく、英語一色の世界へと変わっ
比較的充実したカリキュラム構成となっ
てしまった。このような状況を反映して一
ている。このような学類での英語教育カリ
部の学生の英語力は随分良くなってきてい
キュラムを受けて、大学院生物系2専攻(構
ると思うが、平均的学生のそれは残念なが
造生物科学専攻、情報生物科学専攻)では、
ら低下傾向にあるように思う。国際化の時
平成15年度から大学院の必修授業として外
代となり、留学生が身近にいるケースが多
国人教師R. Weisburd博士による学術論文の
くなったこと、帰国生徒など外国生活を経
書き方、生物学セミナーおよび Presentation
験した学生が格段に増加していること、学
of Scientific Informationを開講しており、学生
生といえども外国旅行の経験が増加してい
の評価も高く、今後とも継続する計画であ
ること等により、大学で英語を話す機会は
る。
格段に多くなっていると思うのに不思議で
ある。筑波大学においては、受験英語の成
(2)入試改革による戦略
果で読み書きについてはある程度の能力は
平成19年度大学院入試(平成18年8月実
培われており、学類入学後に長い空白期間
施)から、専攻独自で作成する外国語試験
ができないようにさえすればある程度の英
を止め、代替としてTOEICもしくはTOEFL
語能力を維持していける状態にあるものと
のスコアによってその英語能力を判定する
思う。この意味で学類との密接かつ有機的
ことに決定し、既に専攻ホームページ上で
連携が大学院生の英語能力維持には不可欠
通告済みである。本入試改帯の目的は、大
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
61
学院受験者に対して入学前から英語能力の
(4)学生交流協定活用戦略
重要性を認識させ英語の勉強を継続的に行
生物学類ではマンチェスター大学との学
う習慣を付けさせること、および、満足で
部間交流協定を延長し、学生の派遣や受け
きる点数が得られるまで何度でも受験する
入れを通じて英語能力のみならずいわゆる
機会を与え、一発勝負的な英語能力判定を
国際感覚も身に付ける機会を積極的に提供
回避することによって、英語の点数の高低
している。このような学類での活動を大学
によって合否が決定されるデメリットを回
院においても共同して活用し、大学院生の
避する目的がある。また、従来の筆記の外
交流まで広げることができれば更に有効と
国語試験ではできなかった「Oral-Hearing能
考えている。勿論留学生に対して魅力ある
力」の向上を要求することにも特徴がある。 カリキュラムの提供は当然としながらも、
その結果、学類生および大学院生の双方に
「留学生を引き受けて英語で会話しなけれ
その重要性を認識させることができること
ばならない状況を作ることが、日本人学生
は、大きなメリットである。
の英語能力向上に有効であろう」との期待
もある。当生物系2専攻においては、多くの
(3)アウトソーシング導入戦略:
留学生が学んでおり、学生相互の交流成果
平成15年度から、生物学類で英語教育専
が期待されるところであるが、日本人学生
門業者へのアウトソーシングによるTOEIC
の英語能力が上がる前に、留学生の日本語
講座が開始された。さらに、平成 16 年度か
上達が速く、こちらの期待通りとはなって
ら、
TOEFL 教室を主宰する LINGO L, L, C,
いない。
の林功代表(Master of Arts、ワシントン大
オランダやドイツでは英語による大学院
学)を非常勤講師として依頼し、大学院生
授業が行われている。このようなことが日
および生物学類生の両方に対して積極的な
常的に行われれば大学院生の英語能力が上
TOEFL 教育を始めたところである。これら
がるのは当然期待できようが、多くの場合
の教育システム導入によって、英語コミュ
教員と学生の双方の多大な努力が必須のよ
ニケーション能力向上プログラムの提供を
うに思える。ヨーロッパの学生は地理的な
開始している。また、このような正規の授
利点もあり、英語が上手い。英語のみなら
業のみならず、双方の連携による特別講習
ず 2-3ヶ国語を話すことはそう稀ではない。
会の実施も選択肢の一つとして加える計画
フランス人やイタリア人の発音は非常に聞
である。
きとりにくいが、聞き取りは充分にできて
62
筑波フォーラム68号
いるのが特徴であろう。学会などでは、多
大学院生に対する英語教育の目的は明確
くの場合、聞き取りがうまく行かず、質問
に 2 つある。一つは研究上日々要求される
が分からずに答えに窮する場合が多い。陸
情報交換のためのツールとしての重要性で
続きのヨーロッパ諸国と同じ状況を日本の
あり、もう一つは大学院修了の基本的要件
大学で作ることは当然難しいが、何らかの
として期待される基礎学力的な国際言語習
対策が必要であろう。
得能力としてのそれである。
以上を総合的に考えると、英語は強制的
一方、日本における就職や入社後に課
要素を入れて鍛錬するのが必要ではないか
される英語テストは TOEIC であり、
TOEIC
と思うが、本人のモチィベーションを高め
に対する取り組みも必要である。
TOEIC は
なければその効率をあげることができない
TOEFL 作成会社に日本側組織が依頼して
のは自明である。したがって、魅力ある教
日本人向けのテストとして20年程前に発足
育プログラムを用意して学生の自主的取り
したものであるが、今や受験者数は韓国の
組みを待たねばならない。
方が多くなっているとのことである。日本
の企業の多くは昇格の条件として、
TOEIC
「生物科学英語特別講義」の開設
の基準点を設けているようであり、ある一
1 単位 15 時間の集中講義として、生物科
定点数を取得していないと管理職には成れ
学英語講座を実施する。内容は実践的な
ない時代が既に来ているのである。
「高度
TOEFL 講座で、
「CBT TOEFL213 集中実践
職業人養成」を掲げている大学院では、在
講座」と銘打って、
TOEFL 213点の取得を目
学中に一定の点数を修了要件の一部として
指す指導内容である。
TOEFL213 点は、アメ
課すくらいのことはやっても良いのではな
リカの大学に入学するために要求される最
いだろうか。事実、一部の国立大学法人で
低の点数である。もちろんこの程度の点数
は既に実施に入っているとの情報がある。
をクリアしている生物系学生は既にいるが、
全員がこの基準を満たすものとしてこの点
提言
数を目標値に設定した。私が知っている筑
語学はいくら教え込もうとしても好き嫌
波大学生物学類生の TOEFL
(CBT)最高点
いや能力差があるという意見は十分理解で
は 297 点であるが、これは例外的な例であ
きるが、ある程度の会話能力を身につけさ
り、多くの大学院生はさらなる努力が必要
せるにはノルマを課して「嫌でもやらせる」
である。
ことも必要であると考えている。いつのこ
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
63
ろからか教育する側がいやに物わかりが良
くなり過ぎて、
「もし良かったら勉強して
下さい」等という自由選択的教育の風潮が
強くなっているように思える。しかし、教
育する側が「大学院を修了する学生は、こ
れくらいは必ず身につけるべきである」と
いうハイレベルの要求や、
「10 年後に感謝
される過酷な要求」を、自信を持ってもっ
と学生に課しても良いのではないだろうか。
山口大学では「TOEIC を利用した英語教
育」が先の教育 COE として採択され、世の
中の情勢も既に変化してきている。我々は
既に以上のような「英語が話せる生物系大
学院生養成のための教育プログラム」の実
施に向けて既に走り出しており、このよう
な取り組みに対して、大学当局の理解と支
援を切に期待する次第である。
(しらいわ よしひろ/情報生物科学)
64
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
国際的人材育成システムの一例
柳澤 純
生命環境科学研究科教授
今回の特集タイトルは「世界に通じる学
発信する情報は、多くの場合研究によって
生を育てるための戦略」である。戦略を立
得られた成果であろう。研究成果を得るた
てるためには「世界に通じる学生」を定義
めには、研究分野の現状を把握し、自ら疑
する必要がある。そこで、本稿では「世界
問を持ち、その疑問を解決するための計画
に通じる学生」を1)自ら情報を生み出し、
2)
を立て、その計画を遂行するといった「問
生み出した情報を世界に向けて発信するこ
題解決能力」が必要となる。したがって「世
とが出来き、
3)発信した情報に対する世界
界に通用する」ためには、まず、情報収集
からのフィードバックを理解し、
4)フィー
能力・計画性・論理性・行動力などを研磨
ドバックに基づいて自ら生み出した情報を
し、受動的ではなく能動的に物事に対処す
深化・発展させ、
5)これらの過程を通して、 る訓練をする必要がある。このような訓練
世界の発展に貢献できる学生、と勝手に定
を学部の講義で行うには限界があるため、
義したい。私の場合は、分子生物学分野で
実際には各研究室において学生に対し、研
研究を行っているので、このような定義づ
究テーマを通して自ら行動し、問題に取り
けを行ったが、他の分野でもだいたい同じ
組む姿勢を身に着けさせることが重要であ
ような定義内容になるのではないだろうか。 ろう。このような教育を研究室で行うため
には、教官の雑務の軽減、数の充実、ポス
1.情報の創出
ドクなどの起用が大切である。
「世界に通じる」ためには、世界に向けて
情報の創出にあたっては、その質の高さ
発信するための情報の創出が必要である。 が求められる。情報の質の高さは、大部分
ここは大学であるから、学生や大学院生の
がオリジナリティーとニーズの大きさに依
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
65
存する。例えば、今日朝飯に自分がなにを
い。このような一連の過程が出来てはじめ
食べたかという情報は、ほとんどの人が知
て「世界に通じる∼」ということが出来る。
らないという点でオリジナリティーが高
このように世界に対して自らのテーゼを示
いかもしれないが、世界に向けて発信して
し、討論をするためには、早くから国際舞
もニーズがないために反響を得られない可
台で研究発表し、経験を積むことが大切で
能性が高い。情報を、研究を通して創出す
ある。
るのであれば、
「情報の質の高さ」は「研究
成果の質の高さ」に置き換えることが出来
2.
21世紀COEにおける国際的人材育成戦略
きる。すなわち、
「質の高い研究」とは、オ
ここで最大の問題となるのは、このよう
リジナリティーとニーズの双方において高
な定義に照らし合わせると、私自身が「世
いレベル持っている研究であると言える。 界に通じる教授」とは言えない(声を大に
したがって、
「世界に通じる」ためには、教
しては言いにくい)ということである。
「世
官と学生が協力し、今後の国際的な研究の
界に通じる学生」を育てるためには、まず
「核」となるような研究目標を策定・計画
「世界に通じる教授」を育てる、そんな時間
して遂行することが必要である。そのため
がなければ、
「世界に通用する教授」を採用
には、教官は学生とともに常に世界最先端
するための優れた人事方針と戦略が必要で
に身をおき、新たなテーマに挑戦する姿勢
あろう。教官自身も世界に通用する人材と
を保たなければならない。
なるべく日々の弛まぬ努力が必要である。
発信した情報のインパクトが高ければ、 筑波大学では幸いなことに、自分がさほ
その情報に対してさまざまな反響が返って
ど世界に通じていなくても、周囲に「世界
くることが予想される。研究の場合には、 に通じた人々」が数多くいる。このような
国際学会での討論や投稿論文に対するコメ
先生方と組織だって学生の教育を行うシス
ントのかたちでフィードバックがもたらさ
テムを構築すれば、効率よく国際的人材を
れる。まずは、このようなコメントを読み
育成することが可能となる。一例として、
解く言語能力が必要である。さらに自らの
私の所属している 21 世紀 COE の国際的人
テーゼに対するアンチテーゼを理解し、討
材育成システムについて説明させて頂き
論することによって、テーゼを深化させ、 たい。私の所属する COE では、独自の仕組
さらに確実で質の高い情報を世界に向けて
みとして,
(i)
「若手研究者支援」
(マッチン
発信し、国際社会に貢献しなくてはならな
ググラントシステムとPDプログラム)
,
(ii)
66
筑波フォーラム68号
「アーリーイクスポージャー
(早期暴露)
」
, 師・COE 博士研究員が各々の研究の進捗
(iii)
「ジュニアサポートシステム」
(大学院
状況を発表する(2 日間)
。また、学振特別
生国際学会発表支援)の 3 点を積極的に実
研究員(DC1、
DC2 や PD)の研究発表練習
施している。
の機会とするとともに、
(ジュニアサポー
「若手研究者支援」では、マッチンググラ
トシステムによって海外の国際学会で発表
ントシステムと PD プログラムシステムが
した)大学院生に成果を報告させている。
あり、研究費などの金銭的サポートと同時
本シンポジウムの狙いは、とかく閉鎖的に
にポスドクの採用を積極的に行なっている。 なりがちな研究室の壁を取り払い、若手研
ポスドクは、研究の要であると同時に、研
究者と学生が自らの研究を通して交流する
究室における学生教育においても極めて重
ことにある。この交流によって多くの学生
要な役割を担っている。
「アーリーイクス
が、目標とする「先輩」を見つけ、また、切
ポージャー
(早期暴露)
」では国内外の一流
磋琢磨する「ライバル」を見出すものと期
の研究者はもとより、ベンチャーの経営者
待している。また、学生と若手研究者主体
など様々な分野で活躍している方々を講師
でシンポジウムを開催することにより、自
として招き、若手研究者と学生に広く外に
主性を養うとともに拠点としてのまとまり
向いた視野を持たせるよう努力している。 が形成された。このように本拠点では、国
同様の趣旨で「ジュニアサポートシステム」
際的に開かれた視野を醸成すると同時に、
(大学院生国際学会発表支援)を行ってる。 閉鎖的枠組みにとらわれず、切磋琢磨し、
大学院の早期から国際舞台に立ち発表する
高い目標をともに目指す教育環境を整えて
機会を与えることで、グローバリズムを育
いる。このようなシステムにより、私の研
てるとともに国際的な研究の流れを肌で感
究室の学生・大学院生も世界の潮流を肌で
じ、世界と伍して行く気概を持って研究に
感じ取ることが出来るようになり、国際学
取り組めるよう努力している。さらに COE
会での発表を目標としてがんばることが可
初の試みとして「若手シンポジウム」を毎
能となった。
「世界に通じる学生」まではま
年 2 回のペースで開催している。本シンポ
だ距離があるかもしれないが、手ごたえが
ジウムでは、数名の新進気鋭の若手研究者
あるのも確かである。今後もこのような教
に特別講演していただき、研究成果ととも
育システムの導入を是非検討していただき
に、苦労話や留学の話などを聞かせていた
たい。
だくと同時に、
COE 関連研究室の助手・講
(やなぎさわ じゅん/分子生物学)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
67
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
21世紀を創る筑波大学独自の“ひとづくり”
「
“ひとかど”の人物は世界で通用する」
青柳秀紀
生命環境科学研究科助教授
21世紀を迎え世界中で様々な変化が生じ
に感じた事を述べさせていただく。よく言
ている。日本の国立大学も法人化し様々な
われる事であるが、日本とカナダの大学の
変革および機能化が求められている。しか
違いの一つに、日本は入学してしまえばあ
しながら、基本的に人間の組織や社会を構
る程度その後の進路が決まってくるが(今
成しているのは人であり、構成する人の多
まではその傾向が強かった)
、カナダでは
様性が組織のポテンシャルに、考え方、目
入学してからが勝負で、単位を取るのも大
的意識および方向性のトータルが組織全体
変、提出物も非常に多い、良い点数を取っ
の活性に反映する事に変わりはない。天然
てないと簡単に退学させられる、将来の進
資源に乏しい日本の資源は人であり、今後、 路も厳しくなる、学生もその辺の事情を意
大学独自の役割である教育(
“ひとづくり”
)
識している、という点がある。また、日本
はますます重要性を増すと伴に真価を問わ
にいると気がつかないが、日本は経済的、
れる。
物質的に恵まれている(特に、物質的には
異常に豊かである)
。ボールペンひとつみ
日本とカナダの比較
ても、トロント大学の書籍部には5∼6種類
本特集のキーワード“世界に通じる学生”
ぐらいしか売っていないが、日本では様々
という概念は学問分野により大きく異なる。 なキャラクターが付いたものなど、その種
また、学生も特色(個性、長短所)が個々に
類は非常に多い。さらに、日本の優れた文
異なるため、一般論を述べるのは難しい。 化、科学および技術は世界に深く根ざし大
ここでは、私が文部省在外研究員としてカ
きく貢献していることにも気がつく。一方、
ナダのトロント大学に留学した際、個人的
人種においてはカナダは多くの人種(移民)
68
筑波フォーラム68号
からなるのに対して、日本はほぼ均一で
ないが、与えられた問題に対して唯一の共
ある。この様に社会的な背景が異なる中で
通絶対解答を紙の上で書けた人を上に選抜
育ってきた学生を同様な尺度で見る事は難
する場合も多い)
。ところが、大学の卒業研
しい。
究に取り組んだり、大学院生や社会人にな
るのにつれて、気がついた事があった。そ
今昔の比較
れは、だんだん(あるいは急に)答えなん
現在は、私の学生時代の主な情報源で
かない世界に入ってゆく事である(答えが
あった新聞やテレビにも載っていない情
一つではなくていくつかあり、あるレベル
報までもインターネットにより簡単に手に
が要求される)
。さらに、問題さえも自分で
入る。便利ではあるが、逆にそのことにつ
見つけなければならない状況になる。ここ
いて、深く考えて判断したり、推測したり、 ではマニュアルがない。従って、自分で考
周りの人達とその事について話す機会が確
える力を身につけていなかったり、自分自
実に減ったような印象を受ける。
身が何者であるのか、自分がなぜここ(分
また、子供に親がすべきしつけが十分
野も含む)にいるのか?など、自分自身を
になされていない印象も受ける(会話やコ
見つめたことがない人は非常に悩んでしま
ミュニケーションが少なくなっている;家
う。この世界では、独創性、工夫、知恵、個性、
族が小型化したせい?)
。教えなければな
特色などが大きくものをいう。また、いく
らないことを厳しく教えることも大切だと
ら望んでも周りはそう簡単に変わってくれ
思う(その時でないとできない事や身につ
ないので、自分自身が厭わず積極的に行動
かないことがある気がする)
。今の時代、日
する事や、
自分をどれだけ信じきれるか
(精
本文化の良い面を呼び戻すことが大切な気
神的な強さ;自分の信念に従って最後まで
がする。
やり通す事など)が大切な場面も出てくる。
これらのことが学生時代には十分見えてい
気がついた事
ないのではないだろうか?
(学生時代でも、
これは私の個人的感覚なので適切ではな
諸事情により答えのない問題に直面しそれ
いかもしれないが、学生時代(中学、高校、 を乗り越えた経験がある人や、本当の意味
大学など)に直面する問題の大部分は基本
で自分自身を見つめた人はひと味もふた味
的に答えがあるものが多い気がする(正解
も違う魅力がある)
。上述の事を学生に常
が 1 つだったりする。語弊があるかもしれ
に認識(意識)させ、教育、研究を行うこと
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
69
は大切だと思う。
トロント大のA教授に、
「日
近では「
“ものづくり”の時代は終わった」
本人の学生は教育も高く勤勉に働くけれど、 と技術を軽視する傾向(特に若い人達に)
忙しすぎて
(?)
考える時間がないのでは?
すらある。これは非常に残念な事だと思う。
他者との関係や自分とは何かということ
研究においてもアメリカ型の研究手法が流
(特色)をあまり考えていないのでは?先
行っているが、同じ様な土俵ではなく、日
生はどの様な教育を日本でしているのです
本(人)独自の特色や長所を活かしながら
か?」と聞かれ、ギクリとした事がある。
方法論や技術にもこだわりをもって進ん
でゆくことも重要な方向性ではないだろう
世界に通用するために特色を生かす
か?最近は流行に対して過敏になり、今ま
最近、グローバルスタンダードがはやっ
で積み上げてきたものを簡単に捨ててしま
ているが、これに引っ張られ過ぎると生き
う傾向[恐さ?]がある。研究には表に立っ
残るのが難しくなると思う。国際競争でも
て時代を牽引する集団がある一方で次の時
アメリカはアメリカ的な強みや特色を生か
代の芽を育てなければならない。そのため
し、日本は日本的な強みや特色を生かして
には研究者の幅を広げ自由に次の可能性を
競争しあうから意味があると思う。例えば、 探らねばならない。少し話が変わるが、自
ピアジェやブレゲの様なスイス時計から
然界の多くの生物は、生物と生物、生物と
スイスらしさが、メルセデスの様なドイツ
環境が多様な相互関係(複合生物系)を営
車からドイツらしさが消失した場合、我々
むことで、単一生物ではできない高度な機
は魅力を感じるだろうか?外国のシステ
能を発揮したり多様性を維持している。こ
ムを取り入れ変化するにせよ(風土を十分
の様な視点は大学においても重要だと思う
に理解して取り入れる事が大切)
、独自の
(例えば、いずれの片方だけでは不可能で
道を進むにせよ、自分達の独自性の追求や
あった新しい創造を可能にする関係やお互
こだわりが一番大切だと思う。日本の“ワ
いを必要とし、お互いの個性、立場や分野
ビ”とか“サビ”は北米にはない感覚、文化
を尊重しつつ、共通項を広げようとする関
。教育や研究のやり方も一つであ
であり、非常に優れた特色だと思う。また、 係など)
日本の工業技術は世界に冠たるものであり、 る必要はなく、何種類ものやり方があって
製造業“ものづくり”は現在も大きな利益
良いと思う。筑波大学の“ひとづくり”にお
を日本にもたらしている。しかしながら、 ける独自性およびその背景となる多様性を
“猿まね”などと挑発され続けたせいか、最
70
筑波フォーラム68号
大切にし、活かすことにより理想的大学を
昔話2; 私の尊敬する故H. K. 教授の話。
目指す事が大切だと思う。学生は先生の背
中を見て育っていく(学風)
。これが綿々と
「昔は、国にも組織にもそれぞれ“ひとかど”
受け継がれ、自分の大学に対する誇り、自
の人物がおったん。中心部のレベルにあわ
信、深い愛着に繋がると良いと思う。
せて組織が作られる。また、それを見て学
また、筑波地区の人的資源(筑波大学を
生や部下は真似して育ってゆく。まあ、子
退官された教官は多くの経験と知恵を有し
供が親を見て真似るのといっしょだわなあ。
ている)の活用や卒業生の力を集結させる
“ひとづくり”に関わるのは大変だし大切
事も今後、重要性を増す。卒業生からの情
だん。
“ひとかど”の人物はどこでも通用す
報や機会、視野を教育、研究面に取り入れ
るんだん」
てゆく事で、現実との対応をとりながら自
先人の考え方は精神論で古いと言う人も
然科学を発展させ、実学を展開できると思
いるが、社会のシステムが変化しても組織
う。
や社会を構成しているのは人である(
“ひ
とづくり”には、単なる技術でなく理念が
余談:昔話
大切だと思います)
。私も一生懸命“自分づ
昔話 1; 私の友人の山本君の家に遊
くり”を精進し、
“ひとづくり”に貢献でき
びに行った時、玄関に入ると大きな字で、 る様にがんばりたい。具体的には、上述の
(1)課題が多少困難であっ
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、 独自性を大切に、
ほめてやらねば人は動かじ」と掛け軸(?)
ても、自力で問題を解決していく意識や能
に書いてあった。
「これ、なに?」と聞くと
力がある、
(2)隣接分野との関係やつなが
山本五十六という彼のおじいちゃんが書い
り、最終目的に至る道筋など、全体像を見
たとのこと。幼少であった私は、
「ふーん、 ることができる、などのセンスを身につけ
お習字の先生か」と感心していると、
「おじ
た個性豊かな学生の養成“ひとづくり”を
いちゃんは海軍にいたんだぞ」
。そのやり
目指したい。
とりを聞いていた彼のお母様が、この言葉
(あおやぎ ひでき/生物機能科学)
は“ひとづくり”において大切なこと、お
じいちゃんの銅像が戦前、茨城県(霞ヶ浦)
にあったこと、米軍の接収を恐れ霞ヶ浦に
沈めたがその後引き上げられ長岡に里帰り
したこと、など話をしてくれた。
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
71
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
Face to Face
熊谷嘉人
人間総合科学研究科教授
はじめに
論を俟たない。
4 月から筑波大学は独立法人化された。 あるテレビ番組で“ミスター半導体”と
第1回医学5専攻教員会議において、副研究
の異名を持つ東北大学および岩手県立大学
科長から教員に対して 3 つのことを留意し
学長を歴任された西澤潤一先生が、良い教
てほしいと提案された。すなわち、
1.良い大
師はアホに火をつけると力説されていた。
学院運営を行うこと、
2. つくばから世界に
一瞬、表現に瞠目したが、それ以降、この
発信出来るような先駆的研究を実施するこ
言葉が忘れられない。動機の希薄な学生も
と、
3.筑波大独自の教育研究を行い、特徴の
指導次第で化けるのだと解釈出来るが、こ
ある大学院生を育成することである。
1と2
れが私の教育理念の根幹にある。ここでは、
に関しては、当然全教員が考える事である
独り立ち出来る学生を育てるための我流の
に違いない。しかし、
3 に関しては、学生自
戦略を恥ずかしながら紹介させて頂く。
身に将来への強い願望と努力がある場合に
は実行可能と思われるが、そうでない場合
教育的試み
には個々の教員のモチベーションに大きく
私の担当している人間総合科学研究科社
左右される。最近、文部科学省は、従来の
会環境医学専攻・環境医学研究室は、教員
試算を 2 年前倒しし、
2007 年までには大学
は私のみで、あとは当該専攻博士3名、環境
全入時代を迎えることを予想した。理論上、 科学研究科修士 5 名、バイオシステム研究
選好みしなければすべての学生が大学に入
科修士1名、笹川奨学研究員1名の計11名か
学できることになる。この超少子化現象の
ら構成される。学院生の 8 割が女性である
波紋は、大学院生獲得合戦に広がることは
(意識的に採用しているのではないことを
72
筑波フォーラム68号
留意されたい)
。所属する学生の大学時代
区の廃液処理・搬出においては、
1人の大学
の専門は多種にわたり、まさにヘテロ集団
院生の寄与は大きい。試みその5は、海外短
といえる。環境問題に興味はあるが実験は
期留学である。私が平成15年から米国環境
苦手、あるいはフィールド調査はいやだが、 保護局(EPA)が支援するSouthern California
試験管は振れる等。しかし、何れの学生も
Particle Center & Supersite の正式グラントメ
心意気はあり、ただ手段を知らないため進
ンバーになったことから、将来留学を希
めないように見える。では、如何にして火
望する学生を UCLA 医学部に半年から 1 年
をつけるか?!試みその 1 は、朝の個人面
程度留学させることが可能となった。その
談である。意図は動機確認とやる気促進で
間のサラリーも支給されるので、学生達に
ある。内容により個人差はあるが、全部で2
とっては有難いシステムである。狙いはポ
時間程度それに費やすことになる。午前中
スドクの事前体験であり、これで火がつけ
に会議等が入っている時は NG。毎日なの
ば研究に力が入るであろうし、海外の生活
で骨は折れるが、
“火をつける”には効果的
に嫌気がさせば国内への進路変更を選択で
な行事と思う。試みその2は、毎週1回のグ
きる。
ループミーティング。ここでは時間の関係
研究室では目上を敬うことは大事として
で全員発表とはいかないが、個々の研究の
いるが、研究に関しては教員と学生達は常
背景、方法、結果と考察をパワーポイント
に平等であることを強調している。先生や
で発表させる。それぞれの研究進捗は毎日
先輩を負かしたいなら、研究背景を十分理
聞いているので、主旨は工夫・緊張感の獲
解し、良く実験を行い、得られた結果を論
得・発表力の向上・自己点検等を養わせる
理的に説明しなさいと発破を掛けている。
ことにある。試みその 3 は、
TA としての教
その一方、チームワークを重視し、アット
育・研究補佐である。これに関しては、完
ホームな雰囲気作りを心がけている。最近
全にリーダーシップを与えており、今では
では金曜日の夜は教員抜きのディナーセミ
駆け出しの教員顔負けの指導力があると
ナーを開催しているようで、弁当をパクツ
いっても過言でない。その上自主性の確立
キながら和気藹々とやっているようである。
と責任感が培われてきている。試みその 4
研究室の結束はトーンダウンした学生に活
は、博士課程の学生を各委員(総務、物品
力を与えてくれる。
等管理、広報)に選出し、研究室運営の補
佐を実施していることである。特に医学地
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
73
21世紀型研究
初からラボワークが主体であるが、後者は
環境医学的研究は新たな局面を迎えてい
専門分野を定めるのは幅広い土台を培って
る。これまでの疫学を基本としたフィール
から、という考えの下にカリキュラムが成
ドサイエンスだけでなく、分子生物学的手
り立っており、最初の 2 年間は講義と討論
法の目覚ましい進歩は当該分野のさらなる
で明け暮れる。従って、論理構築力に関し
発展に寄与することが期待されている。で
ては、平均的にみて日本人の方が非力のよ
は、実際に基礎医学領域での腕っ節もさる
うな気がする。また、英語と日本語との表
ことながら、同時に人間集団を対象とした
現習慣の違いも気になる点である。研究室
研究も凄いという人物ははたしてどれほど
の学生達の会話を聞くと、陰に隠れた主張
いるのだろうか?私が知る限り、それに該
を明言することなく、現状記述部分から察
当する人物はわが国では稀有である。一方、 せよという表現が飛び交っている。たとえ
ジョンズホプキンス大学医学部公衆衛生学
ば「お願いします、判りますよね。私の言
のThomas W. Kensler博士はまさにフィール
いたいこと…宜しく」等。だから、留学希
ドサイエンスと実験科学の融合を先駆的
望の学生に常々言うことは「理屈を言うに
に展開した才人で、試験管内で見つけたあ
は理由を述べなさい。いつも理詰めで話し
るメカニズムを中国のかび毒素由来ガン多
なさい!」
。しかし、日本語でもなかなかう
いわ
発地帯における疫学的調査でも立証した。 まく表現出来ない。況んや英語をやである。
我々が環境医学の看板で世界と戦うには、 留学しても活躍出来なければ意味がないの
このような研究スタイルがひとつの目標と
で、許容範囲内に到達するまで鍛えるしか
なるであろう。
ない。
留学を前に
さいごに
私の研究室の博士課程の学生は留学を希
若者達の心は日々変化する。その差異を
望する学生が多い。環境を変えることはブ
知るにはしっかり彼らと向き合うしか道は
レークスルーに繋がるので海外での生活は
ない。エネルギーは要るが、
“Face to Face"
貴重な体験である。私も10数年前に米国で
が肝心だと思う。はじめに独り立ちできる
3 年間ポスドクとして働いた。そこで感じ
学生の育成と述べたが、この延長線上に世
た事のひとつは、日本の大学院教育システ
界に通じる人材が生まれることを祈念する。
ムと米国のそれの違いであった。前者は最
74
筑波フォーラム68号
(くまがい よしと/環境医学)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通じる学生を育てるために
篠原吉徳
人間総合科学研究科教授
1.
'Key Letter'は"D"
思い、訴えようとしていることであり、イ
今日、英国においては、
「障害(Dis-ability)
ギリス人が考え、唱えていることではな
のある」子どもに対する教育は、子どもた
い。
Diversityに着目してdifferentiatedである教
ちの能力や性格が相互に大きく異なってい
育が行われてこそ、子どもたちはそれぞれ
る、換言すると、子どもたちの諸特性がき
が Development
(潜在的な可能性を開花させ
わめて多様であること(Diversity)を前提に
ること)を達成できる。この結果、人間の
して取り組まれている。多様性こそが、障
Dignity
(尊厳)が保たれるとともに、多様性
害のある子どもに対する教育の起点とさ
を理解し受容することにより、
Decency
(寛
れて、彼らには、個別化されたdifferentiated)
容さ)が育まれる。
教育が行われているのである。
本節を、
「'Key
人々が互いに、多様であることを認め合
Letter'は"D"」と名づけた所以である。
い、他方で寛容さをもって接しあうことが
しかしながら、英国における、このよう
できれば、そこに、共生社会が現出される
な、障害のある子どもに対する取り組みの
ものと思われる。
̶論理が短絡的で、飛躍
根底を貫流する基本原則は、教育の普遍原
があるとの批判を甘んじて受けます̶地
理に相当するものでもあり、小・中学生は
球的な規模で共生社会を築いていくこと
もとより、高校生や大学生の教育を論じる
は、地球上に住む人間の、今日的な大きな
「世界に通じる」ことのなかに
際に顧慮される必要性がある、と考える。 課題である。
高等教育全般という観点からも、上記の教
は、この共生社会を、全世界的に築き上げ
育が重要であることを指摘しておきたい。
ることに寄与することが含まれよう。した
これより先に述べることは、筆者が一人
がって、共生社会の創出のために、多様で
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
75
ある(diverse)ことを前提に個別化された
て異邦人が多数混在して居住する国々では、
(differentiated)教育を推し進めていくことは、 とりわけ「個性」が重んじられる。それは、
重要なことであり、必要なことである。ま
自ら「個性」を際立たせることができなけ
た、同じ理由から、学生に、この教育の意
れば、
anonymity として、さまざまな人々で
義を説くことも枢要なこととして要請され
構成される集団、社会の中に埋没してしま
ている。
うからである。これでは、
「世界に通じる」
ことを論じる以前の問題である。
「世界に
2.
「個性を生かす」
通じる」学生を育てるためにも、個性を生
さて、日本において、
「個性を生かす教育」
かす教育の推進が求められる。
が唱えられて既に久しい。個性を生かすと
いささかこじつけめいていて気が引ける
は、個性を伸長させる、さらには、この個
が、
「個性」を意味するところの英単語の、
「'Key Letter'は"D"」が該当
性を最大限発揮して行動できるようにする、 Individualityにも、
と解釈することができるのではないだろう
する、と述べることができる。なぜならば、
か。
上述された教育も、
最終的には、
この
「個
英語の辞書には、
'Individual' の語源として、
性を生かす」に行き着くものであろう。多
[in+divid, dividere 'divide' ]と記されている
様であるがゆえに、個別化された教育が行
からである。
Individualityは、この言葉より派
「
(これ以上)分け
われることにより、
「個性」が引き出され、 生したことばであって、
高められる、と思われる。多様性に焦点が
られない」の意より、
「個性」を表す名詞と
絞られ、個別化された教育と個性を生かす
して用いられている。
教育とは、軌を一にするものであろう。
強烈な個性を放ち、何時、いかなる場に
3.
'Do in Rome as the Romans do.'
おいても、自分の能力を遺憾なく発揮でき
たとえ、ツーリストとして逗留するもの
る者に、人々の注意が集まり、一挙手一投
であっても、
「ローマにおいては、ローマ人
足に注目する。これは、日本に限らず、全
が振舞っている通りに、行動する」ことが
ての国に共通して言えることであろう。し
大切である。
「郷に入っては郷に従う」こと
かし、欧米諸国、例えば英国のように、か
に努めることが、
「世界に通じる」ことの
つて植民地であった国々の人々を含め、現
基本的要件になるだろう。現地のマナーや
在も、外国人を広く受け入れ、
ethnic minority
ルールに従うことが必要であることは、改
(White Anglo-Saxonに対する)をはじめとし
めて述べるまでもない。さらに、食事を含
76
筑波フォーラム68号
めて、生活に馴染み、溶け込もうとする姿
とになったのであろう。大学生であった時
勢を示すことが、相手、すなわち外人との
の、
I さんの英語の力は、平均以上の水準に
間に横たわる心理的な溝を埋めるばかりか、 あったのは確かなことである。しかし、今
心的な交流を深めることに役立つものとな
日、その力は比較するまでもなく格段に進
ろう。しかし、無理をする必要は決してな
歩している。そもそも、彼女は、己の語学
く、可能な範囲で、
「郷に従う」ことを探れ
力を確信して、英国遊学を志したのであろ
ばよい。反対に、阿る、迎合することは、逆
うが、徒手空拳のまま英国留学をする、と
効果が予想され、厳禁である。
は毫も考えはしなかったはずである。とは
学生には、海外における、自らの、実生
言え、不安が皆無であったわけでもあるま
活での体験、エピソード、あるいは失敗談
い。言葉の面での不安を拭い去り、
I さんを
などを話しておくのが良いだろう。
英国に赴かせた、飽くなき探究心に拍手を
送りたい。臆せず、積極果敢に立ち向かっ
4.
'Practice makes perfect.'
た結果、英語力の進歩、向上があった。
昨年暮れ、香港で開かれた、ある国際的
I さんならずとも(
「I さん、失礼!」
)
、語
な学会の年次大会で、
2年振りに教え子との
学に関しては、
native speaker
(英国には、さ
再会を果たした。この教え子(
「I」さん、と
らに、母語並みに英語が堪能な外国人も多
仮に呼ぼう)は、現在、
Manchester 大学大学
数存在する)と実際にコミュニケートする
院博士課程に在籍し、博士論文の作成に取
ことによって、コミュニケーション・スキ
り組んでいる。大会におけるIさんのPresen-
ルが著しく熟達する、
'Practice makes perfect'
tationが堂に入り、立派であったことに驚か
がまさに現実のものとなることが期待され
されたことを、今でも、鮮明に思い起こす
る。
「世界に通じる」ためには語学力が不可
ことができる。鋭い質疑にも、彼女は動じ
欠である。しかし、こと語学力については、
ることもなく、また的を射た、簡潔にして
初めから完璧を期するのは性急過ぎるだろ
明快な応答ができていたことには、舌を巻
う。
「習うより慣れよ」の俚諺に従い、多少
いた。
なりとも逡巡する学生に対しても、背中を
彼女は、高校生の時に、海外赴任する父
押し、海外に送り出すことが「世界に通じ
親に同行し、ノルウェーのオスロに移り住
る」学生を育てる第一歩となろう。
んだ。その時の生活経験を通じて、彼女の
英語力、殊にスピーチの実力は培われるこ
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
77
5.
Manchester University詣
今日、英国のManchester Universityは、
「特
別なニーズ教育(Special Needs Education)
」
の世界的な拠点となっている。それは、
Mel
Ainscow 教授が、この分野での研究・教育
活動の陣頭指揮に当たっておられるからあ
る。教授の声名は国外にまで知れ渡ってお
り、世界各国から、教授の謦咳に接し、講
筵に列することを望む人たちが後を絶たな
い。
I さんも今、
Ainscow 教授の指導の下(推
薦状を書き、
academic supervisor を依頼した)
、
国際色豊かな学の殿堂で、研究に励んでい
る。彼女は、英国人はもとより、欧州、アジ
ア・オセアニア、アフリカ、あるいは南北
アメリカ等の世界各国から集まった同学の
士と debate、
declare、
discuss し、また自己の内
奥に沈潜し、
deem、
deliberate し、研鑽を積む
ための旅を続ける。
如上の通り、例えば、
Manchester 大学のよ
うな国際的な大学に、好奇心が旺盛な、向
学心に燃える学生を送り出すことが、
「世
界に通じる」
(に値する :deserved)学生を育
てることになろう。
(しのはら よしのり/知的障害教育)
78
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通じる留学生を育てる
原田 昭
人間総合科学研究科教授
「世界に通じる学生を育てる」というこ
ンするかが課題であると思う。
とを考えると、ついつい、日本人学生を世
日本の留学生総数は、
109千人で日本の高
界に通じさせるためにはどのような教育を
等教育在学者数は 3,606 千人であるから留
すればよいかということを考えがちである
学生の占める比率は 3%である。ちなみに
が、世界に通じる学生を育てるために、世
英国は18.5%、ドイツは12.6%、米国は6.5%
界に通じる留学生教育を基盤とした発想が
であり、まだまだその水準は低い(わが国
あってもいいのではないか。本学には沢山
の留学生制度の概要 文部科学省、平成
の留学生が学んでいる。日本人学生と留学
16 年版)
。それでも筑波大学は留学生 1,161
生との関係はまさに国際的関係である。し
人で在学生総数は 16,383 人(筑波大学概要
かし双方向の関係が成立しないでは国際感
(2004.5.1 現在)
)であるから留学生の占め
覚は生じない。
る比率は 7.1%であり国際的にも高い水準
世界に通じるということの意味は、各分
にあるといえよう。
野における国際的相互理解や相互の信頼性
そこで本学こそ、
「海外との国際相互交
に基づいた友好関係を構築することに他な
流教育」のような特色ある教育GPを提案し
らない。国際的人材養成を世界に通じる戦
ていいのではないかと考えるのである。
略として位置づけることが必要なのである。 これまで留学生に対するわが国の態度は、
文部科学省の「留学生10万人受け入れ計
留学生を「受け入れる」という受動的な色
画」は平成15年度においてほぼ達成したと
彩が濃厚であり、
留学生を通した国際的
「相
されているが、これからは「受け入れ」で
互交流」という能動的な意識が薄いのでは
はなく国際的「交流計画」をいかにデザイ
ないだろうか。留学生の多くは、学位取得
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
79
後に母国に帰り研究者や教育者になって母
との間の交流形成を在学中にいかに支援す
国のリーダとして活躍する人たちである。 るかが国際的視野を持った日本人学生の育
いわば留学生は彼らの国とわが国とを繋ぐ
成のトリガーとなるのであり、国際的社会
相互交流の担い手である。そのような留学
に対する知的貢献であり、さらに本学の国
生に対して、わが国はどのような相互交流
際化、国際競争力の強化であり、
「世界に通
プログラムを準備すべきかという問い掛け
じる学生を育てる」教育に繋がることにな
が欠落していると考えるのである。留学生
るのだと思う。
にとってもいまや大学は知識の交換場だけ
しかし、平成15年度筑波大学学生実態調
ではなく、極めて重要な国際的文化交流の
査によれば、日本人と留学生との交流につ
場であり、国際的感性を形成する場とみな
いて、
「積極的に交流している」と答えたの
す人たちが多くなっている。日本での国際
は 14.8%、
「あいさつ程度」が 29.9%で、
「交
感覚を母国に持ち帰って彼らの国の若い人
流していない」と答えた学生は 52.6%と、
2
たちを教えるのである。
人に 1 人は留学生と交流していないのであ
教師にとっては学位を取得した留学生が
る。これでは国際化は進まない。一方本学
帰国した後に活躍している話を聞くのは大
での海外渡航経験を持つ学生は 55%いる
変うれしいことである。彼らが本学との相
が、その目的のほとんどは観光である。こ
互交流として学生交換や大学訪問を活発化
れでは世界に通じる学生は育たない。
してきていることそのものが世界に通じる
私の教え子が、日本に来るたびに必ず訪
教育の結果であるということを示している。 問する家庭がある。それは私の友人で笠間
例をあげると、芸術専門学群、芸術学研
市に住む元市役所の山田さんという人であ
究科の私の教え子たちは、清華大学副学長、 るが、私の教え子を自分の子供のようにい
フィリピン大学建築学部長、韓国科学技術
つでもおいでといってくれる優しさを持っ
大学デザイン学科長、ソウル大学デザイン
ている。留学生達は筑波に来ると必ず山田
学部教授、マサチュセッツ工科大学教授、 さんの数奇屋造りのお宅を訪問して日本の
仏国コンピーニュ大学教授等となって活
もてなしと生活様式と文化の味を堪能させ
躍しているが、現在でも本学との大学間相
てもらうのである。しかし一方で、日本に
互交流としての研究者、学生交流を活発に
留学していながら日本人学生の友人もなく、
行っている。
日本文化との触れ合いもなしに帰国する多
そのような意味で、留学生と日本人学生
くの留学生たちが存在しているのも確かで
80
筑波フォーラム68号
ある。私自身は、大学に来て以来25年間JD
2.留学生交流支援プログラムの設置 クラブという催しを開いている。今年で 62
本学の学生宿舎では、日本人学生と留学
回目になる。毎年学群 3 年生の生産デザイ
生とを分離して居住させているケースが多
ンコースの学生全員が留学生と私の筑波の
いが、これは双方にとってマイナスである。
友人たちをもてなす会である。最近では 40
留学生の隣人は日本人とするように改定す
名もの人たちが筑波の並木宿舎に集う。男
べきである。日常的な国際感覚が世界に通
子学生が買い物と会場をつくり、女子学生
じる教育に繋がるからである。さらに留学
が腕を振るって料理をつくる。私はいつも
生との日本人学生との交流を活性化するた
リブステーキを焼くだけであるが、ひたす
めには、授業ばかりではなく、学生自らの
ら食べて語り合い、お土産を交換する会で
ボランティアによる人間的触れ合いを通し
ある。ちょっとした付き合いのきっかけ作
た文化交流プログラムを作り積極的に支援
りになればと思っている。
することが必要であろう。
私は、世界は本学の留学生と日本人学生
3.留学生と筑波地域住民との交流の促進
との間にあると考えている。今こそ「日本
留学生に日本文化をよく知ってもらうた
文化に触れる」というテーマで、留学生教
めには、筑波という地域の人々と交流を深
育プログラムを抜本的に改革し、留学生教
めるために、地域ボランティアによるホー
育をベースにした国際教育戦略を構築する
ムステイなどを大学主導でマネージするこ
必要があるとおもう。
となども考えられよう。
「日本文化に触れる」留学生教育戦略と
4.日本企業でのインターンシップ参加の
は次のようなものである。
拡大
1.先導的留学生交流の支援 日本社会を知ってもらうためには、生活
学術だけでなく友人関係、生活、自然環
の中での触れ合いばかりでなく、産業界と
境、歴史や文化など留学生に開いた総合的
の触れ合いを体験してもらうことも重要で
な魅力作りが大学には必要である。特に本
ある。企業のインターンシッププログラム
学は東関東に位置する美術館、博物館、民
に留学生を積極的に派遣することを大学の
芸館、文化ホールなどの文化資源と、異な
申し入れによって推進すべきである。
る文化を持った人々が触れ合い交流を深め
5.海外拠点の構築 る大学独自の留学生交流プログラムを推進
帰国後の留学生ネットワークを強化して、
する必要がある。
帰国後の留学生活動との交流拡大拠点であ
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
81
り、日本人学生の海外派遣支援拠点にもな
り、かつ現地での本学入学試験拠点を開設
7.帰国者の教育・研究業績データベース
の構築
することも考えられよう。世界に通じる教
HP を設けて、帰国後留学生が自ら参加
育を構想するなら、帰国後留学生による海
でき、また大学自らが帰国後の留学生に対
外拠点の形成も検討するべきである。
して情報を発信したり、近況をたずねたり、
6.入口での支援から出口での支援の必要
交流の場を準備したりして双方向のネッ
留学生にとっては、論文を書いている最
トワークを活発化する自己増殖型の留学生
中に母国での就職活動をしなければならな
ベースのネットワーク構築が世界戦略とし
くなる。そこで本学に在籍していても母国
て不可欠である。
の就職相談が出来るようなシステムの構築
留学生にとって、日本は一つの世界であ
が必要である。
る。世界に通じる学生を育てるための戦略
は、留学生を通した、世界に通じる教育と
いう視点からも検討すべき戦略であると私
は言いたい。
(はらだ あきら/感性認知脳科学)
82
筑波フォーラム68号
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通用する学生を育てる
世界遺産専攻開設と今後の戦略
日高健一郎
人間総合科学研究科教授
はじめに
なところで現在の所感を以下の三点で述べ
2004年4月に本学修士課程芸術研究科に
てみたい。
世界遺産専攻が新設され、
21 名の学生を迎
えることができた。専攻の名称は、ユネス
課題と対策 1
コが 1972 年に定めた「世界遺産条約(世界
世界を「見る」
、
「知る」
、
「感じる」ことを教
の文化遺産および自然遺産の保護に関する
える
条約)
」に由来する。かけがえのない貴重な
端末やメディアからは、日々すさまじい
自然と文化を未来へ継承すべき遺産として
量の情報がもたらされ、簡単な操作で、わ
保存するため、地球的規模での遺産保護へ
れわれは世界のほとんどすべての現状を見
向けた人材の育成が専攻設置の主旨であり、 ることができ、知ることができ、また時に
「世界に通用する」学生を育てることは、当
は感じることすらできる。しかし、この仮
然の要求となっている。果たしてこの使命
想現実の「世界」と現実の「世界」の差、そ
に応えられるかどうか、関係の教員にとっ
れら両者はまったく異なるという事実をど
ては、責任と使命感を意識して数ヶ月の時
う教えるか、これは高度情報化社会で大学
間が経過した。私自身にとっても、専攻運
院教育を担当する教員の大きな課題であろ
営の責任者として、ようやく初年度の第一
うと私は考える。
期が過ぎて、これからの方針や将来展望を
対策は、きわめて単純な以下の二つであ
考える余裕が出てきたところである。この
ろう。第一は、いわゆる人材交流であり、
専攻の今後、および「世界に通用する」教
講師の招聘ないし学生の派遣
(留学)
によっ
育をどう考えるかについて、私なりに身近
て、仮想ではない世界の現実に学生を対面
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
83
させることである。この点で、大学の人材
き能力は重要で、大学として、いかに教員
交流制度はさらに拡張・活性化されるべ
の「講義力」を高めるかが大きな課題であ
きである。言うまでもなく、ただ外国人で
る。大学は、教員に語学力やプレゼンテー
あれば「世界」を教えられるわけではなく、 ション能力、あるいは効果的な映像化手法
高い水準にある「世界的な」教育者、研究
といった授業スキルの向上を求めると同時
者を招聘しなければ意味はない。教職員の
に、それらの向上に対する教員が自身の自
海外派遣については、従来の褒賞的派遣で
己投資を効果的に助成・奨励すべきである。
はなく、
「世界」との交流を実現できる実力
をもつ者の派遣を能力と将来性を第一基準
課題と対策 2
として推進すべきである。授業の一環とし
大学の枠を越えた連携によって、世界に通
ての、海外インターン制度等も奨励される
用する学生を育てる
べきである。世界遺産専攻では、インター
大学が「競争の時代」の中にあり、生き
ン制度が必修で、海外の派遣先を希望する
残りを賭けた自己改造の試練を受けている
学生も多い。
ことは、改めて記すまでもない。文科省が
第二は、ある意味でより簡単、ある意味
進める拠点形成策の一つ、いわゆる「21 世
でより困難な方法として、学生を教える教
紀 COE」による大学選別もこの流れを加速
員自身が世界の現実の一コマになることで
させている。しかし、この制度では、各大
ある。国内にあって、世界の現実、より正
学は、提示するプログラムに関して自らを
確には世界水準の自らの現状を学生に提示
世界水準の「拠点」として証明しなければ
することは、
「世界に通用する」教員であれ
ならないが、そこに国内外他大学・機関の
ば、それほど難しいことではあるまい。世
力を借りることはできない。大学間の連携、
界に通用する学生を育てるためには、教員
あるいは関連組織を含む大学コンソーシア
が世界に通用しなければならない、という
ムによる申請は想定されていないのである。
ことであろうか。
文科省は当初から大学間連携を断ち切る
研究者であると同時に教育者である教
ことを前提として、この競争制度を導入し
員にとって、世界に通用する学生を育てる
たわけではないが、結果的に大学は、この
ためには、研究と教育の両面で世界水準が
制度に関する限り、
「拠点」という看板を目
求められることになろう。特に、世界水準
指して互いに競争しこそすれ、協力し合う
の講義・指導を行う「講義力」とも言うべ
ことはできない。しかし、この拠点構成構
84
筑波フォーラム68号
想は、
遅かれ早かれ、
大学によるネットワー
ことは言うまでもないが、この内容につい
クを対象とする「連携 COE」に発展するで
ては、機会を改めて述べることにしたい。
あろう。世界に通用する人材育成に向けて、 世界遺産専攻は本学修士課程での設置が国
総合大学とはいえ、本学のみがなし得るこ
内初となるが、これは何も本学が独占すべ
とには、やはり限界があり、教育陣、研究
きブランドではない。国内外の関連組織と
環境、学生相互の刺激等々にとって、大学
有機的連携を構築することによって、この
の連携はきわめて重要である。加えて、外
国内初の世界遺産に関する専攻の意義はま
部資金の効果的導入を伴う連携はさらに好
すます高まることが期待され、
「戦略的国
ましいことは改めて言うまでもない。形式
際連携支援」のモデル事業となることを目
は、
COE とやや異なるかもしれないが、お
標にしている。国境を越えた教育の提供・
そらくここ 1、
2 年のうちに、
「連携」と「国
交流は、今後の大学院教育で欠くことがで
境を越えた教育交流」が大学院組織に大き
きない基本事項となるはずである。
なうねりを作り出すのではないだろうか。
地理的に近い組織の相互協力を想定した
従来の「連携大学院」の枠を越えて、国外
課題と対策 3
「地球貢献」プロジェクトの構想が世界に
の大学、機関との連携も視野に入れた体制
通用する学生を育てる
整備が、私ども世界遺産専攻にとっても急
国内の大学には「地域貢献」が求められ
務であると考えている。本専攻に関しては、 ているようで、そうした活動に適した学系
国内の文化財保護関連機関、遺産保護関係、 や教育・研究分野では、積極的にプログラ
特に保存・修復技術で教育実績をもつ大学、 ムが進められている。たいへん好ましいこ
およびユネスコ関連の国際機関との連携実
とだが、そうした地域貢献が「地域」を越
現が大きな課題である。修士課程一研究科
えた普遍性をもつか否かは、世界を視野に
の中の専攻という細分類に過ぎないが、研
入れる大学の教育的使命として重要な観点
究科の枠を超えた世界水準の連携およびコ
であろう。特に、地域貢献プロジェクトを
ンソーシアム形成がこれからの課題であり、 推進することで、教員と所属組織が一応時
その対策として、連携への機動的な準備を
代の流れに乗ったとして自己満足に陥る危
進めている。そこで展開される教育と研究
険には注意が必要である。地域貢献は、理
が日本はもとより、アジアや世界の中でも
念、知識、手法、いずれにおいても地域を
注目される新機軸とならなければならない
越えた領域、望むらくは「世界」へ拡大し
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
85
うる汎用性を備えていなければならない。
世界遺産専攻では、トランス・バウンダ
日本の大学全体における本学の位置づけ
リー・サイト(国境を越えた複数国にまた
を考えると、筆者は「地域貢献」の先に「地
がる世界遺産)の推進者としての日本の遺
球貢献」への展望を期待したい。
「世界に通
産保護における役割に大いに注目している。
用する」学生を育てるには、世界に貢献し
わが町のこの史跡を、わが市のこの文化財
うるプロジェクトが必要なのである。地域
を、わが県のこの自然を世界遺産に、とい
貢献に関して、
「そうした活動に適した学
う地域運動が各地で盛んな昨今であるが、
系や教育・研究分野では」という限定句を
ユネスコの大きな方針として、国境を越え
先に記したが、
「地球貢献」プロジェクトの
た遺産指定が今後の大きな流れになると筆
場合は、本学すべての教員と組織が構想し
者は予想している。日本は隣国と地続きで
うるであろう。この課題に対する対応は、 はないが、より広い視野に立てば、日本を
唯一、大学当局による世界水準、世界的ス
東端とする仏教伝来の道のように、壮大な
アジア諸国とトランス・
ケールのプロジェクト構想の奨励、助成、 文化的脈絡の中で、
推進である。大学当局には、鋭い洞察力と
バウンダリー・サイトを共有しうるのであ
将来展望をもって、学内から提示される地
り、そうした広域遺産の評価、申請、保護、
球的規模での構想を検討・選択し、必要な
維持に日本が他国との協力によって基幹的
場合は、上記の「連携大学院」の開設を進め、 役割を果たす意義は大きい。この構想はさ
政策的に関連省庁と連絡・調整を図ると
ておいて、学内には多くの世界的プロジェ
いった機動力が求められる。当然、大型の
クトの芽が飛躍への機会を待っているは
研究資金導入もそれに伴わなければならな
ずであり、それを発掘し、奨励する関連部
い。科研費取得のための研究会も大いに結
局(戦略推進室がこれにあたるのであろう
構であるが、大学を取り巻く流れに合わせ
か?)の手腕に大いに期待したい。
て対症療法的に「ぬるま湯体質」の尻をた
たくと同時に、高位の行政官を説得できる
おわりに
構想を何本も提示することが本学執行部の
勝手な所感を書き連ね、本学の現状や機
責任になろう。地球的スケールのプロジェ
構、あるいは中長期計画と矛盾したり、不
クトが本学を核として展開されることで、 整合となる点があったのではないかと懸念
学生は必然的に世界水準の教育と研究を学
している。また、表現には、筆致の勢いで、
び、修得することになろう。
傲慢な箇所が見られるかもしれない。時間
86
筑波フォーラム68号
は、本学の場合あまりにも劣悪である。さ
的制約もあり、拙稿の内容を十分に検討す
る余裕もないまま提出することとなった。 らに、直接教育効果に大きく影響する教育
不適切な点については、ご叱正を受けて、 設備の貧弱さも、一部で目を覆うばかりで
訂正すべきは訂正し、筆者自身の今後の活
ある。リニューアルと称して外観を安易に
動に反映させたい。学生は、われわれ教員
整えるのではなく、真に勉学の意欲に燃え
の意欲と才能にきわめて敏感である。それ
る学生がそのうわべの繕いではなく、講義
が、教室の中だけで通用するのか、国内だ
室の内と外に何を求めているかというニー
けで通用するのか、あるいは世界に向けて
ズの把握は重要かつ緊急である。総合的に
広く通用するのか、彼らは本能的に感じと
見て、これだけ広い敷地を有しながら施設
り、それを自らの基盤として外界へ巣立っ
の貧困に悩む本学の場合、大学施設として
てゆく。従って、繰り返しになるが「世界
の各種の基準、学内のゾーニング構想など、
に通用する」学生を育成するためには、ま
これまでのキャンパス計画の基本路線をそ
ず、教員が「世界に通用」しなければなら
ろそろ見直し、既存設備の効果的再活用・
ない。
修復に着手すべき時期に来ているのかも
最後に、これまでとやや異質な、しかし
しれない。真摯な学生への「心のこもった
勝るとも劣らず重要な指摘を一つ付け加
もてなし」は、教育効果を倍増させる。講
えることを許していただきたい。
「世界に
義や演習に集中できる地味ではあるが快適
通用する」学生を育成するためには、教育
な設備、それを終えて疲れた頭脳と身体を
の「場」が「世界に通用」しなければならな
ゆっくりと休め、明日への活力を生むよう
い。設備、規模、面積など、各種の規定や基
な設備を早急に整備しなければ、それこそ
準等々があろうかと思うが、本学の学生関
「世界水準」は教員側の自己満足に留まり、
連福利厚生設備の老朽化は顕著で、明らか
学生が自ら示す成果として現実化しないで
に世界水準からは遠く離れている。留学生
あろう。
をして、
「日本にもこれほどまでに汚い住
(ひだか けんいちろう/世界遺産)
居があったのか!」と愕然とさせる学生寮、
裸のままシャワーの順番待ちをしなければ
ならない付属浴室など、
「世界水準」の(あ
るいは、それを目指す)教育や研究指導を
受けた後に待っている余暇設備と福利厚生
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
87
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界に通じる学生を育てる教育への提言
宮内 卓
人間総合科学研究科教授
はじめに
洋一学長からの研究に関するメッセージ
本稿では、学生の研究について論じてゆ
にて、
「学術的・国際的価値の高い基礎研
きますが、最初に、以下の話題から始めま
究と社会的要請の大きい応用研究・学際研
す。今夏は、オリンピック発祥の地である
究を、両者のバランスをとりながら推進し
アテネでオリンピックが開催され、日本代
ていきたい。また、
21 世紀 COE の育成など、
表として本学関係者も多数参加し、大活躍
戦略的な取り組みを強化し、世界的研究拠
しました。今春、本学体育専門学群を卒業
点の創設に力を注ぎたい。
」とおっしゃっ
した谷本歩実さんは女子柔道 63 キロ級に
ておられます。研究面で世界に通用する評
出場し、
5試合すべてに一本勝ちで金メダル
価を得るためには、当然のこととして、国
を獲得しました。名実ともに世界一に輝き
際学術誌や国際学会において研究成果の発
ました。オリンピックを通じて、全世界に
表を行わなければなりません。岩崎学長の
その存在をアピールしたのです。まさに、 メッセージの通り、筑波大学は、学術的・
筑波大学が排出した世界に通じる人材の一
国際的価値の高い研究成果や社会的要請の
人で、その指導に関与された先生方の成果
大きい応用研究・学際研究を世界に発信し
の賜と言えるでしょう。スポーツの世界で
ていかなければならない使命を持っている
は、オリンピックや世界選手権といった舞
のです。
台での活躍が国際的な評価を得ることにな
ると思います。
研究で世界に通じる人材(学生)の育成の
一方、研究の分野ではどうでしょう。平
ための環境づくり
成16年4月1日発行の「速報つくば」の岩崎
最近、私の専門分野(循環器内科学)に
88
筑波フォーラム68号
関連する国際学会で、多くの日本人若手研
には、大学院生に国際学会で研究成果を発
究者(大学院生を含む)が研究発表を行っ
表することを積極的にサポートすることが
ている姿をよく見かけます。若手研究者が
大切だと考えます。私の経験からも若い時
研究成果を国際学会で公表することは、日
期における国際学会での研究発表は、大変
本だけでなく、世界に目を向けた光景とし
貴重な経験となります。また、この発表し
て、非常に頼もしく感じます。いや、世界
た研究成果を適切な早い時に英文論文とし
を視野に入れて研究を行うのであれば、こ
てまとめることを指導することも必須だと
れが本来あるべき姿なのかもしれません。 考えます。国際学会で研究発表を行うこと
大学院生を含む若手研究者が、国際学会で
のすばらしさや充実感を若い時期に体験す
の研究発表、そして一流国際学術誌への研
ることは、今後の研究者人生において、世
究成果公表を当然だと考えることが、研究
界を視野に入れることを当然のこととして
で世界に通じるための第一歩だと思います。 受け入れることになります。我々教官は、
そのためには、大学院生が世界を視野に入
大学院生に国際学会参加の場を提供し、積
れた土壌を当然のこととして受け入れる環
極的にサポートすることが、将来、世界に
境づくり(研究室づくり)が極めて重要だ
通用する研究者の育成に大きく貢献するこ
と私は考えます。研究室が世界でトップレ
とは間違えないだろうと考えます。若い芽
ベルの研究成果を出せるように、教官を含
を摘むことなく、筑波大学から世界に通用
めた皆が精一杯の努力をすることが必要で
する多くの研究者を育成したいものです。
す。この研究室自体の意識づくりは重要と
考えます。世の中で誰も言っていない、オ
国際学術誌への研究成果公表の推進
リジナリティーのある新知見を見出す研究
研究者にとって、研究成果を学術誌に公
成果の発信を、学生に指導してゆかなけれ
表することは、責務とも言えます。若手研
ばなりません。このためには、そのような
究者が、研究成果を公表する学術誌も当然
オリジナリティーのある新知見を見出した
のこととして、国際誌に目を向けさせるこ
論文を教官が厳選し、定期的に学生に読ま
とは重要です。大学院生を含めた若手研究
せることも必要になってきます。
者には、それぞれの専門分野で最も高い評
価を得ている一流国際学術誌を目指して、
国際学会への学生の参加の推進
常に挑戦する気持ちを持たせたいものです。
研究で世界に通じる学生を育成するため
研究成果が一流国際学術誌にアクセプトさ
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
89
れた時の感激を若手研究者に味合わせるこ
とは、意識を向上させる上で非常に大切で
あると考えます。この経験や感動は、必ず、
今後の研究生活の糧になると思います。当
然のこととして、一流国際学術誌に論文を
通すには、我々教官の指導能力が大きくか
かわりますが、我々教官は大学院生の研究
成果を最もよい形で世界に公表できるよう
にサポートしなければなりません。
おわりに
世界に通用する学生を育てるためには、
まず、我々教官自身が世界的に通用するオ
リジナリティーの高い研究成果を生み続け、
常にレベルアップを続けて成長するのだと
いうスピリッツを持つことが大切だと思い
ます。そして、夢と挑戦する気持ちを持ち
続け、それを学生に伝えていくことだと思
います。それはきっと我々の姿に表れるも
のでしょう。これらのことが大前提となり、
前述した環境づくり、国際学会参加の推進、
そして一流国際学術誌への成果公表の推進
という指導方針になるかと思います。筑波
大学は、研究重視の大学院大学となりまし
た。我々、筑波大学教官は、それぞれのど
の指導法をとろうとも、世界に通じる学生
を育てる教育を通じて、学術的・国際的価
値の高い研究成果や社会的要請の大きい応
用研究・学際研究を世界に発信していかな
90
筑波フォーラム68号
ければならない使命を持っているのです。
(みやうち たかし/循環器内科学)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
病院実習の充実と生涯教育
山田信博
人間総合科学研究科教授
総合臨床教育センター長
創造力の育成と支援体制
情報を整理し、かつ新しいユニークな専門
新しい医師研修必修制度が本年よりス
領域を創成しうる問題探索型・解決型の
タートした。本制度は、進歩する医学にお
教育が必要である。さらに、最新の医学を
ける医療の基盤となる知識・技術の一定
できるだけキャッチアップして、生涯にわ
水準の確保を期待している。近年、医学の
たって医療者としての責任を全うしうる生
情報量が膨大なまでに増加する中、ゲノム
涯教育の重要性を学生の時代から強調しな
の解読を始めとした生命科学の時代が開花
ければならない。生涯教育においては高い
し始めている。一方、生命科学の時代とい
モチベーションが求められ、その高いモチ
われながら、日常臨床の中では未知、未解
ベーションを維持するには医師としてのモ
決の問題の方がむしろ膨大であり、根治的
ラルが求められることになる。しかし、個
治療法の開発が粘り強く続けられている。 人的なモチベーションやモラルに依存した
こういう時代において、ますます創造力が
教育体制には自ずと限界があり、そのモチ
求められるが、その基礎となる学ぶべき知
ベーションやモラルを支援しうる教育体制
識・技術は進歩し続け、その知識・技術の
を構築し、その努力あるいは教育効果を評
version up のサイクルも短縮し続けている。 価し、フィードバック、動機付けする必要
狭い専門領域をキャッチアップすることは
もある。病院再開発においては国民の信頼
比較的可能であるが、広く医学全般の完全
に応えることのできる、国際的に通用する
なキャッチアップは神業に近い。
医師を輩出しうる教育システムを創出する
生命科学の時代に対応し、国際的に通用
べきである。
する創造的な医師を育てるために、膨大な
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
91
医師としての卒前教育
総合臨床教育センター
医学では多くの場合、卒業とともに医師
現在、医学教育の改革が進みつつあり、
としての経験を積みはじめることになる。 議論重視、問題解決型の授業が取り入れら
それは学生から医師へと急速に患者の健康
れ、ユニークな発想や想像力の育成が期待
と生命に対して責任を担わなければならな
されている。学生の医療現場での実習に関
いことを意味している。医師に必要とされ
しては、参加型臨床実習が開始されている
るものは知識、技術、態度とよくいわれる。 が、まだまだ不十分である。
この中の知識に重点がおかれていた従来の
欧米の医療現場との比較でいえば、医療
学生教育では、医師になった時に必要な技
スタッフの定員が極端に少ない我国の現状
術、態度が不十分なために、十分に能力を
では、全ての大学において臨床医学系の教
発揮し切れないという大きな問題を生じて
官は教育、研究のみならず、臨床の現場も
いる。学生の方も医師国家試験合格が手近
任されており、
個人的な努力・モチベーショ
な目標であることから、国家試験に必要な
ンや医師としてのモラルに依存した極限の
知識の教官からの伝授を望むことが多いこ
状況が通常化している。この努力に対する
とも事実である。これは学生時代に創造的
正当な評価がなされるべきである。臨床医
な思考力を育成する大きなチャンスを奪う
学教官はプレーイングコーチの状況であり、
要因となっているように思える。
しかもプレーする医療現場での責任に基づ
欧米での学生教育はより実践的であり、 く大きな緊張感は、欧米のように学生が医
問題解決型である。その一端は、テレビ番
療現場に十分に入り込むゆとりを生み出し
組の ER で窺い知ることができる。学生時
ていない。安全な医療現場を確保しながら、
代から病院に入り、患者と接し、指導医の
学生が医療現場で先輩医師から必要な知識
下に受け持ちグループの重要な一員として、 のみならず、技術や態度を十分に学ぶこと
活動の場が与えられている。臨床の現場で
を実現するためには、病院における教育環
問題点を探索し、解決することにより、医
境インフラ整備への支援が必要である。
師に求められる知識のみならず、技術、態
本院は卒後の臨床研修において全国で始
度が自然と育てられ、鍛えられている。勿
めてレジデント制を採用し、後期研修を含
論、患者は生身であり、多様であることか
めた体系的な研修体制を実践している。卒
ら、個別の患者に対応しうる柔軟な発想と
前教育の充実を図るために、本年より教育
バランス感覚を育てることも期待される。
支援基盤としての卒後臨床研修部は総合
92
筑波フォーラム68号
臨床教育センターに改組され、各種シミュ
連している為、正常血糖値またはそれに近
レーターを用いた実習も開始されている。 いレベルにコントロールすることが望まれ
シミュレーターは実際の患者に触れること
るが、ほとんどの患者ではうまくいかない
なく、必ず習得しなければならない技術を
−糖尿病では症状がほとんどなく、仕事も
集中的かつ反復練習できることが利点であ
出来、食事も美味しくとれることから、元
り、本システムの有効活用により安全性が
気だと思っていた人が気がついた時には
高くかつ教育効果の高い学生教育実施の入
合併症により時遅しという残念なことがし
り口となっている。しかし、教官(プレー
ばしばである。現代社会では糖尿病の主要
イングコーチ)の負担と緊張感は相変わら
因である生活習慣の是正が困難であり、是
ずであり、大学外からの医師の積極的導入
正の努力を行うことがむしろ大きな苦痛と
も含めたゆとりある医療スタッフ構成の実
なっている。皆さんが楽しんでいる生活習
現が望まれる。
慣を楽しむことができない苦痛である。従
来の病気にみられる苦痛に対するアプロー
糖尿病診療への意識変革
チは全く通用しないことから、診療上のパ
私の専門である内分泌代謝・糖尿病内科
ラダイムチェンジが求められる。糖尿病管
領域では、食習慣の欧米化、運動不足によ
理においては、生活習慣が患者の置かれた
る糖尿病の疫病的な増加、蔓延と血管合併
生活・家庭環境、経済・職業環境などの社
症(心筋梗塞、脳卒中、失明、腎透析、壊疽
会環境に大きく左右されることから、その
など)による健康障害が重大な問題となっ
苦痛は患者のみならず社会全体で意識しな
ている。他人事でないと考え、話題提供し
ければ解決できない苦痛である。現状では
たい。ちなみに我国では 750 万人が糖尿病
診療現場のパラダイムチェンジは不十分で
と診断され、糖尿病は成人の失明および腎
あり、糖尿病合併症は増加し続け、現代の
透析の最も重大な原因であるのみならず、 疫病の解決は遠い。生涯教育システムの構
心筋梗塞や脳卒中の原因でもあることから、 築はこのような現代の急速な疾病構造の変
健康的な社会を増進させるために本格的な
糖尿病対策が世界的に求められている。糖
化に適応するために欠かせない。
(やまだ のぶひろ/内分泌代謝制御医学)
尿病管理の困難さは内科の教科書ハリソン
の次の文章によく表現されている。−糖尿
病血管合併症は血糖コントロール状態と関
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
93
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
世界の人的ネットワーク構築へのストラテジー
井田仁康
人間総合科学研究科助教授
ストラテジーのファースト・ステップ:世
国研究を分析し発表する場合には、日本と
界を知ることは日本を知ること
の教育の比較は意識はされつつも、比較そ
著者の専門は社会科教育学で、とくに地
れ自体をテーマにしなくてもよい。そのた
理教育である。社会科教育学のような教科
め、日本の教育現場に貢献できない(貢献
教育学では、世界の先端的な研究というよ
を意図としない)外国研究のあり方に批判
りは、それぞれの国の中で、どのような影
する声があるぐらいである。しかし、世界
響を受けながら、どのような教育内容、教
に通じる学生を育成するためには、日本と
育方法が実施されているのかを、各国の教
の比較を常に意識させ、日本の教育との関
育をお互いに検討しあい、自分たちの国の
係を常に考えていなければならない。世界
教育に反映させていくことが主となる。そ
の社会科・地理教育研究者および実践者は、
のような各国の分析を通して普遍的な教育
日本の教育に注目していて、日本の教育を
内容のモデルをつくることも試みられてい
紹介、分析することを求めているので、世
るが、いずれにせよ、まず自分の国の教育
界で通用する社会科、地理教育者を育成す
内容、教育方法を知り、それを分析する力
るためには、まず日本の教育の理解を深め
が求められる。国際会議に出ても、まずは
させ、世界の教育との関連を考えさせるよ
「あなたの国では?」という質問を受ける。 うな指導が必要となってくる。
そうしたことからも、まずは日本の教育に
ついてのしかっりした知識が必要となる。
ストラテジーのセカンド・ステップ:世界
教科教育学では、アカデミックな外国研
を対象としたフィールドを持たせる
究も一つの研究枠組みであるが、日本で外
日本の社会科教育、地理教育への知識を
94
筑波フォーラム68号
深めさせつつ、日本の社会科・地理教育と
ストラテジーのサード・ステップ:国際学
の比較できるような世界のいずれかの国、 会への出席、発信
地域の社会科・地理教育のフィールドを
日本の社会科教育、地理教育は世界から
もたせることが、次のステップのストラテ
も注目されている。しかし、外国に関わる
ジーである。これには大きく 3 つの理由が
日本での研究の多くは、外国のカリキュラ
ある。まず第1は、日本以外の国を研究対象
ム、実践研究を分析し、日本国内で成果を
とすることで、対象とした国・地域への関
発表するにとどまり、世界へ発信する機会
心、興味を高め、その国の様々な側面を見
が極端に少ない。国際学会では英語が使わ
るようになり、日本との比較の視点が絞ら
れるため、英語に堪能であることが有利で
れてくるからである。また、その国の教育
あることは確かだが、英語でコミュニケー
を調べることで、その国に関しての知識が
ションをとろうとする熱意があれば、うま
増えるだけでなく、愛着心もわいてくる。
くない英語でもこちらが言わんとしている
第 2 は、世界でフィールドをもつことで、 ことを理解してくれたり、相手もこちらの
そのフィールドに使われている言葉をマス
英語力にあわせて話してくれることが多い。
ター
(理解)しなければならず、そのため、 国際学会では、英語を母語としている人々
いやおうなく外国語に接することができる
ばかりが集まっているわけではないので、
からである。英語なり、中国語なり、韓国
そのあたりは理解を得ることが多い。
語といった外国語に日常的に接する機会が、 とくに、地理教育の分野での国際会議で
外国をフィールドにすることにより多くなる。 は、大きい会場で発表するというよりは、
第 3 は、フィールドとした国・地域の人
いくつのセクションに分かれ、こじんまり
との交流を図れることである。この交流こ
とした雰囲気の中で発表がおこなわれ、議
そが世界に通じる学生となるための基盤と
論が進められる。そのため、時間的にも余
考えている。換言すれば、人的ネットワー
裕があり、質疑などでもわかりやすい英語
クを作ることである。
が使われることが多い。そのような雰囲気
このように、
日本以外の国・地域にフィー
の中では、英語での日本からの発信もしや
ルドをもつことによって、その地域への愛
すくなる。
着をもたせ、異文化を経験し、人的ネット
さらに、日本での学会発表で求められる
ワークを構築することで世界への第一歩を
ものと、国際学会で求められるものとは、
踏み出させたい。
多少の違いがある。日本では、日本の教育
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
95
の発展のためにどのような理論が必要で、 政策を背負っているので、一本の科学的認
どのような教育実践を進めていくのかと
識で論じられない側面が強い。したがって、
いったところが注目されるが、国際学会で
地域の独自性を反映した教育に互いに感
は、日本の技術や伝統がどのように教育に
心をもつ。それと同時に、共通性も存在し、
反映されているのかといったことへの関心
共通的事項の各国の協力態勢、互いの情報
が高い。そのような、日本国内と国際学会
交換も学会の場では重要となる。日本の教
での関心の違いをも考慮しながら、発表す
育についても受信だけでは情報交換になら
る内容を選択していくとよい。
ない。発信することから情報交換が成立す
社会科教育、地理教育では、他の専門学
る。そして、発信することにより世界の研
問、とくに理工系の分野と異なり、先端の
究者や実践者に認知されることになる。
教育、共通の基盤というのがあまり明瞭で
はない。地理教育では、国際地理学会の中
コミュニケーションとしての地図の活用
にも地理教育のセクションがあるが、他の
日本からの情報を発信する場合、地理教
地理学のセクションと地理教育のセクショ
育では言語だけでなく、表、図、地図といっ
ンは求めることが異なっているという印象
たコミュニケーション手段がある。それ
をもっている。教育は、その国・地域の文化、 は時として、言語よりも強いコミュニケー
ファースト・ステップ:日本を知る
← 日本の教育に関する知識の定着
セカンド・ステップ:世界のいずれかの国・地域をフィールドに
← コミュニケーション能力の育成
(英語・地図など)
サード・ステップ:国際学会での発信
世界的な人的ネットワークの構築
図 世界的な人的ネットワークを構築させるためのストラテジーのプロセス
96
筑波フォーラム68号
ション手段となる。したがって、社会科教
育、とくに地理教育では、地図の作成、読
み取りといったスキルが重要になる。こう
したスキルは地理という学習内容だけでな
く、世界で通じる学生のもつコミュニケー
ション能力としても意味をもつ。
世界の人的ネットワークの構築へ
以上のようなステップを踏むことで、世
界の研究者、教育実践者への人的ネット
ワークを広げることができる。社会科教育、
地理教育の場合は、国際学会でも研究者だ
けでなく、多くの教育実践者がかかわって
いる。そのため、共通の言語である英語力
よりも、地図などのスキルがコミュニケー
ションとして重視される場合もある。
このようなコミュニケーションを図っ
て結ばれる世界の研究者、授業実践者との
ネットワークが、今後の教育、研究にも生
かされてくる。社会科教育、とくに地理教
育においては、
「世界に通じる学生を育て
るための戦略」は、図のような世界的な人
的ネットワークを構築するためのストラテ
ジーとしてまとめることができるのである。
(いだ よしやす/学校教育学)
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
97
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
インターフェースを持った学生を育てる
田中和世
図書館情報メディア研究科教授
話せる側の立場から見ると
後の付き合いに影響を及ぼす。事の善し悪
イランのパーレビ王朝が倒れたいわゆる
しとは別に、ビジネスの世界ではこの時点
イランイスラム革命のとき、米国の情報機
で躓いては先に進めない。グローバル化が
関はその動きがあることをよく察知してい
進む世の中で活躍できるようになるために
なかったという。その原因の1つは、米国の
は、およそ相手とのコミュニケーションに
情報機関が英語を堪能に話すイランの人た
必要な外国語(多くの場合、英語)を習得
ちに情報源の多くを頼っていたからだとい
しておくことが求められる。
う話がある。これは、かなり以前、新聞か
何かで読んだ話であるが、ありそうなこと
平均的学生にとっては
だ思い記憶に残っている。英語を母語とす
一方では、
(とくに海外で活躍されてい
る、あるいは英語に堪能な人々は、当面の
る人々からは)そうしたいわゆる英語会話
相手が話す英語がその人の思考を表してい
能力などあまり重要でなく、その人がもつ
るという感覚に陥りがちである。英語が苦
本来の能力こそが評価されるという指摘が
手なため英語に関してはかくいう私自身も、 ある。説得力のある話であるが、これは恐
日本語で話すことを強いられる留学生に対
らく想定しているレベルが異なっていると
応した場合などには同じような感覚をもつ
いってよいであろう。現状のままでも「世
ことがある。もちろん、冷静に考えればそ
界に通じる」を目指す若者は沢山いて、彼
れが誤解であることは理解できるが、多く
らの努力を敢えてスポイルする環境はもは
の状況では人は初対面の短い時間に相手に
や現在の日本にはあまりない。ただし、そ
対していろいろな印象を持ち、それがその
のような若者の割合は全体から見れば少数
98
筑波フォーラム68号
である。ここでは、なによりも現在の大学
められるとは思うが、様々な方策が講じら
生を想定してその平均的学生を対象として
れても、それらを利用する敷居が高いと有
問題を考察したい。それは、今後の世の中
効には活用されないということを強調した
の動向をみれば、世界に出て行けそうな学
い。海外との関係では、往々にして多くの
生の層が依然として少な過ぎると考えられ
書類と、複雑な手続き、あるいは関係する
るからである。
教員に重い責任や事務手続きが求められる
さて、英語によるコミュニケーション能
ようなことも想像される。法人化された今
力を身につけるということは、すでにさん
後は、支援スタッフの確保や外部委託など
ざん議論されているし、わたしが新たに何
によってこうした問題を解消していくこと
かを提案できるというものでもない。しか
が必要であろう。
し、多くの一般的学生にとって、それが簡
単でないということだけは、わたし自身の
自分のインタフェースを持つ
経験に照らしても言える。何よりも重要な
話は少し変わるが、海外で通用するため
のは実際の場でいろいろな経験を積むとい
にはもう 1 つ重要な要素があると常々感じ
うことであろう。しかしながら、今の日本
ている。それは一言で言えば、自分自身が
で、敢えて英語でコミュニケーションをと
もつ(相手との)インタフェースを明確に
る必要がある状況はほとんど無い。世界的
するということである。外国人から見ると、
にみれば比較的安全で豊かな日本を出て、 とかく日本人は個性が無いという話がある。
海外に生活の場を求めて行くという理由も
むろん、そんなことはないが、元来が日本
あまり見つからない。自分の能力を高めた
人の多くは自分の意図や内容を明示的に表
いという希望だけではインセンティブとし
現することが苦手であるように思う。あえ
ては弱いのである。
て普遍させて言えば、日本人は伝統的に、
説明的に明文化されたもの、もっと言えば
制度は作っても有効利用できるか
マニュアル的なものを好まない。マニュア
大学が、海外に出ることを希望する学生、 ル的なものは多かれ少なかれ違和感のある
たとえば交換留学生や研究発表する大学院
もので、それによって失われるものにこだ
生を支援する制度を拡充する。また、海外
わると完成しない。こうした姿勢が外見上
からの招聘教員を増やすなど、地道な努力
の解りにくさを増幅している。
も重要である。恐らくはこうした努力は進
概ね、欧米社会においては、彼らが考え
特集「世界に通じる学生を育てるための戦略」
99
て解り易いものが受け入れられる傾向にあ
の効果を上げることができるだろう。しか
る(ここで「欧米」と特化するのは適当で
し、このような授業を実現することが現状
ないかも知れないが、世界のメジャーを構
で可能であるかは実はよく分からない。た
成しているという意味)
。芸術、アニメある
とえば、教員の側に英語に堪能な教員がい
いは伝統芸能など、日本発で世界でも高く
ないとゼミの維持は難しいかもしれないし、
評価されているものはたくさんある。しか
また、教員の負担も小さくはない。いずれ
し、多くは感性に訴えるようなものが多い。 にしても、本来の目的からいって、大半の
それでも、ある種の理解しやすさが強調さ
学生がこうしたプログラムに参加しなけれ
れているように見える。その延長線上でい
ばならないというものではないし、教員も
えば、海外においてコミュニケーションを
参加意思のある有志でよいだろう。不満足
とるためには、まずは、われわれが何を考
なレベルに終わらないためには、志気の高
えている、自分が持っているものが何であ
い学生だけが生き残れるプログラムでよい。
るかを相手に理解できるように説明する能
テーマが往々にして教養的な題材になりが
力が求められる。多くの場合、われわれ自
ちであるが、発表者が学習する必要がある
身が自分の説明にどこか違和感を覚えてい
専門的内容を持つ題材であるほうが望まし
るのに、更なる誤解をもって相手に伝わる
い。こうしたプログラムで優秀な成績を修
のが通常である。悪く言えば、彼らはわれ
めた学生にはさらなる高度なプログラムへ
われの説明に勝手な解釈を加えてくる。英
の参加の道を開くというのも動機付けには
語で話す場合などには、日本人英語という
なるかもしれない。重要なことは、多くの
引けた気持ちもある。それでもこういう状
学生にそのようなプログラムへの参加の道
況に慣れることが重要である。
(世界で使
が開かれていることを知らせることである。
われている英語は方言だらけという現実も
また、大学進学を希望している受験生に情
ある。
)
報を与えて、受験者を集めることも人材の
裾野を広げることになり有効であろう。
方法はあるか
それでは、多くの学生にこうした経験を
積ませるにはどうすればよいだろうか?学
生が英語でレポートを書き、英語で発表さ
せるという少人数のゼミがあればある程度
100
筑波フォーラム68号
(たなか かずよ/音声情報工学)
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