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ライプニッツ「生命の原理と形成的自然についての考察」
ライプニッツ「生命の原理と形成的自然についての考察」(1705) レジュメ 西洋思想史 2013.6.28(池田) □ピエール・ベール(1647-1706)は、 『歴史批評辞典』、 「ロラリウス」の項、とりわけ注 H と 1702 年に加えられた注 L で、ライプニッツの「予定調和説」を紹介し、批判した。 □ラルフ・カドワース(1617-1688)は、『宇宙の真なる知的体系』(1678)で、「形成的自然」の 考えを展開。ケンブリッジ・プラトニストの一人。 □「形成的自然」(plastic nature)・・・機械的には説明できないような生命的存在についての原理 のこと。それは神の意志・命令が被造物において実現すべく、規則的かつ技巧的に働くもので ある。この考えは、「生気論的自然観」につながるものである。 また、形成的自然の考えは、 デカルト派の「機械論的自然観」と対立する。デカルトは、生命活動を、すべて機械的に説明 できるものとした。 □「生命の原理」・・・ライプニッツによれば、生命は有機的身体にしか属さないとされる。物質 のどの部分にも、無数の有機的で生きた身体がある。しかし、物質のどの部分も生きていると は言わない。[有機的物質が生きているのであって、寄せ集めた物質が生きているわけではない] □デカルトの運動論批判。デカルトの運動量保存則(F=m¦v¦)に対し、ライプニッツはエネルギ 2 ー保存則(F=mv )を主張。ライプニッツは、魂が物体の方向を変えたり、力の量を変えると いうことは、自然的には説明できない問題だとして、次の「予定調和説」のみが合理的な解決 策であると唱える。 □予定調和説(le système de l harmonie préétablie)・・・心身の関係は、一方が目的因、他方 が作用因と、法則が互いに異なり、究極的には説明できない。しかし、神が創造した事物のう ちに予定した自然本性によって、心身の関係あるいは意識と自然の関係を含む、すべての事柄 を完璧に調整したという説をとれば、両者の関係が説明できる―̶ライプニッツは、これが事 物の秩序と自然の法則だと考える。ライプニッツはこの説を含む論文「実体の本性と実体相互 の交渉ならびに心身の結合についての新たな説」を、1695 年に出版した。ベールが辞典で批 判したことで、自説を擁護し説明すべく、その後ベールとやり取りしたり、いくつか論文を書 いている。さて、この予定調和説によれば、魂は目的論の法則にしたがう、すなわち善や悪に 従って、表象を展開する。他方で、物体は機械論の法則にしたがう、すなわち運動の規則にし たがって数学的・力学的にふるまう。ライプニッツは、魂と物体とが、ちょうどぴったり一致 する2つの時計のように、並行的に展開すると考えた。これには、スピノザの心身並行説の影 響が大きい。マールブランシュらの機会原因説では、神が魂の意志の流れを身体の自然的な運 動に適合させるために、絶えず介入しなければならなくなるが(連続創造説)、それは永遠の奇 蹟を導入することであり、神の能力にふさわしくない。最も合理的で完全な神ならば、創造し た際に、魂と物体とがぴったり合うように設定できたはずだ。 □「予先形成」 (Preformation) ・・・生きている動物は、妊娠以前の種子の段階で、すでにその形 を持つ小さな者として存在していた、とする説。精子説(レーウェンフック、ライプニッツら) と卵子説(マルピーギ、スワンメルダムら)に分かれる。 ライプニッツ「動物の魂」(1710) レジュメ 西洋思想史 2013.07.05(池田) □ 機械(machina)・・・場所と大きさと形の多様を有する「裸の質料」。 □ 裸の質料(Materia)・・・「不可入性」と延長で構成される。質料は純粋に受動的。 □ 不可入性(antitypia, impenetrabilitas)・・・それによって質料が空間内に存在するようになる もののこと。空間において物質が支配している場所へ、他の物質が侵入・透入することを拒む 性質のことで、物体が持つ抵抗力のこと。 □ 実体的原理・・・ライプニッツは、質料は純粋に受動的であり、したがって機械の運動の原理 や、機械において生起する表象の原理を、質料だけでは説明できないとする。そこで、このよ うな原理を「実体的原理」と呼び、原始的な力とか、第一エンテレケイアとか、魂(anima)と言 い換えている。こうしてライプニッツは、アリストテレスの質料形相論を継承し、 「質料+実体 的原理=完足的実体」という生命に関する形而上学的モデルをとる。 □ 表象(perceptio)・・・ライプニッツにおいて表象は、ものごとの現象や、動物が持つ知覚を含 む、実体の内になされる宇宙の表現一般を指す、広い概念である。 □ デカルトの動物機械論批判・・・ライプニッツは、延長をもって実体だとするデカルトの形而 上学を批判する。ライプニッツによれば、動物は、デカルト派が主張するように表象を欠いた 純粋な機械ではない。ライプニッツは、動物もまた魂を持つことを主張する。 □ 「自然はその多様性の内にあって斉一的である――原理において斉一的であり、そのあり方に おいて多様である――」 □ 前成説(予先形成説)の支持・・・ライプニッツは、 「動物は妊娠以前に、感覚的に知られない 小動物という形で種子の内に既に存在している」とする前成説を支持する。この説は、発生に したがって器官が分化していくとした、アリストテレスやハーヴィらが支持した後成説と対立 する見解である。ライプニッツは、この前成説を、魂の不死の問題と結びつける。彼によれば、 前成説は、動物が自然的に誕生し死滅することを否定するものである。ライプニッツにおいて は、動物の魂だけでなく、身体もまた不死である。 □ 欲求(appetitus)・・・「新たな表象へと向かう、作用者の傾向性(conatus)」。ライプニッツにお いて欲求は、意志などの能動的原理を指し、表象と欲求が実体の二大原理。 □ 動物と人間の違い・・・表象には、程度ないし度合いの差が考えられている。表象の最低のレ ベルは、無感覚であり、中間レベルに感覚知、想像知があり、そして、より高次の表象として、 思惟がある。ライプニッツは、動物と人間の違いを、デカルトと同様、理性と結びついた表象 である、思惟に認める。動物は、観察した限りでは、経験的な理性を持つが、ア・プリオリな 推理を行うことが出来ず、理性的推理を欠く。また、動物は、規則の必然的な根拠を認識しな いので、命題の普遍性を認識することもない。 □ ライプニッツは最後に、予定調和説の観点から、人間の魂が、死後も、感覚も意識も保ったま ま、何らかの有機的身体と一つになった上で保存される、と主張する。 Justin E. H. Smith Leibniz and the life Sciences in The Continuum Companion to Leibniz, Brandon C. Look (ed.), Continuum, 2011. レジュメ 2013.7.19 西洋思想史(池田) ・ 「予定調和説」によれば、身体と魂はともに自動機械(オートマタ)であり、各々の状態は、 何か外的な原因からではなく、それぞれ先行する状態からすべて導かれる。 (心身間の因果関係 を否定している点で、デカルトやスピノザと共通)。 ・ ライプニッツは、デカルト派の動物機械論を否定し、あらゆる動物は魂を持つとした。ただし、 動物の身体は、物体的な自動機械であり、その状態は魂の活動や生命的原理からではなく、先 行する状態から導かれるものであるとした(この点ではデカルトの考えを継承している)。 ・ 「アニマル・エコノミー」 (動物の生命を維持する諸機能・諸運動の「秩序やメカニズム、調和」 『百科全書』)。ライプニッツによれば、自然的機械の作者は、最少の器官で最大の効果をもた らし、個別の器官は多くの機能を果たす。すなわち、ライプニッツは、アニマル・エコノミー を、目的因と結びつける。 ・ 動物身体=自然的機械が目的を持つことはいかにして可能か?ライプニッツにしたがえば、機 械性と目的論は衝突しない。 ・ 「人間身体は、どの動物の身体とも同じように、ある種の機械である。さらにどの機械もその 目的因の観点からもっともよく定義される。したがって、部分の記述においては、それら部分 の各々が意図された使用に対して他の部分とどのような仕方で適合(調整・調和)しているの か明らかである」(「人間の身体」、1680 年代中頃) ・ デカルトは動物と人間身体が機械であり、したがって目的因を欠く、と主張したかった。他方 で、ライプニッツは、動物や人間の自然的身体は機械であり、そのためにそれらの目的因の観 点から理解される必要がある、と主張したい。 ・ ライプニッツ的な動物は、魂を持つ動物であるが、魂は表象と欲求に対してのみ責任を持つ。 (魂が身体から区別されている点) ・ 単なる人工的な機械と、自然的機械の違いを、諸部分の無限の入れ子構造に見る。 ・ 「動物の有機体は、神による予先形成を前提するメカニスム」(クラーク宛書簡)。ライプニッ ツは機械論の一種として有機体論を捉えている。ライプニッツの時代、organic という用語は、 mechanical の反義語ではなく、むしろ同義語だった。ライプニッツの Organism はむしろ organization と近い意味で用いられる。 ・ 「有機体すなわち秩序と技巧は、至高の知性によってつくられ編成された物質にっとって何か 本質的なもの」GP III 340 ・ 物質のすべての部分は、有機体で満ちている。 「というのも、物質のどの部分も、他のものども を表現しなければならず、他のものどものあいだには多くの有機的な事物があるので、有機的 なものを表現している何か有機的なものがなければならないことが明らかだからである」A VI iv 1615。 ・ 生命を持つ自然的機械には、有機体+α として支配的モナド(エンテレケイア、実体的形相、 あるいは、統一の原理)が要るという図式。別々にとられた有機体は、単なる寄せ集めの物体 的実体。 ・ 動物は生成されない、むしろ創造以来、すでに存在している。 ・ 物体(身体)の運動を含む物理現象はすべて機械論で説明できる。しかし、そうした物体や運 動の生成ないし発生の原理に関しては、機械論では説明できない、目的論によらねばならない というのがライプニッツの主張。発生の説明を前成説に負うことで、みずからの機械論を救お うとしている。 ・ 機械論と目的論の調和。ライプニッツの予定調和説のポイントは、心身の並行説だけでなく、 ここにも見なければならない。 ・ レーウェンフックらの経験科学の影響などにより、前成説にもとづく有機体論を形成するが、 のちに形而上学の観点から、アプリオリに彼の立場が導かれると信じるようになる。すなわち、 現在はつねに未来を孕んでおり、 「自然の理性的秩序」は先行の状態から展開される、と考えた。 ・ 動物の身体が純粋に機械論的であることは、魂の欠如を示すものではない、とした。 (カエルの 解剖観察。心臓や臓器を切除しても、運動している。) ・ ライプニッツは、生命の原理を身体から分離し、生命の原理を表象と同一視する。感覚器官は むしろ、表象のために存在し、運動器官は表象を獲得するために存在する。彼はこの「表象の 獲得」を「欲求」として説明することになる。 ・ ライプニッツは、動物が持つ「表象」のはたらきが、機械論的に説明できないことの一つだと 考えるようになる。こうして彼は、「表象」を感覚器官から分離し、「欲求」を運動器官から分 離することで、モナド論を形成することになる。 ・ ライプニッツは、従来間違って考えられてきたような、 「生気論者」ではない。むしろ、生命的 存在者の有機的身体でないようなものは宇宙には存在しないと信じる、 「汎有機体論者」である。 ただし、これらの有機的身体はそれ自身で生きているのではない。 ・ ある意味で、ライプニッツはすべてのものは生きていて、かつ、何ものも生きていないと考え ている。あらゆる自然的身体は、有機的構造を持ち、この構造は無限に多くの知覚者を内在し ている外的なサインであるが、この構造そのものは生命ではない。