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本文全文 - 北里大学

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本文全文 - 北里大学
北里大学海洋生命科学部企画
『もっと知りたい「海の不思議」その1 フグはフグ毒を作らない??
フグの毒化機構解明をめざして』
フグのからだの中に猛毒のあることは誰でも知っている。しかし、ときどきはフグに当
たって死ぬ人が出てくる。ところで弱肉強食の動物の世界でフグを食べて死ぬ動物はいる
だろうか。もしいるとして、その毒はフグにとってどんな役にたつのだろうか。捕食動物
が死んでも、食べられてしまってからでは、フグにとって何の利益もないのではないか。
このような疑問をもたれたことはないだろうか。
「ウミネコはフグを食べない」
この答えを漁師さんなら、皆知っている。三陸の海にはいくつもの定置網が仕掛けられ
ていて、漁師さんたちは魚を捕るため毎朝網起こしに出かける。そして魚を捕って網起こ
しから戻る漁船には何百羽ものウミネコが群れて追ってくる。船から小魚がこぼれ落ちる
のを期待して追ってくる。この漁船に以前私が乗せてもらったときに、私はウミネコに小
魚を投げ与えてみた。するとウミネコは空中でうまく魚をキャッチした。それが見事なの
で何尾か小魚を投げ与えた後で、私はいたずら心を出してフグを空中に投げてみた。とこ
ろが、ウミネコはフグに寄ってきたが、フグを捕らえようとしなかった。何回かやってみ
たが、ウミネコは目で見てフグとわかると捕らえようとしなかった。漁師さんは、ウミネ
コはフグを絶対に食べないと言い切る。漁師さんも昔たぶん私と同じ経験をしたことがあ
るのだろう。
私は、以前、小魚とフグとを浜に並べてウミネコがどうするか観察したことがある。小
魚とフグを交互に合わせて二十尾位を浜に並べた後、その場を離れて観察した。すると、
すぐにウミネコが舞い降りてきて小魚を次々と食べている。ウミネコが去った後に魚を置
いた場所に戻って見ると、ウミネコはフグにはまったく手を付けず、小魚だけを選ぶよう
にして持ち去っていた。
ウミネコはなぜフグを避けるのだろうか。フグには猛毒があることを知っているのだろ
うか。知っているのならどのようにして知ったのだろうか。これに関係するエピソードが
ある。ある夏の日、私が浜で釣りをしているとウミネコの幼鳥が近づいて来た。幼鳥とい
うのはその年に生まれた雛が成長したもので、大きさは親と変わらないが、胸の部分の毛
が茶色なので胸が白い毛の親と区別できる。私が釣った小魚をその幼鳥に投げてやると、
幼鳥は近寄って小魚を食べた。次にフグの稚魚を投げてやったところ、幼鳥はいったんく
ちばしで稚魚をついばんだが、すぐに吐き出した。その後は、フグ以外の魚を与えると食
べるのだが、フグの稚魚を与えても、見るだけでけっして食べなかった。幼鳥にとってそ
のときのフグは初めてだったのだろうが、口にしてみて毒があることを感じ取り、フグが
食べられない魚であることを学習したため、次からは幼鳥はフグを見極めて食べなかった
と、私は考えている。一方、フグは毒のおかげでウミネコに食べられる危険がなくなった。
魚やカニもフグを食べない
同じようなことは、水面下でも起こっている。フグの毒は皮膚のほか、肝臓や卵巣に多
く含まれる。そこでフグとは分からないように肝臓の角切りを、飼育中のニジマスの群れ
に投げたところ、ニジマスの一尾が肝臓を口にした後、一秒ぐらいで吐き出した。すると
吐き出された肝臓を次のニジマスが口にしてすぐに吐き出した。このようなことを繰り返
して全部のニジマスが経験したと思われるころ、見向きされなくなった肝臓片が水面にポ
ツンと浮いていた。
フグ毒の主成分であるテトロドトキシン(以下、TTX)は強力な神経毒であるが、人
間にとっては無味・無臭の物質であるといわれている。実際、TTXは哺乳類であるマウ
スの味覚受容器には作用しないことが実験で示されている。一方、上記のようにニジマス
やイワナなどがTTXを含む餌を忌避することを行動観察から見いだした。さらに忌避行
動に関与する感覚器官を探索した結果、これらの魚類の味覚受容器は、マウスとは異なり、
TTXを検出可能であることを実験で示し、味覚器が毒物感知の役割を果たしていること
を示した。魚類の味覚器は接触受容器として餌の口腔内への取り込みや摂取するか否かの
判断の機能をもつものと考えられた。有毒なものは滅多に食べない動物たちの自然の知恵
が神経生理学的に裏付けられたのである。水槽に飼育中のヒラツメガニやイソガニにもフ
グ毒含有餌を与えたところ、これを忌避した。魚やカニは味覚を通じてフグ毒を感知して
いるものと推察された。
TTXは分子量319、Naチャンネルをブロックする非ペプチド性の神経毒で、結晶
化すると白色の粉末になる。人に対する経口致死量は2硺祥といわれ、青酸カリの経口致
死量150―300硺祥に比較して約100倍も高い毒性を持つ。三陸の定置網ではトラ
フグ、マフグ、ヒガンフグ、コモンフグなどが漁獲されるが、三陸産のヒガンフグとコモ
ンフグは絶対に食べてはいけない。フグの毒性の強さには、魚種による差、季節による差、
個体差、臓器による差が知られているが、地域差もあることがわかった。普通フグの筋肉
部分は無毒である。無毒といっても毒がまったくないわけではなく、人が一礰祥食べても
死に至らない程度の微量の毒なので無毒と定義されている。しかし岩手県越喜来湾および
釜石湾ならびに宮城県雄勝湾で漁獲されるヒガンフグ、コモンフグは筋肉部分も有毒なの
で絶対に食べてはいけない。このことは一九九三年二月三日の厚生省生活衛生局長通達に
明記されている。それではフグにおけるTTXの起源は何か。これに関して一九八一年に
東大の松居隆博士らは、養殖トラフグには毒がないこと、無毒の養殖トラフグにTTXを
含む餌を与えて飼育すると毒化することを報告した。さらにフグ以外に脊椎動物としてカ
リフォルニアイモリ、ツムギハゼ、ヤドクガエルなど、無脊椎動物としてヒョウモンダコ、
ボウシュウボラ、トゲモミジガイ、スベスベマンジュウガニ、ウモレオウギガニ、カブト
ガニ、オオツノヒラムシ、ミドリヒモムシなど様々な動物がTTXを保有することが明ら
かになってきた(水田にいるアカハライモリもTTX保有者である)。またTTX産生細
菌の存在も明らかになった。これらのことから、細菌が作り出したTTXが様々な動物の
TTXの起源であり、フグは食物連鎖を介してTTXを吸収・蓄積して毒化するとの外因
説が支配的である。しかしフグが何を食べて毒化するのかについて具体的な証拠を示した
研究はない。またフグの毒性には著しい個体差があるが、毒性の著しく高い個体は毒性の
高い餌を選択的に食べ続けなければそのような高い毒性に至らない計算になる一方、その
ような毒性の高い餌がフグの周囲に常に存在することは考えにくい。このように単なる食
物連鎖説では説明しにくい部分がある。そこでフグの毒化機構を真に解明するためには自
然環境下でフグが成長し毒化する過程をじっくりと観察する必要がある。
夏を過ぎると三陸沿岸にもマフグ、クサフグ、コモンフグ、ヒガンフグなどのフグ科魚
類の稚魚が出現する。本研究室では2000年ころからフグ稚魚に着目した研究を開始し
た。まず採集したフグ稚魚の毒性を調べると著しい地域差があることが分かった。同じ魚
種でも採集地が数㌔㍍離れると毒性がかなり違うのである。越喜来湾の湾奥に位置する鬼
沢漁港は毒性の高いフグ稚魚が採集できる場所である。体重が0.1㌘に満たない小さいこ
ろから著しく高い毒性を持つフグ稚魚もいる。数日間隔で繰り返し採集して稚魚の成長と
毒性を調べてみると、成長とともにTTX量がどんどん増える時期もあれば、停滞する時
期も、また逆に減少する時期もありそうである。したがって時期によっても毒性は違うこ
とになる。TTX量が増える時期には毒化原因餌生物がたくさん存在するのだろう。
以下の研究には養殖フグが不可欠である。静岡県の浜名湖に面する東京大学大学院農学
生命科学研究所付属水産実験所には私の研究仲間である古川清博士と河野迪子博士がいる。
両博士が生産し育ててくれた無毒の養殖クサフグ稚魚を毎年、浜名湖から三陸に運んで次
のような実験をしてきた。
まず、無毒の養殖クサフグ稚魚をカゴに収容して鬼沢漁港内に吊しておき、カゴの目か
ら入り込む餌生物を食べさせ,半月間程度飼育後,クサフグ稚魚の毒性を調べ、毒化する
かどうか調べる実験を7年前から繰り返し行ってきた。このカゴ飼育実験から毒化する時
期とそうでない時期があることが分かった。毒化する時期には毒化原因餌生物が存在する
ことがますます疑われた。稚魚の口に入るような餌生物ならプランクトンのような小型の
生物にちがいない。しかし、それが何であるかは分からない。
そこで毒化原因餌生物を絞り込むために、鬼沢漁港の岸壁から水中ポンプで海水ととも
にプランクトンを吸い込み、プランクトンネットでプランクトンを濾して濃縮し、濃縮後
のプランクトンを魚に与えて飼育する実験装置を5年前に組み立てた(写真参照)。その
装置で養殖クサフグ稚魚を半月間飼育し、飼育後の毒性を調べる実験も繰り返し行ってき
た。するとやはり毒化する時期とそうでない時期があることが分かった。毒化する時期に
与えたプランクトンの中に毒化原因餌生物が含まれている可能性が高い。一方、クサフグ
稚魚が食べ残した餌は毎日回収して保存してある。その中に毒化原因餌生物が含まれてい
るはずなのであるが、しかし、この食べ残しの毒性を調べてみてもほとんど毒性がないの
である。毒化原因餌生物はどこに消えてしまったのだろうか。もしかしたら、その餌生物
はTTXを含んでいるのではなく、TTXになる前の物質 (前駆物質) を含んでいて、フ
グがそれをTTXに変換している可能性もある。一方、昨年の実験で、食べ残し餌から極
微量ながら初めてTTXが検出され、今後の新しい展開が期待される。今年は6月から実
験を再開するが、今年こそ研究の正念場であると考えている。
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