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グローバル社会における日本の演劇文化
2004 冬学期高山ゼミ 10/28/2004 発表予定 アジア・アフリカ地域担当 320029H 岩崎 雄大 [email protected] グローバル社会における日本の演劇文化 0. 要約 “In defense of globalization: why cultural exchange is still an overwhelming force for good - Globalization” Legrain, Philippe, The International Economy, Summer 2003 グローバル化は世界のアメリカ化であると危惧する人が多数いるが、それは神話である。負の要素 もあるが、文化の他家受精はもはや止められない力である。アメリカの文化と言われているものの多 くは、実際はアメリカの経済規模を利用したシステムによって流通している他国の文化である。アメ リカの消費者文化の浸透より、西洋の自由主義や科学、情報の技術の浸透による選択肢の拡大によっ て、新しい混成の文化が生まれている。国の文化はそう簡単に滅びる物ではなく、グローバル化で選 択肢の幅が広がったことにより、国家の枠にとらわれない文化の変遷が起こっているだけである。 1. 論点 グローバル化によって世界の文化は一様化し、また同時に多様化する1。経済的・文化的側面から、グ ローバル社会の中での今後の日本の演劇文化の在り方を取り上げて考える。 2. 経済的側面 2.1. グローバル市場での「文化」という商品2 ・量産による価格の一様化 質の価格 → 生産・流通・販売のシステム化による量の価格の均質化 ・消費規模の拡大・集中と「スター・システム」の悪循環 ↓ 文化の消費が一部の「スター」による文化に集中 ← →プロデューサーによる「スター」の文化の集中的な販売促進↑ ・多様な文化的生産物のインフラと販売促進の一部集中 多様な文化的生産物の大量生産 →一つあたりの普及と露出の減少 →限られた文化的生産物に対する集中的販売促進 結果的に消費者の選択肢は減少 →生産される文化的生産物の多様化に伴う文化の一様化の促進という現象 1 2 Logan, 2004 ここで語られる文化とは、CD・DVD・VHS・映画などの大量生産が可能な文化をいう。 1 ・規模の優位性 一度生産した文化的生産物の普及規模の拡大にコストはあまりかからない (国内マーケットに大規模な消費者市場があれば、国外進出は低コスト3) →結果的に国内市場の規模を誇るアメリカの文化が低コストで広く普及 2.2. 公機関の介入による文化保護 ・文化産業への介入の正当性の是非 ・国家の枠を越えた市場(国より大きく、国家集団より小さい規模) ・課題:①交換の対象性の保障(経済規模の問題でもある) ②文化的生産物の多様性と多様な生産物へのアクセスのセーフガード ③文化政策の説明責任 ④地元の文化的産物の保持への予防的方針 2.3. 日本の演劇の経済的側面 ・市場を活かした劇団四季 −ロングラン・地方巡業による低コストな普及規模の拡大 →文化の(観客の)凡庸化、一様化 −宣伝による消費者への露出の増加 → 消費者の一部集中 ・「スター・システム」によるプロデュース公演の増加 −売れる「スター」を利用した販売促進 −宣伝による消費者への露出の増加 3. → 消費者の一部集中 文化的側面 3.1. 「グローバル化=アメリカ化」の検証 「グローバル化ははっきりとアメリカの顔を持っている。 」4 ・グローバル化による文化間交流の可能性 −情報通信技術の発達に伴う距離の短縮 −国際化する企業経営 ・選択肢の拡大に伴う新種の文化の誕生5 −国家の枠に捕われない、個人の自由な選択 (→実態としての選択肢の減少−2.1.参照) ・グローバル市場におけるアメリカ文化の流布 (国内マーケットの規模を利用した国外への流通・販売網の拡大) 3 4 5 実際にハリウッドの映画産業は、大規模な国内消費者市場で元手が取れるため、国外に輸出すると多くの場合輸出先 の国の国産映画よりも安い値で普及させることができる。 (Benghazi, 2003) フリードマン,2000,下巻 p.166 “hybrid cultures” (Benghazi, 2003) 2 →他国の文化の自由な流通による選択肢の拡大 →かつ、経済的に優位な文化の影響力の増加、文化の相互影響のアンバランス 3.2. 日本の現代演劇の流れ ・1960 年代 新劇の時代6 −戦後、西洋的な構築を求めて ・1970 年代 西洋的な新劇への反発と日本の伝統の探求7 −脱構築の時代、土着の文化の再確認 ・1980 年代 伝統への反発とサブカルチャー信仰 −「過剰消費社会での自分探し」8 −「アメリカの内面化」というプロセスの完成後の時期9 ・1990 年代 劇的なものに対する反発 3.3. グローバル化に伴う日本演劇への影響 <世界の中の日本> ・情報のスピード化に伴うメディア文化の活性化 ・日本的アイデンティティの確認 ・世界に向けて発信される日本の演劇10 <アメリカ的生産・流通・販売促進の手法> ・劇団四季の商業演劇 ・商業的プロデュース公演 4. 私見 グローバル化は必ずしもアメリカ化を意味する訳ではない。グローバル化により、情報通信技術が 発達し、文化間の交流が活発になるようなシステムの基盤が作り上げられるのだ。そのシステム自体 はニュートラルなもので、全ての参加する文化が同等な力を持つはずなのである。だがしかし、実際 は経済的な側面を考えると、国内に圧倒的な規模の消費者市場を誇るアメリカが文化の普及規模を拡 大するのに最も優位な立場にいる。アメリカから発せられる文化が「アメリカ的」であるかどうかは 議論の余地があると思うが、アメリカ発の文化の大量消費による文化的生産物の均質化や、一様化が 起こっていることは認められる。そのような立場にあるアメリカの資金があるプロデューサーの手に 掛かれば、 『ハリー・ポッター』のような特定の文化的土壌(イギリス)に帰する文化であっても、大 6 ロシアのモスクワ芸術劇場で活動していた脚本家チェーホフと演出家スタニスラフスキーによる演劇のメソッドが日本で主に使 われていた。青年座、文学座などはこの流れ。西洋人の役をやるために髪を金髪に染めて演じたりした。 7 俗にアングラ演劇と呼ばれるこの世代では、鈴木忠志による下半身を落とした身体を見せる鈴木メソッドや、土方巽によって創 設された西洋のダンスとは異なる土着的な「舞踏」という舞踊のジャンルが生まれた 8 扇田昭彦,『日本の現代演劇』 (岩波新書,1995) 9 内野,2001 10 2004/07 の平成中村座 in NY、蜷川幸雄の『オイディプス王』(アテネ)、などがある。 3 量消費され、凡庸化、一様化されてしまうことがあるのである。11そのようなグローバル化による文化 への影響という点を考えると、表現の形態自体がライブ、つまりアナログであり、大量消費が難しい ものであるため、演劇という分野は一番直接影響を受けにくい分野である。しかし、演劇においても ハリウッドの作り方と同じような作り方をする劇団四季などの劇団は存在し得る。これらが経済的に 取っている戦略はグローバル社会におけるハリウッドの戦略に似ているが、これは文化的には一様化 を促進する。経済的にグローバル社会で競争をすると、文化が一様化してしまうのは仕方がないこと なのだろうか。また、文化間の交流の増加は国民国家単位でのアイデンティティの再確認を引き起こ すのだろうか、それとも経済的に影響力が強いアクターの後ろ盾を受けて大量消費され、一様化につ ながるのだろうか。グローバル化の波を前に、これからの文化の在り方はどう変化していくのか。こ れからの日本の演劇界を考えていくと、創り手としては経済的に競争することは避けたいものの、最 も経済的な戦略は、 「スター」を呼び込み宣伝効果を計り、国内での作品一つあたりの公演回数を増や し、そこからアジア圏にツアーに出ることである。よくよく見てみると、ミュージカルの世界ではこ のようなことが実際行われている。地方や海外にツアーに出るときはその地域の演劇鑑賞会などが公 演をパックで買ってくれるため、黒字採算と取りやすいからだ。しかし、このような公演の場合は、 採算を取るために、ミュージカルなどの広く観客に受け入れられやすい作品に限られてしまう。これ は観客の意識の中での文化の一様化を促進してしまっている。ここで国家や地方自治体などの公機関 が多様な劇団や公演を対象に同様にパック購入をすることで文化の多様性を守るというのは、演劇が しばしば政治的なメッセージを与え得ることの不都合と、文化の選択肢を公機関が与えてしまうこと の正当性が問題になるため難しい。演劇は文化としてはグローバル化の影響を受けつつも、経済的に は文化庁の助成金やスポンサーなどによって保護されることしかできないようだ。 5. 主要参考文献 ・ 内野儀, 「野田秀樹とサム・シェパード−グローバリティ・国民国家・演劇」 (『ユリイカ』6月臨 時増刊号 2001),pp.134-142 ・ トーマス・フリードマン,東江一紀・服部清美訳,『レクサスとオリーブの木(上・下)』(草思社,2000) ・ Benghazi, Pierre-Jean, “Economy and Culture: Looking for Public Regulation Issues,” Planetagora, July 2003 ・ Crawford, Brian D. & Schophaus, Malte, “Is it still possible for art to talk?” Organdi Quarterly, April 2002 ・ Henighan, Tom, “The Media, Globalization, and the Problem of National Identity,” Revista de Humaidades, December 2002 ・ Legrain, Philippe, “Cultural Globalization is Not Americanization,” The Chronicle Review, Volume 49 Issue 35 Page B7, May 9, 2003 ・ Logan, Brian, “An interview with director and writer, Dragan Klaic,” LIFT News, Spring 2004 11 Benghazi, 2003 4