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「やさしい日本語」とは何か
「やさしい日本語」とは何か 庵 功雄 1.はじめに―「やさしい日本語」が求められる背景― 現在、定住外国人の数が増えています。このことの背景にはさまざま な要因が考えられますが、人材の移動のグローバル化と日本社会の少子 高 齢 化 お よ び 生 産 年 齢 人 口( 1 5 ~ 6 4 歳 )の 減 少 傾 向 が そ の 大 き な 要 因 で あることは間違いありません。つまり、成功の場を海外に求めようとす る人の流れと、外国人の力を必要とする日本国内の動きが同じ方向性を 向いているのです。 このように、これからの日本社会を支えていく上で外国人の力がどう しても必要であるとすれば、そのような理由で日本にやってくる外国人 が母国でと同じように、日本においても自己実現することができること を保証する必要があります。このことは個人の手には余る大きな問題で すが、筆者を研究代表者とする研究グループではこの問題に「やさしい 日本語」という観点からアプローチしています。 さて、外国人に対する情報提供ということから言えば、母語での情報 提供ということが考えられます。実際、災害時においてはできる限り多 くの母語による情報提供がきわめて重要です。しかし、平時においては どうでしょうか。 東 京 都 国 際 交 流 委 員 会 / 国 際 交 流 ・協 力 TOKYO 連 絡 会 編 (2012) に よ って初めて明らかになったように、各地の自治体では多言語による情報 提供が確実に行われるようになってきています。このことは少し以前の 状況と比べれば格段の進歩であり、大いに喜ぶべきことです。しかし、 最も多いパターンである英・中・韓の 3 言語、および、それにポルトガ ル語と スペ イン語 を加 えた 5 言語 で情報 を提 供した とし ても 、そ れ に入 ら な い 言 語 の 人 は そ こ か ら こ ぼ れ て し ま い ま す 。こ れ は 仮 に 1 0 0 の 言 語 を カ バ ー し て も 101 番 目 の 言 語 の 人 は こ ぼ れ て し ま う こ と を 意 味 す る の で、完全な多言語化というのは原理的にもほぼ不可能だと言えます。し かも、翻訳する言語が増えるということは行政のコストを増やすことに もなります。 ま た 、 そ れ 以 外 の 問 題 も あ り ま す 。 岩 田 ( 2010) で 紹 介 し て い る 国 立 国語研究所による全国調査では、定住外国人が「自分がわかる外国語」 と し て 挙 げ た も の は「 日 本 語 」が 6 2 . 6 % に 対 し て「 英 語 」は 4 4 % で し た 。 さ ら に 、 広 島 で は 「 日 本 語 」 が 70. 8%で 「 英 語 」 が 36. 8%と 約 2 倍 だ っ たとのことです。にもかかわらず、実際には情報提供は英語でしか行わ れていません。このような情報のミスマッチも存在するのです。 こ の よ う な こ と を 考 え る と 、平 時 に お け る 情 報 提 供 の 手 段 と し て 、 「や さしい日本語」ということを考える必要があることがわかります。そし て、上記の報告書にもあるように、各地の自治体においても「やさしい 日本語 」を 情報 提供の 1 つ の手 段 として 取り 組もう とし てい ると こ ろが 着実に増えつつあります。 この小文ではこのように多面的に発展しつつある「やさしい日本語」 という考え方について考えていきたいと思います。 2 .「 や さ し い 日 本 語 」 と は 何 か こ こ で は 、「 や さ し い 日 本 語 」 と い う の は ど の よ う な 内 容 ・ 性 格 の も のであるかについて述べます。 2 - 1 .「 や さ し い 日 本 語 」 を 支 え る 3 つ の 柱 「やさしい日本語」には、1)補償教育の対象としての側面 2)地 域 社 会 に お け る 共 通 言 語 と し て の 側 面 3 )地 域 型 初 級 の 対 象 と し て の 側 面 という3つの性格があります。 2-2.補償教育の対象としての「やさしい日本語」 最初に述べたように、現在においてもすでに、外国人の力抜きにして は日本社会を支えていくことは困難になってきています。そして、この 傾向は日本が少なくとも現在の経済規模を維持していこうとするならば 決して減少することはないと考えられます。つまり、これからの日本社 会はその重要な担い手として外国人を迎え入れる体制を取らなければな らないのです。そうであるとすれば、そうした外国人が母国でと同じよ うに、母語を使って自己実現できる道が保証されているべきだと考えら れます。しかし、1 でも述べたように、このことを完全に実現すること は 現 実 に は ほ ぼ 不 可 能 で す 。 そ の こ と を 踏 ま え 、 山 田 (2002)は 次 の よ う に述べています。 「日本社会を多言語化することが困難であることを日本 側がわび、その代わりに自己実現を可能にする一定以上の日本語能力が 習 得 で き る 機 会 を 「 償 い 」と し て 補 償 す る 」。 そ し て 、こ の よ う な 教 育 を 補 償 教 育 ( c ompe ns ator y e duc ati on) と 呼 ん で い ま す 。 山 田 (2002)は こ う し た 補 償 教 育 を 外 国 人 に 対 す る 初 期 日 本 語 教 育 と し て、公的に無償で保証すべきであると主張しています。筆者たちの研究 グループもこの考え方に賛同し、そうした教育が保証されるようになっ た際の具体的な教育内容としてふさわしいものとして、後で述べる St e p1, 2 を 設 計 し ま し た 。 St e p1, 2 は こ の よ う に 、 初 期 日 本 語 教 育 の 対 象 と な る こ と を 意 図 し て 作られています。そのため、文法的にはリソース(材料)を最低限のも のに刈り込んでいます。しかし、刈り込んだ結果、外国人が日本語を用 いて自らが表現したい内容が表現できなくなるということはないように 設計されています。ここでは、少ないリソースであってもそれを確実に 使いこなすことによって、外国人が主体的に自己を表現できるというこ と を 重 視 し て い ま す 。こ の 点 に つ い て は イ( 2 0 0 9 )も 参 照 し て く だ さ い 。 2-3.地域の共通言語としての「やさしい日本語」 「やさしい日本語」は補償教育の対象として以外の側面も持っている。 これまでの日本社会は、外国人に対して一方的に日本語習得を求めて き ま し た 。「 こ こ ま で 来 た ら ( 日 本 人 と 同 じ よ う な ( n a t i v e - l i k e な ) 日 本語能力を身につけたら)仲間に入れてあげよう」という考え方です。 日本語教育もそのことに力を貸してきたと言えます。しかし、こうした 考え方は対等な市民同士の交流のあり方としては不適切なものであり、 外国人側にも最低限の日本語習得を求める一方で、日本人側もその日本 語を理解し、自らの日本語をその日本語に合わせて調整する訓練をする 必要があります。その調整過程に共通言語として成立するのが「やさし い日本語」なのです。このことを図示すると次のようになります 1。 1 ここで補足しておくと、このように述べたからといって、そのことは外国人が native-like に な り た い と 考 え る の は 間 違 い だ と 主 張 し て い る わ け で は な い と い う こ と で す 。n a t i v e - l i k e に な り た い と い う の は 外 国 語 習 得 の 動 機 付 け と し て ま っ とうなものであり、日本語教育にはその期待に応えていく責任があります。ここ で 言 い た い の は 、 こ れ ま で の 日 本 語 教 育 で は native-like に な る こ と だ け が 目 的 <これからの地域社会における「やさしい日本語」> 日本語母語話者<受け入れ側の日本人> ↓ コード(文法、語彙)の制限、日本語から日本語への翻訳 やさしい日本語(地域社会における共通言語) ↑ ミ ニ マ ム の 文 法 ( Step1, 2) と 語 彙 の 習 得 日本語ゼロビギナー<生活者としての外国人> こ こ で 注 意 す べ き は 、現 在 の( そ し て 、お そ ら く 今 後 も )こ の 図 の「 地 域 に お け る 共 通 言 語 」の 役 割 を 果 た せ る の は 、 「 英 語 」で は な く 、ま た「 日 常 の 日 本 語 」 で も な く 、「 や さ し い 日 本 語 」 だ け で あ る と い う 点 で す 2。 2-4.地域型初級の対象として「やさしい日本語」 ここでは「やさしい日本語」が持つ 3 つ目の側面について考えます。 日本語教育はシステムの点から、学校型日本語教育と地域型日本語教 育 に 大 別 さ れ ま す( 尾 崎 2 0 0 4 )が 、こ の 両 者 は い く つ か の 点 で か な り 異 なった性格を持っています。 例えば、学校型は契約関係であり、教師はプロとして教える義務を、 学生は(ビザの在留資格が「留学」であるように)学習する義務を負っ ていますが、地域型にはそのような義務はなく、日本人側も外国人側も 参加は自由です。また、学校型では教えるのはプロの教師ですが、地域 型では通常そうではありません。 また、この 2 つほど意識されていませんが、両者を分けるもう 1 つの 違 い が あ り ま す 。そ れ は 学 習 に か け ら れ る 時 間 数 で す 。具 体 的 に 言 う と 、 学 校 型 の 初 級 の 到 達 目 標 で あ る 旧 日 本 語 能 力 試 験 3 級 ( 現 行 試 験 の N4) の 所 要 時 間 数 の 目 安 は 3 0 0 時 間 と さ れ て い ま す 。こ れ は 学 校 型 に お け る 集 中 予 備 教 育 で 考 え れ ば 、 20 時 間 / 週 ×15 週 で す か ら 、 容 易 に 達 成 で とされてきたのを改め、そうでない日本語学習のあり方も認め、それに対応でき る日本語教育のあり方も考えていく必要があるということです。 2 英 語 が「 共 通 言 語 」の 地 位 を 占 め 得 な い の は 、1 つ に は( 岩 田 2010 が 指 摘 す る ように)定住外国人の多くが英語を必ずしもよく理解できるわけではないこと、 もう 1 つは日本人にとっても英語がそれほど使いこなせる言語ではないことによ ります。 きるも ので す。しかし 、週 1 回 2 時間が 標準 である 地域 型日 本語 教 室に お い て こ の こ と を 考 え て み る と ど う で し ょ う か 。 300 時 間 を 2 時 間 で 割 る と 150 週 ( = 3 年 ) と な り ま す 。 つ ま り 、 初 級 の 教 科 書 を 終 わ る だ け で毎週教室に通ったとしても 3 年かかることになるのです。 このようなことが非現実的であることは簡単な算術的事実であるに もかかわらず、これまでは学校型の日本語教育の方法を地域型に横滑り させることが多く、教材にしても学校型のものがそのまま使われること が多かったのです。しかし、限られた時間で、かつ、学習者が自由に使 えるレパートリーを着実に増やすということを目的とするならば、こう し た あ り 方 は 改 革 す る 必 要 が あ り ま す 。 庵 (2009)で は こ う し た 問 題 意 識 に立ち、かつ、上記の補償教育の対象としての側面も踏まえながら、ミ ニ マ ム ( 最 低 限 ) の 文 法 と し て S t e p 1 , 2 を 策 定 し ま し た ( 庵 2 0 11 も 参 照 )。 こ の S t e p 1 , 2 を 「 地 域 型 初 級 」 と 呼 び ま す 。 3.公文書書き換えプロジェクト さ て 、 Ste p1, 2 は 地 域 型 初 級 と し て 、 ま た 、 補 償 教 育 の 対 象 と し て の 側面を持っていますが、そのことをさらに発展させるために、筆者たち の 研 究 グ ル ー プ で は「 公 文 書 書 き 換 え プ ロ ジ ェ ク ト 」を 推 進 し て い ま す 。 外国人が普通の市民として、日本で定住していくということを考えた 場合に必要となることの 1 つが公的機関から日本語で提供される情報を 理解することです。本章では、外国人が読める必要がある、地方公共団 体 が 発 行 し て い る 各 種 の「 お 知 ら せ 」を「 公 文 書 」と 呼 ぶ こ と に し ま す 。 公文書はいわゆる「お役所ことば」で書かれていることが多く、わか りにくいという批判が多いです。その意味で、公文書は日本人住民にと っても(特に高齢者や障がい者のような言語的少数者にとって)改善す べき余地を残したものですが、日本語力がまだ十分ではない外国人にと っては特に読むことが難しいものです。 上述のように、筆者たちの研究グループでは定住外国人に対する言語 保障 3と し て S t e p 1 , 2 を 策 定 し ま し た が 、そ れ を 推 し 進 め て 、こ の S t e p 1 , 2 が使いこなせるレベルになった外国人が自力で公文書から情報を取れ 3 こ こ で は 、 定 住 外 国 人 の 「 言 語 権 」 を 保 障 す る と い う 観 点 か ら 、(「 補 償 」 で は な く )「 言 語 保 障 」 と い う 語 を 用 い て い ま す 。 るようなシステムを構築するということを目標として掲げています。こ の 考 え 方 の 背 景 に は 、 定 住 外 国 人 の 日 本 語 習 得 に 関 す る mi ni mum re quir eme ntと し て Ste p1, 2 を 考 え た 場 合 に 、 そ れ に よ っ て 公 文 書 の 読 解 ま で が カ バ ー さ れ れ ば 、 Step1, 2 の 価 値 が 高 ま り 、 外 国 人 の 日 本 語 学 習の動機付けにもなり、そのことがひいては外国人の日本社会へのスム ーズな受け入れにもつながるという期待があります。 4.まとめ こ の 小 文 で は 、今 後 の 日 本 社 会 に お い て 極 め て 重 要 な 課 題 で あ る 、 (真 の 意 味 の )多 文 化 共 生 に 向 け て 、 「 や さ し い 日 本 語 」を め ぐ る 本 研 究 グ ル ープがどのような立場で関わろうとしているかについて略述しました。 私たちのグループの研究は現在多様に発展しつつあります。その途中形 は本研究のホームページ 4 において随時ご報告していく予定です。 参考文献 イ ・ ヨ ン ス ク (2009) 「 外 国 人 が 能 動 的 に 生 き る た め の 日 本 語 教 育 」 『 A J A LT 』 3 2 号 、 国 際 日 本 語 普 及 協 会 庵 功 雄 ( 2 0 0 9 ) 「 地 域 日 本 語 教 育 と 日 本 語 教 育 文 法 」『 人 文 ・ 自 然 研 究 』 3 、一 橋 大 学( h t t p : / / h e r m e s - i r. l i b . h i t - u . a c . j p / r s / h a n d l e / 1 0 0 8 6 / 1 7 3 3 7 ) 庵 功 雄 ( 2 0 11 「 ) 日 本 語 教 育 文 法 か ら み た「 や さ し い 日 本 語 」の 構 想 : 初 級 シ ラ バ ス の 再 検 討 」『 語 学 教 育 研 究 論 叢 』 2 8 、 大 東 文 化 大 学 ( h t t p : / / h e r m e s - i r. l i b . h i t - u . a c . j p / r s / h a n d l e / 1 0 0 8 6 / 2 3 11 6 ) 庵 功 雄 ( 2 0 1 3 予 定 )「 公 文 書 書 き 換 え コ ー パ ス の 統 語 論 的 分 析 ― 受 身 を 中 心 に ― 」『 人 文 ・ 自 然 研 究 』 7 、 一 橋 大 学 庵 功 雄・岩 田一成・筒井 千絵・森 篤 嗣 ・ 松 田 真 希 子 ( 2 0 1 0 )「「 や さ し い日本語」を用いたユニバーサルコミュニケーション実現のための予 備 的 考 察 」『 一 橋 大 学 国 際 教 育 セ ン タ ー 紀 要 』 創 刊 号 、 一 橋 大 学 ( h t t p : / / h e r m e s - i r. l i b . h i t - u . a c . j p / r s / h a n d l e / 1 0 0 8 6 / 1 8 7 9 7 ) 庵 功 雄 編 ( 2 0 11 ) 「 や さ し い 日 本 語 を 用 い た ユ ニ バ ー サ ル コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 社 会 実 現 の た め の 総 合 的 研 究 」( 中 間 報 告 ) 4 h t t p : / / w w w 1 3 . p l a l a . o r. j p / y a s a s h i i - n i h o n g o / ( h t t p : / / h e r m e s - i r. l i b . h i t - u . a c . j p / r s / h a n d l e / 1 0 0 8 6 / 1 9 3 2 0 ) 功 雄 監 修 ( 2 0 1 0 , 2 0 11 ) 『 に ほ ん ご こ れ だ け ! 1 , 2 』 コ コ 出 版 庵 ( htt p:/ /c oco pb.co m/ kore dake/ ) 岩 田 一 成 ( 2 0 1 0「 ) 言語サービスにおける英語志向」 『 社 会 言 語 科 学 』1 3 - 1 、 社会言語科学会 尾 崎 明 人 (2004)「 地 域 型 日 本 語 教 育 の 方 法 論 的 試 論 」 小 山 悟 他 編 『 言 語 と教育』くろしお出版 東 京 都 国 際 交 流 委 員 会 / 国 際 交 流 ・ 協 力 T O K Y O 連 絡 会 編 ( 2 0 1 2 )「 日 本 語 を母語としない人への情報発信等に関する実態調査報告書」 ( h t t p : / / w w w. t o k y o - i c c . j p / t o p i c s / n i h o n g o . h t m l ) 山田 泉 (2002)「 第 8 章 地域社会と日本語教育」細川英雄編『ことば と文化を結ぶ日本語教育』凡人社