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陸上競技のサイエンス - GMOとくとくbb

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陸上競技のサイエンス - GMOとくとくbb
山崎
健(新潟大学)
脳での自動学習)しているのではないかと
いう仮説が考えられている。
人類史の視点から
ではスポーツが人類史的に形成されてき
サ ル と ヒト と が 別 れ た の は お よ そ 五 〇 〇
た身体文化ならば、スポーツの動きの発展
~ 六 〇 〇 万 年 前と 推 定 さ れ 、 二 〇 〇 二 年 七
に対応して我々の身体の構造と機能も変わ
月 に ア フリ カ ・ チ ャ ド で 発 見 さ れ た 人 類 最
ってきたのであろうか?
古 の 化 石は 「 ト ゥ ー マ イ 」 と 呼 ば れ 七 〇 〇
万年前と推定されている。
解剖学的な答えは否。養老は、「ヒトは、
ここ数万年ほど、解剖学的、すなわち身体
木村は、人類独自の移動方法として「直
的には変化していない」
「おそらく、人の脳
立二足姿勢」をあげ、上体が鉛直に立ち、
の機能もまた、数万年このかた変化してい
股・膝関節が一八〇度伸びて直立二足姿勢
ないはず」とする。つまり、数万年前に我々
が可能な骨格構造をもつヒトでは、直立を
の身体は現在と同様の「走」や「跳」がで
保つのに筋力とエネルギーをほとんど必要
きる身体を獲得していたこととなる。
せず、脊柱のS字カーブとあいまって動的
体育科教育 2007 年 6 月号(大修館書店)
な弾力的姿勢保持に役立っていること。ヒ
スプリントのメカニズム
トの「ストライド歩行」では筋活動は交互
一 九 九 一 年 東 京で 行 わ れ た 世 界 陸 上 男 子
に働いて休止時間が長く、活動電位も小さ
一 〇 〇 m 決 勝は 歴 史 的 レ ー ス と さ れ る 。 ル
いため、エネルギー消費と疲労が少なく、
イスの九 秒 八六の世界 新記録を 筆頭に決勝
持続性のある歩行が可能であることを指摘
進 出 者 八 名 中 六 名 が 九 秒 台 の 自 己 ベ ス トで
する。
走り、かつレースのバ イオメカニ クス的分
小林は、走運動では「弾性エネルギー」
析 が そ れ ま で の 日 本 的 ス プ リ ント 観を 払 拭
の利用で、着地時の伸張性収縮を次の短縮
し た と い う 点で も 画 期 的 で あ っ た 。 レ ー ス
性収縮に再利用(伸張反射)し、仕事量を
で は 、九〇 m まで リ ー ド し たバレ ルが それ
増すと同時に、エネルギー消費を節約し、
以降オーバ ーストラ イドで ピッチが低下し、
エネルギー効率は長距離走の速度では効率
逆 に ス ト ラ イド を 抑 え ピ ッ チ を 若 干 上 げ た
が高く、スプリントでは効率が低くなり、
ル イ ス に 逆 転 さ れて い る 。 も し も ル イ ス の
「長距離選手は秒速六m以下のところで効
逆 転が な け れ ば 、 バ レ ル の 九 秒 八 八 は 「 世
率がよく、短距離選手は秒速七m以上のと
界 新 記 録 」 で あ り 「 ス トラ イド 神 話 」 は 崩
ころで効率が高い」ことから筋の特質によ
壊しなかった。
り効率が違う可能性を指摘した。
ま た 、 ル イ ス 、バ レ ル と も 膝 関 節 や 足 関
この「弾性エネルギーの利用」や「運動
節の伸展速度は少なく、膝や足首を「固定」
効率」は、動作を一定の運動経過に「収斂」
し て 走 って い る こ と も 明 ら か に な っ た 。 こ
さ せ る メ カ ニ ズ ム と し て 働 いて い る よ う で 、
のこ と が 「 最 適 ストラ イド と ハ イ ピ ッ チ の
各自の身体の構造と機能に応じて、その運
維 持 」 と い う ス プ リ ン ト 走 の 理 論 モデ ル を
動課題に最適な「効率」が幾つか存在して
明らかにし 、それを可 能とす る た めの様々
おり、その効率とのズレが「教師役」とし
な ド リ ル や ト レ ー ニ ン グが 改 善 さ れて き た 。
て基本的な運動形態と運動経過を制御(小
山崎と斎藤 は 、一〇秒台のスプリ ンターを
1
陸上競技のサイエンス
健(新潟大学)
山崎
ピ ー ド が 低 下 し た 。 ま た 、ト レ ー ニ ン グ 前
リ ル ( ハ ー ド ル 走 の よ う に 四 歩 一 組で 最 高
で は 跳 躍 距 離と ス ピ ー ド と に 相 関 関 係 ( 助
タ イ ム を め ざ し 数 本 反 復 す る ) の 実 施で 、
走が 速けれ ば 距離が跳 べる)があ ったも の
ド リ ル 直 後 の 疾 走 速 度 の 向 上 と 接 地動 作 の
が 、 ト レ ー ニ ン グ後 は 相 関 関 係 が み ら れ な
改善( 接地 地 点が重心 の真下に近 くなる)
く な っ た 。 つ ま り 、ラ ス ト の 四 歩 が 「 踏 切
が 得 ら れ て お り 、 長 距 離 選 手で は あ ま り 改
準備」と して の性格と 内容を持って き たよ
善 効 果 が 見 ら れ な い こ と か ら 短 距 離 選 手で
う で 、 踏 切 動 作 は 、 膝 を 軽 く 曲げ て ブ レ ー
は 既 に 獲 得 し た 「 ス プ リ ント 走 の 内 部 モ デ
キ を か け な い と い う 「 ル イ ス 型 」 に な って
ル」に収斂したものと推測している。
いた。しか し、丸山らが小学生の 授業実践
で 行 っ た 同 様 の 課 題で は 、 ほ と ん ど の 児 童
走幅跳のスタイル
同じく 東京で の世界選 手権・ 男子走幅跳
が 「 パ ウ エ ル 型 」 の 踏 切 動 作で 記 録 を 伸 ば
している。
いずれのタイプにしても、跳躍時の足関
の決 勝は 、 八m九五の パウエルと 八m九一
の ル イ ス と で 跳 躍 ス タ イ ル が 異 な って い た 。
節 や 膝 関 節 は 「 伸張 反 射 」 に よ る ご く 短 時
と も に 最 終 助走 ス ピ ー ド は ほ ぼ 秒 速一 一 m
間で 大きな 力 を 発 揮す る動 作で あ り 、立 幅
で あ るが 、 パ ウ エ ルは 「 膝 を 伸ば し た突 っ
跳 の よう な 中 程 度 の 力 を 長 い 時 間 で 発 揮す
張 り 型 」 の 踏切で 参 加 選 手中 最 大 の 跳 躍 角
る 屈 曲 ‐ 伸 展 動 作 と は 異 な る 。こ れ は 工 学
度二三 ・一 度、ルイス は逆に「膝 をやや 曲
的 に 「 イ ン ピ ー ダ ン ス マ ッ チ ン グ 」 と いわ
げ た引 っ か き 型 」 の 踏 切で 最 小 の 一 八 ・三
れるもので、短時間で完了する跳躍時には、
度で あ っ た 。 ち な み に 、 女 子 の 優 勝 者 の カ
動 作 時 間 は 長 い が 出 力 の 小 さ い 跳 躍 動 作で
ーシーは「パウエル型」
、二位のドレクスラ
は適応できないことを意味している。
ー は 「 ル イ ス 型 」で あ り 、 ス プ リ ン タ ー と
して も 超 一 流 の ル イ ス と ド レ ク ス ラ ー が 同
じ タ イ プ と いう の は 大 変 に 興 味 の も た れ る
体育科教育 2007 年 6 月号(大修館書店)
結果である。
長距離走のメカニズム
小 林 の 指 摘 す る よ う に 人 類 学 的 に 見て 長
距 離 走 の ほ う が 「 運 動 効 率 」 が 良 く 、運 動
山 崎 と 宮 井は 、 普 通 の 女 子 大 学 生 に ミ ニ
生 理 学 的 に は 時 速 八 ㎞ 以 上で は 走 っ た ほ う
ハードルドリ ル(一二 歩助走で 四 歩目と八
が 効 率が よ く それ 以下 で は 歩 い た ほ う が 効
歩目にミニ ハードルを セットしハ ードルを
率が良いとされている。
越 え る 動 作 を 予 備 跳 躍 動 作 と して 一 二 歩 目
こ の「 運 動 効 率 」 は 筋 ‐関 節 ‐ 骨 格系 の
が 踏切 と な る ) を 行 い 「 最 後 の 四 歩はす ば
「 伸張 反 射 」 を 基 礎と し た 短 時 間 伸張 サ イ
や く 走 る 」 と いう 意 識 で 練 習 を 行 わ せ た 。
ク ル( S S C ) の反 復 に より 実 現 さ れ る 。
ド リ ル 後 の ト ラ イ ア ル で は 跳 躍 距 離は 全 員
本 年 三 月 の ラ ン ニ ン グ 学 会で の ウ ィ リ ア ム
が向上したが、助走スピードの変化は踏切
ス氏の特別講演でもこのSSCと
前 四 歩 と 踏 切 前 五 ~ 十 二 歩で 内 容 が 異 な っ
て き た 。 最 初 の 八 歩は 、 ストラ イ ド が 減 少
(経済性)”という概念の重要性
Economy
が指摘された。
して ピ ッ チ が 向 上 す る が 、 ふ み き り 前 四 歩
ラ ン ニ ン グ 動 作 は 、 キ ッ クで 推 進 力 を 得
で は ピ ッ チ は 向 上 して は い る も の の 逆 に ス
る「接地局面」とリバウンドにより弾性(運
“
2
対象とした一過性の五〇mミニハードルド
健(新潟大学)
山崎
維 群で あ る と いう こ と は 大 変 に 面 白 い メ カ
れる。この接地局面(時間)と滞空局面(時
ニズムと考える。もしも、
「力任せのストラ
間)の比率がランニングの様相(話題の「な
イド 勝負」で ラ スト ス パート を か け ると 一
んば走り」はこ の接地時間に関連する)を
部の瞬発系 筋線維群のみが動員さ れ、他の
決 定 して お り 、 登 りで は 接 地 時 間 が 長 く 推
や や 遅 い 瞬 発 系 筋 線 維 群 は 参 加で き ず 、 結
進 力 は 得 や す い が 疲 労 し や す く 、 降 りで は
果 的 に ゴ ー ル まで の運 動 効 率 の 維 持が 困 難
滞 空 時 間 を 長 く と れ る が 落下 エ ネ ル ギ ー 以
と な る 。 こ の 点で 、 戦 略 的 に は ピ ッ チ を 上
外 の 推 進 力 を 得 る こ と が 難 し い 。 平 地で も
げて (キ ッ ク 自体の 負 担を 減ら して )スパ
滞 空 時 間 が 長 け れ ば 効 率 は よ く 疲 れ な いも
ートをかけることも求められてくる。
のの推進力が得られず 、逆に接地時間が長
オリ ン ピ ッ クディ スタ ンスのトラ イアス
け れ ば ス ピ ー ド は 上が る が 疲 労 も しやす い 。
ロ ン ( ス イ ム 一 ・ 五 ㎞ 、 バ イ ク 四 〇 ㎞ 、ラ
長 時 間 遂 行 さ れ る ラ ン ニ ン グで は 、 同 一
ン 一 〇 ㎞ ) の 最 後 の ラ ンで は ハ イ ピ ッ チラ
の運 動 遂 行 シ ス テ ム を 継 続 す るこ と は 現 実
ンニングが あま り 見ら れな い。戦 略 的に 、
的 で は な い 。こ の た め 、 選 手 は ピ ッ チ や ス
成 績 に 決 定 的 な バ イ ク パ ー トで 主 要な 瞬 発
トラ イド を 微妙に 調節 し、使用す る筋 線維
系 筋 線 維 群 を 使 って し ま い ( ラ ン パ ー ト で
や動作様式を変容させている。
の逆転はあまり無いので バイクパート に
「勝負」をかける)、いわば「残存」速筋線
体育科教育 2007 年 6 月号(大修館書店)
瞬発性筋線維群の交代
維 群 ( や や 収 縮 速 度 の 遅 い 瞬 発 系 筋 群 )で
短距離スプリントを含めランニング動作
持 久 的ラ ン ニ ン グ を 遂 行 せね ば な ら ず 、 結
では、最適ストライドとハイピッチをいか
果 と して 疾 走 動 作 が 変 容 す る 。 こ れ は 、 十
に維持するかが重要である。
種 競 技 最 終 の 一 五 〇 〇 m 走で も 同 様 の 現 象
筋肉の電気的活動を記録したものを筋電
が 見ら れ る 。通 常 、疲 労 の進 行に と も な い
図という。筋電図のコンピュータ解析を行
「フォームが乱れる(悪くなる?)
」と考え
うと、速筋(瞬発)系と遅筋(持久)系と
がちで あ る が 、実はわ れわ れの身 体は 大 変
に分けられ、さらに速筋系の収縮のなかに
に 巧 妙 に で き て いて 、 そ の 時 点で の 「 残 存
も「かなり速い」ものから「やや遅い」も
エネルギー系」を最大限に「総動員(活用)」
のまでのいくつかの筋線維グループが存在
してゴールを目指しているのではないか。
していることが知られている。
スキルを支えている瞬発系筋線維群も
森谷は高橋の自転車ペダリング運動時の
「 随 意 的 収 縮 」 の 範 囲 内で は 完 全 に 消 耗 す
データから、最大酸素摂取量の七〇%の同
るこ とはあ りえな い。 筋 線維 自体 の収 縮 能
一の運動でも、ペダルの回転数を一分八〇
力 は 残 存 し て い る が 脳 内で 中 枢 性 抑 制 が 先
回にすると最大筋力の一一%出力ですむの
行 す る ・ ・ いわ ゆ る 中 枢 性 疲 労 発 現 ・ ・ メ
に対し、一分四〇回では一七%に達し、回
カ ニ ズ ム が 存 在す る 。 優 れ た 競 技 者 は 、 ト
転数の多い方が相対的に動員される筋群が
レ ー ニ ン グ の 反 復 に よ りこ の 中 枢 性 の 疲 労
交代できる可能性があると指摘する。
発 現 に よ る パ フ ォ ー マ ン ス の 低 下 を 「 脱抑
こ の 長 距 離 走で の ラ ン ニ ン グ ス キ ル を 支
制」する方法を獲得している。(たとえば「か
えて いるも のが 抗 疲労 性の 低 い瞬 発 系筋 線
け 声 効 果 」 に よる パ フ ォ ー マ ン ス の 一 過 性
3
動 )効 率 を 上げ る 「 滞 空 局面 」と に 分 け ら
山崎
健(新潟大学)
の改善など。
)
無 意 識 のう ち に も 巧 み に 速筋 系 線 維 群 を
⑤
交 代 さ せ運 動 を 遂 行 し て ゆ く メ カ ニ ズ ム の
存 在 は 大 変 に 不 思 議で ま た 魅 力 的 な も の と
小林寛道(一九九〇)、走る科学、大修
館書店
⑥
考えられる。
佐々木正人(一九九四)
、アフォーダン
ス‐新しい認知の理論‐、岩波書店
⑦
運動効率の意味するもの
多賀厳太郎(二〇〇二)
、脳と身体の動
的デザイン‐運動・知覚の非線形力学
伸張 反 射 や 短 期 伸 張 サ イ ク ル を 基 礎と し
たエネルギーの再利用とパフォー マンスの
4
と学習カード、小学館
と発達‐、金子書房
⑧
深代千之(一九九二)、最新・陸上競
効 率 化 ( 経 済 性 ) は 、 マ イ ネ ル の 指 摘す る
技の科学第二巻「走幅跳・三段跳」解
「弾性」「伝導」「運動リズム」といった運
説、ベースボール・マガジン社
動習熟の質的評価や「軽快さ」「心地よさ」
⑨
とも対応する。
ス ポ ー ツ ス キ ル の 獲 得 ( 習 熟 ) に よる 動
マイネル:金子明友訳(一九八一)、
スポーツ運動学、大修館書店
⑩
丸山久志・山崎
健(二〇〇二)、走
作 改 善 は 、 川 人 の 指 摘 す る 大 脳 皮 質運 動 野
幅跳におけるミニハードルドリルの有
からの運動指令の「関節トルク最小モデル」
効性、新潟体育学研究第二〇巻
と 対 応 し た 小 脳 で の 逆 動 特 性 学 習 を 経て 実
⑪
現すると考えられている。
調節メカニズム研究の現状と課題、加
「 運 動 効 率 」「 経 済 性 」 と い っ た 概 念 が
我 々 の 運 動 経 過 を そ の 時 点で 最 適 な も の に
森谷敏夫(二〇〇一)、運動時の循環
賀谷・中村編・運動と循環、NAP
⑫
山崎 健(一九九三)、ランニングス
「 収 斂 」 さ せ る と いう 仮 説 は 大 変 に 魅 力 的
キルの改善と歩数計測の意義、ランニ
なもので、最近話題の佐々木の指摘する「ア
ング学研究 第一四巻
フ ォ ー ダ ン ス 」 や 多 賀 の 指 摘す る 「 引 き 込
⑬
山崎 健(一九九三)、スポーツ技術
である。
編「スポーツのルール 技術 記録」)、
・
の研究は何に貢献するのか(中村敏雄
・
み 現 象 」 と の 関 連 も 伺 え る 興 味深 い テ ー マ
体育科教育 2007 年 6 月号(大修館書店)
創文企画
文献
①
②
③
④
⑭
山崎 健・斎藤麻里子(二〇〇二)、一
伊藤 章(一九九二)、最新・陸上競技
過性のドリルによるスプリントパフォ
の科学第一巻「一〇〇m」解説、ベー
ーマンスの変容、陸上競技紀要
スボール・マガジン社
五巻
川人光男(一九八八)、運動軌道の形成
⑮
第一
山崎 健(二〇〇二)、移動運動の発達、
(伊藤・佐伯編「認識し行動する脳」
)、
たのしい体育・スポーツ 第一四八号、
東大出版会
創文企画
木村
賛(一九八〇)、ヒトはいかに進
⑯
山崎 健(二〇〇五)、巧みに動くから
化したか、サイエンス社
だ、たのしい体育スポーツ 第一七九号、
久保健・山崎 健・江島隆二編(一九
創文企画
九七)
、走跳投の遊び・陸上運動の指導
⑰
養老孟司(一九八九)
、唯脳論、青土社
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