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昭 雄 宮沢賢治論 ーーその宗教的世界・宇宙について l l 屋 ﹁マグノリアの木﹂を読みながら、西国幾太郎の哲学論文集第七 かに全宇宙を見ょうとするし、茶道も、四畳半の小さな茶室に、山 うかは、ここでは論じない。西田の盟友、鈴木大拙(一八七01 一九六六) であった。彼が華厳の哲学を正しくとらえていたかど 即多であるのを見抜いたのは、哲学者の西田幾太郎(一八七O つの世界をつくることになる。それを﹁相即相入﹂ともい,吋のであ て、我々が接する﹁もの﹂や﹁こと﹂、あるいは人に対しても、 ﹁主客一如﹂の世界と主張することにもつながるのである。したがっ 即ごの世界・思想が存在していることにもなる。西田幾太郎が、 例示するように、日本人の精神の中枢に﹁一即多﹂あるいは、﹁多 一九六六)は世界的な禅学者であるが、鈴木の禅学の背後にも華 る。鎌田は、﹁事事無碍法界﹂を﹁施餓鬼のときに棚に花を飾る。 きょうはお墓に持っていこうという意志がはたらき、それで花を買 あるいは先祖の墓に花を棒、げる。これも、まず花屋の前へ行って、 つまり、﹁宇宙の真理が一即多である﹂のを見抜いていたという事 うわけで、きょうお墓に持っていこうというのが、まず花屋の屈頑 UV 実が問題なのである。韓国の学者でもある、李御寧さんが、 その著 こそ、 日本人によって感得された﹃華厳経﹄の精神であった。 厳が脈うっていた。近代日本の二人の思想家に流れる華厳の思想 近代日本において、禅で鍛えた心眼によって、宇宙の心理が一 水すべてそのなかに凝縮させていく。また、庭をつくると、小さい あるというのである。鎌田が述べるように﹁華道にも小さな枝のな ﹃﹁縮み﹂志向の日本人﹄において、日本の文化は﹁縮みの文化﹂で 岡 の﹃場の論理と宗教的世界﹄の﹁一即多﹂を思い浮かべた。このこ め なかへ全宇宙を包含させようとする。﹂口と﹁縮み文化﹂ の内実を じ とについて、鎌田茂雄は、次のような示唆的な発言をする。 l ま にある花に付着していく。そうすると花は、先祖に供養しようとい うある人の意志が乗り移っていく。その花を生けて、線香をあげて の意志が花に入ってくる。そしてそれを受ける先祖の霊はそれを感 霧がじめじめ降ってゐた。 冒頭は次のことばで始まる。 ﹁マグノリアの木﹂ の宇宙 得していく。/そうなると、あらゆるものが全部三界万霊なのだ、 諒安は、その霧の底をひとり、験しい山谷の、刻みを渉って行 拝む。それゆえ、その花もたんなる花ではなくて、 その供養する人 あらゆるものが意志がそこに動いているのだというふうに考えると、 し ↑ 。 沓の底を半分踏み抜いてしまひながらそのいちばん高い処から キ己土品 1 に事事無碍法界が成り立つ。そういう気持ちが動かないとどこまで いちばん暗い深いところへ、またその谷の底から霧に吸ひこまれ 人間はそのときに感謝の気持ちをもっ。感謝の気持ちが動いたとき いっても事法界で、山はどこまでいっても山、川は川、人は人で、 もしほんの少しのはり合で霧を泳いで行くことができたら、 た次の峰へと一生けんめい伝って行きました。 愛着をもったりすると、山と人が一つになっていく、人と川も一つ つの峰から次の巌へずゐぶん雑作もなく行けるのだが、私はやっ みんなつながらない。ところがひとたび山に対しても川に対しても になっていく。それを﹃事事無碍法界﹄と呼ぶわけである。﹂円と、 ぱりこの意地悪い大きな彫刻の表面に沿って、けはしい処ではか らだが燃えるようになり、少しの平らなところではほっと息をつ 簡明に、しかも具体例を示して解説する。 ところで、鎌田は、﹁維摩の一黙﹂について﹁物語るということ 全く峰はまっ黒のガツガツした巌が冷たい霧を吹いてそらうそ きながら、地面を這はなければならないと諒安は思ひました。 ものは生の体験そのものではない。それは概念によって抽象化され ぶき、切角いっしんに登って行っても、まるでよるべもなくさび はすでに体験を対象化し、抽象化したことになる。言葉で表現した たものである o﹂岡と述べつつ、﹁われわれは何かというと言葉にと しいのでした。 主人公・諒安の心象の世界が豊かに織り込まれている。﹁よるべ て、光を通すことさへも樫貧さうに見えました。 それから谷の深い処には細かなうすぐろい謹木がぎっしり生え らわれてゆく。言葉がそのまま事実であると錯覚する。言葉は言葉 としてきわめて大切なものにはちがいないのだが、その帰着すると ころを知らなければならない。﹂同と述べて、我々が全てのものに ア﹂ヲ﹂ なくさびしい﹂のことばに込められている主人公の深層心理(フロ 答がなければ納得できない現在の人間の在り方を批判する。 では、﹁マグノリアの木﹂の世界・宇宙が実は、華厳経の世界・宇 イドがいうような円ロ・回目の世界 筆者注)の世界は賢治の精神世 宙そのものであることについて、以下論究する。 以後も賢治の心象世界に課題として残り続け、童話作品として昇華 まさきわたるマグノリアかも﹂の世界が最初、短歌として結実し、 /春の道場﹂、異稿の﹁けはいくも/刻むこころのみねみねに/い の歌稿に収録されている、﹁けはしくも/刻むこころのみねみねに な孤絶の境地にいるのである。この作品には、﹁大正六年七月より﹂ 界とも重なり、自然、と人聞が一如の世界にいることが分かり、透明 のである。和歌の異稿の方は、﹁マグノリアの木﹂が執筆されてか い﹂内ことになり、宗教的人間にとって、世界は全て聖なる世界な は聖なるものに充たされた雰囲気のなかにしか生きることができな 教哲学者ミルチャ・エリアlデの認識に見るように、﹁宗教的人間 分の心も身体もコブシの花そのものになりきっているのである。宗 自然のもつ玄妙さ、神秘的な世界の魅力に心惹かれると同時に、白 L の生成にかかわって 平尾が﹁大正六(一九一七)年、﹃ひのきの歌﹄にはじまり﹃馬 ﹁心象スケッチ に﹂との関連では、 マグノリアの寂静さが求められる。 ら手が加えられたとする立場をとりたい。﹁刻むこころのみねみね ほうの花かもしが、﹁いまさきわたるマグ することによってやっと満足できる状況になったと思われる。わけ ても、﹁かをりわたせる ノリアかも﹂と改稿されていることに着目したい。賢治は短歌のも つ限界を超越するためには、主人公を設定し、その行動のプロセス を必要としたのであり、自然と人間との一体感、 もっといえば、 ﹁わたしがあなたであり、あなたがわたしであるような﹂世界の創 信網の立ち込めるなかにひときわ鮮やかに白色の持つ最高の美ともい 残っている。夕方に見るコブシの花もまた心に焼き付いている。タ と同時に、神秘的な雰囲気を醸し出していた風景が今も鮮烈に心に てコブシの花を見た。朝日に照り映えて静寂そのものの世界を一示す 筆者も昭和五八年四月末北海道旭川郊外のカムイコタンの地におい くマグノリアと呼んだのはコブシの木のことであろうと思われる。 ブシやホオノキやタイザンボクに共通の学名である。賢治はおそら この作品の題名となっている、 マグノリアというのは、木蓮やコ プペンシルを首からぶら下げて、歩きつつ、友達と談笑しつつ、心 のは、翌日の午後二時十分であった。賢治は、例のように手帳とシャl 通し、七つ森、雫石、葛根田川を経て、目的地の春木場に到着した 本義行とともに四人、午前零時十五分、盛岡を出発し、夜中中歩き 治は、文芸雑誌﹁アザリア﹂の仲間である保阪嘉内、小菅健吉、河 べる﹃馬鹿旅行﹄について説明を加える。大正六年、七月八日、賢 決定づける重要な一年であったことは確かである。ここで平尾が述 あ﹂刷った、と位置づけるように、賢治にとって自己の表現形式を の内部でおのれの表現を自由を獲得しようと模索をつづけた一年で 鹿旅行﹄をへて﹃祖父の死﹄にいたるこの一年は、賢治が短歌形式 える清浄無垢の世界がまるで極楽浄土のような宇宙を作り出してい に感じるままの風景を手帳に書き綴ったのであろう。この体験は、 出は、短歌では不可能であると把握したことは当然であろう。 るのであり、思わず感嘆の声を発した。私の身体も心も軽くなった。 の念を持ちつつ聖なる精神状況にまで高まっていることを示してい 二首目の﹁はゃあけぞらに草穂うかべり﹂の自然の神秘な姿に畏敬 る赤と青との廻り続ける棒は夜ともなると不気味に見えるのである。 との感情が存在し続けていることである。昼間見る床屋の居先にあ の棒﹂との対照関係は、賢治の深層意識には、絶えず﹁さびしき﹂ のそらにふとあらわれしさびしきは、﹂と﹁床屋のみせのだんらん するのではなく、賢治の感性と対象との関係を問題とすれば、﹁夜 に入りて烏またなけりしの四首である。短歌としての巧拙を問題と とりまたなけり﹂﹁河ぶちのまひるゆらげるいしがきの、 まどろみ 草穂うかベり﹂﹁青びかる河べりにしてまどろめば夜っぴて鳴ける んだらの棒﹂﹁夜をこめて七ツ森まできたりしに、 はやあけぞらに つまり、﹁夜のそらにふとあらわれてさびしきは、床屋のみせのだ 十日後の同人誌﹃アザリア﹂第二号に四首の短歌として結実する。 この二重の世界も賢治作品の特徴であることを指摘しておきたい。 世界からも排除されるという二重の苦悩を背負っているのである。 二重の苦悩を抱え持つ存在なのであり、また、現実からも、彼岸の すのである。よだか自身は差別されながらも、また差別するという し殺される修羅の世界﹂を超越する苦悩の軌跡を鮮やかにあぶりだ した﹁よだかの星﹂は、食物連鎖の世界を描きつつ、よだかの﹁殺 とも深い、もっとも高い精神の表現ではないかと思う。﹂川と激賞 星﹄という童話は、近代日本文学が生みえたもっとも美しい、もつ 持していたと把握できるのである。梅原猛が﹁私はこの﹁よだかの ら、結論的には、大空を飛期する烏に対する憧れのような感情を抱 い人間の姿を浮き彫りにする。賢治は烏を作品世界に登場させなが り、菩薩があり、このような菩薩心を背景としつつ、残虐極まりな 議な世界を垣間見ることができる。 つまり、東の世界にも仏道があ に見られる表現の底に揺曳する賢治の透明なさびしさ、あるいは静 る臭の世界は、宗教的雰囲気に充ち溢れている。人間によって殺さ 化身と見て書いた﹁白い烏﹂、あるいは、童話﹁二十六夜﹂におけ の妹トシ子が亡くなって七ヶ月後、野原で見た白い鳥を妹トシ子の 人間や仏の化身としてみる習性があることは、﹃春と修羅﹄第一集 めている賢治の心がほの見えるようである。賢治の心性として鳥を て飛期する自己を見つ ように終わらせる。 されることになる。前掲の和歌は登場させるが、最後の場面は次の 大正七年六月、﹃アザリア﹄第六号に短編﹁(峰や谷は)﹂ は発表 和むのである。無意識的な賢治の習性であると把握できるであろう。 林﹂では、主人公の慶十は、空に対して限りない希望を抱き、心が には、鳥に対して限りない憧れを持っているのである。﹁度十公園 たのように賢治の烏に対する感情には深い思想があり、また一方 息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞こえて来ました。﹂ に穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったま﹄、 輝きます。 ほほの花は白く山羊の乳のやうにしめやかにその蕊は黄金色に J れた穂吉は仏法を聞いて安らかに成仏する。最後の場面﹁ほんたう 面には烏に対する限りない憧れと、鳥とな る。三首目と四首目には、烏が登場する。烏に託しながら賢治の内 巨耳 にもなりません。 この花をよく咲かせゃうと根へ智利硝石や過燐酸をやっても何 この花をよろこぶ人は折って持って行っても何にもなりません。 ﹂とを自覚するのである。﹁ええ、ありがたう、 で す か ら マ グ ノ リ たが故にこのような桃源郷のような場所にいることが可能となった に対する平らかさです。﹂と対比的に述べながら、険しい山谷を渡っ り、賢治白身も作品としての成熟度に不安を持っていたものと思わ 上掲の作品は生硬な感じは免れない。仏教的な世界があらわとな 峰のつめたい巌にもあらはれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流 者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらはれ、けはしい 応える。最後の場面は、﹁さうです、 そ し て 又 私 ど も の 善 で す 。 覚 アの木は寂静です。あの花びらは天の山下の乳よりしめやかです。 れる。それを﹁マグノリアの木﹂では、諒安を主人公にしながら深 れて行って氾艦をするあたりの度々の革命や飢餓世や疾病やみんな覚 われは嘗ひてむかしの魔王波旬の谷属とならず。 い思怨をたたえた似構の析界を創造し得たのである。﹁つやつや光 者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善で又私ど あのかをりは党者たちの尊い帽を人に送ります o﹂ と 、 諒 安 の 聞 に る龍の髭のいちめん止いえた少しなだらに来たとき、諒安はからだを もの善です。﹂の思想を抱懐するきっかけとなり、華厳経でいうと げ人その子商主の召使いたる辞令を受けず。 投げるやうにしてとろとろ睡ってしまひました。﹂と表現しつつ、 以上、﹁マグノリアの木﹂の世界が、華厳経の思想を豊かに抱持 ころの﹁事事無碍法界﹂の川界をも掬いとることにもなる。 丁度当たり前の世界なのだよ。それよりもっとほんたうはこれがお していることについて論究した。にもかかわらず、この思想はその 聖なる宅間に入るのである。(これがお前の世界なのだよ、 お﹄別に 前の小の景色なのだよ。)といわれるのであり、(さうです。さうで 後の賢治の修羅意識とかかわって矛盾を抱えもつことになる。 と、諒安は返事をする。﹁いかにも私の景色です。 o) 旧が述べるような﹁事事無碍法界﹂の世界そのものともいえるであ み出す重要な契機となったものであるとの立場をとる。賢治がこの 大正六年七月八日の﹁馬鹿旅行﹂は賢治が﹁心象スケッチ﹂を生 心象スケッチの生成過程 す。さうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕 方がないのです 私なのです。﹂は、自然と人間とが一如の世界をつくっているので ろう。﹁景色﹂という賢治の語長はやがて﹁心象風景﹂として成熟 旅行をもとに書いた小品﹁秋田街道﹂がその結節点に位置するもの あり、私があなたであり、あなたが私なのである。したがって、鎌 U れば、﹁マグノリアは するものである。そしてその内実は、換一一 Jす である。その全文を掲げて検討する。 どれもみんな肥料や薪炭をやりとりするさびしい家だ。街道の 寂静印です o﹂となり、﹁ええ、私です。又あなたです。なぜなら私 といふものも又あなたの中にあるのですから。しとなる。﹁けはしさ 主三 と こ ろ ど こ ろ に ち ら ば っ て 黒 い 小 さ い さ び し い 家 だ 。 それももう こ﹄らでいきなり胡を撲りつけられて殺されてもい?な。誰か、三 ぃ、と思ふ。睡さうに誰かが答へる。 一ぶふ。それはい﹀ 道が悪いので野原を歩く。野原の中の黒い水涼に何でべんもみ O みんな戸を閉めた。 いでねむさうにならび只公園のア lク燈だけ高い処でそらぞらし んな踏み込んだ。けれどもやがて月が頑の上に出て月見阜の花が おれはかなしく来た方をふりかへる。盛岡の電灯は微かにゆら い気焔の波を上げてゐる。どうせ今頃は無鉄砲な羽虫が沢山集まっ ほ の か な 夢 を た Vよはしフィ l マ ス の 士 の 水 た ま り に も 象 牙 細 工 けれども今は崇高な月光のなかに何かよそよそしいものが漂ひ の紫がかった月がうつりどこかで小さな羽虫がふるふ。 てぶつつかったりよろけたりしてゐるのだ。 私はふと空いっぱいの灰色はがねに大きな床屋のだんだら棒、 あのオランダ伝来の葱の苦の形をした白飾りを見る。これも随分 たよりないことだ。 東がまばゆく白くなった。月は少しく興さめて緑の松の梢に高く はじめた。その成分こそはたしかによあけの白光らしい。 で子をあげて大きくためいきをついた。それも間違ひかわからな かかる。 道が小さな橋にか、る。蛍がプイと飛んで行く。誰か、?っしろ ぃ。とにかくそらが少し明るくなった。夜明けにはまだ途右もな いしきっと霊が薄くなって月の光りが透って来るのだ。 と曲がる。その曲がり角におれはまた空にうかぶ巨きな草穏を見 みんなは七つ森の機嫌の悪い暁の脚まで来た。道が俄かに青々 向ふの方は小岩井農場だ。 るのだ。カアキイ色の一人の兵隊がいきなり向ふにあらはれて青 てゐるのらしい。 の宿に来た。犬が沢山吠え出した。けれどもみんなお互いに争っ 主が光って山山に垂れ冷たい椅麗な朝になった。長い長い雫石 い茂みの中にこ三む。さうだ。あそこに湧水があるのだ。 四つ角山にみんなぺたべた一緒に座る。 月 見 草 が 幻 よ り は 少 し 明 る く そ の 辺 一 面 浮 ん で 咲 い て ゐ る 。 マッ チがパッとすられ長の青いけむりがほのかにながれる。 右手に山がまつくろにうかび出した。その山に何の烏だか沢山 まとまって睡ってゐるらしい。 並木は松になりみんなは何かを一五ひ争ふ。そんならお前さんは 葛根田川の河原におりて行く。すぎなに露が一ぱいに置き美し くひらめいてゐる。新鮮な朝のすぎなに。 いつかみんな睡ってゐたのだ。河本さんだけ起きてゐる。冷た い水を渉ってゐる。変に青く堅さうなからだをはだかになって体 操をやってゐる。 つぶ二つぶひでりあめがきらめき、去年の堅い褐色の 虹がたつてゐる。虹の脚にも月見草が咲き又こ﹀らにもそのパ タの花。 すがれが落ちる。 すっかり晴れて暑くなった。雫石川の石一旧一は烈しい草のいきれ の中にぐらりぐらりとゆらいでゐる。その中でうとうとする。 遠くの楊の中の白雲でかくこうが暗いた。 ?っんうんないてゐた。﹂誰かが一五ってゐる。 ﹁あの烏ゆふべ一晩鳴き通しだな。﹂ 安山岩柱状節理、安山岩の板状節理、水に落ちてつめたい波を立 つまり、﹁秋田街道﹂は﹁心象スケッチ﹂つまり、 睡っている人の枕もとに大きな石をどしりどしりと投げつける。 てうつろな音をあげ、目を覚ました、目を覚ました。低い銀の雲 (祖型)であることは疑いない事実である。自然に身を任せながら アl ケ タ イ プ ス の下で侍いてよろよろしてゐる。それから怒ってゐる。今度はに 身体に浸透させたり、あるいは、臼然と同一化したりしつつ、風景 する痛々しいほどの眼差しが感じられる。道を歩きつつ、溢れるよ た万をふりかへる o﹂ の 表 現 の 彼 五 に は 、 そ こ に 生 活 す る 人 間 に 対 生活する人間への感情が豊かに息づいている。﹁おれはかなしく来 活のなりわいを視座に据えての判断・断定となる。家を見てそこに 冒頭の文では﹁さびしい家、だ o﹂を一一同繰り返しながら、村の生 の移り行く憧に受容するのである。 がわらひをしてゐる。銀色の雲の下。 帰りみち、ひでり雨が降りまたか Yやかに粛れる。そのか三や く雲の原 今日こそ飛んであの雲を踏め。 けれどもいつか私は道に置きすてられた荷馬車の上に洋傘を開 ひどい怒鳴り声がする。たしかに荷馬車の持ち主だ。怒りたけっ の擬声語が極めて効果的に使用される。月見草が見える。右手の山 農場が見える場所(四つ角山) でみんなが疲れて座る。﹁べたべた﹂ うに風景が飛び込んでくる。そして夜明け近くの光を浴び、小岩井 て走って来る。そのほっペたが腐って黒いすもものやう、いまに が真っ黒に浮かび、鳥が沢山とまって睡っているのが感じられると いて立ってゐるのだ。 も穴が明きさうだ。癒病にちがひない。さびしいことだ。 いうのである。そして夜明けの月光に神秘的なものを見ることにな t; る。やがて太陽の光がさしはじめると、月の姿は興ざめて見えるの れた風景と賢治の心の在りょうが一一冗化していることであり、かつ 平尾は、﹁秋田街道﹂の文体の特徴について﹁ぼくらはここからす 次々と連続していく現在型のスタイルで表現していることである。 葛根田川の河原で眠ることになる。賢治と河本だけが起きている。 ぐに、﹃春と修羅﹄中におさめられた長詩﹁小岩井農場﹂を連想す かではない。その河本が冷たい水を渉って、裸になって体操をして たが故に、 この連絡は賢治のもとに届いていたか否かについては定 年であった。家族が賢治に連絡したというのであるが、病床にあっ そうになった人を救助しようとして溺死する。丁度賢治が亡くなる の世界の光の世界を体験することになり、宗教的体験をしたことに 夜の風呆から、 つまり無明の世界から夜明けの風景、 つまり、東雲 鹿旅行﹂における体験に発すると考えていいであろう。したがって、 一不的ではあるが、賢治が賢治の﹁心象スケッチ﹂の明芽をこの﹁馬 の流れをもっとも自由に表現しうる形式であった o﹂ 同 と 述 べ 、 暗 つぎつぎに連続してゆく現在型のスタイル、それは賢治の意識 いる。睡っている人の枕もとに安山岩を投げつけ、日を覚まさせる。 いたとも取れる箇所であろう。そういえば、郭公は多くの和歌にも であり、夢のなかで郭公の声を聞くのである。ここは夢のなかで聞 h川の石垣のはげしい草いきれで放心状況になってるの くなり、雫- なっているのであり、主を踏んでいるのである。すっかり晴れて暑 の次の表現は、風景の彼方に宗教的な雰囲気を豊かに感受する精神 ﹁柳沢﹂によってさらに深められることになる。わけでも﹁柳沢﹂ の基底に存在する思想として重要なものである。この感情は﹁沼森﹂ ﹁かなしい﹂との感情に彩られた身体的な把握は、﹁心象スケッチ﹂ 賢治の日常生活の指針となっていることは必定である。﹁さびしい﹂ わけでも、宇宙との一体感を実感することができたことは以後の 詠まれ、わけでも平安時代の人々にも愛された烏でもあったのであ の高さをも抱持するのである。 空気はいまはすきとほり小さな鋭いかけらでできてゐる。その 小さなかけらが互にひどくぶつつかり合ひ、この燐光をつくるの o 比例馬車の持ち主に対しても、﹁さびしい﹂と の感情を沸き立たせるのである。怒られているのにもかかわらずで たぜく山王が立ち黒い大地をひきゐながら今涯もない空間に静に オリオンその他の星座が送るほのあかり、中にすっくと雪をい だ 。 辿って見た。そのことを通して分明となったことは、心に映し出さ 以上、﹁秋田街道﹂の、賢治の心象に移り行く風景と、 心 牲 と を ある。 じ取ることができる る。それは次の洋傘を聞いて荷馬車に立っている様子にもそれを感 円こそ飛んであの雲を踏め。﹂に込められる賢治の想いはもう空に なる。 学校に勤務するも、﹁銀河鉄道の夜﹂のカンパネルラと同様に溺れ そういえば、河本は、卒業すると、故郷の鳥取県に帰り、倉吉農業 は誰しも経験している風景である。 ノ¥ ﹁怒っている o﹂の表現には、巧まざるユーモアが感じられる。﹁今 る 円の光は琉泊の波。新らしく置かれたみねの雪。赤々燃える谷 のいろ。黄葉をふるはす白樺の木。苔璃噛(モツスアゲ l ト )0 百千万劫難遭遇 めぐり過ぎるのだ。さあみんな、祈るのだぞ、まっすく立て。 (無上甚深微妙法 (お旨い。あんまり駆けるな。とまれ。とまれぇ。止れったら。 待てったら。) 願解如来第一義) 力いっぱい声かぎり、 夜 風 は い の り を 運 び 去 り は る か に は る か に 鈴蘭の葉は熟して黄色に枯れその実はうさぎの亦めだま。そし うん。朝の怒りは新鮮だ。炭酸水だ。 大熊星は見えません。 っ、宗教的宇宙・世界を手繰り寄せているのである。山顛に件みつ いたであろうか。志賀直哉の﹁暗夜航路﹄の大山からの風景、ある これほどまでの透明清澄なる世界を描出した作家を我々は持って てこれは今朝あけ方の菓子の錫紙。光ってゐる。 っ、四方八方を見渡すと自ずから宗教的な雰囲気になることは誰し ょ。くの字が光ってうご・・。 もうすっかり暁だ。 それからうるはしい天の瑠璃、 やはりはがねの空が眼の前一面に (お握りを焼かう。はあ、ゆふべはどうも。途中で迷って。雨は 降るし。) (さあ臼が出たゃうだ。行かう。行かう。さあ飛び出すんだよ。 一方では生の感覚と文学作品の﹁表現﹂がもっ一般に ではなく﹁心象スケッチ L と呼んだのであり、また童話集の広告 な出発点たりうるかも知れない。しかし、賢治は彼の詩を﹁詩﹂ 避けがたいへだたりを警戒する必要がないという点で考察の素朴 けれども、 や主観的潤色を免れがたい間接的な情報であるという弱点がある 知る人々の追想記や聞き書きの中にもうかがわれる。他人の解釈 る友人の見ないものを視、独特な匂を唄ぐ能力は、賢治の生前を 特異な感覚 1 !とくに他人に聞こえない声を聴き、同あわせ は、賢治の想像力と感覚について次のような示唆的な発言をする。 に見えざる仏の姿を見つめている姿勢が灰見えるのである。福島章 らない。時間的経過とともに自然が姿やその色彩を変えて行く背後 賢治の表現世界は、自然を通して宗教的雰囲気を感じるからに他な それでも、賢治の払暁の風景にはかなわないように思う。 つまり、 いは香川県の屋島からの風景にも同様な感激を受けたのであるが、 以上の表現からも分明のように人間と自然との一体感を醸成しつ たいまつの火の粉は赤く散り オホックの黒い波聞を越えて行く。草はもうみんな枯れたらしい。 我今見聞得受持 そ も経験することである。 ﹁柳沢﹂の最後の表現は、早朝から晩までの日然から発せられる メッセージを心象に素直に受け取っていることに注目させられる。 るな と桔 な梗 (ああ、もう明るくなって来た。空が明るくなって来た。きれ いだなあ。おい。) 眠工か こめてその巾にるりいろのくの字が沢山沢山光ってうごいてゐる れ お﹀、立派、この立派。ふう。) : : t L 、 か深 ら L け綱 む青 りか にら 眼柔 をら いる。賢治自身は彼の心の中の﹁不思議な﹂現象をできるだけ忠 文の中に﹁これは決して偽でも仮空でも窃盗でもないしと述べて 握できるであろう。 六夜の月の光を全身に浴びながら視覚から臭覚へと深められたと把 その彼方から聖なるものの告知を受けているのである。 つまり、十 ﹁疾中﹂に収められている﹁眼にて一五ふ﹂の詩は、臨死体験の世界 だめでせう を語っている特異なものである。 あわせる友人の見ないものを視、独特な匂いを唄ぐ能力﹂を抱持し とまりませんな ﹁いざよいの月はつめたきくだものの匂ひをはなちあらわれにけり﹂ 時、妹とし子を見たというのも賢治の感性では特段不思議ではない。 能とするものがあることである。妹トシ子が亡くなった後に吹雪の は、自然と一体化を図りつつ、聖なる世界を豊かに感じることを可 知を受けているのである。したがって、賢治の生きる精神の中釈に の匂﹂である。吹雪にいい匂いを唄ぎつつ、聖なる世界・宇宙の告 り来たりしてゐました﹂とあり、ここで注目されるのは、﹁ふぶき もちがして/凍えそうになりながらいつまでもいつまでも/いった /ここいらの匂のい﹀ふぶきのなかで/なにとはなしに聖いこころ 岩井農場﹂のパlト九では、﹁この冬だって耕転部まで用事で来て から新鮮なそらの海鼠の匂﹂の表現から分明であろう。 また、﹁小 輝雲のあちこちが切れて/あの永久の海蒼がのぞきでてゐる/それ というのである。﹁いまやそこらはと g ﹃o-瓶 の 中 の け し き / 白 い ぞいて見える深い青い空が、﹁海鼠(なまことの匂いを感じさせる 血が出てゐるにか﹀はらず これで死んでもまつは文句もありません ﹂んなに本気にいろいろ手あてもしていたゾけば 黒いフロックコl卜を召して あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが 焼痕のあるい草のむしろも青いです 秋草のやうな波をたて もみぢの撤芽と毛のやうな花に きれいな風が来るのですな あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに もう清明が近いので けれどもなんとい、風でせう どうも間もなく死にさうです そこらは青くしんしんとして ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから がぶがぶ湧いてゐるですからな (歌稿A198) も、﹁月はつめたきくだものの匂ひ﹂と感じつつ、 例を幾っか挙げるならば、﹁朝の幻想﹂では、雲の切れ間からの ているというのである。 つまり、賢治の想像力と感覚は、﹁他人に聞こえない声を聴き、居 ものを素材として考察した方がよいであろう。附 実に記録し定着させようとしたものであるから、むしろ作品その 亡コ それを一五へないがひどいです た Vどうも血のために 魂鴫なかばからだをはなれたいのですかな こんなにのんきで苦しくないのは 羅﹄の詩稿補追に掲載されている ︹風がおもてで呼んでゐる 賢治の作品を備成する基底に凪を据えていることである。﹃春と修 り、風景の語長の内包する意味は、凪そのものである。わけでも、 に対する賢治の想いの深さを覗き見ることもできるであろう。 つつの風景として注目させられると同時に、﹁けしき﹂という語最 つま あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのは に紹介する。 賢治の風に対する想いが凝縮していると捉えることができるので次 /それもあなたの病院の/花壇を二年いぢっただけの関係で/これ たは黒いフロックコ l ト を 召 し て / こ ん な に 本 気 に み て く だ す っ た 後半は、﹁もみぢの撤芽は/まるでやさしい花のやうですし/あな ﹁眼にて一五ふしの先駆形は﹁S博上に﹂とサブタイトルが付され、 風がい父々叫んでゐる 円トくおもてへ出て来るんだ﹂と いつもぼろぼろの外套を着て 赤いシャツと ﹁さあ起きて 風がおもてで呼んでゐる で死んでもどこに文句がありませう/こんなにのんきで苦しくない おまへの出るのを迎へるために ﹁おれたちはみな /たゾどうも印のために/それを一五へないのがひどいですな/あな おまへのすきなみぞれの粍を は多くの臨死体験を持つ人たちが異口同青に語っていることであり、 がって、自分自身をも空から見ていることになる。このような体験 る。出血多量のために魂は既に身体を離れている状況であり、した うつくしいソプラノをもった 葉のない黒い林のなかで あすこの稜ある巌の上 おまへもほ﹁く飛び出して来て 横ぞっぽうに飛ばしてゐる 注目せざるを得ない。﹁先駆形しから推敵されるまでの賢治の精神 おれたちのなかのひとりと となってい 的推移が分かり、透き通った風と青空は、賢治の心象風景を形成す 約束通り結婚しろ﹂と L るためには必要不可欠であることが分明となる。生と死の狭間に居 ら見えるのは/やっぱりすき透った青ぞらばかりです たの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしでせうな/わたくしか のは/わたくしのたましひすでにからだをはなれたのですから/な すきとほった風ばかりです。 やっぱりきれいな青ぞらと は 繰り返し繰り返し に恵味付け・価値づけるのである。 ることである。 つまり、 日 常 的 に 自 然 と の 対 話 を す る 宵 慣 が あ る こ つまり、︹凪がおもてで呼んでゐる︺ の 世 界 は 、 風 と 対 話 を し て い るのかもしれない。賢治の詩や童話はわれわれが忘れている、あ り、宇宙と生命を全体として把握することを可能とする態度であ れてくる過程で失われてしまった多くの大切な感受性の回復であ -・少なくとも、 そ れ は 、 わ れ わ れ の 精 神 が ﹁ 成 熟 し し 社 会 化 さ とは色々な童話作品、詩を問わず出てくる事実である。したがって、 るいは思いもかけなかった、 さ ま ざ ま の も の を 新 鮮 な 光 の 中 に う 風がおもてで呼んでゐる 風だけではなく、他の生物、無生物とを問わず、賢治は対話を日常 かびあがらせてくれるのである。伺 L 悶 て 特 異 な 幻 覚 の 例 と し て あ げ た ﹃ イ ン ド ラ の 網 ﹄ の克景も、﹁華 て得られた視点とは区別される必要がある。たとえば、私がかっ ら、彼自身のオリジナルな感覚や知覚の姿と、古典などに導かれ ろう。賢治が田町2 y 丘 と 規 定 し た 理 由 で あ る 。 それか 口 goE2 る(書かれる)場合にはどうしても多少の修飾が必要とされるだ -:ただし、その特異な感覚がもう一度﹁詩﹂として言語化され 福島は、賢治の宗教的宇宙について以下のように述べる。 とは当然であると把握できるのであろう。 と作品との関連守つけて論じなければ正鵠を射たものとはならないこ 賢治の宗教的世界・宇宙を解読・解釈しようとすれば、彼の実践 賢治の宗教的世界・宇宙 情・感性を恢復するのにわ旬効に機能すると評価するのである。 置づけられるが、我々人聞が忘れてしまっているプリミティブな感 つまり、発達心理学や比較文化的には未開・原始的な体験様式と位 的に行っていることは周知の事実である。このことについて福島は 自然との対話の具体的な相を次のように述べる。 泥炭や雲と対話し、霊の犬にまたがる、賢治にとって、世界は 生命と情(こころ)に満ちている。彼は万物と交通が可能である。 一九一二年九月十五日の日付をもっ﹃鹿 話である。 四 一切は有情であり、世界は意志と感情と生命に満ちたアニマティ ズムの世界である。 たとえば一九二一年卜一月の日付(これには問題があるが)を もつ童話﹃狼森と煎森、盗森﹄では、人々は森や岩手山や狼や山 男などの﹁自然﹂と呼びを交わし、歌い、交通する。 L いるのである。そしてそのような感情の恨底にあるものを次のよう マテイズムの世界﹂と認識し、万物と交通が可能であったと捉えて つまり、賢治は、気質的に﹁世界は意志と感情と生命に満ちたアニ た秋の風から聞いた 踊りのはじまり﹄の物語は﹁苔の野原の夕日の中で﹂﹁すきとほっ やユーモアで張りあう。 きやきこりたちゃ東が沢山のかしわの樹霊たちと歌を競い、皮肉 a 八 月 一十五円の日付をもっ﹁かしわばやしの佼﹄では前出の両か 九 年 という場合とがあり、これも二重に規定されているように忠われ して上白人と詩人とがもともと共有しているイメージに他ならない して役立っている場合と、 ユングのいう集合無志識・一冗型などと の出典と個人の知覚のイメージの関係には、立識化された知識と ﹁青びとの流れ﹂の光長の形成にも同様の背景がある。 しかしそ の特色があるわけである また手紙や短歌にあらわれる死者 で色彩豊かな﹁世界﹂をまざまざと視覚化しうるという点に賢治 教的認識論の一つである。(もちろん、 そ う い う ﹁ 論 ﹂ か ら 精 微 厳経﹂に出典があり、空海の﹃十住心論﹂にも引用されている仏 ず、子帳の七卜一丘から七十四頁にかけて劇の構怨メモがある。 残していることの多さに侍然としたに違いない。それにもかかわら 浬繋したもう。)がその文一イ口である。死を覚悟しているが故にやり 一一一菩提を得、諸仏ここにおいて、法輸を転じ、諸仏ここにおいて般 知るべし、この処は、すなわちこれ道場なり、諸仏ここにおいて、 /得二菩提/諸仏於此/転於法輪/諸仏於此/而般浬繋﹂(まさに から若干改編されて引用された経文である。﹁当知是処/即是道場 あろう。その第一頁に書かれているのが日法華経如来神力品第二十一 ら如何に臼己を救済するか、にかかわっての苦闘の記録といえるで する 0 7岡ニモマケズ﹂の記載されている手帳は、病苦にありなが o) る。山 土偶坊 ワレワレハ すなわち、賢治自身のオリジナルな感覚や知覚の姿と、古典などに 祖父母ナシ モノニナリタイ 導かれて得られた視点とは峻別すべきであるというのであり、﹁イ 第一呆 母(子・消ス)病ム 青年ヲワラフ テクノ幼 カワイフ ンドラの制﹄の光長は﹃華厳経﹄に由来し、﹁青びとの流れ﹂にも 第-一円京 第三民 同様な背景があるが、出典と個人の知覚やイメージの関係では、意 識化された知識として役立っている頃合と、 ユングのいう集合無意 識-一応型などとして古人と詩人とがもともと共有しているイメージ 上偶/坊石ヲ 第四景 レ﹂﹃アリノ の場合があるというのである。したがって、賢治の宗教的下宙を考 第五景 ワラシャハラへ夕、ガ l 投ゲラレテ遁ゲル 接的に法華経から学んだものと、賢治が現実の世界において苦悩し、 第六景 (園国/商人・消ス) 察する場合においても同様な立場が成なするのである。 つまり、同 その救済のために子繰り寄せた宗教的世界・宇宙は峻別すべきであ 第七景 老人死セントス ろう。 L の詩について谷川徹一一一と中村稔との正反対とも ﹁雨ニモマケズ 第八民 恋スル女 取れる論争がある。既に他の論丈で触れているので、ここでは割愛 第十最 第九日民 帰依者、帰依ノ交 青年ヲ害セントス 許されては 一塵とも点じ その億千の恩にも酬へ得ん 父母の下僕となりて つまり、かの有名な﹃法華経﹄の﹁常不軽菩薩品﹂を逼材にしてい 病苫必死のねがひ 第十一景 ると考えるのが通常であろう。にもかかわらず、筆者は、浄土真宗 この外になし 入レズニ﹂行動する姿勢は、他力本願による利他行であり、自力本 警むらくは 疾すでに治するに近し 同じく二十九日の手記には次のように書かれている。 願による化浄土ではなく、真浄土であり、したがって、還相廻向 再び貴君の健康を得ん日 つまり、﹁アラユルコトヲ/ジブンヲカンショウ (けんそうえこう)によって再びこの世に生まれ変わり、迷える衆 苛も之を 日前の快楽 生を救済する任務を自覚しているのである。このことについては、 つまらぬ見掛け 不徳の思想 確かに、賢治は人間みんなが兄弟・姉妹(きょうだい)の関係で 先づ 1 1 求めて の内部に沈潜していたとしてもである。病床手記、卜月二十八日の といふ風の 厳に日課を定め 白欺的なる行動に寸宅も委するなく 快楽もほしからず 法を先とし 父母を次とし 近縁を三とし ・ ナJ 下賎の療躯を 農村を最後の目標とし 斗斗明こよ﹄ 法華経に捧げ奉りて 斗叶 dJVふJ 、th 名もほしからず 記録は次のように書かれている。 もとに育ってきたことの影響は無視できない。潜在意識として精神 あれば、との思想を持つようになる。幼少時の浄土真宗的雰囲気の 改めて詳細に論究する心マつもりであるが故にここでは触れないでお るものである。 でいうところの妙好人の思想そのものを継承しているとの立場をと 春 く 巨耳 日ハ猛進せよ 利による友 ﹁近縁﹂そして最後の目標として農 前掲書 学と華厳思想﹂に書かれている。 什鎌田茂雄﹃華厳の思想﹄(講談社 四 一九八八年五月)三三頁。﹁岡田符 一九七八年一一月)五O頁。﹁短歌と A 一九七八年-一月)四八 良。第二章 と述、へつつ、修羅の世界をテ l マにした竜話でも最高のも L のとの評価を下すのである。 平尾勝弘﹃宮沢賢治﹂(国文社 はいっぽうで短歌の改作││﹃冬のスケッチ﹄││﹁春の修羅﹄へとむ あった。その︿方法﹀を短歌によってもちいきれぬと知ったとき、かれ は、短歌形式からはなれることによってもっともよくいかしうるもので であった。(中略)かれが短歌をうたうことによってつかみえた︿方法﹀ 歌形式の内部でおのれの表現の自由を獲得しようと模索をつ。つけた一年 詠まれていることから分かる。筆者注)にいたるこの一年は、賢治が短 をへて﹁祖父の死﹂(この祖父の死も賢治に衝撃を与えたことが、短歌に 五O頁に﹁大正六(一九一七)年、﹁ひのきの歌﹂にはじまり﹁馬鹿旅行し 短歌と︿方法﹀に書かれたものである。なおつけ加えておくと、平尾は、 仇 世界である。 拠として、﹁全ての生きとし生けるものの世界は殺し合いの世界、修羅の 梅原猛﹁地獄の思想﹂一二‘頁。梅原が﹁よだかの屋﹂を激賞する根 ︿方法﹀﹂に書かれる。 平尾隆弘﹃宮沢賢治﹄(国文社 ミルチャ・エリア lデ﹃生と再生﹄(東京大学出版会)一一九頁。 前掲書一五八頁 前掲書一五八一員 界 (2) 理法界 (3) 理事無碍法界を取り上げ、解説する。 前掲圭目一九二頁。﹁事事無碍法界﹂に至るプロセスとして (I) 事法 九 頁 快楽を同じくする友 尽(ことごと)く之を遠離せよ ここに見られるのは、賢治の宗教的世界に据えられるものである。 L 日己の目指すことを簡潔、かつ明瞭に述べたものである。仏法僧の 第一に据えられる﹁法﹂﹁父母 村を据えていることである。表現されている仏教は法華経であるけ 豊かな交流・交歓を可能としたことの喜びに溢れていたとも思われ る。妹トシ子の死後、自然との交歓・交流を失ぃ、北への旅を通し て自然との豊かな交流・交歓を取り戻すことになることにも触れて おく。北への旅は、結論的には、妹トシ子だけが極楽浄土に行けば いいと祈ったか、 それともみんなが極楽浄士に行けばいいのか、 矛盾を解決するための旅であり、北への旅によって再び、自然との 交歓・交流の力を取り戻すことができたのである。 賢治の宗教的世界・宇宙については、さらに、検討しつつ重厚な j 主 仁) 仁) 人 ) 回 化) ( I ! ¥ ) れども、法華経を遥かに越えた宗教世界を手繰り寄せていることは 今更いうまでもないであろう。 り 確かに、賢治がこの﹁マグ/リアの木﹂を書いた頃は、自然との わ 論にするように努力を傾注する覚悟でいる。 三五 お の の指摘は重要であり、筆者もその意見に賛意を表する者である。 かい、いっぽうで似構の世界としての童話作品へとむかうのである。と L 頁。﹁宮沢 川 福 島 章 ﹁ 天J の精神分析﹄(新曜社一九七三年六月)七 ハ 前掲童日 前掲主 前 渇 宝 一 目 H 九二頁。 九41九二 八八頁。 賢治の感覚﹂との題目で書かれている。 勺 L ' J( ( 勾