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当日配布の発表原稿

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当日配布の発表原稿
平成 23 年 5 月 26 日「文化の航跡」研究会
当日用レジュメ
長沼光彦著『中原中也の時代』にみる記号論
小山哲春
1.はじめに
本稿は、長沼光彦著『中原中也の時代』の書評である(はずであった)が、
『中原論』を批評するた
めに必要な学術背景が評者には欠けている。よって本稿の目的はむしろ、中原論を通して垣間見るこ
とのできる著者の言語哲学を観察することにある。ここで行う書評は、表面上は中原の言語観を語る
形式を取るが、それは中原中也その人についての言説ではなく、その著者である長沼の言語観を語る
試みである。その言語観が最も如実に顕れていると感じられる附稿「『芸術論覚え書』について」に現
れる概念を中心に中原/長沼言語観を論じてみたい。しかし、さらに言うならば、「作者は(1960 年
代には既に?)死んだ」のであるから、ここで行われるのは、評者小山の言語観の思索(散策)とい
ってしまってよいであろう。評者はこの書物を、
「ことばの語りうること、そしてその方法」の指南書
であると解釈した。
しかし、このような大著を読み終えた感慨(認識以前)を表出するために、評者は何を語ればいい
のか。象徴詩で応えよとでも言うのであろうか。と皮肉の一つでも言いたくなるのは、著者の名辞以
前の世界を穿ちすぎか。
本著での長沼言語観の出発点は、下記の問いである:
「認識以前を感得した自己の感覚を、何らかの表現に置き換えることが可能なのだろうか」 123
この問いに答えるべく、著者は中原中也とその詩を題材に、著者なりの言語観を紡ぎ出して見せる。
先取りするならば、その答えは以下のような言葉で語られている。
「中原はここで、物事に感動した時に、何を書き留めるべきか、と問いかける。描写(ここでは
対象の外形を詳説すること)は退屈である。それよりも、描写のきっかけとなった、感動それ自
体を伝えるべきではないのか。」187
(下線部、強調は評者による。以
下同じ)
「中原が描こうとするのは、世界を見た時の感動である。だが、思うことにははじめから形など
ない。それを描くため意識しようとした瞬間に、それはどこかへ逃げてしまう。あるいは、世間
の道理に取り込まれて、本来のものとは別の形になってしまう。それゆえに、
「想ふことを想ふこ
と」と、
「想ったので出来た皺に就いて思ふこと」を区別しなければならない。̶略̶
詩人はむ
しろ、この時差(タイムラグ)を意識するからこそ、「想ふこととしての皺」の向こう側にある、
本来の感情に思いを馳せることができる。」218
この答えが何を意味するのか。著者自身が問う。
「はたして「想ふこととしての皺」はどのように表現されるのだろうか」。220
1
それは、
「象徴化」によってであり、詩の形をとった「多面的な表現」と「暗示」による、というのが
著者(中原)の名辞的な回答である。
これらの言説(名辞)の「向こう側に」にある事の本質を理解すべく、著書の流れに従ってその言
説の意味するところを探っていくことにしよう。なお、著者の指南(?)に従って、出来る限り分析
的にならず、むしろなるべく「多面的」に、そして「暗示」的にこれを表現してみたい。残念ながら、
これを象徴詩の形で表現することは、私には届かぬ領域である。
2.名辞以前の世界(認識世界)と名辞以後の世界(生活)
2.1 概念としての「名辞以前」と「名辞」の対比
本書(および著者の言語観)の根底を流れるのは、名辞「以前」と「以後」の対比、対立、そして
芸術表現としてのその調和である。
「これが手だ」と、
「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐれ
ばよい。(「芸術論覚え書」)
348
「名辞以前、つまりこれから名辞を造り出さねばならぬことは、既に在る名辞によって生きるこ
とよりは、少なくとも二倍の苦しみを要するのである。」(同前) 349
まず、この『名辞(以前)』、もしくは『認識以前』という概念に関して、全編に見られるその反対概
念との対比表現を網羅的に観察し、著者がこの「名辞以前」の世界をどのように捉えているのかをあ
ぶりだしてみよう。繰り返すが、できるだけ分析的にならず、暗示的に。最初に、そして最も注目す
べきは、本著の最初に紹介された詩『名詞の扱ひに』(13-14)、および『酒は誰でも酔はす(121-122)』
であろう。
-------------------名刺の扱ひに
ロヂックを忘れた象徴さ
俺の詩は
が
宣言と作品との関係は
有機的抽象と無機的具象との関係だ
物質名詞と印象との関係だ。
ダダ、ってんだよ
木馬、ってんだ
原始人のドモリ、でも好い歴史は材料にはなるさ
だが問題にはならぬさ
此のダダイストには
後略
「名詞の扱ひに」 13-14
2
-------------------酒は誰でも酔はす
だがどんなに傑れた詩も
字の読めない人は酔はさない
--
だからといって
酒が詩の上だなんて考へる奴あ
「生活第一芸術第二」なんて言ってろい
自然が美しいといふことは
自然がキャンバスの上でも美しいといふことかい——
そりゃ経験を否定したら
インタレスチングな詩は出来まいがね
—-だが
「それを以てそれを表現すべからず」って言葉を覚えとけ
科学が個々ばかりを考へて
文学が関係ばかりを考へすぎる
文士よ
せち辛い世の中をみるが好いが
その中に這入っちや不可ない
「酒は誰でも酔はす」
121-122
-------------------これらの詩に見受けられるように、中原の詩にはこの対立概念が明確なことばとして繰り返し名辞化
されている。そしてまた著者長沼も、全編に渡ってこの対立概念を名辞化して見せるのである(表1)。
3
表1.「中原中也の時代」に現れる「名辞以前­名辞」の名辞化
名辞以前(認識以前)
名辞以後(社会意識)
認識以前 19, 90
社会意識 20, 90
連想によるイメージの連続性
意味の連続性 30
別世界の構築 30
意味に還元できないダダらしい要素 30
センチメンタリズム 50
感傷 (人間の本質、美、創造の源泉)54, 55, 62
うわべだけの思考 54
感傷的な傾向、不合理
客観的事実への志向 59
センチメンタリズム(感情に身を任せ理性に欠け
る)61
センチメンタリズム(= 創造の源泉)
人間の精神を支配する外的条件、社会問題の意識
62
精神文化
唯物論、物質的条件
65
文学的情緒 66
恋が形とならない前
恋の成就
75
原始人(= 認識以前を知る理想の存在)90, 124
恋愛
理知的な言葉
97
言葉の約束ごとを超えた内容
概念的な言葉
101
過程
(表現された)結果 102
文学的情調
物質的条件
抒情精神 113 他
知的認識、論理 117, 118
心
物質
既成概念や世間の因習に囚われない態度
概念や法則に囚われた世間の人々 121
演繹的
帰納的
(小林秀雄のランボオ論から) 186
直観的(ヴエルレーヌ)
理知的
(ランボー) 192
抒情芸術
叙事芸術
113
115
222
批評/科学的態度(観念論)227
実感に即したもの 228
媒介物である筆 (=言語表現) 124
論理
118
束縛
119
人を酔わせる実質的な効果 122
世間知、日常的な価値観
127
アプリオリ(先天的)なもの
「現象の本質」
118
129
「対象に説明を加え名づけてしまうこと」230
4
2.2.「名辞以前」の世界(認識世界)と「名辞以後」の世界(生活)の対立(そして苦しみ)
そして、この対立(決別)の本質、もう少し正確に言えば、
『名辞』が「名辞以前」の表現の邪魔を
することが、冒頭の詩「酒は誰でも酔はす」にも表現されている。さらに言えば、その対立による表
現者としての芸術家の苦しみが、以下のような表現で語られるのである。
「つまり中原は、調和的な対話の成立しない女性という他者に出会い、言語の不完全なことを実
感したのであろう。もちろん、完全な意志の疎通など幼児的な願望にすぎず、中原はごく当たり
前の事実に直面したに過ぎないとも言える。」97
「中原はむしろ、心と物質の対立において見るのではなく、すべての物事は観念的であるという
立場に立つのであろう。そして、物質的条件に執着するあまりに膠着した観念的姿勢、あるいは、
既製の価値意識に拘泥し自己自身の論理を持たない態度を厭うのである。この意識により中原は、
名詞で世界を表現しようとする態度や、結果のみを見ようとする態度に批評を向けることになる。」
115
言葉で表現した時に、本来の感動はどこかに逃げてしまう。124
感傷と客観の間の不合理 59
人間の思想は本来、物を見た驚きを無理なく整えればよいものだ。ただし、この思想は必然的に
形而上の言葉となるため、他には理解しがたいものとなる。そこでこれを分かりやすい言葉に置
き換えようとすると、世間の社交上の約束事に縛られて個性を失い、他との比較に終始すること
になる。194
意識をは働かせる詩人は、周囲に合わせようと努めて、世間の道理に引きずられ、自分の言葉を
失っていく。 204
物事を表現することは名詞に置き換えることだと考える凡俗や、結果にのみ注目し既存の表現に
置き換えるだけの「翻訳」者は、ありのままの現象を見ようとしていない。我々が生きるという
ことは変化であり、その過程そのものである。その動的なものを名詞で固定するようなやり方は、
我々の生命を殺すようなものだ。中原が考えることは、このようなことだと思われる。
近代の芸術を見渡しても、
「あゝ!」という最初の感動を表現する決定的な方法を欠いているよう
に見える。 230
「芸術とは名辞以前の世界の作業で、生活とは諸名辞間の交渉である。そこで生活で敏活な人が
芸術で敏活とはいかないし、芸術で敏活な人が生活では頓馬であることもあり得る。謂わば芸術
とは「樵夫山を見ず」のその樵夫にして、而も山のことを語れば何かと面白く語れることにして、
「あれが『山(名辞)』であの山はこの山よりどうだ」なぞといふことが謂わば生活である。まし
ては「この山は防風上はかの山より一層重大な役目をなす」なぞといふのはいよいよ以て生活で
ある。」(芸術論覚え書)358
5
つまり、表現者にとってこの対立は本質的なジレンマであり、むしろそのギャップに苦しまぬ(気づ
かぬ)者は芸術家ではないということであろう。さらに言えば、平明な目でありのままの物事を見て
しまうもしくは何も見えない「こども」に戻ってもいけないし、名辞の配置のみの技巧に走るのもよ
ろしくない。では、言葉に出来ないことを言葉にするにはどうすればよいのか。著者は、
「名辞に置き
換えなくても、語り表現することはできる 358」と言い切るのである。
2.3
「名辞以前」と「名辞」の融合(表現)
名辞以前の世界を表現すること、つまり名辞に縛られることなく言語化する行為は、たとえば以下の
ように語られる。
既存の意味のつながりを壊しながらも、同時に固有の意味の結びつきを作り上げている 30
意味の創造 30
名詞の意味の剥奪
33
言葉をつないできた立場から飛躍してみせることで、その行い自体を眺めるユーモア 40
唯物史観の示す物質的条件が、社会を動かす唯一の原因ではない。心の現実もまた、社会を変遷
させるものである。ただし、心もまた形なくしては、影響を及ぼすことはない。不特定の人々に
「可視的」になることで、文学的な抒情は成立する。この表現としての心を個人的な感情を区別
するところに、かつてのプロレタリア陣営のセンチメンタリズム批判を受け止め、答えをだそう
とする意思を伺うことができる。文学と社会との関わりをふまえ、形式化の理論を取り入れるこ
とで、抒情のあり方を意義づけようとするのである。71
---------あゝ恋が形とならない前
その時失恋をしとけばよかったのです
「恋の懺悔」75
---------中原の言う認識以前とは、社会の規範や習慣を超えた、言語の個別的な行為の側面を指すもので
ある。実際言語を用いる我々は、社会的な文脈をふまえた上で、そこに収まらない個別の体験を
表現したいと欲求する。また、そこから基本的な規則を逸脱した表現を求めることもある。ダダ
とは、まさにそのような表現行為に適した実践だったはずだ。中原はダダの理論を、実生活にお
ける言語の伝達の不確実性と対比させ、これを超える方法として位置づけようとしたのである。
101
自分は名詞を論理的に扱わないダダイストである。なぜなら、宣言のような論理的な文章は、た
とえダダイストのものでも、言葉を名詞的な表現にのみ置き換えて固定してしまうからだ。むし
ろ、論理を放棄した詩作品に、自己の心象を表現することが自分の望みとなる。ただしそれは、
言葉を知らない原始人のように、たどたどしいものにならざるを得ない。明快な名詞的表現を避
ける以上、仕方のないことだろう。それでも、ダダイストの表現は永遠のものとなる。現象の本
質を捉えるからである。 118
6
また芸術家は、『生活」、つまり社会的文脈や習慣に囚われることにより、世間に妥協することになっ
て、
『認識以前」を表現することが困難となる。つまり、分かりやすい表現(わかりやすさが支配する
世間で最も効果的な言語表現)は、その分かりやすさ故に、本質を伝達することはないのである。中
原の苦しみは、さらに以下のように表現される。
「名辞以前、つまりこれから名辞を造り出さねばならぬことは、既に在る名辞によって生きるこ
とよりは、少なくとも二倍の苦しみを要するのである。」349
「なぜ我が国に批評精神は発達しないか。ー名辞以後の世界が名辞以前の世界より甚だしく多い
からである。万葉以降、我が国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞の交渉の範囲にだけ大部
分の生活があり、名辞の内包、即ちやがて新しき名辞とならんものが著しく貧弱である。したが
って実質よりも名義が何時ものさばる。而して批評精神といふものは名義に就いてではなく実質
に就いて活動するものだから、批評精神といふものが発達しやうはない。」349
では、芸術家が、詩人が、いや我々が口にすべき対象は如何なるものであるのか。そもそも言葉によ
って表すことのできない『認識前』の世界を表現するにあたり、いったい『何』を表現すればよいと
いうのか。著者は、こう答えて見せる。
詩人は、旅人=認識以前の世界を知り、これに憧れるものの、それ自体を捉えることはできない。
その痕跡を、言葉で表現するより他ないのである。 125
自分の心を既存の詩のスタイルに投影するのではなく、投影すべき心の仕組みそのものを探求す
ること。144
人は自分の思った事そのものを、後から再び思うことはできない。だが、人間が生きていくと老
いて皺が増えるように、思ったことの痕跡が残ることはある。詩は、この思ったことの痕跡から
つくられるという。189
流動的な現実の過程において、自分の意識もまた常に変化している。この流動的過程をそのまま
正確に捉えることはできない。捉える事が出来ると考えれば、むしろ欺瞞に陥る。したがって、
流動そのものでなく、その流動が残す痕跡を捉え、表現することを心がけようというのである。
190
「芸術家にとって世界は、即ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、其の他如何なるモ
ディフィケーションをも許容できるものではない。彼にとって「手」とは「手」であり、
「顔」と
は「顔」であり、A=A であるだけの世界の中に彼の想像力は活動してゐるのである」 350
3.象徴化による名辞以前の世界の表出
では、芸術家は、どのように認識以前の世界を、そしてそれを認識した痕跡を表現すべきなのか。
著者は、
『人間が本来持つ象徴化作用という創造的な能力 350』という言語使用の基盤ともいうべき能
力こそが、規則性と意味性という言語体系の根源を保証するとともに、新しい意味作用の生成を担う
重要な鍵だと考える。そして芸術家は、この『象徴化』を、既存の意味をずらし、顕在化されていな
7
い意味(認識以前)を顕在化するために用いねばならぬ。つまり、
「多面体の表現」と「暗示」である。:
「自分の感覚を生かすため、従来の言語使用をふまえつつ、そこからずれた表現となるだろう。
あるいは、その記号が本来含み持ちながら、日常は意識されていない意味(記号内容)を、呼び
覚ますような表現と言うべきかもしれない」 354
中原の言う象徴は、この多面体の表現を目指したものと思われる。略
複数の視覚から表現され
た各聯が合わさって、一つの情調を多元的に表現することを目指したものであろう。先費触れた
「朝の歌」を再び見てみよう。ここでの各聯の順序は、必ずしも時間にしたがった物語的展開や
心情の変化を示しているわけではない。247
世間知に即した説明を排し、ただ感情を「見ることだけがある」詩、それが中原の目指す詩だっ
た。250
中原はここで、意味を捉える心という意識を排除しない。世間知は、感情の表現を膠着させる。
だが感情を表現し誰かに伝えようとするのならば、意味以前の世界にとどまることはできない。
といって、一度表現した意味に満足すれば、いつしかそれも死んだ概念と化してしまうであろう。
これを回避するには、捉えた意味を再び生き直すことだ。中原がここで意識を排除しないのは、
この表現を実現する過程を重んじ、表現者としての倫理を語ろうとするからだ。意味以前の世界
と、表現する意識の世界とを循環でつなぐのである。この循環する表現者の倫理を中原は、象徴
という語であらわす。254
中原の言う循環とは、一巡するごとに、時差(タイムラグ)を埋めようとする試みなのだ。254
詩はその一節だけで成立するわけではない。他の詩句との連関による構成的なものである。その
ような構成こそが、物に置き換えられやすい名辞を、名辞以前の多様性に近づける詩的表現なの
である。この詩においても、簡潔な心情表現ならば「自持」を繰り返す必要はない。繰り返しも
単純な意思を伝える以上の働きをする詩的表現であるに違いない。」368
4.認識以前の世界の言語化について(私論)
4.1 すれによる象徴
では、認識以前の世界、中原が言うような「あゝ!」と感嘆することしかできないような名辞以前
の世界をいかにして叙事的でなく、抒情的に表現しうるか、具体的な方法とはいかなるものか。象徴
化による「多面体の表現」と『暗示』について、ここでは、芸術的な詩的表現法の例ではなく、その
表現を可能にするメカニズムを端的に捉えた考えてみたい。
「シュールでナンセンスな言葉遊びとしての修辞機能」
同じ穴のムジナ
同じ海のメジナ
同じ山のメジロ
同じ串のメザシ
同じ櫛の抜け毛
(山梨、2009、
『認知構文論』, 196)
8
比喩表現とはいえ、
「同じ穴のムジナ」も既に手垢にまみれた表現(Dead Metaphor)である。しかし、
これをさらにずらすことにより、つまり、既存の名辞に頼りつつも、その枠に収まることなく原初的
感覚を伝達することは不可能ではない。むしろ、ここで伝わるのは「同じ櫛の抜け毛」という記号が
指示的に意味する(もしくは意味できない)ものではもちろんなく、かといって「同じ穴のムジナ」
という比喩表現が社会的規則によって慣習的に伝達する意味でもなく、むしろそれを「ずらした」と
いう努力であり、
「ずらす」ことによって生じる滑稽さ(逸脱)に、そもそもの名辞(抜け毛)が持つ
哀愁が重なることによって、まさに「シュールで悲しいまでにインパクトのある表現」
(山梨, 2009, 197)
が可能となるのである。流動的で不安定な認識状態、その過程そのものが、言葉遊びと(ずらし)と
して表現されていると言えようか。これは一例。
4.2 太宰に見る象徴化
次に、太宰の『富嶽百景』から、その冒頭の富士山についての語りを見てみよう。
富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断
面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵
の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、
エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二
十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとへば私が、印度インドかどこかの国から、突然、
鷲にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。
ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧てゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、
一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山であ
る。低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなけ
ればいけない。
十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の
勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れ
て、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見
えた。おどろいた、といふよりも私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた。やつてゐやがる、と思つた。人は、完全
のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな
言ひかたであるが、帯紐もといて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人が
げらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもし
さを、全身に浴びてゐるのだ。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線に
ちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて
心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を
打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あか
つき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつ
と傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆し、おう、けさは、やけに富士が
はつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫
でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。
底本:「筑摩現代文学大系
59
太宰治集」筑摩書房
1975(昭和 50)年 9 月
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
9
たしかに、これらの表現は、社会認識に拘束された名辞以後の世界に留まらず、我々読者に認識以前
の世界を垣間見せてくれる(ように、少なくとも私には思える)。太宰が富士を前にして抱いていた流
動的でセンチメンタルな認識世界の痕跡が、ここには表現されていると言えるのであろう。
しかし、ここで大きな疑問を抱かざるをえない。このような表現による認識以前の世界の理解は、
実際のところ、どのようにして達成されているのか。この点が、評者から著者への質問状である。そ
の答えは、たとえば後期ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」といった考え、中にその一端を垣間
見ることができるかもしれない。
これまでに紹介された記号論を整理すると、このようになるか
古典的な記号論(パース、カッシーラ、前期ヴィトゲンシュタイン):
記号と指示対象の一対一対応
関係論的記号論(ソシュール、サピア・ウォーフ):
差異の体系としての記号
芸術家の記号論(中原):
記号的表象の彼方に在る本質(名辞以前の世界)を語り表現する象徴(純粋な記
号論というよりも、古典的記号論に基づいた、記号の配置論?)
4.2 ヴィトゲンシュタインの言語ゲームと中原の芸術論
端的に言ってしまえば、著者が中原の言語観に見ているもの(よって、すなわち中原論に投影して
いる自身の言語観)は、以下のようなものではなかろうか。
芸術活動(言語による創造活動)とは、すなわちあえて言葉を駆使して名辞以後の世界の秩序を乱
すことによって名辞以前(実質)を再構築し、新しく紡ぎだす行為である。「既に在る名辞を生きる」
こと(つまりは、言葉を正しく使うこと)によって新しい名辞以前を生み出すことはありえないのだ
から、それは芸術活動ではない。芸術活動とは、必ずしも新しい「名辞」を新たに創る行為ではなく、
あくまでも『名辞以前』を読者(もしくは鑑賞者)の現前に描き出して見える匠の技なのであろう。
匠の技かもしれないが、これは危険な行為でもある。なぜなら、この『ことばを用いて名辞以前の世
界を再構築する』という行為は、「ことば」そのものによっては達成され得ないからである。
「名辞以後の世界」を生きることは、後期ヴィトゲンシュタインの言う『言語ゲーム』である。中
原は、まさにそれが言語ゲームたる所以(つまり、『考えなくても、見るだけでよい』)を本質的に理
解し、それを享受する我々一般の人間の無能ぶり(無頓着ぶり)を激しく非難するわけだが、その本
質に気付いた芸術家は、もはや言語ゲームの一プレーヤーとしては生きてはいけない。それは、最初
は野球というゲームに参加していた一プレーヤーが、ある瞬間から、その本質(つまりゲームである
こと)に気付いてしまい、彼に球を投げ込んでくる投手やその球がストライクか否かを判定しようと
する審判、それをベンチでさも深刻そうな顔で見つめる監督、そしてそのゲームをあたかも客観的に
眺めているように見えてその実は『娯楽としてのプロ野球』というさらに大きな『言語ゲーム』の枠
組みの一員でしかない観客たち、そして迫りくる球を打ち返そうとする自分自身をも含めてもやは「見
るだけ」ではすまず、まるで幽体離脱のような状態で球場の上空から眺めて「考え」てしまわざるを
えなくなった、覚めた野球選手(イチロー)に似ている(この比喩は中原に関しても頻繁に見られた)。
一番の悪は、テレビ放送とそこでの解説(名辞化)であろうか。であるとすれば、中原の言う『芸術』
とは、
『言語ゲーム』から抜けだしたプレーヤー(間違っても解説者ではない)による言語ゲームの説
明に他ならない。よって、中原の芸術論は、イチローの哲学だ(イチローは、名辞以後の野球を語っ
10
ているのではなく、名辞以前の世界としての野球を、しかも実体験から語っているのだ。だからこそ、
彼の言っていることは名辞以後の世界にいる我々には理解できないのだ。いくつかの例を見てみよう。
<アスレチックス 2-6マリナーズ>◇1日(日本時間2日)◇オークランドコロシアム
開幕戦で2安打。マリナーズ・イチロー外野手(36)のコメント。
「体に傷が入っていく感じが気持ちいい。スプリングトレーニングでは体に傷が入ったり、ユニ
ホームが汚れたりするのも嫌ですけど、シーズンならいいね。始まったんだな、という感じです」。
<オープン戦:マリナーズ7-6ロッキーズ>◇28日(日本時間29日)◇アリゾナ州ピオリア
3打数無安打。この日が実質的なキャンプ打ち上げだった。
感想を問われ「準備できたとも、準備できていないとも言えない」。
守備のベストナインに相当するゴールドグラブ(GG)賞のア・リーグ受賞者が発表され、大
リーグ1年目の01年から10年連続で選ばれた。
「謹んでお受けいたします。でも、おなかいっぱいではありません。まだ、おかわりしたいで
す」。
(実際のところ、三番目の例は、あまり面白み(認識以前の世界)を感じない発話であるが、これに
はある理由がある。これは、西武ライオンズのある主力選手の決まり文句(もしくはあだ名)をエコ
ー的に使用した、皮肉とも、茶菓しているとも取れる、イチロー独特の表現なのである。インタビュ
アーは、くすっと笑ったに違いない。)
しかし、中原の言う通り、この行為には少なくとも二倍の苦しみが伴う。この行為がなぜ苦しいの
か。著者(そして中原)は、それは表現の苦しみである、と結論づけるのであろう。が、ここで一つ
の反論をしてみたい。これは、表現の苦しみではなく、そもそも認識以前の世界が共有不可能である
がゆえの悲しみなのではないか。つまり、中原の、そしてイチローの苦しみ(悲しみ)の本質は、す
でに彼らがその読者/聞き手と同じ言語ゲームに参加していない所にあり、表現すべき「認識世界」
など聞き手の心に中に最初から存在しないからではないのか。さらに言えば、彼らがそれを悲しいま
でに知ってしまっているからではないのだろうか。だとすれば、芸術家(表現者)に残された道は一
つしかない。それを、一から読者/聞き手の中に創造することだ。それは自らの認識世界の再構築の
苦しみに加え、聞き手の認識世界の構築という新たな課題と負荷を与えるものである。それは不可能
に近く、苦しい。
4.3
共有によるコミュニケーション
この点をもう少し明確にするために、最後に、本著で触れられていない言語観について一つ、紹介
してみたい。本著では、言語(記号)は、古典的な記号論(名称目録的記号論)、もしくはソシュール
の差異の体系としての言語(関係論的記号論)、という枠組みで語られ、中原はむしろ前者の記号感を
持ちつつ、だからこそとして名辞「以前」を表現することに苦しみを覚え、同時に価値を見出す、と
されているが、これらの他に、次のような言語観が存在する。つまり、
「意味」を記号の指示対象(古
典的記号論)とも、もしくは内容(シニフィエ所記、関係的記号論)とも見るのではなく、むしろ、
聞き手の心に創発するもの(より厳密には、聞き手によって推論されるもの)と考える言語観である。
たとえば、認知心理学者トマセロらの、Cooperative Human Communication というモデルがそうで
ある。現在のところ、一般的なコミュニケーションにおける意味のやり取りを扱った理論であり、芸
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術表現にまで踏み込んだものではないが、その説明的可能性は、否定出来ない。例をあげよう:
common ground + pointing:
バーのカウンターにおける、空のグラスの指差し
・ 同じものをもう一杯くれ
・ もう一杯飲む?
(バーテンダーと客)
(隣の席の連れ合いと)
・ どうだ、まだ禁酒を続けているぜ
表情+pointing:
(禁酒友達と)、他
特定の表情を伴った、ペンの指差し
・ ちょっとそのペン取ってくれる?(乞うような表情)
・ このペンあったんだ!(喜びの表情)
・ このペンあなたの?(訝る表情)、他
指差しの「意味」は、指差しという記号自体によって指示もされないし、無論その中身でもない。せ
いぜい『指さされるのがグラス/ペン』であるだけである。意味は、聞き手との協調関係の中で、
Common Ground (Joint Attention)や Social Motivation を背景に、聞き手の中に創発する。
この言語観は、意味を作者から切り離して聞き手(読者)に押し付ける脱構造主義的な考え方とは
異なる。むしろ、話し手と聞き手が共有するもの(common ground)こそが意味創発の土壌であり、
記号の機能とは、共有されたフレームの中で聞き手/読み手が注目すべき参照点を明示し、そのこと
によって聞き手/読み手に意味の推論を促しているに過ぎない、という主張である。つまり、中原の
詩は、その表現(ダダイズムであり、象徴性)ゆえに読者に認識以前を伝達できるわけではない。そ
もそも、認識以前の世界が何らかのレベルで共有されているからこそ、中原の記号の配置によって、
読者はその読み取るべき方向性(世界)を認識させられるだけである。しかし既に述べたように、そ
のような共有を期待することは、ある意味で虚しい。こどもには、中原の詩は理解出来ないのである。
ただし、長沼(中原)言語観は、一方では名辞によってもこの機能は果たし得ないことを指摘してい
る点で、正しい。なぜなら、名辞は意味の社会的慣習であり、規則であり、束縛するからである。名
辞が果たすのは、過去の出来事(意味)の再生産であり、共通認識フレームの再確認にしか過ぎない。
では、いったいどうすれば、聞き手/読み手の中に、新しい共通フレームを作り出し、そしてそのフ
レームの中で新しい意味を創発させることが可能となるのであろうか・・・。評者の思索はここで力
尽きざるを得ない。これについては、いずれ稿を新たにして論じてみたい。
5.おわりに
(前期)ヴィトゲンシュタインは、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならぬ」
(「論考」)
と言った。語りうるものとは、名辞によって写像的に表される事柄であり、それを語ったものこそが、
日常言語であり、法律であり、科学(の言語)であろう。逆に語り得ぬこととは、そういった「語り
得るもの」が我々に人間に対して持つ意味であり、価値であり、本著で言うところの『名辞以前(認
識世界)』である。この世界について、哲学者は沈黙し、一般人は享受し(あるいは認識さえも出来ず)、
そして芸術家は象徴化する。しかしその象徴化は、檻の中で草を喰む羊の群れにヴィトゲンシュタイ
ンの言葉を理解させるくらい難しい。
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