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リバタリアニズムの立場その1
学科共通科目(2011年度) 哲学・思想の基礎 第12回 倫理的な正しさとは 何か その2-1 リバタリアニズムの立場 2.1 ノージックの リバタリアニズムの構想 ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ ユートピア』(Nozick, Robert, Anarchy, State, and Utopia, Blackwell, 1974)に基づいて、リ バタリアニズムについて考える。「リバタリア ニズム」(libertarianism)は「自由尊重主義」と か「自由至上主義」と訳される。 個人の自由と権利 ノージックはリベラリズム以上に個人の自由 や権利を尊重する。「私は個人の諸権利を強 い形で定式化することから出発する」(ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』iv頁; p.xi)」。彼は、「個 人の権利は国家(state)にどの程度の活動の 余地を残すものであるのか」(ノージック『アナー キー・国家・ユートピア』i頁; p.ix)、と問う。 最小国家 ノージックは適切な国家として、「暴力・盗 み・詐欺からの保護、契約の執行などの狭い 機能に限定された最小国家(minimal state) を挙げる。それ以上の拡張国家(extensive state)はすべて、特定のことを行うよう強制さ れないという人びとの権利を侵害し、不等で あるとみなす(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』i 頁; p.ix)。 権原理論 市民の間に分配的正義(distributive justice)を実現・招来するために拡張国家を 正当化する主張に対抗するために、ノージッ クは、拡張国家を必要としない正義の一理論 (権原理論entitlement theory)を展開し、この 理論装置を使って、何らかの拡張国家を想定 している他の分配的正義の諸理論を解剖し、 批判する。そして、特に、ジョン・ロールズの 強力な理論に批判の焦点を合わせる(ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』v頁; p.xi)。 ロールズとノージックの立場の相違 点と共通点 実践的な観点からは、ロールズとノージック の立場は明瞭に対立している。福祉国家リベ ラルなロールズと、リバタリアン保守主義者の ノージックは、尐なくとも分配の正義 (distributibe justice)の争点に関しては、アメ リカの政治的議題として提出されるべき、非 常に明瞭な選択肢において立場を異にして いる。 →続く 哲学的な観点からは、二人には多くの共通点があ る。二人とも、功利主義にはっきりと異議を唱え、そ れが人格間の区分を否定していることを根拠にして 拒否している。その代わりに、二人とも、権利を基礎 とする倫理学を提示し、それによって個人の自由が より完全に確保されるとしている。ノージックによる 権利の説明は、ロックに多くを負うとはいえ、二人と も、各人をたんなる手段ではなく、目的として扱うべ きであるとのカントの準則に訴え、それを具体化す る正義の原理を求めている (サンデル『リベラリズムと正 義の限界』75-76頁; p.66-67)。 →続く 二人とも、ロールズのいう「人びとの多元性と独自 性」や、ノージックのいう「われわれが別々の存在で あるという事実」を強調する。このような中心的な道 徳的事実によって、功利主義が否定され、個人主義 的で、権利を基礎とする倫理学が肯定されている。 とはいえ、ロールズは、社会的・経済的不平等が もっとも恵まれない者の便益になる限り認める、正 義の理論に到達するのに対し、ノージックは、再分 配政策をまったく排除し、自発的な交換や移転だけ から成立する正義を主張する(サンデル『リベラリズムと 正義の限界』77頁; p.67)。 2.2自然状態 自然状態→私的保護協会→超最小国家→ 最小国家(夜警国家) 「政治哲学の根本問題は、いやしくも何らかの 国家がなければならないのかどうかにあり、 この問題は国家がいかに組織されるべきか の問題に先行する。」(ノージック『アナーキー・国家・ ユートピア』4頁; p.4)。 →続く 自然状態 彼は国家の成立を説明する自然権理論(社会契約 論)で論じられる「自然状態」(state of nature)を検討 する。自然状態で自然法が成り立っているとされる。 ロックの自然状態において、諸個人は「自然法の制 限内で、許可を求めたり、他人の意志に依存したり することなく、自分が相応しいと思う通りに、行動を 律し、財産(possessions)と一身(persons)を処分す る(dispose of )について、完全に自由(perfect freedom)な状態にある」(4節:以下の節番号はロックの 『市民政府論』の節を示す)。 →続く 自然法の制約は「他人の生命・健康・自由・ 財産を侵害してはならない」(6節)と要求する。 これらの制限を越えて「他人の権利に侵入 し・・・相互を害する者がある」と、これに対応 して人びとは、このような権利侵害者から自 分や他者を防衛することが許される」(3節)。 害を受けた当事者と彼の代理人は、「彼の 被った損害に対する賠償となりうる限度で」侵 害者から取り戻すことが許される(10節)。 また「誰でもその〔自然〕法の侵害者に対し て、法の侵害を阻止しうる程度の罰を与える 権利を有する」(7節)。個々人は[犯罪者に]対 して、「冷静な理性や良心が命じる限りにおい て、その者の侵害に比例したもの、つまり〔現 状〕回復と〔犯罪〕抑止に資するだけのものを 報復する」(8節)ことが許され、またそれ以上 のことは許されない(ノージック『アナーキー・国家・ ユートピア』15-16頁; p.10)。 保護協会 自然状態においては、自然法がすべての偶発事件 に適正な解決を与えるとは限らない。そこで、自然 状態の中で、人びとはこのような難点にどのように 対処するかが問題となる。ここでノージックは「保護 協会」(protective association)が必要になると説く。 自然状態においては、個人は自分で諸権利を実行 し、自己を防衛し、賠償を取り立て、処罰を行う(尐 なくとも、そうするために最善の努力を払う)かもしれ ないが、彼の要請に応えて、他の人びとが彼の防衛 に加わることもある。 →続く 攻撃者の撃退、侵害者の追撃。複数の個人 によって構成されるさまざまなグループが、い くつもの相互保護協会(mutual-protection associations)を形成することもある。そこで は、誰からであれ防衛や権利実行の要請が あれば、全員がこれに応じる(ノージック『アナー キー・国家・ユートピア』18-19頁; p.12)。しかし、このよ うな相互保護協会のメンバーの間でも、さま ざまの争いが起こる可能性がある。 2.3 最小国家と保護機関 無政府状態から出発して、自発的なグループ形 成・複数の相互保護協会・分業・市場の圧力・規模 の利益・合理的な私利などの力によって、一つの最 小国家(minimal state)または地理的に区別された 最小国家による集団に非常によく似たものが生成 する(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』25頁; p.1617)。ノージックは、最小国家よりも強力で包括的な 国家は、正当でも、正当化可能でもなく、最小国家 が唯一正しい国家であると論じる(ノージック『アナー キー・国家・ユートピア』83-84頁; p.52-53)。 →続く すべての個人は、彼に適用されようとしている正義 の手続きが信頼でき、公正であることを示す情報が、 一般にまたは彼に入手可能である〔ことを要求する〕 権利をもっている。この開示がない場合には、彼は 自衛手段をとり、この相対的に未知の制度の適用を 受けることに抵抗することができる。その情報が一 般に入手可能かまたは彼には入手可能にされてい るとき、彼は手続きの信頼と公正さについて知りうる 立場にいる。彼はこの情報を検討し、もしその制度 が信頼性と公正の範囲内にあることがわかれば、 それに服従せねばならない。またそれが信頼できず 不公正であるとわかれば、彼は抵抗することが許さ れる(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』160-161頁; p.102)。→続く 人は、他人が信頼性がないかまたは不公正な正義 の手続きを自分に適用する場合には、正当防衛とし てこれに抵抗することができる。この原則の適用とし て、個人は、良心的に検討をつくした結果、不公正 または信頼性がないと彼が判断した制度には抵抗 することになる。個人は彼の保護機関に授権して (empower)、信頼性と公正さを開示していない手続 きに抵抗する権利、また不公正または信頼性のな いあらゆる手続きに抵抗する権利を、彼に代わって 実行させることができる(ノージック『アナーキー・国家・ ユートピア』161-162頁; p.102)。 2.4 道徳的制約と道徳的目的 権利は、行われるべき活動に対する付随制約[側 面からの制約](side constraints)―制約Cを犯すな ―と位置づけられる。他の人びとの権利が、あなた の活動に対する制約内容を定める。制約を付加さ れた目的指向的立場(goal-directed view)は、次の ようなものになる。制約Cを犯さないような、あなた に可能な行為の中から、目的Gを最大化するように 行為を行え。ここで他人の諸権利があなたの目的 指向的行動を制約することになる。付随制約論 (side-constraint view)は、諸目的の追求に際して、 これらの道徳的制約を破ることを禁止する(ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』45頁; p.29)。 →続く 付随制約〔の理論〕は、その基礎にある次の ようなカント的原理を反映している。個々人は、 目的(ends)であって、単なる手段(means)で はない。それゆえ個人を、同意なく、他の目 的達成のために犠牲にしたり利用したりする ことは許されない。各々の個人は不可侵であ る(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』48頁; p.3031)。 →続く 人は他人を利用してはならない。他人に向 けた活動に対する、ある特定の付随制約は、 この付随制約が排除している特定の諸方法 で他人を利用してはならないということを表現 している。いろいろな付随制約は、他人が不 可侵(inviolability)であることを表現している。 この型の不可侵性は次のような命令で表わし うる。「人びとを特定の方法で利用するな」 (ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』50頁; p.32)。 →続く 付随制約は、他人の人格の不可侵性を表現す る。しかし、人は、より大きな社会的善のために人 びとを侵害することは許されない。個人としてはわ れわれは各々時によって、より大きな利益のため、 またはより大きな害を避けるため、痛みや犠牲を あえて受けることがある。たとえば、後でもっとひど い目にあうことを避けるために歯医者に行き、その 成果を求めて嫌な仕事をし、人によっては健康や 美容の向上のために食事制限をし、老後の生活 のために貯金をする人もいる。それぞれの場合、 全体の善をより大きくするために、何らかのコスト を負担するのである。 →続く しかし、同じように、社会全体の善(overall social good)のために、ある人びとが他の人びとにより多く の利益を与えるような何らかのコストを負担すべき だ、とは主張されない。それ自身の善のためにある 犠牲を忍ぶというような、善を伴う社会的実体などと いうものは存在しない。存在するのは個々の人びと、 彼ら自身の個々の命をもった、各々異なった個々の 人びとのみである。これらの人びとのうちの一人を 他の人びとの利益のために利用するということは、 彼を利用すること、そして他に利益を与えることであ る(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』51頁参照; cf.p.32-33)。 →続く われわれが行ってもよいことについての道 徳上の付随制約は、われわれが別々の存在 (separate existence)である、という事実を反 映している。われわれのうちの一人の命より 他の人びとの命〔の価値〕が道徳上優越する ことによってより大きな全体としての社会的善 に導くことなどはない。われわれの幾人かを 他の者のために犠牲にすることに、正当化は ありえない (ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』52 頁参照; cf.p.33)。