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学科共通科目(2011年度) 哲学・思想の基礎

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学科共通科目(2011年度) 哲学・思想の基礎
学科共通科目(2012年度)
哲学・思想の基礎
第12回 倫理的な正しさとは
何か その2-1
リバタリアニズムの立場
2.1 ノージックの
リバタリアニズムの構想
ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・
ユートピア』(Nozick, Robert, Anarchy, State,
and Utopia, Blackwell, 1974)に基づいて、リ
バタリアニズムについて考える。「リバタリア
ニズム」(libertarianism)は「自由尊重主義」と
か「自由至上主義」と訳される。
個人の自由と権利
ノージックはリベラリズム以上に個人の自由
や権利を尊重する。「私は個人の諸権利を強
い形で定式化することから出発する」(ノージック
『アナーキー・国家・ユートピア』iv頁; p.xi)」。彼は、「個
人の権利は国家(state)にどの程度の活動の
余地を残すものであるのか」(ノージック『アナー
キー・国家・ユートピア』i頁; p.ix)、と問う。
最小国家
ノージックは適切な国家として、「暴力・盗
み・詐欺からの保護、契約の執行などの狭い
機能に限定された最小国家(minimal state)
を挙げる。それ以上の拡張国家(extensive
state)はすべて、特定のことを行うよう強制さ
れないという人びとの権利を侵害し、不等で
あるとみなす(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』i
頁; p.ix)。
【サンデルの解説】
• リバタリアンは、近代国家が一般に制定している3
つのタイプの政策や法律を拒否する。1.パターナリ
ズム(父親的温情主義)の拒否。リバタリアンは自傷
的行為を行う者を保護する法律に反対する。シート
ベルト着用義務法やオートバイに乗る際のヘルメッ
ト着用義務法への反対。そうした法律はどんなリス
クを自分で取るかを決める権利を侵害する。第三者
に危害が及ばないかぎり、そしてオートバイの乗り
手が自分の医療費を払えるかぎり、国家にはオート
バイの乗り手が自分の命と体でどんなリスクを取る
かを指図する権限はない。
2.道徳的法律の拒否
• リバタリアンは、法的強制力を用いて、多数
派のもつ美徳の概念を奨励したり道徳的信
条を表明したりすることに反対する。売春や
同性愛の自由。売春にはおそらく多くの人が
道徳的に反対するであろうが、だからといっ
て成人が同意の上で売春を行うことを阻む法
律は正当なものではない。いくつかの社会で
は同性愛を認めない者が多数派であるが、
ゲイやレズビアンから自分のパートナーを選
ぶ権利を取り上げる法律は正当化されない。
3.得や富の再分配の拒否。
• リバタリアンの権利理論は、富の再分配のための課
税を含め、いかなるものであろうとも、他人を助ける
ことを或る人びとに要求する法律を拒否する。富め
る者が貧しい者を支える―医療、住宅、教育などを
補助金を出して支える―ことは望ましいであろうが、
そうした援助は政府が命じるのではなく、個人の意
向に任せられるべきである。再分配のための課税
(redistributive taxes)は一つの形の強要であり、さ
らに言えば盗みである。国家には富裕な納税者に
貧者のための社会プログラムを支えるような強制す
る権限はない(サンデル『これからの「正義」の話をしよう―いまを生
き延びるための哲学―』81頁参照; Cf. p.60-61)。
権原理論
市民の間に分配的正義(distributive
justice)を実現・招来するために拡張国家を
正当化する主張に対抗するために、ノージッ
クは、拡張国家を必要としない正義の一理論
(権原理論entitlement theory)を展開し、この
理論装置を使って、何らかの拡張国家を想定
している他の分配的正義の諸理論を解剖し、
批判する。そして、特に、ジョン・ロールズの
強力な理論に批判の焦点を合わせる(ノージック
『アナーキー・国家・ユートピア』v頁; p.xi)。
2.2自然状態
自然状態→私的保護協会→超最小国家→
最小国家(夜警国家)
「政治哲学の根本問題は、いやしくも何らかの
国家がなければならないのかどうかにあり、
この問題は国家がいかに組織されるべきか
の問題に先行する。」(ノージック『アナーキー・国家・ユート
ピア』4頁; p.4)。
→続く
自然状態
国家の成立を説明する自然権理論(社会契
約論)で論じられる「自然状態」(state of
nature)。自然状態で自然法が成り立ってい
るとされる。ロックの自然状態において、諸個
人は「自然法の制限内で、許可を求めたり、
他人の意志に依存したりすることなく、自分が
相応しいと思う通りに、行動を律し、財産
(possessions)と一身(persons)を処分する
(dispose of )について、完全に自由(perfect
freedom)な状態にある」(4節:以下の節番号
はロックの『市民政府論』の節を示す)。 →続く
自然法の制約は「他人の生命・健康・自由・
財産を侵害してはならない」(6節)と要求する。
これらの制限を越えて「他人の権利に侵入
し・・・相互を害する者がある」と、これに対応
して人びとは、このような権利侵害者から自
分や他者を防衛することが許される」(3節)。
害を受けた当事者と彼の代理人は、「彼の
被った損害に対する賠償となりうる限度で」侵
害者から取り戻すことが許される(10節)。
また「誰でもその〔自然〕法の侵害者に対し
て、法の侵害を阻止しうる程度の罰を与える
権利を有する」(7節)。個々人は[犯罪者に]対
して、「冷静な理性や良心が命じる限りにおい
て、その者の侵害に比例したもの、つまり〔現
状〕回復と〔犯罪〕抑止に資するだけのものを
報復する」(8節)ことが許され、またそれ以上
のことは許されない(ノージック『アナーキー・国家・
ユートピア』15-16頁; p.10)。
保護協会
自然状態においては、自然法がすべての偶
発事件に適正な解決を与えるとは限らない。
そこで、自然状態の中で、人びとはこのような
難点にどのように対処するかが問題となる。
ここでノージックは「保護協会」(protective
association)が必要になると説く。自然状態
においては、個人は自分で諸権利を実行し、
自己を防衛し、賠償を取り立て、処罰を行う
(少なくとも、そうするために最善の努力を払
う)かもしれないが、彼の要請に応えて、他の
人びとが彼の防衛に加わることもある。 →続く
攻撃者の撃退、侵害者の追撃。複数の個人
によって構成されるさまざまなグループが、い
くつもの相互保護協会(mutual-protection
associations)を形成することもある。そこで
は、誰からであれ防衛や権利実行の要請が
あれば、全員がこれに応じる(ノージック『アナー
キー・国家・ユートピア』18-19頁; p.12)。しかし、このよ
うな相互保護協会のメンバーの間でも、さま
ざまの争いが起こる可能性がある。
2.3 最小国家と保護機関
無政府状態から出発して、自発的なグルー
プ形成・複数の相互保護協会・分業・市場の
圧力・規模の利益・合理的な私利などの力に
よって、一つの最小国家(minimal state)また
は地理的に区別された最小国家による集団
に非常によく似たものが生成する(ノージック
『アナーキー・国家・ユートピア』25頁; p.1617)。ノージックは、最小国家よりも強力で包
括的な国家は、正当でも、正当化可能でもな
く、最小国家が唯一正しい国家であると論じ
る(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』83-84頁; p.52-53)。 →
続く
すべての個人は、彼に適用されようとしてい
る正義の手続きが信頼でき、公正であること
を示す情報が、一般にまたは彼に入手可能
である〔ことを要求する〕権利をもっている。こ
の開示がない場合には、彼は自衛手段をとり、
この相対的に未知の制度の適用を受けるこ
とに抵抗することができる。その情報が一般
に入手可能かまたは彼には入手可能にされ
ているとき、彼は手続きの信頼と公正さにつ
いて知りうる立場にいる。彼はこの情報を検
討し、もしその制度が信頼性と公正の範囲内
にあることがわかれば、それに服従せねばな
らない。またそれが信頼できず不公正である
とわかれば、彼は抵抗することが許される(ノー
ジック『アナーキー・国家・ユートピア』160-161頁; p.102)。→続く
人は、他人が信頼性がないかまたは不公正
な正義の手続きを自分に適用する場合には、
正当防衛としてこれに抵抗することができる。
この原則の適用として、個人は、良心的に検
討をつくした結果、不公正または信頼性がな
いと彼が判断した制度には抵抗することにな
る。個人は彼の保護機関に授権して
(empower)、信頼性と公正さを開示していな
い手続きに抵抗する権利、また不公正または
信頼性のないあらゆる手続きに抵抗する権
利を、彼に代わって実行させることができる
(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』161-162頁; p.102)。
2.4 道徳的制約と道徳的目的
権利は、行われるべき活動に対する付随制
約[側面からの制約](side constraints)―制
約Cを犯すな―と位置づけられる。他の人び
との権利が、あなたの活動に対する制約内
容を定める。制約を付加された目的指向的立
場(goal-directed view)は、次のようなものに
なる。制約Cを犯さないような、あなたに可能
な行為の中から、目的Gを最大化するように
行為を行え。ここで他人の諸権利があなたの
目的指向的行動を制約することになる。付随
制約論(side-constraint view)は、諸目的の
追求に際して、これらの道徳的制約を破るこ
とを禁止する(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』45頁;
p.29)。
→続く
付随制約〔の理論〕は、その基礎にある次の
ようなカント的原理を反映している。個々人は、
目的(ends)であって、単なる手段(means)で
はない。それゆえ個人を、同意なく、他の目
的達成のために犠牲にしたり利用したりする
ことは許されない。各々の個人は不可侵であ
る(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』48頁; p.30-31)。 →続
く
人は他人を利用してはならない。他人に向
けた活動に対する、ある特定の付随制約は、
この付随制約が排除している特定の諸方法
で他人を利用してはならないということを表現
している。いろいろな付随制約は、他人が不
可侵(inviolability)であることを表現している。
この型の不可侵性は次のような命令で表わし
うる。「人びとを特定の方法で利用するな」
(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』50頁; p.32)。
→続く
付随制約は、他人の人格の不可侵性を表
現する。しかし、人は、より大きな社会的善
のために人びとを侵害することは許されな
い。個人としてはわれわれは各々時によっ
て、より大きな利益のため、またはより大き
な害を避けるため、痛みや犠牲をあえて受
けることがある。たとえば、後でもっとひどい
目にあうことを避けるために歯医者に行き、
その成果を求めて嫌な仕事をし、人によって
は健康や美容の向上のために食事制限を
し、老後の生活のために貯金をする人もい
る。それぞれの場合、全体の善をより大きく
するために、何らかのコストを負担するので
ある。 →続く
しかし、同じように、社会全体の善(overall
social good)のために、ある人びとが他の人
びとにより多くの利益を与えるような何らかの
コストを負担すべきだ、とは主張されない。そ
れ自身の善のためにある犠牲を忍ぶというよ
うな、善を伴う社会的実体などというものは存
在しない。存在するのは個々の人びと、彼ら
自身の個々の命をもった、各々異なった個々
の人びとのみである。これらの人びとのうち
の一人を他の人びとの利益のために利用す
るということは、彼を利用すること、そして他に
利益を与えることである(ノージック『アナー
キー・国家・ユートピア』51頁参照; cf.p.3233)。 →続く
われわれが行ってもよいことについての道
徳上の付随制約は、われわれが別々の存在
(separate existence)である、という事実を反
映している。われわれのうちの一人の命より
他の人びとの命〔の価値〕が道徳上優越する
ことによってより大きな全体としての社会的善
に導くことなどはない。われわれの幾人かを
他の者のために犠牲にすることに、正当化は
ありえない (ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』52頁参照;
cf.p.33)。
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