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H25年8月22日地域サポーター研修の概要報告(PDF:1.3MB)

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H25年8月22日地域サポーター研修の概要報告(PDF:1.3MB)
地域力UPサポート研修~時代に求められる職員像~(概要)
日時
平成25年8月22日(木)10時00分~12時00分
会場
市役所802会議室
(市長冒頭講演)
今日は、山崎先生の胸を借りるつもりで、日頃のいろんな思いをぶつけていただきたいと思う。
それでは、まず、質問からはじめる。写真の彼は、誰でしょう?なかなかのイケメン。若い。私
の若い頃の写真ではない。たぶん17、8歳、今でいう高校2、3年生くらいの写真。凛々しい顔
している(答えは中山忠光)
。
はたして、日本は、今のままでいいのか。
日本では、失われた20年などと言われているが、ここ20年くらい前から、行政に対する風当
たりが非常に厳しいと感じる。ちゃんと仕事をしているのか、税金の無駄使いをしていないのかな
ど、いろいろな声が耳に入ってくる。確かに、そういう面もあるのかなと思う。
20年前、私は教育の世界にいたが、その時代、日本の教育力がどんどん落ちていた。数学・算
数・国語のテストがあり、その数値を先進国で比較すると、元々日本は、シンガポールや韓国と同
じ高い位置にいたが、ここ20年で落ちてきた。非常に閉塞感がある。もちろん、なんとか変えて
いこうという気持ちはあるが、なかなか効果が上がらない。年配の方であれば、いろんな場面で経
験されたのではないかと思う。
そこで、これを打ち破る力、こういう閉塞感を打ち破る力は、何かと考えた時に、一つ目は、若
い人の力。若い力というものは、強力なエネルギーを発散できる。実は、若さと言っているが、年
齢は関係ない。20歳でも老いた人間がいるし、私のように60歳で元気な人間もいる。
2つ目が、ばか者。これは、今までのいわゆる価値観をひっくり返そうということ。何かに挑戦
して、矛盾を感じて、変えたいという思いを持っている者を「ばか者」と称したいと思う。
そして、3つ目は、よそ者。これも、従来の枠組みには、当てはまらない人だと思う。実は、若
者・ばか者・よそ者という本が出ている。信州大学の真壁昭夫先生による経済の本で、日本経済が
閉塞感に陥って、GDPがほぼ横ばい状態、デフレ傾向で、元気がなくなって、自信を無くしてい
た。それを打ち破るためには、若者・ばか者・よそ者の力を上手く活かすべきだと書いている。
さて、そこで、日本一の若者・ばか者・よそ者の3つを兼ね備えた人がいる。それが先ほどのク
エスチョンで出た問題である(答えは中山忠光)
。
答えは、まず、若者ということでは、写真は、17、8くらいの時に撮影されたと思われる。そ
して、20歳で一児をもうけて、結局、山口県で殺されてしまう。暗殺された。
また、どこが「ばか者」かというと、彼が18歳の時、西暦1863年、文久3年、今からちょ
うど150年前。彼は、実際に自分で船に乗って、欧米列強の船に向かって大砲を打ったが、逆に
やられた。そこで、日本の力では外国には勝てないというのを学んだ。ここは賢い。ばか者ではあ
るけれど賢い。彼は、これでは日本は救えない。いずれ力の強い欧米諸国に日本はやられてしまう
と考え、天誅組の変を、彼が主将になって実行した。私はこれが最初の討幕運動だと思う。
さらに、よそ者ということだが、彼は、公家の出身で、ちょっと上品な顔をしている。元を正せ
ば藤原家、貴族の流れをくんでいる。父は中山忠能大納言という位の高い人。忠光のお姉さんの中
山慶子と孝明天皇の間に生まれた子が明治天皇である。忠光と明治天皇は、叔父と甥の関係。武家
社会の中で、彼がやろうとしたことは、武家の代表のように見えるが、実はよそ者である。
このような意味で、若者・ばか者・よそ者、日本の中でもこれほど典型的にこの3つを網羅した
人物は、私はいないのではないかと思っている。
では、若者・ばか者・よそ者のアンチ定義は何なのか、私の答えは、この20年間の公務員では
ないかと思う。よく公務員批判があるが、これが当たっているなと思う。「若者」という言葉に対
してのアンチテーゼは「老獪」である、年齢は関係ない。非常に保守主義的な考えである。
さらに、
「ばか者」の反対は何かというと「こざかしい」
。これも公務員によく言われる。前例主
義というか、保守的な面と一緒のことだと思う。
また、
「よそ者」に対して反対の言葉は、
「身内意識」ではないか、自分たちは守る。よそ者をは
ねのけるという排他主義。「公務員はそんなことない」という声が聞こえてくるかもしれない。た
ぶん、異議ありの声が上がると思うが、社会の中では、結構こういう一面もあるように見られてい
る。これも自覚してほしいと思う。
ここで、この若者・ばか者・よそ者の定義をしてみたいと思う。若者とは何なのか。年齢ではな
い。古いが「青年は荒野をめざす」を知っているか?青年というのは、訳のわからない、何かわか
らない、どこへ行くかわからない、そういう荒野を目指しているということだと思う。ばか者も、
同じことだが、どこへ行くのか自分もわからないけど、なんとか前に行こうと荒野を目指している。
よそ者がその荒野を客観的に見る人ではないかと思う。
では、最後だが、荒野とは何なのか。ここが問題。実は、答えは出ている。私は、河内長野市そ
のものではないかと思う。私たちは、この荒野を避けることなく、前に向いて目指さなければなら
ない。時として、荒野に踏み入れる中で、自らも傷つくこともあるし、失敗することもあるけれど
も、しかし前に向いて行かざるを得ない。これは行政マンのいわば宿命であり、ここで勤めようと
考えた皆さんの、ある意味「覚悟」と考えなくてはならないのではないかと思う。
財政難、私も5年前にここへ来て、なんと683億という借金があった。これは、河内長野市の
財政の年間約300億円ちょっとから言えば2倍の借金を抱えている。このままいけば夕張状態に
なる。夕張はいくらで倒れたと思う?実は360億でレッドカードになった。もちろん財政規模が
河内長野よりは小さいから360億で持ちこたえられなくなって、財政再建団体に陥った。その数
字から言えば、河内長野市は、すでに300億を超している。私が入って、初めて細かいことを知
って、大変なところへ来たなと、一方ではしっかり借金を返して、5年間で70億円の借金を返し
た。今613億円の借金が残っているので、決して財政が健全だとはいえない。また、皆さんにも、
4月から給料を平均5.6%カットさせてもらった。本当に私もつらい思いをしたが、そうでもし
ないと、河内長野の厳しい財政を立て直すことはできない。
もう一つの問題は、絵に書いたような少子高齢化、みんなも知っているように、大阪で最も高齢
化率が高い市で、27%を超えている。
そのような河内長野市ではあるが、それに挑むこと、前を向いて進んでいくことこそ、私は「青
年」であると思う。
(山崎亮さん講演)
スタジオLの仕事、コミュニティデザインとは、場の雰囲気を和ませて、いろんな立場の人に仲
よく話をしてもらうことが中心で、これまで、ランドスケープデザイン、パークマネジメント、ま
ちづくり、総合計画づくり等に取り組んできた。今では、それ以外の仕事も頼まれて、新しい仕事
も面白いなと感じ、徐々に違う仕事もするようになっている。
そもそも僕は、空間や庭のデザインなどの仕事を手がけていたが、公園のデザインを担当してい
るときに問題が起こった。河内長野市にもあるかもしれないが、何億円をかけて作った公園が、数
年後に誰も使わないような公園になっていた。そこで、税金を使ってせっかく作った(デザインし
た)のにもったいないと思ったので、パークマネジメントという取り組みをやるようになった。
パークマネジメントという言葉は、聞きなれないかもしれない。例えば、デザインで綺麗な公園
を作りました、噴水を作りましたという後、他の人がやってくれればいいとなるのではなく、むし
ろ、デザインと設計の仕事を頼まれても、僕は問題意識が他のところにあるから、デザインは知り
合いの人に任せて、公園の形をどう作るではなくて、でき上がった公園を市民と一緒にどういうふ
うに使いこなしていくかを実践したいと考えて、公園を運営するという取り組みに挑戦した。
美術館でも、博物館でも、作ったあとは館長が運営する。しかし、公園には園長がいない。美術
館などは、箱物と揶揄されるが、公園は箱じゃないのであまりそう言われないが、作った後は、み
んなで勝手に使いなさいという状態になっているだけで、そこには何の努力もない。
これは、公園緑地課の人がいたら怒られるかもしれない(会場笑)
。例えば、花を植えたり、芝
生を刈ったりというように、費用対効果の中で、より多くの人たちに公園に足を運んでもらえるよ
うな努力はしているが、先ほど市長が言ったような「よそもの」や「ばかもの」を活用する仕組み
で維持管理をしていない、そこにアイデアは全然入っていないのではないのか。芝を刈って、雑草
を抜いて、花を植えておけば、人は公園に来るものだと思ってないだろうか。
例えば、僕らは、現場に行って、本当に24時間、公園を観察しようと考えて、尼崎市などのい
くつかの公園を観察してみた。尼崎市の観察日は、12月25日だったと思う。寒い中でスキーウ
エアを着て、よりによってこんな日にしなくてもいいのに、寂しい思いをしながら、男2人で怪し
い感じで、望遠カメラを持って、市民がどう公園を使っているかをチェックした。
夜の11時頃に、男子高校生2人が女子高生2人を連れて長話をして、ナンパしたようで、結局
は近くのカラオケボックスに入って、午前3時くらいにカラオケボックスから出てきて、また公園
で話をして、その頃になると男女が2組になって、距離も相当近づいて、朝の5時か6時くらいま
でずっといる。彼らがいなくなって、6時くらいになると植込みの中から、ホームレスの方が起き
てくる。その人たちは公園を掃除する。住んでいる段ボールの家を植込みに仕舞って綺麗にして、
空き缶を集めに出て行く。その次に、午前7時くらいから愛好会みたいな人が黄色のジャンパーを
着て公園を掃除し始めるが、ホームレスが掃除したから、すでにゴミもあまり落ちていない。その
後に、市の清掃の職員が来て掃除するが、もうゴミはない。最後に、ゴミ箱のゴミを持って帰る。
こういう様子を観察していると、マネジメントでもう少しよくなるのではないかと思う。
だから、単に公園を作るだけではなくて、その後、公園をどう維持管理していくかを考えた。例
えば、NPOの人が講座をしてくれる、イベントをしてくれる、プログラムをする。そうすれば今
まで公園に来なかった人たちが、公園に来るきっかけになるかもしれない。そんなことを考えるよ
うになって、いくつか県の仕事だったり、市の仕事だったり、国の仕事で、公園を市民参加型でマ
ネジメントしていくような仕事するようになった。
その後、鹿児島のマルヤガーデンズというデパートでも、テナントのお店ばかり入れるのではな
くて、市民活動団体にデパートの中に入ってもらって、環境団体が説明する、○○教室をやる団体
がいる、琴を演奏する人がいるというように、公民館でやっていることをデパートでやってみた。
買い物集会所というテーマで、そんなことしてみませんかというような仕事をやって、鹿児島の
三越が撤退した後のマルヤガーデンズというデパートに、パークマネジメントという仕組みを入れ
てみた。今では、阿倍野にある近鉄百貨店でもそういうことをやるようになっている。阿倍野ハル
カスという日本一高いビルの中に、近鉄百貨店という百貨店ができるが、百貨店とは思えないよう
なものが入っている。デパートの中に、市民活動団体や市民が活動できる場所が何か所かあって、
日替わりで様々なプログラムをやる。もちろん、他に何百というテナントがあり、この店に買い物
に来る人もいる。市民公益活動に興味があって来る人もいる。
実は、今、デパートに行く人も少なくなっている。郊外にイオンやジャスコがあるが、10代の
若い人はイオンやジャスコに行くのも面倒くさいと言っている。あんな広いところをカート押して
買い物したくないと言っている。本だったアマゾンで買える、服だったらゾゾタウンや楽天で買え
る。だから、イオンやジャスコも苦戦して、すでに郊外から撤退しはじめている。今では、イオン
やジャスコは、駅前に店を出そうとしている。京都駅の南側には、大きなイオンができた。かつて
は、イオンやジャスコは郊外型といわれていたが、もう郊外でイオンやジャスコは出店しない。だ
いたい20年で累積黒字になったら撤退する。先進的な地域、つまり20年前にイオンやジャスコ
ができた地域では、軒並み撤退している。そんな時代に、デパートはどう生きていくのかと考えた
形が、この近鉄百貨店のプロジェクト。近鉄百貨店の「縁活」とは、「縁」で人と人をつないでい
く。よそよそしく「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」というようなデパートでは人
のつながりが生まれないから、どうすれば「また行ってみたい」「どうせ買うならあそこで買い物
したい」というような百貨店になるだろうかということで、こういう活動をやっている。
このような取り組みは、元々、公園のマネジメントから派生した。
公務員がやる仕事は、本当はクリエイティブ。イノベーションを起こせる。革新的な仕事ができ
るはず。例えば、公園緑地課がまさにそう。社会福祉でも革新的なことができる。今、僕らは、社
会福祉協議会の職員と一緒に、全く新しい福祉の形を作り出そうという仕事を始めている。
社会教育も。今日の参加者に、公民館活動をしている社会教育主事もいるかもしれない。公民館
の活動も貸館業務とカルチャーセンターみたいなことだけ繰り返していていいのかというと違う。
公民館活動こそ、地域をものすごく革新的に変えていく可能性を持った社会教育施設。僕らは、公
民館主事の公民館で働いている人を一度、公民館から追い出してみようというような取り組みをや
っている。公民館にいるからお客さんを待っている。来てくれたら何かしようみたいな。公民館の
職員が、もし公民館を使えなくなったら、職員の人は街へ出て行って、例えば商店街のアーケード
の下を使わせてもらうとか、空き店舗を使わせてもらって、社会教育活動をしなくてはいけない。
例えば、3年間は公民館を閉鎖して使えませんと言ったら、どこで公民館活動をするのか考えて
アイデアが出てくる。商店街と折衝するような、新しいことが生まれてくる。実は、民間から出て
くるばっかりではなくて、アイデア次第では、公務員がやっている領域の中で、すごく面白いこと
ができるようになって、それを阿倍野ハルカスのような民間企業の人が、このアイデアを貸してく
ださいと言って、公園緑地課に話を聞きに来るとか。
地域に飛び出せ公務員ということで、これからは、街のことは街に住んでいる住民がやっていか
ないと難しくなってくる。600億円以上の借金がある場合、公務員だけで街を作っていくのは難
しい時代。だから、街の人たちと一緒にまちづくりをどう進めていくのかを考えないといけない。
スタジオLは、少しのコーディネート、お手伝いが仕事。例えば、市町村なら必ずといっていい
くらい作っている総合計画は、いわゆるコンサルタントやシンクタンクと行政職員だけで、策定委
員会を作って、議会に出して作っていたら、市民はその存在をほとんど知らないだろう。総合計画
を市民と一緒に作って、なおかつ作った市民が、実際の活動を開始することが大事。自分たちが提
案した総合計画なのだから、自分たちも動き出しましょうというような仕組みにしていったらどう
かということで、僕らは、いくつかの自治体の総合計画づくりを手伝うこともやっている。
また、スタジオLでは、役所内部のコミュニティをどう作っていくかという仕事もしている、他
にも、電通という広告代理店と、企業の中のコミュニティをもう一回再現して、やる気を起こして
いくという仕事もしている。今は、広告代理店もアイデアが出なくなっている。本当はもっとアイ
デアを出さなくてはいけないのに、組織が大きくなりすぎて革新的なアイデアが出てこない。
企業あるいは行政あるいは大学、私は、大学の学科長もしているが、20年間同じこと教えてい
る教授がいるから、教授の人たちがやるぞという意識にならないと、それではダメだと、変えてい
くような仕事もしている。そのようなことがコミュニティデザインとしてやっている仕事。
短パン、サンダルで、地域や企業、大学へ行って、やりましょうと言って、みんなと一緒に話し
合いを進めて、その中から面白いアイデアが出てきたら、一つ一つそれを実現していくというよう
なことをするのが、僕らスタジオLの仕事。
(河内長野市の将来予測の報告を受けて)
将来の予測をしっかりと受け止めること、それを分析すること、対策を練っていくことが大事に
なると思う。週刊ダイヤモンドの話は黒船。よいきっかけを作ってくれたのかもしれない。
週刊ダイヤモンドが出した指標は、衝撃的。この衝撃的な内容は、細かく見てみるとどういうこ
となのか。みんなで話し合ったり、分析したりすること。若い人がようやく定年だと思ったときに、
自分たちを支える仕組みがないと、情けない最後を迎えることになってしまうかもしれない。
これから30年の間、よく分析して、検討して、どうすればいいのか対策を練って、自分たちが
河内長野市役所を引退した後も、しっかり暮らしていけるような街を作っていく、あるいは、自分
たちの息子や孫たちに作っていく。今から始めないといけないのではないかと思う。
例えば、今日は、広島県の福山市から河内長野市まで来たが、福山市では、職員が街へ飛び出し
ていくという仕組みを1年ちょっと前から始めた。
福山市は、倉敷と広島の間にある人口47万人のまち。河内長野市の4倍近くあるが、若い30
代前後の職員13人が自分たちでF-Netという名前を決めた。福山市の庁内のネットワークと
いうことで、土木もいるし、社会福系もいる。いろんな課から若い人が出てきて、各課の部長や課
長もOKということで、集まってもらった13人。
河内長野市でも似たような形があり、今日の資料の地域サポーターニュースにもあるように、す
でに、何回か集まって研修を受けている。静かに熱い職員が多いと聞いている。彼らには、このあ
とのワークショップでテーブルコーディネーターとして活躍してもらう。
福山市では、F-Netの若い職員たちに、市民の中に出て行って、ワークショップのスキルを
身につけてもらおうと、何度か事前に研修をした。彼らは、ワークショップをして、住民の中に出
ていくということがミッションで、出ていくときに何か不安がないかと模造紙や付箋に不安を書き
出していたら、模造紙の真ん中に、大きな文字で「恐怖」と書いていた。住民の中に出ていくのが
怖くてしようがないみたい。どうすれば恐怖を感じずに、住民と話し合いを進めることができるの
か。住民には、まちづくりの担い手になってもらいたいので、職員が動くよりは、住民の人たちに
動いてもらうために、職員はどう動けばいいかを考えて実行してもらわなくてはいけない。
福山市では、たくさんの住民に集まってもらった。そこに13人のF-Netの職員がそれぞれ
入っていくということをやった。彼らが前に並んで、「今日は市役所の人がテーブルに入りますか
ら」と案内した時には、相当緊張していた。
市役所の人が各テーブルに入るけれど、住民のみなさんは、テーブルに入ってきた職員をいじめ
ないようにしてください、要望や陳情、市長は何を考えているのかとか、お前らがこれをやってく
れたら税金が・・・など言うと、彼ら市役所の人は、次回から来なくなりますから。これから8回
こういうワークショップをするから、きっちりと大人の対話をしてください、大人の対話で、彼ら
を育ててくださいというような話をしながら、住民の中に入ってもらうということをやった。
最初の第1回目は、相当緊張していたみたいだが、2時間のワークショップをやった後、みなさ
んどうでしたか、中に入った職員ちゃんと働いていましたかと聞いたら、住民100人の人が一斉
に拍手をした、これで何人かの若手の職員は泣いていた。すごく緊張していて、前の日は眠れなか
ったという人もいた。そういう人たちが1回目で友達になって、2回目・3回目・4回目と徐々に
住民の人たちと一緒にプロジェクトをするということになって、チーム力も高まった、チームワー
クも強くなった。だんだん住民の人たちと一緒にプロジェクトが出来るようになってきた。
駅周辺はどこでも一緒。特に、地方都市は空き店舗だらけになっている。そこで、福山市の駅の
周辺で「フクノワ」という名前で、市民100人と13人の市役所職員が空いているスペースを使
って少しずつまちを盛り上げていきましょうというプロジェクトをやっている。
空き店舗を利用した「聞き屋」チーム。みなさんの悩み事を聞きますよと話をした。大型施設チ
ームは、かつてファミリーマートが入っていた場所で、映画を上映した。道路のチームは、クリス
マスの時期だったので、行きかう人たちと温まって話をしましょうと、広場にこたつを置いて、外
でゲームをし。徐々に「フクノワ」の活動を増やして、100人が市民の活動団体をさらに増やし
ていこうとしているところである。現在も続いていて昨日も話をしてきた。
さらに、スタジオLの伊賀事務所に、有志で13人が勉強に来たこともある。福山市から新幹線
に乗って、自分たちでお金を払って、個人でお金を払って、連休を使って、遊びに来る感覚で、ス
タジオLの事務所を見ることと同時に、例えばファシリテーションのグラフィックみたいなのを書
きたい、もっと対話の場を上手く進行をしたいということで、個人的な合宿にやって来て、学んで
帰って行った。福山市は、どんどん飛び出していくだろうなという予感がある。
全国の市役所に行って感じることだが、市役所の職員の意識として、公共的なプロジェクトや事
業に、自分たちが住民と一緒に「参加させてもらっている」という感覚で出ていくのが、ちょうど
いいあんばいなのだろうと思う。
住民参加型というのは、市役所がやらないといけないフレームの中に、住民を参加させている、
あるいは、してもらっているという感覚になっていることが多いような気がする。
公共的な事業、街の中でやらないといけない公共的なプロジェクトというのは、基本的に市民が
担わなくてはいけないというふうに思っておくほうが、パブリックの概念、理想に近いといえるの
ではないか。
パブリックという言葉は、明治期になって日本に入ってきた。パブリックという言葉をどんな日
本語に訳そうかと考えた時に、日本では「官」という字をあてるしかなかった。
「公」は、違う意
味で使われていた。それから150年が経って、どうも本来の意味ではないというようになってき
ている。パブリックを、官、つまり行政のことを意味するというふうに、かなり長い間思い込んで
いたが、例えば、イギリスのパブリックスクールは、私立の学校のことをいう。この違和感みたい
なのがやはり日本には残っている。パブリックスクールは日本語で言ったら、公立の小学校のこと
と頭から思うが、実はパブリックという言葉は、プライベートや個人が集まって、その他の人たち
に貢献することを意味する。パブリックスクールというのは、何人か有志の人が立ち上がって、そ
の人たちがしっかりとした教育を作りたいといって学校を作ること。だから、私立の学校のことを
パブリックスクールという。アメリカのハーバード大学は、純然たるパブリックスクールである。
日本では私立大学というが、気持ちを持った、志を持った何人かが、その人たちや他の人たちも学
べるような状態を作る。
公共的な、パブリックなまちづくりを実現していこうとしたら、まず官がすべてを担って、そこ
にちょっと住民が参加するという概念ではなくて、そもそも住民の人たち自らがまちを良くしてい
くために、行政のスタッフがどういうふうに入らせてもらうかを考えていかないといけない。
その時、行政の役割とは、住民と一緒でいいのかというと、たぶん違うだろうから、それぞれの
部署、あるいはそれぞれの立場、それぞれの特技から、上手に住民との協働を考えていくというプ
ロセスが必要になってくると思う。決して、住民に参加してください、お願いしますと頭を下げる
ようなものでもないだろう。基本的な考え方として、住民の人がいかに主体的にまちづくりに関わ
ってもらうかを考えるべきだと思う。
ぜひ、みなさんも、パブリック、公共とは、どういう意味を持つのかをもう一度しっかり分析し
て、さらにその対策として、自分たちはどう立ち振る舞うべきなのかを考えてほしい。
2040年に、支える人が少なくなった状態で、現在のようなパブリックの概念のままでは、た
ぶん市政は持たないし、まちづくりも持たないと思う。今から30年かけて、河内長野市民が持つ
公共とはどういうものなのかという意識を、ちょっとずつ、ちゃんとした公共に戻していかないと
いけないのではないという気がしている。
(ポジティブ変換ワークショップ終了後の山崎亮さんのコメント)
お疲れ様でした。慣れないことだったので、最初はどうするのかという感じになったかもしれな
いが、常に発想を変えていく練習が必要かなと思う。日頃、ルーティングワークが多い中でも、目
の前にある課題で、こうすれば、いい方向から、局面から、アプローチできるのではないか。こん
な発想をしたら、ネガティブなことをポジティブに変わるのではないかとかいうのを、何回も頭の
中でシュミレーションすること。1分あれば何個も考えられる頭になっていくとが大事。
今、大きな黒船がやってきて、貧乏度1位と言われたわけだから、その逆風を分析して、ひっく
り返せるものが結構あるのではないか、そう気付くこともあるのではないかなと思う。
さらに言えば、5年後、10年後、30年後に向けて、枕詞ができたようなもの。河内長野市で
は、2013年の当時、日本で一番貧乏になると言われたけど、今では、教育はここまで来た、今
こんなことやっているというように、上昇したその差の絶対値を語ればいいだけの話で、大丈夫だ
と思う。これからはよいことしか起きないだろうと思う。
まずは、この週刊ダイヤモンドという黒船自体をポジティブ変換して、いいネタを掴んだ、貧乏
度1位の市になったのだから、これから10年20年かけて、良いことばっかり起こしてやろうと
考えてほしい。
後ろの班でも話をしていたが、高齢者どんどん増えていくと、支えなくてはいけない人が増えて
いくというネガティブな考え方もあるが、これをポジティブに変換すれば、例えば、高齢の方は少
しずつ物覚えが悪くなっていくので、河内長野市役所の職員が、思い切った施策をやってみて、残
念ながら失敗したとしても、そう何年も覚えている人は多くいない(会場笑)。市全体としてみれ
ば、すぐに忘れてくれるようなこともあるので、思い切ったことをしてみてもいい。小さい失敗が
あったとしても大丈夫、2年くらいでみんな忘れるから、また別のことをすればいい。
というように、ポジティブに変換して、自分たちがこれまでのやり方ではもうダメだなと思って
いる点を、一個一個ひっくり返していくといことをやってください。市長のおっしゃるとおり、そ
うすれば30年後には、昔2013年の時には、貧乏度1位と言われていたけど、信じられないと
いうような市ができるのではないかという気がする。
たぶん、僕(=山崎亮さん)は、まだ30年後も生きている。その時を期待しているので、今後
ともいろんなアイデアを河内長野市から出してもらいたいと思う。
今日は、どうもありがとうございました。
以上
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