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シリーズ 「健康への誘い」 ⑥ 「健康に生きるとは」

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シリーズ 「健康への誘い」 ⑥ 「健康に生きるとは」
◎ シリーズ 「健康への誘い」 ⑥
「健康に生きるとは」
三重県保険医協会 会長 真鈴川 寛
「健康への誘い」は今回が最終編になりました。私たちが生きていく上で、健康は一番大切なものであ
ることは、病の床に伏せた時痛感することです。そんな重大なことでなくても、酒を飲んで帰った時、誤
って自分の家の段を踏みはずし足首を強く捻挫しました。翌日、痛みと腫れが強いので整形外科病
院へ行った所、下腿骨にひびが入っているということでギブスを巻いてもらい、しばらくは松葉杖歩行
になりました。今まで自分の二本脚で歩くことは自然のことで何ら関心はなかったのですが、自分の一
本脚と松葉杖の二本の三本足歩行がどれほど大変なものか思い知らされることになります。会社への
出勤、階段の昇降、ちょっとトイレに行くのも伝い歩き、同僚からどんな目で見られているのだろうという
不安、思い切って休暇をとれば、家でテレビとアルコールづけの生活、奥さんの冷たい目、今までとは
違った世界になります。外傷である期間がたてば、それが全快してもとの生活が出来るのはまだいい
ですが、慢性の病気になって、それが次第に悪化していく時は、更に深刻です。
私は整形外科医になって五十年になりますが、慢性関節リウマチの患者さんとは四十年以上、付合っ
ています。四十年前といいますと、当時はリウマチに対してよく効く薬は殆どありませんでした。まず手
首や手の指の腫れや痛みが生じ、特に朝方ひどくなって、手や指がこわばって、ものが握めなくなりま
す。最初は片手だけでも次第に両側に拡がり、続いて足や膝、肘、肩なども痛んできます。全身がだ
るく、微熱が出るようになると、食欲もなくなり、生きていく意欲も衰えてきます。周囲の人も最初は同情
的なまなざしで、優しくしてくれますが、これが一年二年とたてば、夫婦の間であっても、互いに愚痴を
言いあって、離婚にまで至るケースも出てきます。もう死んでしまいたいとまで思いつめてきます。これ
を何とかしようということで、当時私が勤務していた三重県立大学附属塩浜病医院の整形外科の中に
「リウマチ外来」を設けて、リウマチ患者さんを専門に診ることにしました。そして患者さん同士で話し合
える場をつくる為に「三重県北勢リウマチ友の会」を設立しました。そしてその機関誌「銀河」を発刊す
るようになったのです。
発刊にあたり(別紙①)。
ここで、重症で入院した方の体験記を読んで下さい。「今日もお空は青い空」(別紙②)
この結成した時のメンバーは 78 名で、その後少しずつ増えていきました。こうして年 1 回「銀河」は、34
号まで発刊しました。昭和 45 年より、平成 20 年まで 38 年間に及びます。現在は人工関節置換術が
発達して膝や股関節は破壊がひどい時には、人工関節に置き変えることが出来ます。又、注射薬とし
て生物学的製剤がつくられ、これが初期のリウマチ患者には非常によく効き、骨の破壊や変形も予防
可能となりました。欠点は重篤な副作用のあること、薬代が高価で 3 割負担で月 60 万円以上かかるこ
と、そして、いつまでも注射を続けねばならぬことなどです。
こうして慢性の病気になると、本人は勿論経済的負担も含めて家族も大変です。もっと恐ろしい病気に
癌があります。日本人の死因の 3 分の 1 は癌で、早い場合は発見されてから半年位で死ぬこともあり
ます。
現在の日本人の平均寿命は年々長くなり、女性は世界一です。しかし寝たきりで生きているのは、本
人も周囲も大変ですので、健康な状態、自分の身のまわりの事は出来る健康寿命をのばしたいもので
す。
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健康は肉体的な体の健康の他に、心の健康と、運命の健康があります。
体の健康はこれまでお話ししましたように食べ過ぎ(糖尿病、高脂血症、高尿酸血症)、飲み過ぎ(ア
ルコール性肝炎、胃潰瘍)に気をつけ、体を適度に動かす(肥満、骨粗鬆症)こと、それにタバコをや
める(肺癌、肺気腫)ことが必要です。
夜明けと共に起き、日が沈んだら活動をやめて、体を休ませ、必要な睡眠をとる。そのような生活習慣
をつければ、体の健康を維持出来ます。
心の健康は物事をいつも良いように考え、人と接する時は笑を絶やさないことが第一です。怒った顔、
怒り、罵倒、猜疑心といった人にマイナスイメージを与える顔とはオサラバです。不信感をもって生活し
ていますと、職場も家庭も暗くなり、生き甲斐や希望が見出されません。他人とのかかわりを大切にす
ること、人は一人では生きていけません。人様の力を借りて生きているわけですから、人との出会いを
大切にして、いい友交関係を維持したいものです。自然とのかかわりも大切です。花を眺めるよし、つ
くるもよし、絵にかいたり、写真にとったり、緑の木は空気をキレイにし、心を安らかにしてくれます。
〈 運命の健康 〉
人にはそれぞれ運命があります。癌でも、それになりやすい家系があります。高血圧症、糖尿病もそう
ですね。そこの家系に伝わる食生活の習慣も関係があります。
この間、スイスに旅行に行って観光列車で美しい山脈の間を走る列車が、突然脱線し、一人の方が死
亡しました。又、航空機が落ちて何百人が死亡したのに、二、三人の人だけが助かった。こんなニュー
スをきくと、運命的なものを感じないわけにはいきません。私の恩師が病気でやっと歩ける状態の時、
西宮市の長男の家を出て、雪道の一号線を通って鈴鹿へ帰る日、大雪になって、周囲の人はとりやめ
るように言いましたが、本人はどうしても帰りたくて、頑固にこれをつっぱねて、やっと帰宅しました。阪
神大震災が起こったのはその三日後です。長男の家は酷くやられて、先生の寝ていた場所にはエレ
クトーンが倒れてきていて、もしもここにいたら、上半身が確実に潰されていたでしょう。
運不運は分からないものと思えますが、現在自分が生きているということは、母親の卵子と父親の精子
とが、何億分の一の確率で受精卵となり、無事に生まれ、成長して今日があるわけです。そんな自分
を大切にし、毎日毎日感謝の気持ちをもって、他人が喜ぶような行為をすることが、社会生活の上でも
大切なことです。
私の家内は天気女です。私がこれを信ずるようになったのは、ニュージランドに新婚旅行に行った時
のことでした。現地に着いたとたん雨は止み、滞在の 9 日間は晴れていて、帰路についた後、大雨に
なりました。その後色々外国旅行に行きますが、傘の必要なことは殆どなく、雨の日でもバスを降りて
観光する時は雨が止んでいて、バスに乗り込むと降ってきます。彼女はクリスチャンで、貧しい国へ行
った時には、神社や教会にかなりの額のお金をそっと置いてきます。その信仰のお陰で、私も大きい
事故に会わないで済んでいるようです。運命の健康は、信仰心をもって日々感謝して生きることなので
すね。
長い間ご愛読いただき有難うございました。健康とは自分で守るものであり、何か体に予知すること、
熱が出るとか、食欲が急に落ちたり、下痢したり、そんな状態が 3 日も続いたら、かかりつけの医療機
関を訪れて下さい。そして怪我をしないこと。そして、笑顔を忘れず、心の健康を皆様にふりまいて下
さい。きっと、幸せな人生がおくれるでしょうから。
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別紙①
別紙①
「発刊にあたり
発刊にあたり」
にあたり」
『重県北勢リウマチの会がその機関誌として「銀河」を発刊することになった。
慢性関節リウマチは、すべての年令において発生しうる原因不明の全身性疾患であり、慢性の経過を
とり羅病期間が十年以上に及ぶものも稀ではない。その治療は種々の対症療法を行いながら、自然
寛解を期待している。本疾患そのものでは死亡することは少ないが、極めて長い期間に亘って、患者
の生活機能を損ない、社会生活をさまたげる。その為に本人及びその家族にあたえる影響は、非常に
深刻で、悲惨なものである。それは又、社会にとっても莫大な損失である。この小冊子は、リウマチで
病めるものが真実を吐露し、互に励し合い、適切な治療を根気よく続けて、病に打ち勝つ為の一つの
支えとなることを期待して、生み出されたものである。』
別紙②
別紙② 「今日もお
今日もお空
もお空は青い空」 松井キエ
松井キエ子
キエ子
『リウマチ性関節炎と闘って十年、月日の経つのは早いものでね。幼くして母を失った私は、結婚して
最愛なる夫の支え、子をより良く育てる事のみ考え、幸福を夢見て家庭を持ち、愛らしき子に恵ま
れ・・・。そして幸福なる日々。なんでこの様な病魔に襲われるとは考えましょう。発病当時は、小さな指
の関節を犯され、足、手と変わり、痛みは私の体内をゆさぶった。一日も早く治る様、温かい肉身の愛
に包まれて、病院に通った日々を今は懐かしく思い出します。39 年 11 月 20 日塩浜病院に入院し、こ
の日より私にとって初めての入院生活が始まった。理解ある夫、姑に恵まれ私は幸福、子供は当時 4
才で、病気による痛みの辛さより、子を思う母心は言葉にならなず、雨の日、雪の日に祈る思いでござ
いました。御部屋の皆様が“涙を流して案じるよりも、家庭を守り、子供を御育て下さる御姑様に感謝し
なさいね”と悟され又励まされました。そして其の人の言葉に感動致しました。子供も一年生に成長し
入学の日が言われました。この日を夢見た私、愛らしきランドセルの晴れ姿をこの目で、この手で祝っ
てあげとう御座いました。先生に送った手紙の一文に、
「今日もお空は青い空 青いお空に祈るのは 元気でいてね 良い子でいてね」
その後お陰様にて退院し、子の育成に励みました。懐かしい我が家、それからと言うものは、病気が悪
化せぬ様努めました。「お母ちゃん二度と入院なんかしないでね。僕どんなことでもするから・・・ ね」
「とても淋しかったでしょう」そう申して、幼い手に御買物、お手伝と私に孝養を尽くしてくれました。病
院に通えなくなり、再度の入院になりました。41 年 5 月 27 日再起を期して私は闘病生活に入った。今
度こそ立ち直らなくてはならぬ。子の為、夫の為又私自身すべての人の為に・・・・・。それなのに急性
肺炎を併発して、体力は日に衰え 25 キロになってしまいました。こんな不自由な我がままな私を、主
治医を始め看護婦の皆様は、時には母の如く姉の様に完全看護を尽し励まして下さいました。そのや
さしさは天使の如く、ただ有りがたく感謝しております。手、足、腰、胸にと嵐の様に激しく荒れ狂う痛
み其の苦痛にゆがんだ日々、翼があるならば天国に昇りたい日々がつづきました。
今現在、病状は安定に向いつつ、痛みも楽になりました。変形した手足、身体、不自由の身なれどす
こしも恥じてはならないし、又恥しいことではないのです。でもいつの日か、この身を大地につけて歩
める日を、私は変形した手にかぎ針を持ち、主任さんの御すすめで編物を始めました。一つの物を不
自由な身体で編み上げる喜び、楽しみ、数々の思いをこめて、せめて充実した一日を送りたいと考え
ています。
子は早や六年生の春を迎え成長しました。先生を困らせ勉強もできなかった子が初めて学級委員に
選ばれました。「お母さん!僕今度学級委員になったよ」笑顔いっぱい浮かべ私を喜ばせて下れ、こ
れは我が子の春の私のプレゼント。何にもまさる喜びに涙があふれました。御姑さん、先生、皆様あり
がとうございました。都会の片隅のこの幸福、この幸福を奪った病、お互いに助け合い励まし合って病
魔と戦い、前途に光明がすべての人に訪れます様に祈ります。』
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