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老子の哲学
老子の哲学 はじめに シヴァ教は、世界最古の宗教である。 現在、ヒンドゥー教を構成する二大宗派であるシ ヴァ教とヴィシュヌ教は、南インドにおいてどちらも熱心な信仰の対象となっている。し かし、普通の人が旅行などの機会において目にとめるのは、巨大なシヴァ教寺院の場合の 方が多いであろう。シヴァ教は本質的に自然教である。 私は、それに重大な関心を持ち ながら、「シヴァ教について」という論考を書いた。その中で、「中央アジアの遊牧民族 が信仰する自然現象に関わる神々は、シヴァ教に習合され、シヴァ教はそれによって「宇 宙の生成原理」を表象する世界最強の宗教に進化していくのである。」とコメントした。 そして、私の論文「エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」の第3章で、「世界最強 の神シヴァの実態」を紹介した。 私はそのように今までシヴァ教が世界最強の宗教だと思ってきたが、どうも中国が道教の 研究を国家レベルでやっているようなので、今後、道教は「中国の天命政治」と深く結び ついて、人びとの心の奥にしみ込んでいくように思われ、将来、道教は世界最強の宗教に なる可能性がある。 日本の文化は歴史的に道教の影響を深く受けているので、道教が世界最強の宗教になれ ば、今後、日本の文化ももっともっと国際的なものになっていくかもしれない。日本の文 化的な動きが中国との友好親善のおかげで良い方向に向かっていってもらいたいものだ。 私は「日中友好親善の願い」を持っており、私が中国の天命政治に深い関心を持つ所以で もある。 老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの 哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の 「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、 東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素 を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ ても良いのである。 老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、シヴァ教などの東洋哲学およ び平和の民・インディアンの哲学などすべてのものも視野に入れるべきだということで、 その際、老子の哲学は特に注目されるべきではないかと思う次第である。老子は凄い! 道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んで あるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地 域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始 まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研究も力強く進む と思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道教」、つまり道 教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになるだろう。 私が「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらに勉強を続けて いきたいと思っているのは、もちろん日本のためを思ってのことである。しかし、ひょっ としたらそのことが中国における道教に関連する「宗教哲学」の研究のお役に立てるかも しれない。 中国は、道教という世界最強の宗教を擁し、天命政治を実践する世界最強の国家である。 哲学的にも中国が西欧ならびに日本を凌駕していけば、今後、世界は、新たな文明(平和 の文明)において、中華、すなわち中国を中心に動いていくであろう。習近平を今皇帝と 仰ぐ中華人民共和国は、自信を持って進んでもらいたい。キリスト教を恐れることはない し,民主政治に惑わされることはない。中国の歴史と伝統文化に根ざした自らの世界平和 路線を歩んでいけば良いのである。 2、淮南子(えなんじ)の思想史的意義 中国の道教は多神教であり、日本の場合と違って、実に面白い神を多い。その道教を支え る哲学は、老荘思想ということだが、その老荘思想は「淮南子」によって完成された。日 本は、仏教が神道と習合してきた歴史があるし、道祖神その他の土着の宗教が今なお息づ いているし、まさに多神教の国である。私たちはどんな神に「祈り」を捧げることができ る。中国にその起源を持つ庚申信仰も今なお盛んであるし、道教の媽祖廟や関帝廟にお詣 りする人も少なくない。「にゃんにゃん」の祠もあちこちに残っている。日本はまさに多 神教の国なのである。これは世界に誇っても良いことだと思う。しかし、日本人の宗教心 を世界の人びとにご理解いただくためには、日本人の宗教心に関する哲学的な説明が必要 である。 中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りである。これを発展さして日本版「淮南子」ま で辿り着かなければならないが、それには歴史的時間が必要だ。したがって、ここ数百年 の間、「哲学的宗教」としては、道教しかないのではないか? 私はそのように思う次第 である。 道教はもともと自然発生的に生まれた宗教であるが、それが老荘思想と結びついて、いつ 頃から道教という宗教団体ができたのか、浅学の私には判らない。しかし、老荘思想は、 「淮南子(えなんじ)」という書物によって、漢王朝(光武帝)の儒家思想に対抗する形 で確立されるので、その宗教団体の名称はともかく、 漢王朝(光武帝) の時代には現在 と同様の「哲学的宗教」が成立していたことは間違いないと思う。 「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだ が、それが確立された。私が日本版「淮南子」という言葉を使ったのは、日本においても 「淮南子」のような「完成された宗教哲学の書」が必要だと考えるからである。日本版 「淮南子」とは、日本における「完成された宗教哲学の書」という意味である。私の認識 としては、中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りであって、これを発展さして日本版 「淮南子」まで辿り着かなければならないと思う次第である。 「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだ が、それが確立された。そのことについては、金谷治の「淮南子の思想」(1992年2 月、講談社)にいろいろ詳しく述べられているが、ここではその骨子のみを紹介しておき たい。 「老子」と「荘子」という書物があったことはまず確かであるが、「荘子」についてはそ の内容がどのようであったかとくに疑わしい。そして、「老子」の思想がまずあって、そ れを受けて発展させたのが「荘子」だという昔からの説は、今の書物についていう限りで は正しいが、淮南王(わいなんおう)のころの「荘子」もそうであったかどうか、これは 大いに疑問である。 「荘子」の古い中心部、それは本来「老子」とは、無関係にできたもので、「老子」より 新しいものとは、必ずしもいえない。淮南王( 淮南地方の王 で淮南子の編集責任者。多 くの食客がこの王の下に集まってきて淮南子が出来上がっていった。)のみた「荘子」 は、恐らくそうしたテクストであろう。 したがって、今日の「荘子」のテクストが淮南王の食客たちの手をへて出来上がったこと は、ほぼ確かであるが、もしそうなら、さらに、「荘子」の中の老子的な文章はあるいは ここで成立したものではないか、という想像もなりたつ。「老子」と「荘子」とを並べあ げて重視し、「老荘」という言葉を使うのは、「淮南子」が初めてのことで、それ以前の 文献として確実なものには両者を近親的なものとして説いた例がなく、事実、漢初の思想 界をみても、そのことがなっとくできるからである。 漢の初め、宮廷を中心とした黄老(こうろう)の学とよぶ道家思想の栄えたのは、有名な ことである。それが黄帝と老子を結びつけたよび名で、道家という名称よりも早く山東の 斉(せい)の地方から起こったものだということは、ほぼ確かであろう。 「老子」と「荘子」とは本来無関係にできあがり、それを信奉する人びとも別派をなして いたらしいのを、恐らく初めて、その類似性に注目してそれを問題として取り上げたの が、淮南の道家学者たちではなかったか。「老子」によって「荘子」を解釈し、また「荘 子」によって「老子」をひろめることがここで行なわれ、それにつれて今日の「荘子」の 内容となったものも多く作られた可能性がある。「淮南子」にみえるきわめて多くの老子 的あるいは荘子的な語句、そしてなによりも老荘的な統一の場は、こうした思想史的意義 を持つものである。 老荘的な統一の場、それが「淮南子」であった。それでは、日本版「淮南子」と私が呼ぶ 宗教哲学統一の場では、どのような思想が統一されるべきか、そのことに関連して、 金谷 治の「淮南子の思想」(1992年2月、講談社)の中の記述を、この際ここに紹介して おきたい。 金谷治は、「淮南子の思想」の中で次のように述べている。すなわち、 『 道を完全に体得したもの、それこそが理想の人格、真人であった。』 『 道のことだけをいうのでは世俗とともに生活できない。しかしまた、現実のことばか りをいうのでは、自然の変化に合一して遊び憩うことができない。つまり、形而上的な深 遠な道を説くのは、わずらわしい雑多な変化の多い現実にとらわれないで、超越的な心境 に遊べるようにという。そのための配慮からだ、というのが淮南子要略篇(老荘統一の 場)のことばである。 そもそも「老子」や「荘子」で道の問題が考えられたのも、おそらくは、現実的な関心 から出発したことである。現実の世界にはさまざまな対立的差別があり、また甚だしい無 常な変化がある。貧富の差、身分の高下はもとより、今日の勝者は明日の敗者で悲しみ喜 びの定まるところもない。 『 人間的な道義を守ってできるだけ努力して行くというのが、儒教の立場であった。し かし、道家の人びとは、そうした人間的な努力の空しさをあまりにも深く知り過ぎた。で はこの住みにくい世を生きて行くためには、どうすれば良いか。単純な刹那的な快楽主義 にならないためには、そうした現実の差別や変化のさまざまな姿を一貫して変わることの ないもの、それを追求してそこに安住することが必要である。差別や変化を生み出すも の、あるいは成り立たせるものとしての道は、こうして得られた。それが、宗教的な神を 求める方向に向かわなかったところに、われわれは著しい中国的な特色を認めなければな らない。』 『 道の立場に立つことこそ、すべての思想的立場を包括することである。』・・・と。 宗教と哲学の問題は大変難しい。私は宗教哲学という言葉を使っているが、宗教哲学には 二つの側面がある。ひとつは、淮南子がそうであるように、先に哲学があって、のちほど その哲学を教義とする宗教が誕生する場合、もう一つは、ヘーゲルのキリスト教哲学がそ うであるように、宗教が先にあって、のちほどその宗教を哲学的に位置づける場合であ る。そのどちらの立場が良いか私には判らないが、今ここでは、ヘーゲル哲学に倣って法 華経哲学を模索しているがお手上げ状態であることを告白しておこう。これからは、法華 経哲学の模索を諦めて、これからは特定の宗教とは無関係に、日本の宗教観のバックボー ンになるような哲学に向けて、模索を始めたいと思う。日本版「淮南子」に向けての模索 ということだ。プラトンの「コーラ」や円仁の「摩多羅神」と中村雄二郎のリズム論との 関係が今私の念頭にある。その橋渡しをする基本的な哲学として、西田幾多郎の「無の哲 学」を思い浮かべている。ひょっとしたら、 西田幾多郎の「無の哲学」は老荘思想と繋 がるかもしれないと感じつつ・・・・。 3、老子哲学の哲学としての一大特徴 以上、淮南子の思想的特徴を述べたが、それは「老荘思想」の確立にあった。「淮南子」 によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだが、それが 確立された。「老子」と「荘子」とを並べあげて重視し、「老荘」という言葉を使うの は、「淮南子」が初めてのことである。道教が誕生するのは、淮南子のずっとあとのこと であるが、ともかく淮南子の「老荘思想」が道教を支える思想となっていった。 道教はもともと自然発生的に生まれた宗教であるが、それが老荘思想と結びついて、いつ 頃から道教という宗教団体ができたのか、浅学の私には判らない。しかし、「老荘思想」 は、「淮南子(えなんじ)」という書物によって、漢王朝(光武帝)の儒家思想に対抗す る形で確立されるので、その宗教団体の名称はともかく、 漢王朝(光武帝) の時代には 現在と同様の「哲学的宗教」が成立していたことは間違いない。その後、「太平道」や 「五斗米道」その他の宗教団体が出てくるが、それらの教祖はもちろん老子ではない。ど うも老子が道教の教祖と言われ出したのは唐の時代かららしい。唐王朝の王室には、老子 (李氏)の子孫と自認する人が多く、道教は特別の保護を加えられ優遇されたことに起因 するらしいのである。したがって、少なくとも現在は、一般に老子が道教の教祖と言われ ている。老子という人物が果たして実在の人物であったかどうか、疑問視されている向き もないではないが、私は、多くの中国人の認識に従って、老子と実在の人物とし、道教の 教祖を老子とすることとしている。歴史的事実と違うが、いろんな説明上その方が便利な のでそうしたい。あらかじめご承知おき願いたい。 中国には功過思想と呼ばれる考え方がある。それは大まかに言えば、天は人間の「行為」 を逐一監視していて、善い行いには賞を、悪い行いには罰をその「報 い」として与えると いうものである。このような思想は古くから存在し、晋代に記された「抱朴子(ほうぼく し)」という書物においてその基礎を完成させて以来、道教の倫理部門の中心となって、 長い間中国人の心理面に大きく影響を与えてきた。「抱朴子」という書物を著したのは、 東晋の葛洪(かつこう、283∼363)という人物である。彼は若いころから神仙思想 にも興味をもちはじめ、鄭隠に師事した。鄭隠の師である葛玄と葛洪の祖父は、いとこ同 士である。よって、洪が若くして神仙思想に興味をもったのも、その家庭環境の影響であ ると考えられている。 書経や墨子にみられる功過思想は、主として「周王朝」や「墨子」などが行為者である民 衆を統制する目的で説いたものであり、民衆にとって「行為」の実践には義務的な意識が 常にあったということができるだろう。しかし個人主義の萌芽によって、民衆も自身の 「行為」に対して、はっきり とした目的を持つようになる。それがあらわれ始めるの が、初期道教教団にみられる功過思想である。これらの教団が功過思想を説いたのには信 者を統制する目的があったのも事実であり、信者たちは罪の意識のため「行為」に対して 義務的な意識を持っていたであろうが、それと同時に彼らは長生という、 非常に個人的 な目的のために善い「行為」をしていた。そして「抱朴子」になると、その傾向はますま す強まる。ここでの功過思想は道士の立場から説いたもの であり、彼らは延年或いは不 老不死という、専ら自分自身の利益追求のために善い「行為」を行った。後世の驚くべき 影響力を持った民衆的な道教思想はこのようにして生み出された。 よって無意識的にでは あったにせよ、「抱朴子(ほうぼくし)」において功過思想を大きく変えることになった 葛洪(かっこう)の業績は、道教史上やはり非常に大きいと思う。 以上に述べたように、淮南子の「老荘思想」が道教を支える思想となってし、「抱朴子」 の功過思想も道教を支える思想となっている。そして、道教の教祖は老子ということに なっている。この点がややこしいのであるが、「老子」という書物もあるので、私が「老 子哲学」というとき、淮南子の老荘思想、「抱朴子」の功過思想、「老子」という書物を 含んでおり、それらの包含する哲学のことである。このこともあらかじめご承知おき願い たい。 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。医は仁術というが、そ ういう医に関する哲学を含んでいる。私は、淮南子の詳しい説明の中で、次のように述べ た。すなわち、 『 今回の勉強の最後に、「老子」の第五十五章を取り上げておきたい。「老子」( 蜂 屋邦夫注訳、2008年12月、岩波書店)によると、「老子」の第五十五章は次のよう なものである。すなわち、 『 豊かに徳をそなえている人は、赤ん坊にたとえられる。赤ん坊は、蜂やさそり、まむ し、蛇も刺したり咬んだりはせず、猛獣も襲いかからず、猛禽もつかみかからない。骨は 弱く筋は柔らかいのに、しっかりと拳(こぶし)を握っている。男女の交わりを知らない のに、性器が立っているのは、精気が充実しているからである。一日中泣き叫んでも声が がかれないのは、和気が充足しているからである。』・・・と。 つねに和の状態にあること、これが「道」にかなっている。宇宙の原理によってすべてが 動いている。だから、すべてのもののあり方は、「つねに和の状態」にあることであり、 その恒常性が大事なのである。人間は、本来は赤ん坊のごとく純粋無垢であるが、生まれ たときから少しでも生活をよくしようという欲が出てくる。その体験によって、人間は本 来の姿から次第次第にかけ離れていく。そして河合隼雄のいうアイデンティティーが形成 されていく。自分の心もそうだし、自然に働きかける事によって、自然も変化していく。 私たちの心も自然も「つねに和の状態」にあるべきという恒常性の大事な事を老子は言っ ているのである。それが「老子」第五十五章である。恒常性の哲学といっていいかもしれ ない。 この恒常性の哲学は、私たち人間のあり方としての「無の哲学」になるし、自然との関係 でいえば「自然保護の哲学」になる。私は今「老子」第五十五章を何度も読み返しつつそ う感じている。』・・・と。 また、私は、「中国伝来文化・三尸の思想」の詳しい説明をした中で、次のように述べ た。すなわち、 『 槙佐知子が言うように(「今昔物語と医術と呪術」)、「不老不死を求める人は、庚 申信仰によってまず三尸を除き、こだわりを捨て、欲心を抱かず、精神を安らかにし、明 るい人柄となり、人々の喜ぶ行いをたくさん行うこと。その上で薬を服用すれば効果が現 れて仙人となる。」のである。その三尸の思想は、道教の教えつまり老子の教えであっ て、宇宙の原理に基づいた・・・「長生きの方法」である。』・・・と。 そもそも人間とは何か?猿と根本的に違うのは何か? 高度な思考能力と高度な感性を持っているということだろう。それが故に科学技術を発達 させてきたし、神に祈りを捧げてきた。 したがって、これからの哲学、梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それは、科学 技術のあり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。 人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学の中で 真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。そして、老子哲学には文化的側 面がある。 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。それが老 子哲学の文化的側面である。 医心方には淮南子からの引用がある。ということは、医心方には医術に関する記事がある ということだ。人は心身が健全でなければならない。老子にはそのための方法がいくつか 書かれているが、淮南子にはもっと多くの記述があるということは、医心方を通じて老子 哲学の文化的側面の何たるかを知ることができる。古今東西、世界の哲学の中でそのよう な哲学はない。 心の持ち用が身体の健康に大いに関係する。しかし、心の問題は、科学で全てが解るとい うようなものではなく、哲学によって解ける部分も少なくない。 例えば、老子には、三尸の思想というのがあるが、これなどはその典型である。また、老 子は、人間誰も、赤子のように無為自然の状態にあれば、身体に気がみなぎって、元気で いられるという。これも典型的な話であろう。 古代日本人は道教の医療倫理をそのまま移入し、日本的な考えに昇華してきた。 そうし た中国の先進的な医療観が日本の代表的な医書 に多数引用されている。その代表的な古 代の医書が「医心方」である。 道教とは、中国の原始的な民間信仰から派生した「不老不死」や「不死長生」を目的とす る「神仙思想」 で、複雑で雑然としている漢民族固有の宗教である。 そこには、誰でも が願う現世の幸福観である「健康で長 寿の生き方」が求められている。従って、道教では 人間は心的な平安や不動の態度を求める「寡欲」、「安 寧」、「抑制」などが問われて いる。それは医療倫理に も深く係る行為でもある。当時の中国人の医療倫理観 は、こう した道教思想に基づいた考え方が基本にあるという。 道教では、「養生」の道は心身の調和に関係し、不老長生を目的としたので、心身の調和 融合を重視した。道教の養生思想は、老子哲学に繋がるものである。哲学であるが故に科 学では説明できない部分もあるが、宇宙の原理を思考しているので理にはかなっていると ころが多い。淮南子の「良医は病無き之病を治す」は、「養生とは、まだ病とは言えない 内に病を治めるのが目的であり、精神を養うのが最上であり、身体を養うのはその次であ る。」という意味であるが、道教の考え方である。そのとおりであろう。 「医心方」は、 孫思邈(そんしばく)の『千金方』、陳延之の『小品方』、 洪の「抱 朴子」などの道教に関係のある医書からも多数引用されている。 貝原益軒が著した有名な 「養生訓」は、『頤生輯要』が基になっているが、『頤生 輯要』に養生や長寿に関する 記事が多いところを見ると、道教に関係する医書からの引用が多いということであろう。 「医心方」も「養生訓」もその背景に「老子哲学」があると言って決して過言ではないだ ろう。再度申し上げるが、 古今東西、世界の哲学の中で、養生や長寿に関する思想を持 つ哲学はない。 4、老子とプラトンとの繋がり はじめに そもそも人間とは何か? 猿と根本的に違うのは何か? 高度な思考能力と高度な感性を持っているということだろう。それが故に科学技術を発達 させてきたし、神に祈りを捧げてきた。 したがって、これからの哲学、それは梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それ は、科学技術のあり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。そして、そ れらは人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学 の中で真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。したがって、老子哲学が 西洋にも通用するように、老子哲学を発展させなければならない。 老子哲学を発展させる、そのために、まずは、老子とブラトンとを繋げることである。西 欧の哲学は、すべてプラトンの哲学の脚注にしかすぎないと言われるほど、プラトンの哲 学は奥が深い。老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるのかどうか? そこを 探ってみたいと思う。両者の習合を図るなどということは、私など学者でない者の手を付 けることではないけれど、もし老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるが判れ ば、老子哲学を発展させる可能性が出てくる。それが私の老子哲学に対する希望だ。 私は以下において、老子と宮沢賢治、宮沢賢治とニーチェ、ニーチェとプラトンの繋がり を書き、そして最後の老子とプラトンとの繋がりについて書く。それらの繋がりを解く は「宇宙のリズム」である。それを理解するためにはまず「天体のリズム」というものを 理解する必要があるが、それについては、私はすでに「日本精神と中村雄二郎」という論 文を書いていて、その中で次のように述べた。すなわち、 『 ドイツの有名はギタリストで指揮者でもあり作曲家でもあるベーレントという人がい た。1990年9月に亡くなったので、はや20年が経った。ベーレントは昭和天皇の前 で演奏をしたこともある非常に立派な音楽家である。そのベーレントが「天空の音楽」と いうことを言い、「世界は音」という名著を書いた(日本版1986年1月,大島かおり 訳、人文書院)。そのベーレントが、「天空の音楽」として、太陽系惑星から地球に降り 注ぐさまざまなリズム(波動)を音に変換して、そのカセットを上記「世界の音」(日本 版)の出版に併せて別途販売することにした。「リズム論」で独特の哲学を編み出した 中村雄二郎は、上記のベーレントが出している惑星の奏でる音楽を聞いた後で、室岡一 (日本医大教授、故人)氏が録音された胎児の聞く母親の胎内音を聞き、その両者が非常 によく似ている・・・と言うことを発見されたのである。』 『 私は、仲間と相談し,中国地方地域づくり交流会という組織を作り、いろんなこ とをやったが、やはり根本的に地域づくりの哲学が必要ではないか、国づくりの哲 学が必要ではないか・・・ということで、修道大学の香川学長などとも相談し、 「哲学の道研究会」というものを作った。第一回は梅原猛さんをお呼びし、それか ら三回目だったと思うが、当時の時めく哲学者、中村雄二郎さんをお呼びした。 「先生、21世紀はどんな時代になるんですか?」と、聞いたら、先生は「リズム の時代になる」とおっしゃったが、講演会の最後に突然会場一杯に音を鳴らされ た。それがベーレントの「天空の音楽」だったのである。私は確かにそれを聞い た。胎児は母親の腹の中でへその緒と繋がっている。腹の中で胎児が聞く音、それ が「天空の音楽」である。』・・・と。 その「天空の音楽」を少し概念を広げて、私は「天空のリズム」と呼んでいるのである。 天空に満ちているリズムのことである。実は、「細胞のリズム」というものもあるので あって、「天空のリズム」と「細胞のリズム」の統一概念として、私は「宇宙のリズム」 という言葉を使っているのである。そのことについては、「宇宙のリズムについて」とい う私の論考がある。その中で私は次のように説明している。すなわち、 『 「100匹目の猿」現象のような現象は科学的現象であるにも関わらず、未だ科学的 な説明が定着していない。そこで、私は「100匹目の猿」現象のような現象の科学的説 明を試みた。その詳細は、わたくしの電子書籍『「100匹目の猿」が100匹』をご覧 いただくとして、結論的には、「宇宙のリズム」の存在を考えないと説明がつかないとい うことである。」 『 この宇宙に存在するすべてのものは波動である。この宇宙は波動に満ちている。この 宇宙は「波動の海」である。』 『 この宇宙に存在するすべてのものは波動である。この宇宙は波動に満ちている。この 宇宙は「波動の海」である。』 『 「宇宙のリズム」とは「天体のリズム」と「細胞のリズム」を合わせた統一概念 で あるが、「天体のリズム」については、先ほど「 2、 チベットのラマ・リンポ チェ・・・その認識と実際 」のところで詳しく説明した。ここでは、「細胞のリズム」 について説明することとしたい。』 『 脳ばかりでなく身体自体もそもそも波動(細胞のリズム)の固まりであるが、特に脳 には外からの刺激に よる波動も加わって、特別の働きをしているのである。宇宙にはいろ んな波動があり、私たちの脳もその作用を受けている。だとすれば、脳の中では、内から の波動 (細胞のリズム)と外からの波動(天空のリズム)が共振を起こすだろうという ことは容易に想像できることだが、脳と直結している身体の特殊な部分(例えば母親の腹 の中の胎児)においても波動の共振が起りう ると私は考えている。もちろん、それが科学 的事実かどうかは,まだ分からない。しか し、それに関連してシェルドレイクの「形態形 成場」の仮説というものがある。それは誠に画期的な科学的仮説である。』 『 「細胞のリズム」というのは、夜空に輝く満天の星と同じような「脳の中に輝く満点 の星」なのである。』 『 場の量子論というのは、宇宙全体に適用される一般的かつ普遍的な理論体系だが、脳 の中のミクロの世界にも適用できる統一的な物理法則であり、脳に関する物理的な学問は 量子脳力学と呼ばれている。今まで縷々説明してきた私の説明では、私の説明不足もあっ て、すんなり理解できなったかと思う。しかし、ともかく量子脳力学という学問があり、 量子脳力学では、生命というもの、記憶や意識というもの、そして心の実態というもの が、物理的に理解されるようになってきているということだけはご理解いただけたのでは ないかと思う。私のつたない説明をきっかけとして「脳と心の量子論」や「1リトルの宇 宙論」を読んでいただければ、私としては大変ありがたいと思う。』・・・と。 以上が「宇宙のリズム」についての私の説明であり、以下において、それをキーワードと いうか鍵にして、老子とプラトンの繋がりを説明する。 (1)老子と宮沢賢治 私には、「中国との友好親善のために」という題の論文があるが、その中で、『 シヴァ 教は、自然を生きることを人生の目標としている。自然を生きるとは、ただ単に自然の中 に生きるのではなく、自分自身も自然の一部であることを自覚して、自然の原理、老子の 言い方で言えば、道、つまり宇宙の実在というか天の指し示すところに従い生きる、そう いう生き方をいう。すなわち、シヴァ教の目標とする生き方は、正に老子の理想とする生 き方と同じである。したがって、私は、老子の哲学の源流にシヴァ教があると思う。』 ・・・と述べたが、もし老子の哲学の源流にシヴァ教があるとすれば、老子は神との交歓 を重要視していたと考え得る。神との交歓、それはのちほど説明する「宇宙のリズム」の 力によるものなので、老子は、「宇宙のリズム」を感じながら宇宙の実在、万物生成の原 理を思考したのではないかと思われる。 老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの 哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の 「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。 老子は「無為自然」(天地自然の働きに身を任せて生きていくその有り様)を説いた霊性 豊かな「自然の人」である。日本の思想家では宮沢賢治が霊性豊かな「自然の人」であっ て、宮沢賢治は宇宙との一体感を直観することができた。その点で、宮沢賢治は老子と相 通ずるところがあると思う。老子とプラトンを繋げるには、宮沢賢治とニーチェを知るこ とが不可欠のようだ。 では、まず宮沢賢治の話から始めよう。 「野生の思考」という概念がある。「野生の思考」については、私の論文『日本的精神と 中村雄二郎の「リズム論」』の 第2章第3節『「リズム論に基づく生活」について 』の 「2」において詳しく説明したが、その骨子は、 『 私は「新たな勉強」という論考の『 1、淮南子(えなんじ)の思想について』で、 「 金谷治の書いた「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、 講談社)を読んで私がいちばん強く思うのは、老荘思想のような物凄い思想が何故あのよ うな「辺境の地」に誕生したかということである。その理由は、「グノーシス」の力によ る。』 『 「辺境の地」において「文明」と「野蛮」の統合が起こるが、その統合された思考が 「野生の思考」である。』 『 「野生の思考」とは「宮沢賢治の思考のようなもの」と理解する事にする。』 『 中沢新一はその著書「ミクロコスモス1」(2007年4月、四季社)において、 「宮沢賢治は理想の農場をつくり、そこを人間と動物、人間と自然のあいだに生み出され るべき通底路をつくりたかったのだと思います。」と言っているが、そのような農場と は、「宇宙との一体感を直感する」、そのことが可能な「場」としての農場だと私は思 う。宇宙との一体感とは、動物や自然との一体感のことである。』 『 論文「日本的精神と中村雄二郎のリズム論」の第2章第3節の「4」に、「野生の思 考」と関係のある思想や哲学をピックアップしておいたので、「野生の思考」について は、それらも参考にしていただければありがたい。』・・・ということである。 さらに、「グノーシスについて」という私の論考では、その要点を次のように述べてい る。すなわち、 『 「グノーシス」とは、歴史的に、「キリスト教から独立した別個の宗教・哲学体系の 「認識」を代表するもの」と言われているが、私は、中沢新一と同じように、より広い概 念でとらえたい。』 『 その典型的な事例は、伊勢神道に見られるようだ。』 『 辺境の地とは、中央の文化の及ばない遠隔の地をいうのではない。中央の文化の影響 を受けながらも、古来からのその地域独特の文化を有している地域のことである。日本の 中でいえば、その典型的な地域が東北である。東北の文化、それは、中沢新一いうところ の「野生の文化」であるが、宮沢賢治などの感性豊かな人には「野生の感性」が息づいて いるようだ。金谷治も東北の人で、そういう「野生の感性」があるのだろう、哲学者とし て「辺境の地の持つ力」というものが自ずと判っていたようだ。』 『 金谷治の書いた「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、 講談社)を読んで私がいちばん強く思うのは、老荘思想のような物凄い思想が何故あのよ うな「辺境の地」に誕生したかということである。それは、私の思うに、グノーシスの力 による。金谷治は、そのことを知っていて、「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世 界」(1992年2月、講談社)では、その点に力点を置いて解説しているように思えて ならない。』・・・と。 上で説明したように、「宇宙との一体感」とは「自然と一体感」のことであるが、そうい う感性を持った日本の代表が宮沢賢治であるが、「無為自然」を説く老子もまさに「宇宙 との一体感」を感じることのできる「野生の思考」の人であったと思う。 では次に、宮沢賢治は「宇宙のリズム」を感じることができ、その点でニーチェと共通点 があることを説明する。老子とプラトンを繋げるには、宮沢賢治とニーチェを知ることが 不可欠のようだ。 (2)宮沢賢治とニーチェ 「哲学的宗教」である道教は世界最強の宗教である。私は、道教ならびに老子にエールを 送りながら、中村雄二郎のリズム論を発展させたいと思っており、新たな勉強を始めてい る。その勉強のひとつとして、「宮沢賢治について」という論文を書いた。 宮沢賢治とニーチェは宇宙のリズムのリズムを感じることのできた人である。 そのこと について、順次説明していこう。 中路正恒の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)の「永遠回帰の思 想」の「第三の考察:結論」では、「肯定はどのように学ばれるか」というテーマのも と、「宇宙のリズム」に関して次のように述べられている。すなわち、 『 人は時として、循環する宇宙の生命そのもの、つまり「宇宙のリズム」を、聴きとる ことができる。』 『 宇宙の生命、そして「宇宙のリズム」。微小においては、それは原子のリズムであ り、クォークのリズムである。そして細胞のリズムや天体のリズ ム、等々・・・カールハ インツ・シュトックハウゼンがそれを聴きとり、名付け、そしてその音楽が表現している ような、さまざまな次元の、さまざまな リズムである。そしてそのリズムのすべてにおい て、鋭角的な〈ひらめき〉が、音の生命でもあり宇宙の生命でもあるものとして、瞬間的 に輝き、またひしめく のである。』 『 そして、このように「宇宙のリズム」に参与し、そこにみずからを組み込むことは、 循環する宇宙とのあいだに、祝福を交わしあうことであり、循環を肯定することなのであ る。このように、肯定にかかわる一切は、本質的に音楽的な出来事であり、また音楽の本 質は、本来このように肯定を表すことである のである。』・・・と。 この「宇宙のリズム」というのは、中路正恒の名付けた言葉であるが、ニーチェのいう 「啓示というリズム」のことである。 ニーチェは哲学者として責任感旺盛できわめて慎重 な性格だったということである。まじめすぎるほどまじめだったのである。そのまじめな 彼が、その自信を持って本音を書いたのが、晩年最後の著書「この人を見よ」である。し たがって、ニーチェの哲学の心髄を理解するためには、 晩年最後の著書「この人を見よ」 がきわめて重要である。私はその内容を電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」で書いた のだが、実は、最重要な部分「啓示というリズム」、これは中路正恒のいう「宇宙のリズ ム」ということだが、その部分をうかつにも見落としていた。それをこの際、補充してお きたい。 『 ニーチェは『この人を見よ』の中で、自分のインスピレーションの経験を記してい る。』 『 インスピレーションとは(昔の人のいう)啓示(Offenbarung)である。』 『 啓示という事態は、リズム的な諸関係を(リズム的に)把握する直観(本能) (Instinkt)である。』 以上述べたように、ニーチェには啓示の体験があった。しかし、ニーチェとしては、「神 の啓示」とは言えないので、何とか啓示の説明を科学的しようと当時の科学的知見をフル 稼働して宇宙の波動というものを考え出した。そして、その「宇宙の波動」の働きによっ て、苦に満ちた現実の世俗の世界を肯定することができるとした。神に助けを求める必要 はない、キリスト教に助けを求める必要はない、あの世に行って安らぎを得るなどと妄想 する必要はない。現実の世俗の世界をイキイキと生きる道を歩いて行くべきだ。それが ニーチェの基本的な思想である。そのことをニーチェをして悟らしめたのが、「啓示と言 うリズム」なのである。つまり、それが中路正恒のいう「宇宙のリズム」なのである。 ニーチェは「宇宙のリズム」を感じることができた。 中路正恒は、宮沢賢治はその「宇宙のリズム」を感じることのでき希有な人であるとい う。次にその点につき中路正恒の結論部分のみここに紹介しておきたい。中路正恒の詳し い説明については、彼の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)をご 覧いただきたい。現在、その内容をネットでも読むことができる。 中路正恒は、その著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)で次のよう に述べている。すなわち、 『 詩「原体剣舞 連」において最後に語られている願望は「雹雲と風とをまつれ」、であ る。 それは先に引用した「鬼神をまねき」につづいて、次のような3行として語 られ る。樹液(じゆえき)もふるふこの夜(よ)さひとよ 赤ひたたれを地にひるがへし 雹雲(ひようう ん)と風とをまつれ 』 『 「打つも果てるもひとつのいのち」という思想は、単に前景であって、 本当の思想 は、或るひとつの〈宇宙のリズム〉を把握することの内にあるので ある。そして、この 捉えられた或るひとつの〈宇宙のリズム〉の中で、本質的 に多数であるいのちたちが、 同じ時の流れを経験するのである。それが喜びで あり、歓喜であり、そして救済であ る、と賢治はわたしたちに語っているのである。』 『 承認と肯定において、宮沢賢治の思想は 、ニーチェの思想と非常によく似た場所に あるのである。ニーチェもまた、生の本質的な多数性の、この承認と肯定によって、意志 は根源において一つであ る、というまやかし的な思想を語る哲学者と対決したのであ る。』 『 その最も厳密な思索において、賢治は、その〈場〉を、天と地を結ぶリズムが生成す るところに 認めていた。 原体剣舞連は、宮沢賢治によって、相互的交 流の〈場〉を形成 する〈宇宙のリズム〉の生成装置として、把握され、そして 詩として定着されたのであ る。』 以上述べてきたように、「宇宙のリズム」というのは、ニーチェのいう「啓示というリズ ム」であり、中路正恒の考えでは、 それは原子のリズムであり、クォークのリズムであ る。そして細胞のリズムや天体のリズ ムなのである。 以上で、老子とニーチェが繋がったと思う。あとはニーチェとプラトンが繋がれば、老子 とプラトンが繋がるであろう。ということで、次にニーチェとプラトンの話を始めよう。 (3)ニーチェとブラトン ホワイトヘッドは「西洋哲学の伝統は、「プラトン」の哲学に対する一連の脚注からなっ ている」と言ったが、まさにプラトン哲学は、西洋哲学の象徴である。ニーチェは、根本 的なところでプラトンに批判的で「神は死んだ」と言ったが、プラトンの全貌を完全に理 解できたのはニーチェである。根本的なところでニーチェとプラトンはその哲学を異にす るけれど、共通点もある。ここではそれを説明したい。私は、「さまよえるニーチェの亡 霊」という電子書籍があるので、まずはそのなから、ニーチェとプラトンの共通点を探る ために必要な記事をピックアップしておこう。その電子書籍では次のように述べている。 すなわち、 『 プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼 は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言 葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことである。』 『 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」 と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。 性愛に 結びつくエロチックな「マニア」は、プラトンの活躍するころのギリシャでは、その元型 をとどめていなかったのではないかと思われる。私の考えでは、シヴァ教に見られるよう な 性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリシャではアポロンの影響をうけて野 性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたようだ。それが「エロスの神」であろ う。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神でもある。』 『 シヴァとディオニュソスは同じであるとして説明してきたが、厳密にいう と、少し異なる部分がある。 酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」に関してはまったく 同じ。しかし、 性愛に結びつくエロチックな「マニア」については、シヴァは元型その まま、ディオニュソスはアポロンの影響を受けてかなりマイルドになっている。』 『 ニーチェの哲学は「命の哲学」だ。彼の多くの著作の裏に隠されているのは、人生を 生 きる上での最高の価値であって、それは「子どもは社会の宝」であるというこことだ。ま だ早すぎるかもしれないが、この本「さまよえるニーチェの亡霊」を最後まで根気よく読 んでいただくために、ここらで結論を言っておきたい。 今申し上げたように、ニーチェの多くの著作の裏に隠されているのは、人生を生きる上 での最高の価値であって、それは「子どもは社会の宝」である。人は何のために生きてい るのか? 私たちは「生きていくために生きている」のである。では、その生き方はどう でなければならないのか? 「子どものために生きる」のである。子どもは自分の子ども でなくてもよい。昔、乳母というものがあったし、自分のおばあちゃんに子どもの面倒を 見てもらうということも少なくなかった。母親というのは、昔から結構自分の仕事に忙し く、子育てはおばあちゃんに任せていた。高貴な人は乳母にお願いしていたかもしれない が、子育てはおばあちゃんの役割というのが少なくなかったのである。おばあちゃんが人 生の中で身に付けた感性とか人生訓とかいろいろなノウハウを孫に伝達してきたのであ る。そのお蔭で人類はここまで発展してきたという「人類発展おばあちゃん説」という学 説があるが、今までおばあちゃんの存在はきわめて大きかったのである。 現在は、核家族であるので、それを望むべきもないが、もし田舎でも移住が可能であれ ば、家族農業をやりながら、昔の大家族の生活をするのも非常に価値がある。しかし、そ れが難しい場合も多かろうと思われるので、私は、都市を生きる人たちに「文化を生き る」生き方も立派な生き方であると申し上げているのだ。子育てに生きるか文化に生きる か二者択一であるが、いずれの場合であっても、エロスの神に「祈り」を捧げ、人生をイ キイキと生きていってもらいたい。エロスの神に「祈り」を捧げるということは、まずは 自分自身が自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけるように祈ることに他ならな いが、それも結局は子どものためである。ニーチェは人類のためとか種の保存のためとい う趣旨のことを時々言っているけれど、それは子どもが私たち人類の「命」を繋いでいる ということなのである。まさに、子どもは人類の宝である。子どもの健やかに育つことを 祈らずにはおられない。』 『 ニーチェは、「生の哲学」を考えており、人間の生の何たるかについて形而上学的思 考を重ねた結果、アポロン的価値とディオニュソス的価値の統合を重視する。どちらに遍 してもいけないのだ。合理と非合理の二元論的認識を排して、その統一を図らなければな らない。矛盾を乗り越えなければならないのである。ニーチェはディオニュソスの狂乱的 祭りを重視している。キリスト教はこれを排斥するので、そんな神は殺してしまえと言っ ているのだ。』 『 アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ること、それがニーチェの悲願だったと 思う。これをかなえることによって、ニーチェの魂は天国に旅立つことができる。ニー チェの魂は浮かばれるのだ!』・・・と。 アポロン的な力とディオニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなけれ ばならない。ニーチェはキリスト教的価値を否定したが、現実はキリスト教価値が蔓延し ている。ニーチェは合理の人であるので、前者は合理。現実は「ましな人間」がキリスト 教的価値にしたがって生きている。したがって、後者は非合理である。そのような合理と 非合理については、パラドックス論理によって統一されなければならないが、それはハイ デッガーやホワイトヘッドまで待たなければならない。 アポロン的なものとディオニソス的なもの、すなわち理性と本能、秩序と無秩序の統一を ハイデッガーやホワイトヘッドが成し遂げた訳ではない。人間が人間らしく生きるために は、本能を否定してはならず、それも大事にしなければならない。ニーチェはそのことを 十分意識していたが、ハイデッガーやホワイトヘッドはそのことを十分意識していなかっ たようである。ハイデッガーやホワイトヘッドはニーチェが死んだと言ったキリストの神 を復活させることに専ら意を注いだのであろう。プラトンの重大関心事はエロスであり、 そのエロスに関する哲学では、アポロン的なものとディオニソス的なものは峻別されてい て、その矛盾(パラドックス)は統一されていた。プラトンは、禅僧のような言い方、す なわち両刀截断した言い方をディオティマをして言わしめている。アポロン的なものと ディオニソス的なもの、すなわち理性と本能を峻別しているという点で、ニーチェとプラ トンは共通点がある。 ニーチェはギリシャに憧れたのではない。東洋に憧れたのだ。そして、 酩酊と陶酔のダ ンスを伴う「マニア」だけでなく、性愛に結びつくエロチックな「マニア」にも憧れを 持っていたと私は思う。その理由は、ニーチェの哲学は「命の哲学」であり、性愛を人類 のため種の保存のためと考えていたらしいからである。ニーチェの憧れていた東洋の宗教 の源流にシヴァの神がいるが、それはまさに「性愛の神」である。「性愛の神」、これは プラトンのいう「コーラ」も同じようなものである。 つまり、ニーチェとプラトンは、「性愛の神」が念頭にあったという点で繋がっているの である。 コーラは子宮(マトリックス)であると言われているが、日本の宿神もミシャグチも子宮 である。シヴァ教に見られるような 性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリ シャではアポロンの影響をうけて野性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたよ うだ。それが「エロスの神」である。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神 でもある。「エロス」については私の論文があるので是非ご覧いただきたい。 その論文の第3章の中で、私は、「エロスとは偉大な神霊である。なぜなら、すべて神霊 的な者は神的な者と滅ぶべき者との中間にあるからです。 こういう神霊はもちろんその数 も多くまたその種類もさまざまであります。ところがエロスもまたその一つなのです。」 と書いたが、プラトンが言っている神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのもので ある。 さて、プラトンも宇宙のリズムを感じることができたかどうかを考えてみたい。すでに述 べたように、ニーチェは「宇宙のリズム」を感じることができたので、もしプラトンも 「宇宙のリズム」を感じることができたのであれば、その点でもニーチェとプラトン共通 していると言える。 私には、中沢新一のいう「スピリット(精霊)」についての論考があり、その中で、中沢 新一の考えを次のように紹介した。すなわち、 『 神の問題を、今日もっともあけすけなかたちで語るには、スピリットによるのがいち ばんだ。』 『 太陽の神、月の神、水の神、海の表面近くの神、海中の 神、海底にいる神、火の 神、穀物の神、飛沫の神、溶けた鉄の神、汗の神、などなど、ほとんど森羅万象にこの神 は住んでいます。 そればかりではありません。真っ赤な鳥居の稲荷神社に行けば、狐の神が祀(まつ)ら れていますし、蛇がご神体になっているという神社もたくさんあ ります。ようするにこの タイプの神たちは、もとをたどれば精霊的な存在でもあったもので、それがしだいに洗練 されていま残っているような姿をとるように なったとはいえ、スピリットの世界との密接 なつながりを失っていないのです。』 『 スピリットは思考や意思の及ばない場所を、活動領域としている。』 『 スピリットは人間の思考や意志や欲望がいっぱいの「現実」の世界からは隔てられ、 閉 ざされた空間の中に潜んでいますが、完全に「現実」から遮断されたり、遠く離れてし まったりしているのではなく、密閉空間を覆う薄い膜のようなものを通し て、出入りをく りかえしているのです。そして、その膜のある場所でスピリットの力が「現実」の世界に 触れるとき、物質的な富や幸福の「増殖」がおこるわけ です。』・・・と。 以上が中沢新一の考えであるが、スピットはまさに霊的な存在である。プラトンが言って いる神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのものである。それをあえて科学的な言 い方でいえば、「宇宙のリズム」の働きということである。老子の「玄牝の門」もプラト ンの「コーラ」も中沢新一の「スピリット」も、その力によって「増殖」が起こるのであ り、それらはすべて「宇宙のリズム」の働きに他ならない。プラトンも「宇宙のリズム」 を感じることができたのである。 (4)老子とプラトン 以上説明したように、プラトンは「宇宙のリズム」の働きを重視した。そして、すでに述 べたように、 老子は、「宇宙のリズム」を感じながら宇宙の実在、万物生成の原理を思 考したのではないかと思われる。 したがって、老子とプラトンは「宇宙のリズム」とい う点で同じような考えを持っていたと考えても良いだろう。 また、ご承知の方も少なくないと思うが、「プラトンの霊魂論」というのがある。老子も 「霊魂不滅」を考えていたらしいので、この点についても老子とプラトンには共通点があ る。蜂屋邦夫訳注の「老子」を読むとどこにも霊魂のことは出てこないが、トルストイが 訳した「トルストイ版・老子」の第16章の訳の中に「肉体は滅びる(時がくれば死ぬ) が、(魂は)決して滅びることはない。」というのが出てくる。全体の文脈から言って、 そう解釈した方がトルストイには判りやすいということであったということだが、私も、 老子が「宇宙のリズム」を感じることができたと考えているので、霊魂の存在を信じてい たと思う。 さらに、老子は「玄牝の門」とプラトンは「コーラ」はほとんど同じものなのである。 私には「玄牝の門」についての論考があり、そのなかで、内田樹の説明を次のように紹介 した。すなわち、 『 老子の「玄牝(げんぴん)の門」とは、「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地 根。緜緜若存、用之不勤。」に出てくるのだが、この文は「 谷神(こくしん)は死せず。こ れを玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん) として存(そん)する若(ごと)く、これを用いて勤(つ)きず。」と読むが、その意味は「谷間 の神は奥深い所で滾々と泉を湧き起こしていて、永遠の生命で死に絶えることがない。そ れを玄牝(げんぴん)---神秘な雌のはたらきとよぶ。神秘な雌が物を生み出すその陰門、そ れこそ天地もそこから出てくる天地の根源とよぶのだ。はっきりしないおぼろげなところ に何かが有るようで、そのはたらきは尽きることがない。」という意味である。』 『 「万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。これを内田樹は 「玄牝(げんぴん) – 神秘なる母性」と呼んでいる。この玄牝は天地万物を生み出す門であ る。その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無 いと解釈されているので、「玄牝(げんぴん)の門」は女性の穴のことを言っていると思 われる。』・・・と。 老子は、「宇宙の実在」を「道」と言っているが、時には、「天」と言ったり、「天地」 と言ったり「谷神(こくしん)」と言ったりしている。老子はどうも、女が子供を産むと いうことを終始念頭においていたようで、それに対する哲学的思考を重ね、宇宙の原理を 悟ったらしい。 すなわち、老子は、「道、一を生じ、一、二を生じ、二、三を生ず。三、万物を生ず。万 物は陰(いん)を負い、陽(よう)を抱き、冲気、もって和(わ)と為す」と言っている が、この文で、「道」は「宇宙の実在」、「一」は天地の始め、「二」は陰と陽、「三」 は冲気の意味である。冲気とは陰と陽とを組み合わせるものである。一、二、三というの は、男子があり、女子がある、二になる、子供が産まれる、三になる、それからだんだん 大勢子供ができる。そういうことを老子は着目し、根源的な思索を重ねていったらしい。 一方、すでに説明したように、プラトン哲学にも「コーラ」という概念がある。プラトン の「コーラ」と老子の「玄牝の門」はほとんど同じ概念であり、その点が老子とプラトン の共通点であるといえる。もちろん、その後の思索の仕方が違うので、老子の哲学は東洋 的、プラトンの哲学は西洋的ということだが、その根本のところで共通点があるというこ とは、今後、老子の哲学がプラトンの哲学を呑み込んでしまう可能性があるということ だ。それが今後いちばん期待される「グノーシス」だ。 おわりに 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。医は仁術というが、そ ういう医に関する哲学を含んでいる。「三尸の思想」は、道教の教えつまり老子の教えで あって、宇宙の原理に基づいた「長生きの方法」である。 老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの 哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の 「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、 東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素 を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ ても良いのである。 これからの哲学、それは梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それは、科学技術の あり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。そして、それらは人類哲学 は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学の中で真正面か ら宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。したがって、老子哲学が西洋にも通用す るように、老子哲学を発展させなければならない。 老子哲学を発展させる、そのために、まずは、老子とブラトンとを繋げることである。西 欧の哲学は、すべてプラトンの哲学の脚注にしかすぎないと言われるほど、プラトンの哲 学は奥が深い。老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるのかどうか? そこを 探ってみたいと思う。両者の習合を図るなどということは、私など学者でない者の手を付 けることではないけれど、もし老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるが判れ ば、老子哲学を発展させる可能性が出てくる。あとは中国及び日本の若手学者に挑戦して いただいて、老子哲学を是非発展させて欲しい。新たな時代の平和哲学の誕生。それが私 の老子哲学に対する希望だ。そのために、私は、今回、老子とプラトンとの間に共通点が あるのないのか、その点を勉強した。この論考の中には、浅学の私故に、間違ったことを 書いているかもしれないが、そこはお許しいただいて、是非、間違いをご指摘いただきた い。 老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、シヴァ教などの東洋哲学およ び平和の民・インディアンの哲学などすべてのものも視野に入れるべきだが、その際、老 子の哲学が中心となる。それほど老子は凄いのだ。 道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んで あるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地 域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始 まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研究も力強く進む と思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道教」、つまり道 教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになり、やがて「グノーシス」の力に よって、西洋哲学を呑み込んでしまうだろう。 私が「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらに勉強を続けて いきたいと思っているのは、もちろん日本のためを思ってのことである。しかし、ひょっ としたらそのことが中国における道教に関連する「宗教哲学」の研究のお役に立てるかも しれない。 梅原猛の「人類哲学序説」(岩波新書)という本がある。この本は、哲学、とりわけ人類 哲学としては、見かけ倒れの内容の乏しい本だが、草木国土悉皆成仏という天台本覚思想 に着眼した洞察力はさすが梅原猛である。 梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるも のすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天 台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要であると梅原猛は言っている のだ。法華経は、生きとし生けるものすべてが成仏できるという。天台本覚思想は、法華 経のそういう教えを引き継いだものである。人間以外の生きとし生けるものは、無心にた だひたすら命を大事にして生きている。また、国土という命を持たないものも、宇宙の原 理に基づいて存在しているのであるから、もし人間も宇宙の原理にしたがって生きていく のであれば、草木国土といえど、大事にしなければならないのは当然のことであろう。 問題は、宇宙の原理を人類哲学として明らかにしなければならないということであって、 今後どのように人類哲学を作り上げていくかということである。梅原猛は、法華経の哲学 こそ人類哲学だと言っているが、はたしてそうだろうか。人類哲学には文化的側面がなけ ればならないと思われるが、法華経には老子哲学に見られるような文化的側面がない。草 木国土悉皆成仏を説く法華経は、霊性豊かなお経で大変奥が深いが、真正面から宇宙の原 理を説いたものではない。人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴 史的に存在した哲学の中で真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。そし て、老子哲学には文化的側面がある。 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない 一大特徴がある。それが老子哲学の文化的側面である。私には、老子哲学こそ人類哲学に 発展する可能性を持っていると思えてならない。 私は、今まで、ヘーゲル哲学に倣って法華経哲学を模索してきているが、「自然呪力」 の科学的説明が不十分で、ちょっとお手上げ状態である。今回、老子の哲学について、一 応、「宇宙のリズム」をキーワードにプラトンとの繋がりをつけることができたと思うの で、「宇宙のリズム」に焦点を当てて、法華経哲学についての思索を深めることができな いかと思ったりしている。「宇宙のリズム」という観点から法華経を見た時、法華経は老 子より優れている。そういう面では法華経の哲学を構築する意義は非常に大きい。私は、 すでに、「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらにリズム論 の勉強を続けていくつもりであるが、それも結局は「宇宙のリズム」に関する勉強という ことかもしれない。今回の論文を書き終えた今、「宇宙のリズム」こそ「宇宙の原理」を 解く だと思えてならない。