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グリーンツーリズムと私-農場レストラン・コテージの経営経験から

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グリーンツーリズムと私-農場レストラン・コテージの経営経験から
グリーンツーリズムと私
−農場レストラン・コテージの経営経験から−
中 野 一
成
名寄市立大学・市立名寄短期大学道北地域研究所
「地 域 と 住 民」 第26号 抜 刷
2008年 3 月
グリーンツーリズムと私−農場レストラン・コテージの経営経験から−
名寄市立大学・市立名寄短期大学
道北地域研究所 年報 第26号(2008)
<2006年度 公開講座抄録>※
グリーンツーリズムと私
−農場レストラン・コテージの経営経験から−
北海道グリーンツーリズム大学学長
中 野 一 成
このレスランが出来た頃、村本先生と僕はお会いしているように記憶しております。そんな中で毎年のよ
うに夏は一生懸命商売せんといかんもんですから、冬、大体11月くらいから連休の始まる4月5月をめがけ
て、毎年1軒ないしは2軒のスピードでコテージだとかいろんなものを毎年作ってきました。それも作るこ
とよりも大変だったのはお金を作ることでしたね。なんぼ自分で作るにしてもやっぱりお金がかかるんです
ね。一生懸命夏に儲けて、その金でもって冬に又作っていくというような繰り返しやっていました。5・6
年目にはもうコテージ含めて7・8軒の建物が出来ていました。よくこういうとこでしゃべらせていただい
て言われるのは、そういうことを最初から計画していたのかということですが、全然計画してないんです。
まず最初に自分で1軒、喫茶店みたいなレストランみたいなものを作りたいというのは自分の夢の中にあっ
たのですけども、それをこうやって行ってるうちにいろんなお客さんの声が聞こえてきたり、商売が多少見
えてきたりしながら、よしじゃこの方向にもう少し伸ばそう。そして又やっているうちにお客さんの声だと
かそういうものを耳にしながら、又増やしていくという、あくまでもこんな計画が最初にあってずっと20年
間進んできたということは全然ないんですね。それは常にお客さんの言葉に耳を傾けながら生きていた中で、
こんな方向がいいんじゃないのかというような、時代とともにずっと変化してきたというのが本当であって、
非常に計画的ではないんです。だからやってみて今思うことは、行政とか全てが5年計画、10ヶ年計画とか
立ててやることの無駄というのは、本当にだめなんだろうなというのは、確かに計画も大事なんですけど、
時代も変ってきますし、お客さんのニーズもどんどん変ってくる中で、やっぱり計画というのは常に変化で
きる計画でなければならないなということを経験の中で感じています。
映像を見ながらどんなことをやっているのかご紹介したいと思います。1988年ぐらいに始まったんですね。
国の方では農村休暇法、道農政部でもファーム・インの手引きとかこういうものがちょうどこのくらいの時
期に出来上がりました。この時にすでに僕の家の隣のカントリーファーマシーの山岸くんという、この組織
の会長をやってもらっていますが、彼がレストランをオープンしましたね。だいぶたった後ですが、この後
に西上農園という、同じ町でもう一軒農業法人がオープンいたしました。その後にもこういうふうにしてず
ーっと仲間が出来てきたんですね。こういうふうに僕らの仲間にコテージをする人たちが出てきました。そ
んなことしてるうちに九州ツーリズム大学というのが熊本県小国町に出来まして、全国的なグリーンツーリ
ズムの動きが出来てきましたね。2000年ですか、北海道ツーリズム協会というのを作りましょうという事で
全道ネットのものを作りました。そして全国大会だとかが各地で行われるようになりました。
これがツーリズム大学ですね。いろんなグリーンツーリズム全国大会の様子です。
これは全国グリーンツーリズムネットワーク。これはですね、美瑛町で行われた全国大会です。そうです
ね、800人ぐらい参加してたかもしれませんね。これがそのときの会場です。これは各分科会に分かれてい
※2007年2月27日 名寄市立大学 中講義室
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道北地域研究所
年報 第26号(2008)
ろんな勉強をしているところです。これは3年目に作った現在のレストランです。150人くらいが入れるレ
ストランですけども、ちょうど雪のある真冬に作っています。こうやって僕と若い衆2人くらいの3人くら
いで、これでも約7ヶ月くらいで作りました。木を皮剥いて、全部なんですけどね、こうやって雪解けの後、
このレストランはだいたい5月の連休には使えるようになりました。
これはコテージのちょうど1軒目ですね。林の中に作っているところなんですが、こういう雑品のクレー
ンを買ってきてこうやって作っているところなんです。これも冬ですよ、これをやっているのはね。2人く
らいでやっていますね。この辺になるとだいぶ作るのが上手になりましたね。
これはレストランの外壁をずっと張っていくとこなんですけど、僕は大工仕事は全然ずぶの素人だったん
です。嫌いではなかったけども。でもこの辺になったらちょっと腰袋つけて大工気分でかなり上手になって
きたんですね。好きでやっていたのか必要に駆られてやっていたのかわかんないですけども、こういう大工
仕事を数年ぐらいしてから、随分人のログハウスの仕事もさせていただきました。何軒かやりました、工事
を。儲けさせてもらいましたけれど、こうやって自分でやったお陰でそれが商売になってですね、よそに行
っても儲けさせてもらってですね、そのお陰でまた家を立てたということもあります。
これがあのコテージですね。これ1軒目のコテージです。ここが玄関になっていて。こういう、できれば
木を残した中に建てたいと思って・・・。非常に作業効率としてはやりずらいんですけども、なるべく木の中
に建てるようにする。苦労しますが、これくらいになると結構そんなに悩まないで建物を作れるようになり
ました。
これが今現在動いているレストランですね。150人、少し足りなくてこの横に3,4年前に増築してそこ
も今30人くらい入れる明るい別室が出来ています。こういうとこは楢の木ですけども、これが赤色、これが
ひばの木ですけども、これは全部僕が植えた木です。これは18年前に植えた木で、これくらいの木植えたん
ですけども、今じゃこれくらいの木になっています。こんなに木なんて簡単なもんですね。後はながめてい
ただけでこんだけ大きな木が・・・。ただ植えないと大きくならないですね。今年の春植えていただくと20年
経ったらこんな木になります。だけど植えないとならないですよこれは。木というのはいつ大きくなるかわ
からないと思うから、なかなか植えれないですよね。だけどやっぱり必ず大きくなってくれるし、10年先と
か20年先をどこかでイメージしながら作っていかないと。今年だけとやっていたら、こういう木というのは
植えられないですね、絶対に。
これは3軒目くらいのコテージですね。この木も全部持ってきて植えた木なんです、この辺の木は。この
辺は牧場でしたから。この周りの木は全部植えたもんなんですけど、10年くらい経つと木に囲まれた風景に
なって。十勝はアップダウンがなくて、美瑛なんかと違ってフラットで見晴らしがいいといえばそれなんで
すが、非常に味がないといえば味がない。広さはものすごくあるんですけど。そんな中で木というのはいろ
んな面でアクセントになってくるんですね。
これレストランの2階から下を見た風景なんですけど、これ全部作ったんです。あの、このログハウスと
いうのよく作りかけで投げてるのも見るし、どっかまでやってやれなくなって業者に任す人もいるんですけ
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ど、やっぱり全部自分でやるというのが大切であって、途中までやって業者に任したら、最初からやらない
方がいいくらい金取られますね。だから下手でもなんでもいいから、作り出したら全部最後まで作っちゃう
ということを、僕も案外飽きっぽかったんですけども、このログハウスで随分教わりました。
これは結婚式です。ちょっと高いところから写してますが。何十組かの結婚式、この中庭でしています。
この木も全部僕が植えた木なんですけども、ちょうど木漏れ日が差してて、ここに新郎新婦がいて。こうい
う芝生の上でする結婚式のできる場所って十勝にもないんですよ。ゴルフ場でやったという話しも聞くんだ
けどお金が高くかかるし、そういう中で非常に喜ばれている結婚式なんですね。これは年に2・3回はあり
ます。こっちがレストランになっていて、こっちにお客さん。通常営業しているんです。お客さんが食事し
ながらこの結婚式を見ている。ギャラリーになっているわけですけども、それとは関係なくここで結婚式が
行われている。こういうオープンスペースの結婚式だと招待客も案外背広姿というのも少ないんですよ。オ
ープンな姿で思い出を作っていってもらうにはいいことだなと。そして又、この人たちが子どもを連れて結
婚何周年記念ですと、よく来てくれますね。これはお金儲けだけでなくて、僕らもやらせてもらいたい仕事
の第一位なんですけど。非常にいいもんだと思います。
この結婚式は、この奥さんは本州の方だったんではないかと思うんですけど。かなり日差しがきつい日で、
これはただね、天候とのにらみあっこでですね。もし雨降ったらどうしようという事で、雨降ればテラスの
中に逃げるか、もう一箇所そのためにサブ的な会場も作ってありましたけど。野外でのイベントというのは
天気がよければそれはそれでと二重丸なんですけど、もしそれがうまくいかなかった時には・・・。今まで一
回もないんですよ、うまくいかなかったことは。今後あるかもしれませんが。
こういう感じで、これが最初に紹介したようなコテージです。この辺も全部植えた木なんですけど。ちょ
うど午後の3時くらいになると西日になっても直射がなくて、木漏れ日でこういう感じの非常に暖かい結婚
式になりますね。
そのすぐ前にはこういう牧場が広がっていますから、結婚式場のすぐ前に目を凝らすと、こういうふうに
馬が群れているというか、こういうロケーションというのはなかなかホテルさんが作ろうと思っても作れる
ロケーションではないんです。絶対に作れないんです。そういうロケーションというのを農村は持っている
ということを、僕は気付いて欲しいんです。非常にきれいに刈り込まれたゴルフ場はどこにでもありますけ
れど、こういうのどかな馬が群れていて、片方で結婚式が出来てというロケーションというのは、農業の営
みの中でできる結婚式ですから。これは農村でしか絶対出来ないものですね。
これは藤田牧場、僕らのメンバーの中の酪農家です。酪農体験をさせています。ここに二つあるのはコテ
ージです。そして牛舎もありますし、僕は日本一きれいな酪農家だろうと思って自慢しています。経営して
いる藤田君という人もいい人ですし。今相当の人が年間来ていますね。だから僕らのコテージに泊まったお
客さんでもここに行って酪農体験、乳搾りだとかバター作りだとかいろんな体験をして帰ってきます。酪農
家イコール汚いというイメージもあるかもしれませんが、ここはぜんぜんそんな事はありません。臭いもあ
りませんし、非常にきれいなクリーンな酪農をしています。そしてある程度壁や屋根の色とかも意識して。
統一した中で、壁の色から何から・・・。この人もこれはお金をかけて業者に建ててもらったんですけども、
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後は彼も全部自分でやりました。そんなにとんでもない投資をしたわけではないんですよ。常日頃きれいに
して、看板もきれいにする。花植えて芝生を作って。
これはカントリーパパ、山岸君の経営です。ここにコテージが2つあります。彼も農業者でした。今も農
業者ですけども、彼はもう10年過ぎました。僕が10年くらいやった後に彼がやってきたんですけども。ここ
は農地だったところを転用して、芝生と白樺を植えてこういう形を作っていったんですね。こんなに最初か
らきれいだったわけではないんです。これはただの畑、芋を播いてあったんですけども、芝生を植えて白樺
を植えてこういう風景を作っていきました。
これがカントリーパパの店内ですね。彼のレストラン。ご夫婦と従業員2人くらい、4人くらいの経営と
なっていますが、一所懸命やっています。僕のとこと500メートルくらい離れていますか。国道274号線の縁
に僕のとこと同じようにあります。
これは業者に作ってもらったコテージなんですけども、5人くらい泊まれるコテージです。夏になったら
結構満員になりますよ。一箇所だけは今長期滞在の本州の老夫婦に貸しています。長期で貸付をしています。
これが彼のコテージの室内ですね。大体、電子レンジから冷蔵庫、キッチン、洗濯機。貸すところもある
と思うんですけども、風呂と、大体日常の生活するのには困らない。鍋釜まで全部揃っています。僕らのコ
テージはみんなそうです。
これがベットルームですね。これはちょっと入り組んでいますけど、藤田牧場。これは彼の2×4(ツー
バイフォー)で作った、グッズを売っている店、牛に関するグッズ、めずらしく牛のものばっかり。牛のお
もちゃをいっぱい売っているんですけど、春には花も植えて非常にきれいにしています。
これがコテージです。非常に変わった、これはデザイナーと設計者もちゃんと有名な人が入りました。7
人くらい、こっちは5人くらい入れるとは思うんですけど、ログハウスとは又違った雰囲気で、芝生を大切
にしてここにテラスがあって、きれいにしています。
これは庭先をキャンプ場に貸そうという事で、去年くらいからファーマーズキャンプという事で、一張り
何ぼでしょうかね。一人1000円くらいかな。確かそんな料金にしていたと思いますけど、キャンプサイトを
作ったんですね、芝生の上に。それと同時に食材、牛乳だとか肉だとかバターだとかそういう食材も提供し
てあげますよということで、キャンプサイトは今年もやっています。
これが藤田牧場のとこですね。なるべくこういうふうに、コスモスの時期なんですけども、空き地をただ
雑草を生やしておくんじゃなくて、なるべくワイルドフラワー、いろんな種をミックスしたものを播いて年
中花があるような形、なるべくできたらそういうようにしようと。出来れば何もないところには花でも植え
ようやというそういう運動なんです。僕らの運動は。だってこういうふうに咲くときれいなもんなんです。
これもキャンプサイトですよね。結構おりますよね。キャンプだから、お金かけないために低所得者が来
るかといえば、今全然違うんです。非常にハイレベルな人たちがすごいいいホテルキャンセルしてこういう
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ところに来るというのが多いんです。これはやってみるとホテルとは又全然違った、そしてなんというのか
独特のものが・・・。本当の山の中でキャンプはいやだし、こういうきれいなところで張ってみたいという、
そういうようなお客さんのニーズもあるんですね。それでここに張っといてどっかに遊びに行ってきてここ
で寝るとかね、そういうような形を取っています。結構、団塊の世代達の人たちが今多くなってきています
ね。
これは修学旅行生の搾乳体験です。非常に修学旅行生達多いですよ。こういうことをさせる前にちゃんと
教室を作ってあって、そこの教室でどうして乳が出るのか、子どもを生まないと乳は出ないんだよとか全部
で30分くらいガイドの人がレクチャーするわけですよ。お母さん達も牛というのはただ乳出るもんだと思っ
ている人達が非常に多くてですね、子供を生まないと乳は出ないんだということから説明すると、付いてき
たお父さんお母さんもいっしょになっていやいや楽しかったという事で、みんな出て行かれますけど、酪農
を理解してもらうという意味でもものすごくいいことだと思います。教育の一環としてもいい事だと思いま
すし、すごくいいことだと思いますね。こういうものを本当はどんどん国の政策としても農業のPRとしても
もっともっと積極的にやればいいと思うんですけどね。
これは農業体験ですね。西上農園です。畑作のところで芋を掘らしたり、こういうのも喜びますね。非常
に喜びます。修学旅行生にこういうふうにビニールのものはかせたり、長靴も用意しているんですけど、掘
ったものは買ってもらって送ってあげるんですよ。北海道土産にしてくださいという事で5キロくらいのパ
ックにして、何百人もきたらすごいですよ。トラック2台くらいになりますよ。各家庭にこれ送らせるとね、
消費にもなりますし。
これはパラグライダー、これ西上農園がやっているんですけども、広さを利用した遊び方ですね。こうい
うことも、何しろ体感してもらう。これは冬もやっています。
今、見ていただいたようなことを我々、僕も含めてですけども、僕らの仲間が「カントリーパパ」と藤田
牧場と西上農園と僕と今4件、うちの町にはあるんです。まだその他に小さな農村にあるレストランはあり
ますけれど、ここ20年くらいの間に僕に次いでそういうことやってくれる人たちが非常に増えてきました。
なんというのか町のムードというのか、雰囲気がただ農村走っていても芋の花と小麦が見えるだけじゃなく
て、途中途中でこういうお店に飛び込んでいろいろ食べたり、遊んだりすることが出来る町という事で、非
常にお客さんも増えていますし。僕らの仲間というのは趣味ではないんです。このこと自体が商売として成
り立つようにやろうというのが僕らの仲間の合言葉でして。北海道でもいろんなところがありまして、趣味
の延長でやるんだとか、ボランティアでやるんだとかというグループはいっぱいあるんですが、僕らは決し
てそうではなくて、金に汚いのかどうかもしりませんけど、商売にしようと。これが業としてなりたたなけ
れば継続しないよという事で、今紹介したどこの仲間も全部商売としてみんなやっています。だからみんな
赤字で続けているところは1つもないんです。そんな中で、それともう1つは4軒でやっているんですけど、
ダブったことはやっていないんです。みんなそれぞれ別に俺がこれやるからお前こっちやれと言ったわけで
はないんですけど、それぞれ自分の得意分野を広げた時にそれぞれの持分が決まってきたというのか、バッ
ティングしていないんですね。だから、僕らの仲間って仲良くやれるというのは、僕のところでは酪農体験
までは出来ませんから藤田君のところにどうぞと。藤田君のパンフレットがうちのコテージやお店の中にい
っぱい入っています。それで結構なんです。なんも僕が藤田君にお客さん回しても僕は何の痛みもないし、
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お客さんに喜んでもらえればいいわけですから。また逆に、藤田君のところはレストランやっていないです
から、泊まったお客さんに夕食はどうぞ「大草原の小さな家」
、
「カントリーパパ」に行って食べてください
という事で、そういうお互いに自分にない部分を回しあってやっていくということで、いがみ合わないで気
持ちよくやっています。それはお互いに商売がバッティングしてないからだろうなというふうに思っていま
すけど、僕らやっぱり所詮小企業、本当に農業の片手間でやったことですから、そんなになにもかも大企業、
大型リゾートみたいに抱え込むわけには行かない。それだけの施設を自分ひとりが持つということはできな
いので、なるべく分散しよう。自分の専門分野をきちっと持って、あとできない部分はそれぞれに任そうや
という、そういう分担をきちっと出来ているというか。それが逆に言えば僕らも重荷にならないというんで
すか、全部をやろうとすれば非常に重荷になるんですね。そういう面では非常に良かったのかなと思ってい
ます。まあそんなんで仲間も増えながら20年間一生懸命楽しく、しゃべってしまえば楽しくなるんですけど、
だいぶ苦しくもありましたけど、やってきました。一番感じることはやっぱり一生懸命、僕らまるっきり素
人ですから、レストランも素人ですから、そんなに立派なことが出来たわけはないんですけど、今振り返っ
てみて感じることは、一生懸命汗を流せば必ず人は付いてきてくれるというのがこの20年間やって感じたこ
とです。
この20年間に北海道の中で大型リゾートがどれだけつぶれたことか皆さんもよく知っていると思います
が、十勝はグリュック王国がつぶれました。トマムリゾート、カナディアンワールド、釧路もどこもここも
本当に両手に余るくらいのリゾート開発がされてそれが全部つぶれてきました。だいたい僕らと同級生なん
です。そんななかで、僕らの農家の息子がやってきたのがなぜか意地悪く生き残ってしまいました。やっぱ
り借金物語には魅力はないんですね。どれもみんな借金だらけで、金を借りて企業が借金してというテーマ
パークですよね。行政がやったのもあります。それには1回見たときには素晴らしいなというのは確かにあ
るんですが、すごいお金かけているから素晴らしいものができるんですよ。だけどそこに人間くささがなか
ったり、一生懸命やっている人の姿がないわけですよね。そんな中で、今、旭山動物園があんだけ日本中の
注目を浴びているというのは、あそこの頑張りだと思います。施設なんてたいしたもんじゃない、あんなの
どこにでもあるものだけど、やっぱりあそこにいる人たちが、本当に汗を流した結果だと思います。そんな
ことを考えれば、どこで何やったって、そこに流した汗の量だけは絶対人は来てくれると僕は信じています。
それと素人がやったもんだからと言いますけども、生まれた時からのプロはいないんですから、みんな素人
ですから。だけど何年かやっているうちにプロになるし、一生懸命やった人のものというのは、プロの投げ
捨ててやったことよりももっと人の心を打つということが、僕はいっぱいあると思うんですね。
料理だってそうだと思うんですよ。そりゃ修行した人はたくさんいます。だけど今のホテルの料理で自前
で全部作っているとこなんかどこにもありませんよ。みんな鍋にお湯を沸かしてそこにビニールの袋入れて、
封切るだけですから。だからあの人数でやれるんです。僕らは全部手作りでやってます。それは何がすごい
かって言ったって、たいしたことないけども、一生懸命やることがすごいんだと思っているんですね。出来
合いのものは全部ありますよ、今は。本当に芋の皮剥いたのから、きんぴらごぼうから煮しめまで全部あり
ますよ。でも、自分で作ったものはなにか違うんです。今、うちはバイキングやっていますけど、全部手作
りのものでやっています。お客さんとその料理一つで会話が出来るんです。
「わーこの蕗の煮たのおいしい
ですね。いつごろ取ってどういうふうに煮たんですか」っていったときにですよ、ビニールの袋開けたやつ
でお客さんにしゃべれますか。しゃべれないでしょう。そこで会話がないんですよ。じゃ「この時期にとっ
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てこうやって煮たんだけどどうですか、口に合いますか」
、こういう言葉一つ交わすことがお客さんの信用
度合いが増えるというのか。僕は、自分の手前味噌になりますから決して上手だとは言いませんけど、自分
で作ったという気持ちがあれば後ろめたくないんですよ。それをどこかで袋を破って出来合いのものを出し
ていたらそういう会話にはならないんです。絶対ならないんです。けれども、長くやればやるほど楽しくな
るものなんです。全部出来たほとんど変わらない味のものを売っているんです。へたしたら作ったよりかも
安い価格で出来上がるものを売っているんです。だけどそれに手を染めた時に僕は駄目になると思いますね。
それとまた接客もそうですけども、僕らは農業者でしたから、お客さんに「ありがとうございました」な
んて言葉をかける必要もなかったし、いった覚えはないんです、いわれた覚えはあっても。最初に来たお客
さんに「ありがとうございました」という言葉が出ませんでした。
「どうも」でしたね。どうもではなかな
か通じないんだけど、そんなんで2・3年やってましたけど。ただ嬉しくて、来たお客さんを玄関の外まで
送っていきましたよ。何人も送って行きました。本当に嬉しくて送って行きました。だから言葉は、非常に
その時の言葉っていうのは、今思い起こせばつたない言葉だったし、何を言ったのかなって、本当に接客に
なっていなかったなと思うんだけど、でもその時のお客さんというのは今も延々としてずっと続いてくれて
いるんですね。そういうとこを見ると、例えばコンビニの店員のお客さんに対する言葉はきれいですよね。
だけど、どの子が言ってもそんなに残りませんね、スーパーも。あれと同じで、心のない言葉というのは、
絶対に残らないんだと思うんですね。だから僕は、農業者がこういうサービス業やったり、物を売ったとき
に何も恥じることはない、本当に自分のを買ってくれてありがとう、来てくれてありがとうという気持ちが
前面にさえ出れば、どんな言葉だって恥ずかしい言葉なんて一つもない、僕はそんなふうに思います。
それとやっぱり、お客さんの言葉に耳を傾けるという、僕は農村の中で一番欠けているのはそこだと思う
んです。よくアンケートとったりしますよね。でもあんなもの、絶対本当の意見は出てこないんです。お客
さんの中に紛れ込んで、お客さん同士が勝手にしゃべっていることを盗み聞きというのが、一番本当の言葉
が聞けるんですね。お客さんを試食会に呼んで「どうですか」って聞いたって、これだって本当のこと言っ
てくれませんから。それはなかなか言えないもん、呼ばれた方としてはね。そうじゃなくて、お客さんのた
くさんの中に自分が紛れ込んで、お客さん同士がしゃべっている言葉を聞いたときに、それは本当の意味で
のお客さんの言葉なんですね。それを聞き取ることが出来れば、それを商売に活かせば言い訳ですから、そ
う難しいことではない。ただ農業もこれと同じで、お客さんに耳を貸さないんですね。自然相手だから、こ
の地域はこれしか取れないから、俺はこれが好きだからこれを作ってる。そういう勝手なんです、農業者も、
非常に勝手なんです。うちの農協もこのあいだ理事者が全員してイオンの本社に何か買ってくださいって行
きました。イオン本社ではバイヤーがみんな集まって対応してくれて、後日、みんなが帰ってきたらすぐに
追いかけるようにして電話が来て、小粒の、何か僕名前は知りませんけど、こういう種類の大豆を300トン
売ってくださいというオーダーが入りました。農協てんやわんやです。農家におろすと、いや大豆なんて今
作ったってなかなか取れないんだと。いやめんどくさいんだとか。その300トンを面積にすると約100から12
0・130haですよ。たいしたもんではないんです。そのオーダーに答えられないんです。まだ気ままなんです。
非常に気ままなんです。向こうは買ってあげるからこれを作ってくださいといってきているんです。食堂行
ったらどうですか。メニューはお客さんが頼むわけでしょう。これしか作れませんよといったらお客さん帰
りますよね。聞こうとしないんですね、俺は嫌だと。小麦とビート作っていたほうが楽なんだ。楽だといっ
たって、それが売れないんだから駄目なんだけども、それを知らないんですね。だから僕は、自然相手の農
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業やっている人を別に悪いとは言わないけれど、食べる人、都会の人の意見を本当に真剣になって聞いてい
るのか。なんか我々は食料供給しているという、なんか甘えた考えの中で、俺らが作らなかったら誰が作る
んだという甘えの中でずっと何十年もやってきて、だけど今日本の自給率なんていえませんよ。世界の自給
率ですよ。地球の自給率はどうなんだという中の話ですよ。日本の自給率なんて誰も心配していませんよ。
こんな中でこれ以上、やっぱり我々は食料作っているからという感じで威張っていたら、相手にされない時
代が僕は来ると思います。そして又、農村というのはこの農地から取れる自然の恵みというのはありますけ
れど、それ以外にさっきの結婚式ひとつにしてもそうですけども、いろんな環境も農村にとっては非常な武
器ですよ。環境も武器だし人柄も武器ですよ。僕はこの人柄にものすごく固執したいんだけど、こういうも
のを武器にしなければ今食べていけないと言ってないで、自分の武器は何なんだろうということをもう一回
見つめなおす必要があるんでないかなというふうに思います。
そしてやっぱり今、北海道イコール夕張ですよね。借金借金で。僕は改めてもう一回「借金と人の保証人
になるな」という僕の家の家訓に感謝したいんだけど、やっぱり自分の力で自分の生計を立てるということ
にもう一回真剣に向かい合わなければ、この北海道なんか駄目なんでないでしょうか。どこの町も借金だら
け、どこの農協も借金だらけ、どうしてこんなに借金に頼ってしまったんでしょうね。昔の開拓者なんてこ
んな借金なんてさせてくれなかったはずだし、借金というのは人の力ですから。時間はあるんだから、僕は
ひとつの形ができるまで10年近くかかりました。だけどその形が10年出来た時に借金は何もなかったです。
だから非常に楽な形で「大草原の小さな家」が出来上がりました。だけどその時にどんと何億かという借金
をしたらおそらく10年で払えなかっただろうし、そこまでもたなかったような気がします。スタートはなる
べく小さい方がいい。自分が素人なんだから、そんなに1年に何十万人も来てもらったら僕ら対応できるわ
けないんだから、素人だから。小さく始めて大きく育てばいいだけの話しであって、何かどんと金借りてど
んと大きくやりたいというのが今の風潮かもしれませんが、それは企業かなにかたくさん失敗しても何でも
ない人のやることであって、我々先祖からずっともらった土地を預かりながらやってきている人間がそんな
冒険しちゃいけないと思うんです。する必要がないと思うんです。生きるためにやることにそんなに先祖の
土地を全部失うような博奕をする必要は絶対にないと思います。何のために「大草原の小さな家」をやって
きたかといったら、家族がここで幸せに生きるためにやってきただけですから。
「大草原の小さな家」が夢
ではないんですから、その辺ははっきり持っていただきたい。それと常に前向きで目標を持たなければ駄目
だと思います。やっぱり目標がないのは行き先がないのと同じですから。目標を持たずに会社会社するのは
非常に危険だし、それは最後には隅々の従業員にまでその気持ちというのはつながって行くんですね。だか
ら常に目標を掲げながらここに到達するために頑張ろうやというスローガンは絶対持たないといけないと思
います。
僕も59才になって、来年もう60ですから、次のこと考えないといけないので考えていますけど、今僕の息
子がパテシェやっているんです。神戸で10年ほどやって、来年帰ってくる予定で今「大草原の小さい家」の
隣にスウィーツの店を作ろうと思っています。ケーキは10年やって修行していますからすぐ作れると思うん
ですけども、僕は息子に今提言しているのは、2年ほどで家を作れと、自分で商売する店は自分で作れ。俺
が教えるから自分で作ってからスターとすれ。28才ですからそのスタートがたとえ2年や3年遅れても、僕
はやっぱりそこから教えたいんですね。全部僕が作ってやったお店の中で経営するだけの息子では僕は物足
りないし、それはいけないと思っているんですね。ログハウスの技術を教えたいんではなくて、精神として
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やっぱり自分できっちり生きていくんだという考え方を子どもにも残したいし。我々、ちょうど団塊の世代
の人も今日は何人かおると思うんですけども、もう次の世代に我々は何を見せるかというのが一番大事なこ
とだと思うんですね。借金を残して北海道は大変だったわと言って我々が終わっていいのかどうか。また儲
けたとかいろんな役職をやったとかそんなことを残してもしょうがない。やっぱり僕は、どれだけ汗を流し
たか、どれだけ自分の夢に向って走ったのかということを子どもに言ったってだめだと思うんですね。やっ
ぱり見せないと。何かそんなことを残さないで往ってしまったら、自分として何か大きな忘れ物をしたよう
な気持ちになるような気がして。やっと今60を目の前にして、言葉でなくて、よしもう一回全部捨てて、息
子とまた店を作ってみようかな、というふうにそんなことも考えながら、この冬、木を切ったりしているん
です。自分流の生涯を通しての感じた話ですけども。
こんなこと20年やってますと視察も相当ありまして、もしかしたらこの中に来てくれた方もいるかもしれ
ませんが、視察に来てくれて食事をしてくれてそれで帰っていただければお金もらうわけですから、非常に
うれしくて視察は拒まず受けていますけど、大概の視察の人にレストランから始まっていろんなコテージか
らなにから見てもらって、こういうふうにして作りましたという説明をしていくと、僕の説明している後ろ
について聞きながらまず最初に出るのが「俺は大工でないからこういうことはできないんだよな」
、とまず
こういう声が聞こえてきます。又ずっと説明しているうちに、
「うちの女房は料理好きでないからこういう
レストランは出来ないんだよな」というのが聞こえてきますよね。またずっといくと「ここみたいに場所が
よくないから俺はだめだよ」なんて言いだすんですね。大体見学終わるとね、単純に何にも出来ない人にな
って帰っていくわね。本当にこれだけよく否定するもんだな。否定するなら聞きに来るなと思うけど、まあ
遊びに来ているんだからいいんですけどね。僕もお金使ってもらっているんだからいいんだけど、やっぱり
まず否定から始まったら出来ないということ、何かするときにこれは難しいということを先にあげてしまっ
たら何も出来ませんよ。子どもは思いっきりやりますよね。なんも考えないでボーンとジャンプしますから、
子どもというのはおお化けすると思うんだけど。いい加減になっちゃうと失敗したくないし、汗かきたくな
いという、この二つが根っこにがっちりありますから。まず否定しとかなければそういうことにはまちゃっ
たら大変だから、どんどん説明すればするほど否定していくんですよ。あの条件がない、この条件がない、
全部してったら最後には絶対出来ないという人になっていくんですよね。やっぱり僕は楽観的でいいと思い
ますよ。人生なんてわかんないんだもの。何があるかわからないんだもの。そんな安全安全なんたって明日
の命がわからない人間が、そんな安全なことばかり願っても、どうにもならないでしょう、そんなの。やっ
ぱりやろうと思えばどんなことだってできるでしょう。
僕も許認可で随分怒られましたよ。何も知らないでやりましたから。保健所に怒られました。農業委員会
に怒られました。十勝支庁に怒られました。でも知らないというのはしょうないですよね。何たって知らな
かったんだから本当に、悪気でやったんじゃないから。一生懸命やってわからなかった、知らなかった、無
知だったんです。知らなかったと言ったら、全部許してくれましたよね。だから僕はいろんなところから来
た時に、知らない振りしなさいと、まずやりなさいと。相談に行ったらまずそこでつまづくんですよ。この
許可がなきゃならない。あの許可がなきゃならない。でもものを作ってしまったら壊すなんて権利は行政に
なんかありませんから絶対に。そしてその熱意は絶対に通じますから、どんな役人にでも。心配ないんです
よ。そこから入らないと最初に勉強した人で何かやった人いないんです。まず何もしないでボンと始めた人
が必ずやっているんですよ。そして視察に来てやった人も一人もいません。いないんです。やる人は視察に
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名寄市立大学・市立名寄短期大学
道北地域研究所
年報 第26号(2008)
来なくてもやります、自分で考えて。これやっぱり自分の行き方ですから、僕に言われてやる必要もないし、
ファーム・インだけが農村の生き方では絶対ないですからね、まだまだ他に農業だって立派にやる方法もあ
るし、自分に合った方法を自分で見つければいいんですよ。自分の力で。国にも道にも町にも農協にも世話
にならないで、そしたら必ず自分の個性が出ますよ。借金するから個性が出なくなるんですよ。補助金もら
うから型にはまったものしか作っていけないというか、みんな一緒になるでしょう。借金しなければ何作っ
たっていいんですから、誰にも言われる必要は無いわけです。これが個性ですよ。住宅ローンを借りるから
同じ様な家になるんですよ。それと同じで、自分の生活圏というのは自分の力で絶対作っていくんだという、
そんなの北海道も知りませんし、わが町も知りません。そんなものどうなるか、そんな事はどうでもいいん
です。だけど、自分の生活圏は自分で作りましょうや。道から補助もらうもんでもないし、国から補助もら
うもんでもないし、彼らを養わなきゃならんのですよ我々は、困った役人を。彼らにぶら下がって金くれる
時代はもうとっくに終わりましたよ。だからやっぱり北海道も、もう困ったなんていって東京に陳情に行く
姿は、これは恥ずかしいですね、本当に。北海道には何にも困っていないという人間だっていっぱいいると
いうことをどっかで言ってもらわなかったら。あんな乞食ばっかりじゃないんだから、僕はそう思いますよ。
それでやっぱり生活レベルだって、所得だけで比較して物言っちゃいけないよね。こんないい所に住んでる
我々が東京のあの死にそうなところで住んでる輩と同じ金が入ったら、それこそ不公平だわね。幸せすぎち
ゃうも、我々が。彼らはかわいそうな奴なんだから、我々は多少お金少なくても、もっともっといい生活環
境がある中で生きているわけだから、それに胸張れるようにならなくては。所得の低いところに住んでる我々
を開発庁なんていうのは・・・。結局はこれ北海道開発に夢を持って入ってきた僕らの先輩達、少なくとも3
代か4代前ですよ、そんなに昔の話でないですよ、100年ですから。それが父さんの代に来て僕らの代に来
た時に、もうなんでこんな借金地獄で国の方に向いて手を合わせて頼む人間しかいなくなっちゃったのかね、
北海道に。最初に来た人はそんなことなんて何にもなかったと思うな。ものすごいフロンティア精神と夢を
持って、北海道に渡ってきたはずなんだけど、いつか拝み倒す人間になってしまったというのは、3代くら
いですよね、たった3代くらいでそんなんなっちゃったんですね。まだ考え方一つでどんなふうにでもなる
と思います。これはもう僕の大草原物語ですけど、これは単なる農村の生き方の一つですから、何もこんな
マネは僕もしてくれとは言わないし、自分流の行き方、農村に限らず何やっててもそうですけども、やっぱ
り自分流の生き方を探せば大丈夫だと思います。本当に言葉、しゃべるのが商売ではないですからこの次呼
んでもらおうと思っていないものですから、思いっきりしゃべっちゃいますけども、本心です。本心だから
余計悪いかもしれませんけども、なんか頑張れると思うんですよ。大丈夫です。東京全滅したって北海道は
生き残りますから心配しないで、頑張りましょう。どうもありがとうございました。
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