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PFG-NMR 法による拡散現象測定の手引書(第二版)
PFG-NMR 法による拡散現象測定の手引書(第二版) 2004/11/23 初版 2006/05/05 改訂 早水紀久子 1. はじめに 2. 拡散測定の基本的な考え方 3. パルス磁場勾配(PFG)calibration 4. パルス系列について 5. 追加コメント 6. 温度変化測定 7. 水の拡散係数の温度変化 付録 Radiation-Damping について 氣田佳喜 ―――将来追加予定――― PGSE-NMR による拡散測定の応用(その1)均一系 時間依存性のある自己拡散係数、拡散プロットが直線にならないとき。 本稿は 2004 年 11 月に JEOL のホームページに載せて頂きましたが、そこそこのアクセスと質 問があったので、わずかですが書き足しました。Hahn のパルス系列で観測する時にスピン歳差 運動のモデルを色付きで描きました。また高磁場高感度の NMR 装置で問題になる”Radiation Damping について短く書き足し、付録として JEOL の気田氏の説明を載せました。インターネ ットのホームページは修正が容易であるので、徐々に追加しますので質問などをお寄せ下さい。 今回は温度変化までで、測定データの解析は含まれていません。また Einstein の拡散方程式など については全く記述していないので、測定値の解析や分子、イオンの動力学などは全く書いてあ りません。拡散の測定対象はガス(例えばゼオライト膜中のメタンガス)、液体(均一な溶液から イオン性液体まで)、ゲル中の分子やイオン、膜、高分子の運動、高分子、膜、固体などの中で動 く分子、生体物質中の水やイオンなど多様です。運動性がある場合に NMR シグナルはシャープ になります。一般的にシャープな NMR シグナルがあれば拡散測定の対象になる可能性があり、 固体 NMR とか高分解能 NMR とかといった範疇で考えない方がよいでしょう。実際に拡散測定 をやってみると、沢山のオバケ (artifact) に遭遇します。実験結果が物理現象であるのか単な るオバケなのかを見極めるために、私は随分と時間を費やしました。ここでは、確かな拡散デー タの取得に役立てることを目的に拡散測定について書いてみました。この続きは均一な液体系へ の応用を書いていますので、続編にしたいと考えています また混合物系を対象に分子の拡散速度の相違によってピークを分離する DOSY(Diffusion Ordered Spectroscopy)測定においても本手引書は役立つのではないでしょうか。 1 1.はじめに NMRによって拡散係数を測定したいという私の思いは鉄芯磁石の時代に始まっているのです が、様々な条件が整って若い頃の夢が実現したことを幸せに思っています。具体的には現在は University of Western Sydneyの教授であるProf. W. S. Priceが 1993 年 3 月に当時の科学技術庁 のSTA fellowとして私の研究室にきてから徐々に準備を始めました。最初、あるメーカーのパル ス磁場勾配用プローブ(PFGプローブ)とアンプを導入しましたが、調整に時間だけ使って実サ ンプルの測定に至りませんでした。その期間の悪戦苦闘から、拡散現象測定の困難さ、不確かさ、 問題点を骨身にしみて感じました。ハードの不得意な私がJEOLに相談したところ、コメントを 戴くと同時にJEOLの新製品を紹介され、幸いにして予算が取れました。信頼できるデータが取 得できるようになったのは、1997 年春にJEOL製のマルチ用 10 T/m (1,000 gauss/cm)のPFGプ ローブとアンプを導入した後です。翌年に19F/1H用プローブを購入し、測定対象核種は研究テー マ「リチウム電池用電解質の研究」に必要な全ての核種が測定できるようになりました。2003 年 12 月に 20T/mまでPFGが印加できて15N以上の全核種が測定できるプローブを導入できました。 悪戦苦闘は現在も続いていますが、問題解決のためのプロセスと考えられるようになりました。 NMR装置本体は 1983 年にJEOLから導入したOxfordのワイドボア(4.7T SCM)にJEOLの固 体用GSH-200 コンソール(1991 年)を基本にして、1996 年に制御用のコンピュター部分をTecMag 社製のGalaxy-MacNMRに変更しました。2002 年に観測系をTecMag製のApollo-NTNMRに置き 換えました。プローブ周りは全てJEOL製で、JEOL製の温度可変装置を用いています。また 2004 年にNMR装置を移動しました。液体ヘリウムや液体窒素の蒸発量が増加したため、大決心をして 移転先のNMR室に設置してあった 270MHz用ワイドボアSCM(6.3T)へ切り替えることにしまし た。1H周波数の変更に伴いプローブのtuning、特に1Hと19Fのtuningの変更とApolloのプレアン プの1H/19F用フィルターの変更が必要でした。 この 10 年余り、私が拡散測定に明け暮れしたのは装置が整っただけではなく、研究対象である リチウム電池用電解質の研究において、拡散測定が非常に有効であり, 電気化学の分野で重要な 測定手段として位置づけられるようになったからです。言い換えると電気化学的に測定されるイ オン伝導度を中心に、粘度、密度、ガラス転移点、融点、沸点などのバルクの性質で電解質を研 究するのが一般的です。しかしながら電解質を構成する個々のイオンや溶媒の運動を測定できま せん。NMR による拡散現象の測定では、カチオン、アニオン、媒体の重心移動を個別かつ独立 に測定できます。このために電気化学分野で新たな情報を獲得でき、イオン運動の明確な記述が 可能になりました。電気化学には全くの素人である私には共同研究者が必要であり、その役割を 果たしてくださった相原雄一博士は非常に重要です。また拡散現象解析のための共同研究者 Dr. W. S. Price に恵まれたことも幸いでした。この分野で 1998∼2005 年の研究論文が 20 報を超え ています。学生が居ない研究の場での成果として、心躍る思いが研究に込められていることをわ かっていただけるでしょう。また最近多くの若い人たちが拡散測定を通じて研究成果を挙げてい ます。彼らとの discussion もまた私の楽しみです。 2 2.拡散測定の基本的な考え方 2.1 Hahn のエコーシグナル 拡散現象は分子、イオン、粒子が並進運動によって中心位置を動かす現象であり、均一な媒体 中での拡散はランダムなブラウン運動である。自己拡散係数は拡散時間や拡散距離に関係なく物 理定数として求めることができる。しかしながら媒体が不均一であったり、拡散障壁があったり すると、拡散現象は複雑になる。ここでは均一な媒体中の粒子の均一な拡散(Fickの拡散として 物 理 化学 の教 科 書に 書い て ある 現象 ) に話 しを 限 るこ とに す る。 パル ス 磁場 勾配 NMR法 (Pulsed-filed Gradient Spin-Echo NMR, PGSE NMR)で測定可能な拡散現象は大まかにいって 10-6 mオーダーの領域を自己拡散係数が 10-8∼10-13 m2s-1の範囲で動いている系である。純水の自己拡 散係数の値(詳細に述べる)は 25oCで 2.30x10-9 m2s-1(ここではSI単位を用いる。慣用単位では 2.30x10-5 cm2s-1)である。 パルス磁場勾配 NMR では磁場勾配をかけることによって核スピンの位置に関する情報を取り 込むので NMR イメージングの考え方に類似している。拡散測定の原理は Hahn エコー法のパル ス系列にパルス磁場勾配を挿入する方法を用い、目的に応じて多くの類似のパルス系列が提案さ れている。ここではもっとも基本的なパルス系列の説明を行う。 Hahn のエコーパルス系列におけるスピンの挙動をうまく説明するのはかなり難しいが、ここ では図1を用いて説明することにする。静磁場方向にパルス磁場勾配(PFG)を印加するので、 図には一緒に書き込んである。 Hahnのパルス系列はパルス間隔(τ)を一定時間として、90 度パルス-τ-180 度パルス-τエコー観測である(90o-τ-180o-τ-Echo)(図2参照)。初期段階として静磁場内で核スピンは磁 場方向(z軸方向)に配列している(1)。平衡状態に達した時にx軸方向から共鳴周波数をもつ 高周波(RF)を照射する(2)。パルス照射時には有効磁場方向はx軸方向になるので、x軸周り にスピンの歳差運動が始まり、スピンがy軸方向を向いたときにRFの照射を止める(90 度パルス) と有効磁場方向は静磁場方向(z軸)に戻る。y軸方向のスピンは束になってxy平面でz軸周りに 歳差運動を開始する(3)。この時、xy平面上に観測者が乗って共鳴周波数(歳差運動の速度) で回転すると(回転座標系)、最初にy軸方向に整列していたスピンの束は、徐々にその束がほぐ れて、扇状に分布するようになる。束がバラバラになってしまう時間をスピンースピン緩和時間、 横緩和時間(T2)で表す。スピンの扇状の分布は、個々のスピンの歳差運動の速度が異なるため に生じ、スピン間のエネルギーの交換によって引きおこされる。歳差運動の速度は個々のスピン が感じている静磁場の大きさによって決まる。もし単一の環境にあるスピンが均一性のよい磁場 内に存在すれば、歳差運動の速度は揃っているので、スピン間のエネルギーのやり取りは少なく 。固 減衰までに長い時間が必要である(即ちスピンがみている磁場の均一性がよい場合T2は長い) 定座標系からみると、スピンの束は共鳴周波数でxy平面上を回転し、束が徐々にバラバラになっ ていくようにみえるはずである。 一方静磁場方向であるz-軸方向への緩和が始まる。これはRFによって与えられたエネルギーを スピン系の外へ放出する過程であり、スピンー格子緩和時間(縦緩和時間)(T1)で表される。xy 平面上ならびにz軸方向へのスピンの運動が完全に緩和する前のτ時間後に第 2 のRFパルスをx 3 軸方向から照射する(4)。ここで有効磁場方向は再びパルスの照射方向であるx-軸方向になるの で、x軸周りにxy平面を反転させることができる。xy平面が 180 度の反転が完了した時点でRFパ ルスを切れば(180 度パルス、90 度パルスの 2 倍の照射時間)、スピンの束は再びxy平面上で回転 座標系では-y軸方向に存在することになる。xy平面にあって扇状に開いたスピンの束は静磁場方 向のz-軸周りで歳差運動を再度行うがz軸周りの歳差運動の方向は同じである。反転したおかげで 速い速度のスピンは遅れた位置、遅い歳差運動のスピンは進んだ位置に存在することになる。同 じ時間τの後に、遅いスピンと速いスピンは同じ位置に集まってエコーを形成する(5,6)。 z z 静磁場 1 y x z 2 y 3 回転座標系 x RF (90°パルス) 有効磁場方向 z 静磁場+ PFG τ z -y 4 5 回転座標系 静磁場+ PFG x τ RF (180°パルス) 有効磁場方向 z エコーシグナル y x 図1.Hahn のパルス系列におけるスピンの歳差運動 4 6 2.2 Hahn のエコー系列に PFG を挿入した時 拡散測定用のパルス系列で何がおこるのであろうか? 強度g(0.01∼20 T/m、10∼2000 gauss/cm)、パルス幅δ(0.1ms∼10ms)のパルス磁場勾配(PFG)を 90 パルスと 180℃パルス の後に挿入する効果は何か。図2に Hahn のエコーパルス系列に2つの等価な磁場勾配パルス (PFG)を加えたパルス系列を示す。 図 2 拡散測定のために Hahn の系列に 2 つの PFG を挿入したパルス系列 図1の3と5の位置で PFG が照射されたことになる。第 1 の PFG は、スピンが xy 平面上で z 軸の周りで歳差運動をしている時に印加される。即ち各々のスピンは z-軸方向にパルス磁場勾 配を静磁場に加算されて受ける。歳差運動の速さは大きな磁場勾配を受けたスピンは速くなりそ の割合は縦軸(z-軸)方向の位置によって決まってくる。例えば磁場勾配発生用のコイルで位置 が上(縦型 SCM の上側)の方に大きな磁場が発生し、逆の位置ではマイナスの磁場が発生する ように設計されているならば、サンプル上部にいるスピンは歳差運動が速くなり、位置が下がる につれてスピンは遅くなる。この変化は PFG が照射されたときのスピンの空間的な位置だけで決 まるものである。180 パルスで xy-平面を反転した後で第 2 の PFG を印加することにより PFG の効果は位置的に同じであるので、エコー形成に対して同一の効果を与える。即ちスピンが全く 動かない(位置を変えない)場合には、xy 平面上で経験する PFG による歳差運動の変動は第2 の PFG により相殺される。拡散運動によりスピンが位置を変えれば、第1の PFG で受けた変動 が第2の PFG によって相殺されずにエコーシグナルの減衰が生じる。動いた位置が大きい程減衰 の割合は大きくなる。 拡散係数の測定条件を設定するために緩和時間、T1とT2は重要なNMRパラメータである。T1や T2から分子の動的過程についての研究に多用されているが、緩和には並進運動を含む多様な分子 運動(分子回転、分子内回転など)が寄与し、緩和機構と運動の相関時間に関する仮定が含まれ るので、T1やT2から拡散効果だけを算出するのは問題が多い。またT1やT2に寄与する運動の相互 作用の時間をは 10-9∼10-11sである。一方PGSE-NMR法で測定する拡散係数の時間尺度は 10-3∼ 10-4sで並進運動だけが寄与するので、測定値をそのまま物理量として取り扱うことができる。 5 2.3 測定例 自由拡散の時は通常 Stejskal の式に基づいて解析を行う。 E. O. Stejskal and J. E. Tanner, “Spin diffusion measurements: Spin echoes in the presence of a time-dependent field gradient”, J. Chem. Phys. 42, 288-292 (1965). 核スピンの磁気回転比γ、PFGの高さg、PFGの長さδ、2つのPFG間隔Δとするとエコーシ グナルの大きさはEになる(図2参照)。一般にはδ=0の時のシグナル強度S0で規格化する。 E (δ , g , ∆ ) = S = exp( −γ 2 g 2δ 2 D (∆ − δ / 3)) S0 (1) 観測データを(1)式に基づいてプロットして図3に示す。測定条件を詳細に記しておく。 0 o at 50 C ln(E/Eo) -1 -10 2.1x10 -2 -10 4.6x10 7 Li ( Li) 19 PF6 ( F) 1 EC ( H) 1 DEC ( H) 2 -1 ms 2 -1 ms -10 2 -1 3.75x10 -3 -10 4.1x10 ms 9 0 ms 2 -1 5x10 10 1x10 2 2 2 γ δ g (∆−δ/3) 図 3 拡散プロットの例 LiPF6をドープしたEC/DEC混合系 4.7T wide-bore SCM (1H NMR-199.76 MHz) 温度 50 oC サンプル管(シゲミの対流効果除去用二重管(後述)、高さ 3mm) 1H 19F NMRの測定条件 g = 1.27 T/m, ∆ = 50 ms, δ = 0∼1 ms NMRの測定条件 g = 1.27 T/m, ∆= 50 ms, δ = 0∼1 ms および g = 2.61 T/m, ∆ = 20 ms, δ = 0∼1 ms (白抜き) 7Li NMRの測定条件 g = 2.61 T/m, ∆ = 50 ms, δ = 0∼2 ms および g = 3.95 T/m, ∆= 20 ms, δ = 0∼2 ms(白抜き) サンプルは携帯電話などに用いられているリチウム二次電池用電解液のベースとなるEthylene carbonate (EC)とDiethyl carbonate (DEC) の混合液(20:80(v/v))に 1Mの濃度でLiPF6を溶解した電 解液である。 6 3. 磁場勾配パルス(PFG)の calibration 実効的な PFG 強度を決める方法は幾つかあるが、最も簡便な方法として純水の拡散係数を使っ て calibration を行なう方法をここでは紹介する。 純水 の定義は難しく、水の純度の変化に対 して拡散係数が敏感に変化するのかどうか定かではない。私が使う”水 は NMR 室に供給されて いるイオン交換水である。 純水の拡散係数は多くの場合 Weingärtner の論文を参考文献に挙げている。 H. Weingärtner, “Self Diffusion in Liquid Water. A Reassessment” Z. Phys. Chem. NF (Leipzig) 132, 129-149 (1982). ここではWeingärtnerに準拠して、大気圧下 25 oC (298.15 K) の純水の拡散係数を 2.30 x 10-9 m2s-1 (2.30x10-5 cm2/s) としてスタートする。拡散係数は顕著な温度変化があるので、温度コン トロールは必須である。室温を考えると冷媒なしに 25oCにサンプル温度を制御するのは難しいの で、30oCでcalibrationを行なうことにしている。そのために水の拡散係数の温度変化測定を行な い、30oCの時に 2.55 x10-9 m2s-1としてPFG強度のcalibrationを行う。水の拡散係数の温度変化 の詳細は後述する。 水サンプルの高さは 5mm 以内とする。高さ 5mm は PFG が均一に照射される範囲としてプロ ーブが設計されているためである。単に磁場勾配を印加して溶媒シグナルを消去したり磁場の均 一性を挙げるために PFG を利用する場合とは異なるので、サンプルの高さ 40 mm の通常測定と 混同してはいけない。サンプル・スピニングをしてはいけない。 (spinning rate = 0 にしてもサ ンプルが動いていることがあるので、必ず Spinning OFF にすること)。サンプルが振動すると奇 妙な効果がでるので、サンプルスピニングの効果を経験しておくこともよいかもしれない。 シム調整のためにはロックシグナルの利用が一般的であるが、拡散測定は非破壊の測定法であ るために重水素化溶媒を加えてはいけない。シム調整はサンプルを差し替えて行うことにする。 私は Galaxy-MacNMR システムがもつ FID-shimming の機能を使って、GSX コンソールのシム コントロールによって分解能をあげている。サンプル管はシゲミ製の二重管(BMS-005J)を用 いている。水を高さ 5mm で入れた時今まで最高の線幅は 3 Hz であり 10 Hz 以下であればよしと している。 ロックシグナルがあっても拡散係数測定時にはロックはかけない。SCMは安定でドリフトは少 なくシグナル位置は動かない。PFGはロックシグナルにも影響するので、ロックのために余分の 擾乱を加える必要はないと考えている。但し、高磁場でSCMのドリフトがあり、スペクトル線が シャープ(T1が長い)場合にはパルス的にロックをかけた方が積算精度は向上すると聞いている。 水の拡散は典型的な自由拡散であるので、Stejskal の式に基づいて解析を行う。重複するが式 を書いておく。 E (δ , g , ∆ ) = S = exp( −γ 2 g 2δ 2 D (∆ − δ / 3)) S0 7 (1) 測定を始める前に Stejskal の式について実験を行う立場で簡単に説明する。 求める物理定数である自己拡散係数Dは物質の状態に対して固有な量である。測定の可変パラメ ータは3個でg(PFGの高さ、T/m)、δ(PFGの長さ、ms)とΔ(PFGの間隔、ms)である。 g×δがPFGの大きさになる。gの可変範囲はPFGプローブの仕様で決まる。拡散が速い水を測 定対象にする場合,g×δは小さくてよい。(1)式から分かるように、Dが小さければPFGを大き くしないとエコーシグナルの減衰は観測できない。Hahnのスピン系列で拡散を測定する場合はΔ とτは等しく設定することになる。水のT1、T2は十分に長いのでτを長く設定できる。Δも大き くすることができるのでg×δの選択に任意性は大きい。パラメータΔは拡散時間に対応する。一 般にτはシグナルの緩和時間より短く設定しなければならないので、Δもその制約を受ける。水 のような均一系ではΔに対する拡散係数の依存性はないので、Δを変えても必ずDの値は同じに なる。T1、T2の短い系ではΔを長くするとシグナル感度が低下するので、Δの長さについても自 ずと限界がある。gを大きくしてδとΔを短くした時には装置上の限界があることが分かってい るので注意が必要である。実際の数値は各自の保有するプローブの設計思想によって異なるので、 確かめておく必要がある。参考のために私が通常行っているパラメータを書いておく。90 度パル スと第 1 のPFGの間隔は 0.5msに設定している。Δは通常 20ms∼100msで測定している。測定 標準メニューはΔ=50msでδ=0.05, 0.2, ….09, 1ms(10 点)である。拡散係数によってgの値を 変えている。Δを長くするとS/Nが悪くなるので、積算回数を多くしなければならない。Δを短 くすると感度的には有利であるが、シグナルの形が悪くなり、位相調整が困難になり、拡散係数 の値の信頼性が問題になる。 私が繰り返し行なっているパルス磁場強度gの calibration の実際を示そう。新しいプローブ、 修理したプローブに対しては必ず calibration を行なっている。 水のT1は 200 MHz、30 oCのとき 3 sであるが、一般的にSCM強度が大きくなって観測周波数 が上がるとT1は長くなる。また温度が上がるほど程長くなる。繰り返し時間はT1の 5 倍以上に設 定する。 (1)式のプロットで第 1 の点が上にずれる時には繰り返し時間が短い可能性がある。g =1T/m (100 Gauss/cm) が予想される場合を具体的に示そう。PFG幅δ=0.05 ~ 1ms(可変)、 Δ=50 msで水の拡散係数を測定すると 10 点目でエコーシグナルは十分減衰する。当然のことで あるが、最初に 90 度パルスのパルス幅を決めておく。プローブtuningをきっちり合わせればパル ス幅は短くなる。厳密にいえば 90 度パルスのパルス幅は温度によって変動するが、僅かな変動で あれば拡散係数への影響は小さい。 Sterjskalの式でδ=0 (実際にはδ=0.05ms)の時のエコーシグナル強度をS0とすると ln( S ) = −7.1568 × 10 − 7 g 2δ 2 D (∆ − δ / 3) S0 gはT/m単位、δとΔはms単位であり、勾配から拡散係数(m2s-1単位)が求められる。Sはエコ ーシグナル強度である。直線回帰した時にR=-0.9999 は常に達成できる筈である。S/Soをそのま まプロットして、指数関数でフィットさせることもできるが、直線回帰の方が精度はよくなる。 私のNMR装置ではgをコンピュータでコントロールできないので, 8 δを変化してプロットし、 勾配が水の拡散定数 2.55 x 10-9 m2s-1になるようにしてgの値を決定する。実際の水の拡散プロッ トの例を図3に示す。 0 o Pure H2O at 30 C -1 -2 ln(S/So) -3 γ=0.85 T/m ∆= 50 ms δ=0.01-1 ms -4 -5 Parameter Value Error A 0.03478 0.01043 B -2.56E-9 8.09E-12 -------------------------------------------R SD N P ---------------------------------------------0.99996 0.02222 10 <0.0001 -6 -7 9 0 9 1x10 9 2x10 2 2 3x10 2 γ δ g (∆−δ/3) 図 4 純水の 30 oCにおける拡散プロット この例では g=0.85T/m であり、gが大きくなると(1)式から分かるように、δとΔを短くす ればよい。しかしながら、Δを短くする(2つの PFG が厳密に同一でなくなることがある)こと やδの変化範囲を小さくするには限界あるので、大きなgに対しては水を使っての calibration は できなくなる。2つの実際的な対策が考えられる。 1. 水より粘性が高く拡散係数の小さな液体を利用して1H NMRで測定する。 2. D2Oの2H NMRで観測する。 もしマルチプローブで2H NMRが観測可能ならばD2Oの利用は優れているのでこの方法を述べよ う。2H NMRのγは1H NMRのγの約 1/6 であるので、約 6 倍のPFG強度で類似の大きさの拡散 係数が測定できる筈である。Weingärtnerの文献には純粋なD2Oの 25 oCにおける拡散係数は 1.872 x 10-9 m2s-1、H2O/D2Oの等量混合物では 2.11 x 10-9 m2s-1と記されている。重水の拡散係数 はH/Dの混合割合で変動するので、実サンプルで測定してみる必要がある。 ここでは私が行った実験例を示そう。純水で決めたPFG強度を用いてD2Oサンプル(JEOL供 給)の1H NMRで決定した拡散係数は 30oCの時 2.15 x10-9 m2s-1であり、2H NMRで測定した拡散 係数は極く僅かに小さく 2.10 x10-9 m2s-1であった。2H NMRのT1 = 0.51sであり、1H NMRに比べ れば遥かに短いが拡散係数を測定するに問題はない。Sterjskalの式は ln( S ) = −1.6864 × 10 −8 g 2δ 2 D (∆ − δ / 3) S0 となる。実際にプロットしてよい直線が得られたgの最大値は 12 T/m であった。 9 4.パルス系列について 図 2 において PFG は矩形であるが、半サイン波を使うことも可能である。矩形の PFG が必然 的にもっている過渡的な効果を除去できる利点を持っている。ただ半サイン波になると実効的な PFG 強度は減少する。半サイン波を利用したときの Sterjskal の式は E (δ , g , ∆) = exp(−γ 2 g 2δ 2 D(4∆ − δ ) / π 2 ) (2) となる。δはΔに比べて小さいと仮定すると 4/π2 ≅ 0.4 で実効的なパルス磁場勾配の大きさは およそ 60 %になる。またサイン波を作るために小さく分割した矩形波を使うので、その幅の最小 値に基づいてδが決められるために、可変δ値に制限が生じる。g をdigital的に制御できるNMR 装置での利用価値は高い。矩形波PFGで測定しても、半サイン波PFGで測定しても、拡散係数は 厳密に一致することを確かめてある。 Hahnのエコーシグナルの項で説明したように、パルス系列は 90o-τ-180o-τ-Echoとなりτは T2のプロセスである。事実τを変化してエコーシグナルの減衰をプロットすれば、均一系の場合 には自然関数で減衰して、時定数が横緩和時間T2である。拡散測定に先立ってT2を測定すること をお勧めしたい。拡散測定にはT1、T2が大きく関係していることを理解していただいたと思う。 T2のプロセスはxy-平面上の緩和であり、xy-平面上でスピンの束が完全にバラバラになった後で はエコーシグナルの観測はできない。従ってΔはT2より短い時間でなければならない。当然のこ とながらT1より短くとる必要がある。一般に粘度の小さな溶液ではT1 ≅ T2になることが多いが、 粘度の大きな液体、ゲル、ポリマー、四極子核(2D, 7Li, 23Na, 27Alなど)ではT2<<T1の場合が 多い。このような場合にはStimulated Echo Pulse Sequence(STE)を用いることができる。パ ルス系列は図4の通りである。 図5 拡散測定用の STE のパルス系列 このパルス系列ではHahnのパルス系列の 180 度パルスを2つの 90 度パルスに分割してあると考 えればよい。図5でτのプロセスはT2で緩和するプロセスであり、τ1のプロセスはT1の緩和プロ セスである。言い換えると第 1 のPFGで位置情報の記録を取得したスピンが時間Δの間に移動し 10 た距離を第 2 のPFGで確定してエコーシグナルの減衰で観測する。このパルス系列の完全な位相 回しは 16 回必要であり、それだけ積算時間がかかる。またSTEではPFGによってコヒーレント の選択がおこるので、感度がHahnエコーパルス系列の半分になってしまう。しかしT2が短い系で は非常に有効である。例えばポリマー中の7Liの拡散測定には必須のパルス系列である。試みとし てT2が長い系でSTEで測定した拡散係数が通常のHahnのエコー系列で測定した結果と完全に一 致することを確かめてある。実際の測定では短いT2の場合にも測定できるようにτ=5 msに設定 しているがこの場合、NMR装置的にいえばδの可変範囲は 0 msから最長 4 msであろう。しかし ながら、T2が非常に短くてPFGを照射している間にT2による大きな減衰が生じるような場合には 厳密にはSterjskalの式は適用できなくなることを念頭において実験する必要がある。対策として はgを大きくしてδの最大値を短くすることであるが、当然ながら限界があり、このような場合 に拡散測定の精度の考察が必要である。 この他に多様な拡散係数測定用のパルス系列が提案されている。観測対象が特殊であれば、そ れらを利用することができるであろう。特に PFG の極性を変える方法が文献では多く見られるが、 これは PFG をコンピュータで制御する必要がある。この件について JEOL と相談したところ 20T/m ほどの大きな PFG を精度よくプラス・マイナスの制御するのは難しいとのことであった。 確かにそのとおりとも思えるが、NMR 技術の進歩の歴史では困難を可能にしてきた。PFG-NMR で遅い運動を測定する研究が盛んになれば、将来は可能になるかもしれない(極く最近の情報で はすでに可能になっているそうで、新規にプローブを購入する研究者は有効に活用してほしい)。 一方で小さな PFG のついた有機物測定用の高分解能プローブでは多彩なパルス系列が利用され ている。 5.追加コメント NMRの主要な利用法である、1HNMR、13CNMRでは、ピーク毎にT1、T2が異なることは常識 である。しかしながら拡散測定では分子が重心を動かす並進運動を測定するので、同一分子のあ らゆるピークで同一の拡散係数を示す。また同じ分子を1H NMRで測定しても、13C NMRで測定 しても同じ値が求められる筈である。ただし私のプローブでは1H照射はできないので、13CNMR で拡散を測定しようと試みたことはない。代わりにリチウム電池で多用されているLiBF4とLiPF6 のアニオンの拡散測定で試みた。BF4では19F NMRでも11B NMRでも拡散係数を求めることがで きる。BF4の11B NMRは狭い線幅を示すので、快適に拡散係数を求めることができ、値は19F NMR で求めた値と一致した。PF6の場合、19F NMRのスペクトルパターンは31Pとのスピン結合により 約 710Hzでdoubletになるが、31P NMRのスペクトルは 6 個の等価なFとのスピン結合で7本に分 裂したスペクトルになる。6 個のFと 1 個のPということもあり、感度を考えると31P NMRで測定 する理由は全くないのであるが、確認のために測定したところ、19F NMRの結果と31P NMRの結 果は見事に一致した。これは重水で1H NMRと2H NMRの拡散係数が僅かに異なることと混同し てはいけない。BF4ではスピン結合定数による分裂が19F NMRでも11B NMRでも観測されない。 2005 年 の ENC ( Experimental NMR Conference ) で そ の 理 由 が わ か っ た 。 19F と 11B の one-bond-couplingは小さいことがすでに論文発表されているとのことであった。 1H NMRで1H-1Hスピン結合(J-coupling)で分裂したピークのHahnのエコーシグナルはτの 11 値によってはシグナルが大きく乱れ、位相調整ができなくなる(J-modulation)。この理由を考え てみよう。スピン結合定数JはHz単位であるが、昔はcps(cycle per second)といっていた。例 えばJ = 7 Hzを時間単位(1/2πJ)で表せば約 0.023 s = 23 msになる。Jが大きくなれば時間は短 くなる。Hahnのエコーシグナルではτ=25 ms付近で例えばCH3CH2のJ-分裂したシグナルが共 に位相がひっくり返ったパターンを示す。これはxy-平面で歳差運動する時にJで分裂したスピン 間でエネルギー交換がおこるためである。同じ分子の中のシグナルであればどのシグナルを測定 しても拡散係数は同じであるから、スピン分裂の小さいシグナルのエコーシグナルの強度を測か るか、τの値をかえればよい。 エコーシグナルの位相の乱れが問題になることがある。多くの原因が考えられるが一般には渦 電流効果(eddy current effect)といわれるもので、大きな PFG が照射されると、過渡的な効果 が FID に影響するものである。均一系の溶液でg、δ、Δが適正に設定されている時、一連のエ コーシグナルは常に同一の P0 と P1 の値で位相調整が可能である。この時は(1)式のプロットで S は積分値ではなくピーク強度を用いている。積分値を利用することを試みてみたが、ベースライ ンの補正から始まって、考えられる各種の補正を行ったが、プロット精度を上げることは困難で あった。位相の乱れが深刻な問題になることがある。主としてΔを極端に短く設定すると位相が 狂いδが小さい値の時と大きな値の時では位相があわなくなる。それでもピークの絶対値 (power-spectrum)を用いれば(1)式のプロットは可能で拡散係数が勾配から計算できる。この見か けの値が真の物理定数であるかどうかについては十分に検討しなければならない。 測定時の注意として、レシーバーゲインの調整がある。NMR のFIDシグナルはADC (Analogue-Digital Converter)を通してディジタル化されてコンピュータに取り込まれる。こ の時アナログシグナルの最大値(通常はFIDの初期値)はNMR機種によって異なる制限がある。 NMR測定者はディジタル化シグナルでモニターして適正範囲かどうかを判断する。一般的には大 きすぎるシグナルはカットされ、FT変換をすればベールラインのうねりやシグナルの両側に切れ 込みができるといった現象で認識される。入力シグナルが小さすぎればシグナル全体が小さくな り、SN比向上に対しても不利である。ADCの効率を有効に使うためにはゲインを大きくする必要 がある。NMRの感度はボルツマンファクターで決まるため、温度が下がると感度は大きくなる。 従って同じ測定条件であっても、温度変化に伴って変えてゆくことが必要である。一般に液体で は温度を上げるとT1は長くなる。繰り返し時間(pulse-delay)の設定にも注意が必要である。種々 の理由から∆を長くすると、T2で緩和しているのでシグナル強度は小さくなる。この時もゲイン を調整する必要がある。シグナル強度が小さいときにはS/N比向上のために積算が必要である。 もう1つの問題点を書き加えておく。磁場強度が上がってシグナル強度が大きくなった時に、 1H NMRや19F NMRでRadiation-Dumpingという現象が生じることがある。詳しい説明は次の 総説にわかりやすく書いてある。 X.-A. Mao and C.-H. Ye, “Understanding Radiation Damping in a Simple Way”, Concepts in Magnetic Resonance, 9, 173-187 (1997). 例えばH2Oシグナルにおいてパルス幅が小さい時にはシャープであるが、パルス幅を大きくし てシグナル強度が大きくなると同時に線幅が広がるような現象である。Tuningが良好な場合 90° 12 パルスのシグナルが例えば 40Hzであるが、Tuningをずらして 90°パルス幅を長くすればシャー プになる。これはFIDの誘起する電流効果が磁化に影響するためと上記の総説では述べている。 即ち大きなFIDシグナルが過渡的な磁場をつくり、シグナルの形に影響する現象である。特に拡 散測定対象のサンプルは重水素化溶媒で希釈することなしに濃厚な状態で測定し、シグナル強度 が大きくなる可能性がある。磁場が高くなり、高感度のプローブの時には顕著な現象としてみら れるようである。詳しくは最後に加えた気田氏の説明を参照してほしい。 拡散測定の場合のように、90 度パルスが必須の場合の対策としては 1.Tuning をずらして 90 度パルスの時間を長くする(感度を悪くする)。 2.サンプル量を減らして共鳴シグナルを小さくする。 私の装置は最近まで 4.7T-SCM (200MHz-1HNMR)で最近は 6.35T-SCM (270MHz-1HNMR)で 測定しているが、Radiation-dumpingの効果を経験したことはない。 プローブのチューニングについて厳密な話をすれば、サンプル、温度等によって変化する。一 度チューニングを合わせて短い 90 度パルスを得た場合にはサンプルや温度が変えた時にチュー ニングは常に少し変化するので、90 度パルス幅は長くなっていると考えている。同一のサンプル で温度を変えているときにはチューニングを再調整するよりは 90 度パルス幅を必要と感じたと きには点検してみたらよいと考えている。 自己拡散データの互換性は重要な問題である。現在シフト値(横軸)の精度について疑問を感じて いるNMR測定者はいないであろう。NMR装置によらず同じサンプルのシフト値は同じになると 信じているし、多分信じてよいであろう。しかしながら 1972 年から 5 年間にわたって科学技術 庁の委託を受けて藤原鎮男先生を委員長として日本化学会で行った「NMRデータの収集・整理・ 分析・評価に関する調査研究」では、100 を超えるNMR研究室に委員会の配布したサンプルにお いてTMS基準のシフト値でもかなりのバラツキが見られた。NMRで測定する自己拡散係数は縦 軸の精度が重要であり、最近のNMR装置ではアンプの安定性がよくなっているので、縦軸精度に ついても信頼性はよくきている。測定条件設定については、T1の測定時と同じ注意が必要である。 シャープなシグナルの時にデータポイントを十分に取らないとFIDのテールが欠損する。縦軸の 精度のためには適度な線幅が必要である(BFは大きめの方がよい)。しかしながら自己拡散係数 は物理量であり、測定された絶対値がNMR装置に依存しない普遍性があることを確かめたいと考 えた。値はサンプルの濃度、測定温度などで変化するので、同一のサンプルを用いて同じ測定し てみることが肝要である。 我々がリチウム電池用電解質の拡散係数の測定を始めた頃、世界でリチウムイオンやアニオン の自己拡散係数を発表している研究グループはほんの僅かであった。1997 年度に国際特定共同研 究「高分子電解質の構造と機能に関する研究」が当たり、1998 年 1 月にイギリスのSt. Andrews 大学(500 MHzのワイドボーアSCMでリチウムイオンの拡散が測定できるプローブ付属)とKent 大学(19F NMRでアニオンの拡散係数を測定するためプローブを手作り)を訪問した。St. Andrew 大学で我々が持参した電解液のリチウムの自己拡散係数を測定した。その時の測定値 1.76 x 10-10 13 m2s-1(30oC)は我々の値 1.82 x 10-10 m2s-1とよく一致した。大きなPFGが必要な高分子ゲル電 解質のリチウムの拡散係数は 2.8 x 10-11 m2s-1となり、我々の値 3.4 x 10-11 m2s-1と約 12%の不一 致があった。PFGの大きさはメーカ(Doty)の表に準拠し、calibrationはやっていないとのこと であった (1H-NMRの拡散測定は不可)。Kent大学ではPh.Dコースの学生が卒業後、19F NMRの 拡散プローブは動いていないとのことであった。当時私のNMR装置では1H、19F、7Li NMRの拡 散係数が全て測定できるようになっていたので、大きなSCMで7L iNMRの拡散しか測定できない ことに非常に驚いたことを覚えている。リチウム電池用の電解質研究でリチウムイオン、アニオ ン、媒体の構成成分全ての拡散係数に関する我々の研究は世界に先駆けるものであった。 2002 年に横浜国立大学の渡邊正義研究室で JEOL の AL400(ナローボア)に 14T/m の PFG をつけた multi-probe を導入し、同一サンプルで私の NMR 装置で測定したデータとの比較を行 った。この時のデータの一致は完璧で、私の NMR 装置(4.7T-wide-bore SCM)で測定した拡散 係数と彼らの NMR 装置(9.4T-narrow-bore SCM)の値とは温度変化データを含めて完全な整合 性が見られている。 6.温度変化測定 拡散現象は動的な現象であるために、温度変化測定は重要である。当然のことながら我々も温 度変化測定を行っている。高分子電解質や高分子ゲルでの拡散測定の温度変化では物質の運動性 に伴う変化が見られ、データそのものに疑念はなかった。ただ最近熱履歴があるサンプルに遭遇 し拡散現象からみる平衡状態を考察する必要性に迫られている。一方、粘性の低い液体では温度 変化して測定した拡散係数の再現性(私は 30 oC→50 oC→70 oC→80 oC→60 oC→40oCのような測 定を行う)が得られなかった。特にグライム系(CH3O(OCH2CH2O)nCH3(n=2∼50))のneatの 状態での測定でn=2 のdiglyme(DG)では納得できるデータが取得できずに、(n=3∼50)として (K. Hayamizu, E. Akiba, T. Bando and Y.Aihara, “1H, 7Li and 19F NMR and ionic 2002 年に論文発表した。 conductivity studies for liquid electrolytes composed of glymes and polyetheneglycol dimethyl ethers of CH3O(CH2CH2O)nCH3 (n=3 to 50) doped with LiN(SO2CF3)2” J. Chem. Phys. 117, 5929-5939 (2002).)n=3 の triglyme(TG)の粘性率はDGの 2 倍(25oC)である。温度変化すると対流効果が拡散係数に深刻な 影響を与えることは分かっていたので、DGの測定で液の高さを小さくするなどの工夫はしてみた が、納得できるようなデータは取得できなかった。 拡散に及ぼす対流効果を図 6 に示す。DG をシゲミの二重管(BMS-005J)に入れて高さを 5mm の液量にして拡散係数を測定した結果である。 14 DG 5mm-height sample tube 60 o 70 C 40 o 60 C -10 2 -1 Dapparent (10 m s ) 50 30 o 50 C 20 o 40 C 10 o 20 C 0 0 50 100 150 200 250 ∆ (ms) 図 6 対流効果が拡散係数に与える効果 Δを変えて測定すると室温付近では拡散係数のΔ依存性はないが、温度を上げてゆくと長いΔ では見かけの拡散係数は大きくなってしまう。この時の拡散プロットは図 3 や図 4 に示したよう な綺麗な直線になるので、真実の値を見極めるのは困難である。拡散係数への対流効果の加算は 時間が長くなるほど大きくなることが明快にわかる。この変化は全くのartifactであり、厳密な再 現性は得られない。温度変化のエアーの流量や圧などで微妙に変化する。またサンプルの粘性な ども大きく寄与するので、グライム系列の化合物でも粘性が高ければ高温でも顕著な効果はみら れなかった。DGや他の電解液の測定においてΔ→0 に外挿ということも考えてみたが、7Li、19F、 1Hで測定した値を比較検討しても整合性のある納得できるような値にはならなかった。分子間相 互作用の大きな系では対流効果は大きくなるという感触があるが、artifactは所詮artifactであり、 真の物理量にならないと考えている。 以前から calibration 用に高さ 5 mm の足のついた内管をシゲミさんに特別注文で作ってもらっ てあった。ある時サンプル管を変えて測定したところ対流効果が小さくなることがわかった。本 格的なテストを行うために図 7 で示すような内管を作製してもらった。 内管の足の長さを 2∼5 mmにしてサンプルはDG(25 oCの粘性率 1.01 mPas、水は 0.8902 mPas)の拡散測定の結果を図 8 に示す。対流効果はΔが長くなると大きくなることは図 6 からわ かっているので、Δ=30 msと 50 msで測定してプロットしてある(サンプル量が少ない時にシ ム調整をまじめにやらなかったためにΔが長い測定は感度的に不可であった!) 。室温に近い温度 では対流効果は見られないが、50 oC付近から対流効果が現れる。100 oC(DGのbpは 162 oC)ま での範囲で対流効果を最小に抑えるためには高さ 2mmの足のあるドーナツ型のサンプル管が必 要であることがわかった。詳しくは我々の論文をみてほしい。 K. Hayamizu, W. S. Price, “A new type of sample tube for reducing convection effects in PGSE-NMR measurements of self-diffusion coefficients of liquid samples”, J. Magn. Reson. 167 (2004) 328-333. 15 5 mm 2 mm 3 mm 4 mm 2 mm Insert Outer tube 図 7 対流効果除去用二重管 D x10-10m2s-1 o 10 1 2.5 100 C 3.0 3.5 4.0 4.5 1000/T -10 2 -1 D (x10 m s ) 2m m -30m s 2m m -50m s 10 o 30 C 2mm-50ms 3mm-50ms 4mm-30ms 4mm-50ms 5mm-30ms 5mm-50ms 1 2.5 3.0 o -40 C DG 3.5 4.0 1000/T 図 8 DG の拡散係数の温度変化 16 4.5 7. 水の自己拡散係数の温度変化 水の自己拡散係数は最も重要なデータであり、繰り返し測定されるであろう。JEOL でも温度 変化した時のデータを配布してくれているので、データ比較の意味も含めてプロットしてみた。 一般に塩を溶解するとあらゆる溶液で粘性率が上がることはよく知られたことであり、粘性の効 果が大きい拡散係数も小さくなる。従って 水 の純度と水の自己拡散係数については分からな いことが多いので、ここでは単に純水と書いておく。私の純水は NMR 室に配管されているイオ ン交換水である。 10 H2O -9 2 -1 -9 2 -1 DH2O (10 m s ) 2.30 x10 m s o at 25 C -9 2 -1 2.55 x 10 m s o at 30 C 1 o 0C JEOL KH-20T KH-10T Weingartner WSP 0.1 2.6 2.8 3.0 3.2 3.4 3.6 3.8 4.0 4.2 1000/T 図 9 水の自己拡散係数の温度依存性 図9に水の拡散係数の温度変化を示す。JEOL のデータは 2003 年 12 月に入手したもの、 KH-20T は 2003 年 12 月に設置した 20 T/m の PFG プローブを用いて高さ 2 mm の足のついた ドーナツ状の二重管 NMR サンプル管で測定した結果であり、KH-10T は 1997 年から用いている 10T /m の PFG プローブで高さ 5mm の足のついた内管を用いて測定した結果、Weingärtner は 前述の文献、WSP はプライスさんから提供された生データで、文献は以下のとおりである。 W. S. Price, H. Ide, Y. Arata, “Self-Diffusion of Supercooled Water to 238K Using PGSE NMR Diffusion Measurements”, J. Phys. Chem. A, 103, 448-450(1999). 17 最後に3本の拡散プローブで同一サンプルを温度を変えて測定した結果を示そう。サンプルは電 解 液 で 1H NMR と 19F NMR で 溶 媒 と ア ニ オ ン の 拡 散 係 数 を 測 定 し て あ る 。 DEC (diethylcarbonate)にLiN(SO2(CF3)2)2 (LiTFSIと略称)を 1Mの濃度で添加した電解液である。 30 oCで溶媒の拡散定数(1H NMR)がバラツクのは、室温近辺での温度コントロールに原因がある と考えている。室温の高い夏季に冷却なしで 30 oCに設定した時の温度の信頼性は良好でないた めではないだろうか。 1M LiTFSI in DEC (3mm-height) 10 1 2 -1 D (10 m s ) Solvent ( H NMR) o o -40 C -10 80 C 1 o 30 C Probes 10T-multi 10T-F/H 20T-multi 10T-F/H 20T-multi 3.0 19 Anion( F NMR) 3.5 4.0 1000/T 図 10 3 本のプローブで別個に測定した拡散係数を同時にプロット。 1997 年設置の 10T-multi-probeはPFGの矩形波形が極めて良好でδが小さい(0.1ms-0.5ms)の 範囲で測定しても水の拡散係数を正しく測定できる。1998 年設置のF/H-probeではHはモニター ということで、1Hの 90oパルス幅が少し長いが1H NMRの拡散測定は可能で、イオン性液体のよ うに1H NMRと19F NMRを測定したい場合にはtuningを大幅に変える必要がない。2003 年設置の 20T-multi-probeは同一温度で設定したままで1H, F, 19 7 Liが同じプローブで同時に測定できる。 大きなPFGがメリットであるために、PFGの立ち上がりと立下りを長くしてある。そのために小 さなδの精度は落ちるが大きなPFGを照射した時に、短いΔまでの測定ができるようになってい る。電解液のように均一系で拡散係数が大きい場合には図 10 で示したように、どのプローブを使 っても同じ値が得られる。拡散係数は温度に対して極めて敏感であるので、拡散測定の精度だけ でなく、JEOLのプローブの温度変化の精度も極めて高いことを示している。 18 付録 Radiation Damping について 日本電子株式会社 AID NMERG 氣田佳喜 NMR でしばしば用いられる説明では、回転する小さな原子核の一つ一つが磁石であり、そ の総和を磁化ベクトルとして扱う。RF パルスにより磁化ベクトルは倒され、パルスが切れた後、 磁化は元の静磁場(Z軸)方向に戻っていく。 Z 静磁場方向 RFパルスをあてる 回りながらZ軸方向 に戻る 磁化ベクトルが横倒しになっているときは、言わば「高速回転する磁石がコイルの中にある」 ようなものなので、コイルには誘導起電力が生じる。誘導起電力でコイルに電流が流れる事に より磁場が発生し、その磁場が倒れた磁化をZ軸方向に戻すように作用する。(RF の歳差運動 と反対方向に sine 関数で変動する。) この作用のため、NMR 信号のZ軸方向への戻り(即ち緩和)が予想されるより速くなってしま うのが Radiation Damping である。フリップ角を小さくした時、スペクトルの線幅が細くなる場合 は、Radiation Damping の発生を疑ってよい。 次に、Radiation Damping を評価する方法について説明する。Radiation Damping はZ軸方向 への磁化の戻りを速くする働きがあるので、それを観測すれば評価の目安になる。Z軸方向へ の磁化の戻りは、180 度パルス後の信号により観測できる。完璧な 180 度パルスでは信号は何 も出ないはずだが、実際は RF 磁場不均一等の理由で少し信号が残る。その残った信号が戻っ ていく様子が、測定結果をタイムドメイン(FID そのまま)で見たときに観測できる。 19 Z Z ぴったりZ軸上で 不完全さによる信号が出 戻れば信号は見え る。ちょうど観測軸(Y) ないが、 を横切るときに最大にな る。 Y Y よって信号が最大になる 時間で戻りの速さを知る ことができる。 観測した例を次に示す。 これは FID なので横軸は時間(ms)である。この FID の最大振幅になる時間を比較して、目安 にする。この時間が長いほど磁化のZ軸への戻りが遅く、Radiation Damping が軽減されたこと を意味する。 この時間を比較 20