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紙面PDF
2005 年( 平 成 17 年 )
10 月 1 日土曜日(毎月 1 日発行)
1 部 50 円(消費税込・送料別)
発行所/天台宗出版室
発行人 / 出版室長 工藤 秀和
〒520- 0113 大津市坂本4- 6- 2
天台宗務庁内
電話 077-579-0022(代)
E メール/ [email protected]
● 開宗千二百年慶讃大法会
仏一三二%、米一二五%、
独九六%、英七四%、そして
日本四〇%。なんの数字かお
分かりだろうか。実は、食料
自給率である。日本は先進国
の中で最低クラスだという。
その一方で家庭から出る残
飯や、スーパー、コンビニな ど か ら の 廃 棄 食 品 は 毎 日、
二千万人分の食糧に当たると
いう。世界一の消費国米国を
上回る廃棄率だそうだ。家庭
から出る残飯はお金に直して
年間十一兆円で、日本の農水
産業生産額とほぼ同じだとい
う。そして、食糧輸入量の三
分の一を捨てていることにな
るそうだ。
も し、 世 界 的 凶 作 に な れ
ば、日本はアウトだ。飽食か
ら即飢餓だ。お寒い限りの食
の安全保障の国である。
天台宗開宗千二百年
慶讃大法会の慶讃大
法 要 が 十 月 一 日 か ら、
三十一日までの一カ月
間比叡山延暦寺根本中
堂で厳修される。開宗
千 二 百 年 を 記 念 し て、
天台宗では平成十五年
度から檀信徒総授戒運
動を始め、数々の報恩
行事を展開してきた
が、 今 回 の 大 法 要 は、
そのクライマックスと
もいうべきもの。天台
宗はもちろん、各仏教
宗派、教団による開宗
千二百年慶讃法要が連
日執り行われ、また日
本の伝統芸能が奉納さ
れるなど、期間中比叡
山は、宗祖伝教大師へ
の報恩一色に染まって
いる。
でも忘れません。これこそ
た。幸い息子の病気は盲腸
地獄で仏にあった思いでし
ではなく、翌日退院となり
盲腸の疑いがあり、手術を 皆さんにもこのような経
予定し直ちに入院と決まり
ました。
て苦しみもがいていると
ました。折悪しく、たまた 病院で診察を受けた結果、
き、その場に現れて窮地を
後六道で苦しむ人間を苦界
地蔵菩薩のことであり、死
人間が死後、地獄に落ち
救ってくださることのうれ
ま妻が旅行中で、これほど
校での私の教え子が二人い
師団の中になんと看護師学
その夜、回診があり、医
されていることへの感謝の
人々とのご縁を頂いて生か
る仏さまです。このような
なが地蔵菩薩の働きができ
あります。この世ではみん
から救って下さる仏さまで
この地獄に仏というのは
験をお持ちかと思います。
しさを喩えて﹁地獄で仏に
窮地に追い込まれたことは
二十数年も前のこと、長
るではありません か。﹁先
ありません。
会う﹂といいます。
男が通う中学校から電話が
生の息子さん、私たちが徹
私は今も忘れられない体
入 り、
﹁息子さんが腹痛を
いております。
気持ちで過ごさせていただ
験があります。
起こしているので、迎えに
夜で看病します﹂と言って
急いで駆けつけ、地元の
﹁天台宗の開宗慶讃にとどま
西郊良光天台宗宗務総長は
掲載︶
。
要期間中の詳細日程は五面に
能 の 奉 納 が 行 わ れ た。︵ 大 法
くれたときのうれしさは今
来るように﹂とのこと。
百味とは、百種類の供物を
頂き、それぞれの更なる発展
らず、比叡山にできるだけ多
千二百年前の延暦二十五 と精進を共に祈誓し、浄仏国
くの仏教宗派、教団においで
同日午後からは、玄清法流
土建設、社会浄化、人々の心
み仏にお供えするものであ
による玄清琵琶、陸奥教区・
の平安に資するものとした
︵八〇六︶年一月二十六日、
毛越寺による延年の舞、瀬戸
い﹂と述べた。
る。
許された。この時天台宗は、
内寂聴師作・茂山一門による
武天皇は、年分度者二人を勅 国家に認定され開宗したので
﹁居眠り大黒﹂などの伝統芸
けた。
百味法要﹂にて厳かに幕を開
と百人の檀信徒による﹁百僧
宗教区から集った百人の僧侶
讃大法要開闢は、全国の天台
十月一日の開宗千二百年慶
り組んできた。
して総授戒・総登山運動に取
仏に会いに﹂をスローガンと
迎えるために﹁あなたの中の
月二十六日に開宗千二百年を
天台宗では、平成十八年一
ある。
伝教大師の奏上に応えて、桓
一カ月にわたる大法要が十月一日から
始まった。
開闢法要は、﹁百僧百味法要﹂
伝統芸能も奉納された。写真は
「居眠り大黒」
ごくみ
極 微
第 31 号
平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
毎月 1 回発行
(毎月 1 日付)
(平成 16 年 4 月 20 日第三種郵便物認可 郵業認第1号)
1
秋
昨年、紅葉を見に京都嵯峨 天台宗出版 室長
三十年近く昔のことに
の紫色の花が林の中を吹き抜ける秋風に
入りが禁じられている原生林に、数千株
トの群落に思わず息をのんだ。人の立ち
人に案内されたトリカブ
阿寒湖周辺の大地主の知
でいる。毒花とはいえその美しさから、
とあるから漢方薬では鳥頭、附子と呼ん
ので鳥頭、脇につく子根は附子とよぶ﹂
古書には﹁母根は鳥の頭の形に似ている
に似ていることから名がついた。中国の
で音楽を奏する伶人が頭にかぶる烏帽子
来 は、 写 真 の よ う に 花 の か た ち が 舞 楽
キンポウゲ科トリカブト属。名前の由
すっかり仲良くなった。
頭 を 揺 ら し な が ら 咲 い て い た。﹁ ア イ ヌ
最近では毒性の低い観賞用のトリカブト
の人がその昔、弓の矢に塊根の毒を塗っ
が花屋さんの店先で見かけるようになっ
な る が 北 海 道 に 勤 務 中、
ていたという花だよ﹂といいながら、地
た。とはいっても花や茎、葉にも微少な
主のMさんはトリカブトを手でちぎりと
がら毒がある。毒は塊根にあって、当た
れいじん
り、花びらの蜜をすすって見せたのだ。
ると解毒の特効薬は今でも皆無だと聞い
ぶ し
﹁大丈夫、飲んでごらん﹂。つられて思わ
た。
う ず
ずなめてみたが、甘い味覚が舌の先に残
はなさんのビジュアルバージョン
は、はなさんが描いた仏さまの絵に
「光る あなたの光で わたしが光
る わたしの光で あなたも光る」
「ほんとうに 信じられたら ふふ
ふ∼ん と生きてゆける」などの言
葉が添えられている ( 定価二百円 )。
った。﹁だってトリカブトは虫媒花だべ。
世界へ我々を連れ去ろうとし
ひが目でしょうか。
見をしたことがあります。そ
晝間師の墨跡カレンダーは、落ち着い
た黄色の台紙に「今 今 今 今を生き
る」や「当たり前が一番大事」という法
語や「己を忘れて他を利する」という伝
教大師のお言葉が、月々のカレンダーと
共にあるタイプ ( 定価八十円 )。
だから花には蜜があるんだよ。毒だった
度胸を据えて蜜をなめたおかげでその
ら蜂だって吸ったら死ぬべさ﹂
秀和
後Mさんや阿寒のアイヌコタンの人々と
工 藤
い出しました。夏の終わりに
ています。
活に利便性をもたらせました
富士山麓に降る雨のことを、
どこか原色のギラギラ感を拭
が、温かみや安らぎとは別の
あいにく、少し時季が早か
こう表現するのだそうです。 えないのは、神仏への敬虔さ
そういえば、秋の季語に﹁お
ったようで、拝観受付の方か
夏の暑さと埃で汚れた富士山
を失ったせいだと見るのは、
山洗﹂というのがあるのを思
ら﹁もう、一週間ほど遅けれ
を雨が洗い流すのです。初冠
野の寺院に出かけました。
ば、お山から降りてこられま
雪の平均日は九月二十七日と
いいますから、お山が洗われ
今の芸術や文化にしても、
全山が紅葉することを﹁お
したのに﹂と言われました。
山から降りてくる﹂と表現さ
たあとに、すぐ初雪が降るの 月 さ ま は、 あ ま り 綺 麗 な の
の時に﹁お坊さん、今日のお
で、思わず拝んでしまいまし
です。まことに爽快、雄大で
数年前、知人の一家とお月
れたのです。
なかなかに、味わい深い言
これらに共通するのは﹁敬
た﹂と言った娘さんがいて、
今回新しく作られるのは千五百部の限定
制作。デザインを生かすために、薄くて白
い特殊な紙に印刷し、
季節が移るにつれて、
仏さまとそのバックにある木が表情を変え
てゆくという斬新なもので、はなさんの感
性が充分に表現されたもの ( 定価四百円 )。
いずれのカレンダーも、年末年始のご挨
拶に、また寺院にお参りされる檀信徒の皆
さまのお供養に最適です。見本発送と同時
に、申込書を同封しますので是非お申し込
み下さい ( 定価はいずれも税込み )。
一般の皆さまも購入可能です。天台宗出
版室までお申し込み下さい。
なお、ホームページでもインター
ネット販売をいたしております。 虔﹂です。自然には神仏が宿
何となく安心したことを思い
す。
色づくというものではなく、
り、それらを敬うことによっ
出しました。
葉だと思いました。そのお寺
人知を超えたはからいによっ
て日本の文化は潤いを持ち、
の方は、紅葉も、ただ木々が て為されると思っておられる
最近のデジタル進歩は、生
発展してきました。
のです。神々しいニュアンス
が伝わってきました。
平成十八年版の天台宗「開運招福カレンダー」を制作中です。
十月中旬頃には、完成し、天台宗ご寺院様に見本を発送する予定です。
来年のカレンダーは、昨年に引き続き天台宗東京教区・正観寺住職で書
家の晝間玄明師筆による「墨跡カレンダー」と、
タレントはなさんのビジュ
アル版とになりますが、今回はビジュアル版を二種類制作します。
2
平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
(第三種郵便物認可)
第 31 号
天台宗スカウト連合
協 議 会︵ 幹 栄 盛 理 事
長︶では、天台宗開宗
ウトとリーダーに、台湾から
生から大学生までの天台スカ
キャンポリーでは小学一年
は十七団が連合協議会に加
一団が昨年承認され、現在で
結成が進み、愛知県の祖父江
ることができるものであり、
いうものは、少年たちに与え
ボ ー イ ズ ﹄ の 中 で、﹁ 宗 教 と
﹃スカウティング・フォア・
年﹁世界のチーフスカウト﹂ スカウト活動は、一九〇七
えのもと﹁道心ある人となり
によって宗祖伝教大師のみ教
天台スカウトは、この主旨
ものである﹂と示している。
且つ、教えなければならない
盟。
惠進天台座主猊下も﹁天台ス
と呼ばれるイギリスのベーデ
ます﹂
﹁一隅を照らす人とな
*
のスカウト団も加わり、総勢
カウトとしての誇りを胸に、
ン・パウエル卿により創始さ
り ま す ﹂﹁ 能︵ よ ︶ く 行
い
約五百名が比叡山に集った。 *
国宝的人材となるべく精進さ
れた。パウエル卿は、少年た
能
︵よ︶く言う人となります﹂
千二百年大法会を慶讃
れている諸君が、このキャン
ちの教育問題に関心を持ち、
と国宝的人材になるこの三つ
二十二日までの三日間
初日には、根本中堂
において慶讃法要を奉
修。 こ れ は 今 月 の 開
あるとき、わたしは引きこも
り、 仏 子 に と っ て は 親 の 家 な
てこの世界はほとけの世界であ
人、病人だって仏子です。そし
教章取得のための﹁第二教程
比叡山居士林を会場として仏
年三月下旬に三日間の日程で
教章と呼び、天台宗では、毎
連合協議会総裁である渡邊 ﹃第七回天台キャンポ
ポリーを機に一層努力される
キャンプ生活や自然観察・体
のことを誓い、いかなる状況
リー2005 ﹄を開催
ことを希望します﹂とのお言
験 を 通 し て、 自 立 心 や 協 調
においてもパウエル卿・伝教
し、 八 月 二 十 日 か ら
︵本紙第二十九号既報︶
。
葉を寄せられている。
性・リーダーシップを身につ
大師のご精神を胸に刻み、さ
り に な っ た 青 年 か ら、
﹁どうし
んです。親の家で生きていくの
世間の役に立っていないと思う
青少年教化を継続的に行える
初めて成されるものであり、
戦後、栃木県の龍泉寺に天
けさせ、社会に役立つ人材育
ほ と け の 世 界 で す。 お 寺 だ け
たらよいか?﹂と相談を受けま
台寺院のスカウト団が誕生し
宗千二百年慶讃大法要
まざまな活動を通じて社会で
成 を 目 指 し た。 ま た 著 書 の
に先駆けて行われたも
ではありません。日本という国
し た。
﹁引きこもりになったの
スカウト活動は、人と社会
引きこもりは病気です。なに
必要はありません。そんな気兼
大変有効な活動といえる。ま
と自然と宗教が一体となって
﹃ 法 華 経 ﹄ の﹁ 譬 喩 品 ﹂ に は
も好きで引きこもりになったの
ねはやめて、ほとけさまに甘え
た、地域社会との連携を通じ
の。
また、明確なる信仰心を持
実践しているのである。
つことを奨励するため﹁道し
るべ﹂として宗教章が制定さ
が、いやこの地球全体が仏国土
講習会﹂を開催している。
れており、仏教ではこれを仏
です。
に、なにも世間の人に気兼ねす
*
であれば、もうしばらく引きこ
る必要はないじゃありません
*
︽今、この三界は、皆、これ、
もりを続けなさいよ﹂というの
か。自分は引きこもりだから、
たのを始め、各地で天台団の
わが有なり。その中の衆生
は
が、わたしの返答です。
家でしょう﹂
そう書かれています。この宇宙
で は あ り ま せ ん。 そ し て、
﹁引
ていればいい。それこそが﹃法
ひ ゆ ほ ん
悉くこれ吾が子なり︾
﹁ そ う だ よ。 で、 何 が 言 い た
そのものがほとけさまの家、す
き こ も り を や め よ!﹂ と 言 わ
なって昼寝をしている男がい ま
いんだ ね﹂
なわち親の家なんです。それが
お寺の本堂で、ごろりと横 に
した。暑い夏ですが、本堂は わ
﹁じゃあ、
お寺は親の家です。
華経﹄の教えだと思います。
れて、すぐに、やめられるもの
りと涼しいのです。
﹃法華経﹄の教えです。
がる有意義な活動の一つでも
て、広く社会の浄化にもつな
子どもが親の家に来て、なんで
そこに住職さんが来て、男 を
ある。心の荒廃が叫ばれる今
でもないので
しばらくは
だとすればわたしたちは、こ
引きこもりを
気兼ねをする必要があるんです
しないでいいのです。気兼ねを
続けるよりほ
叱ります。
するなんて水臭いですよ。継子
か な い。 そ の
す。ならば、
じゃないのだから、親の家にあ
ことをわたし
の世界にあってなんの気兼ねも
って生きるのに、なんの気兼ね
は言ったので
そう言う和尚さんは、き
をする必要はありません。わた
ばち
向けるなんて、罰が当るぞ﹂ っと継子なんでしょう⋮﹂
みごとに和尚さんは、一本取
*
られたわけですね。
*
男は和尚さんに向かって言 い
ます。
ままこ
しはそれが﹃法華経﹄の教えだ
⋮
そうなんです。わたしたちは
﹁そんな行儀の悪い恰好をし
みんな仏子です。ほとけの子で
※﹃ 平 成 十 七 年 度 第 二 教 程
講習会﹄◇平成十八年三月
二十六日∼二十八日◇会場=
居士林◇第二教程講習会並び
にボーイスカウト・ガールス
カウトに関するお問い合わせ
は宗務庁社会課内﹁天台宗ス
カウト連合協議会﹂まで。
期待が寄せられる。
日、スカウト活動には大きな
﹁ですが、和尚さん、﹃法華経﹄
す。
てはいかん。ほとけさまに尻 を
に は、 わ れ わ れ は み ん な 仏 子
と思います。
りのなった
に、引きこも
それと同時
す。そして、この世界はすべて
﹁ああ、それはその通りだよ﹂
﹁わたしたちはみんな仏子
で、そしてお寺はほとけさま の
だ、と書いてあるそうですね ﹂
(カット・伊藤 梓)
?!
平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
(第三種郵便物認可)
第 31 号
3
天台宗開宗千二百年を記念した特別展覧会﹁最澄と天台の国
宝﹂が、十月八日から十一月二十日まで、京都国立博物館︵京
展示されるのは仏像・仏画・経典・仏具など約二百点で、天
博・京都市東山区︶で開催される︵8面に関連記事︶
。
台の美の世界が一堂に集められ紹介される。
今回の特別展の最大の特徴は、彫刻や、絵画という美術ジャ
ンル別展示や時代別紹介という従来の展示方式ではなく、特徴
陸教区・窓安寺副住職︶であ
ることが大きい。
久保室長は﹁天台の僧侶と
の密教⑤天台の神と仏⑥京都
人々の悩みに応じ
て
てた。天台の教義の特徴は、
いう立場から、内容を組み立
の 天 台 で、
﹁天台の信仰その
救済の手をさしのべることに
てより具体的なイメージを感
よ﹄と出たので許可したい﹂
と申し出た寺院もあるとい
このほか、滋賀・聖衆来迎
う。
寺に伝わる六道絵十五幅︵国
と
」 して平安時代
えた様子や数々の品、また、
さんりんとそう
山
「 林抖薮
に回峰行をはじめた相応和尚
の肖像や行者の手文や参籠札
普段は五つの美術館に寄託さ
れるのは今回三十四年ぶり。
堂に集い、更には黄不動の名
の名だたる仏像が全国から一
横川中堂本尊はじめ天台密教
屋が充てられ、前述の比叡山
特に天台の密教では、三部
なども展示される。
れており、住職でも十五幅全
で有名な京都曼殊院門跡の不
宝︶は、全幅が一堂に公開さ 部が揃ったのを見るのは初め
人、慈覚大師、智証大師らが
求法﹂として伝教大師最澄上
細かいコーナーでは﹁入唐
の白眉・金剛界八十一曼荼羅
剛輪寺に伝わる天台系曼荼羅
動明王︵国宝︶や、滋賀・金
にっとう
てというほどだ。
田所長や、久保室長の度重な
ぐほう
る説得に﹁おみくじを引いた
京
「 都の天台
コ
」 ーナーで展
久保室長は語っている。
ら、信仰心が芽生えれば﹂と
お会いできると思う。そこか
分を導いてくださる仏さまに
﹁ 訪 れ る 人 々 は、 き っ と 自
示される。
見 の 宝 物・ 仏 具・ 仏 像 も、
以上を調査して発掘した新発
台寺院の殆どである六十カ寺
カ年をかけて、京都教区の天
今回は、京博の研究員が二
る。
大 壇 も、 そ の ま ま 展 示 さ れ
実際に護摩修法を行っている
そして、比叡山無動寺で、
従来なら出展はとても不可能
像
阿弥陀如来立像・釈迦如来立
二尊院蔵
と思われる各寺院のご本尊を
文
重
図も展示される。
が展示されることも大きな話
一例をあげれば、滋賀・善
題である。
水 寺 の ご 本 尊﹁ 薬 師 如 来 坐
像﹂は重要文化財であると同
時に秘仏であるため寺の外へ
出 る の は 初 め て で あ る。 ま
た、比叡山延暦寺横川中堂ご
本 尊﹁ 聖 観 音 立 像 ﹂ は、 約
四十年ぶりに比叡山を下り
る。京都では、京都教区︵羽
生田寂裕宗務所長︶が主体と
なって活動したこともあっ
て、二尊院、雙林寺、来迎院
もご本尊の展示に応じてい
る。中には、最初は﹁応じら
中国天台の教えを我が国に伝
国宝 六道絵図(部分)
聖衆来迎寺蔵
と こ ろ﹃ な り ゆ き に ま か せ
れない﹂としていたが、羽生 重文 金剛界八十一尊
曼荼羅図 根津美術館蔵
はじめとする門外不出の宝物
久保室長の熱意もあって、
久保智康・京都国立
博物館工芸室長
重文 普賢菩薩像
安楽寿院蔵
となる天台の教義を柱に全体が構成されたことにある。
展示は六つのコーナーから
なり、それぞれのテーマは、
①天台の祖師たち②法華経へ ものが感じられるように﹂と
あ る。 全 部 見 終 わ っ た あ と
の祈り③浄土への憧憬④天台
いう意図がはっきり打ち出さ
で、天台の教え、美術に対し
これは、この特別展を企画
じて欲しい。自分なりの布教
様々な
れた。
し、各寺院との交渉にあたっ
の一環と捉えている﹂と語 重文 薬師如来坐像 善水寺蔵
た久保智康京都国立博物館工
る。
比叡山・無動寺蔵
芸室長が、天台宗の僧侶︵北
金銅大壇
具
重文 伝教大師坐像 観音寺蔵
4
平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
(第三種郵便物認可)
第 31 号
5
天台宗の公認を願うため﹁天
暦二十五年一月三日、朝廷に
天台山から帰国した翌年の延
である。宗祖伝教大師は中国
たり、現在慶讃行事が進行中
千二百年の記念すべき年に当
た。従って明年は天台宗開宗
れ、公式な宗派として発足し
家公認の得度僧︶を許可さ
朝廷より二名の年分度者︵国
︵八〇六︶年一月二十六日、
天台宗は延暦二十五
めに、それぞれ大切な教えで
となく真実に目覚めさせるた
種、文化の人々でも、余すこ
であり、どのような地域、人
そしてあらゆる宗教が網の目 リスト教も、
スラム教もキ
だけでなくイ
すれば、仏教
の宗祖の考え方を現在に敷衍
いたい、というのである。こ
と共に天台宗も公認してもら
できない。それ故奈良の六宗
はすべての人々を救うことが
るのは一目の羅﹂という言葉
と能わずといえども、鳥を得
中に﹁一目の羅は鳥を得るこ
師が口述した﹁摩訶止観﹂の
いうのではない。高祖天台大
と混淆して同一化していいと
いえよう。
ことの大切さを述べていると
意を表し、調和して活動する
る。これはお互いの宗派が敬
割り当てるよう申請してい
切り捨てに協力してきたマス
アである。戦後過去の文化の
きないのが日本のマスメディ
のような状況を正しく把握で
著しい地域も少なくない。こ
し、原理主義的行動の擡頭が
治、経済、民生に色濃く反映
れ が 進 む 一 方 で、 宗 教 が 政
しかしながら世界は宗教離
ある。
いるのも事実で
つ成果を上げて
でおり、少しず
など具体的な問題に取り組ん
紛争和解、難民、環境、人権
の側も、宗教協力を通じて、
く問われている。一方宗教者
に会して何が出来るかが厳し
蹟といわれた時代から、一堂
を越えて一堂に会するこが奇
り、宗教指導者が宗教の垣根
る。その間世界の流れは変わ
たのであっ た 。
ことの意義と責任をかみしめ
れたのである。そして続ける
に刻みつつあることを知らさ
が、確実にその歴史を世界的
ると実感は薄いかもしれない
叡山宗教サミットは国内にい
か﹂という質問があった。比
が、比叡山とはどういう場所
サミットの意義は知っている
得た。その中で﹁比叡山宗教
テレビなどに出演する機会を
たが、その際イタリアの国営
れた平和の祈り集会に参加し
先頃私は、ヨーロッパで開か
でると、驚いたようだ。だが
になることを期待する発言が
ら天台宗に中東和平の架け橋
十八周年で、イスラム代表か
あ る。 だ か ら 宗 教 サ ミ ッ ト
知識が蓄積されていないので
ブーとしてきたため、宗教の
コミは宗教に関する報道をタ
台宗法華年分縁起﹂を著し上
ある、ということになろう。
がある。一つの網の目では鳥
とはいえ、けして他の宗派 表した。その中に有名な﹁一
そして更に﹁十二律呂に準じ
は捕らえられないけれども、
たいとう
目の羅は鳥を得ること能わ
て年分度者を定め・・・﹂と
鳥を捕らえてみれば、ひっか
あた
ず。一両の宗、なんぞ普くを
ある。すなわち当時の音楽の
う
汲むに足らん﹂という言葉が
十二の音調に合わせて、十二
あみ
ある。すなわち一つの網の目
︵おわり︶
で鳥を捕らえることができな
かっているのは一つの網の目
月 日∼
である、というのである。あ
日
延暦寺会館
日
◎天台宗延寿会
月 日∼
大師一千四百年御遠忌に当っ
当たり、更に十周年は、天台
比叡山開創一千二百年の年に
又比叡山宗教サミットは、
来る。
の言葉の中に求めることが出
指導原理を我々は宗祖や高祖
通じて社会に働きかけていく
ていた保育連盟理事長に、東
行われた。また、空席になっ
園長会議、永年勤続者表彰が 塩入亮乗師による記念講演や
参加した。大会では、浅草寺
幼稚園の教職員百二十九名が
東京大会が開催され、
保育園・
に、第五十四回天台保育大会
東京・浅草寺五重塔院を会場
究夏期講座を開催した。三塔
叡山居士林を会場に、法儀研
は、九月一日から七日まで比
大正大学︵東京都豊島区︶
◎正大夏期講座を開催
修会の日程を終えた。
湖と日光山輪王寺を参拝し研
た講演があり、翌日、中禅寺
侵害救済法について﹂と題し
行委員長和田献一氏の﹁人権
に、正月号見本もお届けしま
ご理解をお願いします●同時
ため、お届けが遅れました。
慶讃大法会大法要開闢取材の
は、十月一日の開宗千二百年
二十九日頃印刷ですが、今月
延暦寺会館
た。いずれも日本の宗教界の
京教区浄光院伊藤義延師が選
巡拝や法儀実習、声明、講話
ることができた。そして宗教
光市で開催された。総会に引
長︶研修会・総会が栃木県日
権 擁 護 委 員 会︵ 加 藤 良 文 会
八月二十九日・三十日、人
◎寺婦連中央研修会
執り行った。
いて開宗千二百年慶讃法要も
た。また期間中根本中堂にお
お待ちしています。
は、九月が年末です。ご注文、
印刷に入っています。出版室
す。開運招福カレンダーは、
平常だと前月の二十八日から
本紙は、一日発行なので、
総力を結集し、日本宗教代表
任された。
サミット二十周年は奇しくも
者会議主催のもとに開催され
天台宗開宗千二百年に相当す
業としてそれぞれ万全を期す に写経と熱心に取り組んでい
部落解放同盟栃木県連合会執 き続き行われた研修会では、 くまでも最後に救われるの
◎天台保育大会を開催
15
25
は、一つの宗教の導きによる
というわけである。このよう
24
◎人権擁護委研修会・総会
八 月 二 十 五 日・ 二 十 六 日、
10
たが、天台宗としても記念事
に天台宗が宗教協力や対話を 14
人の年分度者を各宗に分けて
10
いように、一つの宗派だけで
比叡山宗教サミット 18 周年世界平和祈りの集い
「平和の架け橋を求めて アジア仏教者との対話
集会」終了後、記者会見で司会を務める杉谷師
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平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
(第三種郵便物認可)
第 31 号
ン︵写真︶が行われた。また、
え ﹂、 引 き 続 き、 池 坊 華 道 会
会場を文保寺に移し、法儀研
倉正元三氏から﹁池坊のいけ
されることになった。また
修生二十四名出仕による﹁別
手をあびた。地元の新聞や
西郊総長も部会において、
持念仏会﹂の示範法要を修し
テレビも、この模様を大き
終戦六十年をテーマに講演
た講演とデモンストレーショ
し、アジアはじめ近隣諸国
た。
ばな・供花の生け方﹂と題し
な く、 核 兵 器 の 即 時 廃 絶
に先の戦争で与えた被害を
く報道し、天台宗の世界平
へ取り組まなくてはなら
謝罪した。そして﹁お互い
讃大法会総登山﹂についての
光賢師から﹁開宗千二百年慶
和への取り組みが高く評価
半田門主は、最終日のフ
ない﹂と述べた。また被爆
が協力して平和のために働
務総長が出席した。
詩人の峠三吉の詩を引いて
くことが異なった宗教間に
九月十一日から十三日ま
ィナーレで日本の仏教者を
くずれぬ
にんげんの
でフランス・リヨンで開催 代表して登壇し﹁広島、長
﹁にんげん
の
月
︻報告=赤松善彰師︼
日遷化
日本葬儀執行
岡山教区浄土寺名誉住職
平成 年 月
片
岡 観道師
講話が行われた。
翌日は、延暦寺副執行山本
された﹁世界宗教者平和の
よのあるかぎ
り
祈りの集い﹂に天台座主名
崎の原爆投下六十年を、単
ピアささやま﹂と文保寺︵鷲
に記念通過点にするのでは
互いの尊敬をもらたし、信
尾隆圓住職︶を会場に、兵庫
へいわをかえ
へいわ
を
八月三十日、三十一日の両
仁氏
に よ る﹁ お 寺 と 僧 侶 の ゆ く
年教化協議会主幹・
神
研 修 会 は、︵ 財 ︶ 全 国 青 少
た。
れ、八十五名の教師が参加し
教区教師教学研修会が開催さ
頼と人権の尊重を生み出す
より創建され、国家安全・利
︻延暦寺一山・清泉院︼東伏見慈洽師
1
せ﹂と訴えて、世界の宗教
民豊楽のため顕密二教全胎両
︻栃木・普門寺︼齋藤博道師
日∼平成
9
日、兵庫県篠山市の﹁ユニト
去る八月二十一日、大分県
部の秘法、護摩厳修勅願の道
立ち、檀信徒の
月
法人部調︶
17
3
ものと信ずる﹂と述べた。
国東町にある興導寺︵摩尼光
協力のもと、屋
年
24
9
者に感銘を与え、大きな拍
跡門主と西郊良光天台宗宗
代として半田孝淳曼殊院門
永住職︶で、本堂︵写真︶の
場として栄えた。
︻報告=藤園俊道通信員︼
改修落慶法要が、秋吉文隆宗
議会議員や、寺田豪明九州東
教区宗務所長、落慶を心待ち
にしていた多数
の檀信徒が見守
るなか、厳かに
今回落慶とな
執り行われた。
った同堂は、火
一名の現地の信者、一人ひと
︻福島・景政寺︼大滝勝永師
燃︵ ひ と も し ︶
りが大導師からおかみそりを
︻延暦寺一山・一音院︼清田寂雲師
︻岡山・大賀島寺︼木村真尚師
︻岡山・水嶋寺︼神原彰仁師
サンパウロ州ジアデマ市に
根等の改修を行
地蔵堂と呼ばれ
ある成願寺︵山本妙澄住職︶
ったもの。
︵平成
年 月 日
17
︻埼玉・慈星院︼松波良晃師
う け︵ 写 真 ︶
、感激の面持ち
徳三︵九五九︶
年、空也上人に
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興導寺は、天
を見せていた。同法要には日
系人以外の信者も多数出席 た。
郊良光天台宗宗務総長を大導
同日の発心会では、百五十
し、随喜者も四百名にのぼっ
記念して、八月二十一日に西
地元の檀信徒に
毘沙門堂探題大僧正 戒弟396名
︻延暦寺一山・徳王院︼山口圓道師
観音寺 9月11日
︻兵庫・與樂寺︼甲斐健盛師
◆陸奥教区
親しまれてきた
曼殊院探題大僧正 戒弟253名
が、老朽化が目
JA佐久浅間ラポールさく 9 月 4 日
では、天台宗開宗千二百年を
仏教者を代表して核廃絶を訴える半田門主
師として発心会を厳修した。
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◆信越教区
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平成 17 年 10 月 1 日 土曜日
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第 31 号
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た め 描 か れ た絵
を人々に伝え る
日 吉 山 王 の 霊験
で す。 こ の ほ か
わ れ て い る よう
台の教えが顕
期・後期で展示替えをします
※絵画は、作品保護のため前
ることができるのです。
奥深さと広がりをうかがい知
なところにも、天台の教えの
信仰を集めました。このよう
祀られ、本地仏が当てられて
霊山の神々も、天台宗の寺で
重要文化財 日吉山王宮曼荼羅
図 奈良国立博物館蔵
巻 仕 立 て の 山王
いま
のでご了承下さい。
え
霊験記も見所 で
ひ
す。
こ
の社があり、町や村の鎮守と
今日も全国に日吉神社、日
が坐す神の山でした。天台僧
お お ひ え
た ち は、 両 神 を 小 比 叡 神、
して祀られています。これら
神の姿を借りて顕われた﹂と
また﹁仏が人々を救うため
の背後に描かれた神の山︵八
宮曼荼羅では、日吉大社社殿
す。奈良国立博物館蔵の山王
れ、 幽 玄 な 雰 囲 気 を 醸 し ま
す。さらに男体
してきたもので
山王の神を勧請
を守ろうと日吉
の人々の暮らし
枝神社、山王宮などという名
る神という意で﹁日吉山 王﹂ の小宇宙を絵画化した日吉山
は、中世に延暦寺が各地で寺
れ ま せ ん が、 江 戸 時 代 ま で
と尊称しました。そして平安
王曼荼羅の名品を紹介しま
領 を も っ た り、 天 台 宗 の 寺
した。
は、寺と神社が同じ境内にあ
時代末までに各地の有名な
す。山や木々のあいだに、人
院 が 活 動 し た さ い に、 地 元
ひ え さんのう
大比叡神と呼び、山を守護す
り、僧が神前でお経を読むこ
神々が勧請され、山王二十一
の姿をした神々と、その本当
今では信じられないかも知
とも珍しくありませんでし
社という神々の体系ができた
の姿とされる仏が対で描か
する本地垂迹説の考えに沿っ
王子山︶が印象的で、森厳な
展覧会では、比叡の神と仏
た。もともと神と仏はひじょ
のです。
とくに天台宗では、開宗の
て、 大 比 叡 神 が 釈 迦、 小 比
山や白山、伯耆
ほんちぶつ
な。
なんだ。いい年して、大きいケン
らムカつくさ。でも、先輩とかか
生だから、親になにか注意された
三ぐらいまでです。高校になった
スでできる分、親
からは自分のペー
重要文化財 日吉山王
曼荼羅図 百済寺蔵
かんじょう
うに近しい存在だったので
当初から神を大切に祀ってい
叡 神 が 薬 師 と い う よ う に、
大山など各地の
す。
ました。比叡山は、最澄上人
描写は﹁山川草木国土ことご
ほ ん ち すいじゃくせつ
が修行に入るよりはるかに前
とくみな成仏す﹂という天
ひ え さんのうごんげん
ほうき
二十一社に本地仏が当てられ
らない。
カしないし、イジメもしつっこく
ら﹁こんなのだけはやるなよ﹂と
まあ、俺たちだって普通の高校
やらない。絶対バレるんだ。直接
か言われたら、やっぱし考えるん
それにね、沖縄ってみんな近所 だいせん
て、日吉山王権現と呼ばれま
おおなむちのかみ
の知り合いじゃなくても、必ずど
じゃないすっか。俺、そんな先輩
たら、取り返しがつかないじゃな
らもうやらん。なにか急にバカら
に迷惑はかけられ
で今があるって感じだから。
っかでつながっているんだ。
と。親が子離れ し
親も変わるんかな、高校になる
かるじゃないですか。頭以外のど
ちゃうっていうの
すか。キレながらも、どっかで分 えが。やってどうなるの?その場
っかでさ。
かな。口には出 さ
い。俺もキレることはよくあるけ
しくなるよな。ナイチでよくある
ないっていう責任
カッとなって手が出たのも、中
ど、そこで刃物持ち出して人刺し
刃物系のトラブルは、沖縄では卑
も出てくるんか
キレたからって、そこまでいっ の感情ばっかじゃないですか。
少年犯罪?簡単なんだよな、考
さんせんそうもく こ く ど
か ら、 地 主 神 の 大 山 咋 神 と
おおやまくいのかみ
三輪山から迎えた大己貴神
ないけど、あと は
自分で何とかしな
さい、みたいな。
たりはできん。感情のままいって
怯としか思われないから、絶対や
逆にいえば、高 校
しまうのは、ガキなんじゃないっ
カット・大河内絢子「コンドル」
(アトリエ・ウーフ)
平成 17 年 10 月 1 日 土曜日 8
(第三種郵便物認可)
第 31 号
どんな不幸な人間にも、そ
れなりに﹁花の時代﹂といえ
る 時 期 が あ る の で は な い か、
と私は思う。たとえその花が
他人から見れば取るに足らな
いほどささやかな、忘れな草
であろうとタンポポであろう
と、花は花で変わりはない。
わたしの渡世日記
高峰秀子 文春文庫
た。﹁ こ の 独 楽 の お 陰 で 生
達だった女性には解りまし
したが、少女時代からの友
のある品かは解りませんで
者達にはどんな〝いわれ〟
が出てきました。遺された
にくるまれた小さな独楽
時、遺品の中から布で大切
ある老女が亡くなった
一世代前の話です。
た。真実も分りません。で
ていたとは思えませんでし
ど、奉公人の娘に心を向け
の目からも、男の子がさほ
病気で亡くなりました。誰
す。彼は程なく、養子先で
た独楽を彼女にくれたので
そ の 時、 い つ も 使 っ て い
に行くことになりました。
は次男であり、他家に養子
唯一安らぎの時でした。彼
庇ってくれ、彼といる時が
かば
きてこれたのよ﹂と打ち明
すが、貰った少女にはたっ
公に出ました。奉公先の商
い家に生まれ、幼い頃に奉
亡くなった老女は、貧し
す。
﹁独楽﹂だったのは確かで
人生を支え続けたのがこの
しょう。彼女の苦労続きの
た一つの〝花〟だったので
ま
けられたことがあったから
家には、同じ年頃の男の子
こ
です。
がいました。何かと彼女を
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