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Page 1 Page 2 関係を把握する場合や、 各地の主な碑文を検索する

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Page 1 Page 2 関係を把握する場合や、 各地の主な碑文を検索する
パ ル ミ ラ 語 碑 文 研 究1
一 予 備 作 業 一
酒
井
龍
一・
本 稿 の 目的
本 稿 は、 パ ル ミラ語 碑 文 研 究 に着 手 す る予 備 作 業 と して、先 ずパ ル ミラ遺跡 ・パ ル ミラ語 ・
ア ラム語 群 ・セ ム語 一 般 等 に関 す る手 短 か な文 献 を概 観 し、 次 に碑 文 文 字 編 年 の作 業 方 針 を
提 示 す る こ と に 目的 が あ る。
パ ル ミ ラ遺 跡
シ リ ア 砂 漠 の 中 央 に 位 置 す る パ ル ミ ラ 遺 跡 は 、 紀 元 前1∼
後3世
紀 にか けて の シ ル ク ロ ー
ド の 有 名 な 隊 商 都 市 で あ る(W.Wright1895・1987『PalmyraandZenobia」;小
1980年
『パ ル ミ ラ ー 隊 商 都 市 一 』;同1994年
玉 新 次 郎
『隊 商 都 市 パ ル
ミ ラ の 研 究 』;1.Browning
1979『Palmyra」;M.Tlass1986『ZenobieReinedePalmyre」;A.BounniandKAI-As
`ad1988『Palmyra」;(財)島
根 県 並 河 萬 里 写 真 財 団1996『
都 市 パ ル ミ ラ 』)。 同 遺 跡 で は 、 個 人 顕 彰
・墓 建 造
・墓 室 譲 渡
季 刊 文 化遺 産
・彫 像 人 名
・祈 願
創 刊号
隊 商
・感 謝
・関 税
等 、 様 々 な 碑 文(J.-B.Chabot1922『Choixd'lnscriptionsdePalmyre」;1930-1975
『lnventairedesInscriptiondePalmyreI∼X皿
rum,II」
」;1926『CorpusInscriptionumSemitica
一;D.HillersandE.Cussini1996『PalmyreneAramaicTexts』)が
現 存 あ る い
は 出 土 す る。 パ ル ミ ラ の 内 実 を 解 明 す る に は 、 遺 跡 の 発 掘 調 査 に 加 え て 碑 文 解 読 も不 可 欠 な
作 業 で あ る。
パ ル ミラの社 会 状 況
パ ル ミ ラ が 繁 栄 し た 前1∼
後3世
紀 は、 い わ ゆ る ロー マ帝 国 の時 代 に あ た る。 各 地 の碑 文
に 依 拠 し な が ら、 パ ル ミ ラ を 中 心 と す る 中 近 東 の 社 会 状 況 を 紹 介 し た の は ミ ラ ー で あ る
(F.Miller1993『TheRomanNearEast31BC-AD337』)。
向 と 、 ド ユ ラ=ユ
ロ ーマ帝 国 の 中近 東 へ の進 出 動
ー ロ ボ ス ・パ ル ミ ラ ・ア パ ー ミヤ ・ ビ ブ ロ ス ・ペ ト ラ等 、 各 地 の 主 な 都 市
遺 跡 と の 関 係 を 具 体 的 に 解 説 して い る 。 そ の 内 容 の 豊 富 さ と は 別 に 、 ア ラ ム 語 等 の 英 訳 や 、
ロ ー マ 帝 国 の 政 治 ・軍 事 ・職 階 等 に 関 す る ギ リ シ ャ語 ・ ラ テ ン語 と ア ラ ム 語 ・英 語 と の 対 照
1
関 係 を 把 握 す る場 合 や 、 各 地 の 主 な 碑 文 を 検 索 す る場 合 に も 便 利 で あ る。 巻 末 の11枚 の 地 図
に は 、 中 近 東 に お け る主 要 遺 跡 の 所 在 地 ・地 形 ・交 通 路 を 明 示 して い る。
な を 、 中 近 東 全 体 の 古 代 遺 跡 に 関 す る 基 本 文 献 と し て 、 例 え ばJ.Hassaonchiefed.
1988『CivilizationoftheAncientNearEastI∼IV』
が あ る。 そ れ は 言 語 関 係 に 関 し て
も、 セ ム 語 一 般 の 解 説(J.Huehnergard「SemiticLanguages」)を
初 め 、 各 所 に関 係 項 目
を 的 確 に 解 説 して い る。
シ ル ク ロ ー ドの パ ル ミ ラ
パ ル ミラ の 隊 商 都 市 と して 存 在 意 義 が 急 増 し た 紀 元 前 後 の シ ル ク ロ ー ドを 、 相 馬 隆 が 積 極
的 に 復 元 して い る(1982年
の イ シ ドル ス(lsidorus)に
のAlexandropolisよ
『絹 の 道 を 西 に た ど る 一一安 息 隊 商 歴 程 考 」。 同 書 は 、 ギ リ シ ア 人
よ る 『パ ル テ ィ ア 駅 停 誌 』 に 準 拠 し な が ら、 「先 ずArachosia
り 、 シ リ ア のAntioceiaま
で を主 要 幹 線 路 と して 考 察 し、 っ い で そ
れ に 伴 う諸 種 の 重 要 な 枝 脈 と も い う べ き 分 派 す る 路 程 に つ い て は 、 各 論 と し て こ れ を 考 察 す
る心 算 」 で 執 筆 し た も の 。 第9∼13章
に 、 パ ル ミラ や 中 近 東 の 諸 遺 跡 に 関 し極 め て 実 証 的 に
考 察 し て い る 。 文 章 中 に 、 ハ トラ や パ ル ミ ラ 等 の ア ラ ム 語 碑 文 を 筆 写 ・紹 介 して い る こ と は、
碑 文 研 究 の 立 場 か ら も 参 考 と な る。
な を 、 巻 末 に 前512年
か ら後460年
ま で の 詳 細 な 年 表 を 付 け て い る 。 次 の 高 階(1982年)に
よ る歴 史 年 表 と合 わ せ て 大 い に参 考 と な る。
パ ル ミラの歴 史 年 表
ア ラ ム 語 研 究 者 の 高 階 美 行 が 、 様 々 な 文 献 か ら的 確 に 情 報 を 収 集 し、 パ ル ミ ラ を 中 心 と す
る 中 近 東 の 歴 史 年 表(前18世
紀 ∼ 後687年)を
作 成 して い る(1982年
「イ ス ラ ム 以 前 の ア ラ
ブ関 係 歴 史 年 表 」(『大 阪 外 国 語 大 学 學 報58』)。 同 書 は 、 パ ル ミ ラ の 成 立 か ら消 滅 に 至 る 経 過
を、 ナ バ タイ等 を含 む周 辺 地 域 の動 向 と照 ら して理 解 す るに は極 め て便 利 で あ る。 パ ル ミラ
(タ ドモ ル)自
nsと
体 に 関 し、 前1110年
の 戦 い でTadmarを
Tadmurイ
の 「AssyriaのTiglath-PileserI、
破 る」 か ら、 後634年
西 征 し てAramaea
の 「Khalidb.al-Walid将
軍 の包囲 の後 、
ス ラ ム に 屈 す る」 ま で の 事 件 を 克 明 に 年 表 化 し て い る 。 パ ル ミ ラ の 個 々 の 事 件
に 関 して は、 小 玉 新 次 郎
『隊 商 都 市 パ ル ミ ラ の 研 究 」(1994年)が
最 も詳 細 に 解 説 して い る 。
パ ル ミ ラ語 の 初 解 読
パ ル
ミ ラ 語
の 初 解
読
は 、1754年
にJ
.-J.Barthelemy(1754「Reflexionssurl'alphabet
etsurlaLanguedontonseServaitAutrefoisaPalmyre」
『Memoiresde
1'iAcademiedesInscriptionsetBellesLettres26』)と
、J.Swinton(1754「An
2
ExplicationofalltheInscriptionsinthePalmyreneLanguageandCharacter
hithertoPublished)PhilosophicalTransactionsoftheRoyalSocietyofLondon
48-2』
が 実 現 し た(小
玉1994=一
前 出)。240年
以Lも
前 の こ とで あ る。 パ ル ミラ語 と ギ リ シ ャ
語 の ニ ケ国 語碑 文 の存 在 が 、 解 読 に有 効 で あ った。
パ ル ミ ラ 語 を 含 む 諸 語 の 初 解 読 の 一 覧 は 次 の 文 献 に あ る(P
Decipherment」
.Daniels1996「Methodsof
『TheWorld'sWritingSystems」;「ShewingofHardSentencesand
DissolvingofDoubts;TheFirstDecipherment」
Society108』)。Barthelemyは
『JournaloftheAmericanOriental
、 パ ル ミ ラ 語 と の 関 係 が 深 い フ ェ ニ キ ア 語 を1764年
く 帝 国 ア ラ ム 語 を1768年
に、 同 じ
に 解 読 の 成 功 さ せ た と い う。
パ ル ミ ラ語 の 文 法 書
1935年
に 本 格 的 な 文 法 書 が 刊 行 さ れ た(J.Cantineau1935・1987『GrammaireduPalmy
i
renlenEpigraphique』)。
同 書 で は 、 パ ル ミ ラ 語 の 文 章 ・単 語 は フ ラ ン ス 語 で 解 説 さ れ 、 パ
ル ミ ラ文 字 は ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 さ れ て い る 。 両 文 字 の 形 状 は 近 似 す る の で 、 対 照 表 は 必 要
な い 。 以 降 、 新 た な 文 法 書 は 刊 行 さ れ ず 、 今 日 で も同 書 は 重 要 な 役 割 を 担 って い る。 た だ し、
パ ル ミラ 語 の 単 語 集 は 付 載 さ れ ず 、 以 降 もパ ル ミ ラ語 辞 典 の 刊 行 は な い 。
従 っ て 、 発 掘 で 新 た な 碑 文 が 出 一Lし未 知 の 新 単 語 が 含 ま れ る 場 合 、 各 自 で 有 効 な 文 献 を 掌
握 ・入 手 し、 解 読 の 根 拠 と す る 必 要 が あ る(例
え ばHoftijzer,JongelingandBrill1995一
後 出)。 文 法 に 関 し て は 、 聖 書 関 係 の ア ラ ム 語 の 文 法 一
書(W.Stevenson1924・1991『Gram
marofPalestinianJewishAramaic」)等
で 補 え ば よ い。 ア ラ ム 語 全 般 の 解 説 書(KBeyer
1986「TheAramaicLanguage」translatedbyJ.Healey)も
あ るが 未 見 で あ る。
今 口の 碑 文研 究
碑 文 研 究 はJ.-B.Chabot(1922『Choixd'lnscriptionsdePalmyre」)の
て 特 に 活 発 に な っ た 。 以 来70年
A.Bounni他
碑 文 集 刊行 よ っ
余 、J.Cantineau、H.lngholt、J.Starcky、H.Seyrig、
が 様 々 な 研 究 を 重 ね て き た 。 今 日 の 第 一 人 者 は 、M.Gawlikowski(1973『Pal
myreV【LeTemplePalmyrenien』;1974『Recueild'lnscriptionsPalmyr6niennes』)と
J.Teixdor(1979『ThePantheonofPalmyra』)で
一 方
、 私 は 、1991年
加(1996年
か ら奈 良
あ る。
・ シ リア パ ル ミ ラ 遺 跡 学 術 調 査 団 員 と して 同 遺 跡 の 発 掘 に 参
「パ ル ミ ラ 碑 文 を 読 む 」 「季 刊
文 化 遺 産
創 刊 号 』)。 こ の 時 点 か ら 初 あ て パ ル
ミ ラ 碑 文 の 解 読 作 業 に 着 手 し 始 め た(R.Sakai1994「EightPalmyreneInscriptionsFound
intheSoutheastNecropolis」
Syria」)。
『TombsAandCSoutheastNecropolisPalmyra
そ の 解 読 例 を 紹 介 し て お く(第1図)。
3
INSCRIPTIONNO.7
ThreelinesofPalmyrenetextinserifedletterswerewrittenonalinteloftheportal
ofTombF(Fig.86).TheywerewrittenaboveInscriptionNo.8andhavepartially
wornaway.
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534(A.D.222)
第1図
《bレ ゐ
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ヨ
yearofTishriinthemonth
解 読 例(出
典R.Sakai1994)
碑文の人名辞典
既 に パ ル ミラ 碑 文 の 人 名 辞 典(J.Stark1971『PersonalNamesinPalmyreneInscript
ions』)が
刊 行 さ れ て い る。 同 書 は 、 約1130人
の 人 名 ・意 味 ・性 別 ・碑 文 番 号 ・年 代 を 、55
の 部 族 と84の 神 名 と 共 に 収 録 し た も の で 、 碑 文 中 の 人 物 の 検 索 に 極 め て 便 利 で あ る 。 同 書 で
は 、 パ ル ミ ラ文 字 は ア ル フ ァ ベ ッ トに 翻 字 さ れ 、 か っ 左 → 右 方 向 に 記 さ れ て い る 。 従 っ て 、
右 → 左 方 向 の パ ル ミラ 語 碑 文 と の 対 照、は 不 便 で あ る 。 そ こ で 便 宜 を 計 る べ く、 ス タ ー ク に よ
る 人 名 一 覧 を パ ル ミラ 文 字 に 変 換 す る 作 業 を 実 施 し た(酒
井 龍 一一1993年 「パ ル ミ ラ語 碑 文 ・
人 名 一 覧 」 『文 化 財 学 報11」)。
な お 、 ス タ ー ク に よ る 人 名 辞 典 を 援 用 し、 泉 拓 良 は 優 れ た 研 究 成 果 を 発 表 し て い る(1996
4
年 「パ ル ミラ にお け る ロ ーマ 化 の 問 題」 『季 刊 文 化 遺 産
創 刊 号 』)。1971年 以 降 に 新 た な 碑
文 も多 々 出 土 し、 この 人 名 辞典 の増 補 作 業 も不 可 欠 で あ る。
言 語 一般 の基 本 文献
古 代 言 語 一 般 に 関 す る基 本 文 献 は 多 々 あ る(亀
学 大 辞 典
第1巻
井 孝 ・河 野 六 郎 ・千 野 栄 一 編1988年
『言 語
」;Coulmas1996『EncyclopediaofWritingSystems』;Daniels
East
Semitic
(cuneiform)
Akkadian
Babylonian
Proto-Sinaitic
Assyrian
North'
Semitic
Ugaritic
Aramaic
Phoenician
South
Semitic
OldHebre
Nabataean
i
Samaritan
Thamudic
Greek
/1¥
South
Arabian
l
Sabaic
Arabic
/1\
第2図
North
Arabian
パ ル ミ ラ 語 の 位 置(出
5
典F.Coulmas1996)
Ethiopic
andBrighteds.1996『TheWorld'sWritingSystems」;ア
ン ド レ ・マ ル テ ィ ネ 編1972年
「近 代 言 語 学 体 系 一2世
界 の1-1語 』;J.デ
世 界 の 文 字 研 究 会1993年
『世 界 の 文 字 の 図 典 』;矢 島 文 夫1995年
ミ ラ 彫 像 の'1∫真)。
ュ ボ ワ 他1973年
『ラ ル ー ス 言 語 学 用 語 辞 典 」;
「人 間 と 文 字 』(表 紙 は パ ル
中 近 東 周 辺 のIif言 語 に 焦 点 を'」1て た 解 説 書(BritishMuseum1990
『ReadingthePast‐AncientWritingfromCuneiformtotheAlphabet」)が
近 、 各 章 分 冊 で 日 本 語 訳(パ
ト」(學 藝 書 林)も
あ る。 最
ル ミラ 語 の 解 説 は 、 ジ ョ ン ・ ヒ ー リー1996=『
初 期 アル フ ァベ ッ
刊行 さ れ て い る。
セ ム 語 系 統 の パ ル ミ ラ語(第2図)
パ ル ミ ラ語 は セ ム 語 系 統 に 位 置 す る 。 セ ム 語 に は 、 シ ュ メ ー ル 語 の 懊 形 文 字 を 使 う ア ッ カ
ド語 の 東 系 と、 原 シ ナ イ 文 字 系 譜 の ア ル フ ァ ベ ッ トを 使 う 西 系 が あ る 。 西 系 は 更 に 、 南 西 セ
ム 語 系 と北 西 セ ム 語 系 に 分 か れ る 。 南 西 系 に は ア ラ ビ ア 語 群 と 南 ア ラ ビ ア 語 群 が 、 北 西 系 に
は カ ナ ン語 群 と ア ラ ム 語 群 が あ る 。 パ ル ミ ラ 語 は 北 西 セ ム 語 系 に 位 置 す る 。
カ ナ ン 語 群 に は ウ ガ リ ッ ト語 ・ フ ェ ニ キ ア 語 ・古 ヘ ブ ラ イ 語 等 が 、 ア ラ ム 語 群 に は 占 典 ア
ラ ム 語 ・各 種 刻 文 語(ジ
ン ジ ル リ刻 文 他)・ ナ バ タ イ 語 ・パ ル ミ ラ 語 ・ マ ン ダ 語 ・バ ビ ロ ニ
ア タ ル ム ー ド ・ 占典 シ リア 語 が 含 ま れ る(矢
島1985年)。
カ ナ ン語 群 と ア ラ ム 語 群 の 諸 語 は 、
構 造 ・文 法 ・単 語 ・文 字 ・ア ル フ ァ ベ ッ ト等 、[Y語 的 特 徴 を 概 ね 共 有 す る の で 、 パ ル ミラ 語
研 究 に は 両 群 諸 語 の 学 習 も 必 要 と な る 。 北 西 セ ム 語 に 関 す る 辞 書(Hoftijzer,Jongeling
andBrill1995「DictionaryoftheNorth-WestSemiticInscriptions』)は
、 前1000年
∼
後300年 頃 の 一
単 語 を 綿 密 に 収 録 して い る 。
シ ュ メ ー ル 語 と襖 形 文 字
セ ム 語 の 源 流 の ア ッ カ ド語 は 非 セ ム語 で あ る シ ュ メ ー ル 語 の 襖 形 文 字 を 用 い る 。 シ ュ メ ー
ル 語 自 体 は 後 の ア ラ ム 語 や パ ル ミ ラ 語 に 脈 絡 は な い が 、 ア ッ カ ド語 の 学 習 に は シ ュ メ ー ル 語
の 学 習 も 不 可 欠 と な る。 そ の 文 法 書(M.Thomsen1984・1991『TheSumerianLanguage」)
は 懊 形 文 字 を ア ル フ ァ ベ ッ トに 翻 字 して お り 、 実 際 の 粘 土 板 等 と の 照 合 に は 別 に シ ュ メ ー ル
文 字 の 一 覧 表(例
え ば 下 記 のR.Labat1995)が
本 語 で の 解 説 は、 飯 島 紀1996年
を 求 め て 』・1997年
必 要 と な る。 シュ メ ー ル語 自体 に関 す る 日
『シ ュ メ ー ル 人 の 言 語 ・文 化 ・生 活 』 ・1997年
『シ ュ メ ー ル
『シ ュ メ ー ル 語 を 読 む 』 等 に み ら れ る。
セ ム 語 と して の ア ッ カ ド語
懊 形 文 字 を 使 う ア ッ カ ド語 は 、 ア ル フ ァベ ッ トを 使 う ア ラ ム 語 や パ ル ミ ラ語 へ と 系 譜 す る
(ア ッ カ ド語
「rabu≒ 偉 大 な 」 ・ア ラ ム 語
「rb≒ 偉 大 な 」 ・パ ル ミ ラ語 「rb'≒偉 大 な 人 ・長 ・
6
長 官 」)。 ア ッ カ ド語 は 、 古 期 ア ッ カ ド語 ・バ ビ ロ ニ ア 語 ・ア ッ シ リ ア 語 の 三 方 言 に 区 分 さ れ
る(C.Walker1990「Cuneiform」
『ReadingthePast』)。
ア ッ カ ド語 解 読 の 基 本 マ ニ ュ ア
ル(R.Labat1948・1995『Manueld'EpigraphieAkkadienne』)は
、 シ ュメール語 とア ッ
カ ド語 の 文 字 一 覧 表 ・文 字 対 照 表 ・字 形 変 遷 表 ・辞 典 ・単 語 集 等 を 完 備 して い る。
懊 形 文 字 は 手 書 き が 通 例 だ が 、 懊 形 文 字 を コ ン ピ ュ ー タ ー や ワ ー プ ロ 入 力 す る方 法 は、 次
の 文 献 に 解 説 が あ る(H.Nissen,P.DamerowandR.Kenglund1993『ArchaicBookkeeping』
1993;小
林 義 尚1987年
「ワ ー プ ロ に よ る シ ュ メ ロ ・ ア ッ カ ド懊 形 文 字 作 成 お よ び そ の 運 用
の 成 果 と 問 題 点 」 『オ リエ ン ト30-1』)。
ウ ガ リ ッ ト語 と ア ル フ ァ ベ ッ ト
シ リ ア の 地 中 海 沿 岸 の ラ ス ・シ ャ ム ラ(都
土 版 文 書 が 多 数 出 土 して い る(柴
21-1』)。
山 栄1978年
市 遺 跡 の ウ ガ リ ッ ト)か
ら、 前14∼13世
紀 の粘
「ウ ガ リ ッ ト文 書 近 接 へ の 視 点 」 『オ リ エ ン ト
こ こ で は 懊 形 文 字 に よ る30の 表 音 文 字 が 使 用(ア
ル フ ァ ベ ッ トー 覧 表 が 出 土)さ
れ 、 そ の 数 と 配 列 は ア ル フ ァベ ッ トの 北 セ ム 語 系 諸 語 と概 ね 共 通 す る。 当 然 な が ら、 ア ラ ム
語 や ヘ ブ ラ イ 語 等 と 共 通 す る 単 語 も極 め て 多 い 。 そ の 位 置 づ け は不 確 定 だ が 、 「カ ナ ン ・ア
ラ ム 両 語 派 分 岐 以 前 の 前 二 千 年 紀 の 北 西 セ ム 語 と す る説 も あ る が 、 大 勢 は 北 カ ナ ン語 説 を と
る 」(松 田1988年)と
い う。 こ う し た 問 題 に っ い て は 津 村 俊 夫 の 論 文(1976年
彙 研 究 に 対 す る ウ ガ リ ッ ト学 の 貢 献 に つ い て 」 『文 藝 言 語 研 究(言
語 篇)」)が
「ヘ ブ ル 語 語
あ る。 ウ ガ リ ッ
ト語 の 文 法 書(S.Segert1984『ABasicGrammaroftheUgariticLanguage』)で
は主
要 テ キ ス トの 検 索 も 可 能 で あ り 、 巻 末 に 簡 単 な 単 語 集 が 付 い て い る。
フェ ニ キ ア語 と フ ェ ニキ ア文 字
前10世 紀 以 前 に 出 現 した ア ラ ム 語 は 、 前18世 紀 頃 に 出 現 し た 原 シ ナ イ(原
カ ナ ン)文
字 に
由 来 す る フ ェ ニ キ ア 文 字 を 使 用 した 。 フ ェ ニ キ ア 語 は 、 前13世 紀 頃 か ら、 地 中 海 東 側 沿 岸 に
点 在 す る ビ ブ ロ ス ・テ ィ ロ ス ・ シ ド ン等 の 港 湾 都 市 を 主 体 と し、 地 中 海 沿 岸 の 広 範 囲 で 使 用
さ れ た 。 文 法 書(Z.Harris1936・1990『AGrammarofthePhoenicianLanguage」)で
は 、 フ ェ ニ キ ア 文 字 を ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 して い る 。 パ ル ミ ラ語 を 含 む ア ラ ム 語 群 や フ ェ ニ
キ ア 語 を 含 む カ ナ ン語 群 は、 ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 が 可 能 で あ る。
フ ェ ニ キ ア 文 字 の 地 域 性 と変 遷 に 関 す る 研 究(J.Peckham1968『TheDevelopmentof
theLatePhoenicianScripts』)は
、 キ プ ロ ス ・ ビ ブ ロ ス ・テ ィ ロ ス ・ シ ド ン等 の 、 前8∼
2世 紀 頃 の 文 字 集 成 を して い る。 ア ラ ム 語 の 文 字 変 遷 と の 比 較 や 、 パ ル ミ ラ文 字 の 出 現 経 過
を 掌 握 す る に 重 要 な デ ー タ と な る。 フ ェ ニ キ ア の 政 治 ・植 民 ・交 易 等 の 概 説 書 に は 、 例 え ば
M.Aubet1994『ThePhoeniciansandtheWest」
等 が あ る。
7
ア ラ ム語 と諸 区分
パ ル ミ ラ 語 は ア ラ ム 語 群(KBeyer1986『TheAramaicLanguage』translatedbyJ.
Healey‐
未 見)の
一 っ で あ る 。 ア ラ ム 語 は 時 代 的 に 、 古 代 ア ラ ム 語(前10∼8世
公 用 ・標 準 ア ラ ム 語(前7∼3世
(後3∼13世
紀)、
紀 頃)、
現 代 ア ラ ム 語(13世
中 期 ア ラ ム 語(前2∼
紀 ∼ 現 在)に
後3世
区 分 さ れ る(高
紀 頃)、
階 美 行1985年
紀)、 帝 国 ・
後 期 ア ラ ム語
「ア ラ ム 語
の 世 界 」 『ア フ ロ ア ジ ア の 民 族 と 文 化 』)。
ア ラ ム 語 の 文 献 目 録(J.FitzmyerandS.Kaufman1992『AnAramaicBibliographypart1」1992)は
、 第1巻
を
「OldAramaic(BC.900-700)・StandardorOfficial
Aramaic(BC.700-200)andBiblicalAramaic」
Aramaic(BC.200-AD.300)」
ニ エ ル書」 や
と し 、 第2巻
を
「MiddlePeriodof
に 区 分 す る 。 聖 書 ア ラ ム 語 と は 、 『旧 約 聖 書 』 に お け る
「ダ
「エ ズ ラ 記 」 等 の ア ラ ム 語 部 分 を 指 す 。
ア ラ ム語 の パ ル ミラ方 言
パ ル ミラ語 は、 帝 国 ア ラ ム語 か ら各 種 方 言 へ 分 裂 が 生 じた以 降 、 中 期 ア ラ ム 語 の 一 方 言
(パ ル ミラ方 言)で
あ る。 パ ル ミラ語 は、 「碑 文 に お い て は3人 称 女 性 複 数 完 了 形 を男 性 形 で
代 用 す る点 や 正 書 法 に、 帝 国 ア ラ ム語 の特 徴 が 残 って い る」 こ とか ら、 「前2世
紀 に帝 国 ア
ラ ムか ら変 化 した 東 ア ラ ム語 の パ ル ミラ方 言 」 と評 価 し、 以 下 の諸 点 が 帝 国 ア ラム語 の言 語
的 特 徴 とみ る(松 田1988年 一前 出)。
a
代 名 詞 や 動 詞 活 用 にお け る3人 称 女 性 複 数 形 の男 性 形 に よ る代 用
l
D
3人 称 複 数 動 詞 の 目的 格 代 名 詞 が 接 尾 形 で な く自立 形 で あ る こと
C
派 生 動 詞 の 不 定 形 がm一
を と らぬ こと
﹂G
属 格 関 係 が連 語 で は な く関 係 詞dyで
表 わ され る こ と
e
語 順 の 相 対 的 自由 さ
た だ し今 日 ま で 遺 存 す る パ ル ミ ラ語 は す べ て 、 墓 碑 ・顕 彰 碑 ・祭 碑 ・関 税 碑 等 に 極 く限 定
さ れ た も の で 、 文 学 ・手 紙 ・行 政 文 書 ・神 話 ・ 日記 ・学 術 書 等 、 現 実 感 溢 れ る も の は 皆 無 で
あ る 。 最 も長 文 の 碑 文 は 、 い わ ゆ る 「関 税 碑 文 」(小 玉1994年
ジ ュ 美 術 館 蔵)で
一前 出
ロ シ ア ・エ ル ミタ ー
あ る。
古 ア ラ ム 語 と セ フ ィ レ碑 文(第3図)
「前700年
頃 ま で の ア ラ ム 語 を 古 ア ラ ム 語 と 呼 ぶ 」(松
8
田1988一
前 出)。 そ の 代 表 は 、 前
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典M.Dupont-Sommer1958)
フ ェ ニ キ ア ・ヘ ブ ラ イ ・ ア ラ ム 文 字(出
第3図
9
750年 頃 の シ リ ア ・ セ フ ィ レ 碑 文 で あ る(A.Dupont-SommerandJ.Starcky1958『Le
InscriptionsArameennesdeSfire』;A.LemaireetJ.-M.Durand1984『LesInscriptions
iA
rameennesdesSfireetl'AssyriedeShamshi-llu』)。
富(二
1967年
国 間 条 約)で
最 も長 文(約110行)で
内 容 も豊
あ る。 巻 末 に 単 語 集 が 付 く。 日 本 で も 同 碑 文 の 解 読 は 活 発 で 、 伴 康 哉
「セ フ ィ レ碑 石 の ア ラ ム 語 」 『西 南 ア ジ ア 研 究18号
レ碑 文 に お け る神 々 の 機 能 」 『オ リ エ ン ト25--2』
』 や 、 守 屋 彰 夫1982年
「セ フ ィ
等 の 論 文 が あ る。 こ の 碑 文 に関 し、 伴 は、
「当 時 は ま だ 方 言 へ の 分 裂 は 起 こ っ て い な か っ た か ら、 い ち じ る し い 特 異 性 が 見 ら れ な い の
は当 然 の こ と とい え よ う」 と評 価 す る。
帝 国 ア ラ ム語 と エ レ フ ァ ン テ ィ ネ 文 書
帝 国 ア ラ ム 語 は 「広 大 な 地 域 の 中 で 驚 く ほ ど 均 一 な 言 語 状 態 が 保 た れ て い る 」(高
年 一 前 出)こ
し た 前5世
階1985
と が 特 徴 で あ る 。 そ の 代 表 は エ ジ プ ト ・ナ イ ル 川 の エ レ フ ァ ン テ ィ ネ 島 で 出 土
紀 の 各 種 の パ ピ ル ス 文 書(E.Cowley1923・1967『AramaicPapyrioftheFifth
CenturyB.C.」)が
あ る 。 エ ジ プ トは ア ラ ム 語 圏 か ら離 れ て い る が 、 エ ル サ レ ム の ユ ダ ヤ 人
が 移 住 し、 様 々 な ア ラ ム 語 文 書 を 残 し た 。 古 ア ラ ム 語 や 帝 国 ア ラ ム 語 は 石 碑 や 粘 十 版 等 で 、
刻 文 と して 依 存 す る こ と が 多 い が 、 筆 書 の パ ピ ル ス 文 書 に は 様 々 な 問 題 に 関 して 現 実 感 豊 か
な 表 現 を 見 る こ と が で き る 。 そ の 字 体 も草 書 体 的 な 様 相 が 強 い 。 既 に フ ェ ニ キ ア 文 字 と は 様
相 を か な り異 に す る 。
中期 ア ラム語 とナ バ タイ語
中 期 ア ラ ム 語 は 、 「ヘ レ ニ ズ ム 世 界 に あ っ て 独 自 の 文 明 を 維 持 した ユ ダ ヤ 、 北 西 ア ラ ビ ア 、
パ ル ミ ラ、 バ ビ ロ ニ ア 、 パ ル テ ィ ア で は、 ペ ル シ ャ時 代 の 帝 国 ア ラ ム 語 を 規 範 と し …
次 第 に 各 地 方 独 自 の 文 字 ア ラ ム 語 が 形 成 さ れ て い っ た 」(松 田1988年
一 前 出)こ
、
とが 基 本 的
な 特 徴 で あ る 。 例 え ば 、 パ ル ミ ラ 語 に や や 先 行 す る、 ヨ ル ダ ン ∼ 北 ア ラ ビ ア の ナ バ タ イ 語 が
あ る。 ヨ ル ダ ン の 都 市 遺 跡 ペ ト ラ や 、 北 ア ラ ビ ア の 墓 地 遺 跡 マ ダ ー イ ン ・サ リ フ(ヘ
が 有 名 で あ る。 後 者 で は 、 後1世
紀 代 の38碑
ジ ー ラ)
文 の 詳 細 な 解 読 報 告 が あ る(J.Healey1993
『TheNabataeanTombInscriptionsofMada'inSalih』)。
中 期 ア ラ ム語 の独 自性 は 、 言
語 自体 よ り独 特 な 文 字 に 表 現 さ れ て い る。 ヘ ブ ラ イ 角 文 字 に 近 い パ ル ミ ラ文 字 と違 っ て 、 ナ
バ タ イ 文 字 は い わ ば 草 書 体 で あ る 。 同 時 代 で も 様 相 は 大 い に 異 な る。 ナ バ タ イ 文 字 は ア ラ ビ
ア文字 へ と系譜 す る こ と にな る。
シ リ ア語 と の 関 係
パ ル ミ ラ語 と後 の シ リ ア 語 と の 関 係 は 極 め て 深 い(J
10
.Healey1990「TheEarlyAlphabet」
一 前 出)
。 後2世
紀 頃 に キ リス ト教 が 流 布 す る に っ れ 、 聖 書 が ア ラ ム 語 の シ リ ア 方 言 で 翻 訳
さ れ 始 め て シ リ ア 語 が 出 現 した と い う。 即 ち 、 シ リ ア 語 ≒ ア ラ ム 語 と 評 価 で き る 。 従 っ て 、
意 味 不 明 の パ ル ミ ラ 語 単 語 に 遭 遇 した 場 合 等 、 シ リ ア 語 の 単 語 に 関 す る 情 報 が 有 効 と な る 。
シ リ ア語 の 研 究 は 進 ん で お り、 本 格 的 な 辞 典 と しJ.Smith1903・1979『ACompendious
SyriacDictionary」
が あ る 。 シ リ ア 文 字 に は セ ル トー ・エ ス ト ラ ン ゲ ロ ・ ネ ス ト リ ウ ス 等
の 書 体 が あ る が 、 ヘ ブ ラ イ 角 文 字 に 近 い パ ル ミ ラ文 字 と違 っ て 、 芸 術 的 に 流 麗 な シ リ ア 文 字
に馴 染 む の に は時 間 を必 要 とす る。
「i日
約 聖 書 」 の ア ラ ム 語(第4図)
例 え ば 、TheBritishandForeignBibleSociety1991『TheHolyScripturesoftheOld
Testment」
は、 ヘ ブ ライ文 字 に よ る旧 約 聖 書 で 、 英 語 の対 訳 が あ る。 旧 約 壁 書 は、 基 本 的
に は 、 ヘ ブ ラ イ 語 ・ヘ ブ ラ イ 文 字 で 書 か れ て い る が 、 「創 世 記31:47」
10:11」 、 「エ ズ ラ 記4:8-6:18、7:12-16」
ト教 新 聞 社1971年
の2語
、 「エ レ ミヤ 書
、 「ダ ニ エ ル 書2:4-7:28」(キ
リス
『新 聖 書 大 辞 典 』)は ア ラ ム 語 ・ヘ ブ ラ イ 文 字 で 書 か れ て い る 。 初 心 者 の
私 達 に は 、 ヘ ブ ラ イ 語 部 分 と ア ラ ム 語 部 分 は 一 見 で は 区 別 し難 い 。 例 え ば 、 ア ラ ム 語 で は 関
係 詞 「DY≒
∼ の ・∼ す る と こ ろ の 」 を 非 常 に 多 用 す る が 、 ヘ ブ ラ イ 語 に は そ う し た 単 語 は
み ら れ な い。 名 詞 の 複 数 形 の 末 字 は 、 ア ラ ム 語 が 「一'」
M」
で あ る に 対 して 、 ヘ ブ ラ イ語 は 「-
で あ る。 こ う した 部 分 を 一 見 す れ ば 、 両 言語 部 分 の 区 別 が 簡 単 に で き る 。
旧 約 壁 書 の ア ラ ム 語 に 関 して 、 日本 語 文 献 で は 「旧 約 聖 書 ヘ ブ ル 語 大 辞 典 』(名 尾 耕 作
1982年)に
「ア ラ ム 語 辞 典 」 が 付載 さ れ て い る 。 旧 約 聖 書 中 の ア ラ ム 語 に は 発 音 記 号 が 記 さ
れ て お り、 大 い に 有 効 で あ る。
パ レ ス チ ナ の ア ラ ム語 文 法 書
パ レ ス チ ナ の ア ラ ム 語 に 関 す る 文 法 書 は(W
tinianJewishAramaic」)が
あ る。 同 書 は、 タ ル グ ム(ア
ナ の タ ル グ ム と ミ ッ ド ラ ッ シ ム(後4∼16世
等)の
.Stevenson1924・1991『GrammarofPales
ラ ム 語 の 翻 訳 書)や
紀 に書 か れ た聖 書 に 関 す る伝 説 や 伝 承 等 の 注 解
ア ラム語 部 分 や、 ま た新 約 聖 書 の ア ラ ム語 的 要 素 等 を学 ぶ学 生 の た め に 刊 行 され た も
の で あ る 。 各 種 方 言 を 比 較 し な が ら解 説 さ れ て い る 。 も ち ろ ん 、 「旧 約 聖 書 』 の
書」や
、 パ レス チ
「ダ ニ エ ル
「エ ズ ラ 記 」 の ア ラ ム 語 部 分 を 読 む 場 合 に も参 考 と な る 。 カ ン テ ノ ー に よ る パ ル ミ ラ
語 の 文 法 書 を補 う存 在 で もあ る。
ヘ ブ ラ イ語 と の関 係
ア ラ ム 語 と ヘ ブ ラ イ 語 の 関 係 は 強 い。 『旧 約 聖 書 』 の ヘ ブ ラ イ 語 辞 典 に は 、 先 に 紹 介 し た
11
CAP.2。
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h睾物 糊 脚 珈 曲 闘,:x7vienvx7^ti≫a3.
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嫡「蜘r「1翠 亭い,鱒 劉8脚 昌孕
、糟 ⇒門
罰塾
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鼻幽3糟rr【
麟 ⇔ 恥'闇1脚
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「自町 ㌧雛5亭鞘 牌 寧物 争「闘 費ll≒1K
㍉rr「811「
寧
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嫡曲 「聡191勲
⇒自勲 苓三
。
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「峯購 》尋・
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、
白lr闘 、
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ゆ 糊 争「餐寧幽 争ね脚 ・3,7牌6
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麟 ワ・,期坤 物
喚脚27
STt.IT・r胸
り 「脚83》 牌 ラ訪 糊
1繊 ね》 剛 励 了
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輿 ≒ψ,畑rlrhレ
尋網陰脚 河,填1,・
趣 昌㌻2臼
獅 、「⇒物 糟 脚
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ラ聯
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「勲、,、
串亭
昌2胴 壽蹄'魑
Ψ8「29
幽 環 「・,揮
糊 》・
獅 や5曝 蹄'壇
糊
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帖 牌 鴨 ゆ 脚 筑〕
か
J'唱
姻 卿8紳
・,畑 ⇒籾1か
炉 レ瞬1「 嚇、81ヨ
吻 「牌
;遡 鵬
勃r糊
、tJT:T'
マ5「8脚 糟 ≒嘘 輩伽 わ魎 脚 麟 ね趣3・
N醜
糊 ‡
殉
ゆ「癖 ⇒凄ラ自」1.,1T「
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〔・▼26,う
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、K'。 ▼・24・'rP"「
硫m・
第4図
「ダ ニ エ ル 書 」 の ア ラ ム 語 部 分(出
胴;、 ・・22・
▼。31.《m・ibi4。
典British&ForegnSociety1991)
名 尾 耕 作 の 『旧 約 聖 書
ヘ ブ ル 語 大 辞 典 」(1982年)が
あ り、 巻 末 に ア ラ ム 語 辞 典 が 付 く。
パ ル ミ ラ語 研 究 の 観 点 で は 、 ブ ラ ウ ン他 の 辞 書(F.Brown・S.DriverandC.Briggs1951
『HebrewandEnglishLexiconoftheOldTestament』)が
推 奨 で きる。 各 語 の解 説 中 に、
様 々 な 碑 文 等 か ら収 録 さ れ た パ ル ミ ラ語 を 含 む ア ラ ム 語 の 単 語 が 紹 介 さ れ て い る 。 末 尾 に は
聖 書 ア ラ ム 語 辞 典 が 付 く。 聖 書 ヘ ブ ラ イ 語 の 簡 単 な 文 法 書 に は(R.Harrison1993『Biblical
Hebrew」1993)等
が あ る。 ヘ ブ ラ イ 語 自 体 の 歴 史 を 知 る に は 、 ア ッ カ ド語 以 来 の 言 語 的 な
流 れ を 概 観 し た 文 献(A.Saenz-Badillos1993『AHistoryoftheHebrewLanguage」)が
あ り、 巻 末 の 文 献 目 録 も詳 細 で あ る 。
な を 、 ヘ ブ ラ イ 大 学 の ユ ダ ヤ 史 研 究 者 の シ ャ ム エ ル ・サ フ ラ イ は 、 『イ エ ス 時 代 の 背 景 」
(1992年)中
の 第II部 で 、 「イ エ ス 時 代 に 話 さ れ て い た 言 語 」 ・「イ エ ス 時 代 に 書 か れ て い た 言
語 」 と い う論 文 で 、 イ ス ラ エ ル の 当 時 に お け る ア ラ ム 語 の 実 情 を 紹 介 して い る。 本 文 と 原 註
に よ っ て 、 更 に 当 地 の 実 情 に 接 近 す る こ と が 可 能 で あ ろ う。
現 在 ア ラム の研 究
高 階 美 行 は 、 「現 代 ア ラ ム 語 は 、 セ ム 語 族 北 西 セ ム語 派 に 属 す る ア ラ ム 語 の 現 代 語 で あ る。
前10世 紀 ま で 遡 る 古 代 ア ラ ム 語 か ら約 三 千 年 間 中 近 東 で 主 要 な 役 割 を 果 た して き た 言 語 に お
け る 方 言 群 の 総 称 」 と定 義 す る 。 そ の 言 語 学 的 な 解 説 は 次 の 論 文 に 詳 し い(1985年
ラ ム 語 概 観(一)現
「現 代 ア
代 東 ア ラ ム 語 」 『大 阪 外 国 語 大 学 學 報71-1・2・3』;同1986年
代 ア ラ ム 語 概 観(二)現
「現
代 中 部 ア ラ ム 語 ・現 代 マ ン ダ 語 ・現 代 西 ア ラ ム語 」 『同 學 報72-1』)。
上 記 の よ う に 、 現 代 ア ラ ム 語 は 、 東 ア ラ ム 語 ・中 部 ア ラ ム 語 ・西 ア ラ ム 語 ・マ ン ダ 語 方 言
と い う四 大 グ ル ー プ に 大 別 さ れ る 。 ア ル メ ニ ア や グ ル ジ ア 地 方 に お け る 現 代 ア ラ ム 語(現
ア ッ シ リ ア 語)の
解 説 書 が あ る(佐
藤 信 夫 ・飯 島 紀1993年
『ア ッ シ リア 語(現
代
代 ア ラ ム 語)
入 門 』)。 な お 、 現 代 ア ラ ム 語 が 実 際 に 話 さ れ て い る シ リ ア の マ ル ー ラ 村 で は 、 例 え ば 、
『盈
】Jl乙.】 』IJ瓢1』(1992)と
題 す る解 説 書 を 入 手 す る こ とが で きる。
パ ル ミラ文 字 の系 譜
パ ル ミ ラ文 字 の 数 は22字 で 、 書 字 方 向 は 右 → 左 で あ る 。 語 末 形(ソ
の み に 用 い ら れ る 。 概 ね 同 時 代 の 『死 海 文 書 」(ヘ ブ ラ イ 文 字)の
フ ィ ー ト)は
「ヌ ン」
字 体 と類 似 す る。 パ ル ミ
ラ文 字 は 、 い わ ゆ る 「ア ル フ ァ ベ ッ ト」 の 系 統 に 位 置 す る(J.Healey1990一
前 出)。 前17世
紀 頃 の 原 シ ナ イ 文 字 は 前10世 紀 頃 に フ ェ ニ キ ア 文 字 と な り、 古 ア ラ ム 語 は フ ェ ニ キ ア 文 字 を
借 用 す る 。 以 降 、 時 代 と共 に フ ェ ニ キ ア 文 字 ≒ ア ラ ム 文 字 の 変 形 が 進 行 し、 最 終 的 に 前2∼
1世 紀 頃 の パ ル ミ ラ文 字 の 出 現 当 時 の 字 形 に 至 る 。 そ の 過 程 で は 「あ る 程 度 ヘ ブ ラ イ 文 字 の
影 響 を 受 け て い る」(伴1981年
一 後 出)と
評 価 さ れ る。
13
前8∼6世
紀 時 点 の 占 ア ラ ム 文 字(例
の フ ェ ニ キ ア 文 字(例
え ば セ フ ィ レ ・ハ ダ ッ ド ・キ ワ ム ラ碑 文)は
え ば ア ヒ ラ ム 石 棺 碑 文)に
、古式
直 接 的 な 系 譜 を 引 く(Dupont-Sommer
1958一 前 出)。 パ ル ミ ラ文 字 は 、 フ ェ ニ キ ア 文 字 ≒f-t_1アラ ム 文 字 の 時 間 的 ・空 間 的 変 異 形 で
あ る 。 直 前 、 即 ち 前3∼2世
紀 の 地 中 海 東 岸 の 新 フ ェ ニ キ ア 文 字(Peckham1968一
前 出)
と 比 べ る と 、 相 当 に 独 自 化 が 進 行 して い る。
フ ェ ニ キ ア 文 字 か ら シ リ ア 文 字 ま で(第5図)
ア ル フ ァ ベ ッ トの 歴 史 はJ.Naveh(1987「EarlyHistoryoftheAlphabet』)が
詳説 し
て い る 。 ま た 、 既 に 小 辻 節 三(S.Kotsuji1937『TheOriginandEvolutionoftheSemtic
Alphabets」)が70年
以Lも
前 に変 遷 表 を発 表 して い る。
伴 康 哉 は 「占 代 ア ラ ム 文 字 か らパ ル ミ ラ 文 字 ま で 」(!981年
「世 界 の 言 語
第5巻
世界
の 文 字 』)と 題 し、 フ ェ ニ キ ア 文 字 ・ 占代 南 ア ラ ビ ア 文 字 ・ 占代 ア ラ ム 文 字 ・エ レ フ ァ ンテ ィ
ネ 文 書 文 字 ・テ イ マ 文 字 ・占 代 ヘ ブ ラ イ 文 字(外
典 創 世 記)・
パ ル ミ ラ文 字 ・シ リ ア 文 字 の
3書 体 ・ナ バ タ イ 文 字 ・ネ マ ー ラ の ナ バ タ イ 文 字 等 を 紹 介 し て い る 。
様 々 な 文 字 を 紹 介 す る 基 本 文 献 を い くっ か 提 示 して お く(カ
1988年
『文 字 の 起 源 」;ジ
『世 界 の 文 字 の 図 典 』;矢
ョル ジ ュ ・ ジ ャ ン1990年
島 文 夫1995年
ー ロ イ ・ フ ェ ル デ シ=パ
ップ
『文 字 の 歴 史 」;世 界 の 文 字 研 究 会1993年
『人 間 と 文 字 」;H.Jensen1970『Sign,Symbol
andScripts;BritishMuseum1993ReadingthePastyF.Coulmas1996Encyclopedia
ofWritingSystems』);P.DanielsandWBright1996『TheWorld'sWriting
Systems)o
編 年 に関 す る現 状 認 識
こ れ ま で パ ル ミ ラ遺 跡 か ら 出 土 し た 年 代 の 明 らか な 碑 文 は 、 最 古 の も の が 前44年
る 最 新 の も の が 後274年
で あ る(小
玉1980年
一 前 出)。 時 間 幅 は3世
例 、 セ レ ウ コ ス 暦 で 表 記 さ れ る 。 同 暦 は 前312年10月
か312年
、対す
紀 強。 パ ル ミラ碑 文 は通
か ら始 ま る の で 、 碑 文 の 年 号 か ら311年
を 引 算 して 西 暦 に 換 算 す る こ と が で き る。
今 日 、 パ ル ミ ラ文 字 の 編 年 研 究 は ど の 程 度 ま で 進 行 して い る の か 。 小 玉 は 次 の よ う に 認 識
して い る。
「こ れ らの碑 文 に書 か れ て い るパ ル ミラ文 字 は、 二 世紀 の終 わ り ごろ か ら
草 書 体 が 目立 って くる。 それ はパ ル ミラの 発 展 に と もな って パ ル ミラ人 が
文 字 に も華 や か な装 飾 的 効 果 をね らった もの と思 わ れ るが 、 そ の お か げ で
文 字 が 時 代 と と もに変 化 す る過 程 が 研 究 され 、 碑 文 の 年 代 が 三 十 年 ほ どの
14
誤 差 で 明 ら か に で き る よ う に な っ た 」。
今 日 で は、 年 号 が記 さ れ て い な い碑 文 や年 号 部 分 が欠 損 して い る碑 文 で も、 そ の 文 字 形 に
よ って 「30年程 度 の誤 差 」 で年 代 が特 定 で き る とい う。 言 い換 え る と、 概 ね 「各世 紀 ・3区
分 」 で 特 定 で き る こと に な る。 そ の前 提 に は、3世 紀 間 の 時 間 幅 に対 し 「10期」 程 度 の 編 年
表 が 存 在 す る こ と を示 唆 す る。 そ の可 能 性 は、 例 え ば ル ー ブル美 術 館 が刊 行 した 『Palmyre』
(1993)と 題 す る最 新 の展 示 図 録 で も、年 代 明 記 の な い各 碑 文 に対 し、Teixidorら
が、 以 下
の よ うな各 世 紀 毎 の三 期 区分 法 を採 用 して い る こ とか ら も頷 け る。 た だ し各 世 紀 の境 目 は、
「∼世 紀 末 」・「∼世 紀 初 頭」 と区 別 され ず 、 「∼世 紀 と∼世 紀 の境 目前 後 」 と一
一括 され るの が
通 例 で あ る。
「PremieremoitieduIe.,siecleapresJ。-C.」
「Secondemoitiedur【esiecleapresJ.-C.」
「FinduI【eoudebutdu皿e.,slecleapresJ.-C.」
字体の分類名称
こ の 問 題 に 関 し て は 、M.Gawlikowskiの
iennes』)か
文 献(1974『Recueild'lnscriptionsPalmyren
ら解 説 を 抜 き 出 して お く。 こ の 分 類 名 称 は 今 日 で も 活 用 さ れ て い る 。
11m'aparunecessaired'indiquerpourchaqueinscriptionletypede1'ecriture.Puisque
1'etudedelapaleographiepalmyrenienneresteencoreafaire,malgrelaraiseaupoint
deJ.Cantineauquidatede1935etlescontributionsplusrecentes,onn'aadopteque
lesdistinctionslesplusevidentes;nosnoticesretiennentlestypessuivantsarchaique
(secondemoitieduI`rsieclea.C.),arrondi(auIersieclep.C.,maisparfoisplus
tardy,classique(dejabrise;surtoutauIlesiecle)etmaniere(tardif),ainsiquela
cursiveetsemi-cursive.Leslettressontparfoistraceesoureprisesalapeinturerouge;
cescassontsignales.Quandlinscriptionaccompagneunrelief,lestyledecelui-ciest
precisedapslamesuredupossiblelanonplus,lescriteresdedatationnesontpas
tressurs.J'aidoncadopteleclassementcommodedeH.Ingholt,etablipourlesbustes
funeraires:ITecategorierecouvrantgrossomodoleIeCsieclep.C.etlapremieremoitie
dusecond;2ecategorie:lasecondemoitie:duIlesiecle3ecategorieIeIIIesiecle.Il
vasansdirequecesdatesn'ontriend'absoluetneservirontquederepereschronologiq
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パ ル ミラ文 字編 年 表 の 有 無
で は、 実 際 の 編 年 表 はあ るの か。 手 元 の 論 文 や 報 告 書 を 概 観 す る限 り見 当 らない。む しろ、
年 号が 明 記 され る碑 文 数 例 を 手 写 し文 字 で 並 べ 置 き、 読 者 が よ く見 れ ば、 時 代 的 特 徴 を若 干
は把 握 で き る程 度 の もの が 通 例 で あ る。 だ が 、 それ らは暗 黙 に文 字 形 の変 遷 を示 唆 す る と し
て も、 正確 に は考 占学 的 な編 年 表 と は言 い難 い。
そ もそ も各 碑 文 研 究 者 は、 年 号 が 明 記 され た様 々 な碑 文 の観 察 を積 み重 ね て お り、 経 験 的
に特 定 能 力 を具 備 して い る。 従 って、 文 字 型 式 を設 定 し個 々 に型 式 名 を付 け、 ま た他 の研 究
者 一 般 が利 用 可能 な編 年 表 を提 示 せず と も、 個 々 の頭 中 に暗 黙 の編 年 表 を保 持 す れ ば よ し と
い うの が実 情 で あ る。30年 程 度 の誤 差 で特 定 が で き る とい う小 玉 の認 識 が、 彼 らの経 験 的能
力 の こ とを 言 って い るの か、 実 際 に編 年 表 と して公 表 され た論 文指 して い るの か の 明 記 はな
い。 私 自身 も捜 査 を続 け る必 要 が あ る(補 記 参 照)。
型式編年表の作成手順
考 占学 にお け る一 般 的 な 編 年 表 の 作 成 は、 以 下の よ うな 手 順 を と る。 土 器 や 石 器 等 、 通 例
の 考 古 資 料 と異 な って 、 実 際 に暦 年 が 刻 まれ る こ とが 多 い碑 文 は、 編 年 表 作 成 の根 拠 に は圧
倒 的 に恵 まれ て い る。
(1)何
か の根 拠 で 各 文 字 の形 状 を可 視 的 に 「分 類 」 す る。
(2)そ
れ ぞれ に 「型 式 名 」 を付 け る。
(3)形
の類 似 性 に よ る セ リエ ー シ ョ ンに よ り各 文 字 「系 列 」 を確 定 す る。
(4)何
らか の根 拠(主
(5)個
々 の 「型 式 変 遷 」 を把 握 す る。
(6)各
型 式 の組 合 せ に よ る 「組 成 率 」 の変 化 を把 握 す る。
(7)全
体 を総 合 した 「編 年 枠 組 」 を完 成 す る。
パ ル ミ ラ 文 字(レ
に暦 年)で 各 型 式 に 「年 代 」 を 与え る。
ー シ ュ)の
時代 的 大別
パ ル ミ ラ 文 字 形 の 変 遷 を 大 別 す る 時 、 「R(レ
ー シ ュ)の
識別点」 の有無 が チ ェ ックポ イ
ン トの 一 っ と な る こ と は 広 く知 ら れ て い る。 「古 代 ア ラ ム 語 か ら パ ル ミ ラ 文 字 ま で 」 を 著 し
た 伴 康 哉(1981年
一 前 出)に
「パ ル ミ ラ 文 字 は …
とQが
よ れ ば 、 「西 暦 後2世
互 い に 字 形 の 類 似 し た も の が 多 い 。KとB、Mと
そ の 例 で あ り 、DとRは
ら は 徐 々 にR文
紀 中 頃 」 が 目安 と い う。
も は や 区 別 で き な く な り、2世
字 の 上 に 識 別 点 が 加 え られ る よ う に な っ た 」。
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紀 の中 頃 か
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典 酒 井1995)
ユ ッ ドの字 形 変 遷 概 略(出
第6図
0322
パ ル ミ ラ 文 字(ユ
ッ ド)の 時 代 的 細 別(第6図)
パ ル ミラ文 字 形 の変 遷 を細 別 す る時 、22文 字 の 中 で 、 「ユ ッ ド」 の 形 状 が最 も重要 な チ ェ ッ
ク ポイ ン トとな る。 即 ち ユ ッ ドが 、 全 文 字 の 中 で 字 形 の 時 間 的 変 化 が最 も急 激 な の で あ る。
そ こで 、 セ レウ コ ス暦322年 か ら同576年 、 即 ち250年 間 余 の字 形 変 化 を ざ っ と提 示 して お こ
う(酒 井龍 一1995年
「パ ル ミラ碑 文 に お け る 「ユ ッ ド」 の変 遷 」 『セ ム語 碑 文 研 究 』)。
そ れ に よ る と、 当 初 は 「頂 点 が鋭 く尖 り、 直 線 的 な両 辺 は長 さが 同 じで、 下 向 き」 の字 形
か ら、途 中 の 「頂 点 は尖 るが丸 味 を帯 び、 左 辺 よ り右 辺 が長 くな り、 右 に傾 斜 す る」 字 形 を
経 て 、最 終 的 に 「全 体 が全 くの半 円形 で、 完 全 に横 向 き」 の字 形 へ と、 刻 々 と変 化 す る事 実
が 確 認 で き る。 そ の ミク ロ変 化 を把 握 して お くと、 年 号 な き碑 文 で も、 確 か に 「30年程 度 の
誤 差 」 で 年 代 が 特 定 で き る 可能 性 を示 唆 す る。 私 見 で は、 全 文 字 に 関 して資 料整 備 した場 合、
ユ ッ ドは 「10年程 度 の 誤 差」(目 標 は数 年 単位)だ が 、 他 の文 字 は変 化 が や や 緩 慢 な の で 、
「30年程 度 の誤 差 」 で年 代 が特 定 で き る もの と予 察 して い る。
補
記
本 文 中 に 提 示 し た 文 献 は 、 私 が 手 短 か に 概 観 し 多 く は 入 手 した もの で あ る 。 しか し、 実 見
して い な い 古 文 献 や 未 入 手 の 文 献 も あ る。 更 に 、 今 回 は提 示 で き て い な い 基 本 文 献(特
イ ツ 語 文 献 や フ ラ ン ス 語 文 献 等)も
に ド
極 め て 多 い 。 御 容 赦 を 願 い た い 。 そ れ ら基 本 文 献 は 、 時
間 を か け て 順 次 、 入 手 に 努 め て い く。
今 日、 パ ル ミ ラ文 字 の 考 古 学 的 研 究 は 、 オ ラ ン ダ のA.Klugist(1996「Thelmportance
ofthePalmyreneScriptforOurKnowledgeoftheDevelopmentoftheLateAramaic
Script」 『Arameans,AramaicandtheAramaicLitteraryTradition』)が
最 も熱 心 で あ
る。
謝辞
私 にパ ル ミラ遺 跡 の 発 掘 に参 加 す る機 会 を与 え て下 さ った 樋 口隆 康 ・シル ク ロー ド学 研 究
セ ン ター所 長 、 泉 拓 良 ・同 僚 か っ 奈 良 県 シ リアパ ル ミラ遺 跡 学 術 調 査 団 隊 長 、 友 人 かっ 西 藤
清 秀 ・同 副 隊 長 、 ま たパ ル ミラ語 の学 習 を心 か ら支援 して 下 さ っ た小 玉 新 次 郎 ・元 関 西 学 院
大 学 教 授 、 そ して 現 地 で の パ ル ミラ語 碑 文 を丁 寧 に御 教 示 して 下 さ ったハ レ ド=ア ル ・アサ ッ
ド ・パ ル ミラ博 物 館 館 長 の 学 恩 に対 し、文 末 な が ら深 く感 謝 の 意 を表 します 。
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