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Page 1 Page 2 関係を把握する場合や、 各地の主な碑文を検索する
パ ル ミ ラ 語 碑 文 研 究1 一 予 備 作 業 一 酒 井 龍 一・ 本 稿 の 目的 本 稿 は、 パ ル ミラ語 碑 文 研 究 に着 手 す る予 備 作 業 と して、先 ずパ ル ミラ遺跡 ・パ ル ミラ語 ・ ア ラム語 群 ・セ ム語 一 般 等 に関 す る手 短 か な文 献 を概 観 し、 次 に碑 文 文 字 編 年 の作 業 方 針 を 提 示 す る こ と に 目的 が あ る。 パ ル ミ ラ遺 跡 シ リ ア 砂 漠 の 中 央 に 位 置 す る パ ル ミ ラ 遺 跡 は 、 紀 元 前1∼ 後3世 紀 にか けて の シ ル ク ロ ー ド の 有 名 な 隊 商 都 市 で あ る(W.Wright1895・1987『PalmyraandZenobia」;小 1980年 『パ ル ミ ラ ー 隊 商 都 市 一 』;同1994年 玉 新 次 郎 『隊 商 都 市 パ ル ミ ラ の 研 究 』;1.Browning 1979『Palmyra」;M.Tlass1986『ZenobieReinedePalmyre」;A.BounniandKAI-As `ad1988『Palmyra」;(財)島 根 県 並 河 萬 里 写 真 財 団1996『 都 市 パ ル ミ ラ 』)。 同 遺 跡 で は 、 個 人 顕 彰 ・墓 建 造 ・墓 室 譲 渡 季 刊 文 化遺 産 ・彫 像 人 名 ・祈 願 創 刊号 隊 商 ・感 謝 ・関 税 等 、 様 々 な 碑 文(J.-B.Chabot1922『Choixd'lnscriptionsdePalmyre」;1930-1975 『lnventairedesInscriptiondePalmyreI∼X皿 rum,II」 」;1926『CorpusInscriptionumSemitica 一;D.HillersandE.Cussini1996『PalmyreneAramaicTexts』)が 現 存 あ る い は 出 土 す る。 パ ル ミ ラ の 内 実 を 解 明 す る に は 、 遺 跡 の 発 掘 調 査 に 加 え て 碑 文 解 読 も不 可 欠 な 作 業 で あ る。 パ ル ミラの社 会 状 況 パ ル ミ ラ が 繁 栄 し た 前1∼ 後3世 紀 は、 い わ ゆ る ロー マ帝 国 の時 代 に あ た る。 各 地 の碑 文 に 依 拠 し な が ら、 パ ル ミ ラ を 中 心 と す る 中 近 東 の 社 会 状 況 を 紹 介 し た の は ミ ラ ー で あ る (F.Miller1993『TheRomanNearEast31BC-AD337』)。 向 と 、 ド ユ ラ=ユ ロ ーマ帝 国 の 中近 東 へ の進 出 動 ー ロ ボ ス ・パ ル ミ ラ ・ア パ ー ミヤ ・ ビ ブ ロ ス ・ペ ト ラ等 、 各 地 の 主 な 都 市 遺 跡 と の 関 係 を 具 体 的 に 解 説 して い る 。 そ の 内 容 の 豊 富 さ と は 別 に 、 ア ラ ム 語 等 の 英 訳 や 、 ロ ー マ 帝 国 の 政 治 ・軍 事 ・職 階 等 に 関 す る ギ リ シ ャ語 ・ ラ テ ン語 と ア ラ ム 語 ・英 語 と の 対 照 1 関 係 を 把 握 す る場 合 や 、 各 地 の 主 な 碑 文 を 検 索 す る場 合 に も 便 利 で あ る。 巻 末 の11枚 の 地 図 に は 、 中 近 東 に お け る主 要 遺 跡 の 所 在 地 ・地 形 ・交 通 路 を 明 示 して い る。 な を 、 中 近 東 全 体 の 古 代 遺 跡 に 関 す る 基 本 文 献 と し て 、 例 え ばJ.Hassaonchiefed. 1988『CivilizationoftheAncientNearEastI∼IV』 が あ る。 そ れ は 言 語 関 係 に 関 し て も、 セ ム 語 一 般 の 解 説(J.Huehnergard「SemiticLanguages」)を 初 め 、 各 所 に関 係 項 目 を 的 確 に 解 説 して い る。 シ ル ク ロ ー ドの パ ル ミ ラ パ ル ミラ の 隊 商 都 市 と して 存 在 意 義 が 急 増 し た 紀 元 前 後 の シ ル ク ロ ー ドを 、 相 馬 隆 が 積 極 的 に 復 元 して い る(1982年 の イ シ ドル ス(lsidorus)に のAlexandropolisよ 『絹 の 道 を 西 に た ど る 一一安 息 隊 商 歴 程 考 」。 同 書 は 、 ギ リ シ ア 人 よ る 『パ ル テ ィ ア 駅 停 誌 』 に 準 拠 し な が ら、 「先 ずArachosia り 、 シ リ ア のAntioceiaま で を主 要 幹 線 路 と して 考 察 し、 っ い で そ れ に 伴 う諸 種 の 重 要 な 枝 脈 と も い う べ き 分 派 す る 路 程 に つ い て は 、 各 論 と し て こ れ を 考 察 す る心 算 」 で 執 筆 し た も の 。 第9∼13章 に 、 パ ル ミラ や 中 近 東 の 諸 遺 跡 に 関 し極 め て 実 証 的 に 考 察 し て い る 。 文 章 中 に 、 ハ トラ や パ ル ミ ラ 等 の ア ラ ム 語 碑 文 を 筆 写 ・紹 介 して い る こ と は、 碑 文 研 究 の 立 場 か ら も 参 考 と な る。 な を 、 巻 末 に 前512年 か ら後460年 ま で の 詳 細 な 年 表 を 付 け て い る 。 次 の 高 階(1982年)に よ る歴 史 年 表 と合 わ せ て 大 い に参 考 と な る。 パ ル ミラの歴 史 年 表 ア ラ ム 語 研 究 者 の 高 階 美 行 が 、 様 々 な 文 献 か ら的 確 に 情 報 を 収 集 し、 パ ル ミ ラ を 中 心 と す る 中 近 東 の 歴 史 年 表(前18世 紀 ∼ 後687年)を 作 成 して い る(1982年 「イ ス ラ ム 以 前 の ア ラ ブ関 係 歴 史 年 表 」(『大 阪 外 国 語 大 学 學 報58』)。 同 書 は 、 パ ル ミ ラ の 成 立 か ら消 滅 に 至 る 経 過 を、 ナ バ タイ等 を含 む周 辺 地 域 の動 向 と照 ら して理 解 す るに は極 め て便 利 で あ る。 パ ル ミラ (タ ドモ ル)自 nsと 体 に 関 し、 前1110年 の 戦 い でTadmarを Tadmurイ の 「AssyriaのTiglath-PileserI、 破 る」 か ら、 後634年 西 征 し てAramaea の 「Khalidb.al-Walid将 軍 の包囲 の後 、 ス ラ ム に 屈 す る」 ま で の 事 件 を 克 明 に 年 表 化 し て い る 。 パ ル ミ ラ の 個 々 の 事 件 に 関 して は、 小 玉 新 次 郎 『隊 商 都 市 パ ル ミ ラ の 研 究 」(1994年)が 最 も詳 細 に 解 説 して い る 。 パ ル ミ ラ語 の 初 解 読 パ ル ミ ラ 語 の 初 解 読 は 、1754年 にJ .-J.Barthelemy(1754「Reflexionssurl'alphabet etsurlaLanguedontonseServaitAutrefoisaPalmyre」 『Memoiresde 1'iAcademiedesInscriptionsetBellesLettres26』)と 、J.Swinton(1754「An 2 ExplicationofalltheInscriptionsinthePalmyreneLanguageandCharacter hithertoPublished)PhilosophicalTransactionsoftheRoyalSocietyofLondon 48-2』 が 実 現 し た(小 玉1994=一 前 出)。240年 以Lも 前 の こ とで あ る。 パ ル ミラ語 と ギ リ シ ャ 語 の ニ ケ国 語碑 文 の存 在 が 、 解 読 に有 効 で あ った。 パ ル ミ ラ 語 を 含 む 諸 語 の 初 解 読 の 一 覧 は 次 の 文 献 に あ る(P Decipherment」 .Daniels1996「Methodsof 『TheWorld'sWritingSystems」;「ShewingofHardSentencesand DissolvingofDoubts;TheFirstDecipherment」 Society108』)。Barthelemyは 『JournaloftheAmericanOriental 、 パ ル ミ ラ 語 と の 関 係 が 深 い フ ェ ニ キ ア 語 を1764年 く 帝 国 ア ラ ム 語 を1768年 に、 同 じ に 解 読 の 成 功 さ せ た と い う。 パ ル ミ ラ語 の 文 法 書 1935年 に 本 格 的 な 文 法 書 が 刊 行 さ れ た(J.Cantineau1935・1987『GrammaireduPalmy i renlenEpigraphique』)。 同 書 で は 、 パ ル ミ ラ 語 の 文 章 ・単 語 は フ ラ ン ス 語 で 解 説 さ れ 、 パ ル ミ ラ文 字 は ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 さ れ て い る 。 両 文 字 の 形 状 は 近 似 す る の で 、 対 照 表 は 必 要 な い 。 以 降 、 新 た な 文 法 書 は 刊 行 さ れ ず 、 今 日 で も同 書 は 重 要 な 役 割 を 担 って い る。 た だ し、 パ ル ミラ 語 の 単 語 集 は 付 載 さ れ ず 、 以 降 もパ ル ミ ラ語 辞 典 の 刊 行 は な い 。 従 っ て 、 発 掘 で 新 た な 碑 文 が 出 一Lし未 知 の 新 単 語 が 含 ま れ る 場 合 、 各 自 で 有 効 な 文 献 を 掌 握 ・入 手 し、 解 読 の 根 拠 と す る 必 要 が あ る(例 え ばHoftijzer,JongelingandBrill1995一 後 出)。 文 法 に 関 し て は 、 聖 書 関 係 の ア ラ ム 語 の 文 法 一 書(W.Stevenson1924・1991『Gram marofPalestinianJewishAramaic」)等 で 補 え ば よ い。 ア ラ ム 語 全 般 の 解 説 書(KBeyer 1986「TheAramaicLanguage」translatedbyJ.Healey)も あ るが 未 見 で あ る。 今 口の 碑 文研 究 碑 文 研 究 はJ.-B.Chabot(1922『Choixd'lnscriptionsdePalmyre」)の て 特 に 活 発 に な っ た 。 以 来70年 A.Bounni他 碑 文 集 刊行 よ っ 余 、J.Cantineau、H.lngholt、J.Starcky、H.Seyrig、 が 様 々 な 研 究 を 重 ね て き た 。 今 日 の 第 一 人 者 は 、M.Gawlikowski(1973『Pal myreV【LeTemplePalmyrenien』;1974『Recueild'lnscriptionsPalmyr6niennes』)と J.Teixdor(1979『ThePantheonofPalmyra』)で 一 方 、 私 は 、1991年 加(1996年 か ら奈 良 あ る。 ・ シ リア パ ル ミ ラ 遺 跡 学 術 調 査 団 員 と して 同 遺 跡 の 発 掘 に 参 「パ ル ミ ラ 碑 文 を 読 む 」 「季 刊 文 化 遺 産 創 刊 号 』)。 こ の 時 点 か ら 初 あ て パ ル ミ ラ 碑 文 の 解 読 作 業 に 着 手 し 始 め た(R.Sakai1994「EightPalmyreneInscriptionsFound intheSoutheastNecropolis」 Syria」)。 『TombsAandCSoutheastNecropolisPalmyra そ の 解 読 例 を 紹 介 し て お く(第1図)。 3 INSCRIPTIONNO.7 ThreelinesofPalmyrenetextinserifedletterswerewrittenonalinteloftheportal ofTombF(Fig.86).TheywerewrittenaboveInscriptionNo.8andhavepartially wornaway. ♂{」1{{yb・ ・{」1」 ゐ1へ5blb∼{・ 」3強 ゐ 曳 」[1」1へ5bl undergroundtombofthreepartsfromhalvestwoparts 訳3{{へ 二f♂ 《1」 怠 へ ♂《 ♂ 《 り 」 へ,潟 ∼へ 曳 ♂{訳bbン ゐ ヨ,、 く)(尺 BWRPAAWRLYAYWLYAcededeternalhouseofthis 曳』 へbつ{γ{く 二fy竃 く ・b」 」へ ♂{3曳 へ,ヨ 曳』 ♂{∼ へ 」 へ,ヨ 怠【 ヨ sonofAGY正Wsonofand肌YDABWRPAsonofBWLHAsonof ♂{3曳 も3♂{へ5b}bbへ 」 図 コt図 二1bヘ コ 、 く,ヨ1へ ♂{RJヘ コ theprocuratorMLKWZBDBWLsonofandZBDBWLBWLHA 曳コ へ5・{γ{く ヨ へJbb・5ヨ 」i{く・∼へ へbヘ コ 思 ヨ(1)…2 sonofAGYLWsonofMLKWsonsofandHYRNZBDBWL ⊃ 、bへ,Jlb、 く5♂{3曳 へ,ヨ 曳コ へbり 柔y曳 二fへ さb爲 toYWLYSKDLYBWRPAsonofAGYLWsonofMLKW ・」⇒b曳 コ 訳 ∼ へ 」 へ ,ヨ 曳 』bヘ コ,ゐ 曳,ヨb二 ∫ ソ り気 く,⊃ りb{く へ 訳 ・ゐ 曳,ヨ MQYsonofBW田AsonofTYBW正sonofYDYA肌AWRLYS )(b」iへ)<、{隆 曳5♂{猟bヘ ヨ く く,ヨbへ,ヨ forhimselftheirunclesonofBWLHAsonofTYBWLsonof ぺb」y・ 覧{」1ヘ メ 《{}-3・b・ 〉(へ5」 ゴ ・5,ヨbへ ・)(へ5」 ヨbq・3 foreverofintheirhonourhissonsandforsonsofandforhissons ■ ノ'〃 ゐ5bp,尺,、 『一一=⊃3-一=っy 534(A.D.222) 第1図 《bレ ゐ ∼ へ 図 つ」 ヨ yearofTishriinthemonth 解 読 例(出 典R.Sakai1994) 碑文の人名辞典 既 に パ ル ミラ 碑 文 の 人 名 辞 典(J.Stark1971『PersonalNamesinPalmyreneInscript ions』)が 刊 行 さ れ て い る。 同 書 は 、 約1130人 の 人 名 ・意 味 ・性 別 ・碑 文 番 号 ・年 代 を 、55 の 部 族 と84の 神 名 と 共 に 収 録 し た も の で 、 碑 文 中 の 人 物 の 検 索 に 極 め て 便 利 で あ る 。 同 書 で は 、 パ ル ミ ラ文 字 は ア ル フ ァ ベ ッ トに 翻 字 さ れ 、 か っ 左 → 右 方 向 に 記 さ れ て い る 。 従 っ て 、 右 → 左 方 向 の パ ル ミラ 語 碑 文 と の 対 照、は 不 便 で あ る 。 そ こ で 便 宜 を 計 る べ く、 ス タ ー ク に よ る 人 名 一 覧 を パ ル ミラ 文 字 に 変 換 す る 作 業 を 実 施 し た(酒 井 龍 一一1993年 「パ ル ミ ラ語 碑 文 ・ 人 名 一 覧 」 『文 化 財 学 報11」)。 な お 、 ス タ ー ク に よ る 人 名 辞 典 を 援 用 し、 泉 拓 良 は 優 れ た 研 究 成 果 を 発 表 し て い る(1996 4 年 「パ ル ミラ にお け る ロ ーマ 化 の 問 題」 『季 刊 文 化 遺 産 創 刊 号 』)。1971年 以 降 に 新 た な 碑 文 も多 々 出 土 し、 この 人 名 辞典 の増 補 作 業 も不 可 欠 で あ る。 言 語 一般 の基 本 文献 古 代 言 語 一 般 に 関 す る基 本 文 献 は 多 々 あ る(亀 学 大 辞 典 第1巻 井 孝 ・河 野 六 郎 ・千 野 栄 一 編1988年 『言 語 」;Coulmas1996『EncyclopediaofWritingSystems』;Daniels East Semitic (cuneiform) Akkadian Babylonian Proto-Sinaitic Assyrian North' Semitic Ugaritic Aramaic Phoenician South Semitic OldHebre Nabataean i Samaritan Thamudic Greek /1¥ South Arabian l Sabaic Arabic /1\ 第2図 North Arabian パ ル ミ ラ 語 の 位 置(出 5 典F.Coulmas1996) Ethiopic andBrighteds.1996『TheWorld'sWritingSystems」;ア ン ド レ ・マ ル テ ィ ネ 編1972年 「近 代 言 語 学 体 系 一2世 界 の1-1語 』;J.デ 世 界 の 文 字 研 究 会1993年 『世 界 の 文 字 の 図 典 』;矢 島 文 夫1995年 ミ ラ 彫 像 の'1∫真)。 ュ ボ ワ 他1973年 『ラ ル ー ス 言 語 学 用 語 辞 典 」; 「人 間 と 文 字 』(表 紙 は パ ル 中 近 東 周 辺 のIif言 語 に 焦 点 を'」1て た 解 説 書(BritishMuseum1990 『ReadingthePast‐AncientWritingfromCuneiformtotheAlphabet」)が 近 、 各 章 分 冊 で 日 本 語 訳(パ ト」(學 藝 書 林)も あ る。 最 ル ミラ 語 の 解 説 は 、 ジ ョ ン ・ ヒ ー リー1996=『 初 期 アル フ ァベ ッ 刊行 さ れ て い る。 セ ム 語 系 統 の パ ル ミ ラ語(第2図) パ ル ミ ラ語 は セ ム 語 系 統 に 位 置 す る 。 セ ム 語 に は 、 シ ュ メ ー ル 語 の 懊 形 文 字 を 使 う ア ッ カ ド語 の 東 系 と、 原 シ ナ イ 文 字 系 譜 の ア ル フ ァ ベ ッ トを 使 う 西 系 が あ る 。 西 系 は 更 に 、 南 西 セ ム 語 系 と北 西 セ ム 語 系 に 分 か れ る 。 南 西 系 に は ア ラ ビ ア 語 群 と 南 ア ラ ビ ア 語 群 が 、 北 西 系 に は カ ナ ン語 群 と ア ラ ム 語 群 が あ る 。 パ ル ミ ラ 語 は 北 西 セ ム 語 系 に 位 置 す る 。 カ ナ ン 語 群 に は ウ ガ リ ッ ト語 ・ フ ェ ニ キ ア 語 ・古 ヘ ブ ラ イ 語 等 が 、 ア ラ ム 語 群 に は 占 典 ア ラ ム 語 ・各 種 刻 文 語(ジ ン ジ ル リ刻 文 他)・ ナ バ タ イ 語 ・パ ル ミ ラ 語 ・ マ ン ダ 語 ・バ ビ ロ ニ ア タ ル ム ー ド ・ 占典 シ リア 語 が 含 ま れ る(矢 島1985年)。 カ ナ ン語 群 と ア ラ ム 語 群 の 諸 語 は 、 構 造 ・文 法 ・単 語 ・文 字 ・ア ル フ ァ ベ ッ ト等 、[Y語 的 特 徴 を 概 ね 共 有 す る の で 、 パ ル ミラ 語 研 究 に は 両 群 諸 語 の 学 習 も 必 要 と な る 。 北 西 セ ム 語 に 関 す る 辞 書(Hoftijzer,Jongeling andBrill1995「DictionaryoftheNorth-WestSemiticInscriptions』)は 、 前1000年 ∼ 後300年 頃 の 一 単 語 を 綿 密 に 収 録 して い る 。 シ ュ メ ー ル 語 と襖 形 文 字 セ ム 語 の 源 流 の ア ッ カ ド語 は 非 セ ム語 で あ る シ ュ メ ー ル 語 の 襖 形 文 字 を 用 い る 。 シ ュ メ ー ル 語 自 体 は 後 の ア ラ ム 語 や パ ル ミ ラ 語 に 脈 絡 は な い が 、 ア ッ カ ド語 の 学 習 に は シ ュ メ ー ル 語 の 学 習 も 不 可 欠 と な る。 そ の 文 法 書(M.Thomsen1984・1991『TheSumerianLanguage」) は 懊 形 文 字 を ア ル フ ァ ベ ッ トに 翻 字 して お り 、 実 際 の 粘 土 板 等 と の 照 合 に は 別 に シ ュ メ ー ル 文 字 の 一 覧 表(例 え ば 下 記 のR.Labat1995)が 本 語 で の 解 説 は、 飯 島 紀1996年 を 求 め て 』・1997年 必 要 と な る。 シュ メ ー ル語 自体 に関 す る 日 『シ ュ メ ー ル 人 の 言 語 ・文 化 ・生 活 』 ・1997年 『シ ュ メ ー ル 『シ ュ メ ー ル 語 を 読 む 』 等 に み ら れ る。 セ ム 語 と して の ア ッ カ ド語 懊 形 文 字 を 使 う ア ッ カ ド語 は 、 ア ル フ ァベ ッ トを 使 う ア ラ ム 語 や パ ル ミ ラ語 へ と 系 譜 す る (ア ッ カ ド語 「rabu≒ 偉 大 な 」 ・ア ラ ム 語 「rb≒ 偉 大 な 」 ・パ ル ミ ラ語 「rb'≒偉 大 な 人 ・長 ・ 6 長 官 」)。 ア ッ カ ド語 は 、 古 期 ア ッ カ ド語 ・バ ビ ロ ニ ア 語 ・ア ッ シ リ ア 語 の 三 方 言 に 区 分 さ れ る(C.Walker1990「Cuneiform」 『ReadingthePast』)。 ア ッ カ ド語 解 読 の 基 本 マ ニ ュ ア ル(R.Labat1948・1995『Manueld'EpigraphieAkkadienne』)は 、 シ ュメール語 とア ッ カ ド語 の 文 字 一 覧 表 ・文 字 対 照 表 ・字 形 変 遷 表 ・辞 典 ・単 語 集 等 を 完 備 して い る。 懊 形 文 字 は 手 書 き が 通 例 だ が 、 懊 形 文 字 を コ ン ピ ュ ー タ ー や ワ ー プ ロ 入 力 す る方 法 は、 次 の 文 献 に 解 説 が あ る(H.Nissen,P.DamerowandR.Kenglund1993『ArchaicBookkeeping』 1993;小 林 義 尚1987年 「ワ ー プ ロ に よ る シ ュ メ ロ ・ ア ッ カ ド懊 形 文 字 作 成 お よ び そ の 運 用 の 成 果 と 問 題 点 」 『オ リエ ン ト30-1』)。 ウ ガ リ ッ ト語 と ア ル フ ァ ベ ッ ト シ リ ア の 地 中 海 沿 岸 の ラ ス ・シ ャ ム ラ(都 土 版 文 書 が 多 数 出 土 して い る(柴 21-1』)。 山 栄1978年 市 遺 跡 の ウ ガ リ ッ ト)か ら、 前14∼13世 紀 の粘 「ウ ガ リ ッ ト文 書 近 接 へ の 視 点 」 『オ リ エ ン ト こ こ で は 懊 形 文 字 に よ る30の 表 音 文 字 が 使 用(ア ル フ ァ ベ ッ トー 覧 表 が 出 土)さ れ 、 そ の 数 と 配 列 は ア ル フ ァベ ッ トの 北 セ ム 語 系 諸 語 と概 ね 共 通 す る。 当 然 な が ら、 ア ラ ム 語 や ヘ ブ ラ イ 語 等 と 共 通 す る 単 語 も極 め て 多 い 。 そ の 位 置 づ け は不 確 定 だ が 、 「カ ナ ン ・ア ラ ム 両 語 派 分 岐 以 前 の 前 二 千 年 紀 の 北 西 セ ム 語 と す る説 も あ る が 、 大 勢 は 北 カ ナ ン語 説 を と る 」(松 田1988年)と い う。 こ う し た 問 題 に っ い て は 津 村 俊 夫 の 論 文(1976年 彙 研 究 に 対 す る ウ ガ リ ッ ト学 の 貢 献 に つ い て 」 『文 藝 言 語 研 究(言 語 篇)」)が 「ヘ ブ ル 語 語 あ る。 ウ ガ リ ッ ト語 の 文 法 書(S.Segert1984『ABasicGrammaroftheUgariticLanguage』)で は主 要 テ キ ス トの 検 索 も 可 能 で あ り 、 巻 末 に 簡 単 な 単 語 集 が 付 い て い る。 フェ ニ キ ア語 と フ ェ ニキ ア文 字 前10世 紀 以 前 に 出 現 した ア ラ ム 語 は 、 前18世 紀 頃 に 出 現 し た 原 シ ナ イ(原 カ ナ ン)文 字 に 由 来 す る フ ェ ニ キ ア 文 字 を 使 用 した 。 フ ェ ニ キ ア 語 は 、 前13世 紀 頃 か ら、 地 中 海 東 側 沿 岸 に 点 在 す る ビ ブ ロ ス ・テ ィ ロ ス ・ シ ド ン等 の 港 湾 都 市 を 主 体 と し、 地 中 海 沿 岸 の 広 範 囲 で 使 用 さ れ た 。 文 法 書(Z.Harris1936・1990『AGrammarofthePhoenicianLanguage」)で は 、 フ ェ ニ キ ア 文 字 を ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 して い る 。 パ ル ミ ラ語 を 含 む ア ラ ム 語 群 や フ ェ ニ キ ア 語 を 含 む カ ナ ン語 群 は、 ヘ ブ ラ イ 文 字 に 翻 字 が 可 能 で あ る。 フ ェ ニ キ ア 文 字 の 地 域 性 と変 遷 に 関 す る 研 究(J.Peckham1968『TheDevelopmentof theLatePhoenicianScripts』)は 、 キ プ ロ ス ・ ビ ブ ロ ス ・テ ィ ロ ス ・ シ ド ン等 の 、 前8∼ 2世 紀 頃 の 文 字 集 成 を して い る。 ア ラ ム 語 の 文 字 変 遷 と の 比 較 や 、 パ ル ミ ラ文 字 の 出 現 経 過 を 掌 握 す る に 重 要 な デ ー タ と な る。 フ ェ ニ キ ア の 政 治 ・植 民 ・交 易 等 の 概 説 書 に は 、 例 え ば M.Aubet1994『ThePhoeniciansandtheWest」 等 が あ る。 7 ア ラ ム語 と諸 区分 パ ル ミ ラ 語 は ア ラ ム 語 群(KBeyer1986『TheAramaicLanguage』translatedbyJ. Healey‐ 未 見)の 一 っ で あ る 。 ア ラ ム 語 は 時 代 的 に 、 古 代 ア ラ ム 語(前10∼8世 公 用 ・標 準 ア ラ ム 語(前7∼3世 (後3∼13世 紀)、 紀 頃)、 現 代 ア ラ ム 語(13世 中 期 ア ラ ム 語(前2∼ 紀 ∼ 現 在)に 後3世 区 分 さ れ る(高 紀 頃)、 階 美 行1985年 紀)、 帝 国 ・ 後 期 ア ラ ム語 「ア ラ ム 語 の 世 界 」 『ア フ ロ ア ジ ア の 民 族 と 文 化 』)。 ア ラ ム 語 の 文 献 目 録(J.FitzmyerandS.Kaufman1992『AnAramaicBibliographypart1」1992)は 、 第1巻 を 「OldAramaic(BC.900-700)・StandardorOfficial Aramaic(BC.700-200)andBiblicalAramaic」 Aramaic(BC.200-AD.300)」 ニ エ ル書」 や と し 、 第2巻 を 「MiddlePeriodof に 区 分 す る 。 聖 書 ア ラ ム 語 と は 、 『旧 約 聖 書 』 に お け る 「ダ 「エ ズ ラ 記 」 等 の ア ラ ム 語 部 分 を 指 す 。 ア ラ ム語 の パ ル ミラ方 言 パ ル ミラ語 は、 帝 国 ア ラ ム語 か ら各 種 方 言 へ 分 裂 が 生 じた以 降 、 中 期 ア ラ ム 語 の 一 方 言 (パ ル ミラ方 言)で あ る。 パ ル ミラ語 は、 「碑 文 に お い て は3人 称 女 性 複 数 完 了 形 を男 性 形 で 代 用 す る点 や 正 書 法 に、 帝 国 ア ラ ム語 の特 徴 が 残 って い る」 こ とか ら、 「前2世 紀 に帝 国 ア ラ ムか ら変 化 した 東 ア ラ ム語 の パ ル ミラ方 言 」 と評 価 し、 以 下 の諸 点 が 帝 国 ア ラム語 の言 語 的 特 徴 とみ る(松 田1988年 一前 出)。 a 代 名 詞 や 動 詞 活 用 にお け る3人 称 女 性 複 数 形 の男 性 形 に よ る代 用 l D 3人 称 複 数 動 詞 の 目的 格 代 名 詞 が 接 尾 形 で な く自立 形 で あ る こと C 派 生 動 詞 の 不 定 形 がm一 を と らぬ こと ﹂G 属 格 関 係 が連 語 で は な く関 係 詞dyで 表 わ され る こ と e 語 順 の 相 対 的 自由 さ た だ し今 日 ま で 遺 存 す る パ ル ミ ラ語 は す べ て 、 墓 碑 ・顕 彰 碑 ・祭 碑 ・関 税 碑 等 に 極 く限 定 さ れ た も の で 、 文 学 ・手 紙 ・行 政 文 書 ・神 話 ・ 日記 ・学 術 書 等 、 現 実 感 溢 れ る も の は 皆 無 で あ る 。 最 も長 文 の 碑 文 は 、 い わ ゆ る 「関 税 碑 文 」(小 玉1994年 ジ ュ 美 術 館 蔵)で 一前 出 ロ シ ア ・エ ル ミタ ー あ る。 古 ア ラ ム 語 と セ フ ィ レ碑 文(第3図) 「前700年 頃 ま で の ア ラ ム 語 を 古 ア ラ ム 語 と 呼 ぶ 」(松 8 田1988一 前 出)。 そ の 代 表 は 、 前 ジ @ ウ 〒 奪 臨ノ 〃 7 季 ・ ◎ ◎ フ ρ ク レ 卿 胞 艶 噌 響 ﹃ 翁 司 w 轍 が W チ 諺 シ ♪ ◎ 圓 @ ヲ 凹ー ユ ジ 乙 司 勉 グ へ 圓 o ④ W プ ヘ θ 飛 辱 翁 易 豆 W 々 図 工 / 飛 Y o ヂ / a キ w ㎞ノ ノ へ 乙 膨 曾 励 グ ◎ ク 旨 0 ク 奪 )、 工 へ 碕 碗 A へ 4 雫 画 皆 ギ タ 砂 勉 6 圓 へ 熟 多 ︽ 冊 今 O ハ ノ レ キ 手 ﹃ W X w ナ 孚 - 6覧 W ﹂ ズ 乙 届 ノ ♪ γ ② へ 禽 口 ︿ 曾 馬 9 や 午 ◎ 2 2 圓 穿 魔 夕 風 へ 〃 へ 6 珍 亀 ジ 絶 キ ㊧ 膨 工 o ク Y 吻ノ あノ 手 4 熟 宅 ソノ 6 ヲ ︽ 目 b 千 ・ 典M.Dupont-Sommer1958) フ ェ ニ キ ア ・ヘ ブ ラ イ ・ ア ラ ム 文 字(出 第3図 9 750年 頃 の シ リ ア ・ セ フ ィ レ 碑 文 で あ る(A.Dupont-SommerandJ.Starcky1958『Le InscriptionsArameennesdeSfire』;A.LemaireetJ.-M.Durand1984『LesInscriptions iA rameennesdesSfireetl'AssyriedeShamshi-llu』)。 富(二 1967年 国 間 条 約)で 最 も長 文(約110行)で 内 容 も豊 あ る。 巻 末 に 単 語 集 が 付 く。 日 本 で も 同 碑 文 の 解 読 は 活 発 で 、 伴 康 哉 「セ フ ィ レ碑 石 の ア ラ ム 語 」 『西 南 ア ジ ア 研 究18号 レ碑 文 に お け る神 々 の 機 能 」 『オ リ エ ン ト25--2』 』 や 、 守 屋 彰 夫1982年 「セ フ ィ 等 の 論 文 が あ る。 こ の 碑 文 に関 し、 伴 は、 「当 時 は ま だ 方 言 へ の 分 裂 は 起 こ っ て い な か っ た か ら、 い ち じ る し い 特 異 性 が 見 ら れ な い の は当 然 の こ と とい え よ う」 と評 価 す る。 帝 国 ア ラ ム語 と エ レ フ ァ ン テ ィ ネ 文 書 帝 国 ア ラ ム 語 は 「広 大 な 地 域 の 中 で 驚 く ほ ど 均 一 な 言 語 状 態 が 保 た れ て い る 」(高 年 一 前 出)こ し た 前5世 階1985 と が 特 徴 で あ る 。 そ の 代 表 は エ ジ プ ト ・ナ イ ル 川 の エ レ フ ァ ン テ ィ ネ 島 で 出 土 紀 の 各 種 の パ ピ ル ス 文 書(E.Cowley1923・1967『AramaicPapyrioftheFifth CenturyB.C.」)が あ る 。 エ ジ プ トは ア ラ ム 語 圏 か ら離 れ て い る が 、 エ ル サ レ ム の ユ ダ ヤ 人 が 移 住 し、 様 々 な ア ラ ム 語 文 書 を 残 し た 。 古 ア ラ ム 語 や 帝 国 ア ラ ム 語 は 石 碑 や 粘 十 版 等 で 、 刻 文 と して 依 存 す る こ と が 多 い が 、 筆 書 の パ ピ ル ス 文 書 に は 様 々 な 問 題 に 関 して 現 実 感 豊 か な 表 現 を 見 る こ と が で き る 。 そ の 字 体 も草 書 体 的 な 様 相 が 強 い 。 既 に フ ェ ニ キ ア 文 字 と は 様 相 を か な り異 に す る 。 中期 ア ラム語 とナ バ タイ語 中 期 ア ラ ム 語 は 、 「ヘ レ ニ ズ ム 世 界 に あ っ て 独 自 の 文 明 を 維 持 した ユ ダ ヤ 、 北 西 ア ラ ビ ア 、 パ ル ミ ラ、 バ ビ ロ ニ ア 、 パ ル テ ィ ア で は、 ペ ル シ ャ時 代 の 帝 国 ア ラ ム 語 を 規 範 と し … 次 第 に 各 地 方 独 自 の 文 字 ア ラ ム 語 が 形 成 さ れ て い っ た 」(松 田1988年 一 前 出)こ 、 とが 基 本 的 な 特 徴 で あ る 。 例 え ば 、 パ ル ミ ラ 語 に や や 先 行 す る、 ヨ ル ダ ン ∼ 北 ア ラ ビ ア の ナ バ タ イ 語 が あ る。 ヨ ル ダ ン の 都 市 遺 跡 ペ ト ラ や 、 北 ア ラ ビ ア の 墓 地 遺 跡 マ ダ ー イ ン ・サ リ フ(ヘ が 有 名 で あ る。 後 者 で は 、 後1世 紀 代 の38碑 ジ ー ラ) 文 の 詳 細 な 解 読 報 告 が あ る(J.Healey1993 『TheNabataeanTombInscriptionsofMada'inSalih』)。 中 期 ア ラ ム語 の独 自性 は 、 言 語 自体 よ り独 特 な 文 字 に 表 現 さ れ て い る。 ヘ ブ ラ イ 角 文 字 に 近 い パ ル ミ ラ文 字 と違 っ て 、 ナ バ タ イ 文 字 は い わ ば 草 書 体 で あ る 。 同 時 代 で も 様 相 は 大 い に 異 な る。 ナ バ タ イ 文 字 は ア ラ ビ ア文字 へ と系譜 す る こ と にな る。 シ リ ア語 と の 関 係 パ ル ミ ラ語 と後 の シ リ ア 語 と の 関 係 は 極 め て 深 い(J 10 .Healey1990「TheEarlyAlphabet」 一 前 出) 。 後2世 紀 頃 に キ リス ト教 が 流 布 す る に っ れ 、 聖 書 が ア ラ ム 語 の シ リ ア 方 言 で 翻 訳 さ れ 始 め て シ リ ア 語 が 出 現 した と い う。 即 ち 、 シ リ ア 語 ≒ ア ラ ム 語 と 評 価 で き る 。 従 っ て 、 意 味 不 明 の パ ル ミ ラ 語 単 語 に 遭 遇 した 場 合 等 、 シ リ ア 語 の 単 語 に 関 す る 情 報 が 有 効 と な る 。 シ リ ア語 の 研 究 は 進 ん で お り、 本 格 的 な 辞 典 と しJ.Smith1903・1979『ACompendious SyriacDictionary」 が あ る 。 シ リ ア 文 字 に は セ ル トー ・エ ス ト ラ ン ゲ ロ ・ ネ ス ト リ ウ ス 等 の 書 体 が あ る が 、 ヘ ブ ラ イ 角 文 字 に 近 い パ ル ミ ラ文 字 と違 っ て 、 芸 術 的 に 流 麗 な シ リ ア 文 字 に馴 染 む の に は時 間 を必 要 とす る。 「i日 約 聖 書 」 の ア ラ ム 語(第4図) 例 え ば 、TheBritishandForeignBibleSociety1991『TheHolyScripturesoftheOld Testment」 は、 ヘ ブ ライ文 字 に よ る旧 約 聖 書 で 、 英 語 の対 訳 が あ る。 旧 約 壁 書 は、 基 本 的 に は 、 ヘ ブ ラ イ 語 ・ヘ ブ ラ イ 文 字 で 書 か れ て い る が 、 「創 世 記31:47」 10:11」 、 「エ ズ ラ 記4:8-6:18、7:12-16」 ト教 新 聞 社1971年 の2語 、 「エ レ ミヤ 書 、 「ダ ニ エ ル 書2:4-7:28」(キ リス 『新 聖 書 大 辞 典 』)は ア ラ ム 語 ・ヘ ブ ラ イ 文 字 で 書 か れ て い る 。 初 心 者 の 私 達 に は 、 ヘ ブ ラ イ 語 部 分 と ア ラ ム 語 部 分 は 一 見 で は 区 別 し難 い 。 例 え ば 、 ア ラ ム 語 で は 関 係 詞 「DY≒ ∼ の ・∼ す る と こ ろ の 」 を 非 常 に 多 用 す る が 、 ヘ ブ ラ イ 語 に は そ う し た 単 語 は み ら れ な い。 名 詞 の 複 数 形 の 末 字 は 、 ア ラ ム 語 が 「一'」 M」 で あ る に 対 して 、 ヘ ブ ラ イ語 は 「- で あ る。 こ う した 部 分 を 一 見 す れ ば 、 両 言語 部 分 の 区 別 が 簡 単 に で き る 。 旧 約 壁 書 の ア ラ ム 語 に 関 して 、 日本 語 文 献 で は 「旧 約 聖 書 ヘ ブ ル 語 大 辞 典 』(名 尾 耕 作 1982年)に 「ア ラ ム 語 辞 典 」 が 付載 さ れ て い る 。 旧 約 聖 書 中 の ア ラ ム 語 に は 発 音 記 号 が 記 さ れ て お り、 大 い に 有 効 で あ る。 パ レ ス チ ナ の ア ラ ム語 文 法 書 パ レ ス チ ナ の ア ラ ム 語 に 関 す る 文 法 書 は(W tinianJewishAramaic」)が あ る。 同 書 は、 タ ル グ ム(ア ナ の タ ル グ ム と ミ ッ ド ラ ッ シ ム(後4∼16世 等)の .Stevenson1924・1991『GrammarofPales ラ ム 語 の 翻 訳 書)や 紀 に書 か れ た聖 書 に 関 す る伝 説 や 伝 承 等 の 注 解 ア ラム語 部 分 や、 ま た新 約 聖 書 の ア ラ ム語 的 要 素 等 を学 ぶ学 生 の た め に 刊 行 され た も の で あ る 。 各 種 方 言 を 比 較 し な が ら解 説 さ れ て い る 。 も ち ろ ん 、 「旧 約 聖 書 』 の 書」や 、 パ レス チ 「ダ ニ エ ル 「エ ズ ラ 記 」 の ア ラ ム 語 部 分 を 読 む 場 合 に も参 考 と な る 。 カ ン テ ノ ー に よ る パ ル ミ ラ 語 の 文 法 書 を補 う存 在 で もあ る。 ヘ ブ ラ イ語 と の関 係 ア ラ ム 語 と ヘ ブ ラ イ 語 の 関 係 は 強 い。 『旧 約 聖 書 』 の ヘ ブ ラ イ 語 辞 典 に は 、 先 に 紹 介 し た 11 CAP.2。 i20s コ リR、 」「 随 蓼・ 闇 牌 勲 「脚581,コ 脚 ゆ 脚 〉か 噛マ●8脚 亭 糊 牌門 勲 翠 「,18幽 「糊 う亭姶 勲 躍 脚 糊 、kg⊃r・ 糊 脚 月{闘 詞>21 糟 わ㍉伽 由k囎 ロコ學ll伽 自馬 脚 牌 胆 聯 吻 噸 り脚 糟r纏 嚇 糊 購22 h睾物 糊 脚 珈 曲 闘,:x7vienvx7^ti≫a3. .,.. 嫡「蜘r「1翠 亭い,鱒 劉8脚 昌孕 、糟 ⇒門 罰塾 門励 鼻幽3糟rr【 麟 ⇔ 恥'闇1脚 型亭24 脾r牌 φ 糟 伽 伽 峯 均r閲噌 地 汐5糊 ミ 鋤 「自町 ㌧雛5亭鞘 牌 寧物 争「闘 費ll≒1K ㍉rr「811「 寧 糊 雰麟 塊 さ晦 憎 物 噸 嫡曲 「聡191勲 ⇒自勲 苓三 。 軸 脚 吻 孕鵬 .r.「 「峯購 》尋・ 麟 脚 覇 圃 昌2 、 白lr闘 、 ㌧凄 「筍噛 噸 物 ゆ 糊 争「餐寧幽 争ね脚 ・3,7牌6 〔こ 聯 麟 ワ・,期坤 物 喚脚27 STt.IT・r胸 り 「脚83》 牌 ラ訪 糊 1繊 ね》 剛 励 了 ウ身lrう1摯1糊引 り 騨1'糊 ' 輿 ≒ψ,畑rlrhレ 尋網陰脚 河,填1,・ 趣 昌㌻2臼 獅 、「⇒物 糟 脚 ._..T ..1糊 ラ聯 媛コ 厚診 ツ 聯 ・ 「勲、,、 串亭 昌2胴 壽蹄'魑 Ψ8「29 幽 環 「・,揮 糊 》・ 獅 や5曝 蹄'壇 糊 ・o・8一 帖 牌 鴨 ゆ 脚 筑〕 か J'唱 姻 卿8紳 ・,畑 ⇒籾1か 炉 レ瞬1「 嚇、81ヨ 吻 「牌 ;遡 鵬 勃r糊 、tJT:T' マ5「8脚 糟 ≒嘘 輩伽 わ魎 脚 麟 ね趣3・ N醜 糊 ‡ 殉 ゆ「癖 ⇒凄ラ自」1.,1T「 ・ 闘 コrll昌 り32 罰 Ψ 鵠「 御m▼ ・29・ 蝉 〔・▼26,う ⊇ヒ 、K'。 ▼・24・'rP"「 硫m・ 第4図 「ダ ニ エ ル 書 」 の ア ラ ム 語 部 分(出 胴;、 ・・22・ ▼。31.《m・ibi4。 典British&ForegnSociety1991) 名 尾 耕 作 の 『旧 約 聖 書 ヘ ブ ル 語 大 辞 典 」(1982年)が あ り、 巻 末 に ア ラ ム 語 辞 典 が 付 く。 パ ル ミ ラ語 研 究 の 観 点 で は 、 ブ ラ ウ ン他 の 辞 書(F.Brown・S.DriverandC.Briggs1951 『HebrewandEnglishLexiconoftheOldTestament』)が 推 奨 で きる。 各 語 の解 説 中 に、 様 々 な 碑 文 等 か ら収 録 さ れ た パ ル ミ ラ語 を 含 む ア ラ ム 語 の 単 語 が 紹 介 さ れ て い る 。 末 尾 に は 聖 書 ア ラ ム 語 辞 典 が 付 く。 聖 書 ヘ ブ ラ イ 語 の 簡 単 な 文 法 書 に は(R.Harrison1993『Biblical Hebrew」1993)等 が あ る。 ヘ ブ ラ イ 語 自 体 の 歴 史 を 知 る に は 、 ア ッ カ ド語 以 来 の 言 語 的 な 流 れ を 概 観 し た 文 献(A.Saenz-Badillos1993『AHistoryoftheHebrewLanguage」)が あ り、 巻 末 の 文 献 目 録 も詳 細 で あ る 。 な を 、 ヘ ブ ラ イ 大 学 の ユ ダ ヤ 史 研 究 者 の シ ャ ム エ ル ・サ フ ラ イ は 、 『イ エ ス 時 代 の 背 景 」 (1992年)中 の 第II部 で 、 「イ エ ス 時 代 に 話 さ れ て い た 言 語 」 ・「イ エ ス 時 代 に 書 か れ て い た 言 語 」 と い う論 文 で 、 イ ス ラ エ ル の 当 時 に お け る ア ラ ム 語 の 実 情 を 紹 介 して い る。 本 文 と 原 註 に よ っ て 、 更 に 当 地 の 実 情 に 接 近 す る こ と が 可 能 で あ ろ う。 現 在 ア ラム の研 究 高 階 美 行 は 、 「現 代 ア ラ ム 語 は 、 セ ム 語 族 北 西 セ ム語 派 に 属 す る ア ラ ム 語 の 現 代 語 で あ る。 前10世 紀 ま で 遡 る 古 代 ア ラ ム 語 か ら約 三 千 年 間 中 近 東 で 主 要 な 役 割 を 果 た して き た 言 語 に お け る 方 言 群 の 総 称 」 と定 義 す る 。 そ の 言 語 学 的 な 解 説 は 次 の 論 文 に 詳 し い(1985年 ラ ム 語 概 観(一)現 「現 代 ア 代 東 ア ラ ム 語 」 『大 阪 外 国 語 大 学 學 報71-1・2・3』;同1986年 代 ア ラ ム 語 概 観(二)現 「現 代 中 部 ア ラ ム 語 ・現 代 マ ン ダ 語 ・現 代 西 ア ラ ム語 」 『同 學 報72-1』)。 上 記 の よ う に 、 現 代 ア ラ ム 語 は 、 東 ア ラ ム 語 ・中 部 ア ラ ム 語 ・西 ア ラ ム 語 ・マ ン ダ 語 方 言 と い う四 大 グ ル ー プ に 大 別 さ れ る 。 ア ル メ ニ ア や グ ル ジ ア 地 方 に お け る 現 代 ア ラ ム 語(現 ア ッ シ リ ア 語)の 解 説 書 が あ る(佐 藤 信 夫 ・飯 島 紀1993年 『ア ッ シ リア 語(現 代 代 ア ラ ム 語) 入 門 』)。 な お 、 現 代 ア ラ ム 語 が 実 際 に 話 さ れ て い る シ リ ア の マ ル ー ラ 村 で は 、 例 え ば 、 『盈 】Jl乙.】 』IJ瓢1』(1992)と 題 す る解 説 書 を 入 手 す る こ とが で きる。 パ ル ミラ文 字 の系 譜 パ ル ミ ラ文 字 の 数 は22字 で 、 書 字 方 向 は 右 → 左 で あ る 。 語 末 形(ソ の み に 用 い ら れ る 。 概 ね 同 時 代 の 『死 海 文 書 」(ヘ ブ ラ イ 文 字)の フ ィ ー ト)は 「ヌ ン」 字 体 と類 似 す る。 パ ル ミ ラ文 字 は 、 い わ ゆ る 「ア ル フ ァ ベ ッ ト」 の 系 統 に 位 置 す る(J.Healey1990一 前 出)。 前17世 紀 頃 の 原 シ ナ イ 文 字 は 前10世 紀 頃 に フ ェ ニ キ ア 文 字 と な り、 古 ア ラ ム 語 は フ ェ ニ キ ア 文 字 を 借 用 す る 。 以 降 、 時 代 と共 に フ ェ ニ キ ア 文 字 ≒ ア ラ ム 文 字 の 変 形 が 進 行 し、 最 終 的 に 前2∼ 1世 紀 頃 の パ ル ミ ラ文 字 の 出 現 当 時 の 字 形 に 至 る 。 そ の 過 程 で は 「あ る 程 度 ヘ ブ ラ イ 文 字 の 影 響 を 受 け て い る」(伴1981年 一 後 出)と 評 価 さ れ る。 13 前8∼6世 紀 時 点 の 占 ア ラ ム 文 字(例 の フ ェ ニ キ ア 文 字(例 え ば セ フ ィ レ ・ハ ダ ッ ド ・キ ワ ム ラ碑 文)は え ば ア ヒ ラ ム 石 棺 碑 文)に 、古式 直 接 的 な 系 譜 を 引 く(Dupont-Sommer 1958一 前 出)。 パ ル ミ ラ文 字 は 、 フ ェ ニ キ ア 文 字 ≒f-t_1アラ ム 文 字 の 時 間 的 ・空 間 的 変 異 形 で あ る 。 直 前 、 即 ち 前3∼2世 紀 の 地 中 海 東 岸 の 新 フ ェ ニ キ ア 文 字(Peckham1968一 前 出) と 比 べ る と 、 相 当 に 独 自 化 が 進 行 して い る。 フ ェ ニ キ ア 文 字 か ら シ リ ア 文 字 ま で(第5図) ア ル フ ァ ベ ッ トの 歴 史 はJ.Naveh(1987「EarlyHistoryoftheAlphabet』)が 詳説 し て い る 。 ま た 、 既 に 小 辻 節 三(S.Kotsuji1937『TheOriginandEvolutionoftheSemtic Alphabets」)が70年 以Lも 前 に変 遷 表 を発 表 して い る。 伴 康 哉 は 「占 代 ア ラ ム 文 字 か らパ ル ミ ラ 文 字 ま で 」(!981年 「世 界 の 言 語 第5巻 世界 の 文 字 』)と 題 し、 フ ェ ニ キ ア 文 字 ・ 占代 南 ア ラ ビ ア 文 字 ・ 占代 ア ラ ム 文 字 ・エ レ フ ァ ンテ ィ ネ 文 書 文 字 ・テ イ マ 文 字 ・占 代 ヘ ブ ラ イ 文 字(外 典 創 世 記)・ パ ル ミ ラ文 字 ・シ リ ア 文 字 の 3書 体 ・ナ バ タ イ 文 字 ・ネ マ ー ラ の ナ バ タ イ 文 字 等 を 紹 介 し て い る 。 様 々 な 文 字 を 紹 介 す る 基 本 文 献 を い くっ か 提 示 して お く(カ 1988年 『文 字 の 起 源 」;ジ 『世 界 の 文 字 の 図 典 』;矢 ョル ジ ュ ・ ジ ャ ン1990年 島 文 夫1995年 ー ロ イ ・ フ ェ ル デ シ=パ ップ 『文 字 の 歴 史 」;世 界 の 文 字 研 究 会1993年 『人 間 と 文 字 」;H.Jensen1970『Sign,Symbol andScripts;BritishMuseum1993ReadingthePastyF.Coulmas1996Encyclopedia ofWritingSystems』);P.DanielsandWBright1996『TheWorld'sWriting Systems)o 編 年 に関 す る現 状 認 識 こ れ ま で パ ル ミ ラ遺 跡 か ら 出 土 し た 年 代 の 明 らか な 碑 文 は 、 最 古 の も の が 前44年 る 最 新 の も の が 後274年 で あ る(小 玉1980年 一 前 出)。 時 間 幅 は3世 例 、 セ レ ウ コ ス 暦 で 表 記 さ れ る 。 同 暦 は 前312年10月 か312年 、対す 紀 強。 パ ル ミラ碑 文 は通 か ら始 ま る の で 、 碑 文 の 年 号 か ら311年 を 引 算 して 西 暦 に 換 算 す る こ と が で き る。 今 日 、 パ ル ミ ラ文 字 の 編 年 研 究 は ど の 程 度 ま で 進 行 して い る の か 。 小 玉 は 次 の よ う に 認 識 して い る。 「こ れ らの碑 文 に書 か れ て い るパ ル ミラ文 字 は、 二 世紀 の終 わ り ごろ か ら 草 書 体 が 目立 って くる。 それ はパ ル ミラの 発 展 に と もな って パ ル ミラ人 が 文 字 に も華 や か な装 飾 的 効 果 をね らった もの と思 わ れ るが 、 そ の お か げ で 文 字 が 時 代 と と もに変 化 す る過 程 が 研 究 され 、 碑 文 の 年 代 が 三 十 年 ほ どの 14 誤 差 で 明 ら か に で き る よ う に な っ た 」。 今 日 で は、 年 号 が記 さ れ て い な い碑 文 や年 号 部 分 が欠 損 して い る碑 文 で も、 そ の 文 字 形 に よ って 「30年程 度 の誤 差 」 で年 代 が特 定 で き る とい う。 言 い換 え る と、 概 ね 「各世 紀 ・3区 分 」 で 特 定 で き る こと に な る。 そ の前 提 に は、3世 紀 間 の 時 間 幅 に対 し 「10期」 程 度 の 編 年 表 が 存 在 す る こ と を示 唆 す る。 そ の可 能 性 は、 例 え ば ル ー ブル美 術 館 が刊 行 した 『Palmyre』 (1993)と 題 す る最 新 の展 示 図 録 で も、年 代 明 記 の な い各 碑 文 に対 し、Teixidorら が、 以 下 の よ うな各 世 紀 毎 の三 期 区分 法 を採 用 して い る こ とか ら も頷 け る。 た だ し各 世 紀 の境 目 は、 「∼世 紀 末 」・「∼世 紀 初 頭」 と区 別 され ず 、 「∼世 紀 と∼世 紀 の境 目前 後 」 と一 一括 され るの が 通 例 で あ る。 「PremieremoitieduIe.,siecleapresJ。-C.」 「Secondemoitiedur【esiecleapresJ.-C.」 「FinduI【eoudebutdu皿e.,slecleapresJ.-C.」 字体の分類名称 こ の 問 題 に 関 し て は 、M.Gawlikowskiの iennes』)か 文 献(1974『Recueild'lnscriptionsPalmyren ら解 説 を 抜 き 出 して お く。 こ の 分 類 名 称 は 今 日 で も 活 用 さ れ て い る 。 11m'aparunecessaired'indiquerpourchaqueinscriptionletypede1'ecriture.Puisque 1'etudedelapaleographiepalmyrenienneresteencoreafaire,malgrelaraiseaupoint deJ.Cantineauquidatede1935etlescontributionsplusrecentes,onn'aadopteque lesdistinctionslesplusevidentes;nosnoticesretiennentlestypessuivantsarchaique (secondemoitieduI`rsieclea.C.),arrondi(auIersieclep.C.,maisparfoisplus tardy,classique(dejabrise;surtoutauIlesiecle)etmaniere(tardif),ainsiquela cursiveetsemi-cursive.Leslettressontparfoistraceesoureprisesalapeinturerouge; cescassontsignales.Quandlinscriptionaccompagneunrelief,lestyledecelui-ciest precisedapslamesuredupossiblelanonplus,lescriteresdedatationnesontpas tressurs.J'aidoncadopteleclassementcommodedeH.Ingholt,etablipourlesbustes funeraires:ITecategorierecouvrantgrossomodoleIeCsieclep.C.etlapremieremoitie dusecond;2ecategorie:lasecondemoitie:duIlesiecle3ecategorieIeIIIesiecle.Il vasansdirequecesdatesn'ontriend'absoluetneservirontquederepereschronologiq ues. 15 鱗庶 ぺ 訓 " 一 ∼ 雀 } 噸 ζ ≦ } ー 噸 州 a--a, 一 J 、△ 一 、 峠 へ へ一 ・ ヘー 一 一 = 卸 寮 蘇 λ 3 ス ︻ ユ 1一 τ = 一 蕊 ユ. コ+化 数G 一 志・ ー 一 一 ゆ 綜 1 一一{嬉 握 s. ・ Y+{黛:0 6、 II二 . ﹀ り 一 ⑦ 一 一 ε ・-」-C フ ェ ニ キ ア 文 字 か ら シ リ ア 文 字 へ の 字 形 変 遷(出 16 こ 玄 一 一 6 一 「 上 ♂ 一 6 レ じ θ㎏ σ ハ b 第5図 覗{ n ニ { 遭 ゆ 伽 み qω toS..rw一 ' 一 日(・){含 Qn りτ丁 ㍗ " ノ聴 /研 } ー ・{S 7r 9二2 典S.Kotsuji1937) ⊃ り ≦ 、 一 ⇒ ) 一 へ ' ⊃ ) 鱒 9 一 ン 一 } ﹂ の置 h託 レ 一二 一 ⋮ フ 一 ク 一 争 伍η { 多 耀 ら \[ ﹂ 一 一Σ ヘ !﹁ { 一 ZJ 一 o 力 一 ぜ い ∼ 七 距 凶 勘 ー し / 一 ﹀ 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い。 私 自身 も捜 査 を続 け る必 要 が あ る(補 記 参 照)。 型式編年表の作成手順 考 占学 にお け る一 般 的 な 編 年 表 の 作 成 は、 以 下の よ うな 手 順 を と る。 土 器 や 石 器 等 、 通 例 の 考 古 資 料 と異 な って 、 実 際 に暦 年 が 刻 まれ る こ とが 多 い碑 文 は、 編 年 表 作 成 の根 拠 に は圧 倒 的 に恵 まれ て い る。 (1)何 か の根 拠 で 各 文 字 の形 状 を可 視 的 に 「分 類 」 す る。 (2)そ れ ぞれ に 「型 式 名 」 を付 け る。 (3)形 の類 似 性 に よ る セ リエ ー シ ョ ンに よ り各 文 字 「系 列 」 を確 定 す る。 (4)何 らか の根 拠(主 (5)個 々 の 「型 式 変 遷 」 を把 握 す る。 (6)各 型 式 の組 合 せ に よ る 「組 成 率 」 の変 化 を把 握 す る。 (7)全 体 を総 合 した 「編 年 枠 組 」 を完 成 す る。 パ ル ミ ラ 文 字(レ に暦 年)で 各 型 式 に 「年 代 」 を 与え る。 ー シ ュ)の 時代 的 大別 パ ル ミ ラ 文 字 形 の 変 遷 を 大 別 す る 時 、 「R(レ ー シ ュ)の 識別点」 の有無 が チ ェ ックポ イ ン トの 一 っ と な る こ と は 広 く知 ら れ て い る。 「古 代 ア ラ ム 語 か ら パ ル ミ ラ 文 字 ま で 」 を 著 し た 伴 康 哉(1981年 一 前 出)に 「パ ル ミ ラ 文 字 は … とQが よ れ ば 、 「西 暦 後2世 互 い に 字 形 の 類 似 し た も の が 多 い 。KとB、Mと そ の 例 で あ り 、DとRは ら は 徐 々 にR文 紀 中 頃 」 が 目安 と い う。 も は や 区 別 で き な く な り、2世 字 の 上 に 識 別 点 が 加 え られ る よ う に な っ た 」。 18 紀 の中 頃 か 371 ︽ ( ( ( 405 ( 378 . ( 375 420 ( ︽ ^ 420 421 440 458 500 へ リ ︽ ' り 534 551 569 0575 ,塾 , , ,. ⊃ , , } (セレウコス暦) 、 9 ,. 昏 , う う , , ⊃ 、 O , , 含 も , う 553 ⑰ う ▲ ﹂ ﹂ ﹂ ( ( へ ( ヘ へ ︽ ︽ ( 6 り ,う O 塾 ) う ( ( 4 ︽ -( ︽ ( ︽ へ ︽ ( , 塾 園♂ 塾 ﹂ ﹂亀 ﹂ ( ヘ へ ( ( ( 亀 ( ( へ ( ,も も ゴ 診 , ( ( (( ( ( ︽ ︽ ( の り ( ︽ ^( ( (6 ( ︽ (( ( ( ( へ 336 ( ( ( ( ( ( の ( ︽ 殉 ︽ う nづO ① 趨欝 轟 驚灘 曜 鮒● 弓ま . ㎞ G・∴ ●, 塁 卸 激 . 5砥 、 羨 ・ ・、 , わ 蟹 竃瀞 蝋 嚢 膨 . ・・9 巳 ・9・覧・ ・ 燭 9撫 薯 ㍗ ∼^ 咄﹁ 鰐・ 薮 ・ 画 馨 置爺 獲難 聴豚 藩 鰺 典 酒 井1995) ユ ッ ドの字 形 変 遷 概 略(出 第6図 0322 パ ル ミ ラ 文 字(ユ ッ ド)の 時 代 的 細 別(第6図) パ ル ミラ文 字 形 の変 遷 を細 別 す る時 、22文 字 の 中 で 、 「ユ ッ ド」 の 形 状 が最 も重要 な チ ェ ッ ク ポイ ン トとな る。 即 ち ユ ッ ドが 、 全 文 字 の 中 で 字 形 の 時 間 的 変 化 が最 も急 激 な の で あ る。 そ こで 、 セ レウ コ ス暦322年 か ら同576年 、 即 ち250年 間 余 の字 形 変 化 を ざ っ と提 示 して お こ う(酒 井龍 一1995年 「パ ル ミラ碑 文 に お け る 「ユ ッ ド」 の変 遷 」 『セ ム語 碑 文 研 究 』)。 そ れ に よ る と、 当 初 は 「頂 点 が鋭 く尖 り、 直 線 的 な両 辺 は長 さが 同 じで、 下 向 き」 の字 形 か ら、途 中 の 「頂 点 は尖 るが丸 味 を帯 び、 左 辺 よ り右 辺 が長 くな り、 右 に傾 斜 す る」 字 形 を 経 て 、最 終 的 に 「全 体 が全 くの半 円形 で、 完 全 に横 向 き」 の字 形 へ と、 刻 々 と変 化 す る事 実 が 確 認 で き る。 そ の ミク ロ変 化 を把 握 して お くと、 年 号 な き碑 文 で も、 確 か に 「30年程 度 の 誤 差 」 で 年 代 が 特 定 で き る 可能 性 を示 唆 す る。 私 見 で は、 全 文 字 に 関 して資 料整 備 した場 合、 ユ ッ ドは 「10年程 度 の 誤 差」(目 標 は数 年 単位)だ が 、 他 の文 字 は変 化 が や や 緩 慢 な の で 、 「30年程 度 の誤 差 」 で年 代 が特 定 で き る もの と予 察 して い る。 補 記 本 文 中 に 提 示 し た 文 献 は 、 私 が 手 短 か に 概 観 し 多 く は 入 手 した もの で あ る 。 しか し、 実 見 して い な い 古 文 献 や 未 入 手 の 文 献 も あ る。 更 に 、 今 回 は提 示 で き て い な い 基 本 文 献(特 イ ツ 語 文 献 や フ ラ ン ス 語 文 献 等)も に ド 極 め て 多 い 。 御 容 赦 を 願 い た い 。 そ れ ら基 本 文 献 は 、 時 間 を か け て 順 次 、 入 手 に 努 め て い く。 今 日、 パ ル ミ ラ文 字 の 考 古 学 的 研 究 は 、 オ ラ ン ダ のA.Klugist(1996「Thelmportance ofthePalmyreneScriptforOurKnowledgeoftheDevelopmentoftheLateAramaic Script」 『Arameans,AramaicandtheAramaicLitteraryTradition』)が 最 も熱 心 で あ る。 謝辞 私 にパ ル ミラ遺 跡 の 発 掘 に参 加 す る機 会 を与 え て下 さ った 樋 口隆 康 ・シル ク ロー ド学 研 究 セ ン ター所 長 、 泉 拓 良 ・同 僚 か っ 奈 良 県 シ リアパ ル ミラ遺 跡 学 術 調 査 団 隊 長 、 友 人 かっ 西 藤 清 秀 ・同 副 隊 長 、 ま たパ ル ミラ語 の学 習 を心 か ら支援 して 下 さ っ た小 玉 新 次 郎 ・元 関 西 学 院 大 学 教 授 、 そ して 現 地 で の パ ル ミラ語 碑 文 を丁 寧 に御 教 示 して 下 さ ったハ レ ド=ア ル ・アサ ッ ド ・パ ル ミラ博 物 館 館 長 の 学 恩 に対 し、文 末 な が ら深 く感 謝 の 意 を表 します 。 20