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ついに来た来た ホンジュラス!(11)
-1- ついに来た来た ホンジュラス!(11) 12月20日 〈やっと分かった泥水行水の意味〉 12月も下旬になっているのに、あいかわらず毎日猛暑続きだ。 Tシャツがしぼれるほどベトベトに汗をかく。またソナゲラは全地域未舗装なので、晴れた日には埃にま みれ、雨の日には泥にまみれる。それだけ汚れるのだから、行水で汗と泥を落とすことは、私にとって3度 のご飯よりもはずせない大切なことだ。 しかしあいかわらず、水をためている大きなバケツの底が見えないくらいの、濁った水での行水である。 バケツの底に何が住んでいるのか分からないが、知らない方が幸せだろう。しかし、それでも水があるだけ 快適だ。彼らは欧米人のように、行水は「朝」行う。「ミヨはどうして夜、体を洗うんだ?」と不思議がられ るが、やっぱり私は日本人なのか、その日の汚れは夜に落としてさっぱりしないとベッドに横になる気がし ない。 同じ所に住んでいても、私は虫にかまれて彼らはかまれない。彼らと私の虫に対する抵抗力の差。これは 彼らがその土地で幼児からその虫に刺され、それが媒介する病気に煩わされ、生き残った人たちの遺伝子を 継いでいる。その抵抗力をもっているからだ、と思ってきた。この抵抗力は、もちろん1年や2年でできあ がった免疫ではなく、先祖代々伝わるものだから、私は欲しくてもどうしようもない。しかしそれだけでは なく、この行水の仕方にも意味があることが、最近分かってきた。 行水の時、初めの頃は私は家族みんなの分の水も残しておかなければと思って大切に使っていた。だが、 彼らは「大切に使う」などという感覚がなく、無計画にバサバサ使うのでいい加減どうにかしてくれと思う くらい節約のない使い方だ。しかし、その水も毎日は減らない。生活を見ていると、彼らは私のように毎日 は行水していないのだ。うちのママは子どもに「体を洗いなさい。汚いから。」とよく言っているが、実際彼 女もあまり行水していない。そして、誰も行水に石けんを使っていないのだ。 -2- JICAがくれた「途上国と健康」という本を何となく見ていて、ハッとした。そこに『皮膚が汚れてい ると、皮膚そのものの細菌に対する抵抗力が低下し、皮膚病にかかりやすくなる。しかし石けんを頻繁に使 用すると、皮膚の防御に役立つ油脂分がとれすぎる難点がある』とあったのだ。 石けんなどを使用することなく水浴する習慣が、ここで生活するにおいて真に理にかなったものだったと は驚きだった。 私も彼らに続こうと、石けんなしで行水をして みた。しかし行水の後も汗が流れていないベトベ ト感が続いて、スッキリしなかった。やっぱり私 は今さら石けんなしの行水は慣れない。しかし、 「この汚れた水での行水は、透き通った水での行 水よりも、ここで住むのにはいいのかもしれな い 。」そうと思うと、ますますこの泥水がありが たくなってきた。 ところが、この国の社会科1年生の国定教科書を見ていて「あれ?」と思ったことがある。そこには『学 校へ行く前には、毎朝石けんできれいに体を洗いましょう。』と書かれてある。一見すれば石けんで体を洗う のは清潔なことのように思える。だが、以上のことを考えると、この教科書のように彼らも石けんを使うよ うになったら、いずれ私のように環境に適応しない皮膚になってしまうと思う。難しいな、と思う。 〈本能のダンスバー〉 家族やこちらの人に誘われて、一緒にダンスバーに行く。日本人が「今夜飲みに行こう!」というのと同 じような感覚で、彼らは「今夜踊りに行こう!」という感覚なのだ。若い人から年輩のご老人まで、みんな ・ ・ ・ ・ ・ 踊ることがとても大好きだ。「ミヨ。ダンスはホンジュラスの伝統文化だ。」と誘ってくれる。最近はクリス マスシーズンなので、ますますこのダンスバーへ行く回数が増えている。 -3平日は夜の8時半頃になると各家庭では寝る用意をし始めて、9時には寝てしまっている。そんな彼らの 生活パターンだが、月2回くらい週末の夜はちょっと違う。夕方から胸元の大きく開いたセクシーなドレス や、飾りのたくさんついたジーパンなどのおしゃれな服を楽しそうに着る。そして1時間くらいかけて、ビ ックリするくらい、くっきりと化粧をする。香水も一㍍離れていても分かるくらいプンプンつける。そして 9時頃から、みんなで近くのダンスバーへ行くのだ。 うちの一族は、私にもセクシードレスと高いヒールのサンダルを貸してくれ、香水もたくさんつけてくれ る。きつい香水で目が痛くなるほどだが、でもその気持ちがありがたい。 「ミヨ、そこへ座って!」と言って、 私にも同じように恐いくらいのくっきり化粧をしてくれる。親切なうちの一族だ。 そのダンスバー。入場料は30レンピと、必ずしも安くはない。中にはいると、真ん中にコンクリートの 広場があって、周りにはテーブルと椅子が置かれている。前の方では4・5人のグループの人たちが生演奏 していて、ボーカルもちゃんといる。テープではなくて生演奏だということにちょっと感動した。しかし、 ただでさえ音楽の音は大きいホンジュラス人。ここでは、ますます大きな音の演奏だ。 明かりは数個のライトがあるだけなので、かなり暗い。(まあ、健康的な明るさのあるダンスバーも変だと は思うが)しかしこの暗さでは、さっきのせっかくの念入り化粧は見えないのではないかと、思ってしまっ た。 また、みんなとてもダンスがうまい。見とれるくらいの上手なセクシーダンスをしている。しかし曲によ って様々な踊り方があるようだが、そのダンスがまたまたすごい。同じホンジュラスでもサンタルシアなど のテグシ周辺と、この北部ではダンスもかなり違っている。 男性は一曲終わると次の曲を一緒に踊るために、椅子に座っている女性を誘いに行く。そして女性の手を 取り、踊る広場へ彼女を導く。私には全部同じような感じの曲に聞こえるのだが、曲によってステップや踊 り方が少しずつ違っていて、それもちゃんと聞き分けて女性をリードして踊る。 曲によってその男女の距離に多少の違いがあるものの、ダンスには共通点がある。男性リード、細かい腰 のふり、性を感じさせる表現の、この3点だ。女性もうまいが、リードする男性達は特にうまい。このダン スをどこで覚えるのだろう?とにかくうまい。昔話の『こぶとりじいさん』のように、ここでは踊りがうま -4いと、ひとつ身を助けることになるのかな、と思った。しかし、私も彼女たちのようなセクシーダンスをマ スターしたいと思い、真似をして腰を振って踊っていると、すぐにお腹が痛くなるのだから情けない。 また曲によっては「あんなに抱きついていて、奥さんにしかられないのかな?」というくらい、ひしと抱 き合うものもある。また単に抱き合うだけではなく、手の動きや腰のふりが何とも言えないドキドキするよ うな踊り方もある。どうしてもこれらのダンスからは、情熱的に踊れば踊っているペアになるほど、激しい 性的なエロイズムを感じてしまう。 私はダンスは楽しいので好きなのだが、あまりにも露骨な表現のダンスになると、ちょっと躊躇してしま う。 しかも夜とはいえこの暑さ。そしてあまり行水しない習慣。それらが重なって汗と熱さの臭いはすごい。 そのうえ抱き合って踊る。あのきつい香水はこのためだったのかと、納得してしまう。 また露出度の高い服を着ていると、家族は何ともないのに私だけは虫の餌食になっている。私の刺されよ うを見て、家族もビックリしていた。「香水類は蚊の吸血活動欲を刺激する。」と駒ヶ根訓練所でも習った。 そのためか、香水をつけてのダンスバーでは、いつもに増してよけいに刺される。 石けんにしても、香水にしても、セクシードレスにしても、近代文明的な「おしゃれ」を求めることは、 どんどん人間本来持っている抵抗力や、自然体での生活から遠ざかっていくことなんだと、つくづく思って しまう。 そして一曲終わると、男性は何とも優しく女性の手を取って、彼女を椅子まで案内する。 その男女ペアは毎回決まっているわけではないが、夫婦で踊ったり、仲間同士の男女で踊ったりする以外 に、男性はお目当ての女性がいると毎回彼女を誘いに行く。数人の男性に誘われた女性はどうするのかと見 ていると、別に臆することもなく「あなたはイヤ。」と言葉だけではなく顔の表情までハッキリと表して断っ て、踊りたい人と踊る。断られた方も、あっさりとやめて違う女性を誘いに行く。 -5ここの大っぴらな男女感覚や、複数の恋人感覚、また複雑な家族関係ができあがる価値観の背景には、性 的に解放された(ちょっと表現が大げさかな?)このダンスを見ていると、なるほど自然なことだと、納得 してしまう。 またダンスバーでは、日常生活以上に『本能のままに生きる』彼らの姿を見る。 それは、ここではたびたびケンカが起こるのだ。例えば抱き合って踊っているとき、肩が違うペアにぶつ かる。「あ、失礼。」ですませばいいものを、ぶつかったのが男性同士だと「何をするんだ!」ということに なって、押し合い、そして殴り合いのケンカになる。私は子どものケンカは学校で見たことはあっても、大 人の男性が本気で殴り合いのケンカをしている姿を、今まで日本で見たことがなかった。だからそのケンカ のパワーをすぐそばで見て、見慣れるまではとても怖かった。 ケンカが激しくなると、別の男性達が入ってきてケンカを止める。しかし素手でのケンカとはいえ、お互 い大の大人。そのころにはお互い口を切っていたり、この暗い中でも見えるくらいどこかから血を出してい たりしている。私は初めの頃はケンカの度に、もうダンスバーなんてこりごりだと思った。 性的なダンスにしても、またすぐおこるケンカにしても、どうしてこんなに彼らは「本能」の表現が露骨 なのだろう。「理性」によって「本能」が隠されていない。これがラテンのノリというものだろうか。 そんなラテンダンスは、夜中の2時頃まで続く。 〈和して同ぜず?〉 12月初めのテグシでの出張の期間のことである。私が次にテグシに上がるのは2ヶ月後なので、必要な お金を東京三菱銀行から下ろしておこうと思った。 東京三菱銀行のニューヨーク支店に開設している私の口座が、日本とつながっている唯一の口座だ。そこ からは小切手で下ろすことになっている。そのためには事前に換金屋に電話をして、「○○ドル(またはレン ピ)下ろしたいので、○日に持ってきて欲しい。」とお願いする。多額の現金が移動する換金には、危険が伴 -6う。だから、換金は何十にも警備されたJICA事務所内で行うことになっている。だからテグシでないと お金が出せない。 事務所は、信用のある指定された換金屋だけが出入りできるようになっている。私はドルで下ろしたかっ たので、下ろしたい金額と日にちをお願いして、換金屋の方も「分かった。」という返事だった。換金屋が来 てくれる時間も大体約束して(約束した時間から後1・2時間は遅れるのがホンジュラス時間では当然なの で、その辺りは頭に入れておいて)おいた。 約束の日は次の日だったので、私は事務所へ仕事を持っていってしながら待っていた。しかし、約束の時 間を3時間ほど過ぎても換金屋は来ない。電話をすると「今日は行けない。」という。 「なら、明日は来れる?」 と聞くと「分かった。明日行く。」と言う。新たに時間の約束をして、電話を切った。 その次の日。またも私は事務所へ仕事を持っていってしながら待っていた。しかし時間を過ぎても今日も 来ない。電話をすると「今日も行けなくなった。明日は行ける。」と言うので、少し疑心暗鬼になりながらも、 次に日に約束をした。 また次の日。そろそろ任地での仕事もあるので、帰らないといけないのになぁと思いつつ、換金屋を待つ ために事務所へ行った。しかし、またもや今日も約束の時間を過ぎても来ない。電話をしてみると「今日も 行けなくなった。」と言うではないか。しかも彼は、今頃になって「ドルの持ち合わせがない。」と言う。(ド ルは強いために、人々はレンピよりもドルを欲しがる。換金屋がもしも持っていても、手放したくない場合 もある。) 次第にこの状況が、私の許容範囲を越えてきているのが自分でも分かった。「ないのならないと、どうして 初めに言わないんだ?この私の3日間は何なんだ?」 しかしホンジュラスでは、この出来事は決して珍しいことではない。毎日こんなことばかり経験する。そ の度に『学習』とは、まさにこんなときのためにある言葉ではないかと思う。 またラ・セイバの町でのこと。露店で「バリアーダ」という、ホンジュラスの日常食を売っていた。(前回 -7写真で紹介させてもらった食べ物です)バリアーダはトルティージャというものに、フリホーレスとケソと いう物を包んで食べる。私が買おうとしたら、前の人まででちょうど中にはさむフリホーレがなくなってし まった。露店のおばちゃんは「後5分待って。家から持ってくるから。」と私に言った。私は5分くらいなら と、そこで待っていた。 しかし、おばちゃんはフリホーレスを取りに家に帰るわけでもなく、椅子に座ってその近くのおばちゃん 達と世間話を始めた。私は「どうなってるんだろ?」と思って「取りに帰らないの?」と、彼女に聞くと「取 りに帰るよ。でも5分待ってね。」と言う。「?」と思いながらも、会話を聞いているとスペイン語の練習に もなるしと思って、私は30分くらい話に入りながら待った。でも、彼女は世間話をやめない。 いつもこうなんだよなぁ。と思いつつ私は30分後「もう5分経ったよ。」と、また言った。彼女は「そう かな?じゃあと30分待って。」と言う。 もう、だめだ。この30分は、多分3時間くらいのことだろう。 ソナゲラでのこと。いつもよく道で会う人が「ミヨの家に行きたい。明日の日曜日、昼過ぎに行くね。ミ ヨ家にいてね。」というので、約束通り次の日家で待っていた。しかし、夜になっても彼女は結局来なかった。 先生方とのことでも同じようなことがある。いつも算数の講習会に来てくれている先生方に、「明日の朝8 時に、学校でパーティをするから来て。」と誘われた。いつもの講習会の受講メンバーで、食事会をするらし い。その後、数人の先生にも同じように誘われたので、パーティーは本当にあるらしい、信じようと思った。 他の先生にも時間をしっかり確認するが、人によって2・3時間の違いがある。適当な時間を把握して、で も多少時間はずれるなと思いつつ、誘ってくれたことに感謝していた。 私も何か持っていこうと思って、小麦粉と塩を買ってきてうどんを作って用意しておいた。 そして、次の日うどんを持って8時に行くとやっぱり誰もいない。11時過ぎになって帰ろうとしている と、道でパーティーメンバーの先生に会った。今日の食事会のことを聞くと、彼はあっさり「ああ、1週間 後に変わったんだよ。」と言う。 1週間後、食事会は予定時間より4時間くらい遅れて始まった。 -8また、同じくソナゲラでのこと。この町で知り合ったホンジュラス人と、デジカメで写真を撮った。彼女 が写真をとても早く欲しがっていたので、「分かった。プリントアウトしてプレゼントするよ。」と私は約束 した。彼女は「今日欲しい。夕食後6時にセントロの教会前で待ち合わせしよう。写真を持ってきて。」と言 うので、私はそれを約束した。 「ずいぶん急がされるなぁ。」と私は思ったが、そんなに写真を楽しみにしているのなら。と、写真を手に 喜んでくれている彼女の様子を思い浮かべながら、急いでプリントアウトした。(ちなみに、ここの人たちは 一生に一度か2度くらいしか写真に写る機会がない。カメラを持っていないので、町にある写真館へ行って、 高い値段で撮ってもらう。しかも学校を卒業したときや何かの記念の時など、特別の記念日にしか写真には 写らない。だから、彼女も写真のできあがりが楽しみなんだろうな、と思っていた。)そして私は写真を持っ て、 「多分、遅れて来るだろうな。」とは思いながらも、一応約束の時間の6時に教会前で彼女を待っていた。 12月の午後6時は、いくら緯度15度のホンジュラスでも、もう真っ暗だ。家族や職場の同僚から「暗 くなってからは、一人で歩くと危ない。」と忠告されていたので、私はこんな真っ暗な時間に、ソナゲラ市内 を一人で歩いたことは今まで一度もなかった。少々怖かったが、彼女との約束があるので我慢して、待って いた。 しかし。・・・8時近くになっても彼女は来ない。 やっぱりか・・・。と失望しながら、とても怖い思いをしながら、一人で真っ暗な道をトボトボと歩いて 帰った。 次の日、彼女が働いているお店へ約束の写真を持って行った。彼女は笑顔で出てきて「6時というと暗い でしょ。危ないから行かなかったの。」と平気で言う。「6時が暗いのは最初から分かってるじゃないか。待 っていた私の気持ちを察してくれよ。」と言いそうになったが、やめた。 文化の違いをつつくような議論を、ここでしても始まらない。こんな出来事は、挙げればきりがないほど 毎日のように起こる。しかし彼らは悪気があって、約束を守らないのではない。それが「普通」「当たり前」 だと思っているのだ。だからそれで戸惑っている私の心境なんて、察すれるわけがない。そのたびに「信じ た私がバカだった。」と学習するしかない。 またこの「約束に対するいい加減さ」にも、共通することかもしれないが、彼らはよく「責任感のない発 -9言」をする。乗客にバスの料金を聞いても、いい加減に答える。出発時間を聞いても、適当に答える。道を 聞いても適当。これほど人に言われたことがいい加減な社会で生活するのは、生まれて始めての経験だ。知 らないのなら「分からない。」「知らない。」と言えばいいのに、いい加減なことを言うから、知らない私の方 は信じてしまう。 でも、そんな彼らも、たまに正しいときもある。一体、どれが真実でどれがいい加減なことなのか、聞き 分けるのはまだ私には難しい。またこの「無責任な発言」も、彼らにとって悪気があってしていることでは ないのだ。私の方も、人に対してはいつも誠実でありたいと思う。しかし、そうであればあるほど傷つく。 私は(N0.9「日本文化紹介を」のところでも書かせてもらいましたが)「ホンジュラス人が約束を守ら なくても、私は日本人としてしっかり守って生きていこう。」と心の柱にもって、ここで生活してきた。それ が私の日本人としての一つの誇りだし、そういった感覚を失わないことが、再び日本で生きていくための切 符だと思ってきた。 また今年の7月頃に出された国際教育協力懇談会・最終報告の中にも言われている「『日本人の心』が見え る協力の推進」という言葉の「日本人の心」の意味。いい言葉だなぁ、と思って私の記憶に残っている。こ の「日本人の心」も、精神的な文化を伝えることの一つではないかと、私なりに解釈していた。 しかし、これほど約束や時間を守っても裏切られる。言われたことはいい加減。そんなことが当たり前の 社会では、その生き方を守ることは相当の覚悟が必要だということ、それがやっと分かってきた。 だいたい、彼らの話の9割は適当なことを言っていると思って聞いて丁度いい。そういった出来事から、 次第に安易に人を信じなくなってしまっている私がいる。 しかし、私は何のためにここへ来たのか。文化の違いを、自分が経験するだけで終わらせていいのだろう か。社会生活を営む上の常識として、彼らに「約束」と「時間」と「自分の発言への責任」に対する考え方 を、考え直してもらわなくてもいいのだろうかと思う。しかしそれよりも私は今、日本ではなくホンジュラ スに住んでいるのだから、私が周りに合わせる「ふり」をして生きていくしかないのだろうか。そんな、君 子でもないのに偉そうに言わせてもらえば「和して同ぜず」というところだろう。 - 10 - また一方、人は環境をつくり、環境は人をつくっているのだから、彼らがそうした生き方をしているには それなりの理由があるのかもしれないとも思う。だから私はもっとこの国を良く知らないと、安易なことは 言えないのかもしれないが。 〈察する文化 と 自己主張の文化〉 私が今まで、がどれだけ「察する」文化の中で生きてきたのかを、この「シー(イエス)・ノー」社会の中 で生きていると実感する。 食事のとき、「これは好きか?」と聞かれ、「う∼ん。ちょっと・・・」って言う返事なら、普通日本では 「あ、あまり好きじゃないな。」と察してくれる。でも、明らかに「嫌い。」と言わなければここでは通じな い。でもそんなハッキリとしたいい方をするのは作ってくれた人に悪いな、と思ってしまう。 ダンスバーに行って、もう帰りたくて「何時になったら帰るの?」「もう疲れたよ。」なんて言ってても、 相手は「ミヨは帰りたいと思っているな。」なんて察してはくれない。 今年の秋になって、北朝鮮がやっと認めた日本人拉致事件の事を家族に話していると、 「だったら日本人は、 北朝鮮が嫌いのか?憎んでいるのか?」とハッキリ聞いてくる。心の中に複雑な感情をもっていても、ハッ キリと口にしないのが日本人だろう。 お手伝いさんがうちの家をモップがけしていて、たまたま私の部屋のドアが開いていた。彼女は親切に「つ いでに、ミヨの部屋も拭いておこうか?」と言ってくれた。私は嬉しかったのだが、「え!でもいいの?」な んていう、遠慮気味な返事をしたので、彼女は「ミヨは拭いて欲しくないんだ。」と解釈した。 「嬉しいけど、 明らかに嬉しい!なんていう返事をするのは、どうかな。手間をかけさせてちょっと悪いかな。」なんていう、 遠慮は実は嬉しいという、彼らにとって複雑なこの感情は理解されない。 - 11 職場で仕事の話でちょっと立て込んでいるとき、外からやってきた人が「やあ!ミヨ!元気か?」と調子 よく話を始める。「もう少し『場』を読んでよ。」と思うのだが、これも迷惑なときはハッキリ言わないと通 じない。 また算数の講習会でのこと。机間巡視をしながら、画用紙を切るという簡単な作業だったので遅れ気味の 先生を私も手伝った。彼女は私がやってくれているのを見ると、何も言わずニコリとして残りの画用紙を全 部私に渡して、自分は横を向いておしゃべりを始めた。私は何も言わずに手伝い始めたのだが、それには「大 丈夫?ちょっと遅れ気味だから手伝うよ。だからあなたも頑張ってしようよ。」という意味が込められていた。 彼女は私のそんな気持ちを察するわけもなく「ミヨがやってくれているから、休んでいいのね。」と直接にと らえたのだろう。 誤解なくコミニュケーションを成立させるには、きちんと自分の思っていることを表現しなければならな い。自分の思ったこと、感じたことを素直に相手に表現すれはいいのだが、一見簡単そうに見えるがこれが なかなかできない。今まで以心伝心の文化の中で育ってきて、その感覚が身に付いている。 以心伝心のコミニュケーションに慣れていた社会から、ハッキリと物事を発言しなければ意志の疎通がで きない社会にくるというのは、これほど違和感の多いことか。彼らのように、臆することなく自己主張でき れば、なんて楽なんだろうかと思う。しかしハッキリ言わなくても、「察して」欲しいというのが私の甘いと ころだろうか。「甘え」と表裏一体にあるのが「察する」という対応なのかもしれないとも思う。 この「察する」文化の背景を考えてみると、島国日本は異民族からの侵略の危機にさらされることも少な く、同民族間だけの交流ですまされていた。そのため、「あうんの呼吸」で意志疎通ができる社会が形成され たということか。また農耕型民族だったため、自己主張を押さえ「和」尊重することが、ムラを守るために 欠かせないことだったためか。中国の儒教思想の影響も大きいだろう。しかし日本人のハッキリ言わないと ころには、相手の厚意を傷つけまいとする配慮が隠されているのだが・・・。 しかしここで生きていくためには、嫌いな物は「嫌い。」帰りたいときは「帰りたい。」、他人の親切は「ぜ ひお願い。」または「いや、やめて欲しい。」とハッキリと自己主張することが大切だ。 - 12 だが、 「察する」 「以心伝心」の文化は日本人が生来持っている美徳の一つ。それらを失うことが「国際人」 になることとは思えない。違う社会の特質を知った上で、その土地に合った表現をする。国際化とは、一見 逆のようだが国や民族への「個性化」ではないかと思う。 〈うちの息子 と アムロの共通するもの〉 彼らの様子を見ていると、日本人以上に「男女の差の 意識」を感じる。 スペイン語という言語からして、男女差がはっきり分 かれている。例えば全ての「物」には男女の性別がある のだ。物の名前を言う時には、物の単数と複数を分ける だけではなく、男性名詞と女性名詞に合った定冠詞や不 定冠詞を、その名詞の前に付けなくてはいけない。ちな みに「机」は女性で「お皿」は男性 。「机のどこが女性 で、お皿のどこが男性なんだよ?」と思ってしまうが、これも決まりなので覚えるしかない。しかし、日本 にはない感覚だ。 そしてここの人々の、異性を誇大意識しているというのか何というのか、「愛(男女の)」に対する熱烈さ にはすごいものを感じる。 ・ ・ ・ ・ ・ ソナゲラの道で通りすがりに男性に会っただけでも、彼は挨拶としてうつろな目(何とも表現たっぷりの 雰囲気の目)をして投げキスをしてくる。その投げキス挨拶は、若い人や年輩の人など、年齢によっての大 きな違いはないが、年輩の男性ほどこの投げキス挨拶は多いような気がする。(以前は「チーノ」と呼ばれる ことが多かったのに、今はチーノ呼ばわりは影をひそめている。)こんな状況は、日本ではちょっと想像でき ない。 初めて会ったのに「僕は生まれる前から君を愛していた。」「君は僕の人生全てだ。」「君の全てが水のよう に僕の体にしみわたる。」などと、私にしたら「何言ってんだ」と思うようなセリフを言いながら、手を握っ てじっと目を見つめてくる。しかし、会ってふた言目にこんなセリフを言うのは、こちらの社交辞令のよう - 13 なものだな、と私は一歩退いて見てしまう。でも、本音と建て前のない世界に生きるここの女性達は、本気 で嬉しいようだ。こちら中南米の音楽は、歌の歌詞でも「男女愛」に関する激しい表現が多い。ラテンのノ リの、「男女愛」の激しさを実感する。 また、とにかく男性は女性に親切だ。 バスの中で、男性が座っていて女性がそのそばで立っているなんていう風景はまず見ない。男性は立って いる女性を見ると、当たり前のようにすぐに席を譲る。しかし譲られた女性も、「ありがとう。」とも一言も 言わずに、これまた当たり前のようにその席に座る。 ドアを通るときには、男性は必ず先に開けて彼女を通すが、それも女性は当たり前のようにしている。 その究極は、ダンスバーでの男性の言動にある。それは女性を座席に誘いに行くときから始まり、彼女を 座席へ送りに行く最後まで表れている。 うちの家族の12歳の息子は、いとこの自分より小さな男の子達に「男は泣いてはいけないんだぞ。」と、 事あるごとに話しいる。日本でも、初代ガンダムのエンディング曲に『アムロ 男は涙を 見せぬもの』と あったので、私も小さい頃に「へぇ、男の子は泣いちゃいけないいんだ。」っと思っていた。だからうちの家 族の息子のそんな様子を見ると、 「日本とは遠く離れたここでも、男の子の涙に対する感じ方は同じなんだな。」 と思い、興味深かった。そこには国や民族を越えて、人間として共通する男女観があるのだろう。 しかし、上記の激しい表現の男女観や、レディーファースト的な価値観は、日本とはちょっと違う。人間 として共通するものではないとしたら、文化の中で意図的に創られたものだろう。創られたか、外から入っ てきて、それが違和感なく受け入れられる性質のものだった、ということだろう。 よく考えると、ここの習慣は隅々まで欧米に似ている。コロンブス一行のスペイン人が、中米の地に足を 踏み入れてから約500年。それ以前の、またそれによって滅亡した、マヤ文明やアステカ、インカ帝国の での習慣は、この中米のどこへ行ってしまったのか?調べてみるのも興味深い。 - 14 - 〈風邪にはコカコーラ〉 ソナゲラに着任当初、私が高熱を出したときがあった。そのときにうちのママは「コカコーラを飲まなき ゃね。」と言って、何度もコカコーラを持ってきてくれた。その後も、ホンジュラス人と話していると「やっ ぱり風邪には、コカコーラが一番だよ!」という言葉をよく聞く。 また、サンタルシアで激しい下痢になったときも、うちの家族は「下痢にはニッシンのソパがいい。」と言 って、日清のカップヌードルを持ってきてくれた。何かの間違いかなと思っていたが、間違いではなかった と分かってきた。ここソナゲラでの彼らとの会話の中でも、「下痢や発熱の時は、ニッシンのカップヌードル が一番いいよ!」となっている。 どちらのことも「冗談だろな。」と思っていたが、違う。彼らは真剣にそう言っているのだ。彼らにその理 由を聞いてみるが、それは誰も知らない。「とにかくいいんだよ。ミヨもやってみろよ。」と勧めてくれる。 風邪のときはコカコーラで、下痢と熱の時は日清のカップヌードル!?・・・どちらも日本では不健康の代 表のようにいわれる食品で、そんな訳ないじゃないか、と思うのだが、それがホンジュラスでは常識なのだ。 しかし最近になって、私もやっとその効能の意味が分かってきた。 風邪や下痢の時は、抵抗力が落ちていて、その症状が悪化するばかりではなく、その他の感染症などにも なりやすい危険性がある。そのため、薬にたよるだけではなく、不衛生な食べ物や飲み物は避けなければな らない。しかしここでは、無菌に近い飲み物や衛生的な食べ物などが、日本ほど手に入らない。そのため、 それに近い食品としてコカコーラとカップラーメンが、登場するのだ。 コカコーラも日清製粉のカップヌードルも、アメリカと日本企業の徹底された品質管理の元に製造され、 責任を持って運搬されている。ここで手に入る食品としては、最も衛生的なのだ。 前述の石けんを使わない水浴にしても、このコカコーラとカップラーメンのことにしても、彼らはその理 屈や理論は知らない。だが、五感の優れた彼らは、生活の中でそれらを見つけてきたのだろう。一見「何言 ってんだ。」と思うことでも、よく考えながら、彼らの生活を見ていると、その理由が分かって「ハッ」っと - 15 するときがある。 先に相手を理解しようとしなければ、相手からは理解してもらえない。共に生活するには「まず自分から 相手を理解しよう。」という気持ちを、常に心に持つことが大切だと思う。ここの人たちは、こんな外国人の 私にもとても親切に接してくれる。ただ価値観や国民性の違いから、悪気のない彼らの言動に、私が勝手に ひとりで考え込んでしまっているだけだ。しかし、この違いの背景を考えるのも興味深い。また私のここで の活動も、まず彼らをよく理解してこそ、中身の濃いものができると思う。残り1年3ヶ月、彼らと本気で 接して関わり合う中で、「まず自分から理解しよう。」その気持ちを心に持ち続けたい。