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聖学院学術情報発信システム : SERVE

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聖学院学術情報発信システム : SERVE
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博士学位論文 : 内容の要旨および審査結果の要旨
聖学院大学大学院
第 12 号, 2014.3
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i
d=5141
Rights
聖学院学術情報発信システム : SERVE
SEigakuin Repository and academic archiVE
博 士 学 位 論 文
内 容 の 要 旨
および
審査結果の要旨
第12号
2014年3月
聖学院大学大学院
は し が き
本号は学位規則(昭和28年4月1日文部省令第9号)第8条
による公表を目的として、平成26年3月に本学において博士の
学位を授与した者の、論文内容の要旨と論文審査結果の要旨を収
録したものである。
目
学位記
番号
学位の
種類
乙第 6 号
博士
(学術)
にしかわ たいちろう
乙第 7 号
博士
(学術)
つのだ ひとし
氏名
西川 太一郎
角田
仁
次
論文題目
頁
産業クラスター政策の展開
1
トマス・ペインの人権・政治思想
―その結合と展開―
9
氏名
西川
太一郎
学位の種類
博
学位記番号
乙第 6 号
学位授与年月日
2014年3月15日
学位授与の要件
学位論文題目
論文審査委員
学位規則第4条第2項該当
産業クラスター政策の展開
主 査
平 修久
聖学院大学教授
士
(学術)
副
査
大高
研道
聖学院大学教授
副
査
大森
達也
聖学院大学教授
副
査
髙橋
義文
聖学院大学教授
副
査
富沢
賢治
聖学院大学大学院客員教授
Ⅰ
(1)
論文内容の要旨
産業クラスター
①沿革
産業クラスターは、マーシャルが原点とされ、産業集積を外部経済と内部経済という
視点から論じ、産地論は、アミンとスリフト、クルーグマン、フォス等、その後の産業
集積に関する理論に大きな影響を与えた。ポーターは、産業クラスターを相互に関連し
た、地理的に近接した企業等で、競争しつつも協力して、シナジー効果を生み出す状態
と定義し、競争優位の決定要因として、要素条件、需要条件、連関・支援産業、国内競
争の構造と文化を掲げている。産業集積のメリットをウエーバーは、立地要因を輸送コ
ストと労働コストで説明している。マギオーニは、立地選択論の視点から、クルーグマ
ンは産業の地理的集中、輸送費に収穫逓増の要素から説明している。ポーターは、主活
動と支援活動のバリューチェーンが、グローバル化により、比較優位性は、次第に価値
創出に結びつかなくなり、汎用性のある生産要素を確保といった従来型メリットより、
人材や関連企業の集中による情報流通の円滑化、大学等教育研究機関との連携、さらに
特定企業による研究開発投資や技術革新が、コスト負担しない企業にも波及する、知識
のスピルオーバーがメリットとして強調されている。
②産業クラスターの類型
エンライトは産業クラスターを8つの次元から説明している。二神は、コア産業、諸
産業の連関、自治体・NPO組織等、企業・組織間における競争と協力・補完、社会的
インフラストラクチャー、近接性に特色を指摘している。マークセンは、マーシャルの
1
産地、コア企業をもった作業集積、サテライト、プラットホームの形をした産業集積、
国が中心となった産業集積の4つに分類している。
③産業クラスターによる効果
シュンペーターによれば、イノベーションは、新しい財貨、新製品、生産方式の導入
等の新結合によって生じるとしている。この新結合は、産業の高度化とともに、知識創
造であるイノベーションは、個人レベルではなく、「組織学習」の問題として論じられ
ている。メイビーとサラマンは、行動に影響を及ぼす可能性の高い知識、洞察の開発に
係るものとし、プチリグルーとホイップは、組織学習の焦点は組織の競争力にあると論
じている。また、センゲは、真に望む結果を創造する能力を絶えず拡大する組織を「学
習する組織」とした。アシェイムは、シリコンバレー等は「学習する地域」と評してお
り、ローソンとロレンツによれば、組織間学習は、地域のイノベーションシステムの重
要な構成部分としている。マーチは、限られた現存の知識だけを使うことを「コンピテ
ンシーのわな」として警鐘を鳴らしている。マレンゴは、多様な知識や新しい知識を吸
収しやすいという観点からすれば、分権的なシステムの方がよいとし、カペロは、ミラ
ノ北東部、ピサ、ピアセンザを調査し、組織間学習を促す最大要因は、技術的な近接性
で川上、川下を問わず、重要性が認められる等の結果を導き出している。
(2)産業クラスターの米国での先行事例
ナッシュビル、ボストン都市圏、リサーチトライアングル・パーク、ナパバレーを概
観し、さらにシリコンバレーの概況、形成過程、代表的企業であるヒューレットパッカ
ードやインテルの成功要因を探った。非計画的に形成されたシリコンバレーと計画的な
産業クラスターとしてオースティン、IC2、オースティンテクノロジーインキュベータ
ー、産学連携、資金、成功要因等により比較検討を行った。米国の産学連携として、大
学における知的財産戦略、研究大学の現状と形成過程、MITの事例、1980 年のバイ・
ドール法、大学の技術移転部の成功要因をまとめた。
(3)我が国の産業集積
①最近の動向
いわゆる産地がベースになっているケースが多く、産地の約6割は、明治期以降の殖
産興業の流れの中で形成され、昭和期が3割を占めている。中小企業基本法の 36 年ぶ
りの抜本的改正で、中小企業政策が、
「企業間における生産性等の諸格差の是正」から、
「独立した中小企業の多様で活力ある成長発展」へ転換し、産業集積に対しても中小零
細企業の保護、協同仕入等の政策から新産業創出、市場競争促進、就業機会増大へと転
換した。
2000 年版中小企業白書は、構造変化を認めつつも、集積による強みの継続が基本ス
タンスであった、2006 年版では、産業集積のドラスティックな転換を求める記載が中
2
心となり、類型ごとの処方箋というような政策的意義が薄れ、産業クラスター的アプロ
ーチへとシフトしていった。産業立地研究所の調査によれば、企業が産業集積に求める
ものが情報と活用等へと変化している。産業集積は特性をもつが、総じて特定企業、産
業に依存することなく、経営革新を図り、集積内外を問わず取引先や業務連携先を求め、
結果的に企業が収益を向上させている。
国際競争の激化・系列崩壊の中、企業が生き残るためには、新事業への挑戦が不可欠
であるが、成長分野は新技術・新商品開発等のハイリスク・ハイリターンの分野が中心
となると予測され、地域企業が単独で必要な人材や技術、資金の確保は極めて困難であ
る。技術革新しつつ産業競争力、国際競争力を強化するためには、中堅・中小企業や大
学等、国・地方自治体が協働して水平の連携関係を構築し、共同の技術開発や新事業の
展開を図る新たな産業集積の形成が必要であり、優位性、競争力をもつ集積へと発展さ
せるのが産業クラスター政策である。産業クラスターは、国際競争力を担い、企業間連
携とイノベーション、地域の強みの発揮の場として重要性を有する。
②我が国の産業クラスター政策
産業集積の原型である産地、産業集積の形成過程と最近の動向、産地型、企業城下町
型等といった類型について、わずか6年間でも経済産業省の認識や評価が大きく変化し
ている。産業集積に立地する企業の意識や取引等の変化に関する調査結果を通じて、政
策の効果の変容と原因等を論述した。
戦後の地域産業政策の変遷とそうした政策の到達点である産業クラスター計画の意
義と主な施策に加え、首都圏西部ネットワーク支援活動(TAMA)では、現地企業のヒアリ
ング等により現状と成功要因を分析した。北海道、沖縄、福岡等の特性の検証、文部科
学省の知的クラスター政策等との相違点等について述べた。
(4)荒川区の産業クラスター
荒川区の産業の形成過程を調査し、製造業の現況について論じた。荒川区の産業クラ
スターの代表例として鉛筆、自転車産業が注目される。いずれも関東大震災や戦災を経
て、土地に余裕のあった荒川区に集積し、一時は繁栄したが、産業構造や市場の変化に
より衰退している。
荒川区最大の産業集積である印刷業を対象とし、今後のポテンシャルを研究した。I
Tの普及により名刺やチラシ等には限界があり、多くの中小印刷会社が廃業しているが、
ITを効果的に活用し、情報産業として生まれ変わった企業も見られる。
(5)実践的産業クラスター論
①コラボレーション
コラボレーションが企業に求められ、政府が後押しするのは、市場や顧客の価値観の
多様化、コーポレイト・ガバナンス、多角化戦略、内部開発から提携戦略への移行が挙
3
げられる。その定義は、コンプベルとグールドによる類型化、ダスとテンによる分類が
ある。その形成過程は、カンターによればニーズの発見・確認、パートナーさがし、候
補組織の分析、相手組織との対話、交渉、パートナーシップ成立、契約締結、コラボレ
ーション評価、学習と整理できる。
②産業クラスターの総合評価
内部構造、ネットワークを出来る限り把握、評価することが新たなコラボレーション
へのシステムづくりに有効である。今後の政策展開のため、クラスター毎に、ネットワ
ークの成熟度、競争力や強みや弱み等について、総合的な診断(マクロ)、ネットワーク
の成熟度の診断(セミマクロ)、域内企業カの診断(ミクロ)という視点で整理した。
●総合力の診断法
アクス、アンセリン、ヴァーガ、カマーニ、メイラー、ポーター、 松島、児玉によ
れば、産業クラスターは、産学官のプレイヤーの集中、知識、ノウハウ、スキル等の蓄
積、リソースの迅速な交換や共同利用を可能とするネットワーク、相互に影響し合う関
係という要素がある。評価には、客観的なデータ収集、アンケート調査、競合地域との
偏差値等により、競争関係にあるクラスターとの相対的な比較が手法となろう。
●ネットワークの診断法
戦略的産業クラスター政策には、ネットワークの評価が重要である。ネットワークの
価値は、アクス、メイラー、メイラー、ポーター、ロフステンとリンデロフ、ジェイコ
ブソン、神野等によれば、ネットワークを情報・知識のスピルオーバー、共同作業の加
速、外部経営資源の柔軟な結合等を通じて、イノベーティブな活動を促すとされている。
ネットワークの効果は、情報・知識のスピルオーバーを早め、頻度を高めること、組織
を超えた共同事業を容易にし、企業の経営リソースの制約を緩和し、イノベーションの
創発力を高めることがある。これは近接する主体の結合の強さ、ネットワーク中のサブ
システムの構造によって影響を受ける。
ネットワーク分析として、クラスタリング係数、平均パス長、Qmax という指標があ
る。企業力の診断法は、新製品開発能力、新製品開発への意欲、連携への実績と意欲が
ある。近畿・医療産業ネットワーク、北部九州・LSI産業ネットワーク、TAMAや
荒川区の分析例を含めて言及した。
●クラスター政策における診断法の活用
総合力診断は、強み、弱みの特定、補完戦術や実現可能性、ネットワーク診断は、過
去のネットワーク活動の有効性、今後の活動の重点、企業力診断は、活動対象の特定、
サブ・クラスター(モジュール)となりうる実力判定の材料として利用可能である。
③産業クラスターの形成、強化に向けたマクロ政策
我が国の経済を牽引する製造業とサービス産業の調査を行った。製造業のイノベーシ
ョンは、IT、コンテンツ、ロボット、在来型の製造業の再生、第一次産業とのコラボ
4
レーションについて、成功事例をまとめた。また、製造業とサービス産業のコラボレー
ションの全般的動向と健康・福祉関連サービス、観光産業の方向性を探った。産業クラ
スターの競争優位の確保には、企業の新陳代謝が必要である。中小企業再生支援協議会
の活用や人材投資促進、技術力向上策、顔の見える信頼ネットワークの充実、産学官連
携の強化、地域ブランドの形成・発信、大学やインキュベータ等による創業促進が望ま
れる。地域特性を踏まえた政策や人材育成も必要である。
(6)荒川区におけるメゾ・レベルでの産業クラスター政策
①荒川区の産業政策
産業振興基本条例制定、中小企業基盤整備機構との業務連携、産業振興懇談会等を紹
介した。東葛川口つくば地域新産業創出推進ネットワーク、経済産業省の産業クラスタ
ー計画と歩調を合わせたMACCプロジェクトとして、ロボット産業、友好交流都市と
のコラボレーション、製造業とサービス産業とのコラボレーション、印刷産業の活性化
策を提案した。
より効果的なコラボレーションを生み出すため、荒川区の産業クラスターの総合力を
評価、分析し、多数のノードをリンクさせる「ハブ力」と企業力の強化が必要である。
また、人材育成も短期的政策と次世代の育成に向けた中長期施策を着実に進める。
②コラボレーションに向けた戦略分野
印刷産業では、IT、コンテンツ産業への参入、集積効果、立地上のメリットの活用、
新連携の創出がある。製造業では、ロボット、交流都市とのコラボレーション、サービ
ス産業とのコラボレーションが効果的である。サービス産業では、健康・福祉関連、観
光をキーワードとしたサービスが挙げられる。創業支援では、中小企業基盤整備機構と
の連携による情報提供、ビジネス支援に特化した図書館整備、業種別・ステージ別サポ
ート、自治体のベンチャー製品やサービスの先行導がある。
メゾ・レベルでは、短期的視点での人財育成として、区内企業のトップ等による実践
的経営理論、幅広い情報提供、コンサルティング、ホームページや電子メール、SNS 等
が効果的である。中長期的視点には、コンテンツ産業等を志望する若年層の支援、イン
ターンシップや工場見学、地域住民も参加した職業教育等が求められる。
5
Ⅱ審査結果の要旨
1.対象論文の概要
対象論文は、2008 年に八千代出版から発行された『産業クラスター政策の展開』である。
本文部分が 467 ページの大著である。
論文の研究対象である産業クラスターとは、ある地域における企業、産業の種類の特定
の状況をいう。産業クラスターの形成は、特定の産業分野の振興という従来型の政策とは
異なり、地域という空間的広がりの中で、企業や産業を中心とした連携を図り、地域経済
全体の発展を促すことを目的としている。
実際に、20 世紀最後の四半世紀から、産業政策、地域経済政策として、世界各地で産業
クラスターを構築する動きが見られる。
論文の構成としては、まず、第 1 部で産業クラスター論の原点に遡り、その本質とアメ
リカの先行事例を概観し、第 2 部で我が国全体の産業集積の動向及び産業クラスター政策
を整理し、合わせて荒川区の産業クラスターを分析している。第 3 部においては、実践的
産業クラスター政策論について、その評価、マクロ政策を論じ、最後に、荒川区を対象と
した産業クラスター政策を展開している。
2.論文執筆の背景
論文執筆者の西川太一郎氏は、早稲田大学大学院商学研究科で経営学を学んだ後、衆議
院議員秘書を経て、国と地方自治体において議員・首長生活を 30 年以上送っている。この
間、日本大学大学院グローバルビジネス研究科で再び経営学を学び、その後も、自ら取り
組んでいる政策課題に関する研究を続けている。
西川氏は、2001 年 1 月より 2003 年 9 月まで経済産業大臣政務官及び副大臣として、経
済産業省が産業政策の柱と位置づけた「産業クラスター計画」の立案、実施、改訂に直接
携わった。2004 年からは、荒川区長として、産業クラスターの観点に基づいて区内の産業
振興を推進している。このような長年の行政責任者としての経験をベースにして本論文が
作成された。
我が国で産業クラスター政策が導入されたのは、バブル経済崩壊後のいわゆる「失われ
た 10 年」の後であり、合わせて、2000 年の省庁再編により経済産業省の役割が縮小され
た直後である。このようなことから、産業クラスター政策は、経済産業省、そして日本経
済の再生にとっても、経済産業省の機能の拡充にとっても、極めて重要な政策といえる。
3.論文の評価
①産業クラスターに関する我が国の論文は、経済産業省での産業クラスター政策の検討開
始に呼応して、2000 年ころから登場した。産業クラスターは、経済学、経済地理学、立
地論、経済集積論、都市・地域学、産地論、社会ネットワーク論、イノベーション・シ
6
ステム論など多様な視点から論じられている。その中で、本論文は、理論を実現すると
いう実践的政策論を展開している応用論文に位置づけられる。
②産業クラスター政策に関する邦文論文は、本論文作成時点では 67 編(CiNii Article 検索)
とさほど多くはない。本論文は、国レベルと地域レベルを総合的に論じた最初の論文と
言える。
③参照した文献・資料は海外 110 編、国内 169 編に及び、産業クラスター論に関するこれ
までの研究を網羅的に把握、整理している。産業クラスター分析の第一人者、マイケル・
ポーターの研究など、海外文献や事例の研究を丁寧に進め、また日本各地で進められて
いる産業クラスター化の動きを分析している。
④西川氏が区長を務める荒川区は、1960 年代くらいまでは産業の街として賑わっていたも
のの、その後の都市化に伴う工場の郊外等への転出の波に飲み込まれ、区経済の活性化
は重要な課題となっている。時代の流れとともに、鉛筆や自転車といった地場産業のク
ラスターは解体された。現在も存続しているのは印刷産業クラスターである。これらの
ことを、地元企業を対象としたアンケート調査「荒川区製造業実態調査」、「荒川区史」
などにより、実証的に明らかにしている。さらに、今後の荒川区の展開として、コンテ
ンツ産業、ロボット産業、高齢化に対応する福祉サービス産業などが産業クラスターと
して集積する可能性についても検討を加えている。
⑤経済産業大臣政務官及び、副大臣時代に、産業クラスター政策の立案から実施、改定に
至るまで一貫して関わってきたという西川氏の経歴なくして、本論文は執筆し得ないも
のであり、そうした意味においてオリジナリティが高い。
⑥産業クラスターの形成・発展にとって、競争と連携の両方が必要としながらも、西川氏
は連携によりウェートを置いている。そのため、大学・研究機関、公的機関、異業種、
近隣地域との連携というネットワーク重視型を志向している。既存の地場産業が自力だ
けで再生を図ることは極めて難しく、共存共栄の選択肢である。それらをつなぐ人材の
重要性を指摘し、人材育成に関しても言及している。すなわち、産業クラスターの育成
は地域全般に関わることを示唆している。荒川区にとって現実的な判断と言える。この
ように、西川氏は、新自由主義的な競争政策とは異なる立場をとっており、本論文は、
時代に沿った産業政策の意味を問い直すものである。
⑦荒川区の産業クラスターの形成に際して、域外大資本の大規模工場に依存するのではな
く、主に、地域に根ざした産業、研究所、大学の連携による持続可能な内発的産業振興
を想定している。特に、産業クラスターを支える支援組織を重視していることが特徴と
言える。
⑧「序」において、産業クラスター論の先駆者であるポーターの主張と現実の産業クラス
ターを比較し、一致している点としていない点を明確に述べていることは評価できる。
国や荒川区の政策の形成過程において、ポーターの理論をどのように咀嚼し取捨選択し
たかについてのより明確な記述があれば、理論をいかにして政策形成に役立てるのかと
7
いう良い実例の提供になったと思われる。
⑨産業クラスターの成功事例として、アメリカの先端技術産業を詳述している。合わせて、
イタリアの中小企業の伝統的産業の事例への言及があれば、荒川区の産業クラスター政
策の議論をより深めるものになったと思われる。
⑩西川氏は、産業クラスターの構築に連携という水平関係の強化を主張している。それを
強化する要因としてのソーシャル・キャピタル(信頼と互酬性にもとづく社会的ネット
ワーク)論を現代的にどう再構築するかという点についても触れていれば、より説得力
が増したと思われる。
4.結論
以上のことから、『産業クラスター政策の展開』は、これまでの産業クラスター論に対し
て実際の政策形成・実施の観点から新しい知見を提示したということが評価でき、博士論
文として十分な水準に達しているものと判断する。
2014 年 2 月 22 日、本大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科委員会は西川氏への
博士学位記の授与を承認した。
(論文審査委員:主査・平
修久、副査・大高研道、副査・大森達也、副査・髙橋義文、
副査・富沢賢治)
8
氏名
角田
仁
学位の種類
博
学位記番号
乙第 7 号
学位授与年月日
2014年3月15日
学位授与の要件
学位論文題目
論文審査委員
学位規則第4条第2項該当
トマス・ペインの人権・政治思想―その結合と展開
主 査
髙橋 義文
聖学院大学教授
士
(学術)
副
査
稲田
敦子
聖学院大学教授
副
査
森田
美千代
聖学院大学教授
副
査
田中
浩
聖学院大学大学院客員教授
副
査
小澤
亘
立命館大学教授
Ⅰ.論文内容の要旨
本論文は、トマス・ペインの人権思想と政治思想の結合と展開について述べた
ものである。
トマス・ペインは、1737年にイギリスで生まれた思想家であり、ジャーナリス
トであり、かつ社会運動家であった。彼はアメリカ独立戦争に影響を与えた『コ
モン・センス』の著者として有名であり、またフランス革命を擁護し、新しい社
会構想を展開した『人間の権利』によって知られた人物である。
ペインは、18世紀の政治思想の急進主義の思想家に位置づけられている。彼は
アメリカ植民地のイギリスからの独立を主張することで、イギリス君主制政府と
植民地統治を批判し、またフランス革命の原理を擁護することで、ヨーロッパの
政治と社会の革命を志向するなど、当時としてはもっとも急進的な立場にあった。
ペインは、中期の著作である『人間の権利・第二部』以降、財政改革や土地財
産制度の改革によって、今日の福祉国家の思想を構想していた。一方で、ペイン
は、フランス革命の精神をイギリスに紹介するなかで、エドマンド・バークと論
争した。この論争は、政治的急進主義と政治的保守主義との対立として有名だが、
この論争の背景には、フランス革命がもたらした政治と社会の新しい原理につい
ての認識の違いがあった。ペインは、革命の新しい原理を肯定し、バークはこれ
を否定した。そして、この論争は、近代の政治・社会原理の確立期において、人
間をどう捉えるかという問題をも含んでいた。
ペインの政治思想は彼の人権思想抜きには考えられない。彼の人権思想は、日
9
本ではこれまで一部の研究を除いて研究がすすんでいない領域であり、とくに人
権思想と政治思想、社会思想、宗教観を含めた総合的な研究が課題となっている。
本論文は、このペインの人権思想と政治思想の結合と展開について、次の5章に
わたって考察する。
第1章
ペインの人権思想の源流
この章では、ペイン思想の土台にある考え方について考察する。ペインに大き
な思想的影響を与えたものとして、クエーカー主義をとりあげる。クエーカーは、
17世紀イギリスに生まれた非国教会の宗派であり、ジョージ・フォックスによっ
て形成された。その特徴は、あらゆる宗教的な権威、儀礼を否定し、個人の「内
なる光」によって、神と信徒とが直接交わるという、きわめて平等主義的かつ個
人主義的な宗派として、知られている。
1.ペイン思想の源流とクエーカー主義
ここでは、クエーカーの成立史とその特徴について紹介する。そして、ペイン
の著書である『理性の時代』に触れながら、ペインがクエーカーをどのように捉
え、キリスト教や宗教一般についてどう認識していたのかについて考察する。あ
わせて、ペインがのちに理神論の立場をなぜ採用したのかについても検討を加え
る。
2.クエーカー主義の受容と批判
クエーカーは、彼らが信仰生活のみならず、社会改革についても前向きであっ
た。この特徴をクエーカー主義という。しかしながら、クエーカーは、この急進
的な教義と活動によって、イギリス国内では「異端」として扱われ、宗教的な迫
害や差別も受けていた。このクエーカー主義へのペインの共感と批判について考
察する。
第2章
ペインの人権思想の発展
ペインの思想の根底には、平等と人権の思想があった。その具体的な例として、
ペインの奴隷制度廃止の思想と先住インディアンについての認識をとりあげる。
1.アボリショニズムの思想とペイン
アメリカのペンシルヴァニアは、クエーカーが開拓した土地である。この地の
クエーカーたちのなかから、アフリカ人の奴隷を所有することへの批判が芽生え、
やがて奴隷制廃止が主張されるようになる。ペインは、このペンシルヴァニアに
1774年に上陸し、『ペンシルヴァニア・マガジン』の編集と記者生活を始めたが、
その一環として奴隷制廃止の主張をおこなう。この意見に注目したのが、ベンジ
ャミン・ラッシュである。
2.ペインにおけるアボリショニズムの展開
10
ペインは、アメリカに上陸したのちも、奴隷制について批判を続けた。1789年
から死の直前の1805年まで、ジェファーソンやその他に宛てた手紙のなかで、イ
ギリスやルイジアナ州のフランス系住民が奴隷制を容認していることに疑問を抱
いていた。とくに、ペインは、サント・ドミンゴ(仏領サン・ドマング)の奴隷
反乱にも言及し、奴隷制度は、人間性に反し、神の意思にも背くと述べている。
3.ネイティブ・アメリカンとペイン
ペインは、アメリカ大陸の先住民であるインディアンについても語っている。
以前から、ペンシルヴァニアでは、クエーカーと先住インディアンとの友好関係
があった。しかし、イギリスとの独立戦争において、先住インディアンの中に、
イギリス側についた部族もいたため、白人たちの中には、先住インディアンに偏
見を抱く者もいたが、ペインは、彼らに先入観なしに友好的に接することができ
た。また、1790年代以降、ペインはヨーロッパ社会の貧困現象に注目するが、こ
のことから先住インディアンの生活の一面を評価するようになり、逆にヨーロッ
パの貧困層の生活こそ非人間的だと認識するようになる。インディアン社会を通
して近代社会の貧困を批判するようになったのである。
第3章
ペインにおけるリベラル=デモクラシーの思想
ペインの平等と人権の思想は、社会と政府に対する構想へと発展した。その基
本的な思想的枠組みになったのが、自然権・自然法思想と共和主義・民主主義の
思想であり、かつ社会契約思想であった。
1.社会と政府をめぐって
『コモン・センス』は、社会と政府の誕生について、わかりやすく書かれてい
る。このなかで、ペインは社会が政府に対して優越していること、人間は社会的
動物であり、社会なしには生きられないと主張する一方で、政府は必要悪であり、
できる限り小さい方がよいと述べている。ペインのこの政府観は、「安価な政府」
論といってよい。ホッブズに始まった社会契約思想の展開の一つをここにみるこ
とができる。
2.ペインにおける「共和主義」の思想
ペインは、ロック主義者ではあったが、急進主義の立場に立つことで、時代の
先頭に位置していた。理由は、君主制を否定し、共和主義を徹底させたからであ
る。具体的には古代アテネを例とした直接民主主義に、代議制の政府を結びつけ
た。そして、ペインは、アメリカ植民地の政治の光景とアメリカ新政府の登場こ
そ、理想が現実化したものだと指摘する。彼は、文明と理性の進歩が、必然的に
アメリカの代議制民主主義を登場させたと述べたのはなぜなのかに触れる。
3.『コモン・センス』における君主制批判
ペインが、君主制を批判した理由の根拠として示したのが、聖書の思想、啓示
11
と自然権思想である。世襲にもとづいた君主制と貴族制が、聖書と自然権思想が
持つ平等思想に反すると述べることで、イギリス急進主義の伝統を越え、市民革
命の時代の扉を開くことになったのである。
第4章
人権思想とデモクラシ―との結合
フランス革命を評価するペインたち急進主義者に対し、バークは政治的保守主
義の立場から批判を加えた。これにペインが反論することになり、またペイン以
外にもバークへの批判がいくつか発表された。この論争は、18世紀の政治思想に
おいてもっとも有名なものであり、後世に知られることとなった。この論争の舞
台となったのが、ペインの『人間の権利』であり、バークの『フランス革命の省
察』であった。二人の思想を対比させ考察する。
1.フランス革命をめぐって
―ペイン・バーク論争-
フランス革命は、アメリカやイギリスで急進主義運動を活発にさせたが、バー
クは、急進主義者プライスやウィッグのフォックスを批判する。これに対し、ペ
インは『人間の権利』を書いて反論する。また、アイルランドやスコットランド
でもペインの思想は広まり、独立運動にも影響を与えた。
2.バークのフランス革命批判
バークが『フランス革命の省察』で述べたのは、名誉革命の伝統とフランス革
命は、別物だとした点である。前者は、王権と貴族の特権の継承を明確にし、民
衆の自由と権利を確認したものだと述べる。これに対しフランス革命は、過去と
断絶し、抽象的な共和国を作りだしたに過ぎないとする。バークは、世襲の原理
や保守の原理こそ、国家を守り、社会を安定させるのだとし、教会や法律、美徳
や道徳をないがしろにするフランス革命の原理を非難する。さらに、純粋民主制
がやがて寡頭制に移行すると予測し、フランス革命の行く末に警鐘を鳴らし、政
治的保守主義の思想を明らかにしたことに触れる。
3.『人間の権利』と平等思想
ペインは、『人間の権利』で、平等思想を発展させた。ペインは、人間と人間
の権利の平等を、聖書や宗教思想が述べる人類創世に立ち返ることで、正当化し
ようとした。このため、神以外の世俗的な権威を一切否定する、絶対的平等の思
想を主張した。また、ペインは、宗教の自由と寛容を重視し、国教会制度を批判
する。さらに、『人間の権利・第二部』以降、財政改革と土地財産制度の改革に
よって、貧困の解消をめざし、社会権思想を主張した。これにより、ペインが、
社会契約思想の継承者であるとともに、社会福祉の思想を主張した社会的急進主
義の思想家でもあったことがわかる。
12
第5章
ペイン人権思想の多様性とその展開
ペインの人権思想は多様であるが、この章では、移民論と難民の保護について最
初に論究し、次に宗教的・政治的自由とペインの寛容思想について触れるととも
に、彼の独自の意見表明権についても考察したい。さらに、ペイン思想の反映と
してペンシルヴァニア憲法とジロンド憲法草案について触れ、彼の平和思想とヨ
ーロッパ統合の考えについて考察する。
1.ペインの移民論
ペインは自身がアメリカへの移民であったこともあり、新社会の形成と新政府
の樹立は移民たち自身によって成し遂げられるべきことを『コモン・センス』に
おい主張し、この考えを自然権思想と社会契約思想を踏まえながら展開している。
移民を社会形成の主体として積極的な担い手として位置づけるとともに人権擁護
の観点から難民の保護について述べている。
2.宗教的・政治的自由と意見表明権
移民社会を積極的に肯定したペインは、宗教と政治の自由を唱えるとともに、
意見の自由の大切さについても語っている。彼の初期から一貫している人権思想
の柱としての精神的自由と寛容思想について考察する。
3
ペイン思想と憲法
ペンシルヴァニア憲法とジロンド憲法草案をめぐっ
て
ペインの思想は、最初の移住先であるペンシルヴァニアにおいて、憲法の制定
に影響を与えたとされている。ペンシルヴァニア憲法とペイン思想の関わりにつ
いて触れる。さらに、フランス革命に立ち会うなかで、親しくなったコンドルセ
を中心としたジロンド憲法草案の作成にも関わったとされているが、ペイン思想
の憲法案への影響について考察してみる。
4
ペインにおける平和思想とヨーロッパ統合
ペインは君主制政府と教皇制度を厳しく批判し、ヨーロッパで長く続いていた
戦争を防止するために、共和政府の樹立を主張するとともに、ヨーロッパ統合に
ついて述べている。かれの平和思想とヨーロッパ統合の先駆的な思想家としての
側面を考察する。
13
Ⅱ.審査結果の要旨
トマス・ペインは、アメリカ独立戦争とフランス革命という 18 世紀 70・80 年代に
起こった二つの世界的な政治的大事件に立ち会い、その際『コモン・センス』と『人間
の権利』を著し、アメリカの独立とフランスの革命を支持・擁護した重要な思想家であ
る。それにもかかわらず、ペインの思想は欧米においても、当然のことながら日本にお
いてもこれまで必ずしも十分に解明されてこなかった。ペインの研究としては、外国で
は、Moncure Daniel Conway: The Life of Thomas Paine, A New York Times
Company, 1892 ; M. Fhilip, Paine, Oxford University Press, 1989; H. Fast, Citizen
Tom Paine, The Sterling Lord Agency, 1943 ; A. J. Ayer, Thomas Paine, Secker and
Warburg, 1988、日本では、コーンウェイの『ペインの生涯』に主として依拠した小松
春雄『評伝トマス・ペイン』
(中央大学出版部、1986 年)くらいしかなく、どの場合も
おおむねペインの伝記的研究かペインの思想の説明・解釈にすぎず、ペインを近代民主
主義思想の形成・発展という観点から本格的に取り上げた研究はほとんど無きに等しか
ったと言ってよい。
その点で、本論文は、修士論文「トマス・ペインの政治思想―急進主義運動、独立戦
争、フランス革命との関わりで」
(大東文化大学大学院法学研究科政治学専攻、1998 年)
を引き継ぎ、それを発展させるかたちで一貫してペイン研究を粘り強く続け、17、1
8世紀のホッブス、ロック、ルソーから、21世紀の国際組織EU(ヨーロッパ連合)
、
さらには、福祉国家の形成についての提起までを展望しつつ、ペインの政治思想の全体
像を明らかにしようとしているが、これまでのペイン研究にない取り組みとなっている。
本論文の取り組みは、ペイン研究における新たな地平を切り開いたと言ってよいであろ
う。
具体的には、以下の点において、一定の学術的貢献を認めることができる。
第一に、ペインの思想がいかに形成されたかについて、クエーカーとしての思想的原
点、ホッブズ、ロック、ルソーらの社会契約説の徹底した民主的理解、アメリカ植民地
での新しい政治社会出現の考察に依拠した国民国家像の把握という三点に注目しなが
ら、明快な論理構成のもとに解き明かしている。
第二に、ペイン思想の思想史的な意義について、その平等思想に依拠した現代福祉国
家の社会政策を先取りする所得再分配政策の提起、移民に対する政治的権利の保障、宗
教的自由、意見表明権など民主主義社会を支える基本的人権概念の提起、ヨーロッパ統
合までを視野においた平和思想など、ペインの民主主義思想の核心を総体的に、かつ思
想基盤と連関させながら適確に捉えている。
第三に、ペインが17,18世紀の市民革命期に形成された「市民的自由」と18世
紀中葉以降の資本主義の矛盾が顕在化した政治的・経済的・社会的不平等に関する問題
14
を解決する思想としての社会民主主義との間をつないだ変革期の思想家であったこと
を適確に描き出している。
第四に、ペインに関する最新の研究を含む、日本、欧米の従来の研究によく目配りし、
それらの資料を丁寧に読み込んでいる。また、その中で自身の研究を位置づけ、今後の
課題も明確に自覚している。
第五に、アメリカ植民地におけるペインの体験が、その思想が展開されていく基盤に
なったことを、当時の植民地や英国の社会事情に照らしながら描き出していることは、
本論文の成果の一つである。とくにペインの先住民理解の深まりのうちにペイン平等思
想の展開の重要な契機を見ようとする点は、新たなペイン像を示唆していると言えよう。
以上の点に一定の学術的貢献が認められるが、同時に、本論文には課題も多く見受け
られる。
第一に、ペインの思想の源流を、コンウェイの主張を幾分修正しているとはいえ、な
おクエーカー主義に集約し過ぎているという点である。それは、ペイン思想へのフラン
ス啓蒙主義思想やスピノザ思想など大陸の社会契約論の民主的な理解および理神論の
影響の検討が十分になされていないということでもある。単にイギリス・アメリカ思想
史だけでなく、ヨーロッパにおける思想の相互連関性のなかで捉えることも必要ではな
いか。
第二に、ペインの社会政策論の生成については、アダム・スミスの経済学を超える平
等化を指向する社会経済政策を具体化しようとしていたように見えるゆえに、とくにス
ミスとの対峙という視点から検討しておく必要があるのではないか。
第三に、ペイン思想の源流をクエイカー主義に見るとの主張は明快に論じられている
が、晩年の理神論的立場との関係の考究が不足である。また、クエイカー主義の神秘主
義的要素との関係についても考察を加える必要があったであろう。
第四に、ペインには、それ以前に見られなかったジャーナリストとしての実践的活動
家の面があり、それがペインの与えた影響と深く関係していると考えられるが、ペイン
が果たした実践的思想家としての貢献についても光を与えるべきである。
第五に、ペインの人権概念を基礎にした政治思想の全体像を明らかにしたところは評
価できる点であるが、それが同時に、この論文の焦点がやや曖昧になったという欠点に
繋がった。もう少し課題を絞り、それを考究していく形でペインの思想の全体を明らか
にするような形が取れれば、より立体的なペイン像が得られたかもしれない。それは、
論文の問題設定がやや明確さに欠けるということでもある。また、
「人権・政治思想―
その結合と展開」という表題のやや不分明な表現にも表れているかもしれない。人権も
また政治思想の一部であるゆえ、その「結合」と言うのもやや不適切であるからである。
しかし、以上の点については、角田氏も十分に自覚しており、そこに新たな課題も見
出している。今後の研鑽によって、さらなる深みをもったペイン研究の成果を期待しう
15
るものと思われる。
以上の評価および 2014 年 2 月 14 日に開かれた最終試験(口頭試問)の結果を勘案
した結果、本論文は、ペイン研究が十分でない状況にあって、ペイン思想の全体像を、
とくに現代に引き継がれている課題を踏まえて適確に明らかにした点で、また、そこに
見られる、研究姿勢、文献の収集とそれらの読解およびその扱い、論述の組み立てと展
開、研究者としての将来の可能性等において、審査委員会は、本論文が、
「博士(学術)
」
の学位を授与するに十分値する一定の学術的水準に達していると判断した。
2014 年 2 月 22 日、本大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科委員会は角田仁氏へ
の博士学位記の授与を承認した。
(論文審査委員:主査・髙橋義文、副査・稲田敦子、副査・森田美千代、副査・田中浩、
副査・小澤
亘)
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博士学位論文
2014 年 3 月
内容の要旨および審査結果の要旨
第 12 号
発行
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聖 学 院 大 学 大 学 院
編集
聖 学 院 大 学 大 学 院
アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科
〒362-8585 埼玉県上尾市戸崎 1-1
電話 048-725-0781
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