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宗教的標章法の制定 学校のライシテと宗教の自由の解明 葛谷佳代
宗教的標章法の制定 学校のライシテと宗教の自由の解明 葛谷佳代 今日、教育の領域内でのライシテおよび宗教的中立性が、フランスの政教分離において 特に重要である。なぜなら、コンコルダ制度期に、教育の領域において教権主義と反強権 主義との対立抗争が続けられ、また第三共和政の初めには、公教育が非宗教化政策で最も 重視された事項であったからである。かつ、今日ライシテに関する論争が最も多いのが、 この教育の領域である。 2004年、学校でのライシテに関する一つの法律が成立した。 「ライシテの原則を適用して、公立学校、コレージュおよびリセにおいて宗教への所属を 表明する標章(signes)または服装(tenues)の着用を枠づける2004年3月15日の 法律」 、すなわち宗教的標章法である。 私は、この法律の成立が果たしてよいものだったのかを研究しようと思う。 まず、2004年の宗教的標章法の制定に向けて、それ以前の教育領域でのライシテの 法制化を見ていこうと思う。 ライシテの法制化以前は、フランスの教育制度が聖職者の支配下にあった。この状況か ら、第三共和政の初めにライシテの実現を目指し始め、さまざまな法律が成立していった。 特に、1882年3月28日の法律では、教育領域に関して、「宗教教育は、さまざまな 種類の初等公立学校において、もはや施されない。宗教教育は、私立学校において任意で ある。」と述べられている。すなわち、公立学校は客観的な普遍的知識の教育のみを任務 とし、宗教教義の教育は家庭と教会の任務とするという、学校と教会の権限を分離すると いう考えが根本にあることがわかる。また、この法律はもともと初等義務教育に関する法 律で、保護者や子供達の良心の自由を保障するためにこのライシテが必要とされたことが わかる。 1905年には、一般的なライシテを明記した政教分離法が制定された。この法律の原 則は第一章第一条に書かれている以下の事である。「共和国は、良心の自由を確保する。 共和国は、公の秩序のために以下に定める制限だけを受ける、自由な礼拝を保障する。」 この法律によって、ライシテが国家原則となったことがはっきりされ、幾度の改正を通じ て、ライシテの概念が大きく発展していき、ついに第四共和政で憲法原理となった。「前 文:あらゆる段階における無償かつライックな公の教育を組織することは、国家の義務で ある。 」 「第一条:フランスは、不可分の、ライックな、民主的かつ社会的な共和国である。」 もちろん、第五共和政憲法においても、ライシテに関する明記がある。 さて、ライシテの法制化の歴史を見た上で、2004年の宗教的標章法に戻ると、この 法律を簡単に言えば、イスラム教徒の女性が髪などを隠すために使うヴェールなどの着用 を公立学校で禁止するという事である。このヴェールについての問題が出てきたのは、1 989年である。公立のコレージュで、イスラム教徒の女子生徒がヴェールを着用し、学 校側がヴェールを取るように求めたにもかかわらず、授業中にもそれを取らなくなったこ とから始まった。この事件では、自らがイスラム教徒であることを表明するヴェールを公 立学校で着用することがライシテに反しているかどうかが問題点となった。これに対して まず、1989年11月27日にコンセイユ・デタが意見を出した。「学校において生徒 がある宗教に属することを表明しようとする標章の着用自体は、・・・・ライシテの原則 には抵触しない。しかし、この自由は、・・・・・・・・・あるいは誇らしげに見せびら かす性格または権利要求的な性格により、それが圧力・扇動・改装勧誘または宣伝の行為 を構成し、生徒または教育共同体の他の構成員の尊厳と自由を侵害し、学校における秩序 または公役務の正常な運営を混乱させるような宗教所属の標章を、生徒が公然と見せびら かすのを許すものではないであろう。」つまり、宗教所属の標章の着用は、原則としてラ イシテの原則に抵触しないという結論を出した。 それを受けて、国民教育相リヨネル・ジョスパンは、1989年12月12日に通達を 出した。主な内容としては、学校当局に問題が起こった場合は生徒や親と対話をして解決 することとしたが、この問題解決を学校に委ねたことで、具体的な場合における判断であ いまいさが残った感じは否めない。そして、このジョスパンの通達に不満が多く出たこと で、1994年9月22日にフランソワ・バイルーが出した通達は、イスラムのヴェール 着用を制限することを基本とし、 誇らしげに見せびらかす ヴェールそれ自体を禁止し た。それに続き、1994年11月27日にコンセイユ・デタがイスラムのヴェール事件 に対して判決を出した。この判決は、イスラムのヴェールがこれ見よがしであったとして も、ライシテの原則には抵触せず生徒の自由の範囲内にあるとし、具体的にその着用を禁 止しなければいけない理由を細かく検討するという態度をとっている。 ただ、これらの判例・通達が、ライシテの原則の弱体化につながっているとみなされ、 問題解決に際して、教師らにさまざまな要素の具体的検討を要する複雑で微妙な判断を押 しつけているとされ、できる限り単純・明晰な国レベルでの規範を作ることが求められた。 他にもいくつかの理由が重なり、宗教的標章法の制定が決定された。2003年12月4 日のドブレ報告書、その1週間後のスタジ報告書を経て、多少の手を加えつつ、いよいよ 2004年3月15日、宗教的標章法が成立した。 宗教的標章法は次の4条から成る。 「第一条:公立学校、コレージュおよびリセにおいて、生徒がこれ見よがしとなるように 自己の宗教への所属を表明する標章を着用することは、禁止される。校則は、懲戒手続の 開始の前に生徒との対話が行われることを明らかにする。第二条:本法は、一部の海外領 でも適用される。第三条:本法は、その公布後の学校暦における新学期から施行する。第 四条:本法の諸規定は、施行1年後、点検評価の対象になる。」 この宗教的標章法の特徴としては、大きく2つに分けられる。1つめとしては、共和国 の原理であるライシテを強調していることである。公立学校が、共和国の諸価値を伝達す ることを使命とし、国民統合を促進するという重要な役割を持っているので、公立学校の 生徒が宗教への所属をこれ見よがしに表明することが、共和国的価値の教育に相容れない と考えられる。2つめとしては、法の適用の難しさである。この法律には、 これ見よが しの標章 が禁止となり、 見える 標章か、 これ見よがしの 標章かの判断も教育現場 のケースバイケースになっていたり、身につけているものに宗教的目的があるのかないの か、その判断基準もあいまいである。 以上を論じて、私はこの法律は効果がある法律だったと考える。ヴェール問題がだんだ ん社会的問題になってきて、今までの法律や判例では教育領域でのライシテがあいまいに なってきたところで、この法律が成立したことで今までフランスになかった新しい宗教問 題に対応できたことが評価できる。かつ、今まで教育現場の校長や教師に判断を委ねて、 あいまいだった基準をはっきりさせて、ある程度の指針を示すことができた。これからま たさまざまなライシテの問題が表れてきても、政教分離法のように幾度の改正を重ねて、 現実の社会にきちんと対応した法律になることを望む。