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静脈栄養管理時の ビタミンB1欠乏

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静脈栄養管理時の ビタミンB1欠乏
リスクマネジメントの視点から
静脈栄養管理時の
ビタミンB1欠乏
平成9年6月に当時の厚生省は緊急安全性情報を配布し、高カロリー輸液法施行中の患者には必ず
ビタミンB1を投与することを注意して徹底をはかるように求めました。平成7年にも同様の趣旨で
適正使用情報が配布されましたが、いずれもビタミンB1欠乏による重篤なアシドーシスの発現例が
報告されたことによるものでした。その後、末梢静脈栄養法が臨床現場で普及するにつれて、再び同
様の問題が提起されています。そこで、静脈栄養管理時のリスクマネジメントとして、ビタミンB1投
与の必要性などについて徳島大学大学院臨床栄養学・教授の武田英二先生からお話いただきました。
Ⅰ
ビタミンの
役割と欠乏症
ビタミンは体内ではつくれない
はじめにビタミンの定義を教えてください。
特
集
ことからも、ビタミンは体内ではつくれないことが
わかります。
水溶性ビタミンと
脂溶性ビタミンに分けられる
ビタミンにはいろいろな種類がありますね。
武田 ビタミンとは、微量で体の機能を調節する
武田 ビタミンは、水溶性ビタミンと脂溶性ビタミ
働きをしますが体内ではつくれない、
というのが定
ンに大きく分けられます。表の通り全部で13種類
義です。健康に生きていく上で欠かせませんが、自
あり、それぞれが糖質やアミノ酸、脂質、骨の代謝
分でつくれないために、必ず食事などで体の外か
など様々な働きを担っています。
らとらなければなりません。
水溶性ビタミンは、足りなくなると欠乏症になり
ビタミンを最初に発見したのは、鈴木梅太郎先
ますが、多くとっても原則的には尿中に排泄される
生 でし た 。明 治 時 代 、
ために過剰症になることは稀です。一方、脂溶性ビ
原因不明で伝染病では
タミンは、不足の場合は欠乏症になるとともに、過
ないかともいわれた脚
剰に摂取すれば体内の脂肪に蓄積されて多くは過
気が海軍で猛威をふる
剰症になります。
って い たとき 、鈴 木 梅
太郎先生は船上で兵士
が白米ばかり食べてい
たことに注目し、
これが
契機になって米糠から
発見したのがオリザニ
ン(後のビタミンB1)で
インスリンとビタミンB1によって
エネルギーができる
ビタミンB1の働きである糖質代謝についてご
した。食事を改善する
説明ください。
徳島大学大学院臨床栄養学 教授(医学博士)
ことによって脚気は減
武田 糖質の解糖系で代表的なものがグルコース
武田 英二 先生
少した のですが、そ の
の代謝です。私たちの体に入ってきた糖質は多く
3
糖質代謝と
Ⅱ ビタミンB1欠乏症
水溶性ビタミンの作用および欠乏症
表
ビタミン名
腸内細
菌合成※
一般名
アの中でエネルギー(ATP=アデノシ
欠乏症
ビタミンB1
チアミン
×
糖質代謝、神経・消化器・ 脚気、多発性神経炎、ウェルニ
心臓・血管系の機能調整 ッケ脳症、乳酸アシドーシス
ビタミンB2
リボフラビン
○
生体内酸化還元反応、
発育促進
口内炎、口角炎、舌炎、脂漏性
皮膚炎、眼の炎症性疾患、脂質
代謝障害、貧血
ナイアシン
ニコチン酸アミド
○
生体内酸化還元反応
ペラグラ、胃炎
の場合、
グルコースとなり吸収されて、
解糖系を通して、細胞のミトコンドリ
作 用
パントテン酸
パントテン酸
○
CoAが関与する生化学 (ヒトには稀)肢端紅痛症、焼足
反応
症候群
この解糖系を動かすホルモンが唯
ビオチン
ビオチン
○
糖質・脂質・アミノ酸代謝、 湿疹性皮膚炎、幻覚、嗜眠、
抗卵白障害因子
免疫系低下、低血圧
一インスリンです。したがって、インス
葉
プテロイル
グルタミン酸
○
ヘモグロビンの生成、
核酸・アミノ酸代謝
巨赤芽球性貧血、舌炎、口内炎
ビタミンB6
ピリドキシン、
ピリドキサール、
ピリドキサミン
○
脂質・アミノ酸代謝
小 球 性 低 色 素 性 貧 血 、脂 漏 性
皮膚炎、多発性神経炎、舌炎、
口角炎、結膜炎
ビタミンB12
シアノコバラミン、
メチルコバラミン
○
赤血球生成、葉酸代謝、
タン パク質・核 酸 合 成 、 巨 赤 芽 球 性 貧 血 、進 行 性 髄 鞘
脂質・糖質代謝、時差ぼ 脱落
け治療
ビタミンC
アスコルビン酸
×
コラーゲンの生成、薬物
代謝、鉄吸収促進
ン三リン酸)になります。
リンが分泌されなければ、エネルギー
酸
ができなくなり、血糖値が高くなって
しまいます。
もう一つ、解糖系がきっちり作用す
るために、ビタミンB1が必要です。ト
ランスケトラーゼ、
ピリビン酸デヒドロ
ゲナーゼ、α‐ケトグルタール酸デヒド
脂溶性ビタミンの作用および欠乏症と過剰症
ビタミン名
ロゲナーゼといった酵素が代謝を触
媒します。酵素はタンパク質の一種で、
ピルビン酸デヒドロゲナーゼという酵
素は、図1で示す通り、ピルビン酸から
腸内細
菌合成※
させるためには、チアミンピロリン酸
作 用
欠乏症
過剰症
成長停止、眼球乾燥症、 脳圧亢進症状(急性)、四肢疼
夜盲症、生殖機能低下、 痛性腫脹(慢性)、皮膚剥離
(慢性)、肝臓、脾臓肥大(慢性)
抵抗力低下
ビタミンA
×
成長促進、上皮組織の維持、
視覚の機能、生殖機能、
制がん作用
ビタミンD
×
Ca・P の吸収、骨の石灰化、 クル病、骨軟化症、
血中 Ca 濃度維持
骨粗鬆症
石灰沈着、腎障害
×
抗酸化剤、
生体膜の機能維持
起こりにくい
○
血液凝固因子生成、骨の
血液凝固遅延、出血症、
溶血性核黄疸(未熟児)
石灰化(K依存性タンパク質) 骨形成不全
ビタミンE
アセチル‐CoAという物質に変える働
きを持っていますが、その活性を発現
壊血病、薬物代謝活性低下
ビタミンK
神経機能異常、
筋萎縮症
※ ○:合成可能 ×:合成不能
という補酵素が必要です。チアミンピロリン酸は、
ビタミンB1が変換した活性型です。
長尾陽子:栄養学総論(中野昭一 編), 医歯薬出版 1991:P42改変
ウェルニッケ脳症ではどのような症状がみられ
ますか?
武田 せん妄など意識障害、失調性歩行などの運
ビタミンB1が欠乏すると、
脚気、ウェルニッケ脳症になる
特
集
動失調、
ものが二重に見えるなどの眼球運動障害が、
ウェルニッケ脳症の主な症状です。脳疾患は回復が
ビタミンB1が足りなくなると、
どんな状態にな
難しく、慢性化すると作話、記銘力障害、逆行性健忘、
りますか?
武田 糖質代謝でできたエネルギーは、
図1 糖代謝とビタミンB 1
神経はじめ臓器の機能を正常に保つ
キシリトール
グルコース
作用があります。ビタミンB1が欠乏す
G‐6‐P
れば、中枢神経・末梢神経障害、さらに
ペントース
リン酸サイクル
F‐6‐P
は心不全をきたします。しびれ感、全
身倦怠、四肢の知覚異常、腱反射消失、
トランスケトラーゼ
フルクトース
F‐1,6‐2P
F‐1‐P
グリセルアルデヒド
3リン酸
知覚麻痺、浮腫、血圧低下、心臓肥大
といった症状を総称して、脚気といい
ます。一般の人は、脚気は戦前に流行
乳酸
チアミンピロリン酸
ピルビン酸
した過去の疾患と思われるかもしれ
ませんが、平成の時代でも偏食する人
核酸
ピルビン酸
デヒドロゲナーゼ
脂肪酸
アセチル‐CoA
チアミンピロリン酸
ビタミンB1
や食事が十分にできない人にしばし
α-ケトグルタール酸
ばみられます。
また、
ビタミンB1不足でエネルギー
ができないと、脳の神経に異常をきた
すウェルニッケ脳症があります。
チアミンピロリン酸
α-ケトグルタール酸
デヒドロゲナーゼ
TCA cycle
サクシニル‐CoA
後藤 健,他:
「輸液実践ガイド」Medical Practice Vol.17臨増,文光堂 2000:P163‐167
4
失見当識といった精神症状を示すコルサコフ症候
も多々あります。
群に進みます。
当時は、まだ臨床の現場ではビタミンの意義や
栄養学を従事者が十分に把握していなかったこと
乳酸アシドーシスも
ビタミンB1欠乏によって生じる
ビタミンB1がないと、代謝経路が止まるわけ
がバックグラウンドにあげられるでしょう。
それで「高カロリー輸液療法施行中は必ずビタ
ミンB1を投与すること」という内容の緊急安全性
ですね。
情報が、厚生省(当時)から平成3年と平成9年の2
武田 そうです。ビタミンB1から変換したチアミン
回出されました。その後、製薬会社などの努力もあ
ピロリン酸という補酵素がないためピリビン酸デヒ
ってTPN管理時にはビタミンB1を1日3mg以上投
ドロゲナーゼという酵素が動かず、
ピルビン酸をア
与するように医師や看護師に周知されるようにな
セチル‐CoAに変える触媒の役割を果たせません。
って、
TPNでのビタミンB1欠乏症は少なくなった
そうなると、ピルビン酸と乳酸が溜まり、血液が酸
と思われます。
性に傾いていきます。
人間の体は、
pH7.
4に厳密に調整されています。
それが乳酸の蓄積によって、血液中の重炭酸ナトリ
ウムが失われ、血液の酸性度が高まります。血中の
乳酸アシドーシス、ウェルニッケ脳症ともに
ビタミンB1の大量投与が唯一の治療
重篤な乳酸アシドーシスが起きた場合にはど
pHが7.
35未満になった状態が乳酸アシドーシス
のような処置をすればよいでしょうか?
です。吐き気、嘔吐、疲労感、呼吸障害、血圧低下、
武田 ビタミンB1欠乏と思われるアシドーシスが
さらにはショック、昏睡、死に至ることもあります。
発 現し た と き は 、直 ち にビ タミン B1を10 0 ∼
したがって、ビタミンB1が欠乏すると、脳の意識
400mg急速静脈内投与する必要があります。そ
が失われたり、命にもかかわるほど怖い状態に陥る
の他のアシドーシスでは、重炭酸ナトリウムを入れ
といえます。
て酸性に傾いた血液を戻すようにするのですが、
ビ
タミンB1欠乏によるアシドーシスではビタミンB1
特
集
Ⅲ
中心静脈栄養(TPN)
管理時のビタミンB1欠乏
緊急安全性情報でTPNでの
ビタミンB1投与が指摘された
中心静脈栄養(Total Parenteral Nutrition
の大量投与以外は反応しません。
ウェルニッケ脳症が発症した場合も、
ビタミン
B1の大量投与が治療法ですか?
武田 そうです。ウェルニッケ脳症は、ビタミンB1
の大量投与以外の治療法はありません。診断と同
時に治療を開始すべきで、速やかに治療すれば、
=以下、
TPN)でのビタミンB1欠乏についてご説明
1日100∼500mgのビタミンB1静注によって、
ウェ
ください。
ルニッケ脳症 の 急性期 の 症状である意識障害や
武田 TPNは1967年に開発され、1970年代に
眼球運動障害は1週間以内に消失することが多く、
かけて世界中の臨床現場で普及しました。TPN施
回復すれば1日100mg程度の内服に切り替えるこ
行時には主な栄養素を入れて補給するのですが、
とができます。ビタミンB1の投与が遅れると、予後
経口摂取と比べてTPNでは糖やアミノ酸の負荷が
が悪く回復が難しくなり、死亡する例も少なくあり
予想以上に多くかかるため、生体の代謝に影響を
ません。
与えることが知られるようになりました。そこで、糖
質代謝に必要なビタミンB1を投与する大切さもわ
かっていました。
ところが、1990年代に、
ビタミンB1を添加せず
にTPNを施行して、乳酸アシドーシスの発現やウェ
ルニッケ脳症が発症した例が40例ほど報告される
ようになりました。その中で訴訟問題に発展した例
5
末梢静脈栄養(PPN)
Ⅳ 管理時のビタミンB1欠乏
PPNでもビタミンB1の
投与を考慮すべきである
近 年 、術 後 の 栄 養 管 理 などで 末 梢 静 脈 栄 養
(Peripheral Parenteral Nutrition=以下、
PPN)
T
所要量は1mg前後ですが、術後の静脈栄養では、
が多く行われるようになっています。
PN管理と同様に1日3mg投与することが求められ
武田 TPNは2週間以上の静脈栄養法による栄養
ます。また、経腸栄養においては1日1.2mg投与す
管理が必要な患者さんが適応となりますが、適応
る必要があります。
でない患者さんに対して乱用される傾向がみられ
一般にビタミンB1の体内での蓄積量は平均25
ました。栄養サポートチーム(Nutritional Sup-
∼30mgですが、加齢とともに減少する傾向があり
port Team =NST)で栄養管理するようになって
ます。図2は、若年者と高齢者の血中チアミンピロ
からはPPNが普及しました。PPN管理では電解質
リン酸濃度の頻度分布を測定したグラフですが、
こ
代 謝 の 維 持 効 果 は 確 実 で す が 、以 前 は1日
れをみても高齢者はビタミンB 1が半欠乏状態にあ
200kcal以下しかエネルギーを補給できません
るといえます。したがって、高齢者の患者にはとく
でした。末梢から投与できる輸液は浸透圧の関係で、
に注意してPPN管理時にビタミンB1を1日3mg以
糖濃度は10%以下になりますが、
PPN輸液の開
上投与すべきです。なお、若年層においても潜在的
発により1日1100kcalまで投与することが可能
なビタミンB1欠乏症が少なからず存在するのでは
になりました。
ないか、
という指摘もあります。
胃がんや大腸がんなど手術後1週間程度の絶食
PPN管理でもビタミンB1を投与しないと、ビ
期間が必要な患者さんの場合や術前栄養アセスメ
タミン欠乏症になる恐れがあるということですね。
ントで栄養不良でないと判断された場合は、
TPN
武田 そうです。PPN管理時にビタミンB1を投与
に比べて簡便で感染リスクが低く、安価であること
しないと、血中濃度が低下してその後の経腸栄養
から近年、臨床現場でPPN管理が多く行われてい
や経口摂取でも回復が遅くなるという報告があり
ます。
ます。
TPN管理時のビタミンB1投与の必要性につ
ビタミンB1の欠乏による乳酸アシドーシスやウ
いては、緊急安全性情報で周知されていますが、
ェルニッケ脳症は、合併症です。とくにウェルニッケ
PPN管理ではいかがですか?
脳症は後遺症もあり死亡する例も少なくないこと
武田 PPN管理ではあまり注意を払っていないよ
から、
リスクマネジメント上から絶対に防がなくて
うですが、結論からいえば、
PPN管理時にもビタミ
はなりません。合併症予防は、患者さんのQOLを
ンB1を投与すべきです。たとえば手術前にビタミ
保つためだけでなく、医療経済学の観点からも重
ンB1の血中濃度を測定して28ng/mL以下だった
要です。そういった点からも、ビタミンB1の働きと
場合、
PPNのように短期間でカロリーが高くない
大切さをよく理解してもらいたいと思います。
特
集
静脈栄養でもビタミンB1の投与は不可欠に
なります。しかし、血中濃度が28ng/mL以
上の場合でもPPN施行によってビタミンB1
図2 高齢者ならびに若年者における血中チアミンピロリン酸濃度の頻度分布
(%)50
高齢者(疾病※なし 39例)
は欠乏しやすくなるため、投与した方がよい
高齢者(疾病※あり 182例)
でしょう。ビタミンB1は水溶性ビタミンで過
40
ビタミンサプリメント
服用高齢者(14例)
剰症の心配は不要ですから、血中濃度測定
をする時間と費用を考えれば、
PPNを施行
する患者さんにはすべて投与した方がよい
頻
度
分
布
30
若年者(100例)
20
といえます。
10
ビタミンB1の投与は、
合併症予防に必要な処置である
PPN管理で投与すべきビタミンB1の
量を教えてください。
武田 日本人のビタミンB1の1日当たりの
0
20 60 100 140 180 220 260 300 340 380 420 チアミンピロリン酸濃度(nmol/L)
※:心不全、糖尿病、高血圧、虚血性心疾患、卒中、
うつ、COPD
Wilkinson T.I.et.al:Age & Aging 2000;29:111-116
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