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グアテマラ子どもの健康プロジェクト
Healthy Children for
Healthy Family
Issue No.3 October 2006
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グァテマラの人と生活
―お祭りー
復活祭、死者の日、独立記念日、クリスマスがグァテマラの大きな祭りで、それ以外にも各村ごとに開か
れる小さな祭りもありその日は保健施設も休日になる。いつもどこかに祭りの夜店が出ているのを見かけ、
翌日には道に寝ている酔っ払いが少なくない。
9月15日は独立記念日で、ここシェラの年一回の祭りと重なって 4 連休になり、各小中高校では 5 月か
ら楽器の練習を始め楽器の音で騒々しかった。今年はスペインから独立して 185 年目の記念日、すでに前の
週から楽隊と学生の行進が始まった。日中は暑く夕方雨の降る中で黒の革ジャンパーを着て兵隊のように思
いっきり足を地面にたたきつけながら歩く学生、女学生達はたか∼いヒールの靴やブーツを履いて長時間の
行進を続ける。狭い石畳の坂道にはぎっしりと人垣が出来、前方の人は椅子を持参して座ってみていた。祭
りの日にはみんな正装し、日頃の民族衣装がさらにあでやかなものになり町を彩る。市場でイチゴを売って
いる11 歳の女の子も衣装はきれいになっていたが、顔はいつものように汚れていて走り回っていた。
復活祭の前には国立のサンカルロス大学の学生達による仮装行列がある。お祭りの前から彼らは寄付を集
めて廻るが、一部の寄付金を彼ら自身の懐にも入れるという。寄付をくれない店にはドアや壁全体に黒いペ
ンキを塗りつけ、無残な姿になり復活祭の意味をも黒く塗りつぶす。復活祭はグァテマラの中で最も美しい
祭りとして知られ観光客が多い。教会ごとにキリストやマリア像の乗った大きく重い木のみこしを信者達が
担いで半歩づつ行進する。小さな幼児、小学生、年長児、女性、男性などのグループに分かれてみこしを担
ぎ、5分くらいで歩いて回れる小さな中央公園を一時間かけて一つのみこしが回る。宗教的な黒や紫などの
服と帽子をつけたグループの他に、小さな子供たちのグループは愛らしく、家族達がビデオやカメラ、飲み
物を持って子供たちに付き添ってまわる。いくつもの女性達のグループはお揃いの民族衣装を着て行進する
姿が、グァテマラらしい色で非常に美しい。
お祭りの日には、固い丸いパンのような菓子や砂糖で煮た甘そうな果物、からつきピーナツ、フライドポ
テトとチキン、安いおもちゃなどの屋台がどんな田舎でも並ぶ。大きな市では牛焼肉や飲み物など伝統的な
物の他ピザ、ホットドック、タコスなど食べ物の種類も多い。安い中国製のおもちゃなどが並び、アンパン
マンやキティーなど日本のキャラクター物もいっぱいある。マリンバの演奏や若者向きのグループの演奏が
あり、踊りだす人もいて人々は大いに楽しむ。
―バスと乗客―
グァテマラではバスが唯一の公共交通機関で、シェラ市内のバスはアメリカ合衆国から来た黄色の中古通
学バスが多く使われている。シェラと首都間のバスも古いものが多いが、高い山の上り下りをかなりのスピ
ードで乗用車を追い越していくほど馬力がある。数ヶ月前、首都からガソリンを積んだタンクローリーが横
転していて、通りすがりの人はバケツで燃料を貰っていた。安全の為に無料でもタンクを空にした方が良い
という。
市内バス賃は大人1人 1 ケツアル(約16 円)で、6 歳以下は 1 人無料、2 人目から半額を払わなければ
ならないが、払っていない人も多く見かける。マイクロバスも多く走っているが、知っているだけでも強盗
に会った人はマイクロバスの方が多いようだ。先日 10 人乗りのマイクロバスの後ろの座席に 2 歳くらいの
子供を連れた女性が座った。すぐに数人乗ってきたため女性は子供を膝の上に乗せて席を開けるように再三
言われたが、全く無視して 3 人座れる空間に小さな子供と 2 人で座り、誰がなんと言っても席を譲らず、誰
かが「あの人は動物だ」といった。18人も乗せていたために 5 人が狭いところに斜めに中腰で立っていて苦
痛そうだった。
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グアテマラ子どもの健康プロジェクト
バスに乗ると人々は必ず前の席から座っていく。女の子達は必ずといっていいほど女性の横に座る。前の
席の人が降りると必ず誰かが動いて前の席に移る。沢山降りるとそれだけ多くの人が席を移動する為、後ろ
から見ているとその姿は将棋のこまが動くように見えて面白い。
シェラの隣の市はアルモロンガという温泉のある町で、野菜がいっぱい作られアメリカにも輸出されてい
る。バスはいつも先住民の服を着た女性と子供たちで満員になり、アイスクリームや豆を売りに来る人など
でにぎやかになる。どんなに席があいていても、家族が 5 人いても家族で一緒に一つの席に座る。それも子
供の年齢に関係なく、中学生くらいでも親の膝の上に座っていることが多い。先週末、温泉に行った帰りに
バスに乗ったとき、市場で買った野菜と花をたくさん持っていたため、高いバスの階段を急いで登れず、登
りあがったと同時に運転手が急発車した。私の体が前に走り、その瞬間乗客がみんな「あっ!」と声を出し
た。その直後、多くの女性達が一斉に立ち上がりバスを降りようとして歩き始め、「このバスは危ない」と
いう声が聞こえた。
ジュリッサの取り組み 「家番号から広がる健康カードと住民登録」
ジュリッサはカホラ地区の地域保健を担当する 24 歳の女性。小さな体で200ccの大きなバイクを乗
り回し、活発で頼もしいけれど気にしやすく泣き虫のところがある。2年前カホラ地区で調査をした時、カ
ホラ保健センターは、診療拒否や「先住民は後」と言われたなど診察順番の差別があると住民からの訴えが多
かった。ジュリッサは村を回り保健教育をしたり、ボランティアを組織してトレーニングを行い、住民との
対話を大切にしながら保健センターの信頼回復の一役を担っているといえる。
ジュリッサは早くから地域の人口調査や地図作成を終了していたが、まだ家に番号をつけていないため地
図のどこに誰が住んでいるかは調査をした彼女しか知らない。県保健所の地域担当者は現在この人口調査を
ケツアルテナンゴ県全体で促進しているが、番号をつけることを推進していない。プロジェクトの目的から
栄養不良や重症の子供など、問題を持つ人の家庭訪問をするために番号は必須である。ジュリッサは1ヶ月
半前からこの番号をつけるために村を回り始めたが、同時に保健センターに受診するときに必要な健康カー
ドにこの家番号と同じ番号を記入して作成することを思いつき、実施している。住民が「私は健康カードを持
っていないのでうれしい。早く使いたい」と喜んでいたと、住民の反応を彼女もうれしそうに報告してくる。
更に、田舎では住所というものがないため、市役所ではこれを住民登録に使うことを考え、「家の番号付
け」が「保健カード」と「住民登録」というシステムの鍵になりそうだ。保健スタッフたちは何か良いもの
を持っている。しかし、上司や同僚はその良さを認めていない。それとも意識を持って見ていないのか。
最新ニュース:プロジェクトを開始して1年、地域保健スタッフの自己評価
学びと保健サービスの改善
―各地域でー
昨年10月プロジェクトを公式開始して1年を迎え
るに当たり、各地域の正看護婦と地域担当者による活
動モニタリング、各地域における全保健スタッフによ
る自己評価を行った。数字の指標は用いず、プロジェ
クトとの関わりの中で1年間の活動を思い出しながら
それぞれの気持ちを表現して貰った。また、いつも発
言の少ない准看護婦が意見を出しやすいように、医師
と正看護婦とは別のグツープに分けた地域もあった。
プロジェクト地のほとんどは先住民が 90%前後を占
めるが、その中でパレスチナ市は 67%と最も低い地
域である。昨年8月に月例会を開始したが、最初の2
回は正看護婦が一人で話し続けたり、「日当出すなら
地域に行ってもいいよ」といい、3時になると数人が
帰る準備をして出口に立って話を聞いていた。少しずつ参加態度は良くなっていったものの、ここのス
タッフの態度や活動実施の悪さはプロジェクト開始時から問題になっていた。9月、ここの市長から県
保健事務所の看護責任者に電話がかかった。保健センターの医師が全く仕事に来ないこととスタッフの
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グアテマラ子どもの健康プロジェクト
態度の悪さを訴えてきた。パレスチナ保健センターの評価では、全て 100%実施したと看護婦は数字
で発表した。モニタリングに参加した県保健事務所の看護婦が、この地域から病院に送った子供の数を
聞き、その記録を見せるよう要求したが、記録には何もなかった。生後15日の赤ちゃんが日に日に小
さくなっているとの伝統産婆からの報告で、三浦隊員はこの正看護婦に家庭訪問にいくこうと誘ったが、
書類書きで忙しいと拒否した。翌日隊員と地域担当者が訪問すると、すでに死亡していた。隊員は泣い
て報告したが、問題視したのは数人だけだった。翌日県の看護責任者が保健センターの正看護婦に忠告
書を送った。2年前に調査結果を報告したときに「うちのスタッフたちは良くやっている、問題はない」
といっていた県保健事務所の人たちが、今やっと問題を認識してきた。「・・も・・も皆問題がたくさ
んあって大変だわ」と看護責任者が嘆きだした。
<6 つの市における、プロジェクトの評価結果をまとめ>
保健スタッフの利益になったこと
保健サービスの改善に努力したこと
• 診療がしやすくなった。
•
妊婦、重症児、などのマッピングに使っている。
• 病気と治療の知識が向上した
•
家庭で正しく治療を続けているかどうか観察するために
• 乳児の病気の早期発見の知識と技術
家庭を訪問するようになった
が向上した
•
重症の診断がより適正に出来るようになった
• 乳児死亡への意識が向上した
•
診断と治療が早く簡単に出来るようになった
• トレーニングの機会が増えた
•
治療が適正に出来るようになった
• 住民の実際の生活を知った
•
病院と保健センターのコミュニケーションが良くなった
• 機材、重症の子供の家庭を訪問する
•
患者、家族との会話の時間が増えた。
為のバイクが提供された
•
家族との信頼関係が良くなった
• 協力隊員のサポートがある
•
乳幼児健診のグラフを使うようになった
• ネガティブな考えからポジティブな
•
乳幼児健診をより理解するようになった
考えに代わった
•
子供の病気の早期発見と危険な兆候について、親へ簡単
• チームワークの改善
に説明できるようになった
• 時間を守るようになった
•
病気の子供の親には 5 つの基礎ケアの保健教育をする
ようになった。
隊員のよもやま話 第3回:1 年を振り返って
助産婦、小児看護婦、栄養士の6人の隊員
のうち、1人が1年で任期短縮して帰国し、
最初に参加した協力隊員3人は来年3月で2
年の任期を終了する時期になった。「プロジェ
クトとの緩やかな連携」という青年海外協力隊
の不明確な方針のもと、付かず離れずという
ちょっと不自然な感じでもあったと思う。
隊員たちもチーム6人が揃わないままの半
年近くになって4人だけでチームの活動目標
を立てた。母子保健という決められた枠組み
の中で、隊員が出来ること、行ってよい活動
も限られていたため保健教育に焦点を置き、
「より多くの住民への保健教育」をチーム目
標とした。隊員それぞれが、保健施設での患
者家族、妊産婦のグループ、伝統産婆のグル
ープ
特定の村、小学校で大勢の小学生を対象にした人もいれば、栄養不良や病気で状態の悪い子供の家を訪
問して母親への指導を行う「必要性と優先度」を重要視する隊員など、それぞれの地域の中で対象者を
決めて保健教育をおこなっている。
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グアテマラ子どもの健康プロジェクト
今回、活動の振り返り、チーム派遣、プロジェクトとの関係などについて話し合ってもらった。
「赴任当時、自分のことで精一杯、チームのことも考えないといけなかったので大変だった」しかし、
チームの職種が近く、それぞれの知識や情報交換が出来、また保健教育の方法を伝授したり 盗みあっ
たりした のが良かったと楽しそうに語った。何よりも相談できる相手がいて精神的に良かったという。
昨年末より、それぞれの任地の村の祭りの日に 健康祭り を企画し、子どもと大人の体重身長測定、
大人には血圧測定と保健教育を行い、みんなで人参入りとほうれん草入りのクッキーを作って、折り紙
と一緒に 3 個 1 ケツアルで売った。このことが任地以外の地域を知り、住民とのふれあいにつながり、
やりがいがあったという。プロジェクトとの関係の中での活動は、活動の目標を見出しやすかった、乳
幼児健診など一人で行うのは大変だがプロジェクトの活動として行ったのでスタッフを巻き込みやすか
った、日本にない問題が多いので相談できるのが良かったという。その反面、「評価を行うときに誰の
影響でよくなったのか判断しにくい」と、一隊員としての努力の成果がはっきりあらわれないことに対
する残念さや不満ものぞかせた。
―栄養不良の子供のフォローアップー
パレスチナ市のカルメン村の保健ポストで働く三浦亜紀隊員は、予防注射の時に体重測定を行い見つ
かった栄養不良の子供や、診療にやってきた重症の病気の子供の継続ケアを行っている。標高 2810mの
尾根の一番上に保健ポストがあり、その両側の谷のように急斜面を下って行くところにほとんどの村々
がある。カルメンという村の由来は 神に近いところ という意味があると住民が言うが、本当に神を
思わせる山岳地帯で、ここからは二つの市と隣の県が見渡せる。
彼女のフォローしている子供の中に、生後 4 ヶ月の 3150g の赤ちゃんがいる。3 ヶ月間体重の上昇が
なく、4 ヶ月目に低下していると連絡があった。母乳が不足していてミルクも買えないため、人々が毎
日飲んでいる重湯のような飲み物を 1 日一回開始することを勧め、その中に入れるミルクを買って寄付
した。数日前に二人でその家を訪問したら、母親が子供を背負って朝4時頃に出かけていて不在だった。
三浦隊員は普通 2 時間かけてこの家まで降りていき、3時間くらいかけて戻っていく。家庭訪問は不在
のときもしばしばあり大変だ。私は 15 分くらいこの急斜面をよじ登っただけで息切れが激しくなった。
シェラ市から 40 分のところにカホラ市がある。昨年保健センターにやってきた生後5ヶ月で 1800g
しかなかった赤ちゃんは、ガリガリにやせた骨と皮で空腹でずっと泣いていて、母乳は出なかった。こ
こで働く栄養士の波多野桃隊員がフォローを開始した。おかゆに粉ミルクと油を入れて作る高カロリー
の飲み物を開始し、母親に保健指導を行い、現在1歳半の可愛い女の子に成長した。
先日の電話で、シェタルビホフという山の村で、生後2ヶ月になる1800gの赤ちゃんの相談をし
てきた。この赤ちゃんの場合も母乳が少なく、貧しい為にミルクも買えないが、空腹の赤ちゃんにおか
ゆスープを飲ませることを勧めた。1日3回、1回に 20ccくらいスプーンで良く飲み、この1週間で
460g体重が増えたという。
栄養不良の子供は多くはないが、カルメンもシェタルビホフも乳幼児死亡の多いところである。この
「子供の栄養不良」は病気にかかったときに健康な子供よりも死につながりやすいため、一人の子供の
ファローアップは命を救う一番の道である。お金がなくても出来ることがあることを、皆に伝えて欲し
い。
編集後記
►今回は1人でニューズレターを作成した。8-10 月に予防注射の国家キャンペーンが入ったために、
予定していていた短期専門家によるトレーニングを来年に延期しなければならなかった。しかし、この
予防注射が実施されなかったのである。この結末は次のニューズレターで語ることしよう。
►9 月に4人の協力隊の人たちが遠方からやって来て宿泊した時に、スペイン語の失敗談が出た。ある
隊員がレストランでお茶を注文しようと「テ キエロ」と言ったという。正しくは「キエロ テ」とい
わなければならなかった。「テ」とはお茶の他に あなたを という意味もあり、「あなたを愛してい
ます」と言ってしまった。言われたウエイター、驚いたのか喜んだのか?
グアテマラ子どもの健康プロジェクトニュースレター第3号
発行日 2006 年 10 月 25 日
編集人 工藤芙美子
発行人 チーフアドバイザー 工藤芙美子 連絡先 [email protected]
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