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チベット仏教文化調査団報告書

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チベット仏教文化調査団報告書
第
二
回
高野山大学
チベット仏教文化調査団報告書
は じ め に
(
J
j
野1
1
1大 学 長
巾 川 善 教
昭和 5 2f
手1
<
:
:結 成 さ れ た お 野 1
1
1大学のラマ教文化調査凶は,その年 6月下旬からラダァクにおけるラマ
教文化品~fi を行司たのであるが ,
軍司 5
3年 3月 tζ チベット仏教文化IiJ
f
究会と名称を改め ,組織令強め本航
恒久のチベット仏教の溺任研究隊関とし,
ζ の研究会の企画に依って第 2恒
l
の再開 i
t
l
:
J
l
を結成して
. 6月 15
8から 8月 3日比 主 る 50日間,現地調査が行われた。乙のIl!:はラダフクのレ一地域とザンスカール地域と
の 二郎tζ 制成され,レー調査隊はアルチ寺院の唆 I~jjの'弓 uJ!世~と , 11臼作!立に,~,~1tの及{まなかった寺院の調伐
を主目的とし, ,吟主tミ円~r,市'á>隊長として.修士課程二年の小林紛善(筏数学)同 一年の是正本j:j~i益(仏教学 }
!司じく ~In~~主(仏教学 )06 の炊行行(綴数学)向・ 門 I珂Jt(礎教学)の 6 名。隊fl(uJれも調査の他1<::.小林111よ
渉 外 I ~まみ::Ptl卓会計,長 IJ:Iおは写以 .OB の玖白51正装備, I
有門朗l
は
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'a>分組。小体厳木の 1
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き
二度組である。ザンスカ』ル調査隊1
;
1.その.It担械のごF
院の品目径と .波てカルキ・Jレーザンスカールーレ ーのル ー
ト調査を主目的とし.越1
事
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i
'
f
.仁 f
務
自i
l'a>隊長とし,
OBのがjl'!照之(仏教学)二上 1
1
i
:
弘(仏教学}と こ図'1;の
常多界(仏教学)の四人で制成され . 約主的は J己録 , ー二 上品~j は裟<<;j. '0浴多 ;/..t l;i渉外 ・ 会.1 1' .æ分担;!.越間隊~
とお多お 1
;
1
.
l
t
iJ闘にあt
き二度目の隊
nである。ザンスカール隊はお地,l1.M の紋もめって .隊長を除いて何れも
山岳都総員である。
レー隊 i正予定の如くアルチ村i<::Jjきて,昨年の凋:í'f.を踏まえて自炊術活~しはがら . I
何回のM彫はどに成果
を挙け'たのでめるが . 学術的 tJ 成栄のタP<::.
果という
ζ
その地の人々との問 K~重いそ正流を深めた ζ とは,時い'1:きた成
とができょう。それともう 一つの成果として ..!JlJ出に JIし、て 1有ぐにというのはイ.~ "
1能信儀子伐の
iの折1<::投降
で,来年M¥if
m'a>修せられたき希望を託しておいたと乙ろ ,ア ルチよりレーに向う主主1'1の ')キル
のゴンバで , アルチより同行のラマの~Ii'Æ I<::依って . はからずも投1"}i IJtの修行が実現した乙とである。 J控除
はJ
息災,*1<::依って修ぜられたようであるが. Y
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普 からの始終脅八 E リi<::スライド ζ
4 微量駐され.1
内投j
予t
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2
背*されているから,従来文献に依る外はなかったチベァトの投j
収供の実際を, I
Y
Jらかにする ζ とができた
のは司きであった。
ラダックの首郡であるレーの南西にあた司て . 大き伝ヒマラヤ山 ~K 添って忘る必I也の巾1<::,ザンスカー
ルという区主主の村々が有る。四千メート
J川 ζ
及 ぶ ねI
也でゐる。スリナガールでレー隊とtRを分ったザンヌカ
ール隊I;t. . 側然サニの製品与で納止ま i椛 I民 4ζ会 4 ている。乙れらの記録は ,\\~ti隊の個H'i
.!}It明らかにされるでゐ
ろうが , y^主の如くレーからザンスカールを i泊 q て.デオサイ山 E眠中のカルギル ft~ るルートの,,(1ft も ~J わ
れた. (.有地における月余の刈金活動のためであろうか,越智隊忘れま級事聞のあと郷~へ行く浴中発的. :
.
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,
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炎のため 3箇月の病院'
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if;を余儀 1.(くされ, 11!
J1 7 ・ 1 8 の両日樋符院大γ て'の径数学会学術大会 IC~
て,成果を発表する乙とがで主 1.(かった。
-臼のれと伎で温度差 J 7度という. 4 0 0 0メートルのぬ地IC
~ける,l~ 1'fが.如何にきびしいかを物語るものであろう。
レ』地方iζ~ ても.
f
I
<IC今年初めて品目査の la
>(
1
1
1したザンスカール 1
1:於ても.多くの調i
をすべきもの令伐
している。現地は急速IC 凶~が進められようとしているという。開発が丘t Ù'という乙とは現地の状況が変る
という乙とである。折戸1
の小チベァトにおける凋々を伴析せしめる乙と 1.( <
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.
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h/
,(乙の調l't研究の銑j
jさ
れる
ζ
とを仏天に析りたも、。
I~ 後にとr ったが,附4証, 5 2 年比絞いて乙の&の J~ l'tlζ b , 金剛飾寺当 ~J より資金の助成を放いた ζ とを傑
q 盛期し ,併せて今後のー仰の法殺をお願閉しゐげたい。
(テベフト仏教文化研究会々以)
目
はじめ
次
κ 一 一 一 一 一 一………・..
.
・
- ・-… …ー……...・ ・
..
一・ … … … … ー ・ 巾 川
H
H
.;'(,~教
第二回海外学術調f
i凶 調 査 総 括 …… … 一 一 一一 一 一 一 … … 一一 一一一一 一 … 滋 智 淳 仁 一ー 5
ザンスカールの得教耳目資 一 一 一 一一 一 一 一 一一 一一 一 一一 一 一一 一 一 一.,J1
H
,
翌ニ l
二J'
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多 …・ 7
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:!
日
ザンスカ ール高官汽臼必…一一一一一 一 一 一 一 … … - … … 一 一一 … … … …一一 病
之 …25
レ一地織における前回米調査寺停を………………… …… …… … … … 一 一 … … ・ 的
怨 側 … ・ 32
リキル寺の息災 i
i
'
i
W
iに つ い て … … … … ー … … 一 一 一 一 一 一 ・一 一 一 … … ー ・ ・ 坂 本
佳
i
U....38
総
議 …・ 48
アルチ守院の
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H
量級
r
話量産量的 .
p侵請を維について……一 一 一 一一 一一 一一一一一一一一一一一一… 小
アルチ寺院の仏~盛岡考
アルチ寺院の仙J~
…・ 一一一一一一一一一一一 -- _--一一一一 一
林
一 長 田 実 生 … .53
.
1
詮宇の実測
付マ J ダラ分布図お・よび実測~
… … … … … ..
・ ・
.
.一 一… …一 ・ 南 門 明 主 主 … 58
H
7 ルテ寺院の[l,![i画保影備忘
付
アルチ各堂自主画スライドーも2引
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… … … …一 一… … … … … ….
.
..
ヰ
守
行 ー・
・64
日 程 変 一 一 一 一 一 一 一 一 …… … … …ー … … … … - … … …… … … … ー … … … … … … …… 72
装備 ・食
m・灰岩更についち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ーー・ーー
・・
・
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・
・ー
ー・
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・
・
ー
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・ー
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・
ー
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ー
・
・
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ー
ーー
ー75
~=回チベッ ト 仏教文化調査凶収支報告…… 一 一一一一一一一一一一 ・ … 一一一一 一一一 ……・ 85
f
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J 員名
簿 一 一 一… 一 一 一 一 一 一 一 一… …一一 一 … … … … 一 一 一 一 一.
.・・-……………・・ 86
e
寄 付 者 御 芳 名 一 一 一 一 一 一 一一 ……ー…...・ ・
・
…一 一 一一 一… 一一 一一 一 一一 一 一 一 一 -87
H
研究会袋線一一一……………...・ ・-・…一一一一一 一 一 …一 一 … … … … … … …… … … …・88
H
編
w 後i!e… … … … …一 一 一 一 一一 一一 一 一 一一 一一 一一 一一一一一…..-_.....…一 一 -90
地 凶
第 六回 海 外 学 術 調 在 凶 調 査 総 括
選 智 洋 仁
今 fr'J の学体1J~1・E凶は 昨年のラダァヲ I曲以にわ;(1 る
r
o'(II( ラマ教文化品目倉聞の予備~fi -å' 叉 (1 て .
I, ~地
域の本 j~~ l'iζ
r吟るとともに,前回,払:
(
1
11
にはぜひと
のゴンパ(寺鋭)lcは J威厳tMft系のð' r珂の~*,~t
( sarvavid-ma !, ~aln ) ゃ .
r
V
)
罪
向J
'
を絡んだヒ'ル
シャナを中絡にもつ金剛界.ffi.の~岩~W~~ が多数あり.
も刈ぼしたいと考えていたラダッヲの l
将側 r
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I
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I
.す
インドの密教史&.ぴ1<.術史tζ~ ,ll',t資事司令JI,l供して
るパンジャブ ・ヒマラヤの東山Z
置に広がるザンスカ
いる。乙の事韓合主}の巾の小林曜日 l
i
i隊 員 の 綴 告 は 正IC
ール治以の予備調fiとに当った。
ζ の是重量車両す浄系の?草月四の {;!~llí -i>テーマとした研究
凶t1の t
揖
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l
1
,r
iラダフヲのレー周辺をぬ1'fするレー
綴 告 で ゐ り , 又 ζ れ は 彼 の 修 HiII文のチーマの -Q
,
iお1・t~ と.ザンスカール予備調1・t隊とに ニ分した。
でもある。又 .,
'
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止の純H
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j釦1
ぷ凋l'
fK終。た
そして今回l
のI
V
f究調査の終始を総指する,i;J.味で,
ゴンバ鴻査のJ~*でゐり . ζ れは Ijílful の .l~盗ぞより
rìíJllI1 のラマ教文化.~W任問の-1.1 1ζ加わり. .~'h可した経
光R させた乙とに ~C .
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こ
。
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X. )レキル
・ゴンパでの
験-a'もつ必7"/がその戊任者とはった。レー品!!l' :
r
よ
墜の記録八 Eリフィルムとスライドとは ,今
息 災 談i
1
5め, rlíJlIIJ の,~~
本学俄数学科の飾品主闘講師が隊長-a'1
まで知る乙との ~li*',(か。にチベァト後教の滋$の
1'l:'下験~Ilつ小林.唱ま 本向院生,&び 三人の随 t'~~
実際と興味ゐるシーン~研究 ~Iとうえでくれる。巾
加納-i'加えて"十 6名で偶成した。又.ザンスカール
でも安楽綴の f
f
ifJらはブァタグ 7 ~ 7の 大 日 経 広 釈
~H:t läl可が隊長 HíSめ,
197 1年の書)1次ゑパー
ル学術 :l~ 1'iJ~ の隊.uでるゐった本学山 ffillllの Oß で
もゐる納
ι て上(置f
i
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i参加)山氏と ,I
I
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/1
1
1
1の凋t't
J
されているが . それ等と
等の中でよ手綿花.&IlI
ζの実
際との比較研究志今後の興味めるqJjヲピテーマとはろ
う。又 .ゲールヲパ(ルキルゴンバ}の息災』控除の
HI で抄外ちに光分ノ'J{,~を発l'Ií した 'ìi~ 多,[1 との 4 1
:
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,
で
~軌と必勝 4ζ 佼 m しに f.:ißlゃ資H~b 必然して米て
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,
'
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l
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比した。
いるので .乙れt
pの資料による今後の砂「先が待たれ
レー..l'I ,'iß.まの研究J,~í主においては.以 F の点が上
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の
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,
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真
正
ノ
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l隊此の骨t
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る所でゐる。乙の f
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i, 乙のルキル ・コンパの』控除t
ζ
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泌する研究綴包で
製'
,
t,~'ftJlX:*でゐ。にと忠われる。
レ-~l't隊のJ1l'tの目的は.アルチゴ J バの唾肉
鍛~と公う官官教美術の五u軍費約の.IU !ι で 4>., ,fょ.乙
ゐる。
以 上 の 織 に ①1
管教1<.鈴1の J
.
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量f
nlとしてのアルチ
- 5-
,
ンケの誕今訂正して t
.
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ょ. ζ れで字の予備議 f
iの研
uフィルム&.ぴ
究成果 1
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次C
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lのみ i
凋l'r1
d主今て完成されるでゐろう
コ J パの1
1,1'肉Itl影②l
狗
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長:
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tの ゴ J
ゆルキル ・ゴ J パでの息災 .
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事の紀
パ必 '
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{浪・I~L ・'é'Htて草の ~Uゎの :..ð、 iζ レ - ~(~ I
'
ts
J:の成*.z.
が , ζ の事現佑 ,I~ の '1 1 で Ij , ザ ./Ã カールの官官教訓伐
I~約し l!j ると M.lわれる。
と題して越1"1. ニ
ザンスカールJlj ft~まの予備,;r.'ftの成!.l~1よ . 以ドの
1
;.1i~ 多の ニ~,の合 friJ研究桜子;と
して発ぶしておいた。しにがって,t
fしくはその報告
wζはザンスカールの調合
1
,
'
,
¥1
ζ ゐろう。ザンスカール 1
;
1J
I!
が奥地まで人れず.
:
.隊
を参照された L、。糾 1
1
.1とんと・がA
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>徒 渉t
ζ よらねば必ら I
,
n、。乙うえう
日誌令観当して bらい .カルギルからパルドクン ・
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4
:d
tトでスル渓谷の上続のランドン
ゴンパの往復の.::1 1ft 口 :li-i- 鈍!~してもらった。又.
・ゴ J パから.
m u
によるラダァヲとザンス
:折(1とめ
ザンスカールのパドクン村のルンナヲ川の 1
事担告.'}の M後 tζl
;
1 多隊
るパルドクン ・ゴンパまでの全 Wi
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の主主 J
:
にめる全
カールの古布
てのゴンバとラカンの予備品目売が 1
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と. l'Y~
時参照されたい。
rの 酬 を 折 侠 ん で お い た の で 随
自l
のピルシャナは発見出来 f
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.
か っ た が .恥;
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)、
愉 W'
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以上が今 f
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の学術品伐のJ
&
.取と総 f
Jである。 ζ の
If.'i んだピルシ々ナや , 阿陶を中将とする ~!.'i rl( ゃ将
織に,今回の .
lUWIか持!('
J
Jその任事f巣し得たのも .
IVJの~-?,'i 1
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1
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D
;管見出来得た・J
l
. サニ ・ゴンパのカニ
隊員各伎の低まぬパイタ '
)テ
カチ.ルテンの調炎,及びバドクン村の{J仏~jft等
及び向学心とによるものである。乙の点を特I
C明o
e
でゐり.パドクン村の五仏I
C闘 し で は ^.11.7ラ
して紛い総l
'
dとしに t、.
- 6 -
4 ーとえ倍強と使命感
ザンスカールの密教調査
占遺智.二上 ,常多
今関のザンスカールの学術調査は予備調伐と云う
てもら。ていたので . ζ のW<
!
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}1
ζ は無関係で f
.
t
/
.
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J
ll
t位。ていた。そ ζ で差是々は今回の学術測企をど
いけれど, 乙の報t
i,
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FとI
J
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I
ζ ザンスカールの潟倉日
の織に抑lし巡めるか I
tついてかなり時間をかけて討
誌を発表してもらう
議した。その結果,出発地から目的地(1!t終地)ま
彼の名前を削除したのである。
ζ
とにして .
ζ の綴告舎からは
でを完全にめますと乙ろのない織に;泊先して .l
)
.
:[
n
J
乙ζ
I
ζ 乙のザンスカールの縦告書が成。た0)b.
の本 .
ttltパトンタッチしようと云う桜花決定した。
隊員会員が一丸とは。て附媛伝倒的 ζ
I立ち向。た献
したが。て鮫終地の決定は日時q>1fすかぎりと五う
身的な努力の脇物であり.それ以外の何物で志位い
岐にして 1 ル渓谷の録初のゴンバ . ランドタンゴン
と痛感するとともに.費賢明 ιの佼舟意義せた l
s
I
ζ安 織
バから調査を開始したのである。ランドク ン ・ゴン
を覚える。
古事自を
バ で, リンシェ ・ゴンバのf
mたが円程的 Itif干
(1) ランドゥン・ ゴンパ
bし紛り
I
t目的がS
干せば訪守すると云う!jJでl).:のゴンバへと
8
.)宗派
ガーリのリンポチ z ・テンジンチ
ョギ ャル{ダライラ ?の~J沼〉
以下ランドクンからパーカルツェ ・ラカンまで貌
々が歩いて潟悲した畷ζ
1報告をして行く乙とにする。
;
t
!
!両及び車事像の写 真搬膨i'組ちした
ζ の線型,の f
c) f
曽 数 約 50名
d) 創 建 年 代
e) 創E
章者
ニ ヒ隊員とドクカン内の荷額や噂像の名祢~-å>記録
そしてゴノパの宗派. 王子伝 . 仏教文
JØ.t~の調子t と隊員全員の研究活動の喰線 It~ めた級
将とが合同研究と云う形で報告する
ある。
ゲルヲヲバ
b) リンポチェ
wを..uめたのである。
した'ìi~ 多隊員 .
b~l1d sgrub
凶 加 m gl
i
n 啄yun
)
きれず.又 . ζ のゴンバまでは往復一週間もかかる
とともに .渡渉が図鑑でゐるため断念し.
(
r
t
U
;I
d
um
.
t
.八
ζ0
)三名 の 他I
t
ζ
とにしたので
Eリカ〆ラで記録をと
。た柄主隊員がいるも .後は 主ζ
1調査臼誌を叙当し
- 7-
約 250館 前
ガー 1
) ・ツァンのロプサンゲレヲエー
シェー ヲ ?パ
(調査〕線高 4400m のペンシラ鈴"Í' ~IL北西側 1;1.
m像{陵高約 3m ),その左
C
m。堂内正面奥に釈迦
スル地減. 南をザン Z カール地域と呼んでいる。カ
にツ aンカパ像がある。正面左手には赤色と Z
宮色の
Jレギルからスル渓谷を南下してパルカチ村まではモ
ツェバメー{無依寿〉にはさまれて,白色のヒ・ Jレシ
スリムの宗教問内であり .村々には態びらか伝モヌ
a
i
r舵!1m)が転法総aJ'を絡んで
セナ(v
l
lてられている。
リムの寺院がi
ζ れとは対照的 i
ζパ
レカチ村を過ぎるとチベっ 卜仏教悶でゐり .道 総 に
J
mしている。
又 ,正面tr.の墜には ζ の寺の創E
望者リンポチ'"
ロプサンゲレツタエーシ", -世クパ (
b
l
o 初 回 dge
が立て
l
e
g
sy
eも
eg
r
a
g pa) の値目官像の~耐とその左手前
られて. 乙れより先は仏教闘でゐる乙とが明示され
K小さなチ,ルテンがある。正面右手の墜闘の自U
I
ζ
ている。
はカーラチャヲラのヤプユム像{歓潟仏)ゃ.千 手
f
立小石が尚く積みあげられ.そ ζ 1
L9)レチ
g
1
:
ラ
カルギルから 130k.or南下したスル川の上流 1
+一面観管理手の像がある。乙れ等の像の自u
lL小さな
ンドク ン コ・ンパと 云う役初のゴンパ{寺院 )がある。
仏像が豊島っかあるが,特に四腎の観音 E
I
H
象の金銀仏
乙の寺院はジ
位し.川原の
t
s ルドー村とヲシトンデ村の中間 1
1
:立
はすばらしい。
n中の小高い丘の上11:*しい姿をとど
めている。
ζ の寺院はゲールクバに泌するラダッヲのリキル
寺 .ザンスカ ールのトンデ寺. リンシ£寺,ムオ、
王
寺,
プヲヲルミ
与. カルンャ寺とともに . ダライラ?の錦
:a,テンジン ・チョギャルの持ら寺である。
ドクカン{集会堂)は正面南向き, 1300X900
堂内左援にはラサ版のカンギュ ールを納めたバル
カン(緩函)があり , そとにはうサ版カンギュール
とともに 60牧ほどの蔵外と 30幅 ほ ど の ヲ ン カ が
こ
。
あっ f
ドカン入口の左右の墜には四天王と六i
箆倫
廻図の盛岡があり .中 庭 1
ζ
I
孟チ",?ンナムゲー王の
チョルテン ー基がある。とのチョルテン 1
1
:はこの寺
。
。
の関組であるロプサンゲーレーエーシェー空ヲパの
f
f
i
.
f
t
6(spur klwl)舟細められていると云う。その他
九 br
凶}
(
4) アプラン ・ラカン
にもルンマカーネンチエンドルジェーの御fHf
好(1主
a
) ゲル γ ヲバ
内 ÆI品iお)や多くの墜爾 , 小チ,ルチン~があ。て .
c) 1名
b) カルシ守 ~j: の末寺
d) 新しい
みるべき三依処は多い。
α〉リンシェ ・ゴンパ
(
g
l
i
n 500)。
未調査
e.)ゲルヲウパ
b) ランドタンゴンパと刷じ
c) 約 100名
ζ のゴンバはランドタンゴンバから点へ.孫々の
JJ.!で往復 1週間ほどの所のリンシ墨付にあり .立派
'
.
.
,
'
1であると聞く。
(調査 )~"苦 440 0m のペンツェラ峠を結えたザン
スカ ール地減でのJt,t初(J)ゴンバ。ペンツエラーーから
(
3
) タシトンレ ・ゴンチュン ・ラカン
(bkmも
js
mLh
ぬ legs mg
咽 c
h
四
;Or gon chω)
e.)ゲルヲクバ
c) 1名
流れ出したストヲドJlI
(8lω)が樹下し .ζ のストッ
ド
J
lI
I
C沿。てザンスカールの村々が点在する。ペン
b) ラ J ドン・ゴンバの求;Jj
d) 約 30査匹前
ツェラ厳からアプラン村までの聞には小さな村が縫
っかあるが. それ:J}の村々にはゴンバもラカンも'
.
.
m。申穆は千手
い。ドクカンは樹向。 530X 46Oc
+-1
爾鋭音。その他ドルジ,,_-チセン等の小さな仏
像 が 6体ほどあり。
:
r
'
町内のl
e
l
ζ十 )
:
j
矧般若(16般
bris ma)~納めたバル均ンがあり . ~画は全くな
く.全て新しい 9ンカで1
:
町内をd
企
画Eしている。
(5) ハミリン ・ゴンパ
(
h
" mig
li
I
l
)
米調査{ラマイ=
αのぬ)
CUl筆〉ランドクン ・ゴ ンバの少し先のヲシトンレ
a
) ゲルックバ
の上にあり.現在ランドタン ・ゴンパ
村の総の野郎i
Q
にあたっている。 ドクカン l
立劇外i
向.
の{門が一名ffF
470X580cm。仏像 l
i堂内 I
C'
:
; :tンカバと~偽善
品種とのこ体のみ。典絡はハ千世質量It~雪 (bris 刷11)
や
1f俊道次第治 (Iam r 皿}のtt釈 JI~のインドで出
版された色のが 6般あまりみられた。
- 9 -
(6 )
スキャガム・ コ'ン I ~
a) ゲルッタパ
c) 1名
カバ .左右の自まには釈迦と祖師像とが織かれている。
(Sky!
lI
1Um)
b
) カルシャの末寺。
b
ri
sm,,)の十万頒般若(16I
鉄)。村
典鯖は手写 (
d) 約 20館前
の中にくぐりぬけのチ.)レテンがあり . その内部の
天井ItSl奈綴あり。チョ ルテンは南東向。
(宮司査】ドクカンの申尊I
ま十一面鍛音。他 I
L釈迦像
2体.ツ sンカバ.+一郎観音. ジキヅェッドミ容の
編あり。JI4籍はナノレ9
!!,l;阿.+一両鋭背の書ンカ 1I
ン版の+万領般;t51 6験。・パドマサンパヴァのナム
乙のスキャガム村の対鯵1
<
:
:パーカルツェ村があり
<
l
.
u
hu仲間d) (令吟 I
d帥
s
g
r
u
bnasdgon仰)
a) ゲルックパ
空ル等の疎外も数l
険あり。
ζ
(
8) クウテ ・ゴ ン パ
b) カルシャの末寺
c) 1名
の村にもラカンがあるとの切であったが未認聞資。
(7)レマラ ・ラカン
a) ゲル・J クバ
(re ma l
a)
b) カルシ々の末寺
c) 1名
(翻査〕ラマ不在。マンダ村の北山腹にあり .宕墜
にへばりつくように三局の小さと,iI!物がマンダ村か
ら小さく見える。文 .布告の宕棚から水が湧いている。
弘 410X235cm
。中将はパドマ
ドクカンは東 I
サンパゲァ。
〔調査〕ドクカン l
ま南東 I
弘 460X 530c
m。中毒事
ト一 筋観音。~掴荏而 1<:: はグルリンポチ u ツ s ン
(
9
)ベー・ コ'ンパ
- 10-
(仲y
e) (肱TIlも i
s!
)
g
a
I
.
)
a) ゲルッヲバ
c) 2名
は 550X550e
l
.
l
。
中
毒
事r
.t釈迦釦l
耳 、 加ζ弥 払 ム
b) カルシ々の末寺
d) 約 1500是正断!と云う。
3
ζ バドマサンパヴ 7・+一面観育。/正むの壁画
r
.t釈迦
知来。
【11)トヮンリ ・ラカン
川ゲルヲクパ
〔調査〕
(
d
ω
i ri)I
以内寺
b) 2 - 5名 (J
ef
l
'
l)
ぺ一村のすぐ上の山践にあり ,一階 r
U
T
h
l
l.二階がドクカンと{闘坊にな。ている。本堂は l
旬
向
。 700X 720cIII。中毒事は弥偽善雌鹿&正面奥
1
1:+一面銀行.釈迦,弥革b
. ドクルマー.申書事のJr
Iζ+ 一面鋭了?とチ "Jレテン-"'~. .
{
j
l
ζ正観音. トー
(
淘査〕 我々カ棚倉 1
ζ訪れた払!
j,ら£うど尼僧逮
而観音.チャクドル .中尊必革b
の後i
制脇ζ
4釈迦と卜
10 名程が・j~tの人口で酒宴を附いている.Äm叩であ
一面観音マンダラの安ンカゐり。盟副は全体的 1
1
:
比
。f
ニ。調貸は早々切りゐげさされ.蛍を追い出され
較的古い。興鱒 r
;
t
.l
a
l
it
a
v
is
t
u
r
a(
)
c
週Ul
経】電車の
て. ザンスカールで志珍らしいヰチ守ン{米酒)を
大乗経JO!が数験と級外の典籍1;1;干.あり。
ふるまわれた。ドクカンは 400X 500e
,
慮
。申線十
一l
厨銭音。
(
1
0)ラン タクシ ャ・ゴンパ
i
1
)ゲルヲヲパ
(r
肌
t
h
a
gら
叫
J
正側ζ
t大きな弥 1
1
M
事胸像。 右 K ツ sン力
バ像。その他にグルリンポチ z 等の小像あり。乙の
b) カルシャの本寺
袋内の~iir孟比続均百 t 、興鰭 r;t. ・ 1・万鎖般若ミ事数験
c) 1名
あり。
(12) ト
ゥ ラハ ン ・ゴ ンパ
i
1) ゲルヲクバ
〔
調査〕
ラマはカルシャに制。て不在。 ドクカン
- 11-
(
br
a
gdku
n)
b) カルシ守のよ、予
c) 1 名
w手山般にあ
〔鈎登〕
ラマ不在。 トクラハン村の
り。ドクカンは南西向(入口は南東 )280X360
c
m
。正面左よりツ
1 ンカバ .
ドルジ z チ
ャン
, 釈迦 4
駐
出
;ba 等数枚。
【鈎査〕
ヵサル・ゴンパへの主主口の谷聞を測ると
山政I
r
t
曽築中の小さとfゴンパがあ。 f
こ。ドクカ
J
の
車
i
J
i
i
:
で
は 60才ほどのラマ{閉がしきりに説経 I
r比
t。
~あり。典絡は mdo s
deb
s
k
a
lb
z
ていた。乙
他にタンカが 16編ほどあり。
ただく。 ドクカンは南向。 340X 33Oc
m
.
。 中毒事は
ζ
でツァンバとプァジャ ー との昼食をい
+ー街観音。その左手前 I
ζ 木製の傭憾の上 1
ζ 五仏が
(
1
3)カサル・ゴンパ
(kh出1gSar又 1
;
1
:kha g
s
ar
)
尼僧寺
織かれているものがあり .他 I
ζ 釈 迦,パクバ等の小
仏 像 か敬体安fl1されている。墜磁にはツ aン カ ペ
未調査(ラマ不在の為)
サンワヅクバレ .チャク ドクヲパ等があり .典軍書は
a) ゲルックパ
ラサ版のものが数般と成外が 15I
嫉ほどあるが.ス
ンブンもゲーラブもないとの事。
(
15) ドルヂェゾン・ゴンパ
(
r
d
or
j
er
d回,i
)
尼僧寺
a) ゲルヅクバ
c) 尼僧
13名
(ドダ 1
1
1とい、う〉
トクラハン村からストアドJlI
沿いに山械を通過すると右手対停にサニ ・ゴンバと
ピピティン ・ゴンパとバドクンの村が見え出し.正
面化はカルシャ ・ ゴンパの~i);i謹く豆段穫に見えて
くる。そのあたりから .左手山目立の尚所fLC.のカサ
ルゴンバがのぞめる。ドクカンの前には
J
レテンがあり
8l
まのチ"
,畑の中lLi
通り抜けの大きは白いチ習
(調査〕
ラン E村から 4br
程谷沿いに f
室。た山磁i
に立つ。ドクカンニ字。上のドクカンは衛艇 f
弘
ルテンがー是正ある。水はゴ ンバの裏手の山阪にある
480X570cm
。中毒事は二階まで逃する弥粉苔 磁像
。
滋ぞいに山上の窓解水を引き使用しているが, ζ の
左に十万鎮般若と右I
ζ ツ元ンカパ像一体。鐙の図面
頃には水も澗れて人())住めぬ状 1
慢とな。ていた。
1
;1:干体仏の墜簡でうめつくされている。 ドクカンの
手前の入口広場 IL は,民足の~JliI'ij習が設けられていた。
(1
4)テーツェンリン・ゴンパ
(~n凶 t胤 β1(11
a) ゲル
y
ヲパ
(Wech
engl
i
n)
g
y
i 句h略 s fU)
c) 2名
ζ れはラダックのリキル
・ゴンパの f
l
f
J!J!嵯と同ーの
ものであ。た。下のドクカンでは入口正面 Ir+
一面
観音像の鍵u覇があり . 左手の E創立千体仏。右手の~
- 12-
I~ はナル タン販の+万頒般若が納められたバルカン
【1
8)チ ューチージャ)!
-・ゴンパ
iはドルジ z チ守ンの像が一体安倍して
があり,その奥ζ
(bcugcig め川)
尼僧寺
あった。乙のゴンパでは我々が調査に訪れた時には
a
) ゲルッタパ
c
) 尼{拘 1名
下のドクカンで 72才の長老の尼僧を申心f
ζ酒 宴 の
d) リンチェンサンポ(+一世紀 )の創建という。
I
設中であり.我々のゴンバ潟主主も早々に切りあげさ
せられた。
(1
6)ランミプラン・ラカン
mihi 仲 uh
r
a
n
)
(L
阻
(CO m Ob
ur
a
n
)
a) ゲルックバ
b) ド
ルチ'",
1ン の 末 寺 ?
c) 1名
〔調査)カルシャ ・ゴンバの左側,細い谷間令一
つ隔てた小高い山政の上にこの尼僧寺院がある。尼
;1.不在であったが.カルシセ村のロン;f.(
b
l
o
l
)~旧)
僧1
スナムワンチュク (
b
s
o
dnams (
!
ba
らがl
y
u
g35才}
E
市民案内していただいた。
ンチェンサンポ{ラダ
(調査〕
ラマ不在。ランミ村の中心にあり,
ド
ク
カンは北東向。 485X385C"¥,道内正面中央fLチ
ζ の寺院は 1 1 世紀のリ
γ クのアルチ
・ゴンパのp.脳!
J
号とる云われる)の S
側!と伝えられるだけあ。て,
チヲルテンや . :hl内の聖書面I~ は見るべきものが多い。
C弥革h
.右 iζ+一面観音像。右墜
ョ ル テ ン ー 払 左I
ドクカンは東向でハ噌の'1e
o 535X 505cm
。正
I~ ラサ版の+万領鍛君主を納めたパノレカンがあり s そ
面に大きーな+一雨宮司音像{約 350cm)が 2階まで突
のバルカンの中央仏は釈迦。堂内の墜には釈迦やツ
抜けている。iEr
耐とお側は下側が少し床尚(75c
t
I
l
sンカパの壁画があり .興事事は pudma mth
川 y
ig
程 )IU.. っていて . 右墜の左側 I~ デチョ〆IJ)ヤブユ
等が数軟あり。
ムを中毒事とする ~~m . 右側 Iζ ドルジ z ジキチェド
を申書事とするヤブユムのS1~織が織かれている。又.
(1
7)ユラ ン・ラカン
(
y
ulgl
a
n
)
未j
淵査
a
) ゲルッヲパ
ラン E村とカルシャ村の中間にあり。
1.i~置奥には~印の釈迦を中毒事とする主主明( s
lUv
u
v
i
d
)
IJ)"C/ンダラがある。
!
,
glζζζ にはチ旬 Jレテンが三法ほどあるが,現 在
山羊小屋 I~ 使用されている古い大き位チョルテンの
内部天井とその四方には.阿 f
.
x
J(叙1
1
&)を中毒事とす
一13 -
【調査) 伝 記I
Cよれば.ザンスカ司ルで一書大き
f
.
lζ のゴンバはザン主力ールの翻訳官バタパシェー
ラブ (
h
p
hu
g
sp"も
e
sr
a
b
)がr
uて. ドデリンチ z ン
阿│凋梨が現在の般に大きくはされたと云う。乙のゴ
C制を発するストヅド(s
t
(
x
l
.
i
並祢
ンバはベンツェラ I
Oo
d
L Riv)J
J
Iとルンナ合 (
1
0
0n
l
塔・又は l
i
n
g
t
i
t
SIlT紘p)J
I
Iとの合流点から少し下。たザンスカール
川の左俸にある。パヲパシ a ーラプが創建してから
V
l
l
v
i
d
m
ω似 1
1
1
)
{ドクカン内部左墜奥抽r
400年閣はサキャパの決議が総司障されていた。し
る金剛界系の五仏の~~緩が嫡かれている。又 . J.i.
かし , その後ツクー(8
t
o
d
)のシ s.-ラプサンポ
仁I
CIl占いチ "Jレテンがあり .その内部天井の中央
f
もesrab b
z凶1)))かジ々ムグンラマ (
!
I
j
込m m
gon
I
Ci'ff!lで触訓l
l
E
I
Jを絡んだ阿聞が一勝 f
怖かれていが .
bl
l ma) の宗畿にそ。てゲールデパ I
C改宗したと
Cl
11
'
i
他の問仏Iitt,借地れていない綴である。 ζ の他 I
伝える。改宗してから現任までに約 5 00年カ経過
はか]似I~ の五仏が織かれた自主両令もつ占い大 ~t.ょ総
していると云う。 Eのゴンバにはドクカンが二堂と
こ(ロン;j!の議〉が.今はその般地織をI
上
物色ゐ。 f
ゴンカンが一堂ある。ゴンバの入口氏は通り鍛けの
めるにすさ・ f.l い。輿絡は+万領量~li'孟 t.l
<.苔俊.i1l
:
大次第等のペチャが 10 核ほど.他 IC~ ンカがa似
テ .Jレテンがニ適正あり.そ σ
判宮古天井 I
C'
i各々異。
た~奈経が織かれている。
古いドクカンは三"の中にあり同署向。 1.100X
みられに。
1.240
c
n
r
。三樹の紋下位のドクカン 1
ζ
l
i
. 正面中央
(
1
9) カルシャ ・ゴ ンパ
(
d
k
a
rc
h
a
.d
kl
1r'
s,
,
)
(
d
k
l
l
rc
h
.
.byamspag
li
r
i
)
1
.)ゲルッヲパ
:
:
) 150名
。}バヲパシ
b) ガーリのリンポチ s
d) 900年前
a ーラブ
IC トー街観TT 像。.b:lcチ ø Jレテン -),~と心?と石 IC浮彫
りした+一面観音(八円)があり,そのお端 I
C二術
まで淫している大きは弥助 f
flVi像(/.与さ約 5m)が
ある。四万のII1I
C1
卓上土般的自い晴嗣がある。周1
ら正
函の右薄からはサキ々パ J ディタ.ツ sンカバ.釈
- 1
,
,
-
迦空~o .t;墜には凶天王等。議蜜のlr.端からは不~成
鋭仏士事が多数ある。史 1
ζ
I
I:
d
l
i
r
,,]。てお仰の僚の!l!1
と
車t
.阿弥陀仏,十一面観音 . ドルジ z チャン (tr../i
もう一部屋あり . その中にも仏像がお祭りしてみる
の脇仰としてティローバとナーローパ).弥W
J奇 術
f
,
¥仏で品 )
'
t
I
H
>
将位か。 f
こ
。
と云われるが .J
'
!
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J
.
がf
怖かれている。又 ζ の常の上附1
1
:
'r
;tナムタルカ
にも
草月凶 tampu'
配 S
ンと拘:される小笠があり , そ乙 I
l
:r
l
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l
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J
IJ
される多数
(チベット廓 1J月 28.29U ) I
r
l
l
b灯 ipha r
o
lL
U5防 i
npa rdor
j
egtsod pa
の緩々の商とか.tIl伎やi!fr... の大約.小~等1> ili か
sheb
y
ub
absbt唱~S 50 等の若干の阪本と õ い~幽
れている。
があ。 f
ょ
。
ロンポがして下さ。た。
.1
00c..
。
新しいドタカンは繭向。1.050X 1
ζ れ以外
ζ のゴンカンの司l
ll
:I
よヲトル (
c
l
g
uI
!t
or)祭
ιのゴンバの然内?:t屯切にもカルシ守の
ζ の地岐には ζ れ以外にも
ツ?ヂニ民チ a ンポのラカンとか, リンチ
a ンサンポ創
il!と伝うラカンヲボ (
1h
ukh
山
khra1
抽)等もある
が .今回の調貸 i
とは漏れた。
α0)サニ・ ゴンパ
1
.
) カーギ
{刷。 i)
z バ{ドヲヲパ)
b
) 現在パルドタン ・ゴJ パの・Jンポチェがr
t
.
l
1
i
!
し
c) 5名{パルドクンから派遣}
ている
d) カニカテョルテン r
;t今から 一平館前の創建と伝う
I
l
:r
よ十一衛観音方沖央にあ。て.そのl
制脇
常内直面i
r
l
:
ジ
g
e) バドマサンパゲァの i
f
l
J!.IIとu:ぅ
ウ方向リンポチェと釈迦がU
i
l
iされている。
3
(
..1l
:1厄の友.
/
iの総にはラサ j
仮のテンギ"')レ(200
牧〉を納めたバルカンがある。
)
J
;ある。
ンが -
1
l内有奥I
l:チ.)
レ
テ
ζ の チ ")レテンは乙のゴンバの中Jt!
第一位であるドデリンチェン肉閥裂の~であるとIi
えられている。又.乙のドタカンの上僚にカンギ A
J
レカンと')ン;f.チ s (J)シムチュンとt>iあり.カンギ
.
.)レカン i
とはナルヲン版のカンギ"')レが納められ.
シムチ a ン rq;t.綴tζ 入。たニ何のg't~持続があ。 Iニ。
次ζ
1 ゴンカン I
l:行く。乙の蛍は潟県3
向
。
560X
C
調査〕 ランミ村からトタンリ村まで引き返し .
890CIII で .llíN とゴムノカンとからは。ている。 IlíJ・~
トタンリの僚を波。て対J
1
;
のサニ村へと向う。ラン
l
:l
;
td
:U
l
I/
iか
には釈泡像が安倍され.奥のゴンカン I
Eからサニまでは孫々の.Itで四時間程の行程である。
J
1
;
.釈
ら朗氏ツンロヲプ組師像一体.チ,ルテン 淘,ツ#/カバ.無J<l'光,観音{六符).小さ'.1金
ζ の村のサニ
伝えられ,
- 15-
ζ
・ゴンバはパドマサンパヴァの創建と
こには約一平年前の創建とえわれるカ
ニカチョルテンがある。乙のチ "Jレテンl
;t悉地を主主
又. ζ のチヨノレテンはナーローバ (A.0.1016~
ずる八主主のチ
ルテンの一 つであると云われ,寺伝
A.0.1100 Nar
o
p
a
)が 33才の時 I
tナーランダ
I
tよれば.音.へールカカちた自主E
天を教イじした時,
I
t
行き.ナ ーランダ寺の仏教留学論争に加わって成
八回の八つの共同袋地It八人の地母仰の依処として.
功し.その後 8年1I!lその地伎を被保するのであるが.
g
~地を生ずる八基のチ " Jレテンが表われた。その時
41才頃ティローバーに師事する織に啓示 を受けて
の一つであると云われている。その八蕊のチ宮ルテ
苦手践し.以後テ
ンと l
;
t.
続く。やっとのïJJで飾に巡り i韮い,飾品~ぬまでの
4 ーローパを探し求めてきしい鰍が
⑤
L
iy
u
l(
'
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k
s)の g
o山 L
S
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agandha
7 mのこのチョ Jレテンは.インドのデチョι ンダ Jレ
z
ah
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r(B肌 g
l
LL
)の b
d
eb
y
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d gsh佃 nu
与1
(bde c
h
e
nr
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)基地のそれと同総 f
ごとアーガマ ζ
1
チョルテン
記されているとも云う。
h
o
L
a
)チ曾ルテン
陥
。
いに高
て左。
れ
. る
さ迎い
y
れ
命パ
gy
カント
ヂ
チョ Jレテン
①1,1r
g
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同 g
nas(Ud品 川 の gsa
Oba
i
)ig凶 d-
③
g
⑥
る飽き
sennegli
nの ge切 d∞ チ "Jレテン
ぅ右
云
・ 6
と音約
@
釈て
m作 k
b
a
l po(Ne開 L
)の bya r
U
;
lkha~orチョルチン
に央さ
ン中鐙
テは安
ルにが
③
チの
1100)で此の世を去るが .彼の死骸はザンスカー
ニ-ア-
s
i
ngalaの ri
p
o
l
a
L
aチョルテン
カル£
②
ζチル
12寧日目自市取する。ナ ー ローバ自身は 84才 (A.D.
の
manga t
a(magad,
.)の bdebyedチョルテン
川印日
①
このチョルテンの正 面Itギャム・:
1;
t .ラカン(250
X500cm)があり,内部の墜にはバ ドマサンパヴァ
uche(Kushmir
)の kanikaチョルテン
の伝記 が浮彫りで儲かれている。
である。
‘・
,
、
-.ー
酔e
,弘P
.
.
又.乙のチョルテンの北側Itl
;tナーローパの蛍があ
り. 中には吉祥ナーロ ーバのお像が安白されている。
ζ の鐙はチベァト憾の 六月中旬民年一回附糊される
だけで. それ以外の時は鍵がかけられ悶〈封印され
ている。
- J6-
m
.'/Ylif5の向きは 2J0cm
.f
.
j似
J
.
1
;
!1
指向で
×償 480c
あ。た。乙 ζ
Irlnま。た近郷の人々の中で一際自を
獲しませてくれたのは女性のラダヲク衣裳 である。
祭りか何かで色伝ければ.
ζ
れほどのラダヲヲ/x.袋
の.mいには遭遇出来るものではな t
。
、
ドクカンは溺東向 . 1.800X1
.500摘。正面に
カンギュルカン。左~(西側)9!1Cテンギ ~Jレカン。
.(_î f嘆(東側) 奥 11:ゴンカンがある。乙のカンギ~ レ
)
カンの中央 1
1:はチ ,ーリンポチェ 像.そ の左.t;ζ
1ナ
Lより
ル 9 ン版のカンギ忌 Jレあり。 ドクカ ン正商の1
mtffJ 釈迦ニ体 . 弥勅像と通産主.カンギ ~Jレカン入
またゴンパの裂すヰ1: 1;t~事動等の石仏が 8 体ほどあり .
r
l
J
:認の緩に四色に色分けされた七仏の墜副あり。
タルチョを立ててその空地を問符している。
χ.ι
さらに右へ+一面観T
T.パドマサンパグァ .釈迦傍t
. の村ζ
i は小さは W
Iがあ。て魚を飼。ているが.不殺
~11:チン ギ ュ ルカ ンのI"t;とには釈迦像,その1
:
i
A
i
f1
:
~主戒を守。てtたして叙したり . 食べたりしはい。 ζ
ナル合ン版のテンギ .
.
.
J
レ.又 . ゴンカンの内部l
立金
の朔と魚はゴンバがf
fJ
1
!
lしており .湖には 9ルシン
線で錨主主された!1l両でJ!
Iめつくされ.
.
r
の
時
過
ζの
'
l
;
t
,
が立てられてu,'l地としている。
1
1
:l
;
t
チ
ャ ー ジーバ .ゴン :
f
.とデムチョヲ等をお祭り
してあった。更に吹主彼けに位。ているドタカンの
二階姻廊の周協 にも古い ~kJØ がみられるが . 事IJ 落が
激しく .現在新しいバネルが働けられている。
ζのドクカンのニ1ft
ζ
1チ ュヲラヲカ ン f学問-t:t>
色1>り .バドマサンパグ ァの像とマルバやナーロ ー
パ等の多数のヲ ンカが働けられていた。
乙のサニ ・ゴンバを訪れた時,折しもチャワン
(phugd凶n
i
般預の-/iJl) の儀式が始められる所で
ぁ。 f
二。乙の儀式はサニ村のゴンバの側の聖子広lI1:闘
返された石組の滋l1i唆で.パルドタン ・ゴンパのリ
ンポチェが執り行位。ていた。
α1)ピピティン ・ゴンパ
a) ゲルヲクパ
ζ の滋頂療は ζ の
J
U
!
b
,
%1
1
:Q られる捜隊演と似ており , その寸法は縦<170
- 17 -
(pipil
i
n
)
c) I名
ζ
r;
t
新
バドクン村の中!)と小ぬい丘の上にあり .下 1
δの数基のチ.)レテンあり。
α3) パドヮン ・ ラカン下のチョ J~テンと石仏調査
1)チョルテン関査
【調査〕バドクン村から北西向 ICカルシセ村を対
J
;
tl
t<
nl
t小高い丘上t
ζ 大きな氏自いチョルテンを見
せながら鐙っている。ドクカンは南西向。 700X
m。ドクカン内総のiE商には+一面[飽f?が巾
500c
"としてまE
憶されL
i
.
L
i
lζ グルリンポチェと弥 W
J・ そ
cnwllζ ツ a ンカバ,~淘.
ロ7'ロンクルt容が1è~さ
れている。吹抜11 の一階tζ は十万額般~(手\!f ~ )
が納められている m
l
h
lがあり.その上 l
;tチ.ルテン
には。ている。又.ノ
引I
;
B
!
l手 ζ
1大小のチョルテンが
ニおあり , ゴンバのド(J)両側にはチ..)レテンが:3J,~
4
宣ぴ,"?ニJfj(が南北ζ
1猛びている。
(凸・いチ.ルテン)
ζのチ,ルテン
の -J,正内認J
tはマンダラが儲かれていた。
C
調査】
バドクン・ラカンの下には多〈のチ.)
レ
テンがゐるが.ほとんどは鴎鰻寸前である。そ σ
叩.
α
1)パ ドゥン・ ラカン
木調査
8
.
) カーギュパ
(dr
ulbdun)
ラカン下の民家の立ち滋ぷ中にあるチ.)レチンで.
巡り抜けには。ているチョルテンが大小ニJ
占ある。
ζ の二基ともの.k.井内部氏マンダラが残されており.
jlJ蕗はかはりIlr<し t 、。c.(J)中,大き~チ.
織かれているマ
J
)レテンIt
ダラは中穆が肉悶で,その閲りを
曜か?)が!!Il銭している。又その
八尊 f四 仏.四苔 d
閉隣を四天王がす縫している。
ζ のマンダラと閥系
列のものが,カルシャのチョルテン . テーツァ村の
チョルテン.パルドクン ・ ゴンバの~両.マルキン
村の付近にあるチ.)レテンとピピティン ・ゴンバ下
のチヲルテンにそれぞれ認められた。乙れらのマン
- 18-
世ラの中尊 l
孟臼と赤と育のものがあり.パドタン
F
:
nが膨られている。受1
ζ
の下にはニ頭の象 fぷ磁よ
のこのチ..Jレテンのマンダラが. 乙れ$のどれに脳
その左側には .5
主i
e
lなく.予 I
<t.左手を簡の所で上向
するかはIØJ~専がひどく変色していて今の段断では決
にしてつけ .,t;手を与願印にした宝生(Rat
l
u.sam
;
.
tH
I
米f
,
tい
。
tn
"Va) が安住し.)i台のド 1
1
:I
<t.ニiiJjの馬{米磯招)
f
,
(チ
..Jレテン f
ζ は触地印を絡んだ?j色の附l
却
が膨られている。向勺てヒ・ルシャナの右側JIζI<
t
..宝
を中毒事とするマンダラが織かれている。乙のチ.ル
冠なく .定 印 を 結 ぶ 阿 併e
(A帥 i
t;';bh,,}岩波a:し.
テン I孟カルシャ ・ ゴンバ 6療のチ~?チージ々ル ・
益事台の下1
1
:I
<t.ニ羽の孔t
制緩られている。その更に
ゴンバのそれと悶系で,かなり古いるのである。他
省側には.宝 冠 f
,
(( . j
毎
費
量s
lの印を絡んだ不笠成就
に ζ の系列に属する志のとしてバドクンの樹のムヰ
(Am句h
a
s
i剖 h
i
)が安住し
ゴンバのさらに煽のスマンラ (sm
岨 b
la)の他にも
錨烏 (
g
a
r
o
d心 地縁られている。
ヲンリタと阿凶のマンダラが織かれているチ..Jレテ
は既にフランケが「州チベヲトの~It!
小さ
こん
l
.ii台の下にはニ羽の金
むちょう
ζ の五仏について
(A.H.fr
u
l
l
ン が あ る と 聞 く 。 C k
e:A H i
s
t
o
r
y01
"W
t
'
s
t
c
r
n'
I
'i
bct• J977$ H
:
2)パドゥン村の石仏関査
S.S.Gergan
と~'
.
M.1
1.
.
s
s
n
.
.
in1
1:よって
'A
I
li
st
o
r
yo
f Ladakh' とぷ勉令変え. CritiClll
I
ntroduction -a'つけてぬ版されている。)Lの中
f
lい
で . ζ の中隊を弥勅仏としているが . ζ れは閲i
であろう。弥勅仏は
ζ (J)れでは1i.仏が膨られている
その五仏の向。てお側 1
1
:l'~ 1l' -ぱt、に大きく膨られ
ているのがそれである。
X. ラダッタとザンスカー
ル地滅で弥革h
(
Maitrcya) を rl ' ~事とする五仏の白書尚
や.~至高緩にもお目にかか。た乙ともなく .
(調査〉
パドクン村から川勝い1
1:少し下ると J
I
I
総
I
C大きはねがこつあり,ー醤大き t
.
ll-~のおに ~Jn w.系
。て, ζ の記述は乙のJtll械の住民H:聞いて書いたフ
ランケの譲りでは,,(いかと悠われる。
又
,
の五仏が浮き~にされている。 ζ の五仏I;t.Ji明勝
したが
ζ のおの1
1
1
1
仰と
もチ.ルテンや .2
者仏が膨ら
(r
宮戸 1b
ur
i
g
sl
Ila)と呼ばれている。中央のピル
れているが風化のぬか{伺j坊であるか判明し,,(か。 1
こ
。
Vair
o
c
a
n
a)は他の友おの四仏より色後'
I
Y
シャナ (
吏 Kζ の宕からバダンよりのすぐ憐の告にも立。
が尚く火事い。IiJi1
1
:I
<t.三角の突起が三つある'i.::aを
m.;.予には転法給印を結 A匂 逝 台 の 下 11
:1
昌二日Aの
oチがi膨られ .1調子座ζ
l安住する中将である ζ とを
示している。
ζ のピルシャナ 1
1:向。て友仰に I
!
.宝
<
.・
f
'1
孟Ir.手を筋IC上向けてつけ. t
i手をたら
た療の五仏が膨られている。
ζ の五仏は乙の告の川
に面した側f
ζ巾絡は三f
l
Jの突必のある宝冠令阪急 .
手I
<t.li:手をだらりとたらし .,
(i
予は胸の自iJで樹首を
上にして令を内 1
1
:
向1
1
.
λz
ずはだらりと愛らし ..m
jdf
,
t
t
告を外にして令令前b
・
1
ζ向けている。乙の宕の五仏
した触地印にした肉関(Ak
s
o
b
h
y
.
.
) が官官往し .3
台
は全て同ーの印相を表している。
- 19-
ラダック衣裳の空事像色みうけられ.一見新しいもの
の後である。乙の二つの石伎は五仏の大治の近くの
平 地ζ
I 合ルチ,,-'l'立てて . そ乙 I
t:安lli:されている。
α4
)スタ クリ モ ・ゴ ンパ
a) カーギュパ
(
s
t
a
gr
i mo)
b) ;Al'クナ ・ゴンパのリンポ
チェ {ラダッタ)
c)
30名
又 .中毒事とそれに向。て右のニ線の遜台の下I
t
:I
まH
慣
a.
ニ羽の金錫烏が膨られ
にこ頭の獅子 .二羽の孔
iはニl
I
J
i
の
ているも .申書事の左側のこ毒事の遜台の下ζ
.w,と象が膨られているかどうか.肉眼では確認出
-*なか。 f
こ。乙の縫It五仏が立。た姿勢で備かれて
;
t.ラダヲクのシ
いる形式 l
z ーゴンパの下の宕 ~Iζ
a
t
l
t:発見されているが. そとの五仏と比 i
駁するとき
建
術的ζ
1 も図像学的にもかなり劣るものであり ,白1
栂
(調査〉パドクン村の山手{南側)中彪l
l
t建。て
も会〈契る。シェ ーゴンパ下の五仏の印綿は.中 央
いる。ザンスカ ールのパルドクン.サニ .スタクリ
ヒソレシャナは智拳aJ(bωh
}
'
f
i
gr
n .その他四仏の印
モ. ゾ J クルゴンパ等のヵーギュパの寺院は. ラダ
相 ふ 阿 瓜l
一一触地t:IJ.宝生一一与願印 .阿弥陀 一
少クのスヲクナ ・ゴンパの系列に属し,ザンスカー
定印 .不 認成 就 -
h
t
l
i熊伎であ。て乗物もピルシャ
ルでの地滅的分布では,ス卜
y
ド1
1
1(通称ドダ1
1
1)
ナ一一 獅子 .間協j
一一象.宝生 一一 馬 .阿弥陀ーー
とルンナヲ 1
1
1の南停に集中している。ス ト y ド1
1の
孔謹i. 不笠成就 一一金銅烏とされ, 印相忠梁物も儀
東熔にはカ ーギュバの寺院はーケ寺もなく . Jレンナ
tItどうりのものである。
。
、
ク川の対縛にもカ ーギュパの寺院はなL
乙のバドクンの下の二 つの五仏を比較してみると
とのバドン村はザンスカールの中心地であり .
下の坐った中尊転法輸印のピノレシャナを持つ五仏の
交易の為バザールが聞かれ.スリナガルからカルギ
1
5'/J考美術的にも .図像学的にも優れたもの であり.
)
レを経て近代文明がどっとおしかけてきている。
乙ζ の服地人の話しでは .
ζ の位裂はモスリム系が多く
ζ の五仏はリンチ z
ンサ
ンポの時代 (95 砂~ J 055) に彫られたと伝えられ
ζ
.I
也の村々とは例外的
に住民の過半数が図書主徒である。文 .
ζ の町では炎
ιの地域にはそれ以外にも四角
J
百がか t
,
f
.句普及しており .かえってチベヅト話が通
の石往の図面iIζ一線づっ膨られたものや.民方形の
じない奇妙な現象民総いたりもした。又乙の町には
G表 にー絡がi
膨られているものが絞近漏り出きれて
ツーリストオフィ
いるが. その膨られた修代は不明で,毒事像の中には
ロー , 学校ミ容があり . 学校では現地認の他fC~穏や
ているようである。
-20一
1
や. レス トラン,ダックパンガ
チベヅト読による仏教等が教育されている。
マルパリンと云う。寺伝 f
とよれば,その後. シャー
スタクリモ ・ゴンパにはドクカンがニケ所あって ,
クャサンポと云う 卜ンテ'村の人が現在の織に大きくな
m。入口内側ζ
I四
上のドクカンは東向 550X500c
され, ゲーチ zンルドクブペーサンポ(r
g
g
a1r
nt
s
h
u
n
天 王 の壁画,1
話内 1
<
:
:ナルヲン版のカンギュ ール,中
kl
us
gr
ubd
p
a
l b出
品 po)ラマが文妹の化身である
絡は釈迦で, その左右がドルヂ$.チャンとシャーキ
apa J357-J4J9 ゲ ールッ
ツ zンカパ (tsonkh
Lパドマサンパヴァ .観音,
ャシ品九申書事の手前 I
バの朗W
)の祭畿を受け継いで今自にいたっている
-00
鍛 音 像一体
チャヲナドルジェがあり, 左鐙 iζ+
と伝えられる。
ιのゴンパにも ドクカンがニヶ所あり . 上のドク
が安置されていた。
下のドクカン iとは . 前 ~Iζ 十万額般若を納めたバ
カンは南東向。 7JOX670c
m
。墜磁は新しく ,33
ルカ:--(経函〉があり .中穆はパドマサンパヴァ。
仏や釈迦令中心としたもの。その奥にカンギュルカ
奥のドクカン正面には左端から弥革~像, パドマサン
ン (370X670cm)があり . 中央にはツ方ンカバ
パヴァ.ガクワンナムゲー ,釈 迦.+一面鍛音等が
等が三体安置され. その左右のバルカンにはナル?
安値され,
ン版のカンギュ Jレが納められている。そのバルカン
壁画も古いものが多い。 ija~革とドクカン
m。
の大きさは同じで 800X600c
の右絡に四符の+一面飽音 ,平手観音. ジキジ忌ヅ
ド, ランチュクスン(J)ヤブユム等が安i
泣きれている。
α5
)トンデ
・ゴンパ
a
) ゲルックパ
c) 60名
(
s
t
o
ns
d
e
) (田 町 仰 が i
n
)
又 , この堂の西側にもう一つのカンギュルカン(南
東向 435X590c
m)があり,ラサ飯のカンギュル
b) ガーリ ・リンポチ足
と手占の十万領般活号事がある。
d) 9 50年 前
e
) "?ルパ (m
arpa)
次に下のドクカ
J
へ行くと , 乙乙は南西向。 700
X 540cm
。
, 正街中央に八符の+
一I
面観音その左右
iζ厳外を納め fよバルカンがあり , 関りの~IL は自主闘
が所狭しと織かれている。級外文献としては密宗i
益
,
次第 (
s;
u
g
s rim).菩鎚道次第 (
1am rim) 等を
はじめとして宮ì~\なものが 2 5
1
扶ほど認められた。
α6
)パルダェン
a) カーギュノマ
(調査〕バドン村からワイヤ三本と~で出来たつ
c) 約 50人
り備を波。て ~t深ヘルンナヲJl I'$.> J Ok.e程下ると ,
トンデ村の右(南)山阪に大きなコンパが建っている。
乙のトンデ ・ゴンバはヵーギュバの閲組であるマル
J097)の創建と云われ .
正しい名前を
パ (J0J2-21-
・コ・ンパ
(
b
t
L
rg
d叫)
b) ス?クナ ・リーノポチェ
d) 400年 前
きなチョルテンに織かれていた ftヨ~I置と陶系列であ
る
。
<
:
:ゴンカン 1
<
:
:行くと .l
'
;
i
;l
<
t~悶t 向. 670X5J0
次1
C
"'oクトル祭 1
<
:
:使用する何々線々な I
飼が天上の怨ζ
l
所狭しと儲けてあ。た。
X
.I
堕E
国は省く .首町呑鎮で
よ~泉になり . 勺 tHl品 ~I孟出米 f,t かった。
主主々2
羽倉E
聖l
<tザンスカールで初めてテント泊で伝
いゴンバの僧t5のゆでの伎を明かす綴会を乙のゴン
f
,こ
。
パで得て,ラマの手1'/.い持て成しを受 It
ロ7)テ イルクンサ ・ラカン
(rll1r kh
山
,i
sa)
a) カーギュバ
C
Z
l
l
!
査
)
パドクンから約 J0.t.wfi1ルンナク J
I
Iをさ
晶>11> 11 ると 111の右停の大き f,t~当の tl<::ι のゴンパが
ゐる。 ζ (J)ゴンパはデヲギャムツ s 王子が1I~鎗位さ
れたとぷわれている。毅々が訪れた時にはリ,.,f,チ
ェ li サニ・ゴンバのチャワン祭や . ス 9~ リモ・ゴ
ンバのニ
a ンヰ
(
b
s
(
i
凶1 ~凶 ・ smym 停1115 i
'
i
l
成
)
然のr.~1ζ ラマ滋ととるに留守で. 活いラマが一人 ffl
C
調査〉 サニ村の西山般にある。ラマ{凶は不復。
守訴をしていた。
ドクンカン l
i南質向。 830X JJ70c"
l
<
:
:
o人 n
本蛍北向 . 500X400側。ドクカン正面の左側よ
問点 r (J)~向。常内中央部の友からドルジ s チャン。
りEートヲバ.釈迦.ガタヲンチ
ガヲワンナムゲー,マルメージェー.釈迎.シ守也
君
z
リン像。他1<::チ
ルテンー送。墜嗣めり.
キャウヲスン.バドマサンパゲァ.正I1!
Hi'.その前
にナーローバ , 7 ルバ. ;:ラレパ像写が1
if
l
lされて
(
2
8)シ ラツヱ ・ラカン
いる。そのL
i
.
.
/
i
l
<
:
:バルカンがあり . ナル 0 ン般のヵ
(
s
i1
.
.l
s
e
)
未調倉
ンギ、 Jレ
カ1
納められている。手守仰j
の1¥
1の仰にはチ,
ルテンが凶必あり.その自主には四問主認の 9V';~ l{tが術
α9
)ア テ ィン ・ラカン fωli
J
i
)
かれており,内 1つはヤプユムの鈴奈紛 .他 l
iー
さ
事
a) カーギ s バ
i
'l
i仏がとりまくもの,他 l
i中穆を八仏かとりか乙
c) J名
{,.~策総でゐる。 ζ の中の一つは.バドタン下の*-
一2 2 -
b) パルドクンの末寺
その峠を越えてキシュトワール ・
ヒ マラヤ ζ
t 述する
ことが出来る。
ζ のゴンパはナーローパが修業なされた墓婆な修
行場所の一つであり .
ζ の修行践にはナーローバの
足 跡.成就水,費時がみられる。
下のドクカン。蛍 r
;t.南東向。
750X520c
I
l
I。中
Iチ oJレテン偽二五~o (
¥
i
i
将は十一面餓符.その左右ζ
画!はなくヲンカが儲けられている。
ドクカンは街東向。 500X 500CI
l
I
.
。
中
上のドクカン。立は南東向。 800X5JOc
I
l
I
。
ぽ
毒事は+ー商銭音。左右 1
1:バルカンがあり .+万領般
、
曲l
e
側よりラマ ・ノルブー . クンガチュルク ,カル
1:各々パ
若が納められていた。そのバルカンの中央 1
マパ,ン a ーパードルヂェ各線像。更にミラレパと
i は組師等の
ドマサンパゲァと釈迦が安鐙きれ,箆ζ
マルパ等のヲンカカ掛けられている。隣にシムチ品
目華街あり。チベット理事の 5月 15日fCクトル祭. 6
ン(リンポチ a の部屋)があり ,多数の金制仏があ
月 J5 日ζ
lニュンヰ祭が鰍されるとの取であ。 f
こ
。
る。又 .ζの
音
1
I
!
i
!fCは象牙で造。たサンパラのヤブ
(調査〕
ユム像と .水
,qのチ
【30) ソンク}~・ゴン I~
(rdsonI
d
川1
)(na r
o
h
i
c
) 20名
ルテンもあり ,秘正義物の一つ
である。
ナーローバの修行総{卓上のドクカンの奥から階段
sgrubr
h
l
宅 r
d曲。 khul
)
a
) カーギュパ
g
をE
まって行くと狭い前胞に出合う。南東向。 36 0
b) ス空クナ・リンポチェ
X 3 5OC
IlI。乙の前腐の向。て左側ζ
I ナーローパの
d) 990年 前
足跡があると云う。制内には小さな仏像が安飴され,
洞からゴンパの.~般に出るとそのt.t上の24;盤 Iζ ナ ー
r
nの入口手前に
ローパの剣が刺さっている。乙の制
ある部尽にはバルカンがあり,そこには蔵外の伝記
等が多数あり .重量念な
ζ
とにはその内若手を調干t
する
ζ とが出来々かった。又.典燃で誠内のカンギュル.
テンギュル r;t.事IIか。 t~。
(調王室) ぺ一村が対~主花見える所までストッド JII
(31 ) パーカ}~ツ ヱ ・ラカン
を担割ると左予fC谷聞があり . A トヅド 1
1
1へと谷I
l
l
lの
未調査
'
rほど測るとLi!.
川が流れ込んでいる。その谷間を 4*
a) ゲル。ノクパ
の下のへ:JtlCゴンパが建てられているのが見える。
乙の谷筋はウマシラ峠{標高 5.330m )へと聖書がり .
ハムリン村の対滞。
(
凶I
I
Id
karrtse)
ζ のゴンパはランドクンゴ
パのラマがri'J!Ilしているとの事であった。
- 2.3-
J
以 上 3Jの見出しの下に約 1ヶ月間で潟盗を終了
した。調査側所 29のゴンパ fラカンる含む)の内.
LADAGS RGYALRABS CHIMED S
'
!
'
E
R
(HISTORY OF LADAKH)i
nT
i
b
e
t;
Yoseb Gergan.S.S.Gergan
New Delhi J976
6ケ所の米調査はあるものの .その禾潟?をの全部が
小さなラカンであり .ランドクン ・ゴンパからカル
シャ ・ゴンバまで及び. ゾンクルからパルダ a ン・
An iotroductionωHistory.Monasteri
e
s.
Castl
e
sa
n
d Buddhism i
n Ladakhb
y
THUPSTAN PALDAN
J976
ゴンパまでの行穫はそのルート上あますところなく
ゴ J パ調査を終える乙とが出来たのである。
ζ れは
A Histo
r
yo
f LADAKH;A.H.FRANCKE
回 1I
o
t
r
o
duc
t
i
o
n肌 d 加 ∞ t
at
i
o
n
s
with Criti
約 1ヶ月で 45Ot.穆そ徒歩で語調査した乙とになる。
i
n
b
yS.S.Gergun&F.M.Has釦 a
NewDelhi J977
The Cu
l
t
u
r
a
l Herit
a
g
eo
f Ladakb; Vol r
〔参考文献〕
Snel
l
g
r
o
t
時 & Sko
r
u
p
s
k
i
チベット密教鐙画
n・井上峰維
写
金制界長~R:置について
Prajna Press.Boulder J977
産量々滋
昭和 53是
正
LAD瓦X
レ一周辺守鋭の潟:i't報告
Vot
.I
.I
I A.H.PRANCKE
NewDelhi J972(Reprint)
総長有鋭「密教学研究賞~ J 08
-J
日本主百数学会
昭和 53f
t
=
.
ん Cunningham NewD
elhi J977
l
'
IES OF INDIAN TIBE'
l
'
;
ANTIQUI'
l
" KASf
弘n氏
、
BRONZES O
P.PAL New Delhi J975
ING OF
TIJE LJFE AND TEACJ!
NAROPA; H.V.GUENTHER OXFORD1963
-24-
ザ ン ス カ ー Jレ 調 査 日 誌
酒主照之
ジープ 67
t
.
6/22(筒) (カルギルー一一一一一同バニカル)
ー-~ンジ ( I
カルキ・ 2レ(11:20)
18t
.
6/23(~) (バニカル一一世バルカ チ】
を渡
バニカル (10:05)一白書ンゴル(スル)11
J : 40) 一一
ラン昔ン (11:45)ーーチ...ンチェ (12:00)
る 総 10:50)
一一サニス コ (12:15)
ジープ。
サングラ (12:20)
一-~ンボ 書ン (12:25)
ーハルナ ( 12 : 30)
サンカルツュ (12:50)ーーサンター (IJ食
(14:35)一 一 ? ン ド ン ブ リッジ
パルカチ (11:50)一一昼食 (12:20
-14:20】一一シ守ルサン(14:5シ-16:
10)
一一バルカチ (17:00)……以上徒歩。
13:Jか-14:10)一一総{スル J
I
I 14:25)ー
一一サーラ
バルカチ (11:30)…・・以上
隊員はスリナガルからのジープを使い ,(,~役111 の
~がそのあとを.ìGうことに位。た。シャルサンで隊
(
^
,v
)
l114:50)一 一 世 ン ブ (14:5
'
5)一 一 プ
臼の 1 人がぬ皮の ~ø で噺此をくりかえす。近くに
ルトクタツエ (15:00)一一ユージュル書ン(15
テントを板り. O U 2名が後続の馬との述絡をとり
:30)一一マイダ (15:35)ー-f
4(^ル川文d
i
t
({.バルカチ K反る。ぬと何物はず。と巡れてい f
ニ
。
15:"0)一一テースル (IS:45)ーー バニカル
バルカチ ζ
i.lIいたのは 7時近か。た。給付 .令 μパ
(15:50)
ルカチに引き返した。テント泊が始まっ た。悩食時
ζ
I一台調達。パニカルまで
カルギルでジープをIl!
の気品1 33 .C。それでも口 t去にいるとJlIL~)! ~、。
65 0,レピー。カルギルからパニカルまで 67t
.
.
途中.自に入るのは向教,';院だけである。バニカル
6/24(防〉【バルカチ滞在】
では政府の管J!Ilするダッヲ ・バンガローに宿泊。カ
f
t所 l
ζ 少しでも慣れるため ,付近の圧を
休養白。 ,
mの
;
t
,
t
11
った。替りに術役
ルギルで調途したジープ l
散歩する。
J
J
;を 5i
J
i
I
1
i
l.
"t
ニ
。
,
Ji
頑につき 1日 25}レピー。前合
間近に見える。
ζ の地んでは代点的信山であるクン怖が
として 200ルピ一手渡す。ぬ方 2人がつく 占バニ
16.
t
a
6/25(崎}【パルカチーーー・シンモダンサ〉
,100m。気IJ.I(J9
カルの高度 f高度計による)3
・
・
:30)JJ C. 1
1
1の水温 5 C。
バルカチ (10:00)ー テ ーチ守-(収食 12:
50-13:15)一一ゲルマト
- 25
四
J
ゴ (15:00)ー一
ニ。ヲシトンレのキャンプ地は袋溶から少
巾であ令 f
シンモダンサ (15:45)
バルカチからシンモダンサまで鍛搭はなか。 f
こ
。
し般れている。 ヲシトンレは 15事干の袋詰Z
で,
;
dる
。
ず。と川沿いに統〈道は所々に残告が額。ている。
また土砂崩れも数ケ所見られた。バルカチの先の氷
20k
.
!
r
6/28(情) C
空シトンレ一一ーペンツェラランゴ〕
河の見える明ではじめてヲルチョーを見た。シンモ
安シ トンレ(9:30)ーー 総 (9:55)一一波捗
の閥けた牧草地で, 乙乙から蚊 ζ悩ま
t
ダンサは両信E
(10:00)ーー サ ム カ シ f昼 食 12:15-13:50)
された。
一一総 (14:55)ーー 僑 (15:10)一一チヲルテ
ン (16:00)ーー ペンツェラランゴ (16:40)
22*"
6/26(鰯〉【シンモダンサ 一一一 ジュルドー〕
空シトンレのゴンパ付近から,進路を南にとる。
シンモダンサ (8:45)ーージ冒モ トン ゲ (9:
サムカシの手前より .長〈ゆるやかな上りが続き ,
45)一一シャルバ (IP:50)ーーラタプサ(11:
隙(ペンツェ ・ラ)へ至る。サムカシで潟度 3850
10-45)ーー 昼 食 (12:20-13:00)一一 ツ "
m。また ,ペンツェラランゴでは 4
.410mを指し
1
1の渡渉 (14:45
ー リーサ (13:30-55) 一一 1
ていた。併はほぼ平鍋で.チョルテンの付近から .
-15:05)一一 オルナ(15:45)一一ヨッマジ具
どとが絞f
J所はのか見当がつかない。朔が幾つかあ
ルドー (16:00)一一際(建設中 16:35)一一一
り
ジ,,'レドー (17:00)
(牛朔)と呼ばれている@紛の近くにテントを磁。
シャルバ K石を積み上げたチ",レテ Jが 2~車。ツ
誠一 リーサを少し過ぎたと
.
m縦に見える首相は空ツ"(馬朔).ランツズ
f
こ。気鼠 (19:00)9 C。
0
ζ ろに簡梁'
.
tマニ塚がゐ
こ。ジュルドーは 15車f
程 度 のZ
英語草で.家々には
。f
9'
レチョがはためく。乙のー械は川の合流点で広い
i伝っている。目指すランドン ・ゴンバ{;t川原
川 原ζ
のはるか彼方に小さく見えている。乗用の馬を4i!!i
慮。た。ジュルドーの尚 ~{;t
3.700m を指してい
16k
.
6/29(締袋のち騎)(ペンツェラランゴ一一一四 デ
ンドクンサ〕
.0:
ペンツ z ラランゴ (9:50)一一般の下り(1
00)一一川原(峠を下りきった地点 11:3 0 ) 7刊行列弘没中の総
(12:15)ーーボ
f
こ
。
y
12:00)一 一 波沙
クス (12:40)一 一 波 沙 (13
:20)一一波渉 (13:45)ーーデンドクンサ(14
9k
.
!
r
b/27(D
j
'
f
)C
ジュルドー一一一世シトンレ)
:00)
・
ジュ ルドー (9:40)一一 ランドン ・ゴンバ(12
ペンツェラランゴの気温 (7:30)5 C。峠から
:0ト 16:50)ー タ シ ト ン レ ( キ セ ン プ 地 17
一気に下り』とかかる。すぐ右子氏大きな氷河が見えて
:30)
くる。般を下りき。たフ
1 ロキ
g
クから平!.sな道が
ランドンコソレパまで川が後蕊にも分岐して流れて
続く。キセンプ地のデンドクンサまで袋詰喜l
まなかっ
いる。水は非治犯冷たい。ゴンパの近くに位。て.
た。不思滋な ζ とに曲告を績にして蚊が療を見せなく
乗用の馬がZ~いた。馬でゴンバ~丁度, 昼の勤行
位。た。
- 26 -
25k
.
a
r
6/30(伎のち 8
4
)【デンドクンサ一一一クシュル〕
ーカルツェの袋詰~ (10
事り。レマラの対応 I
L
I<
I
.
レ
ン
デンドクンサ (7:50)ーーギャラドク (8:30)
ニ ャ ン ( 4i
符 ).マルツ z の W滋 ( 7軒)が見える。
一一俄{建設中
9:
45)ーーオ?書ンゼ{昼食 11
v ンダのキャンプ地において,乙れまでの 3
2&事の撚
:10-12:45)一一チブラ (14:30)一一 波 渉
理 ,検討を行。た。その後,岩山の中肢にあるヲー
(15:10)一一アプラン (15:20) ーークシュル
テ ・ ゴンパの議資 I~ 向。た. 夕刻, 小雨が降る.
(16:20)
デンドクンサの気温 (6:30)6.
C。午前 6持と
1 1時に小雨がぱらつく。ゆるやかに上。ていたi
l
i
1当
k
I
I
f
7/2(附 の ち 公 ) C
マンダ一一一トタンリ〉
マンダ (8:25)一一 波 渉 (8:50)ーーペー
は.オマヲンゼを~1L1'りにかかる。チブラでや。
(9:00)ーーペー ・ゴンパ調査(9:20-11:
と袋詰~Iζ 出会。た。昨日のヲシトンレ以来である。
05)一 波 捗 (12:30-40)ー ラン世クシャ
チブラの袋詰Z
はドダ川をはさんでアクシ奮の袋詰Z
と
(35軒。ゴンパ調査 13:00-14:05)ーー シ ャ
たf峠している。しかし ,
モリン(5I
符
。 14:30)-
対燦 IL~ る備は f,n 、。チブ
トクンリ(18肝
。
ラと次のアプランの袋詰!
C
'
l
_
>合せて.家 1
<
1
.3 0軒ほど。
14:45)ーートタンリのキャンプ地 (15:00)
こ
。 7 プラン
アプランの集結のはずれに常字があ。 f
トタンリのキセ
・ラカンである。チブラの近くにな。て,マニ援が
め。きりteJえてきた。そ
ζ には折り文の他l
ζ ,仏像
且師像1;!}'l_>彫。た石が見うけられるようになった。
・4
J
プ地 (17:40)一一 トタンリ・
ゴンパ調査(18:05-45)ーー キャンプ地(19
:05)
日中と夕刻It降雨。ペー・ゴンバ I
<
l
.W蕗の上のお
い所にある。若い{貯が蛍内を説明してくれた。彼 1
<
1
.
12k
l
l
f
7/1(
'
)
}
)(ヲシ£ル一一ー マンダ〕
カルシセ ・ゴンパの{怖でゐる。茶とチャパティを i
お
クシ a ル (8:35)ーー ハミリン(尉答 10軒。
してくれた。小さな W1
&
O
)小さなゴンパの方がかえ
ゴンパ調資。 9:30-10:35) ー一一 スキャガム
。て歓待してくれるものである。
(19軒。 11:00-15)ーースキ々ガム ・ゴンパ
調 査 (11:20-12:20)一一昼食(12:40-13
:20)ー レ マ ラ (14軒程。 13:30) 一一 レマ
10.
t
.
7/3(
町1
1
) (トタンリ ーーー ランミ〕
トタンリ (9:20)一一波渉 (9:30)ーートクラ
ラ ・ラカン調資(13:40-14:30)一一 v
;
.
.
-ダ
ハ ン (10軒。 9:50)一一 トクラハン ・ゴンバ:溺査
(15軒。 15:00) ーーマンダ (17:00)ー ヲ
(10:05-50)ーーカサル(14軒。 12:25)ー
ーテ ・ゴンバ調査(17:25-50)ーー マ ン ダ (18
評 。 昼 九 12:50-13:55)一一カ
テーツァ(8'
:10)
サル ・ゴンパ(14:5 ひ~J 5:40)ーーテーツ z ン
が見受けられる
リン ・ゴンバ翻重量(16:15-17:25)一一ドルヂ
ようになった。袋詰喜があれば ,かならずといってい
z ゾン・ゴンパ繍登(I8:0 ひ~18 : 40) ーーラン
いほどゴンバかラカンがある。小さな終結が. ドダ
ミ (19:20)
行く先々に小さなゴンパ . ラカ
J
川をはさんで点在している。ハミリンの対岸にはパ
トタンリ I
Cは対岸 11:渡る僚がある. ドダIIII~ 沿っ
-27-
て多くのU!i
'
3
ーがあるが.両 J
j
lを結ぶのはトタン リの
郷 の 村人がまf
飾。て!.uま。ていた。バダンのゆJ
のパ
t
,aだけでゐる。これまでi
品。てきた道は 2. 3i
f
.
先
ルドク
1
1:完成予定の自動車道路でゐる。
笛 ・太鼓等の純物と政経が川原 ICWき渡。 f
こ
。
ζ の遜はトタンリ
J
・ゴンバのラマがその儀式を行っていた。
の掘H~<> て . ザンスカール般大の町バダン tζ 毛る。
9.
t
.
トタンリで自動車道5
と別れて,急 f
ζ狭く位。た道を
7/6(O
i
'
/
) (サニ一一一パダン〉
ζ 向か。た。カサル ,テーツェンリン .
カルシャ方面1
ドルジェゾンの各ゴンバは滋からも . また袋詰専から
l
Jの上にあ。 f
こ。
も相当厳れた小高い l
ζ のうちカサ
当らず,調盆ができなか。た。
ル ・ゴンパはJHji
サ ニ (13:10)一一 総 (13:40)一一シ 9 ラ
(14:10)ーーバダン(15:25)
午 前 3時降雨。サニ ・ゴンパとカニカ ・チ.ルテ
c
r
責妙。 f
こ。パダン
ンの調査を行い.生昼食後バダン I
ご。
にはゲストハウ 2 もあ。たが,予f!J以上『ζ組 ぷ f
4b
7/4(情 ) (ラグミ 一一ーー カルシ ャーーランミ〕
f
ニ。結局,ハイスクールの佼庭にテントをi
l
lり, そ
ランミの チ ョモプラン ・ラカン調査 (9:00-
ζ を器点として .周
辺の':wd:rt{並行うととには。
f
こ
。
30)一一チュクチジ々ル ・ゴンパ調査 (10:40
-11:50)ー-1Jルシ守(集滋。 12:00)ーー口
ーカルシ守 ・ゴン
ンポー宅(12:1シー 14:00)-
2.
t
.
7/7(1
誕のち附}【パダンーーーピピティン ・ゴ
ンパーーパダン〉
パ ~l主 (1 4: 20-17 : 30) ーー チュクチジャル・
パダン(16:00)ーーピピテ
ゴンバ付近のチ "Jレチン品企 (18:0550) ーー
(16:25-18:20)ーー バダン
・ゴンバ訓企
r
d
l
l
ifA.主
主
バダンは人 11600人 で,その 6測がr
ランミ (19:30)
カルシマでは .
4ン
ζ の-{皆での有力者であり
. また
ι
りカ辺 教徒である。近くのオプティという
m必とと
イ
1
"
1
1者であるロンポーの袋内で.カルシ守 ・ゴンバ
るに , ζ の-{静では放少い回数徒の住(1町でめる。
tを
とチュヲチジャル ・ゴンバ付近のチョルテン調f
ピピティン ・ゴンバl
;tバダンの近く ,小ぬい圧の上
こ。調査に先立ち .紡附したロンポーの*では
行。 f
.
jf"乙ともあって ,議くからでも
にある。周回が可Zf
Jを発節したのが. ポラロ
歓待された。乙のと主成 )
闘につくゴ J バである。
イドカメラでゐる。
1 4.
t
.
7/8(鴫) (バダンー一一トンデ ・ゴ ン パ ー ー パ
13.
t
.
7/5(I
o'i)【ランミ 一一一 サニ〉
ランミ (8:45)
トタンリの僑 (11:20-
40)ーーサニ (12:20)
サニの袋詰~I;t約 70
i
Jf
あると附く。主題よく給絃湖
ダン〕
m
詑(6:25)一-7<c
バダン (6:05)ー一Ii!I
泌・の下。 8:15)一一トンデ [袋詰厚。 9:30)ーー
昼 食 (9:45-10:20)ーート
J
デ ・ゴンバの.鴻企
JJlの儀式にめぐりゐわせた。泌頂姐はテントのすぐ
(11:2号-14:00)ー-/jl僑(18:1シ-35)ー
ほ<.)
11
蜘 ζ設 け ら れ て い ら 6をきれt、
Rf
(~つ
ー パ ダ ン (19:00)
め.~資み上げた志のであ。 fこ。サニはるとより.近
バ ダ ンのすぐ近くにある吊備は. 3本のワイヤー
28-
ロープと伎を編んで作。た志ので.歩を滋めるたび
りかえす。ムヰ ・ゴンバ行を取り 1
1;め,バダン ζ
1古
川
u
:前後1王手引ζ婿れる。下は濁流でゐる。トンデ・ゴ
ることにする。 浴 中<
T
>
僚のところで休息し .二隊員
ンバはれ山の中肢にあり . 急坂を上りつめはければ
iバダンまで戻り,迎えのん5
を kし向ける
が一足 先ζ
、
はらは b、。ゴンバからの眺望が涙附らしb。
ζ
r
.
とにした。全日バダンに M i
したのは午後 4時近か
こ
。
かっ f
7/9(~晶) (バダン滞在〉
バダン内のゴンパ及びチョルテンの調会。バダン
<
1
.t
I
.
!
必
'
にはゴ J パとラカンがある。バダン ・ラカン 1
σ
):fIにあり . ゴンバはスヲクリモ
・ゴンパとい。て
{
I
}I
孟
!w答をJ,I.下す必台にある。パダン .均Jレシ々 -
7/12(B
,
'
f
) 【バダン総長f.)
バダン内の石仏の凋訟に且告を慢す。川 IC面した大
きは怠 IC仏像がおjまれていた。まれに見るスパラシ
イ浮島撃である。
川の合流点で.扇形の平地が広が。ている。ゴンパ
1 0k
.
7/13(公) C
パグンーーサニ)
からはカルシャ方 I
節が手 1
1:とるように見える。
パダン (12:25)ーーサニ{袋詰年。 15:00)-
1O.
a
r
7/10(公ときどき小雨) t?マダン一一一パルドク
ーーテルクンサ ・ゴンバ(16:3545)ーーサニ
のキャンプ地(17:00)
ン ・ゴンバ】
バ ダ ン (8:35)ーー僑 (11:20)ー一生昼食(11
午前中.時々小雨。バダンで食織と後備を盤える
:45-12:30) 一一パルドクン ・ゴンバ (13:00) 予 定 f
ご。たが.級鎖はまだしも.野栄は玉ヰギしか
アント.食溢~を背 11: .われわれだけでパ Jレドタ
1:向か。た。
ン ・ゴンバとムヰ ・ゴンパの調沓 1
u
l
l
c
手に入らなかった。しかし .
で食績を潟逃すると
ζ
ζ れからの州路 .途中
ろI
;
t
t
.
n、。パダンにあるもの
刻係もあ。て ,ムヰの南のプヲタル等のゴンバ品目併
のl
で主主慢しなければはらない。とにかく .ザンスカー
況に断念している。JlI
1:沿って,小滋舟 h つるように
はl
ルには食繍をはじめ物資地勾)'.(~、。パダンを立つ前
続いている。突然.大きな一枚省の上 ζ
I立つパルド
1
1:.ス者クリモ ・ゴンバ I
C行き. ~1主が+分で'.tか
クン ・ゴンパが自に入った。若い僧が一人 . .
t
て伝
ったと
してくれた。他の多くの僧はサニ ・ゴンバへ行。て
威}の儀礼金勾王位われていに.パグン周辺の濁1'iる
l
るζ と
いるという。テントを緩らずに彼の書官昆にIt
終わり.あとはゾンクル ・ゴンパとその途中のゴン
にした。彼と怠気投合したわれわれは.少々チャン
パ . ラカンの調貨を妓すだけとは。た。
ζ
ろを織。た。ゴンバで I
<
l
.T &ニュンヰ{斎
告飲み治苫たようである。
13k
i
1
,
4k
.
7/14(
6
,
1
のち分) C
サニ一一一トタ安一一一ゾン
10k
.
7
/11(附) C
パルドクン ・ゴンパーー一一パダン)
パルドタン ・ゴンパ (7:30)ーーチ.ルチン凋
f
t-
m(
10:10-15)ーーバダン (11:40)
〆ンパ ーの一人が体認をくずし.下痢と噺祉をく
?
)
レ ・ゴJ バ ー一目 トク 9)
サニ (6:45)ーーマルキム(2軒
。 7:35-8:
00)一一シャーカル(8軒
。 8:3⑪-45)一一ーシ
f
o 9:00)一一波渉(9:20
守ーカルコン 7 (6f
-29-
-45)ーー ドカン(10・
肝
。 10:00)ーー アティ
る
。
:
.
-(8o
f
f
o 10:05)一一 ア テ ィ ン ・ラ カ ン 調 査
(10:20-10:40)一一 安ン(1軒
。 11:05)
18k
.
1/16(録〉刊一一一一アプラン〕
一一僑 一一トク空(6軒。昼食 11:1か-12:00)
ペー (10:00)一一 波渉(10:10)ーーマンダ
ーーゾンヲル ・ゴンパ調査(13:35-15:30)一
(10:25)ーーレマラ (10:45)ーー スキャガム
一一トク世 (16:50)
(11:30)ー 昼 食 (11:40-12:10)一一ハミ
タ 姐 (6:30)-3oC(サニ)。
馬方迷の怠見で.
1
:
水
J
j
l
:
の
多
出来るだけ早〈出発した。今日のコース 1
い川があり .早朝でなければ渡れはいと言・
0
ている.
リン (12:40)ーー クシュル (13:45)一一波渉
(}3:50)ーー ア プ ラ ン (14:50)
気温 (9:15)120 C(ペー )
。
レマラで小雨。
1水が埼えるからである。 t
高方遥
気組が上ると雪 浴 (
の水 1
誌はめっきり減ってい
往路 l
とくらべて.各河川 l
は行き交う旅人とあるいはその土地の者と情報を交
ご。たアプラン ・ラカンの近くにテント
た 。来
:
W
i
i
'
tt
1
1はやはり水震が多く .流れも急 f
ごった。
燥しあう。 1
を~り . .l!,~資を行う。
1:テントを猿り .谷めいの道をゾンヲ ル ・ゴ
トクタ 1
こ。大きくえぐられた告の下に三 胞の
ンパfC向か。 f
ゴンパが態。ていた。人盟はなれたと
ζ ろである。
1/11(袋のち附) (7ブラ
21*
J
ー一一一デンドクンザ 〕
アプラン (9:25)一一 波 渉 (9:30)一一チブラ
(9:40)一一 テプルクルン f昼食。 11:15-12
夜 .降雨。
:25)一一 オマヲ
22*-
J
ゼ(12:35)一一総(建設中
1/15(袋のち雨)(トヲヲ 一一一ーペ ー)
13:40)一一ギセラドク (14:15) ーー デンド
トクタ (1:05)一一アティン(7:
・
35)一 一波
クンサ(15:10)
渉 (8:25-9:10)一一シャ ーカルコンマ (9:30)
気 温 (8:15)70C (アプラン)。ラカ
J
から少
一一 シャーカル (9:50)ーーマルキム (10:35)
し総れたととろにテントが張ってあった。そ
ζ から
ー
・ トタンリの総
一一昼食(10:45-12:50)ー
裁絡が附 ζ えてくる。チョルテンを作るらしく ,軍
事
(13:00)一一 シャムリン(13:25-14:40)-
進者がむ を泌んでいた。チ o )レテンを立てる地点に
一ー ペー (17:15)
は
,
・
気温 (6:00)1 C (トクタ)。
ζ れより帰路で
E
軍隊舎修した跡があ。 f
こ。テントには{慢が 2名。
カルシャ ・ゴンパの{曽だった。
ζ 苦労した川は一段と水f
立を t
自し
ある。昨日.渡渉 1
31*
7/18(袋のら明) (デンドクンサ一一一一町一 シュ
ていた。昨夜の雨が原因らしむ、。渡渉する場所を傑
/
.
l
Jどる。
すのに手1
トタンリの時H.'渡り . ~ーを目指
した。ぺ}の袋詰Z
近くにな。て降り f
ごした雨はだん
と若いたときはずぶ泌れ
だん強くt.iり .キマンプ地1
f
ごった。ペ ーの 対 応ζ
i は.けさ 立 ったトヲ舎の策絡
が比える。絡があれば 1 臼行程節約できるはずであ
(近道ぞとる)
ニザ〉
デンドクンサ (8:15)一一橋 (8:25)一四 ボク
ス (8:3 5 ) - 7;
t ロキ
g
ク(織。 9:50)一一
昼 食 (11:15-12:00)ーー ペンツェ ・ラ (12
:20)叩ー・ペンツ
-30一
z ラランゴ
(12:35-13:05)
一ー 鍵 (13:55)一一僑 (14:15)
サムカシ
ダンサの手前でr:i~Ho ~~Ij が強<.かl,t り漏れる。
一時止んだ1
4
i
:
r
まr
!iぴ降り出し .&:ーまで絞い f
ょ
。
(15:15)ーーシ鼻ニザ (16:30)
気I
U(7:00)4.
C(デンドクンサ)。デンドク
J サ付近で紋が出てきた ζ
一
J6k
.
w
7/21(ム.ときど主雨) C
シンモダ;/サ一一ーバ
とに気付く。ペンツ 2 ・ラ
は
i
i
1
を胸
躍れでほぼl
a登し .一気に下る。サムカシを
,
m
;t
:t
ょと ζ ろで一時降雨。疲れているが.湾当 1
.
/キ
守ンプ土曲が4
正<.シュニザまで来てしまう o -?シト
J
レカチ〉
ーチ守 -(10:40)一一 パルカチ (12:30)
途中 .道が紛れている i
列車;
ゐ。た。 パ ダン以来.
ンレまで 5.brの地点、である。
雨の降る自由5続いたが.乙
1 4k
.
7/19(公) C
シ s ニザー一一四ジ
俗 (9:30)ーーテ
シンモダンサ (9:00)
s
ルドー〕
ζ 数日
r
;
t
.
干
守t
ζ天候が葱い。
バルカチから少し行。 f
ょ者ンゴルというと
ζ
ろで .
i
!
(
(
沙
僚が流されたそうである。 2:
1
1
的だという。蔀が ζ
(9:1545)一一織一一ゴンチュン ・ラ力ン測企
ないわけである。しかし fH
1i
l級 J
I
Jのトラッ クが毎
(J0:05-25)一一昼食 (10:50-11:30)一
日その織の手前まで来ていると L、う悩殺を得た。
シ s ニザ (8:05)一一渡渉 (8:20)
ランドン ・ゴンパ (11:50-12:50) 一一ー 波沙
(12:00-20)ー
85.
b
r
7
/22(雨のち分) C
パルカチ 一一ーカルギル〕
渡渉 (12:30)一 波捗(12
:50)一一 ジ3.)レド -(IC30)
バルカチ (8 : 35) 一一 担~
気 温 (6:00)一一(シュニザ). <
v
lr
;
t
.
}
j1
i
l
'I
,
C~
(スル11110:15)一一
舗の流失倒所(10:20-11:40)一 --?:.--ゴル
-?ンゴル (13:25)
ン ・ゴ
(11:50)……以ヒ従少。
ンバがあ。 fこ。巡り.ìüt.正がら.~浴していたのであ
ーーパニカル (13:55)
る。ランドン ・ゴンパはニュンネの儀礼が終わ。に
ーーカ ルギル (17:30)・
・
…以
い。ヲシトンゼσ)!.I.!r!から総れて . ゴンジ
A
と ζ ろで.村人が集まり .テャ ンを飲んでいた。ジ
サンター(J5:1号-45)
kトラッヲ。
雨の中を出発した。 9 ンゴルでは丸木を渡して .
E
雨。昨日会。た係行者の,活によ
"')レドーの近くでE
憾の工事の級中 f
ご。た。
れr
i
. ジ3.)レドーまで事が入っていると聞いたが.
l
,
tるという。乙 ζ で荷物を野湾!し .ニ人の馬方f
ζ馬
ゆ1
;
t
.1
,
t晶、む今日はまだ来ていはいという 。
5頭分の抵ムいを済ませる。出来上。た惨を渡り .
1. 2時間で通れるように
?
'
/
l、たトラッヲに便乗し f
ょ。雨季の交通の
ほどはく ;
22k
.
0C
ジュ ルド一 一一一 シンモダン
7/20(附のら "
サ〉
使1
;
17 テに l
.
tらl
,
t~、。いつどζ で.ìü銘の白)J~ . 僑の
流失があるかわから信い。6i';然的にはI"i.Eより早〈
ジ生 Jレドー (9:05)一一僑 (9:25)一 一 向 食
カルギル11:着いたが. I"辺通り刈i
立を終えて i
縫製カ
(11:45吋 2:30)日ーシ守ルパ(13:2シー40)
ルギルへ帰りおいたと L、
うJ
Jが、句。ているかもしれ
一一 ジ.モトンゲ (14:15)ーーーシ
はい。
J
モダンサ
(15:05)
1
f
tI
C,凶会うと ζ ろまで歩く ζ とには。 f
ニ.シンモ
- 31 -
、
レ一 地 域 に お け る 前 回 未 調 査 寺 院
静
慈凪
「チョムデ寺院 H リプン寺院」その他である。
レー 3
潟資隊の潟貸は.ラダック地減におけるチベ
ア)~チリゾン寺院
ット仏教文化の調査と々。ている 。具体的にいえば,
①アノレチ寺銭の自主回の写J.'.li
H
彰 ②前回未調査寺院
アルチ村にみる「アルチ寺院」は , ラダック地方
の潟査がその仕事である。だ舟結果として f
,
t
; ①②
,
:
1 リンチ
では段も古い寺である。 11世紀の初頭 1
K加えて
③リキル寺院 K おける量生E
奇襲)!jC供養祭
ェンザンポによって建立せられたとの寺伝があり ,
J
供供養の
{トクプチュ祭と呼ばれる)が加わり,思!
ラダッヲ地域の観光寺院の lつとして有名である 。
.1
);カメラとスライド写真の両方 1
1:収め.
実践を 8 .
だがアルチ村には ,乙の寺のほかにアルチリプン.
又畿j
候次第も全て持ち紛った。
アルチリキル, 7 )
レチヘミ.チョルテンマンポーの
なお, レー調査隊の今回の!調査に関する全容は.
各寺院があり ,いずれも各本山の末ミ寄とい。た性絡
チベァト仏教文化研究会へ提出のiXのもの令兄られ
を保っている。 乙ζ で紹介の「アルチリゾン寺院 j
f
こL。
、
も, リゾンゴンパの末寺で,アルチ村にあるので ζ
の名で呼ばれている。アルチ寺院から徒歩で 10分
① r~2 回高野山大学チベット仏教文化潟登 J
(10
0
)。 ζ れにはアルチ寺院鐙画の全容「西箆 B
程度の山上にある。我々がアルチ村滞症の 23日の
商 J 等の墜の名祢 . または~奈織の各線の位位 f.t ど
閲 で.ア ルチ 1
1:来た外国の観光団でとの守を尋ねた
を示した 。②「測!il笑iIlI
J@J( IOO)。 ζ れにはア
i, 1人もいはかった。それほど一般に は知られ
者i
ルチ寺院の告を蛍の測s,または変奈綴各線の大きき
てい伝い。在住しているラマもいは L、。諸蛍のカギ
伝どを示した。③
rレ ー 凋 資 隊 写ι
f巻数fJU
索引 J
f
i,堂守の村人が待。ていると聞いたので,その人
( 1 冊)。 ζ れにはスライド写~'l各巻 1 コマずっそ
を製したがなかなかわから伝い。隊員の中の活か I
の箇所令明示した。@スライド艶箆!m(キャビネッ
人が般を作っては . ζ の 寺 ζ
l足を運んだ。前後 8回
ト 1;縮)
ほどである。Efl?Aゐ。て写
m世影 tζ 成功した。 全体
的 K 蓄え f
i,諸蛍の中 f
i,~者種の系統の安楽緩でJ1Il
レ一地主主における調l'tの内, ζ 乙では「前回米調
:i:i寺院のよ閥抗 jについて報告したい。 「アルチリゾ
めつくされている。
ン守院Jfサス ポー ル寺%lI院Jf世ンヲッタ寺院 J
蛍t
ま,中縫K 筒して鍵皇自に第一 蛍(仮弥)と第二
内,b
qJ
百!(仮眠匹)f
C別れる.第一堂は,三島司君t
f
C,.(。てお
り.中央は吹き抜けで三鰭fC達している。第二立は .
11精ill てである 。 符 IC~-1誌は , 雨もりの跡や 1蜘町
の~JH絡がはげしく , 新しく章子きかえられた部分が目
立つ。ただ
.
m一堂一J凶と第二堂は.会館共 fC元は
同じ綴Aであ。たと思われる 。両常の比絞fCよ。て
れ!'lの復元 f衿 I
C隻奈緩)は可能とはろう.第一蛍
棋ぜん
の疋面!l f~. 中央fC観音像 . 左には三+絡が井然と
両かれ. .
t
;
f
CI~ 大小さまさ.まな毒事申灘然 c o
1
iかれる.
ζ れらはいずれ島新しい。第二蛍の正面 ~Iふ中央
ζ
4k.小の毒事 .2
正に上下 ζ
l 長ヨ高級が.11-2つ..
(i
1
7
:
.
大
き
は
〈関 1)
袋d
持続が Iつある。正面墜は,1
l
J
ニ:
i
'
その形式の l
jが
織に説く釈迦 i
F/
eを開む八仏政的て'ある。 さらに第
l円い形式であろう 。 注目~Iと は.第 一 .;
n
ニ1
;
t共に袋
三i
l
lの四隅には.策調例には向色.西南関 ICI
J.黄色 .
策 蜘l4つ踊かれている 。右墜には . 7 つの~~総
画j開 削 減 色.東北側には緑色の訟が磁かれてい
がゐる.入口の目前とは . 中央 tζ マハーカーラ~侠み .
る。「内の四供-RJ
であろう.第四盃1孟.その困問
左おfC 4 つづっ計 8 つのE23高級がある.まさに ~B高
に東海隅より白 .l
f
i.1
i
<.綴の噂が函かれている。
縫のオンバレードである。
r 外の四自主1i J であろう.さらに四方四I'~fとは , 四
!
t
t
菩織が配せられている. l
)
{ζ
f 見楠西北 f
ζ . それぞ
上紀中 .IllH1flh'U争軌~~絡がニ例比られるので ζ
れに 図書
事ずつ+六"が副i
かれる 。
れを倒的したい。~-:M-)刊のtë~の中央ヒと . m
ニ,
'
;
止
の
.
1
:
'
慢の司,*上にあるものがそれである。乙れ
以上 Iとよって ,
らの~~民縦は. 7)レチ寺院に鬼られる孤島車両m,g!~
の安楽綴 I~ . 共に 11l11m1,'jrp ~ま糸縦である ζ とか1理解
できる。ただ. 7 }
レテ f
t院のまt
'1長脳と比較するに .
級と B
祖述している。
次 fC7Jレチリゾン寺院の隻茶緩の特徴を述べたい.
ニ例共I
CC の~奈緩 f~ . 全体が四軍の~奈織には。
像容の細部ではか'..りの必いがみられる。乙れは今
後の研究課題である
ている([
;
41参 照 )。 まず中毒事 f
.
i.lfi 色.亦~~.
転法紛印で給絢鉄~する釈~牟庖である.
アルチリゾン、tf~æ fとある乙のニ例
アルチリゾン与院に f
.
i
..
I
J
l
.f
7:..P富島幸できるるのとし
(
r
o_
'
o
:
t
て . 金削界 Q~I罪も比える.
m'Qh
Y
l
おI
I
Iの中央.
l
l
l
ま.八L
自のl!lI弁で
の絡には .両目白十がいる )。ニi
t百二堂右君主の中央I~J削ζI, d じものであり . 金制界の
開まれている。内双方の一策越弁上に一線のみが州
五!~員総である 。 アルチゐ?院のro ニQ21軒の各五!~~曜
かれ. {
也
;は;w弁だけを画いている 。第三況も 八
!
i
!
越
と比較する必援があろう。
弁で閉み.各
m
毎(C-t
事ずつ蓮僚に}容している必
坊が~せられている{第二設の方の八尊 I~ . 全て銀
~令かけている) .乙れらの八認は.感A!ßmr.p ~3長
自
サスポールミ
寺鎗院
サスポール村は. 7ルチ村よりジープで 30分 1
:
どのと乙ろにゐる.との村のj
じの山手 ζ
4嗣 E
立がいく
33-
っか残されて L、
る。そ U神 0 )1つ f関 2参照)は符
迦牟尼である。釈迦牟尼を中心1
1
:1 0絡が小さく踊
1
<
:
:保一
王子状態がよく ,鐙 凶 が 色 彩 鮮 や か IL銭ってい
かれている。 10~事の内の四附絡を見れば , 東南隅
るのその溜院の EsH仮称)1ζ{主役~J握が 3 つ見え
1
<
:
:白色の両手を肢に安ずる尊.西南関 t
ζ'
!JJ.色で両手
る。 ただしこの墜のものは .円形の内 I
<
:
:
j
審車事を配置2
IL重
量 を持つ毒事.西北関fL赤色で琵琶を持つ毒事.東北
したものではなく .四角状 t
ζ 画かれている。
島1
1
1
と緑色で舞附する穆が飽位されている。 ζ れは婚
・ ~ ・ 欧 ・ 鋒の内の四供養である乙とが認められる。
m毒事の外側の悶悶
経過内の四供養 1
;
1.八仏
判f
。
t
ζ 尽きれ
I
I
ζ 小さく凶かれている , といっ
るが, ζ ζ では内倒I
3m@
i
f
こ特色が免られる 。
t
/
{1
<
:
:. i:定方移は ,白色,一面ニ'lJ.触地向J
or
両方
!
i
i
方
移
は
, 赤色
, 一
毒
事
は . J守色,一面二腎,胞顕印 。f
11ρ
2
7
吉毒事は.総緑色.一 面ニ唱者,施 無
面ニ'tr
.定印。北 l
銭印の各線である 。以上回仏I
賀線である 。 さらに策
(図 2)
南緯1
;
1.白色で右手 IL日給を持ち .左手を腹にあて
色で知kl.
ている〈威光仏頂如楽) 0 i1!i南尊は,赤県l
'i<舗を待つ
o在的仏頂知米〉 。西」じ毒事は , 白色T'右
手に剣,左手 1
<
:
:経 典 を 持 つ ( 利 仏 政 如 来 } 。 剣 闘
は,
白色で ,
自重住吉~i
(制緩している〉を待。ている
(白傘~仏頂如来〉。以上の八毒事は . 品量産量消浄~~
綴 IL‘悦かれる八仏彦君事である。
以上によって.壁画の乙の部分は,釈迦牟尼を中
毒事とする恋主主清浄 5
2
1
長緩であることが邸解できる。
そして
?H
l
I1
;
1.また 7)
レチ寺院の第一堂西箆
ζ の(
i
!
1
<
:
:見られる中毒事釈迦牟尼の箆奈緑と 一致する 。
(写~ J)
この内感趣消浄s!?長維が二例見えるので ζ れを綴
第二例。サルパピ y ド(管明)を中心とする Q~
m一例を同じく .力』事が大きく爾
<
:
:函かれている
告しておきたい。一 例は E!!eの良中 1
絡 。 乙の5
2
3
長総も
ものであり ,中毒事釈迦牟厄である。他の一例は左側
かれ. 各線は議長~Iζ峰している(得点参照)。申書事は ,
のものであり ,申書事サルパピヲドである。各自主茶躍
サルパピッド。白色. 四商 .定印で獅子'
J
A
I
<
:
:座して
は .九主主が正方形ヒ1
<
:
:大きく凶かれる 。九君事共に I
いる。t/{II:W:方"は,白色.00ニ符〈以下各尊全
U ずつ~~fL~している 。
て一 面ニ句 ).定印の将〈 一切是重量主主}でゐる 。樹
第一例。釈迦牟尼を中心とする Q~J.躍。 申書事1;1 .
方車事は .i
背色 .h
u
i
阪印の主主〈宝花〉である。西方毒事
A定色. 赤9Q~. 転法給EfJ .摘。子腹 iζ結蜘~座する釈
1
;
1
.赤色,転法輪印の毒事〈釈迦族王}である。北 方
-34-
絡は .思蝦色.h
t
I
i
無E
要印の事事
C
.
勝tt. )である.い
より一列に 15絡が小さく繭かれる.大部分組師像
ずれも漁り物は繭かれていない.以上四仏l).
U事であ
である . 正前~.大小 2
る.さら I
t
l
綻}
有線は.白色で右手に日給を持ら .J
.
r
.
⑤ s出
手
・
i
'8
曜にあてている C
L
oeana)。 西市尊は .行色で
③ 凶kal bjan mlll
l
1
りdrcnbsh
i paSakya
_
l
l
ir
且y
al
r
g
)
"
色s g
;
)
i
s pl
1 g
u ru padma
⑫ Eロク
手 It~ 併を持つ CP'
a
.
.dar;;).東北尊l
ま.処緑色で両
m治 体am
り
d
si
n
gL佃
ch
en gr
ig
rgod Ilem m tshan の坊を大きく画き .
でゐる 。 右目~. を漉ff像.
を中将とする級車血清浄~11'<緩でゐる ζ とがm解でき
@
)
I
'
fドマサンパヴァ像。
G ド Jレジ z ーバ 9 モ 像。 ①の!墜には念悠尊が 8~事あ
またアルチ守院の1nー蛍
る。入口壁。 ①念悠車事 8~事-i'ø!Iîく . ②入口上 It 2~事
~qM lt 見られる中高事サルパピッドのgB高級とまたよ
あり .③中央に大きな忽:総量(
J
.. 1
i
.
むに 2.
t
事ずつ 4奪
事
くー殺している。
あり 。
以上の例i
J
ミ
I
tよ。て .ア ルチリゾン寺院.サ 1 ポ
ール守
p
a ⑬ sprul 卯
りi
他の包師自量を小さく画<.ただしG
ゅ は 共t
と念怒畿
以1:1
とよ。て.墜磁の乙の部分は .サルパピヲド
る.そして乙の隻~緩は .
り
by四i
⑬r
官y
uI l
!
;
り
,i rl
C
Yω1 lshabs chen po
お手に金剛を持つ(~t'; maka) .西北持 l
;
t.ぷ色でお
手 It ウトバラ令持つ (Tãr;) 。以上回 fjg~己である.
0絡めり .すなわち
m主の壁画は.アルチミ普段と向じ系列 It-Wし
<ハカン>(凶 4t.S側〉正;をくり貧いた制.IlIであ
ている.といえるのでゐる.
る.正蔚外側壁<D@l
t
l
孟l
r
A
11t四天王を踊〈。左s1.
タンタック寺院
5体の穆があるが.~Jì答厳しく!.uずんで見えず.
正
世ン安ッヲ(~ ?チ)ミ普段 .チ,ムデ{チデー〉
面雪置。@ィダム像.@i湾子の ~~llt 仏陀像 1 3体ゐ
与院 I
;t..中凶との未確認厨窮地縁にあるため .通 常
り。@バドマサンパヴァ像.@ダヲヘッドラ 7.@
湖
沼=像.右箆。
ζ れらの与をゆねるととはできない。もちろん飢光
1
刈 5~H(ì )J.r.~。ヤ ブ
<カンギユールハカシ>(
ぷ院でははい。今回偶然にも調査の機-i'i
t
lたので.
乙れを級伶したい。 昔ンタ
5体の"があるが.
1
1,1ずんで見えず。
ユムが 4体大きく州かれている.①プルヲ。③金剛
1 ?寺院は.有名はラダ
必j垂ヤプユム。@ナムナンヤプユム.これら 4~事の
ック地紙の見輔の寺ヘミス寺院より . さらに~へ
聞に小さな尊が数多く踊かれる.す伝わら左側I
t1
;
1
20キロほどである f途中左側の山上氏チ.ムデ寺
~忽態 . 右側には m婆除.
院が突しく見えるい道路は全くひどいガ書ガ ~JÖ
下段It1
;1ヤプユムが見ら
である.ラダヲヲ池波の唯一のニン守派の守である.
れるの正面墜.ナル~ン版ヤンギ a ール 101 帳。
1
1'1の数は五五人と聞いたが.尋ねた草寺 l
;
tf
i
l
守僧三人
中央It三体の像がある.@'rsh dp
<
l
g mcd
がいた。ヘッドラマは'滋住してい f
c
.い.
@)~ã
以 Flt
ポ ホI
r
:
!
号
で.① ② ③…・ は
r(鴨師 J
.q渇
kya L
hub 仰
の めc chog be ru ku
右lW。ヤ プユム②③@が 3体大きく l
雌かれる。①
G… .I;
t.r
像」 を
;
l
¥
(
わ
す。
は
著
書
曲
者 f不 明 ).乙の 4絡を中心 I
t
. ~悠主事 . .m
菩鎌.ヤブユムがi
ll
Ilt配されている.入口壁。
くツaカン>(図 3参照).墜両は全て新しい.
左堕.la<が 3つある。むか。て左より.①翻師像 4
左右 Itヤプユムが大きく I
l
iかれ.中央上 1
ζ
1
;1念怒 2
4
本.<!渇@;t.共I
t念悠毒事 1体づっ.提言の1
二
仰には l
i
.
E
事が扇かれている. f
,
tお ζ の建物には明り窓の 2階
35-
がゐり 。三方 1
1
:36~事 { 一方 I<l.ニ段で 1 2線)が見
リゾン寺院。 乙の寺の君主函は比較的新しい。
える 。他に,お蛍 1 つ<プンラカ ン>があり . ブン
〈。、カン>屋ょには,2
盤
.
I
'
j
'
!
.
!
l
'
l
t
>
>2つ放節されている。
I6牧 。 ギュ ー プン 3 3r
除。 リンチ z ンスンブン 5
<ツ才カン>には . ~函と共 R 多くの毒事像 がある 。
またラサ版カンギュール 10 7r
倣が収められてい
峡が所蔵されている。
チ ョムデミ寺院
る。 i
也1
1:プン,パルシンがある 。 < ドクカン >
1
ζ
山すその村君主よりじぐざぐ道を 20分ほど去をる。
は.盛岡と共犯多くの組自i
l像を収める。
大王手である 。 多く σ)~立を有する伸次の 2 蛍を調子E す
ス ピ トク寺院。< ツ 定 カ ン >1)
凶 ・2J
f
1
の録画
t は,
は共』ζI設近踊かれたものでゐる。 2般の箆 ζ
る乙とができた。
<、
ノ aカ ン >(関 6参照)。大蛍である。左自主。
現在存命のクシ,パクラリ ンポチェーの函や背広
@@共ζ
1 釈迦牟尼.転法輪印。乙の 2尊'i'挟んで墜
を着た信者を凶いている。尋ねた寺院の中では一
全体11:平体仏が函かれている 。正 I釘~。左右?と 5
2
3
民総
審段近の墜廊である 。 ただチベットでは
包濯〉が幽かれる。 その中央<!)II:同協土'i'従えた触地
なる 聡がある。 乙れ IUl巴の本心を見出し , きと
印の釈迦iF尼を画く。その{也の'!1!.閥は全て平体仏で
りにいたるまでの順序を織によ。て示したもので
1租師 像 2体 .~?クツァンリ
怨められる 。壁画的 ζ
ある。普通は.本心を牛11:喰え,十段階1
1:図示す
r+象関」
右民チョルテン囚がある。右録。①②;J.!;11:釈迦牟尼.
r+牛 図 Jという。チベットでは牛が象
に画かれる ,つまり r
+象関」でゐる。 乙の図は
転法給EfJ.
版木にされ刷られたものは多い。今 は < ツ 活 力 ン >
ンポチ£一
@シャモナ世リンポチェ}あり 。 その
ζの
2毒
事
を挟 んで鐙全体 1
1:千体仏が函か
れている。入口鐙。①②(入口上) ③共に釈迦!iJJ
来 .転主主鎗印である。各線の聞は千体仏で慰められ
る。
るので.
入口外側の右援にそれが幽かれている。
また十段階の過程を袈裟にたとえたものがある.
ζ れは スピ
<グルラカン>(図 7 華~!!Q
)。三方の日まには自主画
リ キ) ~ 寺院<ハカン〉入口密。 サ ンカ) ~ 寺院<ツ
'
.
t
.
し。中央 Iζ9体が安 i
nされている。①パドマサン
定力ン
パゲァ 。 @河沢迦牟Je。③グルニマ オゼル。 @グ空空の
えた 。
⑤シンドンマ。⑥ヤブユム 。① bl
ol
d
a
n mch
o
g
s
s
t
e
s ③@潮干7
。
>2病に画かれている 。いずれも撮影を終
サブー王寺院。<ツ活力ン>の 1儲 ・2)
前を綴影。
~画 I<l.新しい。 また多くの毒事像 を有する 。
f51と減資寺院」の1I~資としては , 以上にポした寺
院の{也fC.以
卜ク寺院<ツ活力ン〉入口外側鐙友側。
Fの如き 3
音寺院の各部分の主主t:{&U
彰を
ヘ ミス王寺院。外 経 の 84成総省・'i'鍛修。
サスポール寺銭。 壁画と像を綴影。
行'.t.った。写t!'i'品!i~したのは . 前回 φねることが
でき'.t.かった寺院はもちろんであるが.前回 φねた
寺院で,取り銭しのゐる部分の箇所令今回は紛った。
以上をもって前回未調査寺鋭の調査綴告とした
い。
与られた紙,f
r
iの関係でIl,'!i簡を滋次示す ζ とはでき
ないので . 次 11:大E古を Í'~ す。
-36-
@@@@@@@@ぬ
0⑮@⑮ @
(1)@骨
@
左t~1
@ '" ~"@ - 8
区]
1
In
。
l
樫
明
書
@
下111 1
1
0・m
帽・ -0
@
(@5 )ヲンタック守鋭{カンギ ~-Jレハカン)
{図 3)?'/?γ ク寺院〈ツ ;
t
;
I
J
'
/
)
② ③ ① ⑤ ①
③@ @ @
左咽曹
右
。 。
!
I
l
(
図 4) ?'/タック寺院(ハカ'/)
(図 7)
@ZL臼 @
。
。
。
o
r8 ム デ 寺 院(グ ルラカン )
。
。
。。
甥
。
品
VL
336
290
島~吉-v"
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(
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)
5
5
1
〈図 6)チ
9 ムデ寺院(・'
;
J:
:
t
カ
- 37-
ン}
リキ Jレ寺の息災護摩について
革ま本使辺
仏教がパラモン教の歯車与しを大幅に段取して.供益
法された息災護修法について特に諭じたい.
1
. リキル寺の最勝供養祭の機察
法 ・ 観仏法 ・ 紡探作I喧法の形式合司i{4立し , ~頂の儀
(1978年 7月 20n-7
f
J291
1)
式が入。たのはタシャーナ制時代という。つづいて
ζつれて ,~督
グプ9朝日華代には.パラモン教の復興If
くJ]L
¥
'
>く且:
飢〉
教でも紡績はJ!ll紛と修法体系が I
M
h
えきれm
UIされて
7・
2
0
復数儀礼を説かれるに到。た . その中でも特 Iq
盤
般
7・
22
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の儀軌は.無上漁伽轡l!(の災以儀礼を思!解するにお
鱒免'I:t A~18-11
~K 刷 ri ,
'
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1 J'M
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12-12:
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8・供葺
7・割
の密教儀礼が行 t~ われるのでめる.
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いて.大 き な 比 酌 持 つ も の で ゐ ろ う oQfして今日
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ゅ の 地方 I
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.,今もなお縦強〈道修等
く崎市>
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)由良朗供置
~ ~ji <<,句吋 l)'・ b也,1>0匂吋
書、企唱 A~18-11
mdunbe.勾吋
~号 jigs 匂吋匂 i....・ h句岨忠告官\.1111 吋2
きて今回,."修it.(7}"
連1 )が行伝われたのは.
銀 企 噴l PM
次 再jig
・防吋 kyid
.
.
.
.
.
U, ~
次円 jipb
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吋句・ ibd
暗畑町吋
庁負
唱。入 n
リ キ ル ザ グ ト 派 } で. ら ょ う ど 峨 供 養 (s
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mchω)祭よ期間内自ζ僻 さ れ た も の で あ る ・ 初 め
次(h
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l m品 d 開
7・
5
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8-10:.
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帥 畑 町 吋 bumb
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にその妓勝供養祭の臼ri'@と I
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慌 を示し .そのゆで修
次 悼I
)
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I 1'01mch
剖陣
12-12::
副
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唱 ~'q 人 11
泊。管内
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印刷川
的世田酷~
7・
揖
韓合唱世
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品。 1
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2:30
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.
{写真 1) 9 '1' 11〆 ~IUJ 供養
AM8-11
似 会 常 A"10-12
以上 10日I
l
l
l
l
c及ぶ供養祭は.大与〈分けると四
-38-
-V
川間制)
附
⋮
抗日息日べら ⋮
3 K
3 す比河
ぶ
て自在の.
1
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Iをはす方鐙〉
際
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供だ
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川
内サ の 口 a の に 白 川
H 4 お 5-M嶋 崎 ﹀ の
川 V M 'い 2. 川 ド
ト
h" の
4q
-h
ぬ-口明広イ噌
い 川 い 聞 内4
咲川下
し市
柑官、戸、自︿(臼
m m惜
カ日会終え
ら タ 3 鍛綬終
わン
てに
はマの削
すヤ
ζ h そ燦
10
. -(
・ を
る安養る都世︼
は供供れ供会
陀路輯即さ隊法
階般紙修
μ取 ︿
段ののがの袈
〈 金剛 ヲ ヤ ン リ ン ザ 鋪 ,
吉 献 金剛慨 に つ い
いて餓怨する b
t刷1
.
'n
唱 b
s
l
u
u
¥gso ですべての供養
が終る 。
〈 吉祥金制官官袋のQ.災;S
U揮を'.tす方i
1
.の儀軌 〉
以上の四掬苅でゐるが.共通している点はいずれ
も占祥金剛怖段(ヤマン者 カ)令 刷Þ. ð とする~J!罪儀
'
1
ぬでゐる。 ζ れらは.すべてチベット人によ。て砂
以上の四段目ーであるが,その内符 1
1;闘しでは別の
か れ た 酬 の 志 の で あ る。 また .いずれ色比較的新
級会によ量る . ただ ζ の供養は毎毎 .今頃の時期(6
しい志ので 200-300年前の志のと推測される。
}
:
j- 7月 )1
1;修されており .去ff.は
-1
国間行い.そ
mを修したとの '
J
I
の中で護J
駅修訟は以災と僧主主の ニ
で あ る ぜ た 川 崎 で は ,一 年 の ! 創 刊 つ の 対
'.t供養祭が.線大にかつ厳粛に修紘される 。それは
;
J"
ンカバの誕l
!
!祭 , ク ト川 dgui
(Lo
r)句 パ ン
チェ ン ラマの~E 矧み供養する払匂・
そして伺
きて ,息災滋j
事修法の兜現去の内草予を儀軌〈 特に①
1添って書面じたも、。 まず信
監事
1
L!
1
:1
立大
の儀軌を 中心 )ζ
きく三つの修行<1It.)段師寺が見られる.I
I
I
I
行〈前
供養}と
a
行<.供養}と後行{後供養)でゐる.
「自白行」と l
;
t,ru~'の本線の修行 (yogll ) を銭高 1
1
:
,
修習して . 1
並俗 (
ku
.r
dz
o
b
)のためにIJtf
iし消めを
はす行でゐる.チベットをm
l.:Rすれば.かつ土地の
修法された続勝1Jt-li:祭の四つである.
た際ζ
t リキル 1
守で使 用 さ れ る .
とζ ろで今(<'1I.i,:
'.1J'Iiすべてを行行自身によ。て継破して, ~そのも
J
f
}
i儀軌を収集するととができたので. そのリストを
のによ。て修初し. 自分自身の勝義r, (
dondlm I
U
)
紹介すると , ~の四極が存(Eする.
の約めを往す行のこと .とはる. さらにまた .護 隊
2
. リキル今に存在する N.I!l儀軌
縫をつくりそ乙 l1: gt~i基金錨いたり , :iJf~辞修法Iζ Ø!
①d
p
a
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ぅf1具等を 1
1
1
1備する段階でもある.
rIE行」と l;
t,
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gginu
g~don
:
J
,
f
際1
1
;f1具等を人火し供養する行で.火天段 ・本 d
〈吉祥金剛怖 i
地(ヤマ ン世カ }の息災 .i
1
'
)
益滋般の
段 ・3
者尊段の三険法判甘いられる. 乙の後 1
1:修法さ
述説〉
れるのが, r 後行 J で. 紹請し fこ火災~'$;>,;g送する
②d
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もhinp
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l
!
i ぬ戸l
.
nc
h
o
以上の郎〈滋y;は.三つの修行〈供養}段院で締
〈古鮮金剛怖 ~の.u災 ・噌 益 ・ J政愛 ・降状 (謝状 )
mめの儀軌 〉
滋i
惨と死者・の
③r
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宮川 d
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o
段階等であり,乙の次第をるってすべて終える。
成されている.""f
,
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;
でl
;
t,原縞の枚数 1
1
:n
.
iJ阪がある
の で ,I
l
u行{的供養}の部分 1
1:締めて解説し,報 告
とする .儀軌で l
;
t,
る.
nasd
b凶
, gis
byi
ns
regb
yu t
sn
u
l
-39-
mめに日時の設定がぶされてい
3 前行 {
前供養)の日時
H
:
ミ
三通りあった。す伝わら,小サイズ・
巾サイズ・
大サイ
「前行I
;
t
..四季の後初の月の満月 ζ
1 位。てくる段
ズの三極である。小サイズは,指先のサイズ(寸法)で
ζ の方法がJfJい
初の臼士事の朝の闘である.
Jと説かれる。 すなわち,
従来知られていた方法でゐる。今回も
密)の四季とは,春 ( 2月 ・3月 ・
チベット 暦 (
<
J
日l
られた 。中サイ ズとは.指先の t
む2関節であり .大
4月 九 五l(51 ・6月 ・7月 ).秋 ( 8月 ・9月・
サ イズは.指先の第 3関節ぞいう 。中サ イズ ・大サ
1 0月 九 冬 (I1}
l ・12月 ・1月)を示す。 その
イズは .
段初の月であるから .谷の 2月
.
uの 5月,秋の 8
それぞ れ より大きな!í!~絡を錨く時lζ 使用
されるが ,一般的には小サイズが用いられる 。 「礁
月,冬の I I月になる。また . その満月にな。てく
手」と I
;
t
..従来手の平を広げて親指の先から叩指の
る段初の臼とは .新月で, しかも朝の筒{午前中)
先までの寸法とされていたが, ζ れもニ通りある 。
であると説明している。 と ζ ろでリキル寺において
それは.従策の親指の先から中指の先までの寸法と
は.先 {C臼震を示 したように ,修法を始めた臼が 7
親指の先から 人 さし指の先の寸法の 2IDlである 。通
月 20日で.ちょうど 7月とは旧暦 で変の 5月にあ
?詰前者の方法が用いられる。 また「 肘 」とは .一説
f
こ
り 儀砂1
f
ζ鴎1している。しかし 2 0 8は .旧経の上
に はひじから手のくりぶしまでとされている。 だが
では帯電月であり , 日の創り出しからすれば儀軌とは
これにもニ通りある 。一つは .キャントク (
rky
u
五
異なる。 ζ れは 「務熔修法 」が .本来は独立して行
khru
)といい. ひじから手の平を臨すく1
申した中指
伝われるべきものであるのに.今は年間行{l
J
の一つ
の先までの寸法である 。他方は. クム トク(s
k
um
である妓勝供養祭 というー述の法会の中に取り入れ
凶叩)といい.ひじから手をにぎりしめたその頂ま
め
られ,供養祭の次第の中花組み入れられている T
での寸法である a 通常キセントクの方法が用いられ
でもゐろう 。 ただ.チベットでは満月の日は .常に
る。
何司i
r
cb好日の臼とされている 。 ζ の点からして .
今回の「語~)gl 修法 」 も .
日時の選訳としては配慮さ
そ(J)j,戸fL織かれた!i!奈縫の法伝の寸法を掲載した
(写真 2と図 1を参照 )
。
れたものといえよう d
4
.
以上の三窃類の法ii!:ICよって .作られた滋態!Ij{と
作境 法 (g!~緩の鎗 き方)
次fL.~臨JfI1績を作るに際して , まず寸法(法蜜)
が規定される。 すなわち .寸法の単位には ,次の三
し
らや (L
ゆ
廃業員の方法が用いられる。 f
信f掛け .傑 手 (mtho
切~う
gai
,
).肘 (
khrug
l
1o)の三つの単位ですべてまかなわ
われる。
f
聞 とI
;
t
.
指一 本の寸法で,四本で四指(50r
gshi)とf
.
!り,四指を通協i
l;
るめやすにする。ところカ吐逆
来凶指といえば指を伸ばした状態の四本の指先の寸法だ
けとしか知られてい佳かった。払がリキル寺のヘッドラマ(カ
チ z ン・ダルマパドラ》市民授かっ切法払四指の寸法
( 写真 2)滋1fIi!l'1 に以災の~~緩を画いている所
次に. 乙 の 出T叫 づ い て 繭 か れ る 安 楽 緩 を 説 明
-40-
する。議w!尊重の作.!îf法と9!~長縦を織< !
瞬
時F
が次のよ
では次のように説明する 。「 炉の周囲には乾燥 して
うに儀軌におかれる。 「まず土地を音符1
として.四
虫がい f
.
l
. ,しかも寄りのよい腹水を円形t
ζ 翻み上
f
l
J(grubshi) の塑をで ζ ぽ ζの f
.
l
.いように平らに
11',白い土~以。て油彩{し。くい)して.それか
作り.中央 I
L円形の炉-i'幅一肘,,革き半肘の寸法に
らその外回りに牛の禽を図ぐらし.白い甘'i(umrla)
作る . ~ll:mn ち (btab t
hi
g
)をし,次で円をl1nき.
を有する白い否判 (
dr
i)をふりかけ,白い花びら
カケ aル (
k
h
akhyer)1
1:金剛の棋聖告(仲間n 恥 ) と
(silma)令散ずる. Jとある。Il軌では ,燃料はあ
円倫 (
1
水h
or 1
0) を術き .外の凶すみには .学月の
くまでも駒木そ芋として使用し.牛の発はその純助
上1
1:半分の三鈷金剛を繍き, ~同の中央 IC 白い八議越
的伝燃料として使用される.リキル寺での滋JIjiの:M
I~ ,その中心〈腕}に五鈴金剛〈長さ A 街 ・ 高さ
際は,牛の糞を tとし.撹木は.少々加え点火の時
JIi)-i'鋪<.次 1
1:染めた白い紛 (rω1 lsh
伺〉や自
に使用されただけでゐる.乙れは現実関凶として .
い上そのもので色彩をつける‘jとある。
<
ζ れは今何
ラタ ζ
1木が不足しており .使用したくて色使fIJ出来ー
災際化作られた唆とも合散する.ただ色彩は臼とみ
ないという地滅的信条例・によるものであろう。本来
の kの二組が使用され.白い土 r
;t金制や入業運恨の
は木を用い糞はその補助と f
,
i
る。 また.ぬ I
f
t
J
l人;学
主安部分ζ
I使い,赤い土l
;
tJ
X
益事や外わくの線電事のわ
外人議師のニチ守ン ・リンポチェ飾の活では,
くどりに使用されていた..1)災獲摩の易会には.臼
サでは.牛の発よりもより清浄 f
.
lヤクの糞が泌世話役
m
rラ
い土が法調となる.以上のように隻?i< の炉が織か
肝jされ.或は本のみによ。てその燃料とはす繊合も
れる。
多くある dとの ζ とである。
5
. fI木と牛の糞の配布
6
. 供養台の位置
次 Iq
陣取をたく量産剥 1
1:は,Jif木(bXIshin) と牛
の食 (
b
u
hiI
c
i ~)が使われる .ζ れは共に a~事績
。
司
健
五
1
i
mの劇聞の上に置かれる。{写J't3 )のよう
に.かの周閉 i
ζ 牛の糞を
wみ tげて白いものそ油彩
,
し lJ宮本を図のようにI¥'lU
I
Iしている。と
ζ ろが儀iWL
a3)護.11'1:1111備 完 了 q直木と牛の繁配布}
<7J
同
(写真 4 )
'
1I-
供
j{ t
1
議L~尊重の司自備が終わると . 次 Iζ供養台 ( m
chod
て色かなりの違いが見られるというの
7 資呉台の段置
stegs)• 資具台 (rozusst
e
g
s
).礼~. 脇机望書を設
位する 。 まず初め iζ供~台(写J~ 4 )ζ
1白かれてい
次f
と.資 具 台 (1
ぎA 5 )の設fB方法についても儀
るものは.芋L(homa) を入れた告書にトウルワ誌を~
Aされている。リキル寺の書締では , その投
軌 で 説s
しているものと米 (hbraschan)と三総 (bzedshal)
信方法が全く儀軌の通りであり . 資具色その通りに
に入。ている乳だけであった。 ととろが儀軌では少
準備されていた。すはわち ./Jt~症の傾序 ri1ëから 右
し爽'.lる。すとfわら .
r四水 (chllbshj) .三官官
(bzed shul
).漏 水 ζ
i使う 吉祥誌の犯.持雪冷な7)<
(bs仙
c
h
l
l
).水版 (lasbum)令左 方の ma
"
f
l
ji
台1
1
:
古ji台としてテー
箇<.Jとある 。 リキル寺では t ma
ブルを使用した. (写只③)。と
ζ ろが m
unji台は,
になされる 。 そ れ は . 左 端 の 僻L
水(Yum も
hin)か
開次右方ζ
t向。て ,⑬の特殊な供物 (khyedpar
らl
r
d
制 s
)までこ列 1
1:順序よく滋べられる。ただ大き '
.
t
{
!
g
ζ
l入れられた閲織の資具は .位き織に倒。たので
あろうか .台の右方や台の下に安置されていた。と
。 「大変りっぱなる
そのようは簡単なものではな L、
?
?入 れ れ
ころで. その資呉の窃績は 13fni( トル 7
こ事がなく,ラヲにもたぶんな
の で, インドでも見 f
ば 14額)ある。次の知くである。
i. ニチャン ・リンポチェ仰の謡で
いでし£う Jとr
①手L
木 (Yam ~iñ) 。儀軌では「 一機手の寸法
ある。それほどり。・
ぱな台だけに .今回も E
富訟でき
で,白いペルプ (
b
a
l 加)など乳を有している木を
'.lかった。ま t~ir'Í浄'.t.水( bs
ム Chu) を成就する方
用う。Jとはっている。儀軌の如くである。
功。名称
tll¥のよう ζ
t湖沼している。 「 きれいな怨
法を儀軌 l
②自著油(markhu)。 準備している時は支具台の
(snod)にきれいな水を入れ,そ ζltサフラン花
上に鐙いていたが,修l':1iが始まるとすぐ畿惨事警の上
(
d
r
ibzan香りのよい花)を入れておき. それを香
1
1
:
移t
凌えられた。儀軌の順序としては,②*目と
炉c
n悠 付 加s
)によっていぶしつつt
木と③胡麻の聞に本来r
i鮫かれるはずでゐ
なり①字L
h
r
1t も訂. の
Aaゃ .kb叫ghadhrikaの災言 108&.或は 7皮
,
る。また西手納を shun murとも言も
議して方備する 。J
と説かれる。今回は設住きれなか
h
u
n
般的な用語で .経典{仏教)周訴としては, s
。た。 ζの供養台は. 宗派によ。ても ,銭fAζ
l ょっ
rnUrを用いるのがよも、。
m
i
lrkhuri
一
t
il
a
)。実際は黒い胡麻を使用したが,
儀
@湖麻 (
軌では白い胡麻を使用するとな。ている。
:
f
i
..サ ンスクリッ ト諮 の 菅
@トクルワ(伽r ln)1
i!Rで実際は禾本科植物のー留を使用している 。
⑤米[り b
r
a
s
)。 もみ古置をと。た米{りI:rus mugrugs
pa)と銭軌で説明され,その如くである。
⑤フスマ (shoz
u
n
)。禾本科縞物で亥・
類のそぎつ
な粉である。
①吉祥蕊 (kl~ha) 。サンスクリ y ト語の音釈で
〈写真 5 ) 資 兵 台
-4
2-
;t(A:のように説かれ.災際と相応
その他.,複軌で1
ゐる。
r
火をつけるJIHHrnegsobuhi
)I
CI
l
I<
ð~"Fî';'iも
chus)と炉のカケェル(財回 khyer
する 。す伝わら.
③白芥子(YUOSdkar)
。カラシナの笛チ。
③線変 (soba). 大友のー留でめる。
⑬大変 (n岨 ).
l1
抑制置を与す。また.阿!樹裂と1fiのr!
1
U
I
ζ ヒマラヤの
⑪豆子(S
r凶 皿 心 。
ような火を防ぐI¥!(meyo1
)1
ζ
b
U
I
¥
'(eh) 文字を書
長
.
⑫小麦 (gro)
⑬特殊なもの (khyωparr
d同 S
)0 :だ際 l
;t妙米
(燐米)を使用している 。
そして儲軌で l
;
t
.
rその中 ζ
1⑬供物 (gtorma)
を並べる .
Jとあり,写真で見る限り左側の中央 1ζ4
つ儲かれている。
以上の 13純 (.
>
i
.1
孟 14fj)を説いているが.①
~⑬までの資J.H量上側と下備に同じようにニ列 IC~
べてある .
ι れは上側が出世間おに供養する志ので
下側が世間手?に供~するものである.また,以上の
ように胤怠がはされると.すべての資比は .甘i
o
l
i
(amrla)のつぶ (
r
t
lbu) を入れた溢水 ~(oañ
mchod)1
1:よ。て.d:漏水され清められる.
(
'
1
J
j
:
.
I6) 礼. (J5) と脇机{左}
8
. ヰL
!I査と脇机の量生績
脇机の上にあるのは手前から1:1
二白い
次に .阿u!l梨が!'l!す干し量産{必「画段}と, 法』主君事を
1'1;(カタ)・鈴._水栂・米・水販である。
s机の投位がはされる.
樹
事
裂
礼盤の上に置かれているのは.向l
安鑑する
まず飽机 (1'J~6
)には.
E身具である。
の身につける i
水底 (lusbum) と
i使用される海水総 (
n出
;mchod).そして五鈷
酒水ζ
<.
Jとなる。ただ相巡する点は.闘では阿閥裂のl
i
金制 (rdorje) (ただし等以では Qえないが鈴とと
側 11:法奥を置く脇仇が投位されているが.骨量~では.
>
IK 鐙かれる.)と鈴 (drilbu)がある.その他.臼
「自分の手自U
(lE必 )IL鐙 <.
Jと信り少々異t.t.る.
い布{ヵヲ〉と米色ある.儀軌でl
;
t.金剛と鈴の怠
次ζ
t ,肉関知のf
f
iす礼皇室でのP
Hし方の作法につい
味を次のように解釈している. r
金剛は方便 (tha-
て .次のように』見f
則している. r
~Llm . やわらか
bs)そのものであり.五智 (Ye$hcs I
…)の本性で
くて楽 1
.
c
E
l
!で.あまりぬくないようにして.~IL 臼
ある . また鈴 l;t般若 (~es rab) その志のでゐ。て.
い八薬品車掌のみ織<.路り方は.両泌を少し{申{まし
笠そのもののl
1
:(dharma )(1)1l'・を鳴らす.両方と
て両足をく。つけて議集の
も勝畿 (dondarn)の箸挺心 (
b
y
凶
chubse血 s
)その
に向けて座る{つまり,総子lζffi 。た将i必の~り 15
ものである .
Jと縫かれる。
の乙とでゐる).さらに.よけいは苫艇をむわず.
mり方によ。て顔ぞ東方
-4 3一
~I" と鈴-i'加持する ζ とから始めて. ~9 -i'終るま
で手 I
C金 剛 と 鈴 を厳さ ず行を行はうべし。 J
と説かれ
注
(1)寝 修の研究については. ぬ富本宏「無上 J
A伽
密 教 の 実 践儀礼J (日 本仏教学会保報第 43
号)
る.
9
.総
と
,
括
XIC正 行
以ヒで的行{前供 養 〉 の 部分を終え ,l
t
)1c:入るが.今回の報告は自iJ行のみにとど
{本IIl;l
f
f坂府勝 f
l
l
J
駅鎌fAJ(イ
Y
ド古典研究目}
を重量買高されたい。
(
2
) 本名は. カテ'/?ルグ 9'/(dk.~ I
d
andar rgyas
めたものであるが. たにその的行の紋後 ζ
i .先にも
g
li~) 寺といい .νーから荷 52 k.の所に位置B'
,i1;べたように今回の護摩 修法 l
;
t,t
t
M
J供養祭のlf.t中
る。ガ-9(mo'h ".)9
'
/ポ'1'",(現在のダライラマ
IC 行f.l われたもので.質量路供養で色~tI!修E去ができ
のS 人兄~の-_'本の郊〉が停車E するが, 現在ダ
ると微妙L
でもお関している部分があるので般後にそ
ラムサー?に住み実質的 IJ~ I
)
l
I
;
t,ロすY ド
ク Yユ
1
1介する 。 す伝わら .
れを 1
r
そのように f今まで目見
いたように },圏臣殿儀軌 の 支 分
(blO b.a~ d
on yod)6υrがはず。また,
(
Y
u
n lug}f.(ど7
2令
ラタ
(1
. dvags)地 J
j
・では, ,キルプy
パ(
k
l
u hkhyi
l
に は す 掛 合ζ
I . 級勝供養や{也の供養の時 I
C於 て も で
dgO11 阿〉と呼ばれているためラタ発音で記した
きる.また前Ic:成総する方法{前供裳}を修習した
が,ラす発音では.ルキルグYパとはる。
のt
f
l絞 (r
g
)
'
l
旧)ならぽそれでもできるが.そう
儀がl
(
3
) fトヲプr
"
,J
と1
;
$,一 週 間 以 上 の 大 き 信 供 養 祭
で伝いはらば. 語水告書{曲nmc
!uxl}令加縛する続
において名付けられる名祢で,この上なくもつ
から 4
おめで.紋後 までダヲケ (
bdu
事b
skyed)の 行 を
とも勝れた供養という怠昧で.
査を行うべし.
Jと.&かれ.
完 全 に 修 汗 し て畿圏世の修E
仮に釈をつけた。
ノ子ω のJIi勝供養祭の中で修tまされた~~lJt~1孟 , U
.
(
4
) 日夜の日時とl){1'.!lは口容によ。て聞いたもの
L
ど うりに修されたことが確認出米る。
ほ後
I
f
!
I
終りに . 今回のai~修法 の調伐にあたり ,
が主で,:
J
.
!
際t
二行。て町tめた自は, 7
1
125
, 26
.
28,29日の 4日I
I
Uで,その外の日は時制が多少
リキル
J
Fのヘヅドラマ .カチェン ・ダル 7 パドラ師から .
凶
f
i
D~J
9
l((J.災 . !fl縫 ・
r
般 勝 供 餐Jと
3書伏・ 敏愛)の~占量級図(関
ずれているかもしれはい。
.
1
(5) 昨年の第 一幽傾告書
(p18) で~符w:仁滋飾
1-4 }の嫡き方やその作法等を伝授していただい
が 9キル .
!
jの
二荷{息災と b
目径〉の写真
f
ょ. また弘のよき友人であり , 7 ドゲァイザーとは
を錨草置されているのがそうである。また .来年
氏
。ていただL、たリキル寺のラマ{僧 .G.N.ギャツ a
(1979年}は,再び.Q.災と b
骨益の
:
:
u
揮を,1980
からは .Jlf).l開修法の依頼や者(J!fl儀車k
の収集等にたい
年は , 敏愛.*を,
して .
1
1
1しみない助力を!{}た。また,A.:学の外人議
摩を修法する予定。ただ倒伏鍍 .'
;
$大変危険を
C多大佐織i
教綬を頂いた。
曲目ニチャン ・リンポチェ師 I
とも伝うので非常に困 縦 であるとも , ラマ途は
共にあわせて深く御礼申し上け'
'Uの級f
与を終りたい.
いう。
合型書
(
6
) ガグ Yガ
-44 -
1981
年1
;
$,~唱伏〈降伏):1(
r
"
'(dg.~
1
n
nl
n
a mchod)と曾わ
れる。 ;
!
;
tY
カ
ヂ lυ月 25日 の 艇 自 の 一 日
また,パ Y 九
chen chos rgyan dgO~s rdz08s)とも
の み 修 さ れ る が, 夜 中 じ ゅ う ラ タ の 町 に は ラ イ
(9) タヤ Y 9 Y寺とは,
トがつけられ.その誕生を鋭う祭である。
1
.
. クトノレ (dgu gtor)と称するお
(
7) クトノレ祭と 1
aわれる。
ラ?の近くにあるニ Y マ
派 の 寺 で, この寺で修されていた儀軌である。
、
供 物 を 鯵 げ る 大 祭 り で . )2
月
, 22B~l 2f
J3)
日
まで 10日則の法会があり,
YチュグY プ Yプズク(川
(
)
O
) カ チ ユ y ・ダルマパドラ (dkahcher dhar
r
n
n
また, そ の 期 間 中
bhadra
)69才師は,シガ/'"のタ νノ
レ Y ポ寺のパ
12月 27・28 ・29B の 3自問はダ Yス ( 仮 面
y チェ
舞鶴)があり,この日が本供養となる。また,
である。はかなかの博学の人で普明 (
k
U
J
l rig)
祭 り の 飴 ま る 悌 一 週 間 は ダ Yスの練習をすると,
やお密集会 (g5a~ hdus)君事の経典を自分で書き
ラマ迷はいう。
出版している。また寺のゆ1
:
:
'学 校 を 越 て , 子 供
(8) パ y チ z γ ラ マ の 命 日 に あ た る 4月 1 3日を
Y ラマのもとで長く修行されていた学{目
逮
.
o
t
>l
l
l子の教育に紡溢されている。
会 め , 前 後 3日間 .
1
1
'
4し み や か に 厳 織 さ れ る 。
< ~~長jW!の 部分の名弥 〉
3
1
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(図 I )
息災 (shi b.)安 楽 級 〈 寸 法 は 指 (50r)の i
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誌に滋づく)
PD
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、~ぷ縦の詩ß分のr.
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(図 3 ) 講話伏 (drag po)安芸高級
-46-
く<<!糸磁の部分の台祢
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①赤色(<l
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その他の侵 4
ミE
置の 分は
す べτ
蒜色で自ら I
lゐ.
曹
{肉 4 ) 微々 (
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B
宅
総
-4 7 -
ア Jレ チ 寺 院 の 以 , 張 緩
一 慈 趣 清浄 受 奈 羅 に つ い て
小林鶴喜子
アルチ寺院 I
C
I
j
..書
官
合 2 8舗の隻糸絹が錨かれて
ている。東!\1lは . 申書H'~ 附加来とする千体仏と I.{
いる.そして ,乙れ程の数の生B
高級は .レ ー附辺の
。ている。入口のある噸 I
曹は I
二下二段 I
C分かれ.上
初
、F
院では見る事I
ができない。アルチイ
.
'
i
'
1
先の崎両が.
段I
C
I
ま釈迦の平体仏. F段f
C
I
j.仏伝等が微かれてい
1I ・ 2 倣紀 Ic fIIiかれた古いもの である 引 と共 lζ .~
る。西自主には三つのs
H
民紛が償ζ
l並んで郷かれ.下
多くの~'b'長級古毛見存している点で各界の注目される
段κは金剛雌雄が数体ゐり ,(t~民総の鰯窃にも金剛
所と位。ている。 ζ れらの安楽緑のうち . 依ニ 常 ニ
界五仏がくまなく配されている .ιの三つの!!:?!<綴
師寺の歎舗の袋奈緩が. 中毒事を智挙印のピルシ守ナと
の内 ,
する金剛界~H~ 緩であり , 四仏':!j0'>像容にM しでも
である。
fi~ IC:.1':'災であるl]Jを .M一 回調子t 凶公の松公有度
f
¥
I
}
サて
が凶像学的に実証されている。①
中央と右舗の二つの隻奈fIが感鍾清浄 !!?íi~躍
感厨~1浄軌lζI孟 .
81
世紀後半- 9佐紀中頃I
C輸
したリンチ z ンチ,ク (
r
i炉 chcn叩 chog) の校訂ζ
I
ノト乙乙 IcKfl介する 2量産量消I'l>~三高級は , 初会合剛加
なるものと . 12ut紀後、1~- 1 3世紀前半に有;命し
経の釈世ントラとされる懇趣消冷軌に,ぬかれるIji君主
たチ A ージ£由ペー(0,
09-rj ~-d仰 1)の校訂になる
劇I
であり .第一堂 ・第二蛍三 階 ・第三サ止に目指かれで
ものの 2 *
が.蕗!;jじ!I似の 483審と 485'
l
I
f
と
し
て
いる.乙の内 .第一堂の安楽泌が比較的鮮明である
存在する 。H
i
H
i
l
i.7'ンカルマ目 U 3 2 3毒
自と見ら
ので .ζれを例として経 軌 と 如ζ眺めてゆきたい.
れる数少々い蟻伽空ントラ σ
漕 典 で あ る .ζ れらに
ln-常 i
ふ ハ カ ン ・ソマ(Lhll-kh凶 ← 叫 mu) と呼
は. ブヲダグヒヤの.:m が 2ゐ'.ァーナンダガル
a
f
C
I<
I
.5本の必釈 J
Ji).ゐる. 2ぷの滋A!r!ti'1浄軌では .
l
o
tれ.I
也のお1;l:I
C
比較して新しい志のであるが.ス
パ
4ルグロープ陣土 Iふ 「 ラ ダ ッ ヲ の 文 化l
l
i
T
l
lJ
の巾
滋かれる~~長紛が特li!Aしている。!日沢である 483
で.内総の眼目s
J
iから見て I3U
t紀令下らはいものと
mでは. I II賓の:!IUlsiM!'
~J
f
i縦が説かれている。③
t
:
7iわれている。@ 5メートル四fjO
'
>
小
.
, でゐり .中
その内 I
t
A
初I
C,況かれる Saravnvi
d
(
J
(LU1- ri
g)を中尊
*fCチ o)レテンが安置されている . .E 凶i の~tJ壌には .
とする怒産量消f
J
'鎚占員総がaJ_
'
j
;
町商日産石織の E
2
4
高級で
中 央ζ
t ぷ色.伝E
ま鎗印の釈迦牟尼を中心として ,周
ある .
聞に金剛雌雌や阿弥陀知来等の:r;仏 2
8R絡が織かれ
乙の~B高級については.既fC 病井良典隠士が「八
- 1 8-
紹鎗~茶般について J (密文 ・87
.
号)と題され,
その紙製を述べておられるが,次 1
1:少し捌介してお
級が鬼られる.
以上の知〈滋かれる~~~躍が. 第一掌西~;(ì紛の
きたい。
~聖書高級であるので,次 IL 乙のj!~高級の概要を述べて
<東北川1483 2a
'-3b
' .北京必 116561)'-
みたい{写真 1 ・2#00】.全体は五蜜の隻奈1({で
a
'>
57
ある.申書事の匂す内院は九分され,八毒事がI'tlt
事を閥
「中央の~~臣経を!B灯すべきは , 法絡に等しくし
んでいる . 第二illl1:+六毒事があり .そ の四隅lζ 図書~ .
.mを伴いて+六綴鎗也.三次第をu.して,結を
て
筋四盃ーには .
二倍にすべし。中央の方1Ltl}明 (
Sarvavid ) が 銀
I
<
u
'
1
:
四毒
事ずつ計十六毒事が閉1
J
i
'
f
!
I
Iんでいる。さらに
具とクムダ月と等しく .凶耐にして金剛の獅チ鹿i
ζ
筋五 m では . 四方四~~ I
L四緑ずつ.そして内側令合
住し .
1
1つ三摩地のWHlして. 一切の路筋を以つ
めて周E
置を都合ニ+八尊がf!IIんでいる.中診の像容
て飾られるを画くべし。その眼前 I
L一切磁.<<!を民主浄
I
よ白色 .図面,lE:印にして獅チf
f
i
l1:坐している.却
する王を削くべきにして.両手を三摩地の訟に交&
ち持明(S
n
r
v
n
v
i
d
)である。
m
し.i
高月と;1 の色を具して.一切の路飾を以。て
間関と四万四qlζれ-~事.
そして併方
ζ の申尊を開む八尊の
内.四方噂の像若手 I
.
t,東方より耳目1
1:東方{白色. 宣
,
よく円減して.費量勝丈夫として一杯 ζ
t 前〈べし…… J 印.象箆)→一切:!fj皇室主。南方{宵色,触地印.馬
以下. 中毒事を回Ù'~者絡が説かれる o
Mi
ら,西方 I
L
m
.北方 11:録勝毒事がありド東南
W
(
賂)→3l:花。 ~lr1.i (赤色 .車
i
:
t
主総印 .孔i
:
t
if
f
i).
.
.
.
.
釈伽篠王.綱方 1
1
:
宝
迦族主.北方(1
.
¥
¥
緑色,施無鍵印.金麹 A
P10→ 総
等の四隅 1
1:は四明妃である Loc
阻 iMam
i
K
i Pan-
DU
事.とな。ている.次に策郎等の問問は.際機
d
nr
a Turuが配せられる。次11:+六約備に I
.
L金 剛
{白色,日輸).
.
.
.
.Locuna.I
f
f
i
'i
弱f青色 ,金制)→
総経を初めとする+六大著械があり.四角には内外
MamakT.i
!
!
iJ
:
t(赤色 .益事務)→ pandaru0 東 北
の四供養忽が安せ・られる.さらに四妓lf-illW. +ニ狼
(!.U緑色.ウトバラ〉 → Tara.の旬〈四明犯である.
'創ム.+六Ilt~堅治桝蕊U1:配せられ,外骨量 11: 1孟四洲が
また第二
ゐり,大白星E
Jeゃ帝釈天等がHIiかれる織脱かれてい
-i'持す金側面草原令初めとするト六大喜綴が必般にさ佐
る。 ζ の内.中事事の嘗明(Sa
r
v
a
"
i
d
)とは.白色.
している。それらの像容は .初会金剛頂経金制界品
四 面.主主印で獅子f
f
il
Lf
f
iすと説かれているが.三 百
I
ζ 出生する+六大菩臓の像容と 一致する .第三重の
車事凶像u!及び三百六+将図像
mでは . Snrvvid
mの十六事3鎗 11:1.t.東 方 11:白色で金剛と鈴
問削の女性腺 l
.
t.J.l,!潟{白色../1ー金剛,たー鈴)
l
L
V
a
i
r民 同aとして.図面.;lo印にして.八偏金給-i'
を初めとする内の四供養~でゐる.~四日!ì11: l
.
t.そ
持す像軍事が見られる・@ 綴 軌 ζ
1は.中毒事と東方移の
の四隅tζ 凶女性線があり ,
一切懇級王のニ毒事については俗溶の税関が比られる
犯であるとわかる。そして四万四門 1
1:は各々飽H
H
写
が.他については見られはい‘また RaghuV
ira
械が次第の飢〈配せられている.また .各方向には ,
L.Cbandru編 の A NewT
i
t
削 oM
慣習。 lP
回 t
h
e
o
n
四銭苔畿をはさんでニ毒事ずつ金制術援が四線あり .
P
d
r
t 13 1
とは . 11
彼方四尊は白色.南方図書事は'
!
J
J
.色 .i!!i方四勝が;ffi色.
あり.その
1mの恕飽清浄~H~織の図版が
mーに Sarvarid を中毒事とする向じ隻奈
そのIi!容から外の四供~
北方図書事は!.u緑色と位。ている
-49 -
.
m
五蜜 1
1
:1
.
t.四万
内門It四必ずつ凶色IJ>色をした門滋である十/、足立悠
……中8
3
.
.….J
t
f
.
ili. 事d より ~1E上月輸に . 御心よ
仰があり ,周翻を+ニ到!'iZ仏と+六緩艇の総合ニト
り出たる仏は.飢々 f鴻!Pi)仏頂如来也.身色緑色
八殺が因んでいる.以 tよりアルテ寺院の
m1
'
J
i
'
雪
p1お治の受章E
紐は. 1
1
I
8
l
汚r
J
t軌の旧訳 OIU
じ483・
にして光焔ぇ.乙の自l
はht!i終段也。
以下東南の威光仏頂知来{臼赤色.おすちー臼鎗.
北京 116)に説かれる 11I賓の~11<緩のうち.中穆
左手 一安E
要).也市,~樋仏頂如来{ 赤紙1色 .知怠
を聖書明 (
Sarvavid) とする惑趣清浄g:t奈鮮である
宝純}。西jじ.利仏瓜加来{望号色..u手ー剣.左手
とし、える。
経典). J
+
!J
t
. 冷凝仏羽加来(白色. t
l埠理主任}。
n
今一つ第一蛍にある
m
l
l
m
鴻浄隻奈綴は.前述の録
条緩め左傍りにあるので.中毒事を釈迦牟厄とするI!
I
日
~m でゐる{写):0 ・ 4~照) . ζ の疫系組は.
釈に於いて普切のg:t
i
i織に次いで.llI.かれているが.
の四仏頭毒事が傷鮮と共 I
C鋭かれ.都合八仏別"が出
生する.次It内外の悶供養曲己が,各宮s
t
t
.
.
I
J
>
,
Q
色
を
以
。て出生する.さらに懇氏蓄織を初めとする賢幼+
六鎗が以下の畑1
<見られる。
m
「慈氏は御胸 t
;
t
だ 浄I
として,身f!l1
.tl4色の光。
新釈 f策北 485・
J
回U 17)におかれる~~縦の方
m
ニは
が.線量!r.像容に於いてアルチ寺院のgH
高級に迎合
右手は~~のある純Qj. #手 l
i
浄販を舵!る也。
している.i
:
)
(ζ
1新
oIRl
C
.~見かれる,釈迦牟尼を中尊と
不安見f
として.身色 l
i黄色の光I
ζ焔え .
.
l
i
手の量E
花
する慈趣清浄 ~V量級を脱〈部分を見てみたい.
は限にありし.庄のす, I
孟腰0)(淘It安じたり. m
三の
ζ
の
;
t
1
1
<
緩l
孟.初会金剛 r
t
i
経I
ζ 説かれる三樋三j
駅
菩畿は,御名-1:!l!.ì ata~~墜と言い.身色臼光 1c.1í事き
員b
のうち ,第二の 9
1淡鰍紋勝王と名付けられる 三1
1
て,印は鍛鈎を持すo Ml四 l
i一切削苦悩-i'決定して
I也を成脱する為 IC.~障かれる鋭怨!!11<絡である.釈迦
厳する是まにして .l
i
d織に臼と 1
置のiIt色IC"Iき.印 l
主
4W
,が一切:J1l陣争除く三勝地 ζ
1入り ,法紛の印令結
主主を持し, 左手Jま併にして腹側 I
C.安ず……」
んで,御心の俳]乎より月総を生じ. j
証言と共ζ
4金制
,
以下.南方I
C.待象.勇行. r1宣笠iI..智偵の悶菩画書
仏頂以下金慨鈴 ζ
1至る Z
者尊を出生してゆく。
ゐり. i!百万には.甘iS.Yt.月光.賢:1.網J
tの殴菩
く東北A
i485 108l
J-IIOlJ,北京必 117
縫,北方 I
C.金剛縦.無尽Z
3.弁ti1.普賢の四?写機
>
8
l07b7- 109b
古都せられ.偽々の像容と共 ICJlIl解できる。次It四
「内の主主楽総のM.!/j泌 ~E舟 1C.1i:し給ふ金剛仏加知l
綴菩最重の説明が. チベヅト文には欠似しているが.
来l
i.一切省消を利鋒せん.n.御心より出生し往し.
ζ のií iRの制策とされる~.法賢のぷκ,,(る「仏~大
身色臼〈焔え.触地印 ζ
I 正しく往す.……中断 ・・
乗怨忽~~泌rÞ;r.:.!I1~緩二巻 J 【大正 ik.1伝 9 39)
l
c
.
1
羽の偏によくf!:する謝花月の中央 I
Cは,定仏r
t
i却H怪
I卓.前述した:tí~事と向織の像軍事のお砂1 と.凶IU Eõ騰
H
H
a
が御l
心よりよく住して.仏の相 I
Cよりて正しく 掘
り.
も次第の掬1<
),.1.られる。
身色耐として紙めて見わし偽・…・
・中 路-一'/
:
'
xI
CI
!
J
j
の
桝井正~~亀岡士 li.
ζ の~ilRが制訴さである市を,
r1/11極清浄軌についてj(~詩文
-
怖に住す議7~ 上月絡に伺 fのたにより円満せる趨.1:
123号)と泌され発表されている.まに氏家脳夫助
仏Tti初来を御心より出生して .後It示す相 1
C
.
f
!
:
す
と
教授がヰパールよりお来された党本のワふ:10
高づく
は .ffi.銅:f?~の光焔え.織;g印IC よりよく æ し給ム.
「葱1m清浄~~長廠とその観想 J (舘数学師事t.傷む
-50-
号)の中で主主べられた!t:l長総 l
;
t. ζ の新釈及び漢(Ji.
a
o
ニ 1ft.定印のピルシ々ナを中将とする ,作
I
l
f
J
の主主
I
C適合するものである 。
高級が見られる . ζ の織にアルチ
糸』般に獄似する鍵1
以上の飢き~奈量産が第一役筒\1の中央IC ゐり,諸
寺院では,第二'1:町二階の金剛界!l~高級を初めとして,
穆の修理事は f
t軌 Sζ全く一致している.しかし,ー鋼
riû じ簸伽ヲントラである惑星E消浄 ~h~緩が ζζ 11:.!l
所だけ納巡する点がある.それは ,経 軌 で は.中毒事
られ,松長省!dlfi')士の指鈍される織に, アルチ ,
'
j院
とそれを閤(f八rI蓮弁上の八仏頂毒事しか税かれてい
の~~mlま漁伽 9 ントラの~~鰍が主流であるとい
ないが,アルチ寺院のは一世農民八1
経連事弁・がこi
l
lあり.
内の八策趨弁上の東方第一線 1
1
:.一蘭四宇?の女性絡
ぅI)Jが~える.
以上氏関して減しくは,密教てf<liJf究第 I Jりを善幸
m母と思われるが,
が織かれている 。乙れは般活波緩
、
関された L。
どんな;;g隊舎持っているのか定かでは'.い . ζ れは
今後の研究Ill!腿としたい.ζ の釈迦牟厄 ~I:N事とす
注 ① 鰐 数 学 研 究 館 1 U 号『金剛界~茶般についてo..l
Ni~pll1'lllaYOg'dvlll iの中 t
ζ説
② D.$nellgrove: rThe Cullur叫 Herllagc
る恋車車品約'I~~ 緩 I孟.
Of I
,
.d.k
り P79
@ さ
かれる~装組と b 諸穆の自最終 l;t一致している.
らに .A N州 Tibeto M制 約clp,凶 theon Purt13
③ G.Tuc
:cぺ lndO Tibetoc. I
Raghu Vir
o,L.Chand川:
A New '
[
'
i
bcl0
にもその凶腕が見られる。
以上,アルチ守院第 一世のニつの~~長絹を例とし
Mongol p.ntheon P.r' J3
て,それらが各々~明と釈迦牟尼を中曽とする遜忽
の中にも 1 1
鍾の想忠清浄~茶騒の図版がある。
⑥ L.Chond刊:Three U国 dred lcO"o o(
m浄~奈級である事を述べた。アルチ :.!J~:院には . j
也
T1sET 1
1
.
.
7
60
11:釈迦牟尼を中毒事とする想起消浄重量奈級が.第二主主
三階
i
!38
.
m三笠腹壁右に見られ.その 左ICl;t,白色-
Two L.同
;
,
Pan heons, Pl14
⑤ 東 北 3 1 4 1番
133.'-
i$1iC
p
a
{写J!(3) 第 12
宮西墜中央の釈迦牢尼をゆ
持とする1I1H量清浄 Q茶 級
(写真 1) ア ル チ 寺 院 第 l堂 西 堕 右 の 智 明
を 中 嶋 と す る 軍 基 趣 清 浄Q茶 緩
(1主主~ 2)
I
司
王tl
匹継の"'"絡である轡明と四仏, 四明
{写真 4 ) 悶 s
e茶綴の中島事である釈迦牟尼と八仏頂
!
l
e
1
/
1
.
-52-
アルチ寺院の仏伝壁画考
長 田 災 生
S
u
-
占来より仏伝 l
i
i,釈 尊 (Got..mu su制h
.
.,
k
y
a
f
f
i回 i
)の俄大'"所行を追留まし2
賞嘆し .そ れ を 後
の釈毒事にま つわる鐙画 lii, 判別がしにくく不 rJJ~ は点
も数多くあるので.今 回 は 第
j1
立の自車両
1
と絞,て少
世i
ζ伝えて如来の功徳1<::師事せしめんがためのもので
しく考察を加えてみることにしたい.
あ。た 。チ ベット仏教においても釈線伝 l
i
i重要復さ
înJ 堂内の問自~1I:1Iâかれた ζ の釈線にまつわる号車両
れ , ~fillの陸軍世:磁の中で伝えられている 。 ①今回 .
は.釈車事の!:l: -i'伝える「仏伝」と!似われる。乙の
調査令行な q たラダヲ聖地方のアルチ寺院o (AI
ci
仏 伝 図 令 古 来.印 度 に お い て 伝 承 さ れ. また溺方ζ
1
dgon J)a)においても , 乙の釈尊伝と恩われる
伝わ。た仏伝と . どの様 1
1:合致しているか, また相
U
違しているかを併せて貼てゆくと . ζ の壁画がより
色のが存在した.
アルチ寺院に l
i
i,釈毒事 l
とまつわる噌副が数1lIl,緩
められる 。 向。院は , 西の需品 tζ 位位する蛍から ~Iと
向。て ,順 ICIから 5ま で のl
l
H
苦が付されている.
mj:
蛍 (Lhukf 1
9 Somu),m2官
:
!
墜u
1
jは そ の
凶
切らかに'"ると恩われる.
ワ良 Il
i
i,m
-j
誌の I
将慢のt
r
.方をぷすものである 。
仏伝図はその下半分11:, 6~IC 区分されて繍かれて
いる o ~繭には光沢があり,かつ f仏製と豹j 滋が激し
m
l
野島
(Sum t
sek)の弥動仏の腹衣のま草分 .及 び 第 3盆
いので ,¥1語その志のにおいて判8
g
b
'
飼難な
CDu khar
唱)の前堂にはるs!函 I
I
:f
/
nかれてい る。
あるが. で主うる限り仏伝凶の解明を行うことにす
アルチゴンバは,
ェンザンポ ( R川
j j
1
盆紀代の占有俗であるリンチ
c
h
e
nb
z
t
l
n
gJ
)
O
) によって創ij!さ
る.
1
J良 21ii,仏伝闘の晶t
初の部分である 。 ζ の 認 分
れたと伝えられている. しかしながら .釈毒事に まつ
l
i
i,その後今にある図との0
0述 に お い て 「 天B &
法j
i
i,その光沢やf
t
JYifの程度からみて封書かれ
わる堕画 l
をがしたものではないかと思われる. ζ の天下f
とは.
i
i,I
;
t
t
.
.はだ危険で
た年代-i',創il!年代とする ζ とl
兜単天宮 (
1usiI
,
u
b
h抑 制a)を指すものと怨われる 。
ある.現存の!¥1繭は.創建年代をかはり下。・7
こ時代
そして ζ の内院は将来.仏と'"るべき菩磁の住処と
怖
,かれたものと般家する。
I
I
:t
, ~i勅 f守秘が
され釈毒事もかつて ζ 乙で修行し ,耳UE
以上の三つの壁画のうちで,厳色判別晶玉可能と思
われるのは,
t
n1蛍の壁画である o t
n2蛍 ,ils3滋
乙 ζ で説法しているとおかれている・②
qJ占・'~ 31ま
,
-53-
r
五司書観察 Jの湯E
百では'"いかとft9.わ
r
r
れる.乙 ζ での五惨とは, 事者を観ずる唱fJ 同・
上
第四
Kr血統をnじる明」とは, r王族の中 tζ於
を観ずる 'HJr
種姓を観ずる司JJr
血統を観ずる '
]
JJ
ても ,r
g暗躍の父母たる人の血統 I
!.
!
(
J
も 磁れぎる者を
「付となるべき徳ゐる女性 ζ
l就て飢ずる明 Jとされ
侠~乙となり . ゅ E百五③は肉初の王より ・ 連総たる
ている。③鰐ーに「時を観ずる 1
J
lJとは・ 「既 1
1
:
:
海
王統 4
として ,;
U
;
後
)
f
,
l
ll
l
f
l犬人⑬は.Y. 震なる王僚の出
織と他れし時.宅歳挺務長1
ζ人}
;
y百繊の時成仏せんと
なれば,先づ此王と応とを父母とせんと餓 ぜ られる o
J
恥 又 附 妙来総べての如来仙l
じく授3
e
せられ
という ζ とである・⑪
し知
m
n号機も懸念し文+方の諸仏よりは此五濁 優位
r
両立後 K Ilまと',tりllJる飽ある友性 1
1::l!tて観ずる'JrJ
e
の衆生 I
!完全なる依処を失へる者'.れ 1
1,1l!れか依
とは , í~郁夫人 l主的生願}Jの徳を呉へて . 仏陀の
所たらん .為めに速かに降!tせらるべしと筋 I
!れて
母たるに相応したれば.夫人を母として降生ぜんと
温,\ 11:: ~l'l軍側⑤Iζ降主主すべき時 , ~拒れりと観じ給へり oJ
銀じ給へり。」という
というととである 。
⑤
第三に「同士を餓 ずる!
l
JJ
とI
!,
ζ
とである・⑫
以上はチベット仏教のぷ州派の伝燈史といわれる
r
仏陀の山倣は
「ラム リム.ギ s ッペー , ラーメ ー.ナム 9)
,
レ ガ
同
u
.
ごt
l
tの衆生の利主主の為にのみ出づる.(J'信り 。I而し
パ
てJ
t所化の衆生の主ととよる者は.織と人との =mi績
Z
奪a
p
a
)
Jの仏伝よりの引
なるが.省し仏にして締の国民出世t
せんか.人聞は
蓄覇軍は伎を弥動&~留に綬けるわけである 。 主主災 3 は
後処1
ζ
f
l
lるの力',tきかt/l.ζ
1彼等を事J
縫し 1
1
Id
'るのみ
その{立を綬ける塩崎両をぷわしているのか. また i
l
i
'.らず.相事等は仏 1
1::遇ひ媛しとの心を「主ぜず.鮒等
q
直観察 Jの第五でゐる「ほと伝り得る劇映人 J
ζ
1
n
身のIt
l
策多主主語ζ
l厭世の念主主せざれば成徳のg
gと
ついての事はのかはl1l!Mしがたい.
はり織し 。且つ神等 1
として法を聴かんと欲すれば.
(Lamrim rGyudpnI Lnml
iI rNumt
h
a
r
mである .そしてこの後.
たf
ご,!
!
.
h
到1
1::おいては釈君事と恩われる方が.ひき.
m部洲 11::'至る ζ とを得べ し 。 きれば人IIU~平に位るる
まずいている者 1
1
:
:
和jかぞ税いている所である。その
ζ そ吋を I
!Jたる者なれ。其 人界の巾 ζ
l鈴ても I
l
!
i
If
f
i
I
洲
左右には 四人の警雌が,供3
曜をしている 。 ζ の舗面
以外の三洲は IlH主m~ なれども求法の精進心 。E乏し 。
I
ふ
もしひき.まずいている折々
目
白
書E
洲の人々は貧にして短命',tれど色 .は心の綴m
l
ば.
ζ ζ は第五の「観察
鋭くして出鹿念力の竪簡なる者生じ訪し
ある .
0
'
"
韮隙認
の上 I
1
:I
!中
.
i
I
'
H
.
'悟り得るに 膨れたる丈夫 ~I!,l:多し.
r
J
f
t
I
l
s
夫人 J
とすれ
JIU.る.と思われるので
写真 4は, r 降兜単 J と「筏飴~書評 j の場面を錨
されば此 1
:
1
1::顕稼二教を広布せんと .Mれ湾同曜か固
いていると思われる o
にliItて観じて. 此土を沢んで成仏の行制~;J~ さんと
放ち .大地がE
量動し , ~II.iRIますがたを隠し . 日月 g
決せられし所以なり。」という ζ とである。①
E
査も光をうたい.メ
(n
u
t
.
!どの負i
類も 篤官i
lし
,
r
n三 Itrm
i
i
tを観ずる事」とは, i.;1f仏のa
,身出 t
i
t
す. とされ「托胎日~~J の時1ζ . 前生の釈絡は 6 牙
する時 I
!, .1:自民或は~緩門族をlRんで降侵せらるる
の臼象 ζ
1乗。て⑬史l
場)Cから下り .母,W
-I
I
s
夫人の
はり o r
価して蓄鎗l
i盤 情ζ
1四百ふてま族 ItfEれんと観
右飽から入。て街。たとされている・
@ 5t;1t錫げに
じ給へり・ J
という ζ とである・@
「道筋伝俊史伝ンガパ J @
には・乙のQ;j所を克明ζ
1
- 54-
i降兜中 J
の時Itl
i,光明を
五耳
白をぷ
;混明しているが.多分 KII事訴的妥当ミを~んでいる・ゅ
。~fC 仏教の古い 94li'i 1<:: は . ζ の f降貝舛1Jという
伝彬色で人
r
J
をひき. I
首兆をiJlわすJ
Eだ川、ねれて
しかし,中村
t~ 士の>>,'f晶によると乙の.I,IJI
,
いる。 @
VN-V
~1'1 ::1 IV ..L V#rllT@
mけられた樹 lifピヲバル制
簡1
売カりFしばかりある.まずー鮫Kδ"
の経典と δ
合.修1
1
6
夫人が手を
れる「経!.I!J @
の富)955
1
1
41
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:
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i.以トの知くであ
なりしは「シ々ーラ側 J@ とな。ている。
る.
斜
~*よりインドに li. 樹木『とよつわるぷが多くみ
「毒事者サーリプッ~ 1
まい。に.一一わたくし l
i•
ご見に
木f
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ζ
と も な し ま た ..
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とも聞いた ζ と色
るがこの場合.)
修
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巨人が手金働けられた自国が制i!t!
しているのは ,伝渉 l
ニ
の ζ とであろうか・軍事
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ζ のように , ζ
とば淀わしく衆の主な
ζ の 後.1}1:嗣はさらに続くのであるが.
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る師(プッダ )が .トクシ 9天か ら米りたまうた
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J泌が激しいため判別が緩しくま
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よ凶雛である。
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また . f!芸名俗経 j⑬の第 968{婦に IH6牙の後 J
U 岬枇
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糊雌
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下山川以人
ぽ悠内側
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以
此頼関法利
・ 門符覚
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士一同
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いす
・.薗膚 化・叫巾
伝記ぷ
らぞ試乳王
紗卿乳時剛
ん町市札鋭
JSd苫 地 岬
ろる修牧文
のれ
制服肉
迦胸脳会鍛
三和帆合大
mmrr
輪'父仏
法化
・ 礼
転教仏@
初拙帽礼王
帯用@惟
玉閥
鉢緩
⋮m l
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仙
、 ・ 下
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はぷだ陀城樹
L訟 愉
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J
ωを見て進み給ふ 1
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:.平温'.cる池上ζ
l細 軟'.;るほ
の
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l
iより仰で.林必 より鉢苑にと歩み鉛ひ.一々
ド︿仏は波宮
凶刻
・ 宿
I
M
.
i
@'
ζ歪
U
.
l
'
1
す
る や.)繁耳目夫人
「…・・ 一行の盤箆f
直立@
場面は,
加刷ら組総計一被
勧‘、沙南叫ん嫡分
~J と同般に . ぬ括的伝叙述と'.;っている.誕生の
時叶にあ肉瑠車道
順{広健史fi;.ンガパ J で li . 前の「降野純 H 用台w.~
細伝
・ 献
z
;
n51ま.いよいよ「誕生 Jの場面である。「辺
-u
る・@
般・出成
が一環
るて瀦紀位陣
m
創世(
Jも.後l
比の成立とされてい
きし抽同納
先ζ
t述べた「五
でと双
像伝﹁滋仇
怨仏
の箇所を「伝必 Jとされ.
の 中 で, 乙の「降兜噺 J
f.ii1rJi伝健史
(五ンガパ」等々の伝俗世!I
<
:
:.!.liづいて鮒かれたものと
μ
の {ωがある. 中村 元的上は利川「ゴ -~"'l ・ ブッダ J
アルチ寺院の仏伝甥副は,おそらく
I.\~生せり .中 Sζ側 主あり . 無憂樹と 芯ふ . 主主7E)史
でゐる。以 上 l
iチベヲト仏教による伝捗であるが.
上人界の必般に して.淀 2
聖
司
担1
i11たり樹将校Z
誌は初旬
也
{l
ζ資料として,
佐々たる志のあり.9
寺1
<
:
:1
!
i
'
を以て成れる如<.威容 2
敏氏 þ/j~在の志の@を n したが.共 K 安ンカ( T
h
ar
暗
l
l
s犬人 I
;t./c;j予を延ばして ,其側岐に鉛 1
1給ひ. 告
I を
トタッチ 防
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のも信者@と .多 印 $
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)形式であり比較 l
i鈎鍛であ。た。
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i金事事. 百千白
見給ひし K.夫人のお脇よりして .
注 ① 西 成 伝 印 度 仏.
)
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遅史上{釈迦牟厄伝)河口尽
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いか
うと鮮
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とれ花
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J U
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州聞
仲ヱう
鉱崎町
,唱が
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御と
脳
血
f
は噂愛
人釈縦
たでれが
れこらる
ら乙けあ
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。 衝で
らるをと
ああ
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生とにう
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J
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l出でたりと鬼るや .仏身誕
光の利光あるもの.o
語審議
~
②中村 ji; ~与
③狗口前lU~
2 -4員
仏教,1
1
1大静fJ1l
F巻
A次 6頁及本文
995貞
43白
o過去 Ut lニ出現して ,釈t'~に J伝来には成仏す る
-55-
・
と予冨した仏。 (
skt.
l
1
i
pamkaraT t
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.)
⑤ 0
0湾 銀 に 同 じ 。 イ
@ 河 口 前 俗 語f 5
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.ゐo
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) 過 去 7仏 の ー 人 で お る ゲ ィ パ
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νγ 仏がこの程聞の下で成道したといわれてい
⑥ 河 n自
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.
I
H
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f 43~4 4頁
る。(中村元 ~r 仏教知大辞典』下巻 J 315
①河口 lr~m型i
44資
j
;
{
)
③ j
b
J口前括通容
44~4
5頁
@中村元 ~r 仏教 Jff 大oI'fftl
③ 釈 尊 の 父 で あ り. 釈 噂I
!
eの 王 .
③中村元
(skt.も
凶dh
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必O
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.sωdhodlL削}
J
上巻
S頁
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rゴータマ ・プッダ J
45賀 { 小 話
字部分}
@ (skt.
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u
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L)
-tiに 苔 俊 樹 と い わ れ て い る 。
⑬釈聞の得。産後まも'
1<亡 く な 。 た と い わ れ
@ Cskt.ら
a
l
u
) 沙 級 制 。 併 は 長 <. 材 質 1
;
'墜悶
て い る 。 { 中村元箸『ゴータマ・ プ.dJS9-6υ買)
である。:Q(1
1
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Al
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I
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彩である。淡貨色の小さ
(
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. (>l~ l i.M
i
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)
信花をつける。{中村元"
H仏 教 路 大 潟 興
⑪ 初 日 前I
I
H
嘗
45資
上巻
⑫ 刈 口 前 倒 事f 45頁
目次
ヲダ
ラ少 ・ポタラ版
2υ9l
'
1
@(1)猿(2
) 古 代 チ ベ グ ト の 緒liU
集。〈中村元
⑬ 向 口 約r
o
I
D 46~4 9l
'
1
事H 仏 教 路 大 将 典
⑫ (
p
a
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i
.Sutta
niputa)955
172 a
61j
ヨ注③
PAINTED SCRQLLS.
@多国等観
JレY
J259頁〉
c
!
9GIVSEPFETVCCI:TIBETAN
・プ ヲ ダ J52I
(
{及
@ (
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i
.Lu皿 binl
下~
後のマガダ倒王。
⑬(pUl
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吾u
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rゴータマ
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山 心 ピ Y ピサーラ王の息子。
rプ ッ ダ の こ と ば J
@中村元~
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.Bimbis
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t】 マガタ留玉。
@ (
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asenudi) コ『少ラ国王。
〈掘置かれている。
⑬中村元釈
J44~5 2A に S
干し〈淫ベられている。
@ C
skt.Asi
t
u
)
2~.6 (
{
⑬1J~では象は泉< . 六!f'が,..い。また 停 が 赤
⑬ 中 村 前r
o
m 下巻
60nll
@ 誕 生 に 闘 し て は . 中 村 防 士 の 「 ゴ ー タ マ ・プ
D!I!伝 Y ガパ
⑬.ilr順伝 I
M口約細書
J
ピニ 白調
-56-
:
1
1
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ベヲト仏像仏語図録
J
国晶画凶画面一~J-z--t l
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付
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南門明定
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{図 2)アルチ第 1]量平面図及び断面図
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(図 3)
①
③
{図 4
)ア JJ.,チ第 2堂断面図
-59 -
- -7│
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lけ川市川ト:汁九日一
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{図 6
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{図 5 > ア J~チ 第 2 堂 1F - 3F 平面図
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{図 9)アルチ第 3~を{後宣言}平面図
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前室)平面図
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( ~ 1 0) アル チ第 4~量 ・第 5 堂平面図及び正面図
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----- j.--L ・ーよ- ~_._~ー・」月・ー午~
( 図 1 1)ア}~チ 第 4 堂 ・ 第 5 1量実測
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(図 12)アルチ第 11
量 第5
宣言マンダラ分布図
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m l堂
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(2F)
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審号
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213-215
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官15蛍
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誕
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28
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{図 13)
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22
像
品
事
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一一
アルチ寺院の壁画 撮 影備 忘
付 . アルチ各蛍壁画スライド采引
宥行
次
レ一議1
'
'
:
5
まの長な目的は , アルチ、予院の壁画を,
るある ,ストロボ 2灯をlfIいる引にした。フィルム
'
"
n
3
m'.fので,カラ 叩
研究資制として使える織に損
益修する乙とでゐった.
Ii:ついては ,色の治別も重大
ζ ζ に, その作業についての市l
u
nと災際そして慾f
l
H
フィルム i' m~ 、はければならない。1: 11::保存性の 1,',(
1<::ついてまとめておきたいと思う .
で.主としてスライド用フィルムを用い,研究助の
{ー 〉 出 だ 主 で の 単 備
簡易性を~えでのカラーネガフィルムとした。総助
アルチ,j:院の市耐については .昨年の第 1f
n
)鴻必
mホガフィルム令伎
として ,出版 ・印刷 κ便利'
.
t内
の時叱. ~作年代の古いものが1:.t <保 (
l
.されている
月i
し鐙茶級の,.仏 ・内 r
Y
J
妃 ・内燃匂i
i
l
iiJliと思われる
という慢で,学術的犯大変倒的がゐると報告されに。
"ljず乙とにした。乙の隙』
ζ ,,~t画の鋭裂が
絡のみ i
昨年は. );:.1 か'.íがらほぼ全$の噌両の写真を jij~
t
たまった時点で .{宣術 ・室長備i
l
i
iでは一 書写真1<::認し
して来たので,今回の~1'iでは,そのI礎自の仏
い長田隊員を巾心に ,ど ζ をどう織 るかという手順
1
織にわたる l
t
を一 線 ず つ フ ィル ム 犯 収 め て . 融1
と.
般研究がで与る縫な資料集を{うろうという引に
った小林隊 Aをゆ心 κ準備を進めるサI
にした。
そ のJ己主4 ・ m 聞につ い ては , 昨年",~ft図 fζ 加 わ
1
:l
t
:.''f.内で写真1<::ぶしいIf波縁先生花担割
銭術的1
した。
夜々がM初 tζ*まった 4月初旬には,綴 彫 のh訟
指 尋いただき ,jij ~ 方法の縫立と銭術の向ヒを目ぎ
・ 線材の泌IN ・ 技術の不足~のIlIIm が山積 みしてい
して写点綴 影 b
l
i'
f
li
'íj はった。合 ~ I・ 4 [
1
1
'0
,
)縦 Wi
'
た。まずは校体1の問 mて'ゐる . 日人のうち 3人は ,
行l
.
tい, フィルムの色調について ,銀出の決定, ま
今までカ メ ラ~(どほとんど鍛ゥに')1色無かった。又 .
たl
l
i写体とストロポのft!荷
量 と角度について等のテス
敏年の写 ~'.(Iが H寺つ者色いたが , 1Il'Iい中で . 補助光
トをくりかえしはがら 撮影の練 3
号令した。 その結果
h
l
i
'
大t
,
t
1
1
:~与す作業 11:: . ,~t も 自信が1!líか
を用い て仏t
スラ イ ドフィルム l
t
:.コダ ック ・エク タクロ ー ム {
っ た 。まず.f~々は , 質問 ・ ilìt,tの問m から . 又技術
ASA64)を用いる切に し,カラープリン トも それ
的 K 志多少と島使いl1'lれているという点から ,大 型
に準じてコダ ,,?i' fflいる事にした.~出について
カ メラ
の
1
l
I
!
J
1
Jr
,!やめ .
3
5" カメ ラ令
mいる ')11ζ した。
補助 光 1
1::ついても .~芸術 のm化 i'Jlîけ , 昨年の災級
l
t
:.
シ令ツ
9 ースピード , しぼり仰はそれぞれ よー
1
25
・8のー定としに。カ メラ よりス トロボが後に来る
- 6 4ー
織にし.厳ワ体とストロポの距緩が約 1 mの符はガ
s
n
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n凶 回 )1
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U3堂 . 翻 訳 n
・
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t(L0 l
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イドナンバー 1
6,同じく 21/1の時 1
;
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2,1
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く 4m
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u凶 an)は首J4"
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(
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t(r
Ijam d
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ll
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"
のB
寺は3
4として,ストロポのi'e厳及び泡祉を変える
凶
慣にした。またストロボの角度については,厳写体
に1
1
経, 2 m, 3階に分け,苛}3'
t
Jは本将の安むさ
f
i
iか ら 何 度 よ り や や 少 々 1
1の角度.すなわちカ
のr
れているぉ;
1
;
tと
1
:各々 4
5
1
交よりやや聞きぎみに
メラから見れば両側 1
後三
au)1
;
1
W
, 5常でゐる。 ζれらのうち m 2.~tl.'1 ~ら
r
I
暁闘のあるIiU(fの部分とや分けて .
位置した b
・
が,ハレーシ,ン令お乙す危険が少佐い
c削指と弥す切にした。そして .2む1'
i
;
tより.
(
1
)2な 1m. 2 m, 3階
, :
n3-r.t後本, IlíJ~{. 百~4
'
l
fが解か勺 f
ょ。また,
常,司~
r~UrUIよ三脚-i' (
1
1
1
{.tし切勺ても
とどかはい内所のものもあり,それに対しては現地
5'j-~t,
~らに守院自íJの I快,,1,のあるチョルテン
(3議)の順js;I
C線影する・1にした。乙れらのお蛍
I
t
j(/,正側), 肉 (1d
t
i)•
でテープル状の台を~('して,その 1: I
C'
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:~却をのせ.
のl
事面を東(入 LI
側),
'
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iるべく J
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l
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主写体 4
をとらえて綴影する・J
Jが出来:
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t(省側)の問つの空軍 I
C分けて .市 噌 .内
i
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, J
t
'
怠
る織 IU~・Jo8した。実際のAH草を怨定して,
a
郎、宅内
*1慢の曜日 I
C徹彬する'J.lI
Cしf
ょ。 そして.乙れら 8つ
での線狩や, ~~館や金屯í~の広い本内での練習志
の南西:!tmのれI~C とに.昨ff のワ~'lを-..s~にして.
行'"勺 f
ょ
。 ζれにより, jij~臣賞の耐脇』ζ ニ人のスト
憎耐の賂肉を作成した。第l21;t3 自宅~の小 iHt・もの
ロポ持らがいて.そのーニ人の内の 一人がト 由チライ
や.司1
5'
なの織 I
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唱
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I~七 l而-i'除く人:1111分の
トでl!l";u.-i'OO らしJØ~ ?
'
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;1ピントを合す.また遜
l
喰耐 1
;
1,さらに.
1::段定から .
/
iへそして HlI.から
か他の百がJ~U をとり , 合計 三 , 閑人で-lU WIC 当る
おへを原則 1
:, 1
¥1
面
,
B而, Cao,……の1',(:1'令う
ζとには勺 f
ょ.隊員は ーは;どの役も ζはせる隊ζ
I練
えて!塗 ffjj や分;'~J しに。つ主り,
刊したが.ゐる程度の統一を保つために,Al~者は
Lt.凶~全体附と丙1襲 111渇,内 I~ß 附,内市 C 附
,
小休 ・ 段fII ・ .t>.:の各隊 tlが~苦手犯行い, ,
:
e
Uは主ζ
t
内 峨 D凶,内 ,
I
¥ E闘の知<.全体関と 5枚 のR
草分閥
m2
'
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rI附州 1
¥
'r
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uが受け持つ隙にした。
令{午今に沢である。乙れら部分 1
(
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iの分けん1よ
, !
i
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匹
乙 の 線 Uと
、F
行して, !懐幽嫌影の町1
111-とその H
mゃ仏伝l
苅等の号チー 7
l
l
U~佐川lUlJζ
1分けた。乙のお
的隊長と1'';ふ隊
,
r
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事の激とその低限を
体的俗的処令定め,全体の枚数をつかむ作 l
'
i
l
>行信
分闘は,昨年のワ qを見て,
c
i初 I
C, A ヰルグロープ衿の“ Thc
われた。ますJ
で与る限り, E自~IC ,記した。 ζ の杓 1m: よ司て . 少l&
CuH町 1
1
1l
Ieritageo
fLudakh..に収められてい
のワ必の1聴い 1\~IÚi や一部のワ“ Iζ 峨州全体がリ勺て
るアルチ,\院の平面見取 M~参考 IC. 入 nκ 向って
いタいお分をす、
いて ,各司書d
i
iI
CI
jど乙犯とれどけ仏
たから , 1- 5の f
寄りでUj,
b
:・Jl陀した。^;j.)
レグロ
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怖かれているか l
i
i
Jもってはは判明した。 δらI
C,
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まそういう名称を 1
1
1いていないが. c.れ t
卓会な
その必 f
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Jの 配i
白州ともいうべ与断│刈{技々は ζ れ令
の入 LUζ ベノキで~かれでいる~号でゐり~ -$で
ftl!カード
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ま昨年の,l'
J
1
・
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の時から
mいられていた。つまり ,車i 1、色で,
泣 (L
l
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仏 80rn泊}は第 1蛍 .ミ!M'
j
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t(Gsum
b
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t
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芭S 陥 仙 )1;1首~2 古!.ピルシャナ't,~(Rnam
jと除した)の
I・2・3・
l
寸 ζ. ワ n
のワすr.q処を,
.草の採り令附した。 乙れ l
.
t
,
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主茶緩の場合 :
r
t
. "'~事の!とし.その下を
li~3 ,
-65-
その i二 や 4 ,という H 合 1(.
2 , その
L
記まわりに巾
央から外側へ肉ゥて .虫毘錠状 I
C番号を HI1.
f
ょ. ~?It
右往在住する殺々に砂廓が舞いあがるため ,時 I
I
:I
J
.
m以外の湯合 t卓上段だから右へ, 下fV正から布へと
織影をなげうって常外へ宥i
j
l
t
.
t空気を求めて脱出し
いう風犯行 1.( 勺た。~?It~韓の場合はほぼ~ての 切 や
なければならはい時も多々あった。とのため線材の
一 作づっ. その他小さな絡 の場合はある何度;tとめ
保管 ,取 り扱いにも住AJ.が必波?であ勺た。又lJi所機
tず令体闘を織り , 影用の三脚立2き台は , レーでテーブル状の台を大工
て一つの縄開として番号を付け .l
2'f~~
て師寺山.
にたのみ作成したが,吋初の3
十両では大台の上紀中
I~串例はとれば . まず西町宮全体関を織り. 1
)
;
:1
ζ 内I
喰
台をのせて 2段,もしくは小t
iをのせて 3段比する
Aao全体関,続いて A'I.A'2, ;
¥.3・ ・ ・
..
予定であゥたが.易地では 1つ作るのがやっとであ
A・46. s1
而全体関 , s ・1, B・2. B.3・
…
・・
った。
1 ・1
3.C,偏全体図 . C .1, C ・2.C ・3……
はかなりア オ リの状態と l
.
t勺たり .三闘を用いず写
c ・ ~6 .
き
とfければ L、けはい織にな勺た。しかし , 乙の台は ,
t民はその1& η順 11:織~する事にした。;n
H
H
とい勺た具合:である。 ζ の織にして , 細か
ζ のため.台の
S
置さがにらずに搬影の-($で
z
く嚇l
必f,Cj処を決定した。その枚数 J
J
..約 2
.
3
5
0 枚 で. 狭い入口を i
i
l
lらねば 1.(.らず側、 式としたため多少不
全く数 1
1:入れていないチヲルテンや目指閃不明の的処
安定ではあったが,非常 ζ
l 役 rr勺f
こ。乙の他t
ζ ,ス
.
5
∞枚見当と
も会めれば .約 2
乙の除数の兄
リナガルで念のために&Illi
l状のものを 2台作って持
%がついた所で.日程の問砲もゐり, ?iOIめにfII~、る
1:叱たなかった。主
勺て行ったが , ζ れはあまり役 1
臼
'
.
l
!・ヵラ四のプリントフィルム I
J
.
, 一
主tζomのみ
た.現地で初めて解か 勺たのだが.夜々は方向を決
による鍾茶織の五仏1
1影 IC限定し .それ以
めるのに , 見ヰルグロープの本の司Zil耳図 6ζ~ されて
I
.
{る
。
1
:I
J
.1
l
l
泊
で的1
mがあれば行なう事にした。まに .t
見カ
ドを
いる方向 1
1:高島づいて決めたが.その 1
5向がまちがっ
もと』ζ織 彫 の務元(対物との野線 ・シポリ ・シャッ
てい た.供 蛍 I
J
.ll~ u
l
iしていると思っていたが.現 地
E
.Mってからの
での;
¥
1
・
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l
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Jでは ,約 1
0 &ほど州 H
:
:傾ひいてい るが筒d
i
i
終Jl
l. 占らには . t
事の特徴を犯して噂l','I!
I
J
J
:
l
:
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I役 立
一
している慣が解かった。しかし .現地での変!:!!I
J
.i
l
i
l
タースピー ド)とその i
菌処の記録と
たせるにめに ,写 1
41コマはっき I絞めての
1
T
I
カ ード 」や作成した (ζ れは
r
JeU
rfカード Jと除し
た } 乙の嫌にして ,孫々は約23日間で.事均し τ
11
11
1
:3
6
紋取りフィルムで 3本づっ .アルチ 4
f
践の
'
¥
1
"'
U<1:-織担軽するという計耐をたてて 1
制売した。
乱をまねくので .b
匝彫陀際しでは円本で決めた方向
を用いて , 1m向後それ hF す ζ とにした 。 tl~~買に
ついては,寺院の剣持らのm のt.II合で君~3 堂は後葉
わしにして ,首l
4,lt-io先 11:し往ければt
.
cらなかゥた.
乙のため
(.
) 現地での実際
r
o5.~;tのあとは宥131止を機影する乙とにな
勺 fょ。また , 買;S1;tの織~注巾 11: , 急 ICr サスポ ー
'
J
!J照現地ではその,
汁而
I はな外 1
1
:
ハ ー ドはもので .
ルの約r
.
tJa
-.~~ 1'1'する'
1
'になっにので ,~5 常の途
1116時n
o.多い刊はそれ以上のハードスケジ a ー
中にサスポールの制r.tの 7H~が人ってしまった。ア
ルで f"WJ問のti~ が強行された。 E見地で.f~々を - lIt
ルチ寺院以外には,昨年ぷ鴻任で写点の無かゥた .
f
尚主ぜたのはは乙りでゐる。 bとより乾青
島 しに十地
7 ルチリゾン寺院,サスポールの制潟,タンタッヲ
でめるか .-r.~内はさらに箆いており . 関例とともに
院の峨肉や.昨年後れf.{か勺た
寺院.チヲムデ -Jy
- 66-
所 , r リキルぷ院の~~告修法」の儀子~-å>写真 n:: 収
そ ζ で新たに貌カ ー ド令作りなおしにのだが .~'1 1
め.合T
十76巻のスライドフィルム(内アルテ寺院分
として使える織に従来の略凶の償 t
とその d
nの 1 ・2
約6 1 ~ )と . t
l
<
:
:アルチ J
与院の長?
1
i縫の 1
:尊を織 勺
•
3 …… に相当するフィルム祷号を記入する 目制~,r,):
その他 4ζ 経典を織~した 4~
けた。例え 1
:.書l2常 21
f
t.酋 A ・ lは 1
1-33, A
(自然 3~ ,カラー 1 巻) ./
:
I
l
合85
巻のフィルム争
• 2は 11
・
・3
4.A • 31
.
1
.11-3
5…… という H合であ
た白 !.U フィルム 5~ t
ょ
。
持ら桁}勺f
る。当然方向色改め|円方向では撮影~r;::繭 1壇 . 商S智.
l
管,東嶋と '
I
:
t
.
t勺ていたの"i'.商 I
¥H左 側 ).:
1
肌
宅
{三 } 制国後の感想
9月『とはり.フィルムの現像もでき.f
.
2
々は般F自
(I
E
i
f
i
i).点『零 (fi側). I
旬墜(入仁1)とlF.しく I
.
t
にあたる '
1
1
1
<
:
:
1
.
(った。 スライドは仕上りのバラバラ
おした。 そして各フィルム t
ζ は. m 2営 2師
寺丙 !
¥
!A
の状怨でゐ勺たので.'1ずlbl:初 I
ζ
. スライド 1
<
:
:現 地
i
而 iならば r
2・ 2F西
記録の Fカードと合わせ.それにフィルム巻数とコ
m いて.ぬ~筒処令明示した。 また.フィルム巻数
マ数を入れた 。 乙れは例え li69~ 自の2~ コマ自信ら
のままの断書H.ごと;'U3:w:があとまわしになり , さら
ば .6
9-24の知〈記し.スライドのお下に記入した。
にm 5蛍の主主中 I
Crサスポ ール耐
.
t.現像をたのむ時点で,偽 7 ィルムの巻費量と
・A ・ IJ
の如 くのE
詩句を
J
;
が入勺ているの
rサスポールか,1J のlilI分~抜主取り後 1<:: まわし
ζれl
で.
さらに併コ?のlfI:*}を入れてもらう僚にしたため.
め 3常の分を第 2'i;~ と第 4 ・I~の聞に悌入した。
比般的問単に行伝えた。 また.スライド 1
t
.20枚入り
に.乙れら目指図の~: rJ l とは別に,フィルム I~I<:: つ
<
:
:収めてそれやスチ四ル製のキャビネット
のシート 1
ð l 枚づつの r~数別の ~i引 H 作成した 。 つまり
に絞め C
U
l
-する '
1
1
1
<
:
:し. l
f
I
:J
去を入れ々がらフィルム
略I刈の索引 l.t~ 2.~t 2降雪商略 A面 11
.
1
.1
1-3
3
1
<
:
:当た
1巻はっき 20
枚人りシ ー ト令 2枚づっ月jいてシ ー ト
B
童
文
i
J
U
の叶J
引は 1
1巻目の 3
3コマ
るというものだが .と
r;::収めた。つまり 2枚円のシートの録後が 4コマ分
十1
1.
1
.
. 2 ・2F ・内 A ・ 1をワしたものでみるとす
事自に '
.
tる;;Rである (35枚しか織れなか 勺たり, 37
る迎の~~oJ l でゐる 。 ζ れらは|アルチ寺院 J & び「
枚織ゥに時もあるので~際 1.1. 3- 5コマ余る)。 ζ
サスポール刺 J . アルチリゾン ~'i院については両方
の時に.現地で旦トロポが両方るしくは/
i
・
方が光ら
を作成したが,その他 1
.
1
.,~数別の泌引のみ作成し
なかった場合等 .悶じ筒J
売を取り I
.
tおした書官分の失
た。 1jAO)ワり H
i"l'は慨して良好で. m 3.
'
r
tの隻茶
敗のフィルム(J.l!.Uばかりで '
.
t<ワっている時色め
flI全体関や略dii の全体凶等.k.きは厳守H本の.t,q~r;::光
る)削主主取らず.そのlt:ま干寄りの中に人れシート
[,¥不足や不Jti"l'もたまに見られたが.i
l
!J
気
1
l
9
I
cf
Wi
"
/
1
<
:
:収めた. また.その失敗のコ?には.オレンジ色
して行った全近距餓での織彫 l.t 像 - ~の例外を除い
のシール舎は勺て滋íJU し Iこ。 Jt~lー では . 叙カードを
て全てきれい'.lii 象がj
!
}られた。立た. {-カー ドl
ま
その主主奴引とする僚にJ5えていたが,綿織で撮~
切符判定 t
ζ 色使える僚に作ゥて行勺にが.紡 4
,
j
諸元
筒処を~íI!した所がゐり.寸法の%割~I前も記入した
と倣~筒処の 3己主主 IC IIlいたのみで .~名判J~ には利
ために見にくくはり ,さらに全で方向がi
畠っている
用し録いt):rJjとな 勺た。
ので ζ れ令そのまま ~IJI とする引はできなくは..,
さら
"
r
t
ょ
.
。
- 6 7ー
今i凶のよ羽任問 tま総,f>.山金制:t;寺を ~ìめ多数の δ 々
の御
m助と飢Jt必 )]1ζ よって出売しよ間伐を遂行で bた
院」の鍵持ら令はじめとするラマ l
M
i
主 .7)レチ村の
のでゐるが. r アルチ寺院 J~融影u:関しては .織影
ロンポー 甲家の人々の御脇力による所が多かゥ t
:
:
.
.
妓術指導令していた T
ごいに貨統紐先tt:.
rアルチ J
h
ζ 乙I
C記して心から感謝のQ:-i'ぶしたい。
< レー調査隊写真一覧表 >
凡
L
ζ のぷ r.i.
レー調査隊が織~したカラースラィ
例
1
. i5e例の吻1
字r
J
.次の如し。
女 ど り )76~分の一覧表である。
ドフィルム (36l
例:筋 1
'
1
;
1
:1-1-7-14 全76~中の第 1
~ I 枚目から ~7~14枚 11 ;tでにi1l1蛍
1.綴~の ,~11 ,Ij:院はrx. の加し。
がI(J(主っている。
アルチ,1j:~À。アルチリゾン,ÿ~。サスポール
r.J院.リキル寺院。スピト!1;,'f院。サブ-,~
例:第 l 1l, 西宮~ .
B面. 1-21-2-8受
全7
6巻申書H 巻2
1枚目から調J
2.&
脱。タンタシク寺院。チ,ムデー寺院。へ<
?
l
if
l
l
ス与院。サ
8
t
c
n立で Icml'r.t 凶 II~ si1iiが収まって
・
.J
院)
J
カル寺院。議席修法(リキル、子
m
いる,乙の腹部Eは 5
聖
書
I
t が画かれている.
ゾン参院。サ Z ポール;,'f段。
ア J~ チ寺院
第 1堂
西
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仏
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署
長
綴
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5-13- ー
町
千
体
仏
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i 1-21-2-8
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綴
F百
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体
仏
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仏
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五 3-5-3-8
B面
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念日 5-23
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体
仏
FU
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1
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5-2
5-6ー 1
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仏
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7- 3-7-14
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仏
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仏
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i 58-13-58-19
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仏
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千
体
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体
仏
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サ プー寺 院 ッ , カ ン
7
0ー 1-70-2
2
タンタ ック寺院
ツオカン
70-247
1ー 1
必河川合
ば
日)
i 38-26-38-30
1
阿
n
中央文係像
E
明
痢 翁 71-3-71-7
71-8-71-1
1
ハカン
チョムデー寺院
39-5-39-12
天対
諸!
J
:外
1
:
1
70-2
か-72-8
ヘミ ス寺院 3
5仏と 8
4成銑者
33-31
-33-36
62-19-62-22
72-1
1-73-16
サンカ J~寺院
ロン :
f
.日ハウス僚のチ,ルチン
62-1-03ー l
ツオカン 2F
72-18-73-2
7
(l
1
t')キル寺院)
館館修法
I
'
f!
8
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風m
チョルテン l
73-28-7
4-1
03-2-03-20
,
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予 /2
チ!J
資
H
h3-2-64-21
7
4-4-7
4-1
1
チョルテン 3
ツオカンでのプージャ
7
4-13-74-27
61-22-64-37
.波~風鼠
アルチりゾン寺院
~1 常
65-1-66-7
第 2
,
r
-t
66-8-67-29
7
4-28-75-37
リゾン寺 院
ハカン
サスポー J~l習院
7
6ー 1-76-9
35-9-37-36
ツオカ
リキ ル寺俊
J
ツオカン q茶 緩
76-13-76-19
6
8ー 1-68-6
ハカ
ツ才力ン
ドヮカン
76-20-76-30
J
68-7-68-36
スピトク 寺院
サ ス ボ ー J~ 寺院
7
6-31-76-35
ツ庁カン
69-1-69-36
一
-71
程
日
表
3/27
計 画 発 足
4/13
隊員初会合
4 /18
打合会.以後 泡火焔闘争会合臼とする。各分担決定。
4/19
'1手~J;機長老練習院j始。(毎週木附日)
4/27
全隊員会合。実行計 l
商z
t発表.泌を資料配布。 チベット沼会お練轡開始。
5/6・7
7ル
チ寺院!!JI1凶1
の織影用略図作成。
5/14
QUJ関係装備自詩人
5/15
パスポ ー ト全員取得。ピザ,保険 ,航空券を旅行社に依鎖。
5/29
写氏関係袋飾品隣人。医療関係装備完了
6/7
壮行会
6/9
食
(
j
d.おみやげ日z
餓入
6 /1
0
共向袋備分配
6/12
1
員終打合会
6 /1
4
大阪太鰯寺集合.h
立終点験
6 /1
5
大 阪 空 港 (1
0・3
0)パンコック空港必(1
7
:3
0.現 地 時 間 )
6 /1
6
パンコック発(1
0・3
0)デリー空港着(1
4:3
0)団資換金 . スリナカ'ル行鉱~~a詩人。
6/17
デリ一発 (9 :30)スリナガル者(1
2・0
0) 現地旅行社と銭触 .パスチケット手配,テント借用
I
l
}
1画案発表。
m
依頼。
6/18
袋備 ,食倒品脱入
6/19
3
主
<
<
I
i.食紛品締入。換金。 2隊おわかれ会。
6/20
レ } 調子t~ま出発(
8 :4
5)カルギル:1
1
ザノスカール.l1.~ñ隊 ,
コ γ ク ,
ジープ.iill転手契約。
(1
9:4
5)
6/
21
6/22
カノレギルヲ~(6 :1 0) レー到:11
(1
8:0
スリナガル出発( 8 :00)パス,ジ}プ 4
ζ 分乗。
o)
カルギル;li;(8:
30)
休養円
ジープ 2台 ζ
I分来カルギル出発(1
1・3
0)サンタ ー
で入絞殺録。パニカル l
.
((4 :0 0 )荷馬手配。
6/23
食
r
o.装備日,!再入
0:00 )パルカチの先で停止(1
J・
ジープ先発(1
3
0)これより徒歩,ニ ヒ隊 t
l
高山総.パルカチ I
とも
どる。 キャ
-72ー
J
プ
。
6/
2
4
食何日
時人
1*益日 .川 で沈拘置。
6/25
1
レー出1f(9:00)ア ル チ 村 人 り (1
バルカチ出発 (10:00)シンモダンサJ.'(1
5:45)
:40)アルチ寺見If
.
16b
6/26
写
!
'
.
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{
赦
彬
V
l
l
始
6/27
第 1・
役
割
眠
]1発(8 :4
5)ジ s ルド .
(
1
. (1
8:00 )2
2
k
1
1
1
w終了
采
.
I
J
;4長直を加え出発。ランドン ・ゴンバ凋任。タシ
.
トンレ泊。 9k
6/28
ペンツェラ・T
1
華え,ベンツェララ
第 2'
i
;
t
!
故h
転開k
台
。
J
ゴ{
I(1
6:40)
2
Ok
.
6/29
6/30
III~
(9 :50)デインドヮンサ( 1
4:00 )1
6
k
.
1
6
1
1
1党 ( 7 :鉛}チプラ , アプラン . クシ z ルn(
祭り
:20)25
k
.
7 /1
休i
i1
1,1.(¥釣(不漁)
出 発 (8 :
3
5)ハミリン . スキャガム . レ7 ラ, 7
/?'治(1
5:00 )クーテ ・ゴンパ. 1
2
L
.
7/2
州知・ H
米J
め
1
1
1発 (8 :2
5)ペー , ランタクシ令 . シャモ '
)/.
4:45)1
3
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.
トゥンリ(1
7/3
t
.
U発 (9 :20) トゥラハ./,リージン .カサル .テ
第 2・;止機影終 f
m
ツァ (1
2:50), ドルジ
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ゾン , ランミ付近(1
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0.
t
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主
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W院大学隊 ;
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ランミ滞在。チ a クチージャル ,カルシャ ・ゴンパ
目
品f
i
7/5
mW
終了
第 41
.
1
:
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45)トゥンリの協を渡りサニ付 (
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m鴻(f,レーへ食 t
lm出
7/6
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7/7
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最膨終了
i
お猪(1
3:1
0)パドゥン 1
1{ 1
5:25)1
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ピピティン ・ゴンバ往復(片道 2胞 に パ ド ゥ ン 滞
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1;
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J
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バドヮン発 (6:05)トJ デ ・ゴンパ (
11:2
5
7
i.
1
4:00党 ) バ ド ヮ ン (1
9:00)28k
.
7/9
バドゥンのゴンバ ,チ
7/10
1
1
1溌 (8:35)パルドゥン ・ゴンバ(1
3:00 )ゴ
9
)レテン,l~ l'i
0
k
.
w
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7/11
(7 :30),途中経?'y凶 i
正.発熱ド1
(
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1のため l
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政府俄然凶米寺{アルチ寺院総修 !
'
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恨のため)
i1!.不館。パタ ムより教鍍1uI.n(1
5:45)
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7 /)
2
7 ルチ ・リゾン守へ行くが入いれず。
休 祭 日 石 仏"
'
Jr
'
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7/)
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~臣 3 'lli:ぬ彬終了
1 タク,}モ・ゴンバ再調任。バドゥンヲ~( I) :OO)
サニ村先の河h
;
t
(1
7
:00) llka
7/14
7 ルチ ・リゾ .
/
t
j調 査
出 発 (6 :
45)アティン . トクタ.ll(JI:,
削 1
2
k
a
ゾンクル ・ゴンパ往復(片道 4k
a)
7 /1
5
出発 (7:05) トゥンリの僑 HJ[りぺ
休養 H
-.
n(
1
7:
o5)23ka
7/16
署~.!!ll,あ とかたづけ。村氏とお別れ会
│ 出 発 (1
0:00)アプラ.
ン (1
4:50 )1
8
t
.
7/17
7 ルチ出発.リキィル寺潟任。レー紛符
l 出 発 (8:30)デイ J
7/18
シ令
J
カル .
~. .チ ャンスパ ・ チ g ルチン|
出 発 (8 :1
5)ベンツ
ド今ンサ(1
5:10)2
1k
a
z
ラ時選えシ
プ地26b
調査
シェ ー 与, フィヤン寺 ,ス ピ ト 夕 刊1
作 │ 出発 (8:05)タシトンレ
7/19
z ニザのキャン
ランドゥン
ゴンパ
l
1(14:30)14ka
j
l
}
坊 ,ジ ュルド -.
i 出 発 ( 9 :05)シンモダンサ(1
5:05)22ka
7/20
ティクセ与.サプー寺調資
7/21
1
)
ン 9フ舎を.チョムデー寺.へ<~ ,
'
i I 出 発 (9 :00)バ ル カ チ (1
2:30)1
6
k
.
調f
f
7/2
2
休養 1
1
空ンゴル村まで~Jio < o
6k.。トラックでカルギルへ
出る。
7/23
スタヲナ与
マト ォ寺調査。
7
ト 山 │ パス使 4
とてスけガル例。久しぶりの人俗。
ンポチ a と会見
7/24
休養日 .市内見学.袋備型1If.!!ll
I休養日 。
7/25
リキィル,'f~)f,I!澗f望。リキィルイ善治
│ ナギン朔ハウスポ ートで休養。
7/26
リキィル S~。リゾン ~jJ サ Ä ;!f ール ..)1
I向 上。
調 任。 仏教留学学校訪問。 レ一行。
Iダル朔ハウスボ ートで凋î't~襲。
7/27
レー 1
1
1予
定 .カルギル:{.<0
7/28
カルギル発.スリナガル錫着。ザンスカ│ 向上。
ール隊と合流。
7
/29
A
リ:ナガルにて解I
敗。団員順次婦問。
今後の作業についてうらあわせ。健康診断。
1
0/4 学内線告会.!iU労会。
副
長
。
8ぺ0 魁智団長 .11干炎事~I内。
9/ 5
笹山E!lf
l
l
写会。
m
9/18 勾J4 .l!J!作業開始。綴告会うちあわせ。
10/6 報告占内容決定。
12/20 写点盤jIfl作業. ほほ完了。
一74-
11/1
8 臼広徳数学会で小林.酒宅隊員発
装備・食糧・医療について
遺
産
備
設備必では , 昨年 I.iH)現地òl'Ii童を原則とした.日本から符ら出したものは.小数 ・ 経~化が計られ. b
値
段3
・.
1
Hift
材,食s)'C限勺にため,現地までの移動 r
;
t.スムーズ ζ
S行 1.(えた。(Jt l.ð~長術分m íf\ lìll 人t-J7 k
Q
.
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ら作動が一時不能 IU
,
(る'
1
1があり.仰路処分した。,Uこ.ザンスカール隊にも .ス トロポはやはり 2r
i持勺
全'
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7
0
k
Q)カメラ関係では . レー隊て'は昨年から佼斤i
しているストロポ 2台が.使用過多のためか後、 か
て行主 fよかゥた。アルカリl{þ也も十分のつもりだったが . 光司1.1.寺ちの時I/U ロスもか 1.( りあった。今 1,,)1よ~l:袋
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1
1
以外の個人符らとして.ザンスカール隊 I
C2f
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草花 lt
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の 80 カ〆ラがあ勺たが.乙れら r
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JI:sIC役立った。ただ,は ζ り ・i
[
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動ζ
4 弱〈対策を充分犯行なう必要がある
符勺て行 <
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.
tら. ITiいカ メラ
は不向きであり.本内ライトも必携である。査に . テープレコーダーも偶人紛らとしてレ-~まに lftイ』つに
が.
ζ れも滋摩修法 ,
l
'
Jf
tの1与にイi
効であった。小明
・併 f
,
t
化がポイントと",るが 8刷カメラと jい
と.~キ隊医
科 lれは持勺て行勺ても{虫干J
Iだろう。コンパス .I
o
'
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l
且
,!
I
'
I
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t.Y普及品 Tご勺たが,特別 ft'j型告な観測をした i~ では
1.( いから充分であった。レー Fまではメジャーを 3 周知持勺て行ゥた。 ~~,~H;t. 両 Fまともすぐ IC 破れてしま
勺f
ょ。色う少し紛衝で丈夫 1
.
( (,のを符ゥて行くべきでめる
また. ~ß[の測定品できるもの (, 1守勺て fj 主た
い。ザ J スカール t草地闘の ~f臨 li/i l.(所 f.t ので.ゐ JÞ,~t;; でおよその~般をつかな 'þ (,~えても良か勺た。
アントは昨年売却したものをスリナガルで I
l
t1
1
1で与. ~~まともテント 2 肢とツエルト I ~長の全< r
,
J
;じ接的
と'
.
t勺た。ザンスカ目ル隊で 1
;
1
:, 4人附 '
C2人づっ泌たので鼠伎役は良<.(Oir物の収容色合めてのPll(r~ lc行
はえ f
こ。ツェル卜はコ γ 9 ・炊引用 I
C用いたが.治巾人 I
lを燃やしてし走勺に。腕いものであるから
が{jって忠良かった
レ ~.~では,アルチ村にl!'fíf1l聴か勺たホテルがむり.
HWが
i
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J
$・8
唱材保管f
f
l
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¥
り
て
,
Jl'!>>1C便利だ勺た。
炊 'Jm .
日用品 l;t 全てイ J ド製令用いたが,全体的に使い勝手が遣うので多少とまどった。 1 r: }J~~IJ{1史抑l
であ勺たが .FE}J が t りす X て縦発する 'Jiがめるので ,特 Iζ{史月If.去を rl:怠する必~がある。炊 '11川イ Ihlp.. ト
ーブは ,インド製 r
;t飢!以でめり ,足がとれたり .イI
h
hもれが頻繁にお ζ 勺f
ニo i~ 1
1分解して移動するザンス
;
t.特にひどく何度も修E
型をくりかえした.隣人の際.火を付けてテストするだけでなく .強 I
l
.
カール隊で r
"
:
'
6
直かめて大f
止にスペアバーッi'f
lうか,むしろ中自の佼月1
中のものを子に入れた f
5が信頼で主るか色匁l
れ
はい o :tた.飽j中l!!灯や水筒(,~書れやすか勺 fょ。令体的にもっとぬ級品事.~んで"った方が良か勺にか 4 匁l
れ 1.(い。食総綴 b~とくす ζ とを,考慮 IC いれて余分に的勺て行きたい。他』ζ :trリヲンヲの絵等小~
こ
。
失も多少ゐ勺 f
f
fJlI! -i'ょくする・jJもf[(~であるが .
1
,
( ものの紛
修 E由の品場合 t立大切 1,( ものは l~"n {
(
-ffl k1 した/;・がH~ 、。
ザンスカール ζ
S 於ては . と'ぶのも事1Cdi)勺た水をfIIも、 f
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(ければ '
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tらはい勘合(,d>勺たので .i
l
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的総のs
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1
1
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のも必まさでゐろう。織~ITI トーチライト .;t\ω也 6 ふ人りを刷いたので1副島の 11mがら1か勺 fょ綴 IC~ した o U
'
しろ 4 本入りの方也、I止符らしたのではとf いか。憶~III の.lt!織はスリナガルで f1l 勺て íî 勺たE却すより . レーで
f
rらせたテープル状のれが役 IC立勺た。
一75
ー
終f~~のうら . テント H長 , サーチライト 2
F
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l.三 勝 2台 .〆
ジャー . コ J パス . A&J
十等 r
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t. デリーの"')
リスト ・オ フ ィ サ ー ・ ラ ジ ・ ?-.,ール氏ζ
If
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1て 来 た 。 そ の 他 . I
寺ら
ω 1:1鍛彬腰骨"を除〈大S草分の袋備
勺
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由1
1:て全て 処 分 し た 。
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m巧 :バ ダ ン の バ ザ ー ル で 入 手 で み る 物
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t!t:矧.相t
.そ の 他 小 間 物.
ローリヲ ,マ ッチ .石 ケ ン . H
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. f/iL 食品~ . 針 . 糸 .
{i納(パダンの政府石油 I(i'/~Ifr で J トイレフトペ}バは入手不可能。
銭的表
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テント . ~人用フレーム付
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コンパス
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m~盟,n
ピニ ー ル 袋 ( 大 ・.
,
..小 〉
メ ジャー 1
0m(ピ ニ ー ル 製 )
マヂッヲ ・イ ン キ ( ^'.
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5m(メ ?,"製}
ポ ー ル ペ ン { 亦 ・且¥)
2m(布
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33m
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3.
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10m
1R(II
1
1
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6
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6
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6
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4
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5R ロ ー プ ( 鮒 包 用 )
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25R
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2
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品
名
需
主
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一 イ付
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2
倍
l
l
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お玉杓子
ツエルト
l
借
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ポリパケツ
石納ランヲン{皮膚白書~ )
2
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l式
向 上 スペアバーツ
(20t)
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4
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ζ[納
圧 力ガマ
鍋(大 ・中 ・小 )
数
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{i ~1Jラン脅ン
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19ンク
名
品
3
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15R 水 タ ン ク (1
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1
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3
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12R 浴池(単 ・1)(トーチ刷)※
60
25R
やかん
15R 沼 t
也(単 ・1)(トーーチ刷〕
30
2R
3
0m
I
l
I
l
6
25R 細 紛
鉢(大)
6
3R 毛 布
鉢(小)
6
.
5m) ※
1R グランドシート(4J.ゆく 1
テ ィー カップ
6
2R ドライパー
ス プー ン
6
2R ラジオペンチ
-78ー
6
{ー )
lR(lm)
55R
165R
※
1
2R
※
I
6R
フ *- '
J
6
3R ハ ン マ ー
7H
丁
2
シャベル
J3H
包
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.
ic
.
し
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知立{徴影用)
2
JOOR
緬
織~用台
l
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隊
カン切り ・絵 抜 き
4. 飽 人 装 備
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ズボ
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名
政
品
2
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2
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下 街 { 上 ・下 )
時
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サブザック
ノート ・ 紀共
袋
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供 l
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1
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1
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昔
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ノッヲス
名
m
,
祖 .鎖
パスポート
f 以上~必)
-79-
食 租
ザンスカール潟盗隊 1
<
1.スリナガルでコッ?をやとい,金行程の食 i
J
Jをまかせた。それに対し,レー,羽倉
J. アルチ村での23日
1
I
.
u.毎 U二人づつの食 '
H当訴が三食の,¥IIjJ!l1
をした。インド人のコックは当然 .毎日
隊I
<
1
日
本
l
I
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l
のf
献立 f
ご勺 f
ょ。旦j
ばかりの所得だから作れ
カレー料開を作るのに対し ,日本人が作るレ一般の食司, 1
るメニ a ーは俄られているが . 結Ii育文句もいわずに調査 , 写真織~-1?終える乙とができた。表を比鮫して凡
てもらえ 1
1.ζのニ隊の食生活のi
縫いに気がつかれると思う。
ザンスカール隊では , スリナガルから持って行勺 I
こ野栄がすぐにE
まをついたが t Tiネギカレーかニワトリ
匹を飲U'o {
tI
Jチャバ
・マトン等の肉カレーを食べていた.捌はチゃバティにバターとジャム令つけて .紅 J
1::カレーがつく
テ与か昨日の綬りの御飯 1
o
I
!
ll
孟御飯とカレー,持ってい勺にニワトリを役してローストチキ
まはんとか足りて
ンやスキヤキ風のおかずを担軽しU'ζ ともある.コンビーフ ・サラ Eなどもあゥてたん自費 t
L、
る。
乙れ1
1::対しレ Ylの食悦 1
;
1
玉
Fの(!I!fl]もゐるがかなりたん白資系の不足でめる。レーのバザールで売って
いるマトンの肉は隊良が気味!i!J.が って食べはか勺たそうだ。そのかわりさすがに野、袋 ・果物領令多なにと勺
mHti・
ている。朝 ・科 ・晩 .三食と志御阪が多かったそうで.ザンスカール隊と比べて . ピ旦ケット等の
絡分も少佐い。少々栄養不足だが味噌汁と御般の臼本的食生活だったように思う.毎日 噌肉の織影 H ためら
れたスケジ a ール Sζ 従って ζ'" していく問の~'n は . むしろリクレーシ./的信役~J を果たしたのだろう。
運動 l
i
t
b
.
比般的少ないから .何とか乙れでしのげたのだと思う。それでt.-^・Jナガルでお会いした時 .皆さ
ん少々やせていた.
ザンスカール隊の食街は .さすがによく消貸している。乙ちらもむしろ食倒不足に悩まされたのだが. ピ
スケット ・ キャンデーもよくとゥているレ . 砂似の消 ~~ jìl:はレーの 3 I
行f
ご。向h(ギー) t
.r
>ilf.事チャバティ令
部品いたり .カレーにも毎日使っているので 9*
9t
.i!l!勺ている。 1
'
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脅
さ .3
見物が熊かったのは少々罰百いが.l
.
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栄 lH
ご(
tIJ).!!りたのだろう。ただビタミン鎖の不足 1
;1病気等への君事火線と'"りやすい。高山病 1
1::対しでもピ
.
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効だというし .今後の附lIul
ごろう。
タミ :
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.平均多いている。 3000m以上のぬ所.強い臼1Mの下での体力
それ『として色 ,ザンスカ ール貨は f
削 'l~IJ I
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D以上 tζ著しい。附分 1
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1C.れでいいとしてt..たん臼f:(と s
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tt.う少し欲しい。スリナガルでも
レ 隊と同級 .ザンスカール隊もやせていた。現地コックのカレ
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利鰐は私はどは人変おいしくいただけた
のだが. t.う少し日本食の〆ニューも J
うえ'"いとい (j'"かった。事情がJ
下せば市販の(
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占
弁
当 b利用したい
と思う。
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1ピン 7R
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消炎鎮痛剤
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サピオ【カフト朝日
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くちびるのめれ
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哲多忠男氏の御好;(;l1C.より ,ョ;国 f
t図 4
ζ 市trIされた。
(1WI)
1ー
- 8-
第二回チベット仏教文化調査回収支報告
6,
490.000 (単位円}
予算総額
6,
490
,
000
支出総書員
<内訳>
<内訳>
本山援助金
2,
000,
000
:ey p微材フィルム総入~'l
421.590
大学援助金
1
.000
,
000
装備綴材附入費
115.193
寄付金
1
,
890,
000
遠征~
自費参加隊員負担金(4名 分 )
1.600,
000
M函整理費
490,
024
報告設作成 1
1
J
.
550,
000
事務'fJ.
190,
695
次年度遠征隊繰越金
437.821
4.281,
677
〈支出明細〉
資 料 問 ( 鰍 側 等 〉 146190│
424,
590
写真機材フ ィルム紛入資
フィルム '
l
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l※
178
.800
カメラ 2 台鱗入~※
119.600
レンズ 3台 餓 入 1
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l
※
7,
1500
三脚 2 台~入段※
22,
000
その他カメラ付腐品※
32.690
霊
長
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1
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機材購入費
m空
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H車
46,
000
フライ 2~長り購入費※
17.000
その他野外装備lfI,※
33.530
食料日時入~(日本臨時入分)※
18,
663
人件,馬事íU~皇賞
185,
982
83,
759
自炊 3
芸術麟入!
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J
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(現地総入分
47,
365
67,
408
ライトポッ空ス購入~ (4台 )
16,
000 I
スライド用ファイル~
43.770
アルバム聖堂(大小 15冊 分 )
15,
900
報告詩作成費
5,
800
印刷費(1500部 )550.000
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27.429
MOO
カード製本質
131.927
謝礼,土滋賀
123,
940
シャーレー 式(緩僚の資兵収納告書) 8,
700
ル 往 復 ) (217β40
円X1
0
人)
レー隊
ザンスカール隊
(4名 分 ) (6名分)
,
795
滞在宅聖(47日間) 435.787 686
114,
399
フィルム焼付 ~1J.
ツインオートキセピン購入賞(1
台) 31.000
旅'fJ.(大阪→デリー ->スリナガ 2.
176.
400
ジィープチャータ 1
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198,
314
スライド写~'l収納廊~入費( 2台 )42.200
4.281.677
遠征費
フィルム現象授
カメラ修.l!Il~
115,
193
テント 2張 り 餓 入 費 ※
178,
236 I
為替差ll'l
(※印の明細は 72~以下重量熊)
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1¥
)0,
695
コピー f
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90.695
写真撮影研究会総
16,
770
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l話・通俗資
5.860
交通 !
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59,
520
幸佐賀
17.850
第二回チベット仏教文化調査団々員名簿
団 長 銭 智i
享仁
<レ ー 謁 査 隊 >
長
官争慈個(密教学科簿師)
和歓山県伊都郡高野町高野山清原院
調査渉外
小林紛普(密教学修 2)
広島県尾道市点久保町 20-28
装 備
炊宥行※ cæ数学科~)
和歌山県伊都郡高野町高野山宝普院
食 績
南門明定※(密教学科卒)
奈良県大和部山市矢図町 3505矢田寺
~査会計
書家本佳道(仏教学修 1)
広烏瓜深安郡神辺町東中条 1664
医療写~
長田実生※(仏教学修 1 )
香川県三銭古1
盟主申町大字本山甲 1445
隊
<ザンスカ ール 調査隊>
越智津仁(径数学科筑飾)
和歌山県伊都郡高野町商聖子山文化巡り 318
調査記録
酒主照之(仏教学時退)
福&
.
;
1
良いわき市小名浜字古湊 188
調査装備
ニよ寛弘※(仏教学修退)
大阪市港区築港一丁目 13-3
渉外会計
常多昇(仏教学科 3)
大阪府淡木市庄一丁目 20-1
隊
長
※ 印1113費参加隊員
-86-
昭 和 53年 度 寄 付 者 御 芳 名
金給高円
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副総秀海
中川越教
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与野山本山役験会
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チベット仏教文化研究会会 1
1
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1
司1 1 条
本 会l
;tチベット仏教文化研究会と称し,事務所を i
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i野 山 大 学 内 tζ 位 <0
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本会I
Jチ ベ ッ ト 仏 教 文 化 の 研 究 と 必 f H目 的 と す る .
2 条
書1 3 条
本会はおの目的を達成するため 1
1
:
:
.左の
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震を行う.
1
. 研究会のIJIlIlli
2
.
チ ベ ッ ト 仏 教 文 化 の 現 地.
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tと 資 料 の 収 集
3
. 研究と調査の成柴刊行,その他
者1 4 条
本 会 の.
E符花賞閉する者を色。て会民とする。
書1 5 条
本 会 の 会 員 を 分 け て 友 の二 "とする。
疋会 u
!'t助会
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条
本 会f
孟主寄付金および鈴助会'I'J.をもって運営し.
条
本会IC.}Cの役員を置く。
会長
1名
制会J.,{
1名
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条
DJl/J会伐は別 i
ζ 定める。
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若干名
幹
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tUの任務.選出,任期はlr..のi
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lりである。
1
. 会長は高野山大学学長が当り.本会を代表して.会磁を統.IlI!する。
2
.
刷会lおま高野山大学学艇が可り,会~を補佐する。
3
. 星~ t
}I草委良会の求めに応じて,本会の~Jf::Rをよ霊行するための助言を行う。
4
.
iHHt委民会を組織し.....会の'Jll!を遂行するための企嗣,遜営 tζ 当る。
5. on']fは本会の'Jl~送行に関する恒星高を担当する 。
、
.
6. $'J.委員,特lJJは会k
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ll委明書し,任期は 2年 と す る が 屯 任 を さ ま た げ は L
書1 9 条
本会の規Ul
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変更,その他・J
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i両 は 役
u会 の 決 議 に よ っ て 行 う .
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訂
正
附
和 53年 3月 131より血並行する)
(原文縦組)
-88-
チベ ッ ト仏教文化研究会 収 支 報告 (54. 2. 3
.貌 恋 )
(収入のお}
(支出の古事)
~助会費( 53年 度 納 入 分 )
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370.000円
壮行会費
92.620円
41.590
壮行会会資
44.000
会会資(~総告会~JfJ)
御l!t金
)0.000
コピー代
3.500
600
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俗
資
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437.821
文房具
1
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862.421
見舞金(~~氏御見舞)
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日
告
.
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分)
53年度級車重金
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10.000
赤字補修( 5 2年 度 線{
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分)
157.456内
小計
(銭高
54年 度 繰 越 金 )
6.566
704.965
53年 度 賛 助 会 員
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院
編集後記
小チベットとも称される秘筑ラダックは,テレピ等 1
<
:
:よる当地の紹介や仏教自主簡などの出版によって,昨
留まらず,一般の人迷にも大き f
.
lfl(J心をよんでいる。昨年のラダックは調査隊や観
今では $1ζ 仏教関係者 Iq
光客によって笠前のブーム 1<:: 沸いたそうである。本学の第 l 悶ラマ教文化調ヂf81 の鰍告1-~fを送ってほしいと
いう手紙が思わぬ方面から後をたた f
.
lいのも古賀けよう。
昨年の第 2回チベット仏教文化調有団の報告3がこ乙fL上将そみた。実質 2カ月たらずの現地調をであっ
たが,隊民主者氏にとっては前年度の調資結果を縮まえたより効果的な潟f
iと成集を目指して,昨年当初から
出発倒際まで,その司自備 1
<
:
:忙叙された。そして,婦間後の乙の調査綴告 .
.
!
rの完成によって,やっとその任か
ら解放されたのである。およそ 1年間 1
<
:
:亘る隊以諸氏の熱怠と努力に対して,心からその労をねぎらも、, !
穆
議!のJ
ぷを表した L。
、
思えば一昨年の第一回学術調子E
は一つの大きな試金石であった。専門学的立場から現地調任の必裂性を節
感し,資金のほとんどを自己負飽でまかなうという財政的閑難を乗り越えて bたらされた減食報告は,斯学
ζ 大きな反響をよんだ。乙れらのs
.
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電報告,成果 1
<
:基づき,昨年は宗門関係の大学,研究機関から派遣さ
会i
れた調査隊が数隊にのぼったと聞いている。わが2
2聞においても,本山当局は乙の磁の学術品調資¢継続調f
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の必要性 4
ζ JIP.解を示し,今後数次 f
ζ 亘る海外J¥
hまの資金援助を約束した。大学当 J
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Uも積極的自ζ 乙
の
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:
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函を
巡する 1
<
:
:あたって,学術調査隊派巡の母体となる「チベット仏教文化研究会 Jを設立し,
n
t
MIlb会良 1
<
:
:よる資
金銭助も得て,徐々に組織づくりが進められた。乙のよう伝経過をへて第 2回線貸隊が本会の企1
函のもとに
8がまとめられたわけである。乙の報告に滋づき,現在,本会では来年度の
派lJ11され,乙乙 K その潟主主報告第三次調主主の地主主,対象,方法,人選等の検討に入っている。先i
圭によって時かれた邸子は着実に完'-a:'出し,
線を張り,大きく育とうとしている。今後の会の発展を心から祈って止まとfい。
(チベット仏教文化研究会)
第二回高野山大学チベット仏教文化翁査団報告書
編 集 ・発行所
1979年 2月 20日
印刷
1979年 2月28 日
発行
チベッ ト仏数文化研究会
〒648-02 和 歌 山 県 伊 都 郡5
高野町高野山
&Ii聖子山大学内
TEL 07365-6-2921(
f
f
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印 刷 所
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E
〒 601
~尾社印刷所
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i
鶴市樹区庖総門脇町 6
{非売品)
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