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古代ギリシ ァー先史と古典期の問題から 馬

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古代ギリシ ァー先史と古典期の問題から 馬
馬
古 代 ギ リ シ アー 先 史 と 古 典 期 の 問 題 か ら
一
場
恵
駿 台 史 学 会 入 会 の ﹁お 目 見 え 論 文 ﹂ と し て泥 縄 の作 品 ﹁ミ ノ ア文 明 崩 壊 に関 す る ︿ 自 然 災 害 説 ∨ の再 検 討 ー ア ク ロ
テ ィ リ 遺 跡 お よ び ザ ク ロ ス 宮 殿 の発 掘 を め ぐ ってー ﹂ (
本 誌 三 八号) を 本誌 上 に発表 さ せ て い ただ いてか ら、 早 く も
四 年 半 に な ろ う と し て い る 。 論 文 執 筆 当 時 、 ギ リ シ ア に お い て関 係 の 重 要 資 料 や 文 献 の公 刊 さ れ て い る こ と を 知 り な
9 工◎冨 ρ ○
§ 辱ミ ぎ ㊤ 日 ミ。切 切、 呂§ §
迂ボqぶ
が ら 、 入 手 で き ず 、 残 念 な 思 いを さ せ ら れ た 。 そ の後 、 在 ア テ ネ ・イ ギ リ ス考 古 学 研 究 所 (
ロω﹀)の 副 所 長 R ・、
バーバ
ー 氏 に よ って、 ミ ケ ネ 円 形 墓 域 B の 綜 合 的 最 終 報 告 書 た る ρ
歩一 ロ (戸
Φ品 1ω)を は じ め 若 干 の参 考 文 献 の郵 送 を 受 け た が 、 ギ リ シ ア に 赴 く 必 要 性 を 痛 感 し た 。 そ こ で 、 一九 七 六 年
夏 に は 、 ミ ケ ネ 拾 頭 期 に相 当 す る 前 一六 - 一五 世 紀 のギ リ シ ア本 土 、 エー ゲ 海 キ ク ラ デ ス諸 島 、 ク レ タ 島 が 互 に ど の
よ う な 関 係 に あ った か と い う 問 題 を か か え て 切切︾ の 司¢已ω9 合 目 と し て受 け 容 れ て い た だ き 、 一ケ 月 余 り ギ リ シ ア
に 滞 在 す る こ と が で き た 。 既 刊 の資 料 文 献 は 一応 収 集 で き た も の の、 目 指 す テ ラ 島 ア ク ロ テ ィ リ 遺 跡 に つ い て は 、 一
九 七 四 年 の キ プ ロ スを あ ぐ る ト ル コ ・ギ リ シ ア 間 の軍 事 的 緊 迫 に 加 え て の、 発 掘 現 場 に お け る マリ ナ ト ス教 授 の事 故
ωや 呂 曽 日豊 ・μ 睾
§ ミへ
§ 切ミ
§ ミ災 昌
(一ΦやΦ) が 丁 度 刊 行 さ れ た ば か り で 、 ロω︾
でも そ れ が ホ ット ・ニ ュ
死 以 来 、 発 掘 活 動 の み な ら ず 、 報 告 書 の 公 刊 も 殆 ん ど 停 滞 し て お り 、 ア テ ネ に 着 い た 七 月 末 は 、 一九 七 三 年 度 発 掘 報
告書
ー スと し て 話 題 に な る 程 で あ った 。 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 ⋮
関 係 公 刊 資 料 収 集 の面 で は や や 拍 子 抜 け の感 に襲 わ れ た が 、 幸
い 、 四 年 前 の 副 所 長 で、 か つ て大 変 お 世 話 に な った精 力 的 な ミ ノ ア考 古 学 者 のP ・ウ ォ ー レ ン博 士 が 居 ら れ 、 博 士 の
231
二
紹 介 に よ って 発 掘 再 開 後 聞 の な い 目 的 の地 テ ラ (サ ント リ ー ニ) 島 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 の 発 掘 現 場 で、 故 マリ ナ ト ス教
授 の後 任 者 た る 硫 ・ド ゥ マ ス氏 に 直 接 面 会 す る こ と が で き た 。 初 期 青 銅 器 時 代 キ ク ラ デ ス文 化 が専 門 の 中 堅 考 古 学 者
と し て高 名 な 氏 は 、 青 年 の よ う な 明 る い 表 情 で遺 跡 見 学 の 申 出 を 快 諾 さ れ 、 案 内 人 ひ と り を 付 け て 下 さ って 、 ど こ な
り と 希 望 の場 所 に 立 ち 入 り 、 写 真 を 撮 る こと を 許 可 し て下 さ った 。 一般 見 学 者 立 入 禁 止 の ロー プ を 外 し て次 々と 家 屋
の 内 部 や埋 没 の状 況 を 見 て 廻 る 時 は 、 さ す が に 興 奮 を 覚 え た 。 遺 跡 見 学 の最 大 の 狙 い であ った ﹁西 の 家 ﹂ は 特 に時 間
﹁多 重 式 ド ア﹂ ‖ 古 代 の 換 気 装 置 ) の 構 造 や ﹁沐 浴 室 ﹂ (
N
§ ㌣ミ 9 廷お)が
を か け て 観 察 し た 。 発 掘 現 場 最 南 端 の ﹁切 石 構 築 第 三 号 ﹂ の建 物 は ほ ぼ 全 域 が 掘 り 出 さ れ て い て、 ク レ タ 島 の ミ ノ ア
建 築 に共 通 す る ポ リ テ ィ ロ ン (
∨ミ∨ せ ︹§
認 め ら れ た 。 出 土 品 収 蔵 庫 ・土 器 復 元 作 業 場 で は 、 未 公 表 の 土 器 の中 に相 当 数 の ミ ケ ネ 様 式 と 思 わ れ る 土 器 の混 って
い る こ と が 確 認 で き た の も 、 大 き な 収 穫 であ った 。 そ の後 、 一九 七 八 年 八 月 末 に も 一般 見 学 者 と し て ア ク ロ テ ィ リ 遺
跡 を 訪 問 し た が 、 テ ラ島 近 海 洋 上 の ア ポ ロ号 船 上 で開 催 さ れ た と い う 第 二 回 テ ラ 国 際 会 議 直 後 の こと で あ り な が ら 、
特 に 新 し い 資 料 を 入 手 で き な か った の は 、 甚 だ 残 念 であ った 。
学 会 誌 に ふ さ わ し く な い 個 人 的 体 験 を 綴 って し ま った が 、 エ ーゲ 先 史 に 関 し て筆 者 が 最 も 強 く 関 心 を 寄 せ て い る テ
ラ 島 ア ク ロテ ィリ 遺 跡 に つ い て は 、 第 一次 石 油 シ ョ ッ ク と そ れ に続 く マリ ナ ト ス教 授 の死 後 、 発 掘 作 業 と 、 特 に報 告
ヘ
へ
(
<︾団)誌 上 に 同 一内 容 のギ リ シ ア 語 版 も 発 表 さ れ る と
書 公 刊 の ペ ー ス が著 し く ス ロー ダ ウ ン し た こ と は 否 め な い 事 実 で あ る 。 一九 七 一年 度 報 告 書 専 へ§ ミ "
§ 句 ミ § 恥ミ
ヘ
﹃ (
お 鳶 )ま で は 翌 年 度 に 、 こ の英 語 版 と 併 行 し て ㌣ 鳥 ぱ合
い う 豪 華 さ を 誇 って い た が 、 一九 七 二 年 度 報 告 書 (
§ ㌻ミ 国 ) は 一九 七 四 年 に 、 一九 七 三 年 度 報 告 書 (
§ ミ g 自 )は
先 程 紹 介 し た よ う に 一九 七 六 年 に な って よ う や く 公 刊 さ れ る と い う 具 合 に 遅 れ が 増 大 し て き て い る 。 マリ ナ ト ス教 授
(
発 掘 メ ン バ ー の 一員 と し て 活 躍 中 ) で は な い か 、 い や 後 任 の ド ゥ マ ス氏 で は な い
事 故 死 の 一九 七 四 年 度 の 報 告 書 は な お 未 刊 の ま ま で あ る 。 一九 七 六 年 当 時 か ら 、 次 回 報 告 書 の執 筆 者 を め ぐ って 、 現
地 で は 、 や れ マリ ナ ト ス教 授 の 娘
か 、 と い ろ い ろ 取 沙 汰 さ れ て い た が 、 成 果 発 表 の権 利 を め ぐ って 、 公 私 混 同 の学 問 外 的 な ゴ タ ゴ タ の な い こ と を 信
じ 、 今 後 に期 待 し た い。
後 期 青 銅 器 時 代 の 初 期 に、 地 震 災 害 に 続 く 火 山 噴 火 に よ って 、 厚 い火 山 灰 層 の底 深 く 埋 没 さ せ ら れ た 、 ま さ し く
32
2
﹁エー ゲ 海 の ポ ン ペ イ﹂ と も 称 す べ き こ の ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 に 対 す る わ が 国 で の関 心 の寄 せ 方 は 偏 り も 甚 だ し い と 言
わ ざ る を 得 な い 。 出 版 社 に 依 頼 さ れ て初 め て ア ク ロテ ィリ 遺 跡 の 紹 介 を し た と き (
﹁サ ン ト リ ー ニ島 の遺 跡 を 訪 ね て ﹂
﹃芸 術 新 潮 ﹄ 二 八 〇 号 ー 一九 七 三 年 四月 )、 何 と し て も ﹁ア ト ラ ン テ ィ ス伝 説 ﹂ に絡 ま せ て く れ と い う 要 請 を 退 け る の
に ず い 分 と 厄 介 な 思 い を さ せ ら れ た こ と が あ った が 、 果 し て そ の 後 、 わ が 国 の ジ ャ ー ナ リ ズ ム に 乗 った ア ク ロ テ ィ リ
﹁新 学 問 体
遺 跡 は 、 陰 に 陽 に 、 ア ト ラ ン テ ィ ス伝 説 に 密 着 さ せ た 形 で宣 伝 さ れ 、 あ る 高 名 な 地 球 物 理 学 者 が 、 エー ゲ 先 史 考 古 学
の学 問 的 体 系 を 全 く 無 視 し た 論 を 展 開 さ せ な が ら 、 自 然 科 学 ・考 古 学 ・歴 史 学 の 専 門 領 域 の 枠 を 超 え た
系 ﹂ を 提 唱 す る と い う 奇 妙 な 現 象 や 、 ﹁ア ト ラ ン テ ィ ス伝 説 の旅 ﹂ と 銘 う った 古 代 史 家 を リ ー ダ ー と す る ツ ア ー が 編
成 さ れ た り す る 事 態 が 生 ず る ま で に 至 って い る 。 さ す が 、 ﹃日本 沈 没 ﹄ が 大 ヒ ット す る 自 然 災 害 国 の お 国 柄 と 感 心 さ
せ ら れ る が 、 他 方 、 ギ リ シ ア 古 代 史 の学 問 的 分 野 の方 に 目 を 転 ず る と 、 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 の発 掘 成 果 は 、 ほ と ん ど そ
の 影 響 の 影 す ら 落 し て い な い 。 例 え ば 、 一九 七 六 年 一 一月 刊 行 の 秀 村 欣 二 ・伊 藤 貞 夫 共 著 ﹃世 界 の 歴 史 2 ー ギ リ シ ア
と ヘレ ニズ ムー ﹄ (
講 談 社 ) に お い て、 慎 重 に手 堅 い 叙 述 を 展 開 す る前 半 部 分 の 分 担 執 筆 者 は、 本 土 ギ リ シ ア
、
人 によ
る ク ノ ソ ス宮 殿 の占 領 を 前 一五〇 〇 年 ご ろ と す る 推 定 を 採 用 し て い る が (同 書 六 〇 頁 、 参 照 二 七 頁 。 但 し 、 巻 末 四 五
二 頁 の 年 表 で は 前 一四 五 〇 年 ご ろ と な って い て本 文 の 記 述 と 喰 い 違 って い る 。 年 表 は 執 筆 者 と 別 個 に 作 製 さ れ た も の
で あ ろ う )、 こ の 年 代 は 多 く の ミ ノ ア 考 古 学 者 の支 持 を 受 け て い る 年 代 よ り 半 世 紀 も 早 い だ け に 、 ﹁概 説 ﹂ の中 と は い
え 、 そ の時 期 に 関 し て ア ク ロテ ィリ 追 跡 の発 掘 が 投 げ か け た 重 要 な 波 紋 を 受 け て立 った コ メ ン ト が 期 待 さ れ る 所 であ
った 。
岩 波 世 界 歴 史 叢 書 の最 初 の 一冊 と し て公 刊 さ れ た 太 田 秀 通 ﹃東 地 中 海 世 界 ﹄ (一九 七 七 年 一 一月 刊 )は 、 世 界 史 発 展
の 理論 と 取り 組 んだ難 解 な著 作 であ る が、 実 証 の面 では、 各 時代 、 各 分 野 に ついて の多岐 に亘 る意欲 的 な 史料 列挙 ・
紹 介 に も 拘 ら ず 、 そ れ ら の翻 訳 、 つま り 史 料 解 釈 の 基 礎 的 操 作 の 段 階 に お い て既 に 余 り にも 多 く の欠 陥 が 目 立 ち 、 難
解 の度 に 一層 の拍 車 を か け て い る と 評 せ ざ る を 得 な い 作 品 で あ る が 、 こ の中 で 太 田 氏 は 、 束 地 中 海 世 界 と は 、 エジ プ
(
同 書 三 三 頁 ) で あ る と 捉 え 、 ミ ケ ネ 勢 力 の 東 方 進 出 の 傍 証 と し て、
ト に侵 入 し た ヒ ク ソ スを 追 撃 す る 過 程 で前 二 千 年 紀 中 葉 に 、 ﹁エジ プ ト ・ヒ ッ タ イ ト ・ミ ケ ー ネ の そ れ ぞ れ の 支 配 権
の 拡 大 の志 向 が 生 み 出 し た ﹂ 三 極 構 造 の政 治 圏
233
ミ ケ ネ 円 形 墓 域 竪 穴 墓 群 に 示 さ れ る 富 の源 を ヒ ク ソ ス追 討 に お け る ミ ケ ネ 人 の 傭 兵 活 動 に 対 す る 報 酬 と 見 立 て る 旧 来
の 説 の蒸 し 返 し に 過 ぎ な い マリ ナ ト ス説 を 最 近 の 説 と し て援 用 し て い る (
同 書 五 七 頁 )。 こ の よ う な ヒ ク ソ ス追 討 傭
○さ 災 ぶ ド自 べ や OP O.Oざば霧 8 "§
お や♪ や
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。 ﹁束 地 中 海 世 界 ﹂ 成 立 の 時 期 に つい て は 、
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せ㍍§ ﹀"や ω窪 ひ 鳶 O{・に よ って も 採 用 さ れ た 仮 説 で あ る が 、 大
兵 稼 業 説 は ︼九 四 〇 年 代 に ペ ル ソ ン が 提 唱 し た も の を マリ ナ ト スが 補 強 し て、 シ ャ ヘ ル マイ ル も 、 そ し て 近 く は 先 に
挙 げ た 宮 古。9 M O § ﹀ミ ぎ ㎏ 邑 蕊9 ㎏、苫ミ さ
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変 に 評 判 の悪 い 弱 小 説 に し か す ぎ な い (
△h・国●く 2 目 o巳◎ ○さ 災 o ざ S o 切ぺ§ 9
さ
太 田氏 の 叙 述 に 曖 昧 な と こ ろ が あ っ て判 然 と し な い が 、 ﹁マリ ナ ト ス説 ﹂ 引 用 が 暗 示 す る よ う に、 も し 、 前 一六 世 紀
の段 階 で 早 く も そ れ が 成 立 し た と 主 張 さ れ よ う と す る な ら ば 、 同 時 期 に つ い て の重 要 な 考 古 資 料 を 提 供 し て い る ア ク
ロテ ィリ 遺 跡 に つい て も 、 然 る べ き 検 討 を 加 え て い た だ き た い と こ ろ であ った 。
こ こ で 一寸 横 道 に 外 れ る が 、 ゴ ー ルド ン説 延 長 線 上 に 立 つ ﹁東 地 中 海 世 界 ﹂ の概 念 が わ が 国 に お い ても も て は や さ
れ る 傾 向 が 認 あ ら れ る が 、 エ ーゲ 海 域 ひ と つに つ い て す ら ク レ タ島 、 ギ リ シ ア本 土 、 キ ク ラ デ ス諸 島 、 エ ー ゲ 海 北 東
へ
へ
域 と い った 地 域 的 な 文 化 の 多 様 性 に 目 を 奪 わ れ 、 振 り 廻 さ れ て い る よ う な 筆 者 に と って は 、 青 銅 器 時 代 に お け る ﹁束
地 中 海 世 界 ﹂ な る概 念 は 余 り に も 大 き く 、漠 と し て い て 、理 解 が 及 ば な い 。旧 約 聖 書 で あ れ ウ ガ リ ット 文 書 で あ れ 、と
も か く オ リ エ ン ト 世 界 側 の資 料 に 認 め ら れ る 文 化 要 素 に 対 応 す る も の を 、 エ ー ゲ 海 域 側 の 考 古 学 的 資 料 ・線 文 字 B 文
書 、 後 代 の文 献 に 現 わ れ る 神 話 伝 説 な ど の伝 承 資 料 の中 か ら 、 時 間 ・空 間 に 全 く お構 い な く 恣 意 的 に 取 り 出 し て 、 し
き 是 忠 §ミ ら ﹂
ぎ ∨§ s§ さ
ら§ 公§ § Oさ 災 ♪ お 自
の方 法 は と ても つ い て行 け な い 。 新 石 器 時 代 、 特 に初 期 青
か も 牽 強 付 会 の 解 釈 に よ っ て結 論 を 導 く と い った ζ ・ ︾む。
8ロび 守 口§ o染§ミ ら亀.卜嵩 向き ミ ひ § 心 9 ☆ミ ミ 防音 ξ
ざ
シ
へ
銅 器 時代 以降 、 東 地 中海 に お い て東西 の交 易 関係 が、 特 に青 銅 原 料 の金 属資 源 を 欠 いた エーゲ海 域 の諸 勢 力 にと って
重 要 な 意 義 を 有 し た こ と は 誰 し も 認 め る と こ ろ であ る が 、 歴 史 的 概 念 と し て の ﹁東 地 中 海 世 界 ﹂ と な っ てく る と 、 卒
直 のと こ ろ 一体 ど う い う こ と な の か 首 を 捻 ら ざ る を 得 な い 。 太 田 氏 は 氏 の ﹁東 地 中 海 世 界 ﹂ を も っ て ﹁三 極 構 造 ﹂
と 、 竹 を 割 った よ う な 歯 切 れ の よ い 表 現 を 用 い て お ら れ る が 、 エジ プ ト、 ヒ ッ タ イ ト は 集 権 的 統 一国 家 であ る の に対
し て、 ﹁ミ ケ ー ネ ﹂ は せ い ぜ い小 王 国 分 立 の 状 態 に あ った の で 、 政 治 構 造 の異 質 な も の が ﹁一極 ﹂ に 算 え ら れ て い る
234
こ と に な る 。 統 一国 家 の ﹁支 配 権 の拡 大 の志 向 ﹂ と 分 立 小 王 国 群 の ﹁支 配 権 の拡 大 の 志 向 ﹂ は 果 し て同 一分 母 で く く
れ る も の な の だ ろ う か 。 ﹁三 極 構 造 ﹂ の歯 切 れ は 良 い が 、 疑 問 が 残 る と せざ る を 得 な い 。 し か も 、 ミ ケ ネ 世 界 の 一小
王 国 ピ ュ ロ スを と って み ても 、 メ ッ セ ニア 地 方 に お け る ペ リ ス テ リ ア や ク ク ナ ラ に 見 ら れ る よ う な ト ロ ス墓 の 広 汎 な
分 布 は、 王 宮 出土 の前 = 一
〇 〇 年 ご ろ の線 文 字 B 粘 土 板 文 書 が 暗 示 す る よ う な 王 国 体 制 は 一挙 に 成 立 し た も の で は な
㌔ 礼 意 § ミ 切§
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㌔さ 貰 ミ ざ S
く 、 中 期 青 銅 器 時 代 末 以 降 の権 力 統 合 の長 い 過 程 の存 在 し た こ と を 示 唆 す る よ う で あ る 。 こ の よ う な 観 点 か ら 、 例 え
ば 民 ・ω旨 旨勺o巳 8 "﹂ ㌔さ 鎌sミ ざ 巳
ら
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一⑩やΦ)な ど を 手 掛 り 従 、 わ れ わ れ に 可 能 な 範 囲 内 で でも 、 こ れ ま で
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の発 掘成 果 を整 理 し て みる作 業 が必 要 のよう に思 われ る 。
﹁東 地 中 海 世 界 ﹂ の問 題 で つ い 横 道 に 外 れ て し ま った が 、 ア ク ロ テ ィ リ 遺 跡 に対 す る わ が 国 で の 反 応 は 不 幸 な こ と
導 6 Qさ 品 切9 s
恥(
おミ )
"や Φ も 指 摘 す る よ う に 、 ミ ケ ネ 円 形
に 、 ジ ャー ナ リ ステ ィ ッ ク な ﹁ア ト ラ ン テ ィ ス の お 祭 り 騒 ぎ ﹂ だ け が 目 立 つ結 果 に終 って い る と 言 わ ざ る を 得 な い 。
だ が、︾.
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墓 域 の竪 穴 墓 と テ ラ 島 の 火 山 噴 火 が 同 時 代 の事 柄 と し て把 え ら れ た の は 考 古 学 のま さ に 驚 く べき 成 果 で あ り 、 考 古 学
§ 匙 S o > 轟 o§
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心 奥 ︾ 9 置口 受 Oω (↑Φ品 ) 勺℃●Oベー q) に 論 点 の
晦☆ミ 。○ ミ " ○ さ 災 o" 卜 §句黛亀 ﹄ωぺ。
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専 門 領 域 外 の ギ リ シ ア 史 研 究 者 も 学 問 的 関 心 を も って そ の 成 り 行 き に 注 目 す る 必 要 が あ る と 思 わ れ る の で あ る 。
一九 七 八 年 の 第 二 回 テ ラ 国 際 会 議 参 加 者 に 配 布 さ れ た
吋意 ミ
博ミ 句 ㌔ 、0 § 鷺 ﹄ 8 忌 o 句合 § 心 Nミ ミ § 驚§ ミ 防☆ § s宝 " ○§ 句さ 章
で き ず 筆 者 未 見 で あ る が 、 9 ・旬o噂冨 貝
紹 介 が な さ れ て い る 。 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 発 掘 の興 奮 が さ め や ら ぬ 一九 六 九 年 に 開 催 さ れ た 第 一回 テ ラ 国 際 会 議 で は 、
(
会 議報 告 書
﹄へ言 ☆
忘 o ﹄急 せ 慧ミ ミ "
§ & 防☆§ s
慧 ら ○§ 句さ ㍑ § き ・ S ㌣§ O ☆
考 古 学 者 の み な ら ず 自 然 科 学 者 の側 に も 、 テ ラ 噴 火 が 周 辺 地 域 に 及 ぼ し た で あ ろ う 自 然 災 害 の規 模 を 大 き く 見 積 る 見
解 が大 半を 占 め て いた が
吋忠 、ぶ 冶 ご 参 照 )、 第 二 回 国 際 会 議 で は 主 と し て 自 然 科 学 者 の 側 か ら 新 し い診 断 が 提 示 さ れ 、 前 回 と は 大 き く 空 気
235
が 変 った と い う 。 ωや 9 c
。﹃ぼ 暮o。。" 吋ぎ
さ Nミ さ苛 b Q 苓 § 匙§
ミ 。 § 嵩o§
○這 鷺 " ︾昌甑ρロξ
ドω (
這 ω㊤) 廿や 芯 Ol ω㊤
以 来 ク ラ カ ト ア 噴 火 を 例 証 に 根 強 く 信 奉 さ れ て い た 巨 大 な 津 波 の イ メー ジ は 、 猛 火 に 包 ま れ て崩 壊 し た 前 一五 世 紀 半
ば の ミ ノ ア 文 明 諸 拠 点 の破 壊 状 況 と ど う し ても 適 合 せ ず 、 津 波 災 害 の確 証 も 程 ら れ な い と こ ろ か ら 、 自 然 科 学 者 た ち
の中 に は 、 テ ラ島 の場 合 の カ ルデ ラ 形 成 を 瞬 時 の陥 没 で は な く 、 む し ろ 緩 慢 に進 行 し た 過 程 と 捉 え る 考 え 方 に 傾 く 者
も 現 わ れ て き た と い う 。 ま た 、 テ フ ラ降 下 に つ い て は 、 コ ス島 に む し ろ厚 い堆 積 層 が 発 見 さ れ 、 テ ラ 火 山 の テ フ ラ が
従 来 考 え ら れ て い た よ り も 西 寄 り の風 で 運 ば れ た こと が 判 明 し た 。 ク レ タ 島 の テ フ ラ 降 下 は 五 ㎝以 下 と 推 定 さ れ 、 火
山 灰 に よ る 被 害 は 土 地 や 生 活 の 放 棄 に 至 る 程 で は な か った と 考 え ら れ る に 至 った 。 最 後 に、 火 山 学 者 た ち は 、 ﹁テ ラ
と の問 に 介 在 す
(
前 掲 拙 稿 四 八頁 参 照 ) を 処 理 す る た め に案 出 し た ﹁再 度 噴 火 説 ﹂ に と って 甚 だ 不 利 な 診 断 、 な
火 山 災 害 説 ﹂ を 奉 ず る 一部 の 考 古 学 著 た ち が 、 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 の [忌 H
歩 と ク レ タ 島 の い呂 田
る タ イ ム ・ギ ャ ップ
す わ ち 、 テ ラ 島 の 地 震 、 火 山 噴 火 、 カ ル デ ラ 形 成 は 短 期 間 に 生 じ た 一連 の過 程 で あ る と の診 断 を 下 し た 。
マリ ナ ト ス教 授 の ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 、 プ ラ ト ン教 授 の カ ト ・ザ ク ロ宮 殿 遺 跡 に 関 す る 発 掘 報 告 書 を 相 互 に 比 較 検 討
す る こ と に よ って 、 当 の報 告 者 た ち が 支 持 し て い る ミ ノ ア文 明 崩 壊 に関 す る テ ラ 火 山 自 然 災 害 説 に 対 し て、 筆 者 は 批
判 的 な 見 解 を 採 ら ざ る を 得 な か った が 、 ポ ッ フ ァム が 紹 介 す る 限 り で の第 二 回 テ ラ 国 際 会 議 は 筆 者 の期 待 し た 方 向 に
進 ん だ も の の よ う で あ る 。一九 七 四 ー 六 年 に ロc力﹀ の チ ー ム に よ る ミ ロ島 フ ィ ラ コピ 遺 跡 の 再 調 査 が な さ れ 、同 遺 跡 で
は 後 期 青 銅 29 時 代 (
いロ)1 期 に お け る テ ラ火 山 の テ フ ラ 降 下 後 も 生 活 が 連 続 し て お り 、 支 配 者 の 館 と お ぼ し き 建 物 に
§ 忠 ミ 畑ミ 句さ § sS︹oミ
㌔"∨ご ぎ ㌻
§
§
↑8 、 民注 目o切 図く 担 ﹂q⊃やぷ 培 ・ 已 声ー ⑩) と い う 事 情 も 右 の 動 向 に 影 響
つ い て も 、 こ の時 期 か ら 次 の ミ ケ ネ 色 の濃 く な る い出 目 >H の時 期 への 連 続 性 が 確 認 さ れ た (
○・知合 {おき か トざ § 、
杏
昔 ﹃ ピ⑩ミ ー ベ。。 (
﹂⑩¶○。)
(
へ・ピmOOー ﹂ふ頓O bd"○.
) の ク レ タ 島 に お け る 諸 拠 点 の 破 壊 に 関 し て 興 味 深 い 光 を 投 ず る の は 、東 部 ク レ タ 南 岸
を 与 え たと 考 え ら れ る。
ピ呂 田
の 遺 跡 ピ ル ゴ ス の 状 況 で あ ろ う 。 ○ .○匙 ooq白目 ㌔∨日 o胡 9 、
ミ ♪ ﹂ミ Oー \べ ﹀ 苫 ゴe8 ͡
○σQ庁巴 男①ロ○旨
ち た が 、 周 囲 の 一般 家 屋 は 出 火 を み な い ま ま 放 棄 さ れ た と い う 。 館 か ら は 貴 重 品 が 出 土 せ ず 、 掠 奪 に あ った の ち 火 を
℃や ぎ ー o。ふ に よ れ ば 、ピ ル ゴ ス 第 W 市 の 中 枢 で あ っ た 支 配 者 の 館 ふ う の 建 物 は い呂 H切 に 猛 烈 な 火 災 に よ っ て 焼 け 落
236
か け られ た と推 定 さ れ る。地 方 住 民 あ る いは外 部 勢力 によ る侵 攻掠 奪 と いう
㌻ ㌻昏
§ ミ"
§ 妬> oミ Nbミ
﹁人 為 災 害 ﹂ の 気 配 が 濃 厚 な の で あ る 。
ボ篭§
§
肉 遥8 8 笥
{o﹃ お 心 1 ω (
拾 やω)"勺や
qミ 慧 ぎ さ へ §
き ﹂ミ S ︾8 冨 8 ︼
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8 一 戸口 o曇
﹃ぎ
こ れ に 続 く やζ 婦H(
㌻二 合 Oー 崔 OO 戸 O・
)
"の 時 期 に 関 し て は 、 ク ノ ソ ス 宮 殿 の 周 辺 に つ い て ﹁ミ ケ ネ 化 ﹂ の 方 向 へ の
肉◇ ミ " §
生 活 様 式 の 変 化 と 、 そ の 過 程 に 関 し て 貴 重 な 証 拠 を 提 示 し た 呂 ・㊦o℃汀 β
﹄ 、 、恥せ§(§ ミ
S O<。
合 2 汗ー ρ 窓 。08 巴A S㌔亀 b 足 o 亀 s
ぎ
9 一 法 が 現 在 のと こ ろ 何 と し ても 重 要 で あ る 。 ク ノ ソ ス宮 殿 に お け る 線 文 字 B 粘 土 板 文 書 出 土 の事 実 は そ れ 自 体 と
し て、 前 一四 世 紀 初 め と 推 定 さ れ る ク ノ ソ ス宮 殿 の最 終 的 崩 壊 (
☆
ト⇔閲
s ㌔ミ 亀ら㌻ 災 民 "。妬
㊤03 >︼
> c。O (
お やO) bや ドOOー Φ︽)以 前 の あ る 段 階 か ら 、 ギ リ シ ア 語 を 公 用 語 と す る 勢 力 、 恐
ら く は ミ ケ ネ H ア カ イ ア 人 の 一派 が 既 に 自 ら の王 朝 を 築 い て い た こ と を 証 明 す るも の で あ る が 、ポ ッ フ ァ ム の報 告 は 、
こ の王 朝 交 替 が い呂 悼 の 過 程 で 何 が し か の 対 立 抗 争 を 含 み な が ら 進 行 し た こと を 暗 示 し て い る 。 己器 ×芭o富 合呂 飴霧 ぴロ
は こ の 時 期 に 何 度 か 火 災 に あ い 、 そ の間 に 室 内 改 造 な ど に よ る 生 活 の変 化 が 認 め ら れ る と い う 指 摘 は 、 今 後 の 分 析 に
も 重 要 だ と 思 われ る 。
こ の よ う に 、 前 一五 世 紀 半 ば に お け る ミ ケ ネ 一一 ア カ イ ァ 人 の ク ノ ソ ス政 権 奪 取 が 確 実 の 度 を 高 め て く る と 、 同 時 期
の ク レ タ 島 の広 範 囲 に 及 ぶ ミ ノ ア文 明 諸 拠 点 の炎 上 倒 壊 は 、 テ ラ 火 山 に そ の 原 因 を 帰 す よ り 、 中 央 の政 変 に呼 応 し た
﹁人 為 災 害 ﹂ と み な す 方 が 整 合 的 で あ る よ う に 思 わ れ て く る 。 こ こ に ﹁人 為 災 害 ﹂ と い う 場 合 、 ミ ケ ネ 自 ア カ イ ア 人
の 直 接 的 武 力 行 使 と 併 行 し て 、 地 方 住 民 の 旧 支 配 者 に 対 す る 反 乱 蜂 起 に伴 った ク レ タ 島 住 民 自 身 の手 に よ る 襲 撃 や 掠
奪 の 事 態 も 想 定 し 得 る であ ろ う 。
次 に 、 今 度 は 時 代 を 遡 って 、 ク ノ ソ ス支 配 以 前 の 段 階 に お け る ミ ケ ネ 潤 ア カ イ ァ 人 の エ ーゲ 海 進 出 の 過 程 が 問 題 と
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な る が 、 こ の点 に 関 し て は 旧 稿 に お い て 、 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 の 発 掘 成 果 を 踏 ま え つ つ、 前 一六 世 紀 に お け る ギ リ シ ア
§
・
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本 土 と キ ク ラ デ ス 文 化 圏 、 就 中 テ ラ 島 と の 緊 密 な 関 係 を 指 摘 し て お い た 。 そ の 後 、 ω・ H日 日 2 ≦夢 お §
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237
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ロ か磯 o§ 飴 ミ ざ禦 ]出ω "⊃O (
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∨8 ﹂ 嵩 ー N⑩ に よ っ て こ の 方 向 の傍 証 が 益 々 固 め ら れ る と 共 に 、 あ の ﹁ミ
ノ ス海 洋 帝 国 ﹂ の イ メ ー ジ は 益 々影 が 薄 く な る 傾 向 に あ る 。 但 し 、 ア ク ロテ ィ リ 遺 跡 ﹁西 の 家 ﹂の細 密 画 フ レ ス コの 解
釈 を め ぐ る 論 議 は 微 妙 で 、 見 解 の 一致 を 見 る に は 程 遠 い。 ﹁船 団 図 ﹂ 右 端 の 船 団 帰 投 地 に つ い て マリ ナ ト ス教 授 は 、そ
れ を ﹁上 陸 図 ﹂ と 同 じ く リ ビ ア 地 方 と み な し て い た が 、 イ ー マ ワ ル は 右 の論 文 で 帰 投 地 を ク レ タ の宮 殿 所 在 地 と み な
し 、 ミ ケ ネ ‖ ア カ イ ア 人 と ミ ノ ア 人 と の 平 和 共 存 と 、 両 者 に よ る 遠 隔 地 への 共 同 遠 征 事 業 の あ り 得 た こ と を 語 って い
お ま ︾や 声ON 同 様 の 捉 え 方 は
男d切碧 ゲΦび ㌔ξ 合 ぎ 叉
㍍ ﹂N § 式 日 急ミ ∨ ☆
卜定 ∩ O へ忘 &へ。 切、§ さ
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る 。 こ れ に対 し て、 か っ て は ア ク ロテ ィ リ を ク レ タ の 植 民 市 と 捉 え た こと の あ るP ・ウ ォー レ ン (
↓冨 ︾Φoq$ ロΩ <巨 N良 o星
しdω︾ ㊦ぷ ド⑩や 企や ON) は 、 今 回 の ]出ω 論 文 で は 視 点 を 若 干 修 正 し て 、 テ ラ の船 に依 った ミ ケ ネ H ア カ イ ア 人 と ミ ノ
ア 人 を 敵 対 的 な 関 係 に お い て捉 え て い る の が 注 目 さ れ る 。 ウ ォ ー レ ンは 船 団 の帰 投 す る 右 端 の 町 を ア ク ロテ ィ リ そ の
も の と 解 釈 す る が 、 こ の 点 に 関 し て は 筆 者 は 全 面 的 に 賛 成 で あ る 。 旧 稿 六 〇 頁 で は こ の可 能 性 を 示 唆 す る に 留 ま った
が 、`一九 七 六 年 に ア グ ロテ ィ リ 遺 跡 直 下 の浜 辺 に 出 て す ぐ 西 側 の岬 を 見 た と き 、 そ れ の 描 く 稜 線 と 岩 盤 の 色 調 が 船 団
図 の そ れ に 余 り に も 似 て い る こ と に 驚 い た こ と が あ って 以 来 、 確 信 を 深 め て い た か ら で あ る 。 切 石 構 築 の外 壁 が 目 立
ち 、 屋 上 に ﹁聖 別 の角 ﹂ を 並 べ た 家 屋 の あ る 図 中 の 町 は 、 実 際 の ア ク ロテ ィ リ 古 代 都 市 を 可 成 り 写 実 的 に 描 写 し た も
のと み な す こと が で き よ う 。 だ が 、 P ・ウ ォ ー レ ン が ﹁船 団 図 ﹂ 左 端 の 町 や 、 東 壁 の ﹁河 川 風 景 図 ﹂ 及 び 北 壁 の ﹁上
陸 図 ﹂ の場 所 を す べ て ク レ タ 島 に 比 定 し て 、 絵 巻 風 に 展 開 す る 細 密 画 フ レ ス コは 、 テ ラ 島 の船 に 搭 乗 し た ミ ケ ネ ‖ ア
S
臼⑳切Φ苔 "§
さ
ト 轟 § 鳶 ㌔亀㌔Y、§ ㍉8 ミ 亀
団eミ § へo∨﹀﹀︾ 声音 ﹂零 。。"ロや Φ一一 や俸) に も 拘 ら ず 、 判 断 を 保 留 せ ざ る を 得 な い 。 豊 か な 水 量 の河 、 群 生 す
(b ミ 、自篭 ミ 句 句ミ e ざ き ㌻ ﹄ ぱ 窓 蔦 "︾ ︾ ︾ ぷ ﹂S ◎ 箸 ●c。⑩ー q⊃翌
カ イ ァ 人 の ク レ タ 島 掠 奪 行 を 描 い た も の だ と 推 論 す る 時 、 同 博 士 の エー ゲ 世 界 に も パ ピ ル ス が 自 生 し て い た と い う 論
証
QN
篭 誉
る ナ ツ メ ヤ シ 、 点 在 す る パ ピ ル スに 加 え て 、 獅 子 や 豹 ま で揃 って く る と 、 エ ー ゲ 海 域 だ と ク レ タ 島 よ り も ア ナ ト リ ア
沿 岸 の 方 が 可 能 性 が 大 き く 、 エ ーゲ 世 界 外 の 遠 隔 地 の 可 能 性 も 依 然 残 さ れ て い る と 言 わ ざ る を 得 な い 。
いず れ に せ よ、 中 期 青 銅 器 時 代 末 か ら ミ ケ ネ 初 期 (
忌出 自\
い出 H
)に か け て の、 所 謂 ﹁竪 穴 墓 時 代 ﹂ に 関 し て 、ギ リ
シ ア本 土 で は ミ ノ ア 土 器 が 少 量 し か 検 出 さ れ ず 、 ク レ タ 島 で は ヘラ デ ィ ック 系 土 器 の出 土 が 皆 無 に 近 い と い う よ う
238
に 、 両 文 化 圏 の直 接 的 交 流 の 稀 薄 さ を 窺 わ せ る 状 況 が あ る 一方 で は 、 テ ラ、 ケ ア、 ミ ロな ど のキ ク ラ デ ス諸 島 で は 方
の 両 文 化 圏 に 属 す る土 器 が 相 当 豊 富 に 出 土 す る 反 面 、 キ ク ラ デ ス系 統 の土 器 が .
両 文 化 圏 に お い て 出 土 し 、 ギ リ シ ア本
土 の場 合 に は 、 土 器 の 器 形 や 装 飾 の モ チ ー フ の 点 で、 キ ク ラ デ ス文 化 の 方 が ミ ノ ア 文 化 よ り 強 い 影 響 力 を 及 ぼ し て い
る と い う 状 況 が あ り 、 こ の点 か ら も 、 歴 史 な い し 文 化 の展 開 に お け る キ ク ラ デ ス諸 島 の 果 し た 仲 介 的 役 割 が 注 目 さ れ
心P H箋 一"勺℃ ω㎝⑩ー ⑩三 せ § 逢 句ミ S
§ 匂ざ ק切 目
出。
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合 " 戸Φ品 " 喝や c。零 ー S ご 輪さ 亀 守 (
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る の であ る 。 テ ラ 島 ア ク ロテ ィ リ の古 代 都 市 は 、 ケ ア 島 の ア ヤ ・イ リ ニ (
S O霧ぎ S § ea忘晦⇔ぱ§ ﹄ ざ 民 § ㊤ ト 匡?
超 。登
§ o 句§ へD註§ ㌔ミ ざへ鋪 ☆ ○へ§ 音 叉§ ">O︾ 。。ω" 拾 品 u や 畠 N)や ミ ロ島 フ ィラ コピ (
戸 口ぼぴoび oS 合 ・
)の よ う
に 長 い歴 史 を 有 す る 拠 点 と は 異 って、 後 期 青 銅 器 時 代 (
ピ呂 H
跨) に な って 創 設 さ れ た 町 で あ る が 、 そ れ を ク レタ 勢 力
に よ る 植 民 市 建 設 と み る よ り も 、 テ ラ 島 住 民 が 軍 事 力 に 秀 で た ミ ケ ネ ーー ア カ イ ア 勢 力 の 一派 と 結 束 を 固 め た と い う 点
に 、 新 都 市 形 成 と い う テ ラ 島 の 著 し い発 展 の 契 機 を 求 め る こ と が む し ろ 可 能 で あ ろ う 。 ﹁船 団 図 ﹂ 関 係 の 一連 の 細 密
シ
画 フ レ ス コや 、 実 物 大 の ﹁船 尾 司 令 塔 ﹂ の フ レ ス コが 数 面 並 ん で ﹁西 の 家 ﹂ に 出 土 し た と い う 事 実 は 、 こ の 家 の住 人
が ミケ ネ ‖ ア カ イ ア人 であ れ テ ラ人 であ れ、 と も かく 、 軍 事 色濃 厚 な海 上 活動 に大 き な誇 りを 覚 え て いた こと を 証明
す る に ほ か な ら な い の で あ る 。 キ ク ラ デ ス の 島 々 が そ れ ぞ れ ク レ タ 島 の ミ ノ ァ 勢 力 と は 独 立 の、 自 ら の 海 上 勢 力 を 保
持 し て い た と 見 る 方 が 、 ﹁ミ ノ ス海 洋 帝 国 ﹂の実 在 を 信 ず る よ り 遥 か に 真 実 に 近 い と 言 って よ か ろ う 。 平 和 ・軍 事 両 様
の海 上 活 動 に お い て ミ ノ ア勢 力 と の 競 合 関 係 が 高 ま った と き (ク レ タ 島 の 新 宮 殿 時 代 の体 制 は よ う や く 前 一六 世 紀 に
固 ま った こ と に 留 意 す る 必 要 が あ る)、キ ク ラ デ ス諸 勢 力 は ミ ケ ネ " ア カ イ ァ勢 力 と 結 托 す る こ と に よ っ て局 面 の 打 開
む
や ωO ︰∨↑ 冶 ダ
団N ぺgぎ ⇔○ §
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お や吉 田 ・念 O
芯 ゲ)。 ミ ノ ア 文 化 の 影 響 を 吸 収 し な が ら
古
庁o く oピ§ o o栖 弓打 冒
吋ミ ミ 吋ミ
を 計 り 、そ の中 で 最 も 著 し い 成 功 を 収 め た の が 、ク レタ 島 に 最 も 近 い テ ラ 島 で あ った と も 考 え ら れ る 。 少 量 な が ら テ ラ
吋 ÷ミ Q 旨 ・﹂鵠 ⇔
>o{① o͡ 汗 o 言 ひH艮 o白 書 ○日 − m有声
⑦日 田 o Oo轟 苫 。・ω §
島 か ら シ リ ア ・パ レ ス チ ナ の 土 器 の 出 土 し て い る の が 注 目 に 値 す る (
勺◆> m詳oβ
之§§ き
呂 ①廷臣巴○・。・ ㎏決 QeQぱ§ 妬 ミ
ざ 暮 恥 吋ぎ ミ
ー蕊 ご む
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(な い し キ ク ラ デ ス ) 美 術 の 背 景 に は 、 政 治 的 独 立 と 進 取 の 気 性 を 読 み 取 ら ざ る を 得 な い 。
も 、 土 器 や 特 に フ レ ス コ 壁 画 の 面 で 、 権 威 的 な も の に 捉 わ れ な い 自 由 な 創 造 力 を 発 揮 し て 、 ミ ノ ァ 美 術 と は 一味 違 っ
た世 界 を展 開 す る テラ
239
テ ラ 火 山 活 動 に よ る ア ク ロテ ィ リ の地 震 災 害 ・放 棄 ・埋 没 後 の ↑9 ]
bO\↑出 自︾ (
へ・旨 OO− 戸+切O 切.○・
) の時 期 に は 、
き 恥 トミ
巨 \卜 定 §
§
注 g 是k ♪ bdむ力い 品 (﹂Φ﹃o。)Uや に ωー
﹁海 洋 文 様 式 ﹂ の 土 器 が エー ゲ 世 界 各 地 に 出 土 し 始 め る 。 こ の土 器 に 関 し て 最 も 注 目 す べ き 最 近 の 論 文 は 勺ー ﹀・ζ 9
§ こ畠 - 知 .︺§ 窃 ー S O甘 苦 ざ ㌔ 、8 § § ミ 句ミ ミ Q ☆
已 であ る 。
在 来 の方 法 で あ る 図 柄 の様 式 分 析 に 加 え て、最 近 よ う や く 始 動 段 階 に 入 った 科 学 的 な 土 器 組 成 分 析 の方 法 を
の大 規模 な破
出。切
需 ﹃庁 ︽ド (
P㊤やト
。)噂令ωq⊃Φ は 、 ケ ア 島 ア ヤ ・イ
駆 使 し て な さ れ た 研 究 で あ る 。 こ れ に よ る と 、 海 洋 文 土 器 生 産 の 中 心 地 は ク レ タ 島 の み な ら ず ギ リ シ ア 本 土 にも 数 箇
所 存 在 し た と い う 。 か つ て、 匂◆○霧犀ΦS § ea s
蒔ミへ
§ ㎏ ざ 民 恥8 目
リ ニ遺 跡 に ギ リ シ ア 本 土 製 の精 巧 な 海 洋 文 土 器 の 出 土 し た 事 実 を 説 明 し て、 ク レ タ 島 に お け る ↑ζ 田
壊 の前 後 に 、 熟 練 し た ミ ノ ア 人 陶 工 た ち が ア ルゴ ス ・ コリ ン ト ・ア ッテ ィ カ諸 地 方 の 秀 れ た 陶 土 に惑 か れ て ギ リ シ ア
本 土 に 移 住 し た 可 能 性 を 示 唆 し た こ と が あ る 。 そ の 当 否 は 別 と し て、 と も か く 初 期 青 銅 器 時 代 以 来 久 方 振 り に エー ゲ
世 界 に お い て 共 通 の文 化 的 嗜 好 が土 器 装 飾 の 次 元 でも 表 面 化 し た の であ り 、 ミ ケ ネ 文 化 圏 と ミ ノ ア文 化 圏 の 直 接 的 交
流 、 ひ い て は 軍 事 的 能 力 を 売 り 物 に し た ミ ケ ネ H ア カ イ ア 人 の ミ ノ ア 社 会 への 滲 透 も 想 定 さ れ 得 る の で あ る 。 海 洋 文
様 式 の時 代 は 、 ク ノ ソ スに お け る ミ ケ ネ ‖ ア カ イ ァ 王 朝 成 立 の前 段 階 に 当 って い る か ら であ る 。
ク ノ ソ ス に お け る ミ ケ ネ ‖ ア カ イ ァ王 朝 の成 立 に よ って、 ギ リ シ ア 本 土 勢 力 の エ ーゲ 海 進 出 が加 速 化 さ れ た か と い
う と 、 ど う も そ う で は な い ら し い 。 新 王 朝 は ク レ タ 島 内 の混 乱 に対 処 し 、財 政 的 な い し 経 済 的 安 定 を 計 る た め 、旧 ク ノ
ソ ス王 権 の 政 治 機 構 や 東 方 世 界 と の 交 易 を 更 に ︼層 発 展 推 進 さ せ る 必 要 が あ った 。 ミ ノ ア勢 力 に と って は 既 に長 い 歴
史 の あ る エジ プ ト と の 接 触 は 、 ミ ケ ネ ‖ ア カ イ ア 王 朝 の 下 でも 維 持 さ れ た 。 前 一五 世 紀 の ミ ケ ネ 土 器 (
↑出 周︾\悼 Cd)
が エジ プ ト貴 族 の墓 に少 量 な が ら 出 土 す る 事 実 は 、 前 一六 世 紀 の段 階 と は 異 って 、 前 一五 世 紀 に は本 土 ギ リ シ ア勢 力
も エジ プ ト と の高 接 的 接 触 を も ち 得 た 可 能 性 を 示 し て い る が 、 ミ ノ ア 政 権 の実 績 を 踏 襲 し た ク ノ ソ ス の ミ ケ ネ ‖ ア カ
イ ア 王 朝 が独 占 体 制 の維 持 を 志 向 し 、 こ れ に対 抗 し た こ と は 想 像 に難 く な い 。 事 実 、 キ ク ラ デ ス の島 々 に ﹁ミ ケ ネ 文
化 ﹂ の様 相 が 顕 著 に な った り 、 ミ ケ ネ 土 器 が 大 量 に エジ プ ト に 出 現 す る よ う に な る の は、 前 一四 世 紀 は じ め の ク ノ ソ
ス宮 殿 の最 終 的 崩 壊 以 後 の こ と な の で あ る 。
な お 、 一九 七 六 年 に ク レ タ 島 西 部 の 八 三 ャ で、 S ㌣ § ふ Qよ $ き (﹁王 の﹂) の略 記 と 推 定 さ れ る 線 文 字 B の e自 、
240
き ㎏慧ミ
(訳出 N 声O) が
い9 目 口 の 層 序 で 発 見 さ れ 、 注 目 を 集 め て い る
Q バ§ へ
g ペミ 昼 § 心 ぺ㎏Nぺ ︾ζ
(
国◆ 出 巴 醇σq2 占
.
旨 四 這 べoou Oや.ω一一 ぱ )。 ク ノ ソ ス 宮 殿 崩 壊 後 も 、 ミ ケ ネ W ア カ
・国 法 Gσq⑦び 時 言 Q さ 亀㍗ 防ざ & へ㌣ ロ§ ÷
忌 g 、心 ぱ§ 切 Nミ ◎ 由 ﹀ ︾ ぷ ド自 ◎ 篭 '曽 o◎ー ㊤ ⋮鴫 ・弓N。昔 在 ωー 出
字 の み を 刻 ん だ 鐙 壷 の上 部 断 片
≦ 器良 {
。。、§
§ 嵩§ ㊤ ミ
イ ア 勢 力 の 一派 が 西 ク レ タ に 残 存 し て 、 小 王 国 を 構 え て い た 可 能 性 が 推 測 で き る か ら で あ る 。
以 上 、 ミ ヶ ネ ーー ア カ イ ァ 人 の エー ゲ 海 進 出 と い う 観 点 か ら 、 旧 稿 を 補 う 形 で ア ク ロテ ィ リ を め ぐ る問 題 を 中 心 に 、
そ の 後 の研 究 動 向 を 大 雑 把 に追 って み た 。 そ のた め 、 視 点 が キ ク ラ デ ス、 ク レ タ に ひ ど く 偏 って い る 。 ミ ケ ネ 文 化 拾
頭 の 背 景 に は 、 錫 の輸 入 と 深 く 関 連 す る ギ リ シ ア 本 土 以 西 の地 域 と の接 触 も 重 要 で あ って 、 見 落 す こ と は で き な い。
P 出餌≦オゆ
p ㌔ ぺ§
﹄顛
肉ミ 愚 o § へ き 亀 Oさ 品 豊
N
ミ ミ ぷ 冶誤 )
、 ミ ケネ 世 界
古 典 期 に つ い て ヘ ロド ト ス (
目 "戸↑
ロ) が 暗 示 す る よ う に、 錫 が 琉 珀 と 並 ん で ヨ ー ロ ッパ 北 辺 の地 か ら ギ リ シ ア に も た
ら さ れ て いたと す るな らば (
S
と の接 触交 流 の過 程 を 丹念 に追 跡
h
§ § § ○琶ミ S ぱ§ 晒(
声
Oミ )も 、 今 後 の 研 究 に欠 か せ な い文 献 で あ る 。
にお い て捉 え つ つ・ 地 方 的権 力 の消 長 や周 辺 諸 讃
に お け る琉 璃 の出 土 は 錫 の到 来 を 告 げ る 可 能 性 が 大 き い 。 ︾.出曽臥芦σq− 国・出口σ
q冨 Φ占 叶
oo
穴 ﹄§"ミ ざ き "言 6§ Q§ 達
き 、N
S bdω︾O ⑩ (
﹂Φ起 ) 勺や 忘 切ー WN は こ の 分 野 に つ い て 示 唆 に 富 む 必 読 の論 文 と 言 え よ う 。 な お 、 ミ ケ ネ 文 明 を 中
期 ヘラ デ ・ ・ク文 化 と の連 護
し た ○・O民家自 8 ∨吋ぎ ○注製 自 ☆ ξ
のを 二、 三紹 介 し てお き た い。
先 ず最 初 は、 陶片 追 放 の陶片
が ペ ル シ アび い き の 嫌 疑 を 被 せ ら れ る よ う な 行 動 を と った 人 物 と い う 推 察 が つく と 同 時 に 、 ペ ル シ ア戦 争 期 に お け る
ス (
民巴声
声
9 大目 日田) の陶 片 の 裏 面 に は 楯 ま た は 弓 を 構 え た ペ ル シ ア 風 戦 士 の 姿 が 落 書 き さ れ て い る 。 当 の カ リ ア ス
う ち 特 に 興 味 深 い も の 二 〇 点 ば か り が ケ ラ メ イ コ ス博 物 館 で公 開 展 示 さ れ る よ う に な った 。 ク ラ テ ィオ ス の 子 カ リ ア
相 次 い で大量 の陶 片が 発 見 さ れ、 そ の数 、実 に九 〇〇 〇 枚 にも 及 ぶ と伝 え ら れ てい る。七 〇 年 代 半 ば か ら、 それ ら の
(オ スト ラ コ ン) で あ る 。 一九 六 五年 以 降 、 ア テ ネ の ア ゴ ラ に 程 近 い ケ ラ メ イ コ ス で
ミケ ネ時 代 関 係 は以 上 に留 め、 次 に古典 期 お よ び それ以 降 のギ リ シア史 に ついて筆 者 が興 味 な いし問 題 を 感 じ たも
二
処
ア テ ネ 国 内 の、 対 ペ ル シ ア外 交 路 線 を め ぐ る 微 妙 な 政 治 的 対 立 緊 張 を 伝 え るも のと し て興 味 深 い 。 ま た 、 通 常 の オ ス
ヘ
ヘ
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て
ヘ
ヘ
ヘ
な り﹂ と 落 首 し たも のが あ る。 プ ルタ ル コス
オ スト ラコ ン
ト ラ コ ン と は 趣 を 異 に し て 、 Φm寒 qq§ 詩 一
ぐ。"8 ☆ 合 内一
、§ oヒ ︹⑲︺鳶 ☆言 、§ " ︹
品ミ 一
勢 >o︹
品ρ
。言 災 ﹁こ れ は フ レ ア リ
ヘ
オ イ 区 の 人 テ ミ スト ク レ ス に名 誉 の 印 し と し て (投 ぜ ら れ た る ) 陶 片
(
田 暮 ◆吋ぎ §嚢 o忘a ト
。N) の、 テ ミ ス ト ク レ ス は (サ ラ ミ ス海 戦 にお け る ) 戦 功 を 盛 ん に 吹 聴 し て自 分 を 売 り 込 み 、
市 民 に う る さ が ら れ た 挙 句 、 陶 片 追 放 に 処 せ ら れ た と い う 記 事 を 想 起 し な が ら 読 む と 、 こ の陶 片 は 誠 に 興 味 深 く 、 一
﹂
16 固 く ﹁名 誉 の印 し と し て ﹂ (
傍 点 部 ) と 試 訳 し た 陶 片 末 尾 の ギ リ シ ア 語 は も っと 歯 切 れ よ く 、 ﹁こ れ が (
名 誉 の) 駄
賃 と い う も の さ / ﹂ と 読 む 方 が本 筋 の よ う に思 え て く る 。 と こ ろ で、 ケ ラ メ イ コ ス新 出 土 の陶 片 は 未 だ 全 容 が 公 式 報
告 さ れ な いま ま で あ る が 、 こ れ を 含 め て知 ら れ る 限 り の オ スト ラ コ ンを 利 用 し て 作 製 さ れ た 知.吋ゲo口器P ↓庁Φ ○注-
頃日 o{ ○ω
芹8 ﹂
む。
日 (
拾 べN)
" Oや べH- c。O の ﹁陶 片 追 放 候 補 者 ﹂ 一覧 は 貴 重 で あ る 。 こ の中 で七 七 頁 に 挙 げ ら れ て い る
害 。8 ロ 呂 Φロき 仕 置oロ [。日巳oωΩ費 σq⑦
庄 o。・は 問 題 に す る 価 値 が あ る 。ガ ルゲ ッ ト ス 区 所 属 の メ ナ ン ド リ デ ス の 子 メ ノ ン
]
≦爪
ヒeヒ ﹄"蓑ミoり S☆干
民oミ ミo寒oぷ ︾苫 廿日o一
〇胆汁oロ OΦ匡8 器 ︿ お ①。。﹀ ○穿 oロ㌣
(
断 片 を 合 わ せ て 四 六 三 一例 ) に つ い て作 製 し た 陶 片 実 数 入 り の
な る 市 民 に ﹁レ ム ノ ス 人 ﹂ な る エト ニ コ ン が 併 記 さ れ て い る か ら であ る 。 だ が 、 ケ ラ メ イ コ ス陶 片 の 発 掘 者 で あ る ウ
ィ レ ム セ ン が 、 一九 六 六 年 ま で に 出 土 し た 新 資 料
﹁候 補 者 名 ﹂ 一覧 (
司.乞 ﹂
陪 目篭見 b 合 杏無碍 、☆い§ 句§ §
汁P ↑ΦΦぷ ⑰ N。。︹) に は ト ム セ ン流 の 表 記 は な く 、 ガ ルゲ ッ ト ス 区 所 属 の メ ノ ン と い う 名 で は
◎ 苦 寒oり﹀ (四 例 ) と ζ せ eヒ 呂 ぐ・苫 毘 o笛8 S災ミ ぶ内O。の (一〇 九 例 +断 片 一二 六 )が 挙 が っ て い る き り で あ る 。ト ム セ
b 無 品§
Nω (一⑩Oo。)"Oe、§ 忌 ぶ 冶 Φ㊤ で は 放 棄 し た よ う に 思 わ れ る
﹁メ
や 。。杏ひ u・。。c。
﹁レ ム ノ ス 人 ﹂ の 付 記 あ る メ ノ ン を す べ て メ ナ ン ド リ デ ス の 子 で あ る メ ノ ン で あ
﹁レ ム ノ ス 人 ﹂ と エ ト ニ コ ン を 付 記 さ れ た も う 一個 の 断 片 の メ ノ ン と 同 一視 し た (
﹄忘 ◆§ 災 c。O︿ ↑⑩Φ伊∨ や ドNO{・
)
ン は ウ ィ レ ム セ ン が 一九 六 五 年 に 発 見 し た ﹁メ ナ ン ド リ デ ス の子 メ ノ ン﹂ と 記 さ れ た 陶 片 を 、 同 年 に 発 見 さ れ た 父 名
なく
こと を 拠 り所 と し て、父 名 は な いが
﹄ 、き ミ 忘 侭 完 §
る と 割 り 切 っ て 、 右 の 様 な 復 元 に 及 び 、 新 資 料 の 中 に は そ の 様 な 票 は 計 一二 例 あ る と し て い る (
。特 ミ
間 日 匡 冨oゲΦぎ
× § § "栖§
亀
§
ミ 忠 oミ w㌘ 出 oωb2 鼠 × × ]
く
(戸Φ切O) ℃や
No。Φー Φ で あ る 。 ラ ウ ビ チ ェ ッ ク は 断 片 の
ナ ン ド リ デ ス の 子 の メ ノ ン﹂ の 線 を ト ム セ ン は 益 々 発 展 さ せ て い る わ け だ が 、 そ れ に 決 定 的 な 影 響 を 与 え て い る の が
ロ・陪 O)。 ウ ィ レ ム セ ン 自 身 が
︾
242
(
前 四 七 七 年 ま た は 四 七 六 / 五年 ) の 際 、 ア テ ネ 軍 を 支 援 し た 功 績 に よ り
﹁ガ ルゲ ット ス区 所 属 の メ ネ ク レ イ デ ス の 子 メ ノ ン﹂ を デ ス モ ス テ ネ ス の演 説 (
OΦ
目 ・××目H︾ピΦΦ) 匹 一
言及 さ れ て い る
メ ノ ン、 な す わ ち ア テ ネ 軍 の エイ オ ン攻 囲
ア テネ 市 民 権 を 賦 与 さ れ た と い う フ ァ ル サ ロ ス の 人 メ ノ ン と 同 一視 し 、 前 四 五 七 年 春 に陶 片 追 放 に 遭 った と 推 定 す
る 。 こ れ を 全 面 的 に受 け 容 れ る ト ム セ ンと す れ ば 、 ﹁フ ァ ル サ ロ ス の 人 ﹂ メ ノ ン は ﹁レ ム ノ ス の 人 ﹂ と は な り 得 な い
の で あ る 。 だ が 、 ラ ウ ビ チ ェ ック 論 文 の後 に あ の ケ ラ メ イ コ ス大 陶 片 の発 見 が あ り 、 ウ ィ レ ム セ ン の 一覧 表 で は メ ネ
ク レ イ デ ス の 子 メ ノ ン の 陶 片 側 は 断 片 を 合 わ せ て 二 三 五 票 に達 し 、 人 名 一覧 の六 六 老 中 、 メガ ク レ ス、 テ ミ ス ト ク レ
ス、 キ モ ン に 次 い で第 四 位 を 占 め て い る の であ る 。 新 市 民 に し て は 票 の出 土 例 が 多 す ぎ て む し ろ 奇 異 の感 が 強 ま る 。
ガ ルゲ ット ス区 所 属 の メ ネ ク レ イ デ ス の 子 メ ノ ン は 、 生 え 抜 き の有 力 ア テ ネ 市 民 と 見 た 方 が 良 さ そ う で あ る 。 (デ モ
ス テ ネ ス に し ても 別 の 演 説 (
×日 "Nω) で は 、 あ の フ ァ ル サ ロス の 人 メ ノ ン に与 え ら れ た 特 権 は 定 心魁☆、 な す わ ち 免
除 特 権 と し て い る の で あ っ て、 市 民 権 賦 与 す ら 事 実 と は 証 明 さ れ な い の で あ る 。)
以 上 のよ う に 、 ト ム セ ン流 の ζ 窪 § 呂 Φ昌9 合 定o田 ↑Φ彗昌一
〇切 ○曽o
qo
庄 o切 の復 元 は 根 拠 薄 弱 で あ り 、 ﹁ガ ルゲ、
ット ス
区 所 属 ︿ レ ム ノ ス の 人 ﹀ メ ノ ン﹂ な る陶 片 も 、 多 数 の 票 を 集 め て い る メネ ク レ イ デ ス の 子 の メ ノ ン のも のと 同 視 し
て そ れ に 加 え て然 る べき だ と 思 わ れ る 。 一方 、 アゴ ラ の ヘ フ ァイ ス ト ス神 殿 の建 設 年 代 推 定 の目 的 で神 殿 周 辺 か ら の
出 土 物 を 分 析 し た デ ィ ンズ ム ア は 、 そ こ に 含 ま れ て い た ﹁ガ ルゲ ッ ト ス区 の 人 メ ノ ン﹂ の名 を 記 し た 二 片 の陶 片 の年
代 を書 体 から 前 五世 紀 半 ば と診 断 し て いる (
乏 60ぎむ・
日8 ♪ ○㌻ ミ e足 へ
§ 匂 § 忘 ㌻ 守 ﹀÷ミ 是匙§ ﹀出。m
O9 翌 ωξ ℃ド < "
H忠 ど ﹄慧 § 註 ぷ 吋ぎ b ミ o栖 亀 S o O匂
㌣寒 ぶ ℃や ﹂窪 一 宇)
。 デ ィ ンズ ム ア は こ の メ ノ ン を フ ァ ルサ ロ ス の メ ノ ン そ
の 他 、 外 国 出 身 の新 市 民 と 見 立 て る こ と に 全 面 的 に 反 対 し 、 前 四 七 三 / 二年 に 筆 頭 の ア ル コ ン で あ った メ ノ ン と 同 一
人 物 で あ る と 推 定 し て 、 前 四 五 〇 年 の僅 か 以 前 に陶 片 追 放 に 遭 った と す る 。 筆 者 は む し ろ こ の デ ィ ンズ ム ア説 に 賛 成
で あ る 。 ﹁レ ム ノ ス人 ﹂ と い う と す ぐ 思 い 浮 か べ る あ の レ ム ノ ス人 、 す な わ ち 、 前 四 八 〇 年 ア ル テ ミ シ オ ン海 戦 の頃 、
ペ ル シ ア大 王 に 従 う ギ リ シ ア 人 の中 か ら た だ 一人 、 ギ リ シ ア軍 側 に 寝 返 った ﹁レ ム ノ ス の 人 ﹂ ア ン テ ィ ド ー ロ ス の場
忠§ s
尚 合 § い乙◎・ω㎝Q
。 の よ う に ア ン テ ィ ド ー ロ スを レ ム
合 に し て も 、 ア テ ネ が そ の宣 伝 効 果 を 計 算 に 入 れ つ つも そ の行 動 に 対 し て与 え た 褒 美 は サ ラ ミ ス の土 地 財 産 に 限 定 さ
れ 、 市 民 権 賦 与 は伴 わ な か った (
出合ヴ 貢 ︼戸ど ㏄)。 民①汀 ω
8合
243
ノ ス島 入 植 の ア テ ネ 市 民 で そ こ を 逐 わ れ た 者 と 見 立 て る な ら ば 話 は 別 に な る が 、 前 五世 紀 末 ま で は 名 目 的 賦 与 な ら ば
と も か く 、 実 効 的 市 民 権 賦 与 は 極 め て稀 れ で あ った こ と は 確 か ら し い。 と 、 す る と 、 今 問 題 に し て い る 陶 片 の ﹁レ ム
ノ ス の 人 し メ ノ ン は、 本 来 的 ア テ ネ 市 民 で あ っ て、 陶 片 の投 ぜ ら れ た 時 に は有 力 市 民 と し て ア テ ネ で政 治 生 活 を 営 み
な が ら 、 な お レ ム ノ ス島 と の関 連 に お い て そ の 名 を 呼 ば れ た者 と い う 線 が 濃 く な る 。 レ ム ノ ス島 に 不 在 地 主 と し て 個
ω
公 的 ク レ ルキ ア 入 植 者 の 子 孫
個 人的 な 入植 な いし移 住 者 の子孫
②
ω
A の いず れ に も 該 当 し な い新 規 の ク レ ル ー コ ス
A ー ② の 該 当 者 で相 続 に よ る ク レ ルー コ ス
A ー ω の 該 当 者 で新 規 の ク レ ル ー コ ス
レ ム ノ スのク レ ルキ ア入 植 に関 し て何 か重 要 な 役割 を 演 じ た者 。
③
公 的 ク レ ル キ ア の 一員 で 不 在 地 主 。
②
レ ム ノ ス島 生 ま れ の ア テ ネ 市 民 で、 そ の 後 ア テ ネ に 帰 還 し た 者 。
人 的 土 地 財 産 を 所 有 し て い る 程 度 で は 、 と ても ﹁レ ム ノ ス の 人 ﹂ と は 呼 ん でも ら え ま い。 そ こ で考 え ら れ る の は 、
A
B
C
︾
・○墨 冨 日
OoN§ ∨ § 心 §
き ミ ○告∨ ざ ﹄ "☆ § ひ ○ さ oQ (拾 Φ吟)" 廿や ↑謹 融・な ど で 詳 細 に 展 開 さ れ
こ の い ず れ に メ ノ ン が 属 し た か は 今 後 の 問 題 と し て、 と も か く 、 新 出 土 の こ の陶 片 は 、 レ ム ノ ス の ク レ ルキ ア を め ぐ
って、 例 え ば
て い る 論 議 に と って貴 重 な 資 料 を 一つ追 加 し た こと に な ろ う 。 年 代 の面 か ら も 面 白 く な り そ う で あ る 。
次 に と り あ げ た い の は 、 ア ド リ ア海 の 一高 ケ ルキ ュラ ・メ ラ イ ナ への 入 植 に 関 し て、 前 四 世 紀 イ ッ サ 島 民 が 行 な っ
た有 名 な植 民 決議 (
O吉 日 ぴ。
叔。
さ 砺﹁Qω戸桧 ) であ る 。 土 地 を 占 取 し 町 を 城 壁 で固 め る最 初 の入 植 者 た ち は、 町 の 中 で
は 宅 地 と 菜 園 を 、 町 の 外 で は 農 耕 地 な ど を 取 得 す る の で あ る が 、 いず れ も ﹁選 り 抜 き ﹂ (
撫 ミ 、零 § ) の 土 地 で あ る こ
.
と が 高 々 と 謳 わ れ て お り 、 そ の言 葉 は 短 い本 文 の 中 に 三 度 も 繰 り 返 さ れ て い る 。 有 利 な 条 件 を 強 調 す る こ と に よ っ
H. くo宮 8 宮 巳 oω.O礼ミ 西8
§
黒物昔 R 慰 § ミ 鳶§
(
ド⑩∨ω) を ひ も と く う ち に 興 味 深 い 資
て、 植 民 へ の参 加 を 誘 お う と す る 意 図 が 歴 然 で あ る 。 裏 を 返 せ ば 、 入 植 者 の 気 持 を 重 く さ せ る よ う な 状 況 が 存 在 し た
の か も し れ な い。 筆 者 は 偶 然
44
2
料 のあ る こと を発 見 し た。
ゼ ウ ス の神 託 で有 名 な ド ド ナ の 託 宣 所 の 四 周 か ら 、 折 り 畳 ま れ た 鉛 の 小 板 が 多 数 出 土 し て い る 。 ギ リ シ ア 世 界 各 地
か ら の 参 詣 人 た ち が 家 運 商 運 か ら 結 婚 問 題 、 果 て は 失 せ 物 相 談 に 至 る ま で の、 生 活 万 般 に 亘 る 問 題 に 関 し て、 ゼ ウ ス
出昏勺魯片ρ
や デ ィ オ ー ネ の神 意 を 問 う た 質 問 を 、 参 詣 人 自 身 が 書 き 刻 ん だ 鉛 板 で あ る 。 質 問 の 原 文 は 国・勺p酔 P Sぎ ○﹁§ せ 叉
N§ 匂 (
﹂q⊃自 )
︼済対句Φロ合図 押 目 ・N$ ー ベω (二 九 例 ) や O苔 自 げ魯σq。
渋 防ぺ○、 2◎.ド↑ΦOー ΦΦ (七 例 ) お よ び
吋亨 oo ミ e § Qe さ霧 > oS b o⇔§ ぶ 臼田ω coべ (
お Φべ)卓 ﹂㏄N︹ な ど に よ って 部 分 的 に 当 る こ と が で き る。 ヴ ォ コト
プ ー ロ ス の前 掲 ﹃ヤ ン ニナ 博 物 館 案 内 ﹄ (六 一- 五 頁 ) に は 三 七 例 が 現 代 ギ リ シ ア 語 訳 で紹 介 さ れ て い る 。 そ の 多 く
は 右 の史 料 集 のも の と 重 複 し て お ら ず 、 筆 者 に は 現 段 階 で は 原 文 不 明 のま ま で あ る が 、 そ の中 に あ る ζ Φω(
や ①O) が
問 題 の 鉛 板 で あ り 、 参 詣 人 エク サ コ ン が ゼ ウ ス と デ ィ オ ー ネ に 、 こ の ま ま フ ァ ロス (
勺ぱ曽oむ。
) 島 に留 ま る のが自 分 の
た め に な る か ど う か を 質 ね て い る 。 と こ ろ で こ の フ ァ ロ ス島 は 、 前 三 八 五 年 ご ろ パ ロ ス の 人 々 が 、 シ ラ ク サ の デ ィ オ
ニ ュシ オ ス 一世 の支 持 のも と に 入 植 し た 土 地 で あ り 、 ア ド リ ア海 の中 に あ って ケ ル キ ュラ ・メ ラ イ ナ と は 目 と 鼻 の距
離 に あ る 。 冨 Φωに つ い て ヴ ォ コ トプ ー ロ スは 、 こ の 質 問 は フ ァ ロス植 民 直 後 に な さ れ た も の に 相 違 な い と 解 説 し て
い る 。 ケ ル キ ュラ ・メ ラ イ ナ 入 植 が フ ァ ロ ス植 民 と 同 時 期 に 、 し か も 、 デ ィ オ ニ ュシ オ ス 一世 の 影 響 下 に 行 な わ れ た r
と す る な ら ば 、 参 詣 人 エク サ コ ン と 同 じ よ う に 将 来 に 不 安 を 抱 く イ ッサ か ら の 入 植 者 が い た か も し れ な い の で あ る 。
不 安 の材 料 は デ ィ オ ニ ュシ オ ス に 絡 む 政 治 的 性 格 を 帯 び た も の で あ った か も し れ な い。
(
9一
ω) 留 ・ ω一 声c。 の 精 細 を 極 め た 考 察 の上 に 成 る校 訂 に も 拘 ら ず 、 O苔 。
目ぴ2的Φ︹
と こ ろ で 、 ﹁選 り 抜 き ﹂ の 土 地 の 取 得 を 強 調 す る植 民 決 議 そ の も の を 検 討 す る と 、 ︾ .司 法 亀B"≧ § 恥 切§ ミ 句㌻Nミ
せ 零寸 意 § 瀞§ §
に 採 用 さ れ て い る テ キ ス ト に は 、 な お 若 干 の 疑 問 が 残 る よ う に 思 わ れ る 。 問 題 と な る の は第 三 行 か ら 五 行
句ミ災 ミ 胃 ひ§
句8 ω 戸桧
目 ∼ 豊 晶 。・ 葛 " 患 "§ ・沁9>me 嬬 ぼ 鳶 8 ヒ 8 旨 星 合8 eの ︹
§ ミ 合 憲 ヒ口 吟 是 ヒ ×蕊 -
前 半 に か け て の箇 所 で あ る 。
ω
§ ︺
苫 e § ご 田 舎 e§ の 是 ヒ 注 言
B の 忌§ の。∼
民意 § ヒ せ 警§ §
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245
0
ぴ
8 9 ☆ ミ 主 ヒ☆の 漂 ミ 、◎。8 ヒ a e ﹃§
烹 盲 ""
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憲 ︺勺§
§ ∼ s。
・
☆ 命Q苫 口吟 註 ヒ
第 三 行 の 合 も鶏ヒ か ら 第 五 行 半 ば の 烹 ㌃ " ま で は 、 句 読 点 も 付 し 得 な い単 一の 不 定 詞 句 で あ り 、 そ れ で あ り な が ら
撫 §、
S自 oヒ の 語 が 二 度 繰 り 返 さ れ て い る 。 一方 、 s巳 の aも忘8 cめ ︹
g 日 吉 恵 ヒ目 の ⇒合
ま ≒ヒ の句 に お け る 分 詞 形 の動 詞 は 、 碑 文 末 尾 の 入 植 者 名 簿 の 頭 書 き に よ って ウ ィ ル ヘ ル ム が 正 し く 指 摘 し て い る よ
や 昆 e 註 誉e に 係 る 修 飾 詞 と
う に 、 土 地 分 配 に先 立 って な さ れ 、 そ の前 提 と な る べき 領 土 占 取 と 定 住 地 確 保 を 意 味 す る も の で あ っ て、 成 句 的 に 用
い ら れ て い る の で あ る 。 従 って 、 下 線 a の 漂 ミ 鳶 へoe を こ の部 分 の名 詞 叶合 ×合﹀§
見 立 て る のは 適 当 で は な い 。 漂 ☆昔m⇒oヒ を 受 け る こ と の で き る名 詞 は 第 四 行 の 。詳曾 & oヒ し か な い が 、 こ れ に は 下 線
b の 嬬 ミ 鳶 心oe を あ て る の が 位 置 関 係 か ら も 自 然 で あ る 。現 在 の テ キ ス ト のま ま 読 も う と す る と ど う し て も 無 理 が 生
ず る 。 残 欠 部 の 補 填 に 問 題 が あ る こ と は 明 ら か な の で、 現 行 テ キ スト に つ い て 各 行 の残 存 .補 填 の字 数 を 第 七 行 ま で
Hの 写 真 に よ る と 大 変 き れ い に 彫 ら れ て お り 、 行 毎 の字 数 の ば ら つき は や や 詰 ま って い る 第 三 行 を 除 い
一
残存
補填
計
1
37
18
55
2
39
18
57
3
42
17
59
4
39
16
55
5
39
19
58
6
39
17
56
7
40
19
59
業
と は ︾ "○呂冨 β
oや 9 こ ℃ 窃 p・Φ の 指 摘 す る と こ ろ であ
り 、 第 六 行 は ウ ィ ル ヘ ル ム が 最 も 苦 心 し て 乱言 ・・ミ黛合 の (ぶ ど
う 園 ) の語 を 補 った 箇 所 で あ る 。
以 上 の 諸 点 か ら 筆 者 は 、 非 難 を 承 知 の 上 で第 三 行 (こ の 行 に
関 し て は 現 行 の補 填 に 全 く 問 題 は な い) か ら 第 五 行 前 半 を や や
鳶足
畿 o合
へ§
動黙"eト
\良馬m>
ヒ 撫 只へ
、m8 ヒ
へ9 り 司、忘 8 覚り
修 正 し て、 次 の よ う に 読 ん で み ては 如 何 と 思 って い る 。
ω
246
表 示 す る と 左 表 の よ う に な る 。 こ の碑 文 は 各 行 の字 数 が 一定 の ス ト イ ケ ー ド ン で は 刻 文 さ れ て いな い が 、
﹀ .妻 吉 匹5
0や 。﹄
ひ 吋罫
て そ う 大 き く は な さ そ う で あ る 。 第 四 行 一 策 七 行 は 字 の 詰 ま り 方 、 欠 損 の様 子 ま で ほ ぼ 同 じ で あ る 。 こ う し て み る
一
と 、 や は り 第 四 行 は 問 題 で 、 第 一行 、 第 六 行 と 共 に 二 ∼ 三 字 の 不 足 が あ り そ う であ る 。 冒 頭 部 の 補 い に 疑 問 の あ る こ
一
>§
零 ☆可☆ふ寝>e s☆り 叶昏e ×&︺1
吟
8 a ☆ ミ ミ ヒ災り 撫 ☆昔 m8 ヒ
ぴ
q言
∋§
目 ∼ 目 ☆ 命 § 日 り 註 e §"き 警
Φ
B り § ミ oの o砕 音 ︹
∩動。ヒ ぎ ㌃ e
烹 、。nへ": : :
& 8 雰
鶏 の︺
す な わ ち 、 ふ暴 忠e 以 下 の不 定 詞 句 を 第 四 行 の 是 e忌 さe で 一旦 打 ち 切 り 、第 四 行 残 欠 部 の補 い を 修 正 し て独 立 の不 定
詞 句 を 新 た に 設 け る の で あ る 。 下 線 b の 嬬 ミ 盲 吋oe は 先 行 の 。砕音 9 0ヒ に 係 る が 、 下 線 a の 嬬 ミ ⇔9 0e は 係 る べき
が含 意 さ れ てい ると見 る の であ る。
名 詞 が 省 略 さ れ て い る と 考 え る の で あ る 。 対 格 な の で単 数 な ら ば ど ん な 性 の名 詞 に も 応 ず る こ と が で き る わ け で、 具
体 的 に は 後 出 の、 第 四 行 の 。智合 巴 。ヒ と 第 六 行 の 昌 の 愚 盲 の の対 格 形 ק §
修 正 の テ キ スト を 試 訳 す る と 、 ﹁民 会 決 議 。 最 初 に 領 土 を 占 取 し 町 の城 壁 を 築 き た る 者 は 、 選 り 抜 き の地 を 得 べ し 。
彼 等 は 城 壁 を 築 か れ た る 町 の選 り 抜 き の宅 地 を 菜 園 と 共 に 得 べく 、 ま た ⋮ ⋮ ﹂ と い う 具 合 に、 決 議 冒 頭 に 先 ず 、 最 初
の 入 植 者 を 特 別 に 優 遇 す る大 原 則 を 謳 い あ げ 、 次 に 市 域 内 の宅 地 、 そ し て市 域 外 の 田 園 の農 地 へと 視 点 が 移 って い く
の で あ る 。 現 行 テ キ ス ト を ﹁最 初 の占 取 者 は 選 り 抜 き の 土 地 を 得 、 町 に 城 壁 を 築 い た の ち 城 壁 を 築 か れ た る 町 の 選 り
抜 き の宅 地 を 一筆 ず つ得 べ し 、 ま た ⋮ ⋮ ﹂ と い う 風 に 解 釈 し よ う と す る な ら ば 、 視 点 が 田 園 か ら 市 域 に 、 そ し て再 び
田 園 へと 忙 が し く 動 き 廻 る こ と に も な る の で 、 整 合 性 に 欠 け る 所 大 と 言 わ ざ る を 得 な い 。
土 地 問 題 の 研 究 に は し ば し ば 引 用 さ れ る 重 要 な 碑 文 で あ り な が ら 、 筆 者 の 知 る 限 り で は ク ラ フ ェン バ ッ ハが 第 五 行
の改 読 を 試 み た (
已㎏(取 ×∼N
H
H9−q⊃OO"口O"ω−
N) だ け と い う のも 一寸 奇 妙 で あ る 。 筆 者 の 一人 よ が り の見 損 じ が あ る の
か、 不 安 を覚 える次 第 であ る。
最 後 に 問 題 に し た い の は太 田 秀 通 ﹃東 地 中 海 世 界 ﹄ の土 地 制 度 の変 容 に 関 す る 史 料 の取 扱 い 方 で あ る 。 太 田 氏 は ア
テ ネ を 例 に と り な が ら 、 ポ リ ス共 同 体 国 家 の本 質 的 特 徴 の ひ と つと し て、 ﹁ポ リ ス共 同 体 を 前 提 と す る 分 割 地 農 民 の
(
成 員 は そ の 一定 の 使 用 権 を も
(
及 び 共有 地 ) が 量 的 にど の よ う な
私 的 土 地 所 有 と 、 ポ リ ス共 同 体 な ら び に 下 部 の デ ー モ ス や フ ラ ト リ ア な ど の 公 有 地
つ) と か ら 成 る の を 原 則 と し て い る﹂ (二 〇 八 頁 ) と 指 摘 す る 。 私 有 地 と 公 有 地
関 係 に お い て バ ラ ン ス が 保 た れ て い た か は 、 土 地 台 帳 も な い ポ リ ス社 会 の こ と ゆ え 知 る 由 も な い が 、 ど ち ら か の方 向
47
2
へ必 要 以 上 に偏 る こと が あ れ ば 、 そ れ は ポ リ ス社 会 の構 造 的 危 機 を 招 来 す る こ と に な る で あ ろ う 。 太 田 氏 は 岩 田 拒 郎
氏 の研 究 成 果 を 踏 ま え て、 公 有 地 の私 有 地 化 の 現 象 に 注 目 し て ﹁ヘレ ニズ ム 時 代 ・ ロー マ時 代 を 通 じ て こ の よ う な 共
同 体 自 体 の構 造 変 化 の 兆 し が ど う な って い った か は 、非 常 に 興 味 あ る 問 題 で あ る ﹂ (二 二 五 頁 ) と 関 心 の方 向 を 明 示 さ
れ る 。 だ が 、 二 九 一頁 で は ﹁こ の線 上 に お け る 変 化 が ヘレ ニズ ム時 代 に ど う な った か は 分 ら な い ﹂ と の記 述 に 突 き 当
り 、 史 料 情 況 の厳 し さ を 知 ら さ れ る 。 だ が 、 ロー マ時 代 に 至 る と 、 太 田 氏 は ﹁ポ リ ス の共 同 体 的 土 地 所 有 に 一定 の変
化 が 起 こ った こ と を 示 唆 す る ﹂ (三 七 〇 頁 ) も のと し て、 後 二 二 ニ世 紀 の テ ィ ス ベ に お け る 公 有 地 ・神 殿 領 賃 貸 の碑
文 史 料 O↑
口塞 審 品 。
♪ 砺お 、c。。
。ト を 克 明 に 紹 介 さ れ る 。 太 田 氏 は 公 有 地 賃 貸 に お け る 永 代 借 地 権 の設 定 が こ の 碑 文 の文
面 に 現 わ れ て い る こ と に 注 目 し 、 こ れ を も って ポ リ ス共 同 体 の構 造 変 化 の 証 拠 の ひ と つと す る 。 し か し 、 そ こ に 訳 出
さ れ て い る テ ィ ス ベ碑 文 の 訳 文 は 伸 々に 難 し い (三 七 一ー 二 頁 )。 太 田 氏 は 自 分 な り に 規 定 を 六 つ の 条 項 に 分 け て 訳
出 す る が 、 永 代 借 地 権 設 定 云 々 は 、 氏 の 第 六 条 項 に 当 る ら し い 。 氏 の 訳 文 は こ う な って い る 。
﹁(
六 ) も し法 定 相 続 人 (
実 子 の 意 味 か ?じ の な い 誰 か が 遺 言 を 残 さ ず に 死 亡 す れ ば 、 そ の土 地 は 彼 の財 産 の実 際 の
相 続 人 と ポ リ ス と の双 方 の所 有 と な る べき こ と 。
﹂
﹁双 方 の所 有 た る べ き こ と ﹂ と は ど う い う 状 況 を いう の か ?
ヘ
シ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
シ
ポ リス
誰 し も 困 惑 せ ざ る を 得 な い。 永 代 借 地 権 の問
こ の よ う な 文 章 が す ぐ 理 解 で き る 人 は ま ず 居 な い で あ ろ う 。 ﹁実 際 の相 続 人 ﹂ と は 一体 誰 な の か 、 法 定 相 続 人 と の 関
係は?
題 ど こ ろ で は な い 。 だ が 、 そ の条 項 は 次 のよ う に 試 訳 す る こ と が で き る 。
﹁も し 何 ぴ と か 法 定 相 続 人 を 欠 き 、 か つ遺 言 状 を 遺 す こと な く 死 亡 せ る 場 合 は 、 双 方 の側 の 事 由 に よ り 、 国 家 が
自 ら の財 産 の相 続 著 た る べき こ と 。﹂
傍 点 を 付 し た 難 解 の箇 所 に つ い て は デ ィ ッテ ン ベ ル ガ ー の ラ テ ン 語 付 注 が あ り 、 ① 公 有 地 賃 借 側 の 事 山 ‖ 法 定 相 続 人
た ち の欠 如 、 ② 国 家 の側 の 事 由 11 貸 与 に 出 さ れ た 土 地 は そ も そ も 国 家 の 財 産 で あ る 、 と 説 得 力 の あ る 説 明 が 加 え ら れ
て い る 。 要 す る に こ の条 項 は 、 公 有 地 賃 借 側 に 正 当 な 相 続 人 を 欠 く 場 合 、 当 該 貸 与 地 に つい て 収 公 の措 置 の と ら る べ
き こと を 規 定 し て い る の であ って 、 公 有 地 の な し く ず し の私 有 地 化 を 防 止 し た も の と 解 せ る の で あ る 。 永 代 借 地 権 が
一条 項 に よ って 設 定 さ れ る の で は な く 、 無 言 の前 提 に な って い る点 こ そ が 注 目 さ れ ね ば な ら な い 。前 四 世 紀 の有 名 な
脇
ヘレ ク レ イ ア神 殿 領 賃 貸 碑 文 冒 ・。
・
仲
。由 ‖ 。崇 自 知黛 署 § i 鐸
2ρ 目
の永代 賃 借 契約 にお け る諸 規定 と
の 比 較 が な さ れ て然 る べき であ った 。 筆 者 に と って は 、 テ ィ ス ベ碑 文 の場 合 、 非 市 民 が 徹 底 的 に 奢 地 利
用 か ら排 除
さ れ て い る こ と (太 田 氏 の 第 五 条 と 第 六 条 の間 に は 、 実 は こ の点 に 関 係 す る 重 要 な 条 項 が あ る が 、 氏 は そ れ を 完 全 に
見 落 し て い る) と 、 反 面 、 私 有 地 に 関 し ては 、 抵 当 権 設 定 な ど の不 動 産 所 有 に 関 わ る 権 利 能 力 の行 使 に お い て、 非 市
民 が 別 段 制 限 を 受 け て い な か った こ と を 裏 書 き す る 条 項 (太 田 氏 の 第 五 条 ) は 、 ポ リ ス の時 代 が 既 に 過 去 のも のと な
った こ と を 示 唆 し て 興 味 深 い 。
太 田 氏 は 古 典 古 代 的 生 産 様 式 の ギ リ シ ア 世 界 に お け る粘 り 強 さ を 指 摘 し て、 ビ ザ ン ツ時 代 の ﹁農 民 法 ﹂ に ま で 到 達
す る が 、 正 直 の と こ ろ も う つ い て 行 け な い。 太 田 氏 の 学 問 的 熱 意 に 圧 倒 さ れ る ば か り で あ る が 、 た だ 一点 、 ﹁
農 民法 ﹂
第 一二 条 の葡 萄 栽 培 の農 業 労 働 に つ い て 氏 が 大 変 な 誤 解 を し て お ら れ る の で、 こ れ を 正 し て お き た い 。 氏 は こ の 条 項
の 後 半 を ﹁(
葡 萄 樹 を ) 適 切 に 勇 定 す る こと な く 、 掘 り 返 し 、 囲 い こ ん で 再 び 掘 り 返 し た ば あ い は ・ 生 産 物 か ら 何 一
(
傍 点 引 用 者 ) を 意 味 す る か 分 ら な い と し つ つ・
つ受 け 取 って は な ら な い も の と す る ﹂ (四 三 一頁 ) と 訳 出 す る が 、 こ れ で は 勢 定 以 外 の事 柄 は 禁 止 の対 象 に な って し
ま う 。 と こ ろ が 、 四 三 九 頁 注 60 では 、 こ れ ら が 具 体 的 に ど ん な 仕 事
葡 萄 栽 培 に と って助 走 が 最 も 重 要 な 労 働 で あ った こ と が 分 る と す る 。だ が、 ヘ シ オ ド ス (
憩
σq㊤ Oご {
× ア モ ルゴ ス神 殿
領賃貸碑文 (
栖お ω⑩Φω台c◎輪)
、 先 程 挙 げ た ヘラ ク レ イ ァ 碑 文 (
↑ ↑ 一ぺωS
) に は な す べ き 仕 事 と し て樹 の根 元 ま わ り の 土
﹁果 樹 の女 王 ﹂ で あ る の に対 し て 、 葡 萄 は 最 も 世 話 の や け る 果 樹 で あ った の だ
の掘 り 起 こ し 、 土 砕 き 、 土 寄 せ の こ と が 記 さ れ て い る 。 基 本 の用 語 は 寒 § e8 ︿ 編 § N
o
ざ で あ り 、 こ れ ら は ロー マ
の肇 書 に言 う Q忠 QQ§ s
へ
。 や 達 ミ に 相 当 す る 。 そ し て 、 ・。ぎ 爵
O こ ・↑ミ §
・
.×H
声
言 は 扇 萄畑 には 掘
る こと の終点 は な い。事 繁 く掘 れ ば 掘 るほ ど収 穫 が 大 き いのだ﹂ と語 る の であ る。 コル メラ に言 わ せ れば ・ オ
リ ーヴ
(
O ・ ヵ・
樹 が最 も 手 のか から な い
知黛句
叫へ
へ経"<
Mべ 声)
。
.
助 走 だ け が葡 萄 栽 培 の重 要 な 労 働 と 見 る の は と ん で も な い 。 厳 し い乾 燥 の た め 固 く 締 って 手 強 い
土 と の苦 闘 が 、 地 中 海 地 域 の直 接 生 産 者 た ち に 絶 え ず の し か か っ て い た 宿 命 な の で あ る 。
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