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菅原裕典
TO P 一般社団法人 内外情勢調査会 [会報誌] ■特集1 脱デフレ・ 野党分断の二刀流 —安倍戦略 ■特集 2 LNG「ジャパンプレミアム」 を解消するためには ■トップインタビュー 株式会社清月記 代表取締役社長 菅原裕典 2 February 2013 Vol. 71 2013 年 ( 平成 25 年 ) 1月25日発行 ( 毎月1回 25日発行 ) 第 6 巻第 11号 ( 通巻 71号) INTERVIEW TO P 「人々が知らない葬儀の世界」 を 丁寧にアドバイス 1985 年に創業した株式会社清月記は、仙台市内と周辺地域および石巻市で葬祭会館 15会館と せいげつき 「ぶつだんギャラリー」4 店舗、ケータリング・フードサービス事業を運営する葬儀社です。仙台圏で の葬祭業者としては最後発の参入でしたが、事業規模、売上額では北関東以北でトップクラスにま で成長を遂げました。小学校5年生からこの職業に携わってきたという菅原裕典社長は、突然の死 に見舞われる人々の戸惑いを数多く見てきました。 「パーフェクトではない」と言いながらも、人の死の 荘厳の在り方を見つめてきた経験から 「生まれ、婚姻し、子を産み、死んでいく」という、その最後の儀 式を重視するとともに 「最後儀式」を明るい集いに変えることも念頭に入れています。 「生命(いのち) の物語」応援会社として、地域のニーズに応える菅原社長に話を伺いました。 学生の頃から葬儀社を立ち上げることを 考えておられたそうですが。 菅原/父親の実家が葬儀社を営んでいて、学 生 の 頃、 1 日 働 く と 5 0 0 円 も ら え ま し た。 結局、大学生まで手伝いをして、高校の文集 に「将来は葬儀社になる」と書いて教師に驚か れたこともありました。その後、名古屋の葬 儀社に 年間の修業に行き、戻ってから起業 しました。真っ先に電話で褒めてくれたのも、 その先生です。このとき、葬儀という仕事は、 とても大切なものだと改めて思いました。 菅原社長にとって、葬儀という仕事はど ういうものなのでしょうか。 菅原/創業した当時はまだ業種自体があまり よく見られていなかった時代です。なぜ、そ んなイメージで見られなければならないのか と疑問でした。社会は人によって支えられて います。その人の人生のいろいろな節目、お 祝い事、そしてうれしいことも悲しいことも 人生です。人が亡くなったときの最後のセレ モニーを忌み嫌う人たちの気持ちが分からな かったですね。葬儀という仕事は家族を亡く した方から、葬儀のお金を頂戴し、しかも本 ◎インタビュアー 時事通信社仙台支社 編集部長 Masato Kakihara 菅原/1985年3月に創業しましたが、 年に仙台市内に初めて「葬祭会館 清月記」を 社名である「清月記」の意味を教えていた だけますか。 菅原/家族を亡くした人々には、突然の人も いれば、ある意味では年齢的にそういう時期 が来た人もいます。しかし、その場面を迎え て「待っていました」という人はいません。核 家族化するとなおのことです。われわれ葬儀 社の役割は、ある意味でコーディネーターで あり、アドバイザーであったりするわけです。 私 が こ の 仕 事 を 始 め た 頃 と は 様 変 わ り し て、 精神的にも判断する能力を含めて、いかにプ ロフェッショナルとして、葬儀から各おまつ り ま で が で き た か と い う こ と も 問 わ れ ま す。 それは「清月記」だからできたと思われること であり、つまりは葬儀社とは究極のサービス 業だということなのです。 葬儀社としての「清月記」と他の葬儀社と の違いは。 当に深々と頭を下げてもらえます。こんな高 貴で素晴らしい仕事はありません。 柿原雅人 92 1 4 February 2013 J 2 TOP 株式会社清月記 代表取締役社長 菅原裕典 Hironori Sugawara 写真/田口元也 ( 時事通信社仙台支社編集部) 5 J 2 TOP February 2013 INTERVIEW TO P オープンしました。「清月記」という名はいろ い ろ な 思 い の 人 が 集 う と い う 意 味 で の「 記 」 と、昔よく聞いた「おじいちゃん、おばあち ゃんは月に行くんだよ」という話から月は清 浄なところという意味の「清」と「月」です。 そ れ と 今 は あ り ま せ ん が、 村 八 分 と い う 言 葉 を 覚 え て い ま す か。 か つ て 村 の 掟 に 従 わ な い者に対し、村民全体が申し合わせて、その 家 と 絶 交 す る こ と で す が、 十 の 共 同 行 為 の うち火事と弔いの二分は除かれました。それ で弔いの時は皆が清浄になるということから 「清」と名付けたのです。 既存の葬儀の在り方について、何か疑問 を持つような点がございましたか。 菅 原 / ま ず、 一 生 の う ち で 葬 儀 と い う 商 品 を 何 回 も 買 う こ と は あ り ま せ ん。 葬 儀 に 何 度 参 列 し て も、 喪 主 に な っ た り 施 主 に な っ た り す る 経 験 は ほ と ん ど な い の で す。 つ ま り 消 費 者 の方々は葬儀の比較ができません。そのため、 お 客 さ ま が こ れ を や っ て ほ し い、 こ う い う こ と も し て ほ し い と は 言 え ず に、 業 者 に 言 わ れ る ま ま 葬 儀 を 行 う こ と も 多 い の で す。 で も、 終 わ っ て み る と、 な ん と な く 不 満 が 残 っ て し ま う こ と も あ る か も し れ ま せ ん。 こ れ で は お 客さま主導ではなく業者主導になってしまう のでは、という疑問を持ちました。 われわれもパーフェクトではありません が 、「 清 月 記 さ ん だ っ た ら 私 た ち の 思 い を 汲 んでしっかりサポートしてくれるはず」と期 待 さ れ て い ま す。 こ う し た 声 に 真 摯 に 向 き 合い、社員教育に力を入れています。しかし、 葬儀は2011年3月の東日本大震災のよう な災害で急にお亡くなりになってしまった方 もいれば、若くして亡くなる方など、決して 一つのマニュアルで対応できるものではあり ません。 葬儀はだいたい 年、 年に1回、その家 で 営まれるのですが、その後は ~ 年空く のが普通です。平均的にいえば大体 年に1 回でしょうか。ですから私は「あのとき、お 世話になった清月記の誰々さんにまたお葬式 をお願いしたい」と、言われるようなお手伝 い を す る こ と で、 消 費 者 の 不 利 益 に な ら ず、 利益につながるサービス展開を目指そうとい う思いを常に持っています。 社員教育の心得は何でしょうか。 20 17 30 現在、規模では北日本でトップになって いますが、他業種への進出などを考えておら れますか。 菅原/お客さまが要求してくることには決し てノーと言わない会社であり続けることで す。 「清月記」なら私の気持ちを必ず汲んでく れるだろうと思って電話してきてくれたお客 さまに「うちはできません」と言ったら、もう この会社は廃業した方がいいと思います。例 えば、ニューヨークの知人が亡くなったので 花を届けてほしいという依頼があったとしま す。 「できません」と言ったら、その人は葬儀 の依頼も「清月記」にはしてこないでしょう。 われわれにとって、この地域の人すべてがお 客さまなのです。 20 菅原/M&Aについては地域の1番をという 点が頭にあります。いつも社員に言っている のは、われわれはビジネスだから、そこで利 益をどうやって得るかが大事です。手前みそ ですが、われわれが関東以北、北海道も含め てこの地域でどう事業を展開していくかに関 わっています。ただ、当社の事業戦略や物品 まで、すんなりと使えこなせるものではない とも思っています。 それとともに日本で一番住みやすい町とし て 、仙台を魅力ある町にしたいですね。どん な 業 種 で も 日 本 一 が こ の 仙 台 に 存 在 す れ ば、 きっと素晴らしい町になりますし、われわれ は仙台を基盤として120~130万人の商 圏があるわけで、私はこよなく仙台を愛して おりますから。 ここまでの会社の歩みを振り返っていた だけますか。 菅原/やはりわれわれの仕事は第一印象で す。お客さまのところで葬儀のお世話をする わけですから、まずは身だしなみを整え、そ して立ち居振る舞いや話し方も大切です。名 古屋の修行時代に教わったことはスーツは黒 の上下で、もし、折り目の入っていないズボ ンを履いていたら「今日はお前は倉庫係」でし た。これは社員に徹底させています。 私も学生の頃から流行の服ではなく、急に 手 伝いのお呼びがかかるので、スーツを着て いました。それで車で駆けつけてすぐにお客 さまの前に出て「このたびはご愁傷さまでし た」とあいさつしていたわけです。 そして、4年前にこの場所(仙台市宮城野 区 )に本社を移転させましたし、今は 歳に 60 15 6 February 2013 J 2 TOP なった時に次の世代へバトンタッチしなけれ ばならないと考えて経営を進めています。 興 味 深 い の は、 エ ン デ ィ ン グ ノ ー ト に 故 人自身が生きているうちにやりたいことを書 く、 自 身 の 葬 儀 に つ い て 聞 く、 と い う 取 り 組 み を さ れ、 さ ら に ラ イ フ ス タ イ ル の 提 案 も な さ っ て い ま す。 明 ら か に 葬 儀 社 の 枠 を 超 え て いると思うのですが。 菅 原 / 一 つ は、 わ れ わ れ の 主 た る 仕 事 は 葬 儀 で す。 文 化 活 動 と し て 仕 事 に は 拡 大 の 動 き も あ り ま す が、 も っ と 大 胆 に 葬 儀 の 活 性 化 を 目 指 し た い の で す。 葬 儀 か ら「 祭 壇 の な く な る 日」ということを私は発想しています。もち ろ ん 故 人 と い う 主 役 は い ま す が、 生 ま れ た 人 間 は 必 ず 死 を 迎 え ま す。 と い う こ と は 近 し い 人はみな悲しむのです。これを現実に受け入 れるときに、どう送るかを考えてほしいので す。黒い服を着て黒のネクタイをして葬儀場 に行くという時代ではなく、平服でお参りし て「よくけんかしたけど寂しいよ、あの世で またやろうな」というイメージです。徐々に そういうお別れ会的な葬儀を広めていきたい と考えています。 私は人生をどこまでと言ったときには、死 を もって人生を終わるのではなくて、葬儀を 終えるまでが人生だと思っています。葬儀を 考えることは人生を考える、ということにな ります。 そう考えると、葬儀以外の新たなサービス と して、おいしいお茶を出しましょう、踊り はいかがでしょう、こんなボランティアがあ りますよと、ライフスタイルの提案へ広がっ ていきます。 さらに、例えば旅行に行きたいのだけれど、 大 手旅行会社にはない気兼ねなくみんなで行 け る よ う な 商 品 を 用 意 し て い ま す と な れ ば、 これはもう高齢者向けだけのサービスではな くなるでしょう。 つまり、われわれは「ゆりかごから墓場まで」 の 面倒を見るビジネスを目指しています。 信託業務に参入すれば、資産運用や遺言 状の執行など金融業務の受託が可能になりま すが、どういう展望をお持ちですか。 菅原/例えば葬儀でもこれからはお墓がなく なるということもあるかもしれません。ただ、 いろいろなことをお客さまから承る時代が来 るのは間違いありません。この業界にはいろ いろなチャンスがあるわけです。利用したお 客さまは「清月記」は料金が高い、とは絶対に 言いません。その点は自信があります。われ われの仕事は一周忌、三回忌、七回忌、十三 回忌、十七回忌とお手伝いをしている関係で、 不幸にもお亡くなりなってしまった人がいた 時「うちは常備薬のようにすべて清月記にお 願いしたい」と思っていただければ良いので す。ご家族をしっかりアフターフォローする ことによって、その家をずっとサポートする ことができますし、結果として地域のニーズ に応えられると考えています。 それでトータルなライフ・サポーターを 創造されるきっかけが生まれてくるわけです ね。本日はありがとうございました。 J 2 TOP February 2013 7 すがわら・ひろのり 1960 年宮城県塩釜市生まれ。東北学院大学経済学部卒業後、名古屋の葬儀社で 1年間修業。帰仙して1年間の準備期間を経て、85 年 3月に「有限会社すがわら葬 儀社」開業。2001年から現職。10 年 5月 株式会社清月記へ社名変更。