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アメリカはなぜインドに注目するのか - J
[書評] スティーヴン・フィリップ・コーエン著(堀本武功訳) 『アメリカはなぜインドに注目するのか ─台頭する大国インド』 伊藤 融 多くの外部者にとって、「インド」はかつ 本訳書は、上記のようなステレオ・タイプ てもいまも理解しがたい国に思える。ひろく 的な「インド」像をのりこえ、現代世界にお 流布された憧憬としての「インド」像は、多 けるインドの可能性と課題を「純粋に評価」 くの宗教・思想の発祥の地、聖なるガンジス しようという、著名なアメリカ人研究者の野 で祈りを捧げるひとびと、また尊敬されるべ 心的試みである。原著者のスティーヴン・ きマハトマ・ガンディーやマザー・テレサの P ・コーエン=ブルッキングス研究所上席研 もつ道義的高潔さ等で構成される。ジャワハ 究員は、南アジア研究の世界的権威であるの ルラル・ネルーの「非同盟」外交はいうまで と同時に、国務省政策企画部スタッフを歴任 もなく、「世界最大の民主主義」を独立以来 するなど、アメリカの南アジア政策にも影響 維持してきたことも、しばしばその文脈のな を及ぼしてきた。その意味で、堀本武功氏に かで「偉大なインド」像を支えてきた。 よる本訳書によって、はじめてひろく日本の 他方でわれわれは、現代メディアをつうじ 読者にコーエン氏の著書が紹介されることの てもうひとつの「インド」を知っている。そ 意義は大きい。本訳書には、若干の誤植等は こには、路上で施しをもとめる多くの貧しい 散見されるものの、全体としては読みやすく、 子どもや身体の不自由なひとびと、想像を絶 かつインド特有の専門用語が正確に訳されて するほどの不衛生な家屋、カーストによる理 いる。原著(Stephen P. Cohen, INDIA: Emerging 不尽な差別、エスニック紛争やテロなど頻発 Power, The Brookings Institution Press)の初版 する政治的暴力がふくまれる。インド政治を は 2001 年に出版されたものだが、本邦訳に 少しでも知る者であれば、ネルーの娘、イン は 2002 年のペーパーバック版冒頭につけく ディラ・ガンディーの強権政治や 1990 年代 わえられた「9. 11 とインド」を「追補」と の「ヒンドゥー至上主義」の台頭、 98 年の して収録しており、直近の 2002 年印パ危機 インド人民党(BJP)主導政権による核実験、 をも射程に入れた大作となっている。 そして 2002 年のパキスタンとの「核戦争の * 危機」がすぐに脳裏に浮かぶであろう。この コーエン氏によれば、冷戦期のインドはア ふたつの「インド」をどう理解すればよいの メリカにとってそれほど重視すべき国家とは か、外部者はしばしばとまどい、不可知論に みなされていなかった。冒頭でふれた「イン 陥るか、あるいは個別の断片的な知識で満足 ド」像は、この時期からすでに形成されはじ するほかない、と結論づけてきた。 めていた。しかし冷戦後、さらには 9. 11 以 96 アジア研究 Vol. 49, No. 4, October 2003 降、インドは─まだ主要国とはいえないけ 界秩序において圧倒的影響力をもつアメリカ れども─台頭しつつある「大国(power)」 との関係を構築するよう主張する。しかし他 として無視できない存在になりつつあり、こ 方で、シン自身も所属する BJP の大勢とそ の台頭国家にいかに対処していくべきなの 「復 の支持母体である民族義勇団(RSS)は、 か、真剣に模索する必要がでてきているとい 興革命」としてのナショナリズムの必要性を うのが著者の基本的な問題意識である。そし 確信しており、この勢力はむしろ、理念主導 て各章にわたり、インドがどのように変貌を の「ヒンドゥットゥヴァ(ヒンドゥーらしさ)」 遂げてきた (遂げつつある) といえるのかを を外交領域にも確立するようもとめる。著者 詳細かつ包括的に分析している。 によれば、ヴァジパイ現首相こそが、このふ 国内的には、 1980 年代末からインドは、 その民主的枠組みを維持しつつも、政治、経 済、社会の大変動を経験してきた、とコーエ たつの見方を統合させることに成功した指導 者ということになる。 インド内外政策の路線転換にかんするコー ン氏は指摘する。州政治の影響力の増大や、 エン氏の分析は、きわめて明快で魅力的に映 91 年の国際収支危機を契機とした本格的な るが、じつはいくつかの疑問点やあきらかに 経済自由化への動き、カーストやエスニック すべき課題が残されている。第一に、インド 集団間の紛争と暴力の噴出がそれである。同 の戦略エリートのなかには、タカ派的な「強 時に、多数派ヒンドゥー教徒の価値を再生し、 固なインド」とリベラル的な「融和的なイン 国家に反映させようとする「復興革命」は、 ド」、そして世界に対する「教師としてのイ その旗手としての BJP を伸長させ、政治権 ンド」が混在していると著者は指摘するが、 力の獲得に至らしめた。 これら各ヴィジョンのあいだの力点の転換が このような路線の大転換は、外交面におい なにによってもたらされ、外交路線の転換が ていっそう明示的に論じられる。コーエン氏 図られたのかかならずしも明確ではなく、叙 によれば、すでに 1962 年の印中戦争での敗 述的説明にとどまっているように思われる。 北によって、非同盟に代表される「穏健なネ なるほど、インディラの性格やラジーヴの無 ルー主義」は、ソ連への傾斜、バングラデシ 能さ、ヴァジパイの調整力と人気については ュ、スリランカでの武力の使用など、力重視 言及されているが、最高指導者の性格や能力 の、より強硬な「戦闘的ネルー主義」に取っ が決定的要因であったのだろうか。とくにイ て代わられていた。それでも、自助と第三世 ンディラ期に、 「伝統的(穏健な)ネルー主義」 界の連帯を重んじるネルーの遺産は、インデ から「戦闘的ネルー主義」へと転換したのは、 ィラ・ガンディーやラジーヴ・ガンディーに たんに中国に敗北したトラウマによる反動や も引き継がれた。ところが冷戦後は、そのネ インディラの力への妄信に帰せられるばかり ルー主義自体がふたつの新しい立場からの挑 でなく、ネルーのつくりあげた「会議派シス 戦を受けることになったという。ひとつはジ テム」の衰弱と、それにともなう民主主義の ャスワント・シン前外相(現蔵相)らに代表 枠外でのエスニック紛争等の噴出を「国内 される保守的現実主義者からの挑戦であり、 要因」として、より詳細に分析すべきであ これはグローバル経済の意義を重視し、新世 ろう。インディラがパンジャーブなどでお 書評/スティーヴン・P・コーエン著(堀本武功訳) 『アメリカはなぜインドに注目するのか─台頭する大国インド』 97 きている国内の脅威について、 「外国の陰謀」 義」の見地からグローバル経済に積極的に適 を強調した背景には、たんにそう信じてい 応し、アメリカに接近しようとしていること たというだけでなく、「内」に抱える矛盾を も、「復興革命」を掲げる者にとっては裏切 「外」にそらすという合理的・功利的計算も り行為に映る。ヴァジパイと彼のイメージが、 作用していたのではないか。そしてそれは 理念と現実のバランスをかろうじて調和させ 現 BJP 政権にも継承されている手法ではな ているのだとしても、そのあとはどうなるの かろうか。 であろうか。国民会議派が政権に返り咲いた 第二に、現在のインドにおける外交路線の 場合にはどうであろうか。2003 年のさまざ 有力な潮流は、著者の定義する「保守的現実 まなインドの対応─イラク攻撃後の軍派遣 主義」と「ヒンドゥットゥヴァ」だけではあ 問題への慎重姿勢、パキスタンとの対話の拒 るまい。「理念」ではなく「現実」を重視す 否、世界貿易機構(WTO)への異議申し立て る学派のすべてが経済自由化やアメリカとの ─は、インドの「変わらない」部分を示し 協調を主張しているわけではない。2001 年 ている。たとえ一部戦略エリートの認識が変 9 月 11 日以降の一年間に、インド国内では 化しつつあるとしても、国内には「不変」の 自らが悩まされているテロとの闘いをアメリ インドが根強く残っていることを軽視すべき カとともに進め、またこれを機に緊密な印米 ではない。民主主義国における政策決定者は、 関係を構築しようという現実主義(ジャスワ そこに暮らす民衆の審判を受けねばならない ント・シン前外相、ラージャ・モハン・ヒンドゥ のである。 ー紙論説委員ら)がみられたことはたしかだ。 * しかし同時に、そもそも国家というものは自 1998 年のインドとそれにつづくパキスタ 国の国益にもとづいて行動するのだという ンの核実験と核保有宣言は、日本をふくむ国 「現実」を認識すべきであり、印米の国益が 際社会を驚愕させた。これについてコーエン 一致する保証がない以上、インドは自らテロ 氏は、インドが冷戦後の現実上および想像上 との闘いを進めるべきだとして、アメリカへ の懸念(準同盟国としてのソ連の崩壊、中パの核 の依存状況を批判する別の現実主義 ( J ・ 協力の継続、アジア諸国との関係構築の失敗、パ N ・ディクシット元外務次官、ブラーマ・チェラ キスタンが糸を引くインド国内の混乱)を抱いて ニー政策研究センター教授ら)も台頭した。 いたことが背景にあったという。そのうえで、 第三に、インドの内外路線の転換は、はた 「ガンディー」と「非暴力」のインドのイメ して著者が鮮やかに描くほどに劇的、かつ不 ージを一新して国家的アイデンティティを再 可逆的な流れなのだろうか、というより根本 定義しようとする BJP への政権交代が核へ 的な問いがある。著者自身が認めているよう の道を決定的なものにした旨分析する。間違 に、政権獲得後の BJP は、連立政権として いではあるまい。しかしそれは、核実験が の制約と州政治の影響力の増大ゆえに、本来 BJP のみならず国民会議派をふくめた広範な 掲げていたヒンドゥー・ナショナリズムを抑 支持を集めたこと、民衆の熱狂をよんだこと 制し、その中核的な支持者を幻滅させるとい の説明にはならない。核へ向かう決断には、 うジレンマに直面している。「保守的現実主 軍事戦略的事情や BJP の狭量な政治戦略的 98 アジア研究 Vol. 49, No. 4, October 2003 道具としての側面だけでなく、現代世界にお があるかぎり、パキスタンは強大なインド軍 いて長いあいだ「インド」が正当な認知と評 をカシミールに釘付けにしておくことができ 価を受けてこなかったことに対する憤りとし る。他方、政教分離主義を掲げるインドにと てのナショナリズムを読みとる必要があろ ってもムスリム多住州のカシミールを手放す う。 ような解決策は受け入れられないし、パキス しかし「核保有」は、著者によれば、イン ドの実際の安全保障の向上に寄与するものに はならなかった。いまやインドの安全保障は、 タンの破綻による域外国の介入は避けたいと 考えているにちがいないからだという。 正鵠を射た分析である。しかし、印パ両国 インドにとってまったく信頼のおけないパキ にとってなぜ紛争解決よりも現状維持のほう スタンの命令系統に全面的に依存せざるをえ が魅力的に映るのかについては、いっそう内 なくなったからだという。客観的にみてこの 政的な視点が必要だと思われる。具体的には、 指摘は正しい。しかしインドの戦略エリート インドからみれば、現状のパキスタンとの関 自身は、この危険性を国際社会ほどには認識 係は、前述した国内紛争の外部化に好都合で しておらず、印パ間でも米ソ間にみられたよ あるばかりか、パキスタンとムスリムの脅威 うな核抑止体制が機能すると信じているよう 論を促進することで、「復興革命」勢力の台 に思われる。ここには、国際社会とのあいだ 頭に役立つ。パキスタンにとってもそれは、 に大きな認識の溝がある。 大きな影響力をもってきた軍や諜報機関 * (ISI)の存在意義を立証してくれるとともに、 このような核対立にまで至った印パ関係 ムスリム国家としての再確認をしきりにもと と、その根本にあるカシミール問題は本訳書 めてくる国内宗教勢力の政権攻撃をかわすこ においても詳しく論じられている。コーエン とに貢献するからである。このようにいえば、 氏によれば、インドはより小さなパキスタン そもそも印パに紛争解決への意志があるのか に対してあらゆる面で妄想的脅威を抱いてお 疑問視せざるをえなくなるかもしれない。し り、パキスタンとの関係から逃避しようとし かしこのような内政上の分析こそが、印パに たり、パキスタンを悪魔のようにみなすやり おいていったいどの組織や勢力が印パ紛争の 方から、武力行使に至るまでさまざまな戦略 継続、あるいは悪化に利益をみいだし、だれ をとってきたが、いずれも紛争の解決をもた が紛争の解決を望んでいるのかをあきらかに らすことはなかった。印パ間の領土紛争とし してくれるはずである。国際社会にはなにを てのカシミール問題にくわえて、1990 年代 目的とするものであれ、紛争への関与のまえ にはインドの国内紛争としてのカシミール問 に、こうした冷静な分析こそがもとめられて 題が暴力化し今日に至っている。パキスタン いるのではなかろうか。 によるとされるインド国内反乱分子の支援 「追補」で述べられているとおり、インド は、インドのパキスタンに対する脅威感をよ は 2002 年にはパキスタンに対してだけでな り強めた。しかし著者は、現在の手詰まり状 く、国際社会に向けて「威圧的外交」をおこ 況が、じつは印パ両国にとっては解決よりも ない、結局アメリカをつうじてパキスタンに 魅力的なのではないかと看破する。紛争状況 インドへの「越境テロ」停止を誓約させるこ 書評/スティーヴン・P・コーエン著(堀本武功訳) 『アメリカはなぜインドに注目するのか─台頭する大国インド』 99 とに成功した。著者は、インドがこのとき国 取り扱うべきだと著者は主張する。とくに著 際社会に対して、先の核実験を思い起こさせ 者の提案する具体策のなかで注目されるの るような手法で危機をわざと深刻化させたの は、カシミール問題が解決の途につけば、ア だと指摘する。非常に興味深い見方であるが、 メリカとしてはインドの国連安全保障理事会 インドがどの時点でどれほど、また前述した 常任理事国入りを認める用意があるとの立場 ようにだれが、そうした危機の創出を目論ん を示しながら、カシミール問題の解決につい だといえるのか、パキスタンの場合はどうで て「低姿勢」で印パに促しつづけるという政 あったのか、より実証的な今後の研究が期待 策である。もし印パが両国間での対話に応じ される。 なければ、アメリカが可能な分野において、 * インド、パキスタンそれぞれと個別に二国間 本訳書の最大の力点はやはり印米関係にお 関係を構築していけばよいという。アメリカ かれているといってよい。現在、インドでは はこのように「台頭するインド」とのあいだ アメリカを脅威とみなす路線はほぼ放棄され で、同盟でも敵対でもない中間的政策を採用 つつある一方、アメリカにおいても核実験の すべきだというのが著者の結論である。 実施が皮肉にも核をめぐる印米対立を後退さ この政策提言はいうまでもなく、アメリカ せるとともに、インド系移民の存在等によっ に長期間におよぶ慎重かつ地道な関与をもと て印米間には強いリンクが形成されつつある めるものである。「ネオコン」の影響力も指 とコーエン氏は指摘する。おそらくこの点で 摘される現ブッシュ政権に、それが可能なの は、アメリカと日本の事情は大きく異なると か疑問視する向きもあろう。しかしその責任 思われる。われわれが、「危険な国」として はアメリカのみに帰せられるべきではあるま の「インド」像にいぜんとしてとらわれてい い。なるほど、アフガニスタンやイラクに対 るのとは対照的である。 してみせたような威圧と強制による「解決」 もっとも、著者も現在までのアメリカの対 ならば、アメリカにしかできないかもしれな 印政策に満足を示してはいない。そもそも印 い。しかし著者のいう「低姿勢」での関与は、 パ紛争へのアメリカの関与は、紛争解決とい 軍事的措置をとることを意図したものではな うよりも核の脅威に迫られた危機管理という いし、かならずしも圧倒的軍事力を背景にし べきであったが、それにしても限定的・散発 なければならないものでもない。印パ間の信 的な関与にとどまってきたというのが著者の 頼醸成措置─国家レベルのみならず市民レ 見方である。この点については、はたして ベルの─を直接、間接に支援すること、ま 2002 年に経験させられた「核戦争の危機」 た両国とのあいだのパイプを形成しておくこ が、アメリカのこれまでの姿勢を転換させる とは、さまざまな国や組織が、互いに調整し までに至ったのかどうかを検証することが今 ながらもそれぞれのやり方で追求可能なので 後の課題となる。 はなかろうか。問題は、新たな危機に直面す アメリカは、戦略的にインドと同盟を組む には時期尚早であるが、インドを「台頭する 大国」として、最も重要な国のひとつとして 100 るまえに、そうした関与にわれわれが利益を みいだせるか否かであろう。 最後に指摘しておかねばならないのは、原 アジア研究 Vol. 49, No. 4, October 2003 著のタイトル、および訳書のサブタイトルと れは冒頭で言及したように、著者がたんなる なっている「台頭する大国インド」とは、そ 研究者にとどまらず、アメリカの政策への影 もそもいかなる意味においてそういえるの 響力をもち、また学界のみならずひろく言説 か、という根元的な問いである。著者のいう 形成にかかわっていることと無縁ではないだ 「インドの台頭」とは、インドの視点や世界 ろう。本訳書は、そのような認識のもとに、 全体の視点からのものというよりも、正確に アメリカにとってインドがどう映っているの は「アメリカにとってのインドの重要性の台 かという視点から読まれるべきである。 頭」を意味しているのではあるまいか。換言 すれば、インドの台頭とは、インドがアメリ カにとって「都合のよい国」になりつつあり、 (明石書店、2003 年 8 月、四六判、 576 ページ、定価 2980 円[本体]) (いとう・とおる 在インド日本国大使館 専門調査員) またそうしうるということではないのか。こ 書評/スティーヴン・P・コーエン著(堀本武功訳) 『アメリカはなぜインドに注目するのか─台頭する大国インド』 101