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聖アウグスティヌスと古代ギリ シャの音楽

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聖アウグスティヌスと古代ギリ シャの音楽
平田 公子:聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽観
63
聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽観
平 田 公 子
序
音楽とは何かを探求する時,ハンスリックの自.
1 管楽の由来
1巫ヨ
律的音楽美学によって出発した,近代以降の音楽
ギリシャ人は,ムーシケー(m丘sik6)を,ど
美学は,常に,音芸術を,そして,音芸術の美的
体験を対象として考察してきた。しかし・音楽並
のように理解していたのだろうか。これについて
は,プラトンの「アルキビアデス」が明確にして
びに音楽観も・人類と共に歩んでいるのであり・
くれるであろう。
ヨーロッパの中世において,音楽は,7自由学芸
「ソクラテス:……まず,第一に,キタラをひい
(septem a就es liberales)の数学的な一学問で
たり,歌をうたったり,歩調をととのえたり
あった。
することが,それに属する,技術というのは
そして,アウグス.ティヌス(A。Augustinus
何かね。総称して,何と,呼ばれているのか
細レ430)によって主に問題とされている音楽
学的な一学問としてのムジカ(musica)である。
ね……
アルキビアデス:どうもできません。
ソク:……その技術を・つかさどる女神たちが
この小論においては,アウグスティヌスの音楽
おられるのだが,それは,どなたかね。
観の源を,古代ギリシャ,特に,ピュタゴラス
アル:ソクラテス,あなたの言われるのは・ミ
派,プラトン等の音楽観の流れの中に探りたい。
ューズ(ムーサ)の神々のことですか。
ソク:そうだとも。……その技術は,この神々
も,芸術としての音楽ではなく,7自由学芸の数
ところで,アウグスティヌスは,全思想形成に
おいても,音楽観においても,直接に,ピュタゴ
ラス派,あるいは,プラトン等の著作からという
にちなんだ,名前をもっているのだが,それ
よりは,古代の最後に位置する新プラトン派,新
アル:ミュージッダ(ムーサのわざ)というの
ピュタゴラス派等を通じて学ぶところが多かった
を,言おうとしておられるように,ぼくは,
く であろう。しかし,彼の音楽観を全体として眺め
る時,彼の音楽観の本質の最大の源は,ピュタゴ
は,何かね。
(1)
思いますが」
このように,プラトンによれば,ムーシケー
ラス派,プラトン等の音楽観であると考えられ
は,キタラを奏すること,歌をうたうこと,そし
る。アウグスティヌスは,これら,ピュタゴラス
て,きまった歩調の踊りの未分化の統一であり・
派,プラトン等の音楽観を吸収し,包括しつつ,
しかも,ムーサイ女神に由来していることにな
新たなキリスト教的音楽観を形成し・新しい時代
る。そして,ここにおいて,ムーシケーがムーサ
イ女神に由来するということは,取りも直さず,
の基礎を築いたのである。
方法としては,詳細な分析によるのではなく・
ピュタゴラス派,プラトン等の流れと,アウグス
ティヌスとを,概括的に並置することによって・
比較的自由に比べたい。
ムーシケーに含まれるキタラの演奏,歌,踊り
が,ムーサイ女神の活動を意味するものであるこ
とになる。そして,このようなムーシケーに含ま
れる活動は,人間の力のみで学ぶべきものではな
く,ムーサイ女神から人間への恩恵として与えら
(1)E.Abert:Die Mu8ikanschaumg des MitteIa1一
れるのである。ムーサイ女神によって捕えられた
人は,歌人,すなわち,予言者となり,特別な方
㈱und髄ロ℃Gru皿dhgeロ,Tu個蛭ロg,1964.
法で,ムーサイ女神に結び付けられるのである。
注
64「
福島大学教育学部論集 30号の2
歌人は,彼自身の体験を述べるのではなく,神的
な力によって述苓させられるのである。
ヘシオドスの一「神統記」によれば,青々とした
1978−11
このことを次のように述べている。「すべての神
々のなかで精神のいちばん覚めきρた神であるア
ポローンの歌は恍惚とした魂から夢幻のごとく立
オリーブの枝を与えて,ムーサイ女神が,ヘシオ
ち現われるのではない。はっきりと見定められた
ドスに美しい歌を教えたのである。それによっ
て,今まで無学であった牧人が歌人となり,r起
こるべきこと,そして,過去に起こったこと」を
的,すなわち真理にむかってまっすぐ飛んでい
(2)
く。…(中略)…アポローンの音楽から鳴り響く
ものは神的認識にほかならない。…(中略)…混
告げ,予言者として活動するのである。すなわ
沌としたものは形をなし,妖怪の類もその拍子に
ち,教養のない牧人が,ムーサイ女神の霊感にあ
ずかり,神の霊感の下において,予言者として語
合わせて歩みを整え,互いに競い合うものが相擁
らせられるのである。
ところで・・このような神的な霊感は,人間を越
えた知識であり,神に満たされた予言者,歌人の
して調和へと進まざるをえない。このようにし
て,この音楽は偉大なる教育家であり,世界と人
間の生活とにおけるマ切の秩序の根源にして象徴
(6)
なのである。」
(3,
熱狂である。プラトンはrイオン」の中で,ムー
サイ女神による,詩人(歌人)と,その聴き手へ
の熱狂的な作用を,磁鉄石との比較によって,次
のように表わしている。「ミューズの女神もまた
人々を自らの手で・入神状態にして・この入神状
態になった者たちの手を経て,霊感を吹き込まれ
ヒウグステイヌス1
さて,ムジカの由来についてのアウグスティヌ
スの考えは,常に同じというわけではなく・・著作
の年代によって異なっている。これは,古代ギリ
シャ的な教育を受けたアウグズティヌスが,徐々
(4)
た他の人たちの鎖ができあがる。」
に,キリスト教的色彩を濃くすることのためであ
更に, 「パイドロス」においても,ムーシケー
る。
は、神的な霊感と熱狂によらない限り,人間の力
のみでは学びえないことを述べている。「……第
三番目に,ムウサの神々から授けられる,神がか
りと狂気とがある。この狂気は,柔かく汚れなき
まず,「秩序論」において,ムジカは,音の背
後に存在する数関係の法則に基づいているという
ことから,次のように述べられている。「精神が
魂をとらえては,これをよびさまし,熱狂せし
見るものは,常に現存していて不滅であり,数
(nume而) も,この種のものと考えられてい
め,抒情のうたをはじめ,その他の詩の中に,そ
たのである。しかし,音は,感覚的なものであ
の激情を,詠ましめる。そレて,それによって,
り,過去に流れ去り,記憶に刻まれるので,ここ
数えきれぬ古人のいさおを言葉でかざり,後の世
において,…(中略)…ムーサイ女神たちは,ジ
の人々の心の糧たらしめるのである。けれども,
ュピターと女神『メモリア(記憶)』との娘であ
もし,ひとが,技巧だけで,立派な詩人になれる
るという,理性にかなった物語がつくられた。そ
ものと信じて,.ムウサの神々の授ける狂気に,あ
して,ここから,感覚と理性との両方にあずかる
ずかることなしに,詩作の門に至るならば,その
人は,自分が,不完全な詩人に終わるばかりでな
この学科は“ムジカ”という名を得た」(De
(7}
ordine n,XW,41)
く・正気のなせる彼の詩も,狂気の人々の詩の前
(5)
には」光を失づて,消え去ってしまうのだ」
しかし,後に,アウグスティヌスは,「再論」
・しかし,このムーサイ女神による熱狂は,決し
て,放縦でデュオニュソス的なものではない。と
神と言ったことに対して不満である」(Retmcta・
において,「たとえ冗談にしても,ムーサイを女
いうのは,ム」サイ女神達は,他ならぬアポロン
tio鵬sI,III,2)と述べている。更に,rキリ
スト教の教えについて」においては,次のように
の援助者として・神託神アポロンが,キタラを奏
述べられている。「9人のムーサイ女神をジュピ
するとき,そのかたわらで,歌い踊るのであるか
ら。アポロン的なムーシケーは,活気に満ちては
注目に値しない。この誤りを,ヴァロが論駁した。
いるが,静かなキタラ伴奏による踊りと歌であ
ターとメモリアの娘にした異教の迷信の誤りは,
一・
i中略)…彼は,次のように述べている。すな
り,神的な真理を’告げるものとして,すべての秩
わら,ある都市一私は,その名前ゑ知らな℃歩
序の源と考えられているのである。オットーは,
一が,アポロン神殿に奉納と.して配置するため
平田公子:聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽鏡
に,3人の芸術家に,ムーサイ女神のβつの像を
注文した。そして,3人の芸術家の中の,最も美
(5)Id.藤沢令夫訳 パイドロス2廠
しい像を作った人かち買わ剃る予定であった。し
かし,3人の芸術家漉.。みんな,彼らの作品を同
じように美しく創造し準。それ故,すべて,9っ
171.
の作品が,市民に与えられて,アポロン神殿のた
あに,奉納品としで買い上げられた。詩人,ベシ
オドスが後になって,これらの像に名前を与え
た。」(De d㏄面na chhstiana H,XVII,27)
ところが,アウグスティヌスは・ヴァロの論駁
を,全面的に信用しているわけでもないし,まし
て,ヴァロの論駁のために,ムジカを避けるとい
うことは考えられないことである。というのは,
同じ,「キリスト教の教えについて」において,
次のように述べられているからである。r実際
に,ヴァロの言うようであろうと,そうでなかろ
うと,もし,聖書の理解にとって,何か役立つも
のを得ることができるなら,異教の迷信のため
に,ムジカを避けてはならない…(後略)…」
Φe d㏄tr.chhst.』皿,XVIH,28)更に,「音楽
的なものの知識のないことのために・多くの事が
まったく知られないままである。」(De do6tr.
ch盛就」皿,XVL26)
面
(6)W.F(㎞辻村誠三郎訳神話と宗教 ppj70−
(7)以下文中に略記された出典は,Desc16c版のアウグ
スティヌスのもの
H 学閥としての音楽
ここにおいては,ムーシケー,並びに,ムジカ
が,どのような数学的な学問なのか,そして,数
学的な学問としての,ムーシケ,ムジカの内包は
何かということを考察したい。
1古代ギリシヨ
(1)ムーシケーは,どのような数学的学問なのか
古代ギリシャにおいて,ムーシケーは,何より
も,音の背後にある数関係に基づくものと考えら
れ,数学的な学問であった。そして,ムーシケー
を数学的な学問として考える源をつくっだのは,
ピュタゴラス派であった。そのピュタゴラス派と
は,ピュタゴラスを中心として,独自の生活様式
を作り上げ,そこから,すべての哲学を生み出し
(D
たのであるが,そこにおいオ,ムーシケーの果た
このように,ム・ジカの由来に関してのアウグス
す役割りは,非常に重要なものであった。それ
ティヌスの論述は一様ではない。そして,たと
え,ムジカのムーサイ女神からの由来に関して
の,ギリシャ神話を拒否したとしても,キリスト
は,彼らによって,すべてのものの根本原理とみ
教徒としでのアウグスティヌスは,ムジカが,神
とによるものである。
では・数と宇宙構遣・.そして・数学的な学問と
の享受のために重要なものとして考えてもいるの
であるずそのようなムジカの把握の中には,ムー
サイ女神の恩恵の下に,歌人の演奏するキタラ,
歌,踊りの一体となったムーシケーが,神的なお
告げとして,」切の秩序の根源であるという考え
が生きている,と推察できるであろう.そこで,
アウグスティヌスのムジカの把握の中には,古代
ギリシャのムーシケーから連綿と流れる伝統が脈
打っていることは,否定できないのである。・
なされた数が,宇宙構造,そして,数学的な学問
としてのムーシケーと密接な関係にあるというこ
してのムーシケーはどんな関係にある=のだろう
か。
まず,ピュタゴラス派によって,すべてのもの
の根本原理とみなされた数は,今日,我々が考え
るような量,単位,一尺度を概念的に表わすものよ
りは,ずっと,具体的な力や質をそなえたもので
あった。そこで,・宇宙構造をも,数によって把握
し得たのである。すなわち,「ピュタゴラス派に
とっては,数は,単に,〈秩序の表現〉であるよ
り以上のものであった。彼らは,・…(中略)…数
注
(1)P辱φn,田中鱒訳 アルキビアデス.
蓼08cld.
(2)H.Ko皿er:Musik u丘d Dichtung i且Alten G貞e・
の持つ構成力こそが,宇宙を形成し,:統一たらし
める当のものであり,宇宙を,まさに,〈kos−
mos〉たらしめている根本原理であると見なした
chenland。Bem md M丘n亡he皿1963p.2&
(2)
のである。」
(3)Id.i雌dl,一か32二一 ’い
その際,数によって形成されている宇宙,並び
“)Phton内藤淳i代訳 イオン53鉱
に,その中に存在しているものは,2つの対立す
66
福島大学教育学部論集30号の2
1978一lI
る原理(限定されたものと,無限定なもの)か
候触
ら,’ハルモニアによって統合されている,と考え
(3)
られているのである。宇宙は,根源的に対立する
2つの原理を結び付けているハルモニアに基づい
て,初めて,コスモスになるのである。すなわ
ち,「2つの原理は,等しくないものとして,関
オ79つ=∼、 1 /
連のないものとして,基礎になっているので,ハ
ルモニアがそこで得られないなら,それらの原理
このように,2っの異なる原理,4度と5度を
をもって・世界秩序を基礎付けることは,明らか
統合することによって,オクターヴを構成するこ
に不可能だろうに……。等しいもの・関連のある
とこそ,数学的な学問としてのムーシケーが,2
ものは,決して,ハルモニアを必要としない。そ
っの異なる原理のハルモニアによる統合である,
れに反して,等しくないもの,関連のないもの,
不均等に秩序付けられているものは,世界秩序に
宇宙構造の原像と見なされる由縁である。そし
て,4度,5度,オクターヴがムーシケーの根本
統合され得るためには,そのようなハルモニアに
的なものと考えられるのも,このような理由であ
(4)
よって,統合されなければならない。」
る。
ハルモニアこそは,統合,全体性の原理であ
(5)一
り,宇宙構造を成り立たせているものである。
さて,このような対立するもののハルモニアに
よる統合としての,宇宙構造の原像が,数学的な
学問としてのムーシケーの中に見い出されるとい
うことが,ムーシケーを,決定的に重要なものと
するのである。すなわち・ムーシケーにおける3
更に,このピュタゴラス派のハルモニア理論に
とっては,ノ・ルモニアの根本構造を形成している
数の比例が,最初の4.っの数,1,2,3,4か
ら成り立っているということも重要な意味を持っ
ている。というのは,最初の4つの数の中に,3
つの主要な協和音程,4度(4:3),5度(3
:2),オクターヴ(2:1)が含まれてしまう
つの協和音程』4度,5度,オクターヴと,それ
からである。最初の4つの数は,加えることによ
らの比例の基礎になっている数関係こそが,ハル
って,最も完全な数,すなわち,自らの中にすべ
ての本質を保持している,10という数を生じうの
モニアによる統合としての宇宙構造の原像と見な
されるのである。
(7)
である〇
とヒろで,古代ギリシャのムーシケーの旋律の
一以上のように,ムーシケーは数関係に基づいた
基礎をなしているのは,テトラコルドであり,こ
のテトラコルドの4度のわく組みは,ギリシャの
3つのゲノスにおいても,常に不動であり,ま
数学的な学問であり,しかも,その3つの協和音
程の数関係が,宇宙構造の原像とみなされること
によって,初めて,ピュタゴラス派にとって,重
(6)
要な位置を占めていたのである。
痙,種々の旋法においても一定であった。そし
て,このこと示,このムーシケーにおける, 4
度,5度,オクタrヴというノ・ルモニア構造の基
礎となっているのである。というのは,一常に4度
と恥う一定のわく組みをもつテトラコルドは,.デ
ィ3ジャンクトによる結合によって,4度,5
度,オクターヴを構成することになるからであ
ろ。・すなわち,・オクターヴは2:1,5度は3:
③学問としてのムーシケーの内包
さて,数学的な学問としてのムーシケーの中
に,ノ・ルモニアの原像を見い出したピュタゴラス
派は,天体も,人間もある種のノ・ルモニアとして
考え,このハルモニアの数関係によって,天体の
構造,並びに,人間の構造(魂と身体)を解釈す
るのである。ここにおいて,3種のハルモニア,
2,4度は・4:3の関係にあり,2っのテトラコ
すなわち,天体のノ・ルモニア,有機体一塊のノ・ル
ルドをデ、イスジャンクトすることによって生まれ
(81
モニア,そして,楽器または声のハルモニアが成
卑し,学問と.してのみワシケーの内包を形成する
た4度≧5度から,オクターヴは構成されること
になるのである。
のであづ。.
第1に,天体のハルモニアにおめて1ま,.諸天体
音で示せば,次のようになる。
の間の距離が,∼・ルモニアの数比に従うものと考
平田 公子:聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽観
67
(9)
えられている。そして,この天体のハルモニア
それは,第一のものの三倍である。第四に,第二
は・宇宙を形成しているハルモニアの数比の目に
見える現われである.コラーによれば,「地球一
(10)
月一太陽一恒星の距離はテトラクテユスの関係に
おいて分割されなければならない。世界は,数に
の部分の二倍を取り・第五に,第三の部分の三倍
(16)
七に,第一のものの二十七倍を取った。」
かなうように秩序付けられていて,コスモス,ナ
して考えられている・のは,1,2,3,二4,g,
(11)
なわち,《秩序》である」
(12)
8,27である。これらは, 2軸と3軸のそれぞれ
ポエティウスによれば,天体間の距離以外に,
他の宇宙の要素,四季の変化,諸要素のシステム
も,この天体のハルモニアに属している。
種々の天体間の隔から成り立っている,この天
体のハルモニアが,何故,我々の耳に聞こえない
がについては様々な意見がある。しかし,ピュタ
ゴラスに関しては,この天体のハルモニアを聞き
得る唯一の人であったという,言い伝えも残され
(13)
ている。
第2に,人間もハルモニアの数比によって考え
られるのである』ボエティウスの説を,シェフケ
(14)
を取った。第六に,第一のものの八倍を取り,第
ここにおいて,世界霊魂のハルモニアの数比と
の等比級数からの数,1,2,4,8と1,3,
9,27という,2種のテトラクテユスから成り立
っているのである。
続いて,これらの2鶴と3鮎の系列の間隔が,
次のような中間項によって充たされるのである。
すなわち∋「彼は,最初の混合体からザさらに多
くの諸部分を切り取り,それらを先きの諸項の中
間におくことによって,二倍の間隔と三倍の間隔
との両方を充たした。その結果,それぞれの間隔
の中には,中項が,二つずつおかれたが,その一
方は両端の同じ分数だけ前項よりは多く,後項よ
りは少ない。もう一方は,同じ数だけ前項よりは
がまとめたものを参考にすると,このハルモニア
(17)
は,3種類に分けられている。
①有機的な身体における,諸要素の混合
この部分は,コンフォードも示すように,次の
②生命原理と身体の混合
③魂
①は,身体の内的過程に適応されて,身体のハ
ルモニアは,医学の領域に移される。ここでは・
身体は,熱と冷,湿と乾という2つの対立した基
礎的要素の統合として考えられている。そして,
ぜれらの釣り合いの取れていることは,健康とし
て」乱れていることは,病気または,死として考
(路)
えられているのである。
②は,身体と魂の間の調和も,ノ・ルモニアとし
て考えられていることを示している。
しかし,魂の本質が,ハルモニアであるという
多く後項よりは少ない。」
(18)
ような数になる。
①三豊一②旦3④堕6⑧
3 2 3 3
①旦2③皇6⑨璽18⑳
2 2 2
0印の数は,第1の分割によって得られた数で
あり,それらの数の中間項は,次に,充たされた
ものである。
そして,それらを,すべて並べると次のように
なる。
14旦2旦34旦19689璽18訂
3 2 3 2 3 2
(19)
これを,音程関係になおすと,次のようになる。
③こそが,最も重要なものであろう。
⋮
プラトンは,「ティマイオス」の世界霊魂の説
明において,魂と音楽のハルモニアリ本質的な関
連を分析している。
1÷畜ユ番34
では,プラトンに従って,魂と音楽のハルモニ
アの関連を追ってみよう。
まず,プラトンは,世界霊魂が,ハルモニアの
数比に分割されているということを次のように述
べている。すなわち,「(製作者)が着手した分
割は,次のとおりである。第一に,全体から一つ
め部分を取り,次に,それの二倍の部分を取り出
した。第三に,第二の部分の一倍半を取ったが,
■『 一 一一
x・
p亭‘”誓四丁
68
福島大学教育学部論集30号の2
すると, 「これらの紐は,もとの間隔の中に,
1978−11
”賀κ伽沼召”●
3 4 9 (20)
万と豆と吾 の間隔をおくこととなった。』
modulariという語は,modusに由来してい
そこで,更に,プラトンは,次のように,4度
るのであるが(De mt鳳1,H,2),mo4usは,
存在するすべてのものに認められる。それに対し
(去)を・錆(書)で充たすことによって,半
て,modulariの名詞形m{xiulatioは,ムジカ
音一(256:243)を導きだす。すなわち,r彼は,
にのみ認められるのである(De mus.1,H,2)。
4 9
そこには,modulatioが,modusの本質を最も
良く表わすものとして,すなわち,modusを
modusたらしめているものであるという考えが
豆の間隔葱・すべて喜の間隔でもって充たし・そ
して,それぞれの部分の中に分数をおいたが,そ
の残っている分数の間隔は,256:243の比を持つ
¢1)
ものである」
以上のプラトンの説明から,世界霊魂の構造は,
2:1,3:2,4:3,9:8,256:243,す
見られる。
そして,アウグスティヌスは,このmodulado
を,運動との関係において考え,このmodulatio
こそは,運動が,modusを越えることもなく,
modusに達し,ないこともなく,modusの内に
なわち,オクターヴ,5度,4度,全音,半音と
いう音程関係から構成されていることになるので
保たせるものである(De mus.1,II,3),と考
ある。
えるに至るのである。そこから,modulatioは,
(22)
その際,シェフケも指摘しているように,人間
ある種の,運動させる知識(movendi quaedam
の魂も,世界霊魂と同じノ・ルモニアの法則に基づ
peritia)あるいは,それによって,何かを,良く
いていると考えられているのである。
動かせるような知識なのである(De mロs.1,皿,
ところで,このハルモニアの数関係によって解
釈された,3種のハルモニア(天体のハルモニア,
3)。
有機体一魂のハルモニア,楽器一声のハルモニ
そこで,定義の,良く節付ける学問(scientia
benemodulandi)は,良く運動させる学問(sci−
ア)こそは,学問としてのムーシケーの内包を形
entia bene movendi) ということにもなるので
成し,しかも,後のラテン中世において,ムジカ
ある。
・ムンダーナ(musica mundana世界の音楽),
ムジカ・ウマーナ(musicahumana人間の
一塑
〔musica instmmentalis楽器一声の音楽)とし
歌において,音程やリズみが正しく,また,
踊りの動作やリズムが正しい時,この運動は,
て,7自由学芸の数学的な4学問(Quadrivim)
mgdulatiσと名付けられる。しかし,厳格でな
の一つとしてのムジカの内包をも形成することに
ければならない所で,放縦,気儘に歌い踊るとい
なるのである。
うこともあり得る。そこで,beneという語は,
演奏の形式や仕方においてのみならず,その場に
音楽),ムジカ・インストウルメンターリス
(23)
1アウグスティヌス[
(1)ムジカは,どのような数学的学問なのか
ふさわしく,あるいは,礼儀正しくという倫理的
意味で理解されるべきであろう。
アウグスティヌスは「音楽論」 (De musioa)
において,ムジカを次のように定義している。
5じ動”鉱σ
「ムジカは,良く節付ける学問である(Musica
scientiaという語は,ムジカが,何よりも,
理性(ratio)によって認識される,数の関係に
基づくものであり,7自由学芸の数学的な学問で
Bst scientia bene modulandi)」(De musica I,
【1,2)
この定義は,ヴァロから受け継いだものである
あるということを示している。
【24)
が,この定義の内包を,全著作を通じて明確にな
そして,r音楽論」においては,運動させる知
し得たのは,“アウグスティヌスであろう。
識としてのムジカにおける,詩の運動(リズム)
では,ムジカは,どのような数学的学問なのか
を,この定義を構成している3語(scientia,
bene,modulari)か.ら探求したい。
が,数の関係によって分析されている。
しかし,このムジカにおける,詩の運動(リズ
ム)の分析は,ギリシャ・のムーシケーの3つの協
平田 公子:聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽編
(痴)
和音程の数比ほど,具体的に,被造世界の運動と
●9
「身体は,時間において動くにすぎない。ある時
する。
には。ゆっくり,ある時には,速く,そして,こ
のことは,変化することなくして,時間の中で運
ただし1その際,最初の4つの数,1,2,3,
動を伝えている,ある物が存在するという結果に
4によって測り得るリズムが,最も美しいものと
なる。」(De immortalitate animae m,3)
考え’られていたということは重要であろう。ヒこ
次いで,人間の運動の中で.中心をなすものと
して,魂に本来的な独自の運動も存在していると
結び付けられるものではないので,ここでは省略
で,アウグスティヌスが考えているのは,協和音
程の数比としての,1,2,3,4ではなく,詩
のリズムとしての数比であることももちろんであ
るが。
考えられている。その際,魂に固有の積極的な意
味における運動は,魂が,成長,円熟し,被遁世
(26)
界の背後に,不変の真理を直観することによって,
幸福な生を完成するような行為なのである。とい
以上のように,数学的な学問としてのムジカは,
良く節付ける学問,あるいは,良く運動させる学
問と定義され,すべての運動に関係することにな
るのである。
そして,このような,ムジカの定義の中には・
ギリシャ人によって,ムーシケーとしや考えられ
うのは,そのような行為は,出発する(proficeτe)
とか・進む(promoveri)という言葉によって表
(27)
わされているからである。
例えば,「自由意志論」がそれを示してくれる。
r……無知と困錐が自然なものであるならば,魂
は,そこから出発して,認識と平安に進み,そこ
た,キタラ,歌・踊り一が1すべて包括されて表わ
に至って,幸福な生を完成ナるのである」Φe
されているのである。
libero arbitrio凪XXH,64)
ここからも,アウグスティヌスの,ムジカの把
ところで,このような運動体として考えられた
被造世界の背後には,創造者一神との存在の類比
握の中には,古代ギリシャからの影響が認められ
るのである。
を示すものとしての数が存在する,ということも
忘れられてはならない。そして,この数の申には・
(2)学問としてのムジカの内包
数を,すべてのものの根本原理とみなしたピュタ
さて,このように,ムジカは数学的学問として,
すべての運動するものに関係している’と考えられ
ゴラス以来の伝統と,ソロモンの知恵書XI,21
たのであるが,ここで重要なことは.アウグステ
支配し給うた」との結合が見られるのである。そ
ィヌスにとっては,第1に,被造世界全体が,一
つの運動体とみなされている(De ordine「一皿,1,
こから,すべての被造物には,数が存在し,その
数は,被造物の本質を決定するようなものとして
3)ということである。
考えられているのである。すなわち・「天と地と
アウグスティヌスめ被造世界は,神によろて無
から創造されたものであり,プラトンめ「ティマ
イオス」における,デミウルゴスによるカオスか
海と,また,その中にあって,あるいは,上の方
において輝き,あるいは,下の方では,飛び,泳
ぐすべてのものを考えてみなさい。それらは,数
らの世界生成と根本的に異なるのである。
を実現しているので,一定のfomaを持ってい
r汝は,すべてのものを限度と数と重さにおいて
そこで・この被造世界は,神の摂理に支配され,
秩序を有するものとしての運動体であり,一その運
そうすれば,それらは,特に,何ものでもないだ
動は,ヘブライの伝統に特有なものとしての,不
ろう。」(Deliharb.II,XVI,42)
るのだ。そこから,この数を取り去ってみなさい。
可逆的な発展運動なのである。
第2に,神の摂理に支配された,一つの運動体
このように,秩序に従い,数を背後に有してい
’として考えられた被造世界の内部の人間(身体,
る被造世界の運動,並びに・その中の,特に・人
魂)も,運動の観点から捕えられている。
間の身体と魂の運動は,おのずと,良く節付ける
1先勢身体の運動は㌧時間の中で,τ定の目標
学問と定義され,ある種の運動させる知識である
ムジカと関係し,ムジカの内包を形成することに
に向って動くにすぎず,この身体の運動の背後に
は,動かしているものとしての,魂の運動が存在
.なる。
しなければならないと考えら・れている。すなわち,
ここにおいて,被造世界がゾーつの運動体であ
福島大学教育学鶴論集 30号の2
⑳
り・運動は至る所,すべてに見い出されるが,数
の関係において最も整い,美しい運動は,ムジカ
1978−11
14} Id・ib妃pp.22−23
1511d.ibidp.24
に見られる詩の運動(リズム)ということにもな
(6⊃1.Hendeτson:Ancient Gj㏄k Mu前。,The Ne脚r
るであろう。
Oxford History of M面。篤(》エford1957p.3“
また,アウグスティヌス自身,述べてはいない
が,古代ギリシャ以来の,ムジカ・ムンダーナ,
ムジカ・ウマーナ,ムジカ・インストウルメンタ
(71 】しSch甑:oP.cit,P.28
ーリスという・ムジカによる世界解釈に,非常に
(笏)
近いものとなるのである。
18} H.H.Eggeb夢edLt:A鵬mu尋ica,マDie Sam皿1u㎎
1957Juコほ三p。309
Boetius:Demusical,27Migne版
近代以降,音楽を考える時,3番目の,楽器あるいは
声によるハルモニアのみが考えられているのである.
もちろん,アウグスティヌスのムジカの内包と
して考えられたものは,神の摂理に支配された,
時間的,不可逆的な被造世界の運動や,人間の身
tg⊃ Boetius:ibid I,27
⑳ r達の4っの数列であり,本質的に,共に,結び付
きが強い数列のことである.中でも,最初の4つめ数,
体,魂の運動であり,古代ギリシャのムーシケー
1,2,3,4は,1+2+3+4=10の関係にあり,
の内包としては,2っの対立する原理の統合とし
ての宇宙,並びに,天体,人間の身体,魂のハル
最も本質的で,神秘的なテトラクテユスとみなされた.
モニアが考えられていたのであるが。
ω H.Ko皿齪:op.ciしp.181
そして,アウグスティヌスのムジカにおいては,
働Bod匝u3:0P.cit.1,2
時間的な運動としての,詩の運動(リズム)が注
目されているのに対して,古代ギリシャのムーシ
ケーにおいては,旋律の協和音程の関係が,重要
な役割りを演じてもいたのである。
以上,「皿,学問としての音楽」において考察
したことを,簡単な表にまとめると,次のような
対応する考えによって表わされるであろう。
本論文p.22を参照。
面 R.Sch臆e:op.ciしp.48
04 Boe丘us:OP.㌃ゴし1,2
翼・Sch狙e:OP.cit.P.:61
0日 Id.ibid pp.61−62
00Plato亘泉治典訳テイマイオス 35b/c
αの Id.ibid36a
⑬ F.M。Comford:Platon’s cosmology,London
1971p.71
Comfαrdを参考にして,より理解しやすくした.ま
た・紙面の大きさの関係で,数列間の間隔は,数の大
古代ギリシャ
アウグスティヌス
数学的な学問として
数学的な学問として
のムーシケーは,ハル
モニアの原像
のムジカは,良く節付
1天体のハルモニア
2有機体一塊のハルモ
ニア
3楽器・一声のハルモニ
きさに従っていない。
Id.ibid p.71
四
四
Platoロ泉治典訳 テイマイオス 36b
ける学風あるいは,
⑳
Id.ibid36b
良く運動させる,ある
R.Sch互fke:oP.ciL p。65
㊧
種の知識
Boetius:OP・cit.1,2
㊧
1被造世界の運動
2人間(身体一塊)の
運動
3詩の運動(リズム)
ア
この3種のムジカの用語は,ボエティウスが,古代ギ
リシャの3種のハルモニアを,ラテン中世に伝えるた
めに用いられたものである.
伽
H.エMarrou:SaintAugustinetIafindeh
c皿“ぽe an鍼que,Pa㎡841958p.199
eg被造世界の運動については,本論文p.37−38にお
いて述べる.
注
アウグスティヌスの被造世界の運動と,ムジカの関係
(1)J・H㎞hberger高橋憲一訳 哲学史 1古付P.
56
は,古代ギリシャのハルモニアとしての宇宙と,ムー
{21天野千佳子ハルモニアの探究東京芸術大学修士
⑫O J・Rief:D6r Ordobeg出f de8Jungen Augusti臆u8
論文1973p.90
Pader㎞,1962p.152
{31R.Sch瓢fke:Geschichte der Mu曲thetik in
⑰ Id.ibid p.145
U面8gen,Tutzhg21964p.22
⑫日本論文P.31参照
シケーの関係に類似したものであると考えられる.
平田 公子:聖アウグスティヌスと古代ギリシャの音楽観
皿 音楽による教育
1古代ギリシャ1
古代ギリシャにおいては,魂の本質がハルモニ
アであり,ムーシケーこそが,ハルモニアの原像
瓢
られ,魂のmodusを保持し,知恵を所有し,
神を享受することが可能になるのである◎
このような考えの下において,ムジカによる教
育ほ認められることになるのである6
そして,ムジカによる教育の際,魂の運動も,
であるということから,ムーシケーによる教育は
ムジカの運動(リズム)同様,数(numerus)と
考えられているのである。すなわち,ムーシケー
いう言葉によって表わされている。というのは,
の有するノ・ルモニナによって,魂のハルモニアは
整えられ,保たれることになるのである.
プラトンは「国家」において,ムーシケーによ
る教育を次のように述べている。r……リュトモ
スとハルモニアとは1上品さを携えて,魂の内部
に一番深く潜りこんでいき,魂に一番力強く触れ
る。従って,もし,人が正しく育てられるなら,
それは,上品なものにするが,しかし・そうでな
くり
ければ,正反対なものにするからなんだね……」
の
次ぎに,「ティマイオス」においては,ムーシ
ケーのハルモニアこそ,人間の魂のハルモニアと
同質のものであり,ムーシケーは,魂のハルモニ
アを秩序付け,保持するために,ムーサイ女神か
ら贈られたものである,と述べられている。
更に,ピュタゴラス派の伝説として,次のよう
(3)
なことも言われている。
音楽的ハルモニアが,魂のハルモニアに,神的,
形而上学的力で作用し,正しい尺度と秩序を与え
ることから,彼らは,朝,夕,ムーシケーによら
て,魂の状態を整えたのである。朝は来たるべき一
仕事のたあに,精神の目をさまし,必要な緊張を一
与え,夜は眠る前に,日常生活の混乱状態から魂
を浄化したのである。
以上のように,ムーシケーのハルモニアは,人
間の魂を秩序付け,行動を調和あるものにすると
いう,倫理的作用を有しているのであるが・また・
国家の調和とも同質のものと考えられているので
ある.そこから,ムーシケーのハルモニアは,国
家の調和を保ち,法則を守ることにも役立つ,と
考えられるようにもなったのである。
アウグスティヌスは,被造世界であれ,ムジカで
あれ,すべての運動め背後には,数の関係による
くり
法則が見い出される,と考えているのであるから。
また,これは,プラトンの「ティマイオス」にお
ける世界霊魂の運動が,数として考えられていた
し ラ
こととの関連を示しているものである。
さて,ムジカによる教育は,具体的に・アンブ
ロジウス讃歌を朗読し,それを聴く際に,リズム
(運動)がどこに生じるか,と問うことから出発
し,次のような6種のリズム(運動)において考
えられている。
第1は,・鳴り響く音の中に存在する音響的リズ
ム(numeri sonantes)(De mus.VI,VI,16)
あるいは,外的リズム(numericorporales)(De
mus.VI,皿,24)であり,これは,その響を聴
く人がいなくても存在するものである。
第2は,朗読を聴いた人の聴覚の中に存在する
反応リズム(numeh㏄cursores)(De mus.VL
VI,16)。
・第3は,朗読している人,演奏している人,ま
たは,踊っている人の表現活動の中に存在する・
・能動的リズム(numeri progr凶sor6S)(De mus・
VI,VI,16)。
第4は,聴いた人の記憶の中に存在する,記憶
・のリズム(nmeriT㏄ordabiles)(De血膿VI,
VI,16)。
第5は,感覚の中に存在し,響の快・不快を判
断する,感覚的リズム(nume憾sd圏uales)(De
mus.VI,W,5)。
第6は,理性の中に存在し,快・不快の正しさ
を判断するリズム(numeri judiciales)(De mus。
アウグスティヌス
アウグスティヌスにおいては,魂は,固有の運
動を有し,ムジカは,良く節付ける学問であり,
ある種の良く運動させる知識であるので,このム
ジカこそは,魂固有の運動をも,良く節付けるこ
とを可能ならしめるのである。すなわち,ムジカ
の運動(リズム)によって,魂は,よく運動させ
V1,V1,16)。
このように,6種のリズムの在り方を認めたの
であるが,アウグスティヌスのムジカによる教育
の最終点は,これら,6種のリズムを,更に,昇
っていって,神のリズムに至ることにある。すな
わち,魂は,これら,6種のリズムを通って,最
も深く,そして,魂を超越したところに,神にお
物
福島大学教育学郎論集30号の2
ける永遠のリズムを見い出すことになるのである。
1978−11
(2⊃Id・泉治典訳 ティマイオス 47d
ムジカのリズム(運動)によって,魂の運動が秩
(31 R.Sc朋【e:op。ciしp.69
序付けられ,魂が,神の永遠のリズムを見い出す
包}本論文p.35並びに,pp.39−41を参照
(5}本論文pp・26ぞ0を参照
ことにおいて,ムジカによる教育は成就するので
ある。
ところで,アウグスティヌスによれば,ムジカ
結
によって神に至ることは,神の愛の下においての
み行われ得るものでもある。
これまで,古代ギリシャとアウグスティヌスの
音楽観を,概括的に並置したにすぎないわけであ
以上のように,ムジカのリズム(運動)と魂の
運動の同質性を認め,ムジカのリズム(運動)に
るが,ピュタゴラス派,プラトン等の流れの音楽
観が,アウグスティヌスの音楽観に,いかに,多
よって,魂の運動を秩序付け得るという,アウグ
大な影響を与えているかということは理解できる
スティヌスの考えの中には,ムーシケーのハルモ
ニアと魂のハルモ拳アの局質性を認め,ムーシケ
であろう.そこで,ピュタゴラス派,プラトン等
の音楽観こそは・アウグスティヌスの音楽観を,
ーによる魂の教育を考えた,古代ギリシャの考え
根底において規定している,真の源であると言え
のキリスト教化が見てとれるであろう。
よう。
そして,アウグスティヌスは,それらを包括す
注
ることから出発して,新しい時代のキリスト教的
(1}Phtα晦一山本光雄訳 国家 第3巻401.d/e
音楽観の基礎を築いたのである。
St.Augustine and the musical idea of the ancient Gr㏄k
Kimiko HIRATA
In“De musica”SしA㎎皿sdne dealt with“musica”,one of the mathematicalsciences
・・f比e8evenhbe紐廟・Hewasindir㏄tlyi面砥㎝cedbythemusica1『
奄р
a。f
,馳9・㎜面%t・・wMchreg副eqmusicas“歴m・曜,andd曲記,・‘・M曲ca.es{
・胸髄a瞬㎜柚ndi(Music給血㏄語ncew屈ch伽ches㎏血ea丘.・fg・・dme甲・
肛ement).,,
魅paperisabriご。・m曜i9・n鳳weenthemusicalidea・fSしAug鵬t㎞eandthat
ofpythagoreauandPlato.Theconstructionisagfollows:
1. Origin of music
IL Music as scie且ce
nL・Pedagogy by music
t
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