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「がんばれ ふんばれ されどいばるな」

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「がんばれ ふんばれ されどいばるな」
好きです清和
鍛えられているから美しい
学校だより
№ 19
君津市立清和中学校
平成25年12月2日
文責
◇ 『男はつらいよ』
悲しいしいことを面白く演じる俳優
「がんばれ
ふんばれ
渡邉 由希夫
渥美清さんの生き方 ◇
されどいばるな」
「私、生まれも育ちも葛飾柴又(かつしかしばまた)です。帝釈天(たいしゃくてん
で産湯(うぶゆ)を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」
このセリフは、松竹映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんこと、車寅次郎のセリフです。この映画
はテレビでも何度も放映されていますから、知っている人も多いのではないかと思います。
過日テレビを見ていましたら、この映画にずっと出演していた俳優の前田吟さんと佐藤蛾次郎さんが、
大変興味深い話をしていましたので、今回は主役の渥美清さんについて紹介します。
渥美さんは、東京は上野の下町育ち、新聞記者をしていた父と元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母
の次男として生まれました。子供のころの家庭は貧しく、いわゆる欠食児童。加えて、病弱で小児腎臓炎、
小児関節炎、膀胱カタル等の様々な病を患っていため学校は休みがちでした。一日中ラジオに耳を傾け、
落語や徳川夢声さんの話を聴いて過ごしていたのだそうです。
中学生になると第二次世界大戦がはじまり、空襲で自宅が焼け出され、一時は不良少年のリーダーにな
った時もありました。ある時「お前は俳優になるといい」と警察官に言われ、その言葉がヒントになって、
芸人の道を志したと言われています。苦しかった頃の様々な経験が俳優、渥美清の基礎となったのです。
さて、『男はつらいよ』は、もともとテレビドラマから生まれた企画が、映画化につながったというエ
ピソードを持っています。
テレビ版の『男はつらいよ』は全26話で構成されています。最終回は、寅さんがハブを捕まえて大も
うけをしようと考え、奄美大島に出かけます。ところが、そこで逆にハブにかまれて死んでしまうのです。
この衝撃的なラストシーンに対して、視聴者から多数の抗議が殺到します。そこで、山田洋次監督は、お
詫びに映画版の『男はつらいよ』を作ることを決意します。
こうして映画『男はつらいよ』が昭和44年に誕生します。この第1作が予想外の大ヒットとなり、す
ぐさま第2作・第3作と映画化が決まり、渥美清さんが病気で亡くなるまでの全48作が、慌ただしいス
ケジュールの中で制作されていったのです。
ところで、人気役者となった渥美さん、普段はどんな生活を送っていたと思いますか?
寅さんの演技で見せる底抜けの明るさとは対照的に、実像は公私混同を非常に嫌い、他者との交わりを
避ける孤独な人物だったと言われています。
ロケ先では、必ず撮影に協力した地元有志との宴会が開かれるのですが、その宴席に一度も顔を出した
ことがないのだそうです。また、身辺にファンが近寄ることも嫌っていたのだそうです。
当然、芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく『男はつらいよ』シリーズで長
年一緒だった山田洋次監督や、俳優の黒柳徹子さん、関敬六さん、谷幹一さんでさえ、渥美清さんの自宅
も個人的な連絡先も知らず、告別式まで家族との面識もなかったのだそうです。
これは、渥美さんが私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであったの
ではないかと言われています。このきっかけは、街を歩いていた時に、見知らぬ男性から「よお、寅」と
声をかけられてからの事だと言われています。渥美さんはスーパーマンの撮影現場を例にあげ、寅さんを
演じる大変さを次のように言っています。
「スーパーマンの撮影を見ていた子供たちが『飛べ、飛べ、早く飛べ』って言いたことがあったけど、
スーパーマンはやっぱり二本の足で地面に立ってちゃいけないんだよね。だから寅さんも黙ってちゃ
いけないんでしょう。二十四時間、手を振ってなきゃね。ご苦労さんなこったね。『飛べ、飛べ』って
言われても、スーパーマン、飛べないもんね。だって針金で体を吊って撮影しているんだもんね」
『男はつらいよ』48作目の撮影は、渥美さんがすでに肝臓ガンを患い、肺にまで転移している闘病の
中で行われました。撮影中もかなり元気を無くしていることは誰の目にもわかりましたが、一切愚痴も言
わず、病気のことは伏せて撮影が行われたそうです。「俺が死んでも3日間は発表するな」と家族に言い残
し、平成8年8月4日に病院で息をひきとり、家族だけで密葬にされ、その後に死去の発表がされました。
寅さんとしてのイメージを守る為に、一切のプライベートを公表せず、秘密に包み込む。それが、生涯
を通じて、寅さんを演じきらねばならない渥美さんの生き方だったのかもしれません。
渥美さんは、学校に弁当を持っていけないほど貧しかった少年時代に、次のような言葉を残しています。
「がんばれ、ふんばれ、されどいばるな」 渥美さんらしい誇り高き言葉です。
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