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授業間の連携を活用したタイの大学における新しい試み -授業の実践

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授業間の連携を活用したタイの大学における新しい試み -授業の実践
授業間の
授業間の連携を
連携を活用した
活用したタイ
したタイの
タイの大学における
大学における新
における新しい試
しい試み
-授業の
授業の実践報告と
実践報告と映画『
映画『男はつらいよ』
はつらいよ』の教材価値-
教材価値-
中山英治
(Kanlayanee 先生所蔵渥美清直筆サイン)
要 旨
本論文は、授業の質的・量的な改善を意図して行われた授業の連携と教師
の教育力向上や自己成長を期待した協働の実践報告、ならびにこの実践で使
用した映画教材『男はつらいよ』の教材価値を考察したものである。今日、
総合的な日本語教育への言及や教育実践がさまざまな教育機関で報告され
ている。この論文では、総合的な日本語教育を「独立して構成されている4
技能の授業の連携」という面に着目して実践した授業として報告する。そし
て、授業の連携を成功させるために必要な教師の協働のあり方や評価を述べ
る。こうした4技能の授業の連携を強調した実践を行うために映画『男はつ
らいよ』を教材として扱ったが、本論文では、この映画教材の教材価値も授
業の実践に結びつけて考察した。考察の結果、この映画教材には、4技能の
授業の連携を指導するうえで効果的な言語的価値と文化的価値とが指摘で
きることがわかった。
【キーワード】
キーワード】 総合的日本語教育、授業の連携、教師の協働、
映画『男はつらいよ』
1.はじめに
この論文は、授業の質的・量的な改善を意識して行った授業の連携と教師
の教育力向上や自己成長を期待した協働の実践報告、ならびにこの実践で使
用した映画教材である『男はつらいよ』の教材価値を考察したものである。
私の所属している教育現場では、各技能別の授業がそれぞれ独立したかたち
49
で行われているが、学習者の学習活動を今よりもダイナミックなものにする
べく授業と授業のつながりをもっと意識して実践してみようという企画が
持ち上がった。そこで、技能別の授業間でどのような結びつきが可能かと
いった授業の連携を考え、さらにそれを実現するためにはどのような教師の
協働が必要になるのかといった研究を始めた。本論文は、このような授業の
連携と教師の協働という観点からの総合的な日本語教育の実践報告である。
また、こうした総合的な日本語教育を行うために学習者に与える共通教材
は何が良いのかということから、本実践では、日本映画の名作の1つである
映画『男はつらいよ』を使用した。折りしも今年はこの映画の生誕 40 周年
の記念の年にあたり、日本だけではなく世界中でこの映画の上映が予定され
ているという。外国人がこの映画を見ることに関して、さまざまな意義を見
出すことができるが、日本語教育の実践においては、言語的な素材の側面か
らと文化的な素材の側面からの2つの観点で教材価値を考えることができ
る。この論文のもう1つの目的は、4技能を結びつける総合的日本語教育の
ための映画の教材価値を見出すことである。
以下、この論文は、次のような構成になっている。
2.総合的な日本語教育とは何か
3.本実践の概要
4.各授業の実践報告と学習者の創作プレゼンテーションの紹介
5.連携と協働の説明と評価
6.映画『男はつらいよ』の教材価値論
また、この論文の内容は、4人の教師の指導が基本となっていて、学習者
の学習プロセスを反映したさまざまな資料が存在する。直接的にも間接的に
も次のような資料がこの論文の資料となっている。
1.第一次資料「授業の実践報告に関するもの」
:授業後のアンケート調査(各担当教師作成)
、各授業で使用した
プリント、配布資料など
2.第二次資料「連携と協働に関するもの」
:授業後のアンケート調査(各担当教師作成)
、ミーティングのビ
デオ録画記録やメモなど
3.第三次資料「学習者の学習活動に関するもの」
:寅さん視聴前後アンケート調査(学習者作成)
、学習者の創作発
表のビデオ録画記録、発表用の原稿やダイジェスト版紹介文など
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2.総合的な
総合的な日本語教育とは
日本語教育とは何
とは何か
総合的な日本語教育といっても先行研究やさまざまな教育機関での実践
を見ると、1つの統一した見解となっていないことがわかる。これは、
「総
合的」という言葉の意味が機関や研究者の間で統一されていないことからき
ているものと思われる。主だった先行研究を整理すると、
「グローバル化と
ともに進む総合的な日本語教育の研究」
(水谷, 1994-1998)や「隣接する分
野との関連性を求める学際的で総合的な日本語教育の研究」
(
『国文学解釈と
鑑賞』
「特集日本語研究と日本語教育 日本語教育はすすんだか」第 68 巻7
号, 2003)などがあるが、共通する問題意識や指導内容の上で本実践と最も
関連が深い先行研究は、次の2つの領域である。
(1)4つの言語技能の連携をはかる総合的な日本語教育
細川英雄(2004)
「考えるための日本語 ― 問題を発見・解決する
総合活動型日本語教育のすすめ」
(明石書店)
(2)文化の教育とともに進む総合的な日本語教育
細川英雄(2002)
『日本語教育は何をめざすか-言語文化活動の理
論と実践』
(明石書店)
日本語教育国際シンポジウム(2000)
「21 世紀型総合的日本語教育
における語学・文学・文化及びメディアのあり方」韓国日本学
会・日本語教育学会の共同主催
細川(2004)は、学習者の考えていることを教室活動の中で引き出すとい
う授業の研究で、4技能の総合化を重視している。本実践では、学習活動の
最後に学習者による『創作寅さんバンコク編』のプレゼンテーション発表を
行ったが、その発表でも学習者自らがストーリーを考え、そのための表現や
語彙を自律的に探し出す過程が含まれた。発表に際しても4技能のすべてが
総合的に評価の対象になった。
また、本実践では、映画作品の理解のためにタイ人学習者にはわかりにく
いと思われる日本の文化や習慣を教えることが日本語の運用の練習ととも
に必要であった。本実践は、文化の教育とともに進む総合的な日本語教育の
研究の動向と重なるところが大きかったわけである。しかし連携や協働を取
り入れた実践は、管見のかぎり見当たらない。
では、なぜ現在のように総合的な日本語教育がこれほど注目されるように
なってきたのか。そのきっかけとなったものの1つとして、文部科学省の出
している「今後の日本語教育施策の推進について-日本語教育の新たな展開
を目指して-(報告)
(抄)
」
(今後の日本語教育施策の推進に関する調査研
51
究協力者会議 1999(H11)年3月 19 日)の内容を吟味しておく必要があろ
う。この中で、日本の国際化が進展する中、これまで日本語教育施策が推進
されてきた経緯を踏まえて、日本語教育の現状と課題を整理しつつ、今後に
おける日本語教育施策の在り方について幅広い観点から検討を加えている。
中でも、社会状況の変化と日本語教育の関係を整理した部分に総合的な日本
語教育の進む指針となるキーワードが見つかる。
例えば、
「日本語学習需要の増大や地域の国際化・学習者の多様化」は、
上で指摘した「グローバル化の総合」とつながり、また、
「文化発信の基盤
としての日本語教育」は、
「文化の教育との総合」とつながる。さらに、
「情
報化社会における日本語教育」は、
「関連する諸分野との総合」の基盤とな
る。今後は、他分野の教育や研究で培った知識や経験を日本語教育の分野に
積極的に取り入れていく姿勢も必要であると考えられる。
タイにおける大学の日本語教育でもこうしたうねりを意識しないわけに
はいかない。とくにチュラロンコン大学では、専門的な日本文学のためのカ
リキュラムが伝統的に教えられている。文化発信を基盤とした日本語教育を
進める意義は大きいといえる。
この2.では、本実践を独立した4技能の授業を連携させる総合的な日本
語教育と文化の教育とともに進む総合的な日本語教育の中に位置づけた。次
に本実践でどのような授業が展開されたのか授業の実践報告をまとめるこ
とにする。
3.本実践の
本実践の概要
3-1 大学の
大学のカリキュラムと
カリキュラムと本実践の
本実践の位置づけ
位置づけ
チュラロンコン大学の日本語学科のカリキュラム全体から見ると、1,2
学年生は日本語の基礎力を確実なものにする授業が中心で、3年生からはよ
り高度な日本語能力の育成を目指してカリキュラムが構成されている。目安
としては、1,2年生の段階で日本語能力試験の3,4級レベル、3年生の
段階で2級レベル、4年生(卒業時)の段階で1級レベル合格といった目標
がある。3年生のカリキュラムは、
「会話」
「読解」
「作文」
「日本文学史」の
必修の授業と「聴解」
「メディアの日本語」
「文法」などの選択の授業があり、
会話中心から読み書き中心の授業に変わってくる。それにともなって教材も
文学作品や古典の文章といった生教材や視聴覚教材でも加工の少ない教材
が増え始める。本実践では、こうした3年生の授業の質的変化をふまえて、
学習者の学習活動をよりダイナミックなものにするために技能別の授業を
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連携させて指導を豊かなものにしようと計画したわけである。また、授業の
連携を活用するための方法として共通した映画を使用することにした。すべ
ての授業で同じ教材を共有すると、学習者はいつでもどこでも授業内容を質
問したり確認したりできるし、教師から見れば、自分の授業で気がついてい
ても指導しにくいことを他の授業との連携で指導が可能となる。こうして授
業の有機的なつながりを考えつつ連携をうまく活用して、学習者の学習プロ
セスをよりダイナミックなものにできるような授業モデルを考えたわけで
ある。
3-2 本実践の
本実践の授業モデル
授業モデル
図1.本実践における
本実践における授業
における授業モデル
授業モデル図
モデル図
【 連携・協働 】
文法授業
会話授業
学習者
【 連携・協働 】
理解活動 → → → → 産出活動
【 連携・協働 】
(視聴・要約・語り)(創作ストーリー発表)
聴解授業
(読解授業)
映画教材
作文授業
【 連携・協働 】
上の図は、本実践における授業モデル図である。図を見ると、実践の中心
には映画の理解活動からプレゼンテーション(創作寅さんバンコク編)を行
う産出活動までの学習者の学習活動がある。これを4つの授業がそれぞれの
授業の視点から指導を進めていくというかたちを取っている。本実践は、通
常のカリキュラムと対比してみると、学年内の各授業間の連携を意識した授
業モデルとなっている。各授業内でシラバスに則った形で授業が進んでいた
ものが、それだけではなく他の授業で今「何」を学習していて、
「どこまで」
学習が進んでいるか、他の授業は次に「どこまで」進む予定なのかといった
ことを意識しながら担当している授業の展開を考えることになる。いわば、
他の授業と担当している授業との距離を常に測りながら、自らの授業の位置
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づけを確認しつつ授業を進めることになる。このとき教授側の問題としては、
指導のタイミングや学習内容の変更などを考える必要が出てくるし、学習者
側に関わる問題としては、学習者の負担が大きくなったり飽きが来たりする
ので、到達目標や学習プロセスに合わせた課題の調整などが必要となってく
る。これも本実践における授業の連携の一側面であった。このように学年内
の独立した授業を総合的に行うことで、これまでとは異なる学習効果や学習
方法の改善、新しい学習方法の開発をめざそうとしてすすめられたわけであ
る。こうした全体図を踏まえて次の4.では、各授業でどのような実践がな
されたのかを具体的に報告する。
4.各授業の
各授業の実践報告と
実践報告と創作プレゼンテーション
創作プレゼンテーションの
プレゼンテーションの指導内容
本実践は、2007 年度の学部3年生の後期の授業を対象とし、全体の指導
期間は、11 月の終わりから3月のはじめにかけて行った。
本実践は、図1(前頁)で言うと左回りで授業を進めていった。聴解の授
業ではじめて映画の1本目を見せて、作文で2本目を見せて、会話で創作寅
さんバンコク編の指導をし、また、聴解に戻り他作品(1)の見直しをさせて作
文で他作品のダイジェスト版の紹介文を指導した。文法は、会話や作文の指
導の中で出てきた学習者の誤用にピンポイントで訂正や説明をしたり、学習
者自身に気づきを促すような授業を展開した。
次に各授業で実践したことを報告する。大きく分けて直接的に寅さんを取
り上げた内容と間接的に取り上げた内容とに分けて記述する。
4-1 聴解授業の
聴解授業の実践
4-1-1 映画の
映画の直接的な
直接的な指導内容
聴解の授業は、他の授業に先立って、寅プロジェクトの中で初めて映画『男
はつらいよ』を視聴する時間となった。聴解の授業では、作品第 36 作「柴
又より愛をこめて」を3部(3回の授業)に分けて視聴させた。聴解担当者
の発案と事前の全体ミーティングで「物語の展開パターン」
、
「家族構成と登
場人物の名前」
、
「寅さんの恋愛」
、
「寅さんの仕事」という4つの大きなカテ
ゴリーを設けて指導することにした。物語の展開パターンの指導では、
「は
じめ→旅先でのマドンナとの出会い→東京柴又に帰る→恋愛・失恋→また旅
に出る」といった展開を導入し、場面ごとに旅先の地名を聞き取らせたり、
その場所について調べさせることを宿題にしたりした。家族構成と登場人物
の名前の指導では、身内、近所の住人、マドンナらの人物呼称を聞き取らせ
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る指導をいくつかの場面に応じて練習した。特に「寅さんがどう呼んでいる
か」と「寅さんをどう呼んでいるか」を聞き取らせた。寅さんの恋愛の指導
では、寅さんとマドンナの会話場面を用意して、スクリプトを使いながら聞
き取らせた。また、
「大事なセリフを聞き取ろう」といったセリフに焦点を
あてる練習も同時に行った。寅さんの仕事の指導では、寅さんの口上シーン
のスクリプトを用意して、特に七五調というリズムに注目したり、話し言葉
の音の変化に注目させたりしながら聞き取り練習をした。口上の語源や意味
などは、作品全体の重要な要素を理解させる時期と重なったため、特に説明
することはなかった。
4-1-2 映画に
映画に関わる間接的
わる間接的な
間接的な指導内容
聴解の授業で使用している通常テキストで学習したことを映画の中でも
確認できるような聞き取りタスクを行った。具体的には、
「人物の描写に使
われるオノマトペ」や「話し言葉の音変化」を指導した。これらは、寅さん
の視聴時における聞き取りとつながるし、創作寅さんの発表時において重要
な表現力となるからである。
聴解の授業の最終時には、1本目を視聴した後の感想文を書く時間を設け
た。これは作文で指導された感想文の書き方の指導が入る前のもので、
「書
く」の能力の評価対象とはならなかったが、学習者がほとんどはじめて接し
た映画に対してどのような気持ちをもったかを見るためにも必要な活動で
あった。
4-2 読解授業の
読解授業の実践
本実践では、読解授業の連携を予定していなかった。しかし、映画作品の
理解を補強するために作品の理解に役立つ小説『二十四の瞳』(2)の簡単な説
明とあらすじの紹介をした。読解の授業では、それ例外の指導も間接的な指
導もなかった。
4-3 作文授業の
作文授業の実践
4-3-1 映画の
映画の直接的な
直接的な指導内容
作文の授業では、聴解の授業に引き続き、第 26 作「寅次郎かもめ歌」の
視聴とそれに伴う「要約文」と「感想文」を書かせた。さらに、プレゼン
テーション発表のための語りの原稿作成と平行して読み物としての「創作寅
さんバンコク編」の作文指導を行った。まず、寅さん理解のための要約文の
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指導では、2本目の映画を視聴後に、四百字詰め原稿用紙3枚にまとめさせ、
それを半分にまとめなおす練習をさせた。指導方法としては、誤用の添削指
導によって間違いの指摘をするとともに要約する際に必要な知識やまとめ
る技術を適宜与えた。続けて、寅さん理解のための感想文の指導では、映画
を視聴後に率直な感想を7つ挙げさせ、それについて理由と視聴後に何をど
う考えるようになったかを原稿用紙2枚に書かせた。特に感想文の指導方法
として感想文の構成を意識して書くようにすることを強調した。今回の構成
は、
「映画を観た感想→感想を持った理由→考察・自分の意見」とした。ま
た、成績上位レベルの学生に対しては、物事の本質に迫ったり、自分自身を
深く知るといった内省を重視して指導することもあった。最終的な創作寅さ
んバンコク編のプレゼンテーション発表の指導では、会話と区別して、
「読
み物としての創作寅さんバンコク編」を書くことを指導した。全体の指導の
最後の活動として発表後に他グループの作品のダイジェスト版紹介文を書
かせた。
4-3-2 映画に
映画に関わる間接的
わる間接的な
間接的な指導内容
作文の授業では、通常テキストを使用するということはなく、すべて寅さ
んの指導となった。これは、作文の場合、学習者の学習内容の添削やフィー
ドバックが相当に時間のかかる作業となることから、寅さん以外の学習は実
質不可能であるといった制約があったからである。前半は要約の仕方(中心
文→段落→物語)について重要な部分とそうでない部分の区別や適切な表現
の工夫が主な指導となった。添削の際には、助詞や主述のねじれ、接続詞の
使い方が対象となった。最後のダイジェスト版作成時にも同様な添削指導を
行った。この指導は、他のグループがどのようなストーリーの展開を考えた
か、新しい表現や語彙をどう自発的に取り入れたかなどを考えさせる機会を
与え、他作品を見て学習者同士の日本語を見直すことにもつながった。
4-4 会話の
会話の授業の
授業の実践
4-4-1 映画の
映画の直接的な
直接的な指導内容
会話の授業では、一部作文の授業と平行して作品第 26 作「寅次郎かもめ
歌」の視聴とプレゼンテーション発表での語りの指導を中心に展開した。は
じめに第 26 作全体を第1部から3部まで切り分けて、さらに1つの部を
10 場面から 20 場面ほどに分割し、その場面に合わせてストーリーを語らせ
た。グループで1時間の話し合いのあとに、語りの録音をしながら練習させ
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た。続いて、創作寅さんバンコク編の指導では、創作のアウトラインとその
語り原稿の下書きの作成を指導した。その際、聴解で学習した寅さんの
ストーリーの展開パターンを踏まえさせながら、創作する際にも物語の展開
パターンが同じになるように強調した。指導方法としては、グループごとに
話し合いをしてアウトラインを準備し、段落立てとその文章化を宿題から始
めた。その後にグループごとにコメントを加えながら、添削した原稿を返却
した。最終的な創作寅さんバンコク編のプレゼンテーション発表の指導では、
はじめに発表のための発声練習や同時に読みあってお互いの語り方を聞き
あう朗読練習を行った。そして、友達の前で好きなシーンを語る練習をした
後に創作寅さんのプレゼンテーション発表の練習に移った。この発声や朗読
の際には気づきシートと呼ばれる学習者自らが自分の発音やポーズや
イントネーションを振り返るためのシートを利用した。
4-4-2 映画に
映画に関わる間接的
わる間接的な
間接的な指導内容
ストーリーを語るために必要となる日本語能力の練習を「昔話」
「6コマ
漫画」等を資料にして行った。この中で接続表現の確認をしたり、
「最近の
出来事を語る」練習を通して、ストーリーの語り方や自分の気持ちを表現す
ることを学習した。
4-5 文法授業の
文法授業の実践
4-5-1 映画の
映画の直接的な
直接的な指導内容
文法の授業では、授業の性質上、直接的な指導はなかった。ただし、映画
『男はつらいよ』のスクリプトがあるので、それを用いれば、この作品の言
語的側面にどのような文法項目が備わっているのかを分析することも可能
であろう。そうした映画教材からの文法項目の取り出しは、この論文で後か
ら述べる教材価値論の議論の中で大いに進められるべき論点であると考え
られるが、先行研究でもあまりなされていないし、そうした研究は、おそら
く各教師の個別的な指導(予習や準備)の段階にうずもれてしまっているも
のと思われる。身近な生教材を対象として指導項目の取り出し(文法に限っ
てということではない)研究が進められれば、教材の共有化や教材価値の吟
味の方法など、今後の教材価値論の進む方向を示唆する点が出てくるものと
思われる。
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4-5-2 映画に
映画に関わる間接的
わる間接的な
間接的な指導内容
文法の授業で行われた指導には、大きく次の2つがあった。1つは、文法
的な理解に関する自己モニター力を伸ばす指導であった。具体的には、4コ
マ漫画のストーリーテリングと2枚の絵を使用したストーリーテリングを
指導した。指導方法としては、タスク先行型シラバスを利用して、学習者に
説明をさせたものを録音し、それを文字化した後に自己文法訂正、他者文法
訂正をさせた。さらにモデルとなる文を提示して、文法の説明をタイ人教師
からタイ語で行った。具体的な項目として「自動詞・他動詞」
「テンス」
「指
示詞」を取り上げた。もう1つは、他の授業で行われた学習者の活動に関す
る指導があった。対象となったのは、会話で練習した語りのスクリプトと作
文で練習した要約文である。学習者に間違い探しをさせた後に「なぜ間違う
のか」という気づきを促すよう指導した。具体的な項目は、
「物語のテンス」
「見る・見える」
「は・が」
「ないで・なくて」などであった。
4-6 創作プレゼンテーション
創作プレゼンテーションの
プレゼンテーションの指導内容
本実践では、映画を視聴した理解活動後に「寅さんバンコク編」という創
作を発表させた。聴解や会話の授業で指導した話の展開の仕方(はじめ→旅
先でのマドンナとの出会い→東京柴又へ帰る→恋愛・失恋→また旅に出る)
を踏まえて新しいストーリーを作成させた。登場人物には、必ず登場させる
人物(寅さん・マドンナ・ミスターX:マドンナの相手)を考えさせて、他
に家族や脇役を自由に考えさせた。発表は、語りの指導や発声・発音の練習
をした後に学生が作った原稿を暗記させ、聞き手を意識した語り口調で発表
させた。この創作寅さんバンコク編を発表する際には、自己評価シートをタ
スクとして出し、自分たちの発表の評価をさせた。続けて創作発表後の聴解
の時間を使って、今度は他グループの作品(録画記録したもの)を見直しさ
せて、その日本語が聞きやすかったか、内容がよく伝わったかなどを聞いた。
この見直しは、最後に作文の授業で指導する創作寅さんのダイジェスト版紹
介文の作成につながる連携を意識して行った。
学生が作った創作寅さんバンコク編の各タイトルは、以下のようなもので
あった。
【創作寅さんバンコク編の作品タイトル】
グループ1寅次郎キム愛の調べ編
グループ4寅次郎目蓋のリケー物語
グループ2忘れじのトウキョウ物語 グループ5寅次郎パッタヤーの残照
グループ3寅次郎メナムの向こうへ
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この4.では、本実践の中心となる各授業の指導の具体的な内容を述べた。
この実践では授業の連携と教師の協働が重要であったが、次の5.では、総
合的な日本語教育の方法論としての授業の連携と教師の協働について、さら
に論を進めたい。
5.連携と
連携と協働の
協働の説明と
説明と評価
こうした総合的な授業モデルの中で特に必要なことは、言語スキルごとに
独立している授業を質的にどのように結びつけるかという「連携」と教育観、
授業観、学習者観などがそれぞれ異なる各教師の「協働」という概念である。
ここでは、4技能を結びつける総合的な教育の実践に必要な授業の連携と教
師の協働について考察したい。
本実践では、授業の連携を「独立している授業がお互いの授業の展開を考
えたり確認したりしながら、担当授業の内容を考えたり見直したりする授業
方法」と定義した。4技能の基本的な整理をしてみると次のような表となる。
表1.4技能の
技能の整理
媒体
音 声
文 字
理 解
聞 く
読 む
産 出
話 す
書 く
活動
一般的には、活動の共通点を生かした連携よりも媒体の共通点を生かした
連携の方が授業になじみやすいかもしれないが、本実践では、そうした固定
的で閉じた連携ではなくて、常に新しい連携の可能性を考えながら授業を展
開した。それは学習活動の目的だけで連携するだけではなくて学習活動の方
法と目的という新しい連携を考えることであった。聴解と作文が創作寅さん
バンコク編の見直し活動において連携した例は、
「聞き取るという方法」を
使って、
「ダイジェスト版紹介文を書くという目的」を持った活動であった。
授業の連携から考えられる総合性は、表の縦と横の関係だけではなく斜めの
関係も考えると、可能性が広がることがわかる。
59
本実践では、具体的に「会話と作文で話し言葉と書き言葉の文体の違いを
理解させる」
、
「文法とその他の授業で語りや文章の展開に関わる接続詞を理
解させる・生き生きとした表現や描写ができるようになる」
、
「聴解と作文で
他作品の見直し・創作ダイジェスト版の紹介文作成」などの活動でも連携を
行った。もちろん、指導全体を見れば、理解活動から産出活動への時間の流
れに沿って、すべての授業が時系列で連携していったことは言うまでもない。
また、本実践のように4技能を連携させるためには教師の協働が必要で
あった。例えば、教師が報告した中に会話の授業における聞き取りと聴解の
授業における聞き取りとは、同じ聞き取りの活動でも違いがあるのではない
かという気づきがあり、担当者間で吟味したことがあった。また、会話や作
文で誤用を訂正する際には、文法の専門家からの母語によるきめの細かい説
明が必要なところで入ったという報告もあった。このように教師の役割をふ
まえた協働がこの授業モデルでは可能となった。本実践での協働の観点をま
とめると、3つの観点が見出せる。1つ目は「タイ人教師(ノンネイティブ
教師)と日本人教師(ネイティブ教師)の協働」
、2つ目に「日本語教育専
門の教師と日本文学・文化専門の教師の協働」
、3つ目に「教育観や言語観
など考え方の異なる教師間の協働」があった。特に1と2の観点は、お互い
の得意な部分を引き出すことによって授業の連携に貢献できる部分であり、
協働の有効性を指摘できるところである。従来、教師の役割については、例
えば「会話は日本人教師で、読解はタイ人教師」のように固定して考えられ
ることが多かったが、一人ひとりの教師の能力を改めて見出せるところに本
実践のような協働の意味が見つかったわけである。
こうした連携と協働を実践した後に担当した4人の教師にアンケートを
実施したところ、次のような連携と協働の反省点や評価がでてきた。
60
表2.連携と
連携と協働の
協働の評価・
評価・意見
連携に関する評価や意見
・新作発表の評価をどの授業でどのくらい評価したのかが不明であった。こ
の授業モデルに合わせた評価方法の検討が必要であると思う。
・学習者から「プロジェクト全体でアウトプットが多くてインプットが少な
いと思った。
」という印象が報告された。これから考えると読解や聴解の
授業のバランスがもう少し入っていてもよかったと思う。
・共通して使われた映画の教材価値をこの授業モデルにふさわしい形で分析
する必要があると改めて思った。
協働に関する評価や意見
・連携とはちがって実践しにくい協働への実践方法を具体的に考えることが
できた。例えばミーティングの個別化や効率化といった措置である。
・タイ人教師と日本人教師の協働の観点から見ると、もっとタイ人教師の利
用価値を求めてもよかったと思う。
・延べ 45 時間にもわたるミーティングの中で信頼関係を失いかけた教師も
あったが、お互いの授業を見つめつつ、それを乗り越えてみて初めて切り
離しては考えられない4技能のつながりを改めて自覚できた。
・専門分野の異なる教師からは、
「協働がなければ一人で悩むしかなかった。
」
という内省や自分の教育方法、教材分析力などに変化があったという報告
を受けた。次の授業につながっているという評価が確認できた。
こうした反省点や評価を踏まえた上で、プロジェクトをよりよくするため
に2つの提案が有力な改善策としてあがった。1つ目の提案は、いつどの授
業が何をするのかといった全体の計画や予定を明示化すること、2つ目の提
案は、小さな協働や小さなミーティングを行うようにするといった仕事のモ
ジュール化であった。私たちの連携と協働の授業モデルは、総合的な日本語
教育の中でもまだ実践例が少なく、非常に問題も多い。また、各教育機関に
よってもさまざまな条件がそうした連携や協働を阻むこともある。しかしな
がら、学習者のよりダイナミックな学習活動を求めるならば、画一的な授業
を進めるよりも新しい試みとして授業の連携という観点から授業を再構築
するということにも教育的意味があるのではないだろうか。
61
また、授業を連携させるために担当教師が自らの授業だけでなく、お互い
の授業との距離を測りながら自らの授業を振り返るという相互補完的な教
育指導法が総合的な日本語教育を豊かなものにしてくれることは間違いな
い。
次の6.からこうした総合的な授業にふさわしい教材として使用した映画
がどのような教材価値を有しているのかを考察したい。
6.映画『
映画『男はつらいよ』
はつらいよ』の教材価値論
この授業モデルを成功させる 1 つの重要な鍵は、映画の教材価値を見出す
ことである。映画作品が各言語スキルから見てどのような指導対象となり得
るのかを十分に検討することは、総合的日本語教育のために欠かせない基礎
的作業である。
教育的に整備された視聴覚教材を使用するというのでは学習者のレベル
アップに向かないことがあるし、外国語で映画を楽しんだりテレビを見たり
するといった学習者の教室外での運用の範囲を広げることにも結びつかな
い。総合的な日本語教育の観点から見た生教材の教材価値論とはどのような
ものであるかという研究がもっと進められるべきであるが、日本語教育にお
ける教材価値論の研究は荒川(2004)の指摘にもあるようにあまり進んでい
ないようである。しかし、国語科教育の研究には、堀江(2007)のような日
本語教育の教材価値論につながる示唆的な言及も見られる。これを本発表の
教材価値論の観点として援用したい。
A.教材の質を高めること
1.国語教材といえば「文章」を考えるようになった。
2.読まれる教材だけでなく、作業教材、視聴覚教材が考えられ、くふ
うされるようになった。
B.学習者の状況に応じた教材開発であること
3.学習者の興味関心や学習者の受け取り方などを考えるようになった。
4.教材の語い負担・文字負担などを科学的に考えるようになった。
(項目Cは直接関係がないので省略する)
(堀江 2007 抜粋)
この指摘は、国語教育の近代化の中で指摘された言及に沿って述べられて
いるので現在の日本語教育の研究水準からみれば、取り立てて新しい内容で
はない。しかし、隣接する教育現場で発信されているこの観点は、日本語教
62
育の教材価値論にも十分有意義な観点である。Aの観点では、
「視聴覚教材
の工夫」という点が本実践の映画教材の使用に重なっている。生教材である
映画を見て理解するという活動には言語技能的にさまざまな日本語が求め
られる。それを連携して指導すれば、映画を使った新しい授業モデルが構築
できると考えたわけである。また、Bの観点では、
「学習者の興味関心」や
「学習者の受け取り方」に焦点を合わせて、映画に現れる日本的な文化を指
導することにした。こうして扱いの一定していない生教材を技能別の授業を
連携して総合化するという方法で使用し、その新しい価値を見出そうとした
わけである。
具体的には、
『男はつらいよ』の「習得の対象となる言語的素材」として
の価値を見出すこと、
『男はつらいよ』の「日本語運用のための道具となる
文化的素材」としての価値を見出すことを提案したい(3)。
次の 6-1 で言語的な素材としての価値を考察し、続いて 6-2 で文化的な素
材としての価値を考察する。
6-1 言語的素材としての
言語的素材としての価値
としての価値
言語的素材としての観点として人物呼称、語彙・表現、文体の3つの観点
を取り上げる。映画『男はつらいよ』は、様々な言語的要素が抽出できる。
茶の間で家族が語るシーンでは、複数の話し手が交錯したり、会話が重なっ
たりする。また、登場人物のセリフの中には、話し言葉特有の音変化や世代
を反映する位相語や方言なども出てくる。学習者が通常使用しているテキス
トとくらべれば内容が複雑であるが、現実的な日本語の運用場面に近いとい
える。
63
6-1-1 人物呼称
表3.家族が
家族が使う寅さんへの呼称
さんへの呼称(4)
寅さん
寅
おいちゃん
○
○
たこ社長
○
お兄ちゃん
さくら
ひろし
兄さん
おじさん
寅ちゃん
○
○
みつお
○
おばちゃん
○
表3.を見ると、呼称のすみわけが明示的である。チャンとサンの使い分
けは話し手が男性か女性かで使い分けられているし、作品の中では、サンの
有無の部分に登場人物の心理を反映した使い分けも確認できた。このように
寅さんは人物呼称の運用を考えさせる格好の素材であるといえる。待遇性、
位相性、方言など言語的要因がからみあって使用され、また、心理的要因も
使い分けに反映されることがあり、作品理解に重要な情報を提供することも
ある。(5)
1)寅: よう、よう、おじさんよ
林: 君、人を呼ぶのにおじさんということはないでしょう
寅: あ、すいません。小使いさん、あの夜間の職員室ってのはどっち
の方になっていますか
(第 26 作)
2)林: この間、寅さん--いや、失礼、車さんが、これを提出なさった
んです。
さくら:入学願書?
(第 26 作)
3)竜造:そう言やァ寅も中学三年で中退だったからなあ
つね:この人は校長先生の頭ぶん殴って退学になったんだろう
寅: 俺のこと言うことないじゃないか、おばちゃん
(第 26 作)
1)では、初対面の人や知らない人をどう呼ぶべきかを考えさせることが
できる。2)は、林の寅さんに対する親しみを込めたプライベートな言い方
を公的な場面の言い方に変えた場面である。1)と2)は関連づけてもいい
だろう。3)では、寅さんを前にしておいちゃんは、
「寅」と言っているの
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に対して、同じ席でおばちゃんは、
「この人」と言っている場面である。
「校
長先生の頭を殴った」ことを冷ややかな態度で客観視する言い方である。い
ずれの場面も現実的で多様な呼称のバリエーションが存在することを指導
できる。
6-1-2 語彙・
語彙・表現
4)寅: で、むこうでお茶でも飲んで落ちついた気分になって--それか
らだ、な
寅: あ、そうだ、そうだ、今日一日はね、落ちるとか、すべるとか、
転ぶとか、この手の言葉一切口にするな、気にするから
竜造:分った分った(中略)
寅: あ、そうゆうものはバッグにしまっておけ、落っことすといけな
いから--
寅: あ、あ、落っことすなんて自分言っちゃったよ、あ、注意してい
るとどうしても口がすべっちゃうんだよね
寅: あ、すべっちゃったって自分で言っちゃったよ、全部言っちゃっ
たよ、社長。
(第 26 作)
寅さんの中に笑いを誘う場面として、
「~を口にするな」というおなじみ
のシーンがある。個別の指導になりやすい語彙が体系性(類義語や対義語)
を持つのだという理解のために良い素材となる。場面のおもしろさの理解に
もつながる。
6-1-3 ていねい体
ていねい体と非ていねい体
ていねい体の使い分け
映画のセリフは基本的には会話体であり、場面の待遇性や話し手の属性・
位相によって文体の違いが現れる。文体という言語的素材は、登場人物の人
間関係の把握や作品理解の助けにもなることが多いので、こうした部分に着
目させることで理解の学習プロセスをよりよいものにすることができる。
5)寅:
それじゃ、白髪頭のババアか? ← 非ていねい体
青年A:ババアじゃないですよ。おらたちが習った時が二十二か三だか
ら、三十半ばになるんだ、あの先生
青年B:そんななるか
娘A: 美人は得ね、若く見えて
寅:
美人?美人なんですか?
← ていねい体 (第 36 作)
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6)博: 兄さん、お帰りなさい
寅: 博、見て来たぞ、新しい家を
← 非ていねいな呼び方
博: そうですってね
(中略)
寅: あ、ちょっと待ってくれ
寅: 博君
← ていねいな呼び方
博: は、はい
寅: 考えてみるとたった一人の妹さくらがお前に嫁いではや十年、
寅: 波風も立てず仲良くやってこれたと言うのはひとえにお前が良く
できた男なんだ。兄として改めて礼を言う。
博: いいえ、どういたしまして、いや、まいったな。 (第 26 作)
6-2 文化的素材としての
文化的素材としての価値
としての価値
昨今、日本語教育における日本文化論や日本事情論が盛んに議論されてい
る。学習者にとっては、日本語が習得の対象となる言語であると同時に、日
本そのものが理解の対象となる異文化となるのだが、柴崎(1999)は、国内
の学習者の日本語教育ニーズをあくまで「道具としての言語」と位置づけな
がら主な中級日本語教科書の中の日本の表象が「押並べて日本に関する話
題」となっていて、
「文化の押しつけ」だと批判している。確かに国内の事
情の一面を捉えている分析であるが、海外の場合、日本のことをもっと知り
たいとか日本の文化を学びたいといったニーズは根強い。映画も含めた様々
な資料を通して文化的素材の教材価値を分析すること自体、今後進めていか
なければならない重要な基礎的研究である。
6-2-1 文化項目の
文化項目のインデックス化
インデックス化
今回の授業で取り扱った作品の日本事情的な話題と一般的な日本事情の
教科書で取り上げられている話題とを比較してみると、次のような結果と
なった。
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表4.映画『
映画『男はつらいよ』
はつらいよ』の話題と
話題と教科書の
教科書の話題の
話題の対照表
作品
時候の挨拶 気候・季節 家族観 住宅 習慣 教育 道徳倫理 結婚観
話題
第 26 作
○
○
○
第 36 作
○
○
○
○
○
教科書
○
○
○
○
○
○
○
○
○
この対照表から作品と教科書の共通点として「日本の気候や季節感」や「日
本人の家族観」といった項目を取り出せる。主要なテキストを使用している
際、こうした対照表を作成しておけば、サブ教材として何作目がどういった
話題で使用可能かという非常に良い生教材となる。日本的な文化や習慣を場
面ごとに切り分ける文化項目のインデックス化(6)を進めることは教材化の
工夫の1つであるといえる。具体的な例を1つ上げると、次のような習慣的
なお金の渡し方の場面(7)があり、その表現と意味を理解させることができる。
両場面ともお金を渡す際の共通した表現や金に反発する相手にさらに食い
下がる表現が見られる。
7)-すみれとお母さんの対面場面-
豊子:これね、こちらのお世話になってる皆さんに。--それから
←お金を渡すときの言い方
豊子:これ少ないけど、とっといて
すみれ:こんなもの、いりません
豊子:そんなこと言わないで、
私の気持なんだから
←さらにすすめる言い方
すみれ:いらない!
(第 26 作)
8)-寅さんが廊下で賄賂を渡す場面-
寅: やあ、あの娘ね俺の死んだ友達の娘でさ、この学校入ってもらわな
いと俺ちょっとこまるんだよな。
これ少しだけどちょっと
←お金を渡すときの言い方
林: 何だ、これは
寅: 暇な時ちょっと駅前でパチンコでもやってよ
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林:
寅:
林:
寅:
バカ、何てことをする!
気持ちだからさ
←さらにすすめる言い方
や、やめなさい!
折角出したんだから、ちょっと取って、 ←食い下がる言い方
アイタタ…
(第 26 作)
6-2-2 脱ステレオタイプをうながす
ステレオタイプをうながす教材価値
をうながす教材価値の
教材価値の観点
文化的な素材を扱う上で大事なことは、日本文化を批判的な態度で対象化
した後に自文化を再認識できるかどうかである。映画『男はつらいよ』には、
典型的な日本文化や日本事情的な話題が豊富にある。しかし、これをステレ
オタイプ的な知識の導入として押し込むのでは、従来の授業研究で批判され
てきたことと同じになってしまう。大事なのは、異文化理解から学習者の自
文化を再認識させる契機を与えられるかどうかであり、ここに教材価値論と
しての新しい価値を見出すべきである。では、映画『男はつらいよ』でそれ
が可能かどうかということになるが、今回の聴解授業の最後に書かせた感想
文を分析してみると、文化に対する批判的態度を育成するきっかけ作りを期
待できるところがあった。感想文は、
「一番印象に残った場面」
「家族」
「恋
愛」
「寅さんはみなさんの知っている日本人と同じか」といった4つの観点
から書かせた。質問の「家族」と「恋愛」は、作品の理解がどれほどできた
かを知るための質問であった。家族の視点は、寅さんという映画の理解に欠
かせない視点であり、学習者がどれくらい日本やタイの家族のあり方を論じ
られるかという点で注目した。感想文の中に昔のタイの家族像を想起して現
代家族の社会問題を見つめなおす動機を持ったものもあった。恋愛の視点も
36 作目の大きなテーマであったが、感想文の中でもやはり恋愛に関する言
及が多かった。その中では、寅とマドンナの恋愛をはじめ、マドンナの恋愛
観、あけみ夫婦の愛情論といった多様な視点で書いていた。
さて、問題は次のような学習者の日本人のステレオタイプが見られたこと
である。
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表5.学習者の
学習者の感想文に
感想文に見られたステレオタイプ
られたステレオタイプ
(1)日本人は知らない人とあまり話さない。声をかけない。
(2)日本人は勝手に自分の思ったことを直接的に相手に話さない。自分の
考えを人に素直に表さない。
(3)私の知っている男の日本人にくらべると、寅さんは明るくてやさしい。
(日本の男はその反対)
(4)普通の日本人は他人の迷惑になることをあまりしないし、礼儀正しい。
印象に残った場面では、普通の日本人とはちがった寅さんの性格を捉える
学生が多かった。中でも船の中の場面で知らない人たちに気軽に声をかける
寅さんを見て、
「普通の日本人はしない」とか「一般的ではない寅さん特有
のキャラクターである」という見方をしていた。ここには明らかにタイ人が
持っている日本人のステレオタイプが確認できる。こうしたステレオタイプ
にどんな種類があるか、それをどうやって脱ステレオタイプ化させていくか
というところがこの映画の教材価値を高めてくれるポイントとなろう。異文
化理解を通して批判的態度も育成できるという教材の新しい価値論につな
がる部分である。
7.おわりに
この論文では、授業の連携と教師の協働の観点から総合的な日本語教育の
実践報告をした。また、総合的な教育のための映画教材の教材価値を言語的
な観点と文化的な観点から考察した。授業の実践は、吟味・研究された教材
とともに進むし、また教材は授業の中で使用される中で、その問題点が見え
てくる。今後もさらに映画を使った総合的な授業の実践と教材価値論の研究
を進めていかなければならないだろう。この授業モデルの実践は始まったば
かりで問題や課題も残されている。さらに授業実践を深めてよりよい総合的
日本語教育のために研究し続けていきたい。
謝辞
この論文は、執筆者以外に3人の担当教師(チュラロンコン大学文学部
池谷清美氏・岩井茂樹氏・Kanokwan L.片桐氏)の授業実践をもとにして書
かれている。改めてお礼を申し上げる。また匿名査読者および編集委員長か
69
らは多くの貴重なご意見もいただき論文の不備や問題点を改善することが
できた。ここに心より感謝の意を表したい。
注
(1) ここで言う他作品とは、1月の終わりから2月の初めにかけて行われ
た「創作バンコク編」のプレゼンテーション発表の作品のことである。
(2) 理解活動で使用した第 36 話の中に日本人なら馴染みのある小説『二十
四の瞳』に関わる場面が登場する。読解の授業では、作品理解のため
に押えておかなければわかりにくいこうした背景的な知識を指導した。
ちなみに第 36 話は、寅さんが伊豆下田にある離れ島の分校で教師をし
ている女性に恋をするという話で、小説『二十四の瞳』になぞらえた
作品であった。
(3) ただし、言語的な価値と文化的な価値とは、密接なつながりを持つも
のであり、指導する際には、その両方を指導することもある。例えば、
「赤提灯で一杯やる」という表現を説明する際は字義通りの意味とと
もにサラリーマンらの仕事後の癒し方といった文化的な背景を説明す
る必要があった。
(4) この表では、日本語の年齢の上下関係による固有名詞(寅)の使用も
反映している。
(5) ただし、方言や位相語は、学習の障害となる場合も少なくなく注意が
必要である。指導の目的に合わせて教材の加工を加えても問題ない。
映画『男はつらいよ』には、話し言葉特有の音変化(縮約形)や省略
が多い。本実践で内容面を重視する際には、スクリプト上はそのまま
見せて説明の時に口頭で補助的な説明をした。
(6) 窪田(2006)参照。ただし、映画の制作年によっては、現在の日本社
会では見られなくなった風物や慣習が出てくる場合もあるので注意が
必要である。その場合、何が脈々と残り何が消える文化なのかという
点を考えさせるのも教材の価値として意味が深い。
(7) こうした場面の一つひとつには、相手との関係や目的、文脈などに
よって使用に条件が出てくる場合があるので指導する際には、細かい
説明が必要になることが多い。
70
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