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京都市 文化財建造物保存活用 公開セミナー
平 成 2 2 年 度 京都市 文化財建造物保存活用 公開セミナー 報 告 書 平 成 2 2 年 度 京都市 文化財建造物保存活用 公開セミナー 報 告 書 目 次 ■ 開催にあたり‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2P ■ 開催内容‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3P 第Ⅰ部[11 月 6 日〜 7 日] ■ 開催挨拶‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5P ◦公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 会 長 田中 敬二 ■ 来賓挨拶‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6P ◦京都市文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課 課 長 北田 栄造 ■ 講 演‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7P ◦京都大学 農学部 元教授 岩井 吉彌 ■ 実 演・体験学習‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 12P ◦公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 「檜皮葺」 ‥ ‥‥‥‥ 12P ◦日本伝統建築技術保存会 「木工」 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 13P ◦全国文化財壁技術保存会 「左官」 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 14P ◦社寺建造物美術協議会 「丹塗・彩色・漆」 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 15P ◦文化財畳保存会 「畳」 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 18P ◦全国伝統建具技術保存会 「建具」 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 19P 第Ⅱ部[11 月 20 日] ■ 明通寺建造物等見学会‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 20P ■ 来賓挨拶‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 21P ◦小浜市教育委員会 教育長 森下 博 ■ 講 演‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 22P ◦明通寺 住 職 中嶌 哲演 ■ 檜皮採取実演[明通寺 境内] ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 26P ■ 国宝 明通寺本堂 保存修理現場見学‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 27P ■ 参加者の感想‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 28P 平成 22 年度 京都市文化財建造物保存活用公開セミナー 開催にあたり 日本の宝である文化財建造物を後世に遺し、世界に向けて発信していくため、 建造物の修理・保存に必要な植物性資材を取り扱う選定保存技術団体が一堂に会 した。京都市文化財建造物保存技術研修センターを主会場とし、11 月 6 日、7 日 の二日間にわたりセミナーを開催した。 セミナー初日には京都大学農学部元教授 岩井 吉彌様をお迎えして「北山杉林業 と京都の文化」と題した講演会を実施、また、京都府文化財保護課のご尽力と清 水寺や伝統技術保存5団体(日本伝統建築技術保存会、全国文化財壁技術保存会、 社寺建造物美術協議会、文化財畳保存会、全国伝統建具技術保存会)のご協力に より、研修センターと清水寺の2会場で伝統技術の実演・体験コーナー、パネル 展示等を行った。 参加団体の熱心な説明や技術保存に対する熱い思いを伝えることができたので はと考えている。多くの方々の参加を頂き、両日とも晴天に恵まれ、匠の技をい かんなく発揮することができた。 また 11 月 20 日には、福井県小浜市 明通寺を舞台に文化財講演会、檜皮採取見 学会、さらに同寺のご協力も得て、本堂の保存修理現場の見学会も行うことがで きた。講演会では明通寺住職の中嶌 哲演氏から「明通寺について」と題した講演 を頂き、その後、 (公社)全国社寺等屋根工事技術保存会の原皮師2名によ る檜皮採取の実演も行った。さらに、 (公財)文化財建造物保存技術協会 の担当職員から説明を受けながら、本堂の檜皮葺屋根工事の現場見学 会も行った。 当日の参加者は 100 名を超え、講演や見学会を通じ、伝統技術の大 切さに改めて思いを馳せている様子であった。 2 ■開催内容 名 称 ● 平成 22 年度 文化財建造物 保存活用公開セミナー 主 催 者 ● 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 ■第Ⅰ部/文化財講演会、伝統技術保存団体による出展、特別見学会(自由参加) 期 日 ● 平成 22 年 11 月 6 日(土)〜 7 日(日) 会 場 ● 京都市文化財建造物保存技術研修センター(京都市東山区清水二丁目 205-5) 清水寺 境内(京都市東山区清水 1-294) 参 加 者 ● 500 名 講 演 者 ● 京都大学 農学部 元教授 岩 井 吉 彌 協力団体 ● 日本伝統建築技術保存会 全国文化財壁技術保存会 社寺建造物美術協議会 文化財畳保存会 全国伝統建具技術保存会 特別見学 ● 重要文化財 清水寺 朝倉堂保存修理現場 ◦文化財講演会 [11 月 6 日(土)] 1 開催挨拶 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 会長 田中 敬二 2 来賓挨拶 京都市文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課 課長 北田 栄造 3 講 演 京都大学 農学部 元教授 岩井 吉彌 / 題目「北山杉林業と京都の文化」 ◦伝統技術保存団体による展示・実演 [11 月 6 日(土)〜 7 日(日)] 第 1 会場/京都市文化財建造物保存技術研修センター、第 2 会場/清水寺境内 ◦特別見学会 [11 月 6 日(土)〜 7 日(日)] 自由参加 京都府教育委員会主催「重要文化財 保存修理現場公開」/清水寺 朝倉堂 3 ■第Ⅱ部/明通寺建造物等見学会、文化財講演会、檜皮採取実演 期 日 ● 平成 22 年 11 月 20 日(土) 会 場 ● 明通寺(福井県小浜市門前 5-21) 参 加 者 ● 107 名 講 演 者 ● 明通寺 住職 中嶌 哲演 1 見 学 福井県立若狭歴史民俗資料館(福井県小浜市遠敷 2 丁目 104) 2 開催挨拶 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 会長 田中 敬二 3 来賓挨拶 小浜市教育委員会 教育長 森下 博 4 講 演 明通寺 住職 中嶌 哲演 題目「明通寺について」 5 実演見学 [場 所]明通寺 境内 [実演者]公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 原皮師 大野 浩二、森山 淳希 6 見 学 [寺 内]国宝 明通寺本堂・三重塔、重要文化財 木造薬師如来坐像 等 [現 場]国宝 明通寺本堂保存修理現場 案内者 公益財団法人 文化財建造物保存技術協会 稲葉 敦 【プロフィール】 岩井 吉彌(いわい よしや) 昭和20年●京都市生まれ 昭和43年●京都大学農学部林学科 卒業 助手、助教授を経て教授 昭和56年●家業の林業(北山杉林業)を継いで勤務と兼業 平成21年●京都大学 定年退官 [ 主な著書] 京都北山の磨き丸太林業/都市文化社 日本の住宅建築と北アメリカの林産業/日本林業調査会 ヨーロッパの森林と林産業/日本林業調査会 竹の経済史/思文閣 新・木材消費論/日本林業調査会(編著) Forestry and the Forest Industry in Japan/UBC Press in Canada(編著) 中嶌 哲演(なかじま てつえん) 昭和17年●小浜市生まれ 昭和32年●明通寺道場にて得度 昭和38年●東京芸術大(美術学部芸術学科)中退 昭和41年●高野山大学(仏教学科)卒業 昭和41年●高野山円通寺道場にて加行結願 平成 3年●総本山仁和寺より明通寺住職の任命を拝受 平成 4年●棡山明通寺に普山 [ 主な著書] 平和への鈴声 -托鉢13年の記録-/文政堂 原発銀座・若狭から/光雲社 4 第Ⅰ部 [11 月 6 日〜 7 日] ■開催挨拶 主 催 者 ● 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 会長 田中 敬二 この度の公開セミナーは、平成 18 年から年1回ずつ開催させて頂いており、今年で5回目となります。 本日は岩井吉彌先生の講演と、第 1・第 2 会場に分かれて6団体が実演・展示、そして皆様が体験できるよ うなコーナーを設けております。文化財建造物修理の、特に主だった植物性の屋根を葺く団体、それから木 工、漆・彩色、日本畳、壁、木製建具と、以上の6団体が一堂に集まりまして開催致します。こちらのセン ターが第1会場、第2会場は清水寺の境内をお借りして非常に目立つところにテントを張っておりますので、 今日と明日、ご自由に見学・体験をして頂ければと思います。清水寺の朝倉堂という建物も工事現場でござ いますが、今一般公開されておりますので、併せてご見学頂けるかと思います。 文化庁の企画で植物性資材の供給を目的として設定された「ふるさと文化財の森」というのが全国各地に 現在 30 個所認定されています。そしてこちらのような研修センターが全国に6個所あります。ここ京都市 文化財建造物保存技術研修センターは全国に先駆けて第1号で建てられたわけですが、一番遠いところです と福島県にあります。文化財修理をする職人の養成をこのような研修センターで行い、文化財に使われる資 材の供給を森で行うという企画であります。このような公開セミナー等を通じて、我々の修復技術の見学や 体験をして頂き、皆さんに親しんでもらえるような普及啓発をしておりますので、この機会にどうぞごゆっ くりとご参加頂きたいと思います。 よろしくお願い致します。 5 ■来賓挨拶 来 賓 者 ● 京都市文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課 課長 北田 栄造 おはようございます。今、田中会長がおっしゃったようにこのセミナーも今年で5回目ということで、私 も 1 回目から参加させて頂いております。5回目といいますと毎年同じような事をやっているようにもみ えますが、徐々に新しい職人さんが増えていっているとお聞きしておりますし、檜皮採取など、志を持った 若手の方が着実に育っていっておられるとお聞きしております。この研修センターを拠点にして,毎年数名 の方がここから全国へ研修に行っておられるということで、大変私共もありがたく感じております。 さて、11 月のこの週は、今日もそうですが、文化財保護強調週間ということで全国的に色々な文化・文 化財の関係の催し物があると思います。先程、田中会長がおっしゃっていたように清水寺でもあるようです し、それ以外に京都市内だけでもたくさんあると思います。その中で本日こちらにご参加頂きました皆さん 方、大変ありがとうございます。せっかくこちらに来られたのですから、これからの岩井先生のお話、ある いは専門技術者の実演、さらに自らも実演に参加されて十分に楽しんで頂ければと思います。 さて、現在、全国の国宝は 1,081 件を数えますが、市長が時折、京都市の文化財の話をする時に「京都 市には 200 以上の国宝がありますが、これは全国の国宝の 2 割にあたります。」というようなことをいいま して、京都市が文化財の宝庫であることをたとえます。実は、本日ここで開催されております、檜皮とか畳 とかの技も選定保存技術という国の指定を受けております。これには保持団体として団体で認定されている ものもあれば、個人として認定されているものもあります。この選定保存技術は全国に団体が 31 団体、個 人が 51 名おられます。そしてその内の3割以上が京都市内に団体あるいは個人の方でいらっしゃるのです。 かざり 残念な事に檜皮採取の大野豊さん、錺金具の森本安之助さんが相次いで本年お亡くなりになり、痛恨の極み でございますが、また次の方が育っておられるということで頼もしくも思っております。重要文化財や国宝 という言葉はよく耳にしますけれど、「選定保存技術」というのは、そのものは文化財ではないのですが、 文化財を育み後世に伝えていくための技、技術ですので、そういったものにも近年、陽が当たってきている ということに関しまして私共大変ありがたく感じております。そして、その選定保存技術の技、技術という のは、 「技の人間国宝」とも言われておりまして、本日ここで実演されておられる方々も、長年のご苦労の 中でその技を習得された方々ばかりです。 そういった一流の技を皆さん方が間近に見られて、また体験をされて、そして次にどこか他の文化財を見 学された時には、「ここのこれはあの時のあの技が活かされているのだな」というようなこれまでとは違っ た文化財の見方ができるかと思います。そしてまた、本日お話し頂きます岩井先生の「北山杉」についても、 そのものは文化財ではないかもしれませんが、伝統的な技を後世に伝えていくために今どうなっているのか というお話は大変興味深く、私もお聞きするのを大変楽しみにしております。そういった知識を得て皆さん 方が次に北山へ行かれた時には、「先生が話しておられた、ここがこうなっているのだな」などという深い 目で見ることができると思います。またそのような目で見て頂ければありがたく思います。 先生、本日は宜しくお願い致します。 6 ■講 演 講 師 ● 京都大学 農学部 元教授 岩 井 吉 彌 「北山杉林業と京都の文化」 今日のテーマは、北山杉と京都の文化ということでありますが、本日はまず、木材の消費について、世界 の中で日本はどのような位置にあるのかをお話してから、北山杉の話に入っていきたいと思います。 みなさん、 「こけら落し」という言葉をご存じだと思います。こけら落としとは、建物が完成して、お披 露目の時に行われる催しもの、例えばコンサートホールであれば、完成記念のオーケストラ演奏を指します。 こけら か き ところで、こけらという字は御存じですか。 「杮」と書き、もともとは、「柿」という字に似てはいる かき ものの、果物の柿とは全く関係ない字でありましたが、現在では、杮という字を当てております。 こけらとは、こけら板のことで、こけら葺に使われる板のことでありまして、昔は、一般の住宅でも使わ れたようです。現在の日本では、防火上、一般には、屋根を板で葺くことは禁止されています。しかし、ア メリカやカナダに行きますと、一戸建て住宅では、今でもこけら板で屋根を葺くことは一般的でして、むし ろステータスシンボルになっています。 こけら落しの話に戻りますが、こけら葺職人が屋根葺作業の最終日に、屋根が葺き終わったら余ったこけ ら板を下に落し、それが葺き終わりの合図、つまり、建物完成の合図であったということ、これが現代のこ けら落しの語源となりました。 もうひとつ、 「うだつが上がらない」という言 葉がありますが、うだつという字をご存知ですか。 「卯立」とも書きますが、もうひとつの字があり まして、木偏に喜ぶという意味の漢字を組合わせ て、梲と書きます。 昔、庶民が一定の経済力を示すために、自分の 家の屋根に、木で作った飾りをあげたのですが、 これがうだつです。うだつをあげたら、その人は 経済力があることを周りの人たちが認めたという わけで、その反対が「梲が上がらない」というこ とです。 アメリカシアトル郊外の建売住宅、屋根はすべて板葺で、それ がステータスシンボルになっている。 このように、私たちが、日常使う言葉の中に、 木偏の漢字つまり、木に関する言葉がたくさんあ ります。 日本の漢字には、木偏をはじめ、さんずいへん・ にんべん・草かんむりなどいろいろあります。以 前に漢和辞典で、何偏の漢字が一番多いかを調べ たことがあるのですが、ダントツで多いのが木偏 の漢字でした。つまり、木偏の漢字の多さからも、 日本は、さすがに木の国であるということが、よ くわかります。木の国であるということは、建築 カナダ東部の建築中の住宅、屋根は板葺である。 7 をはじめ、家具や道具類にも木材が多く使われてきたということでしょうが、木の材質にもこだわってきた はずです。 木の材質ということについて、ここで、少し面白い事実をお話してみます。 我が国は、森林国であるにもかかわらず、世界中から多くの木材を輸入しており、木材自給率はたったの 30 パーセントにすぎません。これほどたくさんの木材が輸入されるようになった理由として、価格が安かっ たということだけが強調されますが、もう一つ忘れてならないのが、輸入される木材の質がとても高品質で あったということです。かつて大学におりました時に、日本に木材を輸出している、色々な国で調査をした ことがありますので、その時に明らかになったことを少しお話してみましょう。 アメリカやカナダの、製材品輸出業者 20 社を訪問した時のことです。彼らは、自国内をはじめ、世界各 国に木材を販売していますが、一等材はすべて日本へ、二等材はヨーロッパへ、三等材は香港・シンガポー ル・台湾・韓国へ、四等材は国内市場へ、そして五等材は中近東へ販売していました。日本は、いい木材を たくさん買ってくれる上得意だということでした。ロシアのシベリアで伐採される丸太の中でも上等なのは アカマツの類ですが、最もいいものは、すべて日本向けだということでした。インドネシアでは、今でこそ 丸太の輸出を禁止していますが、それ以前は最上級のラワン材はすべて日本向けに輸出され、それがベニヤ 板に加工されていました。最近は、ヨーロッパから日本に輸出される木材が増えてきましたが、輸出される 木材は厳選されたものに限られます。このようなことから、日本に輸入される木材は、各国で伐採・生産さ れた木材の中で、厳選された最上級の木材であるということが分かります。これらの木材は、樹齢が少なく とも 100 年以上で、その中の節の少なくて、美しいものだけが選ばれているのです。 一方、日本の国産材は、吉野杉や秋田杉といった銘柄材を除くと樹齢は 40 〜 50 年で、余り枝打ちがなさ れていない節の多い木材ですので、とても輸入材の材質には太刀打ちできず競争に負けてしまった結果、自 給率が低くなったというわけです。とにかく日本という国は、世界で生産される木材のいいものだけを輸入 している国、つまり、世界で最もいい木材を消費する国なのです。 では、つぎに国内産の木材に目を転じてみましょう。 屋久杉は別として、我が国で最も高価な建築材の典型例は、吉野杉といってもいいでしょう。それは、世 界的に見ても、最も高価な木材です。吉野杉は、樹齢が 200 年以上であり、数寄屋建築の内装材として使わ れるケースが多いのですが、20 年ほど前に、吉野の製材工場に行って次のような質問をしてみました。「お 宅の工場で生産された吉野杉製材品のうち、最も上等のものはどちらに販売されますか?」と。私は、当然、 東京という答えが返ってくると思っていたのですが、答えはなんと京都でした。つまり、吉野杉の最上級品、 つまり日本で最も上等の木材は、京都で消費されるのです。 以上のことを三段論法でまとめますと、世界で最もいい木材は、日本で消費される、そして、日本で最も 上等の木材は、京都で消費される。したがって、世界で最もいい木材は、京都で消費されるということにな ります。京都では、それだけ高級な建築も行われていることになります。このように、京都は、世界的に見 て、実にすごいところなのです。その街に私たちが住んで、働いているのです。 さて、それでは次に、北山杉の話に移りたいと思います。 北山杉も、先ほどの吉野杉に勝るとも劣らない高級な木材です。北山杉といいますと、皆さんは細く長 く、整然と立ち並ぶ杉木立を思い浮かべられると思います。川端康成の小説「古都」にも登場しますし、日 本画家である東山魁夷によっても描かれました。北山杉は、京都の北山地方で40年間手塩にかけて育てられ、 砂で磨いて床柱を中心とした最終商品に仕上げられるところから、磨き丸太とも呼ばれます。とても高価な ので、一般の材木屋さんでは扱われず、銘木屋さんで扱われてきました。 北山杉の林業は、今から 600 年ほど前から、京都の茶の湯の発展とともに始まったと言われています。こ こでは、北山杉の需要が、茶の湯に伴う茶室での使用から数寄屋建築を経て、一般の住宅にまで使われるよ うになった歴史について、本日のテーマであります「京都の文化」という視点からお話ししてみたいと思い ます。 (ここで次頁の資料 1 を説明) 8 資料1 北山杉と京都の文化 ■茶 室 1500 年ごろ 茶室の建築 村田珠光による四畳半の茶室(京都六条堀川) など 床柱は、 広葉樹やアカマツなど中心 一部に北山杉 (大徳寺茶室) 1600 年以降 多くの茶室に北山杉 (京都) 三千家の茶室など 江戸期の茶の湯…建築・庭園・陶芸・工芸・料理・菓子・着物・礼儀作法といった、 庶民文化に関して指導的な役割を果たした=京都の文化の大きな柱となった ■数寄屋建築 1600 年ごろ 千利休、 数寄屋風の自宅建築(京都市内西陣) 最初の数寄屋建築、茶室風 従来の武家文化や武家住宅に対抗して、 自由なデザインの新しい住宅様式 武家住宅 (書院造) =武士の社会的地位を誇示 数寄屋建築 =純粋に建物の美しさを追求 ← 茶の湯の美意識による ① 1600 年代前半:桂離宮 八条宮家の数寄屋風別荘 北山杉の長押 ドイツの建築家 ブルーノ・タウト「泣きたくなるほど美しい」 と高く評価 ② 1600 年代半ば:修学院離宮 後水尾上皇の数寄屋風離宮 北山杉多用 ③ 1600 年代半ば:京都島原 角屋(置屋) 代表的な数寄屋建築 北山杉多用 ④ 1700 年ごろ :尾形光琳自宅 数寄屋建築(京都御室) 明治期∼第二次大戦後 有名人・上流階級の邸宅、料亭、旅館の数寄屋建築 北山杉多用 (京都に限らず) 特に戦後、 大学建築科出身建築家(村野藤吾・谷口吉郎・吉田五十八・堀口捨巳) による 数寄屋建築 (都ホテル佳水園・志賀直哉邸・岡崎つるや・名古屋八勝館) が普及の原動力 となる。 大工・棟梁の独占物から建築家へ ■一般住宅 高度経済成長期 一般住宅、 マンション、 建売住宅、 プレハブ住宅における、数寄屋風和室の導入 床柱としての北山杉 [数寄屋建築の材料] 「素木造りなので、素材の持つ固有の美しさが強調される。 そのたために、素材は厳選される。 しかし、 その素 材も自然のままではなく、限りなく人間の手が加えられて美しくなったもの、つまり、理想化された自然なので ある。 それゆえに、 素材の美しさが厳しく問われる。」 (伊藤ていじ 他・「数寄屋」 より)= 北山杉がその典型 只今、北山杉には美しさが厳しく要求されると言いましたが、その具体的な条件は、無節・通直・真円・ 本末同大・美肌・割れにくさなどです。また、用いられ方から見た北山杉の最大の特徴は、床柱などのよう に細い丸太のままで用いられるということです。 9 床柱というのは、ほぼ太さが決まっています。 しかし、山で育てた北山杉が、床柱としては太す ぎるからといって、製材機にかけて削って細く することはできません。丸太の形で使われてこ そ、価値のあるものだからです。だから、植林し、 40 年間育てて伐採する時点で、床柱としての太 さになっていなければならないのです。従って、 一定の太さであることに加えて、無節で、通直で、 真円で、本末同大で、美肌で、割れにくいもので なければならないのです。こうした商品を、プラ 高級旅館「半水慮」の客室に使われている北山杉 スチック製品として工場で作るなら至って簡単で しょう。しかし、北山杉は、厳しい自然の中で、 何十年にもわたって育てなければならないのです。 以上のような条件を満たすために、北山杉を育てるに当たっては実に多くの技術が駆使されています。こ こでは、そのすべてについて述べることはできませんので、三つの主な技術についてお話しましょう。その 三つとは、挿し木・枝打ち・密植です。 北山杉林業では、すべての苗木が挿し木苗です。挿し木苗を用いると、交配が行われないので、いい DNA を固定して通直や真円、美肌などを実現しやすいのです。しかしそれだけでは、理想的な北山杉はで きませんので、さらに、枝打ちや密植の技術が必要です。 枝打ちは、もちろん無節材を作るためには必要ですが、強度の枝打ちをして、一定の太さにコントロール する役目も果たしますし、同時に美肌・割れにくさも実現します。さらに、残った枝の中で特に太いものだ けに対して葉っぱの半分だけを取り去ること(こ れを払い枝という)で、通直や真円材を実現しま す。このように、枝打ち技術は実に多くの目的を 持っています。 次に密植というのは、苗木を植え付ける際に苗 木と苗木の間隔を狭くすることです。北山杉の場 合は、一般の林業に比べて、その間隔を 3 分の 1 以下にします。そうすることによって、苗木間の 競争原理を利用して太りを抑制し、その結果、一 定の太さ・通直・真円・本末同大・美肌・割れに くさが実現します。従って、密植も多くの目的を 北山杉が完成商品として販売されているところ 持っているのです。また少し視点を変えますと、 例えば、通直を実現するために一つの技術だけで なく、挿し木・枝打ち・密植の三つの技術を相互 に関連させていると言えます。このように考えま すと、北山杉を育てる技術体系は実に複雑かつ巧 妙に組み合わされていることがわかります。 このように、北山杉を育てるのは、場合によっ ては自分の子供を育てるよりも手間や配慮が必要 な、気の遠くなるような仕事なのです。その内容 を端的にあらわすのが、北山杉を育てるコストの 高さです。よく林業では、1 町歩の森を育てるコ 北山杉の若い林、強度の枝打ちが行われる 10 ストによって比較されますので、これに基づいて計算をし てみます。 日本の一般の林業ですと、300 ~ 400 万円です。国際比 較をしますと、欧米の林業では 30 〜 40 万円というところ です。日本の林業は、欧米の 10 倍ぐらいのコストがかか ります。それは主に、下草刈りの費用です。温帯モンスー ン気候の日本では、雑草がとてもよく繁茂し、杉やヒノキ の樹木を育てるには何回も下草刈りをしなければならない 講演風景 からです。これに対して、北山杉の場合は 1,200 万円です。 これは、世界標準と比べるとなんと 30 〜 40 倍になります。 外国から視察に来た人が、北山杉のコストを聞いてとても信じられないと言います。ひとケタ違うのではな いかと言うのですが、そうではないと言いますと、それでは北山杉の価格はどれぐらいの価格かと尋ねます。 価格を言いますと、そんなに高い木材を一体誰が使うのかと不思議そうに尋ねてきます。我々日本人がその ような高い価格の木材を使っていること自体信じられないのでしょう。アンビリーバブルなのです。それが 日本や京都の木の文化の神髄を表しているのかもしれません。 最後に、最近の北山杉を取り巻く経済的状況について述べてみたいと思います。 10 年ほど前から、需要が大きく落ち込んでおりまして、現在の価格では北山杉林業は採算割れになって います。この需要の減少は、日本の経済の落ち込みというよりは、むしろ、構造的な要因がより強いと考え られます。 主な要因は次の三つです。 ①従来は、一般住宅の中には少なくとも一室は和室であり、そこには北山杉が用いられることが多かった のですが、近年は、ほとんどが洋間となって和室そのものが減少しました。また、和室を作って床の間 を設けるといった装飾空間にお金をかけるよりも、台所などの機能的な空間にお金をかける傾向が強く なったことで、北山杉の出番が激減したわけです。衣料で言いますと、最近は洋服が中心となり、着物 が着られる機会が激減した現象とよく似ています。 ②住宅建築にあたって、建築部材の加工には、工場でのコンピューターによるプレカット加工が一般化し ました。しかし、北山杉は丸太のまま使われるので、丸い木材をプレカット加工するのは極めて難しい ところから、北山杉の使用は、敬遠されるようになりました。 ③以前は、料亭や旅館のデザインは数寄屋建築が多かったのですが、最近は、民芸調のデザインで黒っぽ い内装が多くなって、北山杉の出番が少なくなっています。例えば近年、人気の高まりつつある温泉地、 例えば湯布院や黒川温泉の多くの旅館は民芸調のデザインになっています。また、飲食店の内装につい ては、京都の祇園界隈のレストラン などにみられるように、民芸調のも のが主流で、新規の数寄屋造はほと んどありません。 以上のことから、北山杉は今後、数寄 屋建築や和室の床柱分野での需要はほと んど期待できなくなっているので、洋間 にもフィットした新しいインテリアデザ インの開発や、建築材以外の新しい用途 を開発していくことが重要であります。 以上で、私の講演を終わります。ご清 聴有難うございました。 11 ■実演・体験学習 出展団体 ● 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 テ ー マ ● 檜皮葺 内 容 ● 道具・唐破風模型・パネル展示 こしら 檜皮葺竹釘打ち体験、檜皮材拵えの実演 今年度は、檜皮材の拵えの実演、模型を使っての竹 釘打ちの体験コーナー、檜皮採取のパネル展示を設け ました。 拵えの実演では、山での原皮師の作業風景をパネル 展示し、丸皮から屋根に使う材料になるまでを工程を 追って行いました。山から持ち帰った様々な厚みの皮 を、同じ厚みに整え、檜皮包丁を使い綴っていきます。 2、3枚の皮が1枚の決められた形になっていく様子 を感心して見ておられました。 体験コーナーでは、見慣れない屋根金槌を使い、口 にした竹釘を檜皮模型に打ちしめてもらいました。竹 の釘だけで皮が止まることに大変驚かれていました。 実際に自分の手で打つことによって竹釘の頭がつぶれ ていくことや、先人の方たちが残した伝統技術に少し でも触れてもらえたことは大変うれしく思いました。 伝統の名匠をはじめ、多くのイベントに出掛け、実 演する機会も増えてまいりました。わたくしたちの技 術を知ってもらうには、口で説明することも大切です が、やはり、実際に見て触って いただくことが一番なの ではと感じています。このような場を作ることで、文化財を支える伝統技術 の保存、継承していくことの大切さを伝えられれば幸いです。 今後の課題としては、展示・実演となるとどうしても檜皮葺に偏ってし まうため、杮板の拵え実演や、茅葺の紹介など、幅広く行っていければと 思っています。また、今年度は清水寺境内では作業を行いませんでしたが、 会場スペースがあれば、いろいろな場所に出掛け、より多くの体験の場を確 保していくことも必要だと思います。 12 出展団体 ● 日本伝統建築技術保存会 テ ー マ ● 木工 内 容 ● 模型・道具の展示 やりがんな 丸太はつり・槍鉋の実演 今年は清水寺の境内にも会場を設け、センター会場 と併せて昨年の倍のスタッフで臨みました。清水寺の 人の多さにてんやわんやしながらも、伝統的な大工の 手道具や模型を披露し、その説明にもうまく対応する ことができました。特に観光で来られた外国の方々が 印象的で、積極的に体験学習をしていただけたことが 有意義でした。中にはリュックを背 負ったおばちゃんが、槍鉋か ら台鉋へと変遷していった 大工道具の歴史に耳を傾 けてくださって、慣れな い手つきながらも檜を削 られ、その鉋クズを大事 そうに持ち帰られたのは、 下手な説明しか出来ない私達 に「もっと一般社会に伝統的な建 築技術の技について啓発する責任」という重いものを 感じさせてくれました。センターの会場にも沢山の見 学者が来られ、展示模型やパネルを熱心にご覧いただ きましたが、さすがに清水寺の観光客は大勢で、見学 者の数もスタッフの人手も清水寺会場に偏った雰囲気 となりました。 槍鉋や台鉋は、伝統的な大工技術の僅かな部分でし かありませんが、木材に対する日本人の美意識の表れ がこの技術の生まれた根源ではないでしょうか。そう いう繊細な大工道具技術がある反面、今年は福井の会 員さんが「丸太はつり」を披露してくれました。さす がにこれは「体験学習」とはいかなかったのですが、 その豪快さ、太い松の丸太(梁材)につらを付けてい みは まさかり く作業には目を瞠る物があり、鉞・チョウナを巧みに使いどんな大きな丸太でも原木から用材に仕立ててい く大いなる巧みの心意気を感じていただけたと思います。ただ、ちょっと気になったのは、「はつりカス」 が方々に飛び散るので、見学の方に当たらないようにするのが大変でした。次回はもっと広い場所で、もっ と大きな丸太を用意してみたいと思います。迫力が倍増します。 展示模型にも興味を示される方が多くて、会長はその説明にあくせくしていました。でも子供達が面白そ うに、また輝いた眼差しで見入ってくれたことが印象的で、「将来は大工さんになって、清水寺のような大 きなお堂を作ってくれよ。」との話し掛けには、ニンマリ笑って応えてくれました。その子の母親との様子 に今回のセミナーの意味深いものを感じた二日間でした。 13 出展団体 ● 全国文化財壁技術保存会 テ ー マ ● 左官 さ かんごて 内 容 ● 塗壁見本、左官材料、左官鏝、壁下地、鏝絵の展示 今年度の展示では、以前は当たり前のように行われ ていた竹小舞下地による土壁工法とはどういうもの か、そしてその魅力を知ってもらおうと考えました。 今回は特に、建物が出来上がってしまうと見えなく なる壁下地を実際に見てもらおうと、普通行われる竹 小舞下地と、土蔵などで施工される丸竹を使った大壁 用の竹小舞下地を展示しました。実際に見たことのあ る方は少ないと思いますが、土壁の下に多くの工夫が 隠れていることを知ってもらえたと思います。両者の 違いや、大壁用の竹小舞に結びつけられた下げ縄のこ となどを熱心に質問されている方もいました。また、 土壁の美しさを知ってもらうために、仕上げ見本を多 数用意しました。色彩や肌合いの種類に驚かれる方が 多く、日本には豊かな土壁の文化があることを感じ 取っていただけたと思います。 土壁を造っていく上で必要な左官材料(各種色土、 わら あさ すさ 砂、藁 麻 苆、石灰、等)と道具の展示も行いました。 それらを通して、土壁をつくるには左官だけでなく、 こて か じ 壁土を製造する人、左官鏝をつくる鏝鍛治、石灰の製 造者など、細かく数え上げたらきりがないほど多くの 人たちが支えあっていかなければできないことを知 り、またそのつながりが消えてしまう恐れがある所ま できている現状について考えました。 左官工事は幅が広く、壁工事だけではなく建築装飾 の分野でも、その技術が使われてきました。その中の 一つである鏝絵を、今回は展示することにしました。 左官工事の広がりを知ってもらい、左官でこんなこと もできるんだという処を見てもらいました。見学に来 られた方から「実演はないのですか」と聞かれました が、場所の都合上難しく、映像での展示ということも 次回の課題として考えたいと思っています。 皆さんの話を聞いていると、左官のことはあまり知られていないという印象でした。そこで、左官の伝統 的な土壁工法を継承発展させていくためには、今回の公開セミナーのような場を通じて、多くの人たちに土 壁のことを知ってもらう取組みが必要だと思いました。 14 出展団体 ● 社寺建造物美術協議会 にぬり テ ー マ ● 丹塗、彩色、漆 内 容 ●【丹塗】丹塗模型見本、材料(丹、朱、弁柄、胡粉、黄土、緑青) ・道具(刷毛、前鉋)の展示、 「丹塗の歴史・丹塗施工について」・「施工例写真(八坂神社楼門)」パネル展示 うんげんさいしき と きょう 【彩色】繧繝彩色斗栱の模型と繧繝彩色についての解説パネル展示 にかわ 材料(岩絵具・膠各種他)、材料について、復原図、連弁、支輪彩色模型、斜光ライ トでの調査写真パネル展示、施工例 【 漆 】 「漆とは」・「漆塗工程」説明パネル展示、工程見本手板、漆塗工程見本手板、 と こ 材料と道具(漆サンプル、砥の粉、地の粉、ヘラ、塗刷毛、定番)・旧黒漆塗の破片 の展示 今年度は2会場において展示などを行った。京都市 文化財建造物保存技術センターでは、パネルによる解 説や丹塗施工模型・手板、材料・道具を展示し、伝統 的な建造物の装飾(丹塗、漆塗、彩色)の仕事を紹介 させていただいた。 また、清水寺境内では、繧繝彩色を施した実物大の 斗栱模型と繧繝彩色の説明を展示した他、体験コー ナーを設け、第一日目は彩色、第二日目は金箔押しを 一般参加者に体感していただき、文化財建造物装飾の 仕事の一端を感じていただいた。 ■京都市文化財建造物保存技術研修センター会場 【丹塗】 丹塗展示エリアは、実物展示品として丹塗模型、ま た、各種単色塗りの手板を顔料と共に並べ、掻き落と しの際の前鉋や刷毛も道具として置いた。京都市内で も多く目にする機会のある文化財建造物への丹塗(単 色塗)がどのような材料や道具を用いて施工されてい るのかに関心を持つ方が多く、鮮やかな丹の色が鉛を 原料としていることを知り驚かれていたようであっ た。また形状の特異さからか、前鉋をじっくりと観察 される方もいた。 【彩色】 清水寺境内にも「彩色」展示を行っているため、研修センターの彩色展示エリアは各種岩絵具や膠、 「調査」 関連の展示とした。絵具では、同色でも粒子の大きさによる明度や重量の違いに驚いていた方、岩絵具と水 干絵具の違いについて質問される方などがいた。「なぜ色鮮やかに塗り替えるのですか」「昔の塗装は落とし てしまうのですか?それとも塗重ねるのですか?」といった具体的な質問もあり、修理に対する一般の方々 の関心を窺い知ることができた。 15 【 漆 】 今回漆では「工程」をテーマに展示 を行った。日常では上塗りや箔押後など さら の完成した姿のみが目に晒される漆塗である が、素地調整、下地付け、中塗、と続く完成に至るま での工程の多さと地道な作業を、多少なりとも来場者 の方々に感じとっていただけたようである。 工芸品でない建造物への漆塗は「丹塗」や「彩色」 と比較すると華やかではないかもしれないが、そこに かかる職人の苦労や技術の高さを今後も分かりやすく 伝えていけるよう、今後の展示にも更に工夫が必要と 感じた。 ■清水寺境内会場 清水寺境内では 2 日間に亘り、「絵馬の彩色」「金箔押し」を日替わり実技体験コーナーとして、一般客 向けに設けた。また、実物大繧繝彩色斗栱の模型と、繧繝彩色についての解説パネルを展示した。 16 体 験 内 容 ● 彩色「扇面の彩色体験」 日にち ● 11 月 6 日(土) 講 師 ● 社寺建造物美術協議会 会員 概 要 ● 参加者が日本画画材に親しむことを通じて文化財建造物彩色についての 見識を深めることを目的とする。扇型の型板に 3 種のサンプル(手本:富 士山、もみじ、平成 23 年の干支「うさぎ」)を基に日本画顔料を用いて絵 を描き、オリジナルの作品を作る。 [作業手順] 1 下描きとして型紙を木地に当て、墨を専用の短毛硬毛刷毛で擂りこみ形状を写す。または原図から念 紙を用い写す。 2 形状に合わせ下地を塗りこみ、顔料は基本的に混色せず塗り重ねて完成させる。 [使用材料] 扇形型板(35 枚用意)、手本、原図、型、型擂刷毛、念紙、顔料、膠液、筆(面相筆、削用筆)、絵皿、筆洗、 ドライヤー 今回は絵具の準備として顔料を膠で溶き作るなど実際の彩色作業を体験して頂く機会とした。体験コー ナーのテントには外国人観光客の方が多く入場され、特に手本板である「富士山」には興味を示され取組ま れました。普段馴染みのある絵具とは違い、初めて日本画画材に触れられる方も多く、その色づかい、細い 墨線の描きかた等、指導員に積極的に質問する姿が見られました。来場の方には、「清水寺に観光に訪れ、 思いがけずこういった日頃体験できない機会がもてたことは良かった」との声もあり、また、久々に筆を握 られ一時間に亘り大作を完成させ、晴れやかにテントを後にした方もいました。 このような取組みを通じ、テント内で展示しました組物をはじめ建造物彩色に興味をもっていただくこと は意義があることと思います。 体 験 内 容 ● 金箔押し体験 日にち ● 11 月 7 日(日) 講 師 ● 社寺建造物美術協議会 会員 概 要 ● 金箔押しや砂子撒きをする作業を通じ、建造物に施されている金箔押の 素材の特性や技術を知っていただくことを目的とする。 17 [作業手順] 1 箔押しをする対象に筆で接着剤を塗り、ティッシュで拭きとる。 2 箔箸を用いて扱いやすいサイズにカット済みの金箔を箔箸で置き、綿で定着させる。 3 最後に、筆を用いて余分の箔を取り除く。 実際に金箔に触れて、箔押しを体験する機会というものはなかなかないた め、体験に訪れたみなさんからは貴重な体験ができたとの声を聞かせてい ただく事ができた。また今回は屋外でのワークショップであったので、現 場での手作業の難しさも感じていただけたと思う。清水寺という、国内外 からたくさんの方が訪れる場所であったこともあり、例年に比べて体験者数 が多かった。 このような機会をより多くの人に体験していただきたいと思う。 出展団体 ● 文化財畳保存会 テ ー マ●畳 しん ざ たたみべり 内 容 ● 御神座、畳表手織り織機、畳縁の展示 「畳の製作工程」、「畳表の生産工程」パネル展示 薄縁の製作実演、「畳の踏み比べ」 「畳縁縫い」体験コーナー 展示コーナーは、センター会場と清水寺会場の 2 カ所に設置しました。 しん ざ センター会場では「御神座」「畳表手織り織機」「畳縁の展示」と「畳の製 作工程」 「畳表の生産工程」のパネル展示を行いまし た。清水寺会場では、「畳の製作実演」を行いました。 新畳の製作を一から順に披露しました。また拝敷きや 床の間に使用する「薄縁の製作実演」を並行して行い ました。 体験コーナーでは、「畳縁縫い体験」に外国人など 多数がチャレンジし、中でも5歳くらいの少女が途切 れることなく縁を縫い上げたのには驚かされました。 「畳の踏み比べ体験」では畳の硬さの違いに認識を深 められます。 18 や え だたみ あつじょう 展示のコーナーでは「八 重 畳 」「厚 畳」 ゆうそくだたみ なが の有職畳、 「手織り中継ぎ表」「備後地草長 ひげ 髭 引き通し表」 「熊本産表」などの畳表、 うんげんべり こうらいべり 「繧繝縁」 「大紋高麗縁」「中紋高麗縁」「小 紋高麗縁」などの社寺用の畳縁、「畳製作 工程を説明した」製作工程展示をしました。 出展団体 ● 全国伝統建具技術保存会 テ ー マ ● 建具 し くち つぎ て まい ら ど 内 容 ● パネル展示、仕口・継手・砂づり舞良戸展示、「組子コースター作り」体験コーナー 全国伝統建具技術保存会は、前年度に次いで修復作業風景をパネルにし展示しました。建具の例として仕 口、継手、砂づり舞良戸の展示もし、伝統的な技法をご覧いただきました。 また、毎回人気の「組子コースター作り」体験コー ナーでは、親子連れ、老夫婦、女性の方も多く、真剣 に “木を組む” 組子作りに挑戦していらっしゃいまし た。木のやわらかさ、香り、美しさに関心を持ってく れたことと思います。完成した作品を手にし、「楽し かった」と満足そうな笑顔で持ち帰って行かれる姿を 見て、関係者一同ホッとした次第です。 2 日間の日程を終えて、前年度同様 200 名もの大 勢の方々にご来場をいただき、文化財建造物の保護の 大切さを少しでも理解して頂けたらと願う ばかりです。 全国伝統建具技術保存会として、今後、 伝統技術の研鑚と継承、後継者を育成する ために組織全体で文化財保護に力を注ぐ努 力をしていきたいと思っております。 19 第Ⅱ部[11 月 20 日] ■明通寺建造物等見学会 ゆずりざん さかのうえのたむらまろ 明通寺は、若狭国松永に位置し、山号を「棡山」と号し征夷大将軍坂上田村麻呂の宿願によって、大同年 中(806 〜 808)に開創された寺であると伝えられています。 ごうさん ぜ みょうおう じんじゃたいしょう 明通寺には、国宝の本堂並びに三重塔、重要文化財の薬師如来・降三世明王・深沙大将・不動明王像をは じめ数多くの文化財が残されています。 今回は、 (公社)全国社寺等屋根工事技術保存会の呼びかけに 50 数名の方が応募され、京都駅からバスで まず小浜市にある福井県立若狭歴史民俗資料館を参観されました。午後からは明通寺の客殿において、小浜 市教育委員会森下教育長の挨拶に続き、中嶌住職から「明通寺について」と題して講演を頂きました。 その後、現在、保存修理工事が行われている本堂の見学会と昨年に引き続き檜皮採取の見学会を行いまし た。自然豊かな古刹を舞台に公開セミナーを開催させていただき、参加していただいた方には、自然の大切 さ、歴史の重み、文化財に対する熱い想いなど、少しでも感じ取っていただけたなら幸いです。私達もこの 機に更に意識を高めていく必要があるのではないかと感じた一日でした。 寺務所前より国宝 本堂を臨む参道 20 福井県立若狭歴史民俗資料館の見学 ■来賓挨拶 来 賓 者 ● 小浜市教育委員会 教育長 森下 博 本日、全国社寺等屋根工事技術保存会主催の、ふるさと文化財の森『文化財建造物保存活用公開セミナー』 が、この小浜市明通寺様にて開催されるにあたりまして、一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、京都からこの小浜にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。ご存知の方も多いかと 思われますが、かつて小浜市は港で荷揚げされた鯖を京都まで運ぶ街道が、「鯖街道」として発達し、それ らの交流によって、現在までに鯖だけではなく、歴史や文化等も育まれております。 実は、この狭い小浜市内には、明通寺様をはじめ、多くの歴史的建造物があり、国宝2棟、重要文化財5 棟、その他県・市、登録文化財が、あるいは伝統的な建造物群が並ぶ小浜西組重要伝統的建造物群保存地区 が所在しています。ここ、明通寺本堂および三重塔は、福井県内唯一の国宝建造物で、昨年度から来年度の 3カ年をかけて、屋根葺き替え工事を実施しております。三重塔におきましては、先月、屋根葺き替えを終 了いたしましたので、このご講演後、綺麗に葺き上がった三重塔をご覧いただけると存じます。 今回、このセミナーを通して、日頃、目にすることができない職人の技術をご覧になられることで、歴史 的建造物の保存に携わる職人の方々の大切さに皆様の関心もより一層高まっていくのではないかと存じま す。 保存会におかれましては、伝統的工法の技術向上により努めていただき、日本が生みだした伝統文化が後 世に引き継がれていくよう、田中会長様を中心に取り組んでいただければと祈願いたしております。 最後になりましたが、本日ご参加いただいております皆様方、また、このセミナー運営に携われました皆 様方の今後益々のご健勝をお祈り申し上げましてご挨拶といたします。 21 ■講 演 講 師 ● 明通寺 住職 中嶌 哲演 「明通寺について」 どうも皆さんよくお参りくださいました。今日の意義ある集いをご準備いただきました関係の皆様方のご 尽力に心から感謝いたします。 今日のテーマに沿ったお話が出来るかどうか、非常に心もとないのですけれども。取り留めのない話にな るかもしれませんが、皆さんにお配りした資料をもとにお話させていただきます。よろしくお願いいたします。 子供たちに、明通寺は誰が建てたのと聞くと「大工さんが建てたのではないか」と返ってくると思います。 これは名答で、正しい答えの一つだと思います。 明通寺のそもそもの始まりは坂上田村麻呂公の祈願に発しているのですけれども、今日皆さんが実際見学 もとかわ し していただく職人さんたちは、檜皮師、厳密にいうと原皮師というのですね。その人たちの働き、作業があっ て檜皮の原料を揃えて、檜皮師の方たちが葺き上げていかれる。明通寺の立派な三重塔や本堂が、あのよう な姿を見るまでには、原皮師の方、檜皮師の方、もちろん棟梁を始め大工さん達、設計図を引いた人たち、 それぞれの力があってこそ出来上がるわけです。また、そもそも明通寺の建立を思い立った田村麻呂公をは じめとする人々の志というものも、一番の根本にはあるわけです。 ただそういう思いだけではどうにもならないわけで、物資の面お金の面、あるいはそれに関わる人たちの 食料をはじめ色んな支えがあって立派な建物が造られ、そして今日まで守り続けてきたわけです。先の教育 長さんからのお話にありましたように、明通寺の三重塔と本堂は福井県内でたった二つの国宝建造物です。 北陸三県でも、10 年ほど前まではこの二つだけだったのですけれど、富山県に江戸時代に建立された瑞龍 寺という建物 2 棟が加わりました。 私は明通寺の住職でありますが、若狭の地に、この小浜に明通寺三重塔、本堂があることを誇りにしてお ります。若狭の歴史と文化の一つの結晶といいますか、大輪の花だと思っております。でもその大輪の花は 決して天から降ってきたものでもないし、偶然に出来たものでもなくて、その大輪の花を咲かせるためには、 まず土の中に根を下ろして、水や太陽の光や風を受けたり、雨が降ったり、もちろん人が手をかけて完成し て花が咲くわけです。本堂をはじめ、三重塔、その中にお祀りされている仏像がどのようなプロセスを経て 存在し得ているのかを、これから皆さんと共に考えてまいりたいと思います。 た ねんせいりく こ こんきゅうき 多年征戮するところの孤魂窮鬼を救わん まず、はじめに土に種をおろす。この種に相当する部分のお話をしたいと思います。 「闇が濃く深いほど、光は強い輝きを放つ」仏教の法灯も、弱肉強食の時代の闇から誕生したことを忘れて はなりません。釈尊の非暴力・平和、生きとし生けるものへの慈悲の精神は、自らの母国・釈迦族の小国が、 大国の過酷な侵略によって滅亡させられた運命と切り離し得ないのです。 明通寺創建の由来(縁起)にも、同じような時代の闇と光が明らかに反映しているのではないかと思いま え み し りくもう ぼうこんとくだつ とむら す。征夷大将軍の坂上田村麻呂が「蝦夷戮罔の亡魂得脱を訪わんがため」、あるいは「多年征戮するところの 孤魂窮鬼を救わん」と、大同元年(806)に明通寺を創建した——と古文書類で伝承しています。果敢に戦っ た蝦夷側の首長の阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)が降伏、処刑(斬首)されたのは延暦 21 年(802)のこと。 22 二人は民からの信頼が厚く、田村麻呂は二人に蝦夷を統治させてはどうかと進言し、助命を嘆願しましたが、 かん む くぎょう 時の桓武帝や公卿たちには受け容れられませんでした。 はる こ にょうご おう じ こう たん なお、先の文書中には、「春子女御の皇子降誕を祈り奉る」ともあります。桓武天皇と田村麻呂の息女・ ふじ い しんのう 春子の間に、葛井親王が延暦 19 年(800)に誕生しています。この親王は後年、やはり田村麻呂創建の京都・ 清水寺に三重塔を寄進しています。 現存の国宝の本堂(鎌倉中期に再建)内に安置されている薬師如来・降三世明王・深沙大将の三躰は、 ゆずり 九百数十年前に再刻されたものですが、創建当初、棡の大木で刻まれたと伝えられています。田村麻呂の使 ろうおう えんげん こ じ 者がその樹下で出会った老翁(延源居士)が、自ら三躰を刻んだと言います。棡の古葉は新葉に譲って散る。 新たな命への継承が含意されているらしく、「棡山」という明通寺の山号ともなっています。 そもそも若狭と田村麻呂との関係は、田村麻呂と明通寺創建との事実関係は…といった史実まではまだ確 定しておりませんが、少なくとも創建にまつわる以上のような伝承は、明通寺の法灯の原点であると言えま す。とかく現代人は歴史的な事実だとか、科学的な証拠などに重きを置きますが、この明通寺が連綿と続い ているのは、それにまつわる人々の願いや想いがあってこそだと思いますので、私はこのような伝承を尊重 して参りたいと思っています。 祈るところは仏法興隆、願うところは堂塔修造 明通寺は平安〜鎌倉初期に三度の火災に見舞われています。とくに鎌倉中期〜室町期には、十八の塔・堂・ 社と二十五の坊、三十余名の住僧をも擁して栄えた時期がありました。資料の「棡山明通寺之景」をご覧い ただけるとよくわかると思います。この時代、若狭を含め越前などの他の地域にも大きな寺院があり、何千 23 坊も有し、僧も含めて1万人近い人々 が生活をするという寺院都市を形成し ているところもありました。ですから、 中世の明通寺の様子を見ていくうえで も、このような事例との比較も必要か と思います。こういった流れの中に明 通寺もあったのだということがお分か りになると思います。 一方では、江戸期以降は徐々に衰退 し、堂塔の老朽・破損や大雪などの災 害にも見舞われ、その修復に苦悩した ぞう じ 先師たちも少なくありません。「造 次 (つかの間も)に祈るところは仏法興 講演風景 たん ぼ 隆、旦 暮(つねづね)に願うところは 堂塔修造」という、中興の祖・頼禅をはじめとする歴代の先師たち、またそれを田畠、米銭、経巻の寄進や 労働奉仕などによって支えた広範な地域・階層の人々がいたからこそ、本堂をはじめとする堂塔が皆さんの 前に存在し得ているのだと思います。 伽藍を整備することよりも、まず仏法を学ぶ。一人ひとりが仏法に即した修行をすることが大事であり、 やたらにお金をかけて堂塔や伽藍を整備すると、肝心の仏法が疎かになるという考え方も勿論あります。し かし、何とかしてこの堂塔・伽藍を残したい、守りたいという先人の強い想いがあったからこそ、今日の姿 が皆さんの前にあることも忘れてはなりません。 お むろ は 近世に入ってから明通寺は幕府の政策もあり、真言宗御室派に一本化され、京都の仁和寺を本山とした末 寺として今日に至っています。しかし、古代〜中世においては、天台宗・真言密教・修験道などの法灯を伝 えて、比叡山延暦寺や高野山、吉野・熊野の両峯とも交流がありました。その時代は、宗派を問わず様々な 寺院と交流をしていたことがわかります。また、残されている古文書や寄進札からは、それぞれの時代の人々 によって、明通寺の法灯に対してどのような祈願が託されてきたかを窺い知ることができます。 平安朝の天皇は「天下泰平」を祈り、モンゴル襲来前後の鎌倉幕府による「異国降伏」への祈願、若狭の国 げん ぜ あん のん ごしょう ぜん しょ そく さい えん めい ふく じゅ ぞうちょう 司の「国中安穏」、農・商・工民などによる自らの「現世安穏、後生善処」、「息災延命、福寿増長」、有縁の ついぜん く よう そう に しゅつりしょうじしょうぼだい せっしょうきんだん り らく う じょう 先人の「追善供養」、僧尼の「出離生死証菩提」、そして「殺生禁断」や「利楽有情」も…。中でも、生きとし生 けるものの幸福を願う「利楽有情」には、明通寺を物・人の両面から支えてきた庶民の人たち、外から保護 し支援した時の支配層の人たちが何を願っていたのかを知ることができると思います。このような様々な想 いもまた、この明通寺を支えているということを忘れてはなりません。 明通寺 開山 1204 年目からの新たな歩みを 明通寺はすでに開山 1200 年が過ぎ、1204 年目の歴史を刻み始めています。本堂の上にある三重塔のご 本尊はお釈迦様です。皆さんもよくご存知かとは思いますが、お釈迦様の遺骨を納めていたのが塔の始まり です。 その平和にたたずむ三重塔内の釈迦如来が何よりも願われたのは、非暴力と平和、生きとし生けるものの 安穏と幸福です。「己に克つは、他にうち勝つよりも困難であるが、それは戦場において、百千の敵に勝つ よりもすぐれた勝利である」とも釈尊は説かれていますが、坂上田村麻呂の痛切な祈願と響き合い、未だに 戦争の絶えない現代の私たちを導く法灯となすべきだと思います。開山1200年記念法要において、阿弖流為・ 母礼等の過去一切の戦没者の追悼と世界平和を祈念いたしました。 24 しゅうびょうしつ じょ また、本堂内の本尊・薬師如来の「衆病悉除」の悲願にたいして、過去の人々がいかに切実な願望を託し はる こ にょうご てきたかは先に見た通りです。田村麻呂による春子女御の皇子安産の祈願は、新たな命・世代に望みをつな ぐ万人の想いにも通じています。 しかし、現代の私たち自身や社 会は深く病み、自然環境まで病 ませてしまっています。ありと あらゆる病を癒すお薬師様の前 で、わたくしたちはどうしたら よいのか。皆さん方も一緒に考 えていただけたらと思います。 深い闇と表裏する現代文明の 中で、この悲願の法灯が光を増 すことを祈念してやみません。 これまでもそうであったように、 広範な地域や人々に支えられな がら、歩みを進めたいと思って 国宝 本堂(正嘉二年 1258 年再建) おります。 本日は本当にありがとうござ いました。 国指定・重要文化財 降三世明王 (平安時代末期) 国宝 三重塔(文永七年 1270 年再建) 国指定・重要文化財 薬師如来 (平安時代末期) 国指定・重要文化財 深沙大将 (平安時代末期) 国指定・重要文化財 不動明王像 (平安時代末期) 25 ■檜皮採取実演 実演場所 ● 明通寺 境内 実 演 者 ● 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会 原皮師 大野 浩二、森山 淳希 大野 浩二 森山 淳希 心配していた天候も何とか持ち直し、「ふるさと文化財の森」に指定されております境内で檜皮採取の実 演も予定通り実施することが出来ました。当保存会の原皮師2名がその技を披露しました。 言うまでも無く檜皮採取は檜皮葺の根幹をなし、この地道な作業なくして檜皮葺は有り得ないと言えます。 今回は本堂の保存修理現場の見学を実施したこともあって、檜皮葺を支える技術がより身近なものに感じら れたのではと思います。 今回実演した大野、森山両名の檜皮採 取に取り組む真剣な眼差しは多くの人に 感動を与え、こういった活動が日本の伝 統技術の継承に寄与できることを心から 願っています。 実演場所に参加者を誘導するスタッフ 大切包丁を振り下ろす原皮師 赤肌が露わになる檜皮採取の実演を食い入るように見つめる参加者 26 ■国宝 明通寺本堂 保存修理現場見学 見学場所 ● 国宝 明通寺本堂 保存修理現場 明通寺は現在、本堂と三重塔で檜皮葺屋根葺替工事が施工されており、本堂の仮設足場まで登り、滅多に 見られない修理前の檜皮葺屋根を間近に見学していただきました。 参加者の中には直接檜皮葺屋根に手を触れられ、その柔らかみなどを感じておられた方もいらっしゃった ようです。幾重にも葺き重ねられた檜皮葺の状態がお分かりいただけたのではと思います。葺足の部分はひ どく傷んでいるのに、めくってみると野地の状態がきれいなことに檜皮葺の耐久性、日本の伝統的な葺き技 術の一端を垣間見られた様子でした。現場では工事主任の(公財)文化財建造物保存技術協会 稲葉 敦様に、 屋根の構造や檜皮葺仕様について丁寧に説明をしていただきました。 檜皮採取の実演だけではどうしても実感がわきませんが、このように修理現場の見学を併せて実施するこ とによって、体系的に理解をしていただけるだろうと感じています。 葺き替え前の本堂屋根 間近で見る檜皮葺に見入る参加者 27 稲葉主任より説明を受ける 参加者の 感想より 一部ご紹介いたします。 【平成 22 年 11 月 6 日(土)清水寺会場】 Very enjoyable experience. I learned how delicate Japanese painting is. The ability to do gently brush the paint brush is truly an art and a skill. Thank you for the experience. [カナダ在住] 女性 Sugoi ne(^^) It was a real Japanese-like experience! Thanks very much! [イタリア在住] 女性 11月7日京都研修センター会場において 京都府京都市在住・児童の感想より 【平成 22 年 11 月 7 日(日)清水寺会場】 今回は文化財改修の見学で訪問しましたが、この ような企画があることを訪問して初めて知りまし た。文化財というのが今に生きている技能により守 られていることがよくわかり、体験することができ ました。きっと作らせていただいた金箔の皿を使う 度に、文化財の話が家の中ですることができると思 います。 「京都に居てよかった」というセミナーを 開催していただいてありがとうございました。 [京都府京都市在住] 男性 清水寺会場 【平成 22 年 11 月 7 日(土)京都研修センター会場】 今 私は学校で伝統工芸の学習をしているので木 工体験や屋根の体験などもすごくやくに立ちまし た。前も一回やったことがないものまですることが できてうれしかったです。これからやったことを学 習にいかしてがんばりたいです。やったことなどを 先生にも伝えてあげたいと思います。またこういう 体験をぜひやりたいと思っています。 [京都府京都市在住] 児童 京都研修センター会場 28 平 成 2 2 年 度 京都市 文化財建造物保存活用 公開セミナー 報 告 書 発 行 所 〒 605-0862 京都市東山区清水二丁目 205-5 文化財建造物保存技術研修センター内 TEL 075-541-7727 FAX 075-532-4064 http://www.shajiyane-japan.org