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アメリカ合衆国における市民性教育の資料紹介

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アメリカ合衆国における市民性教育の資料紹介
アメリカ合衆国における市民性教育の資料紹介:
パブリック・アチーブメントと貧困問題
A review of materials concerning citizenship education in the United States :
“Public Achievement”and the strategy against poverty
大津 尚志
OTSU Takashi
武庫川女子大学大学院 教育学研究論集
第 11 号 2016 年
武庫川女子大学大学院 教育学研究論集 第 11 号 2016
【資料解題】
アメリカ合衆国における市民性教育の資料紹介:パブリック・アチーブメントと貧困問題
A review of materials concerning citizenship education in the United States:
“Public Achievement”and the strategy against poverty
大津尚志*
OTSU, Takashi*
アメリカ合衆国における市民性(citizenship)教育に関
リック・ワークとしての市民性の概念を基礎にしている。
しては日本においても様々な研究蓄積がある1。近年では
既存の若者組織,学校,コミュニティ機関(PA の場)が,
サービス・ラーニングの研究もさかんである
PA のコーチ,スタッフとともにパブリック・ワークと市
2。
パブリック・アチーブメント(Public Achievement, 以
下 PA)とは,Augsburug College の民主主義と市民主義
民性教育のテーマについて,パートナーシップをつくる。
ひとたび実施されると,パートナーシップは徐々に発展
のためのセンター(Center for Democracy and Citizenship)
し,PA はその場の文化や実践に密接に結びついたものと
長,Harry C. Boyte を中心に提唱されている教育方法であ
なる」5 と定義されている。
る。本稿は「民主主義と市民主義のためのセンター」で
Public な問題をとりあげることをとおして,子どもは
だされているものを中心に PA に関する資料紹介を行う
既存の制度や社会に影響を与えることとなる。そして,
ものである。
PA の実践を とおして子ど もは自分のこ とをパブリッ
PA はミネソタ州や近辺の学校で学校全体あるいはク
ク・ワークに従事する「市民」ととらえるようになる。
ラス単位で実践が行われるなどの影響を与えている(教
PA は週一回の活動などではない。それは生き方(way of
育委員会によって PA が採用されているわけではない)。
life)である 6 。子どもはパブリック・アクターとして,
どの程度の影響を与えているかは間接的な影響も含まれ
公的な問題の解決を学び,そして新たな歴史をつくって
るので正確なところは不明であるが,同センターによる
いくことに参画するのである。
は子ど
PA の実施にあたっては,コーチ(coach)は(教員志
も(8-18 歳)むけの概念であるが,大人向けを含むパブ
望の)大学生,子どもの組織のリーダー,教師,コミュ
リック・ワーク(Public Work)という概念を基礎にして
ニティのボランティアなどが担当することとなる。
と 25000
いる
人以上の若者に触れられたという 3。PA
4 。同センターでは
PA のためのオルガナイザーによ
「Public な問題解決」の仕事にたずさわることとなる。
Public とはなにか。同センターでは公的生活(public
ってさまざまな団体(教員のみならず,看護師など別の
life),私的生活(private live)について【表 1】のように
職種も含む)むけにワークショップも開かれている。
PA とはなにか。PA とは「子どもに対しての,経験に
区別している。
基づいた市民教育(civic education)の構想であり,パブ
【表1】 公的生活と私的生活 7
*
公的生活
私的生活
文脈
仕事場,学校,アソシエーション,会合
家庭,友達とのサークル
目的
問題解決,機関,パワーをつくる
支え,友達関係,親しさ,自分をたかめる
空間の質
開かれた,様々な
閉じられた,排他的な,個人的な
動機
公共の利益
友や家族をささえる,狭い利益,利己心
関係の条件
責任のある,戦略的な,指導された
忠実,親密,独占的
結果
公的な創造,問題解決,市民性,尊重
愛,所属
武庫川女子大学(Mukogawa Women's University)
- 53 -
大津 尚志
Public な問題テーマの一つとして,
「 貧困・ホームレス」
がある
を高めることにもつながると考えられる。
PA の学習活動の順序であるが,おおよそ次のようで
8 。同センターは「エンパワーメント・ギャップ」
なる冊子 9 を発行している。PA は貧困層の多い学校にも
ある 11 。
採用されている 10。PA は貧困層の子どもにとっては自分
1
オリエンテーション,グループの設定
自身の問題でもある「貧困」について考えることを通し
2
テーマ(issue)の設定
て,貧困層の子どもをエンパワーする役目をはたしても
3
問題(problem)の調査(調査,インタビュー,
いる。
電話,手紙をかく…)
貧困層の子どもの学習への動機づけとしては,
「 人民と
4
プロジェクトをつくる
はだれか(Who people are ?)」からはじめることがいわ
5
パブリックな行動の実行
れる。小学 1 年生であっても「自分はなにをやってきた
6
学習のふりかえり,評価
のか」
「家族はどこからきたのか」というような自分の生
「貧困」がテーマであれば,例えばホームレスにインタ
活に密着した「語り」からはじめることによって,自分
ビューにいくことが調査でもあり,毛布を配布すること
たちの文化,物語,関心へとすすめていくこととなる。
がプロジェクト,パブリックな行動となる。
このような「生きた核」は子どもの学習として定着しや
なお,同センターはアメリカにおける市民教育につい
すいことから,子どもへの動機づけへとつなげることが
て 3 つのアプローチに分類し,
「貧困の縮小」というトピ
できる。子どもの日常生活とのレリバンスの高さが重要
ックと関連させたうえで,それらを【表 2】のように整
視され,それは子どものコミュニティに対する所属意識
理している。
【表2】 「民主主義,市民性,貧困の縮小」に関してのモデル 12
国家中心のアプローチ
コミュニティ中心のアプ
ワーク中心のアプローチ
(リベラル)
ローチ
(市民機関)
(コミュニタリアン)
民主主義の規定する未
国家中心
市民社会
来は?
市民の働きをとおした生
活様式
市民とは?
投票者,消費者
ボランティア
共に創造する人
政治とは?
配分をめぐる闘い
通常,回避される
差異をこえて何かをなす
誰が何をえるか?
ために人民が参加するパ
ブリック・ワーク
政府の役割は?
プロフェッショナルと
財の配分
専門家
モラルリーダーとしてサ
委員長,きっかけをつく
ービング
る,共同者
進行役
「プロフェッショナルの
は?
市民」長(top)でなく,
切り出す(tap)役割
反貧困の戦略とは?
より多くの資源を確保す
サービス・プロジェクト, 市民機関をつくる*
るように唱える,抗議する
食糧供給
*「市民機関(civic agency)」をつくるとは,
「世界を形成するために力を集結(collection power to shape the world)」
すること。
- 54 -
アメリカ合衆国における市民性教育の資料紹介 : パブリック ・ アチーブメントと貧困問題
それぞれのアプローチは「市民参加」についてどのよ
うにとらえているのであろうか。
たした。学校を子どもの“Free Space”と同じ役割にしよう
としているところがある。なお,コミュニティになんら
政府(国家)中心のアプローチは「政府に関する知識」
に焦点をあてる。法案がどのように法律になるのか,権
かの変化(change)をもたらすことを目標とすることは,
イギリス(England)の citizenship 教育とも共通性がある 20。
力分立,選挙,どのように政府に影響をあたえるか,な
日本においても貧困層の子どもの学習意欲低下やその
どについてである。それは「知識をもった投票者」を育
ような子どもをエンパワーするという問題,
「『しんどい』
てることにつながる。人民は,実際の問題解決の外にい
タイプの学校」,
「『しんどい』状況にある子ども」の問題
る,という問題が指摘される。
が意識されてきている 21。その方面でも PA は示唆を与え
コミュニタリアン・アプローチは市民のモデルをボラ
るものと考える。
ンティアにおく。市民はコミュニティの構成員であるこ
とに責任をもつことを学び,自主的にかかわる習慣をつ
(謝辞) 本稿作成にあたっては,Dennis Donovan 氏,
は,市
Harry C, Boyte 22 氏(いずれも Center for Democracy and
民に貢献,共感,参加といった感覚をそだてる。そして
Citizenship)にそれぞれ 2014 年 9 月 12 日,13 日にイン
共通の価値観を教えることとなる。それは,排他的で狭
タビューに応じていただいた。ここに記して感謝いたし
い範囲に限定的であり,公的生活におけるより大きな問
ます。いうまでもなく,本稿のすべての責任は大津にあ
題を見落としてしまう,という問題が指摘される。
ります。
ける。コミュニティー・サービスのような実践
13
それに対して,ワーク中心のアプローチでは,市民が
public な問題について自ら意識し,行動し,解決するこ
(付記) 本研究は,平成 24~26 年度科学研究費補助金・
とを目標とする。子どもが自ら政治の過程にはいる 14
こ
基盤研究(C)
「労働と家族の問題をリンクさせたアクテ
ととなる。コミュニティ・社会への結びつき,所属感に
ィブ・ラーニングの授業実践構想と教育方法」
(研究代表
も重要度をおく。あくまでモラルリーダーとしてではな
者,白石陽一,研究課題番号 24530962)の成果の一部で
く,個人の多様性(diversity)を前提としたうえで “public”
ある。
な問題を解決していくことを目標とする。Boyte らは同
-注-
じ「参加」であっても,ボランティア活動と「若者の市
民参加」の間に一線をひく
1 なお,本研究は筆者の市民性教育の国際比較研究の一
15。
本稿で取り上げた PA の特徴として,以下の点があげ
環である。たとえば参照,大津尚志「イギリス・フラ
ンスの前期中等教育公民科における教育目標と評価」
られよう。
(『公民教育研究』第 12 号,2005 年,pp. 113-125.),
第一には,子どものエンパワーに重要性をおくところ
である。ある子どもは「PA をとおして,よく話せるよう
同「イギリスの公民科教科書に関する一考察」(科研
になったし,学校内外においてよき人になることができ
費報告書,研究代表者佐々木毅『イギリスの中等教育
た。」16 という感想をのべているが,子どもに達成感をも
改革に関する調査研究-総合制学校と多様化政策-
たせるという点にも重要性をおいているといえる。それ
中間報告書(2)』,2005 年,pp. 42-53.),同「道徳・
は,コミュニティの一員であるという感覚をもたせるこ
公民教育」(フランス教育学会編『フランス教育の伝
とも含む。
統と革新』大学教育出版,2009 年,pp. 140-148),同
第二には,“Public”, “Private”の観念についてである。
「フランスにおける生徒・ 父母参加の制度と実態」
フランスにおいては“publique”とは政府に関係すること
(『教育学研究論集』第 7 号,2012 年,pp. 21-26.),
をさし(公教育も当然そのなかに含まれる),ほかは私的
同「フランスにおける憲法教育と生徒参加」
(『民主主
領域,とくに宗教は私的領域とされるが,すでに述べて
義教育 21』第 7 号,2013 年,pp. 67-78.),Takashi OTSU,
きたようにここではそれとは異なる public のとらえかた
Moral and Global Citizenship Education in Japan,
がされている。“public”とは「共通善(“common good”)」
England, and France, (『教育学研究論集』第 5 号,2010
という観念も重要視されることも,フランスとは差異が
年,pp. 55-60)
2 唐木清志『アメリカ公民教育におけるサービス・ラー
あるところである。
第三には,大人にとっての“Free Space”
17 をモデルに考
ニング』東信堂,2010 年,山田千明「アメリカ合衆
えているところである。“Free Space”とは,アメリカの
国
19 世紀からの歴史的伝統を背景としているが,コミュニ
(嶺井明子編『世界のシティズンシップ教育』東信堂,
ティにおける public space 18 として市民が社会変革のた
2007 年,pp. 121-132.),中野真志「アメリカ合衆国に
19 )とし
おけるサービス・ラーニングの動向」
(『大阪教育大学
て,1960 年代の公民権運動の時代などで一定の役割を果
社会科教育学研究』第 6 号,2008 年,pp. 1-10.),田
めに自由に発言できる場(具体的には教会など
- 55 -
-『民主主義尊重』による『統一』と人格教育」
大津 尚志
中宏明・竹野茂・川瀬隆千・辻利則「シティズンシッ
Democracy and Citizenship, 2014, p. 14,なお参照,小
プ教育とサービス・ラーニング」
(『宮崎公立大学人文
玉重夫「政治的シティズンシップを育てる教育:パブ
学部紀要』第 13 巻第 1 号,2006 年,pp. 149-169.),
リックアチーブメント」(『ボランティア白書 2005』
米良重徳「『個の確立』教育とサービスラーニング」
2005 年,pp. 89-97)。
(『吉備国際大学研究紀要(人文・社会科学系)』第
13 なお唐木は,自由主義と共和主義の市民像について述
23 号,2013 年,pp. 1-10.)などがある。
べた後に,本研究でとりあげるサービス・ラーニング
3 A work in progress, center for Democracy and Citizenship,
は「自由主義の観点を採用せず,…共和主義の観点を
(brochure)
採用して成立する」と述べている。唐木,前掲書,pp.
4 Ibid.,
33-34.
Building Worlds, Transforming
14 Jim Lewis with Dennis Donovans, Public Achievement at
Lives, Making History: A Guide to Public Achievement,
St.Bernand’s Elementary School, (Harry C.Boyte et al,
second
Creating the Commonwealth, 1999, Ketting Foundation,
5 Roudy Hidreth(et als,),
edition,
1998,
Center for
Democracy
and
Citizenship, p. 4.
pp. 12-23.) なお,本稿では同小学校の子どもの努力
6 Ibid.,
を通して,セントポール市内につくられた遊び場,と
7 Ibid., p. 102.
いう例が紹介されている(p.16)。
8 なお,フランスの高校にも貧困にかかわるアソシアシ
15 Nan Skelton, Harry C.Boyte, Lynn Sordelet Leonard,
オン(association),例えば「心のレストラン(Restaurant
Youth Civic Engagement, 2002, Center for Democracy and
du Coeur)」とリセが提携して,課外活動を行うとい
Citizenship.
うこともある。Lycée Tuggot では,高校生活委員会
16 Ibid., p. 16.
(conseil pour la vie lycéenne)が中心となって学校で
17 See, Sara M.Evans, and Harry C.Boyte, Free spaces, 1986,
食料(パスタ,野菜,魚,コーヒーなど)や衛生用品
Perennial library, Harrc C. Boyte, Creating public cultures
(石鹸,歯磨き粉,防臭剤など)をあつめ,アソシア
in the information age, (Harry C. Boyte et al, Ibid., pp.
1-11.)
シオンに寄付をしている。それは,市民として,社会
生活にかかわる活動を通して,日常の学習に対する動
18 なお,三宅正弘はフランス(パリ)においてブラン
機づけとなることも意味している。
( 2015 年 3 月 9 日,
ジェリー(製パン店・カフェ)がパブリックスペース
4 月 7 日に筆者が Barraand 校長に行ったインタビュー
の役割を果たしていることを指摘している。三宅正弘
による。)他に,Lycée professionnel Armand Carrel につ
「参与観察法によるパリの移民と社会的混合に関す
いては以下のサイトを参照のこと。
る研究」
(『生活環境学研究』第 2 号,2014 年,pp. 22-25.)
https://www.ac-paris.fr/serail/jcms/s1_768490/restaurants-
19 なお,フランスでは宗教は「私的領域」である。仏米
du-coeur (2015 年 3 月 16 日最終確認)
の宗教観を比較する文献として,伊達聖伸「ライシテ
9 Harry C. Boyte, The Empowerment gap, rethinking
strategies for poverty reduction, 2014, Center for
は市民宗教か」
(『宗教研究』第 81 巻第 3 号,pp. 531-554,)
20 参照,大津尚志「イギリス・フランスの前期中等教育
Democracy and Citizenship.
公民科における教育目標と評価」
(『公民教育研究』第
10 Ibid., p.22. なお参照,古田雄一「米国パブリックアチ
ーブメントを支える教育経営」日本経営学会第 54 回
12 号,2005 年,pp. 113-125.)
21 例えば,志水宏吉『「力のある学校」の探究』大阪大
大会自由研究発表レジュメ,2014 年。
学出版会,2009 年など。
11 See, Building Worlds, Transforming lives, Making History,
22 ボイトの著作は翻訳されているものもある。ハリー・
a guide to public Achievement, 1998, Center for
C・ボイト,ヘザー・ブース,スティーブ・マックス
Democracy and Citizenship.
(野村かつ子・水口哲監訳)『アメリカン・ポピュリ
12 Harry C. Boyte, The Empowerment Gap, Center for
- 56 -
ズム』亜紀書房,1993 年。
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