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1990年秋号 - 一般財団法人住総研
〆 , 、 ‘ 人住宅総合研究財団 , ' ,. 〆 Bl 、 、 d 、‘ ー ,• - J' ﹃ z 、 円 - 、 〆 ' z j i ‘ , ‘ 、 / 〆, l 守 , , , 〆 , ‘ 'vti : -寸 ' ・ ¥ ・ ,F 叶 ・ ・ E E E ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 圃 岨 rE a -、-トit 汁Jil 14J lJ││ イペ斗j l h . a L 、 ‘ ド 一ド 子、 ι。 側侠 下妻子)一 e 目次 、,,、 .也., t rt札﹀ ト町ザ吟?の谷の口字型住同町塔 の町・γルデイ ヤ 藤 井 .、 HZ , 眠い - 1 深尾精 一パ九 / ・ : βγ 、 一森本信明 :一 J ゾ の 老 な 晶 玉 え 問 ? 詰 諺u uuf 秀光書翠尾 ,J:郎 んお加レ せ 次号予 t1 町 一ひろばY. 口 ・ 一 一 れ 内恒雄造 山 到 、三一 ・ ‘ 島俊雄・ 1 原一 、郎 、 4 閉 編集後一出品川 ペ. ム 苧 九- ご 勺 ' , 山 J . 'JJ パ 、 て葬 品 川ザ 人 r人 三 一, '一 , a 、 4 f i 》 私の一 部一物語号室?正 1J 六焦点 vなぜ郡心居住か 就労形態の変化吃都心居住 -'r L 十 弘 喝 を も すまいのテクノロジー v -、一 ︿ いlf ト クノ口ジトい f pi ︿ 私 のすま いろん﹀ ソ 、 , 、 / 匂 叉 クト荏居と地域十 諮 問 警 ‘冨都市住吉 ' 一 一 . シンボ弘ウム﹁都心居住弘行方を探る﹂ わ d v p 一 ヨ句 マ ~ . 11 2 ~. 〆 "‘ . 官 、 、一" F 、 , 【 " , ノ,, dF ,〆 , , 作 ー ¥ , 鼻 , '、 1i 4 1 4 a a a m - ノ .、 、 ・ ‘, ' . 、- ド 、 . 、 7J f ~ A 博"ーラィげはとUての都心属主 4 5 1 2 j u VIII' 〆, - fo λ f -, ι ー 、 ? 、、 ' 、 ' U F JA 一 . 〆 〆 llae より 、 噌 、 - 、 -y〆﹃・ 一一- a ' -'一・ 前 向 くv'合えるモス A ノ 一財 ー 団、 法、 . . Z T中心に、口字型に中庭をもっ住居がオアシス,を囲む丘.、 に集落をつくっている・中庭は風を呼び込み 品 、, , ‘" 司会バ 前田尚美パ : : : . . . , . . - ・ 町 '一 、 ‘ 、a ・ 、 、 トつ .-.:¥ 、 ・ ・ 4 . ・ . 、, . . , 、 - 、ー、 ・ ・ 、ー .、 F ¥ h R ふ ー ー ‘ 、 一 、" 、一、 ‘ 司 1 ノ J 、 ・ ‘ 品 目 ・ ' ー " ‘ , m -・ 戸季 刊 ,4 n u 、 、 . , _ 1 、、 」 ・ , , ‘・ 、 v E・、 A ny . ‘ ' 1' - ISSN 、 守 恥 、 , 4 水 量 霊 ライトウヱ}~ イスラムの沼市街・メディナ(冨昆宮山)は、迷路状の不規則的な道 迷路状 主主に盛られた t 墨 と、境を接して連続するロ字型の住居に特色があるが、その原型と Q 山学 なったのは、ベルベル人の集落・クサi ル(戸芸吋)である ホーJレ 入ロ 使祝 台所 儀2 藍(父母とま素) f 鐙2 霊( 芸 品 ) 密室 z 盤上テラス f 関 望 室 (予守主手主主人) ペントハウス シャワー 慾りのテラスへ絞〈隊段 1 2 3 4 5 6 7 8 9 9 1l2 3abedef i-- 鏡台 の道は防衛のため、また、ロ学裂の住居は低層でありながら極めて 高密度な居住空間を可能とするためのものであるが、ロ字型の住居 において中躍は実に巧妙な仕掛けになっている。 乾傑地帯では壁は強い日差しを遮る必要性から日子し煉瓦の浮い ものとなるが、その一方、風を有効的に住居内に取り込む必要性も 務遂 よ踏 毛布 。 』Jぷ 0 ' - - ある。この要請に応えたのが中庭で、この上空に向けて穿たれた孔 回 J C Qr ! '!k主のある住 E 君子〉綾子がよくわかる。 務の毒えさ主写: は風を導くと同時に内部に心地よい日蔭を作り出す。関口部が少な J C下 / f U " i I J ' J部 。 7 ' : 11'1二ぽっかり 1 1 小、た 5 えの下{まホールにな 右: i している。 っていて、すべての部隠はこのホールにTfi く閉鎖的な外壁と対照的に、中躍は明るく開放的で、人えでの部屋が これに面している。 中庭は都市弘一川}倒的にも有効に機能している。却ち、不規則な道路 や散妙な池形の変化に対応するためには、住民の形は不整形になら ざるを静ないが、その際の歪みを股収するのが中睦で、中底の形を 護、ませることにより、柱居はどの方向にでも加算的に増殖させるこ とが可能となる。 写真はアルジェリアのオアシス、ガルダイヤである。ムザヴブと 呼ばれる谷の中に七つのクサ!ルが建設されているが、これらはいず れも谷底の可耕地を注意深く避け、丘段地に立地している。クサ! ルの項にはモスクの塔が川鍛えている。この塔はナツメ冊子の幹をフレ i ムとしているが、地形との向調性により、実際よりも活かにおく 見え、極めて象徴的である。この町はル・コルピュジェのデザイン ソj スとして在名であるが、その空間には巧妙な秩序が内包されて いる。即ち、全ての住居よりモスクの塔が見えること、全ての建物の ふじい・あきら/東京大や然皮技術研究所助教授) これらを遵守することにより、神秘的な美しさを持つクサi ルが生 高さは七・五 mを越えないこと、全ての道を上るとモスクに吏ること。 成されているのである。 金主農の伊j c f :(fU-j ノオアシスの 1 M ! 羽に 7つの築 i 容が緩まっているフゲノレダイ ; t . ot i r マ容の小心にあるそスク::!:奴む。;(:,中{土、 3 義 ヤの主主 1 四都心住か 一 私 の 一 革 一 瞬 二人とも、街のざわめきゃ生活の活気がそのまま家のやに浸透し てくるような、いわゆる︿街の暮らし﹀にすっかり染まっている 最初は、建築家の仕事は夜も遅いし、朝早くから現場に出かけ 考えてみると、私の場合は両親とも祖父母の時代に、家内の場 自分たちを再発見した、ということだった。 ることもあるし、他の都市に出張することもあって仕事が忙しく、 と二世というのだろうか、都市住民なのである。 合は両親の時代に、いずれも近県から大阪に出てきている。一二世 なに多くはないだろうし、最小限、住まいだけでも白前にしてお もっと単純な考えもあった。独立したばかりでは、依頼もそん の資金でも郊外なら六O坪 は 巽 え る も の が 、 こ の あ た り で は た っ った。予想したことではあったが、地価は相当なもので、私たち から青山にかけてのあたりで土地を探してみようということにな そこで、建築事務所勤めをしていて仮住まいのあった、神宮前 けば、あとは家族が食べるだけを稼ぐことでしのいでいけは、そ た六坪であった。 これたのは、建築家としての知識と直観が支えになったのかもし 自分たちから止めてしまうところを、何とか諦めずにこだわって そこで普通なら一殻論で考えて都心に住むのはとても無理と、 この願望は、念のため、郊外の住宅地も見に行って、今度は本 郊外の庭付き一戸建ての住宅地など、全く経験がない。まして、 もとに帰るという生活で、その往き日帰りに、狭い飛行機のシ i ト 当時、私は単身赴任で東京に来ており、週末には大阪の家族の れない。 土の般市い関東の郊外の造成地を見せられたものだから、二人して に座りながら、コンパクトな空間と人間の動作や居住性のことに 阪の街のなかで育ち、結婚してからも団地での生活体験こそあれ、 能的なものに強く裏打ちされることになった。私たち夫婦は、大 当然めように職と住が重なった暮らしを考えたのである。 のうち何とかなるだろう。それくらいの考えであった。だから、 心に住むことを望んだのであった。一二O代の半ばの頃である。 郊外から通うなんてとても無理だろうと考えて、仕事場に近い都 塔の家に住んで、もう二四年になろうとしている。 部 顔を見合わせ、これは無理だとの斑観にうなずきあったのである。 塔の霊童外観 東京と大販:::二つの都心に住んで 孝 光 東京・蕎山 東 を基地として、都市型住宅の設計にのめり込んでいく建築家とし たのであった。そして、それがきっかけとなり、またこの塔の家 に、その後誰かに一一一一口われたが、ドンキホーテのように挑みかかっ い率六割で一二・六呼の五階建て、地下室付きという塔の家の設計 感覚にも敏感になっていた。それやこれやで、六坪の土地に建ぺ 舎や地下広場の設計を担当してきたので、空間の上下方向の立体 間に構成していくという訓練の影響もあったと思う。学校や市庁 試みており、小さな空間の寸法体系を組み立てて、大きな建築空 興味を抱いていた。コルビュジエのモデュロ l ルを使った設計も リエの中間にある行きつけの喫茶府で描いたり書き続ったものな また、この数十年、私のスケッチや原稿の大半は、塔の家とアト が家での手料理やお茶に招くことも楽しみのひとつではあるが。 いつも私たち自身の楽しみにもなっている。家内は料理好きで我 るし、私たちもお客を近くのレストランに招いて食事することが、 人、知人たちは、当然近くのホテルなどに部屋をとって訪ねてく 設に買っているところが多いのだ。例えば、地方や外国からの友 いるのであって、住まいの中で不足する分は、かなり町なかの施 が、私たちは家のなかだけで暮らしているのでなく、町に住んで いつも言ってきたが、塔の家は延べで二O 坪 余 り の 小 さ な 家 だ のである。 ての生活が続くことになったのは、ご承知の通りである。 独立して数年後には仕事の最もふえ、私は仕事場を、住まいから いているが、仕事と住まいの密着した生活は変わらず、例えば今 として家内がとりしさることになり、それは今日まで一貫して続 も出てくるのである。美しいデザインの底舗は、遠くから通って やかに、より賑わうようになってきたが、その分、醜くなる部分 いな底舗が並んで東京の名所のひとつになった。町はよりきらび その後、青山の表通りや表参道もずいぶん賑やかになり、 でも東京にいる時は向性一の食事と休憩は自宅に戻ってとっている。 歩いて通える範屈で近くのビルに移した。塔の家での暮らしは、主 また、青山通りをへだてて反対側にある小さなアトリエの建物も、 口の前あたりに置いてさっさと帰っていく。時間外や休日はこの くる応員たちで維持されているが、営業時間が終るとごみ箱を入 町に暮らしていないから、その風景は彼らの限には映らないので 並みとはまた違った魅力があり、私たちはとても気に入っている。 地であり、格子状に道が刻まれた大阪の船場、烏の内あたりの街 踏み込めば、そこは屈曲してゆるく上り下りする坂道のある住宅 辺りは緑も多く、しかも表通りも都市的で好きだが、一歩内側に 都心に住んでいない人たちから、都心をおしなべてこうだと繁華 甚だしくなってくるのが悲しい。終電近くの車内の光景のようだ。 美しく装われた顔と、くたぴれた、殺伐とした顔の差がだんだん たところが感じられるのである。入が外から通ってくる町では、 時間であり、また、それが実感できるから町の表情に生き生きし 職と住が重なっている町では、それこそこ四時間が生きた生活 。 ふ め ヲh v 町の賑わいが感じられるうえに、いろんな人ぴとが住んでおり、 街のように議論されてしまうことを私は恐れる。 ての奥行きがまだ残されており、内側に入れば住んでいる人びと それでも、青山から神宮前、原信にかけての一帯は、住宅地とし ひっそりとしたお屋敷から木造アパ i ト ら し き も の ま で 、 さ ま ざ ことなのである。 どもたちまでが、そっくり揃って住んでいる本当の町なかという まな生活が感じられる町なのである。重要なことは、老人から子 ほとんど直観的に選んだこの青山であるが、向じ都心でもこの 暮らしの一体化なのである。 清掃や維持管理は家内の担当であり、要するに職住接近、仕事と き れ のゆったりとした生活時間の流れが感じられ、 そ れ が 救 い と な っ りをそのままに伝、えることならば、と考えたのである。大学に戻 提供する素材は新鮮味を失ってしまう。私が建築家として仕事を って教えることに専念するのならば、もうその時点から忽ち私の ここ数年、その青山にも地側高騰のあおりが及び、外資系の会 続けることが前提だとすれば、楽ではないが何とか続けられそう ているのである。 社への事務室面積が大幅に不足とかで、住宅地をビルや商業施設 だし、あとは私が切り開いて行くことだと考えて承諾した。 一九八五年の秋のことであった。それから、また私の新しい複 に転換しようとする動きが盛んになった。私には理解できないこ 合的な生活、つまり二つの都市に住むという暮らしが始まったの もともと、大阪に生まれ育ち、大学を出るまでずっと大阪に留 となのだが、青山にも外資系の会社が来るとすれば、それは町が 道路や植え込みをきめ細かく手入れし維持しているような住民な まっていた私であるが、一九五七年に卒業して郵政省の建築部に である。 しには成立しないのである。それを、一言葉巧みに誘導して住民を 入って上京して以来、大阪郵政局と板倉研究所の大阪、同研究所 はないのか。またそれには、底舗を実際に動かしている若い応員、 郊外に追い立て、都心をビルだけで埋めようとすることは、都市 の東京と、凡そ三年くらいの周期で東京と大阪の暮らしを交互に 生きており、レストランやカフェが機能していることが不可欠で を殺す行為に他ならないのである。 が、仕事の上では東京と大阪の両方で設計依頼が続き、二つの都 一九六六年に独立してからは、住まいは東京の塔の家と定めた τ 繰り返して いる。 あるのではなく、またそれを単純な経済の論理からただ使いたお 市を激しく往復する生活であった。もちろん、新幹線は開業以来 都心居住の本当の価値は、その都心が持っている利便性のみに ことによって、自然に得られる安全さ、清潔さ、優しさといった し、収奪するだけでは、たちまち失われてしまう。人が居住する の 愛 用 者 だ し 、 空 路 も プ ロ ペ ラ 機 の 頃 か ら 東 京l 大 阪 便 を 利 用 し は町のざわめきの崩く範圏でないと住めない。 から予定には入れていなかった。冒頭から述べているように、私 らいうと、千里団地の中か周辺が一番便利なのだが、これは最初 大学は千里ニュータウンの隣り、万博公閣の近くにある。通勤か それでも、大阪に宿舎を定めるについて、ひと苦労があった。 れがどの程度のことか、凡そっかめていたからである。 うという気持ちが働いた。もちろん、それまでの生活の上で、そ 仕事場、アトリエを置きつつ大阪で教える複合生活を試みてみよ というわけで、大学に通うようになっても、極く自然に東京に 大阪に数日は滞在するという日々であった。 ものが都市に必要だからこそ、都心居住が問い士位されていると知 駒 家 の 閉瓦 開 てきた。一九八0年 代 に は 、 ほ ぽ 毎 週 、 設 計 打 合 せ や 現 場 監 理 で F るべきである。糊 大阪・心斎橋 そして五年前、母校の大学から環境デザインを教える仕事の要 請があり、考えて引き受けることにした。 刻々に動いている社会の現実の条件に接した建築や都市のデザ インの方法を、学生に伝えて欲しいとのことなので、日頃の仕事ぷ 探して歩くことになった。新幹棋の駅に近い所は、交通とビジネ のあたりでも注意してみることにした。平均五、六階のビルが立 それ以来、大阪の都心部にどれくらい住民がいるのか、心斎橋 夜は無人なのであった。 スには箆利になっており、それ向きのビルは多いが、オフィスと ち放ぷ間に、所々に古い木造二階建ての家屋が残っており、老人 結局、大学から千里を通り越して、新大阪駅に近い町を次々と 飲み屋だけが目立って荒れ果てた異様な街になっており、だんだ からコーヒーにトーストなどをサiビスしてくれる喫茶応が点々 がひっそりと住み留まっている様子が見受けられる。近所に早朝 大 阪 の 市 街 地 で は 以 前 に 一 度 痛 い 自 に 遭 っ て い る 。 一 九 七0年 いて仕事をしている。そんな場所に朝の九時前後に立ち寄ると、 とあり、たいていは中年以上の主人が、もちろん上の階に住んで んと南へ下ってとうとう大阪の都心、心斎橋に落ち着いた。 代後半に、あまり大阪の仕事が多いので、駐在者を置いて大阪事 っている。彼等の世間話を開くともなく開きながらコーヒーを飲 近所のビルの二重や、谷間のしもた家に住んでいる人たちが集ま 務所を開設したのである。その際は、大阪駅からもそう遠くはな どしょつ Aま ち いビジネス街の中心、道修町のオフィスビルの二設を情りた。 ところが、日曜日が大変だ。まわりの庖が、喫茶応はおろか、 み新開を読むのが、一番ほっとするひと時でもある。 それからがまた大変だ。地下鉄に一二O分 程 で 千 里 に 出 、 大 学 に 食堂もコピ i 応 も 、 全 て 休 業 。 人 影 も ま ば ら な の だ 。 第 一 、 ピ ル の管理人が日曜勤務を極度に嫌う。平日も、夜九時頃には帰宅の の比率だ。階段に昇りと降りの区別がしていないから、ドッと電 車 を 降 り た 人 た ち が 上 っ て く る 勢 い に 押 さ れ て 、 こ ち ら は ホi ム 通 う 。 心 斎 橋 の 駅 で は 、 乗 り 込 む 人 2 に対して降りる人 8くらい これは私の限られた範問での経験であり、その後、都、柱創など に 電 車 が 来 て い て も 時 段 を 下 れ な い 。 大 阪 の 交 通 マ ナi がうらめ 催促に来る始末で、遂に音を上げて二年余りで引きあげたのだっ の努力で都心部にも生活できる仕事場、アトリエ複合のマンショ しくなるひと時だ。駅員も整理をし、ラッシュ時の設備もある東 た 。 ンなどが大阪にも点在するようになった。しかし観察してみると、 京の地下鉄と、無意識に比較している。 もう少し冷静に考えてみると、東京ではラッシュ時の交通が J それらの多くは、都心の中心を少しはずれた場所に分布している。 東京での青山あたりと同じように、人がまだ住み留まっている地 的でなく、線的なので、朝は郊外からドッと人が都心方向に集中 多くて一方的でない。大阪の場合、まだ都市交通がそれほど複合 Rも 地 下 鉄 も 都 心 は 環 状 に な っ て い る 。 つ ま り 上 り も 下 り も 人 が そしてやっと心斎橋にマンションの一室を見つけた。一、二階 する。だから都心の駅では乗ってくる人が磁度に少なく、降りる 域なのである。 ンションとなっている。そのあたりが、大阪でも活気のある若者 * は ブ テ ィ ッ ク に な っ て お り 、 上 層 部 が や や 広 め の ワ ン ルi ム・マ 人が圧倒的なのである。 * 二つの都市に住んで短期の滞在を規則的に繰り返していると、 * の町、アメリカ村ということは後で知った。 ある夜、それも真夜中に非常ベルが鳴り響いて目が覚めた。驚 いて下へ降りてみると、どうやら火災報知機が誤動作か何かで間 違ってベルが鳴ったらしい O i l そしてもっと驚いたことに、警 報で上から降りて来たのはほんの一人か二人、つまりそれ以外は て、苦笑することもしばしばだ。もっとも、大阪の場合には区長 無意識のうちにいつも両方を比較し比評している白分に気がつい む建築家の友人が多くなった。何度か訪問して泊めてもらった家 の仕事を通じて、世界各地の大都市、しかもそれぞれの都心に住 一九七O年 か ら 八0年 代 に か け て 、 塔 の 家 や そ の 他 の 都 市 住 宅 ア、ニューヨーク、シアトル、北京、天津など、 liiこ れ 等 の 友 も少なくない。アムステルダム、ロンドン、ベルリン、ヴェネチ 反応するのか、得体の知れないところが多い。しかし変なもので、 人たちを結びつけて、歴史の重なりのある都市を結ぶ、都市居住 があるのかも知れない。東京では、どの部分を押せばどこがどう またそれが魅力にもなっていて、どう住んでやろうかと意欲をそ の ネ ッ ト ワi ク を つ く る こ と が 、 最 近 の 私 の 興 味 の ひ と つ に ふ く や市長に産接文句を一言いたくなる感じがあり、それだけまだ救い そられる部分もある。少なくとも都市を外側から眺めて、ーーーす らみつつある。 (あづま・たかみつ/建築家・大阪大学教授) べきと大上段に論ずる前に、居住機能が存在せずして、都市は真 に都市たり得るのかという点から、議論を深めるべきだろう。 労形態の化と都心居住 フリiの職業や派遣社員など都心における就労の流動也と住宅需要の多様佑 ﹁おたくも単身赴任でっか? 金 曜 日 の こ の 列 車 は よ う ま あ 混 み 分間隔に発車する﹁ひかり﹂の時刻表を見ながら、おおあわてで 七 月 二 二 日 ( 金 曜 日 ) 一 八 時O O分 と 一 八 時O 四 分 発 と い う 四 ﹁いつもこの列車に乗って、やっとほっとしますねん。会社の寮 ホテルみたいなとこを常宿にして、東京を歩き回るから疲れます﹂ ﹁私は名古屋から出張で米たんです。今回の出張は三週間ですわ。 まんな﹂ 東京駅に駆けこんだ。この二つの列車は隣り合わせのプラットホ みたいなもんがあるんやけど、なんかせせこましいて、東京いう ライフスタイルの問題意識を刺激する。一人は単身赴任で東京に ふと小耳にはさんだこのような会話が、最近やっている都心型 ームから発車する予定となっており、すでにホームはサラリーマ の会誌が耳に入った。 由席に落ち着いて一息ついたとき、開くともなく隣席にいた二人 のは長う住むとこと違いまんな﹂ 明 ン風の男性で混み合っていた。ようやく確保した三列通路側の自 プロローグ 森 本 期開の長い出張をしたらしい。しかもこのような出張形態は比較 来ていることに間間違いない。もう一人は出張とはい、ぇ、やや滞在 ます﹂ Sや 会 社 役 員 ク ラ ス の 都 心 セ カ ン ド ハ ウ ス 的 な 需 要 を ね ら っ て い インタビュ i は こ の よ う な 話 題 か ら 始 ま っ た 。 こ こ で 興 味 を そ らんでゆく。推理小説好きの人間にとって、このようなシ│ンは -週単位や月単位で賃貸するという点で社会的にも関心をひいた そられた話をかいつまんで紹介してみよう。 的何度もあるらしい等々:::さまざまなイメージが浮かんでは膨 恰好の頭の体操の機会となる。 ウィi クリl マ ン シ ョ ン は 、 事 業 的 に は 縮 小 傾 向 に あ る 。 も と 数週間のち筆者は、あるウィークリーマンションをはじめとし 始した。二百仙の稼働率を越えると賃貸住宅よりも有利になるか い物件を転用(設費の転用)するということから(当社では)開 もとウィークリーマンションは賃貸需要では採算的にペイしな 近年さまざまなタイプの賃貸住宅を供給している会社の、窓口の らである。しかし近年は旅館業法との関連で、当初からホテル リースマンションの事業農閲 ひとつとなっている小さな事務所の応接室にいた。本年度の研究 的なものと、リースマンションとは区別して供給している。 は コ ン ピ ュ ー タ ー の S E会 社 の 一 室 借 り な ど が 典 型 と い え る 0 ランドリーサービスなどがセットとなっている。需要者として ・最近ホテル専用に開発した物件では、リネン・クリーニング・ テl マ で あ る 、 都 心 で の 新 し い 居 住 空 間 の 供 給 実 態 と い う 課 題 に ついてのヒントを得るためである。 ﹁行政や研究者の人は住宅の規模を三OM以 下 と し て 一 括 し て 取 り 扱 っ て お ら れ る よ う で す け れ ど 、 私 達 は 三OM以 下 を 大 き く 三 にも積極的に乗り出している。これまで、@OA機器付き勤労 ・放行してリースマンション(ワンル l ム マ ン シ ョ ン ) の 差 別 化 のっけからカウンターパンチをくらったようなものである。と 者向け、⑤女性専用、①防音室併用など専門家向け、④ペット つのランクに分けて需要層を考えています﹂ い う の は 数 か 月 前 、 あ る シ ン ポ ジ ウ ム で 、 三OM以 下 の ワ ン ルi -東京だけでなく、地方での単身赴任者向けのリースマンション 可能、@母子家庭向けの託児所付きなどを販売している。 理・述営を行なうもの)というものは、地主による同タイプの賃 の事業展開が進んだ結果、五年くらい前から地方での売り上げ ムマンション(戸口分譲後、オーナーに代わって賃貸住宅とし管 しているという趣旨の話をしたばかりだからである。ところがど 貸住宅供給が盛んになるなかで、厳しい状況(減少傾向)に直而 ョンやホテルの設備については、当社の独自製品の開発も進め が東京の売り上げを上回るような状況となった。リースマンシ ている。寮・社宅専用の簡易消火システムや、アメニテイコア っこい、ワンルi ム マ ン シ ョ ン 業 者 は た く ま し く 成 長 し て い る の である。これはもう少しじっくりと話を伺うことが先決だ。 み込んだユニットなどがそれである。 と称している収納・ p k ・ 浴 室 や 冷 蔵 庫 な ど を セ ッ ト と し て 組 とフリーダー向け、郊外では学生向けと考えています。その一つ いやはや時代は急速に﹁進んでいる﹂ものである。新聞・雑誌 ﹁私どもでは、一問。市未満の物件というのは、二三区内では学生 上の二ハ 1 一八耐のものについては、二三区内では主に単身の勤 労 者 向 け 、 さ ら に 二0 1三 ように一つの会社によって、多角的に現実の一卒業として展開され などの情報でつまみ食い的に知っている供給の諸タイプが、この od という大きなものは、近年に新た な タ ー ゲ ッ ト と し て 卒 業 展 開 し て い る も の で 、 い わ ゆ る DINK 一両交の中で行なったケl ス ス タ デ ィ の 中 に は 六 例 ほ ど の フ リ ー う形態が増大していることに、より強い関心を向けている。 理小説好きの研究者としては、なぜ多数のオーナーを組織化しつ の職業として分類されている人達がいる。グラフィックデザイナ ているのである。東京のもつ底力を実感せずにはいられない。推 つ事業を展開している主体が、これほどまで﹁一新しい荷日川﹂の開 ー、エ﹁ナイター、コピーライター、フードコ l ディ、不i タl等々、 らの職業についている人達は、労働力の流動化現象の中で最も輝 発に追われるのかという問題を分析することに強い興味をそそら ここでの関心は、インタビューの中にあらわれたフリ!ターや い て み え る 部 分 か も し れ な い 。 し か し な が ら ﹁ フ リl﹂ の 職 業 と いわゆる横文字職業と言われる階層がそれである。さしずめこれ S Eな ど と い う 、 な に や ら 耳 慣 れ な い タ ー ゲ ッ ト で あ り 、 ま た 胃 いっても、結構大変なんだなあ、というのが制交に参加した人の れるが、それでは横道にそれてしまう。 頭でふれた束京に短期間あるいは中期的に滞在して仕事をしてい 業務、工事現場での労務者など、従米から﹁不安定就労﹂として 偽らざる感想でもある。この他にも飲食業の手伝いやビルの清掃 これらの層に共通しているのは、東京での居住期間が比較的短 る人達の居住空間の話にある。 労 働 力 の 流 動 化 の 動 き の 中 で さ ら に 注 目 し た い 一 群 は 、 O A機 把握されていた大きな一群が﹁流動化﹂の中にいることも、見落 きいとみられるだけに、定住希望者にとっては大変厳しい状況が 器 の オ ペ レ ー タ ー やS E (シ ス テ ム エ ン ジ ニ ア ) な ど で あ る 。 エ いことである。もしこれらの層が増大しているのであれば、東京 生じることになる。先の業者との会話のゆにみたように、リース レクトロニクスの応用は工場生産部門だけでなく、流通・管理・ としてはならない。 マンションで採算が合わないような地域(それだけ地価の高いと 金融部門などにおける仕事の内容をも急速に変えつつある。例え で比較的長期に居住しようとする層と比較して、家賃負担力が大 ころ)では、まずウィークリーマンションとしての経営を行なっ ば金融業をとってみよう。ひとむかし前は女性職員比率の増大が うな印象を持っている人も多いのではないだろうか。ところが、 の多さに、それを実感した入も多いであろう。現在もなお同じよ 鷲きをもって諮られたものである。銀行の窓口業務などでの女性 たという説明は、その事情をよく示している。 都心就労の流動化 私達が昨年行なった調査研究﹁都心型ライフスタイルの構造転 これは O A化 の 進 展 に と も な い 、 そ の 業 務 内 容 が 機 器 の 操 作 と その雇用形態においては激変とでもい、える状況が生じているので いう定型的なものに還元されるものが多くなってきたことと無縁 ) では、このよ 換と新しい住宅需給動向﹂(日本住宅総合センタi の流動化とは、ある会社に雇用されれば定年までその会社で働く ではない。二百品の操作がマニュアル化できる仕事であるかぎり、 ある。すなわち人材派遣会社からの就労者が急速に増大しており、 という、従来の我が国の終身的な一雇用形態が変化していることに もはや企業内でわざわさ多くの時間を割いて研修する必要性は乏 うな問題に接近するため、﹁都心における労働力の流動化・変則的 注目したものである。とはいえ転職するものが増大しているとい 正規の女性職員はかなり減少しつつあるというのである。 うことだけに注目したわけではない。ある仕事が発生した時に、 しい。﹁新入の女の子をかなりの時間研修して、さてこれから仕事 就労の増大﹂という分析視点を採用している。ここでいう労働力 それに必要な人材を臨時的あるいは短期的に雇用して進めるとい 日 lU むしろ持ち出しということもあるよ﹂と言ってニガ笑いしていた をしてもらおうという時に辞められたりすると、会社としては、 いうのではなく、かなり大きな職能集団として登場してきでいる うに S Eや オ ペ レ ー タ ー 等 の 職 種 は 、 ほ ん の 一 揺 り の グ ル iブと どの人材を派遣しているものが根めて多いことがわかる。 このよ S Eの 仕 事 は 別 の 意 味 で 現 在 の 都 市 型 の 職 業 の 典 型 で あ る 。 最 作に慣れた人は、﹁白白﹂に職場を動くことが可能になるのである。 促 し て い る と み て 大 き な 誤 り は な い 。 汎 用 性 の あ る O A機 器 の 操 仕事の前提となる機器の変化が、従来にはない雇用形態の変化を 部門での M E機器の導入率よりも早く進んでいるとの報告もある。 た﹁産業労働調査に一九八六)には、サービス業における勤務制 つ、従米とは呉なった就労形態が増大している。労働省で行なっ 差出勤制、@フレックスタイム制など、さまざまな形態をとりつ @休日の交代制、⑤勤務時間の交代制、@変形労働時間制、⑥時 とも多いことを紹介した。しかし徹夜だけが変期的就労ではない。 と り あ げ て み よ う 。 す で に S Eの 入 の 仕 事 で は 徹 夜 な ど に な る こ 流動化の説明はこれで充分であろう。次に変知的就労の問題を のが現状である。 近の建設ラッシュをみるまでもなく、オフィスビルの新築・更新 度の内容が合まれている。その結果、@二八・四%、⑤二三・七 あ る 調 査 に よ れ は 、 事 務 管 理 部 門 で の O A機 器 の 導 入 は 、 他 の 父の言葉も、昔話になりつつあるのである。 においては、いわゆるインテリジェント化が進展している。そこ いてすでに変則的勤務形態がかなり採用されてきていることが示 %、@一間・七%、@⋮二・O%というように、⋮九八六年にお わけ初期においては極めて集中的に仕事をすることが求められ、 されている。労働基準法の改正が一九八八年四月に行なわれてい ンスすることは S Eの 人 達 に 与 え ら れ た 重 要 な 仕 事 で あ る 。 と り 一度核働してからは、その仕事内容が一変するだけでなく、仕事 るが、 その後、﹂のような変則的就労形態はより増大しているもの で導入されるコンピュータi の シ ス テ ム を 立 ち 上 げ 、 メ イ ン テ ナ 長は急減する。そのため当初は短期間(とはいってもけっして一 と思われる。 都心におけるサービス業の立場 逓向とかそこいらで完了する仕事ではない)に集中するという就 業形態を採らざるをえない。我々のインタビューからも、特にプ ログラム入力時には残業が重なり、場合によっては徹夜の仕事に 金調査江東京都労勘経済同一九八八・八)では、派遣事業として 京 都 が 実 施 し た ﹁ 派 遣 労 働 に 関 す る 実 態 調 査( I)iil都内派遣元 関する法律)は、この流動化現象と大きな関連をもっている。東 派遣事業の適正な運営の確保及ぴ派遣労働者の就業条件の料品備に 継続的に雇用する必要性は薄い。一九八七年の﹁派遣法﹂(労勤者 こ こ で み た よ う な オ ペ レ ー タ ー やS Eの仕事は、特定の企業が めには、 S Eや オ ペ レ ー タ ー の 問 題 か ら 、 よ り 広 く 、 都 心 に お け なぜこのような集中傾向がみられるのか。その問題を明解するた その七 1八割が立地しているのである。鷲臨んすべき集中である。 夜(港・千代田・中央)に新宿院と渋谷区を合わせた都心五区に、 係があるのである。前出の派遣事業所の所在地をみると、都心三 ージを消化していることになる。しかしながらもちろん大いに関 が、都心の問題と桜点をもたないのであれば、まったく無駄にペ 本特集は都心に焦点があてられている。拙文のこれまでの内容 行なっている業務内容の内訳を報告している。それをみると、特 るサ!ビス業の変化の問題へと思いをめぐらす必要がありそうで なることも多いという、 S Eの声が聞こえてくるのである。 定労働者派遣卒業において、情報処理システム開発や機器操作な ところでそもそもサービス業とは何をさしているのであろう。 (三回)、医療・保険(二八)、教育(二八)、情報(て七)、ホームヘ る 。 ま た 対 個 人 サ ー ビ ス 三O五 業 種 の 中 で は 、 リ ー ス ・ レ ン タ ル 次いで悶際化(四一二、コンサルテi ション(一三二)などが続いてい 広い意味でのサービス業は、産業分類における第三次産業である。 ルプ(二五)などが多くなっている。このうち特に対事業所サービ ある。 産業分類表では、酉電気・ガス・熱供給・水道業、昌運輸通信業、 スのものは、その立地において都心志向が強いことが指摘されて ニ ュ lサービス業、とりわけ対事業所サービス業において都心志 国卸売・小売業・飲食庖、団金融・保険業、国不動産業、回サー 年の事業所統計における就業者、へ l ス で 五 六 % に 達 し て い る 。 国 向が強いことは当然のことである。ニューサービス業は先にみた 。 い づh v のサービス業のみをとっても二C%になっている。昭和四五年の にとってみれば、定型的・一時的・臨時的な仕事は、できるだけ 労働力の流動化という問題と強い関連をもっている。多くの企業 ビス業、国公務の七つとなる。この第三次産業の比率は昭和五九 ﹁経済のソフト化・サービス化﹂と称される理由の一端も充分に理 国のサービス業の就業者比率が一五%であったことか﹀りすれば、 外部化することが望ましい。この外部化した仕事を事業的に成立 させるためには、外部化の意向をもった企業が集積している地区 解することができる。 しかしながらいま話題となっているのは、﹁ニューサi ビス業﹂ このような事業所の立地性向とそこにおける就労形態は、そこ がより適当である。労働の外部化とニューサービス業の誕生(分 で働く人達の居住空間の選択に際しての意識を特徴づける。夜間 と呼ばれるもので、それは都心問題のキーワードの⋮つにさえな 業分類自体が固定的なものではなく、時代の変化に対応して内容 や早朝の就労が多くなれば、就業空間とできるだけ近くに居住空 業の深化)が並行して進んでいるのである。 を変更してきている。具体的に見ると、昭和五九年に改定された 間を構えるほうが便利である。日曜・祭日出勤ともなれば、休日 っている。ではこのニュ i サ ー ビ ス 業 と は 何 な の か 。 も と も と 産 日本産業分類では、サービス業を二五の中分類、一二二の小分類 さらに派遣事業所に籍をおく人達は、勤務時間が変則的でなく に分けている。この小分類においては、昭和五一年五月の改定と ニ ュ iサ ー ビ ス 業 と 呼 ば れ る も の は 、 こ の よ う に 新 設 さ れ て き とも、勤務先が流動的であるという場合も多い。このような人は ダイヤとなる郊外は不便このうえない。都心もしくはその周辺部 た業種の中にも分類することが難しいものである。中小企業庁﹁ニ 都心近くに居を構えて就業先に向かうという生活スタイルの方が 合わせると、一九業種が新設されている。この新設業種中、二二 ュi サービス業レポート﹂では、ニュ l サ ー ビ ス 業 と い わ れ る も 合理的である。また地方からの短期的・中期的な支援業務に東京 (東京でいえば山の手線がかかる区内)は、このような居住要求を のを数多く収集し、対個人サービスと対事業所サービスとに大き に来る人にとっては、ホテルでは高すぎるが、さりとて賃貸住宅 業種が対事業所サービスである。⋮般に考えられている以上に、 く区分して、それぞれに分類を試みている(﹁東京の産業﹂東京都 では適当な物件を探すことは難しい。さらにより底辺では建設現 満たすうえでは絶好である。 一九八八・七)。それを見ると、対事業所サービス四八四業種中、 場や清掃作業などに従事する人達の一群がみられる。この人達に 対個人サービスよりも対事業所サービス部門での新設業種が多い。 般業務代行(九一)、情報(八六)という二分野が圧倒的に多く、 居住し、棺互の情報交換ができることはメリットとなる。 とっても、就業先は可変的である。そのため都心近くに集まって 都心居住が可能となり、地区的には居住者階層の特化傾向を見せ できるだけの切り詰めが進む。結果的には家賃負担力が高まり、 始めている。 合った居住空間が生み出されようとしている。家賃の負担力から このように都心における就労形態の変化を軸として、それに見 このようにさまざまな短期的・流動的な居住空間に対する需要 みれば、子供ができて、すこしでも広い住宅を求めようとしてい ヱピ訂│グ 圧力が都心には押し寄せることになる。これらの需要に応、える居 る若い惟帯は、とても太万打ちできないといってもよい。事実そ 都心へのいっそうの集中・集積を前提としては、このような問 住空間は持家ではないことは明らかである。措家に対する需要は 価からみれば、相対的に安い家賃の賃貸住宅が供給されていると 題の解決は見出せないように忠われる。都市構造そのものの変容 のようなライフステージにある位指の住宅に対する不満は最も高 いう現実がある。都心区部ではもはや住宅の供給が難しいといわ が 求 め ら れ て い る と い っ て も よ い 。 経 済 の サi ピ ス 化 が 、 我 が 国 くなっているのである。 れる中で、賃貸住宅の供給がなお一定の量を保っているというの の生産力の高まりによる大量の商品販売の必要性を背景とした大 当然のことながら極めて高い。しかも我が国には都心やその周辺 は、このような事情があるからである。借家も立地のょいところ きなベクトルの中に位置するものとするならば、この問題の解決 部といえども、小規模な土地所有者が多く存在しており、市場地 では、ワンルi ム マ ン シ ョ ン と し て 供 給 さ れ る 。 流 動 化 の 主 役 は 方向も、その流れのやに認されているのではないか。巨大な生産 芽生えているのではないか。このような問題意識を心の底に抱き 単身・小世帯が多い。それらの層は居住空間は狭くとも、立地や つつも、新しい動きについ誘いこまれてしまうというのが、東京 力をコントロ i ルできるヒントが、このサi ビス化の進展の中に 企 業 的 に 行 な わ れ る リl スマンションの供給は、常に社会の﹁先 都心のもつ魔力というところであろうか。 設備の充実した空間を求めるからである。 導的﹂な需要を開拓する必要に迫られる。小土地所有者が追随で (もりもと・のぷあき/建設行建築研究所) きるような物件であれば、すぐに経営は危機にさらされるからで ある。より短期・中期の滞在を求める人に対しては、従米のホテ ルよりも安くかっ長く滞在ができることを売り物にした物件が供 給される。場合によっては社宅として一戸加契約し、借りた会社は 職員の中期滞在空間として活用する。これらはいずれも企業的に 成立している分野である。 一方、底辺部では、かつての木質アパート地帯が低所得層を受 け止める居住空間としての性格をより鮮明に浮かび上がらせてい る。かつての出稼ぎのメカニズムと同じく、別の場所に支えなく てはならない家族を背負っての就労は、一時的な居住空間として、 九八0年 代 は 、 超 高 層 集 合 住 宅 の 躯 体 をいかに安く建設するかが、住宅にかかわ る技術開発の一つの明確なターゲットであ った。目的が正しいかどうかはともかく、 目標の定められた技術開発は.定の成果を 生み出すものである。しかし、桟念なこと に、この技術開発は住宅そのもの、特に偶 佃の住戸内部の質の向上には、ほとんど意 味をもつものではなかった。個々の住戸の 構成については、﹁超高層の経済性﹂の名の いとに、むしろ、いじめられて設計されて いたといってもよい。 都心に立地する高層住宅に求められてい る機能は、ファミリータイプの共同住宅の、 いわゆる﹁すまい﹂とは異なる部分が多い。 この点に関しては、多様な住戸タイプを供 給することで解決をはかろうとするか、も しくは仕上げ材・設備機器等に高価格のも のを用いて、差異を強調することが行なわ れている。それらは、新たなテクノロジー 都心に居住するためには、一般に言われ の成果というにはほど遠い。 る﹁優れた住環境の条件﹂のうちのかなり の部分を諦めざるをえない。さまざまなも のを犠牲にしてでも都心に居住したいとい う要求である以上、利便性をはじめとする その要求を十分満足させるためには、高度 な付加機能を住宅に用意すべきではないだ すさまいのテクノロジー一一⑧ 高層都市住宅とう?究ノ習ジー 深揺 21 ,持分の階おをもっ i i:r'の実大モデノレ ( ' 8 9グソドリビングショー) ろ、っか。 エ レ ク ト ロ ニ ク ス に よ る 各 種 制 御 技術・情報処理技術の発展にもかかわらず、 それを生かした建築部品や建築構成材はあ まり開発されていない。家電製品との大き な違いがここには存在している。建築が、 高度な付加機能部品を取り込むようには造 られていないのである。 なぜ集合住宅の階高は低いのか この問題を解決する一つの鍵は﹁階高﹂に あると、私は考えている。南面配叩涯を基本 とする公共住宅では、隣棟間隔が住棟配量 の基本であった。斜線制限や日照問題から も階高は抑えざるをえなかった。建設費に 直接きいてくるため、経済性からも集合住 宅の階高は極めて低くなっている。以前は 階 高 が 二 六OOm以 下 と い う 建 物 も 珍 し く うになり、多少は高くなったが、それでも、 な か っ た 。 天 井 高 が 二 問OOmと ら れ る よ 二八五C mあ れ ば 高 い 方 で あ る 。 こ れ ら の 数値は、最低限の設備の配管と、梁成など から決定されている。 超高層ビルが建て始められるようになっ た時に、事務所建築の階高は容積制の導入 にともなって大きく変化している。同時に 天井ふところに、ダクトをはじめとするさ た 。 mに 八 階 ・ 九 階 を 押 し 込 め よ う と まざまな設備機器が仕込まれるようになっ いう時代に比べて、設備設計の考え方が変 干i 哲 」ン r~1I 7 しの そ 八成 九果 4 ドは 十日き兵き時代の高い天井への憧れが、間率 的な住宅を取り巻く状況の中から出てきた ホi ム コ ン サ ー ト ・ ア ト リ エ な ど と し て の ソフトな方向である。 住まいのテクノロジーと呼ぶにはあまりに 利用がすぐ頭に涼かんだ。しかし、これは、 るというのは、アイデアとしては而白い。 天井裏・床下を利用した高度な設備が可能 二府分の躯体の中に自由に住戸を構成す 都心の建物であれば、現行の容積制のも に試みられているし、放悶通のメゾネットに し か し 、 同 様 な 考 え 方 が 一 九 七O年 ご ろ 既 まりに知恵がないといえないだろうか。 住宅と同じものを都心に建設するのは、あ のメリットが生まれてくる。郊外型の共同 二 m程度の階古川を持つ住戸について検討を に 対 し 、 一 ・ 五 層 分 の 階 高 、 す な わ ちm m・ いまひとつ把握しにくい点があった。これ 比べて具体的なメリットが何かというと、 である。 ここで述べる高い階高の住宅の大きな狙い を適用する対象が生まれてくるというのが、 めておくなり、そこに高度なテクノロジー 型集合住宅システム開発プロジェクトでは、 一九八五年に開始された建設省の新都市 を紹介したい。 高を持つ住戸について、我々が考えたこと れたのである。ここでは、一・五層分の階 れ て い な い 。 サ ニ タ リlま わ り の 排 気 ダ ク 現在の集合住宅の天井実は、殆ど利用さ 新しい内装構法の開発検討が進められた。 ングに設置され、﹁立体住戸﹂を中心とする 間形成手法開発委員会﹂が(財)ベタl リビ ープとして﹁新都市型集合住宅快適間住空 住戸内部の構成方法の開発を推進するグル いくという﹁立体住戸﹂があった。その後、 高さを持つ躯体に白出向に住戸を紛み込んで れは、いわゆる﹁現代建築﹂の見直しと重 転換を最も明快に行なえる子法である。こ 象として現われてきている。買の時代への 合住宅にも、天井高の高いものが差別化現 つようになってきた。アメリカ西海岸の集 ブ住宅にも天井の古川いモデルハウスが目立 ットであろう。近年、住宅展示場のプレハ が得られることが、もっとも判り易いメリ ま ず 、 天 井 高 の 高 い リ ビ ン グ ル l ムなど 法もとれるのである。住宅の気密化は確実 いバランスのとれた快適な省エネルギー手 だが、階高に余裕があれば、より効率の良 の工夫こそが章一婆であるという戸もあろう。 備に頼るより、風通しをとることなど設計 ろう。省エ、不ルギl の 見 地 か ら も 、 機 械 設 んな設備は必要ないという意見も多いであ では、明らかに不十分である。住宅にはそ うとすれば、今のような天井ふところ寸法 しかし、オフィスビル並の設稿を組み込も ある。天井を張り上げていない居室も多い。 トがスペースを要求している最大のもので 初年度に開発課題を求める技術開発提案コ 天井の古田い開放的空間 その中で出てきたものが一・五層分の住空 ねあわせて見ることができるかもしれない。 間であり、それをサポートする設備システ 部門において提案されたものに、二層分の ンペが行なわれた。その際、超高層住宅の 一・五層の階高をもっ住空間の開発 行なったところ、かなり珂白い結果が得ら 天井裂の利用・床下の利用の白出度が極 とで、世十口同を大きくすることによって多く が三O年以上変わっていないのである。 高くなる傾向にある。集合住宅の階高だけ ことは、ごく自然である。おい階高の空間 れる に晴海で開催されたグッドリビングショウ とス く変化することになったのである。そして、 名テ {寸ム けで らあ をいかに利用するかというスタディーでも、 2 1 で、実物大のモデルとして大々的に出展さ わり、執務空間の平面一計画そのものも大き い ユ ー に築 最近はまた、インテリジェント化という掛 担ニ語 れている。 , - け声のもとに、オフィスビルの階高が廷に Aア マ きところであろう。 て、テクノロジーを最も積極的に適用すべ の気圧差﹂が大きな課題である。住に関し 超高層住宅ともなれば、風圧による﹁内外 に最も必要なものは空気なのである。特に 必要である。人聞が快適に生きていくため 要な部屋に給気を行なえるシステム﹂等が ば熱交換を行なうシステム、﹁必要な時に必 くなっている。もっと計画的な給気、例え ンテl ジ は ま す ま す 狭 く な り 、 奥 行 き が 深 気口をとっているだけである。住戸のフロ をしているのに、給気は外壁面に小さな給 に進んでいる。台所も水まわりも機械排気 床下にダクトを通すこともその⋮つとなる しい風を吹き込むこともできるであろう。 重床の構法が開発されれば、居住空間に新 することが容易である。まったく新しい二 とができれば、床衝撃音は躯体の側で処理 変化が訪れてきている。階高を高くするこ った。しかし、居室の床仕上げの晴好にも とるかが、集合住宅の設計のポイントであ の領域のバランスを平面計画でどのように 重床をとることが多い。そして、この両者 主流となった。一方、設縞部分は今でも二 直床にカーペット敷きが居室の床仕上げの 二重床は嫌われ、そのため、コンクリート 問題となる。直接のクレームの原閃となる 象を効率的な収納に向けてはどうだろう。 ができないのであれば、テクノロジーの対 たのである。物に溢れた生活をやめること 座敷の床や壁面は、収納から開放されてい あった。必要最小限の箪笥も納戸に置き、 住宅は、収納家具を置かないことが原別で るのではないだろうか。もともと、日本の ができれば、我々の生活はかなり快適にな ところを収納部として有効に利用すること される利用法は収納である。特に、天井ふ 天井哀の空間も床下の空間も、最も期待 収納空間としての有効な利用も 空間が用意されてもよいであろう。 しかし、都心の高層住宅には、そのような 段差は無闇に取り入れるべきものではない。 東京のウォ i タi フ ロ ン ト 、 大 川 端 に 建 はずである。 H37i てきた。 二重床にすれば、 白紙.出タ,¥刀、刀ミ ために、 床 を 二 重 床 に す る こ と が 行 な わ れ 従来も、 住 戸 の 平 面 計 画 の 白 出 度 を 高 め る ロジーを生かせる魅力的なスペースである。 床下に設けられる愚かな空間も、 テクノ ているのである。 めに天井ふところを用意する時代が始まっ 供給されている。共河住宅でも、設備のた み込まれ、ダクトワ l クで数部屋に空気が 宅には、各戸の天井ふところに空調機が組 となることは間違いない。それは、最近の でも可能になれば、集合住宅の新たな魅力 住戸内における床の高さの変化が集合住宅 変化に富んだ空間を生み出す、﹂とができる。 いるように忠われる。大きな床の段差は、 し、そこにはそれらを超えた魅力が溶んで うしてもコスト高になりがちである。しか 求される性能が高いため、高い二重床はど 簡単なものではない。床は、剛性などの要 ものにしようとすると、その構法の開発は 従来の二重床のスペースを遥かに大きな 空間の要素となるような部品に仕立ててい の住空間への生かし方として、優れた建築 にするのではなく、積秘的なテクノロジー 貧しい住環境のあだ花として出てきたもの されている。なすべきことは、それらが、 天井から降りてくる仕組みは、既に商品化 の話なのであろうか。ベッドや物干し棚が などというのは、漫画のような夢の中だけ りてきて、そこにテレビが設置されている リモコンのボタンを押せば天井の一画が降 それには天井ふところの利用が有効である。 設されている住宅都市整備公団の超高層住 なり自由になり、 設 鮪 部 分 の 配 置 の 可 変 性 くことである。 コンクリートスラブ もちろん、高齢化社会に向かう現在、床の テレビドラマの舞台にも見ることができる。 も期待できる。 の上に二重床をとると、 床 衝 撃 音 遮 断 性 が 方 部品の共通化、互換性を えられる。先にあげたベッドの他にも、さ 器や収納ばかりでなくさまざまなものが考 までにない魅力的な担問や、効果的なスペ 住一戸の設計の自由度は飛躍的におまる。今 住一戸の高さ方向の寸法が大きくなると、 で、建築部品として商品化され、アイデア 部品の互換性が求められるのである。今ま 的な設備の組み込みを期待することができ 一二・六 mの 階 高 で も 、 か な り の 変 化 、 効 果 無理かもしれない。我々のスタディーでは、 参考文献 吋新しい剛山市川住へのぬ案 新 -w 州市ハウジングプ 先行/日本池築センター発売/杉凶付 制集/新・郡山ハウジング研究開発協議会 ロジェクトの技術開発 E ふかお・せいいち/氷点郎しげ大川f池袋仁川下利幼時 HMH 住に関するテク 相瓦乗り入れが始まれば まざまな家事用の器河川などがあろう。その ースの利用方法も考、子りれるようになる。 られたサービスバルコニーなども、一円向い倍 場合に最も大切なことは、それらの瓦換性 しかし、一方で、住戸の設計が格段に難し 高ならではの工夫である。 である。技術が健全な発展をするためには、 くなるのも事実である。なによりもまず、 天井裂や床下に仕組むものには、設備機 複数のメーカーの製品として選択の余地が ノロジーは大きく加速されるに違いない。 あることが必要であり、また、住宅を、時 が優れていたにもかかわらず失敗したもの る。まず、このあたりまで階高を高めてみ 一・五間四分間・二 mの 階 高 は 、 す ぐ に は 優れた実例の建設が必要であろう。 は、その配慮が足りなかったものが多いと る試みが必要である。事務所建築と集合住 の変化とともに住みこなしていくためにも、 いえよう。最近、建築にビルトインする住 はまったく非常識であった。しかし、こう 宅の階高をほぼ一致させることは、今まで いう考え方もあるのだなということになれ 宅用設備機器が増えてきているが、同じ機 と、性能が最先端のものでないことも多い。 ば、不可能であった新しい複合化なども、 一・五層の伎戸案 街頭函 ' { 2-Y2 能で一般に売られている家電製品と比べる インターフェイスが一般の量産品と同じで、 副産物として出てこよう。たとえば、南面 方、在米木造住宅との部品の共通化も かつ建築的にスッキリ納まるような部品の 最後に、新都市ハウジングプロジェクト 好結果をもたらそう。今までの集合住宅と、 が住宅、北面が事務所というようなコンプ 一・五層の什江戸の間隔を 天井裏・小屋裂や床下に余裕のある木造住 開発が必要であろう。 お見せしよう。高い天井の居間、控の下に 宅とでは、部品の共通性はかなり低かった。 レックスである。 収納されるベッド、縦に並んだ子供室の両 これは、日本の特徴ともいえるところであ 争 方への採光などのアイデアが盛り込まれて 住宅用の部品の る。一戸建て用の部品と集 AH で設計を試みた、 いる。一廊下に両し一段上がった位置に設け 図 コンパクトな住居と 初対同の人に﹁あなたのすまいは?﹂とたずねられたとしたら、 インテリア側への発想へと自ら閉じ込めていった過程とも把えら うまく仕切り、機能付けし、体裁良く見せるか﹂といった、より たのではないか、という感さえある。 ている。そこには、すまいのもつ本質への問問いかけを見失ってい プ まず最初に答えるのはどういうことだろうか。﹁私のすまいは﹂に に生産する側のフィールドでしか対応し得なかった問題も内在し れよう。こうした背景には、過去や現在を断ち切り、住宅を新た の関係や、暮らし方を紹介していくプロセスがイメージされてく る。広さや様式や間取りの紹介は、かなり後の方になる。むしろ かなりの価格か通勤時間を強要されるが、単に通勤時間に留まら 一般的に戸建て住宅を新たに求めるならば、首都圏ではもはや すまうことを保障する場をすまいと呼ぶならば、その範鴎は、 る答を出せるだろうか。教育環境やコミュニティ環境なども含め 汰されている子供室の個室化の問題にしても、どれだけ確信のあ 機となる一般的理由として、子供の成長が挙げられるが、取り沙 ないさまざまなリスクも生まれてくる。住宅購入や住み替えの契 住居としての型や私的空間を超えた環境を含むことになる。言い ると、安心できない要素も多々ある。テレビドラマなどでよく捕 だろう。しあわせを買おうとして手に入れたマイホーム。結局、 活は、やがて家族崩壊の結末を迎えるといった姿さえ想い浮かぶ かれるように、やっと予に入れたマイホームでくり広げられる生 換えれば、住居の所在する地域の状況もまた、すまいの重要な要 で、多くの建築に携わる者が住宅に果たしてきた道は、洋風的な そうしたすまいの本質に対する向いに対し、日本の近代化の中 いると一言っても過言ではない。 素であり、生活を保障する対社会的な要素が、すまいを決定して とまで発展することは少ないのではないかと思う。 たち入った関係ではない限り、広さや間取りのような内部的なこ プラン なるだろう。所在地の次に展開する内容は、生計を支える職業と ラン 続く最初の言葉は、住居の広さであろうか。それとも、様式や開 域 取りのことだろうか。たぶん大方の人は、所在地を答えることに 宅へと発展させてきた過程だった。それは、﹁いかに住宅の内部を 様式の模倣から始まり、折衷的な型や、 D K型や、 L D K型 の 住 ・ 8 明右町、 築地界隈の生活と絵本づくりを過して 鵡 すまい方の再考へ j 翠 社会のしわょせを貿ってしまったという 笑えない笑い話の主人 より広く立派にと思う心が、あるところまで実現しても、更に次 あるいは、﹁知足﹂という東洋的な概念を想い起こしても良い。 ったこともあろう。 の広く立派にと思う欲望が続く限り、不満足の心が増大し、精神 公になりかねない不安も出てくるだろう。 す ま い に 必 要 な の は より賢く生きられる暮らし方をどう再構築するかにあるのだと忠 もなろう。時代性もあるのだろうが、所得や住居一向棋や物が増え 状態は不安定になる。病的に追い求めた場合は危機に陥ることに 、つ。 よりコンパクトに た分だけ、忙しさやストレス・イライラが増えたと思いあたるこ とはないだろうか。﹁青いμ♂の話のように、求めるべきものは、 たとえば、テレビを子に入れれば幸福が舞い込んでくると錯覚 したその後の影響や、便利で魅力的に見えた自動車が及ぼしたさ 身近な所にあるのだろう。 身近なものへの認識 まざまな問題を考、えてみれば、両様に近代的な住宅のあり方も再 考されねばならない。 しかし、現実の動向の中で、かつであったようなコンパクトに 第一一一世界の都市部などによく見られる低層高密度居住市街地。 それをスラム型と呼ぶならば、そのスラム型の間住水準の低い住 暮らす住まい方を実践するリアリティを、どう見い出せるのだろ に一民ることはかなり同難なことだ。一度知った便利で楽でき 居と、道や街などの外部環境との関係を考えてみても良い。現在 う で あ る が 、 昭 和 三0 年 代 以 前 の よ う な 懐 し い 風 景 を 想 い 出 す と るものを捨てることも難しい。消費の拡大が、現在の経済の原動 、 っ か 。 ともに、いきいきした子供達の顔や、道の表情を見い出すことが 力になっている以上、労働も何らかの形で消費の拡大に力を貸し の我々の生活環境からみれば、文明から遅れを見せているかのよ できるだろう。住居が狭いゆえに、道端がさしずめ居間のような 理に完結しようとするならば破綻する。誰しもが、問題に気が付 ている。生計基盤から日常の活動までさまざまなところで拡大傾 の都市的界限と類似していると思うが、日本の場合は住戸内の広 きながら突破口を見い出せなく、流れに身をまかせてしまうとい 向にあるのだから。単独でできることはほんのわずかであり、無 さや空間が少しましになったかのように見えた分の代償以上に、 った構閃が一散像なのだろう。状況を頭だけで考えているだけで り、生活互助が生まれるといった具合だ。かつて持っていた日本 外部空間を貧しくしてきた。すまいにとって、この外部空間が重 は、問題は解決しない。 役割を果たし、小路は子供の遊び場となる。井戸端は小広場とな 要になるのは一一一日うまでもない。 身近な外部空間と同様に優しい対応となる。ひいては、住まい手 ーの消費や廃棄物の量を縮小でき、地球環境の問題に対しても、 つつも身近な生活閤域の中に潜んでいる。マスメディアや印刷物 少なくともその存在を再認識することはできよう。それは、消え トで消費量が少ない暮らしをしている人びとが現に存在している。 しかし、消費時代の国際都市となった東京の中にも、コンパク の精神状態にも安定を導くのではないかと想像される。その訳は、 の情報があふれでいる一方で、隣人や地域がどうなっているのか 住戸はよりコンパクトに、寄り添って暮らした方が、エネルギ 家族関の交流の機会とか、地域コミュニティの機会への利点とい を知らないのが一般とすれば、身近な地域を見直すことも重姿だ。 の中間点に事務所を構えた訳だ。事務所位置の選定は、当初青山 内月島にある。高齢者の母の応締併用住宅のある日本橋と、 AJ 下t y E 近代化とか、消費社会化は、地域間有の文化や地域社会を無視し のせいもあって、疲れがもっとたまりそうな青山・赤坂は選ばな にしようか麹町、赤坂にしようかと迷ったが、家内の強い意見も かった。街に温りのある築地は、かつての生家界隈が持っていた 打ち壊すことで、成立、拡大する。その問題を直視し、地域の中 その実践は、自らの生活の中に刑わねはならぬのだろう。筆者 らば、現在の場所にはならなかったが、独立当時は、病み上がり 自身を問えば、子供が生まれてから、暮らしと地域の関係につい ような家並があり、ほっとするような懐しさもあった。事務所の あって、現在の場所に決まった。見栄や不動産の価値で選んだな ての自らへの聞いが拡大し、何らかの試行を始めている。地域環 周辺は、南側と西郷に旧運河の公開、東側に保育問、保龍所、そ で地域性をとりもどすにも、身近な地域の中にある忘れ去られつ 境や地域社会が特に重要な層といえば子供や高齢者であり、その して聖路加国際病院があり、それらの環境も大きな選定理由にな つあるものを見註す必要がある。 層を抱える時期に、身近な地域との関わりを持つのは、一般的パ ん宅や、 茨 城 県 の 海 辺 の 町 に あ ず け ら れ た 経 移 も あ る が 、 おおか し、夜は、狭い打ち人口わせコーナーが運動会やもちっさなどの催 午前中は、保育閣のお母さんが立ち寄るサロンとなる時もある 半住居的であり、月烏の住まい以上に地域との関わりも深い。 か前までは家族にとっても一日に⋮度は顔を出す場所だったから、 は一日のほとんどをこの事務所で過ごしている訳だし、つい何年 ら、広さや間取りは当初からそう重要ではなかった。私にとって 仕切りも可能なように、フレキシビリティを与えた改造だったか 入 し て 、 あ る と き は 、 ワ ン ル │ ム 的 に 、 必 要 な ら ば 3LDK的 な ような若干の子症しをした。自宅と同じ簡易なシステム家具を導 タ千ルだったが、限られたスペ i スを有効に旦つマルチに使える 改 造 前 の 問C Uの 室 内 ス ペ ー ス は 、 比 較 的 模 範 的 な 1LDKス 家族にとっても更に都合のいい環境だったことになる。 だから、保健所や保育園、病院、公園が憐りにある現夜の場所は、 た。書斎兼半居間という機能が、当初の事務所のもくろんだ機能 島の問に、中継的な場所を確保するほうが都合が良いせいもあっ チ歩きの状態だったから、家内が手伝いに行っている母の活と月 独立当時のヨチヨチ歩きの状態は、私の子供にとってもヨチヨ っている。 築 地 たは、 その日本橋で育った。 現在の住まいは、 東 京 湾 を 臨 む 同 医 〉 ターンである。その一例でしかないが、参考に自らのケースを紹 介したいと思う。 居住地の選択 央 区 五年前に作った﹃おとうさんの絵戸記﹄ は そ う し た 試 行 の 一 つ 都 私が小さな事務所を構えた場所である。 私 の 生 家 は 日 本 京 橋室町。荒川区の町屋や、 相 模 原 の 米 国 人 相 手 の 住 宅 地 の 大 屋 さ 明 であるが、 その絵日記の舞台とした相場所は、 卵I 石 円/︼ ハ U し一挙準備の会議室に変身することもある。たかだか五ぽ程度の場 所に一 O人 集 ま る こ と も 希 で は な い 。 狭 け れ ば 狭 い な り の 楽 し み 方もある。チャーミングな人妻と正に膝を付き合わせてという機 。 マンションの管理組合から、 町会と 会がないこともない。ゆずり合いの温さも肌で感じることができ Q フ 地域との接触 こうした地域との接触は、 のつきあいを始めとして八年間になる。当初は、 管 理 組 合 懇 親 会 を企画し、 マンション北側降りのおでん屋で、 町 会 長 を 招 き な が らワイワイゃった。 病院が隣悼惜している場所なので、高齢者も混 じっていた。 子供がすぐそばの保育関にお位話になる頃は、 絵日記のスタートは、 自らの半住居的事務所の暴露から始まり、 き来して欲しい気持もあった。 住まいや、 地域社会と密着した都市環境に、 誇 り と 愛 者 を 持 ち 続 けて欲しいと願う気持もあった。 子 供 た ち が 友 達 の 家 ど う し を 住 もあり、 自 ら の 地 域 環 境 を 見 直 す つ も り も 含 め ﹃ お と う さ ん の 絵 日記﹄ を書き始めた。 失 わ れ つ つ あ る コ ン パ ク ト で 浪 費 の 少 な い マスメディアを対象にするよりも、 むしろ地域間のミニマ B v u p 1 4 f ' ムを対象としたほうが、 グ ロ ー バ ル な 視 点 に 立 つ 実 践 と い う 気 持 O 白 f川 こ J 子供や親たちに身近な環境を見産すような絵本にも関心を持った 識が高まってきた頃でもある。東京に関する絵本も出版し終わり、 して起こってきた。 その頃は、 地 上 げ 問 題 が 表 面 化 し 始 め る 頃 だ った。環境問題の意識や、 子供どうしの遊ぴや、 遊 び 場 の 問 題 意 と子供の関係の重要性が一殻論としてではなく、 具 体 的 な 問 題 と 地 建物周りそして絵地図へと展開しながら、 保 育 閣 の 父 母 の 家 を 何 軒か捕かせてもらった。 時には時代をさかのぼって、 時 に は こ れ か ら 行 な お う と す る 行 事 準 備 の レ ポiトも載せた。 明石町、築地 6 ・フ了目界隈の j 者舗住宅の内部 域 i q/ ︼ 街の収穫 とりあえずまとめたものは、 保 育 問 ・ 父 悶 の 会 開 子 の 編 集 係 に 部 が 紹 介 さ れ た 。 カ ラl コ ピ ー し て ま と め た も の 新たな変化への対応 開発が急同情している昨今、紹介した絵日記の舞台も、短い開で だったから早朝の時もあったが、出掛者が毎朝道を掃いてくれて いく段階の収穫も大きかった。絵地問を拙いていた頃は夏の盛り とになった。一以特はそれなりにあった。自分にとっては、拙いて 心地ほと似たような状況を迎、えつつある訳だ。かつてのような都 なくなり、すまう社会的環境も物理的環境も失いつつある他の都 がほとんどを占める建設が目白押しに進められている。隣人も少 境を守る会﹂等の活動も地域に起らなかった訳ではないが、業務床 あるがずいぶん変わってきた。今までの建物とは、遥かに一世も、 中身の いることも知った。道端や軒下の紘に気遣うのは、高齢者や子供 心 を 用 途 純 化 論 で 片 づ け た り 、 ノ ス タ ル ジl論 で 都 心 の ド 町 的 居 山内円最も達、っ建物が街に増え始めている。大規模開発に対して、﹁環 述。叶一の弱者と一一一一口われている府が、実は賢者という一つの現われ 住を不け定に追いやるような見解は、影をひそめたものの、問題は 隣のおでん屋﹁この花﹂に置いて、お客さんに兄てもらうこ ではないかと感じる。働き盛りは、多くの消費をし、更に仕事の 、 ﹁ ノ 。 関係を涼める方が、臼らの領域を拡大する、 そ ん な 一 例 な の だ ろ 自 ら の 専 有 ス ペ ー ス の 拡 大 や 転 肘 に 腐 心 す る よ り も 、 地域との 恵を、逆に街から受けたことになる。 J えようとした分の何杭かの恩 絵日記だったが、 AI 思えは、そのけ 、 から、街中が問問になったことになる。街に与えようとな凶した E だ。二一日ってみれば、筒に れ ら の 傾 城 が 所 有 せ ず し て 広 が っ た 訳 だ できた。他人の家が他人の家のような気がしないのも大きな収穫 きたことだろう。新参者の私だが、短い開に旧知のような親交も つだが、絵日記を描いた何よりの収穫は、街に多くの知り合いがで 然りのポスターの絵も、町の多くの人に喜んでもらったものの一 事にしてくれている家もある。抗いた者としては賠しいことだ。 た お 札 に 、 そ の 家 の 絵 の カ ラl コ ピ ー を 渡 し た が 、 傾 に 入 れ て 大 拙いた収穫は、家の内部にもある。内部を伴兄させていただい とりもないのが一般的なのだろう。 大を進めている恐者。賢者のひかえめな持行を、山内心者は気付くゆ むしろ深刻になっているのだろう。都心の空腕化の問題は、東京 し 名のもとに、使えるものをすぐゴミと化すよう向わせる浪費の拡 土 i J : [ のみならず地方都市もが迎、えつつあリ、質の違いはあれども位界 的な問題になっている。プランニングする立場にある者は、都心 の民住環境の確保や居住文化の継続という難しい命題に対し、何 らかの解答を求められている時期でもある。現実には、市議脱化 が避けられないとすれば、どう適正化を閃られるかが川一組になる。 住宅家賃や価格軽減に対しての開発負担や、住宅付叩一川義務・住宅 条例など、自治体が既に進行させている施策は、評価はされてい るもののまだまだ出発点に過ぎない。コミュニティや地域文化の 継続の問題から税制など、数多くの解決しなければならないソフ トの課題がある。また、高等柏化の中でほ住しやすい居住環境を いかに確保できるかといった、ハードの諜題も多くある。池上レ ベルをいかに居住のための社会環境として確川附するか。そして性 保するかといった課題もある。子供が健全に育ち、高齢者が安心 居 の 日 照 や 採 光 ・ 通 風 ・ プ ラ イ バ シ i - コミュニティをいかに確 できる環境をどう確保できるかという課題もある。 時代になりつつある。仕事に 放れた頭には、総と街設と子供とい 出火口積化が避けられない限リ、時想的になり得る解答は難しい が 、 総 合 的 に 千 メi ジ で き る 間 住 環 境 の 姿 や 施 策 が 求 め ら れ て い ったほっとした風景も良いだろうし、ビジネスマンが地域参加し、 J る。それも子供や高齢者の生活の立場に立った、総合化されたわ オフィスも同級だが、新しい都心の住まいの求める姿は、プラ 知り合いの家ができるのも忠くないだろう。職住近接ならば、内対 イベートなだ間をコンパクトに、そして地域により多くの接触の かり易いものなのだろう。一方では、丸の内を、オフィスと同世 と思える。都心が単にオフィス容積だけを増大するならば、川北(作山 場を持つことのほうが、住まう側の経済的別出からも利点がある 寝がでさることも夢ではなかろう。 な業務集中を招くだけでなく、公共交通やエネルギー供給などを だろうし、新しく住まう姿としても正しいのではないかと考えら 以上の住宅の入った街にしてゆくといった発想も必要ではないか ール化の問題解決に役立つだけでなく、昼夜にわたってエネルギ 破綻しかねない。住宅を確保すれば、通勤問題や郊外へのスブロ りには、決して消極的ではないし、自身としては、暮らし続けら れないだろうか。域住民等も、そうした住まい方のできる体制作 オフィス内部にも住宅的な快適性を求めつつある時代であり、 れるしたたかな住まい方の方策を、求めなくてはならないのだろ ー供給を分散させることも可能になる。 住宅との共存、居住環境の向上に寄与することが必要だろう。ま 、 ﹁ ノ 。 おさわ・ひさし/小沢設計計画室、一主宰) た、企業自体にも、立地している地域社会への貢献が求められる 絵B記﹄から による﹁おとうさんの 文中のさし絵は、筆者 現在の明石町、築地 6 ・ア丁目界隈 て替え開 宅の名称としてはじめて使われたのは一九 マンションという言葉が、日本の都市住 中心に共同生活の作法みたいな分野で、今 体的な集住形態という面から、音の問題を 実際にマンションに居住してみると、立 はいけない、ということになりました。と マンションはすべて管哩組合を作らなくて の区分所有等に関する法律﹂が改正されて、 ではないでしょうか。一九八三年に、﹁建物 ク)からいえばまだ数パーセントに満たな ります。現在の日本の住宅総戸数(ストッ の日本の都市住宅ではかなり定着しつつあ ばこれも共用部分とされる、屋根とか外壁 してくるわけであって、区分所有法でいえ ます。一方、建物というのは、当然老朽化 効率よく管理していくかという問題があり いは下水の処理施設とか、それらをいかに いたり、非住宅利用も多いわけです。それ あるいは場合によってはサロンに使われて 所とか税理事務所として使われていたり、 ているだけではなくて、たとえば設計事務 ひと口にマンションといっても、住宅に使っ 同潤会総谷アパート中庭を囲む i i t 東 マンションの者朽化と 同潤会拙閣をアパートの建て蓄え問題をめぐって 内田 五0年 代 後 半 だ と い わ れ て お り 、 こ の 言 葉 日までの日本の住宅に無かった問題が出て ころが、実際には管理組合がほとんどうま 場合どうするかということは、ほとんどイ 自体暖昧なところが多いのですが、今日は きておりますが、何といっても大きいのは、 く機能しておらず、建物の管理や計画修繕 はらんでいるかが、 本 日 の 話 の 骨 子 に な る ﹁区分所有された(分譲された)耐火造の集 建物の維持管理の問題です。特に区分所有 メージされていないというのが今日の状況 合住宅﹂をマンションと呼ぶことにして、 はともかく、建て替え問題などとても話に と思います。 これからの話を進めていきたいと思います。 いものですが、最近の年間建設戸数(フ とかをいかに保全していくかという問題が から、げたばきアパートという形で、下に なりません。 ロ│)から見ると一 O万一戸、全体の八 1 一 O パi セ ン ト を 占 め て い る も の と 考 え ら れ 先ずのしかかってきます。更に、いちばん りますと、同じマンションに住みながら、 商庄が入っている場合もあります。そうな 階段室とかエレベーターとか庭とか、 ます。とくに首都圏においてストックとし 厳しいと言われているのが建て替えの問題 このマンションという住宅形態は、今日 て年々蓄積されているこのマンションが、 です。将来、マンションが老朽化してきた もうひとつは使用者に起因する問題です。 都市生活者にとって将米にどういう問題を あ る のマンションの場合には、共用部分である これからマンションの建て替え が続々と起甲﹄る 雄 造 生活目的を全然異にするわけです。だから 管理組合でいくら議論をしてもかみあわな 例についてお話したいと思います。 京大震災の反災復興ですから、東京府と神 奈川県下を対象として住宅の経営、それか という場合が多いことです。 るいは節税対策として買って、貸している 分が住むのではなく、資産運用のためにあ 有者の問題です。マンションを買っても自 考えられ、今日の日本の住宅政策は、大体 れに対し当時の内務省を中心に住宅対策が の労働者の集中に起因するものでした。こ は、第⋮次此界大戦を契機とする、都市へ 日本で住宅問題・都市問題が激化したの たとえば住宅相談卒業とか、住宅調査とか です。事実、同潤会は住宅供給と並んで、 事業を実施した組織と考えられているわけ 日、問潤会といった場合には、住宅関係の 事業は早い時期に分離されましたので、今 営等がありました。この中で社会福祉的な ら不具・疾病収容所、ならびに授産所の経 管理組合のメンバーというのは、家主が この時期にフレームが作られたともいえま の 研 究 活 動 も 随 分 や っ て い ま す 。 ヨ i ロッ 同潤会鷺山︿ロアパートとは なるわけです。最近では、借家人も出席は す。たとえば、公営(公共)住宅の建設と パの都市計耐に関する文献を紹介したり、 いという問題が生じます。もうひとつは所 できるのですが、権限はないわけです。そ か、住宅金融を主眼とした住宅組合法とか、 えば近代的な設俄である屯気、ガス、水道、 のために、借家人ばかり増えてくると、管 水洗便所が設けられています。それから、 住宅調査の事例紹介もしました。これらの 住宅会社法でした。ヨーロッパにはノンプ 共同住宅に対応した付帯施設、小公閣とか、 成果もふまえて供給された向指会の共同住 生懸命管理組合や管収規約を作ったりする ロフィットの住宅会社が多いのですが、そ 食堂とか、娯楽室とか、共伺浴場とかを備 それから、スラムを対象とした不良住宅地 のですが、転居率が古向いために、やがて管 ういうものを千メ│ジしていたと思います。 えた当時としてはレベルの高いものでした。 斑組合がほとんど機能しなくなってしまう 理組合を作った組合員も減ってしまう。あ 当時、内務省が考えた住宅政策というのは しかし、その後一九問⋮年に同潤会は国 宅は、鉄筋コンクリート造りで、当時でい とは全く関係なく入ってきた人が増、えてい ほぼ実現したのですが、大蔵省の反対があ 策に沿って発展的に解散し住宅営団になり、 いう中で当時内務省が力を入れていたのが くという問題があります。管理組合がうま ってこの住宅会社だけがうまくいきません 更にこれも、昭和二一年には、戦争協力機 区改良法とかが構想にありましたが、そう くいっていないということが、結果的に大規 でした。そこで関東大震災のどさくさに内 マンションが出米たときには、みんなで一 模修繕とか、建て替えとか、地震の被害にあ 務省が作り上げてしまった住宅会社という という問題があります。それから、新しく ったりとか、そういう問題が出てきたとき 関として閉鎖されるという道をたどります。 をだいぶ持っていました。しかし、それは のが同潤会であるという兄方もできるわけ 間潤会はご水知のように、関東大震災の 地方公共同体の予を経て、最終的には居住 に混乱を生じさせる原悶となることが予想 ン居住が一般化した場合、将来の建て替え 後、海外を合めて集まった義損金の一部一 者に払い下げられた例が多かったわけです。 当時、住宅営問は賃貸住宅とかその他財産 の問題が厳しくクローズアップされてきま 000万 円 を 基 金 と し て 内 務 省 が 作 っ た 財 住宅営問が閉鎖されるときには、住宅常同 で ム ヲ 。 す。そういう点でひとつの先行事例として、 団法人です。同潤会の、一七な事業内ん九日は、山内 されるわけです。大都市におけるマンショ 私のかかわっている問潤会鴬谷アパートの トでは戦災を受けた例が多いのですが、鷲 和四年に完成した同潤会のアパートで、一一一 岩谷アパートは昭和三年に着工して、昭 日の主題の鷲谷もその中のひとつです。 代官山、中の郷、柳島、清砂:::そして本 何カ所も誕生したわけです。江戸川、青山、 ンの陪矢とされるような集合住宅が都内に ずれにせよ、こうして今日の分譲マンショ しまったという見方をする人もいます。い うまくもっていって、 G H Qにつぶさせて ので、内務省が戦争協力機関ということに 身動きができず経常が成り立たないという 合、占有部分商積の比率で持分を決めてい 用部分とをまず分けます。土地は共有の場 法ですと、一般的にいえば、専有部分と共 法とはちょっと遠います。現在の区分所有 かし、厳 絡 に 見 て い く と 、 現 在 の 区 分 所 有 ョンとほぼ同じ形態になったわけです。し 年)、結果的には、現在の区分所有のマンシ うに、後に土地も払い下げられ(一九六七 たわけです。しかし、あとでも触れますよ 民は買えなかったし、買おうともしなかっ 土地も買わないか、と立ったのですが、住 鴬谷に限らず同潤会のアパートは、どこ トでは建て替えが焦点になっています。 も高く、容積率に余裕のある同潤会アパー による改兵等が考、子われます。しかし地価 による当初の性能の維持、部分的な噌改築 ては、全両的な建て替え以外に、計画修繕 そもそもアパートの老朽化への対処とし ここに生まれてくるのは当然のことです。 題があるわけです。建て替えという発想が とにかく住宅が狭い、風呂がないという問 ます。それから、住民のほうから一一ちっと、 パイプが詰まってしまうという問題があり 谷アパ i トも一部で戦災を受けています。 指建てが三棟。一戸数は九六戸で、そのうち るわけです。ですから、大きい住戸を持っ でも何回も建て替え計画が提案されている 結谷アパートの場合でも、まずれ川が閉 一戸は集会所です。住宅は六畳と一一一畳、六 ている人は持分が大きいわけです。ところ わけです。ところが、居住者の意向がなか のエリート技術者を含めて、存続を求める 畳と四長半、八畳と六同旬、六回日と四畳半と がこの鷲谷の場合は、専用而積の違ったい なか一致しないのです。建て替えというと そのためかどうかは別として雨漏りがしや 四畳半という感じで、当時としてはともか ろいろなタイプの住戸がありますが、土地 引っ越しも必要ですし、場合によっては金 まして、そこから上物だけがまず住民に払 く、現在から言えば非常に小さいものです。 銭的な負担をしなくてはいけないとか、い 鎖された後、土地建物は東京都に移管され しかし、当時のアメリカのデザインをスタ ら、指段室も専有部分として半分ずつに分 の持分は全く均等になっています。それか ろいろな問題が出てくるわけです。それか 運動があったのですが、住宅営団はたくさ ディして計画していますので、確かにプラ けられ、住戸と一体として登記されている ら、遺産相続の問題でトラブルを抱、えてい こ れ が 今 、 建 築 後 だ い た い 六O年経って 全員⋮致が必要だということになっていま 分所有法で建て替えの場合には、権利者の H イバシーの而でいろいろな問題があるかも わけです。また、住宅管理組合は存在しな る人もいます。そうなりますと、とくに高 す い と か 、 外 壁 が 川町卜するとか、下水道の しれませんが、複雑な構成になっていて、 いで、自治会がずっと取り仕切ってきまし 年齢層の方になってくると、建て替えに消 い下げられました(一九五三年)。東京都は 空間としては楽しい建物です。戦後の公営 た。後に家主会というものが出来ますが、 極的になってきます。それに、かつては区 ん抱えていた賃貸住宅が家賃地代統制令で 住宅、公団住宅が、マッチ箱だとか、羊薬 この辺にもいろいろ問題があるわけです。 老朽化してきでいる。下町の向潤会アパ l a だとかと称され、およそ空間を感じさせな いものが多いのに比べると、対称的といえ 土品、しょ、つ。 けです。たとえば先ほどの江戸川アパート したから、一人でも反対したらできないわ 足りないので、もう一戸措りているという、 で住んでいるのだけれども、それだけでは からは売買されませんがて数年前までは四 マンションとしては(建て替えの話が出て 一億円ぐらいの財産なわけです。ところが、 ただ同然でやってしまったという例もある おります。また、先ほど言いましたように、 されるのですが、うまくいかない。それで 立されていません。借家人を含めた居住者 わけです。私は引越しするから、というの 借家人と居住家主を兼ねているような人も やる気のある人は、がっかりして転出して 全員からなる自治会が存在して、建物の維 で仲のいい入に住一戸をやって出てしまった の場合でいえば、有名な建築家が何人も住 しまう。そこにそれでもかまわない、とい 持管理の活動を懸命にやってきたわけです。 という方がいたわけです。 買されていました。同潤会の住利団地では うような人が入ってくるから、借家人や低 屋上の防水工事は、直し直しやっている。 鷲谷アパートではここ五年間建て替え問 0 0万 円 、 あ る い は 五O O万 円 ぐ ら い で 売 所得の住民がだんだん増えてきます。それ こんなに安くうまくやってきたのかと忠わ 題が論ぜられて来ましたが、家主の思惑や 医分所有法で規定されている管理組合は設 から、時の流れの中でかつて一生懸命建て れるぐらい結果的には安上がりにやってい んでおられて、何回も建て替え計画が提案 替え計画の音頭を取っていた人も高齢にな 家主層と情家人層の利害対立もあって、な 室が設けられていない。そのために、自治会 います。しかし、各住一戸は面積が狭く、浴 べてもアパートの躯体はまだしっかりして から六一年経っているわけですが、何度調 鴬谷アパートの話に一民りますが、建って ります。 て替えはますます遠ざかっていくことにな そういった方が頑張っておられたこともあ という経過がありました。荒谷の場合でも 司澗会の職員が管理者を兼ねて住み込んだ 規模な問潤会のアパートでは、建設当初は 修理でお茶をにごしたこともあります。大 をめぐって家主の意見がまとまらず、応急 題 に な り ま し た が 、 補 修 賛 金 担 の 二O 万 円 す。例えば外壁の⋮部が剥離し落下して問 は家主で、非常に難しい問題があるわけで 賃は大体三万円ぐらいなのですが﹁こんな んどは不在家主から買い上げています。家 出ていってもらった例もありますが、ほと い上げました。居住家主から買い上げて、 げ業者は、借家人付きでかなりの住一戸を貿 上げ)業者が介入してきたわけです。地上 ったのです。そこに地上げ(マンション池 情家人には今のままでいいという人が多か かなか意見がまとまらなかったわけです。 るわけです。 の許可を得て、浴室をバルコニー等に設け 手取り回、 安い家賃だったらお売りなさいよ﹂。確かに ただ、こういった場合でもお金を出すの り所得が少なくなって、もう私はこのまま たり、バルコニーの部分に住宅を張り出し って、日山地や建物の維持・管浬が随分よか でいいです、というようなことになって建 てしのいでいる住宅も多い。⋮方、不在家 ったのだと言われています。 子だけでいまの家賃の一 O 倍 近 く 取 れ る わ 000万 円 ぐ ら い で 売 れ ば 、 利 主が多い。それは、こんな狭さから、子供 が大きくなると住めないというので、出て は八・五坪あるのです。あの辺では土地は、 結谷の場合でいえば、一戸当たりの土地 建築の掠には容積率が定まっていて、そ けです。 しまう方も結構多いからです。それに対し、 れに応じて、延床爵積で敷地の何倍まで建 坪当たりて 000万 円 以 上 で 売 買 さ れ て 三O年 も 住 ん で い る と い う よ う な 借 家 人 も てられるかが決まるわけです。この地区の います。だから更地に庄せば、 一戸当たり 少なくありません。それから、自分が家、王 から建て替えをすれば現在の容積の叩倍ぐ は一二O %ぐ ら い に し か な っ て い な い 。 だ なります。ところが、現在建っている建物 し ボ ー ナ ス が 与 え ら れ て 四 五O %ぐらいに なのです。再開発をする場合には、もう少 場 合 は 、 現 在 の 許 容 の 容 積 率 は 約 四00% たのを、東京都から土地も分譲してもらっ れまで建物しか分譲してもらっていなかっ 事にともなって土地の問題が出てきて、そ たまちょうどその頃、前面道路一部拡張工 を持ち込んだことから始まりました。たま のは一九六O年 、 あ る 商 社 が 建 て 替 え 計 画 ましょう。建て替、ぇ問題が最初に起こった 鷲谷の建て替え問題の歴史を説明しておき けないという意見が居住者の開で出て米て、 す。そういう中で、どうにかしなくてはい 案を提示して、同意書を集め始めるわけで まくいかないで駄目になりました。 しています。ところが、これも結局住民とう 建物床の等価交換による建て替え案を提示 九 八 三 年 に は A建 築 設 計 事 務 所 が 、 土 地 と にして四倍くらいの建物に建て替、えましょ ら、多くの業者のプロポーザルは、﹁床面積 ありました。⋮方、本当に建て替えの必要 て、九五分の一で均分するという出来事が だけの家主会が発足するわけです。居住家 B設 計 事 務 所 の 呼 び か け に 応 じ て 居 住 家 主 その次に B設計事務所がやはり建て替、ぇ らいの建物が建てられるわけです。ですか う。あなた方の住戸もいまの一・五倍ぐら には問題ないという答が出て建て替え話は 主と借家人、それから不在家主が建て替え 取りやめになってしまいました。しかし、 があるかどうかを確かめるために、東大の ださい、という形で不動産業者、あるいは すよ。そういう事業を私たちにやらせてく 一九六七年にまた建て替、ぇ計画の話が起こ いの面積にしてあげますよ。お金は出さな ディベロッパ l は食い込んでくるわけです。 る。それがまた取りやめになって、その時 に関係しているわけですが、業者も居住家 ところで、鷲谷アパートのコミュニティ はとりあえず、上下水道の補修工事をやり 池辺研究室に相談に行って、建物の診断 というのはものすごく強国なものです。特 ます。その後、⋮九八三年には外壁の一部 いで結構です﹂というわけです。余った部 に下町で高年齢層の方が多いものですから、 が落下します。外壁補修問題をどうするか をしてもらっています。ところが、構造的 同じ階段室の住人が代わりばんこに食事を ということで検討の結果、補修習は各戸二 分(増床部分)を売ってとんとんになりま 作っているとか、三軒が一緒に集まって食 ました。ところが居住家主はその条件で納 O 万円、これは家、主の負担という結論がで 得しましたが、不在家主にすれば、家賃も っているコミュニティなのです。そういう 所で建て替え問題が展開されてきたわけで 少ないところに、そんな金を払うのはいや 事をするとか、冠婚葬祭も背でちゃんとや す 。 難しくなってくるわけです。それから、 ここらあたりから、自治会の機能も非常に だというので話はこわれてしまいました。 やや具体的に主な流れを追って 鴬谷アパートの 建て替え問題の変遷 ここで 日 !J i ! l J 会、;1,&谷アパート外観 ような時期でした。 主とのチャンネルだけしかできないという げを展開したわけです。 が住んでいるにも拘らず、 マンション地上 松本恭治(公衆衛生院)、宮内康夫(宮内建築 尾沢孝司(鴬谷アパ i卜)、波辺義昭(向上)、 メンバーから構成しました。民一ハ体的には しい方とか、建築材料の方とかいろいろな は建築計画の方とか、計画修繕の問題に詳 たのはちょうどそういう時でした。チーム じて、私達、鷲谷アパート研究会が発足し 合、そもそも老朽化といえるのかどうかと 大変でしょう。さらにこのマンションの場 得られたところで、反対者の処遇はもっと しいことですし、たとえ五分の四の賛成が ましたが、五分の四の賛成を得ることは難 の五分の回の賛成があればよいことになり ンションの建て替えにあたっては、権利者 区分所有法の改正によって、老朽化したマ ただし、この業者にも弱い点があります。 工一房)、三木哲(共同設計五月社)、宮城秋治 って、行政当局も業者に対しては批判的で いう問題もあります。このような事情もあ 借家人を中心とする住民からの依頼に応 (同上)、雛元昌弘(都市構造研究所)、若杉 のS不動産が地上げに入ってきました。こ そこに、一九八七年ですが、今度は地元 状態になったわけです。 づくりコンサルタント派遣の前段階という いたり、荒川区に話を持っていって、まち 借家人を含めた居住者のほうも学習会を聞 各々特定の業者と組んでいるわけです。業 え準備委員会といっても、委員の何人かは する)というものを作るわけです。建て替 準備委員会(ある函では管理組合にも相当 に反対を表明しました。やがて、建て替え 自主建て替えを決議し、マンション地上げ それに対抗して、 居 住 家 主 会 の ほ う は いた住戸が建て答え後は十万円以上を要求 すが、建て替え以前は月額一一一万円で情りて ありません。また、借家法の保護はありま 地主とちがい、床をもらう権利は法的には 人がいちばん弱い立場にあります。家主や 替えられるわけです。それに較べると情家 うまくいけば倍ぐらいの面積の住宅に建て した。 幸子(計画技術研究所)、布野修司(東洋大 の不動産業者は﹁いまのままだったらいた 者を連れできたり、業者からアプローチが され、実質的に住んでいられないようなケ 山子)、前田昭彦(東京大学)、と私です。⋮方、 ずらに時間が経過し権利者は大損をするの ている業者がいいみたいなことをやってい あったりするわけで、初めは、おれの知っ 的賃貸住宅の供給等が必要となりましょう。 ではないか﹂というキャンペーンを張って、 という計画をぶちあげたわけです。居住家 反対しました。何れにせよ、居住家主のメ このような状況下で、借家人のほうも自分 ースがしばしば生じます。借家人に対し公 主でこの業者に売った方は二軒くらいだっ リットははっきりしているわけです。先ほ たちの立場をはっきりさせなくてはいけな るわけです。しかし、とにかく地上げには たと思いますが、不在家主の方からはどん ど⋮一一沿いましたように、 お金を出さないで、 全面的に買収し、新しい業務ビルをつくる どん買い集めていくという戦略で、借家人 主体に強制権が与えられます。従って強制 められますが、計画決定されますと、事業 れるためには、事業の必要性・公共性が求 度尊重されます。法定再開発として採択さ きが非常に厳密で、借家人の権利もある程 都市計画法に基づく再開発の場合には手続 しては先程と同じ等価交換方式なのですが、 市街地再開発事業)というのは、考え方と この法定再開発(具体的には組合施行の てくれというアピールをしていくわけです。 み続けられるように法定再開発事業をやっ に抗議するとか、家主あてに、借家人が住 なる業務ピル計画をうたっている不動産屋 それから、 借 家 人 組 合 は 借 家 人 追 い 出 し と いというので、 借家人組合を結成しました。 には劇的な効果がありました。 です。そういう面ではこの陳情は、結果的 に法定再開発をやりたいと言ってきたわけ にS は 切 っ た 、 と い う 連 絡 が 入 っ て 、 一 緒 Sと の 契 約 の 問 題 が あ る け れ ど も 、 実 質 的 そ し て パ ッ ク に い る D社 の ほ う か ら 、 ま だ という開にS不動産は活動を停止しました。 えなくなったのか、次の月の初めに、あっ ません﹂と言ったのですが、対応せざるを どもはノンバンクに関しては権限がござい えたわけです。銀行局の係長はその時は﹁私 銀行系のファイナンス会社がいることを訴 行局に陳情に出かけ、不動産屋のパックに 下町の奥さんやお婆さんーーが大蔵省の銀 ます。ここで建て替え準備委員会の代表 1 1 1 らいです。そういうふうに事業によってね アランスして良い住宅を洪給することがね 地区改良事業の場合には、不良住宅をクリ 不燃化をねらいとしているわけです。住宅 業ですが、これは土地の高度利用と地区の 業、よく駅前の商業再開発をやっている事 ことが問題なのです。この市街地再開発事 も何をねらいとする建て替えなのかという そもそもマンションの建て替えといって っ低価格で分譲しております。 望する借家人に対し、増床部分を優先的か 干の配慮がなされ、新しい住宅の購入を希 零細な権利者が不利益を被らないよう、若 それから、特に弱い立場にある情家人等の は一・五倍の面積の住戸をもらったのです。 あるところまで来て権利者の一人が﹁私は に対し、民間が任意でやっている場合は、 いろいろ折衝しているのが現在の状況です。 発に向けてどうやっていくかということを こうして長い粁余曲折のあと、法定再開 そういう問題があって、ねらいが違えば、 家人は新しい改良住宅に入れるわけです。 地を質収されますが、そこに住んでいる借 地区改良事業の場合には、家主は住戸と土 らいが随分変わってくる。たとえば、住宅 権を背景にそれなりに事業が進んでいくの やめた﹂なんて言うと、ニッチもサッチも ょうし、予断は許されませんが、ここでひ まだまだ今後いろいろ問題が出てくるでし 京成押上駅の哀にある中の郷は、治谷と やる場合には採算性をどうしても重視せざ それから、 事業主体についても、 民間が 利益を受ける層も、また利益の受け方も変 ほぼ同じくらいの規模の三階建ての間潤会 とつ、建て存えがうまくいった例をご紹介 いかなくなってしまいます。 こういった点から、建て替え準備委員 不動産に申し入れるのですが、 S 不動産は る を え な い し 、 行 政 (たとえば区とか都) わってくることになります。 それをはねのけて地上げを進め、三分の のアパ iト で し た が 、 市 街 地 再 開 発 事 業 に がやるとすれば、 ぞーま布引いH しておきます。 一弱の二五戸を買収してしまいました(所 より今は、スーパ i マi ケ ッ ト や 、 区 の 体 会も借家人組合も法定再開発への協力をS 有者は D不動産)。 S不 動 産 を つ か っ た 影 の らる 斗立 王 zJ一J交'句ニコ屯て 、、 6i'at luイl'ニタ介﹄司μ 抗FIVE-,ノ- これをやるこ 育施設も入った、一五階建てのビルに生ま とが必要なのだという一種の必要の論唄が 小 i戸山斗勺ご﹂弓して、 4FJ411W4t干 L一一計一昨﹂ ohH1Mlaノ v 地 上 げ 業 者 D、D への融資を行なった銀行 れかわりました。この場合でいえば、家、王 一 系 の 金 融 業 者C への住民の要請も無視され ヲ ペd ハU l 、例、えば住宅都市慾備公団などはそのち 前提とされるわけです。公的ディベロッパ いる人と、税理事務所として使っている人 いないわけです。また、住宅として使って いうのは、管理組合すらほとんど機能して も無理です。 それと同じような問問題が起、﹂ 一割が反対してしまったら強制収用はとて 粁ぐらいの反対であれば可能でしょうが、 建設符は、 建 て 終 え を ス ム ー ズ に や る た るだろうと忠います。 使っている人が雑居している、 というケl めには、存続率の割増しをやるほかないの と、それから得体の知れないクラブとして また、 事 業 の 種 類 に つ い て も 、 権 利 者 が スもたくさんあります。オフィスビルを借 ではないかと考えているわけです。 ょうど中間的なところにあると考えられま 組合を作ってやる場合(いわゆる組合施行) りるのとマンションを借りるのでは、借り 間出会のように、 容 積 率 の 余 裕 が す 。 についても、法定都市計画事業としてやる る体系が全然違うわけです。オフィスビル 信作い Jこ γ 官 -1lu 場合は、事業主体に対して強制力が付与さ するために手続きが面倒くさいわけです。 れるわけです。その代わり公共性を担保に マンションの場合には、われわれが下宿を の場合には膨大な権利金を必要とされます。 わけですが、 これは特殊なケースで、 あれば、 建 て 詩 え も か な り ス ム ー ズ に 行 く 、 J j ; いいということで小回りがきくし、卒業の ば、お金をたくさん積んで突破していけば ーの等価交換方式の場合には、反対があれ ない任意事業、要するに民間ディベロッパ ェックがあります。それに対し法に基づか 都市計画審議会にかけたり、さまざまなチ 思うわけです。 替えはいつまでもできないのではないかと す。そういう所では、皆のためになる建て ての一体性など期待できるわけはないので が住んでいる場合には、コミュニティとし しそういう中で、実際には全然違う人たち 借りるのと同じような形で簡単です。しか ますし、 車 両 交 通 量 の 問 題 も あ り ま す 。 公 たくさん人が住めば、 駐十車場の問題もあり 都市のほうがパンクしてしまうわけです。 てむやみに容積率を割増ししてしまったら ンに対し、 建 て 答 え の イ ン セ ン テ ィ ブ と し 設されています。 これらの一般のマンショ のマンションは容松率の限度いっぱいで建 でかつ権利の持ち分五分の問以上てという そういう中で現実にはほとんど予を打てな 問題も出てくるだろうということを考えた id4 : 4}、 I f 、 、-- そ ん な に 安 易 に 甘 い え さ を 与 え て いいかどうかというのは非常に境問です。 凶も必要です。 上下水道も問題です。 ことになりました。ただ、五分の一の反対 い状況下でマンションの老朽化は進んでい 一区分所有法が変わりまして、老朽化に伴 以 上 、 同 潤 会 の 鷲 谷 ア パ i卜 の 建 て 答 え があったら、実際問題として出来っこあり るわけであって、 こ れ に ど う 対 処 す べ き か う建て替えの場介には五分の問の賛成があ をめぐっての経過を説明しました。これか ません。三里塚の問題でも、少数の反対派で は真剣に考、えていく必要を強 謝して私のレ があるわけです。 ら、マンション建て待えについての一般的 も道義を背景にして本気で反対したらでき ればよい(厳密には権利者の五分の間以上 な問題提起をさせていただきたいわけです ポートをおわり、 意味があるのであって、それも百軒のうち 年 {うちだ・ゅうぞう/米洋大小工令部助紋授) いろいろ御意見をお相い 4 が、それにしても、マンションの建て替え いうのはやるぞ、やるぞと脅かすところに ないわけです。行政的には強制収用なんで E I というのは非常に大変な卒業だと思います。 と、どうしようもなくなってしまうおそれ 進行も速いのですが、一回こじれてしまう 近 I I N したいと思います。 繰り返しになりますが一般にマンションと * で、問題がもっとむずかしい。 というのは、人がどんどん代わっているの とは思いますが、新しく建ったマンション で、建て替、えの問題の先駆けになっている の同潤会の場合は士口くからいる人が多いの 人が入っている。そういう意味では、今日 いこの間顔を合わせたけれども、また違う されている状態です。住民の人たちも、つ マンションを買う。そういうことが繰り返 たところで、また新築の五、 000万円になってしまう。高くなっ ったマンションが一年ぐらいすると、四ー ほうが高くて、一二、 000万円の 000万 円 ぐ ら い で 買 スがかなり多い。今は中古のマンションの ちに一一一分の⋮ぐらい入れ代わるというケー マンションを貿った住人が一年もしないう 七地が高騰しているお蔭で、分譲の新しい 岡本哲志(附本朽土砂都市建築研究所)いま い時に建てられたので規模が小さい。給排 をはらんでいると思います。川内全体が貧し なくて、戦後の建物は殆どそういう可能性 クのときの建物だから惑いということでは 一止しいかどうか別別ですが、オイル・シヨソ 大坪昭(住総研)パニソク的という表現が のではないか。 ソク的に社会問磁化するということになる すが、そうすると、ある時期にかなりパニ か 一 一 一O年 ぐ ら い で 、 と い う 話 を 聞 く わ け で も の は 、 構 造 的 な 老 朽 化 に 関 し て も 二C 年 が、オイル・ショックの時期に建てられた 化なのかというような問題がある。ところ 朽化なのか、それとも機能的・社会的老朽 がある形で顕在化した。これは、構造の老 同潤会のアパ i ト だ か ら 、 こ の 時 期 に 問 題 佐藤健二(法政大学)先ほどのご報告だと、 ような気がします。 ョ ン と い う の は 結 構 こ う い う ケl スが多い 新住民にはあります。周辺に縫ったマンシ 初から一部地上げされているという意識が ソロパンは度外視してなぜかここに住みた 零細建売り住宅などの完全な年金生活者は、 と埼玉県、千葉県とかの県境の辺りに多い 勢は動いているようです。そのほか東京都 は、いわゆる時開発でもソロパンづくで大 も、お年寄りがいてもそれが少数派の場合 前回尚美(東,ふけ大川千)東京の環状線の中で わけです。 本法に対して反対しているグループも多い います。ですから、そういう点から土地基 くせよ、という形に動いているようにも怠 な人達がいるところはもっと再開発しやす あるいは、借地権、借家権を主張するよう ためには、借地借家法というのは障害物だ。 っと高密度利用せよ、ということで、その っては、もっとい口同度科病せよ、あるいはも という点が附われましょう。とりようによ 利用というのが誰にとって有効利用なのか、 法でも問題になっていますが、土地の有効 内田その場合、たとえば今度の土地基本 はないですか。 しない限り再開発というのはできないので すが、いずれの時期か、そういう形を実施 おい人が入りたがらない。空家がいつもあ しまっています。それで、環境が怒化して、 はするのですが、行動力は全然なくなって が、いまは居住者も年をとって権利の主張 広党系の自治会がとても活発だったのです 所でも高齢化がはなはだしい。かつては共 て ⋮ 一 ⋮0年 ぐ ら い に な る の で す が 、 そ う い う 家賃の安い公営住宅が多いわけです。建っ あります。しかも、第二種公営住宅という こに六、 って、市の財政も結構嬰かなのですが、そ 山同地がある武蔵村山市は日撲の工場があ らどうか、という問題があります。都営村 内自分議マンションではなく賃貸だった がふ、えているわけですね。 になってもソロパンではないというお鈴者 品川谷でも、お年寄りばかりで、計算上は得 境を新しくすることはできると思います。 往て終え、あるいは再開発を含めて居住環 でいるマンションならば、いろいろな形で それに対して、十かい生活力のある人が住ん まって動けないというところが問題になる。 から買って、住んでいるうちに高齢化してし 参加者の発言から また一方、最近多摩とか横浜の郊外のケ きる材料が使われていない。しかも絞済性 水にしても、その後の水質の変化に対応で ことになる。一戸を買った人間にとってみ なくて、一冗地主はニ割ぐらいの権利を持つ った人の権利は全体の百分の一の権利しか ね。百戸のマンションとすれば二戸一戸買 賃貸経営をしていることがかなり多いです 二割ぐらいを自分の権利として持っていて、 くて、建てた各戸のマンションのうち一 l ての老朽化とは、また別の問題です。日本 いくわけですが、それと実際の構造物とし いうか、そういう問題はとんどん逼迫して 小木新進(江戸東京博)社会的な老朽化と の顕在化を加速するでしょう。 耐用年間以が年々短くなっていることが問題 る。しかも、そういったことよりも社会的 空間のフレキシビリティを押さえこんでい の追求はやむを得なかったにせよ、構造が は、永くそこに住みついているとか、途中 マンションの建て符えがうまくゆかないの だん向齢化して、日叩きだめ的になってくる。 て什はみ札口えはあるかもしれませんが、だん ばかりが住んでいたわけです。転売もされ 同潤会でも、山山米たころには足気がいい人 寄りばかりの池区ができる。東京の場合の 階瞬間住が進んでいますから、ある程度年 のほうはもっとはっきりしていて、北日から いということで人間関係にこだわる。関問 とで、家賃がものすごくおくなってしまう 仰はもかかり、地代利均分もけん泣すというこ ステムが基本ですから、再開発すると建設 てた質問を七O年 で 減 価 償 却 す る と い う シ の家会というのは、地代初当分と建物を建 ますます尚齢者率がおくなって行く。いま ような人がまた送りこまれてくる。それで、 ら、生活保護等のお会福祉の費用がかかる るという状況です。すると、他の都心の区か 五 、 ースで見ると、もともと土地を持っていた れば、ただでさ、ぇ複雑化している分譲マン では強制収約というのは無期だというので 000戸 ほ ど の 大 き な 都 営 同 地 が 地主たちが全部売り払ってしまうのではな ションの将来がより大変になってくる。一冗 ということになリます。そうすると、家投 地主側の言い分も当然あるでしょうが、最 るかという問題と、それから経済問一回をど 的なケアも含めて、高齢者の生活をどうす きちんとやるほかないのです。それは医療 川給打対策を だ、と一一一日うわけです。紛れ同物的な再開発だ を払えないし、応住者はそんなことはいや さっさの訴ではないが、どこかへ出ていっ ている。それは金がかかるし、できたら、 るお齢者のほうへの対策が註き去りにされ ことばかり考える。だから、もっと沢山い を重視し、若い連中を引き留めようという ころが、区役所の姿勢は、だいたい活性化 ま前回先生が一一一一悶われたような問題です。と があり、そのときに問題になったのは、い 住者が低所得者とい前年齢の方にどんどんシ 集まってきてしまうわけです。それで、間 と、結防そういう所で榊わないという人が 内図マンションの手入れが不十分になる ないかどうかというのは大事です。 なんかをうまく合体できるような仕組みが ソパーのな識の改造と、それから市民運動 それは、行政のやれる部分と民間ティベロ だけど、それだけではちょっと具合が惑い。 いる分野ですから当然かもしれませんが。 クだから、もっとそれを大事に生かして使 た。それにしても、せっかく作ったストソ つながる問剛胆であることがよくわかりまし でなく、都市機造自身の硬直化、高齢化に 大呼応齢化問題が単にお齢者自身の問題 いう部でもおもしろいのです。 いうコミュニティの生活があります。そう くださいとか。問問潤会のアパ i ト に は そ う ます。うちの予が大きくなったから貸して Fが あ っ て 、 住 民 は そ れ を 貸 し 借 り し て い いますが、これは大問題だと思います。恭一 大坪いまの品川谷で、巾自のリフォームとい フトしていくわけです。 する、日本の住宅に、もう⋮皮そういった 資源を大切にすると同時に思い出を大切に って行くことが、これからは必姿ですね。 って行く、また、生かせるようなものを作 ⋮ うするかという問題です。それらを全部合 てほしい。東京都は老人福祉施設をよその 7 うのはできないような構造なのですか。た hH めた計同を立てない畑山り、物的な一再開発は 県に頼んでいるというようなやり方をして では、そういう形で問題が起りつつありま 本的に何か首都閣を合む大きな立場から とえば、二階と三備をつなげるとか、今一戸 けではどうしょうもなくて、 ているわけです。公営(賃貸)住宅のほう 全然進まなくなっているという状況になっ す 。 こ れ は 公 開 住 宅 で も 同 じ で 、 一 九 六0 スタi ・ プ ラ ン を 立 て て 、 一 つ の 氏 だ け で 考え力をとりもどしていくべきではないか。 はなくて、この池山崎はこういう形の地岐に を一戸にするとか。 ωが'日く輝いていてまばゆい雰附内 二種の神山 するのだというコ、/センサスが幻られるま 年代の公問というのは、作かい応住者が多く 気だったのですが、いま十日い公開住宅に住 なく、もっと長い時間を考えて、サおい・'系族 いくという生成者の側からの原河川だけでは 的 な 建 て 符 え で は な く て 、 改 良 も す Jえ臼れ カバーして住みつづけられるような、人間 もいれば老人もいる、そんな広い年齢層を それから、続的情的に問じ形ばかりを与、えて るではないかと。 社会としてのごく自然なコミュニティをイ のは、そういう内山氏目だったわけです。人仁而 ここまで米ると、間違いだと思うのです。 岡本現在地械社会の中で住み換えはでき 内田私どもの研究会の当初の提案という 前回日本の場合には、再開発とか建て符 ませんね。マンションもそうですが、 3 L みんな独立してものを考えるというのは、 っているわけです。 えとかいう話はされているけれども、本質 でやるべきだ。一つ一つの区単佼ぐらいで 前回たとえば、一億円あげますと一一品つで 的には建物が老朽化しているというよりも、 メi ジ し た 計 附 が 、 集 合 住 宅 、 マ ン シ ョ ン ん で い る 方 と い う の は 、 だ い た い 六O代の も、そのお金いらない、と一一一日う人がいる。 にも総み人れられていって欲しいですね。 方が中心で、やはり同じような状況がせま 再開発に何年かかりますか、という質問に なってしまっている。家族構成の変化に応 D Kだ っ た ら 3LDKだ け の マ ン シ ョ ン に じて川問、えば lLDKや2LDKから 3 L D 居住者が老朽化しているところに大変問題 賃貸マンションの絞営者も、高齢化した ため、数年住んで地域のコミュニティがで K に住み岱えることなど夢物語です。その 対し、いまからやれば三年や四年はかかる 人には貸さない。少し安くても者い人に貸 があると思うのです。 す。そうすると、建て符えも非常に簡単に a ら立派なアパ iト を 見 た っ て し ょ う の中 か がない、と一一一一一問うわけです。背の長屋は、年 ﹁江戸東京フォーラム﹂での内自雄造先生のレ ポトと参加者の発言をまとめたものです。 (文爽/編集部) と 答 え る と 、 私 は も う 八O歳 だ か ら 、 結 桶 齢階阿川がある抑制度バランスが取れていたの ンを氏、つのでも、同じ世代の人たちが多く はならない。そういう点で、同じマンショ 集うというのがあたりまえになってしまう。 きたところで全然関係ない所へ行かなくて うような発想をするわけですから、ディベ 内包同総会のアパートは結構面白くて、 マンションを新しくして残していこうとい ロッパ!にとっては話は非常に進めやすい いろいろな住戸タイプから成っているので なる。北口い人だったら、小さい子供にこの に悦んでいる。特に、謀総の場合には自殺 わけです。お年寄りがいたらどうしょうも す。例えば江戸川アパ i ト に は 単 身 者 用 住 ではないですか。 が多いのです。それが年がいくつかという ないと背を向ける。 小木江戸時代でも、やはリ高齢者は悦み と、六五歳とか、中には五八歳なんでいう 小木建築というのは常に活性化を考えて このあいだある下町の区でシンポジウム のがある。 第四回住宅建築シンポジウム 都心 七月七日 於 H建築会館ホi ル 授 童三光 構出禎纏 東京支社長 ?ッキンゼiアンドカンパニー (よこやま・よしのり) 百 前回尚美 早稲田大学畑一工学部教校/ 法政大学工学部教授 千万円になりました。一がに、一万円札を から見ると多いようですが、宅地が細分化 自動車の騒音問題、縁の少なさです。上空 野のほうに新しく移り住んだ人の不満は、 は、むしろ縁を少なく感じるのです。駐車 されていますから、臼常の生活体系の中で 敷き詰めると大体百二十万円ぐらい必要で どころではなく、敷布団に掛け布団を重ね すが、一千万円という地価は、敷き詰める るという感じです。 場も少ないし、何のために都心から外へ出 いる小学校時代の女の友達が、ついこの間 地下鉄が通ると町が繁栄すると思ったら、 たのかわからないという。 東京都心の夜間定住人口が減少し、その やって来て、相続の問題を考えると、とて そうではなかった。地下鉄は、郊外に住ん 私も都心の生まれですが、番町に住んで かわりにオフィスビルが建設され、さまざ 帰りました。番町の辺りは、明治から大正 も番町には住んでいられないと、なげいて dあたり百万円の土地が、一九八九年に一 区の住宅用地でいうと、一九八O年に、一 地です。このあたりから世田谷、杉並、中 にかけて形成された、大変素晴らしい住宅 でいる人を都心に運んでくるから、お届も 繁盛していくだろうと思ったら、都心の定 神保町や神田の商腐の人たちが申すには、 し上げるまでもありません。例えば千代田 まな問題が生じていることは、いまさら申 シンポジウムにあたって (かわはら・いちろう) 尾 島 綾 雄 一 河原一一部 - 属 - 主秀 パネリスト H 計上 更窓口前出鵡美(まえだよおき東洋大学工学部教授 計}時 ら、とてもよかった。都電をやめたのは間 できている。都電はグルグル回っていたか 住人口を外へ運ぶのに、大変便利なように ですが、都心に住んでいないけれども、都 こうした都心に住んでおられる人達は勿論 ていなかった部分ではないかと思います。 心として、あるいは研究情報として持ち得 研究しているわれわれが、十分に研究の関 一言えば新しいパラ、ダイムを求めて、本日の も、様変わりが考えられる場面、いま風に た場面、また都市の基本的な論理について 、えば、やや古典的な住宅問題の把握と違っ ような背景も含めて、住宅問題について昔 います。 テi マに迫ることができれば幸いと思って でそんなことに気がつかなかったのかと発 心で働いておられる方々が、職場の中で、 違いだった。都市計画を勉強する人が、何 組織を作られて、最近では都心居住の問題 こういう人たちの考えは、体験的なもの 言されました。 を議論されるようになってきました。この ランになり、両替屋が銀行になるといったことで、建物の背がだ のことで、都市が成長するということは、小さな飲み屋がレスト は、都市発展がもたらす当然の帰結であります。これは当たり前 都市の中心市街地、いわゆる都心部の夜間人口が減っていくの のか、現在、東京という大都市におこりつつある気になる現象を す自然の帰結に対し、なぜそれに逆らっても都心居住に固執する はどこでも全般的に低減してゆく。このような都市発展がもたら 都市のみならず、人口十数万程度の都市まで、中心市街地の人口 みられる現象です。このマンションの出現にも拘らず、地方の大 ン)が晶状に分布するというのは、東京はもとより全関の都市に 中心市街地では、随所に非常に高い人口密度の集団(マンショ てくる段階であるとも言えるわけです。 詳しくは本誌卯年冬号所載の論文を参照下さい です。しかしそれはまた、住宅とか都市を 議濃①則上秀光 都心居住の行トを探る 都心居住の考え方について、 私自身の到者点を披露させていた んだん高くなる。いわゆるさまざまな都市機能が集積し始める。 いくつか挙げてみたいと思います。 だきます。 できない原理で、住む場所が追いやられる結果になってくるわけ 当然のこととして、同一の空間を二つ以上のものが占めることは 市機能の集積が進み、ますます現代都市的な風貌を帯ぴてくる共 前田先生が説明されたように、中心市街地に住めなくなって、長 第一に挙げたいのは、人口減少地区の急激な拡大です。先ほど 東京の抱える五つの問題点 通現象があります。都市が成人式を迎える、一人前になるという 年住んでいた所を売り払い、郊外へ移っても、住みにくくなって です。いいかえれば、夜間人口減が激しい所であればあるほど都 のは、都心部の都市機能集積に伴って夜間人口減が顕著に現われ シ 北びつつあります。東京からの流出人口は、ここ数年来、また増 きている。こういった状況が、東京の場合、ほとんど全市街地に 以上住宅問題解決の努力を続けながら、いまだに解決しないのが 題、宅地問題は、東京とは格段に違う。建設省や東京都が間O年 四番目の問題は、東京の住宅事情です。大阪といえども住宅問 どういった住宅のロ i テ!ション・システムを作れば問題が解決 この問題です。住宅をどこに、どのような形式で、どの程度建て、 えはじめています。要するに東京は全域的に、居住条件を喪失し つつある。 一番目は通勤交通の混雑、遠隔化の問題です。いまから三十数 するに定員の三情ぐらい乗っているといった区間が、今は常磐線 した。ところが、当時のような通勤混雑、乗車効率一二OO%、 要 体八0 1 一 O O担ぐらいの直径を持った、連担市街地です。連担 O M以上に達しようとしています。東京大都市留というのは、大 五番目として、環境問題があります。東京大都市闘の半笹は五 するのか、答えはいつ出るのかわかりません。 でいえば、東京都内でなくむしろ千葉県の区間に出てきています。 年前は、東京の通勤電車の中で最混雑区間は、新宿と四谷の間で 小田急、西武線といったような郊外電車も、はるか遠くに最混雑 の子で造られた建築物で覆われた土地で、自然地はこO %程度し 市街地というのは、人工の手でカバーされた舗装と、これも人工 か残っていない。そういった連担市街地がかくも広がったという ⋮院関が生じているわけです。 三番巨に、何としても大きな問題点は、都心部における一極集 ンシスコと東京だけがいくら建てても、オフィス需要がある。オ さえオーバービルディングといわれている。ところが、サンフラ 都市の最近の一般傾向とされ、不死身のシンガポール、ソウルで オーバービルディング(建築過剰)はアメリカをはじめ世界の大 った傾向がある。それがまたオフィスビルの建設を促進します。 銀行等は、何が何でもこの三角形に入らないと収まらない、とい がこの三角形の中に、もぐり込んできている。とりわけ外国商社、 心に新たに進出してきた企業が入りましたが、最近では相当多数 もちろん副都心も含めてずいぶんオフィスビルが建ち、東京の都 一松町から田町にかけての超高層建築群とか、アークヒルズとか、 このゴールデン・トライアングルの外側に、霞が関ビルとか、浜 所を構えることが、一流企業と称される条件だそうです。一時期、 形を、ゴールデン・トライアングルというそうで、この中に事務 らに異常な地価上昇と、その結果もたらされる住宅費用の高騰、 密度社会症候群と名付けていますが、これらを総合して考え、さ 全くの異常事態が同時多発的に進行しています。これを私は超高 問題は、非常に複雑な人類未経験のシステムで展開しつつあり、 ら、人類社会最大の都市で、最高の密度を持った大都市閣の環境 に含まれる汚染物質も、大都市圏内で処理せざるを得ないことか することはあり得ません。液体廃棄物(ほとんどは水)、および水 えられないことです。さらにエネルギーの廃棄物も、よそで廃棄 ます。しかし、気体廃棄物を東京大都市圏以外に捨てることは考 さまざまな問題を起こしながらも、よそで処分することは、でき を放出し、気体、液体、間体の廃棄物を出します。国体廃棄物は、 上初めてです。これらの活動は、すべてのプロセスでエネルギー こういった巨大な集積量とそのアクティビティの高さも、人類史 そこに一一一千万以上の人びとが住み、生活と活動を行なっている。 のは、人類史上例を見ないわけです。 フィス需要の巨大な圧力、そしてそれだけ、都心部の夜間人口を 土地の所有と利用の細分化の進行により、要するに大都市留を支 中の進展です。大蔵省と兜町の証券取引所と日本銀行を結ぶ三角 減少させる圧力も大きいわけです。 ご/ j く あるいは天変地異で都市が壊滅したりして表亡しましたが、人為 かつて都市は、戦争があったり、交通システムが変わったり、 に、都心活動層という概念を、私どもは作った。さて都心活動層 泊まる人たちも含めて、この地域の一時居住層と新規定着層の中 業で謹くなったときに泊まるとか、地方から出践してきたときに 着層の人たちが、いっそう定着しにくくなりつつあることです。 的かつ社会的な要国で後継者が住めなくなるといった現象が起こ とは何か。非常に多彩な、どちらかというと最近流行の、カタカ える私たちの後継者たちが、そこにはもう住めなくなっていると って、それが次第にその度を増してくる都市というのは、寿命が いている人たちなどです。そういった都心活動層が、職業活動を ナで表現されるさまざまな職業の人ぴとや、地球を股にかけて動 ホテルに泊まっている人たち、下宿や寮に住んでいる人たち、残 迫りつつあるのでしょうか、このような例は今だかつてなかった いう問題がでできている。 と思います。 大河の流れに抗してまで都心居住を、なぜ考えなければならな 東京の活性を世界的レベルで維持し、発展させているひとつの大 どうもあるらしいということに気がついた。この都心活動層が、 展開する場として、従来の住宅の概念に入っていない居住形態が、 いのか。それは先ほど申し上げたような超高密度社会症候群のあ きな力ではないかと考え、都心活動層に対する住宅をも考える方 都心居住の実態 らわれが、都市の衰退、都市の寿命を暗示しているとさえ考えら この都心活動層が、どこでどういう住まい方をしているかの把 向を、取り上げたわけです。 ります。しかし、都市の終駕を予感させるようなこれらの事象に 握は、非常に難しい、しかしこのほか、新しいライフスタイルと れるからです。人口減少地匿は都心の域を越えて、広がりつつあ いやられている場所はありません。やはりこの都心居住を特別な もかかわらず、都心ほど住宅ないし居住する条件が圧迫され、追 心活動層住宅が出現してくる態様である可能性を持っているわけ 考えられる工夫がされた非住宅居住が出現する傾向も含めて、都 居住者層の芽を育てるのには、何としても実態を把握することが です。今のところ、量的には少ないにせよ、都心における新しい 問題として考えていく重要性は依然として強いと私は考えていま す 。 しかしなぜ東京だけが、ニュ i ヨlクをはじめ、欧米の都市の した。ひとつは、永年居住層が心ならずも、自分の住んでいた所 夫、検討したわけです。そこで問題がふたつあることがわかりま 一時居住層の一二つの層に分類し、それぞれの人たちの定住策を工 プラス隅田川ぐらいまでの範閤)を、永年居住層、新規定着層、 は都心域の居住者(いわゆる都心三一回に限定せず、山手線の内側 連して都心居住問題の調査と計画をやったことがあります。それ の低減は坂道を転がり落ちる石ころのように、止められないとい 商業系の土地利用が一二%を超えて数%以上になった場合は、人口 ることがわかりました。住宅系がこれよりも低い場合、あるいは 土地利用が二 i三%といったところが安定状態にある町丁といえ 結果、住宅系の土地利用率が六O%以上を超え、商業・業務系の 向を分析しながら、定住の条件、を探ったことがありました。その もうひとつ、都心域を町丁別まで情報の分解能を高め、この傾 出発点であると考えています。 を離れていかざるを得ないという状況が年々厳しくなりつつある う傾向にある。もうひとつ、確実に言えることは、専用住宅の存 ように、都心居住が行なわれにくいのでしょうか。この問題と関 こと。もうひとつは、郊外あるいは地方から入ってくる、新規定 は、人口の減少に明らかにつながるということです。そういった 計画も含めて現在に至るまで、都市再開発事業がどの程度の実績 とんどはかばかしい進展はしておりません。戦後、戦災復興都市 まり大規模な土地利用が可能であるといった場所を除いては、ほ ておられますが、一部条件のいい地区におけるプロジェクト、 意味でいろいろな問題はありとされながらもマンションの供給は、 を持っているのかといいますと、結果は、東京都二一一一区を一 在が人口の安定につながっているということ、併用住宅が多い所 明らかに人口の増加につながっているといえます。 りました。そういった状況から、大川端の工場倉庫は、湾岸の埋 物を工場や倉庫に船から出し入れすることは不可能になりつつあ 台風の経験から、剃刀堤防と称する堤防が造られ、大きくて重い って立地した工場や倉庫群が多数あったのが、地盤沈下と伊勢湾 岸道路が通る。隅田川沿岸には江戸時代から、河川舟運の使を頼 しての利用が計画されていた。その埋立地を貫通して広幅員の湾 造成中であった。その埋立地には港湾施設、工場倉庫、住宅地と 再開発計画です。当時東京湾上には千数百ヘクタールの埋立地が と昭和四一一 1五年、中央区に依頼されて、一緒にやった大川端の クトの提案をいくつかやってきました。そのひとつが下総菜さん よって住宅を収容する可能性があるかどうかを検討し、プロジェ いわゆる問問題地域を取り上げ、それらの地区を再開発することに こういった観点から私は過去ニO年以上にわたり、人口減少の まだ私は納得できません。 ら、あまり勝手なことはできないといったような返事だけでは、 が平気でエンジンをかけてスタートします。建設省のお膝元だか ころが関西の人は、呂の前だけ青になれば、その先が赤であろう っか匝つあったとすると、全部青にならない限り発進しない。と わば自動車を運転していて、交菱自⋮に来て前方を眺めて信号が一二 思い切って事業に着手します。東京都の人は、非常に慎重で、い いか。例えば大阪、神戸、広島といった関西の大都市の人たちは、 くつかありますが、基本的に東京は、問題が難し過ぎるのではな 故、これまで所期の成果をあげられなかったのか。その理由はい 郵便葉書ぐらいであることをわきまえておかねばなりません。何 プランを立てるときにでも、できることは、どんなに頑張っても しかなりません。ですから一二世紀をもくろむ再開発のマスタi の地図に見立てましでも、大き目の記念切手ぐらいの事業規模に 建設省や東京都は、都心居住を含む東京大都市圏の住宅対策と が、結局は容積率を緩和し、インテンシィブ刺激を与えることで した。他にも地度計画を指定して、住宅をはじめさまざまな複合 して、例えば立体地域制とか、いろいろな施策を打ち出しました 戦を中央区に提案してから、それっきりしばらくお蔵入りになっ 開発を、非常にいい形でできるようにするといった考え方がある 一部オフィス、その他さまざまな施設の複合開発からなるプロジ ていました。石川島播欝重工が会社発祥の地を処分し、その跡を のですが、なかなか適用までいたらない。要するに基本的には、 居住性を回復するための手法、開発スタディは、私以外に、いろ ごく最近報告が出ました。その趣旨は、東京の住宅宅地問題は、 日笠先生が座長の、東京都の住宅政策を打ち出す委員会から、 問題の難しさが慎重にさせているということがあります。 んな方面の宮公庁、公田、大学、コンサルタントの人たちがやっ こうしたさまざまな都市計画、とりわけ住宅地再開発、都心の 住都公団と三井不動産が買ったときに患を吹き返しました。 ェクトを提案し、大川端作戦と銘打ったわけです。この大川端作 中央区の再開発の大きな動機になるだろうと考え、住宅、商宿、 立地にいずれ移転するだろう、その移転跡地の再開発的な利用が、 m角 都市計画はなぜうまく進まなかったのか コ J る、と一言っておられます。私もその方向に進む以外にないと思っ れに対する対策は、東京独自の政策システムを形成する必要があ 東京固有の非常に複雑で難しい問題を合んでいる。したがってそ 問題解決のための枠組みを明確に、そして施策効果の検証を れてない。 を予測して、 次 々 に 新 し い 施 策 を 提 案 す る た め の 情 報 が 殆 ど 得 ら 時多発進行させて、何が何でも実現に持っていくといった、蛮勇 理想を言えば各区ひとつずつぐらい、少なくても都内数カ所に同 たして住宅事情が、どこまで改善できるのかといった、フレーム 摘したいのです。例えば首都圏内各地区に、百万戸建設して、果 度のことをやればいいという、数字の枠組みがなかったことを指 次に、住宅問題をこの程度のレベルまで解決するのに、この程 を奮うことが基本的に必要です。何かいままでさまざまな制度、 が欠除している計画は、私はあり得るとは思わない。そうではな ています。考えられる都心住宅地像を実現するプロジェクトを、 手法が開発はされながら、いわば屋上屋をいくら重ねながらも、雨 いというご発言があれば、是非同って勉強させていただきたいと 最後に、留と地方公共団体の施策効果の検証ができないことを 漏りをおそれていたといったようなことがあったのではないか。 次は、大きく複雑な問題を抱えた東京大都市圏において、問題 挙げておきます。これは基本的に、国だけではなく地方公共団体 思っています。 に対処するには情報が不足しがちなことです。東京都あるいは涯 も、自分たちがやってきた施策に対する評価をすることを好まな 精細な情報をリアルタイムに 町了目単位ぐらいに、人口所帯のみならず住宅事情のデータを知 単位の住宅宅地関係のデl タは、容易に入手できますが、せめて った情報化時代で、目まぐるしく変わる都市の土地、建物、人び ほど述べたように区、市単位で非常に低く、大雑把です。こうい ろして問題を把握し、計画を立てる情報の空間的な分解能が、先 年ぐらいかかる。これでは、情報が古過ぎます。しかも地域に下 一遍といった頻度で行なわれ、行なわれてから集計が出るまで三 いわけですが、指定統計に依存する以上は、一二年に一一通、五年に ます。そういった状況がどう変わるかは、なかなか難しい問題で 対する評価ができず、改善もできないという循環構造になってい 答えられないため、国あるいは地方公共団体が打ち出した施策に 市街地環境はどう変わったかという、これも極めて素朴な質問に ったのか。都市計画法改正、建築基準法改正によって、わが国の 画然たる違いがあるか、要するに線引きの効果はどんなものであ よって、果たして線を引かれた内側と外側で、土地利用の変化に いわゆる綿引きという制度が導入されました。そうした線引きに いからです。例えば十数年前に、都市計画法が根本的に改正され、 と、世帯、企業の状況を、何とかリアルタイムで刻々と捉えられ す。そう考えると、都心居住の行方、あるいは大都市圏居住の行 りたい。しかも変化が激しいときですから、リアルタイムで欲し るシステムが、開発されないかと思うわけです。例えば、都心区 方、果たして可能性はどうか、私自身思い悩む点があります。 最近、国も東京都もあるいは政党も、口を開けば、東京大都市 の一部でオフィスビルに対する、住宅付置義務を作っていますが、 効果があるか。あるいは、立体地域制が仮に適用されたとして、 圏の住宅宅地問題解決に、出公有地を使えと言っております。国 国有地の利用について それが一年後、一一年後にどういった効果を発揮するか。 要するに 有林は別にして、国有地が、最大の量になったのは、昭和一一O年 そういった付置義務を作ることによって、どのような住宅供給の 施策あるいはプロジェクトの効果を、的確に計測し、 施 策 の 欠 点 さらに東京都二三区内においては、二ハヘクタールしかないのが る土地は、もはや三三六・五ヘクタール、吾万坪しかありません。 ば、東京、神奈川、千葉、埼玉の東京大都市闘で、現在残ってい 三ヘクタール、未利用の宅地および宅地見込地だけについていえ 度末二五区内で、六八六ヘクタールあったのが、六三年には五七 完するといったことで、年々減ってきた。東京都でいえば一二0年 必要な供給を行なう一面、売り払うことによって、国の財政を補 代の終わりです。それ以降畠有地は、所在都市の発展に対して、 るのに対して、高層階(十四階以上)五五・六%。おしつこがで できる、何とかできる子は、低層階(五階以下)八二・四%であ 合と、全然できない子の割合を調べた結果、例えば日常の挨拶が 的生活の自立状況、要するに自分でできる、何とかできる子の割 出ませんが、幼児については明らかに差がでている。幼児の基本 すが、老人については、高層階、中層階、低層階でほとんど差が べた結果の話です。これは老人と幼児に絞って調べているわけで る人と、低い階に住んでいる人の生活のパターン、健康状態を調 国有地の利用としては、東京の住宅市街地の再開発を進める際の、 っていくかは、非常に重要な問題です。ひとつの考え方として、 否は明らかです。したがって、残り少ない菌有地をどのように使 限の需要に対して、残り少ない存限の資源で対応したときの、成 を造れ、公閣を造れと、非常に圧力が強いわけですが、いわば無 な需要があるということで、対処していったらどうなるか。住宅 周波音がなくなることが、人間の心理と生理にどのような影響が 満足の度合を機械で測ると、ずいぶん違うそうです。要するに高 そんなことを全くしない普通の音楽を、音楽の好きな人に聞かせ、 す。音楽を流す場合でも、高周波音を遮断して録音した音楽と、 アフリカの森林の中での計測値は音の分布の様相が異なっていま 響観測、文京区大塚の高層鉄筋コンクリート造の屋内外計測値と、 比べると、高周波音は屋内に入るとき遮蔽されます。市街地の音 もうひとつは、音の問題ですが、コンクリートの屋外と屋内を 四%に対し四八・一一%です。 きるが、低層階八二・四%、高層階五九・一一一%。靴の着脱が八二・ 一時入居施設として利用する。ひとつのプロジェクトは三年から このように国有地が逼迫しているのに対し、従来のように重要 現状です。 十年かかりますから、仮設宅建式でなく、恒久的に残すのに耐え このように高密度社会というのは、当然のことながら密関空間 あるかは、まだわからないそうですが、気分から言うと、明らか おそらく一一O 二O年ぐらいまでの三O年ぐらい働いてもらって、 を多数作り出す。超高層建築は密閉するつもりでなくても、風が 得るほど立派なもの、それこそ都心住宅地像の理想に近い施設を 東京の市街地の再開発は二めこれで峠を越したとなった段階で、 強いとかベランダから落ちるといったさまざまなことで、密閉せ に違うものだそうです。 そのときの知恵を出し合って、国有地の利用を決めていったらど ざるを得ません。この他に、電波や磁気など、さまざまな新たな 作って、そこを都内の再開発の一時入居施設として使っていく。 うかと思っています。 る環境問題が取り上げられつつあります。このへんの問題点を合 最後に話は飛びますが、ふたつばかりご披露しておきたいこと 申し上げて、私の話はひとまず終わらせていただきます。 への対応が新しい都心居住の課題になって来ていることを最後に めて私は、つくり出されつつあるこれらの、超高密度社会症候群 子供の生活自立や高周波音の問題などの、新た環境問例題 があります。 ひとつは、葛西の公団住宅で、超高層住宅の高い階に住んでい 潰⑧ 首 出錨閣 ること、あたかも万年筆業者が小説を書いているようなものだ﹂ ことは起こらない。なぜかというと、起こりそうだったら、みん 変だ、ということを言いました。しかしながら、実際はそういう あそこに二万人の人たちが働くとしたら、あの辺は交通渋滞で大 とおもいます。三井霞が関ビルができるときに、一部の人たちは、 て、いろいろな棋を打っていくのが、都市づくりの方法であった 能というものを持っているはずです。その自己調節機能を活用し 都市というのは、有機体になぞらえますと、やはり自己調節機 うに思うわけです。 いうのが、主な都市問題の一つではなかろうか、とさえいえるよ トータルで考えられるグループというのがいま存在していないと 都市という人間が考えた最も複雑で優れたシステムというものを、 が、参加してもいいのではないかと思うわけです。逆に言えば、 ステムである都市を考えるときに、もう少し幅広くいろいろな人 計部門の予を離れ始めてきている。同じように、もっと複雑なシ 時代になると、設計の仕事の大事な部分が、だんだんシステム設 ていて、最近のように戦略がわからないとシステムがつくれない 同じようなことはコンンピュ i タl ・システム設計にも起こっ きるのだろうか、という疑問を持っています。 たちが本当に都市を設計できるのだろうか、都市の問題を解決で な様相を示している時代に、果たして都市計画に携わっている人 設計できた時代もあったのかもしれませんが、現在のような複雑 と言われたことがあります。都市計画家という人たちが、都市を における住宅関題 決へ向けてのフし!ムワiク ﹁首都圏における住宅問題解決へ向けてのフレームワーク﹂、 ういった問題についての、発想、あるいは論理の進め方は、その 設計するという点では非常によく似ていることがわかってまいり 常に複雑な有機体を設計することと、まさに有機体である組織を そういう大企業の全社の組織を設計してみますと、都市という非 保険会社とか、メーカーとか、サービス業とか、商社であるとか、 が大切だということになってまいりました。こうして銀行とか、 なってきている。そこで、執行能力である組織の設計ということ けでは十分ではなくて、執行能力というのが非常に重要な諜題に でやってきたことは、企業の戦略の立案ですが、最近では戦略だ 関係ない、経営のコンサルティングの会社でございました。そこ しかし、入ってみましたら、そこは建築とも都市計画とも全く からぬままに、マッキンゼ!という会社に入ったわけです。 した。しかし、その頃のアメリカは非常に不況で、内容もよくわ トにあこがれて、経営学修士を取るべく、一年間MITに通いま 交通計画を勉強し、当時はやっていたデベロッパ i ・アーキテク 学び、設計事務所に勤め、その後アメリカに渡って、都市計画と を自己紹介をかねて申し上げたいと思います。私は大学で建築を こういった意味で私ごとで申し訳ありませんが、まず、私の経路 人の日常の仕事、経歴に非常に大きく影響されるように思います。 ヲ砕 ました。昔、十返肇という文芸評論家が、﹁建築家が都市を設計す 」ー 合いの中で解決策というのが出てくる。それは、マスタープラン あるいは企業、その他、団体、個人、いろいろな方がたのせめぎ げることです。その中で侶々の具体案というのは、政治、行政、 組みで考えたらいいのだろうか、ひとつの考え方は、枠組みを広 最も重要なことであろうと思います。いったい都市はどういう枠 ている。だから、それをどういうふうに活用するか、というのが な避けるからなのです。そういうふうな調節能力というのを持っ のか、債券なのか。そうしたことを判訴するのも、結局コンピュー 買ったらいいのか、何を売ったらいいのか、株に投資したらいい サーのお蔭である。また、瞬時に判断しなければいけない。何を 界三極市場の連鎖が進行中というのは、まさにマイクロプロセッ が来た。そうすると、当然のことながら連鎖が進むわけです。世 こへでも行ってしまう。国境の壁なんか立てられないという時代 は電子のパルスに変わった。電子のパルスに変われば、瞬時にど ものがあります。お金が金から紙きれに変わり、紙きれから今度 そういうふうに、情報化時代から情報時代になり、吏に、情報 ではなくてミニプラン、ある種の模のようなものが打ち込まれれ 産業構造変化と首都留の役割、企業活動と昔都圏の意味合い。 過剰時代になる。情報は拾でなければならないという時代がくる ターを使う。マイクロプロセッサ!の技術であるというふうな状 消費者の側からの生活感覚。税法だけに担らず、法律の問題。更 わけです。逆に言えば、どういうものをいい情報と考えるか、と ばよい。それが優れた模であったら、都市は取り込んでいってく に、超長期の都市構造、あるいは交通の問題。それから、立法、 いうことになります。いい情報というのは結局、メディアが加工 況になっています。この傾向というのは、当分の開止まることは 行政の所在地の問題等、考えられる枠組みは複雑多岐にわたりま していない清報である。企業の側からしますと、テレビとか、新 なさそうです。 すが、今日は時間の関係上、産業構造の変化に重点をおいて、ご 問、雑誌に出たものは、もう既に、自分だけが知っている情報で れる。だから、境界条件などは考える必要はないと、こういうふ 説明したいと思います。 はない。それから、メディアというのは何らかの視点で加工して うな形で考えればよいのではなかろうかと思っております。 お互い身近にいることが重要だから、東京集中は避けられない 報の発生源から聞くということになります。対面情報である。相 のひとつだと思いますが、いちばんいい情報というのは、直接情 手がいい情報をくれる理由というのは、相手が私を好いてくれて しまうものなのです。マスコミというのは信用ならないメディア というふうに考えたほ、つがいいように思います。七0年代に一一一大 産業構造の変化ということから考えてみますと、東京集中とい 発明がありました。マイクロプロセッサi の発明、遺伝子組み替 いるか、あるいは、ギブ・アンド・テイクが成り立っているから うのは変わらないであろう。是か非かと言ってみても始まらない、 えにつながるバイオテクノロジー、それから新素材の実用化。超 ら、やはり知り合うプロセスを組む。そのときには、飲んだり、 です。ギ、フ・アンド・テイクが成り立っためには、最初から﹁ギ 食ったりするかもしれない。そういうふうに考えていきますと、 伝導というのはその一つであるというふうに考えるとしますと、 その中でいちばん早かったのは、七0年代の初めに出てきたマ ブ・アンド・テイクをしましょう﹂と一一一日うわけにはいきませんか イクロプロセッサーであって、至るところに使われている。その 結局、近くにいたくなるわけです。 これが九0年代に事業になっていくであろうと考えられます。 中でそれを、もっとも高度に使っている分野として、金融という 私はニューヨークに今月二回行きますが、体力的には非常に辛 パリゼ!ション﹂とみんな抽象的に言うけれ がないものは欲しがらないわけです。ですから結局、自分が消費 ども、コミュニケーションは光のスピードで行きますが、トラン です。そして、それをまた情報交換する。そのときに、メディア そういうふうな産業のソフト化ということが起こっているわけ 者の立場で考えるというのが付加価値の源泉であると思います。 スポi テi シ ョ ン は 、 相 変 わ ら ず 亜 音 速 な わ け で す 。 い ち ば ん 極 を通ってきたときはもう遅い。だから、マンハッタン現象といっ l a - 端な例を・申し上げますと、ある種のインベストメント・パンカ! ていい集中現象が起こってしまう。だから、東京が発展するとい いことです。﹁グロ という人たちは、ニューヨーク東京を飛べるぐらいの自家用機 ことでは必ずしもない。だから、巨大になっていくというのは、 を持っています。朝食を取りながらミーティングをし、午前中お その飛行機の中で会議をして、ちょっと寝て、東京へ着いたら朝 も う 与 件 で 考 え た 方 が よ い 。 百 同 固 か ら 百 五O 凶圏で四千万首都 わないはずですし、東京の成長を抑えると地方が発展するという ですから、また朝の会議をやって、それから、お客さんに会って、 闘である、というのを前提で考、えるほ、つがいいのではないか。そ うことと地方が発展するということは、同時並行的に起こって構 また帰ると。日本に五回来ているけれども五日しかいたことがな この中で、もうちょっと何とか工夫はできないだろうかというふ 客さんのところへ行き、午後、ケネディ空港から東京へ飛んで、 いと、こういう生活をしているわけです。これでは、体が続かな うに、考えたほうがいいだろうと私は思っております。 済活動を見ないで都市を変えようというわけにはいかないと思い その中でいろいろなとらえ方があると思うのですが、やはり経 ほんとうに東京にいなければいけない人たちはごくわずか いだろうと思います。やはり近くにいたほ、つがいい。 金融というのは、世界の情報がスクリーンで全部見られますか ボタンを押して、スクリーンを見ながら電話でロンドンへ何か言 ます。国というもの、あるいは政治というものを超えて、経済の ら、出てくるトレーダーとか、ファンドマネージャーが、ポンと っている。仕事はそんな抽象的なテレビ・ゲl ムのようなことを ジェイン・ジエイコブスという都市経済学者が、﹁都市の経済学﹄ 論理が良くも悪くも先行してしまう。その経済活動の非常に大き という本で、国というのは非常に人工的な経済単位であって、最 やっているけれども、それに必要な情報は対面でもらわなければ 付加価値を高める、高付加価値化ということが言われて久しい。 も自然なのは都市である。だから、都市経済圏というものの見方 な部分を占める企業活動という観点からすると、企業活動がどう 外界からいい情報を取って、自分たちの﹁答﹂としてそれを商品 ならない。だから、歩いて行ける距離にいなければいけない。こ として、外界に出していく。その時間、ターンアラウンド・タイ をしたほ、つがいい、ということを言っておりますが、その中の最 いうふうになれば、東京はどうなるのだろうかというとらえ方で ムが短いことと、いい答であること、付加価値にはこういう必要 も自然な構成単位というのは企業であるわけです。上場企業は庖 ういう傾向は、これからも進むであろうと思いますと、どうして がある。そうすると、外界との接点をものすごく大事にしなけれ 頭 市 場 の 上 場 も 含 め て 二 八O O社 ぐ ら い あ り ま す が 、 そ の 六O % 考えてみるのも、ひとつであろうと思います。 ばいけない。電子手帳とか、ノートブック・パソコンを十年前に が東京に本社を構えている。その本社に誰がいなければいけない も東京集中は避けられない。 欲しいと言った人はいないはずです。素人というのは、見たこと かというのは、これはなかなか難しい問題です。ここで、それを に潤辺都市の新しい役割が生まれてくる。そうすると、本当に東 月とか、熱海にいてくれでも構わない人たちである。こうした所 京にいなければいけない本社スタッフというのは、大企業であっ 解く方法として、ビジネスシステム、いいかえれば、業務の流れ から見る方法があります。メiカーであれば、技術開発をして、 一方、消費者の側も、非常に多様化しております。住宅につい ても数百人内外であるということになります。 いけないものは何があるかというと、ほとんどないのです。設計 ても、みんな同じように一戸建てを望んでいるかというと、そう 商品設計をし、工場へ部品材料を購入し、製造し、営業をし、販 も同じことであって、東京に住んでいれば良い設計ができるわけ ではない。大衆もセグメントされて、しかもそれぞれが違う生活 世代による住居に対する価値観の違いも考えるべきだ ではありません。オートバイなどは日本が世界の大部分を生産し 売をし、物流をし、サービスをする。この中で東京にいなければ ていますが、しかし、オートバイのトレンドは日本からではなく、 ている。それを前提にしないと対応ができない。東京が魅力ある のは当然であって、どうしても地価は上昇する。それが自分の予 感覚を持っている。また、そういう生活感覚がかなり広がってき その設計者は日本にいては駄目だということになり、東京にいる に入る額より高くなってしまう。この傾向が治まったとしたら、 ヨi ロッパとかアメリカから出てきているものです。ですから、 理由はあまりない。購買も、製造も、営業も、販売も、物流も、 東京は魅力がなくなったということになる。ですから、そういう ふうな抑える努力もある程度必要なのでしょうけれども、もっと、 別に東京にいる理由というのはほとんどない。 これらのビジネスシステムは、ハードなビジネスシステムです そういうセグメンテーションは、先ず年代で考えてみることが ライフスタイルとかといったよう﹂なことを変えていくという対応 訓練部であるとか、情報システム部、法務部、特許部、あるいは できます。アメリカでは、戦争が終わって引き揚げてきたG Iが が、それでは、どういうビジネスシステムの分野がいま拡大して 資料室とか、広報部、宣伝部、事務改善部といったものが増えて 戦 後 、 各 地 の 都 市 の 郊 外 に い わ ゆ る サ パ i パンライフというもの もあり得るのではないかと思います。 きているわけです。しかしこういう機能は、本社スタッフとは呼 を築きました。一万数千ドルで芝生のある一戸建ての家を買い、 いるかというと、やはりソフトな機能の充実だと思います。教育 ぶべきでない。古い軍隊用語でいうと、兵たん機能であると思う そういう人たちがワ i ッと住んで、そして、だんだんと年を経て、 と言うと、隣もみんな行く。ですから、ある時期、大都市の郊外 からです。兵たんというのは、前線に、武器、弾薬、糧椋、被服 社長とか役員は、立場上良い情報を得られますから、当然東京 でガレージセ l ルを軒並みやっているという時代があったわけで 七0年代には定年に達して、みんなフロリダに行く。﹁私も行く﹂ にいたほうがいい。それを支援するスタッフというのが本社スタ す。それが、年齢による生活感覚の違いというものです。そうい 等を提供する部門です。 ッフである。それが伝統的な、社長室とか、企画、経理とかいう それから、世代というものが影響すると思います。世代と年齢 うものがいろいろあるはずです。 ッフではないわけです。そうすると、そういう人たちは、週に一 は同じではないかと言われるけれども、いま申し上げた年齢の話 ことで、先に申し上げた兵たん機能というのは、別に社長のスタ 回も社長に会う必要はなく、百回留の宇都宮とか、銚子とか、大 ますが、日本が貧しいときは自分も貧しく、一生懸命働いて日本 長世代というのは、今の日本では五O歳代以上の人たちだと思い とえば戦争世代とか高度成長世代とか、そういうもので、高度成 通のニ iズといったものであります。しかし世代というのは、た 歳も、一平成時代の四O歳も、四O歳であるという年代からくる共 は、明治時代の四O歳も、大正時代の凹O歳も、昭和時代の問。 世代です。 を持つために二時間通わなければならないのでは嫌だと、考える にご大層なことではないという生活感覚を持っている。二戸建て いたときにはテレビも自動車もあった。だから、現在は、そんな 旅行もしている。したがって物の選別能力が非常に高い。物心つ この世代からです。この人たちは、世界をよく知っている。海外 郵便局に行くより銀行の支庖へ行くのが好きな主婦というのは、 また、もう少し若い世代になると、自分の好みのライフスタイ とともに豊かになった。こういう世代の人達は非常に向上心が強 く、勤勉で、会社が好きな人たちです。しかし、消費者としては、 住居を供給するのか。みんなが持ち家を望んでいる、あるいはみ ルが先にあり、それに合った時空間を求め、それに合ったものを いる人たちだともいえます。よく言われることですが、日本の家 んなが一戸建てを求めている、というのは違うであろうと思うの 買うという順序でしかものを考えない。その人たちの住感覚とい 庭には昭和三0年代まで団崎市があった。テレビはまだ白黒テレビ です。たしかに、資産を残すというまででもなく、自分が死んだ ﹁あなたは、どうしてこの車を買ったのですか﹂と聞くと﹁わから で、テレビを見るときには前のビロードのカーテンみたいなもの あと、賃貸住宅では家賃が払えなくなるから家族が困るではない うのは、また違うわけです。これらのどのへんに焦点を合わせて を上げてみるという時代でありました。そして、車献台にお父さ か、それは非常に不安であるという考え方がある。しかし、家賃 の価値観というのは、やはりかつての家父長制を強く引きずって んがきちんと座って、位置は決まっていた。ということは、亭主 というのはインフレ見合いでしか上がっていませんから、賃貸の ない﹂と言う、これが高度成長世代の特徴です。そういう人たち はちゃんと家に帰って家で晩ご飯を食べていた。ところが、四0 との差額を株に投資すれば、十年とかいうオーダーで持っていれ ほうが安い。賃貸に住んで、一戸建てを貰ったときのロ l ン返済 ば、いままでの例ですと、平均二ハ%ぐらい上がる筈です。その 年代の忙しさにかまけて、だんだん食事の時間に家に帰ってこな 居場所がないという悪循環になって、外でグダグダしているとい くなった。そうすると、居場所がはっきりしなくなる。帰っても と見合うはずなのです。家を残したからといっても、結局その家 中で、本当に土地が上がるのであれば、不動産関係の株に投資す を出ないと相続税が払えないということになるよりは、株とかそ うことになる。ですから、こういった家父長制を引きずった人た 現在の四O代という人達は、いわゆる団塊の世代であって、一 ういうもので資産が同じように膨らんでいるほうが、よほど処分 れば、もっと上がっているはずなわけです。ですから、賃貸住宅 五O O万人ぐらいいる。大学紛争をやって、それからブライダル・ しやすい。ですから、賃貸住宅住まいのほうがいいんだという考 ちの、一戸建ての家が欲しいという感覚が、すべての世代に共通 ブl ムになり、一一ユ l ・ファミリーと言われ、ニュ i ・サl ティ え方も十分成り立つわけですが、なぜかまだそういう議論は展開 に住んでそういう投資をしても、二戸建てを買うことと、ちゃん とニ一一口われ、そしていまナイス・ミドルと言われる大きな塊です。 だとはいえないであろうと、思うわけです。 この人たちの生活感覚は、いろいろなところで特徴が出ています。 うという形で、貸借対照表というのがわかるようになってきてい 自宅を買うだけではなく、余裕があったらお金を借りて別荘を買 家庭の主婦も、家計簿という月々の損益計算書だけではなくて、 とあってもいい。ほとんどの人は教育水準が高まってきています。 いはインフレをへツジするというための仕組みというのは、もっ ともっと出てきていいと思います。自分で資産を形成する、ある そういう意味からすると、不動産を小口化する商品とか、もっ して、小さな農家を買って、一生懸命改造して、日曜大工できれ どないことだとおもいます。アメリカでは貧しい著い夫婦が結婚 の問題は、プロパティ・インブル l ブ メ ン ト と い う 概 念 が ほ と ん そこに投資されるとものすごく儲かるわけです。それから、日本 促進する。だから、アメリカにちょっとした会社をお持ちの方は、 できるような法律を作り、インセンティブを与えて、住宅供給を その期に損金として落としていい、というふうなことが一定期間 が、アメリカです。ある州では、普通は資産勘定に上がるものを、 そういう発想で、時限立法で信じられないようなことをするの る。﹁そんなにお金を借りて大丈夫かしら﹂ではなくて、ちゃんと いにしていく。そうすると資産価植が上がって、売ると、もっと されていない。 資産として残るということがわかる時代になっている筈です。こ ブすると何かのメリットがある。そうでないと、新しい住宅供給 いい家が買えると、こういうことがあるわけです。日本では、そ こういうふうに見てきますと、現在の日本の施策というのは殆 はそれなりに質が良くなるかもしれないけれども、古いものは見 ういう側面というのも見落とされているのではないかというよう ど全部、規制という形で出ていることに気がつきます。典型的な るに耐えないというままになってしまう。ですから、ストックの ん な こ と は と て も 考 え ら れ な い 。 で す か ら 、 誰 も イ ン プ ル i ブし のは税法で、ほとんどが罰則的な税法である。例えば不動産の短 流動性を増すということと、それから質の改善にインセンティブ に思います。 期譲渡は土地投機に結び付くから、高い税金をかける。そうする が加わるということに、もう少し目を向けた税法があるべきだと ようとしないということです。やはり、プロパティをインブルー と、売るときには、その税金を払っても見合うぐらいの値段に上 思います。 施策を、規制からインセンティブを与えるほうへ げてしまうということになってしまう。 ィブのほうへと撮っていくべきではないかと思うのです。たとえ らない。しかし東京は烏ではないですから、もっと大きくできる 最後にひとこと、マンハッタンという烏は、あれ以上大きくな いまや冨陥商の東京として構造を見直す必要がある ば住宅の付置義務ですが、付置義務はあるけれども、スペースの はずです。それは、物理的に大きくするだけではなく、キャパシ ですから発想を、懲罰的なもの、規制ではなくて、インセンテ ボーナスが大してあるわけではない。農地の宅地並み課税という のではないかと思うのです。山手線というのは世界の交通の中で も大発明であると言った人がいます。一時間でグルッと由れる。 ティ、容量というものを大きくするという発想をする必要がある トでも造れば、それで済んでしまうということです。﹁こういうこ それよりも、哲学的に言えば、点というものを円に変えた。だか のも同じことです。懲罰的ですから、みんな逃れようとする。そ とをやったら、こういうメリットをあげます﹂というふうな法律 ら、アクティビティ・キャパシティがものすごく増えた。セント れほどの金額ではないですから、畑の片隅にちょっとしたアパー に、税法も変えられないのだろうかと思います。 ラル・ビジネス・﹁アイストリクトではない。丸の内もあるけれど れはリニヤ!な構造であるほ、つがいいだろうと思うのです。 アクティビティの谷川弘を拡大する発想であるとか、企業の機能 とか、それからリニヤ!な構造に変えるとか、こういうふうなこ も、新宿もある、渋谷も、池袋も、上野も、最近は大崎などもあ ところが百回国時代になると、山手線というのは、百回のスケ とは、都市計画家だけの世界ではないはずです。ですから、もう を分散させるとか、ライフスタイルを教えていくとか、資産形成 ールからいうと点でしかないわけです。ですから、この構造はも 少し幅広いリーダーシップの取れるかなり学際的な能力を持った るという形で、アクティビティのキャパシティがすごく大きいと うキャパシティを大きくできないというふうに考えたほ、つがいい 集団というのが考えられる必要があるのではないかというふうに のやり方を教えるとか、あるいは税法をインセンティブに変える だろう。そうすると、モ i ダ ル ・ チ ェ ン ジ の な い 、 確 実 に い つ 着 思っているわけです。 いうことです。 けるという交通の仕組みを、早く考える必要がある。そして、そ 講演⑧屠島俊雄 論文を参照下さい ければいけないとすれば、私は、それには割切りが必要だろうと の大きな問題です。しかしながら、その中で私たちは生き抜かな く圧力が加わっている。東京だけでなく、アジア全体のこれから すぎたということに尽きる。その結果として、いま都市に否応な ます。都市に人が集まりすぎたということは、地球上に人が増え した上で、それではどうするかということをお話ししたいと思い いというわけです。経済原理に従えば、家賃三百万円というのは うとしますと、月家賃三百万円というのは、おかしい数字ではな なマンションで、ある種の高度なサi ビスを受けながら生活しよ のお金ともいえます。経済的に考えれば、都心で、ホテルのよう 泊一 O万円で、三O R泊 ま れ ば 三 百 万 円 で す か ら 、 ま あ 当 た り 前 月家賃というのは、ホテルのスイlトに家族で泊まりますと、一 いたい月家賃が三百万円くらいになります。二五坪で三百万円の を銀座で造ったら家賃はいくらになるのか計算してみますと、だ 都心の地価がこんなに高くなってしまった現在、二五坪の住宅 都心に住むのはもう絶望的か iE る か 詳 し く は 本 誌 いまのよ 都心に居住環境を整備し 都心に居住環境を整備し得るかといいますと、私は、 思う。もう﹁エイツ﹂と飛び降りないと、二一世紀は生き抜けな よくわかる数字であります。 うな状態だとまず不可能だと申し上げたい。まずそれを明らかに いのではないかと思うのです。そういうしがらみを断ち切ったも ところが、先程、川上先生のお話にもあった大川端作戦の結果、 のが必要ではないかという、 たいへん独断的な話をさせていただ こうと思います。 います。地価を顕在化させると、銀座で三百万円、大川端でも本 ここでも百何十万円か必要だということになるのではないかと思 りませんけれども、はじき出された金額で、まともに計算したら、 生み出された月家賃というのは三O万円。これも、詳細にはわか 住めない状態だ﹂﹁一民りたくない﹂というのが五O%を越えてしま 代の方にはありますが、四O代の人たちになると、﹁住みたくても した。しかしもう一度都心に住みたいという気持は、いまの七O して、そこで生活をし、都心に稼ぎ場として蕗庄や業務を持ちま 座にはあり得ないということです。いずれ銀座や日本橋の二の舞 っている。これは、騒音問題、緑の問題、大気の問題、安全問題、 ところが、実際に中央匿のあの辺に住んでおられる方々の家賃 が、六本木や青山や新宿へ飛び火するでしょう。ここまできてし 来は百万円になってしまう。それを行政も企業も一生懸命努力し は一万五千円以下が三二%、一一一万円以下がここ・五%で、合わせ まった都心居住環境、死なないはずの法人までが出ていかざるを あらゆる商から考、えて、居住環境というのは生活基盤を合めて銀 ますと、半分以上は三万丹以下の家賃しか払えないか払っていな 得なくなった都心居住環境というのは、もう諦めるべきであると て、一桁下の三O万円に押さえるということをしたわけです。 い。そうしますと、三百万円という数字と三万円という二桁違う いうことを前提に、私はひとつ考えたい。 経済原理で動いている以上、いま都心居住環境を整備し得るか 数字の関で実際には生活している。これではあり得ないことが起 げられております。フロンがスの問題、地球温暖化の問題という 昨今、地球環境問題というのが非常に大きな開題としてとりあ という課題に関しては、絶望的であるということです。どんなに こっている、生きた人間がすでに中央区、都心では住めないとい しかも、いろいろな恩典を与えられている法人であれば、銀座で 辺りは私の専門分野ですが、これまでは資源の枯渇問題が非常に うことで、もはや都心鹿住で経済的な居住環境基盤というのは喪 住めるかもしれないということです。ところが、いまやその法人 大きなテl マだったのに、昨今は資源の枯渇以前に、その資椋が やり繰りして、どんなにごまかしても不可能だ、工学部的発想で すら、一桁の差ならばやり繰りできるかもしれないが、さすがに 消費されることによって起こる大気の汚染とか、水質の汚濁とか、 失したと言い切ったほ、つがいいと思うのです。その一方で、法人 こ桁の差は住みこなせない、という現実が起こってきております。 あるいは間住基盤の喪失のほうで、ある種の限界が起こってくる はあり得ないということが、第一点の問題の提起であります。 もはや法人すら都心居住は不可能になりつつあるという状態なの のではないか、といった警告が次々と出されてきております。そ であれば何とか住めるのではないか、というやりくりも行なわれ です。そこにあるものは土地の所有者の移転だけで個人、法人の 地球にやさしくあろうとしたら、都市に集中したほうがよい 開を間わず土地が転がされており、もはや土地を有効に利用して の結果、苦し紛れに、炭酸ガスを規制するため火力から原子力発 ている。生きた人間は住めないけれども、死ぬことのない法人、 稼ぐということが諦められ、土地はそっとしておこう、というよ 電へという転換も考えられている。 がというのではなくて、全部に影響を与える問題です。強者が生 たのですが、環境問題、大気の汚染になりますと、弱者が、強者 強い者は生き残るという、資源の枯渇戦争の時代はまだ良かっ うな状態に置かれつつある。要するに、ここでは、もう生きた住 まいとか、にぎわいとか、そういうものすら、いまは失われつつ ある状況にあるわけです。 銀座の人たちは、いっとき世田谷区や大田区や杉並区へ引っ越 き残り、弱者が滅びるという生態系の法則性がもはや当てはまら ない。その中で、この地球環境問題を追及すれば追及していくほ ど、都市問題が大きな問題になる。都市問題が大きくなるという のは、農山村、あるいは森林という自然的な資源を何とか保存し、 守るために、人びとはどんどん都市に集合せざるを得なくなるだ ろうという仮説からです。しかし現実には仮説ではなくて、もう 動いているわけなのです。一九O O年の初頭の地球上の二O億の 人ぴとはこの百年で五O億に膨らんでおり。都市人口は五億から 三O億と六倍に膨らんでおります。 特にアジアが激しく、日本でも、百年前には都市人口が三O% ぐらいだったわけですが、百年後の今日、都市人口は八O%に増 えてきております。もし、いま東京を遷都するとか、都市を捨て、 田舎へ帰るとかいう話があったとしても、実際には田舎へ帰って も生活基盤がない。たとえば東京首都閣の人口が一一一世紀初頭に は四千万になるとしますと、年間四O万人ずつ増えていくことに な り ま す 。 果 た し て 地 方 で こ の 四O万の人口を吸収できるだろう か。それは農山村の地球環境レベルにおける破壊をもたらすこと になるだろうと思います。見方をかえれば実は、こんなふうに首 都機能に人ぴとを釘付けにし、集中化するということによって、 地球環境は守られているとも一宮悶えるわけです。 いま中国では、特に都市人口を一生懸命抑えております。北京 でも上海でも天津でも、もはや路上人口と呼べる人たちが都市人 ト ¥地闘,. そんなことで、もし地球環境に優しい生活基盤をつくろうとし す。しかしそれはまた、おそらく自らに厳しくなければバランス ますと、何とか都市に集中化させて、非常に効果的な社会資本を ドJ L . J え 整備して、きわめて効率的なリサイクルをし、きわめて効率的な ぷ おそらく中国の天津や上海や広東の人口が、すぐ三千万、四千万 タ ‘ 人に膨れ上がってくると忠うのです。しかしながら、逆に、そう 折田町匂 生活の基盤整備をしていくということによって、ある種の生活基 雪之ドム して都市の人口を増やしていかないと中国の自然が守られないと τ長~ 盤が守られた生活体系を作らざるを得ないのではないかと思いま ず〉 いう問題もあるわけです。 口の二倍にも膨らんでいる。この傾向をまともに許していったら、 ι と @ f 関 東 地 域 の ハ然資本は、 @ この中でス。フロ i ルを やはり尚い山と深い海。 続けている東京は日大 象をひきおこしている。 な ヒi ト ア イ ラ ン ド 攻 八王子、仲間浜まで、建 都心からし人 円 μ 、千葉、 リート化され、日大な 物はつながり、コンク 火 の 去 の よ う な ヒl ト M 問にわたり、都市山山を アイランドが、一二CM 岐に対しては、分散す 起こしている。地球威 るよりはインパクトは のの、非常時には都市 少ないはずとはいうも の淡減の様相をはらむ。 υ ハ叫 マ バ d と呼ばれる酸性雨問題も深刻な問題であることは、ご指摘のとお 型のヒ iト・アイランド現象が起こっている。その結果、環八雲 界で最大の、二0キロを超えて一一一0キロ圏に及ぶ巨大な一極集中 か酸性雨の問題というのはきわめて深刻な状態です。おそらく世 がとれない時代でもあるはずです。東京のヒ iト・アイランドと が生み出されるというふうに、すべてがプラスに、プラスにと回 るか。これまでは、建設残土で東京湾を埋めることによって土地 その結果として建設残土がいかに東京湾を埋めつくそうとしてい リートの建物がいかに多くのパラストを使い、セメントを使い、 アの熱帯降雨林を次々に伐採していくとか、あるいは鉄筋コンク りです。しかし、だからこそ一人当たりのエネルギー消費量が少 なくて、それなりのストレスの捌け口の中である種の満足感が得 られて、その結果として日本の環境が守られていて、ある種の高 い活力を蓄えているというふうな考え方もできるわけです。した がって、その結果、一人ひとりの生活基盤というのはきわめて劣 悪だけれども、全体としての機動力があり、なおかっ、その一人 ひとりの忍耐と我慢のお蔭で、地球環境に対して寄与していると いうふうに考えられなくもない。しかし、やはりそれはきわめて 劣悪な選択であるとも考えられるわけで、この辺がひじように難 しい問題、だと思います。 フロ i建築からストック建築への転換が必要 最近、東京のゴミ問題とか建設残土の問題が大変大きなテ!マ になっておりますが、この百年、私は、東京の建築は基本的には バラックだった、仮設建築だったというふうに思うわけです。や はりフロ l建築からストック建築に置き換えていくという努力を これからやらなければならない。環境破壊を及ぼさないで、しか も設備投資をしながらエネルギiを 投 下 し て 、 余 分 な お 金 を 内 部 にストックし、それを土地ではなくて社会資本として価値あるも のに置き換えていくというやり方です。日本の建物は、いまでも 三二年で建て替えられています。たった三0年 間 で ほ と ん ど の 建 木造はこO年 で 建 て 替 え ら れ て い ま す し 、 東 京 の 建 物 は 鉄 筋 で も 物が建て替えられているということは、これは明らかに地球環境 に対して最大の破壊を及ぼしているわけです。木村の消費がアジ ぷ…こな二三@ @ のペントハウス風叩以。 al 向子工、こぐ i ドI l l -o f f H J :tf ノ 1f h m mから上の、ゐ一阪な m一分の住成。ド いし一一m が向染、上九ん山中は業務。 日本は凶欧に対し従業 法山町山の百年の日比れは取 り一決したが、東京の郡 ぜんとして百年。 山法山政慾備の凝れはい 土地はなくても、与し間 @ JH 川市山皮でも は上に延びればいくら でもある。 空間をリソチにすれば、 郎、心でもこういった対 ほんの少しばかリの自 住環涜は保てるはず。 地球に対してやさしい 然と一人ひとりの索開。 環境づくりの可能性を 伝じたい。 nHU 戸 hd ③ @ 転したわけです。フロ l の 建 築 で す か ら 、 ど ん ど ん 造 り 替 え ら れ る。造り替えられることによって、技術革新を次々と達成し帯た。 いわゆる日本の生活のレベル、生活文化財というのは、建築を含 めて次々と新しいものに挑戦し続けて、われわれ自身の生活基盤 のすべてを実験場にすることによって技術を学び、経済力を活性 化させ、産業基盤を作ってきましたが、それはもう終わるべき時 代であるわけです。また、終わらせないと、地球環境に対しての みならず、首都圏の中でのクローズ・システムは成り立ち得ませ ん 。 首都圏の中でのクローズ・システムの度合いというのは、私は 僅か一 O%程 度 だ と 思 う の で す 。 九 割 は 外 か ら や っ て き て 、 九 割 は外へ山山ていく。その中で初めて一二千万、四千万の人々がある種 のバランスを保っているわけですから、東京首都圏というのは、 世界、あるいは地球規模の中でしか存在し得なくなってきている。 日本列島の中における東京ではなくて、もう地球環境全体の中に おける東京なんだ、という位置付けの中でしか理解できない。そ して、フローからストックへの転換の中で一つの解を岡山らなけれ ばいけないと思うわけです。 東京のグランド・デザインを考えるべき時がきている しかしながら、それにしても東京の基盤そのものの動きが激し すぎます。浅草が中心だったのが銀座になり、それがまた青山に 移り、それがまた吉祥寺にまで移っていくかも知れない。そして、 商業も、住宅も、工場も、いろいろなものが動きすぎることによ って、どこが都市軸であり、どこが憩いの場であるかということ の予測がつかない。 したがって、そこにストック財を作ろうと患っても作り得ない ということもあるということから、そろそろこういった、足元が 動く時代には別れを告げて、地球環境の中で、東京の位置付けを @ 銀座改造のひとつのモ @ の居住笠間を生み出し デル、ヘクタール千人 少しばかりの自然も存 ながら、商業施設も、 在し得る。 @ つくる。人工の白地の 日比道をまたいで尚一路を 上に住居笠間か広がり、 つくられる。 新しい都心の村相会が @ 悶土防衛のイメージで 抜本的な東京大改造。 外械を、数寄尿橋をも 考えれば、銀出の柳を、 う一度、取り炭すこと も不可能ではない。 の人たちも、で﹂ういう姿がいいのではないか﹂というメニュー、 京、出稼ぎの場としての東京も、そろそろ、学者の先生も、企業 モデル都市としての東京も、われわれ自身の実験の場としての東 そろ規定してもいいのではなかろうかと思うわけです。アジアの か、あるいは世界の中における東京の究極の姿というのを、そろ 一二世紀には、この辺で日本列島の中における東京の位置付けと そろある種の収数値が考えられるのではなかろうかと思います。 日本の人口の増加率、あるいは地方からの流入人口、これもそろ 決定しなくてはならぬ時代がきているのではないかと思います。 代が近づいているのではないかと考えるわけです。 自分のライフスタイルとは何なのかということを、考えるべき時 ルを明確にするべき時代。その中における自分の生活、あるいは ロ・コスモスが整合できる時代になっているのではないか。ゴー な資本蓄積も可能ではないか。そろそろミクロ・コスモスとマク 然資本と、社会資本と、私たち自身の欲望に基づくプライベート デザインに対応した基盤整備を行なえば、今世紀中にかなり、自 という感じがするわけです。そしてそういった東京のグランド・ あるいはグランド・デザインを作るときにきたのではなかろうか、 についてのご意見をうかがいたいと思いま 区の、特に首都都心整備と都心居住の回復 されておられます河原一郎先生に、千代田 まざまな助言、あるいは検討等のお仕事を 中心として、都心区の居住回復に関するさ 口火を切っていただくために、千代田区を 前回(司会)パネルディスカッションの 私は、東京の都心の問題に取り組み始め ったわけです。 せていただこうと、私も思ってここへまい もいいわけで、その辺のことを少しお話さ 形で現れてきている、というふうに言って な問題が、最も集中的にいちばんシビアな 方がいろいろお話くださいましたさまざま りました。千代田区は、先ほど三人の先生 いつも一緒に千代田一区の問題を考えてまい 的な生活空間のべ i スがあるわけですが、 いている自然の上にうまく乗っかった歴史 考えています。江戸時代から現在までつづ 闘の歴史文化の中での最大の傑作であると 私自身は、江戸・東京というのは、わが 京をとらえよう、というのが私の考えです。 この一一一つのものの合わさった構造として東 ります。そして三つめは情報文化の構造。 集中型の生産管理業務の構造というのがあ 地域社会の都市構造です。二つめは、一点 パネルディスカツシ語ン す 。 ましたのは、この七、八年ですが、イタリ が、私も千代田区の街づくり懇談会の会長 都市計画審議会の会長をやっておられます 河原実は、司会の前田先生は千代田区の までも東京の底辺を支えている地域空間と 自然と歴史の中で作り上げられてきた、い 市構造があると私は考えています。一つは をやってまいりました。東京には三つの都 アから帰って来てこ五年ばかり東京の研究 千代田区こそ、東京の都心として 居住環境の由後を をさせていただいております。ですから、 いまなお生きているこの都市の空間の上へ って、 ほかの区の前例になるべきである﹂ らの土地を種地として、周辺の街づくりを 要があります。バラバラの点の形で住宅を やっていく、コミュニティの再建をする必 のご意見をまつまでもなく、かなり激しい 持ち込むだけではなく、点を線にしてつな (東京大学/大森粥)といったような有識者 乗せ方がうまくない。これを上手にすり合 議論が千代田区では行なわれております。 明治以降に乗せた一点集中型の都市構造の わせていくことによって、東京の内部のか 力のある国際的な都心となる場所は、東京 の首都の都心、現代的で生き生きとした魅 端な言い方になるかもしれませんが、日本 けです。それは大変うまくないことで、極 地にしようという議論がいつも出てくるわ 首都移転論だとか、千代田毘を政府の直轄 か﹂という声が、必ず出てくる。そこから、 い。﹁あんな所になぜ人が住む必要があるの 本ではまだ十分な説得力があるとは言えな 住まなければならないことについては、日 機関が集中しております千代田区にも人が が、わが国の政府機関とか、大企業、金融 などの都心には、大勢人が住んでおります ニューヨーク、ロンドン、パリ、ロ i マ いか﹂と言っておられましたが、まさに、 宮前広場と同じように考えていいのではな とその前の広場は、ヨーロッパの王宮と王 皇は象徴なら象徴で良いではないか。皇居 トラルパ iクの広さに匹敵する﹂﹁日本の天 一・五凶の緑地帯は、ニューヨークのセン ﹁靖国神社から日比谷に至る長さ三回、幅 の広場の計画を課題として出されました。 けない﹂というお考えから、学生に皇居前 の賢明な街づくりを加えていかなければい 、つくりもちゃんと踏まえて、その上に現代 づくりを尊重して、明治のバロック的な街 ド・ベネlヴォロ教授は、﹁江戸の基本的街 招聴教授として来ていただいたレオナル います。かつて私どもの大学の建築学科へ 都都心として必要な多くのものが集まって 幸いに、千代田区の都心には、現代の首 ねをいたしますので、それにお答えいただ した一二人の先生がたに、私のほうからお尋 さて、それではすでにお話をいただきま まして、ありがとうございました。 前回大変具体的な論点をお示しいただき ということを議論したりしております。 ていく、という方法しかないのではないか、 周辺の街づくりと住民回復を上手に誘導し 土地にアパートを建て、それを種地にして、 して、自分たちの持っている小・中学校の それとして、まず千代田区が自分で血を流 うことでは時間がかかりますので、それは て、住宅を増やすとか、再開発をやるとい 民間のいろいろな企業その他にお願いし えております。 どうしてもとらなければいけないと私も考 って、それを面に広げていくという方法を、 いでいく。つまり、生活道路でつないでい なりの問題が解決できるのではないか、と の千代田にしかない、というふうに私は考 それしかないというふうに考えられる発言 く形で、補足的なご発言をお願いします。 いうふうに私は考えているわけです。 えているわけです。 だと思います。 になる時は、東京が駄目になる時である﹂ 応大学/高橋潤二郎)﹁千代田の都心が駄目 日本を知り、己自身を知る場所である﹂(慶 小中学校を手掛かりにして都心のコミュニ 先生が、中央区で前に提案しておられた、 は切実な問題となっています。先ほど川上 一方、千代田区にとって定住人口の現象 ついて、ご発言いただけないでしょうか。 るということをお話されました。この点に 行なうための新たな制度が、今後必要にな 市計画を中枢として、住宅・宅地の対策を まず、川上先生にお尋ねしたい点は、都 ﹁千代田区こそが首都の都心の自治体であ ティを再生するという方法、すなわちそれ ﹁首都の都心というのは、世界を知り、 るから、千代田置がどんどん都市計画を行 ま¥号 ¥ / J¥ ¥ ることによって都市を育て、地方への分散 いった、臨海部に重化学コンビナートを造 新産業都市とか、工業開発促進特別地域と 0年代半ばから悶0年代の半ばにかけて、 川上話はだいぶ昔に趨りますが、昭和三 は、まず人びとはどこに住むべきかという らいから、都市計画における土地利用計画 私の記憶ですと四0年代半ばちょっと前ぐ れらの公害問題の教訓により、ある時期、 くて、水の汚染等々出てまいりました。こ が激化してくる。単に大気汚染だけではな るいは水島といったような所で、公害問題 それに対しまして、たとえば四日市、あ ﹁住調﹂などを使いまして把握して、将来見 住宅・宅地、とりわけ住宅事情について、 を小地援に分け、それぞれの地区における 私も岡山市と横浜市で、それぞれの都市 自治体住宅計画といったようなものがなさ 議論され、また、いくつかの都市において して計画を立てていく、といった考え方が 備、計画の策定を、目標と同時に筋立てと 府が熱心に、住宅・宅地の状況を、都市の を行なうといったことをやった時代がござ ことと、それから先ほど美田と申しました 込まれる人口増等に対応して、各地区にお れる住宅地を計画していくというやり方で います。あの当時の都市計画における、土 けれど、優良な農耕地、および優良な森林、 った検討と計画を立てたことがございます。 いて住宅供給をいかに進めていくか、とい 中において適確に把握し、住宅・宅地の整 地利用計画の策定の考え方は、その地域に 要するに植物と自然景観といったようなも す 。 目標として掲げられた、たとえば県民所得 のを、いろいろ慎重に配慮しながら、土地 自治体供給システムとしての 住宅、宅地の供給方策の可能性 を倍増するといったような目標を達成する 利用を考え、選択していくようになってき と観念いたしまして、それで最も開発に適 地帯以外は、全部白地の工業開発の候補地 義の土地利用計画から、徐々にではありま りますが、やはり、当時でも、生産第一主 これは、約二O年ちょっと前のことであ あります。この意味では、二O年前の自治 ねる方向に、踏み出そうとしているわけで ベルの計画策定に、問題の解決を大きく委 迫に対する対処の方針は、要するに都区レ 昨年あたりから進められてきた建設省や東 れました。 ヘクタールの工業を開発することが必要だ、 ためには、何百ヘクタール、あるいは何千 した所、つまり新しく引く産業道路に接し すが何のために生産するのか、人ぴとが暮 体住宅計践の復活だと、私は思っておりま 京都の東京大都市閣の住宅・宅地事情の逼 ているとか、あるいは埋立てまたは掘り込 らすための土地利用計画へ、いまで言えば たわけであります。 みで港湾を作る場合の、いちばん港湾予定 す 。 そういった命題から、既存の市街地と山岳 地に接した場所といった所を、必要な面積 の当時としてはかなり大きな価値観の変換 極めてわかりきったことでありますが、あ 通勤距離にある所に、業種ごとに働く人数 用地を作っていきます。その工業用地から 美聞を合もうが、一向に意に介せず、工業 とする。その地域の中に、集落があろうが、 京都大学の巽先生が指導されまして、大阪 こちで議論されました。とりわけ関西で、 体の住宅計画といったような概念が、あち 四0年代半ばから五0年代になって、自治 があったわけであります。さて、それ以降、 意味はないわけであります。ところが、住 た以上、それが現実に実施可能でなければ 善とか供給計画というのは、計画を策定し ります。と市中しますのは、住宅・宅地の改 りますが、一函難しい点があると思ってお それで、私自身、非常に期待は持ってお だけ線引きいたしまして、そこを工業用地 を計算し、その人たちが住むに必要と思わ 活の最も基本的なべ l ス に 公 共 が 介 入 す る 出すといいますか、私的財産制度、私的生 テムの矛盾を作り出すといいますか、醸し してくるということは、基本的に社会シス 思っております。そこに公共が供給に介入 は、私的なものの最も私的なものだと私は 済といいましょうか、自由、主義経済の下で 宅というのは、わが国のような資本主義経 画の中で、どのような形で解決されて、自 世田谷区といった、地方公共団体の行政区 思いませんし、ましてや東京都、あるいは これは、必ずしもすんなりと両立するとは は、必要だということになると思います。 ういった住宅・宅地供給システムというの しいが、現実の効率性から考えますと、そ 供給に公共が介入するのは、基本的におか 思います。つまり、端的に言えば、住宅の ていくほうが、これがどうもよさそうだと 話していただきたいのですが。 すので、そのところについて、もう少しお ちになっていらっしゃる方が多いと思いま 節機能﹂ということについて、関心をお持 前回次に横山先生のお話の中の﹁自己調 いということになります。 赤になって、いつまでたっても発進できな やっていくよりも、公共、あるいは民間の 宅・宅地問題を解決する上で、ばらばらに システムがより能率的、合理的である。住 また、ある程度まとまって住宅を供給する 入が必要だということが出てまいります。 ようなことを始めといたしまして、公共介 をしないと、高層住宅は建たないといった いりますと、住宅地整備に必要な道路整備 一方、このような高密度社会になってま わが国の場合はそうではない。 をみる責任が一 OO%あると思うのですが、 して住宅は、固といいますか、公共が面倒 るわけであります。そうなりますと、徹底 といったように、全部国でコントロールす 海の大学を出たけれど、広州で勤めなさい﹂ 卒業生は、すべて就職先を﹁お前さんは上 私が知っているソ速や中国の場合、大学の ちに発進する。ウロウロしていると、全部 の前の信号が、ちょっとでも青になれば直 たちは勇敢だと申しましたが、ともかく目 て次の段階に向かう。先ほど私は関西の人 す。手掛かりがあれば、それを突破口とし 枠組みからシステムを設計して、実施に移 しかし、常に仮の案でもやむを得ないから、 が、地区計画制度適用は、はなはだ難しい。 地区計画制度を適用してと言っております 東京都が、難問題に挑戦するときは、必ず れはいろいろな場合、つまり政府あるいは うのは、たとえば地区計画制度の適用、こ すが、やはりなかなか難しい。難しいとい 数年前からこの問題に取り組んでおられま いくつかの匹、たとえば世田谷区辺りは、 は済まないのではないかと考えております。 ろうかと考えますと、なかなか事は簡単に 治体供給計画として有効に機能できるであ ないから困るということが、最初は言われ が起きる、あるいは、高に品物が搬入でき だろう。ああいうものができると交通障害 座とか新宿の歩行者天国も同じようなもの ど霞が関ピルの話をしましたが、たぶん銀 分でちゃんとアジャストしてくれる。先ほ 都市は白己調節をするから、境界条件を自 界条件を考えなくていい理由というのは、 くていいんだという乱暴な考え方です。境 うことで、そのときには境界条件を考えな かの小さなプロジェクトを入れていくとい ブローチというのが、既存の都市の中に何 に理解しております。そのミニプラン・ア ラン・アプローチというのが出てきたよう ランなど描けないということから、ミニプ れだけ複雑な都市というものにマスタープ り立たない時代であるということです。こ 横山現在はマスタープランというのは成 自己調節機能がうまく働く 健康な都市への転換を ことであるわけです。社会主義国の場合、 ということで、そもそも基本的におかしな 企業の手で、まとまったシステムで供給し 用しようという考え方なのですが、いつも ふうにアジャストする。そういうものを信 れておくとか、近寄らないとか、そういう たわけですが、そうであったら前の臼に入 けです。ちょうどその頃私は、ボストン市 やっていいのだろうかと見度しを始めたわ をストップさせて、いったいこんなことを っ切っていく計画があったのですが、それ ら来るインターステート9 3というのが突 分野で、自由化ということが進んでいるか があると思います。なぜ、いまいろいろな と見えない形で壊してしまう、ということ ルな形で壊してしまうのではなくて、もっ ういう調節機能を壊してしまう。フィジカ もう一つは、規制というものが、またそ 的に自己最適化をやっていくという仕組み 内に入って来る道にある黒人のコミュニテ こういうふうに、自己調節機能を壊して であるはずです。その極眼にいくと、独禁 いつも本当に自己調節機能‘が効くのだろう だ﹂というのが、彼らの質問だったのです。 しまうものというのが、たくさんあるので 法に抵触するような世界がくるから、そこ かというと、そうもいかない。そんなに甘 私はキョトンとして、そんなに馬鹿なのか ーはなかろうか。なぜそういうことが起こる でちょっと抑えを入れておけば、ある程度 というと、要するに官僚の頭の中で、すべ なと思ったわけです。彼らは、パリは全部 かというと、意識の低さがそうさせるので 自己調節をしてしまう。非常にシステム・ ィの人たちと一緒に反対運動をやったので 切り通しでやるんだというわけです。﹁そう はないかと思います。最近の豊かさが非常 トータルとしては、効率がよくなるという くはないということも事実です。 すると時間がかかるでしょう﹂と言います に幸せだと思うのは、やはり電柱は醜いと のが、市場メカニズムであるはずです。で ての辻接を合わせることができなくなった と、﹁時間はかかってもいい、切り通しでな いうことが、はっきりと認識され始めてい すから、そういうものへ転換するという前 すが。それをやっているときに、いかにハ ければいけない﹂と言うのです。東京は、 るし、日本橋のほうも一冗の川に戻したらど 提であれば、もう一回自己調節機能という 私が大学にいるころ、ちょうど東京で首 あれよあれよという聞に、苦都高速という うかという、そういう意識が山山てきた。わ ものが、本当に働くことになるであろう。 のだと思います。だから自由化させる。要 ものを造り上げましたが、その悪影響は今、 れわれの意識の低さ、貧しさによって、そ ところが実際は、非常にお節介な人が多い イウエーというのはよくなかったか、とい いろいろなところで出ていると思います。 ういうメカニズムを壊してしまっている、 ですから、よかれと思う余計な規制を入れ 都高速が建設中でした。パリの土木学校の また、ボストンにおりますときに、デュカ という部分がかなりあったように思います。 てしまう、というのが実態ではないかと思 するに、市場のメカニズムに任せたほ、つが キスの前の知事、サージヤントという人が、 ですから何でもやっていいよ、自己調節を うのです。それも自己調節機能を壊してい う議論がいろいろな所で巻き起こっている 土木部門から知事になって、自分はいろい してくれるよと、楽観はできないだろうと る、と考えてもいいと思います。 生徒さんが来まして、いろいろ話をじたの ろな形でハイウエ iを造ってきたけれど、 思いますが、基本的には、健康な都市はそ いい。市場のメカニズムというのは、基本 あれはいけなかったのではないだろうかと ういうものを持っているということをいい ことを知りました。 いうことで、見宜しの作業を始めたことが たかった訳です。 ですが、﹁なぜあんな馬鹿なものを造るん あります。ボストンの市内を、 フロリダか 空中へ、地中へ 立体居住の必然性 このへんが、 川上先生がおっしゃって 空中にという、ある意味では水平のインフ う方向から、今度は上下の方向に伸ぴてい に沿って横の方にスプロi ルしていくとい 尾島確かに都市は、何となく自然の流れ す 。 う少しお話をいただきたいと思っておりま 現に対して、どう考えておられるのか、も す。特に高密度社会の場合の密閉空間の出 のは、人工的な意味合いが強いかと思いま 間﹂の出現がありました。密関空間という という話がありましたが、それが良いか惑 話の中で、おしつこの話とか、自立が遅れる ていないわけです。先ほどの川上先生のお たこ五年の歴史しかない、まだ一世代を経 居住を可能にし始めて、日本ではまだたっ 特に上空へ伸びていくという方向で、立体 障されるようになりました。しかし空間、 空中でもある種の居住環境が、社会的に保 ある段階から区分所有法などが生まれて、 最も安心できる自然資本である。しかし、 基本的には、地表面というのは安全で、 れを裏付けるように、アーバン・コンプレ 市の拡大よりは、経済的には成り立つ。そ は、いまスプロ l ルし続けている水平の都 空間の開発というのが生まれてくる。それ ると、大規模な空中空間と、大規模な地下 もっと豊かな空間を生み出していこうとす 大きな空間を生み出していこう、あるいは 思うのです。否応なく都心の中で、もっと 市のペントハウス構想などもその一環だと っと立体的な都市空間が生まれてくる。都 あり方が、垂直方向にも動いたときに、も とか、道路といわれている公共的な投資の ラストラクチャーに対して、垂直のインフ く、あるいは立体的な街づくりの方向に動 いかの判断は、これからだと思っています。 ックスとか、アーバン・マネージメントの ラストラクチャーというのができていくで いている感じがするわけです。スプロ l ル いずれにしましでも、地に足が着かない状 制度によって、公共空間と私空間との相立 いる超高密度社会症候群を楽付ける、ある の背景としては、むしろ宅地開発が儲かる 態で居住環境が生まれて、そこで生まれて 乗り入れの中で、そういった制度を裏付け いはそういった傾向が出てきた背景だと思 から鉄道ができていくという、都市の本来 そこで生を終わる人も出始めるでしょう。 る方向にいま世の中が動いてきているわけ しょう。公共公益事業とか、あるいは国道 の発展とは違う論理が先行して水平に伸ぴ それを一一言で密閉社会として否定してしま です。 うのです。 ていくインフラストラクチャーの可能性が っていいか。 前田尾烏先生にお伺いしたい点は、超高 いままであったわけです。 として都市が、否応なく立体的な方向に動 によるところもあると思うのですが、結果 況になってきた。これは、技術革新の成果 が、場合によっては採算が合う、という状 投資でもいいから垂直方向につくったほう もうその限界が見えてきた。むしろ民間の できてきた。その結果として、当然地下に、 大地への開発というものが、裏腹の関係で 限りない開発と、ジオフロント、地中への、 れていくということで、スカイフロントの が必要になりますから、地下空間も開発さ 伸びるほど、それを支えるための地下施設 上へ伸びていく。同時に、上へ伸びれば 長くいるようになり、 地表空間が公園だと 間が長くなり、そして地中にも地表よりは か、地表にいる時間よりも、空中にいる時 動くと思うのです。人聞は、地盤面という る都市基盤整備が造られる、という方向で に生活基盤が築かれて、地中にそれを支え その結果として、どちらかというと空中 しかしながら、宅地開発も一段落して、 密度社会症候群という一言葉の中で﹁密関空 き 描くとすれば、そんな形になっていくだろ な都心毘住の未来のグランド・デザインを か繰などの自然に開放されていく。高密度 という質問がございました。 を作るということそのものはどうなのか、 るこの時代に、東京のグランド・デザイン 見には向感であるが、地価高騰が続いてい ランド・デザインが必要だ、という私の意 な、白らの資産価値を作り上げていく時代 ロパティ・インブルiブメントというよう 初めて東京に、われわれの生活の中に、プ 大きな魅力ですが、それが止まった段階で、 騰が続いているということ自体は、東京の もう少しその辺は議論したいところだと思 能性がある。それを症候群というならば、 に高度な都市を使いこなす人になり得る可 発育は、連れるかもしれないけれど、巧み 実はおしつこが少しできないかもしれない、 そういった空関を使いこなせる人たちが、 りロンドン、パリの人の方が実にうまい。 都市の使いこなし方という点では東京人よ ていますが、そのマシンの乗りこなし方、 は、都市というのは一つのマシンだと思っ 社会に生活する人たちの都市の使い方。私 やはり、ある程度の成熟した社会、ある ういう意味では東京は開発途上都市だった。 こんな時代がいままでの g本であって、そ 資源を消耗しながらも儲かる時代であった。 ていく。パージン材をどんどん使い続け、 とも壊してゴミにしながら、また造り変え 家の価値を高めることはしないで、家もろ 済でもってどんどん儲かっていく。自分の 産価値を高める努力をしなくても、外部経 じるのです。とにかく、自分自身で家の資 したが、私はそれに何かつながるものを感 ティ・インブル lブメントのお話がありま す。先程、横山先生のお話の中で、プロパ った。しかし、もうそれは眼界だと思いま ド・デザインを作る必要はなかった時代だ た都市ともいえるわけで、それは、グラン あるいは、地球環境を破壊しながら成長し をやっても儲かるから、動き続けてきた。 たしていく合意が必要だと思います。倫理 すが、それと向持に地球社会への義務を果 豊かさへの権利を私たちは獲得しておりま 権利と義務の関係だと思うのですが、いま であります。自由と規律の言葉を裏返せば、 ありました。私は、これに対して全く向感 の合意が必要ではないか、というご意見が スタイルの中での自由と規律への、最低限 iドな面ということを作る以前に、ライフ もうひとつ生駒さんから、そういったハ しているわけです。 では東京は、開発途上にあるという感じが まるということで、まだまだそういう意味 れからまた自分の内的な世界との葛藤が始 五O年から百年はかかるのではないか。そ いている。しかしそれを作るだけで、まだ 東京でグランド・デザインを作る時は近づ で考えております。したがって、そろそろ 安定後の東京の世界ではないか。こんな形 がくる。それは、ある意味では成熟社会、 います。 いはさらに成熟させるためには、自分でそ 綱領なりあるいは開発の基本的な考え方、 お答えしますと、東京はフロ i の中で仰 うと思えるのです。 その場合に、人間がそこで住みこなせる 前回ご参加の皆様から、かなりのご意見、 れを改良し、資産価値を付けていくという そういったことがあってのグランド・デザ かどうかという開題は残ります。超高密度 ご質問をいただきました。まずは笠間をい 時代にならなければならない。したがって、 インというのが必要だということに対して 清水建設の生駒さんから東京にはグ 地球社会への義務を果たすうえでの グランド@デザインが必要 で、討論を進めさせていただきます。 賛疑応答 ただいた方に対してお答えをするという形 先ほどの横山先生のお話のように、地価高 尾嘉 いうお話がありました。一方で、国際的に んできた人たちが住みにくくなっていると 横山先ほどから、都心に、昔ながらに住 ただきます。 間についての話、横山先生にお答えしてい いています。どういう人が住むかという人 前田次に、野口さんからご質問をいただ デザイナーに作業用の服装をデザインさせ そうという発想をしても、ファッション・ きつい)産業といわれている。一一一Kをなく いま建設業は一一一K (きけん、きたない、 うふうな問題がいろいろなところである。 達、っ。中産階級と低所得者は違う。そうい って、下町の人たちの生活感覚と、山子は 要するにいろいろな価値観というものがあ これが低所得者用の住宅の問題であると。 います。 のを、はっきりつかんでいただけたらと思 めて、生活の価値観、生活感覚みたいなも 倶すると同時に、子育て、高齢の問題を含 のではないだろうか。そういったことを危 る、ということを前提に住宅を考えている として妻に奉仕され、全部サービスを受け てはおられないだろうか。男は当然のこと いうものを抽象的に想定して住宅像を考え と小さい子供という、いわゆる標準家庭と 本もその徴候がありますが、要するに夫婦 いうのはいろいろなライフスタイルになっ 活躍するパンカ!とか何とかがいろいろ増 て、ファッションショーをやるような、中 横山まさにおっしゃるとおりだと思うの 住宅というのは切妻型の屋根がついている り世界的にも広がっている事象ではないか えてきている。この落差というのは、かな 産賠級的発想では、何も解決しない。現場 です。ただそのへんの生活感覚というのは、 は、全く向感であります。 と思います。ニューヨークの銀行家と東京 で働く人たちは、汚れているときには汚れ てくるのではないだろうかとおっしゃいま の銀行家のほうが、ニューヨークの銀行家 た格好をしていていい。そのかわり、ひと 日本の若い人も本当に変わっているのだろ べきものであり、そういうものにいままで とオクラホマの農夫よりも、話題にも共通 風呂あぴればパリッとして、どこかへ飲み うか。いわゆるヤッピ!とかデインクスと したけれども、実際の世祷構造なども、ア 点が多いという時代。どっちがお金を持っ に行ってしまう。それが望ましい生活なわ かといういい方をされるけれども、本当に 住んだことがないのだから、そういうもの ているかというと、銀行家のほうがお金を けです。建築家というのは大体中産階級で そういう人達がいるのだろうか。まだまだ、 メリカのほうは変わってきていますし、日 持っている。それで昔ながら住んでいた人 すから中産階級的な発想でものを見ている。 男はどんな年齢であっても、いまおっしゃ に住みたいのが自分たちの願いだ。そして たちは、だんだんとどこかへ行かなければ いまわれわれがこういう議論をしている中 どういう人が、どういうスタイルで 都心に住むのか ならなくなる。これはどこででも起こって ったような生活感覚が非常に強いのではな 太田(東洋大)いまの議論の続きになる にも、そういう発想でしかものを見ていな はなりませんけれども、もう一度問題とし のですが、同じ観点で、郊外の中産階級的 いか、というのが私の実感です。 超高層住宅を設計したときに、﹁これは住宅 て提起したいと思います。 団地のイメージをまた銀座あるいは千代田 いというところはないでしょうか。答えに ではない﹂と入居する人たちに言われまし 野口(京都大)一一戸建てを志向する層と 区へ取り戻すとか、という意味での居住を かつて私がニューヨークで低所得者用の た。非常にしゃれたデザインなのに、住宅 いうのは、五O代 ぐ ら い 以 上 で 、 宥 い 層 と いる問題で、やはり東京でも起こっている。 ではないと言うわけです。なぜかというと、 て、夜間人口を形成しているわけですから、 テル住まいだって、あれは立派に住民とし けで固める町があってもいい。それからホ んでいる場合もある。そういうスタイルだ うことではなくて、老夫婦だけが都心に住 もうひとつは、子供が必ずいるのだとい えてもいいのではないかと思うのです。 生懸命考えるとか、何かそういう対策を考 するとか、そこから住民税を取る方法を一 人 い れ ば 、 そ れ を せ い ぜ い 五O万 人 に 算 定 を少し変えて、五万人だけれども昼間百万 抱えている区なのですから住むという概念 はり畳間人口からすればものすごい人口を 考えていらっしゃるとは思いませんが、や いう状態だと思います。 ことさえ、自治体としてはいまやりたいと したがって手段を選ばず票を集めるという 対する発言権がないということにつながる。 住居空間を提供して、粟を集めないと都に 変な序列争いがあるわけです。また公的な 万の住空間に三万円で住まわせるには、大 かというように、順序があるわけで、三百 して、ノアの洪水の方舟に誰が順番に乗る のかという質問ですが、公的な空間を提供 尾島どんな人が銀座で住もうとしている 生に伺いたいと思います。 どういうことが話されているのか、尾烏先 いろあると思うのです。実際の議論の場で 演出するような都心居住の方法とか、いろ といいます。東京のそれぞれの区を市並み 河原人口が五万人を切ると市になれない い ヲ 令 。 と同じぐらいに、いま深刻な問題になって 民を誰から瀬番に住まわせるかということ 起こっているということです。ですから住 もう政策的な問題に尽きるぐらいに問題が 住環境基盤を作る物理的な開題ではなくて、 くなるはずもない。声も出ない。これは居 た一%しか回収されない。それで足元が良 四百億の区財政と、二桁違うのです。たっ ば中央区などでは、四兆の税金を納めて、 そのぐらいまで話が進んでいます。たとえ 取り戻さないと、自分たちが追い出される。 う桁が違ってきたわけです。納めた税金は に住むべきか、新しい都心族ができてもか られないか。どういうような人たちが都心 谷や大田区に住んでいる人たちが、旦那だ も、同時に行なわれて、たとえばいま世田 何が何でも住民票だけ移そうということ 引っ張ることになるわけですから、大変ま が市になれないということは、全体の足を に格上げをしようというときに、千代田区 ホテルに、住んでいる人を住民としてとらえ まわない。ぜんぜん違うライフスタイルが の議論は、まず、現・在住んでいる人に住み う人に住んでもらうかということについて ずいと思っています。生活像としては、太 銀座、日本橋の人達、いわゆる町衆の考 けは単身赴任で銀座に自分の住民票を移す え方は自治が建前であって、行政におせっ あると思いますし、意図的に外国人をもっ ば昔からの大都市というのは、いろいろな 続けてもらうことに重点をおいて考えられ 田先生のいわれたような議論は、すべて千 民族が、たくさんの言葉を話すというのが かいをされることを嫌ってきた。基本的に ています。この人たちは家賃扶助をしてで ということを事実やっているわけです。し 一つの魅力であった。それからいろいろな は、行政の面倒を見ても自分たちはお世話 もいてもらいたい人たちです。千代田区と とたくさん住まわせるとか、そういうよう 階層の人が逆にいるということ。全部同じ にならない。税金を納めすぎても取り返さ いうのは特別な、業務そのものの町でもあ 代田区の中でも議論されています。どうい ようなライフスタイルの人ばかりが横一線 ない、という姿勢があの人たちの誇りだっ るということもありまして、住宅付置義務 かしそれでは定住ができるはずがない。 に並んでいるのだったら、ぜんぜん都会の たわけです。ところが ここ 、五六 、年、も な議論もあっていいと思うのです。たとえ 意味をなさないとすれば、それを意悶的に 円 U ρ n u て、さまざまなことを申し上げたり、お願 に入って、住民の方、また地権者の方がた 代田区の施策が、ある程度別の意味のイン と接触する機会を何回か持つようになりま 制度では必ずしも問題が解決しないという 二点目ですが、やはり千代田区は自治体 して、そこで話し合っている中で、いま私 いしたりということをしてまいっておりま であるべきである。ですから特殊な位置で がご質問申し上げたところの所有権の問題、 パクトを与えるのではないかということで、 現在住んでおられる方に、続けていてもら あるけれども、自治体として特殊になりた 考え方で、代わりに、オフィスを作った場 うということの他に、やむを得ず出ていっ くないということで、まさに企業の方を含 既得権といいますか、そういう問題が、大 す。総論の段階を過ぎまして、具体的に街 た人たちの中に、都心に職場があり、もう めまして、私どもは百万人の住民をもっ自 きい小さいにかかわらず大きく立ちはだか 大変慎重になっていることも事実です。 一度戻ってきたいという方もたくさんいる 治体という意識を基本的には持ちたいと考 っているような感じがしてならないもので 合に協力金をいただこうとしている。その わけで、そういう人には、どうしても戻っ えております。ただ自治法がある限り、五 すから、これに対して住民の皆さんの合意、 金額は、かなりな金額になると思います。 てきてほしいと思います。 万人の線はどうしてもクリアしたい。 とかデザイナーとか、たくさんいると思い 人たちはお金がある人たちで、弁護士さん 都市型の仕事をしておられる方たち。この てもいてもらわなければいけない。あとは 急の災害を肪ぐための人たちにも、どうし サービスに関係する人たちも必要です。緊 ロi ル さ れ て い る 。 こ れ に あ る 程 度 は ど め 住民が住んでいた地域が企業によってスブ は、千代田、中央、港を中心に、いままで ない。今後も増えないであろう。ただ問題 ましたが、それほど日本の人口は増えてい とで展開してはどうかという御提案もあり 島先生のほうから上へなり、下へというこ 一二点目ですが、都心論につきまして、尾 だから自分の持ち物ではないのだ、私有と って、要するに﹁王様の﹂という意味です。 ﹁真実﹂のリアルではなくて、レアl ルであ という言葉を意味するリアルというのは、 基本的には、リアル・エステート(不動産) りいろいろな形の制約が加えられています。 横山外国の制度では所有に関して、かな えればありがたいと思っています。 らの取り扱い方、その他についてお教、ぇ願 都市を考えていくうえでの先生方のこれか その他、都心のそういう生活を支えるた ます。それから外国人。要するに年とった をかければ、まだまだ共存できる余地はあ めの、看護婦さんとか商庖の人たちとか、 人も若い人も、外国人も日本人も、多様な るのではないかと考えております。 うのが基本的な考えの中にある。そういう いうのは制限されてもしょうがない、とい 人たちが住んでいて、非常に人間くさい、 ということが魅力のある都心の条件です。 松原(千代田区都市整備部)先ほど太田 田中(田中設計事務所)私自身、都心の そういうものを少し工夫して入れられない でうまくいっている国はたくさんあるので、 考え方は現在の日本にはあまりない。それ づくりを直接担当している者として、一二点 居住に対して十年来、細分化された宅地を かという感じはします。 都心の住宅開発を どうやって実現するか ばかり補足してお答えいたします。まず一 統合して再利用しよう、そういうことに対 先生からのご質問に対して、千代田区で街 点ですが、千代閏区の特殊性は、やはり名 する阻害要因、その他制度の問題等につい 宅地についてはまた何々権という権限が 実ともに都心であることです。それから千 てコントロールしている。だからよそにあ をした。買い取るというようにお金を使っ たというのがあります。それによって規制 有権と開発権を分けて、開発権を畏い取っ ます。シアトル市は、農地に関しては、所 してしまうというやり方もあり得ると思い 限をいくつかに分けて、それぞれの規制を 発権とか、空中権とか、いまは未分化の権 ゴチャ混ぜになっている。所有権とか、開 ますけれども、単体レベルでリゾート・オ たりゾl ト・オフィスの実験がなされてい けです。いま熊本とかトマムで、そういっ その可能性をいろいろ考えてみたりするわ 職住遊の街づくりができるのではないかと、 くりを行なえば、職と住と遊が近接した、 があるわけです。そこで業務核都市の街づ 殿場とか、伊東とか、縁盟かなリゾート地 がありまして、古畑圏には軽井沢とか、御 聞には、大宮とか、横浜とか、業務核都市 必ずしも本社機能と呼ばれるものではない。 がやりやすい環境を整備する機能、これは 情報システム部など、要するに営業の前線 ょうが、そこから分離した、教育訓練部、 らの機能、たとえば人事部は本社機能でし かということです。急拡大をしているこれ これらの機能は移転してもよいのではない 能でないものがたくさん入ってきている。 能と漠然と呼ばれている中に、実は本社機 横山先ほど私が申し上げたのは、本社機 やすさの環境を整備する部分というのは、 る制度でいくつかうまくいっているものを、 この場合、企業などの意見は、必ずフェ 本社機能と呼ばないで、いい言葉がないの それがいまゴチャ混ぜになって、本社と称 ース・ツi- フェースという観点からすれ で、私はつい箪隊用語で兵たんという一言葉 フィスを作ると同時に、やはりひとつのシ ば、リゾート・オフィスは逆行するのでは もう少し取り入れてみたらどうか検討する ないか、ということになる。一方アメリカ です。ロジスティックスという言葉は、い を使っているわけです。ロジスティックス するビルの中にいる。だから本社ビルにい 上がってくると思えば、個人的な資産を死 では、保険業を中心として、本社が郊外に まは物流というふうに使われていますが、 ティ!と考えて、情報通信基盤を中心とし 守するというのは当たり前なのです。広く 立地していると聞きますが、だとすれば、 そうではなくて、もうちょっと抽象的な、 価値はあると思います。 いえば、私は開発利益の社会的還元の装置 アメリカではそういった本社機能を郊外と 子で触れないものを供給するという機能だ るのが本社だという定義になってしまうわ を、今後徹底的に開発しなければいけない かリゾート地に移して仕事をするというこ と考えて、そういうものは東京のど真ん中 た基盤整備をする必要があると考えられま と思います。そういう研究は、いろいろな とが可能であるのに、日本ではなぜ企業は にいる必要はない。宣伝広報ぐらいを除い 前回都心は非常に土地の高いところです。 分野で進んでいるということを出申し上げて、 フェース・ツi ・フェースが必要だとおっ てそういうものを外へ出せるのではないか、 けです。そういう新しい機能、前線のやり この間題を終わらせていただきたいと思い しゃるのか。その点、日本とアメリカで仕 ということを言っているわけです。 す 。 ます。 事 の 仕 方 が 違 う の か 。 フ ェ ー ス ・ ッl ・フ また開発をすることによってさらに利益が 三浦(早稲田大)横山先生にお伺いした ェースに対する考え方が達、つのか、その辺 自本ではなぜ業務の地方移転が うまくいかないのか いのですが、先生のご講演の中で、本社機 の実態を横山先生にお聞きしたいのです。 も 大 事 な の で す が 、 毎 日 フ ェ ー ス ・ ツi- フェース・ツi ・フェースは、どの場合 能の移転のお話が山山ました。東京の三OM フェースしなければいけないのと、週に一 回フェース・ツl- フェースをしなければ るのにといった話になってしまうのです。 心の方がたは、こんなに我慢して稼いでい む も の も あ り ま す 。 フ ェ ー ス ・ ツl ・フェ カ月に一回ぐらいやって、あとは電話で済 なことなのですけれども、何か東京の中だ と、都心居住というのは大変面白い、大事 林(群馬大)いまお話を聞いております だと思うのです。あるいはお互いの敬意の どのぐらい視点を変えるかというさじ加減 くバランスして今まで来ている。どちらに っているし、貸し借り関係もお互いにうま ただ大気はつながっているし、水もつなが ースが大事だというのは変わらないと思い けで考えているというか、地方の、その周 持ち加減だと思います。ただ問題は、東京 大都市を支えている地方との 確執も視点にいれた議論を ますが、その頻度というのは、その機能に 囲の人たちの支えがあって、大都市という 首都圏だけで完結していないところに、東 いけないのと、いろいろあるわけです。二 よってバラバラである。だからそれに応じ のは存在するので、そのへんの、周りが都 中で、地球社会の中で支えられない限りは、 て動けばいい。こういうことだと思います。 の供給にしても何にしても、大変都市は身 高効率だと思っている都市づくりが、一気 京の悲劇とか問題点があるのです。東京は 勝手だ、というような受け止め方をしてい に廃嘘と化す可能性があるわけです。そう 市をどう見ているかとか、そういう視点が ジョブ・ディスクリプシヨンがすごくしっ ます。やはり自立して、水、空気、自然、 いう意味で、最大限に白然資本をうまく生 アメリカで、本社機能が郊外に出ている かりしている。日本では、職務分掌規定と ガス、それを自分たちのなるべく狭いとこ かした形での生き残り型の都市づくりとい 関東圏の中で、水だけのやり取りぐらいで いうのは、あるにはあるが見たことがない、 ろで供給しながら生きられるような街でな けれども、まだその段階にはとうてい達し うのをやらなければいけないと思うのです ちょっとわからなかったのです。東京の水 というのが大半です。ある人が抜けたら、 ければ、本当に人聞が快適に住めないので 済むならいいのですけれども、立体的縦型 ほかの人をもってきて、すぐうまく機能す はないか。そういう点の視点も入れて、都 ていない。全く過渡的な段階です。だから 源として群馬は今年は大変雨が少なく、多 るかというと、しないのが日本の組織。だ 市の居住というものを考えるべきではない ケl スが多いという話があるわけですが、 からオフィス・オi トメi ションというの こそ、早くグランド・デザインを描いて、 都市、高密度、こういった都市をつくり続 は日本ではうまくいかないのです。ジョ かという気がいたします。 それが永遠に生き残るような仕組みづくり 分この調子でいきますと、供給ができなく ブ・ディスクリブションがしっかりしてい 尾島いまの地方都市と東京との格差なり というものを、地域の中のバランスだけで これはちょっと仕事のやり方の遠いもある ないと、 オフィス・オートメーションとい 確執なりという問題は、いつも話し合って はなくて、都心に住む人びとの心構え、訓 けていきますと、本当にそれは国際社会の うものはうまくいかないもので、このへん きていると思うのです。問題点はお互いに 練、そういったものをふくめて考えること なる。そういう都市の水のこととか、野菜 が日本の場合、フェース・ッi ・フェース 自分中心に考えますので、おそらく地方都 が非常に大事だと思っているわけです。 グロサクソンの仕事のやり方というのは、 に頼りがちになる原因にもつながっている 市の方がたはそういう意識だし、東京の都 ように思います。アメリカというよりアン でしょう。 くくりの一言をいただきたいと思います。 の先生がたから今日の課題について、締め では、時間が切迫しておりますので、四人 す。貴重なご意見ありがとうございました。 て、いろいろ検討をしていきたいと思いま の中で、お互いに勉強をして、資料を作っ 問題について、多くの方がたの研究、関心 前回そういうことで、今後ともそういう って、できることしか描かないところにや うと描ききれないから、描かない。したが き姿というのが、あるべき姿を描こうと思 その結果、長期的な観点に立った、あるべ にならない。できることしか描かれない。 まりにも近視眼的で、グランド・デザイン 行政の描いておられる計画というのは、あ 多すぎるがゆえに、長期計画等々に関して、 京の場合に、あまりにも多すぎるけれども、 めに、あまりにも信号が多すぎる。特に東 となのですが、都心居住環境を作り出すた ている。それはオープンになるということ 外向きにやってくれ、ということをいわれ ているわけです。ところが実際は、もっと ィがどうだの、レジャーがどうだのと言っ 向きになっていて、自分の生活のクオリテ 気 で 考 え る 必 要 が あ る 。 い ま の B本 人 は 内 に考えないほ、つがいいと思っています。 えますと、住むということをあまり固定的 す。そういうものが広がってくる時代を考 寝てもいるわけです。住民票がないだけで これは住んでいると呼ぶのか呼ばないのか。 それから、外面人というものをもっと本 都心居住を可能にする 法制度への脱皮を はり問題があると思います。 河環今、林先生がおっしゃったとおり東 立たないと思っています。ですから東京お がちゃんとしないと、私どもの議論は成り もっと住めるような工夫というものが必要 外国人も含めて、いろいろなタイプの人が 横山私の考えは太田先生に近いのですが、 らゆるタイプの外国人。金融関係だけでは ほとんど外国人であるということです。あ がおられるのですが、もう日本人は来ない、 らかの形で入ってくる。池袋にお医者さん 東京が最初だろう。そうすると外国人が何 で、オiプ ン に な る の は 、 や は り 日 本 で は よび東京の都心が地方都市の活性化を妨げ だと思うのです。それから住んでいるとい 京と地方との関係がいちばん大切で、そこ ないで、それを助けることができるのかど ると、またいろいろな様相がガラッと変わ ないのです。そういうふうにオープンにな ても、たとえば大手町が本当にトレーダー ってしまうのではないか。こういった姿勢 でいいのではないか。住みついているとい も、街づくりというのは、地元の自治体が だけの街になったら、二四時間都市になる うのは何ぞや、ということももう少し自由 しっかりしないと自己調整装置も働かない を考えると日本人だけで考えているといま うか。ここのところがいちばん大切で難し し、いろいろな地域の問題も解決できない。 わけです。いまうどん麗さんが大手町セン のような話だけれども、ものすごく変わっ っていかねばならない責任がある。そうす 国とか都ではなくて、地元の自治体がどう ターピルにあるけれども、一一時ぐらいで います。 てしまうということもありうるだろうと思 うことばかりではなくて、ホテルでなく したら良いか、それをどう支援するかとい 閉めてしまいますけれども、あれは二四時 ドも要るし、いろいろなサービスがあの辺 に二臨時間必要になります。そうすると 先ほど来、横山先生のいわれた都市 * うことを、もう回この辺で考える必要が ﹁都心居住の行方を探る﹂というこ } I I 上 間やっていないと困るわけです。簡易ベッ いところだと思っています。いずれにして * あると思っています。 尾島 * 紀よりも、それ以降の二五年のほうが変化 ら二五年経ちまして、明治維新からの一世 が入れ替わっているわけです。更にそれか 代当時の都心一二区の居住者層は、昔と大半 けです。それから一位紀たった昭和四0年 に、いわゆる下町、町人衆が住んでいたわ は武家屋敷が多かったそうです。東のほう あったり、旗本麗敷があったり、面積的に と大ざっぱに考えますと、大名の上屋敷が んでいた人たちはどういう人たちだったか ら明治になったころ、いまの都心一二区に住 と考えたわけです。そうしますと、江戸か 京の自己調整力の働いた結果であるのか、 たのですが、いまの都心部の居住状態は東 の自己調整力ということについて考えてい く冷淡に作用しているとしか私には思えな 合には、都市の自己調整機能というのは全 努力をしているのか。しかしそう考えた場 てそういったバランスを保つべく、精一杯 あって、だから公共住宅政策は、何とかし 域社会にとって必要なのだという考え方も バランスがとれた居住者がいることが、地 は、やはり性別、年齢別、職業別に、ある な形で楽しんでいるのではないか。あるい いう人達がわが物顔に都心居住をさまざま るいは子育て階層を追い払いながら、そう い。自己調整機能が作用しまして、老人あ から都心は、けしてゴーストタウンではな も、確かに彼等はいることだけはいる。だ い方をしているかもわからない。だけれど ざいました。(文責/編集部) ってご熱心な討議への参加、ありがとうご 方、またフロアーの皆様方、長時間にわた はないかとさえ思います。パネラ!の先生 けてほしいのは、そういう法律的な世界で ではないかと。私はむしろ自己調整力を付 都心居住地区にもそのままに及んでいるの 度の問題には、まだ農村社会的な規範が、 りましたが、どうも私の感ずるには、法制 中でも、法制度の問題、税制の問題等があ いただいたと存じます。いくつかの質問の 前毘本日の結論を、川上先生におまとめ 国がそもそも東京区部に住めなくなるよ いわけです。 ってもおかしくない。こう考えますと、都 です。そういったものを受けて、東京は自 うな条件を、いまの税制で作っているわけ のスピードは速いですから、ガラガラ変わ と思うわけです。その悩みが、先ほど米伺 己調整機能を喪失しつつあると解釈するか。 市の自己調整機能は作用しているのかな、 っている千代田区や中央一区の行政を担当し 話を承っていると、都心活動層が、少数な 伺か私の患いは千々に乱れます。しかし私 一方、私も一時居住層とか都心活動層と がら着々と楢唱えつつあるのはうまい傾向だ ておられる方の悩みとして出てくるわけで かいうことでお話ししましたが、カタカナ と、そちらに荷担したくなってくるような はいい加減人間ですから、どうも今臼のお 職業というか、夜と金を引つくり返してい 気がするといった所で、私のまとめとさせ す。確かにどんどん減っているわけです。 るというか、われわれのような年ごろの人 ていただきます。 が増えているわけです。それもどんな住ま 間から考えますと、あまり愉快でない階層 * 叫んでの ' ¥ [ i級会。 ド/シンポジウム終 f後、'i'底で│おかれた光't:むを l l ゐ/&t築会総ホーノレを収めた参加者の方々。 もうひとつの家 ドイツの間合町に娘と二人で移り住む 米市脊から一年間(あるいは、もっとて この二0 年 間 、 会 う た び に ケ ン カ の 火 はないだろうが、時間はたっぷりある。 こでの日常となるはずである。容易で しやかでありたいと百姓風にしてみて、 守護神のお札などたてまつり、つつま のが重なってできあがっていく。家の ずつ、過去となっていき、時というも の仕事である。家は、少しずつ、少し ばよい│││私の持論である。 る住宅はハ i ド さ え し っ か り し て い れ ほどあるにしても、である。供給され 私にとってのポストモダン様式を試みる 計同を立てている。小さな古い山本を子 花を散らすことで私の中の米治化な近 家はだんだんわたしに似てくる。ちょ 11 に入れ、編物をしたり、薪割りやペン 代性を気づかせつづけてくれたハンナ 森富山 キ塗りをしながら、少しずつかわたし をはじめ、手助けをしてくれる友人も に犬たちが背中をまるくしてうずくま うど、地雨に散らばった交わらのなか は南仏やバルセロナ近郊、フロリダあ ことではないし、ロケーションとして 季 お り お り の し つ ら い パ フ ォi マンス ノルさんを出入りさせて予を入れ、間 が私にはある。年がら年中、大工のミ そして、家づくりについてのお手本 サントロベの別荘について話ったエッ ﹁葡窃棚﹂と名づけて瓦も冬も通った に ﹂ ちになって犬の寝床ができてゆくよう り、いつのまにか、交わらが犬のかた ァミリータイプのマンション。にも住 することができなかった、だからかフ 核家族という形態にどうしても適応 のだろうか。 さわしい家をどのようにつくっていく そこで、私と私の娘は、私たちにふ らY111と、ベルエ。ホックのパリを女 淡の光沢の涼し気だったことといった カーペットである、そのにぶい茶の濃 泳中り乾かしてつくられた、いわば夏用 机ざわりといったら/-和紙に柿渋を 蔵から組ぎ山山してきた油田(ゆとん)の って、夏時子やすだれとともに父が土 いか。消費スタイルや、記憶やいつか スタイルなど成立しょうがないではな ゃられた商品化社会において、ライフ というものがあいまいなままにうっち 認になっている。しかし、階級や倒人 に対応したソフトな住宅を﹂が、流行 ﹁多緑化した価制観やライフスタイル セーの中の一節である。 ︿宛て先 v 一丁 ι256東 京 都 世 田 谷 区 総 橋4丁目お18 財団法人住宅総合研究財団 すまいろん綴築部﹁ひろば﹂係 * ︿ひろば﹀へのご投稿をお待ちしております。 ﹁伎﹂に関する援案から白頃お感じになって おられることまで、研究者・実務者から市民の 皆さま方の忌憾のないご投稿をお待ちしてお ります(採用文については薄謝進呈)。 原稿用紙︿沼O O字諮問)一一一枚程度。原稿に は住所、氏名、年齢、臨制裁を御記入下さい。 なお、内容を傷つけない範囲で一部手直しさ せていただく場合がありますので、ご諒承下 さい。 (もり・めぐみ/術品開発プランナー) つもりである。 の家。をつくっていく日常を以能する ろである。 多い。まあ、乞う御初待、というとこ たりのほうが望ましいのであるが、た で家族を楽しませてくれた父の住まい そんなことは東京にいてもできない またまいくつかの条件がすでに諮って 方lii梅 雨 明 け 震 が 鳴 り 終 わ る の を 待 み過すことができなかった私にとって、 兄た映附や雑誌の残像としてのライフ コレットが一九二六年から一二年間、 いる南ドイツに落ち着いたのである。 おそらく、そこはひとつの実験場にな エル・コレットの家、つくりコンセプト。 主 人 公 と し て 生 き た シ ド ニ i-ガ フ リ ス タ イ ル ・ イ メi ジなら判仰いて捻てる かつにか近代。を通過してしまった私 ﹁家づくりは、終わることのない無限 るだろう。あまりにも軽がるしく、う 自身におとしまえをつける作業が、そ ~霊童 811 4 d' 一 , .〆 , ι 3いろ , ,、 年間予約購読のお願い 』 3 2 、 ・購読申し込み方法 、, 、 一 購読申し込み方法は次羽例れかにい ιって ,-叫 お願いします。 ・ - 封 の ﹁すまい λム ん ら 購 読申 込 書 ( 振 接 山 周、 ' 、用紙)を利用ずる。 山 氏 名 、 年 令J 住所、 -刻、勤務 ↑ (所属)先 一一 一名 、 所 在 地 ぎ 明 記 し で 郵便切注/ (小額切手 一で 御 願 い し ま す 可 又 は 現 金 同 封 の上申し込 一台。(領収は本誌発送会以てかえ点、色てい 一指送り先を明記して汗きい。 一ただ一 きますので別に帽収書が必要な場合は , 、 一注記じて下さい) 綱 間 グ ル ー プ 予 約 が 必 要 な 場 合 は 人 数ハ 汲ぴ 、 ぐ a r y ‘ 、 、 、 ' ー 号 次, 、 予 集 「 日 ロ ロ 他 、 ー, 業 業 製 ー 産 告 1 1 っ い ま く L n 「 彦 、 のア ~' oqG ¥ '/ e e d 一 ,, 1 ‘ 、 特 ' 民 、 『 一ミ二シンポ, ジウムのお知らせ 一 、 . パ一 ヨ 一 一一 、 ↑ 、 一図 書 室 の ご 利 用 に つ い て す 一 一 ﹁ 女 ま い づ く れ リ に お け る 一 一 一設弘義 と 部 品産業 L に叫する専門図書室とじ 図 書 言 、 ︿ 、 } 、 ﹁ 、守 一 小 専 門 図 書 か か 内 外 の 研 究 論 文 £ 勺太 一 T ¥ 1 デ , 講師 H 資料を姉、えております 。 一,, ﹁ 一 点の また、 、 、 一 r -一本 誌 ︿図書室だ一 よ ルH蔵香川耐介﹀でエ紹介 一岩 下 繁 昭 ( ア テ ア ス 代 表 取 締 役 一 、 ↑ ょ、プに、 一 六 名 の 方 が た‘ ﹁近品目真 一 (集工会慾築都市 、 デ ザ イ ン 研 究 所ゴ でしております⋮ に図書 Y ﹄ d r 、 、 , 、 昭 つ 二〉 自二 , 合わせ下きい。 J 、 , L , 4 e -1 関 室 、 係 長 一 一 , 、 、 d , 、 工 と り e J 、 j , 山す 〈 ー 岩十 . ^, 大 部 ベ' 仁L ま 論 下ま対 野品焦 昌 い、考 ' 繁 い ー談 勝 化 点 宅年 、 ・ ヲ 代 表 取 締 役) J4 1 . ¥ 一 情報-委員をお願いじ、それぞれの方が た¥ 一 ・ ﹁す ま い ろ ん レ の 庖 現 販 売 は 左 記 以 外 に J 一司 会 刈松 林 秀 一 {東京大学建築掌科助教授) 一の関心℃基づいたいず1 7に従 7た 図 書 の 蒐 一 おいては行なっ亡おりません。 、 wJ p 、 一〆 建 築 会 館 資 料 頒 布 所 港 区 芝 f ↑集 活 動 を 行 な っ て おザ 、蔵書の充実に-っと 一 5 l m ・ N却 11 下誌 九孔 一年 寄 ( 一 月 中 刻 刊 ) 一丸特集 一め て お り ま す J 図書目録は 三年 ご と 戸 刊 行 ↑ 電話 (03)ii2 一 。 、J f 一 ︿オまいづぺベノ乏工業製品﹀ に掲戦いたし 一する予定です。 J 南 洋 堂 書 底 千 代 凪区仲間神保町ト幻 ・ i 、 ヶ k AVV)γ 91 1 3 3 8 一寸什 ニ シ ン ポ ジ ヲ ム を 左 記 の 日 程 で 行 な 一 研 究 者 、 実 務 者 の 方 が え ば か り で な く 、、 一 竜 町 汁 叩 ( 、ず 、 一 一います 。ニ 。 名ほ の聡 訟 の席念財意じて ι ︿ 住 ﹀ Jに 関 心 を お 持 ち の 皆 様 の ご 利 用 守 お 一・ 年 間 購 読 料 春 h ・夏 ・秋 ・冬号) ご 乙0 1 0円(送料実) でおハマますので、ご関 心をお持ち の労点ぜひ 一持 ぢ し て お り 去 す 。 詳 し く ザ え 財 団 ま で お 、 v 一 、 , , 加下さ り 。 、 間い A ぃ 。 -k ゎ 吋 下 一ご 参 I6フ子約 の 場 合 は 次 一 一 一・ d おり割引料 可 ー 一 ‘,、 一-- e T 一 金じいたしまホ叩 F ' 一日時一 一泊 丹一七日唱(水)L 一 3火 以 上 二 人 当 り110GO同 ( 送 粍 共 ) i yGO- ・ 1 場所一当財団ぞミナイ室 一 一 6 一 式 以 土 ) ‘lj o o同(送料共) r 、 参 加 ご 希 望 の 方 は 当 財 固 ま で 電 話 でお問い / 一 羽 レ 以 上 , H 1 4 σ 0円 (送料共) ' 、 , 一 、,一 一 ‘, , t . 、 、 ー、 e- r i e ミい ま ,カ の ーー G り < +<ー . :-~畠 ' 戦 j す アイ ー / 、デ 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