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50周年記念インタビュー - 日本証券アナリスト協会
50 周年記念インタビュー (第6回) 武者陵司氏に聞く 50周年記念インタビューの第6回は、1970年代からアナリスト・ストラテジストとして活躍されている武者陵 司氏にお話を伺った。武者氏は、バブル絶頂期に悲観論を唱えた後、2005年にはいち早く中国の台頭をはじめと したグローバリゼーションを背景に強気論に転じるなど、大胆な予想で知られている。協会のセミナー企画委員 として貢献いただいた他、最近もセミナー講師としてたびたび登場いただいている。 当協会参与・50年史編纂担当 塚越孝三 ― アナリストの仕事をされるようになった経 為替・金融市場を分析するストラテジストになら 緯はどのようなものでしたか? れました。これはどうしてですか? 武者 私が証券会社を志望した際には、最初から 武者 昔の日本の証券会社の調査部は、限られた 調 査 を や り た い と の 希 望 を 持 っ て い ま し た。 専門家を育てるのではなく、3年とか4年でどん 1973年に大和証券に入社した時に、幸い調査部 どん担当が変わるのが普通でした。私も若いころ に配属され、その後調査部が独立して研究所にな 企業アナリストでしたが、電機、自動車など経験 り、NYに勤務もしたのですが、その間ずっとア した業種は6~7業種にのぼります。ある分野の ナリストでした。企業調査の部長で大和総研を退 専門家にはなかなかなれないのです。加えて課長 職し、その後ドイツ証券に入ったのもストラテジ くらいになると自分が調べるよりも半分はチーム ストとしてリサーチを行うため、3年前に独立し のマネジメントとなり、だんだん現場から離れる てこの会社を作ったのも、リサーチの仕事を続け 感じになります。私自身はずっと現場でリサーチ るためです。私自身は生涯アナリストを目指して をしたいという意欲が強く、昇進してマネージャ います。 ーにしてもらえるのはうれしいが、やはり調べた なぜ調査部門を希望したかというと、自分の心 い、ものを調べることにこだわっていたのです。 に忠実な仕事ができそうなのが一番大きかったで ところが、マネージャーレベルになると社内で自 すね。もう1つには私自身がものを調べ、背後に 分の調べた結果を発表する機会がない。米国大和 ある真実を探求することが昔から非常に好きだっ 証券ではチーフアナリスト、日本では企業調査第 たこともあります。 2部長という役職でしたが、社内でレポートを書 ― 企業アナリストから出発され、 その後株式・ く立場にないので、アナリストとしてできるのは、 ©日本証券アナリスト協会 2012 87