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転換期を迎えたアイルランド経済 ~住宅バブル崩壊

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転換期を迎えたアイルランド経済 ~住宅バブル崩壊
平成 20 年(2008 年)6 月 26 日
No.2008-7
転換期を迎えたアイルランド経済
~住宅バブル崩壊の影響と新規 EU 加盟国への示唆~
90 年代半ば以降、10 年余りに渡って高成長を続けてきたアイルランド経済が転換
期を迎えている。過熱感のあった住宅市場が調整局面入りしたのに伴い、堅調だった
景気にも陰りがでてきた。足元の住宅市場の落ち込みや新興国との競争激化を克服し、
持続的成長に向かうことができるのか――EU の深化・拡大を背景に高成長を続けき
たアイルランド経済の動向は、中東欧等の新規 EU 加盟国・加盟候補国の経済戦略へ
の示唆にも富んでおり、今後の行方が注目される。
1. アイルランド経済の現状
(1) 10 年以上続いた高成長
EU の小国アイルランドは、90 年代後半、EU 市場統合や経済グローバル化を追い
風に二桁台の高成長を続け、
「ケルトの虎(Celtic Tiger)」と呼ばれた。2000 年代初
頭の IT バブル崩壊後は、世界景気減速の影響で外需の寄与が大幅に縮小したものの、
住宅ブームを背景とする建設投資の拡大が牽引役となって、ユーロ圏平均(2%程度)
を大きく上回る 5%内外の成長率を維持した(第 1 図)。10 年以上続いた高成長は所
得・生活水準の大幅な向上につながり、95 年当時 EU15 カ国中 12 位だったアイルラ
ンドの 1 人当たり GDP は、2007 年にはルクセンブルグに次ぐ第 2 位となっている
(EU の統計局であるユーロスタット算出による購買力平価ベース)
。また、99 年の
ユーロ参加に向けた経済、財政の改革によって、インフレ率の大幅な低下や財政ポジ
ションの改善が進むなど、過去 10 年に渡ってアイルランド経済は相対的に良好なパ
フォーマンスを示してきた。
1
第 1 図:実質 GDP 成長率の長期推移
外需
(前年比寄与度、%)
12
建設投資(住宅以外)
住宅投資
10
実質GDP
8
6
4
2
0
-2
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
(資料)アイルランド中央統計局より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
06
(年)
(2) これまでの高成長の背景
90 年代半ば以降の高成長の背景となった、①豊富で良質な労働力供給、②外資導
入による高付加価値産業の育成(英語圏のメリットを活かして米国ハイテク企業の
EU 市場進出の窓口に)、③ユーロ参加に伴う大幅な金利低下と健全な経済ファンダメ
ンタルズ、などは現在も概ね健在である。
①については、高い人口増加率とアイルランド系移民の還流と中東欧からの移民流
入、女性の労働参加率上昇、ハイテク産業を支える理数系教育充実と進学率上昇、な
どに支えられている。②については、低い法人税率や通信等のインフラ整備を通じて
積極的に外資系企業を誘致した結果、繊維・電気機械産業からコンピュータ・ハード
ウェア、医療機器、化学等のハイテク産業へと比較優位分野がシフトし、90 年代後
半の飛躍的な生産性の上昇につなげることが可能となった。さらに、2000 年代に入
ると、コンピュータ・ソフトウェア産業に加え、世界的なオフショアリングの流れを
利用してコールセンター業務を誘致し、国際金融サービスセンター(IFSC)を創設
して収益性の高い資産運用業務(投資信託やヘッジファンドの管理など)を取り込む
など、製造業から金融・ビジネスサービス産業へのシフトも進んだ。過去 10 年間の
雇用構成の変化を産業別にみると、住宅ブームに沸いた建設業に加え、金融・ビジネ
スサービスやヘルスケアなどの一部のサービス業が、製造業から流出した雇用を吸収
したことがわかる(第 2 図)
。③については、ECB による一元的金融政策がアイルラ
ンドにとって実質的な金融緩和効果を高める格好となった。
2
第 2 図:産業別にみた雇用構成の変化
100%
その他サービス
90%
80%
医療・ヘルスケア
70%
60%
50%
金融・ビジネスサー
ビス
40%
建設業
30%
製造業
20%
10%
農林水産業
0%
1998 年
2007 年
(資料)アイルランド中央統計局より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(3) 高成長を支えた住宅ブームは終焉
アイルランドの住宅ブームの背景には、①移民流入を含む高い人口増加率がもたら
す住宅需要や(第 3 図)、②高成長を背景とする堅調な雇用・所得の拡大といった良
好なファンダメンタルズに加え、③ユーロ参加に伴う大幅な実質金利の低下があった
(第 4 図)
。実質金利の低下に伴い、住宅価格は年率二桁台の伸びが続き、1996 年か
ら 2007 年始めにピークをつけるまでの 11 年間の累計で、名目ベースで 314%、イン
フレ調整後の実質ベースで 270%の上昇を記録した。
第 3 図:人口増加率の推移
3.0
第 4 図:住宅価格と実質金利の推移
(前年比寄与度、%)
40
(前年比、%)
(%)
8
ユーロ参加
2.5
ネット移民流入
自然増
人口増加率
2.0
1.5
30
20
1.0
0.5
0.0
2
0
0
-10
-1.0
-20
-2
-4
97
88
90
92
94
96
98
00
02
04
06
4
10
-0.5
-1.5
6
住宅価格
実質金利〈右目盛〉
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
(注)実質金利は3 カ月物銀行間金利をHICP でデフレートしたもの。
(年)
(資料) Permanent tsb/ESRI House price index 、アイルランド中央統計局等
より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(資料)アイルランド中央統計局より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成 (年)
しかし、2005 年末に ECB が段階的利上げを開始し、住宅ローン金利が上昇を始め
ると、過熱感が強かった住宅市場は 2007 年初めから減速に転じた。他方で、米国サ
ブプライム問題が勃発した。アイルランドの銀行の収益力や財務基盤は強固であり、
運用・貸出基準も総じて保守的なことから、サブプライム関連損失などの直接的影響
は少ない。しかし、中銀の銀行貸出調査(3 カ月ごとに実施、直近は 4 月)によると、
アイルランドでは昨年末以降、住宅ローンのみならず消費者信用などでもユーロ圏平
均以上に貸出基準の厳格化が進んだ(第 5 図)。このため、2008 年第 1 四半期の住宅
完工件数は 2006 年末のピークから 3 割減少し、住宅価格のピークからの下落幅は 4
3
月に 10%を超えた。金融環境の引き締まりもあって、住宅ローン貸出残高の伸びは
急速に鈍化しており、住宅建設許可件数等の先行指標も前年比で二桁台の大幅な減少
を記録している。中期的には上記①の需給要因が下支えになるものの、短期的には住
宅市場の大幅な調整は避けられないものとみられる。
第 5 図:銀行の貸出基準厳格化(中銀調査)
4.0
(回答の平均値)
企業向けローン
3.5
家計(住宅ローン)
家計(消費者信用等)
緩
和
3.0
2.5
2.0
厳
格
化
アイルランド
ユーロ圏
Apr'08
Jan '08
Oct '07
July '07
Apr'08
Jan '08
Oct '07
July '07
Apr'08
Jan '08
Oct '07
July '07
1.5
(注)各銀行が1(厳格化)~5(緩和)の範囲で回答した数値の平均。
(資料)ECB及びアイルランド中銀より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(年/月)
2. 住宅バブル崩壊の影響
(1) 足元は外需・公的需要が下支え
実質 GDP 成長率は、住宅投資の落ち込みをうけて減速したものの、2007 年第 4
四半期も前年比 3.8%と底堅さを保っている(第 6 図)
。個人消費は雇用・所得の伸び
をうけて堅調に推移しており、輸出も IT 関連や化学などを中心に伸びを高めた。拡
張的な財政スタンスを反映して、政府消費も引き続き景気の下支えになっているよう
だ。
第 6 図:実質 GDP 成長率の推移(四半期ベース)
個人消費
総固定資本形成
純輸出
(前年比、%)
12
10
政府支出
在庫投資等
実質GDP
8
6
4
2
0
-2
-4
02
03
04
05
06
07
(資料)アイルランド中央統計局より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(年)
(2) 先行きは住宅バブル崩壊の影響が顕現化
もっとも、先行きについては、住宅市場調整の影響が一段と強まってくる可能性が
大きい。アイルランド経済における住宅投資の依存度はユーロ圏の中で突出して高い。
4
住宅投資の対 GDP 比率は約 14%であり、住宅以外も含めた建設投資全体でみると同
21%に達する(第 7 図)。先進各国の住宅投資のウェイトが概ね 5%程度であるのに
比べると非常に高く、ユーロ圏内(同 6%)でみても 2 番手のスペインが 9%そこそ
こである。今後も過去半年余りの調整ペースが続くと仮定した場合、住宅投資の GDP
比率が住宅市場過熱前の 2002 年頃の水準(GDP 比 8%前後)に戻るまでには、約 1
年半の調整期間を要する。その間、年率約 2%ポイント程度の経済成長率押し下げ要
因になる可能性もある。バブル崩壊後の調整は往々にしてオーバーシュートすること
を考慮すれば、景気のダウンサイドリスクを強めにみておく必要がある。
第 7 図:住宅投資対 GDP 比率の推移
25
(対GDP比、%)
建設投資(住宅を含む)
住宅投資
20
15
10
5
0
95
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
(資料)アイルランド中央統計局より三菱東京 UFJ銀行経済調査室作成
06
(年)
(3) 雇用と個人消費への影響
アイルランドでは、住宅価格下落による個人消費の押し下げ効果、いわゆる逆資産
効果は小さいとの見方が多い(注)。これは、住宅資産を担保とするローンの審査が米
国などに比べて厳しく、利用もまだ限定的であることによるものとみられる(住宅改
修などの使途に限られており、消費に回る部分は少ない)。
(注)例えば、アイルランドの代表的な調査研究機関である The Economic and Social Research
Institute の “Quarterly Economic Commentary (Autumn 2007)” に 掲 載 さ れ た 論 文
“Consumption and House Prices in Ireland” など。
しかし、住宅市場調整に伴う建設業の雇用削減により失業者数が増加に転じるなど、
消費拡大を支えてきた雇用・所得環境には変調の兆しがみられる。建設業は民間雇用
の約 20%を占めており、過去数年の雇用拡大の牽引役でもあっただけに、個人消費
への影響は小さくない。また、足元の月次指標をみると、4 月の小売売上数量は前年
比▲3.1%と 3 カ月連続で前年割れを記録している。住宅関連の消費(家具・照明・
電気製品等)が前年比二桁近い落ち込みなっていることに加え、インフレ加速や景気
見通し悪化をうけて、消費者マインドが歴史的な低水準に切り下がっていることも消
費の圧迫要因になっている(第 8 図)。住宅市場調整、インフレ高進の両面から、個
人消費は当面、低迷を余儀なくされよう。
5
第 8 図:小売売上と消費者マインドの推移
10
(前年比、%)
(D.I.)
15
10
8
5
6
0
4
-5
2
-10
-15
0
-2
小売売上数量
-20
消費者信頼感指数〈右目盛〉
-25
-4
02
03
04
05
06
-30
08
(年)
07
(資料)欧州委員会、アイルランド中央統計局より
三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(4) 外需の先行きにも懸念
アイルランドの輸出が、景気後退が懸念される米国や英国向けを中心として先進国
市場への依存度が高いことも、重石になってくる可能性が高い(第 1 表)
。
第 1 表:輸出相手先の構成(2007 年)
アイルランド
(百万ユーロ)
EU域内・域外合計
EU27
英国
その他EU先進国
中東欧
EU域外
EU以外の欧州
スイス・ノルウェー
ロシア・トルコ他
アフリカ
北米
中南米
中近東
アジア
日本
日本を除くアジア
(参考)先進国
新興国・資源国
88,306
55,994
16,522
37,842
1,630
32,312
4,773
3,821
952
1,062
16,193
1,125
1,123
6,812
1,718
5,094
76,096
10,986
ドイツ
(構成比) (百万ユーロ)
100.0%
63.4%
18.7%
42.9%
1.8%
36.6%
5.4%
4.3%
1.1%
1.2%
18.3%
1.3%
1.3%
7.7%
1.9%
5.8%
86.2%
12.4%
967,829
627,522
64,090
454,743
108,689
340,307
101,935
43,505
58,430
17,518
79,350
20,031
23,576
87,665
13,044
74,621
654,732
302,865
(構成比)
100.0%
64.8%
6.6%
47.0%
11.2%
35.2%
10.5%
4.5%
6.0%
1.8%
8.2%
2.1%
2.4%
9.1%
1.3%
7.7%
67.6%
31.3%
(資料)Eurostatより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
また、中期的な観点からみると、アイルランド経済は所得・生活水準等の面で EU
主要国へのキャッチアップがほぼ終了し、今後は高度成長からより持続的な安定成長
へ向かう転換期を迎えている。そうしたなか懸念されるのは、ユーロ高や賃金上昇、
生産性の伸び鈍化などによる対外競争力の低下である。アイルランドの対外競争力の
変化を、貿易相手先のウェイトや賃金コスト格差を加味した実質実効相場で辿ってみ
ると、2002 年初め頃までは、90 年代後半の生産性の大幅な上昇や 99 年のユーロ誕
生当初の通貨安をうけて競争力の向上が続いたものの、その後は頭打ちとなり、足元
ではユーロ高加速をうけて弱含んで推移している(第 9 図)
。2003 年以降は、貿易収
支の黒字幅が縮小を続けており、外需(純輸出)の成長への寄与も低下している。
6
第 9 図:アイルランドの対外競争力の推移
70
(1999年=100)
競争力向上
対ドル相場
名目実効相場
実質実効相場
80
90
競争力低下
100
110
120
ユーロ高
130
生産性上昇による
単位賃金コスト低下
140
生産性伸び鈍化に
よる単位賃金コス
ト上昇
ユーロ安
150
94
95
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
(注)対ドル相場:98年まではアイルランドポンド、99年以降はユーロ。
実効相場は対主要36カ国。実質実効相場は製造業の単位賃金コストで実質化。
(資料)欧州委員会統計等より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
07
08
(年)
3. 今後の展望と新規 EU 加盟国・候補国への示唆
2008 年のアイルランド経済は、厳しい住宅市場調整の影響により大きく減速する
と予想される。住宅投資の減少は公共インフラ投資や民間設備投資によって一部補わ
れるものの、総固定資本形全体では大幅な成長の押し下げ要因になろう。住宅価格下
落やインフレ加速、雇用情勢悪化の影響から個人消費の伸びも鈍化する公算が大きく、
頼みの外需も、主要相手先である米英の減速を踏まえれば、内需の不振を補うには力
不足だとみられる。アイルランド中銀は、直近の四半期報告で 2008 年の実質 GDP
成長率見通しを 2.4%(前回 3%)としたが、一段の下方修正を余儀なくされる可能
性も否定できない。
もっとも、中期的には、先進国の中では相対的に高めの人口増加率や低い従属人口
比率といった人口動態の強さが、住宅市場や経済成長の支えになろう。景気減速が賃
金抑制やインフレ圧力の低下につながれば、対外競争力の回復も期待できる。2009
年後半頃からは、住宅市場の底打ちや世界経済の回復に伴い、景気も緩やかな持ち直
しに向かうと予想される。
ただし、以上の見通しには、①住宅調整の長期化・深刻化、②米英の大幅な景気悪
化とユーロ高継続、③世界的な金融市場混乱の長期化による信用収縮や金融・ビジネ
スサービスの減速、など多くの下振れリスクがある。住宅関連の税収の落ち込みによ
り、財政収支の黒字幅が 2007 年に対 GDP 比 0.3%まで縮小していることから、財政
出動の余地もあまり残されていない。また、アイルランド経済の強みであった労働市
場についても、構造変化がみられる。従来は、アイルランド系移民の流出・還流があ
る種労働需給の調整弁の働きをしていたのに対し、現在では新規 EU 加盟国等からの
外国人移民の流入が中心となっており、他の西欧諸国が労働力移動への制限を徐々に
撤廃するなかで、今後もアイルランドへの移民流入が続くかには不透明感もある。移
民流入ペースの鈍化や女性の労働参加率の頭打ちなどによって労働力供給が伸び悩
めば、成長の制約要因になる点には注意が必要である。
7
なお、小国・開放経済であるアイルランドの経験と課題は、中東欧等の新規 EU 加
盟国や今後参加が見込まれる加盟候補国の政策運営にとっても示唆が多い。ユーロ参
加後は金融政策を自国の事情に合わせて運営できないため、国内の景気過熱や資産価
格上昇をコントロールするには、財政政策に加えて規制の整備や金融監督の強化など
のミクロの政策が重要である。また、通貨切り下げの選択肢はなくなるため、いった
ん失った対外競争力を回復するには、雇用削減による生産性上昇や実質賃金引き下げ
といった厳しい調整が必要になる。また、新興国との競合を避けるためには、高付加
価値産業へのシフトが不可欠だが、そのためにはハイテク技術や高度な会計・金融知
識を持つ高スキル人材の獲得や育成、成長に見合った交通・情報インフラの整備や公
共サービスの質向上などが求められる。アイルランド経済が足元の住宅市場調整を乗
り切り、安定成長軌道に復帰することができるかは、今後のユーロ圏拡大の試金石に
もなろう。
以
上
(H20.6.24 武南 奈緒美)
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発行:株式会社 三菱東京 UFJ 銀行 経済調査室
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