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佐藤史人 様

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佐藤史人 様
大統領権限をめぐる憲法裁判の展開
現代ロシアにおける権力分立の構造
︱
はじめに
佐
藤
史
人
法裁判所︵以下、
﹁憲法裁判所﹂︶は、その発足直後から、大統領と議会︵人民代議員大会および最高会議︶の﹁正
よってその活動を停止させられるに至った。
は、憲法裁判所と議会の地位を弱め、大統領の地位を強化する方向で、権力分立のバランスを修正した。統治形
﹁憲法違反のクーデタ﹂によって大統領と議会の対立が止揚された経緯を
大統領による﹁立憲主義﹂の否定、
反映し、一九九三年一二月一二日の国民投票によって制定された現行のロシア連邦憲法︵以下、
﹁九三年憲法﹂
︶
(3)
づき憲法違反とする意見を表明した結果、憲法裁判所は、エリツィンのクーデタに抗った代償として、大統領に
当性﹂と﹁合法性﹂をめぐる対立に巻き込まれ、一九九三年九月二二日の大統領令一四〇〇号に対して職権に基
(2)
態としてはいわゆる半大統領制が採用される一方、大統領は憲法によって強大な権限が付与されており、ロシア
481
(1)
憲法裁判所と大統領制は、ともに権力統合原理からの離脱を図り、権力分立原則を確立させるうえでのシンボ
ルと目されつつ、ロシアにおいてほぼ同時期に産声を上げた。しかし、近代立憲主義の守り手となるべき連邦憲
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
司法権は裁判所に属すると定めているため︵第一一八条︶、大統領は宙に浮いた形となっている。
連邦政府、連邦の裁判所の四機関を挙げ、立法権は連邦議会に︵第九四条︶
、執行権は連邦政府に︵第一一〇条︶、
権に分離されて行使される旨を定める一方、第一一条において、連邦の国家権力機関として、大統領、連邦議会、
ただ、大統領を最高公職者にして執行権の長であると定めた以前の憲法とは異なり、九三年憲法における大統
領と権力分立原則の関係は明瞭ではない。九三年憲法は、第一〇条において国家権力が、立法権、執行権、司法
の大統領制は、その実体面に即して、しばしば超大統領制とも称されている。
(4)
九五年に活動を再開した憲法裁判所は、その歴史的背景ゆえに、自らの﹁生き残り﹂のために大統領に対して向
果たしているのかを確認することにある。九四年制定の憲法裁判所法によって新たな法的基礎づけを与えられ、
(6)
本稿の課題は、このような権力分立における大統領の特殊な位置づけが、憲法裁判所の判例を通じ、どの様な
実践的意味を与えられているのか、換言すれば、大統領の権限の憲法適合性が問題となる際に、いかなる機能を
というものである。
て、三権を統合する機能を果たすが、大統領の強力な権限に即してみれば、大統領は事実上執行権の長でもある、
この点について、わが国では、森下敏男氏、竹森正孝氏らが、九三年憲法下の大統領の法的地位を概ね次のよ
うに整理している。すなわち、大統領は、法的には三権のいずれにも属することなく、三権の上ないし、外にあっ
(5)
原則が抱える問題点の一端を明らかにしたい。
判例の分析を通じ、そうした矛盾がどの様な論理で形成されたのかを確認することで、今日のロシアの権力分立
テムが形成され、それは、今日のロシア憲法体制が抱える最大の矛盾にもなっている。本稿では、憲法裁判所の
(8)
けられた申立てのほとんどを退けざるをえなかったが、その結果として、大統領への権限の集中を促す政治シス
(7)
482
法政論集 255 号(2014)
論 説
一.九三年憲法における大統領の位置
︵一︶一九九三年憲法下の権力分立と大統領
権力分立原則と大統領の関係をめぐり、これまでロシアでは様々な解釈が示されてきた。ゴロヴィスチコヴァ
は、そうした解釈を以下の五つの見解に整理する。 大統領は、権力分立の内部に埋め込まれてはいるが、三権
の考えを前提としつつ、その職務が事実上執行権と結びつくことを重視す
○5
のいずれにも属さないとする説、
○1
(9)
三権と並ぶ独自の大統領権力を構成するとする説、 執行権の一部
○4
説に分類されるオクニコフは、第四権にあたる﹁大統
○1
説︶は、大統領を各権力の上に置き、三権に深刻な圧力をもたらすと批判するが、
○4
(10)
における大統領制研究の中心人物の一人であり、上記の
とみなす説、である。ただ、こうした整理もまた、問題の所在を必ずしも明確化しえていない。例えば、ロシア
る説、 権力分立の枠外にあるとする説、
○2
○1
説の例として挙げるオク
○4
る意味はそれほど大きくない。
ニ コ フ と チ ル キ ン の 主 張 に は、 後 述 の よ う に か な り 共 通 す る 内 容 が 含 ま れ て お り、
﹁三権か、四権か﹂を区別す
○1
説を支持するゴロヴィスチコヴァは、同説を採用したからといって、大統領権力を他の権力の上位に置くことに
領権力﹂を認めること︵
○4
はならないと指摘する。このように一見すると対立する両説であるが、彼女が 説と
(11)
て捉えるのかという点であり、これに加えて、以上の把握を大統領の権限行使を正当化する論理として用いるの
483
○3
本稿では、こうした点も踏まえ、三権と大統領の関係に関するロシアの学説を、以下の二つの観点に従って整
理したい。第一が、大統領を執行権に引きつけて理解するのか、あるいは三権の統合・調整機能を担うものとし
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
か、制約の論理として用いるのか、という第二の点も加味することによって、憲法裁判所の判例を分析するため
の枠組として、大統領をめぐる見解を以下の三つのモデルに分類する。
①調整者モデル
第一は、大統領を執行権とは異なる権力の調整者、ある種の統合機能をもつ存在として捉えつつ、そうした理
解を大統領権限の制約の論理として活用する立場である。チルキンは、大統領が実質的には強力な執行権に関
者︵
︶として﹂諸権力の上に立つ点に見出し、大統領の仲裁・統合機能︵
арбитр
арбитражная и объединительная
半 大 統 領 制 の 主 た る 特 質 を、﹁ 他 の 諸 権 力 の 権 限 を そ の 手 に 集 中 す る 者 と し て で は な く、 諸 権 力 に 対 す る 仲 裁
わる権限を有することを認めながらも、大統領を三権のいずれかに結びつけることを否定する。そのうえで、
(12)
する影響力を限定し、政府の自立性を保障しようとする文脈で、大統領の仲裁者としての役割、国家と社会に対
︶に基づき、大統領を控えめな﹁調整者﹂として把握しようとする。オクニコフも、大統領の政府に対
функции
(13)
する統合作用を引き合いに出す。クラスノフもこうした立場を支持しつつ、大統領の特徴として、さらに﹁非政
(14)
これに対し、大統領が、強大な執行権をもつという現実に引きつけて、三権のなかでの大統領の位置づけを確
②執行機関モデル
﹁調整者モデル﹂と名付けておく。
の執行者としての位置づけを否定することで、その権力の制約を図ろうとしており、
本稿ではこのような見解を、
党的性格﹂を付け加えている。このように、憲法学者の一部は、大統領の仲裁機能、統合機能を強調し、大統領
(15)
484
法政論集 255 号(2014)
論 説
定しようとするのが憲法裁判所前長官のバグライである。彼は、大統領が強力な権限を有することで、憲法の権
力構成が︿一+三﹀から︿二+二﹀へ転化していることを重視し、大統領を次のように位置づける。﹁立法権で
も執行権でも裁判権でもない権力というのは、法的に謎めいた権力である。上述のように、憲法によって生み出
されたこの問いへの答えになりうるのは、大統領権力を執行権に含めることのみである。一九九三年憲法の採択
モデルは、大統領は執行権からの分離されることで﹁独裁的権限﹂を手にするとの批判から、現行の憲法体制を
他方で、彼は、大統領の権限については大統領に寛大な態度をとっており、大統領を執行権寄りに理解する彼の
﹂
後の時期、そして他国の経験が示すのは、実務上、この問題がまさにそうした形で解決されたということである。
(16)
弁護するためのアポロギアとしての役割を果たしている。本稿では、大統領を執行権に即して捉えようとするこ
(17)
のような見解を、執行機関モデルと呼ぶことにする。
③統合機関モデル
にも関わらず、本稿が彼らを調整者モデルと区別するのは、彼らが大統領に強力な権限を付与しようとしたから
である。例えば、現行憲法の起草に携わったアレクセーエフとソプチャークは、一九九二年二月に当時の憲法委
員会の草案を批判した際に、大統領を執行権の長として位置づけることを非難するとともに、右の草案が、大統
領を、国家の一体性および統一を体現し、そのすべての部門の調和のとれた活動を保障する国家の調整人・仲裁
(19)
者として、それにふさわしい、しかるべき位置づけを与えていないことを問題視する。彼らが、大統領を執行権
485
(18)
最後に紹介するのは、エリツィンや現行憲法の草案の起草者︵アレクセーエフ、シャフライ、ソプチャークなど︶
が構想したモデルである。彼らは、調整者モデルの場合と同様、大統領を意図的に執行権から分離させた。それ
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
から引き離したのは、一九九二年以降の経済改革の否定的影響に対する責任から大統領を守るという防御的目的
︶規定を憲法に付け加えた。大統領の職務規定は、憲法の第八〇条に列挙されている。同条は、第
функция
(24)
上すべてのもの﹂を憲法規定に盛り込んだと評されているが、彼らは、さらに﹁念のため﹂
、大統領に関する職
統合機関モデルに依拠した現行憲法の起草者は、いかにして大統領に強力な権限を与えようとしたのだろうか。
彼らは、アメリカやフランスの大統領を上回る権限、すなわち、﹁大統領制に関わる実行において存在する事実
︵二︶大統領の地位および職務に関する規定
ではこうした大統領像を、調整者モデルと区別し、統合機関モデルと呼ぶことにする。
(22)
控えめな役割ではなく、三権の上に立ち、それらを統合する積極的な統治者としての役割を期待していた。本稿
な権限をもちうると考えたからでもあった。このように憲法の起草者は、大統領に対し、調整者モデルのような
(21)
によるものであるが、同時に、執行権を自ら率いる大統領制よりも、半大統領制の方が、潜在的に大統領は強大
(20)
﹁公権力の適正な運営と国家の継続性
こうした大統領の位置づけは、共和国大統領を、憲法の尊重の監視者、
ロシア連邦の多内的、対外的代表︵四項︶、の七点にまとめることができる。
国家機関の調整された活動および協力の保障者︵二項︶、︵六︶国家の内外政策の基本方針の決定者︵三項︶
、︵七︶
人および市民の権利および自由の保証人︵二項︶、
︵四︶ロシア連邦の主権、国家的一体性の保護者︵二項︶、
︵五︶
も含めれば、大統領の地位ないし職務は、
︵一︶国家元首︵一項︶、
︵二︶ロシア連邦憲法の保証人︵二項︶
、
︵三︶
一項で大統領に国家元首の地位を与え、第二項においてその職務を列挙する。これに第三項および第四項の規定
務︵
(23)
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法政論集 255 号(2014)
論 説
を確保する﹂ための仲裁者︵ arbitre
︶
、
﹁国の独立、領土の一体性、条約の尊重﹂の守護者︵ garant
︶として位置
︵三︶いわゆる﹁隠された権限﹂
判所において争われることになった。
︶において、かかる手法の是非が憲法裁
うものであり、一九九五年のいわゆるチェチェン事件︵ Чеченское дело
が問題となる場合に、︵一︶から︵七︶のうち適当と思われる規定を援用して、その合憲性の論証に代えるとい
出すための、ある種の﹁打ち出の小槌﹂のような役割を期待した。すなわち、種々の大統領の措置の憲法適合性
この点に関し、九三年憲法の起草者は、第八〇条の職務規定に対し、憲法に明文の根拠のない大統領権限を導き
法上いかなる規範的意味をもつのかという問題が、九三年憲法の運用における最も重大な争点の一つとなった。
づけたフランス第五共和国憲法第五条に対応したものであるが、ロシアでは、この︵一︶から︵七︶の特質が憲
(26)
議会において、それを認めることの是非が論じられていたが、一九九五年七月三一日のチェチェン事件判決は、
(27)
一九九一年にロシアからの分離独立を宣言し、一九九三年憲法制定レファレンダムにも参加しなかったチェ
チェン共和国に対し、一九九四年一二月に本格的な軍事侵攻が開始された︵第一次チェチェン戦争︶。その際に
憲法裁判所がこの問題について初の判断を下す場となった。そのあらましは以下の通りである。
(28)
問題になったのが、大統領による軍隊投入の法的根拠である。憲法には、
国内への軍の投入に関する規定はなく、
487
(25)
上 記 に 述 べ た 憲 法 上 明 文 の 根 拠 を 欠 く 大 統 領 権 限 の 問 題 は、 一 般 に﹁ 隠 さ れ た︵ ほ の め か さ れ た ︶ 権 限 ﹂
︶
︵ 以 下、
﹁暗示的権限﹂
︶と呼ばれ、すでに九三年憲法制定前の憲法協
︵ скрытие (подразумеваемые) полномочия
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
戒厳令と非常事態を定めるのみであったが︵戒厳令または非常事態は、大統領がこれを宣言し、連邦会議の承認
を受けなければならない︶
、戒厳令は国外からの攻撃を対象とするものとされ、非常事態法も自然災害や事故を
想定したものにすぎず、当時は軍隊の国内投入のための法律上の根拠を欠いていた。このような状況のもと、エ
るわけではない﹂と述べ、憲法七一条
号、七八条四項、八〇条二項、八二条、八七条一項、九〇条三項から、
﹁ロ
︶における国家の一体性および憲法秩序の保障は、非常事態または戒厳令を導入した場合にのみ許され
ситуация
裁判所は、憲法の効力が否定され、非合法軍事組織が連邦権力に対立するような﹁異常事態︵ экстраординарная
て非常事態または戒厳令が導入された場合に限られると主張し、憲法裁判所に申立てを行った。しかし、憲法
邦会議は、大統領の一連の措置に反発し、ロシアの領域内での軍の使用が認められるのは、連邦会議の承認を得
委任し、これに基づきロシア連邦軍は一九九四年一二月一一日にチェチェン領内に侵攻した。これに対し、連
リツィン大統領は、大統領令二一六六号において、ロシア連邦政府に対し、軍の使用を含む一連の措置の実施を
(29)
する大統領および政府側の代理人、すなわち、上記の統合機関モデルの担い手の法廷における主張に沿ったもの
軍隊投入権限を導出する際の決め手になったと考えられている。そして、かかる解釈は、シャフライをはじめと
憲法裁判所は、自らが挙げた条文がどの様な論理で上記の権限を正当化するのか、という点については一言も
触れていないが、一般には、憲法第八〇条二項の定める﹁主権、国家的統一性の擁護﹂などの大統領の職務が、
とで、かかる義務を具体化したとされる大統領令に合憲の判断を下した。
(30)
シア連邦の主権、独立、国家の安全および一体性の保護に関する措置を講じる︹大統領の︺義務﹂を導き出すこ
M
の裁判官が少数意見のなかで、︵批判的な文脈で︶この言葉に言及している。
であった。法廷意見は、こうした大統領の権限を指して﹁隠された権限﹂という言葉を用いてはいないが、複数
(31)
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法政論集 255 号(2014)
論 説
この事件で、裁判官の判断は一〇対八に割れ、判決に七名の少数意見が付されるなど、大統領の暗示的権限︵本
件の場合、軍の使用を含む措置を政府に委任する権限︶の評価をめぐって、憲法裁判所の意見は二分された。こ
のうちヴィトルーク、ゾーリキン、コーノノフ、ルチーン、エブゼーエフの各裁判官が暗示的権限を批判する反
対意見を執筆している。例えば、ヴィトルーク裁判官は、暗示的権限は、連邦議会と連邦政府の権限を犠牲にし
て大統領の権限を違法に拡大するものであると指摘し、ゾーリキン裁判官は、暗示的権限を、恣意および専制に
向かうものと位置づけ、ルチーン裁判官は、
﹁法律で禁止されないことはすべて許される﹂という原則の公権力
の活動への適用を批判している。このように、暗示的権限については批判の声も大きかったが、憲法裁判所の多
数意見は、そうした反論を押さえこみ、大統領権限を拡張する新たな﹁法理﹂を憲法解釈の領域に導入すること
に成功したのである。
0
0
0
(33)
0
0
権力分立における大統領の位置づけは、かかる問題を解決するための有力な判断基準になると思われるが、憲法
0
︵三項︶の要請によって決定される﹂と指摘している︵傍点は筆者︶。しかし、ここで提起された権力分立原則の
ならびに大統領令および大統領の命令がロシア連邦の憲法および法律に違反してはならないと定める憲法九〇条
権力分立の原則︵憲法第一〇条︶
裁判所も、チェチェン事件判決において、大統領の暗示的権限の﹁一般的な範囲は、
0
明確化による大統領権限の限界設定という課題は、以下にみるとおり、その後の実務において、それに着手する
多くの機会がありながらも、憲法裁判所によって一貫して回避されていく。
489
(32)
このチェチェン事件を嚆矢として、これ以後、憲法上疑義のある多くの暗示的権限が、憲法裁判所の審査対象
となった。その際に問題となるのが、かかる権限の限界をどの様に画するのかという問題である。この点に関し、
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
二.大統領権限に関する憲法判例の展開
︵一︶大統領令立法
大統領の暗示的権限の限界という点で、最も議論を呼んだのが、大統領令︵ウカース︶による法創造である。
エリツィン大統領は、一九九三年一一月八日に、翌月に国民投票にかける予定の憲法草案に最後の修正を加えた
(34)
ら積極的に立法権を行使する姿勢を示していた。先のチェチェン事件で審査対象となった大統領令は、一般には
九〇条から﹁ロシア連邦憲法および連邦法律の定める権限の範囲において﹂という文言を削除するなど、当初か
(36)
、大統領令に関する憲法第
際に、大統領令が﹁規範的﹂性格を有する旨を書き込んだうえ︵第一一五条第一項︶
(35)
①一九九六年四月三〇日付の判決
項とされた領域を大統領令によって規制することの是非が争われることになった。
ング・ケースであるとはみなされていない。これに対し、一九九六年四月三〇日の判決では、憲法により法律事
︶ではないと考えられているため、同事件は、
大統領の立法権限に関するリーディ
規範的アクト︵ нормативный акт
(37)
が予定したしかるべき立法︵憲法第七七条第一項に基づく連邦構成主体の国家機関の組織に関する一般原則の規
長官の任免、懲戒責任の適用、行政長官の選挙の告示を大統領令によって行うと定めており、大統領令は、憲法
本件の主たる審査対象は、一九九四年一〇月三日の﹁ロシア連邦における執行権の統一的体系の強化に関する
措置についての﹂大統領令一九六九号第二条の憲法適合性であった。同条は、共和国を除く連邦構成主体の行政
(38)
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論 説
制︶の欠如を補うものとして位置づけられたが、国家会議は、かかる事項は連邦法律で規制すべきであるとの立
場から、右の大統領令の憲法適合性について申立てを行った。
︿憲法の保証人﹀
これに対し、憲法裁判所は、憲法八〇条︵二項︶の定める大統領の二つの職務規定、すなわち、
お よ び︿ 国 家 機 関 の 調 整 さ れ た 活 動 お よ び 協 力 の 保 障 ﹀ を 援 用 し つ つ 、
﹁大統領が、立法上の決定を必要とする
問題に関する法規制の空白を埋める大統領令を定めることは、かかる大統領令がロシア連邦憲法及び連邦法律に
抵触せず、その時間的効力が、しかるべき法令が採択されるまでの期間に限られているならば、ロシア連邦憲法
に抵触するものではない﹂と述べ、右の大統領令を合憲とした。
このように、憲法裁判所は、
︵一︶
﹁法規制の空白﹂の存在、および、︵二︶しかるべき法令が制定された場合
の大統領令の失効、という二つの条件を課したうえで、大統領による独立命令の定立を容認したのである。とこ
ろで、右の二条件をみる限り、憲法裁判所は、多くの法令の空白を抱えた体制移行期に焦点を定め、一時的な措
置として大統領による立法を認めたようにみえる。しかし、この点に関しては、右の﹁空白﹂に新たな意味を付
け加えた二〇〇一年六月二五日判決をあわせて参照しなければならない。
②二〇〇一年六月二五日付の判決
割をめぐって矛盾する二つの法令群が存在し、連邦構成主体による年金制度の一律の運用が担保されていないた
めに、国家年金に対する権利の実現に重大な障害が生じ、法の下の平等が脅かされるおそれがある旨を指摘した
491
(39)
本判決は、大統領が連邦法に違反する大統領令を定め、連邦立法府の排他的権限を侵害したとする国家会議議
員の申立てを受けて言い渡されたものである。この事件で、憲法裁判所は、国家年金制度における年金基金の役
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
うえで、国家年金制度を規制する法規範の体系全体に矛盾が生じ、かつ、
﹁連邦立法者が長期にわたりしかるべ
き法令に対して必要な修正を加えない場合には﹂、大統領は、︿国家権力機関の調整された機能および協力の保障﹀
に関する﹁権限﹂および︿人および市民の権利および自由の保護﹀に関する﹁義務﹂に基づき、しかるべき立法
このように、二〇〇一年六月二五日判決は、すでに複数の法律が存在しているが、その規制内容に齟齬がある
場合に、大統領令による﹁法改正﹂が可能であるとの判断を示した。一九九六年四月三〇日判決の示した﹁法規
が施行されるまでのあいだ、大統領令によって法規制を行うことができると判示した。
(40)
︶ではなくなってしまう。
подзаконные акты
着目し、ポスト共産主義諸国において大統領が﹁緩慢な﹂議会の立法における空白を埋めざるをえない場合があ
必ずしも評価は一定ではないが、概ねウカース立法に否定的である。チルキンの場合には、移行期という条件に
て、法律に代わる大統領令を定める権限があると考えるのは、あまりに短絡的であろう﹂。調整者モデルの場合も、
の代わりに活動したりすべきではない。したがって、大統領が例えば連邦議会の対応が緩慢だと考えたからといっ
大統領は、当の国家機関の調整と協力が実現するように努めるべきであって、それに代行したり、そうした機関
ればならない。残念ながら、この重要な点が憲法裁判所の判決においては見過ごされているようである。第二に、
大統領のウカース立法については、すでに九六年四月三〇日の判決において、ルチーン裁判官が次のような反
対意見を述べている。﹁第一に、憲法の保証人としての職務を大統領は、憲法の定める手続に従って行使しなけ
することはできない﹂と定める憲法第九〇条第三項と相容れるものではない。
しかし、かかかる結論は、﹁ロシア連邦大統領の大統領令および命令は、ロシア連邦憲法および連邦法律に違反
改正が可能であるということになれば、大統領令はもはや下位法令︵
制の空白﹂という条件は、本判決において著しく﹁拡張﹂されており、一時的なものにせよ大統領令による法律
(41)
492
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論 説
ることを認めるが、オクニコフの場合は、暗示的権限に批判的なうえ、ウカース立法についても、憲法上の根拠
(44)
︵三︶大統領の準司法的権能
一九九八年に関連する連邦法律の数が約二〇であったのに対し、大統領令の数は約一〇〇にのぼっている。
(46)
働領域、刑事法領域など幅広い分野において制定され、連邦法律の空白を補った。例えば、租税の領域では、
(45)
これに対し、統合機関モデルの観点からすれば、かかる事態は憲法システムが正常に作動していることを意味
することになろう。実際、上記の憲法裁判所の判決に支えられつつ、九〇年代に大統領令は、財政、社会・労
がないとして一蹴している。
(43)
憲 法 は、 連 邦 議 会 が 採 択 し た 法 律 に 対 す る 相 対 的 拒 否 権 を 大 統 領 に 与 え て い る が ︵ 第 一 〇 七 条 第 三 項 ︶
、大統領
はかかる拒否権の行使とは別に、連邦議会が法律の制定手続を遵守しなかったことを理由として、法律への署名
をしばしば拒否してきた。このような大統領の対応につき、憲法裁判所は一九九六年四月二二日の判決において、
憲法第八〇条第二項および第一〇七条第一項を根拠に合憲の判断を下した。すなわち、憲法第一〇七条第一項は、
(47)
大統領に対して﹁採択された連邦法律﹂への署名を要求しているが、立法手続に瑕疵がある場合には﹁採択され
0
0
0
0
た﹂とはいえないから、︿憲法の保証人﹀である大統領は、当該法律に署名することができないため、当該法律
0
を連邦議会に返付しなければならないというのである。
493
(42)
我々は大統領の暗示的権限が立法権に及ぶことを確認したが、他方で、憲法裁判所は、大統領にある種の準司
法的権限をも付与した。この点に関して、第一に挙げられるのが、大統領による法律制定手続の審査権限である。
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
は一九九八年四月六日の判決において判例変更を行い、当該権限を行使することを事実上不可能にした︵法律返
いとされる権限を大統領に付与している。ちなみに、第一の大統領の立法手続の審査権限について、憲法裁判所
とみることができる。また、第二の事例では、政治部門と司法部門を峻別し、政治部門に割り当てるべきではな
第一の事例では、憲法裁判所は、大統領の一方的な判断に基づく法律の返付を認めており、︵最終的な判断権
限は憲法裁判所が留保しているとはいえ︶大統領に対して、議院行為の適法性に関する審査権限を付与している
機関の調整された活動を保障﹀すべき大統領が、かかる役割を代行しなければならないというのである。
て、そうした場合に対応するしかるべき法的メカニズムが存在しない場合には、︿国家元首﹀であり、︿国家権力
判所に代わって政治的機関である連邦会議によって行われることになってしまい、権力分立に抵触する。したがっ
である。仮に、停職に関する判断を連邦会議に委ねるならば、捜査機関の発するアクトの審査が、検察および裁
法的評価を前提とする問題、つまり、選択可能性と解決手段の妥当性の根拠を前提とする問題﹂を審理する機関
のような論理で﹁任免﹂と﹁停職﹂を区別し、大統領の措置を合憲とした。すなわち、連邦会議は、﹁政治的、
検事総長の任免に関する憲法の規定は停職の場合にも準用されるべきであるとする連邦会議の主張を退け、以下
させたことから、大統領のかかる措置の憲法適合性が審査の対象となった。この事件において、憲法裁判所は、
ら、連邦会議は大統領の提案に反して検事総長の解任を認めなかったところ、大統領が一方的に検事総長を停職
。エリツィン大統領周辺の
第二の事例は、大統領を政治部門から区別した一九九九年一二月一日の判決である
政治家の汚職を追及していたスクラートフ検事総長に対して、職権濫用の嫌疑に基づき刑事事件が提起されなが
(48)
準じた機関として広範な権限を振るっているとまではいえないが、それでもなお、憲法裁判所による大統領の位
。したがって、現在、大統領がロシアにおいて司法権に
付 の 条 件 と し て、 返 付 に 関 す る 議 会 の 同 意 を 要 求 し た ︶
(49)
494
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論 説
置づけが、執行府に属する一機関としてのそれをはるかに超えていることは、上記の判決から確認できよう。
三.小括
以上、我々は、主として九〇年代のものを中心に、大統領の権限に関わる判例を概観してきた。ここで、これ
までの検討結果を踏まえつつ、憲法裁判所の示す大統領像について、簡単にまとめておこう。
まず、現在の大統領の地位および権限は、統合機関モデルに従ってデザインされた。大統領は、執行権とは別
個の存在として位置づけられ、三権を調整、統合する広範な権限を与えられるとともに、そのバックアップのメ
カニズムとして、職務規定が憲法のなかに組み込まれた。一方、憲法裁判所は、その判例実務において、統合機
関モデルに基づく大統領像をそのまま受け入れたように思われる。大統領府および政府の見解に倣って暗示的権
限の理論を採用し、かかる概念のもとで、立法権および司法権と関わりを持つ種々の大統領権限が正当化された。
憲法裁判所は、大統領が三権のいずれに属するのか、あるいはいずれにも属さないのか、といったことには言及
せず、事件に応じて、種々の職務規定をカズイスティックに引用するだけであった。ただ、その一方で、暗示的
権 限 を 導 出 す る 際 に、
︿国家機関の調整された活動と協力の保障﹀に関する職務が、特に頻繁に用いられている
ことは注目に値する。かつてシャフライらによって作成され、九三年憲法の原型となった一九九三年四月二五日
495
このように、憲法裁判所の実務は、統合機関モデルに適合するものであったが、他方で、その裁判実務を通じ、
憲法裁判所が権力分立原則と大統領との関係に関するなんらかの法理ないしモデルを構築することはなかった。
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
のいわゆる﹁大統領草案﹂は、大統領を﹁仲裁者﹂
︵ арбитр
︶として位置づけていたが、憲法協議会においてか
の調整された活動および協力の保障﹂という職務のなかに、仲裁者としての大統領像が引き継がれたとみなして
﹁国家権力
かる文言が削除され、現行憲法でもかかる用語が復活することはなかった。しかし、多くの論者が、
(50)
をめぐる状況にも新たな変化が生じた。
期の一・六二倍ともいわれている。しかし同時に、その四三%に違憲の疑いがあるとも言われ、連邦議会を介し
(53)
。
注目すべきは、大統領権限が、大統領令ではなく、連邦法律によって具体化されるようになったことである
二〇〇〇年から二〇〇八年のプーチン政権下で連邦法律によって大統領に付与された新たな権限は、エリツィン
(52)
一九九九年一二月の国家会議選挙において、中央肝いりの﹁統一﹂が、強い連邦構成主体の大統領・行政長官
によって組織された﹁祖国・全ロシア﹂に勝利し、二〇〇〇年にプーチンが大統領に就任すると、大統領の権限
︵一︶二〇〇〇年代の新動向
四.連邦制の再編と大統領権限の変容
ように思われる。
の﹁仲裁者﹂とみなし、それを強力な大統領権限の正当化に用いる統合機関モデルに依拠していたといってよい
いる。こうした点に鑑みれば、九〇年代の憲法裁判所の基本的スタンスは、暗黙のうちにであれ、大統領を三権
(51)
496
法政論集 255 号(2014)
論 説
裁判所への申立ては、このような動向に反比例するかのように減少し、大統領の権限は憲法裁判所において争点
上の﹁改憲﹂が進行する一方、プーチン政権の集権化政策の結果として、中央および地方の国家機関からの憲法
た大統領権限の拡張を、ある論者は﹁ほふく前進型憲法改革﹂と名付けている。このように、立法に基づく事実
(54)
化しにくくなった。二〇〇〇年以降、大統領権限に直接関わる憲法裁判所の判決は、わずかに四つを数えるにす
(55)
ぎない。
ところで、こうした二〇〇〇年代の動向は、前述の暗示的権限の問題とどの様に関わるのだろうか。九〇年代
の判決で問題になったのは、大統領令を通じて具体化された暗示的権限であった︵憲法裁判所は、これを憲法規
定︵第八〇条︶の直接適用として説明する︶。これに対し、暗示的権限の積極的な支持者であるバグライは﹁国
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(57)
極めて予想外の事態において、事実上議会の承認を受け、あるいは憲法の司法解釈に依拠する形で発揮される。﹂
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家元首の職務は、︹憲法に明記された︺権限によって完全に具体化されているわけではない。⋮⋮そうした権限は、
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を前提とする限り、二〇〇〇年代の動向は、暗示的権限という概念の役割の終焉を意味するものではなく、それ
スまで、あえて﹁暗示的権限﹂概念に包摂する必要があるのかは疑問であるが、ともかくも、バグライらの見解
と指摘するなど、彼らは大統領の法律上の権限も﹁暗示的権限﹂の枠組において理解している。このようなケー
(58)
が実現される形式︵大統領令か、法律か︶が変化したにすぎないということになる。
497
(56)
︵傍点は筆者︶と述べている。クラスノフも﹁﹃隠された﹄権限は、連邦法律のなかで定められ︵明示され︶うる﹂
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
︵二︶プーチンの連邦制改革と憲法裁判
二〇〇〇年代に入り、大統領権限に関する憲法裁判所の判決が著しく減少するが、そうしたなかで権力分立と
大統領という枠組から注目されるのが、二〇〇二年と二〇〇五年の二つの判決である。それらは、いずれも、第
一期︵二〇〇〇年から二〇〇四年︶および第二期︵二〇〇四年から二〇〇八年︶のプーチン政権の最重要課題で
あった二次にわたる連邦制改革の核心に触れるものであった。
①連邦干渉制度と二〇〇二年四月四日付の判決
。その一環として、二〇〇〇
二〇〇〇年五月に大統領に就任したプーチンは、ただちに連邦制改革に着手した
年七月二九日に﹁ロシア連邦構成主体の立法︵代表︶機関および執行機関の組織の一般原則に関する﹂法律︵以
(59)
。
が導入された︵以下、これらの制度を総称して﹁連邦干渉制度﹂と呼ぶ︶
(62)
令に適合させる手段としては、連邦大統領は、裁判所が最終的な判断を下すまでのあいだ、連邦構成主体の執行
なのが、︵一︶の首長解職制度に関する判断である。これまで、連邦構成主体の執行機関の定める法令を連邦法
憲法裁判所は、上記の︵一︶から︵三︶の制度は憲法に明文の根拠を持たず、違憲であるとの申立てに対し、
二〇〇二年四月四日の判決において、そのいずれについても合憲の判断を下した。このうち、本稿にとって重要
(63)
(61)
の解散制度︵第九条第四項︶、︵三︶刑事訴追がなされた連邦構成主体の首長の停職制度︵第二九条の一第四項︶
二九条の一第一項乃至第三項、第五項、第六項︶、︵二︶連邦法令に抵触する法令を定めた連邦構成主体立法機関
下、﹁一般原則法﹂︶が改正され、︵一︶連邦の法令に抵触する法令を定めた連邦構成主体の首長の解職制度︵第
(60)
498
法政論集 255 号(2014)
論 説
機関の法令の効力を停止させることができるとする憲法第八五条の定める制度があった。しかし、二〇〇〇年の
一般原則法改正は、さらに踏み込んで、︵一︶首長が連邦憲法、連邦の憲法的法律、連邦法律に違反する法令を
定め、当該違反が裁判所の判決によって確認され、当該判決が確定してから二ヶ月以内に首長がしかるべき措置
をとらない場合、または、︵二︶連邦大統領が憲法第八五条に基づく法令の効力停止措置をとり、首長が二ヶ月
以内にしかるべき措置をとらず、当該問題について裁判所への申立てもなされなかった場合に、連邦大統領は警
告を発し、首長がそれに従わなかった場合に、連邦大統領は首長を解職できるとした。
憲法裁判所は、大統領による首長の解職権限を正当化する論拠として、憲法第八〇条の定める︿国家元首﹀お
よび︿憲法の保証人﹀としての職務を挙げるとともに、連邦の執行機関と連邦構成主体の執行機関が﹁ロシア連
邦の執行権の単一のシステム﹂を構成すると定める憲法第七七条第二項を考慮に入れるべきであると指摘し、あ
わせて大統領と首相がロシア連邦の全領土において連邦の国家機関の権限の行使を保障するとする憲法第七八条
第四項にも言及した。
(65)
記の説明に加えて、司法制度による手続監視のメカニズムが連邦干渉制度に組み込まれていることを補足的な論
拠として挙げた。その際に、裁判所による︵一︶中央と地方の法令の抵触の確認、および、
︵二︶しかるべき是
正措置の欠如の確認、という一般原則法が定める明文の手続に加え、
︵三︶︵二︶の結果に対するしかるべき是正
措置を欠いた結果、﹁憲法上重大な結果﹂、すなわち、人権の重大な侵害、ロシア連邦の主権に対する脅威などの
問題の発生が裁判所によって確認された場合に初めて、首長の解職が可能になると指摘した。これは、憲法裁判
499
(66)
(64)
この判決については、大統領の権限が﹁最も強く守られる﹂ことを明るみにだしたとする批判がある一方で、
憲法裁判所は、大統領の手を縛ったとする評価もある。憲法裁判所は、大統領権限の合憲性を論証する際に、上
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
確かな保障になる﹂ものであるから、当該制度を憲法上容認した時点で、すでに憲法裁判所の判断が十分に政治
の教書演説で認めているように、連邦干渉制度は、﹁存在すること自体が、憲法および連邦法律の明確な執行の
政策を無批判に肯定したといえるかどうかについては意見が分かれている。ただ、プーチン大統領が二〇〇〇年
所が法律にはない新たな要件を付け加えたものと理解されており、本件において憲法裁判所がプーチン大統領の
(67)
二〇〇四年九月一日、北オセチア共和国ベスランにおいてテロリストによる学校占拠事件が発生し多くの人命
が失われると、プーチン大統領は九月一三日に政府拡大会議を開催し、テロとの戦いのための種々の﹁連邦垂直
②﹁首長任命制﹂と二〇〇五年一二月二一日付の判決
的な意味を持ちえたことは間違いない。
(68)
軸﹂強化策を提起した。同年一二月一一日に前述の一般原則法が改正され、連邦構成主体の首長の新たな選出方
(69)
(72)
質的には連邦大統領による首長の任命制であるとみなされた︵以下、
﹁首長任命制﹂。メディアも﹁知事任免制﹂
連邦大統領は議会を解散できるため、同制度は、建前上は連邦構成主体の議会に首長の任命権があるものの、実
候補者提案に基づき、連邦構成主体の議会によって任命される。ちなみに、議会が候補者を二度否決した場合に
法が導入された。新制度によれば、それまで住民の直接選挙によって選出されていた首長は、連邦大統領による
(70)
(74)
判決を言い渡し、一二対六で首長任命制に合憲の判断を下した。この判決でまず注目されるのは、合憲の判断が
(73)
首長公選制が廃止され、新手続に従って首長が任命されると、ロシアの各地から制度改正によって首長選挙の
選挙権を奪われたとする憲法訴願が申立てられた。憲法裁判所は、二〇〇五年一二月二一日にこの問題について
。また、首長任命制の導入に伴い、前述の首長解職制度は早くも廃止されている。
と呼称した︶
(71)
500
法政論集 255 号(2014)
論 説
極めて強引な判例変更を通じて導き出された点である。
首長任命制は、議会による首長の任命という点に限れば、議院内閣制にも親和的である。しかし、この点で憲
法裁判所は一つの難問を抱えていた。一九九六年一月一八日のアルタイ事件判決において、憲法裁判所は、連邦
構成主体の議会による首長の選出は違憲であり、首長は住民の直接選挙で選出しなければならないと判示してい
た法令に基づき、ロシア連邦憲法のあれこれの条文を解釈した結果として、ロシア連邦憲法裁判所によって
たがって、それまでの法制度の枠内で、そしてその時点で存在していた憲法実務のもとで、審査対象となっ
社会的、歴史的条件が発展するなかで、憲法規定を具体化する条文を媒介にして、及ぼすこともできる。し
﹁ロシア連邦憲法の条文はその規制作用を、直接に及ぼすこともできるし、一定の法制度のもとで、しかも、
ために、次のような主張を展開した。
たのである。これに対し憲法裁判所は、二〇〇五年一二月二一日の判決において、自らの以前の法的見解を覆す
(75)
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形成された法的見解︹判例︺は、あれこれの憲法規範の意味、その文言および精神を適切に表現することを
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したうえで、修正され、あるいは変更されうるものである。﹂︵傍点は、筆者︶
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目的として、法制度の変更を含むところの、憲法規範を実現するうえでの具体的な社会的、法的条件を考慮
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た。コーノノフ裁判官は、反対意見のなかでこの点を次のように批判している。
﹁憲法裁判所にとって、同一の対象について自らの見解を根本から変えた理由を説明するのが極めて困難な
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のは明らかだが、我々の見解では、それはそもそも不可能である。ノーマルな論理では上手くいかない。そ
501
(76)
このように、本判決は自らの判例変更を、法律が変われば、憲法の解釈も変わるという論理によって正当化し
ようとしたために、多くの論者から憲法の最高法規性を否定し、立憲主義を損なうものであるとの批判を受け
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
れゆえ、憲法裁判所は極めて曖昧な婉曲表現で、﹃具体的な社会的・法的条件﹄であるとか、﹃社会的、歴史
的条件が発展するなかで﹄であるとか、﹃具体的な各発展段階において憲法の目的を達成する組織的・法的
メカニズムを具体化する権限を有する﹄立法者の全主権といったことに言及したのである。だが、まったく
想像を絶する結論がそれに続く。すなわち、法令を変えることで、あれこれの憲法の条文、さらにはその文
言と精神を変えることができるというのである。いうなれば、憲法裁判所は、憲法の最高法規性、憲法の立
法との関係、憲法の解釈および憲法裁判所の法的見解の範囲に関する一般に受け入れられてきた観念︱それ
は﹃時代精神﹄にあわせて自由に変えうるようだが︱、を完全に変容させてしまうのである。
﹂
一方、本判決において、大統領による首長候補者提案はどの様にして正当化されたのだろうか。憲法裁判所は、
大統領の権限を根拠づけるにあたり、憲法第五条第三項、第七二条第一項第н 号、第七七条、第七八条第二項、
第八〇条第一項、第二号、第八五条を挙げ、大統領が国家元首であることに特に言及するとともに、首長の任命
に関する最終的な決定権限が連邦構成主体の議会に留保されていることを強調した。また、首長の法的地位につ
いて論じた際に、首長が連邦構成主体の執行権の長であり、それゆえに﹁ロシア連邦における執行権の単一のシ
ステムにおける環をなす﹂ことを確認したうえで、次のように指摘している。
﹁ そ の 法 的 地 位 に 基 づ き、 こ の 公
職者︹首長︺は、直接選挙によって選出される国家元首として、ロシア連邦憲法第一九条︵第一項および第二項︶、
第七七条︵第一項︶、第七八条︵第四項︶ならびに第八〇条︵第一項および第二項︶の相互に関連する条文に基
づき、すべての国家権力機関の調和のとれた活動を保障するロシア連邦大統領に、国家権力システムの統一の原
則により直接服従する関係にある﹂。こうした指摘から判断する限り、憲法裁判所は、主に二つ角度から、大統
領の権限を正当化しているようである。第一は、憲法第八〇条の定める大統領の地位・職務規定の活用というこ
502
法政論集 255 号(2014)
論 説
れまでお馴染みの方法であり、第二は、︿首長の連邦大統領への直接の服従﹀という論理である。かかる論理を
正当化するために、憲法裁判所が直接に引くのは、﹁ロシア連邦の連邦構造は、その国家的統一、国家権力体系
の統一、⋮⋮に基礎を置く﹂と定める憲法第五条第三項だが、同時に憲法裁判所は首長が﹁ロシア連邦における
執行権の単一のシステムにおける環をなす﹂ことにも言及しており、憲法裁判所自身はその名を挙げていないも
のの、二〇〇二年四月四日判決とならんで、本判決においても、憲法第七七条第二項が大統領権限を正当化する
うえで重要な役割を果たしているように思われる。
があるため、ここでその点にも付言しておきたい。それは、両者が、いずれも連邦構成主体に政治システムの選
いては共産党をはじめとする野党が優勢であっため、議会による首長の選出は連邦の指導者に不都合であったと
ヴァキャンは、アルタイ事件判決も法的要因ではなく、政治的要因に規定されていたと主張し、当時の地方にお
択の余地を認めず、画一的な制度の採用を要求しているという点である。例えば、モスクワ大学憲法講座長のア
(77)
のニーズに合致した結論が下されており、連邦制のなかで中央および大統領の利益を貫徹させる点では、憲法裁
述べている。このように、アルタイ事件判決ではエリツィン大統領の、首長任命制事件判決ではプーチン大統領
(78)
判所の立場は終始一貫していた。
503
﹁民主的﹂な公選制から、権威主義的な﹁任命制﹂への移行を容認した点で、アルタイ事件
なお、本判決は、
判決と対照的な判決とみなされるきらいがあるが、連邦制という観点からみると、実は両判決には大きな共通点
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
︵三︶小括
プーチン政権下の連邦制改革に関わる以上の判決から注目されるのは、いずれの判決においても、大統領の権
限を正当化する文脈で、憲法第七七条二項が用いられているという点である。第七七条第二項は、
﹁ロシア連邦
の管轄ならびにロシア連邦およびロシア連邦構成主体の共同管轄におけるロシア連邦の権限の範囲内で、連邦の
執行機関およびロシア連邦構成主体の執行機関は、ロシア連邦における執行権の単一のシステムを構成する﹂と
定めている。この﹁単一のシステム﹂概念は、これまで学説、判例によりその意味が十分に明らかにされている
判決はロシアの憲法学者に大きな反響を引き起こしたが、彼らも第七七条第二項と大統領の関係を特に問題には
の位置づけについて踏み込んだ判断を下したと認識しているふしもみられない。また、二〇〇五年一二月二一日
この条文を援用する際に、大統領と執行権の関係に関する特段の注釈を加えることはなく、判決文からは大統領
第七七条第二項の援用という事実は、憲法裁判所によってそれほど深刻に受け止められていない。憲法裁判所が
法第七七条二項を用いることは、大統領モデルの選択にとって重要な意味を持つはずである。しかし、実際には、
モデルを暗黙のうちに執行機関モデルへと転換させたことになる。このように、大統領権限の正当化に際して憲
先に我々は九〇年代の憲法裁判所の判例が基本的には、統合機関モデルに従っていることをみた。その点を踏
まえつつ、同時に右の二〇〇〇年代の判例の論理を考慮するならば、憲法裁判所は二〇〇〇年代に入り、大統領
て執行権に属する機関であるとみなされていることになるはずである、ということを指摘しておきたい。
り、ここでは、かかる条文が大統領権限を正当化する論拠として用いられている以上、大統領は憲法裁判所によっ
とはいえず、この条文を援用することで憲法裁判所が何を主張したいのかは必ずしも明瞭ではないが、さしあた
(79)
504
法政論集 255 号(2014)
論 説
していない。現状では、大統領と権力分立の関係が、独自の問題として意識されないまま、なし崩し的に大統領
が執行権に引きつけて理解されるようになっている。
こうした状況を生み出した背景として、さしあたり以下の二つの事情に注目したい。第一に、憲法裁判所の判
決に第七七条第二項が登場したのは、もっぱら連邦制との関わりで大統領権限を正当化する必要があったからで
あったが、それと時を同じくして、大統領の権限行使のスタイルもまた、大統領の﹁執行機関﹂化を語りうる方
向へと変化していたという点である。何より、二〇〇〇年代に入って連邦議会と大統領の緊張関係が消失するこ
とでウカース立法は影を潜め、大統領は﹁国会会議との緊密な関係のなかで﹂立法発議権の行使するようになっ
た。そうした実務はメドヴェージェフ政権にも引き継がれ、二〇〇九年には、大統領が提案した五五の法案のう
ち四四法案が審理・採択され、そのすべてが連邦法律になっている。かつては暗示的権限によって担われてきた
(81)
シア人の大統領﹂としてのスタンスを維持してきたが、二〇〇七年の下院選挙に際し、プーチン大統領が候補者
リツィン大統領にせよ、プーチン大統領にせよ、これまで大統領は、表面的にであれ、超党派的な﹁すべてのロ
とって看過できない犠牲を払いつつ、外見上は自らの活動を執行権の領域に集中できるようになった。また、エ
(83)
機能が、現在では、明示的権限によって実現されており、大統領は、連邦議会の自立性の喪失という権力分立に
(82)
名簿の筆頭に記載されることで、大統領はより党派化した。執行機関モデルに従って大統領を理解することは、
(84)
今日の権力の運用実態に即した解釈であるともいえ、このような現実が、第七七条二項の援用を疑問なく受け入
れさせる下地になっているように思われる。
505
(80)
第二に考慮すべきは、憲法裁判所が、権力分立と大統領の関係を明確化しないことのもつ現実的意味である。
すでに述べたように憲法裁判所は、九五年のチェチェン事件判決において権力分立原則に基づき大統領の権限の
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
限界を確定するという課題を提起しながら、その後は、大統領と権力分立の関係について、なんらかのモデルを
構築することはなかった。その結果、憲法判例のなかで、大統領は、あるときは三権の中心にあって統合・調整
機能を演じ、また、あるときは執行機関の側へ移動するなど、その時々の必要性に応じて立ち位置を変えてきた。
しかも、それを評価すべきモデルないし基準が存在しないために、かかる流動性とその効果が十分に認識されな
い、という状況が生まれている。すなわち、憲法裁判所は、明確なモデルないし法理の定立を回避し続けること
で、結果として、大統領権限を導出する際の、ある種の﹁柔軟さ﹂を確保しているのである。しかし、権威主義
二〇一一年一二月の国家会議選挙において、統一ロシアは議席占有率を五三%に後退させ、野党は憲法裁判所
に抽象的規範統制の申立てを提起する広範な可能性を回復した。その結果、二〇一二年以降、大統領権限をめぐ
結びにかえて
が、憲法の擁護者としての役割に照らしてふさわしいといえるかどうかは極めて疑わしい。
的な大統領モデルを採用したとも評されるロシアにあって、憲法裁判所がこのような﹁謙譲的﹂態度をとること
(85)
る憲法裁判所の判断が再び示されるようになっている。そのなかには、国家会議選挙とその後の市民の運動の高
(86)
所の活動に質的な変化はみられない。
数は過去最高の三四であった。しかし、そうした憲法裁判所の活動の﹁量﹂的活性化とはうらはらに、憲法裁判
揚を受けて復活した首長公選制に関わる判決も含まれている。憲法裁判所の判決数も増加し、二〇一二年の判決
(87)
506
法政論集 255 号(2014)
論 説
憲法裁判所の活動の質を問う際に、おそらく、その最大の試金石となるのが、本稿が検討の対象とした大統領
権限に関する問題であろう。九三年憲法体制に対しては、それに一定の評価を与える憲法学者すらもが、大統領
の強大な権限の制約を図る立場から種々の憲法改正案を提起しており、このことは、憲法裁判所が、自らの判例
を通じて、
大統領に関する明確なモデルを提示し、
その権限に限界を設定することの必要性を雄弁に物語っている。
相職にあった二〇〇八年から二〇一二年の﹁タンデム体制﹂のような政治的条件が存在する場合には、一定の現
実性をもつ。しかし、憲法が大統領に明文で強力な権限を与え、その結果として、大統領職が政治的に魅力ある
役職であることを勘案するならば、かかるモデルが採用される可能性は全体としてそれほど高くないように思わ
れる。むしろ有望なのは、執行機関モデルに依拠しつつ、それを大統領権限を制約する規範論として再構成する
方向、すなわち、大統領による立法権、司法権への介入を限定し、大統領を執行機関へ純化させることで︵さら
に場合によっては連邦政府、首相の自立性を強調することで︶
、大統領の権限に制約をかける途かもしれない。
注
⑴
憲法裁判所は、一九九〇年一二月の憲法改正および一九九一年五月の憲法裁判所法に基づいて設立された。一方、大統領は、
うな選択肢を採用することもまた、相当の困難を伴うであろう。
しかし、現在のロシアの政治動向、とりわけ近年の憲法裁判所が置かれた状況に鑑みれば、憲法裁判所がそのよ
(89)
一九九一年三月一七日のレファレンダムに基づき、同年四月にまず大統領法が制定され、翌五月の憲法改正によって憲法に盛り込
507
(88)
前述の調整者モデルの採用であろう。
憲法裁判所がかかる作業に着手する際に、選択肢の一つとなりうるのが、
こ の モ デ ル は、
﹁弱い大統領︱強い首相﹂の組み合わせを意味しており、強い政治的権威を有するプーチンが首
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
論 説
まれた。一方、権力分立原則が憲法に明記されるのは、一九九二年四月である。
A. Medushevsky, Russian Constitutionalism: Historical and Contemporary Development, 2006, p. 196.
杉浦一孝﹁ロシア連邦における﹃憲法危機﹄と憲法裁判所﹂名法一五七号︵一九九四年︶一三一頁。
⑵
⑶
例えば、ルチーンとマズロフは、ロシアを超大統領制共和国︵
Головистикова, указ. соч., С. 665.
Окуньков Л. А., Президент Российской Федерации: Конституция и политическая практика, 1996, С. 5.
Головистикова А. Н., Грудцына Л. Ю, Конституционное право России, 2006, С. 664.
конституционное обозрение, No. 1, 2013, С. 42.
Медушевский А., Конституционные принципы 1993 года: формирование, итоги и перспективы реализации// Сравнительное
Alexei Trochev, Judging Russia: Constitutional Court in Russian Politics 1990︱ 2006, 2008, p. 128.
СЗ РФ. 1994. No. 13. Ст. 1447.
所収の竹森正孝の解説がある。
四版︵有信堂、二〇〇九年︶所収の宮地芳範の解説、初宿正典・辻村みよ子編﹃新解説世界憲法集﹄第二版︵三省堂、二〇一〇年︶
ほか、高橋和之編﹃世界憲法集﹄新版︵岩波書店、二〇〇七年︶所収の渋谷謙次郎の解説、阿部照哉・畑博行編﹃世界憲法集﹄第
学出版会、二〇〇三年︶第三第一節﹁法治国家﹂︵大江泰一郎執筆︶、第三条第二節﹁大統領・政府・議会﹂︵竹森正孝執筆︶。この
律文化社、一九九八年︶、森下敏男﹃現代ロシア憲法体制の展開﹄︵信山社、二〇〇一年︶、小森田秋夫編﹃現代ロシア法﹄︵東京大
主な文献として、竹森正孝﹁国家統治機構の組織原理の転換とその再編﹂藤田勇・杉浦一孝編﹃体制転換期ロシアの法改革﹄︵法
В., Указы президента РФ: Основные социальные и правовые характеристки, 2000, С. 196.
︶と呼ぶ。 Лучин В. О., Мазуров А.
суперпрезидентская республикa
⑷
⑸
⑹
⑺
⑻
⑼
⑽
⑾
508
法政論集 255 号(2014)
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
⑿
⒀
⒁
⒂
⒃
⒄
⒅
⒆
⒇
Чиркин В. Е., Президентская власть// Государство и право, No. 5, 1997, С. 16.
Там же, С. 17, 20.
Окуньков Л. А., Президент и правительство (в механизме государственной власти)// Журнал российского права, No. 2, 2001, C. 8︱
10.
︱
Краснов М. А., Шаблинский И. Г., Российская система власти: треугольник с одним углом, 2008, С. 32
34.
Баглай М. В., Конституционное право Российской Федерации, 6-е изд., 2007, С. 150, 152.
Там же, С. 454.
な お、 ド ョ グ テ フ も、 大 統 領 を 三 権 か ら 離 れ つ つ、 執 行 権 に﹁ 近 接 ﹂ し た 存 在 と し て 位 置 づ け て お り、 執 行 機 関 モ デ ル に 立
つ。もっとも、彼はバグライと異なり、後述する大統領の﹁暗示的権限﹂には否定的である。 Дегтев Г. В., Становление и развитие
︱
института президентства в России: теоретико-правоые и конституционные основы, 2005, С. 73
88.
Из иснорий создания Конституции Российской Федерации: Конституционная коммиссия: стенограммы, материалы, докумениы, Т. 3
в к. 3, 2008, С. 697.
Окуньков, указ.
現行憲法において、大統領が執行権の長とされなかった理由についてオクニコフは、厳しい経済改革への批判が高まっていた
九二年から九三年の時期にあって、執行権に対する責任を大統領から政府に転嫁するためであったと説明する。
соч. (2001), C. 7.
Зуйков А., Президент для России: от идеи до Главы 4: ч. 2// Сравнительное конституционное обозрение, No. 4, 2009, C. 36.
509
なお、上記の三モデルのほか、大統領を執行権の一部に含める 説があるが、憲法は連邦政府が執行権を行使すると定め、また、
連邦政府法により連邦政府の長は首相とされているため、同説は解釈上なりたちにくく、
また有力でもないため、本稿では省略する。
○5
論 説
Окуньков Л. А., Некоторые проблемы статуса и полномочий президента и практика конституционного суда// Вестник
憲法第八〇条は次の様に定める。﹁ロシア連邦大統領は、国家元首である︵第一項︶。ロシア連邦大統領は、ロシア連邦憲法な
Конституционного Суда РФ, No. 2, 1997, С. 59.
らびに人および市民の権利および自由の保証人である。ロシア連邦憲法の定める手続に従い、大統領は、ロシア連邦の主権、独立
および国家の一体性の保護に関する措置を講じ、国家機関の調整された活動および協力を保障する︵二項︶。ロシア連邦大統領は、
ロシア連邦憲法および連邦法律に従い、国家の内外の政策の基本方針を決定する︵三項︶。ロシア連邦大統領は、国家元首として、
ロシア連邦を国内および国際関係において代表する︵四項︶。﹂
矢島基美﹁国家元首の﹃仲裁﹄的機能について︱フランス第五共和制憲法の﹃仲裁﹄規定を手がかりとして︱﹂粕屋友介、向
井久了刊行代表﹃現代憲法の理論と現実︱佐藤功先生喜寿記念︱﹄︵青林書院、一九九三年︶三〇〇頁。
См. Лучин В. О., Мазуров А. В., указ. соч., С. 54.
Краснов М. А., Доктрина “подразумеваемых (скрытых) полномочий” главы государства в
な お、 ク ラ ス ノ フ に よ れ ば、 暗 示 的 権 限 は、 ア メ リ カ の 大 統 領 の 執 行 特 権 に 関 す る 裁
Окуньков Л. А., указ. соч. (1997), С. 57.
判実務から取り入れられたものだという。
︱
российской конституционно-правовой практике//Конституционный вестник, No. 2, 2010, С. 72
73.
Комментарий Эбзеева Б. С., Комментарий к постановлениям конституционного
エブゼーエフ裁判官のコメンタールによれば、本件において憲法裁判所は、大統領の﹁義務﹂を引き出すにあたり、﹁隠された︵暗
示された︶権限という理論﹂に依拠したとされる。
︱
суда Российской Федерации, т. 1, 2001, С. 244
245.
СЗ РФ. 1996. No. 33. Ст. 3422.
本件では、このほかに、連邦会議、国家会議の議員、連邦
Поствновление конституционного суда РФ от 31 июля 1995 г. N 10-П.
510
法政論集 255 号(2014)
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
会議の議員によってさらに二つの大統領令と一つの政府決定が申立ての対象とされ、両大統領令については審査の対象外となった
が、政府決定はその一部が違憲とされた。
См. Особое мнение судьи конституционного суда Н. В. Витрука.
Alexei Trochev, Ibid, p. 128.
暗示的権限の概念に限定的ながら有効性を認めるクラスノフも、それが適用される﹁ゾーン﹂を明確にすることが重要である
と指摘する。 Краснов М. А., указ. соч. (2010), С. 74.
クラスノフは、ウカース立法は暗示的権限が最もはっきりと現れた事例であると指摘する。 Там же, С. 75.
Филатов С. А., Плоды правового нигилизма.// Независимая газета. 28 августа 1998.
︱
Окуньков Л. А., уаз. соч. (1997), С. 56
57.
エブゼーエフ裁判官の少数意見によれば、チェチェン事件の法廷意見は、大統領令が規範的アクトであることを認めなかった。
モルシャコーヴァ裁判官も、大統領令二一六六号の規範的性格を否定する。これに対し、ヴィトルーク裁判官、ガジーエフ裁判官、
コーノノフ裁判官は、大統領令に立法的性格があることを認め︵戒厳令でも非常事態でもない﹁異常事態﹂という名の特別法レジー
ムの導入︶、当該大統領令は、憲法上の権利は法律のみが制限しうると定める憲法第五五条第三項に違反するとする。このように、
チェチェン事件判決の射程をめぐっては、憲法裁判所の裁判官のなかでも、その評価に相違がある。
СЗ РФ. 1994. No. 24. Ст. 2598.
Поствновление конституционного суда РФ от 30 апреля 1996 г. N 11-П.
Поствновление конституционного суда РФ от 25 июля 2001 г. N 9-П.
Лучин В. О., Конституция Российской Федерации: Проблемы реализации, 2002, С. 463.
511
論 説
Чиркин В. Е., указ. соч., С. 23.
Окуньков Л. А., указ. соч. (1997), С. 59, 60.
ウカース立法に関する重要判決として、このほかに、連邦制の管轄区分に関する条項に照らして大統領立法の憲法適合性を審
査し、合憲と判示した一九九八年一月九日の森林法典判決があるが、本稿は連邦制を主題とするものではないため、その検討は割
愛する。
См. Лучин В. О., Мазуров А. В., указ. соч., гл. 3.
Alexei Trochev, Ibid, p. 211.
Поствновление конституционного суда РФ от 22 апреля 1996 г. N 10-П.
Поствновление конституционного суда РФ от 1 декабря 1999 г. N 17-П.
一九九六年四月二二日判決は、大統領の一方的な判断による法案の返付を認めていたが、一九九八年四月六日判決では、連邦
議会が大統領の判断を認めた場合に初めて、法案の返付が認められると判示した。 Поствновление конституционного суда РФ от 6
апреля 1998 г. N 11-П.
︱
Зуйков А., указ. соч., С, 37
38.
Чиркин В. Е., указ. соч., С. 20. Окуньков Л. А., указ. соч. (2001), С. 10.
Краснов М. А., указ. соч. (2010), С. 79.
Краснов М. А., Законодательно закрепленные полномочия Президента России: необходимость или сервилизм?//Сравнительное
конституционное обозрение, No. 4, 2011, С. ク
7. ラスノフによれば、立法によって大統領に付与された権限の数は、エリツィン期
︵一九九四年一月一日から一九九九年一二月三一日︶が一六四︵うちクラスノフが違憲とみなす権限は四〇︵二四%︶︶、プーチン
512
法政論集 255 号(2014)
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
期が二六五︵うち違憲とみられる権限は一〇九︵四三%︶︶、メドヴェージェフ期︵二〇一一年五月一〇日まで︶が八三︵うち違憲
とみられる権限が三八︵四六%︶︶である。
Добрынин Н., Федерализм и конституционализм в России: Соотношение, реалиность, конформизм// Право и политика, No. 8, 2006, С.
74︱ 78.
Краснов М. А., Шаблинский И. Г., указ. соч., С. 79.
高等経済学院のクラスノフ教授︵憲法学︶に対する篠田優、阿曽正浩、佐藤史人によるインタビュー︵二〇一二年二月二七日
モスクワ︶。
Баглай М. В., указ. соч., С. 453.
Краснов М. А., указ. соч. (2011), С. 4.
なお、クラスノフによれば、二〇一一年五月一〇日現在で大統領の権限を定
Краснов М. А., Шаблинский И. Г., указ. соч., С. 53.
めた法律が一一六あり、そこに定められた権限は四七三にのぼる。
主なものを挙げれば、本稿が扱った連邦干渉制度導入︵二〇〇〇年七月︶のほか、
連邦管区の設置及び大統領全権代表の配置︵同
年五月︶、連邦会議構成員の選出方法の変更、国家評議会の設置︵同年八月︶がある。二〇〇〇年の連邦制改革の詳細については、
参照、樹神成﹁プーチンの﹃強い国家﹄と連邦制改革﹂ロシア・ユーラシア経済調査資料八二三号︵二〇〇一年︶、同﹁ロシアに
おける連邦制改革と憲法政治﹂ロシア・東欧研究第三〇号︵二〇〇一年︶。
СЗ РФ. 2000. No. 31. Ст. 3205.
連邦干渉制度は、二〇〇〇年七月改正で導入された上述の制度をはじめとした、多様な措置を包括する概念である。詳しくは、
см. Барциц И. Н. Институт федерального вмешательства: потребность в разработке и система мер// Государство и право, No. 5, 2001, С.
23.
513
論 説
こ の サ ハ 共 和 国 議 会 に よ る 申 立 て を 最 後 に、 二 〇 一 一 年 一 二 月 の 国 家 会 議 選 挙 に よ り 野 党 が 抽 象 的 規 範 統 制 の 申 立 権 を 獲 得 す
るまで、国家機関が大統領権限について憲法裁判所へ申立てることはなかった。この点につき、 См. Краснов М. А., Шаблинский И.
Г., указ. соч., С. 97.
なお、本判決には四つの少数意見がある。
Постановление Конституционного Суда РФ от 4 апреля 2002 г. N 8-П.
連邦構成主体議会の解散手続の正当化の論理も、首長解職制のそれとほぼ同一であり、前者における大統領の警告は、憲法第
八〇条第二項の定める、国家機関の調和のとれた機能および協力の保障、および、第七八条四項の定める大統領の連邦の国家権力
の権限行使の保障という二つの機能によって、大統領による議会の解散に関する法案発議権については、憲法第八〇条︵具体的な
職務は明示されていないが、関連する箇所で大統領が憲法の保証人であり、国家機関の調和のとれた機能および協力を保障するこ
とが指摘されている︶および第八五条によって正当化されている。
Краснов М. А., Шаблинский И. Г., указ. соч., С. 97.
ザカトノヴァは、本判決により大統領の権限の行使に﹁三つの障碍﹂︵連邦法令との抵触の裁判所による確認、連邦構成主体の
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514
法政論集 255 号(2014)
国家機関によりしかるべき是正がなされなかった旨の裁判所による確認、是正措置がなされなかったことで重大な結果が発生した
旨の裁判所による確認︶が設けられ、権限の行使が著しく困難になったと指摘し、当該判決は首長の解職をかなり困難なものにし
たとのバグライ長官︵当時︶の発言を好意的に紹介している。 Закатнова А., Три барьера для Путина// Независимая газета, 5 аплеря
ヴィトルーク裁判官も、少数意見のなかで、各段階で裁判手続を踏むことを考慮すれば、当該手続の実施は困難で時間がか
2002.
かり、実際に適用されるとは思えず、無意味であると指摘する︵したがってビトルークによれば、当該手続は民主的法治国家原則
См. Особое мнение судьи Конституционного суда РФ Н. В. Витрука.
0
に違反するという︶。
二〇〇〇年七月二九日改正一般原則法は、第三条の一第二項において以下の様に定めている。﹁ロシア連邦憲法、連邦の憲法的
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現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
法律および連邦法律に違反し、人および市民の権利および自由の大規模かつ重大な侵害、ロシア連邦の統一および全体性、ロシア
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Дмитриев Ю. А., Конституционный суд о назначении губернаторов// Право и политика, No. 3, 2006, С. な
5.
れた。詳細については、参照、上野俊彦﹁ロシアにおける連邦制改革︱プーチンからメドヴェージェフへ︱﹂﹃体制転換研究の先
お、連邦大統領による候補者提案の前提となる、連邦大統領に対する候補者の提案手続は、同制度の導入後二度にわたって変更さ
すぎないとの指摘もある。
かし、当該制度はプリマコフ首相の頃から論じられてきたテーマであり、首長任命制とベスラン事件の関係は﹁修辞的﹂なものに
формирования Государственной Думы и органов исполнительной власти субъектов РФ// Журнал российского права, No. 11, 2004, С. し
9.
首 長 任 命 制 導 入 の 根 拠 と し て は、﹁ テ ロ と の 闘 争 ﹂ が 挙 げ ら れ て い る。 См. Хабриева Т. Я., Новые законопроекты о порядке
同法は、二〇〇五年一月一日に施行された。
СЗ РФ. 2005. No. 1. Ст. 25.
Российская Газета, 14 сентявля 2004 г.
По вертикали: Владимир Путин выступил по вопросам государственного управления и укрепления системы безопасности страны//
Послание Президента РФ Федеральному Собранию РФ от 8 июля 2000 г.
の判断は憲法裁判所の権限を踰越するものであると指摘している。
の条件として要求することで、連邦干渉制度の実施のハードルを高めたのである。ヴィトルーク裁判官は、少数意見のなかで、右
法文上明確ではなかった。憲法裁判所は、裁判所による右の﹁結果﹂の有無の判断を、首長の解職および立法機関の解散の手続上
点は、筆者︶。しかし、当該規定の定める、こうした﹁憲法上重大な結果﹂が連邦干渉制度においていかなる意味を有するのかは、
体の国家権力機関が定めるとき、ロシア連邦構成主体の国家権力機関は、ロシア連邦憲法および本法律に基づき、責任を負う﹂︵傍
連邦の安全保障ならびにその防衛能力、ロシア連邦の法的および経済的空間の単一性に対する脅威をもたらす法令を、連邦構成主
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端的議論﹄スラブ・ユーラシア研究報告集二号︵二〇一〇年︶一四︱一七頁。
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論 説
号、第一項の二︶。
新制度の下では、連邦大統領は、首長が職務をしかるべく執行せず、あるいは連邦大統領の信任を失うなどの政治的な理由に
基づいて首長を解任できる︵一般原則法第一九条第一項
Alexei Trochev, Ibid, p. 148.
Постановление Конституционного Суда РФ от 21 декабля 2005 г. N 13-П.
憲法裁判所は、憲法第五条第三項の定める﹁国家権力体系
Постановление Конституционного суда РФ от 18 янваля 1996 г. N 2-П.
の統一性﹂を根拠に、執行権と立法権の相互関係に関する﹁連邦のシェーマ﹂に従う連邦構成主体の義務を導き出し、その具体的
内容として人民権力規定と選挙権、権力分立原則を挙げて、上記の判断を下した。
Добрынин Н. М., Федерализм и конституционализм в России: Соотношение, реалиность, конформизм// Право и политика, 2006, No.
8, С. 74︱ 78. Дмитриев Ю. А., указ. соч., C. 6.
アルタイ事件判決において、ルトキン裁判官は反対意見のなかで、管轄区分の角度からこの問題を検討し、連邦構成主体にお
いて首長を直接選挙で選ぶのか、議会によって選ぶのかは、連邦構成主体が自主的に決定すべき問題であると主張している。前述
のアヴァキャンも同旨の立場である。
Авакьян С. А., Почему « наместники » лучше « баронов » // Российская Федерация Сегодня, No. 24, 2004.
によれば第
Blankenagel
Бланленагель А., Концепция единой системы исполнителной власти, часть 2 статьн 77 Коституции Российской Федерации-какая
フンボルト大学の
система, а где единство? // Сравнительное конституционное обозрение, No. 1, 2006, С. 124.
七七条第二項は憲法裁判所により、これまで連邦と構成主体の執行機関の構造の類似性を強調するか、あるいは、内務省などの公
務員の任命における連邦構成主体の関与の是非を判断する際に用いられてきたという。
Зуйков А., Президент для России: от идеи до Главы 4: ч. 1// Сравнительное конституционное обозрение, No. 2, 2009, C. 173.
516
法政論集 255 号(2014)
г
現代ロシアにおける権力分立の構造(佐藤)
Уманская В. П., Тенденции правотворческой деятельности Президента РФ и направления ее совершенствования// Закон, No. 5, 2010,
もっともその対価として、立法過程に対する大統領の﹁干渉﹂がしばしば指摘される。例えば、二〇〇五年一一月の議会調査
С. 30.
cм. Гончаров В. В., Жилин С. М., Проблемы
法制定時の不可解な﹁事件﹂について、 см. Хамраев В., Комитет по безопасности раздумал спорить с президентом//Коммерсантъ, 18
октявля 2005 г.
例 え ば、 大 統 領 と 首 相 の 関 係 を﹁ 執 行 権 の 二 頭 制 ﹂ と し て 把 握 す る 論 考 と し て、
соотношения полномочий и взаимодействия институтов президента и председателя правительства России в системе исполнительной
власти и перспективы их разрешения//Право и политика, No. 1, 2010, С. 8.
Краснов М. А., Шаблинский И. Г., указ. соч., С. 35.
Медушевский А., Конституция России: пределы, гибкости и возможные интерпретации в будущем// Сравнительное
抽象的規範統制は、国家会議の五分の一以上の議員︵九〇名︶により申し立てることができる︵連邦憲法裁判所法第八四条︶。
конституционное обозрение, 2008, No. 2, С. XX.
二〇一一年選挙の結果、野党第一党のロシア連邦共産党は単独でも申立てが可能となった。
新たに導入された首長公選制は、立候補に当該連邦構成
Постановление Конституционного Суда РФ от 24 декабля 2012 г. N 32-П.
主体における地方自治体の議員または首長の署名を要求するとともに、連邦大統領には首長候補者を推薦した政党または立候補者
と協議する権限を与えたため、これを不当な﹁フィルター﹂と考える国家会議議員によって憲法裁判所に申立てがなされた。この
うち、大統領の協議実施権限については、当該協議が、候補者の登録について何らの拘束力ももたず、協議の結果は、候補者の選
挙への参加に関する決定に影響しない、という点を主たる根拠に、合憲と判示している。
517
論 説
その一例として
cм. В Конституции не должно быть места для вождя// Новая газета, 9 янваля 2012.
この点につき、参照、小森田秋夫、佐藤史人﹁ロシア連邦憲法裁判所の判決︱二〇一〇年﹂法律時報第八三巻第五号︵二〇一一
年︶、小森田秋夫、佐藤史人﹁ロシア連邦憲法裁判所の判決︱二〇一一年﹂法律時報第八四巻第五号︵二〇一二年︶。
518
法政論集 255 号(2014)
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