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フォードのような女

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フォードのような女
フォードのような女
L ある画家の苦悩
家がどうしても描くことが出来ずにいる。
ワクしていて落ち着かないのである。そうした彼女を画
新劇俳優を心待ちにしているために、浮き足立ち、ワク
1水木京太が描いた女−
一人の若い画家が、ある夫人の部屋で彼女をモデルに
一168一
阿 部 由香子
してカンパスに向かいながら戸惑いを覚えている。長椅
大正十四年二月に発表された高田保の﹁ジヤッヅー
人はジャズを好んで聴き、ダンスも踊る、新しい流行に
馬鹿らしき一幕i﹂はこのような光景から始まる。夫
ホユ
子の上できちんとポーズをとっている夫人をじっとみつ
めて筆をとろうとするのだが、何かが違う。昨日と何か
はべートーヴエンやブラームスやストラヴィンスキーこ
どんどん乗っていくことが出来る新しい女であり、画家
が違うのだ。
どう違ふの?
う。
そんな感じのあなたちやないんです。昨日の、あ
画家。描きますよ。けれども僕の描こうとするのは、
目の前の夫人を描くことが出来ないのか。次のように言
そが音楽であると信じている旧派の男である。彼はなぜ、
今日の夫人は、これから自分のもとへやって来る若い
︵快活に︶今日は来る人があるの。
持つてゐる?何をです?
︵快活に︶だつで妾、持つてゐるんですもの。
浮いてるんです。まるで感じが浮いてゐる。
夫画夫画夫
人家人家人
o o o o o
のしんみりした、何処か少し憂欝な、いはゴ美し
かけさせながら、
夫人。かうしてじいつと聴いてゐる。それをあなた
く疲れたあなただつたんだ。僕はむしろ、これを
このまΣ自分の画室へ持つて行つて、僕の想像で、
音楽的な絵が生まれるわ。
と言って画家を困らせる。ここで、夫人は決して意地悪
が描くの。よくなくつて?きつとメロデイアスな
をしているのではなくて、画家に対して新しい表現方法
いやまだ僕の眼に残つてゐる美しいあなたの記憶
との違いを︿静と動﹀、︿旧と新﹀の一一つの点で感じてい
画家は、求めていた夫人の姿と今、目の前にいる夫人
で自分を描くことを促しているのである。
で描いた方がいΣんです。
る。確かにこの時期、つまり関東大震災以降の東京はス
ピードと騒音と新しいモノとともに、めまぐるしい都市
よ。出来ることなら僕は彫刻のやうに無言で其処
画家。︵憤然として︶僕は、線と色彩で、あなたの
の画家の苗悩は、単に新しい女についていけない古い男
に坐つてゐて貰ひたいんです。
へと変貌しつつあり、その中でもとりわけ女性がこれま
ゆえのものであろうか。それだけではなくこの時代の都
夫人。ぢや。あなたは、表現派を御存じない?
形の中に籠つてゐるものを表現するだけなんです
市の特質と、さらには表現方法との関係にも及ぶ問題で
画家。表現派?
でと比べて活発に動き始めた時代であった。﹁ジヤッヅ﹂
あると考える。
夫人はとにかくじっとしていない。そして、﹁今のこの
画家と夫人の応酬をもう少し追っていくことにする。
興や、音楽に合わせて自然に身体を動かしてしまうよう
夫人はどうやら自分の内から沸き上がってくるような感
ほど、当時の新しい芸術の代名詞であった。そしてこの
﹁表現派﹂や﹁表現主義﹂は、ここで夫人が口にする
夫人。えΣ、妾あれが好き、新しいわね。
私を描いて頂戴。﹂﹁お願ひだから唄つてゐる私を描いて
2 表現主義的認識論
頂戴。﹂と頼みつづけた挙げ句に、舞踊曲のレコードを
一169一
うとしているようにも見える。
象、見る者と見られる者との仕切りを取り払ってしまお
に合わせて踊って欲しいのである。いわば、表現者と対
のである。というより、画家にも一緒にジャズのリズム
なリズムを画家にも一緒に感じて欲しがっているような
月、雑誌﹃文芸時代﹄が創刊され、翌十一月に千葉亀雄
また、﹁ジヤッヅ﹂が発表された前年の大正十三年十
観の露出が重要であらう﹂としている。
を抱いたと述べた後で、﹁表現主義の戯曲は唯作者の主
して、野に咲く二輪の白百合﹂を例に挙げて説明して
﹁表現主義的認識論﹂が感覚を新しくするものであると
いる。百合の見方、百合を認めた時の気持ちは三通りし
は同人達を﹁新感覚派﹂と命名した。その同人の一人で
ホる
あった川端康成は、﹁新感覚派の新傾向解説﹂の中で、
でなく心で視る、描写するのでなく体験する、再現する
かなく、その中で﹁百合と私とが別々にあると考へて百
一九〇五年にドレスデンで結成された﹁橋﹂派に始ま
のでなく形象化する、奪うのではなく求める﹂ことを芸
合を描くのは、自然主義的な書き方である。古い客観主
る﹁表現派﹂は、反印象主義の旗印のもと﹁目で見るの
術家に要求した。単純に新しいから好きだと言ってのけ
義である。﹂のに対して、
ゆりの
ているあろうはずもないのに、画家の方法の古さへの指
る夫人は、きっとそのような﹁表現派﹂の性質を理解し
したものであった。例えば、高田保より一つ年上の劇作
する理解の多くは、︿客観から主観へ﹀という点に注目
そして、日本における﹁表現派﹂﹁表現主義﹂に対
現主義である。﹂
拠があるのである。その最も著しいのがドイツの表
書き現さうとするところに、新主観主義的表現の根
二つは結局同じである。そして、この気持ちで物を
﹁百合の内に私がある。私の内に百合がある。この
摘が満更外れていないところが皮肉である。
レーの市民﹄を見て11﹂と題する劇評の冒頭で、﹁表現
ゆね
家、水木京太は、大正レ年の﹁独逸表現派の戯曲11﹃カ
民﹄を見た丈﹂であり、山岸光宣が戯曲こそ表現主義の
の長持﹄そして戯曲は昨日明治座の舞台で﹃カレーの市
ち破る主観性重視の新しい方法として表現主義は考えら
問題があろうが、とにかく、客観性重視の古い方法を打
としている。表現主義を認識論の範疇で捉えている点に
主義に関する智識の乏しい私は、映画は﹃カリガリ博士
文芸として最も適当であると紹介したのを読んでも疑い
一170一
臨んでいた作家は主観性重視の方法とはどのようなもの
画家が困惑したように、従来の写実的な方法で創作に
れていたのである。
いう詩を載せている。
第三集に、近藤正治が﹁人問人形﹂と併せて﹁夜景﹂と
な詩雑誌﹃ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム﹄の
大正十三年六月より六圓にわたって刊行された前衛的
タクシーや口笛や都会人形の交錯せる
ホユ
なのかうまく理解できずに戸惑ったに違いない。画家も
身体はジャズのリズムに従って動いてしまう。それを
ジャッヅ・バンドの巷もいΣが
どうしていいのか分からないのだが、否応なしに自分の
苦々しく思いながら出来上がった絵は、﹁真赤な頬と分
ピカソの月が灯つてゐやうとゐまいと
れて
厚い唇、雑色錯落の一種醜怪な女人の像﹂となる。つま
にリズムに乗って身体を動かしながら、夫人を﹁目でみ
り、夫人の勧めに従って自分の主観で描いた結果、それ
るのでなく心で視る﹂ものの、すでに夫人に対して悪感
まるでブリキ製天上界巡りのガラスや花瓦斯づくめ
ちんぐ だんぐ ちんぐ どんぐ ちんぐと
あの薪築の百貨店の 調子はつれの楽隊に誘ひこま
情しか抱いてないのだから醜悪になってしまうのは当然
の遊覧船に揺られられ
サーカスのライオンが砲えてゐやうとゐまいとも
なのである。
三階四階とくるくる廻って
だけ醜く出来上がってしまったという結末である。一緒
い女らしい特徴はたくさん持ちあわせていたが、画家が
そして、夫人はジャズやダンスや演劇が大好きな新し
よろこびが兎となつて飛びはねる
感情も言葉も羽のやうにひらひら
ラケットも買わう 時計も買わう 空気銃も買つて
夫人→女﹀に求めていた﹁あなたの形の中に寵つてゐ
の内実とでもいうべきものよりも形の方がより強烈に目
るもの﹂は見出しにくくなりつつあった。つまり、人間
百萬弗映画の夜景を構へてゐるのもい︸なあ。
萬國旗のはためく出窓から
震災後の都市東京の夜の風景には、光や音、そしてモ
に飛び込んでくる時代でもあったからである。
3・都市風景
一171一
ノが溢れかえっている。また多くの場面に機械が入り込
施されて、めいめい自分自身の生命を生きてゐるの
り出されたものでなく、微妙な個性描写心理解剖が
﹁舞台の上に人間が生きてゐるー作者の都合で作
ように映ったのであろうか。
という立場にあった水木の眼には、都市の人間達はどの
ホア
が新劇の特長である。﹂
むことで、それまでとは異なるスピードで都会の生活は
テムの中で生きる感覚が反映してか、この時期の文芸作
営まれるようになりつつあった。そのような都市のシス
には﹁必要なもの﹂︵傍点筆者︶として﹁蓄音機とレコ
置き換えたりする試みがみられる。﹁ジヤッヅ﹂の冒頭
大正十三年、東京に丸の内ホテルが開業した。熱海や
品の表現には人間を機械やモノと同列に並べたり、叉は
ード、画架とカンァス﹂と同列に﹁夫人、若い画家、若
横浜にも新しくホテルが建設され、市民の生活様式の洋
エレヱエタア
風化は急速に進んでいく。水木の戯曲﹁昇 降 機﹂
︵昭和三年十一月一日﹃文芸春秋﹄︶もそのようなホテ
い新劇俳優﹂と並べてある。また、人間を﹁人形﹂と見
ているのも、近藤のこの詩に限ったことではない。片岡
ゆさ
鉄兵の小説﹁生ける人形﹂でも、丸の内ビルディングで
が快楽だ。﹂と思っている男、瀬木や﹁断髪で洋装で所
例えば、田舎からやってきた三人の男A、B、Cは
達が行き交う場所となっている。
ルのロビーが舞台となっており、様々な種類の種類の人
謂モダンな奴の見本﹂のような女、細川弘子らは、制度
を待っているのだが、そこへ断髪洋装の女が洋杖を持っ
借金を申し込む為に、東京の会社の社長が戻ってくるの
働きながら﹁このビルディングの中は忙しい事それ自身
や社会の中で常に何者かに操られている﹁人形﹂のよう
て帰ってくる。彼女はダンスの足取りでエレベーターに
乗り込むと、エレペーターボーイの口にキャンディーを
﹁人形﹂と見立てることは、人間の生命感や個人的な感
な存在として描かれている。人をモノと同列に並べたり
情等を剥奪し、無機的な存在として扱うことである。そ
C。︵ボオイに︶あれあーいまの人はなんだね。
気にとられて女を眺めるばかりである。
投げ込んで階上へ昇って行く。A、B、Cの三人は呆
ったのである。
して、そのように人間臭さを排除する表現もまた新しか
前述した水木京太は、二十年代の東京を舞台にした戯
曲を数本残している。イプセンについて造詣が深く、
P72一
一一
矢島。はあ、お客様の奥さんみたいな方で:。
階、四階、五階1この上にぐうぐういびきをか
竹中。さうだ。搾取だ。憎むべき搾取だ。二階、三
出す。
A。モダン・ガアルといふんだね。
B。ふむ。なる程。
B。ふむ。なる程。
ふべき豚だ。何がお客だ。少しばかりのチップを
いて寝てゐる男や女共は僕の眠りを奪ってゐる呪
この洋装のモダン・ガールだけではなく、ロピーに現
くれて威張り散らしていΣと思ふか。
ホテルの従業員︵竹中と矢島︶という具合に、都市を特
のかと言うとそうではない。モダンガールがあこがれて
るゆえのものであり、彼が本当に問題意識を持っている
しかし、竹中の言葉はあくまでも一時的にかぶれてい
リア派の詩人︵木村︶、そのパトロンの未亡人、そして
れる人達は社長、カフェーの女給︵きみ子︶、プロレタ
さん持っていてホテルを利用するブルジョアと、それを
徴づける典型的な肩書きを持つ人物達であり、金をたく
ステッキを持って歩くのと変わらないのである。なぜな
ら、最後には社長と共にエレベーターに閉じこめられた
憎むプロレタリア側との関係をコミカルに描いている。
口。昇降の指針盤は特に大きい。ーそれを挟んで右は
そして、舞台上の﹁正面奥、中央にエレゴエタア昇降
る﹂と叫び続けてドタバタで終わるオチがあるように、
竹中が、上へ上がるたびに﹁プロレタリアは向上す
この戯曲は都会に集まる典型的な人々が織りなす狂想曲
上層へ上る階段口。左は地下室のバアへ行く廊下。﹂と
指定されているように、この戯曲ではエレベーターが重
にすぎないからである。﹁昇 降 機﹂はこの時代に生
エレごエタア
きている人間達を捉えようとはしているが、結果的に典
要な道具立てとなっている。階段でも十分に行ける二階
や三階まで上るのに、宿泊者達はべルを押してエレベ;
型的な都市風景を描いて終わってしまっているのだ。
4 首パーセント・モガ
これまでの
ターを呼び、ボーイに何階へ行きたいのか告げて乗せて
リア詩人に影響されはじめているボーイの竹中は疑問を
新しい表現方法へ発展することも出来ず、
いってもらう。そのような立場の違いに対してプロレタ
抱き始めている。竹中は夜更けに一人で演説口調で語り
一173一
方法では型通りの風俗しか描くことしか出来ない境地か
れは運転手になることも密かに考えている。さらに、お嫁
ける等、次々とサービスに工夫を凝らすだけでなく、いず
交通機関としてアメリカからフォードを緊急輸入して走
震災後、市電もほとんど焼けてしまい、東京市は臨時の
に東京に都市生活をもたらしたものとして自動車がある。
改めて.育うまでもなく、ホテルやエレベーターと同様
りも、この方を買ふつもりはないの。をじさん。
かり食ふ車や、がたがたになつたお古の高級車よ
永持ちがして實用向きに出来てるの。ガソリンば
洒落た形や美しい塗色はしてゐなくても丈夫で、
まさ子﹁あたし紳名通りフォオドみたいなものよ。
良三に向かって自分をおかみさんにしてくれと言い出す。
に行かせたがっている母親の声に耳を貸さずに、叔父の
ら水木が抜け出すことが出来たのが、昭和五年に発表し
ホお
た戯曲﹁フォオド躍進﹂︵昭和五年一.︸月一日﹃文芸春
ホゆ
らせた。その他復興の際に資材の運搬に貢献したことも
それも新車体の特別提供よ。﹂
秋隔︶である。
秋﹄︶と﹁混凝土建築﹂︵昭和五年十一月一日﹃文芸春
手伝って自動車の利用度はまたたく間に高まってきてい
とりわけ市内ならばどこまで乗っても一円のタクシー、
ほとんど無く、九割以上が輸入したアメリカ車であり、
という問題についても
ある。血はつながっていないとはいえ、叔父と姪の結婚
良三はすっかりまさ子の勢いに気圧されているだけで
たのである。そして、街中を走る自動車のうち国産車は
円タクの多くは、量産システムによって大量に安く製造
た円タク屋が舞台になっており、店は自動車の爆音や電
﹁フォオド躍進﹂はその名の通り、急成長しつつあっ
がひなんて問題ぢやあないわ。﹂
とで、いまちやあ一人の男と一人の女よ、年のち
まさ子﹁いえ、それはをばさんの生きてゐた時のこ
されるようになったフォードが主流であった。
話のべルで活気に満ちている。お転婆娘のまさ子は、妻
自動車屋の仕事が面白くなってきている。夜の車には行
にはなりたくないけれど、おかみさんになりたいと考え
とあっさり言ってのけるところもドライなら、お嫁さん
を亡くしたばかりの叔父、良三の手伝いをしている内に、
火を入れたり、夏場はクッションにローションを振りか
一174一
、目のタイプは﹁﹃家庭﹄という観念がほとんどない﹂
る﹃運動本位﹄の生活原理﹂であるとしている。さらに、
は、﹁集団主義的な、生産的な、意志的な彼女のいわゆ
まり﹁モダン﹂に見えないタイプの生活を律しているの
原理﹂にもとついているとした上で、二つ目の外見上あ
り、﹁個人主義的、消費中心的、趣味本位的な生活指導
れる範囲で、自由を楽しんでいるにすぎない﹂ものであ
少しもない。夫に寄生して、その寄生生活において許さ
モダニズムは、﹁徹頭徹尾消費的で、生産的なところは
イプのモガを挙げている。その一つ目のタイプの女性の
大宅壮一は﹁百パーセント・モか一の中で、三つのタ
るところが、まさ子という女の新しさであろう。
夜間大学に通いながら作業場の事務をしている男︵難
ク膿よりもさらに活気に満ちている。その中で、治子は
ト.ミキサーの騒音、リフトのウインチの音など、円タ
事の方が楽しいと思っている。工事現場はコンクリー
じられて、土方や人夫達と共に建物を作っていく今の仕
玉突き場で女給をしていたが、そんな生活が下らなく感
建築工事現場で賄いをしている治子は、以前は日本橋の
同年の門混凝土建築﹂にも同様の方法を用いている。
か。
と生きた人間の両方を描くことが出来たのではなかろう
のではなく、モノと人の双方に生命を与えてみせ、風俗
たのである。モノ化して人間の内実を剥ぎ取ってしまう
波︶、朝鮮人の丁央、軽薄な設計技師など、ここで働く
っている。難波に結婚を迫られた治子は、それをはねつ
いろいろな男達の世話をし、慰め励ましながら毎日を送
け、次のような女になることを望んでいる。
思っているの。木口がいいの、節なしだのつて、
理なく自然に自由を求め始めた女であった。すでに︸つ
エレぎエタア
の型として認められた﹁ジヤッヅ﹂の夫人や﹁昇 降 機﹂
風景の中に紛れてしまう。しかし、まさ子という一人の
高が知れたもんぢやないの。そこへ行くといろん
立派でも木造建てみたいな、つまらない一生だと
女の個性を、世の中で急速に活躍し始めたフォードとい
な男と出会つてゐれば、丁度砂利とセメントをつ
治子ーあたしはね、男一人を守るなんて、いくら
う自動車と重ねることで、より特徴づけることに成功し
のモダン・ガールならば、書き割りの一つのように都市
まさ子は↓.う目の﹁百パーセント・モガ﹂として、無
﹁百パーセント・モガ﹂だとしている。
生活様式から﹂自由な女であり、それこそが新時代の
﹁生れながらにして﹂﹁因襲的な夫人道徳や、男女関係や、
一.
一175 一
んかより、コンクリのアパアトみたいな女になつ
るわ。だからあたし、小ちんまりした総檜の家な
がつちりしてゐる上に、いくらだつて大きくなれ
き混ぜたやうな、コンクリ建ての女が出来上るわ。
主義的﹂ではなく、あくまでも自分が本当に生き生きと
位﹄の生活原理﹂は感じとれない。二人は決して﹁集団
らも大宅壮一が二つ目のタイプとして挙げた﹁﹃運動本
も擶場するほどであった。しかし、まさ子からも治子か
その態度は決して享楽的ではない。むしろ健康的である。
男女関係や結婚制度からの解放を求めているものの、
ことに嫌悪感を覚え、水木の目に都市の風俗が類型的で滑
﹁ジヤッヅ﹂の画家が夫人と㎝緒にジャズに乗って踊る
a 人形から人へ
暮して行ける道を選び取っているだけなのである。
そして、フォードもコンクリート・アパートも、頑丈で実
や騒音があふれる街になじめずにいた人達もいたはずで
稽な様相としてしか映らなかったように、ガソリンの臭い
て、大勢の男と一緒に生きていいたいの。
用的で、生活の一端を担うモノである。女を自動車や建造
ノだからであろう。杉山平助は、水木のこの二作に関して
あふれる自ら輝こうとする女を捕まえたことで、人形で
憂欝な、いはゴ美しく疲れた﹂女でもなく、断髪洋装でステ
ある。そのような時代に、﹁あのしんみりした何処か少し
﹁いつかの﹃フォオド躍進﹄に於ても、この﹃鉄筋
そして、機械やモノのリズムに取り込まれるのではなく、
はない人間を都市風俗の中で描くことが出来たのである。
いるのは、それらが時代に新しく登場した勢いを持ったモ
物に例えても蔑視にならず、よりその輝きを強調できて
混凝土﹄に於ても水木氏は土の中から堀たての芋み
そのリズムと彼女達の勢いを重ねることで、健康的な騒々
ッキを携えて闊歩する女でもなく、新たに登場した生命感
たいなガツチリした新時代の女性を創造することに
しさに変えてみせているように思う。フオードやコンクリ
することなくバランスを保っているのはそれゆえであろう。
興味を持ちはじめて来たやうである。そしてこの事
ほほ
は本質に於てプロレタリアート的傾向なのである。﹂
と評した。確かに昭和五年はすでにプロレタリア芸術運
﹁生きる人形﹂のモダンガール細川弘子は、若い男と
ート・アパートと女を璽ねるメタファーが、人を無機物化
動の全盛期となっており、水木に対するこのような見方
一176一
ホに
邦楽座で映画を見た後に、﹁さつきの、クララ・ボウの
ざま
態つたらなつてないぢやないの?﹂と文句をつける。映
画はどうやら﹁九二七年のアメリカ映画で航空映画の元
祖とされる﹁つば&鴇のようである。第︸次世界大戦下
のアメリカ空軍を描いたこの作品に対して
﹁男たちが勝手に名目をつけて、勝手にやつてる戦
*1 大正十四年二月一日﹃演劇新潮﹄に掲載。
注
*2 栗原幸夫﹃芸術の革命と革命の芸術﹄︵平成二年
*3 大正十年六月七日﹃読売新聞﹄
三月 社会評論社︶
*4 大正十四年︻月一日﹃文芸時代﹄に掲載。
*5 大正十四年三月一日﹃ゲエ・ギムギガム・プルル
争の昂奮の中へ、クララ・ボウなるモダン・ガアル
聞﹄に連載。翌四年に新築地劇団によってに高田保
*6 昭和三年六月七日∼七月二十一日﹃東京朝日新
もなく、これは男が彼女にかく強要したのだ。しか
ル・ギムゲム﹄
も、その昂奮にも拘らず、戦場における彼女は、実
*7 ﹁五、新劇の技巧﹂﹃新劇通﹄︵昭和五年 四六書
脚色土方与志演出で上演された。
も又無反省に昂奮して入つて行つてゐる。いふまで
に惨めな喜劇的な景物にしかなつてゐないのだ。﹂
院︶
*8 昭和五年四月、岡田嘉子一座により神田劇場にて
収録の際には﹁コンクリイト﹂と改題。
と彼女は腹を立てる。自分自身も丸の内ビルディングの
ているのである。都市に生きるモダンガ!ルも、モダン
*10 ﹃モダン層とモダン相﹄︵昭和五年 大鳳閣書房︶
中では新風俗に身を包むタイピストであり、︸つの景物
ガールを眺めていた男達も少しずつ変わり始めていた。
*11 ﹁文芸時評︵3︶水木・岡田︵禎︶の二作﹂﹃読売
*9 ﹃現代戯曲﹄第一巻︵昭和十五年 河出書房︶に
まるで、つかの間の仮面舞踏会が終わり、踊り疲れて家
新聞﹄︵昭和五年十﹂月四日︶
上演された。
路につくかのように、人々の意識は人間らしさを取り戻
*12 九二二年﹁虹の大空﹂でデビュー。やがて時
のようであった弘子は、其れではつまらないと感じ始め
すことへ向かっていくように思えるのである。
代の先端をゆくフラッパーの役で次々と人々を魅了
一177一
*13 昭和三年四月一日より松竹系で封切り。
していった女優。
一178一
Fly UP