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オヤンのオグン祭りを事例として…

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オヤンのオグン祭りを事例として…
ヨル バ に お け る 舞 踊
オ ヤ ンの オ グ ン祭 りを事 例 と して
遠
目
藤 保
子
次
Iオ
ヤ ンの 自然 と社会
オ ヤ ンの 自然
オ ヤ ンの社 会
Hオ
ヤ ンの生 活 と祭 り
人 々 の 日常 生 活
オ ヤ ンの神 と祭 り
皿
オ グ ン祭 りの 実 態 と考 察
OStet
Capital
oFederal
cantal
祭 りの 概 要
祭 りの 内 容
地 図1
祭 りの 仮 面
祭 りの 音 楽
畜,
祭 りの 舞 踊
ブ ッ シ ュ ・ ミー トの 狩 猟,
マ ホ ガ ニ ー の製 材
等 が あ げ られ る 。
IVお
わ りに
オ ヤ ンの 社 会
〈 オ ヤ ンの 社会 〉
1オ
オ モ トン王 に よ る と 璽
更オ ヤ ン"の
ヤ ン の 自然 と社 会
世 紀 頃(推
オヤ ンの 自然
オ ヤ ン は,
ル バ 族 の ひ と つ の 町 で,
オ ヨ 州Oyo,
ィ ン地 方 自 治 体Odo-Otin管
月 ∼12月
が へ って 困 る)と
オ ド ・オ テ
15・6
ある事 を
命 名 さ れ た こ と に 由 来 して い る。
前 出 の イ ン タ ビュ ーで は, こ の エ ペ は, オ ド ゥ ド ゥ ワ
轄 区 に あ る。 人 口
Oduduwa(ヨ
国 勢 調 査)。
海 抜 お よ そ200メ
∼10月)乾
期(11月
名 称 は,
1代 目 の 王 エ ペEpeが
腹 の す く程 熱 中 し て 話 し た た め, 0-yan-nu(腹
ナ イ ジ ェ リアの 南 西部 に位 置 す る ヨ
4,500人(1963年
定),
ル バ の 父)の
イ フ ェIle-lfe(ヨ
息 子 の 一 人 で, イ レ ・
ル バ 発 祥 の 地)か
ン に 辿 りつ い た 。 しか しそ の 頃,
ー トル 。 季 節 は, 雨 期(3月
∼2月)に
大 別 で き る が, l1
民 ア グ バAgbaが
い て,
ら現 在 の オ ヤ
オ ヤ ンに は先 住
両 者 は 町 の 統 治 者 の位 置
に か け て ハ マ タ ー ン と い う サ ハ ラ砂 漠 か
を め ぐ って 戦 い を 交 え る こ と に な っ た 。 だ が,
こ
ら砂 が 飛 ん で く る 現 象 が み ら れ る。 年 間 雨 量 は40
∼50イ ン チ 。 最 低 気 温 は 雨 期 の20℃,
最高気温 は
れ は 互 角 の 戦 い で 勝 負 は ひ き わ け に な っ た が,
ア
乾 期 の40℃
グ バ は 司 祭 に な る事 を 条 件 に 王 座 を エ ペ に 譲 り,
エ ペ が1代
目 の 王 に な っ た 。 現 在 オ ヤ ン で 最 も大
に も達 す る ま1(地 図1)"
現 在 の24代
目 オ モ ト ソ 王Omotosoに
ン タ ビ ュ ー に よ る*2と,
対 す る イ
き な 祭 り で あ る ア グ バ 祭 り で は,
オ ヤ ン の 植 生 は, 約100
を 記 念 して,
年 前 ま で は, 熱 帯 雨 林 だ っ た が, 焼 畑 農 業 に よ っ
て,
技*3が み ら れ る。
サ ヴ ァ ン ナ へ 変 化 し て き て い る。
生 業 は 主 に ヤ ム イ モ,
キ ャ ッ サ バ,
シ 等 の 農 業 が あ げ ら れ る が,
*1
この互 角 の戦 い
現在 の王 とア グバ 司 祭 の 対 決 の 演
〈 オ ヤ ンの政 治 〉
トウ モ ロ コ
伝 統 的 に は 王 が, 政 治,
そ の他 羊 や 山羊 の牧
裁 判,
祭 礼 に 対 して 最
高 の 権 限 が あ り, そ の 下 位 に 首 長*4や 秘 密 結 社 オ
オ ヤ ンに 関 す る統 計 資 料 は な い た め, Iloje, P.;
ANew
geography
of Nigeria,
London
*2
Metricated
Edition
1965 P. 47∼51を 参 考 に した. た だ し気 温 は筆 者 が 調 べ た もので あ る 。
この 対 話 は, 1981年11月, オ ヤ ンの 宮殿 に お い て数 回 に わ た っ て行 った 、王 は推 定 年 齢60才, イ レイ フ
*3
ェに あ る カ レ ッジ を卒 業. 英 語 は も ちろ ん ラテ ン語 も理 解 す る イ ンテ リで あ る.
宮 殿 を 出 発 した 王 の 軍 団 と神 社 を 出 発 した ア グバ 司祭 の軍 団 が途 中で 合 流 し, 王 と司 祭 が 両 腕 を]の 形
*4
新 春, p. 82∼89.
首 長 に は シニ ァ, ジ ュニ ァ, パ レス の3種 類 が あ る.
に 開 い て 回 旋 を し, す ば や く回 った方 が勝 つ. 詳 し くは, 筆 者;
-12-
ヨルバ の ア グバ 祭, 季 刊 民 族 学27,
1984
グボ ニOgboniや 将 軍 の結 社 オ ロバOloba*5な
ど
が あ る。 彼 らは 王 を助 け な が ら町 の政 治 や裁 判 に
校 長 に 典 型 的 と思 わ れ る農 夫*8の 生 活 サ ンプ ル の
抽 出 を 依 頼 した 。(表1)
これ に よ る と農 夫 は, 5時 に起 床, 8時 か ら12
携 って い る。 人 々 に と って王 は, 神 聖 化 さ れ た存
在 で, 町 の 運 命 を 司 る第 一 人 者 で もあ る と い わ れ
て い る*6が, 王 の 権 限 は オ ヤ ンの 町 内 に と ど ま っ
て い る。
この よ うな伝 統 的 な 政 治 構 造 が 残 され て い る一
時 ∼14時 に か け て 畑 で 働 き, 仕 事 が 済 んでか らは,
昼 食, ゲ ーム ナ9友人 訪 問 を し, 21時 ∼21時 半 に就
寝 して い る。
人 々 の生 活 に と って舞 踊 は重 要 な 要 素 で あ る と
い う報 告*10が あ るが, 本調 査 で は 日常 の生 活 の レ
ベ ル で舞 踊 が重 要 で あ る とい う こ と は明 らか にな
方, 今 日で は, 地 方 自治 体 や 政 府 官 轄 の 裁 判 所 と
い った近 代 的 な 政 治 機 関 も併 存 す る と い う二 重 構
造 が み られ る。
IIオ
らな か った。
しか し舞 踊 は, 祭 りな ど, いわ ゆ るハ レと ケ の
考 え方 に よ れ ば, ハ レの場 に お いて 重 要 性 を お び
て存 在 して い る。
ヤ ン の 生 活 と祭 り
人 々 の 日常 生 活
日常 生 活 の 実 態 を知 る ため に, 任 意 に選 ん だ オ
ヤ ン コ ミュニ テ ィハ イ ス グ ール*7の 生 徒50人 を対
オ ヤ ンの 神 と祭 り
ヨルバ に は, 鉄 の 神 または 戦 いの 神 オグ ンOgun,
象 に, 家 族 の 一 週 間 の 生 活 時 間 帯 を 調 査 し た
(1982年4月1日
∼21日 予 備 調 査 も含 む)。 この
調 査 表 の 中か ら, ハ イス クール の アデ ゴケAdegoke
雷 の神 シ ャ ンゴShango,
神 託 の 神 イ フ ァIfa等 数
百 以 上 もの 神 々が い る と され て い るま11表2に 示
す とお り, オ ヤ ンの 神 及 び そ の祭 りの 全体 像 を つ
表1生
氏名Simeon
年 齢 推定45才
職 業 農 業(キ
※
活時間帯
PoPoola(男)
リス ト教者)
ゲ ー ム や 夕 食 の だ ん らん の 時 も踊 られ る こ と は な い 。
*5
*6
結 社 の 性 質 上, 詳 しい 説 明 は 聞 く こ とが で きな か った.
l982年1月,
首 長 工 一サ との イ ン タ ビ ュ ー. 同 じよ うな 王 につ いて の報 告 に渡 部 重 行, ヨル バ 族 の王 国
*7
季 刊 民 族 学26, 1983秋, p. 23∼31が あ る.
西 欧 型 教 育 が も ち こ まれ た の は19世 紀 後 半. 教 育 制 度 は イ ギ リスの 影 響 を受 けて い る. 現 在 義 務 教 育 制
*8
米 山俊 直他; ア フ リカハ ン ドブ ック, 講談 社, 1983, p. 166.
オ ヤ ンの 生 業 は 農 業 が 大部 分 を しめ て い るの で農 夫 の 一 例 を 示 した. 調 査 で は, 女 性 及 び子 供 を も対 象
は しか れ て い な い が, 小 学校 の就 学 率 は1960年36%で
あ った の が, 1978年 に は62%に
上 昇 して いる. 参 照,
と した が, 女 性 は 仕 事 が 済 ん で か ら, 踊 った り歌 った りす る こ とは な く, そのかわ り昼寝やお し ゃべ りを し
てす ご す. 子 供 は 学 校 を 終 え る と遊 び と 家 の手 伝 い が 多 い.
*9
ゲ-ム は ア ヨゲ ーム が 多 く, 6っ つ つ小 さ な くぼ み が っ い て い る板 と木 の実 を使 って行 うゲ ー ムだ.
*10
Awolalu
J. O.; Yoruba
Beliefs and Sacnficial
Rites, Bristol great Britain
Longman
*11
1979, p. 105.
Awolalu
J. O.; ibid
p. 20.
現 地 で は こ の他 ヰ リス ト教 や イス ラ ム教 な どの 外 来 の 宗 教 も信 じられ て い るが, こ こで は ふ れ な い.
-13-
表2オ
ヤ ンの 祭 礼(舞
祭 りは, 例 年5月,
17日 間 に 渡 って 繰 り広 げ ら
れ る。 しか し1982年 は信 者 の都 合*14で6月29日
∼7月15日 に渡 って 行 わ れ た 。
れ,
結 婚 式,
葬 式 な ど,
通 過 儀 礼 の 一 環 と し て も 踊 ら れ て い る.
新 し く 学 校 を 建 て る 資 金 を 集 め る た あ の チ ャ リ テ ィ ー シ ョ-と
ア ン グ リ カ ン チ ャ ー チ な ど の 日 曜 サ ー ビ ス で も踊 られ て い る.
ム イ モ 等 に っ い て は1. C. Onwueme;
The
Tropical
Tuber
Potato,
Cocoyams,
Ile-lfe
*14そ
の 理 由 は 不 明 で あ る.
*15ブ
〈 祭 りの 場 所 〉
信者 の 家 か ら司 祭 オ ル オ デOluodeの 家 を 経 由
して, 町 は ず れ の 神 社, オ ヤ ンの 宮 殿, オ ウ ォデ
Owode市 場 で 祝 わ れ た 。
〈 祭 りの 目的 〉
オ グ ン神 は, 鉄 の 神 また は 戦 い の 神 で, 鉄 に 何
らか の 関 係 が あ る人, 例 え ば 狩 人 ナ15鍛冶 屋(近 代
化 が 浸 透 しつ つ あ る今 日で は, 自 動 車 の 運 転 手
も)に よ って崇 拝 され て い るが, オ ヤ ンの 信者 の
オ モ ト ソ 王 及 グ ラ マ ー ス ク ー ル エ ベ ド ゥ ン 教 諭 と の イ ン タ ビ ュ ー. また 祭 り の 他 に 舞 踊 は,
例 え ば 新 生 児 の 命 名 式,
な も の と し て,
*13ヤ
りの実 態 と考 察
祭 りの概 要
〈祭 りの 時 期 〉
さ れ る こと は, まず 年 間 に祭 りが多 い こと, しか
もそ れ は雨 期 に集 中 し, 月別 で は, 9月 に最 も多
く行われてい る。だが, これ らの祭 りの期 日は固 定
的 で は な く, イ ス ラム教 の行 事 と重 な らな い よ う
に調 節 した り, 信 者 の様 々 な都 合 で延 期 され た り
流 動 的 で あ る。
さて, この よ うな祭 りの 場 の 事例 と して, こ こ
で は オ グ ン祭 りの 実 態 を み る こ とに した い。
人 生 の 節 目,
レ ン ダ ー*12
IIIオ グ ンOgun祭
か む た め に祭 礼 カ レ ン ダー を作 成 した 。 これ らの
祭 りで は, 舞 踊 が重 要 な要 素 とな って お り, 従 っ
て 表2は, 祭 礼 カ レ ンダ ー で あ ると 同 時 に舞 踊 カ
レ ンダ ー と も考 え られ る。 この カ レ ンダ ー で注 目
*121982年1月,
踊)カ
ッ シ ュ ・ ミ-ト
John
や 豹 等 を 狩 猟.
Wiley
&
Sons
1978に
Crops
か,
Yams,
Cassava,
-14-
Sweet
詳 し い.
筆 者 も狩 猟 の 実 態 を 観 察 し よ う と オ ル オ デ に 申 し出 た が,
い と い う 理 由 で 観 察 で き な か っ た.
今 日的
学 芸会 の 催 しに も踊 ら
女 性 は危 な
へ犠 牲(犬)*21を
大 半 は狩 人 で 占め られ て い る。
〈 オ グ ン神 の神 話 〉
オ ル オ デ に よ る*16と, オ グ ンは神 にな る以 前 は,
オ ドゥ ドゥ ワの息 子 で偉 大 な 力 を持 った 戦 士 だ っ
た。 彼 は, 敵 と戦 って い た父 を助 け る ほ どの 力 が
あ り, 他 界 してか ら神 に な った と い う。 オ ル ォ デ
か らは これ 以 上 の 詳 しい説 明 は得 られ なか ったが,
別 の 神 話 で は, 神 々が は じめ て 地 球 に お りて きて,
道 もな い雑 木 林 に迷 い こん だ 時, オ グ ン神 だ け が
木 々を 切 り倒 し, 道 を つ くる こ とが で き た。 そ れ
以 来 多 くの 神 々か ら偉 大 な 力 を 有 す る神 と思 わ れ
始 めた*17と い う記 述 もあ る。
〈御 神 体 と神 社 〉
オヤ ンの オ グ ン神 の 御 神 体 は 鉄 や 刀 で あ り, 神
り, 出血 多 量 で殺 した後, 火 あ ぶ り にす るとい う。
この 日か ら12日 間, 夜 毎, 信 者 の 家 で は盛 大 な ヤ
シ酒 や ビ ール*22等 の酒 も りが 行 な わ れ, ヤ ム イモ
か らで き る イ ニ ャ ン(ね ば りけ の少 な い モ チ状 の
もの)な ど多 くの 料 理 が ふ る ま わ れ る。
<第1回
宮 殿 で 行 われ た祭 り>
7月11日, 午 後3時 か ら4時 にか けて 宮 殿 で大
が か りな 祭 りが 開 か れ た 。3時 少 し前, オル オ デ
の 家 に集 ま った30人 程 の 男 性 信 者(40才 以 上*23),
数 人 の女 性 信 者(35才 以 上)及 び15人 の 男 児 信 者
(そ の うち7人 は1メ ー トル の 長 さの 鉄砲 を か っ
い で い る)が, 10人 以 上 の ドゥ ン ドゥ ンdundun
社 は町 は ず れ の 神 聖 な 木(peregun)の
下 に建 て
られ て い る と され る。
〈 祭 りの形 式 〉
オ グ ン祭 りは ヨル バ の ど の 町 で も同 じよ う に祝
わ れ て い るの で は な い。
例 え ば, ア キ ン リンソ ラAkinrinsola*18が 報 告
して い る オ ン ドーOndoの 町 の オ グ ン祭 りや イ ビ
グバ ア ミIbigbami*19に よ る イ レ ・エ キ テ ィIreEkitiの 町 の オ グ ン祭 りは, 人 々が 祭 りに積 極 的
に参 加 し, 時 に は, 観 衆 と踊 り手 の 区 別 が な くな
(ト ー キ ング ・ ドラム)奏 者 を先 頭 に 宮殿 ま で ゆ
っ く りと歩 い て い った。 そ の間, 楽 師 は き め られ
た祭 りの リズ ムパ タ ー ンを 演 奏 し, 子 供 達 は思 い
思 い に 空 に 向 け て 鉄 砲 を 打 ち鳴 ら して い た。
服 装 は, 信 者 の 数 人 が, 日常 着 の 上 に オ グ ン神
の服 と され て い るヤ シの 葉*24を 肩 か ら腰 へ 斜 めに
た す き が け を して い る他 は, 信 者 の ほ とん どが,
青 や黄 色 の様 々 な色 を した 日常 着 アバ タ(上 着),
ブバ(シ ャッ), ソ コ ト(ズ ボ ン)を 身 に つ け て
いて, 祭 りに特 有 な化 粧 や 衣 装*25は み られ な か っ
る程 一 体 化 す る こ とが あ る。
しか し, そ れ ぞ れ の 祭 りの 期 日 も, 始 まり方 も,
踊 り方 も異 な って い る。
例 え ば オ グ ン祭 りが盛 大 に行 わ れ るオ ン ドーの
町 の 司 祭 の 踊 りは"頭 を た れ, 肩 を ふ るわせた り,
ぐい と後 方 や前 方 へ動 か す。 又, 腰 を ひ ね った り
もす る"*20と 報告 さ れ て い る が, オ ヤ ンで は み ら
れ な か った 。
た。 ま た司 祭 の オル オ デが, 茶 色 の 背 広 に青 と白
の しま模 様 の シ ャ ッ とズ ボ ンを着 け て い た の は注
目に あ た いす る が, な ぜ洋 服 を 着 た の か は 明 らか
で は な い。 一 方, 宮 殿 で は, この 頃, 宮 殿 の 中 心
玄 関 に王, そ の両 端 に首 長, 召 し使 い 等 が 椅 子 に
坐 って 信 者 達 を待 ち構 え て い た。
オ ル オ デ の家 を 出発 した 信者 達 は, ゆ っ くり と
歩 き なが ら宮 殿 の門 を抜 け, 30メ ー トル程 離 れ て
い る宮 殿 へ 進 ん で い った。(地 図2, 3)
祭 りの 内容 一VTR収
録 一
〈祭 りの始 ま り〉
6月29日, 祭 りは司 祭 や 信 者 達 が 町 はず れ の森
の神 社 に集 ま り, 祭 りの 無 事 を 記 念 して オ グ ン神
*16
*17
1982年6月,
Awolalu
*18
Akinrinsola
*19
Ibigbami
*22
王 の前 で腕 立 て 伏 せ 状 の あ い さ つ を す ま せ た 信
者 達 は, 王 の 前 の 両 側 に4∼5メ
ー トル の 間 隔 を
あ け, 縦 長 の 舞 台 空 間 をつ く りな が ら地面 に腰 を
オ ル オ デ の 家 で イ ン タ ビ ュ ー.
J.; ibid
p. 31.
F.;
R.
44∼59.
*2Q
Akinrinsola
*21オ
捧 げ る こ とか ら始 ま る。 外 国 人
で あ る筆 者 は, そ れ に 参 加 す る許 可 を得 られ なか
った が, オ ル オ デ に よ る と1頭 の 犬 の 頸 動 脈 を 切
Ogun
Festival
1.; Ogun
F.;
in
Festival
ibid
Nigeria
in
Ire-Ekiti
Magazine
in
No.
Nigeria
85,
J une
Magazine
1965,
P. 85∼95.
vo1. 126-7,
1978,
p.
p. 88.
グ ン 神 の 犠 牲 と し て は 犬 の 他,
ヤ シ酒,
ヤ シ 油 等 が あ る.
(Awolalu
J.;
ibid
p. 33)
こ れ は 西 洋 の ビ ー ル で 数 多 く の 種 類 が あ る.
*23
こ れ は 推 定 年 齢 で あ る.
今 日 に お い て も病 院 で 分 娩 し な い 人 が 多 く, 出 生 届 け は,
子 供 が 就 学 す る時 に
な っ て 始 め て, 彼 ら は 宮 殿 に 行 き, 生 年 月 日 を 届 け, 王 が 受 理 して い る. 年 も そ う だ が,
は, 真 ぴ ょ う性 に 乏 し い.
1dowu
E. B., Olodumare
God
in Yoruba
Belief
London
Longman
1962,
*24
*25オ
ン ドー の 町 の オ グ ン 祭 り で は,
Ogun
Festival
分 を 明 る い 色,
in
赤,
ュ ニ ケ ー シ ョ ン,
Nigeria
信 者 が 戦 士 の 服 装 を し た り 顔 に 化 粧 を した .
Magazine
あ と の 半 分 を 暗 い 色,
世 界 の 国 シ リ ー ズ,
No.
85,
June
黒 に 染 め る(フ
1965,
ォ ラ ・ア ジ ャイ,
エ ジ プ ト ・ア フ リ カ,
-15-
P. 86)オ
講 談 社,
1983,
月 日に い た って
p. 86.
(Akinrinsola
F.;
グ ン司 祭 の 化 粧 法 と して体 半
遠 藤 保 子;
p. 141)等
身 体 と リズ ム の コ ミ
が 報 告 さ れ て い る.
お ろ し始 め た 。 この 間 も絶 え 間 な く太鼓 が 演 奏 さ
れ, 鉄 砲 が うち 鳴 らされ て い る。この 舞 台 空 間 で,
キOriki,
ま ず オ ル オ デ が 立 ち 上 が り, 器 用 な フ ッ トワ ー ク
を 中 心 とす る踊 りを 始 あ た 。 オ ル オ デ が 踊 って い
る途 中 か ら, 他 の 信 者 も踊 り出 し, そ れ ぞ れ が 思
い 思 い の 方 向 を 向 き, あ ま り場 所 の 移 動 を せ ず フ
名"の
(表3)オ
再 び 様 々 な 信 者 に よ る舞 踊 が 踊 られ た 。
リ キ と は,
こ と だ が,
Welch*26は
直 訳す る と 璽
でほ め た た え る
詩 の 形 に似 て い る の で ウェ ル チ
更
聖ほ め た た え る詩"と
もい って い る。
オ リ キ や 踊 り の 合 い 間 に 信 者 が 王 か ら贈 られ た
ヤ シ酒 を 飲 み だ し, ま た 雑 談 も ま じ り, 始 ま って
お よ そ1時
ッ トワ-ク を 行 った 。 そ の 後, 時 々 信者 や 観 客 に ・
よ る同 じよ うな 舞 踊 を は さん で, オ ル オ デ の オ リ
後4日
間 後,
第1回
の祭 りは終 了 した。 その
間*27は 信 者 の 家 で 夜 毎 酒 盛 りが 行 わ れ る 。
トタ ン屋根でおおわれて
い る吹抜
A=王
B=信
G=首
D=太
○=召
○=顔
ヨルバ の町では宮殿の前があるのは宮殿から市場
の人 々を看視でき る状態に町つ くりされて いるか
らだ。 しか し今 日のオヤ ンではその市場が狭 く新
た にオウォデ市場ができている。
者
長
鼓楽師
し使い
の向き
×=VTRの
A,
地 図2
位置
s,
c,
n
一舞台空間の方向
地 図3
表3
(注)
1翁 単位
太鼓の演奏
(注)
間か ら宮殿 まで
踊 り
オ リキ
1休け い及 び雑談
間か ら宮殿 まで
イヤ イル
他 の ドゥン
ドウン
c信 者Aの 米印; リズムパ ター ンはB・ フッ ト ・ワ ークは み られず, 両腕 のあ げお ろしと肩 の上下 運動 が主で あ る。
cそ の他 の踊 りは ほとん どが両腕 を上 げ上半 身 に影響 な く器 用 な足 さばき=フ ツト ・ワー クが主である。
また踊 り手の 身体 の向 きは様 にであ り舞踊 の軌 跡 も一 定 して いない。
oオ ルオ デのオ リキ は身体 を王正 面 に し, 地 べた にすわ って 唱え られ た。
*26
Welch
D,
Ritual
intonation
of
Yoruba
Council
vol. 5, 1973,
p. 156-163.
オ ル オ デ の オ リキ は 以 下 の 通 りで あ る.
ヨ
*274日
ル
バ
Praise-Poetry(Oriki)in
Yearbook
of
the
(抜 粋)
語
訳; 筆者
オルオデ は, 王 の長寿 と幸福
Oluode
ngbadura
fun kabiyesi
wipe ki ade ope
ioni ki bata
pe lese aseyi
sawodun.
を祈願す る.
この祭 りで王 は多 くのお金 と
Oluode
ngbadura
fun kabiyesi
wipe odun yi
asen
e sawo
asan
esomo.
子供を得 るであ ろ う.
間 の 間 隔 は 固 定 的. 市 場 が4日 ご とに 開 か れ て い るこ と と関 係 が あ る と指 摘 で き る.
-16-
〈第2回
宮 殿 及 び オ ウ ォデ 市 場 で 行 わ れ た
祭 り〉
7月15日, 午 前10時 頃 。 第1回 と同 じよ う に信
者 達 が, オ ル オ デ の 家 か ら宮 殿 へ や って く るの だ
が, この 日は狩 人 の仮 面 ラ イ エユ が登 場 す る 日で
エ グ ング ンォ ジ ェEgungun
Ojeと もい われて い る。
祭 りの 参 加 者 や 宮 殿 で の王, 首 長 等 の位 置, フ ッ
ト ・ワ ー クを 中 心 と した踊 りや オ リキ 等 に よ る祭
りの 内 容 は, ほぼ 前 回 と 同 じで あ るが, 異 な って
い る点 は, 男 児 者 が 鉄 砲 を持 って い な い こ と, ラ
イエ ユ仮 面 が, 王 の 前 を 様 々 な方 向 へ 小 走 り した
り回 転 を す る こ とで あ る。(表4)
こ う して40分 後, 信 者 達 は 宮 殿 か ら200メ ー ト
ル離 れ て い る オ ウ ォデ市 場 へ 練 り歩 いて い った。
市 場 に い る人 々が, た と え オ グ ン神 を 信 仰 して い
な くと も, オ グ ンの 信 者 に賓 銭 を あ げ る と御 利 益
が あ る と信 じられ て い る。
ラ イエ ユ仮 面 も含め て 信 者 達 は, 踊 っては休 み,
休 ん で は 踊 って, 賓 銭 を も らい, 市 が ひ け る午 後
1∼2時,
信 者 達 が 家 へ 帰 る こ とで 祭 りが 終 了 し
た。
(種 類 は 不 明)の 上 に20∼30セ ンチ の 高 さの 人 や'
動 物 の黒 い木 彫 及 び35セ ンチ ぐ らい の 動物 の 白 い
角 が交 互 に6∼7つ
け て あ り, この平 た い板 の へ
りに は, サ ル や豹 か らは いだ 原 色 の ま ま の毛 皮 が
10枚 以 上 つ い て い る。仮 面 を つ け る と, 毛 皮 が 膝
下 まで たれ 下 が り, 仮 面 を つ け た 人 の 身 体 を す っ
ぽ りお お う格 好 に な る。 これ は仮 面 とい う よ り仮
装 とい うべ きか も しれ な い。 ま た仮 面 を つ け るの
は男 性 に 限 られ て い る。
ラ イ エ ユ仮 面 は5キ ロ グ ラ ム以 上 は あ る重 い も
の で, 祭 りで は, しば しば仮 面 を と りは ず す 場 面
が み られ た。*28こ
の仮 面 は 毎年 使 用 され, ふ だ ん は
エ グ ン グ ン(先 祖 崇 拝 又 は仮 面 舞 踊 祭 り)の 司 祭
の所 に保 管 され, オ グ ン祭 りで は, 仮 面 は, エ グ
ング ン司祭 も し くは オ ル オ デの 家 で つ け られ る。
ヨルバ に お い て, 宗 教 に関 す る舞 踊 で は, 仮 面 を
使 う こと は極 端 に少 な い 。 理 由 は, 仮 面 を作 る材
料 の 木 に精 霊 が 宿 って い て, そ の木 を 切 る と精 霊
が 殺 され て しま うか ら, も うひ とつ の 理 由は, 仮
面 を か ぶ る と踊 り手 の 健 康 が害 さ れ るか ら とい わ
*29
れてい る
祭 りの仮 面
ラ イエ ユ仮 面 は, 直 径35セ ンチ の 丸 い平 た い板
が, こ れ は ま だ 定 説 で は な い 。
祭 りの音 楽
祭 り で 使 わ れ た ド ゥ ン ドゥ ン*30は,
ヨル バ で 最
表4
(注)
間か ら宮殿 まで
宿
濁
踊 り
オ リキ
休 け い及 び雑談
太鼓の演奏
1分単位一
問か ら宮殿 ま で
イ ヤイル
他の1》
c信 者Aの 米 印; リズ ムパ ター ンはB ・ フ ・ ト・ワーク はみ られず, 両腕 のあ げお ろ しと肩の上 下運 動が 主で あ る
。cそ
の他 の踊 りは ほ とんどが 両腕 を上 げ上半 身 に影響 な く器
また踊
用 な足 さばき=フ ット ・ワ ークが主 で ある。
り手 の身体 の 向き は様 にであ り舞踊 の軌 跡 も一定 して いな い。
cオ ルオ デの オ リキは 身体を 王正 面に し, 地 べ たにす わ
って唱え られ た。
*28仮
面 を と り は ず した 踊 り手 の 服 装 は 青 と 白 の た て じ ま の シ ャ ッ と 半 ズ ボ ン.
を は き, 膝 の 所 に 赤 い 布 ひ も が 結 び つ け ら れ て い た.
*29
フォ ラ ・ア ジ ャイ, 遠 藤 保 子; 身 体 と リズ ム の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン,
*30
リ カ, 講 談 社, 1983, p. 141.
ヨル バ の 楽 器 に つ い て は, Darius
ments,:
London
University
T.;
Microfilms
ADescriptive
International
-17-
Catalogue
1969に
それ に黄 色 のハ イ ソ ・
ソク ス
世 界 の 国 シ リ ー ズ,
of
Yoruba
詳 し い.
エ ジ プ ト ・ア フ
Musical
Instru
-
表5オ
もよ く使 われ て い る太 鼓 で, 全 長 お よ そ50セ ンチ,
直径20セ ンチ, 砂 時 計 型 の木 の両 端 に羊 皮を 張 り,
皮 を張 る た めの 細 い皮 ひ もが120本 ぐら いつ いて
い る太鼓 で あ る。(写 真1)
ドゥ ン ドゥ ンは, 左 肩 か ら左 腰 の 前 で 水 平 に な
るよ うに下 げ, 右 手 に カ ギ状 の 俘 を も って 叩 きな
が ら, 左 手 で 太 鼓 の 皮 を 張 って い るひ もに 圧 力 を
1門
グ ン祭 りの リズ ムパ タ ー ン
か ら宮 殿 ま で の リ ズ ム
=192
パ タ ー ン1
加 え る こ と に よ って 音 の ピ ッチ(音 の 高 低)を 変
え る。
原 則 的 に太 鼓 は男 性 に よ って 演 奏 され る。 ヨル
バ 語 は, 音 の 抑 揚 が 異 な る とそ の 意 味 も違 って く
パ
タ ー ン2
パ
ク ー ン3
パ
タ ー ン4
2宮
殿 に お け る リズ ムIA}
=192
る音 調 言 語 で, 楽 師 は ヨルバ 語 に あわ せ, ピ ッチ
をか え, リズ ム をか え る こ とに よ って 太鼓 こ とば
を話 す こ とが で き る。*31
オ グ ン祭 りで は, 10人 以 上 の 楽 師 の 中 で, 1人
だ けが 太鼓 こ と ばを 演 奏 す る(太 鼓 こ とば を 演 奏
す る太 鼓 は イ ヤ ィル とい う)。 残 りの 楽 師 は, ド
ゥ ン ドゥ ンの 中 央 に つ いて い る調 べ 緒(120本
の
細 い皮 ひ も)を しめ, 音 の ピッチ を 一 定 させ, リズ
ム の違 いだ けを 演 奏 して い る。 オ グ ン祭 りに は 決
パ タ ー ン1
パ タ ー ン2
バ タ ー ン3
バ タ-ン4
3宮
殿 に お け る リ ズ ム{B}
=144
ハ タ ー ン1
ま っ た リズ ムパ タ ー ンが あ る。(表5)
オ グ ン祭 りに 限 らず, そ の他 の 祭 りに お い て も
そ れ ぞ れ の リズ ムパ タ(ン が 決 ま って い て, 人 々
は その リズ ムを 聞 い ただ けで, 何 の 祭 りか が わ か
る。 これ と は対 照 的 に舞 踊 に は 祭 り ご との 決 め ら
れ た ス テ ップは な い。
バ タ ー ン2
バ タ ー ン3
採譜協力: 野田宏人
・イ ヤ ィルの リズム は 太鼓 ζ とば を話 す時 もある ので リズム は一 定 して いな い。
フ レ ージ ングは こ のバ タ(ン の反 復で あ るが 最初 の 小節 は 途中 か ら始 め る可能
慌が あ る。
*32
祭 りの舞 踊
宮 殿 で 繰 り広 げ られ た 舞 踊 は, 宮 殿 に つ いて 最
初 と最 後 の部 分 に集 約 して 踊 られ て い た。
踊 り手 の 多 くが30秒 を単 位 と して 踊 り, そ の 軌
跡 は 一 定 せ ず, そ れ ぞ れ の踊 り手 が 縦 横 無 尽 に 動
いて い た。 また1人 の踊 り手 が 踊 り出 す と他 の 踊
り手 が い っ しょに 踊 り出す こと もあ るが, 踊 り手
どお しが, ス テ ップ を い っ し ょに合 わ せ る とい っ
た よ うに 互 い を 意 識 す る こと は な く, 無作 為 に 踊
られ て い た 。
踊 り手 の 姿 勢 は, 上 半 身 を少 し前 屈 させ, 腰 を
後 ろに 突 き出 し, 膝 を少 し前 へ 曲 げ るの が 典 型 的
で, 身 体全 体 を ま っす ぐに伸 ばす こ とは め った に
な い 。(写 真2)
そ れ らの舞 踊 は, 複 雑 で しか もス ピー ドの速 い
フ ッ ト ・ワー クが主 で あ る。 また 戦 の 動作 に 由 来
して い る と され る鉄 砲 が使 用 され て い るに もか か
わ らず, 踊 りの 中 に戦 い を表 わ す 具 体 的 な 動作 は
写 真1
*31ヨ
*32舞
ルバ 語 と 太鼓 の リズ ム, ピ ッチが どの 程 度 対 応 して い るの か, 今 の とこ ろ は っき り して い な い.
踊 を こ と ば の上 か らみ て み る とjoは 舞 踊 を意 味 し, 場 所 の 移 動 を と もな いな が ら一 定 の動 作 パ タ ー ン
を反 復 す る時 に用 い られ る. これ に対 してmiと い う ボデ ィ ・ム-ブ メ ン トを表 わす 語 が あ る. これ は,
身 体 を上 下 に 振動 させ なが ら左 右 に揺 れ る動 作 を意 味 して い る(フ ォ ラ ・ア ジャ イ ・遠 藤 保 子; ibid p.
133). しか しmiをjoに
くみ 入れ る人 と いれ な い人 が いて, い まだ舞 踊 の 用語 に関 して 統 一 的 見 解 が で て
い な い.
-18-
写 真3
写 真2
で 覚 え て い く。 踊 り手 の年 齢, 人 数 に 制 限 は な い
が, 本 来 は 男性 に よ って のみ 踊 られ て いた 。 しか
し, 今 日, 実際 に は 女性 信 者 も踊 って い る。
よ い舞 踊, よ い踊 り手 の 規 準 は と もに速 い フ ッ
ト ・ワ ー ク が あ げ られて い る。
オ グ ン祭 りの 舞 踊 の核 は, す で に述 べ て きた よ
うに フ ッ ト ・ワ ー クに あ る。
日本 の芸 能, 例 え ば 「鹿 踊 り 」や 「鬼 剣 舞 」で
み られ な い 。 オ グ ン神 の神 話 との 関 連 も今 の と こ
ろみ られ な い。
随 時 踊 られ た 踊 りは, 太 鼓 楽 師 が 踊 りの始 ま り
の リズム を 打 つ こ とに よ って, そ れ まで 地面 に腰
を お ろ して い た信 者 が 踊 り出 す こ とが 多 く, 踊 り
手 と太鼓 楽 師 が面 と向 か う場 面 が あ った。(写 真
3)こ れ は, 踊 り手 と楽 師 が 合 い つ ち や返 答 の い
らな い会 話 を して い る よ う にみ え た 。
上 述 の よ うに観 察 したオ グ ン祭 りで は 舞 踊 が 重
要 な要 素 の ひ とつ で あ る こ とが わ か った 。
そ こで 舞 踊 の 背 景 を知 る た め に, ダ ンスチ ェ ッ
ク リス トを用 いて, オ ル オ デ に イ ンタビュー した。
(表6)こ
れ に よ る と, オ グ ン祭 りの 舞 踊 は, 動
作 に特 別 な意 味 は な く, 舞 踊 の 作 者, 所 有 者 もい
な い。 また そ の 習 得 法 は, 17日 毎 に 信 者 の 家 に 集
ま り, 年 長 の 信 者 か ら, 若 い信 者 が 見 よ う見 まね
表6オ
も, 足 を踏 む と い う動 作 が そ の 舞 踊 の 核 と考 え ら
れ よ う*33が, その 足 の踏 み 方 は異 な り, オ ヤ ンで
は, ま るで タ ップ ・ダ ンスの よ う につ ま先 や踵 を
複 雑 に動 か し, 日本 の よ うに, 大 地 を 踏 み しめ る
こ とは な い。 ア ジ ャイ
ワ ー ク は,
に よれ ば この フッ ト・
狩猟 の動 作 と関 係 が あ る と いわ れ て い
る が, 今 の と こ ろ ど の よ う な 関 わ り 方 を も っ て い
る の か は 不 明 で あ る 。 ま た この フ ッ ト・ワ ー ク は,
グ ン 祭 り ダ ン ス チ ェ ッ ク リ ス ト(抜
*33松
本 千 代 栄 他, 舞 踊 の 比 較 研 究 一舞 楽 を 中心 と して 一
*341982年4月,
イ フ ェ大 学 に て の イ ン タ ビ ュ ー.
-19-
ホ ヨる
粋)
日本 女 子 体 育 連 盟 紀 要, 1969, p, 5∼16。
足 と身 体 の 他 の部 分(胴 体 や 上 肢 等)と は 独 立 し
て 動 き, ひ とつ の 身 体 の 中 で 運 動 の 中 心 が ひ とつ
以 上 あ る と い う多 中心 性*35の 動 きが特 性 と して あ
げ られ る。 ア ジ ャ イ*36は, 多 中 心 性 の 動 きを 生 ん
だ 背 景 と して, ヨルバ の 労 働 形 態 との 結 び つ きを
あ げて い るが, まだ そ れ は 推 論 で しか あ りえ ず,
今 後 の 研 究 に待 た ね ば な らな い。
イ ドウ は, 多 くの ヨル バ の舞 踊 は, 宗 教 的 な う
か れ 騒 ぎを 除 いて, 固 定 化 さ れ たパ タ ー ンが あ っ
VIお
オ ヤ ンの祭 りの舞 踊 に も近 代 化 の波 が お しよせ,
踊 り手 の服 装 や オ グ ン神 の信 者 に今 日的変 化 が あ
らわれ 始 めて い る。
しか し舞 踊 は, 人 々の 生 活 に い ま だ密 接 に結 び
つ いて いて, 原 始 心 性 を 内包 しつ つ, 人 々 に欠 か
せ な い もの と して存 在 して い る。
今 回 の 報 告 は, オ ヤ ンの 町 の ひ と つ の祭 りを通
して 舞 踊 を 検 討 して きた が, 'ヨ ル バ 全 体 に お け る
舞 踊, ひ いて は無 文 字 社 会 に お け る舞 踊 の 本 質 を
論 究 す る一 里 程 と考 え た 。
舞 踊 現 象 の 詳 細 な 分析 と象 徴性, 太 鼓 の リズ ム
と舞 踊 との 関 わ り合 い等, まだ十 分 な 分析, 考 察
が で きな か った 点 も多 い 。
て 正 確 に行 わ れ て い る,*37と述 べ, ま た ア ウ ォ ラル
もIlawe-Ekitiの
舞踊 に一 定 の型 を示 す と記 して
い る
*38
が, オ グ ン 祭 り の 舞 踊 の 場 合, フ ッ ト・ワ ー
ク を 固 定 化 さ せ た パ タ ー ン,
も し くは一 定 の 型 と
と れ ば 同 じ事 が い え る(し
か し, フ ッ ト ・ワ ー
ク 自 体 の 足 の 動 か し方 は,
踊 り手 に よ って か な り
わ りに
*39
異 な る。)
この 舞 踊 は, 動 作 自体 に パ ン トマ イム の よ うな
明 示 的 側 面 が な いか わ り, フ ッ ト ・ワー クを反 復
して い く過 程 で 何 か を表 出 し, 象徴 して い く結 果
を もた らす と思 わ れ る。 観 察 した祭 りの音 と観 衆
と踊 りの 全 体 的 な 場 の 中 で, フ ッ ト ・ワ ー クを反
復 し続 けた 踊 りの 表 情 が 忘 我 の状 態 に な った こと
か らも, これ らは 推 測 され た。
しか し こ こで 触 れ た舞 踊 の 実 態 は, 目に見 え な
い 無形 の感 情 を 肉 体生 命 力 の イ メ ー ジに 結 晶化 す
る とい う, 人 間 と舞 踊 の始 源 の形 態 を 現存 して い
る と認 め られ,-舞 踊 の本 質 へ の探 究 心 を か き た て
る もの で あ った。
今 後, よ り詳 細 な検 討 を続 け た い。
付記
フィール ド ・ワークを可 能に して下 さった
講談 社 ・野 間ア ジア ・ア フ リカ奨 学金 関係各
位, 及, 研 究論文の詳細 な指導 を して下さ っ
た人間文化研究科(博 士課程)の担 当教官, 松
本千代栄教授 に感謝の意を表 します。
仮 りに この フ ッ ト ・ワ ー ク の反 復 が ケか らハ レ
の 世界 へ 移行 す る媒 体 と い え る な ら, ここ に舞 踊
の もつ 原 初 的 な意 味 の ひ とつ が 見 い 出せ るの で は
な い だ ろ うか。
*35多
中 心 性 と い う言 葉 は, Gunther
und
afro-amerikanischen
H.,
Tanzes,
Grundphanomene
graz
ア フ リ カ の 舞 踊 の 特 性 と し て 多 中 心 性 を あ げ て い る.
study
of
States
Dance
as
Negroes
in
a
Constellation
CORD
1976,
して い る.
フ ォ ラ ・ア ジ ャ イ ・遠 藤 保 子;
*36
*37
1dowu
*38
Awolalu
*39祭
り 後,
E.;
ibid
J.;
ibid
und
universal
of
1969で
ま たKealiinohomoku
Motor
p. 17∼pp.
grundbegriffe
edition
166で
Behaviors
des
J.,
Among
afrikanischen
い わ れ 始 め,
African
A
こ の 本 の 中 で は,
comparative
and
United
も ア フ リ カ と ア メ リ カ の 黒 人 の 舞 踊 を 比 較,
検討
p. 134∼135.
p. 115.
ibid
p. 107.
収 録 し たVTRを
見 な が ら オ ヤ ン の 人 々 に イ ン タ ビ ュ ー し た.
に 動 い て い れ ば 同 じ 動 作 の 反 復 で あ る と い う 彼 ら の 概 念 が 得 ら れ た.
踵 が つ こ う が 問 題 に さ れ な か っ た.
-20-
彼 ら に と っ て 右 足,
そ の 際,
左 足 と交 互
は じめ に っ ま 先 が っ こ うが
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