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(ア)から(コ)の10個の選択肢から( )にもっとも適当なものを選びなさい

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(ア)から(コ)の10個の選択肢から( )にもっとも適当なものを選びなさい
(ア)から(コ)の10個の選択肢から( )にもっとも適当なものを選びなさい。マークシートを二列ずつ
使用し、回答が(エ)の場合は奇数行のdをマークします。また、回答が(キ)の場合は偶数行のbをマークし
ます。
A.
独立直後、アメリカ連邦政府とインディアンの各部族は(1,2)を結ぼうとした。インディアンはミシシ
ッピー川以東のアパラチア山脈までの地域に流入し続け、彼らの土地を奪う白人開拓者をおそれていた。そこで
初代大統領 George Washington 大統領との面会し平和共存を申し出た。これに対して、政府はインディアンに(3,
4)正式な条約により土地を保証し、彼らの交易を振興し、彼らを酷使、だましたりした白人を処罰し、自分た
ちの土地に住むインディアンに課税をしないことなどの基本方針を表明していた。ところが実際にはこの約束を
含め両者間に結ばれた多くの条約が白人側によりつぎつぎと破られた。
黒人奴隷制度を独立以降も国内に持ち越してしまった。第三代大統領、(5,6)Thomas Jefferson は奴隷制
度が白人の道徳観念を堕落させると考え、この制度存続に反対する意見を述べ、実際黒人を白人社会から全く分
離してしまう方策を考えた。その後、それをアメリカ政府が実施した。西アフリカに位置する土地をアメリカ政
府が購入し、そこが送還先とされた。1820年から67年までに12、500人を送還したが、費用がかかり
すぎるという理由で中止された。こうして産まれた独立国リベリアは現在も存在する国家である。
1783 年の対英戦争は少数の愛国者により戦われたが、1812 ー 14 年の第二次対英戦争は大多数の国民が支持し
た。この戦争での勝利により、国民は英国に対する長年のコンプレックスを払拭し、自信をつけた。経済的に自
立し、連邦政府の権威を安定させ、独自の文化を主張する気風を生んだ。南北戦争前の 30 年間はアメリカが繁
栄と進歩に酔いしれ、自信に満ちて未来へ向かっていた時代だ。
南北戦争までの時代は(東)北部、西部、南部が独自の発展を示した時代でもある。北部ではピューリタン以
来の(7、8)勤勉、倹約、企業家精神が旺盛で、産業革命が進行し、資本家と労働者という階級の区別が生ま
れていた。Robert Fulton は河川や湖、運河を(9,10)Steam Boat により結んだ。これにより大量の物を運
ぶ物流システムが機能し始めた。Samuel Slater が最初の水力を利用した(11,12)繊維工場を Rhode Island
に作ったのも独立直後のことである。
1830年頃には資本家が労働者を景気の悪化により簡単に解雇し、労働者は惨めな生活を余儀なくされるこ
とが増えていく。南部では、(13,14)綿繰り機(cotton gin)を Eli Whitney が発明したことで、より多く
の綿花生産が可能になった。その結果、よりたくさんの(15,16)黒人奴隷を必要とする農業を基盤とする
社会が発展した。アパラチア山脈を越えて大量の白人開拓民(pioneers)が流れ込み、独立自営農業を基盤とす
る社会を作り上げた西部では(17,18)機会均等、自由競争を特徴とし、農民と労勧者を地盤とする民衆の
力が大きくなった。その結果、1829 年に Andrew Jackson が西部出身者ではじめて大統領に当選する。(19,2
0)Jacksonian Democracy は、この民主党の第 7 代大統領の、南北戦争までの治世や、その時代思潮をさす。
ア:Jacksonian Democracy、イ:綿繰り機(cotton gin)、ウ:正式な条約により土地を保証し、
エ:機会均等、自由競争、オ:比較的平等な関係、カ:黒人奴隷、キ:Thomas Jefferson、
ク:繊維工場、ケ:勤勉、倹約、企業家、コ:Steam Boat、
B アメリカが国土を西へ拡張するとき、白人はインディアンとぶつかることになる。1830年に当時の大統
領が、(21,22) インディアン強制移住法(Indian Removal Act)を制定し、ミシシッピ川以東でアパラチ
ア山脈までの地域に住んでいたインディアンを遙か西のオクラホマへ移住させた。この移住の途中で、特に多く
の Cherokee 族が亡くなった旅路を、(23,24)涙の道、Trail of Tears と呼ぶ。白人に駆逐され、1770
年から1890年の間に、インディアンの人口は115万人から25万人に激減する。
一方、西へと西へと移動する白人の人口の希薄な開拓の最前線は(25,26)frontier(辺境)と呼ばれる
ようになる。この地域では独立心、勇気、平等の(27,28)frontier spirit(開拓者精神)が培われ、民
主主義と結びつき独自の国民性形成へとつながった。
アメリカ独自の価値観が生み出されるとともに、独自の文学を模索する動きが始まった。(29,30)
Washington Irving はアメリカの自然のすばらしさにヨーロッパの歴史の厚みを加味し、さらに空想力を刺激す
る素材を使い、ヨーロッパとアメリカの繋がりを感じさせる作風をもつ。33の短編を含む The Sketch Book が
彼の代表作だ。“The Legend of Sleepy Hollow”の主人公(31,32)Ichabod Crane の風変わりな風貌は “one
might have mistaken him for the genius of famine descending upon the earth, or some scarecrow eloped from
a cornfield.”と描かれる。その土地の伝説で“The dominant spirit, however, that haunts this enchanted region,
and seems to be commander-in-chief of all the powers of the air, is the apparition of a figure on horseback,
without a head. ”と描かれる(33,34)Headless Horseman の事を聞いた後、彼は帰宅の途上、行方知れず
となる。
The Last of the Mohicans を初めとする毛皮猟師とインディアンの友情を中心にした物語を書いた(35,3
6)James Fenimore Cooper は、独立期のアメリカ独自の文学を作り上げる役目を果たした。彼はヨーロッパで
初めて認められたアメリカ人作家であった。Leather-Stocking Tales の主人公、(37,38)Natty Bumpo は、
インディアンの相棒、Chingachgook と広大な森に生活する。彼らの領域に開拓者が迫り、森林を伐採し農地を作
り出すと、(39,40)西に広がる奥深くの森へと逃げてゆく。(次へ続く)
ア:西に広がる奥深くの森へと逃げてゆく、イ:Headless
Horseman、ウ:涙の道、Trail of Tears、
エ:Washington Irving、オ:インディアン強制移住法(Indian Removal Act)
、
カ:James Fenimore Cooper、キ:frontier(辺境)
、ク:Ichabod Crane、
ケ:Natty Bumpo、コ:frontier spirit(開拓者精神)
、
C.
この作家はインディアンと白人の対立を描きながら、(41,42) 自然と文明の対立 がアメリカの抱える
問題となることを浮き彫りにしているのだ。
文明にとらわれるのを嫌い、女性からの求婚からも逃れる彼らは子孫を残すことはないが、文学的な意味での
跡継ぎを残した。Mark Twain の Huckleberry Finn や Herman Melville の Ishmael などが後継者である。彼らは
広大な自然の中で永遠に生き続け、(43,44)自己の本質的生き方を貫くのだ。このように描かれた西部は、
アメリカの夢である無垢なアダムが国家の源となるという神話をゆだねる場として、アメリカ人に理解されるよ
うになる。
また、Chingachgook は、インディアンを Noble Savage として描いた最初の例でもある。原作の最後のインデ
ィアンの酋長の嘆き “The pale faces are masters of the earth, and the time of the red men has not yet
come again. My day has been too long. In the morning I saw the sons of Unamis happy and strong; and yet,
before the night has come, have I lived to see the last warrior of the wise race of the Mohicans.” に
滅び行くインディアンの運命と、白人ながらそのことを見通した作家の見識の確かさが伺われる。
西部地域への領土拡張を正当化する思想は(45,46) Manifest Destiny と呼ばれる。領土拡張論者
(Expansionist)の John O’Sullivan が雑誌上で、(47,48)”to overspread and to possess the whole of
the continent allotted by
Providence for the free development of our yearly multiplying millions”と
いう考えをあらわした。この主張の意味は、自由と平等を標榜するデモクラシーをアメリカ全土に広げることは、
アメリカ人に神が与えた明白な天命だというものである。この考え方は、領土拡張主義とピューリタン以来の独
善主義を内包する侵略思想となり、現在のアメリカ政府のイラクなどへの行動にもつながる。
領土が西へ拡張するにつれ、奴隷制をめぐり国内に激論がまきおこった。(49,50) 北部と西部は廃止を
主張し、(51,52)南部は存続を主張した。ボストンでは奴隷制を、(53,54) ”unjust, oppressive,
degrading”であると主張した William Lloyd Garrison が、雑誌、The Liberators を創刊し、33年には奴隷反
対協会、Anti-Slavery Society を創設した。当時、西部に新たに州がうまれ、その州を奴隷制を認めない自由州
にするか、または奴隷州にするかをめぐり南北両勢力は議会の場で激論を交わした。1850年には、北部や西
部の自由州に逃れた奴隷を、連れ戻すことを認めた(55,56)逃亡奴隷法(Fugitive Slave Act)などが成
立し、南部の見解を尊重し、国家分裂を避けるための妥協もはかられた。しかし、共和党から選出された(57,
58)Abraham Lincoln が大統領に当選した1860年をきっかけに、南部6州が連邦を脱退し、(59,60)
Confederate States of America が樹立し、独自の大統領を選出した。(次へ続く)
ア:Abraham Lincoln、
イ:”to overspread and to possess the whole of the continent allotted by
Providence for the free
development of our yearly multiplying millions”、
ウ:Confederate States of America、エ:逃亡奴隷法(Fugitive Slave Act)、オ:南部、
カ:自己の本質的生き方、キ:”unjust, oppressive, degrading”、
ク:Manifest Destiny(明白な天命)
、ケ:自然と文明の対立、コ:北部と西部、
D。 61年には他の南部諸州がこれに参加し、国家の分裂を承認するか否かを巡り(61,62)Civil War
が勃発した。当初、南軍(Confederate Army)が優勢であったが、63年に奴隷解放宣言(Emancipation
Proclamation)が出されると、北軍(Union Army)が Gettysburg の闘いをきっかけに優勢となった。当時の大
統領が行った Gettysburg で (63,64)“government of the people, by the people, for the people shall
not perish from the earth”と演説し、これは民主主義の根幹を表現する名演説となった。結局、この戦いは5
年間つづいた。近代兵器が使用され、死者の数は双方合わせて62万人(第一次、第二次世界大戦の死者数を上
回る)がでる悲惨な戦いとなった。
(65,66)Ralph Waldo Emerson は著書「アメリカの学者」により、Transcendentalism(超絶主義)を提
唱した。身の回りの物質界と精神界を超越し、あらゆる束縛を逃れた、自由な個人の魂を獲得し、(67,68)
直感 Intuition により、神や万物の真理の認識へ到達することを希求する。超絶主義は Unitarianism を根幹に
した思想である。この宗派はキリスト教正統派の中心教義、(father, son, holly ghost の三位一体)Trinity
の信条に反対し、神の単一性 Unity を主張し、(69,70)ピューリタニズムに代わる主要な信仰の方向性を
示した。しかし、超絶主義は宗教の枠組みを越えた、人間主義的な理想主義や人生態度をさす。当時、産業主義
がアメリカ社会に広がり、物質的になり金銭が支配する世界が生まれ、貧富の差が増大しつつあり、人々の趣味
は低俗化の一途をたどり人間存在の空虚感が社会に漂っていた。超絶主義はそういった社会を改良する運動へも
展開し、男女差別撤廃運動、禁酒、(71,72)奴隷解放運動 Emancipation Movement、平和運動などへ結びつ
く。また自分が絶対的な権威者となることで(73,74)個人主義 Individualism へとつらなり、全ての人が
それを実践すれば平等主義へと帰結する。
超絶主義者として、その理論を実践により確認したのが(75,76)Henry David Thoreau である。彼は町
から少し離れた池の畔に小さな小屋を建てて2年間生活した。その生活を元に著したのが Walden である。この
著書の中で、彼は人生でないものを追い払い、人生を最低の条件にまで引き下げ、そのうえで人生の可能性を見
極めようとした。テーマは再生で、静かな絶望の生活から、詩的なもしくは神聖な生活への目覚め、節制、清浄
化などの(77,78)simplicity を追求したのだ。この池は自然と文明の接点、人生の生の原点をなす場であ
る。彼にとっての(79,80)原生自然/wilderness は、精神と協調し、人を強壮、活性化するために必要だ
った。(次へ続く)
ア:simplicity、イ:個人主義
Individualism、ウ:原生自然/wilderness、
エ:奴隷解放運動 Emancipation Movement、オ:Ralph Waldo Emerson、
カ:直感 Intuition、キ:Civil War、
ク:“government of the people, by the people, for the people shall not perish from the
earth”、
ケ:ピューリタニズム、コ:Henry David Thoreau、
産業化の進む19世紀半ばのアメリカにとって大切にすべき物だと彼が考えたのも無理はない。また、彼は奴
隷制やメキシコ戦争(1846 年、テキサスのアメリカヘの併合ののちに現在のニューメキシコとカリフォルニアを
アメリカに盛る)に反対したことでも知られる。政府に対して忠誠を拒否し、抗議する市民としての義務を説い
た。このような彼の思想は、1960年代に、(81,82) 公民権運動の指導者や自然運動家やカウンターカ
ルチャーの若者に受け継がれた。
(83,84)Nathaniel Howthorn は超絶主義者に加わるが、後に脱退した。孤独な懐疑主義者として、人間
の罪の認識、現在への不信をテーマに創作する。自らを(85,86)ロマンス作家と定義して、現実と虚構の
世界、現実と創造がであう場、中間領域で自由な想像力を羽ばたかせる。もの物事を多面的にとらえようとする
ことから、彼の作品には曖昧性が伴う。
彼の代表的な短編作品は(87,88)“Young Goodman Brown”だ。この作品は1692年の(89,90)魔
女裁判がおこなわれたことで有名な土地、セイレムが舞台である。新婚の Brown と妻 Faith は、美徳がすっかり
夢まぼろしでないという希望にしがみついてきた。ある晩、森で行われた悪魔の集会に参加すると、牧師や村人
がこぞって参加していることにブラウンは気がつく。妻さえもその集会で新会員になる儀式に、自分の隣で参加
していることを知り、(91,92)「悪徳こそが人類の本性なのだ」という考えを受け入れざるを得なくなる。
そうした信ずるべきもの(faith)を失った男の孤独な人生を描いている。象徴的手法を駆使して、人間の心の
闇に迫る短編である。
ア:“Young Goodman Brown”、イ:「悪徳こそが人類の本性なのだ」、ウ:魔女裁判、
エ:ロマンス作家、オ:Nathaniel Howthorn、カ:公民権運動の指導者、
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