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明治後期における三菱合資会社の不動産事業
〈研究ノート〉 三菱史料館論集第 1 7号 , 8 1∼ 97( 2 0 1 6 ) 明治後期における三菱合資会社の不動産事業* 鷲崎俊太郎 1 . はじめに 3 . 1 9 0 9年における議所探の技支状況 2 三菱合資会社の不動産事業. 4 . 主わりに 帯 1 8 保 ∼1 9 1 1年 1 はじめに っ , , 山 ハ U 念品 約 の で る山 える 1 8 9 2(明治 2 5)年 1月 から 1 9 1 0年代にアメリカ 時代を迩 よびオアイス街建設の「揺藍期jと放置づけられ は , とっても,きわめて飛躍的な時期に相当 る 。 1 8 9 3(明治 2 6)年 7月 , を受けて,三菱社は同年 1 2月に組識を改め し 翌9 4(明治 2 7)年 1月から営業を開始し に三菱合資会社(以下, 1 8 9 8(明治 3 1 ) 布されると, た (3) 。 9(明治 3 2)年 2月に公 も翠 9 6月商法強行にあ され にi 之本社の事務が鉱山諜, ることとされていた。しかし 9 9 なってくると,合資会社は 1 9 0 6(明治 3 9 ) 7月 に 地 所 用 度 課 を 設 置 し さ ら に 1 9 0 8(明治 4 1)年初月にはそれを新たに地所課とし 9 1 1(明治 4 4)年 1月地所課は 東京市内における社有地所家屋の賃貸営業をなすこととした。 1 0 0万円の資金が設定されて独立採算制が採期された ω。このように,明治 地所部となり, 3 後期における三菱の土地家屋賃貸業は それに関係する職制の面において非常にドラス ティックな変化を遂げたにもかかわらず,それ以外の,とくに不動産営業の舗面はこれまで 本稿は,平成 2 5∼ 27年度耗学研究費樟助金‘蓋盤研究(C)「江戸・東京における土地市場と不動産収益 本 率の長期的分析:三井・三菱のケーススタデイ J(課題番号: 25380431)の成果の一部である。データ入力 i 菜 え福岡搭英さん(九州大学経済学部議鰭ゼミナール 3 期生)の協力を得た。この場を告ちて, において i 1 くJ 惑欝の意を示したい。 ( 日 丸の内百年のあゆみ 以下,建築物の超工・竣工年月は,三菱地野株式会社社史編纂窓縞 f 史i 費科・年表,索引,三菱地所抹式会社 三議地所社 1 9 9 3年 , 3 4 8∼ 3 5 8ページに基づく。 ( 2 ) 三菱地所株式会社社史編纂議編 f 丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史J 上巻,三菱地所株式会社, 1 9 9 3 年 季 1 4 7ページ。 ( 3 ) 「例葉大金一j(MA-1139). 1 7 0I 地上権登記ニ関スル件J 明治 3 2年 4月 1 5日 。 ( 4 ) 蔀掲『丸の内百年のあゆみi上巻, 1 6 7∼ 1 7 2ページ。なお,三菱における 1 9 0 0年代末に実行された「事 採用のねらいについて,持桧討を施した考察として,武百 Z 詩人「築業部制採用と独立探算制度j 業部制J 菱史料館議集j第 5号(2 0 0 4年 2月)を挙げておく。 8 1 三菱史料館論集第 1 7号( 2 0 1 6 ) 第 1図 丸の内略図 1911(明治 44)年 \ 川崎冷時十岱笠ヤ 約 十 A手 持 一 m w 三菱地的持品帆今 九 p 晶可係省司 ︵教委建計川、ヲヱ (出典)三菱合資会社地所部『古図より見たる丸ノ内一昭和 4年丸ノ内町名地番改称記念 』三菱合資会社 地所部, 1 9 2 9年 , 5 1ページ。 決して十分明らかにされてきたわけではない。 この点について,過去の研究からもう少し検討を加えてみよう。第 1に,『岩崎摘之助伝』 では,三菱の地所事業が嫡之助によって始められたものだとして,明治中期から三菱が土地 投資に進出した意義,およびその結果としての丸の内払下げのプロセスが詳しく述べられて 8 9 4年 6月竣工),第 2号館 ( 1 8 9 2年 1 2月起工, いる(5)。建物の建設については第 1号館( 1 1 8 9 5(明治 2 8) 年 7月竣工),第 3号館( 1 8 9 3年起工, 1 8 9 6(明治 2 9) 年 4月竣工)の紹介を記載 しているものの,その後の建築物については,「かくて明治 38年までに 7号館まで竣成した」, 44年には三菱第 1 3号館までが完成した」と述べるにとどまっている(6)。(以下, 1 9 1 1年時点 「 における丸の内の建物配置図は,第 l 図を参照。) においては,丸の内払下げ後の地所経営として,第 3号館の竣工後, つづく『岩崎久嫡伝J 9 0 0(明治 3 3)年から再開されたことを報告している。 建築工事が一旦停止されていたが, 1 1号館 ( 1 9 0 5(明治 3 8) 年1 2月起工, 1 9 0 7(明治 4 0) 年1 2丹竣工),第 1 2号館( 1 9 0 7 そして,第 1 年 7月起工, 1 9 1 0(明治 4 3) 年 8月竣工),第 1 3号館( 1 9 0 7年 9月起工, 1 9 1 1年 2月竣工)の ( 5 ) 岩崎嫡太郎・岩崎晴之助伝記編纂会編『岩崎摘之助伝』下巻,岩崎禰太郎・岩崎摘之助伝記編纂会, 1 9 7 1年 , 4 0 0∼4 1 3ページ。のちに,丸の内払下げのプロセスは森田貴子『近代土地制度と不動産経営j塙 書房, 2 0 0 7年 , 2 1 7 ∼2 3 8ページによって再検討され,大幅に修正されている。 ( 6 ) 前掲『岩崎調之助伝』下巻, 4 1 3∼4 1 5ページ。もっとも 記述がその程度にとどまるのは,摘之助が 1 9 0 8(明治 4 1) 年 3月 2 5日に死去しているために,伝記の範囲外になるからだと,容易に想像できょう。岩 崎禰太郎・岩崎調之助伝記編纂会編『岩崎摘之助伝』上巻,岩崎禰太郎・岩崎摘之助伝記編纂会, 1 9 7 1年 , 4 9 5∼ 4 9 6ページ。 8 2 明治議期にお汁る (鷲崎) るものの(7),これらの建物の詳細を明確に述べて辻いない。 このような丸の内地所と建築物に関する漠然とした理解に対して風穴を開け, 係を詳述した点で大きな貢献を果たしたのが, である(8)。同書辻,丸の内における まで( 1 8 9 2年 1月∼ 1 8 9 6年 4月)を 4 3号舘竣工まで( 1 9 0 1(明治 3 4 ) 起工かち第 1 2丹〉を「丸の内ビジネス告の開 花期」と区分し,①においては建築家のジョサイア・コン のエピソード をもとにして.②において試現苓する照時期の「丸ノ を題材にして, と与わけ,内田の回謹をもとにして, 所期奉公」 建設への責託であると位置づけ,三菱における f i i , ていた点を評価している。その反 I された 1 8 9 4∼ 1 9 0 7 会社全需の収益金の中で 5 ∼1 0ヲらを占め, 玄,および水田経営 内を合む東京地 j し )( 1 4 。 ) として,地所部門 した技益課だったと位寵づけたほかは,丸の していた新潟事務所の損援に触れている f 吉方,旗手勲は,三菱の不動産経営について,百本の経済と社会の変動と関連づけながら, ら第二次世界大戦畿の財関解体までを,全体の企業活動と結びつけつつ分析を試 しかし明治期のそれについては,前述の?丸の内百年のあ母みJに椋拠した ( 7 ) 岩崎久摺伝樋纂委員会編『岩崎久備法j岩崎久粥伍編纂委員会, 1 9 6 1年 , 4 2 5∼ 4 2 6ページ。問書の地所 経営辻,むしろ農事に関する記述を充実させた点で高い評価を持ている。とくに,岡山県児島湾の開拓事 ,4 3 3 ∼4 3 5ページである。前掲 f え 業に関する三菱の事勝を初めて明らかにしたのは,前掲『岩崎久環器j の内百年のあゆみj上場 1 5 0∼ 1 5 1ベ…ジも参摂せよ。 ( 8 ) 高 官 謁f 丸の内吉年のあゆみj上巻, 1 1 6∼ 1 4 7ページ。 ( 9 ) ジョサイア・コンドル(J o s i 出 C onder) は , 1 8 5 2(嘉永信年 9月イギリスに生まれ, 1 8 7 7(明治 1 0) 年1 月政府の括轄で来日した。工部大学造家学教蹄を勤める鋳ら,工部省替繕局に所属して諸官;?の建築に従 事,のち内務省顧問技師,者国大学工科大学講師になった。また麻布三河合軒の いて,公私の建築設計を請け祭った c 三菱との関係としては,丸の内の事務所街,菊之島の高輪部,箱袈 l lの岩崎妻女慕堂を設計している。 1920(大正 9)年 6月東京に没した。前掲『岩斡5 龍之助伝J 湯本邸,東京玉J 下 宅 金 , 5 3∼ 54ページ。 ( 1 0 ) 曾藤達蔵は唐i 章藩の出身で, 1 8 5 6(安政 3) 年1 1丹に生まれた o 1 8 7 8(明治 1 1)年工科大学造家評を卒業 して同大学勤教授になり,ついで語草省技師,控世保革港築港委員に会ったが,恩部コンドルの推鳶で三 9 3 7(昭和 1 2 ) 菱に入社,丸の内の建設工事を担当した。のちに中擁精一部と曾議中候建築事務所を経営, 1 年1 2月没した。蔀掲『岩崎粥之湯缶J 下巻, 4 1 1ページ。 ( 1 1 ) 1 8 8 5(鴇治 1 8)年東京主主まれ。三菱退職後は, 1921(大正 1 0)年東京帝間大学教授, 1 9 4 3(昭和 1 8)年から j 司大学総長。本郷の東大キャンパスの建物を数多く設計した。 1 9 7 2(昭和 47 )年没。前掲 f 丸の内吉年のあ 1 9ペ…ジ。 ゆみj上巻, 1 〔 1 2 ) 1 8 7 7年東京生まれ。 1 9 0 0年,工科大学建築学科卒。 1 9 0 4(明治 3 7) 年1 1丹 主 菱 に 入 札 曾 繍 達 識 の あ 9 0 8年歌米指張, 1 9 1 2(明治 45)年の退職後詰建築事務所を設立し, とを受;?で丸ノ内建築所所長となる。 1 9 4 2(昭和 1 7)年没。前掲 f 丸の内若年のあゆみi 上巻, 1 8 9ページ。 地方銀行や住宅を手掛けた。 1 ( 1 3 ) f 社誌瞬表 各支店決葬勘定書j昭和 3年 5月三菱合資会社資料課腫苓( MA-6113 ∼1 5 。 ) ( 1 4 ) 前掲 f 丸の内百年のあゆみj上巻き 1 7 2∼1 7 5ページ。なお, 1 8 8 7(明治 20 )年から 9 3年までの三費社に おける新揚県の農地経営に関して拭,前掲『近代土地制度と不動産経営j,第 7章を参照せよ ( 1 5 ) 旗手勲 f 三菱財欝の不動産経営i日本経済評論社, 2 0 お年。 83 三菱史料館論集第 1 7号(2 0 1 6 ) ために,新たなi 害報や解釈を蒋設に提供できているわけではない。 鷲崎俊太部は,これまで明詰期三菱における東京の土地投資と 支状況を,岩崎嫡太郎が九十九商会東京支1 1 5を開設した 1870(明治 3)年から明らかにしてき たのとりわけ, 1 8 9 0(明治 2 3)年の練兵場払下げから第 l号館起工までの間, 同 7に対して丸の内開発のプロトタイプとごとるべく成果を期待していたからこ の先行投資を続けてこられたのであり 高い利潤を上げられずとも,自らの手で住宅という 府庁、インプワケ…ションだったと る直言官の 1 9 0 5年までしか考察できていを A 。 司 ︶phυ 、 h v 、 ︵ai した吉宮, ロμ γi も , 以上の先行研究 における三菱の不動産経営の実態を追究するためには, していく作業が求められる。そこで管見の探り, してみたところ,地所課(部)の 1 9 0 9(明治 .地所部と変更) 1 9 0 7年を境にいまのとこ レベルで吟味して集計し, 当時における三菱の不動産経営を この作業は膨大な時間を要す 後調的に捉えるうえでも るため,その手始めとし につい を行っ を述べ ておくことにしたい。 2 . 三菱合資会社の不動産事業: 1894∼ 1911年 f 揺藍期Jにおける おいてどのような地位に 丸の内百年のあゆみjには簡単な記述が寄せられているが(同,ここで あったのだろうか o f 改めてもう少し丁寧に考察してみることにしよう。 1表は, 1 8 悩 ∼1 ヲ1 1年までの合資会社における本社の業態別損益の推移を示したもので ある。開表でいう「地所家屋Jとは,東京本部,新海事務所,および本社宣轄地所家震にお ける損益を意味する(後掲の第 2表を参照)。これによると,当該の 1 8年開における 室の収議額は,地1~家賃が比較的自定されていたことから(20),あまち大きな変動を示さずに ( 1 6 ) 鷲埼稜太郎「5菱における東京の土地投資と不動斑経営: 1 8 7 0∼ 1 9 0 5年JI 三菱史料館論集』第 1 0号 , 2 0 0 9年 3月 。 む の 管見の限り, 1 9 2 8(昭和 3)年までの「収支証書Jを確認したところ, 1 9 0 9年 3∼6月 , 1 9 1 2年 8月∼ 1 3 年1 2月中旬, 1 9 2 2年 5月∼2 3年 2月中旬辻欠本だった。刊文支証書J(MEC-235∼2 3 6 ,2 9 0∼2 9 3 .2 9 6∼ 3 2 0 。 ) ( 1 8 ) 実際,蔀謁 f 三菱における東京の土地投資と不動牽経営」で 1 8 8 0∼9 0年代の「勘定証書Jから同様の作 業を行ってみたところ 収支状況を本足なく伝えていた事実が判明している。 ( 1 9 ) 諒揖 f 丸の内百年のあゆみ』上巻, 1 7 5ページ。 ( 2 0 ) 東京地誌の地所議長躍における地代家賓の誰移は 前掲「主餐における東京の土地投資と不動産経営 J , 4 5∼6 6ページを参照。 8 4 < J i 亡 3 7 5 , 0 0 0 2 , 3 0 7 , 4 5 4 7 0 , 0 0 0 1 1 4 , 1 1 2 1 3 7 , 8 8 6 2 5 0 , 0 0 0 3 , 6 8 8 , 6 5 1 1 . 5 0 0 , 0 0 0 合計 1 9 , 3 4 3 , 2 3 0 2 , 1 6 5 . 8 1 4 1 , 5 0 0 , 0 0 0 1 , 5 0 0 , 0 0 0 1 , 5 0 0 , 0 0 0 鉱業器 1 6 5 , 2 2 6 9 6 9 . 9 6 5 1 . 5 1 4 , 5 1 3 7 4 0 , 7 2 2 5 7 6 , 0 5 4 741606 1 , 1 4 2 , 2 8 2 1 , 4 7 7 , 0 4 6 2 . 1 3 2 , 4 1 4 え2 5 7 . 1 0 8 2 7 8 , 5 5 5 2 4 8 , 8 8 7 2 7 2 , 0 1 1 1 6 1 , 0 2 7 鉱山 6 , 1 8 9 , 4 9 3 9 3 3 . 1 3 8 7 0 7 , 1 8 8 9 1 8 , 5 1 0 3 8 4 , 4 3 5 5 3 3 , 2 4 7 4 1 6 , 5 9 6 366622 1 8 5 , 1 9 2 3 4 1 , 2 3 4 6 8 , 5 5 8 2 8 7 , 0 7 3 2 1 4 , 1 4 2 8 6 , 0 1 1 7 4 7 , 5 4 7 f 山 P ミ タ ふ ん も 5 7 9 , 8 9 8 6 7 , 7 2 1 1 7 9 . 5 7 1 7 0 , 0 0 0 6 0 , 2 9 7 3 4 , 5 7 1 7 5 , 3 0 8 1 7 , 6 3 8 3 1 . 2 3 2 3 2 . 0 8 3 3 7 , 5 8 3 9 , 1 6 9 製:練所 6 3 , 1 6 0 5 3 2 , 3 0 5 9 0 9 3 , 0 4 4 , 7 3 3 2 4 2 , 9 6 1 2 5 2 , 9 2 5 1 6 9 , 3 9 7 2 7 3 , 8 3 6 2 6 5 . 1 1 0 1 3 1 . 5 5 1 7 8 , 1 2 0 9 7 , 1 5 6 1 2 6 . 6 9 4 1 5 0 , 6 8 5 7 5 , 4 6 8 1 0 8 , 4 1 4 お7 , 2 0 7 1 5 7 , 6 6 9 1 9 0 , 9 5 2 1 9 4 , 8 8 5 2 1 8 , 0 0 1 2 1 3 , 6 5 6 1 5 6 , 5 5 8 5 6 , 0 1 8 4 4 , 7 1 7 1 4 2 , 5 7 0 6 7 , 1 9 6 1 9 , 4 5 1 8 , 7 7 2 8 , 8 0 0 3 6 , 6 4 2 1 0 , 8 4 4 絵繭i 護送 4 2 1 , 0 1 0 1 6 , 0 3 9 140β00 1 3 8 , 7 7 2 2 7 , 6 4 4 8 5 , 2 7 9 5 , 0 0 0 8 , 2 7 6 其他諸利益 3 7 , 6 0 6 . 7 7 5 1 . 9 6 7 , 0 3 8 1 , 9 0 7 , 2 8 3 2 , 5 1 4 . 8 7 4 ら ,7 8 , 7 7 5 2 4 , 0 7 4 . 1 0 0 3 , 7 3 6 , 9 1 2 2 . 4 1 0 , 4 7 7 2 , 8 2 5 , 1 4 7 2 , 3 0 1 . 0 9 7 え4 9 4 , 0 0 5 2 , 3 6 8 , 9 7 4 2 , 2 1 9 , 6 5 1 1 , 6 6 6 , 6 4 4 1 . 2 2 5 . 4 0 3 1 . 0 2 8 , 2 1 0 6 9 5 , 8 3 4 1 , 1 2 7 , 7 9 0 464559 損益合計 ( 注 ) 1 . すべて本社へ納村する和議議を示す。 2 . 銀行部は利益金のうち本社納付金を, 1 9 0 8年以後各部の和議についても本社納付金のみそ掲げる。 3 . 鉱業部の科益には, 1 9 1 0年までは紘出・炭坑・製:煉所・支窓分を含み, 1 1年分には支自分を含まない。 4 . 1 9 0 5若手立i 注 軒舶渡送に関する援益は支店損益に合算。 5 . 1 9 1 1年 分 の 利 益 は , 鉱 業 態 営 業 部 , 地 所 部 と も 1 5か月分の利益給付金である。 6 . 1 9 0 9年鉱業部純益金〈諸引去残純益) 1 , 9 9 1 . 1 4 6 . 5 6 9円のうち, 1 , 5 0 0 , 6 2 5 , 0 2 7 . 2 6 6円のうち, 1 , 5 0 0 , 0 0 0阿を本社へ納付。 7 . 1 9 1 0年鉱業部純益金(諸引去残純益) 2 i 奇年営業部純議金 6 2 3 , 7 5 8 . 8 0 0円のうち, 3 7 5 , 0 0 0円を本社へ納材。 8 . 1 9 1 1年度鉱業部純益金 1 , 8 8 0 , 2 9 1 . 6 3 0丹のうち, 1 , 5 0 0 , 0 0 0内 0 1年は立神丸譲渡議, 02'.与は笑蓉売益,諮?若丸委イす,児島湾売益, 9 . 3 毛他諸利益: 1 8 9 6年は須磨丸発益, 9 7年はぱール抹売益, 1 1年は株式配当金。 (出典H三菱合資会社本社業態 ' 3 U損 益 累 年 表J .I 社 史 摺 表 豆 菱 合 資 会 社 本 社 資 産 負 僚 損 益 諸 表j明 治 2 7∼44年(はA-6112),所収。 営業部 1 0 8 5 8 8 1 8 2 , 8 7 4 2 3 2 , 7 5 2 2 4 1 , 6 9 4 2 7 2 , 0 2 5 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 0 8 0 9 1 0 1 1 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 4 5 1 , 4 4 9 5 6 4 , 9 9 4 …4 4 , 3 3 0 1 8 4 , 4 3 9 3 9 0 , 4 5 9 4 5 0 . 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 8 2 . 1 1 2 1 2 , 9 4 8 4 1 42 43 44 1 0 , 4 2 9 4 6 , 6 7 2 8 , 5 7 8 2700 1 9 3 , 7 5 9 1 0 8 , 3 7 5 1 2 4 , 9 4 8 2 3 8 , 2 1 7 1 6 0 , 8 4 3 1 0 0 . 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 0 0 , 0 0 0 1 5 0 , 5 4 1 4 7 0 , 4 4 0 4 2 3 , 7 3 8 1 2 1 , 6 8 9 2 1 5 , 9 3 0 遊離 1 8 9 4 現治2 7 2 8 9 5 2 9 9 6 9 7 3 0 98 3 1 9 9 3 2 1 9 0 0 33 0 1 3 4 3 5 0 2 3 6 0 3 04 3 7 0 5 3 8 06 3 9 40 0 7 一 年次 第 1袈 三 菱 合 資 会 社 本 社 業 態 別 損 益 累 年 表 2 7 . 7 2 7 , 2 4 5 立8 7 9 , 5 2 9 03年は細地鉱山議議代, 1 , 6 6 2 . 2 0 6 1 , 8 3 9 , 7 4 6 1 . 7 4 8 , 3 0 0 1 , 4 4 5 , 3 8 3 3 , 0 1 0 , 7 7 2 2 , 6 9 2 , 3 1 1 1 . 8 1 9 , 0 8 9 1 . 7 2 0 , 5 5 9 1 , 1 0 0 , 2 6 0 1 , 9 1 2 , 9 0 4 2 , 2 7 1 , 0 1 1 3 5 5 , 4 2 6 1 , 1 0 7 , 9 2 6 719529 6 8 , 3 6 7 4 4 9 , 4 3 0 1 , 8 2 1 , 6 0 6 1 , 9 8 2 , 4 2 1 づ 1 宅 と ? I :全市タモ 8 3 0 . 4 8 6 5 2 1 . 6 5 5 2 4 5 , 0 7 7 6 7 5 , 1 2 9 5 6 6 , 3 8 3 4 9 7 , 5 7 3 5 5 4 , 1 3 7 1 , 0 6 3 , 3 2 9 1 , 0 4 4 , 6 0 0 5 4 9 , 8 8 5 4 9 9 , 0 9 2 1 0 9 , 1 3 3 1 1 7 , 4 7 7 3 0 8 , 6 8 1 6 2 7 , 4 6 7 6 7 8 , 3 5 9 4 7 9 , 4 9 1 5 1 1 , 5 7 4 営業製;窓 ( 円 ) 主 紺 義 三菱史料館論集第 1 7号( 2 0 1 6 ) 第 2表本社鹿轄地・地所諜(表幹 年次 東京 7 1 8 9 4 明治 2 地所家謹損益金場所望日内訳表 大薮 持戸 1 2 , 7 7 2 1 , 4 0 6 6 2 4 一 新議 合計 児島湾 本社への 結付金 4 7 , 7 0 0 6 5 8 6 3 , 1 6 0 6 3 , 1 6 0 4 3 , 0 5 8 …2 8 7 7 5 , 4 6 8 7 5 , 4 6 8 4 7 , 5 1 4 -551 1 0 8 , 4 1 4 1 0 8 , 4 1 4 9 5 2 8 2 6 , 0 5 5 6 , 6 4 2 9 6 2 9 5 5 , 7 2 6 5 , 7 2 5 9 7 3 0 6 9 , 3 7 1 1 7 , 8 3 6 8 7 , 2 0 7 8 7 , 2 0 7 9 8 3 1 8 3 , 2 0 7 1 3 , 9 5 0 9 7 , 1 5 6 9 7 , 1 5 6 9 9 3 2 8 7 , 1 7 6 3 9 . 5 1 7 1 2 6 , 6 9 4 1 2 6 , 6 9 4 1 9 0 0 3 3 9 1 . 9 4 7 5 8 , 7 3 8 1 5 0 β 8 5 1 5 0 , 6 8 5 0 1 3 4 9 9 , 8 2 8 5 7 , 8 4 0 1 5 7 , 6 6 9 1 5 7 , 6 6 9 0 2 3 5 1 0 8 , 5 7 5 1 5 . 7 3 9 6 6 , 6 3 9 2 3 4 . 5 1 6 1 9 0 , 9 5 2 0 3 3 6 1 2 1 , 4 9 7 1 3 , 7 3 5 5 9 , 6 5 4 1 9 4 . 8 8 5 1 9 4 , 8 8 5 0 4 3 7 1 5 3 , 8 1 3 1 4 , 4 3 1 4 9 . 7 5 7 2 1 8 合 ,0 1 2 1 8 , 0 0 1 2 1 3 , 6 5 6 4 3 , 5 6 4 0 5 3 8 1 2 7 , 5 2 0 1 4 , 3 4 0 7 1 , 7 9 7 2 1 3 , 6 5 6 0 6 3 9 1 2 3 , 1 0 6 1 4 , 4 4 5 1 9 , 0 0 7 1 5 6 , 5 5 8 1 5 6 , 5 5 8 0 7 4 0 1 5 7 , 2 5 1 1 3 , 0 2 4 9 4 , 8 3 5 2 6 5 , 1 1 0 2 6 5 , 1 1 0 0 8 4 1 2 0 9 , 4 号 。 1 1 , 3 8 7 2 2 , 0 8 4 2 4 2 . 9 6 1 2 4 2 , 9 6 1 0 9 4 2 1 8 9 , 6 7 8 1 3 β 7 9 1 5 , 3 7 0 3 4 , 7 9 8 2 5 2 , 9 2 5 2 5 2 , 9 2 5 1 0 4 3 2 0 1 , 4 6 3 1 2 , 9 7 0 1 4 , 1 4 3 4 2 , 3 9 0 2 7 0 , 9 6 6 1 6 立3 9 7 1 1 4 4 4 4 4 , 1 1 0 2 3 , 6 8 5 2 5 , 1 5 1 4 4 , 9 2 3 5 3 7 , 8 6 9 2 7 3 , 8 3 6 2 , 3 6 2 , 5 8 4 6 3 , 5 0 8 1 5 2 , 3 8 7 8 3 2 , 0 3 7 , 0 4 4 , 7 3 3 4 3 , 3 8 3 3 , 4 5 3 . 8 9 9 3 合計 円 〈 注 )1 . 党書湾関懇地は 1 9 0 2年に藤沼組へ売却。この売却益 i 点本社への給付金に含まれない。 2 . 本社直轄地所建物のうち, 1 9 0 8年度から東京・新潟所在のものを地所課へ振替,本 社車轄のものは大阪・神戸所在地所建物となる。 r 〈出典)「本社室轄地地月号家翠損援金場所都内訳表・議所諜(部)頴益黒部表J . 社史防表 菱合資会社本社資産負禽損益諸表j明治 2 7∼ 4 4年( MA-6112 ),所収。 たど引ている。その本社損益合計に占める比率は, 1 8 9 4年の時点で 1 3 . 6誌を誇ってい たものの,造船・鉱山’炭坑部門の収益増加に伴って相対的に遥減し, 1 9 0 6年には 3 . 8 %ま で低下した。しかし,その翌年から再び、上昇し強める傾向 ι あり, 1 9 1 1年に辻 1 0 . 9 %ま 復している。 1 8年間分を平均したその比率は 8 . 1%に裂遣し炭坑・鉱山部門ほど大きなウェ イトを誇らずとも,安定した収益源であったとみて相違ない。 ただし,第 1表で見た「地所家霊J の損益は,正確に言えば,本社直轄地および地所課(地 所部)が所有する地所家患部門の利益金から本社へ納付された金額を訴している。したがっ ない。 て,地所家患部門の利益金額 したもの,およ 2表の f 本社への続付金J る 。 9 0 2 る 。 1 8 6 にちいては, きく異なるのは,お0 2年度, 1 9 1 0∼ 1 1 缶組ヘ売却された利益金が本社の絹 明治後期における三菱合資会社の不動態事業(鷲埼) れなかったためであり, 1 9 1 0∼ 1 1年度の場合は,地所部設置による強立採算制 および内部資本制震の採用によって,資金の 6分がよ納金(純益納付金)とし されるかわりに残余の部内留保が認められることになったからである制。 第 2表によると,本社直轄地および地所課(部)が所有する地所家屋の収益課、は, て,…っとして東京地区いまーっとして新潟事務所であったことが理解 できる。 1 8 9 4∼ 9 5年疫においては倉新海事務所の損益が東京地区のそれを上田ってい しかし, 9 6年度以降は,第 3号館まで竣工したことによる賃貸収入の増加もあって, 区の損益が新潟のそれを上回り 1 9 0 8年度には全体の 8 6 . 2 %を占めるまで、に至った(22)。さら 9 1 0∼ 1 1年度におけるその比率は,分母に「本社への納付金jではな に,地所部設置以誇の 1 く,地所家屋損益金の「合計Jを用いたとしても, 7 4∼ 82%を誇ってちり,当該 1 8 した。 1 9 1 1年には既に第 1 3号館まで竣工していた点を {とりわけ丸の内)の収益 という構留が完成していたと判断して差し支えない。 さて,ここまで1 立合資会社における不動産事業の損益というブローに著目してきたので, 次にその資産ストックの推移について見ていこう。 3表は,合資会社本社の所宥資産を,前表と同様に 1 8 9 4∼ 1 9 1 1年授の 1 8年間について 部門別に比較したものである。向表の中で いる点については 1 9 0 8年度に「地所課jという填自が新設されて 若干の説明を要する c 本社藍轄の地所家屋のうち 潟所在のものを地所課へ振り替え 同年度から東京・新 本社藍轄のものは大阪・神戸所在の地所家産となった。 1 9 0 8年 1 2月 3 1日現校における地所家患資産の明細表(第 4表〉に描かれている 第 4表 i こよると,新潟事務所における蒲原郡の地所 3 7万 5 0 1 5丸東京における神田区 崎町,地所: 2 8万 7 1 1 6円ト芝毘(愛宕町・内幸町,地所: 9万 3 7 3 3円ト舟島(地所: 3 1 9 7 8円ト麹町(丸の内,地所: 2 9万 8 8 5 6円,家屋: 9 1万 4 0 4 1円ト京構区(越前堀,地所: 2 0万 0 3 5 6円ト深川区(伊勢崎町・小松町・蓄吉町・松賀町一 5 8 9 8丹)の地所と家屋がすべて地所諜へ振与替えられたむこれと入れ替わる形で, 大阪支店の地所(2 1万 0 3 7 6円〉と家産(3万 6 5 2 7円)と,神戸支店の地所(9万 9 0 3 6円〉と家 ( 2 6万 6 2 5 0円〉,および蒲原郡にある れた。これらの合計である 6 2万 2 1 6 1円が, に相当するむなお,これら は,第 4表にあるとお乃, ( 9 9 7 3 3表における 1 9 0 8年の って市借ではないが,建物に対しで も2 %, されている点を強調しておきたい c さて,第 3表によると,本社の地所家騒資産辻, 1 8 9 4年長の 2 1 0万円から 1 9 1 1年度には 4 1 3万円(本社車轄分と地所諜捺替分の合計)へと約 2 f 告に増加していたのしかし,本社の総 自体も,造船所の資金・当盛貸越,各支店当盛賛越,各炭坑およ ( 2 1 ) 前掲『丸の内百年のあゆみj上巻' 1 7 2ページ。 ( 2 2 ) 地方,新潟事務所の収誰は,天候と農作物市場の動向に大きな影響を受けるので,変動しやすい。と 8 9 7年には天候の不!!!震と害車被害による大詩作となった c 9 9年以韓は急速な回復を見せてはいるが, くじ 1 丸の内百年のあゆみj上巻, 毎年の停び率誌変動しやすく 東京地区との格差は宗がる一方だった O 能掲 f 1 7 5ページ。 8 7 三菱史料館論集第 1 7号(2 0 1 6 ) 第 3衰 三 三 菱 合 議 会 社 本 社 資 産 興 年 比 較 義 銀行部資金 年次 7 1 8 9 4 暁治 2 2 8 9 5 2 9 9 6 3 0 9 7 3 1 9 8 3 2 9 9 3 3 1 9 0 0 3 4 0 1 0 2 3 5 3 6 0 3 3 7 0 4 3 8 0 5 0 6 3 9 4 0 0 7 年次 銀行部資金 4 1 4 2 4 3 4 4 0 8 0 9 1 0 1 1 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , ( 目 。 。 1 , 0 0 0 . 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 . 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 。 工0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 , 0 0 0 . 0 0 0 1 , 0 0 0 , 0 0 0 1 . 0 0 0 , 0 0 0 1 . 0 0 0 , 0 0 0 造船所資金 造船所 当窓貸越 若松門司 7 0 0 , 0 0 0 6 8 . 2 2 3 2 7 2 , 4 7 7 7 0 0 . 0 0 0 ぇ000 。 ,ω 5 6 , 9 1 7 。 2 , 0 0 0 , 0 0 8 2 6 , 3 5 7 2 , 0 0 0 , 0 0 0 6 1 0 , 6 8 8 9 4 4 , 4 8 5 2 . 0 0 0 . 0 0 0 2 , 0 0 0 , 0 0 0 2 , 2 1 3 , 3 5 4 , 0 0 0 3 2 , 0以0 , 1 5 7 , 2 9 5 2 , 0 0 0 , 〔 目 。 。 3 , 8 0 1 , 4 5 9 2 , 0 ( ゆ ,0 0 0 4 , 5 3 9 , 8 7 0 え0 0 0 . 0 0 0 ゑ4 4 9 , 5 0 5 2 , 0 0 0 , α 0 0 7 , 7 4 1 . 1 4 3 , 。 { ∞ 2 , 0 0 0 8 . 6 2 6 , 3 5 5 2 , 0 0 0 , 0 0 0 1 4 , 0 5 2 . 5 5 3 6 0 , 0 0 0 6 0 , 0 0 0 6 0 . 0 0 0 6 0 0 0 0 0 0 6 00 6 0 , 0 0 0 6 0 , 0 0 0 6 0 , 0 0 0 6 0 , 0 0 0 6 0 . 0 0 0 6 0 . 0 0 0 6 0 . 0 0 0 6 0 , 0 0 0 笹 造船部勘定 造船部貸金 営業部勘定 8 . 5 8 0 . 0 0 0 8 , 7 5 0 , 0 0 0 8 , 7 5 0 , 0 0 0 8 , 7 5 0 , 0 0 0 各長坑資金 支窓資金 4 5 0 , 5 6 0I 6 2 2 , 1 5 6 5 9 7 , 3 2 2 1 , 7 4 5 , 9 0 3 2 . 0 1 2 , 7 1 1 2 , 4 4 9 , 4 3 5 3 . 0 8 7 . 8 1 6 1 , 4 6 7 , 0 4 1 1 , 4 3 8 , 2 3 5 2 , 2 8 2 , 2 3 5 2 , 2 0 8 . 7 2 6 2 . 4 4 9 , 7 8 5 3 . 3 8 8 , 9 0 4 51 4 8 . 1 5 1 望 営業部貸金 7 . 8 0 0 , 0 0 0 7 , 8 0 0 , 0 0 0 5 , 8 ぬ0 0 0 3 , 0 0 0 , 0 0 0 5 0 0 , 0 0 0 各炭坑 各鉱山資金 ~~貸越 9 2 0 . 0 0 0 1 , 4 0 0 , 0 0 0 1 , 5 3 8 , 4 5 1 2 , 3 4 8 , 8 9 1 2 , 5 4 9 , 0 8 8 2 , 7 8 4 , 3 5 2 3 , 2 1 0 . 3 4 6 3 , 3 0 2 , 5 4 2 3 , 1 1 2 , 4 0 2 3 , 6 3 0 , 4 3 7 3 , 8 3 0 . 2 6 0 3 , 5 5 1 , 7 0 7 3 , 2 2 1 . 7 8 8 3 , 1 8 7 , 7 7 7 2 2 , 5 2 6 1 8 0 , 5 4 7 3 8 5 , 8 9 8 1 2 0 . 8 4 2 2 2 6 , 0 4 3 9 2 , 8 0 0 1 9 9 9 9 6 8 7 1 , 8 9 6 5 8 2 , 0 2 4 4 1 . 4 9 3 1 7 1 . 6 9 7 6 7 26 0 9 望 鉱業部勘定 鉱 業 蝦 金 1 5 , 0 0 0 , 0 0 0 1 5 , 0 0 0 , 0 0 0 以0 , 0 0 0 1 5 , 0 1 2 , 0 0 0 , 0 0 。 1 , 3 8 0 , 0 0 0 1 , 2 6 0 , 0 0 0 4 . 4 3 0 , 0 0 0 4 , 8 4 3 . 4 3 8 5 , 3 9 4 , 7 4 4 5 . 3 3 1 , 5 4 2 4 , 9 5 8 , 7 9 1 生7 5 7 , 9 7 3' 4 , 3 9 1 , 9 4 3 生2 3 3 . 0 8 0 3 , 7 9 3 , 5 9 2 3 , 0 1 5 , 8 0 6 3 , 1 3 9 , 0 7 6 3 , 7 8 5 , 9 5 1 i 3 0 0 , 0 0 。 3 0 0 , 0 0 0 1 , 2 0 0 , 0 α。 〈 注 ) 1 . 1 8 9 5年 1 0月 1 6日議仔部設麓。 2 . 1 8 9 6年以誇,各鉱山には大阪製煉所分を含む。 3 . 1 9 0 5年 7月 2 0B神戸造船所設立。 4 . 1 9 0 5年?丹羽田和田建築所廃止。 5 ‘ 1 9 0 6年 7) ヲ1 7日鉱業部及び、地所課新設。 6 . 1 9 0 7年 3月 2 0お造輪部設置。 7 . 1 9 0 8年 1 0月 1日より名部独立の資本金額を有する 0 8 1 9 1 1年 1月より営業部設量。 明治 2 7∼ 44年( MA(出典H竺菱合資会社本社資産累年比較表j,「社史陪表 三菱合資会社本社資産負僕損益諸表J 6 1 1 2 ),所l [ X . 。 ‘ 持って C 2 3 ) ' 1 8 9 4年震の 6 3 5万円から 1 9 1 1年授の 3 9 6 7万円へと 6帯以上に増加していた。そ 丈 1 8 9 4年震の 3 3 . 1免から 1 9 0 7年度の 6 . 7 % のために地所家躍資産の総資産に占める比率 i まで減少したのち, 1 9 1 1年度には 1 0 . 4 %まで回復するという推移を描いていた。したがって, トックは,三菱の中でも大きなウェイトとまではいかないにしても, を抱えていたと言える それでは,これらの地所家騒が生み出 2表における地所家産損益金の「合計jを とって,その資産収益率を表したものが, どれだけであったのだろうか。 おける f 地所家窪J の資産額を分 あたる。第 5 ( 2 3 ) 長崎造続所は 1897年前後より設構の改良拡張を逐次い行ったが,合資会社はさら 合間して, 1 8 9 2 ∼93若手ごろから持戸市和国際に造船所新設の準備を進め, 1900年には所要土地の買収を終 了した。侍年 6月,合資会社は神戸造語所建設のため神戸支諾管轄下に和田建築所を設費して準欝工事に 和 田 建 築 所ji ま,その資産 着手,翌年 2月この建築所を本社直轄に場り替えて工事を滋めた。第 3表中の f 吉田年 7J j持戸三菱浩船所として営業を開始した。三菱重工業教式会社社史輔纂議議 f 三菱重工 を表す。 l 業 総 式 会 社 史i三菱麓工業報式会社, 1 956年 , 45∼ 47ページ/前掲『丸の内百年のあゆみJ 上巻, 1 40∼ 1 4 1ペー 88 明治後期における三菱合資会社の不動産事業(鷲時) ( 円 〉 各鉱山 各汽船資金 6 8 , 7 3 2 1 3 1 , 0 2 9 2 8 3 , 9 1 3 5 7 6 , 6 1 1 2 2 1 , 3 2 4 4 2 , 0 0 1 2 5 4 β 1 6 6 1 1 , 6 0 5 3 2 0 . 5 0 5 2 5 5 . 6 4 2 2 6 4 , 8 7 3 5 6 2 , 5 9 0 1 . 7 1 1 , 9 8 9 地所家屋 和昭建築爵 諸公債株式 7 6 . 0 0 0 2 . 1 0 5 , 4 5 7 , 4 3 0 , 8 8 3 1 6 7 , 2 0 0 2 1 4 0 , 6 5 1 2 , 5 0 6 , 1 2 7 1 3 3 , 6 1 8 2 . 6 3 0 , 0 5 6 1 2 6 . 9 3 7 2 , 6 2 5 . 6 3 6 4 4 8 , 3 7 1 2 . 6 0 5 , 8 3 4 7 4 9 , 9 2 3 1 . 9 9 3 , 8 0 5 , 4 2 0 , 5 1 8 3 9 6 , 1 5 9 2 , お0 , 9 7 6 1 1 , 3 0 2 , 7 3 5 2 , 1 8 6 , 9 8 7 1 . 4 6 3 , 3 7 6 , 4 9 3 , 6 2 3 2 , 1 7 2 , 2 3 8 1 2 , 1 5 7 , 9 7 3 1 , 5 1 3 , 6 6 1 2 , 5 2 3 , 9 1 7 6 7 8 , 6 5 9 6 4 , 9 7 1 2 , 7 6 3 , 2 8 0 2 , 0 0 5 , 5 3 9 , 4 7 1 , 6 3 0 2 , 0 1 6 , 3 9 8 6 8 , 6 6 8 2 間 I :!1hji}f~<'.§~: 加5~ I6~.161 2 , 9 8 7 , 8 5 4 3 , 0 0 0 , 0 0 0 6 9 5 , 2 4 5 1 , 1 3 3 , 1 3 6 和田地所 2 , 2 8 7 , 8 3 9 2 , 2 8 7 , 7 3 6 2 , 2 3 9 , 4 0 5 2 , 2 5 2 , 2 5 1 上記外 諾場所 当座禁越 1 0 1 , 8 7 9 1 6 , 9 2 0 3 4 , 2 9 3 5 0 . 1 7 5 1 1 , 5 5 3 1 9 , 5 3 5 3 9 5 , 3 4 4 2 7 9 , 4 7 0 6 9 0 , 6 8 4 7 9 4 , 6 1 6 9 0 2 . 2 8 1 9 6 , 8 3 7 2 1 4 , 3 0 9 4 0 3 , 9 3 5 2 2 , 8 3 5 3 1 , 7 4 5 6 9 , 7 3 7 1 6 0 , 5 5 1 1 7 7 , 0 5 1 2 8 1 , 2 7 5 3 4 0 , 7 2 5 3 5 4 . 3 7 5 1 . 4 8 7 , 7 2 5 2 . 2 5 8 , 5 7 5 1 , 3 2 8 , 0 2 5 1 9 , 2 3 0 諸公盤株式 2 6 , 7 3 0 1 , 3 5 4 , 7 0 0 3 9 8 , 0 2 0 8 7 8 , 9 3 3 諸場所 当座其他 5 3 9 . 7 1 7 6 6 7 , 2 0 7 4 4 , 8 1 5 2 , 2 8 5 , 0 1 0 正念 3 1 , 0 4 5 1 0 6 , 5 9 3 8 9 , 1 7 8 1 2 4 , 3 4 2 1 3 7 , 2 0 2 1 7 2 , 2 5 6 1 6 6 , 9 1 0 1 4 9 , 1 8 6 1 1 8 . 7 8 8 1 9 5 , 0 7 0 1 , 1 9 3 , 4 5 0 1 8 1 , 8 8 2 2 1 1 , 5 3 8 , 0 1 9 , 2 6 2 ち3 . 1 1 9 1 , 0 4 9 , 3 2 3 8 8 , 5 8 9 1 9 3 , 2 0 3 え2 1 2 , 5 8 5 8 6 , 8 1 6 7 42 9 5 多 諸貸金 5 6 , 3 9 1 4 7 , 9 8 3 6 4 , 0 3 9 1 5 1 . 5 2 6 銀行部 当~勘定 2 , 6 1 2 , 4 4 3 其地 4 3 1 , 5 8 7 6 1 0 . 5 2 3 l , 0 9 5 , 7 3 8 2 9 2 , 2 6 3 1 5 1 , 8 2 5 1 4 6 , 2 6 8 2 4 8 , 2 2 5 1 5 9 , 7 1 5 2 1 6 , 3 4 8 2 5 3 , 5 2 1 8 0 , 4 1 8 8 0 , 8 9 7 1 3 4 , 1 8 7 3 1 0 , 6 4 4 其他 6 1 , 5 1 5 7 8 2 , 6 7 3 1 , 2 7 1 , 5 0 5 9 0 6 . 3 7 6 第 4農 地 所 家 建 明 練 費 : 1908(明治 41)年 12丹 31 日 摘要 地所 合計 6 , 3 5 6 , 0 0 9 8 , 9 8 1 , 1 6 4 1 4 . 2 5 0 , 2 3 3 1 6 , 8 2 2 , 2 3 2 1 7 , 2 8 8 , 3 0 4 1 8 , 4 4 0 , 8 3 9 2 0 . 6 3 3 , 9 5 4 2 2 , 4 0 5 . 4 9 7 2 3 , 8 8 1 , 8 1 5 2 4 , 8 2 8 , 9 0 5 2 5 , 8 7 7 , 6 9 3 2 8 , 0 6 9 , 4 8 1 2 9 , 9 5 4 , 1 4 1 3 6 , 9 8 3 , 8 2 9 合計 3 9 , 0 1 1 . 8 6 4 4 1 , 4 6 7 , 9 4 6 3 8 , 2 5 0 , 8 8 3 3 9 , 6 6 9 , 6 7 6 ( 円 ) 金額 出入総額 1 議5 大阪 社内改制につき大甑支J~ より援蒋 2 1 0 , 3 7 6 2 1 0 , 3 7 6 神戸 社内改制につき神戸支癌より振替 9 9 , 0 3 6 9 9 , 0 3 6 長崎 前年度より隷越 贈与したるに付営業勘定へ振替 2 . 9 7 6 2 , 9 7 6 新i 詰 議年度より操選 新潟事務所漉失損害補填金のうち全部靖却 生2 3 2 一生2 3 2 蒲原郡 前年震より操越 鯵地地内覧入代其飽 新調事務所;境失撰害補填金残余の一部南部 朝日古持地内及井戸場地内売却 地所課へ振替 神田 3 8 4 , 3 0 0 2 8 3 8 4 , 3 2 7 -887 8 , 4 2 6 -375β15 3 8 4 , 3 2 7 部7 . 1 1 6 前年愛より繰越 2 8 7 , 1 1 6 地所課へ振替 菊年度より繰越 事 由 ー , − − 曹 ・ ー − − 司 眠 撫 ,h’ − − 地所課へ振替 向島 前年度 3 1 , 9 7 8 り繰慈 一3 1 , 9 7 8 地所課へ援替 麹町 前年度より繰越 永楽町鉄道!?所有地と交換譲受地登緑税其地 永楽図I の…部鉄道庁と交換譲渡 地 所 課 ' " " ' − 援 帯 京榛 前年度より繰主義 9 3 , 7 3 3 9 3 . 7 3 3 w ,ーー『司’−−司・・ー『砂場妙曹司ー 3 8 3 , 2 0 8 4 , 3 3 7 3 8 7 , 5 4 6 8 8 . 6 9 0 3 8 7 , 5 4 6 …2 9 8 , 8 5 6 2 0 0 , 3 5 6 2 0 0 , 3 5 6 −−・町暢 A 猷M 峰昌司晶叫−−幽凶−−恥榊 地所謀、宗~ 深J l l 前年度 り繰越 油所課へ振替 8 9 , 6 7 7 8 9 , 6 7 7 。 。 r - - - w捗 榊 四 回 ー , 嚇 榊 明 司 ー ャ 。 。 。 。 。 。 。 地 − − − 欄 w ・−−骨神駅構岨 F ー明開V司 R 89 三菱史料館論集第 1 7号(2 0 1 6 ) 第 4表 (続き) ( 円 ) 誠 一 ⋮ 一 戸 大一神 墜 家 摘要 3 6 , 5 2 7I 3 6 , 5 2 7 ヴd つ れ︼ワゐ ヴ4 1 A ヴ4 a 句A 7 , 1 2 1 ム 一 一 口同d 町、U 円ノ削 44whU 1 4 告 qoti t 新潟 ヰ品 1ム丹、uwHd ρhUFOmLO ワ t Qν1 ムワ a 1 i n u 前年度より繰越 主主義瓦石造建物 (イ)神戸支j 苔及銀仔部費用分 神戸支j (ロ)河東京倉庫会社使用分 間米龍男分 自分 〈ハ)神戸支岩木造建物神戸支店使F 本年境増額(社内改制により神戸支店より振筈〉 神戸社宅 (イ)神戸支店及銀行部使用煉瓦石造 @2% (ロ)東京金庫会社間⑩2% (ハ)神戸支店捜用木造建物 @7% 誇 長i l 借入総額 l 差 ヲi 金額 社内改制により大阪支窺より振替 2 6 6 , 2 5 0 。 諮年度より繰越 鰭与せしに付営業髄定へ援替 i 前年度より議越 したるを l I-14,680r o 以て原備全部補却 諏詩山社宅 l 前年度より繰越 延長手度諜舗消却高 木造建物 l l 深J 言百年度より繰越 請住軒:煉瓦倉庫建物 伊勢崎町木造建物 -751I 9 , 9 7 3 1 2 . 8 5 6 諮住務了諜瓦建物 @10% 伊勢鰭町木造建物 @10% 地訴競へ強替 麹町 ~~?~~ @7% 前年度より繰越 第1 号鑓 第 1号錯階寝 第 2号館 第 3号館 第 3号鑓附農 @5% 第 4号館 号館 第5 第 6・7号館 本年度増額 銭寵町木造建物 第 8号銭 1 , 2 8 6 1 , 5 8 9 -2 s . s 6 s I2 s . 7 4 2I o l 郎 関1 2 0 , 7 1 9 9 9 , 3 4 2 1 2 4 , 0 6 1 6 , 3 9 0 1 2 5 . 8 6 4 1 4 4 9 0 0 3 4 . 2 4 2 3 7 , 2 3 9 5 0 , 0 0 7 9 2 , 6 8 2 3 4 , 5 7 7 第 9~~館 第1 0号館 1 1号 館 本年霞 m t 価消却高 1字予舘 @5% 第1 号館前類 5% 第 2号館 @5% 第 3号鑑 @5% 第 4号館 @5% 第 5号館 @5% 第 3号鐘附罵 @10% 第6 7 i 子 議 @6% 第 8号館 @2% 第9 f 子 長 官 @2% 第1 0号館 @2% 第1 1号館 @2% 銭瓶 l l ! J 木造建物 @15% 地所諜へ猿替 。 -639 2 , 0 5 4 1 , 0 0 0 1 , 8 5 4 -692 1 , 3 9 1 5 , 5 8 6 …9 1 4 , 0 4 1 19 5 8 , 9 7 1 1 省 合計 r 〈出典H地所家屋号持組表j明治 4 1年 1 2月 3 1B . 社史情表 本社決算勘定番」嬰治 27∼ 44年(MA-6lll。 ) 9 0 0 6 2 2 , 1 6 1 明治後期における三菱合資会社の不動産事業(鷲崎〉 第 5表 三三菱における土地家躍賞貸業の資産収益率: 1894 ∼ 1910年 年次 ( % ) 資産寂益率 1 8 9 4 9 5 明治 2 7 2 8 3 . 0 3 . 1 9 6 9 7 9 8 9 9 1 9 0 0 2 9 3 0 3 1 3 2 3 3 4 . 3 3 . 3 3 . 7 4 . 9 7 . 6 0 1 3 4 3 5 3 6 3 7 3 8 6 . 9 ? 事 8 9 . 0 1 0 . l 8 . 5 3 9 4 0 4 1 4 2 4 3 5 . 7 1 0 . 7 8 . 5 7 . 9 8 . 2 0 2 0 3 0 4 0 5 0 6 。 ? 0 8 0 9 1 0 ( ' l 主 ) 1 . 分子は,第 2畿における地所家主護損益金の f 合計」。ただし, 1 9 0 2年度には f 合 9 0 8∼ 1 1年は,「東京J から兎島湾問畿地売却益を蓋しき!いた金額乞 1 と「新揚jを合わせた損益金を龍用。 2 . 分母は,第 3表におけるま饗合資会社本社における「地所家壊j緊産額。た 9 0 8 ∼1 1年J j ' . fえ だし, 1 f 地萌課」振替分の資意畿を梗用。 表と同じ。 〈出典〉第 2表・第 3 1 8 9 4 ∼9 9年において 3∼ 4%台で推移していたが して,ほほ毎年 6∼ 10%台を記録するようになったむとりわけ 1 9 0 0年以降大きく 1 9 0 4年 7月から翌 05 9 0 7年 5∼ 1 2丹には第 9号館(酉寄申 7月にかけては第 6・第 7・第 4・第 5号館が, また 1 e 乙 ト 第 8・第 9(東寄 E j 3.東寄乙)・第 1 0・第 1 1号館が,この;績に相次いで竣工し た (24)むこの事実から,丸の内オフィスの賃貸スペースの増加に持って, られる。 られるのだろうか。第 5 ける農地経営の損益が含まれているが, るそのウェイトは 漸次逓減している。とくに 1 9 0 8∼ 1 1 70∼ 80%を占有していた。したがって, ∼ 10%という 数値比 東京地区のそれを反映しているといっても過言ではない。この (とくに京檎越前塘,神田三崎町,丸の内)におけ る1 9 0 5年夏までの とも大きく変わりはしなかっ ( 2 4 ) 前掲『丸の内百年のあゆみj資料・年表・索引, 3 5 4∼ 3 5 6ページ。 ( 2 5 ) 能掲 f 三菱における東京の土地投資と本動産経営」 5 0 ,6 2∼ 6 3 ,6 6ページ。 ( 2 6 ) 鷲i 崎俊太邸 f 明治期東京の不動慈賞賛経営における三菱の役割と意義jf 三菱史料館論集』第 1 6号(2 0 1 5 年 3月 ) , 1 6 5ページの第 1図。鷲鰭稜太部 f 江戸・東京における不動瑳経営史の総括と援望j ,九州大学経 経済学所究j第 8 1巻 第 4号(2 0 1 4年 1 2月 ) , 3 2 9∼ 3 3 0ベ…ジも,許せて参照されたい。 済学会 f 9 1 三菱史料舘議集第 1 7号(2 0 1 6 ) 第 5義主菱合資会社地所諜ぬ収支: 1怠09(明治 42)年 ( 丹 ) 4 又入高 不動産経営 不動産経営 以外 言 f 支払高 損益 9月 1 0月 1 1丹 ヲ } 1 2 2 0 , 2 9 0 . 8 5 2 6 , 5 3 6 . 6 4 2 4 , 9 1 1 . 0 0 2 5 . 0 1 8 . 3 9 2 7 . 6 4 4 . 9 8 2 0 , 4 9 1 . 8 4 2 4 , 1 7 0 . 0 9 3 2 , 9 7 2 . 0 2 1 7 , 4 5 6 . 5 8 2 0 . 1 1 5 . 5 3 1 4 , 1 4 8 . 0 1 1 6 , 4 5 0 . 5 4 6 , 9 7 7 . 9 5 2 4 . 8 1 6 . 7 6 1 8 3 , 9 2 2 . 4 5 7 3 . 6 0 9 . 0 7 3 7 . 7 4 7 . 4 3 4 6 , 6 5 2 . 1 7 3 9 . 0 5 9 . 0 1 4 1 . 4 6 8 . 9 3 3 4 , 6 2 2 . 9 3 4 5 , 3 0 8 . 6 0 2 0 8 , 0 9 2 . 5 4 1 0 6 , 5 8 1 . 0 9 2 2 , 4 6 2 . 5 5 1 5 , 2 8 4 . 8 8 3 3 , 0 1 9 . 6 8 1 3 , 6 3 2 . 4 9 4 5 , 9 4 9 . 3 3 6 , 8 9 0 . 3 2 9 , 8 0 2 . 9 6 5 1 , 2 7 1 . 8 9 3 4 . 7 5 8 . 6 4 一1 3 5 . 7 1 4 4 , 9 6 7 . 3 5 3 4 1 . 2 5 3 5 2 , 7 3 3 . 6 5 …1 4 4 , 6 4 1 . 1 1 8 9 , 6 8 8 . 9 7 1 6 , 8 9 2 . 1 2 合計 2 0 2 , 0 3 5 . 8 1 3 5 7 , 4 9 6 . 8 9 5 5 9 . 5 3 2 . 7 0 1 1 5 , 3 1 9 . 3 6 6 7 4 , 8 5 2 . 0 6 - iか月平均 2 5 , 2 5 4 . 4 8 4 4 , 6 8 7 . 1 1 6 9 , 9 4 1 . 5 9 1 4 , 4 1 4 . 9 2 8 4 . 3 5 6 . 5 1 - i月 2月 7月 S f . I 〈出典)三菱合資会社地所謀「校支証書撃」明治 4 2王 手l ∼2 ,ア∼ 1 2月(MEC-318 …ト& 2 三菱史料館所蔵〉。 3 . 1909年 に お け る 地 所 諜 の 収 支 状 況 を用いて,地所諜の収支状況を分析していくことにし 9 0 9年の設置づけを明確にするため, における 1 ょう。そこで,ま 1 9 0 8年までの動向を確認しておきたい。 それに関する前々 9 0 7 先述したように,前々年の 1 丸の内に第 8 ∼第 1 1号館がそろって竣工するとと 7 岩時菊之助が 5 もに第1 2・第 1 3号館が起工し 没した。 1 0丹には本社職制改正によっ された地所課長には,これまで地所用度課長の盛にあっ しなが している〈針。このほか,同年のえの内に関しては, 3月に 第 l関参照)。以上のよう されているく30)( (のちの こったのち, 1 9 0 9年を追え 第 6表は, 1 9 0 9年の合資会社地所課における Sか丹分の収支を示したものである。 8か月分 6万円で, 1か月平均に換算すると約 7万円となる。これに対して合計支出 の会計収入は約 5 7万 5 0 0 0 は約 6 1か月あたり 8万 4 0 0 0円とごとる i すると, 8か月分で ( 2 7 ) 三菱合資会社地所課「収支証襲撃」明治必年ト2 , 7∼1 2f J(MEC-318-1∼8。 ) ( 2 8 ) この本社職制改正では,拡業・強行・造能・庶務の各部が設寵され庇務部を除く各部の独立採算制 が採用された c 「鰐規大会ニ J( 拙A 1 1 4 0 ) , 9I 各部独立ノ件J 明治 4 1年 8丹 2 4日 。 ( 2 9 ) 網島後ーは 1 8 6 4(完治元)年に生まれO 議之揚が岩詩家子弟の教育のために開設した本郷龍詞町の学 8 9 0年三菱社に入社した。 1 8 9 8年には三菱合資会 寮・雛露五舘に寄議する。京京宇野田大学を卒業したのち, 1 社副文書三人とをる。 1 9日年の社制改革で地所諜が地所部になると,地所部初代部長として専託することに なった。以後地所部専務理事,管事,東山農事株式会社専務取締役ごとどを鰹任。大医毎臼新陣取締役や 東京市議会議員なども務めた。前掲 f 岩崎菊之助{ i d上巻 472∼ 473ページ/前掲 f 岩崎久舗伝J , 494ペー ジ/前掲?丸の内召年のあゆみj上巻, 1 7 1ペ…ジ。 ( 3 0 ) 前揚?丸の内百年のあゆみJ 上巻, 1 8 3ページ。 9 2 明治後期におけると菱合資会社の不動産事業(鷲崎) 第ア表不動産経堂における地頭諜の校入: 1909(明治 42 ) 年 三菱合資会社所有地 l月 2月 7丹 8月 9丹 1 0f l l lf l j 1 2f 合計 1か月王子均 務按i 区 K 神田I 丸の l 村 三崎町 愛宕町 1 34 8 8 . 0 0 1 7 . 0 2 4 . 5 9 1 4 . 1 0 7 . 5 2 1 4 9 7 9 . 0 2 1 5 , 2 5 8 . 8 51 1 1 , 8 3 1 . 4 5 1 4 , 7 1 8 . 8 2 1 5 , 2 1 3 . 5 0 1 , 0 6 7 . 2 4 3 . 5 7 8 . 4 8 3 . 4 6 4 . 6 5 3 . 1 8 9 . 2 8 2 , 5 6 2 . 0 3 3 4 5 6 . 1 2 3 , 1 6 4 . 4 3 5 , 1 5 0 . 5 5 1 , 4 5 9 . 8 4 1 . 6 1 0 . 3 1 1 . 6 5 2 . 5 4 1 . 6 6 5 . 9 8 1 5 8 1 . 3 4 1 . 6 3 3 . 8 9 1 , 6 1 7 . 5 4 2 , 3 7 0 . 4 9 深J l l区 京橋区 芝区 内幸町 伊勢崎町 小松町・ 一色町. 5 5 5 . 4 5 7 2 9 . 4 5 1 3 . 2 7 8 7 0 . 7 8 2 1 3 . 0 5 1 3 . 2 7 7 8 7 . 5 3 8 4 5 . 7 0 1 4 . 6 3 8 6 4 . 3 9 1 8 5 . 0 0 1 4 . 6 3 9 4 6 . 5 7 1 1 4 0 . 3 3 1 . 6 7 9 . 5 2 3 4 2 . 5 5 1 3 7 . 3 9 0 . 0 0 1 0 1 1 . 3 1 2 6 2 . 3 1 2 9 . 2 6 8 5 3 . 0 4 1 , 0 6 7 . 9 9 1 . 6 7 9 . 5 2 1 1 6 6 2 1 . 7 52 5 6 3 2 . 7 81 , 0 2 5 . 7 51 4 , 5 5 2 . 1 7 3 . 5 9 1 . 9 3 5 6 . 2 3 1 . 6 2 4 , 4 4 4 . 1 0 . 5 8 1 . 2 2 3 , 6 9 8 . 9 9 1 4 , 5 7 7 . 7 2 3 , 2 0 4 . 1 0 1 6 2 8 . 2 2 1 , 8 1 9 . 0 2 7 7 8 . 9 5 小計 松賀町・ 1 , 8 7 4 . 2 6 1 , 4 1 0 . 0 7 1 , 4 9 8 . 3 3 1 , 5 1 3 . 6 6 2 , 7 2 2 . 3 1 l , 2 5 8 . 5 2 1 , 6 2 9 β 6 2 , 6 4 5 . 3 6 多 5 1 2 . 4 0 5 6 5 . 1 6 5 6 5 . 1 6 5 7 7 . 1 6 5 7 2 . 6 7 7 5 3 . 6 2 7 3 9 . 7 9 7 3 9 . 7 9 越前掲 5 7 2 . 6 5 4 3 0 . 5 1 1 7 5 . 1 1 0 8 . 2 3 5 1 0 . 4 9 . 1 6 3 3 2 . 9 3 8 06 6 3 2 9 . 4 9 0 5 . 7 5 4 1 7 . 4 9 . 1 6 2 5 5 . 5 9 . 1 6 3 0 5 . 4 9 . 1 6 4 8 7 . 9 1 5 . 5 3 99 虐 守 1 9 , 9 8 3 . 2 8 2 5 , 8 0 5 . 2 3 2 3 . 6 毛9 β2 2 4 , 2 2 4 . 2 6 2 6 , 8 9 0 . 2 2 1 9 , 6 7 8 . 1 9 2 3 , 4 8 7 . 6 3 3 1 . 7 4 80 5 官 2 , 8 1 3 . 9 2 , 9 7 1 . 2 3l 告5 , 4 6 6 . 4 8 3 5 1 . 7 3 7 1 . 4 0 2 4 必3 . 3 1 岩崎家所有地 駒込・ 巣鴨 青山隣接I 下n l ' . ! 料 合計 内 4 9 . 7 0 1 1 9 . 7 0 1 1 9 . 7 0 1 5 4 . 7 0 7 8 . 7 0 1 1 9 . 7 0 1 1 9 . 7 0 4 9 . 0 0 1 8 . 0 0 1 8鎚 1 8 . 0 0 1 8 . 0 0 、 。0 0 1 2J j 5 8 30 1 1 1 1 3 . 1 8 6 1 0 . 9 3 6 6 5 . 6 6 6 8 3 . 5 5 5 5 2 . 3 6 1 , 1 5 4 . 5 7 0 . 0 0 0 . 0 0 0 . 0 0 0 7 . 5 7 2 0 2 9 08 5 1 0 . 7 0 3 1 0 . 7 0 7 3 1 . 4 1 2 6 , 5 3 6 . 6 4 2 6 1 . 3 8 2 4 9 1 1 . 0 0 1 0 . 5 0 1 1 0 . 5 0 7 9 4 . 1 3 2 5 , 0 1 8 . 3 9 7 , 6 4 4 . 9 8 1 0 . 4 0 7 5 4 . 7 6 2 0 , 4 9 1 . 8 4 1 0 . 4 0 8 1 3 . 6 5 2 1 0 . 4 0 6 8 2 . 4 6 2 4 . 1 7 0 . 0 9 2 0 . 4 0 1 , 2 2 3 . 9 7 3 2 , 9 7 2 . 0 2 合計 5 , 5 9 2 . 4 3 8 1 0 . 9 0 7 2 . 0 0 9 4 . 0 0 6 , 5 6 9 . 3 32 0 2 . 0 3 5 . 8 1 1か月平均 6 9 9 . 0 5 1 0 1 . 3 6 9 . 0 0 1月 l 2f 7月 8月 9月 1 0月 l l月 2 2 9 . 1 7 m 谷田町 ‘ 耐 1 1 . 7 5 8 2 1 . 1 7 2 5 , 2 5 4 . 4 8 (出典)第 6去と持じ。 1 1万 5 0 0 0円( 1か月平均で 1万 4 0 0 0円)の赤字であったむこの減損となっている諒閣は, 1 1 月の支出高にある。というのも, 1 1月 2 5Bに本社に対して 3 1万 7 7 9 7円総裁の支出 2年度の地所課純益金( 1 8万 9 6 7 8円 2 4銭 ) , ている。この内訳は,明治 4 3 3 2 1円 2 8銭),地所諜流通資金(3万円)で構成されているむしたがって,欠本 4か月分の損 益が判明すれば,事字分は解泊されている可能性は高いと,ここでは吋言しておきたい。 さて,第 6表を見ると,収入試不動産経営に関する収入( A)と,それ以外の収入(B)で されていたの 8か月分の合計額で比較してみると,収入(A)が 36%に対して収入 が 64%の割合を誇っている。そこで,最拐に( A)の不動産経営に関する収入につ してみよう。第?表はそれを示したものであるむこの(A)も,二つの要素から成り立って いる。一つは合資会社本社の所有地から得られた地弐家賃収入( C)で,各月とも( A)全体 4 ∼9 8%を占めていたむしたがって,(A)の大半は( C)で為ると言っても過言ではない の9 Q (C)は,東京各地区の地弐家賃と若干の下肥料から成り立っている。 0弘であった。このこと のうち,丸の内のそれがに)に占める比率は, 1か丹平均でおよそ 6 9 0 0年代末の東京地匿において地代家笠収入の主力は丸の内にありながらも,三崎 から, 1 9 3 三菱史料鎧論集第 1 7号(2 0 1 6 ) 第 S表 不 動 産 経 営 以 外 に お け る 地 所 識 の 収 入 : 1909(明議 42)年 納金者 ( 円 ) 犠考 〈 % ) 本社 1 7 1 , 7 0 1 . 3 9 t,新潟毒事務所倉庫新築費, 4 8 . 0 克之内三饗建築所議定f 本社疫務部 1 2 8 . 7 7 1 . 6 1 3 6 . 0 丸之内建築現勘定支払金,茅町蔀轍売却代, 丸之内大下水工事費自光杉究部代金 御家愚費立替分など 本社鉱業部 法 、j 畢商!主 1 5 , 7 6 9 . 5 8 6 , 0 9 5 . 2 0 明治選総務部 5 . 1 新海事務訴立替分,設諜鉱山・抽戸炭坑送金分な 4 . 4 新議米売却代 1 . 7 小岩井バター代 (東京・横浜・大阪・神戸・門司支癌へ発送) 新議事務所 弘田徳三部 * p 号重則郎(東山農場) 議島{象一{地所課長} 丸之内三菱建築所 3 , 0 0 0 . 0 0 2 , 0 0 0 . 0 0 1 , 5 0 0 . 0 0 1 , 1 9 5 . 4 4 1 , 0 8 5 . 3 0 0 . 8 0 . 6 0 . 4 0 . 3 0 . 3 1 , 0 0 0 . 0 0 4 9 4 . 1 7 4 7 6 . 3 7 3 5 9 . 0 0 3 1 4 . 7 9 2 5 4 . 7 0 2 2 6 . 9 4 2 0 0 . 0 0 ' 1 9 1 . 4 0 4 , 7 1 8 . 8 5 0 . 3 0 . 1 0 . 1 0 . 1 0 . 1 0 . 1 0 . 1 0 . 1 0 . 1 1 . 3 佐渡鉱山・地戸炭説送金分など 関誌 4 1年度未収納米売上f t 金 東山農場における木舟氏立替金返納 旅饗・私物立蓄分など 保問勝寝技師出張殺費立替分, 吉ァドー鋸屑売却代金など J 主 も 主 主 主 EE 立む フb ロzι1 b 千住製裁所 朝出東京石炭部 中匝歪名寄 P 守 小岩井農場 f 宇賀正鰐 ( i :栄町議) 須呂逸平(伊芸害保) 日報社 本社造船部 その龍 小岩井農場サラブレッド ~l 譲1-t 羊毛代 長崎ー門司両文芸愈敷料ほか 元子I Jl 水道難語除用地払下代金 小岩井農場積立金の返金 深川部の雑技入 伊番i 呆における木炭・薪材売却代金ほか 議話番号譲護代金 印紙代交替分 3 5 7 , 4 9 6 . 8 9 1 0 0 . 0 〈出典)第 G表と閉じ O 震 J.越前擢・ をはじめとして,丸の内以外の地所も 1 8 9 0年代から していた点が明らかとなる。他方で し (A)のうち,いま一つ 岩崎家の偲入として所有していた在宅地からの地代家賃収入で, らのものだ、った(判。(A)に占めるこの比率は 2∼ 6%とごく ではあるが,この当時においては岩崎家の個人所有地からの地花家賃収入を地所課が犠枝し きる点で重要である。 次に,(B)の不動産経営以外の収入を考察してみよう。収入(お)にあたる…覧は,第 8表 に掲げたとおちである。収入(B) に見てみると, 1月訪日付で本社からの純金(4 8九)であった。 が1 も大きなウェイトを占めたの 1 7万 1 7 0 0円のうち,明治 4 2 として 2万 7 7 0 0丹 , と改称するのは翌 1 9 1 0年 1 0月 18のこと であるが初,既にその前年においても,えノ内建築所勘定が地所課にあることを示唆する る 。 2香到に大きなウェイトを主めていたの辻 本社庶務部からの納金 1 2万 8 7 0 0 ( 3 1 ) 岩崎家の不動産事業のうち, 駒 込上富士震から巣鶏驚篭町にかけての住宅地開発に関しては,前掲?丸 e 6 1∼ 1 6 6ページを参照。 の 内 百 年 の あ ゆ みj上巻, 1 ( 3 2 ) 前 掲 「 例 規 大 会 二J . 39I :丸ノ内建築所所管轄替ノ{判明治 4 3年 9月 1 6日 。 94 明治後期における三菱合資会社の不動産事業(鷲締) 年 1∼2月 第 9表 地 所 課 の 支 出 : 1909(明治 42) 大費諒 租税 人件費 中費呂 地租,務税地譲制・家震税迫力a . 区饗,村税 f 吏用人給料・社窓料 修繕費 構掃代 運送料 街灯2 主新代 雑費 火災保険料 交通費 営業費 敷金・保証金返祭 電話使用料 交際費 器地料 燃料費 電気代 f 散水費 網島鎌一立替分 郵送料・印紙代 外食費 手数料 荷主左組合費 返戻金 番入賞・帯夜手当 t小使給料・ 曜捧除手当 建配訴事務員・小f 受給料など j さ叢の給料・学校月欝及校具代・扶助基金 本郷院内土地建物取調に対する報酬 床張工事・貸家水道改造銃地所部床醸しなど 徐雪量費 掃輪代・読取人夫料・薬取資‘ i 家具,普j 遭遇;騨酸 2口及諸卦費な 越前堀・愛宕町・三階宵・丸之内 物品代,臨書費,新聞1 t,印崩1 tなど 愛宕襲7・越前堀・向島・丸之内 3号鵡・隅田村 出張旅費・入力率賃・汽車撲・電車賞 官原装妓 7人ほか(楕島像ー) 動込・巣鴨・伊勢峰町・両慨町 5 か所分+愛~町・三崎町入舟町 日普品f t(鰹節代・毛メリヤスなど〉 湾岸地借地料 木長代 東京電灯株式会社 愛宕町・丸之内 中食費ー物品費 紙など 書留料,切手代,瓶入手P 中央苓(鶏野 主人重淡i 町 ) 電信為替手数料,印鐘証明など II 岸衛生組合 三崎町 3T君主崎J 受取超議による越金 n 1 ∼2 月軒〈円) ( % ) 1 2 , 3 7 7 . 7 2 2 2 . 3 2 , 6 5 1 . 8 8 4 . 8 1 , 9 2 1 . 1 6 3 1 0 . 5 6 3 0 9 . 3 8 7 5 . 3 8 3 5 . 4 0 1 , 2 5 8 . 6 8 2 . 3 6 5 9 . 2 4 1 . 2 6 2 9 . 7 3 1 . 1 5 3 0 . 4 0 LO 4 4 8 . 5 4 0 . 8 4 0 0 . 7 7 0 . 7 3 5 1 . 4 4 0 . 6 2 7 6 . 8 0 0 . 5 2 1 2 . 5 0 0 . 4 1 5 6 . 7 5 0 . 3 1 1 5 . 7 4 0 . 2 1 1 9 . 9 9 0 . 2 1 0 4 . 4 9 0 . 2 0 . 2 9 5 . 9 6 5 2 . 0 9 0 . 1 事 。1 4 5 . 8 0 3 4 . 2 1 0 . 1 1 2 . 9 5 0 . 0 6 . 1 8 0 . 0 2 . 0 0 0 . 0 3 0 . 1 7 0 . 1 1 1 . 9 1 5 β 7 丸山村建築所 小使給料・課総手~・宿産手当・人夫賃 新海事務所 本社鉱業部・造語部 3号鶴工費 a 謂桑金,塗エ定嬢など 1 2・1 手間賃・:毒・入去費・フド設費 建築資材(石炭・硝子・煉瓦砕・アンモニアなど〉 製関用具・本真,その他 新潟事務所馬送金 転程運送その他諸経費,瓶草代ほか 貸家料集金分 鴎込・市谷田町・青山南町・糞原料 駒込部 1 0 . 0 0 0 . 0 0 1 9 7 . 6 3 2 , 2 2 1 . 1 6 5 , 3 5 9 . 4 5 2 , 1 8 5 . 3 9 小岩井農場 合計 1 8 . 0 0 . 4 4 . 0 9 . 7 1 , 3 4 6 . 2 8 3 , 9 7 0 . 2 3 4 2 . 9 4 経常費・諸費 下水士:管敷設・盟主芸用溢窓増築工費 給料・手当・夜溜池1 t.番人糞尿料 課I Jj 邸 東山農事 明芯宵部 茅町本邸 仲ノ町邸 伊香f 築部 2 1 . 5 1 , 6 5 0 . 6 5 1 1 4 . 3 2 9 , 5 1 3 . 3 4 1 4 7 . 1 0 3 1 6 . 3 6 1 7 3 . 9 0 使用人給料・雇祭給料 a 麗員投獄基金 硫安賠料 バタ− 1 t 納付・荷浩代 手当・報猷i 農場覆立金 物品費,七面鳥運送費,絵薬害警売渡代 経常費古杉丸太売議代 i ;.貸材料 給料,臨持麗料,諸支払,松木売却1 土管代・建具類イモはか 網島氏外 4名 梧 撲 観 覧 米 国 海 関 税 瓦斯ランプ管代・洋館壁紙質入1 t.ペンキ鎗など 議泉貸地料外 4日 3 . 9 1 , 0 6 5 . 7 5 8 4 1 . 2 4 1 1 5 . 0 0 6 9 . 5 2 9 3 . 8 8 1 , 3 7 9 . 1 2 9 4 8 . 4 3 4 3 9 . 4 2 1 1 2 . 7 4 9 0 . 1 4 5 5 . 0 5 5 5 , 4 7 8 ‘ 2 3 2 . 5 1 . 7 0 . 8 0 . 2 0 . 2 0 . 1 1 0 0 . 0 (出典)第 6授と同じ。 9 5 三三菱史料館論集第 1 7号(2 0 1 6 ) 円(36%)である(33)むこれは,丸ノ内建築所支払金のほか, 仮払金などで構成されていた。これに続くのが本社鉱業部から l万 8 1 0 0円(5 . 1%)で,新海事務所が立て替えていた註波鉱山・油声炭鉱への送金代を主と 日は,本社および曲部署からの振替で,(お〉の 90%近くを占めていた。 7 0 0円(4 . 4 % ) ' らは新潟米の売却代として 1万 5 から辻小岩井農場で生産されたパタ…代金的0 0円を受領していた(34)0 小岩井農場関係の項 話は,このはかにも 7月2 8日には、岩井農場積立金返戻jとし が納金されたり, 1 2月28日に箕田完古という人物から「サラブレッド撞第 1チャ…トレン 、ス号馬 1頭 イ ミjとして 1000円納金されたりしていた記録がある。 1906∼1 1 がそれまで地所用度課に勤務していた赤星陸治(35)だ、った点を踏まえると,地所課と との関係が勘定面においても密接だったといえよう。 践的年の会資会社地所課における支出を考察しておこう。その 2か月分について したのが,第 9表である。本来ならば 8か月分の支出高を掲載すべきだが,年末になるに {是って,先述したような本社や部署との関の振替が回数・金額とも大きくなってしまうた ∼2月のみに限定して,毎月計上される支出項目を列挙してみた。 め,さしあたって年拐の l R分される。第 lのグループは不 ヲ去によると,地薪課の支出はおよそ 4つのグループに I 7ヲるを占める。このうち 3分の 2は程韓関孫で,残りの う支出で,支出全体の 3 3分の 1は人件費,移籍費,清掃費などで占められていた。第 2のグループは f 岳部署への振 関する支出で, l ∼2月においても支出全体の 40%を講成していた。この 2か月間に張 話事務所に関して ち替えられたのは主として丸ノ内建築所と新潟事務所に対してである。新j は,第 8表において本社鉱業部から送金されてきた金額分だけ張り替えられていた。第 3の グループは,岩崎家掴入所存地からの貸家料集金持%)で,前月分の金額を本社庶務部宛に 9免 〉 4のグ jレ…ブは,岩崎家個人所有地・錦人経営農場に対する支出(1 されていた。ま した小岩井農場関連の支出としては,パタ…代の納付,あるい泣農場で費用する盛安関 科の購入代金などが挙げられる。第 2∼第 4のグル…プはいずれも 岳部署,さらには岩崎家但人の不動産を金銭 菌すが,合資会社の本社およびf ( 3 3 ) 1 9 0 8年 1 0月の本社職制改正;こよって,庶務部の取扱内容は,「本社ニ属スル事務井ニ三菱合資会社以 1各部独立ノ件J 。 ) 外ニ於ケル三葉事業ニ係ル事務ヲ取扱フモノトス jと競定された{諒揚「例規大全二上 9 この f 三菱合資会社以外ニ於ケル三菱事業Jの一つが,岩崎家の個人事業を指していると掻認される。 ( 3 4 ) 1 8 9 0竿 8月,井上勝を願い人,岩鵠輔之助と小野義真を保証人として議開郊外雫石村の官;存原野 4 0 0 町歩の予約払下げが出頭され,翌年 1月から農場経営が開始された。しかし経営は識許も令くして行詰 8 9 9年に岩鵠家が農場を引き取り,井上・小野再入は手をき! まりの状態となったため,事業開始 8年後の 1 いた。農場はこの改組に i 禁し創設者小野・岩崎・井上 3 氏の功績を罰金:して,「小岩井農場jと命名された。 農場春立の主たる目的は懐長嶺畜の審議であって 乳業の経営は諮次的なものだったが,農場独詩の醸欝 法による順良なバターは世に盛名を馳せ,明治屋はその特約 としてその一手販売を委ねられていた。前 丸の内百年のあゆみ』上巻, 1 6 5ページ/麓三部舗『小岩井農場七十年史J 小岩井農牧抹式会社, 1 9 6 8年 , 掲f 2 0 9∼ 2 1 0ページ。 ( 3 5 ) 1 9 0 6年に場主であり合資会社社長の器崎久5 震が自ら経営監督に乗り出すにあたって,初代農場長に地 9 1 1年,赤星は再び合資会社に復し,地所蔀長桐島像ーの 所用度課勤務の赤星陸治を荘命した。 5年後の 1 もとで副長となり,のちに地所部長,さらに 1 9 3 7(昭和 1 2 )年の三菱地所株式会社設立に際して拐技会長と なった。前掲 f 小岩井農場七十年史j ,1 8 3∼1 8 6ページ。 n r 9 6 明治後期における三菱合資会社の不動産事業(鷲崎) し 面で相互に仲介する役割として, ているの 4 . おわりに と言われる 1 9∼お るとともに, 1 9 0 9 収支状況の実態 てみた。ヰ王寺高のファクト・ブァインヂイングスとしては,以下の数点 が挙げられる。 7 ∼1 0%で推移していたこと lに , 1 9 0 0年代後半期にお汁る とも東京地区と である。この資産収益率を求めるにあたって, 所の土地家屋が含まれているが,当該期間における で,この数値は都市不動産の和益率を反映したものであると あったの ても桔連なかろう。 において, 1 9 0 9年の地所課は,不動産の収支 ι 対しては このよう もちろんのこと,不動産以外の収支にも携わっていた。前年の本社職制改正で,地所諜の取 扱は「東京市内ニ於ケル社有地所家屋ノ賃貸営業部)」と規定されていたにもかかわらず\こ のアァクト・ブアインヂイングだといえる。 かかわる帳簿が現時点で存在してい令いため,「収支証書Jの項目内 9日年 1月の桂制改革において地所 とに分類するのは不可能である。とはいえ, 1 部の取扱内容が「会社所存ノ地所家毘ニシテ賃貸営業ニ謀 jレ一切ノ事務ヲ戟扱ブモノトス ノ管理ヲナサシムルコトアルベシ(37)Jと但書を付して規定された ように f 営業ニ属セザ jレ地所家麗ノ管理J が三菱合資会社全需の所有地および岩崎家錨人 の所有地の管理を指示しているのであれば,既にその原聖泣地所課時代から存在していたと れよう ( 3 6 ) 前 掲 げ1 規大全二 J . g r 各部独立ノ件J 。 r ( 3 7 ) 前掲「剤課大全二 J , 49 社割改革ノ件j明 治 拡 年 1 2月 3日 。 9 7