...

1870 年代南ウェールズにおける ダウライス製鉄会社と鉄鋼商

by user

on
Category: Documents
29

views

Report

Comments

Transcript

1870 年代南ウェールズにおける ダウライス製鉄会社と鉄鋼商
地域経済の成長と地域間格差―需要側からのアプローチ―(小藤弘樹)
(771)75
【論 説】
1870 年代南ウェールズにおける
ダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会 1)
菅 一 城 本稿は,1870 年代におけるダウライス製鉄会社(Dowlais Iron Company)と鉄
鋼商フォレスター商会(Forester & Company)の関係の事例から,産業集積の機
能を問うものである.ダウライス製鉄会社は,英国を代表する製鉄産業の集
積地であった南ウェールズの都市マーサー・ティドヴィル(Merthyr Tydfil)に
立地した大手製鉄会社である.筆者はこれまでに同社の受信書簡を用いて,
50 年代における同社の成長とマーサーにおける製鉄会社間の相互協力関係の
希薄化,そして 60 年代における同社と地元鉄道会社との相互協力関係の強
化を通じて産業集積の機能を検討してきた 2).これらの論考は,同社の事業
内容が受信書簡の多寡にある程度反映されるという前提に基づいている.す
なわち,50 年代ならば同社の所有者と経営者の間の経営近代化をめぐる書簡
が,また 60 年代には地元鉄道会社からの書簡が顕著に多く残され,前者につ
いては製鉄会社間の相互協力関係が希薄化したこと,後者では代わりにダウ
ライス製鉄会社と地元鉄道会社の間に相互協力関係が見出されることを示し
1) 本稿は,科学研究費補助金(課題番号:若手研究(B)20730235)の助成を受けた研究成果
の一部である.
Dowlais Iron Company はしばしば「ダウラス製鉄会社」あるいは「ダウレス製鉄会社」と日
本語表記されるが,本稿は渡邊泉『損益計算の進化』(森山書店,2005)にならった.
2) 拙稿「1850 年代南ウェールズ製鉄業におけるダウライス製鉄会社」『経済学論叢』第 59 巻第
4 号 101-135 頁,「1860 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と地方鉄道会社」『経済
学論叢』第 60 巻第 4 号 97-132 頁.
76(772)
第 61 巻 第 4 号
た.さて,70 年代を特徴付けるのは南ウェールズの港湾都市スウォンズィー
(Swansea)に拠点をおく鉄鋼商フォレスター商会からの書簡である.南ウェー
ルズのグラモーガン州東部の山間に立地し,同じ東部の港湾都市カーディフ
で製品を船積みする製鉄会社が同州西部の鉄鋼商から頻繁に書簡を受信した
ことにはどのような意味があるのだろうか.鉄は鉄鋼商を介してどのように
取引されたのか,鉄鋼商の仲介にはどのような意味があったのか,そして鉄
鋼商は 70 年代の製鉄業の変化にどのように関与したのか.
製鉄業はヴィクトリア期英国の繁栄を支えた重要産業だが,同時に米国式
の大量生産システムに順応できず,英国経済の相対的衰退を招いた一典型と
もされる3).本稿は欧米の生産体制を過度に単純化した議論に依拠するもので
はないが,大量生産と対比される受注生産のまさに受注の過程を検討し,非
効率的な側面を有する受注生産が「柔軟な生産(flexible production)」として有
効に機能するために鉄鋼商が果たした役割を検討する.さらに本稿の対象と
なる 1870 年代は,19 世紀製鉄産業史上の画期的発明であるベッセマー法に
よる鋼鉄生産が実用化された時期でもある.産業集積と発明の関係について
は,アルフレッド・マーシャルによる以下の指摘が有名であろう.
よい仕事は正しく評価され,機械,工程および事業の一般的な組織における発明
と改善は,その長短が立ちどころに論議され,一人が新たな考察を始めると,他の人々
によって取り上げられ,それらの人々の考えと結合され,そのようにしてさらに新
たな考案の源泉となる.また間もなく補助産業がその近隣に成長し,道具や原料を
供給し,輸送を組織し,多くのし方で原料の節約に貢献するようになる4).
そこで本稿は,製鉄会社によるベッセマー法鋼鉄生産の実用化という「発
3) Broadberry, S. N.,“Technological leadership and productivity leadership in manufacturing since the
industrial revolution: implications for the convergence debate,”Economic Journal, (1994), 104, pp.291-302.
4) Marshall, A., Principle of Economics, (1890), 9th (variorum) ed. by C. W. Guillebaud, (Macmillan,
1961), p.271〔永澤越郎訳『経済学原理』II, pp.200-201.〕
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(773)77
明と改善」が鉄鋼商を介して顧客である板金製造業(tinplate industry)によっ
て取り上げられ,「それらの人々の考えと結合され」「さらに新たな考案の源
泉となる」ように鋼鉄の品質や価格が論議されるまでの過程を描く.これを
踏まえ,鋼鉄生産という新技術が南ウェールズの工業社会においてどのよう
に共有されたのかを示すことが本稿の目的である.また,1860 年代を対象と
した前稿では補助産業の一例として鉄道業を取り上げたが,鉄道会社と鉄鋼
商のそれぞれの機能の異同も示さなければならない.
18 世紀の設立から 20 世紀初頭に総合製鉄会社 GKN(Guest, Keen and Nettlefolds)
となるまでのダウライス製鉄会社の詳細をここで紹介することは避けるが,
本稿の事例からマーサーの製鉄産業集積の長期的な変化が展望できるように,
先行研究が 1870 年代をどのように位置付けているのか確認しよう.もっとも
代表的なものは E.ジョーンズによる社史であろう.この研究が 1870 年から
1900 年までを同社の「鋼鉄時代(the Steel Era)」としているように,1870 年
代は鋼鉄生産が実用化した新時代の幕開けとして知られる5).70 年時点で同
社は 17 基の溶鉱炉(blast furnace),6 基のベッセマー転炉(Bessemer converter)
を装備し,71 年にはシーメンス・マルタン式平炉(Siemens-Martin open hearth
furnace)1 号炉を建設している6).加えて,本稿では生産技術以外の変革も重
要な背景となる.まず,スペイン産鉄鉱石の購入が本格化し,73 年にはビル
バオの鉄鉱山を買収した.このオルコネラ鉄鉱石会社の設立により長年の課
題であった鉄鉱石の入手が安定した.また,鉄道敷設ブームが終わり,国内
では鉄道レールに代わる市場を開拓しなければならなくなった.
とはいえ,このような 1870 年代の製鉄業の変化は,新しい生産技術の伝播
あるいは産地間競争の事例として多くの経済史家の関心を集め,その多くは
産業集積を代表する企業同士の技術革新競争をもって技術伝播あるいは産地
5) Jones, E., A History of GKN, Vol.1, Innovation & Enterprise, 1759-1918 (Macmillan, 1987), Ch.9.
6) Owen, J. A., A Short History of the Dowlais Ironworks, (Merthyr Tydfil Library Service, 1972),
pp.78-79.
78(774)
第 61 巻 第 4 号
間競争を描いてきた7).しかし,それぞれの産業集積あるいは産地はどのよう
に組織されていたのだろうか.
製鉄産業集積の内部組織,とくに鉄鋼商の存在はこれまで歴史家の関心を
惹くことがなかった.1870 年代の製鉄業の転換は,生産者だけでなく,流通
の仲介者や消費者にとっても重要であり,鉄鋼商にとって新しい商品である
鋼鉄の登場に対応した新市場開拓の機会があったと推測できる.しかし,こ
れまでの研究はあたかも製品の供給が自動的に需要を開拓したかの如く,鉄
鋼商の存在を無視してきた.これはダウライス製鉄会社の事例研究に限って
も同様である8).M.エルザスが編纂した同社の受信書簡集には十数社の鉄鋼
商からの書簡が抜粋され,19 世紀前半から流通に重要な役割を果たしたと推
測される.ただし,いずれもリヴァプール,ブリストルなど国際貿易港ある
いは独仏米の鉄鋼商であり,ダウライス製鉄会社の国際的地位を印象付ける
が,ウェールズの鉄鋼商の書簡は所収されていない 9).
フォレスター商会は歴史的に全く無名の企業であり,1875 年の商工人名録
にもスウォンズィーの鉄鋼商 18 社の一つとして記録されるに過ぎないが,70
年代のダウライス製鉄会社の書簡綴りには同商会からの書簡が多数残されて
いる10).以下,本稿では 70 年代のダウライス製鉄会社の受領書簡からフォレ
スター商会の活動内容を再現するが,ここでは史料の紹介を兼ねて同商会の
事業を概観しよう.同商会からの書簡はレターヘッドから 4 種類に大別でき
7) たとえば Hyde, C. K., Technological Change and the British Iron Industry, 1700-1870, (Princeton
University Press, 1977). あるいは安部悦生『大英帝国の産業覇権:イギリス鉄鋼企業興亡史』
(有
斐閣,1993 年)など.
8) ジョーンズの関心は鉄鋼の大量生産とそのために必要な鉄鉱石と石炭の確保に限られる.
Jones, A History of GKN, pp.289-327. 同様に,地方史家オーウェンの関心も溶鉱炉の増設など生
産設備の整備にある.Owen, A Short History, pp.42-49; 鉄鋼以前の時期を対象とするがマーサー
の製鉄産業集積に関するエヴァンスの研究も鉄鋼商には関心を示していない.Evans, C., The
Labyrinth of Flames: Work and Social Conflict in Early Industrial Merthyr Tydfil (University of Wales
Press, 1993).
9) Elsas, M.(ed.), Iron in the Making: Dowlais Iron Company Letters, 1782-1860 (Glamorgan County
Record Office, 1972).
10) Worrill’s Directory of South Wales and Newport, Monmouthshire, (1875).
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(775)79
る.多くはスウォンズィーの事務所の便箋だが,カーディフのフォレスター・
ドーンフォード商会(Forester, Dornford & Co.),スウォンズィーのケヴン製鉄
会社(Cefn Iron Co.),レイヴン炭鉱会社(Raven Coal Co.)の用箋も散見される.
つまり,フォレスター商会はカーディフにパートナーを置き,小規模な製鉄
会社や炭鉱など多角的な事業を展開していた.とくにフォレスター・ドーン
フォード商会はウィリアムおよびチャールズ・フォレスター父子が 74 年に
カーディフのグレアム・ドーンフォードと合名で設立し,その通知にはダウ
ライス製鉄会社以外に 5 社の銑鉄を扱うとしている11).そのなかにはランカ
シャーのバロー鉄鋼会社(Barrow Hematite Iron & Steel Co.),ヨークシャーのボ
ルコウ・ヴォーン社などイングランドの製鉄会社も含まれる.また,次節で
詳述するように,フォレスター商会はダウライス製鉄会社の生産量の 2 割ほ
どを扱ったと推測できる.
次に顧客を紹介しよう.上記のように,1870 年代には地方鉄道敷設ブーム
は終焉し,製鉄業は地方鉄道会社という大口の顧客集団を失うことになった.
本稿は,ダウライス製鉄会社において海外向け鉄道レール生産が引き続き重
要であったことを否定するものではないが,フォレスター商会の仲介は国内
取引に限られた.鉄道レール需要の縮小は,製鉄会社と鉄道会社との相互協
力関係の一部が損なわれたことを意味するとともに,代わりに新たな顧客集
団との関係の強化を導いた.それが板金工業である.グラモーガン州西部の
スウォンズィーやその近傍のモリストン,ラネリはブリストル海峡の対岸コー
ンウォールの銅と南ウェールズ炭田の石炭を活用した銅製錬で工業都市に成
長した.60 年代以降,銅工業は衰退したが,代わって拡大したのが鉄板に錫
を鍍金する板金工業であった.本稿が対象とするのはスウォンズィーの周辺
にラネリ,ポンターディライス,モリストン,ポンターダウェイ,ブリトン・
フェリー,ニース,ポート・タルボットなど板金工業を基盤とする小都市が
11)
Glamorgan Record Office, DG/A/1/488 Forester & Co. to Dowlais Iron Co., 11th August 1874
(以下,
フォレスター商会からダウライス製鉄会社への書簡では書簡綴りの請求番号と書簡の日付のみ
を DG/A/1/488, 11th August 1874 という形で示す).
第 61 巻 第 4 号
80(776 )
成長する時期である.フォレスター商会によるダウライス製鉄会社と板金生
産者の仲介は 70 年代を通じて行われ,とくに鉄道レールの取引が減少すると
仲介の中心を占めた.また,70 年代末にウルヴァーハンプトンの鉄鋼商ルイス・
アンド・マクビーン社を通じてイングランドの市場も開拓するが,これは本
論で詳述する.
ダウライス製鉄会社の経営文書の性格と限界についてはすでに紹介してあ
るので,ここでは省略する12).本稿のために付け加えるのは,本稿で扱うの
がフォレスター商会からダウライス製鉄会社に宛てた書簡約 2,000 通に限ら
れ,鉄製品の顧客から直接ダウライス製鉄会社に宛てた書簡は対象としてい
ない点だけである13).
以下,第 1 節では,ダウライス製鉄会社の取引とフォレスター商会による
仲介の概要を示し,第 2 節では個別の鉄取引における鉄鋼商の調整を例示し,
1860 年代の地元鉄道会社による調整と比較する.これらを踏まえて,第 3 節
では,60 年代の鉄道会社の例では見られなかった機能として,製鉄会社・鉄
鋼商・顧客が技術革新の課題をどのように共有したのか考察し,終節ではこ
の事例を長期的な展望に位置づけて評価する.
1 鉄の取引と鉄鋼商の仲介業務の概要
鉄鋼商による仲介が重要であった理由は,鉄が規格化された大量生産品で
はなく,受注生産品であったためである.本節では,フォレスター商会がダ
ウライス製鉄会社の製品を誰にどのように販売したのかに留意し,鉄取引の
基本的な流れを確認する.
12) 前掲拙稿「1860 年代」102-103 頁.ただし,全ての書簡が手書きであり,筆者には判読でき
なかった書簡もあることを付け加える.
13) 対照可能な書簡を比較する限りでは,フォレスター商会がダウライス製鉄会社に発信した情
報とその他の情報―フォレスター照会が顧客に発信した情報あるいはダウライス製鉄会社と
顧客のあいだで伝達された情報―に大きな相違はない.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(777)81
1. 1 鉄鉱石・木炭の購入と鉄の販売
冒頭でも示したように,1870 年代のフォレスター商会の仲介業務の中心は
板金業者への銑鉄あるいは鋼鉄の地金の販売であった.しかし,実際の仲介
業務は多種多様であり,便宜的に二つに大別できる.第一は鉄鉱石や木炭な
どの製鉄会社の物資調達の仲介である.第二は鉄販売の仲介で,さらに銑鉄
あるいは鋼鉄の地金での販売と鉄道レールに加工しての販売とに分けられる.
本節ではまずこれらの多様な取引を概観した後,鉄地金取引の概要を示す.
まず鉄鉱石購入の仲介は 1870 年代初頭にはスペイン産鉱石を中心に活発で
あった.以下のような書簡が多数残されている.
ガレリア・ビルバオ鉱石一荷が到着しました.全てのスペイン産鉱石の契約に従い,
50%から 60%をお分けできます.貨車の賃貸料込み 1 トン 22 シリングでいかがでしょ
うか 14).
ダウライス製鉄会社が 1873 年にスペイン・ビルバオにオルコネラ鉄鉱石会
社を設立するとスペイン産鉄鉱石の仲介の機会はなくなったが,スペイン産
以外の鉄鉱石の仲介業務は引き続き行われた.たとえば,以下の書簡は 79 年
のものである.
バロー社が精錬用鉱石の新たな販売計画を示しました.これは同社が産出した鉱
石としては最高級ですが,ブリストル海峡の港渡し,一定量以上であれば正味 1 ト
ンあたり 21 シリングという前例のない低価格で配送する予定です.貴社が購入され
るなら喜んで契約を手配いたします 15).
鉄鉱石以外では木炭が仲介の対象となった.
14) DG/A/1/465, 5th July 1871.
15) DG/A/1/517, 18th June 1879.
82(778)
第 61 巻 第 4 号
貴社が木炭のクラストを購入されるか,また購入されるならダウライスまでの配送料込
みで 150 トンあるいは 200 トンに最高額でいくらお支払いになるのかご教示ください 16).
このようにフォレスター商会は名称こそ鉄鋼商であったが,実際は製鉄会
社との関係を活用し,鉄生産に用いる資源も取り扱った.両者の関係が鉄の
供給者と流通者という単純な機能分担では理解できないことは,以下の例で
も明らかである.つまり,製鉄会社が余剰の鉄鉱石を鉄鋼商の仲介で売却し,
あるいは鉄鋼商が余剰の鉄地金を製鉄会社に売ることがあったのである.
ソモロストロ鉱石に関する昨日付けのお便りをありがとうございました.ただち
に E・モアウッドに 30 トンご発送ください.当社宛に送り状をご用意いただければ
2.5%引きの小切手をお送りいたします 17).
当社のカーディフ事務所がベッセマー法あるいはジーメンス・マルタン法に適し
たきわめて軟質の鋼のブルームあるいはインゴット 200 トン,板金,ブラック・プレー
ト向きの鉄のブルーム 1,000 トンについて問合せを受けました.ご関心がおありなら
カーディフでの積下ろし払いで送料込みの最低支払額をご提示ください.(略)18)
以下の例は,顧客ゲスト社の余剰在庫鉄をダウライス製鉄会社が買い取っ
て転売したのか,あるいはゲスト社の発注の取り消しによるのか,さらには
同社への誤配によるのか判然としないが,いずれにせよフォレスター商会を
介した余剰鉄製品の調整の一端を垣間見せる.とくに現金でなく鉄の現物で
清算をする慣行がこの時期に残っている点,その際にフォレスター商会が製
品の選別から輸送の手配までを一任されている点が興味深い.
16) DG/A/1/517, 8th Mar 1879.
17) DG/A/1/517, 1st November 1879.
18) DG/A/1/517 20th September 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(779)83
カーディフ積み替え,本船渡しのレールの一覧をお願いするのを今朝は忘れてお
りました.(略)ところで,ご参考までに当社が選別したレールの詳細をお知らせし
ます.また,ご提案どおりハワード・ゲスト社に書簡を送り,貴社の再計量,再返
送の手間を省くために「推計」量ですぐに鉄を発送して清算してもよいので船ある
いは貨車への積み込みの指示をするまで待つように伝えました.(略)19)
とはいえ,フォレスター商会の中心業務は鉄販売の仲介であった.これは
三つに大別できる.第一に,1870 年代初頭には鉄道レールの販売が多かったが,
70 年代半ばにグラモーガン州内の鉄道敷設が終わるとレール売買の機会がな
くなった.第二に,スウォンズィー周辺に点在する板金工業への銑鉄あるい
は鋼鉄の販売仲介は 70 年代を通じて行われた.第三に,70 年代末にはウル
ヴァーハンプトンの鉄鋼商ルイス・アンド・マクビーン社を介してミッドラ
ンドへ銑鉄を販売する業務が加わった.
1. 2 板金業者からの発注の規模
1870 年代末に限れば空欄記入式の発注票から発注の全体像を把握すること
ができる20).発注票の記入欄は,製品(鋼鉄・銑鉄・コークス銑鉄)の種別,発
注者,同所在地,発注量(原則的にはトン単位),品質(ダウライス製鉄会社は原
則的に単一等級の製品しか供給しなかったため多くは省略)
,納期,納入地,重量 1
ポンドあたり単価,清算方法,納入方法である.これらはその都度フォレスター
商会からダウライス製鉄会社に書簡で伝えられていたが,78 年に項目を一覧
化した空欄記入式の発注票が導入された.ただし,多くの場合,発注票に先立っ
て予め従来通りに書簡で伝達する手順がとられている.
この発注票のうち 1879 年の 1 年分を集計すると以下の通りとなる.年間の
発注は 188 件で平均すれば 2 日に 1 件となるが,実際には不規則的であり,7
19) DG/A/1/457, 3rd May 1870.
20) 以下の発注票の集計の対象となった 188 枚の発注票はいずれも Glamorgan Record Office, DG/
A/1/517 に所収されているものである.
第 61 巻 第 4 号
84(780)
② ミッドランド
① 南ウェールズ
②ミッドランド(ルイス・アンド・マクビーン社仲
介分)
① 南ウェールズ
第 1 図 フォレスター商会が仲介した顧客の所在地
(出典)
『ブリタニカ国際地図』
(1971)をもとに筆者作成.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(781)85
月は 29 件が集中するが,12 月は 2 件にとどまる.188 件中 75 件が銑鉄(pig
iron),69 件 が コ ー ク ス 銑 鉄(coke bars あ る い は bar iron),44 件 が 鋼 鉄(steel
bars)の発注である.発注者は計 44 社で平均すれば 1 社で年間 4 件強の発注
となるが,実際はルイス・アンド・マクビーン社が 52 件で突出し,15 社は
年間 1 件の発注にとどまる.また,発注者 44 社は全 27 都市に分布する.多
くはグラモーガン州西部の小都市でラネリ,モリストンの 2 都市に各 4 社が
集中する.ルイス・アンド・マクビーン社仲介分 52 件も発送先から最終的な
顧客が判別でき,ウェスト・ブルミッジ(West Bromwich)などイングランド中
部の 13 都市 23 社にのぼる.ルイス・アンド・マクビーン社仲介分は全てが
銑鉄の発注であり,また,例外的に品質が指定されているが,5 月までが「2
,6 月に発注が中断し,7 月以降「板金用銑鉄(tinplate pig)」
級品(2nd quality)」
とされており,この経路の顧客も板金業者と推測される.なお,長さあたり
の重量など詳細な製品仕様は発注票に記載されず,別送の書簡で伝達される.
発注量は,見本品の場合「貨車 1 両分」といった発注もあるので正確では
ないが,「見本品 10 トン貨車(sample 10 ton truck)」という発注が 4 件あるこ
とを根拠に 1 両 10 トンと換算し,
「5 ∼ 6 トン」など発注量に幅がある場合
は最低量をとると計 49,985.25 トンとなり,この年のダウライス製鉄会社の生
産量の 18.8%に相当する21).発注 1 件あたり平均 265 トン強となるが,最も
多いのは見本品と明記される例も多い 10 トンの発注で 27 件,最も大規模な
発注は 2,000 トンで年間 5 件,1 トンの発注も 1 件ある.
納期は,100 トン以下の注文なら「即時」発送,100 トン以上になると分割
されることが多く,「6 カ月以上にわたり」あるいは「毎月 250 ∼ 350 トン」
などと分割され,後述するように,実際には個別の納期ごとに改めて指示が
伝達された.発送地は過半が発注者宛だが,ダウライス受け渡しも 71 件を数
える.価格は当然ながら製品種別によって異なる.最も安いのはルイス・ア
ンド・マクビーン社発注ダウライス引き渡しの銑鉄であり,重量 1 ポンドあ
21) 1879 年の同社の生産量については Jones, A History of GKN, p.292.
86(782)
第 61 巻 第 4 号
たり一律 2 ポンド 3 シリングである.銑鉄の最高額は 2 ポンド 17 シリングで,
平均は 2 ポンド 8 シリング強となる.コークス銑鉄は 5 ポンド 15 シリングを
中心に,最低 5 ポンド 10 シリングから最高 8 ポンド 10 シリング,平均 6 ポ
ンド 6 シリング 6 ペンス弱となり,鋼鉄は 7 ポンドを中心に,最低 6 ポンド
15 シリングから最高 8 ポンド 17 シリング 6 ペンスまで,平均 7 ポンド 2 シ
リング 6 ペンス強となっている.清算方法については,ルイス・アンド・マ
クビーン社は全て現金決済としているが,それ以外は手形決済の指定か「通
常通り」あるいは空欄のままである.「通常通り」には「現金なら 2.5%割引,
手形なら配達後の各月 10 日振り出しで 4 カ月満期」と書き添える場合が多く,
これが通例と推測される.
これまでダウライス製鉄会社は諸外国への鉄道レールの大規模な輸出とと
もに語られることが多かったが,上記のように,地元グラモーガン州西部あ
るいはイングランド中部の板金生産者に対しては散発的で小口の需要に柔軟
に応じ,また本発注前の見本品の試用が頻繁に行われていたことがわかる.
1. 3 発注から納品まで
次に,発注から納品に至るまでの流れとその過程でフォレスター商会が果
たした役割を確認しよう.ダウライス製鉄会社とフォレスター商会の関係は
1870 年にはすでに確立していたが,70 年代は板金工業の勃興期であり,新規
顧客の開拓も盛んに行われた.
(略)同封したのは以前マーシュフィールド社の工場があった場所で新たに工場を始め
たウェスタン板金会社という新しい会社と結んだ契約の詳細です.1 トンあたり 7 ポンド
5 シリングで 1,000 トンを販売することができましたので,ただちにご処理ください 22).
また,新規顧客からダウライス製鉄会社に接触があった場合も,フォレス
22) DG/A/1/517, 21st November 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(783)87
ター商会に仲介が委ねられた.
(略)ランゲネックのD.モリス社まで鋼鉄を配送する仲介をさせていただき大変嬉し
く思います.貴社のお便りは当社の昨日の書簡と行き違いになってしまったようですが,
特注仕様の鋼鉄は大きな鋼板にする予定なのかジョーンズ氏に問い合わせ中です.
(略)23)
既存の顧客からの発注なら伝達すべき情報は以下のように簡潔になる.
リチャード・トマス社に銑鉄 100 トンを 1 トンあたり 7 ポンド 5 シリング,リド
ブルック駅配送,月々 35 トン配送の条件で可能な限り早く配送をお始めください.
支払いは通常通り 2.5%か 4 カ月です 24).
後述するように例外もあるが,上記のようにフォレスター商会は受注にあ
たって基本的にダウライス製鉄会社に契約内容を照会していない.これは,
製品価格はどの鉄鋼商の仲介によっても原則的に均一であったためと考えら
れ,以下の書簡から逆説的に推測される.
数日前にロンドンのゲスト社に鋼鉄製レール 100 トンの売値を伝えたところ,こ
の取引先が当社よりも 8 シリング低い価格を他社から提示されていることがわかり
ました.しかも,これもダウライス製のレールです.受注を獲得しようと努力し,
成功の機会があったかもしれないのに,他社と同じ条件にしていただけない何らか
の理由がおありでしょうか 25).
もちろんフォレスター商会は顧客からの発注を待つだけでなく,受注獲得
の営業努力も行っている.なかでも新製品である鋼鉄について努力したこと
23) DG/A/1/517, 16th September 1879.
24) DG/A/1/488, 2nd January 1874.
25) DG/A/1/503, 2nd October 1876.
88(784)
第 61 巻 第 4 号
は次の書簡にみるとおりである.
(略)ベッセマー鋼はこれまでのところあまり契約にたどりついておりません.鋼
鉄の見積額を送付した結果,貴社からご指示いただいた価格よりも 2 シリング 6 ペ
ンス高い価格をつけたほうがよいと考えました.リチャード・ロッサー社は現在の
契約につづいて 2,000 トンを発注し,グラモーガン板金会社も 1,000 トン分を予約し
たいと申しておりますが,ともに送料込みで 6 ポンド 5 シリングです.(略)このよ
うに低価格で受注したことについては誠に残念に思います.(略)26)
契約内容を伝達する書簡はしばしば複雑であった.たとえば,1879 年のあ
る書簡は,1 件の発注の仕様書として「1 フィートあたり 15 ポンド 4 オンス
の鉄を 13 トン分」というような仕様を 10 種類書き連ねたうえに,同様に複
数の仕様を求める計 3 件の発注内容を羅列している27).また,別の書簡は「ウェ
スト・ブルミッジのトマス・デイヴィス社のゴールズヒル新鉄工所の発注分
としてロンドン・アンド・ウェスタン鉄道のグレート・ブリッジ駅宛に板金
用銑鉄 50 トン」という形で同時に 3 件の発送先を指示している28).
ところで,輸送経路は顧客が明確に指定しないことも多く,代わってフォ
レスター商会が経路を指示し,運賃算定や清算も行った.
モリストン板金会社の鉄
当社が知りうるかぎりでは,ニースでの転轍が省略できるのでウィンド・ストリー
ト・ジャンクションが標記の貨物の場合もっとも簡単な経路です.この経路で鉄を
ご発送ください 29).
26) DG/A/1/517, 4th October 1879.
27) DG/A/1/517, 4th June 1879.
28) DG/A/1/517, 16th October 1879.
29) DG/A/1/517, 20th November 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(785)89
先日スウォンズィー・ヴァレー・ジャンクションからミッドランド鉄道の各駅ま
での運賃表をお送りしたときに,グレート・ウェスタン鉄道会社の貨車で鉄を輸送
する場合は貨車使用料金が課されないことをお伝えするのを忘れておりました.た
だし,ミッドランド鉄道の貨車は使わないので,鉄道会社所有貨車用の運賃はグレー
ト・ウェスタン鉄道会社の線路網でしか適用されません 30).
ポンターディライスまでの運賃
勘定の清算
この勘定は未払いと考えます.この件については当社が代理を務めて代金をいた
だくよう任されておりますので,当社口座にお振り込みください 31).
このように,フォレスター商会はダウライス製鉄会社に対して,鉄鉱石な
ど鉄生産に必要な物資を斡旋し,在庫を相互調整し,また鉄道レールの販売
を仲介するなど多様な協力関係を展開しながらも,基本的に板金工業への銑
鉄あるいは鋼鉄地金の取引の仲介者として機能した.板金工業への鉄供給は
定期化・規格化されたものではなく,散発的で小口の需要に応じる受注生産
であった.フォレスター商会は,この多様な需要を正しく発注から納品に至
るまでダウライス製鉄会社に伝達する役割を担ったのである.
2 鉄鋼商の仲介機能
前節では,フォレスター商会が多様な顧客の需要を伝達したことを示した
が,なぜフォレスター商会による仲介が必要だったのだろうか.フォレスター
商会による仲介にはどのような意味があったのだろうか.また,フォレスター
商会による仲介は有効だったのだろうか.仲介によって支障なく契約が履行
され,滞りなく鉄が供給されたのだろうか.このような問題はこれまで顧慮
30) DG/A/1/517, 22nd July 1879.
31) DG/A/1/457, 9th April 1870.
90(786)
第 61 巻 第 4 号
されることがなかったが,フォレスター商会からの書簡の多くは,両者が多
くの問題を共有していたことを示している.
問題の多くは顧客の需要あるいは一般的に要望が突発的で不安定であった
のに対して製鉄会社の生産体制が柔軟に対応しなかったことに起因する.そ
の詳細は後述することにして,ここではそのような要望に柔軟に応じること
が重要であったことを確認したい.なお次の書簡中のゲストはダウライス製
鉄会社の社主と同姓だが,板金業者として他の書簡にもしばしば登場する別
の人物である.
ゲスト氏が当社発注分の鉄板少量の仕様書を貴社にお送りしたものと思います.
この当社の顧客は 2−3 日以内に鉄を入手できなければ発注を取り消したいと申して
おりますので,在庫がおありで直ちに発送いただけるならば月曜日の早朝に電報を
いただくようお願い申し上げます 32).
ブラウン・アンド・フリアー社
去る 14 日付の当社からの書簡に関連して,今月は上記の会社に対して 50 トン以上
発送しないよう依頼する書簡を E.F.E.ルイス社から受領しました.貴社からの配
送がなかったので,別の会社の鉄で代用しなければいけなくなったためです.
(略)33)
このように,製鉄会社と顧客の関係は,急な発注にも迅速かつ確実に対応
しなければ取り消されてしまう脆弱な一面があり,決して規格化された製品
を定期的に納品するような長期的で安定的な関係として確立されていたわけ
ではなかった.その背景には,本節で示すように,顧客の板金業者の鉄在庫
管理が一般に徹底していなかったこと,そして次節で検討するように,製鉄
会社間の競争が展開して,鉄供給元として複数の選択肢が確保されていたこ
32) DG/A/1/517, 15th March 1879.
33) DG/A/1/513, 16th December 1878.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(787)91
とがある.
2. 1 契約管理―契約履行までの情報の収集・整理
前節で見たように,一つの契約を履行するまでには発注から発注仕様の伝
達,納期や納品先の伝達まで複数の情報伝達の手順を経た.これらの情報を
正確かつ確実に入手すること自体も鉄鋼商フォレスター商会の役割であった.
(略)当社ではコークス銑鉄と鋼鉄の契約を結んでいて,さらにこの 2 ∼ 3 週間分
について仕様を指定していない全ての取引先に昨晩,書簡を送り,速やかに仕様を
指定するよう伝えましたので,次回あるいはその次の配達便で然るべき仕様をお伝
えできると考えております 34).
元より煩雑であった発注内容が頻繁に変更されたこともフォレスター商会
の情報整理の煩雑さを倍加させた.つまり,発注が取り消される,至急の発
注が行われる,さらには追加発注が行われる代わりに直近の注文が取り消さ
れるなどである.
イニスペンシューク社が至急 3 級銑鉄 50 トンを求めております.価格は 97 シリ
ング 6 ペンスで輸送の条件は通常通りです.ただちにご発送ください 35).
もし可能ならば,ランゲネックのランゲネック社に至急 3 級銑鉄をさらに 30 トン
ご発送ください.フォレスターから,帰社次第,御社と価格を調整させていただく
とお伝えするよう指示されております 36).
そのような変更の背後には顧客の鉄在庫管理の不徹底があり,それを製鉄
34) DG/A/1/517, 8th November 1879.
35) DG/A/1/495, 6th January 1875.
36) DG/A/1/509, 15th January 1877.
92(788)
第 61 巻 第 4 号
会社からの納品で調整する事例が多い.ここでは典型的な至急の発注と至急
の発注取消を各一例示そう.
バッド社が,気づかないうちに運悪く鉄の在庫が無くなってしまったと申してお
ります.可能な限り迅速に同社のブロックムーア工場に 50 トンをご発送ください.
同社には,発送すると伝えてあります.
追伸 貨車には「至急」の標識をご掲示ください 37).
カレッジ製鉄会社が,大量の銑鉄在庫があるので今月は契約どおりに発送してい
ただかないほうが好都合と申しております.(略)38)
このような変更がなかったとしても製鉄会社と鉄鋼商が共有する情報は十
分に煩雑であった.同じ発注者から重複して複数の発注が出される,あるい
は一つの発注者に複数の納入先の可能性があるなどの理由から発注内容の把
握が困難だったためである.
(略)ジョシュア・ウィリアムズ社が仕様書をお送りしたと理解しておりますが,鋼鉄 10
トン分で以前の契約が完了し,20 トン分は新しい契約に基づくものです.R.トマス社が 2
級銑鉄をどの鉄工所に配送を希望しているのかは確認して貴社にご連絡いたします.
(略)39)
このような情報の整理は製鉄会社,鉄鋼商の双方にとって容易でなく,し
ばしば発注量,発送量,決済金額,運搬手段の手配,運搬費用の分担などの
訂正,再確認の書簡が交わされている.
御社からいただいたこの数週間の契約計算書につきまして,オールド・キャッス
37) DG/A/1/513, 2nd August 1878.
38) DG/A/1/517, 8th October 1879.
39) DG/A/1/517, 18th June 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(789)93
ル社,スウォンズィー板金社,アマン社との契約は取り消されておりますので,今
後の計算書からは除外していただくのがよろしいかと存じます 40).
ここで重要なのは,これが問題であることを当事者も認識していた点であ
る.
コークス銑鉄についての助言 これまで,発注分のうちのどれだけが発送済みな
のかお伝えいただくようにしばしばお願いしてまいりました.その日ごとに詳細を
お知らせいただき,どの注文がどれだけ発送済みなのか当社にわかるようにしてい
ただければ好都合です.9 月 29 日から去る 4 日までの発送量についての情報は今朝
頂戴いたしましたが,一つの注文のうちのどれくらいが処理されたのかは頂戴した
情報から知ることができません.(略)41)
ルイス・アンド・マクビーン社の顧客と鉄道会社のあいだで貴社の鉄の運賃をど
ちらが負担するのかという点についてしばしば問題が生じておりますので,ルイス
社が行っているように貴社でも貨車の荷札に記して,運賃の負担者を明確にしてい
ただければ関係者全体にとって好都合と考えます.(略)42)
製鉄会社と顧客の関係は安定的なものとして確立されていたわけではな
かったが,鉄鋼商の不断の努力によって長期的に維持されていた.そのため
のもっとも基礎的な業務は,鉄鋼商による情報の管理であった.
2. 2 契約管理―遅配・誤配への対応
フォレスター商会による契約管理が重要であったことは,書簡の相当数が
発送の催促状であったことからも裏付けられる.納品は納期を伝達するだけで
40) DG/A/1/503, 5th July 1876.
41) DG/A/1/517, 9th October 1879.
42) DG/A/1/517, 18th April 1879.
第 61 巻 第 4 号
94(790)
は不十分であり,しばしば催促の必要があった.前述のように,顧客は鉄在庫
管理の不備を鉄の配送で調整することによって操業を維持した.同様に,製鉄
会社の生産管理も十全ではなく,これを鉄の配送で調整して操業を維持した.
フォレスター商会による発送催促は,製鉄会社と板金生産者の双方の操業状況
を調整する機能を果たした.催促状の多くは長期契約に基づく個々の納期を
伝達・確認する簡潔なものであったが,遅配に対する不満を伝えるものも多い.
(略)当社では,まさに継目板もあわせて供給するという条件で鉄道レールの販売
をすすめましたので,これを提供いただけるか 5 月 29 日付の電報で貴社にお願いし,
ご快諾いただきました.ですから,継目板を発送せずに鉄道レールを発送して,継
目板の速やかな配送を求める当社の取引先を驚かせることはできません.可能な限
りの継目板を圧延のうえ,ご発送いただかなければいけません.
追伸 些細な見落としがあったことが問題であろうと推測しておりますので,最
も早い発送日をお示しいただくようお願い申し上げます 43).
当社の取引先が,先月末に発注した鉄棒やアングル鉄とスウォンズィー宛の鉄格
子がガーナント駅に届かないために大変な不便を強いられております.ただちに配
送されるよう最善を尽くしていただけるものと希望します.(略)44)
ダウライス製鉄会社による製品発送には誤配も多く,その事後処理もフォ
レスター商会を介して行われた.たとえば,以下の書簡は,ルイス・アンド・
マクビーン社を仲介して発注した顧客ペットソール社が急遽,発送停止を申
し入れた商品がすでに発送済みであったうえにブラウン・アンド・フリアー
社に誤配されていたという一件に関するものである.
43) DG/A/1/481, 1st July 1873.
44) DG/A/1/517, 14th June 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(791)95
さらに 75 トンの 2 級銑鉄がブラウン・アンド・フリアー社に送られているという
連絡を受けたと E.アンド・F.E.ルイス社が申しております.これは,貴社が去
る 26 日付の当社の書簡をお受け取りになる前に荷積みされたものと推測いたします.
ペットソール社の工場は操業停止中なので,しばらくのあいだ発送を延期するよう
求めておりますので,ご注意いただければ幸いです 45).
発送先の誤りに加えて,ときに発送量の誤りや顧客の指定する仕様や品質
を満たしていないという誤りも生じた.
去る 5 日に発送した鉄が 24 トン 13 ポンドしかなく,7ハンドレッドウェイト足
りないというウェブ・アンド・サンズ社の苦情の書簡の写しをルイス社が送ってま
いりました.この件をご説明ください 46).
モリストンの我われの取引先が,先月 8 日に貴社から送られた鉄板のうち 3 枚の
寸法(1 フィート 7 インチ× 2 フィート 3 インチ)が 1 インチ短く,そのために意図
していた目的に使えないと申しております.ご説明ください.また,代わりに正し
い寸法で 3 枚をご発送いただけるか知りたいと申しております 47).
ダウライス社の銑鉄の分類方法についてご注意頂くようお願いいたします.これ
までにきわめて品質の異なるものが数荷あり,なかには当社の使用目的に全く適さ
ないものもありました.この点にご留意いただければ幸いです 48).
このように,鉄鋼商から迅速かつ正確に発注情報を伝達するだけでは,製
45) DG/A/1/513, 29th October 1878.
46) DG/A/1/513, 18th November 1878.
47) DG/A/1/517, 17th May 1879. この件はモリストン板金会社の要望通りにダウライス製鉄会社
が再発送に応じた.DG/A/1/517, 30th May 1879.
48) DG/A/1/473, 1st October 1872.
96(792)
第 61 巻 第 4 号
鉄会社が契約をするには不十分であり,いかに契約が正確に履行されていな
いのかを製鉄会社に再伝達することがフォレスター商会からダウライス製鉄
会社への書簡の相当数を占めた.
2. 3 製鉄会社と顧客の仲裁
第 1 節で示したように,原則としてフォレスター商会は事前に製鉄会社に
発注内容を照会することなく発注に至っている.しかし,新規顧客からの発
注が他の取引先との条件と異なる場合は照会の書簡が残されている.
ウェブ・シェイクスピア・アンド・ウィリアムズという会社の方が 1 名今朝当社
を訪れて,ポンターディライスまでの送料込み 1 トンあたり 6 ポンドで貴社の鉄を
100 トンの条件で発注できるかどうかお問合せでした.貴社の製鉄所からの運賃が高
額になりますので,この条件での販売をお認めいただけるか伺うために書簡を差し
上げました.(略)49)
また,既存の顧客であっても通常と異なる仕様や生産量が求められる場合
には,製鉄会社に照会している.また,価格について調整を施す必要がある
場合もあった.
(略)本日モリストン板金会社のオーウェン氏と面談しました.同氏は低価格でラ
ンドア製鉄会社から鋼鉄の鉄くずを購入されるとのことで,ダウライス製鉄会社で
も 500 トンほどお分けいただけるかどうかお尋ねでした.当方が理解するかぎりでは,
これは鋼鉄をある大きさに切断した後に残る半端な長さのものを指し,短い四角形
で 1 フィートあたり一定の重さがあるものと考えます.(略)50)
49) DG/A/1/513, 7th August 1878.
50) DG/A/1/517, 4th June 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(793)97
18 インチほどで両方とも上向きに切れ目を入れた頭が2つ付いた鋼鉄製のレール
止め具を造れるかどうか是非ともお知らせください.この問合せはウルヴァーハン
プトンのルイス・アンド・マクビーン社からまいりました.貴社で生産可能ならば,
当社は喜んで貴社が指示される最低価格を提示いたします 51).
9 日付のお便りを拝受しました.フォレスターが次の水曜日にランサムレット社と
面談し,価格について調整いたします 52).
このように,フォレスター商会は顧客の多様な要望に応じるためにダウラ
イス製鉄会社と契約条件の調整を重ねた.しかし,顧客の都合が常に優先さ
れたと考えるべきではなく,顧客の要望が不当であると判断した場合には,
製鉄会社と顧客の間に立って,断固とした姿勢で製鉄会社の立場を代弁して
いる.
ランゲネック
さまざまな重量でそれほどの少量を生産することはできないという説明をつけて,
標記の会社の仕様書は返送し,それぞれが 5 ∼ 10 トン以上になるように仕様書を書
きかえるように伝えました 53).
次の書簡はフォレスター商会が,製品の品質に対して相対的に価格が高い
ことを理由に代金の支払いを渋った顧客フィリップス社に宛てた書簡の控え
である.
ダウライス社との契約
予想したとおり,ダウライス社はこの問題について行動をおこすことに決めまし
51) DG/A/1/517, 5th August 1879.
52) DG/A/1/495, 15th July 1875.
53) DG/A/1/517, 23rd October 1879.
98(794)
第 61 巻 第 4 号
た.これは契約を強制することが貴社に不利で同社に有利だからではなく,価格の
問題以外に貴社が契約を放棄するのを正当化するような理由があるかどうか事実を
明らかにするためです.当方では,貴社からさらにご返答あるまでは手続きをすす
めるのを延期するよう同社に書面で依頼しております.当方としては,同社の言い
分が正しいように感じておりますので,同社を支持することになります.(略)54)
以下,この書簡では,フィリップス社側が契約成立以来,数カ月数十トン
のダウライス製鉄会社の鉄を受け取りながら,一度も品質について不満を言
明してこなかったことを指摘して,フィリップス社に非があることを主張す
るが,最後は次のように締めくくっている,「今回の一件は法律に訴える前に
検討して,決着がつくような方策をご提示することができると考えます」.
また,次の書簡は発送量の誤りをめぐってフォレスター商会からミッドラ
ンド市場の仲介役のルイス・アンド・マクビーン社に宛てた書簡の控えである.
(略)鉄はダウライスで貨車に積み込んだ時点で売却され,目的地到着の時点で重
量が完全かどうかはいかなる意味でも責任を持ちません.このリスクは,どのよう
なものであれ,貴社が負うべきものです.ダウライス社の製鉄所を発着する莫大な
量の鉱物は必ずきわめて入念に天秤を用いて計量され,鉄道会社も重量を確認しま
す.また,きわめて少数の例外を除き,当社の近辺では一切苦情は聞かれず,苦情
がある場合も原因を調べると受け取り手に見出されます.ダウライス社の配慮をお
疑いなら,何方かをお送りいただいて計量の様子をご確認いただけばよいでしょう.
(略)いずれにせよ,貴社には全額お支払いいただくようお願いいたします 55).
前節では,フォレスター商会が散発的で小口の需要を発注から納品に至る
まで正しく伝達する役割を果たしたことを示したが,このような要望を迅速
54) DG/A/1/513, 27th July 1878.
55) DG/A/1/517, Forester & Co. to E. F. E. Lewis & McBean, 28th February 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城)
(795)99
に伝達し,柔軟に応じることは顧客との売買関係を維持する上で重要であっ
た.顧客と製鉄会社の双方の在庫管理能力,生産・納品管理能力が不十分な
ために鉄鋼商による契約情報や履行状況の管理は重要であり,遅配・誤配の
リスクやそれに伴う軋轢を排除して契約が円滑に履行されるように,契約か
ら清算に至るまでをフォレスター商会が管理した.
このような 1870 年代のダウライス製鉄会社とフォレスター商会の関係に
は,60 年代のダウライス製鉄会社と地元鉄道会社の関係と共通点が多い.60
年代には鉄在庫の相互調整,輸送手段の編成組織とその清算管理,遅配・誤
配などの問題処理などは鉄道会社との書簡のやりとりの中で調整された.ま
た,遠隔地の鉄道会社に対して地元鉄道会社が製鉄会社の代理人の立場にあっ
たこと,納品に関わるトラブルの再発防止の課題を製鉄会社と共有したこと
も共通する.70 年代に入り,鉄道会社からの書簡が激減する代わりに鉄鋼商
フォレスター商会からの書簡が大幅に増加し,これまで鉄道会社と調整して
いた事項を鉄鋼商と調整するようになった背景には,鉄道レールの売買関係
の希薄化や 60 年代に頻発した鉄道事故問題の路線完成に伴う解消などととも
に,契約から履行まで一貫して鉄鋼商が関与することもあったと考えるのが
自然であろう.では,マーシャルがいう「補助産業」として,鉄道会社と鉄
鋼商は基本的に同じ役割しか果たしていなかったのだろうか.
3 技術革新・鉄鋼商・産業集積
前節では,個別の契約に伴う問題についてフォレスター商会が製鉄会社と
調整を重ねたことを示したが,地理的にはミッドランド,技術的には鋼鉄と
いう新市場開拓の戦略にはフォレスター商会はどのように貢献したのだろう
か.すでに見たように,両者の取引関係は長期的であり,一度の契約の履行
によって解消されるものではなかった.しかし,冒頭で触れたように,マーシャ
ルは産業集積の利益を単なる財の需給関係以上の関係,「発明と改善」を共有
する関係として考えている.フォレスター商会はダウライス製鉄会社の技術
100(796)
第 61 巻 第 4 号
革新にどのような貢献をしたのだろうか.
3. 1 価格水準の検討
フォレスター商会は,個別の契約をこえて,しばしば鉄製品の需要や価格
水準など市況の情報をもたらした.典型例として普仏戦争が勃発した 1870 年
の書簡を示すことができる.
さらなる販売を実現すべく全力を尽くしておりますが,実際には戦争とそこから不
況が生じると考えられているために当社の取引先の板金業者は皆きわめて購入を躊躇
するようになっております.これらの業者は徐々に生産を進めておりますので本日ま
での契約分をご発送ください.契約は更新できるものと期待しております.
(略)56)
さて 1870 年代,とくにその末期にダウライス製鉄会社とフォレスター商会
が強い関心を抱いた市場は二つあり,第一は低価格商品である銑鉄の販路をル
イス・アンド・マクビーン社の仲介でミッドランド地方に拡大できるかどうか
であり,第二は高価格商品の新製品である鋼鉄の販路を見出すことであった.
銑鉄について考慮すべき点は,19 世紀前半には南ウェールズの製鉄業者の
間で一般的に交わされていた価格協定が 1860 年代以降崩壊し,この動きを主
導したダウライス製鉄会社も 70 年代には低価格競争で厳しい立場に立たされ
たことである.次の書簡は価格競争の一端を示すと同時に,品質の優位がな
いという認識が示されている点が重要である.
(略)トレデガー製鉄会社は市場価格よりも 1 トンあたり 5 シリングから 10 シリ
ング高い価格を貴社に要請するほどの影響力を行使しながら,代理人をつうじてきわ
めて密やかに低価格の鉄骨や銑鉄の注文を,帳簿を満たすほど受け付けており,それ
を何とも思っていないのです.貴社が提示されている 7 ポンド 7 シリング 6 ペンスと
56) DG/A/1/457, 9th August 1870.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (797)101
いう売値が受け入れられない一方で,
トレデガー製鉄会社は 7 ポンドで販売しており,
同社の代理人が断言しているように(また当社も確信しているように)その鉄はダウ
ライスで使われているのと同じ原材料,同じ工程で製造されております.この販売方
法のため当社は,もしもこの 6 週間に 7 ポンドから 7 ポンド 5 シリングで 5,000 トン
から 10,000 トンほど売却してもよいとお認めいただければ獲得できたはずの注文を
取り逃がしております.
調査したところ,この数日のあいだトレデガー製鉄会社は,当社が受注して貴社
の見積もりの回答を待っていた相手にも売りつけており,これらの顧客は 7 ポンド
ちょうどで買っていることがわかりました.(略)残念ですが,当社が見込んでいた
発注のなかには,この数日のあいだに他の製鉄会社に発注されてしまったものもあ
り,少なくとも 5,000 トン分に相当します.(略)57)
上記のトレデガー製鉄会社は同じ南ウェールズの競合相手であり,このよ
うな価格競争の打開策がミッドランドの販路拡大であった.
(略)少量の受注は 7 ポンド 10 シリング,大口の受注は 7 ポンドから始めて,そ
の後に他の売り手より低い価格を試みれば,十分な受注を確保できると考えており
ました.(略)しかし,我われが出し抜いた製鉄業者が今では我われよりも低い価格
を提示しております.また消費者も,それらの業者の製品はダウライス製よりも良
質とはいかないまでも同等だと申しております.我われは協力し,助け合って販売
をしなければいけません(とにかく販路が確立するまでは).他の製鉄会社によって
貴社が市場から閉め出されないように当社は貴社と協力し,助け合うつもりです.
ウルヴァーハンプトン周辺あるいは一般にスタフォードシャー州では,一定の販路
は得られると思いますが,我われはいささか出遅れており,他の製鉄業者が先行し
ている場合は一押ししなければならないでしょう.あの地域では価格が鉄板の場合
に配送料金込みで 6 ポンドから 6 ポンド 10 シリング,板金用鉄棒の場合に 7 ポンド
57) DG/A/1/517, 13th November 1879.
102(798)
第 61 巻 第 4 号
です.(略)58)
しかし,ここでも価格競争の状況は厳しいものであった.
(略)本日ウルヴァーハンプトンの E.アンド・F.E.ルイス社から電報があり,
現金払い,ダウライス渡し,送料込み,1 トンあたり 42 シリング 6 ペンスで 2 級銑
鉄 300 トンという注文がありましたが,下限額よりも 1 シリング低いので断りまし
た.(略)59)
(略)E.アンド・F.E.ルイス社の注文で以前と同じくウェブ社宛に 2 級銑鉄 50
トンの注文がありましたので,正式な発注書を同封いたします.ルイス社は 43 シリ
ングの値下げ価格でも 300 トン分の注文を確保することができませんでした.この
価格でこれより少量を提供することは断りました 60).
貴社製の銑鉄の在庫は依然として手付かずです.売れる見込みもほとんど,ある
いは全くありません.問合せも全くありません.品質についてもダウライスで生産
されたものは実際にはミドルスブラ製のものにはほとんど追いつかないのに,ミド
ルスブラ製のものは正味 37 シリング 6 ペンスで買うことができ,さらに運送費など
を差し引けばミドルスブラ渡しで製鉄会社に払うのは 32 シリングです.これで利益
が出るのでしょうか.
(略)それぞれ 50 トンで 2 件の注文を受けており,一つはフィ
リップス・ナンズ社,もう一つはトマス・レスター社です.両者とも配送料金込みで
1 トンあたり 7 ポンドを要求していますが,2 シリング 6 ペンスを上乗せするよう努
めます.この注文を失わず,
しかし 2 シリング 6 ペンスも上乗せしたいと考えますが,
この取引先を失うぐらいならば譲歩したほうがよいと考えております.
(略)61)
58) DG/A/1/517, 9th June 1879.
59) DG/A/1/513, 9th August 1878.
60) DG/A/1/513, 23rd August 1878.
61) DG/A/1/517, 5th July 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (799)103
このような販売実績の不振はダウライス製鉄会社とフォレスター商会の関
係にも動揺を与えた.書簡冒頭のメニラウスはダウライス製鉄会社の支配人
である.
市場取引が拡大しているのに当社が不当に販売額を抑えているとお考えであると
いう去る 24 日,25 日のメニラウス氏の電報を勘案して,当社が進めていた販売の約
束は書簡ならびに電報でただちに全て撤回いたしました.現在ではJ.チャイヴァー
ス・アンド・サン社とルイス・アンド・マクビーン社を除けば白紙状態であり,こ
の二社についても貴社がご要望であれば,売却を強いられることはないだろうと考
えております.(略)これまで,カレッジ製鉄会社の場合のように,貴社のご指示よ
りも 1 シリングから 2 シリング 6 ペンスまで価格をつりあげることができる場合には,
そのようにしてまいりました.また受注を確保するために 3 ペンスから 6 ペンスを
顧客に負担させずにおいたこともあります.今ならば価格を引き上げるにしても据
え置くにしても貴社がもっとも良いとお考えのとおりにいたします 62).
新製品である鋼鉄の価格水準が適切であるかどうかについても,フォレス
ター商会を通じて多様な情報が収集された.ここでも価格とともに品質が問
われている.
(略)モアウッド社から完成品の鋼板をお送りします.貴社が同社に送った鋼鉄の
見本品から実に品質の高い鋼板が生産されたことをご理解いただけるはずです.バッ
ド氏に面会して,契約を交わすよう試みるつもりです.価格を下げるのは簡単ですが,
引き戻すのはきわめて困難です.鋼鉄の鉄骨は木炭か最高品質のコークスで仕上げ
なければいけません.木炭だけで仕上げた製品に対抗するならば,相対的に高い価
格をつけることができますが,少量しか供給できません.最高品質のコークスで仕
上げた製品と競争するならば,相対的に多くを販売できますが,バッド氏が提示し
62) DG/A/1/517, 26th September 1879.
104(800)
第 61 巻 第 4 号
た程度の価格に下がることになります.少量を高く売るのか,多くの量を低価格(つ
まり,1フィートあたり7ポンド 10 ペンスあるいは 7 ポンド)で売るのかは貴社の
ご判断に委ねます.鋼鉄製のレールを実に低い価格(4 ポンド 7 シリング)で販売し
ておりますので,買い手の一部には,鋼鉄製の鉄骨に 7 ポンドを払うのでさえ,利
ざやの部分が大きすぎるという印象を与えております.(略)63)
このようにフォレスター商会は,競合他社との価格競争による販売不振を
伝えながらも,ダウライス製鉄会社の競争力不足の一因として,ダウライス
製品が品質面で必ずしも優位に立っていないことを重ねて問題に取り上げた
のである.
3. 2 品質の重要性の認識
販路拡大だけでなく,既存販路の維持のためにも製品の品質は重要であっ
た.ここでは再度,個別取引の仲介に関する書簡をとりあげ,顧客が製品の
品質にしばしば言及していることを確認しよう.
(略)ジョーダン社は,これまでに送られてきた鉄は常に満足なものであったが前
回のものはこれまでとは異なっていたと申しております.製品の選別にもう少し注
意を払っていただくよう要望するように依頼されております.(略)64)
(略)7 月にタイバックのガヴ社宛にブリキ用銑鉄貨車 1 両分を発注いたしました.
これは発送いただき,コパー・マイナーズ板金会社が試用した結果,脆弱で硫黄や
燐の含有率が高く,あまり良くなかったと申しております.しかし,同社は再度試
用したいと希望しております.正式な発注書を同封いたしますので,よろしくお取
り計らいください 65).
63) DG/A/1/517, 5th April 1879.
64) DG/A/1/517, 16th June 1879.
65) DG/A/1/517, 19th September 1879.
105( 98 ) 1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (801)105
このような品質への不満は取引にも影響を及ぼした.
ダーリング氏がアバディライスを退出された後に,ヴィバートが 5 月と 6 月に送っ
た鉄骨 100 トンについて 1 トンあたり 10 シリング値引きして 7 ポンドとすることで
落着するように当方に迫ってまいりました.この 100 トンのなかの不良品の割合が
その前の 54 トンとほぼ同じであるというのが理由です.当方はこれを却下しました
が,スウォンズィーに帰社したら A.ギルバートソン氏にいくつかの提案をする書
簡を出すと約束し,これはそのとおりに実行したので,書簡の写しを同封いたします.
ヴィバートは,ランドア製鋼会社の製品と比べるとダウライス社の鉄は 1 トンあた
り 10 シリング安い価格にも見合わないと申しております(また同氏は全く正直な方
であると信じます).ランドア製鋼会社,エルバ製鉄会社ばかりかパンテグ製鉄会社
までもが貴社の製品より自社製品の品質が上回っていると主張しております.ラン
ドア製鋼会社ではなく我われからの供給路を確保するためには,木炭ではなく最高
品質のコークスで大量の板金を加工している損失の埋め合わせとして,契約を更新
する際に 25 ポンド以上も譲歩することになるかもしれないと考えます.(略)当方
は注文を取りにまわり,パンテグ製鉄会社のスミス氏と一緒になりました.同氏は
我われの受注分を減らすべくあらゆる努力をしておりますが,顧客のほとんどはす
でに予約済みであり,当社よりも低い価格で販売しないかぎり多くを売ることはな
いと考えます.(略)66)
このように製品の品質は,新規市場の開拓の脈絡だけでなく,既存の顧客
との取引関係を維持する上でも問題となっていたのである.
3. 3 品質の検討
このような品質への不満は,ダウライス製鉄会社とフォレスター商会のあ
いだで重要な論点となった.フォレスター商会はとくに新製品である鋼鉄の
66) DG/A/1/517, 11th July 1879.
106(802)
第 61 巻 第 4 号
品質を重視し,とくに顧客である板金業者を動員して,見本品を試用させ,
技術的な問題点の究明と板金業者からの意見集約に尽力した.
我われの取引先であるギルバートソン社が,刻印のたびに鋼板を損なう恐れがあ
るので,今後は圧延の1回ごとに鉄骨の刻印押しを繰りかえすことはせず,簡単に
できるのであれば,それぞれの鉄骨の端に浮き彫りの形で文字を刻印するのがもっ
とも望ましいのではないかと申しております.
バーミンガムの会合で多くの製造業者に会って,貴社の鉄を試してみた業者から
評判を聞けば,将来の取引の展望についてさらに多くのことを学べるはずです 67).
控えを同封した 7 月 31 日付のグラントウ社の書簡を受け取って,同社の工場に状
況視察に行く際に同行してもらうように,わが友人であるラントリサント社のジョー
ンズ氏に電報をうつことにいたしました.我われの調査結果は同氏が示したとおり
で,同氏は問題の核心を衝いていると信じます.
同氏は 1 フィートあたりが同じ重さ(11 ポンド 6 オンス)のものを 2 トン分,製
造中のものの例として試験してみたいと申しております.同氏が加工して,グラン
トウであったような問題に直面せずに同じ大きさの鋼板にできるかどうか試します
ので,ただちにご発送ください.
ギルバートソンの苦情についても,鋼鉄 2 トンを選んでラントリサントに送って
圧延させるように示唆しておきました 68).
このように,見本品の発送はダウライス製鉄会社とフォレスター商会の営
業戦略にとって重要な活動であり,早いものとして以下の 1871 年の書簡をあ
げることができる.
67) DG/A/1/517, 5th April 1879.
68) DG/A/1/517, 1st August 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (803)107
鋼鉄製のレール
当社の取引先に貴社の見本品を提示して購入してもらうよう最善を尽くします.
しかし,レールについては相当に事情が異なりますので,当社が問い合わせをした
場合には 70 ∼ 80 トンほどご用意いただきたく思います 69).
上記のように,見本品の発送は顧客に試用の機会を与えただけでなく,ダ
ウライス製鉄会社やフォレスター商会にも品質の再点検の機会を確保する役
割を果たしたのである.では,その結果はどのようなものだったのだろうか.
昨日,そして今朝もう一度,鋼鉄の鉄骨を鋼板に加工する作業を見るためにラン
トリサント社を訪れ,結果にとても満足しております.当方が滞在中に鍍金して選
別した 7 箱分の結果についての同社の支配人ジョーンズ氏(氏はコークス銑鉄の生
産に 40 年以上の経験を有します)の報告をお伝えします.鋼板は 5 ∼ 6 回折り曲げ
ても,最高品質のコークスで加工した鋼板と完全に同等の強度を示し,あらゆる型
抜きの用途にも好適です.残る問題としては,機械や発送の安全性に完璧を期すた
めにもう少し柔軟性が必要なだけです.ときには,適切な大きさに伸ばすために加
熱しなおさないといけない鋼板もあります.選別した結果としては,それぞれ鋼板
112 枚入りの 7 箱中で,欠陥があるのは 17 枚だけで,これは 2%に相当します.通常,
最高品質の木炭を利用した場合でも平均の欠陥率は 7%から 15%です.選別担当者
も,最高品質の木炭の場合でもこれだけ多くの鋼板が無傷であった経験はないと申
しております.不良品の原因をご確認いただいて問題点を補正いただけるように無
傷の製品,泡のできた製品,不良品と印をつけた鋼板 3 枚をお送りします.(略)欠
陥品の量は通常であれば問題にならない程度ですが,表面的には発送された製品の
なかにもこれまでの問題が見受けられたということで,可能ならば今後改善すべき
問題です.切断されて圧延されたランドア社製の鋼板も見ましたが,明らかに我わ
れの鋼板よりも柔軟です.ご検討いただくため,そしてこの点について本当に求め
69) DG/A/1/465, 3rd October 1871.
108(804)
第 61 巻 第 4 号
られている水準をご理解いただくために,軟鋼の見本をお送りします.ご参考までに,
ランドア製鉄会社では圧延した鋼板を一種の焼き戻し炉に戻して冷ましており,そ
れはおそらく外気で冷却するのを防ぐためであると考えられていると聞いておりま
す.しかし,これはご一考の価値があるとご判断になるかもしれないと思って申し
添えているに過ぎません.ランドア社には見本品として 50 トンを販売し,その使用
後に 1 トンあたり 7 ポンドの価格で 6 カ月間に 500 トンまで配送する選択権を与え
ております.同社にとってコークス銑鉄を販売するのは新しい事業で,買い手を見
つけなければいけないので,配送期間を長く設定しているのはこのような理由によ
るものです.(略)バッド氏が今しがた立ち寄られたので,ジョーンズの報告をお伝
えしたところ,結果に満足され,配送中の製品が届き次第試してみられるとのこと
です.ラントリサント社は 1 フィートあたり 15 ポンド 4 オンスの鉄骨 10 トン分を
ただちに発送していただきたいとのことです 70).
(略)バッド氏がいくつか問題点を指摘され,また土曜日に当地を訪れたブロック
ムーアのウィリアムズ氏にも指摘されました.ウィリアムズ氏は「ロンドンに一定
量を送ったが,鉄板のうえに息を吹きかけると針の穴のような小さな穴があるのが
見つかった」と申しております.ウィリアムズ氏はおそらく十分に長い時間鋼鉄棒
を水に漬けておかないので金鱗が落ちず,金鱗が鋼板の表面を動くために生じるの
かもしれないと示唆しております.貴社では別の説明をされるのかもしれませんが.
バッド氏が当方との面談を希望しておられ,マンモスシャー州から配送される製品
に対抗してブロックムーアまでの配送料金込みのコークス銑鉄の料金を設定できな
ければ水曜日にバッド氏を訪問するつもりです.鉄道会社に銑鉄と同じ 7 シリング 6
ペンスで運ばせることができれば,ダウライスで 1 トンあたり 5 ポンド 7 シリング 6
ペンス,ブロックムーアまでの配送料金込み 5 ポンド 15 シリング 0 ペンスで受注し
てもよいと考えております.マンモスシャー側は配送料金込み 5 ポンド 12 シリング
6 ペンスを設定していますので,この件について貴社のお考えを伺えれば幸いです.
70) DG/A/1/517, 23rd April 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (805)109
W.ギルバートソン社で生産したコークス鉄板をお送りしますが,同社は以下のよう
に申しております.
「30 箱分しか圧延していないが,送付した鉄板はそのうちの 1 枚である.鉄の
ほとんどは十分に良質だが,明らかにダウライスの職人のなかにきわめて劣悪な
仕事をしている者がいる.以前はダウライスからこれほど劣悪な製品が送られて
くることはなかった.問題は鉄にあるのではなく,ダウライスの職人気質の劣悪
さにあると思い知らされたと考えている.」
オージャーベッド社宛の鋼鉄 2 トン分という少量の注文書を同封いたします.同
社への前回の発送分は「きわめて金鱗が多い」と報告され,今回は金鱗が除去され
ているよう確認を求められております.これはウィリアムズ氏の指摘と一致すると
お考えになられることと思います.(略)71)
このように,フォレスター商会によってダウライス製品の品質の問題点が
指摘されたが,課題が明らかになるにつれて顧客の姿勢も問われた.
バッド氏と長時間の面談をいたしました.バッド氏はいくつかの書簡や電文を見
せてくださいました.結論は,手短に言うならば,イスタリフェラ社はロンドンに
配達された鉄板について 1 シリングの弁償をも認めず,返品して解約すると申し出
たということです.これは買い手の気に召さなかったということで,鉄板は回送さ
れます.実際には,このような「小さな穴」は多かれ少なかれ鋼鉄には付き物で,
おそらくは補正できるはずです.何が問題なのか説明することは難しいですが,強
力な拡大鏡で検査したところ,小さな黒い穴がはっきりと見えました.
「大口の顧客」
の一部には鋼鉄に対する明らかな偏見があります.それは,この 2 年間,均質性の
追求に失敗し続けていることが原因です.板金業者に引き続きコークス銑鉄を利用
させるようにありとあらゆる努力がされておりますが,それでもだんだんと鋼鉄に
代わりつつあります.バッド氏側にはいかなる意味でも我われの契約に介入する意
71) DG/A/1/517, 30th June 1879.
110(806)
第 61 巻 第 4 号
図がないことはご理解ください.バッド氏は,補正できるものは補正すべく全力を
尽くすことができるように,ありのままにバッド氏の工場や他の場所で見出される
あらゆる問題を示しているのです.
(略)当社は最後には成功するという確信を抱い
ておりますので困難に怖じけることはございません 72).
3. 4 鋼鉄に対する反発
新製品である「鋼鉄に対する明らかな偏見」は,上記のような品質の問題
にとどまらず,板金工業とその労働者の間に根深く浸透していた.つまり,
鋼鉄の登場が銑鉄の加工処理における熟練技能に対する脅威となるという危
惧である.
(略)鋼鉄については,残念なことですが,複数の板金工場の労働者に対してきわ
めて深刻な問題を生み出してしまったことをご報告いたします.コークス銑鉄で作業
していた多数の同僚の雇用が無くなってしまうことになるので,鋼鉄で生産すること
に労働者が反対し,ある会社(フィリップス・ナンズ社)は鋼鉄の利用を中断せざる
を得なくなりました.また,少なくともしばらくのあいだ,この問題が当地を見舞う
ものと危惧されており,その結果として鋼鉄の注文はきわめて僅かです.
(略)73)
このような偏見を解くことにも,フォレスター商会は尽力している.
グラントウ社のデイヴィッド・ウィリアムズ氏(同氏の書簡を土曜日にお送りし
ました)と長時間の面談をし,貴社に「工場を鋼板に即時転換させて板金業者を滅
ぼす」意図は全くないということを理解いただくのに成功しました.同氏には毎月
鋼鉄 125 トンあるいはそれ以上使用するのであればそれに応じた量を今後 8 カ月間
イスタリフェラ社と同じ条件で 1 トン 7 ポンド計 1,000 トン分を販売することになり
72) DG/A/1/517, 2nd July 1879.
73) DG/A/1/517, 25th November 1879.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (807)111
ました.(略)74)
フォレスター商会は鋼鉄の導入に対する板金工業内の理解を促すことに
よって,南ウェールズの鋼鉄の生産者と消費者の調整を行い,南ウェールズ
における鋼鉄の実用化を進めたのである.
本節は,ダウライス製鉄会社とフォレスター商会が製品の価格や品質など
の問題を共有し,また,その解決にフォレスター商会が板金業者を動員して
見本品を試用させ,また偏見を解くべく説得にあたったことを示した.鋼鉄
生産が本格化する時代に,このような形で南ウェールズの製鉄産業と板金工
業が結びつき,イングランド製鉄産業に対抗して産地間競争を展開する基盤
となった.このような技術革新への貢献は 1860 年代の鉄道会社の事例では見
られなかったことである.
おわりに
本稿は,第一節でダウライス製鉄会社による鉄取引の概要とフォレスター
商会が果たした役割を示した.フォレスター商会は販売契約とその履行であ
る納品までの管理に深く関与していた.第二節では,不安定な顧客の要望に
ダウライス製鉄会社が柔軟に対応するためにフォレスター商会による調整が
大きな役割を果たしたことを示し,これが 1860 年代の鉄道会社が果たした機
能に類似することを示した.しかし,第三節では,鉄道会社の例では見られ
なかったこととして,フォレスター商会が顧客を動員して鋼鉄の品質上の問
題を吟味し,また顧客の偏見の解消に努めて技術革新を後押ししたことを示
した.
しかし,マーシャルの指摘はいわゆる産業集積の機能を説明するものであ
り,本稿の事例がこれに合致するかどうかについては検討の余地が残る.つ
まり,通常 19 世紀南ウェールズの製鉄産業集積とされるのはグラモーガン州
74) DG/A/1/517, 30th June 1879.
112(808)
第 61 巻 第 4 号
やマンモスシャー州にまたがる山間部の製鉄会社の一群を指す.本稿の他方
の対象であるフォレスター商会や板金工業は同じグラモーガン州でも西部沿
岸部の港湾都市スウォンズィーを中心に立地し,製鉄産業集積とは区別され
るべきであろう.では,本稿の事例はどのように評価され,とくに 1860 年代
の鉄道会社の例とどのように区別されるべきなのだろうか.
19 世紀前半までは製鉄会社が連帯して生産設備や資源,価格水準,熟練労
働力を管理することが重要であったが,1850 年代には生産や経営の専門化,
技術革新,資源の確保が実現し,60 年代には全国的な輸送体系に接続する輸
送インフラが整備された.70 年代のダウライス製鉄会社に必要だったのは,
新たな市場への接続を確保し,顧客の煩多な要望を柔軟に整理するパートナー
であった.この限りでは 60 年代の鉄道会社と 70 年代の鉄鋼商の役割は共通
している.ダウライス製鉄会社に不足していた納品管理能力や市場調査能力
を補助産業が補った.マーサー・ティドヴィルが製鉄産業集積としての機能
を弱める一方,そのような機能は同地の製鉄会社間の機能から鉄道会社や鉄
鋼商によって接続された広範な地域,本稿に即していえば南ウェールズの金
属工業を包括する関係の機能へと変容した.
しかし,製品流通の問題にとどまらず,鉄鋼商フォレスター商会は鉄生産
の問題についても製鉄会社と課題を共有し,消費者からのフィードバックを
可能にした点に特徴がある.ここでは産業集積における技術革新がマーサー
の製鉄産業集積を超えたものとして見出される.もちろん,これはマーサー
の産業集積の機能を否定するものではなく,ダウライスにおける製鉄協会(the
Iron and Steel Institute)の機能にも留意しなければならない 75).しかし,本稿は,
一都市における同業者の集住としての産業集積とは別に,鉄道や電信によっ
て一体化された地域において複数の関連業種が一つの技術革新の課題を共有
するものとしての産業集積の機能を,ダウライス製鉄会社,フォレスター商会,
板金生産者の関係に見出すものである.実際に,マーシャルは冒頭の引用部
75) Owen, A Short History, pp.42-43.
1870 年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と鉄鋼商フォレスター商会(菅 一城) (809)113
分につづいて,地域的な悪条件による困難が「鉄道,印刷機および電信によっ
て減少」することを指摘している76).また,マーサーの製鉄産業集積とは別に,
それを包含する南ウェールズ規模の金属産業集積を想定することは,産業集
積を階層的なものとして再検討する必要があるという近年提起されている論
点とも合致する77).
ダウライス製鉄会社にとって,フォレスター商会は受注獲得手段にとどま
らない産業集積の協力者であった.つまり,両者は財やサービスの需給関係
において相互依存していただけでなく,技術開発競争における課題をも共有
した.本稿は,冒頭のマーシャルの指摘に倣えば,ダウライス製鉄会社が鋼
鉄生産の実用化という「新たな考察を始めると」,鉄鋼商フォレスター商会を
通じてグラモーガン州西部の板金業者によって「取り上げられ,それらの人々
の考えと結合され,そのようにしてさらに新たな考案の源泉となる」過程を
示したものである.
(すげ いっき・同志社大学経済学部)
76) Marshall, Principle, p.272 (『原理』202 頁 ).
77) Wilson, J.F. & A., Popp,“Districts, networks and clusters in England: An introduction,”in Wilson
& Popp (eds.), Industrial Clusters and Regional Business Networks in England, 1750-1970, (Ashgate,
2003), pp.15-16.
114(810)
第 61 巻 第 4 号
The Doshisha University Economic Review Vol.61 No.4
Abstract
Ikki SUGE, Dowlais Iron Co. and Forester & Co., an Iron Merchant, in the 1870s
South Wales
The idea of“industrial districts”proposed by Alfred Marshall has often
been applied to the innovation and diffusion of productive techniques. This
article examined this function through a case study of the Dowlais Iron Co., a
representative of the South Wales iron and steel industry, and Forester & Co.,
an iron merchant, using the correspondence between the two in the 1870s. In
particular, this article considers the functions of the iron merchant, both in daily
trades and in the long-term innovative development of steel making, and shows
the iron company and its customer tinplate makers linked by the iron merchant as
a type of Marshall’
s“industrial district.”
Fly UP