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三木清全集第十三巻 岩波書店刊より 評論I 宗教・教養と文化 宗 目 如何に宗を批判するか ………………… 1930.2.9 『中外日報』………………………… 三 『讀賣新聞』…………………二○ 23 宗 鬪 爭 と 階 級 鬪 爭 …………………… 1930.2.23 『 中 外 日 報 』 ……………………… 一 二 化の根源と宗 ………………………… 1933.9.17 〜 宗復興の檢討 …………………………… 1934.10.1 〜 『 5報知新聞』…………………三二 佛の日本化と世界化 …………………… 1936.1.1 『學新聞』…………………………四五 似宗と佛 …………………………… 1936.2 『宗論』……………………………五三 無力なる宗 ………………………… 1937.4.18,20,21 『中外業新報』………………六三 新日本の指力としての宗 ………… 1938.1 『流』…………………………………七一 似宗の蔓 …………………………… 1939.6.27 『讀賣新聞』………………………八二 『東京日新聞』………………九三 14 年と宗 ………………………………… 1941.12.20 『京國大學新聞』……………八六 養と化(一) 新興科學の旗のもとに ……………… 1928.10.10 〜 最哲學界の野 …………………… 1929.5.12 『讀賣新聞』……………………………九八 『讀賣新聞』…………………一〇六 14 現象學は明日の科學か ……………… 1930.1 『改』…………………………………一〇五 特權階級意識の批判 ………………… 1930.3.12 〜 古典の究 …………………………… 1931.4 『ギリシャ・ラテン座』月報…………一一四 義狂 ……………………………… 1932.8 『經濟往來』………………………………一二三 『東京日新聞』……………一三三 15 自殺の哲學 …………………………… 1933.2.23 『讀賣新聞』…………………………一二九 自由主義の立場 …………………… 1933.7.13 〜 美 時 ……………………………… 1933.9.5,9,13,17,20 『 新 聞 』 ……………… 一 四 三 浪 漫 主 義 の 擡 頭 ……………………… 1934.11.8 〜 自 由 主 義 以 後 ………………………… 1935.4.26 〜 『 新 聞 』 …………………… 一 五 七 11 『 讀 賣 新 聞 』 ………………… 一 六 八 28 新 語・ 新 イ ズ ム 解 ………………… 1935.7.28 『 讀 賣 新 聞 』 ……………………… 一 七 六 日 本 化 と 外 國 化 ………………… 1935.8 『 セ ル パ ン 』 …………………………… 一 八 〇 人 間 再 生 と 化 の 課 題 ……………… 1935.10 『 中 央 論 』 ………………………… 一 八 九 現 代 化 の 哲 學 的 基 礎 ……………… 1935.11 『 日 本 論 』 ………………………… 二 〇 四 年に就いて ………………………… 1936.5 「年論」『日本論』…………………二二三 日本的性格とファッシズム ………… 1936.8 『中央論』……………………………二四一 東 洋 的 人 間 の 批 判 …………………… 1936.9 『 學 界 』 ……………………………… 二 六 八 ヒューマニズムの現代的意義 ……… 1936.10.2 〜 『 4中外業新報』……………二七六 養 と 時 代 感 覺 ……………………… 1936.11.24 『 新 愛 知 』 ………………………… 二 八 五 ひ荒された論壇 …………… 1936.12.10 コラムすすはらい『大阪日新聞』………二九〇 哲學の復興 …………………………… 1937.1.1,5 『大阪日新聞』…………………二九二 讀書論 ………………………………… 1937.3.1 『日本讀書新聞』創刊号………………三〇二 デカルトと民主主義 ………………… 1937.3.29 『新愛知』……………………………三〇六 養論 ………………………………… 1937.4 「養論の現實的意義」『改』…………三一〇 知識階級と傳統の問題 ……………… 1937.4 『中央論』………………………………三二六 日本的知性について ………………… 1937.4 『學界』…………………………………三四七 大學とアカデミズム ………………… 1937.4.26 『一橋新聞』…………………………三五九 學生に就いて …………………… 1937.5 「學生の知能低下に就いて」『藝春秋』…三六五 化の本質と統制 …………………… 1937.5.6 〜 『8讀賣新聞』………………………三七七 困と機 …………………………… 1937.6 『學界』…………………………………三八五 時代の感覺と知性 …………………… 1937.6 『人論』………………………………三九一 世界の ………………………… 1937.7 『新』……………………………………四〇二 彈力ある知性 ………………………… 1937.7 『藝』……………………………………四〇八 パスカルの人間觀 …………………… 1937.7.26 『新愛知』……………………………四一六 哲學と育 …………………………… 1937.8.17 〜 『夕刊大阪新聞』………………四二二 19 大學の固定化 ……………………… 1937.9.25 『三田新聞』……………………………四三二 靈魂不滅 ……………………………… 1937.10.5 『夕刊大阪新聞』………………………四三六 日本の現實 …………………………… 1937.11 『中央論』……………………………四三八 『中外業新報』……………四七五 13 技と化 …………………………… 1937.11 『科學主義工業』………………………四六四 戰爭と化 …………………………… 1937.11.11 〜 記 …………………………………………………………………………………四八九 技 と 大 學 の 育 …………………… 1937.11.29 『 藏 新 聞 』 ……………………… 四 八 二 後 宗 教 如何に宗を批判するか 一 『中外日報』 ——1930.2.9 現在の宗が否定さるべき素を有することは何人にとつても明白である。眼あるはこれを 見、字あるはこれを知らざるを得ない。如何なる宗肯定論と雖も現在の宗の部をそ 0 0 0 0 0 0 のまま辯護しようとは思はないであらう。そこでこれらの人々の宗擁護論は普にのやうな 0 0 形をとつて現はれる。 第一、宗の本質とその現象、就中宗制度とが區別されねばならぬ。そして宗に於て否定 さるべき素はその現象に關係する。現在に於ける個々の宗組織、個々の宗制度のうちには なるほど變さるべきもの、革命さるべきものも少くないであらう。しかしそれだからといつて 宗の本質、「純粹な」宗ともいふべきものは決して否定さるべきでない。我々は宗の本質 三 に新しい衣を着せさへすればよいのである。このやうな考へ方はにこれを推しめることが出 如何に宗を批判するか 四 來る。かくて第二に、從來宗の本質と見做されたものの中にも否定さるべき素は含まれてゐ る。我々は宗の本質を一「純粹に」せねばならぬ。そしてこの宗の「純粹な」本質こそは 固より今日と雖も否定さるべきではないのである。 先づ第二の點に關して私は云ふ。宗の純粹な本質などいふものはただ哲學の頭の中にだけ 存在し得るものだ。もし宗家にして宗のかかる純粹な本質を考へてゐる限り彼は宗家でさ へないのである。現實的な宗はこの意味に於て凡て純粹ならぬ宗である。「原始的」宗が つねに一切の偉大なる宗の底流をなしてゐる。どのやうな高級な宗も多かれ少なかれこの原 始的宗に權利をめ、多かれ少なかれそれに自己を應させ、且つその素を自己の中に取り 入れてゐる。ここに「原始的」といふのは、時間的に昔のものであるといふ意味でもなく、また 價値的に低いものであるといふ意味でもない。却つてそれは大衆の自然的な宗的意識を指すの である。原始的宗の表として、その感性的、物象的性質、その幸主義的傾向などが擧げら れることが出來る。事物の世界となんらの接觸ももたぬ一の對的に「的な」宗は單に一 個の抽象的な理論としてのみ存在し得る。又一切の人間の有する幸への願望こそはあらゆる宗 の 出 發 點 で あ る 。 同じやうに第一の點に關しても私は云ふことが出來る。宗の本質とその現象とを二元的に見 ることはである。のうちに活ける力として存在した如何なる宗もつねに儀禮や制度や組 織をもつてゐる。宗は固よりこれらのものに盡きはしない。そこには人格の最も面的な體驗 がある。しかし最も面的なものもつねに何等かの仕方で外部に表現される。このことは人間が その存在に於て單に的でなく却つて同時に感性的なのものであり、いはゆる物理的 統一體であることによつて必然的にされてゐる。なるものは外なるものをして、外なるもの はなるものによつて理解される。もしさうであるならば、宗の變ることなき本質などいふも のは存在しないのであつて、その理、その制度などの變化してゐる如く、宗の本質そのもの もまた的である。 このやうにして我々はのうちに活ける宗を一の體として問題にしなければならない。 この場合我々は一般にのことを注意しておかう。宗が今日墮落してゐるとするならば、それ は、或る人々の考へる如く、單に宗そのものの罪でなく、却つて宗がそのうちにある會に よつてさうさせられてゐるのである。今日の會の變革なくして今日の宗の變革もあり得な 五 い。否、ブルジョア會ほど非宗的な會は嘗てなかつた。この會に於て宗は最も非宗 如何に宗を批判するか 六 的たらざるを得ない。それだから宗に對して眞に關心を有するはブルジョア會に敵對せざ るを得ないのである。 二 階級會に於ては藝も、科學も、哲學も凡て階級的である。宗もまたそれ以外のものであ ることが出來ない。に宗家そのものが階級人であり、自己をつねに階級的利に結びつけ る。我々は宗が「何」であるかを宗家が「誰」であるかといふことをして知ることが出來 る。宗の批判は宗家の會的階級性の批判をもつて始められなければならぬ。 宗はつねに「人」の名に於て呼びかける。しかしいはゆる人なるものは嘗て存在しなか つたのであり、今もなほ存在しないのである。在るものは階級會である。それ故に人の名に 於て呼びかけられた言葉は、その體的な容に於ては、階級的な言葉であつたか、少くとも階 級的な意味に受け取られたかである。「富めるのの國に入るよりは、駱駝の針の孔をるは 却つて易し。」といふ語を無氣に、大膽に叫び得るは、しきの味方でなければならなか つた筈である。そこに我々は或る種の階級的惡の表現をさへ見出すことが出來るであらう。も とよりなんらかの人が正直に人のことを考へてゐることは可能である。然しながらそのやうな 人のくところのものも、階級會の部に於てはいつでも階級的に利用されるのである。彼は このことに注意せねばならぬ。 宗はつねに眞の幸が物質的なもののうちに存しないとへる。このことは正しいであら う。けれどもこのへも階級會に於ては階級的意味をはされる。それはしきをそのに 甘んぜしめ、從つて彼等を永久に搾取される位置におくことになる。物質的なものを輕するこ とをくのは、この會の現實に於ては、搾取されることを承するのを勸める意味をもつてゐ る。宗はまたつねに和について語る。しかるにこのこともまた現在にあつては、階級鬪爭へ の參加をやめさせることによつて、しきをして永久に階級的隷屬に滿足せしめようとするこ とに な つ て ゐ る 。 んで云へば、宗は從來一個の矛盾の存在であつた。それは階級なき會に於て初めて有意 味に語られ得る事柄、人、和、物質的なものに對する無關心、等々、を階級會に於て語つ てゐたからである。從つて宗は最も多くの場合、それらの言葉のうちへひそかに階級的意味を 七 ひそませてゐたのである。このことは必然的であつた。なぜなら宗家そのものがまた階級人で 如何に宗を批判するか 八 あつたからである。かくて今日宗家の多くのは、働けるから自で搾取するか、それとも 搾取せる階級に寄生するために、ブルジョアジーと結びついてゐるのが普である。 それだからといつて私は單純に、對的に宗を否定するでない。單純な、對的な宗否 定は機械的唯物論のことであり實證主義のことである。人間が機械でない限り、宗の問題は人 間の存在そのもののうちに含まれてゐる。この問題は階級なき搾取なき會の到來と共になくな るやうなものではない。科學の歩によつてその問題が解されてしまふと考へることも出來な い。このやうに考へるのは、恰も美とは渾沌たる、曖昧なる表象であり、從つて科學の歩と共 に我々の表象が凡て明晰判明になるに應じて藝は存在し得なくなると考へるのと同じである。 このやうな主知主義的な見方に對して私は與することが出來ない。自然及び會に關する科學の どのやうな歩によつても滿足させられることの出來ぬ宗的求は存在する。それは人間の存 在そのもののうちに横はつてゐる。我々は宗の對的な否定をくのでなく、却つてそれの辯 證法的な否定を主張するのである。 三 ブ ル ジ ョ ア 會 の 特 性 は そ の 非 宗 的 性 質 に あ る。 こ こ で は 本 來 の 宗 的 な 問 題 が ひ 隱 さ れ、埋沒させられる。この會に於てはひとりプロレタリアートのみでなく、却つてブルジョア ジーもまた非人間的になつてゐるからである。人間の自己疎外の完せる會にあつては宗は 眞實に生きることが出來ぬ。このとき宗が人をき、についてへるにしても、それは 大衆を捉へることが不可能である。むしろそれはブルジョアジーのために、しかも宗的な目的 のためにでなく階級的に利用されるまでのことである。それだから宗は自己をこの場合みづか らんで否定すべきである。 宗は人に拘泥することをやめて、プロレタリアートに階級的に結合せねばならぬ。それは プロレタリアートに結合するために、をくことを放棄してこの階級の物質的利を主張せ ねばならぬ。宗は和を勸めることを斷念して、階級鬪爭の列に加はらなければならぬ。かく 自己を否定することこそ自己肯定へのである。蓋し宗が自己を結合せしめるところのプロレ タリアートこそは人の解放といふ的命を擔ふ階級である。この階級は人間を自己の生 九 物たる物質への隷屬から自由にする階級である。かくて人の解放の後に宗はもはや矛盾な き存在として發展し得る可能性を獲得するに到るであらう。 如何に宗を批判するか 一〇 今や宗は自己の辯證法的性質を眞實に理解すべきである。宗は去の偉大なる時期に於て このことをよく理解して來た。イスラエルの預言はそのがイスラエルを救はんがために却つ て敵をしてイスラエルにたしめるのであるといた。キリストはが人間として十字架の辱 しめを受けることによつてその愛を示すとへる。親鸞の如きも「善人なほ往生す、況んや惡人 をや」とへた。宗的眞理の本質は辯證法的なものであると云はれねばならぬ。 しかるに宗が辯證法的なものであるといふことは、それが一の體的な、體的なものであ ることを現はす。體とは部の和ではない。從つて現在の宗を解して肯定さるべき素と 否定さるべき素とを取り出し、後を除き去ることによつて宗を辯護しようとする試みは無 駄である。宗には善い方面もあり惡い方面もあるといつて、折衷主義的な議論を持ち出すが あるとすれば、彼は宗をく無力にするであらう。に於て嘗て折衷主義が現實的な力と してはたらいたことはない。現在に於て否定さるべきものは單に個々の宗組織や宗制度のみ ではない。その觀念論や主義や彼岸主義がまた同時に否定されねばならぬ。或ひはまた批判 さるべきものは單に理でなくして、却つてまた宗家である。しかるに宗家と雖も會に於 ける存在である。それ故に會の批判が宗の批判と結びつかねばならぬ。 一一 宗家にとつて今日の會を科學的に識することは對的に必である。さうでないなら ば、彼は自己の欲すると欲せざるとに拘らず、反動的な役を演じなければならぬ。 如何に宗を批判するか 批家に答へて —— —— 『中外日報』 宗鬪爭と階級鬪爭 ——1930.2.23 一 一二 先頃本紙に發表した拙に對して方面から種々なる批を受けた。そのうち安部大悟氏の 論の如何なるものであるかはに讀君の知らるるところである。ここに私は批に答へつつ 私の意見をに布衍してゆきたいと思ふ。批家の批は事象を體的に辯證法的に把握するこ となく、あまりに形式的であり、式的であつて、私を得し得なかつたからである。 我々は先づレーニンのの言葉を讀まなければならない。「第一に宗鬪爭の課題は的に は革命的ブルジョアジーの課題である、そして西歐に於てはこの課題はブルジョア民主々義によ つてその革命の、換言すれば、封主義及び中世に對するその襲の時代に大なる程度に於て 行された。フランス竝びにドイツにあつては宗に對するブルジョア的鬪爭は、これが會主 義によつて受け取られる以に久しくその傳統が存在する。ロシヤにあつては、我々のブルジョ ア的民主々義的革命の條件に相應して、この課題もまた殆どく勞働階級のにかかつてゐ る。 」 ここに我々は二つのことをはつきりと見ることが出來る。第一に宗鬪爭は、原理的には、そ れが今日の階級鬪爭に於ける主事ではないのである。それは原理的にはブルジョア革命の時代 に於ける鬪爭形態であつた。それだからエンゲルスも、會主義的會に於ては宗を禁止せね ばならぬといふデューリングの見せかけの革命的な思想を非して、宗にかかる戰を挑むのは 「ビスマルク自身の上をゆく」ことであると云つてゐる。ちそれは侶に對するビスマルクの 戰の愚劣を繰すにぎぬと云ふのである。彼は勞働の黨が宗に對する政治的鬪爭の冒險の 中に入することのないやうに求した。 第二にレーニンは、右の一般的な原理と共に、個々の國に於ける特殊性に注意してゐる。革命 のロシヤとフランスやドイツなどとは會的事が決して等しくはなかつた。その會的特殊 性に應じて、ロシヤの勞働階級は宗に對する鬪爭の課題をも殆ど凡て彼等のにはねばな 一三 らぬ態にあつた。從つてそこでは、西歐國に於けるよりも甚だ大なる程度に於て、階級鬪爭 宗鬪爭と階級鬪爭 は宗鬪爭の形態をとつて現はれざるを得なかつたのである。 一四 0 0 と 0こ0れら二つの見地を持ち出すことによつてレーニンは辯證法的に思惟した。蓋し事物を普 特殊との關係に於て考察するといふことは辯證法の本質に屬してゐる。しかるに私の批家たち はロシヤと日本とのそれぞれの特殊性を觀察しないばかりでなく、ブルジョア革命とプロレタリ ア革命との宗に對する關係の原理的な相をさへ慮してゐないかのやうに見える。まして原 理的なものと特殊的なものとの辯證法的關係を考へることは彼等には殆どく拒まれてゐるかの 如く で あ る 。 二 今日の日本に於ける宗の態が革命のロシヤに於けるそれと同じくないことは明かであら う。從つてここでは宗に對する鬪爭がかしこに於けると等しい重性をもたない。明治維新以 後日本のブルジョアジーはに反宗的傾向を示してゐた。否、今日若干の宗家はに目覺め て無階級の戰列に加はらうとする勢のあることは、中外日報の記事や論のうちにも現はれて ゐる筈だ。宗門の大學の學生の間にはマルクス主義に對する關心が第に高まりつつある。それ らの大學の卒業生にとつて失業問題さへもが現實化しつつあるのである。この勢に面して我々 は何を考へ、何を爲すべきであるか。 再びレーニンの言葉を想ひ起さう。或る處でひとりの牧師の直接の感化のもとにひとつのキリ スト的な勞働組合が、マルクス主義的な組合のほかに、作られてゐるとせよ。そしてそこの經 濟鬪爭がストライキになつたとせよ。マルクス主義は對にストライキの動の功のために 力を注ぎ、この鬪爭に於て勞働が無論とクリスチャンとに裂することのないやうに決 定的に戰はねばならぬ。彼はまた云ふ。我々はの信仰をなほ有する凡ての勞働が黨に加入す ることを單に許すばかりでなく、むしろ彼等を倍加された勢力をもつて引き寄せねばならぬ。こ の場合我々は彼等の宗的確信をかでも毀損することに對して對に反對である。レーニンは 階級鬪爭のためには宗家との協同をもけてはならぬとしたのである。 私が「宗は階級的にプロレタリアートと結合せねばならぬ」といつたのも無意味ではないで あらう。安部氏の想像されるやうに、私は理論としてのマルクス主義と宗とを結合してなんら かの第三を作り上げようとしたのではない。私の問題は「宗とプロレタリア動」にあつた 一五 筈だ。折衷主義の無效果性については私自身はつきりと書いておいた。「結合せねばならぬ」と 宗鬪爭と階級鬪爭 一六 云つても、それはなんら當爲乃至規範をくのでなく、却つて政策的な意味に於て語られてゐる のである。結合の事實の有無を問はれるならば、その事實は確かにある。今日動しつつあるプ ロレタリアの凡てが無論であるのでは決してないといふ事實が最も簡單にこれを示してゐ 非宗 —— であつたことを實證し る。また安部氏は「は被壓階級の味方は常に唯物論 —— てゐる」と云はれるけれども、これこそ「事實でなくて論」である。ブルジョア學の書のみ でなく、エンゲルスやカウツキーの書物でさへもがさうはべてゐない筈である。エンゲルスは 書いてゐる。「原始キリストのは代の勞働動とのしい接觸點を示してゐる。後 と等しくキリストも本來被壓の動であつた。」例はなほいくらもあらう。 それだからと云つて、私は現在の解放動が宗によつて可能であるとは記しはしなかつた。 却つてそれが不可能であるといふことこそ私のべんと欲したところである。否、私は今日なほ 我が國に於て宗鬪爭の必であることを十に云つたと思ふ。しかしまたそれだからと云つて 私はあらゆる場合に宗とプロレタリア動とが敵對すべきであるとは語らなかつた。かく考へ ることも非辯證法的である。レーニンは云ふ、「非辯證法的に思惟するとは、一の可能的な、相 對的な限界であるところのものを一の對的な限界に轉化することであり、生ける現實に於て 離しく結合せるところのものを暴力的に互に離することである。」これはレーニンの宗論 の中に見出される言葉である。 三 今日の最も緊な問題は解放動であり、それの程としての階級鬪爭である。そこでレーニ ンは我々に語る、「會民主々義の無論のプロパガンダは、それの根本課題、ち搾取に對 する被搾取大衆の階級鬪爭の發展、に從屬されてゐなければならぬ。」このとき「宗に對する 鬪爭を抽象的に、抽象的で純粹に理論的な、いつも同じなプロパガンダの地盤で戰ふ」ことは辯 證法的唯物論のことでない。しかるに私の批家たちはいつも同じ題目の「マルクス主義は唯 物論である」とか、「三木は觀念論である」とかを繰してゐるだけにぎないやうに思はれる。 ところで私の思想とマルクス主義の理論と相はあるであらうか。私は宗の辯證法的否定を くに反して、マルクス主義はそれの對的否定を主張すると見られる。根本的な點に於てそこ には差異がない。一、現在に於ける解放動は單に宗によつては不可能である。二、階級鬪爭 一七 の立場から現在と雖もプロレタリア動が宗と結合することは可能であり、また場合によつて 宗鬪爭と階級鬪爭 一八 は必でもある。これらは根本命題であつて、固より私のに度々べて來たところである。問 題は搾取なき階級なき會の到來と共に宗は不可的に滅するか否かといふことにかかはつ てゐる。言ひ換へればかうである。宗は徹頭徹尾階級的なものであるか、それともそこには階 級と共に滅せざる超階級的なものがあるか。從來の藝は階級的であつたにも拘らず、藝に 於ては階級と共に滅せざる超階級的な活動が可能であると見られるに對して、宗に限つてこ のことは對に不可能であるのかどうか。 從來の宗の多くの容が搾取の廢棄と共に滅することは明瞭である。搾取による困があ る、宗はこれを會的に解決しようとせずして、乏除けのを作る。無統制な市場の存在に よる不慮の災がある、そこから幸のが作られる。かくの如き々はもとより會の變革と 共に必然的に死滅するであらう。これまでのいはゆる宗問題の多くのものがく會的原因に 由來するものであり、從つて會的に解決され得るものであることは疑はれない。この點を十 に指摘したところにマルクス主義の偉大な功績がめられねばならぬ。 然しながら問題はなほ殘りはしないであらうか。私は、藝がさうであると見られてゐるやう に、宗もまた階級的であることをやめた人間のうちにもなほ根をもつてゐると考へる。搾取な き會にあつては宗もそれに應じてく新しい形態をとるであらう。しかしそのときにも宗 はある。嘗てニーチェは從來の哲學思想は無氣力な、生活意志のい哲學と呼ばれる人間のタ イプから生れたと考へた。しかし健康なるの哲學もある。また哲學が凡て特殊科學に解され てしまつてなくなるとも思へない。丁度そのやうに宗的意識の單純な滅といふことは私には 考へられないのである。ゲーテの如き現實的な、活動的な、幸な、健康な人間もなほかつ魂の 一九 不死について、もとより彼自身の仕方に於て、考へた。隷屬と困のうちにのみ宗の原因は求 めらるべきでないであらう。 宗鬪爭と階級鬪爭 二〇 化の根源と宗 ——1933.9.17,19,21,22,23 『讀賣新聞』、後『學界』 一 宗が衰へてその價値が疑はれるやうになつたとき、宗についての哲學的反省をじて一つ のを開くことが考へられる。私はここに特に化の問題を取り上げることによつて宗への關 係を考へてみようと思ふ。 もちろん化といふものが我々にとつて問題になるのは、化の念そのものが矛盾を含んだ ものであるためである。化の念に本質的な矛盾がそれの哲學的考察を促すのである。「人間 の生活から結合の力がえ失せ、對立するものがその生ける關係と相互作用とを失つて獨立性を 得るとき、哲學の求が生ずる。」とヘーゲルは云つてゐる。ち何等かの哲學は、それが活き たものである限り、偶然に生れて來るのでなく、我々の生活の中に統一の力がなくなり、裂し たものが相互に無關係で、單に排斥し合ふものであるかの如きを現はすに至つたとき、哲學の 求が現はれるのである。かくて化といふものに在的な矛盾を知ることが我々の考察の出發 點でなければならぬ。 化における矛盾は、いつたいどこに存するのであるか。化とは人間の作つたものである。 化の念は自然の念に對して用ゐられる。自然に土地から生長するものは自然物である。然 るに人間が耕作(カルチュア)するとき、田畑のもたらすものは自然物とは言はれない。そのや うに化とは人間の手に懸つたもの、人間によつて生されたものである。化が人間的なもの であるといふところに化に本質的な矛盾は宿されてゐるのである。 この場合よく考へられることは化は人間の作つたものでありながら、これを作る人間に對立 したものになるといふことである。かやうな意味での化の悲劇についてはにジンメルなどが べてゐる。それは化と生との間における矛盾をいふにほかならない。ち化は生の作る 「形式」であるが、かかる形式は固定したもの、それ自身の法則を含む獨立のものとなり、かく して本來動的な生に對して矛盾するに至る。生は自己の發展において化といふ形式を作り出 す。然るに化は作られるや否や生とは離れた獨立のものとなり、その形式性と固定性とによつ 二一 てやがて生に對する桎梏となり、生を壓するやうになる。化と生との間にはかかる在的な 化の根源と宗 矛盾があると考へられる。 二 二二 マルクスの如きも同樣の思想をべてゐる。人間の生物が生たる人間を壓するに至る といふことは、彼の思想の一素となつてゐる。然し我々は今かくの如き化と生との間の矛盾 についてではなく、却つて化そのもののうちに含まれる矛盾について考へようと思ふ。そして 化が矛盾のものであるのは人間そのものが矛盾のものであるからであり、この矛盾が化のう ちにも現はれるにほかならない。生と化とが矛盾するといふのも、根源的には生そのものが矛 盾のものであるからでなければならぬ。 すべて化といふものは「意味」を擔つてゐる。もちろん自然とか物質とかを離れて化はな いけれども、併し化は意味を擔ふ物質である。意味といふものとく無關係に化は考へられ ない。ところで化の擔ふ意味において二つの、しかも互に對立する意味を區別することができ る。先づ簡單な例によつてそれら二つの意味の區別を明かにしてみよう。 私がいま手をあげて指さすとき、それは「そこに本がある」といふことを意味する。そのとき 指は、「そこに本がある」といふ客觀的な事態に對する記號といふやうな役目をもつてゐる。ひ とはそれの指すところに從つて純粹に客觀的な關係をそのものとして理解するのである。然るに 私のにゐる人が手を振りあげてを握るとき、それはその人の怒を意味する。固められたを 私は主觀的な感の表現として理解するのである。の場合と後の場合とでは意味された意味に 相 が あ る 。 言語は一つの化であり、化の最も基本的なものである。言語は單なると異り、有意味的 な聲である。そして言語學は言語の意味に區別を考へる。普に言語は念に對する記號であ ると云はれる。ち言語は「念的容」を有し、言語の意味と普考へられるのはそれの念 的容のことである。それは對象的意味、客體的意味であつて、我々はそれを記號的意味、ろ 一切にロゴス的意味と呼ぶことができる。併しに言語は「感價値」もしくは「氣的 容」と云はれる意味を含む。例へば「國」、「死」、「革命」などといふ語にあつては、單に その念的容のみでなく或る感が一に表現されてゐる。言語の感價値は、それについて 語られるものを示すといふよりもろ語る人を示すのである。從つてそれは主體的意味であり、 二三 記號的意味に對して表現的意味、ロゴス的意味に對してパトス的意味と名付けられ得るものであ 化の根源と宗 る。 三 二四 どのやうな化の擔ふ意味においてもかくの如き二つの意味が區別される。ただ或るものは一 方の意味を、他のものは他方の意味をより多く現はすといふ差があるのみである。尤も客體的意 味と云つてもに意味である限り、單に外的なものでなくて或る的なもの、イデーの如きもの であると考へられるであらうが、併しイデーといふものはロゴス的なものである。また言語は記 號といふが如き外的なものでなく、ろ「思想の身體」として凡て表現的なものであると見るの が正しいとしても、そこに表現される意味に、なほロゴス的意味とパトス的意味との區別があ る。に化といふのは科學、藝、哲學等の如きものに限らず、國家とか會とか家族とかも 化であるといふ風な考へ方があるにしても、それらのものについてロゴス的意味をより多く擔 ふものとパトス的意味をより多く擔ふものとの差をめることができる。 いづれの化も根本において二つの意味を何等かの仕方、何等かの程度で同時に擔つてゐる。 然るに現代の「化哲學」として知られる新カントの哲學は、化において唯その一つの意味 をのみ抽象して考へた。このでいふ「化價値」の念は化の擔ふロゴス的意味を指すもの である。これと反對に化を「表現」として理解することに功績のあつたディルタイの哲學にお いては、化に附着せるロゴス的意味は後に押しめられて、他方の主體的意味がされてゐ る。共に一面的たるをれないであらう。 ロゴス的意味は一般的な意味である。化をそれの生から獨立にそれ自身において理解す ることができるのは、かやうな意味によつてである。かやうな意味を擔ふことによつて化は或 る客觀的なものであり得る。ロゴス的意味はそれを誰が見出したか、それを誰が理解するか、な どといふこととは無關係に立してゐる。然るにパトス的意味は特殊的なもの、性格的なもので ある。一定の藝作品は藝として客觀的な關係を含むと共にそれの製作の「人間」、個性と か民族性とかの意味を含む。パトス的意味は化に「性格」を與へ、それの「スタイル」を形 二五 する。どのやうな化もスタイルをもつてゐる。右の如き意味において化は一般と特殊との統 合であると考へられる。 四 化の根源と宗 二六 パトス的意味は化にとつて的である。そこからしてかの「明」と「化」との區別と いふがごときものも考へることが出來る。例へば、自然科學の如きは化といふよりも明であ るとひとは云ふ。自然科學においてはロゴス的意味が支配的であり、パトス的意味は含まれるに しても稀薄だからである。これに反して藝や哲學などにおいて、パトス的意味が濃厚であり、 主體への拘束性が現はれ、性格とかスタイルとかいふものが明瞭に見られるところから、それら は明に對して化として區別されるのである。 併しながらロゴス的意味は化にとつて決定的である。單に個人的、國民的であつてそれを作 るものから獨立な一般的意味を含まぬものはもはや化としてめられ得ないであらう。かやう な客觀的意味は化に缺くべからざるものであり、それが本來「化價値」をなすものであつて、 これに對してはパトス的なものは化的なものでなく、ろ或る自然的なものとも見られ得る。 パトス的なものはかくの如く化に對し自然的なもの、併し外的自然的なものでなく、的自然 的なもの、根源的に自然的なものといふ意味をもつてゐるにしても、重なことは、かかる意味 において自然的なものこそ實は化の「創」にとつて根源的なものなのである。 ロゴス的意味は「發見」されるものである。或る科學が一定の科學的眞理を見出したとき、 彼はに存在せる客觀的な關係を發見したにぎないと云へる。發見されたものはにあつたも のであつて彼の創したものではない。從つてロゴス的意味は誰によつて發見されるかには關は りがない。これに反してパトス的意味は創されるものである。それは一定の人間による化の 生と共に初めて創されるものであり、この意味の理解もまたそれ自身創的理解である。パ トス的意味はいつでも現在的に立する。普に科學は創作とは云はず、藝の如きは創作と云 はれるのは、後がに比してより多くパトス的意味を表現するためである。固よりこのやう な區別は明と化との區別と同じくどこまでも相對的なものと考へられねばならぬ。 五 にべた如く、化はロゴス的意味を離れて存しない。併しクルューゲルが感はあらゆる 意識をみ、それにを與へると云つてゐるやうに、パトスはロゴスよりも深く、發見の根柢 には創がある。ロゴス的なものが化的なものであるとすれば、パトス的なものはそれに對す る關係では自然的なものとも云ひ得る。かかる自然的なものが化の創の根源であると共に、 二七 それはまた化を超越したものである。それは化を作るとともに化を毀すことのできるもの 化の根源と宗 二八 である。しかも化の擔ふロゴス的意味は我々の創するものでなく、却つてただ發見するもの である。そこに人間の有限性がめられる。無限なるにおいてはいはば創と發見とが一つで あるに反して、人間にとつては二つのことである。ただ稀なる天才においてのみそれが一つであ り得るやうに見える。天才はの如く創するとか、自然の如く創するとか云はれるのはこの ことでなければならぬ。 パトス的なものは化の創の根源である。併しながらパトスはかやうなものとしてヴィンデ ルバントが「化意識」と云つたやうなものではない。パトスは「化價値」もしくはロゴス的 意味の側から解釋されて化意識として見られるべきものではないのである。我々はろ「生 的」と「創的」とを區別せねばならぬ。化的は生的であつて、客觀的意 味に向ひ、そこにはジンメルの云ふ如き「イデーへの指向」從つて「生より以上」に對する求 が現はれる。しかるに創的の求めるのはジンメル的に云へば「より多くの生」である。も ちろんそれは單に生物的な生のより多くを求めるものではない。「より多くの生」を求めること は「化より以上」を求めることである。それは同じ生の長ではなく、えずく新たなる生 である。「化より以上」のものはロゴスの方向において、對象的意味、イデーへの方向におい て求められない。却つてそれはパトス的意味を限りなく深めることによつて、主體への方向にお いてせられる。主體とは眞に働くものである。 六 例へば宗が求めるのは「生より以上」ではない。却て宗は「より多くの生」、いな、限り なき生命を求めるのである。宗はそれをイデーへの方向において得るのでなく、にパトス的 なものの方向へき拔けることによつてするのである。宗は決して單に化のひとつと見ら るべきものではなからう。 上ルネサンスとして知られたる時期において希求され努力されたのは、決して單にギリシ ア的、ローマ的「藝の復興」ではなく、根本において「人間の再生」であり、このものはまた 會の革新と一に求された。ルネサンスとは「再生」の義であるが、それはひとの想像し得 る如くもと宗的、キリスト的のものであつた。そして現在の化家が確かめてゐるやう に、ルネサンスの大いなる化動の動力となつたのはアッシシのフランチェスコの如き人であ 二九 る。フランチェスコは一の創的であつた。この創的は化的な生的の根源と 化の根源と宗 なつ た の で あ る 。 三〇 今の時代、多くの人々は外部において、會において抑壓されてへ、へとめられつつ あるやうに見える。彼等は第にパトス的になり、そして不安のうちにおかれる。ひとはこの は宗に到るほかないと云ふ、そしてそのやうなものとしてひとが考へる宗は自己的性質 のものである。併しながらパトスの方向においてくまで深まり「パトス的無」が飛的に「 對的有」として體驗され、眞に宗にしたとするならば、人間は創的として生れなけれ ばな ら ぬ 。 現在多くの人々がほんとに深くパトス的になりつつあるとすれば、そのことは人間の再生の根 源に接するに至るものとして意義があるのである。創的は固より化的(生的 )と等しくはなく、化を否定するものであるけれども、また化の創の根源ともなるもの である。今日それによつて古き化は否定され、新しき化へのが準備されねばならぬ。 パトス的意味は特殊的な、性格的なものであると云つた。そこに一定の化の生の「人間」 が表現される。かやうな意味は單に個人的、又國民的であるに限らずパトスの深まるに從つて人 的となる。眞に人的なものは人創の根源である。パトス的意味が人的になることは單 に一般的になることではない。それの一般性はロゴス的意味の有する一般性とは異り、どこまで も性格的で的である。化はそのロゴス的意味において高まるばかりでなく、パトス的意味 において深まつてゆくべきものである。かくの如き深き化の根柢には創的がはたらいて をり、宗につらなるものと云へる。 みて今日の宗界において眞に創的は生れつつあるのであるか。宗は自己の方 でなければ、いはゆる化的となつて、古き化、現存の會とく協的となつてゐるので 三一 ある。いはゆる「心境的」宗と宗のファッショ化がその現であり、共に宗の本質の否定 であ る 。 化の根源と宗 宗復興の檢討 ——1934.10.1 〜 『 5報知新聞』 三二 この頃宗復興といはれるものは種々の素を含み、複雜な意味をもつてゐる。とりわけ宗 に關しては安價な樂天論ほど險なものはないのであるから、我々は先づそれに對して充批判 的であることが必である。實際、いはゆる宗復興の容が何であるかを省るとき、果してそ れが宗の復興といはれ得るものであるかどうか、誰も疑ひなしにはゐられない。顯な現象と いへば、ラヂオの典義が人氣をよんだこと、それに刺戟された佛書の出版のあるものが 功 し た こ と、 そ し て こ れ ま で く 見 ら れ な か つ た 宗 記 事 が 一 般 の 新 聞 雜 誌 に 時 々 現 は れ た こ と、ぐらゐであらう。我々はこれをもつて宗の力が發揮されたものとすべきか、むしろヂャー ナリズムの偉力が示されたものとすべきか、判斷にはされる。いづれにせよ、この頃宗復興 といはれるものは主としてヂャーナリズムの上における現象である。そしてこの方面への出に しても相對的なことであつて、宗復興などといはれ得るほどのものであるか、疑問とすべきで ある 。 かくの如き宗復興に今後どれほどの永性、發展性が期待されるであらうか。とかくヂャー ナリズムは魔物である。ただこの機會に團がヂャーナリズムに對する識を新たにし、有能な ヂャーナリストの養に努力するやうになれば、事は以とは變つて來るかも知れないと思は れる 。 ヂャーナリズムの對象は知識階級であり、この階級が動的であることは知られてゐる。そし て今日彼等の間にく忘れられてゐた佛古典に對する「興味」が呼び起されたにしても、それ が「信仰」にまではひつたものとは想像できないであらう。この「興味」といふものが甚だ固定 性を缺いてゐることにも注意しなければならぬ。しかるにひるがへつて、宗本來の、もしくは 宗固有の領域においては如何なる實であるか。宗復興といつても、えらい宗家が現はれ たとも聞かない。新しい宗動が勃興したとも聞かない。團の部はもとのりであつて、 經濟上竝びに組織上當面せる困な問題についても、何等の解決も改革も見られないやうであ る。團の部には宗復興などいふ氣はほとんどなく、寺院は荒れ、侶に對する大衆の歸 依はしてもゐないであらう。しかるに團の部における「宗改革」を拔きにして眞の「宗 三三 復興」が可能であるであらうか。宗改革は「宗家」にまつべきものであつて、ヂャーナリ 宗復興の檢討 ストの手によつては不可能である。 三四 今日の「宗復興」といふ語は多それ以から我が國においていはれてゐる「藝復興」と いふ言葉を無雜作に眞似て用ゐられるやうになつたものであらう。しかし藝の場合には復興と いふことが有意味に語られ得るにしても、宗の場合にあつてはそれは本質的なものを現はし得 ないのではないか。これを的に見ても、ヨーロッパにおける代の藝動の端は「藝 復興」(ルネサンス)と呼ばれたが、宗動のそれは「宗改革」(リフォーメーション)で あつた。我が國においても法然や日の如き、宗復興家といふよりも宗改革家といはるべき であらう。私が今このことに注意するのは、單に言葉の問題でなく、事物の本質に關することで あるからである。そこに宗と藝との間における根本的な差異も考へられ、いはゆる宗復興 の批判の手懸りも見出される。 宗においては「改革」なくして「復興」はあり得ない。それは人間の根源的な、體的な生 活に關するからである。しかもこのやうに改革的な宗こそ他面において最も傳統的なものであ る。ちここでは改革も何か別に新しいものを作ることとしてではなく、常に宗や師に歸る こととして體驗される。しかるに藝の如きにおいてはいつでも創作といふこと、別に新しいも のを作るといふことが豫想されてゐる。このことがかへつてこの場合「復興」といふ言葉に含蓄 あらしめるものである。「宗改革」に出發しないやうな、無雜作に「藝復興」に擬して「宗 復興」といはれてゐるやうな最の現象が、根柢淺く、權威のないものと思はれるのは當然で ある。宗復興などいふ華やかなことはヂャーナリズムの表面であつて、最もをする團 部における思想上竝びに實踐上の改革は何等見られず、そこでは宗は的にも組織的にも窒 息してゐるのが現であらう。 これを宗復興といひ得るであらうか。もし今日復興について語るならば、「宗復興」とい ふべきでなく、單に「古典復興」といはるべきであると思ふ。實際、何程かの復興があつたとす れば、それは「典」、佛古典の復興であつた。しかし古典の復興は決して直ちに宗そのも のの復興を意味しない。宗の復興は信仰の復活でなければならぬ。あたかも方向を失つた壇 において藝復興の聲と共に種々なる古典の復興、バルザックやドストイェフスキー、スタン ダールやチェーホフ、あるひは紫式部、西鶴、馬琴などの再吟味が唱へられたやうに、方向を失 つた思想界において種々なる古典の復興が今後も唱されるに至るであらうことは想像するに 三五 くない。に「論語復興」といはれ、やがて老子や王陽明、あるひはシェリングやエックハルト、 宗復興の檢討 等々の復興が語られるやうになるかも知れない。 三六 いはゆる宗復興を「古典復興」といふことに解するならば、この現象もそれ自體としては確 かにその意義と價値とが承されてよいことである。けれどもこの場合、かかる古典復興の底に 動いてゐるものが依然として思想不安であり、從つて佛典の流行そのものが安心でなくて不 安の一表現であることを出でず、やがてそれが他のものの流行乃至復興によつて代られないとい ふ保證が少くとも現在はく存しない、といふことに注意しなければならないであらう。不安な 心は安住することを知らず、々に新しいものを求め、新しい流行を作つてやまない。我々はこ れを「不安な流行」と呼ぶ。しかるに最流行の佛書の一二を取つて見るに、ヂャーナリスチッ クなあるひは學的な表現のうまさはあるにしても、その思想的根柢に至つては、從來ほとんど 常識的に知られてゐた筈のものにどれほどんでゐるか、疑問であらう。もしこれが何かく珍 しいこと、新しいこととしてへられてゐるといふのであれば、それはインテリゲンチャの從來 の知的怠慢に歸すべきことであり、かかる缺陷はに補はれねばならぬ。 佛古典の復興はもとより甚だ歡すべきことである。ただしかし憾ながら、これを如何な る基礎の上に、如何なる方向において、如何なる方法をもつて復興すべきかについての明確な方 針はなほ確立されてゐないのではないか。この頃のいはゆる宗復興を機としてこの方面にお ける先驅的指的業績の出現することが何よりも待望される。 宗復興といふ現象を思想問題として見るとき、種々訓的なものが含まれてゐる。いはゆる 日本主義なるものは、一時廢佛棄釋論をすらき起しさうな形勢にあつたが、しかしこの二三年 來いろいろ喧傳されて來た東洋思想のうち、最の佛典ほど一般的な、いきいきした關心を 喚び起したものがないといふことは、意味深いことでなければならぬ。それはともかく狹な日 本主義では到底駄目であるといふことを明瞭にした。 我々日本人はやはり世界的意義ある思想を求め、また必としてゐるのであると思ふ。佛は 東洋において生れたが、「世界宗」としての容をへたものである。單に日本固有といふだ けで世界的意義を有しないものは化的に無價値であらう。隨主義は如何なる場合にも斥くべ きであり、自主的、自律的であることはまことに大切である。けれども我々が思想上自律的であ るといふことは、決して外國思想排斥といふことと同じであつてはならぬ。佛は日本で生れた ものでないが、倉時代の偉大な宗家たちは、この佛を學び、しかも徒らに日本的などいふ 三七 見地に囚はれることなく、佛そのものの、釋の眞をひたすらに生かさうとし、それがか 宗復興の檢討 へつて日本佛といつてよい特色あるものを作り出すことになつたのである。 三八 もしさうであるならば、我々は一歩をめて考へることも出來よう。西洋思想にしても我々が 眞に徹底的に理解すれば、そこにおのづから日本的なものが出て來る筈である。我々が日本人で ある限り、身をもつて西洋思想を體得するとき、それはに日本的なものになつてゐる筈であ る。それがどこまでも西洋的にぎないといふのは、それをき拔けるまでにそれに徹してゐな い故でなければならぬ。そして今後眞に日本的な、しかも世界的意義ある思想が我が國において 創されるためには、果して日本主義のいふが如きによるのがいか、むしろ最まで一般 に折角努力されて來たに從つて西洋のものをき拔けて行く方がであるか、問題であら う。少くとも我々の科學が西洋科學の流れを汲む限り、且つ科學と哲學とは密接な關係に立たね ばならぬ限り、今後の「日本思想」が西洋思想の素をく排斥して創され得るものとは思は れな い 。 化の問題はただ傳承の方面からのみでなく、また創の方面から考察されることが重であ る。新しいものの創なしには昔の傳統も眞に傳はり得ないことは、たとへば今日の支を見て もる。今後如何にして眞に日本的な、眞に將來性のある化を創すべきかが我々の最大の問 題でなければならぬ。 私が今このやうなことをいふのは、佛古典の復興の地盤についてある反省を與へんがためで ある。佛思想の究は我々日本人に特別に課せられた義務であるけれども、この場合我々は創 の方面なくして眞の傳承もないことを考へ、その條件をえずみなければならぬ。我々は 我々の究においてつねに、ゲーテのいつた如く、「的なものと生的なものとの結合」を 目標としなければならない。 ラヂオの典放が歡された一つの理由として、それまでの修身科書的國民論に對し て濶自在な處世訓としての意味がこれにめられたといふことが擧げられないであらうか。さ うだとすれば、これは育の問題への反省ともなるものであるが、我々はにこの方面から 出立して、いはゆる宗復興の意味を考へてみよう。 この頃佛が歡されてゐるのは、宗復興といふ名にも拘らず、宗としてよりも、ろ 乃至處世訓としてではないかと思ふ。この機會に出た佛書を見ても、佛の的方面はよ く現はれてゐるが、その宗としての容には乏しいやうである。何處に佛のとは異なる 三九 宗的本質があるのであるか、何故に我々は以上の宗を必とするのであるか、といふが 宗復興の檢討 四〇 如き問題を以て臨むとき、充な解答はそこに與へられてゐない。ただ乃至處世訓として も、從來かれた儒風の修身科書的に比しておのづから濶自在な趣があり、それが 人々に好まれてゐることもあらう。もつとも孔子などのへにもかの學流の解釋を超越して もつと自由な處がある筈だと思ふ。 私は東洋思想のひとつの特色を日常性の重といふことに見てゐる。日常性の深い意味を考へ た點に東洋思想のともかく重な特色がある。先づ西洋思想においては日常的なものに對する 化的なもの、技、科學、藝等に特別の、れた意味がめられる。に西洋思想においては 日常性に對する特定の的時期、ち「機」といふが如きものに特別に深い意味がめられ る。廣義において化主義的主義的といふことが西洋思想の特色である。これとは反對に東 洋思想の特色は自然主義に存するといはれてゐるが、しかしこの自然は西洋人の觀た自然とは甚 だ異なるのであつて、私はむしろ日常性の重といふことをもつてその特色と考へたい。佛の 如きも、キリストがあるひは化主義的傾向を濃厚にし、あるひは末論的觀の色を濃 厚にするに比して、そのやうな特色を有するものと見られ得よう。 もしさうであるとすれば、今日いはゆる非常時にあたつて、何故に特にインテリゲンチャの間 で佛が關心されてゐるかといふ理由も理解されるであらう。非常時は化を抑壓、無して む。この力に壓せられた知識階級はおのづから、化といふものに特別の意味をめない思想の うちに安住の場を求めようとする。また非常の時機をどうすることもできないインテリゲン チャは、むしろ日常性に深い意味を考へる思想のうちに非常時意識の解を企てようとする。か くの如きことが最、積極的な信仰にしたわけでなくて佛に興味がもたれる理由、その心理 的原因の大きな部をなしてゐるのではないかと思ふ。そこに人々は非常時における處世法を見 出さうとしてゐるといひ得るであらう。 日常性の重はもとより重なことに相ない。日常性の深い意味の識は西洋哲學には缺け てをり、これは今後我々によつて東洋思想から繼承發展されねばならぬものである。しかしなが ら日常性の思想は、特にそれが宗的根柢から離れて單なる處世法となる場合、極めて容易に現 實への協、からのとなる險をもつてゐる。そして今日この險は大であり、警戒を する。我々はかへつて日常性のうちに性を明かにする新しい日常性の哲學を樹立しなけれ ばならぬ。哲學がこれまで日常的なものと的なものとを何かく異なるものであるかのやう 四一 に見る傾向があつたとすれば、我々はそれらを統一的な根柢において、相互の正しい聯關におい 宗復興の檢討 四二 て識しなければならない。從來の如き自然主義的根據において日常性の意味を考へるのではな く、ろ「日常性の哲學」ともいふべきものが求されてゐる。 いはゆる宗復興が會的不安に原因することはいふまでもない。しかしながらそれが今日信 仰に基く會的不安の積極的な實踐的な克を意味するのでなく、むしろ極的な個人的な處世 法を意味することはにべた。宗復興はまた日本の復興として明される。もちろんそ のやうな關係がなくはないにしても、しかしそれはまた狹な日本主義の行き詰りとしても考へ られねばならぬこともにべたりである。宗復興はに現代哲學の傾向と一致するものと して明される。そしてひとはこの場合、西洋現代の哲學における形而上學的傾向、その倫理的 傾向、特にそこでも「無」が根本念となつてゐることを指摘する。 しかしながら今日のいはゆる「實存の哲學」においていはれる「無」と東洋思想における「無」 との間には根本的な區別がある。ここで我々は哲學的議論に入ることをけねばならないが、そ の差異はたとへばのことを考へてみても容易に理解されるであらう。作家横光利一氏はその 藝的感想においてしばしば「無」といふことを書かれてゐる。しかもこの無が東洋古來の無と同 じであり得ないことは、横光氏の創作ほど西洋的なものが現はれてゐるのは少いといふ批によ つても知られる。もちろん現代哲學の無も東洋古來の無も、共に無といはれる限り、そこに何か 相ずるものがあるであらう。けれども兩の間には決して一にされ得ない根本的な差異があ る。この識の上に立つて兩の統一は探求さるべきであつて、無雜作な、安易な折衷主義乃至 混合主義は、思想發展にとつて最も有である。問題の困さの識がないところに眞の解決も ない 。 ある病學の話によると、我が國においては病學の理論的方面は西洋に比して甚だ遲 れてゐるが、實際の病氣治療の方面はかへつて發してをり、これは禪などの影によるといふ ことである。事實、そのやうに古來「心的技」といふものを發させて來たことが東洋思想の ひとつの特色をなしてゐる。「心境」と呼ばれるものはかかる心的技と關係があり、その である。そこでまた宗復興は「心境」へのあこがれであり、會的不安といふ現實的なものか ら心境へのを語る方面があるであらう。 我々日本人は、特に現代の如き不安の時代においては、ともすれば心境的なものに歸らうとす る傾向がい。けれどもまた單に心境的なものにとどまることができないといふのが現代人の眞 四三 實である。そこに我々の不安がある。壇の方面においても、藝復興の聲と後して、心境的 宗復興の檢討 四四 學が復活して輩出した。しかし結局誰もそれに滿足することができなかつた。今や誰も心境的 學を越えてまねばならぬことを考へてゐる。しかもそのむべき方向が明確に規定されてゐ ないところに現代學の依然たる不安がある。 今日の宗復興は種々なる形における心境的思想を生むやうになるかも知れない。しかしそれ とても一時のことである。やがて人々はそれに滿足できなくなり、的不安は依然として殘る であらう。なぜなら今日の宗復興は決して信仰の復活でなく、それ自身がむしろ不安の一表現 にぎず、そのうちに現代の思想的不安を克すべき新しい積極的な原理はなほ何も示されてゐ ないからである。宗改革なくして宗復興はあり得ない。思想の創なくして思想の眞の傳承 もない。我々の問題は改革でなければ、創である。「宗復興」といふことが束の間の華やか さにらなければ幸である。 佛の日本化と世界化 ——1936.1.1 『學新聞』 一 佛復興と云はれる現象が初めて現はれたとき、それは少くとも意識的には、いはゆる日本 乃至日本主義と特別に結び付いたものではなかつた。そのことは、當時佛家自身でさへ々、 それを佛復興といふよりも、一般的な「宗復興」といふ名稱で呼んだといふこと、またそれが 當時わが國においても流行を極めた辯證法學、實存哲學等々を用して理由付けられたといふこ と、などの事實によつても明かである。ひとは會科學の時代の後に宗の時代が來たもののやう に考へた。從つてまたひとは佛の如きも自自身の力で自然的に復興し得るものと考へた。 けれども、事はそのやうに單純ではないことがやがて明かになつた。自然的にんになつて 行くものと思はれた佛復興も程なくその華やかさを失ひ始めた。おひおひ勢力をして來たの 四五 は佛でなくろいはゆる似宗である。また第に顯になつて來たのは宗そのものの復 佛の日本化と世界化 四六 興でなく、却つて日本や日本主義の宣傳である。かやうにして佛復興も、最初に考へられ た形態を變じ、もしくは方向を轉ぜざるを得なくなつた。ち佛は現在日本動の一と して、これに仕へることによつて自己の再興を計らうとしてゐるかの如く見える。 佛家が日本動に對する發言權を獲得するために、如何に佛が日本の發に寄與 したかを力することは正當である。それは疑ひもなくの事實に合致したことである。しか しその際佛家は、かかる事實をすることによつて同時に狹な日本主義を打破すべき立場 におかれてゐるといふことを自覺し、この自覺の上に立つて行動することが大切である。なぜな ら、そのやうな事實を力することは、外來思想が日本の形に貢獻し得るといふこと、外 國の影なしには我々の化も發展し得ないといふことをすることにほかならないからであ る。嘗ての外來思想である佛について云はれることが、たとひく同じ方面においてではない にせよ、西洋思想についても云はれ得ない筈はなからう。今日の佛學の發でさへもが、西洋 科學の影にふところが多いのである。 二 ところでこの點に關して、現在佛家の態度は極めて極的である。云ひ換へると、佛家の 努力は、佛が如何に日本の發に貢獻したかを闡明することに限られ、積極的に佛がキ リストなどと同じく宗學のいはゆる高等宗として「世界的宗」であるといふことを自 覺し、この自覺に基いて行動することが缺けてゐる、ろ日本に對する佛の寄與を高す ることによつて佛家は、佛が世界的宗であるといふ誇りをみづから抛棄して狹な國民主 義に隨し、佛が何か民族的宗であるかの如き觀念を作り出してゐさへする。佛は單なる 民族的宗でない。民族的宗の色を濃厚に有するものと云へば、ろ大本、天理などで あつて、それらのいはゆる似宗が今日の勢においてんになつた理由の一つも、そこにあ ると云ふことができる。從つて佛は似宗から自己を區別するためにも、自己の世界的宗 としての性質を力しなければならぬ。去の日本の化において、單に日本の特殊性を示すに 止らず世界的性質を有するものがあるとすれば、それは先づ佛であり、もしくは佛に影さ れた化であると云つてよいほどである。 四七 私はもとより單に化の世界的一般性を考へて、國民的特殊性を否定するものではない。しか るにまた日本化の特質が如何なる點に存するかを究める上においても、インド、支、日本の 佛の日本化と世界化 四八 三國の佛の比究は、最も當な場面を提供してゐる。日本化の將來の發展のために今日 特に必と思はれるのは哲學であり、我々の企てねばならぬかかる哲學にとつて三國佛 の考察はひとつの重な基礎となるべきものである。哲學を用意してゐない場合、もし日 本主義の動が廢佛棄釋論の如きにまでむことがあるとすれば、佛は何をもつて對抗し得る であ ら う か 。 佛が現代日本において有力なものとなり得るためには、その革新が必であることは云ふま でもない。しかるにかくの如き革新は佛が世界的宗であるといふことの自覺の上に立つて行 はれることを求されてゐる。蓋し明治以後の日本は西洋化の移植によつて世界の一大勢力と なるに至るまで發した。かくて化のあらゆる方面が西洋化してゐる現代日本において、佛 が眞に「日本化」されて新たに活きるを見出すことは、同時にそれが「世界化」され得るため の條件を作り出すことである。日本におけるキリストの發がその日本化への缺乏によつて阻 されてゐるとすれば、佛の現代日本における發展はその世界化への無關心によつて制限され てゐると云ふことができる。ユダヤの民族的宗はイエスによつて世界的宗にまで高められ た。しかしそれが現實的に世界的となるためには、パウロの如き「異人の徒」を必とした し、またギリシア思想との融合が必であつた。佛も支に入つては易の思想その他と結合 し、このやうに支思想と融合したが故に、佛は、古くから支化の影を受けてゐた日本 においても傳播することができたとも見られ得るであらう。今や日本化のく異つた況にお いて佛は同樣の新たな問題を課せられてゐる。 三 私はもちろん佛のいはゆる代化(モデルニジールング)を求するものではない。いはゆ る代化は却つて佛の本質を喪失させ曖昧にすることによつて、佛を似宗の位置に墮落 させる險がある。例へば佛無論のである。無論といふ語はもと唯物論的立場と密接に 關聯した一定の意味を有するのであつて、單に佛がテイスムス(有論、人格論などと譯さ れる)でないからと云つて、無論であるとは考へられぬ。西洋においてもプロチノス、エック ハルト、スピノザ、ヘーゲルなどの思想は、嚴密にはテイスムスではないが、無論であるとは 云はれないであらう。また私は佛の革新が、儒、基督その他の混合によつて可能であ 四九 るかの如く考へる混同主義に決して贊するものではない。却つて佛は自己自身の本質の新た 佛の日本化と世界化 な把握によつて世界化へのを發見しなければならぬ。 五〇 その出發點における問題は、從來の日本の佛の、そしてそれに影された日本の傳統的化 の特質の識である。かかる特質の識はつねに二重の意味をもつてゐる。それは長の識で あると共に短の識である。 この場合、先づ考へられることは佛と倫理の問題である。インド佛の特色は戒律的な、從 つて倫理的なところにあると云はれるが、私はただ戒律を問題にするのではない。今日我々の必 とする倫理は單なる心の、主觀的でなく、客觀的である。この點について、支 における禪と宋學との關係は興味ある問題を提供してゐると思はれる。程朱の學は佛の影を 受けたが、しかしそれは『大學』などを基礎として會的政治的倫理の問題にまで發展すること によつて、或る意味では禪の批判となつたと見られ得るのである。特に今日我が國の佛には 倫理がなく、それ故に現實に對する批判力がなく、客觀的倫理の問題になると、時世への隨の みがしく目立つてゐる。眞諦俗諦などと云ふもその俗諦における倫理は確立してゐない。 かくの如き倫理の缺如は一面「無」の思想の力を示すものである。この無はあらゆる客觀的に 矛盾したものを心の上で統一する不思議な力をもつてゐる。そのために客觀的矛盾に對して客觀 的に働き掛けることをしないで、結局それをそのまま承することになつてゐる。客觀的矛盾が 客觀的に求されない故に、無の辯證法は程的辯證法とはならず、その意味において的と はなりい。動靜、靜動と云ふも、その動は程的、的意味に乏しく、從つてそれは、 その深さはどこまでもめねばならぬにしても、つまり自然主義となるであらう。倫理と共に の問題は、今後如何にして佛がそこへ出て來るかといふ特別に興味ある問題である。 四 佛は哲學的だと云はれる。しかし單に佛のみでなく、キリストの如きもギリシア思想と 結合することによつて哲學的となつてゐる。尤も哲學と宗とは同じでなからう。そして支佛 の哲學的であるのに比して日本佛の特色は、佛を宗として純粹化したところにあると見 られることができる。日本佛が哲學として佛をどれほど發展させたかはろ疑問であらう。 佛哲學は現在も我が國において訓詁註釋の範を多く出てゐないやうに見える。その結果は 佛を徒らに煩瑣なものにし、かかる煩瑣哲學に對する惡が人々を似宗に趨らせる一つの 五一 理由となつてゐる。從つて現在の佛にとつては、先づ日本において宗として純粹化された佛 佛の日本化と世界化 五二 にることが必であらう。そしてそれが純粹になつたところから出發して、新たに佛哲學 が組織されねばならぬ。これは佛が世界化する爲に必な條件でないかと思はれる。 今日の年は例へば安心立命といふ語をやや嘲笑的な、或ひは自嘲的な意味で口にする。それ は彼等が眞の安心立命を把握しないからだと云はれるであらう。しかしまたそれは同時に彼等が 昔のままの安心立命に滿足し得ないことを示してゐる。西洋化の洗禮を受けた彼等は理論的な もの、哲學的なものを求めてゐる。かかる態において佛が眞に日本化して現代に活きるため には、佛は世界化されねばならぬ。佛の世界的宗としての自覺が、その民族主義への隨 の濃厚になりつつある今日、特に必である。主觀的な安心立命によつて客觀的な矛盾を解す るのでなく、現實の世界の矛盾を身をもつて苦しむことを辭せぬ佛家が求されてゐるのであ る。 似宗と佛 ——1936.2 『宗論』 一 いはゆる似宗に對する批判はにずゐぶん多く現はれてゐる。それは佛家以外の會批 家によつても、また特に佛家自身によつてもなされた。しかるに、そのやうな佛家自身に よつてなされた批判を見るに、そのうちに佛特有の立場を明瞭に面へ押出して、そこからな された批判が、私の寡聞の故か、あまり見當らないのである。そこで似宗の代辯の或る から、佛家は似宗の批判において無論的なマルクス主義的批家と同樣の態度を取ると いふ矛盾を冒してゐると反駁されても、或る意味では致し方がないやうな態である。佛家が 似宗の批判と克とに努力することはもとより正當である。されどもその場合どこまでも佛 五三 自身の特有な立場が含まれてゐなければならぬに拘らず、そのことがあまりに少いのは、如何 なる理由によるのであらうか。 似宗と佛 五四 これを他の方面から見れば、佛そのものに自己批判が缺乏してゐることを意味する。一二年 來喧傳されたいはゆる宗復興において、實際に勢をしたのは似宗であつて、その間に佛 の力がどれほど擴張されたかはろ疑問である。かくの如く似宗が「新興宗」と稱せら れるまで勢力を獲得したといふことは、實は、佛の如き宗がこれまでのままでは民衆に 對して無力であるといふことを示すものとも見られ得るのであつて、その意味において似宗 の擡頭は、このもの自體が妄であるにしても、宗にとつて自己に對する一つの批判と して受取らるべき意味を含んでゐる。しかるに佛家はそのやうに考へず、またその批判のうち にも佛獨自の立場を現はすことなく、ろ官憲の彈壓に期待してゐるといふ風がないであらう か。從つてまた佛自身の興隆に關しても同樣に政府の力にりぎるといふことがないであら うか。政府が反動的な政治的意圖から佛を利用しようとしてゐる場合にも、佛家は無批判的 にそれを歡し、恰も佛そのものがファッシズム的なものであるかのやうに云ひ、喜んでその 手先となつて働くといふ態度が見られないであらうか。もしかくの如くにして團が利する としても佛そのものは何等得るところがなく、却つて失ふところが甚大であらう。今後佛が 何等か新生面を拓き得るものとすれば、それは何よりも團部の批判から出發せねばならない であらうと思はれる。しかるに現在どこに團の自己批判が現はれてゐるか。以マルキシズム のが高まつたとき、團の自己批判の必はその關係自身によつてさへ或る程度まで感ぜら れたやうであつた。ところがその後反動期に入ると共に、團はもはやそのやうな自己批判の必 を忘れてしまひ、ただ他の批判にのみ關心してゐる。かくの如き態度で行はれるいはゆる 撲滅動に我々は多くの歩性を期待することができるであらうか。そこに何の權威が存在する であらうか。ろ佛家は撲滅動をば眞に必な自己批判を糊塗するために行つてゐるか のやうにさへ見られるのである。 二 すでにこれまで度々べたことであるが、私の見るところによれば、現代佛はつねに會 勢に隨して行くといふ傾向をもつてゐるやうである。マルキシズムの反宗動がんであつ た時には、佛は無論であるとか、唯物辯證法を含むとかと稱せられた。しかるにこの頃の やうにファッシズム的思想が勢を得て來ると、佛は恰も何か國家主義乃至民族主義であるかの 五五 やうに吹聽されてゐる。かくの如く現代佛は時世に合し隨することがしく、そして現實 似宗と佛 に對する批判力を缺いてゐる。 五六 尤も佛のかやうな態度は、その思想が極めて含的で、體的で綜合的であるといふ特に 基くもののやうに云はれる。體的綜合的であるといふことは確かにすぐれた性質であるに相 ない。しかしそれはしばしば折衷主義に陷り易く、無批判的な協に傾きがちである。ろ反對 に眞の宗はすべて現實に對する最も嚴しい批判を含んでゐるのではないかと思ふ。この批判乃 至否定の嚴しさに觸れることなしに眞に宗を語り得るか否か、私は知らない。來我が國の哲 學においても、物質と、個人と國家、一の階級と他の階級、等、あらゆるものの性質的區別 を抽象的として排斥することによつて體的綜合的であらうと欲する傾向がめられる。これな ども恐らく佛に影されたものであらうが、その結果は現實に對して批判的でなくなり、辯證 法はただ現實のそのままの承に仕へてゐることが多い。さうなれば宗も哲學も畢竟不であ つて、俗の見解とぶところがなくなるであらう。この點において私はキェルケゴールの、性 質的區別をどこまでも重んずる「性質的辯證法」の含む深い宗的意味を考へてみることが大切 ではないかと思ふ。もとより究極的なものは批判乃至否定でなくて、綜合もしくは否定の否定と しての肯定であるにしても、それは批判乃至否定の險しいをじてのみ眞に到し得るもので ある。ところが批判や否定は眞面目に行はれず、或ひはただ觀念的に頭の中で行はれるだけであ つて、實際にはただ現實の直接的な肯定に留まつてゐるとすれば、その對肯定といふものも眞 の對肯定であり得ない。現實に對する原理的な批判を有することなしに、如何に撲滅を叫 んでも眞の效果は期待しいであらう。批判はまさにかかるが横行するに至つた現實の理由 を宿してゐるところの現實そのものに向けらるべきである。似宗の流行はこの方面において 佛の自己反省をつてゐるものと見らるべく、この機會に佛が現實に對する批判の原理を自 覺し確立することが最も望まれてゐるのである。一方において佛は含的であるといふ名目の もとに現實に協し隨しながら、他方において征伐を叫しても、そこに何の權威がめ られ る で あ ら う か 。 三 もちろん今日の佛の現實に對するかくの如き態度が佛そのものの本來の立場であるか否か は疑問である。この點に關して私は佛理のにんだ的批判的究を希望したい。由來 五七 東洋においては的意識が十に發してゐないために、長い間の的果として蓄積され 似宗と佛 五八 た厖大な義の中から、その時期、そのなどを嚴密に區別することなく、自に合の好い思 想を手に取出して來て、佛のうちには何でも含まれてゐるといふ風にべてゐる始末であ る。もしかやうな仕方をめるならば、含的綜合的であるのは單に佛のみでなく、キリスト にしても同樣にあらゆるものを含んでゐると云ひ得るであらう。 私は佛のについて詳しくは知らないが、しかし恐らく佛も、各々の時代において特定 の現實に對し、いはば特定の戰線を有し、かかる戰線においてその思想を展開したのではないか と思ふ。言ひ換へると、佛の思想も、それぞれの時代にそれぞれの面がされ、發展させら れた筈である。各々の時代における佛の生ける力はかかる特定の戰線に向つての力である。し かるにそのやうな的な附けから抽象して、種々場當りの思想を手に引出して現代にかつ ぎり、それで佛思想は體的であるとべても殆どく無力でなければならぬ。佛思想が 體的現實的であるか否かは、一定の時代の現實に對する關係において定まることである。從つ て今日の佛家の任務は、今日の現實に對して佛思想の如何なる素が特に重であるかを眞 面目に究することでなければならぬ。今日の現實に對する戰線において、佛は宗として如 何なる決定的なことを語り、如何なる決定的なことを爲し得るかが問題である。その場合我々が 知りたいのは、佛の眞の信仰から迸り出た決定的な言葉である。政府の役人のやうな時局論、 修養團長のやうな國民話などを我々は佛家の口から聞かうとは思はない。佛團體が在 軍人會や地方年團などと同樣の仕事を如何に熱心にしても、我々はそれをもつて佛の興 隆とは考へいのである。 今日この會において佛、そして一般に宗が、嘗て如何なる時代も知らなかつたほど根本 的に「問題」となつてゐるとき、佛家はこの機を自覺し、その信仰の根源から發した佛の 革新について眞劍に心を惱ましてゐるであらうか。佛家が撲滅に乘り出すことはよい、そ れはその立場においてく當然であり、必である。しかしもし佛家がかくの如き撲滅 動をもつて自自身に對して根本的に求されてゐるところの自己の存在理由についての反省に すりかへようとするならば、間ひである。蓋しいはゆる宗復興が佛復興であるよりも似 宗の流行であつたといふ事實によつて佛は自己批判を求されてゐるのみでなく、今日の 會においては單に似宗に限らず或る意味では佛も一に問題となつてゐるのである。他を 五九 問題にすることによつて自己の問題性を忘れ、もしくは自己の問題性を意識的乃至無意識的に ひ隱すといふやうなことがあつてはならない。 似宗と佛 四 六〇 今日の會は佛の存在理由を根本的に問うてゐる。しかるに多くの佛學は現在もなほ徒 らに訓詁註釋の中に埋れて、現代に活かさるべき佛の本質についての深い信仰と新しい識と を缺いてゐるやうに思はれる。佛の煩瑣哲學は人々を似宗に趣かせる一つの理由である。 單に註釋的でなく、現代意識と正面から取組み或ひは取結んだ新しい佛哲學が組織されねばな らぬ。似宗は信であると云ふのはよいが、これを克するためにも佛は單に訓詁的でな く、現代の科學や哲學の批判に堪へ得る體系を現代人に理解され得る言葉をもつて確立しなけれ ばならぬ。とりわけ必なことは、佛が客觀的現實に對し得るために、客觀的現實の求する やうに佛的學問が化發展せられることである。佛會學の樹立の努力の如きも、その從來 の方向及び業績には批判の餘地が多くあるにしても、かくの如き意味において歡さるべきこと である。佛會學の任務は、單に佛についての會學的究に存するのでなく、佛からの、 佛の原理に基いての會の究でなければならぬ。單に佛會學のみでなく、佛經濟學、 佛政治學、佛心理學、佛的藝論、等々にまで、佛的學問は化されることが必であ る。佛が現實と渉しようとする限り、それは現實そのものによつてかやうな化を求され てゐるのである。しかるに現在多數の佛大學が存在するにも拘らず、佛的學問のかくの如き 化發展は殆どく存在せず、またそれに對する努力も行はれてゐないやうに見える。キリスト が超越的信仰をくに反し、佛の信仰は知識的理性的であると云はれるにも拘らず、その點 においてキリストが却つてキリスト的經濟學、キリスト的會學、等々の組織を有するに 對して、佛の現は如何であらうか。このやうな事實に向つて、私は現代の佛には倫理がな いと云はうと欲するのである。なぜなら、それらもろもろの佛的學問の根柢となるべきものは 佛的倫理にほかならないからである。佛的立場における客觀的現實に關する科學の組織の 缺如は、現實に對する佛の態度をつねに曖昧なものにしてゐる一つの理由であるとも見られ得 るで あ ら う 。 現實への隨によつて佛の復興は期しい。例へば、今日佛が時世に從つて民族主義、 主義などをくとき、それは佛の本質を發揮するよりも、ろ佛を似宗と同樣の位置 に墮落せしめる險がある。なぜなら、民族的宗であり、皇主義を標榜し、愛國心をし 六一 て來たのはそのやうな似宗である。そして大本の如きが、皇主義を唱へながら今日却つ 似宗と佛 六二 て不敬罪に擬せられるやうになつたといふことは、甚だ訓的である。日本を愛するとみづから 稱するが必ずしも最も日本を愛してゐるでなく、日本をえず批判するが必ずしも眞に日 本を愛してゐないでもない。自稱は多くは似而非流である。今日佛はその世界的宗と しての本來の立場を力すべき場合ではなからうか。このことは佛が自己を似宗から區別 する上においても必である。同じやうに、佛が東洋主義をすることによつて一國の國 主義の代辯となることも險である。佛が東洋主義であるべき筈はない、佛には世界的宗 としての佛本來の立場がなければならぬ。宗的良心から發した眞の言葉の聞かれることが 今日如何に稀になつたか。 無力なる宗 ——1937.4.18 〜 『中外業新報』 21 ひとのみち團に對して第二彈壓が下つた。さきには大本に對して大檢擧が行はれ、に 團の解散を命ぜられるに至つたが、今やひとのみち團も同樣の命に會はうとしてゐる。 年いはゆる似宗の出には目覺ましいものがあつた。似宗の氾濫はもとより宗の 興隆を意味せず、反對に宗の困を意味してゐる。大本やひとのみち團のみでなく、多く の似宗が勢力を得たことは、會的原因に基くのであるが、宗そのものの立場から見れ ば、宗が無力化してゐることを示してゐる。あの「宗復興」もジャーナリズムの上にお ける一時の流行につて了つた。今日の佛もキリストも會的事に基いて不安にされた人 間の心を救ふ力を失つてゐる。しかもそれらの宗は信や信に趨るかくも多數の人間を 作り出しつつある現代會の不安そのものに就いて根本的な識を有せず、若しくは有しようと 欲しないことによつて自己を々無力化してゐるのである。 六三 似宗の驅は理由のあることであらう。ただ我々の憾とせざるを得ないことは、似宗 無力なる宗 六四 の驅が宗自身の力によつてなされるのでなく、却つて官憲の力によつてなされてゐるとい ふことである。團も信や信の排を唱へた。けれども之によつて自己の敵とする似 宗の力を減ずることは出來なかつた。國家權力の發動のみが漸く新興團を潰滅せしめ得たの である。かやうなことは宗に對して々官憲依存の風を助長せしめることになりはしない であらうか。そしてそのことの結果は宗を々困ならしめることとなるのである。宗がそ の困から救はれるためには、最第に甚だしくなりつつある官憲依存の風が先づなくならね ばな ら ぬ で あ ら う 。 新興團が彈壓された場合、その幾百萬といふ信の行方が最も重大な問題である。あの大本 の信はどうなつたか。また今度ひとのみち團の信はどうなるであらうか。彼等は衷心か ら改心するであらうか。信仰を失つて宗的ルンペンとなるであらうか。それとも彼等の生活上 竝びに心理上の條件に相應して一つのから他のへ移つてゆくのであらうか。何れにし ても、この場合宗はそれらの信に對して何等積極的に働き掛けようとしてゐないやうで ある。に對する官憲の彈壓を期待することは好いとしても、彈壓後におけるその信の魂の 救濟に對して團が手を差しべようとしないのは何故であらうか。 「大本解散のとき、東北のある信が佛に歸依し某寺院の檀徒たらんとしたが、寺では入 檀料として多額の金を求したため、その信は非常に憤したと云ふ。之は單に一例にぎな いが、寺院は今少し考へて衆生濟度のからあらゆる階級の人々を引入れ、十に安心立命を 與へるやうに努力されたいものである。大本に入るのも、ひとのみちその他のいかがはしい宗 に走るのも、宗に慊らないからである。此點團が考へなければならない」。之は 今囘ひとのみち團に對して解散命令を發するといふ務省當局の談として傳へられる言葉であ る。信をただ搾取の對象としてしか考へない寺院に宗があるのであるか。宗の無力は 今や官憲さへもめざるを得ない態である。 新興團はその義において日本主義的である。かかる日本主義的な團がどうして禁壓され るやうになるのか、不審である。その理由として傳へられるものも臆測の範を出でず、眞相を 捕捉しい。聞くに依ると、今囘檢擧されたひとのみちは「義のどこに不敬があるのか、 私はく不可解です」と云つてゐるさうである。に不審なことは、それらの團に對して彈壓 を加へる政府自身が第に極端な日本主義、非合理主義、祕主義を宣傳して何等の矛盾も感じ 六五 てゐないといふことである。かやうな宣伝が人々を大本やひとのみちにするに趨らせ 無力なる宗 六六 ることに影が無いとは云へないであらう。年佛の典の中にも國體明の立場から改竄を 命ぜられたものが尠くない。我々にとつて理解しいことは、その場合佛家が官憲の命を奉じ て宗の古典的な章にさへ抹殺を加へて憚らないといふ態度である。佛の日本主義化は第 に度をもつて行してゐる。これはキリストにおいても同樣である。 宗の困の大きな原因の一つはかやうにして宗の日本主義化のうちにめられる。なぜな らそのことは宗が自己の獨自の原理を自ら抛棄することであるからである。眞の宗は本來世 界的なものである。家族主義の、國民主義の等を超えたところに宗の世界がある。も しも宗が修身科書的の宣傳、いはゆる思想善の手先にぎないならば、宗とは名 のみのものであり、我々は特別に宗を必としないのである。そのやうな機關はすでに餘りに 多い の で あ る 。 もとより日本佛が日本的であるのは當然であらう。併しそのことは佛の本質的な世界性を 抹殺し得るものでない。世界的なものであればこそ、インドで興つた佛も日本へ渡つて榮え得 たのである。今日この國民主義的風の中において宗が自己の本質に從つて敢然として叫ぶべ きものはその世界主義ではないか。また日本的と云つても、時の權力の唱へる日本主義に隨 することではないであらう。宗は宗として獨自の立場から現實に對する批判を有するのでな ければならぬ。然るに現在の宗は何等かやうな批判を有せず、ただ時の權力に合すること にのみ腐心してゐる。政府が日本主義と云へばそれに從ひ、祭政一致と云へばそれに從ひ、かく してただ世俗的權力への協、隨に日なき慘めな態に自己をおいてゐるのである。日本的 と稱する宗も、その日本的といふことについて何等獨自の見解を有するわけではない。宗は に自己の原理を放擲して了つてゐるのである。日本的といふこともそれにとつては宗的乃至 思想的問題であるのでなく、現實への際限なき隨を意味するにぎないのである。 單なる現實主義の立場からは宗は出て來ない。却つて宗はその本質において現實に對する 最も深刻な批判である。現實の混亂が斯くも甚だしく、化のあらゆる領域において摩擦が斯 くも激しい時代に、我が國の宗家の間に一人の殉も生じないのはろ不思議である。世俗 的幸が眞の幸でないことをく宗家が、現實への際限なき協によつてひたすら自己の世 俗的幸に配慮するといふことは宗の自殺を意味するであらう。 六七 かやうにして宗の日本主義化は宗そのものの發展のためにでなく却つて現存の團制度維 持のためにのみ考へられることである。しかもこの制度の利は現在の會の支配的勢力の利 無力なる宗 と一致してゐることが々明瞭に示されつつあるのである。 六八 かやうにして今日の宗におけるしい傾向はその現實隨であり、權力への合としての事 大主義である。この傾向は眞諦と俗諦の理論、いはゆる大乘の理論などによつて思想的に 明されてゐるにしても、その根本に意圖されてゐるのは宗的信仰の擁護ではなくて團制度の 現維持である。この「改革」時代、「庶政一新」の時代において、宗家は團改革の根本問 題に手を觸れようとはしてゐないのである。時世に隨順する爲にその義を樣々に改變して憚ら ない宗家も、團組織の變革の一點になると現維持なのである。義や信條の改變もみな 現存團の維持の爲になされてゐる。現在の團組織が宗にとつて桎梏となつてゐはしないか に就いての根本的な批判は存しない。本山の募財はあらゆる機會を利用して行はれ、末寺の窮乏 は第に甚だしくなりつつある。宗の名による信からの搾取はえない。宗の日本主義化 が制度の改革を意味するものでないことは誰れの眼にも明かであらう。 宗と雖も時代によつて變化するのは當然である。併し乍らそれは宗が宗として存立する 本質を抛棄することであり得ず、宗の生命をなす義や信條を放擲することであり得ない。然 るに今日の宗にとつては自己の本質、自己の生命はもはや重な問題でないやうに見える。佛 においては太子の篤敬三寶のが今日最大の據りとされてをり、釋も宗も太子の には影が薄くなつてゐる。あの「宗復興」の頃には「宗にれ」といふ標語がげられたが、 今やこの標語も推しけられるに至つたのである。 宗 の 日 本 主 義 化 は そ の 生 命 で あ る 義 の 抛 棄 で あ つ て も、 義 そ の も の の 改 革 を 意 味 し な い。義もにおいて改革されねばならぬであらう。併し如何に改革されるにしてもその信仰 の本質的な容を抹殺することは許されない。ところが現在の宗は完に國民論に化し、 信仰はもはや重な問題でなくなつてゐる。宗的信仰が無くても今日の宗家のいてゐるや うな俗倫理は立にくことが出來るであらう。もし眞にその義を改革しようと欲するなら ば、宗家は生きた信仰に基いて「新しい經典」を書くほどの氣魄を有しなければならぬ。この 場合對に必なのは熱烈な信仰である。然るに今日の宗家にあつては信仰は形骸となり、巧 に時世に順應したをする人間もその信仰容においては依然として舊態をせず、新時代の 人間に訴へるに足るものを有しないのである。宗の現代化はく外面に留まつてゐる。あの 似宗がんになつたといふこと、しかもその信の中には知識階級の人間が多いといふこと 六九 は、宗のく義が新なものを有しないことを示してゐる。宗的義としてはそれは 無力なる宗 何等本質的に現代化されてゐないのである。 七〇 今日の宗に見られるものは、本質的には何等現代化を意味しないのみでなく却つて宗の 落を意味する。日本主義への隨でなければ、宗に對して無關心であるといふのみでなく、學 問の究としても何等新な方法も哲學も有しないところの經典の獻學的究と獨斷論的解釋 とである。宗の困は信仰の困にとどまらず、科學と哲學との困としても現はれてゐる。 新日本の指力としての宗 ——1938.1 『流』 支事變はなほ發展の上にある。今日その結果、その影を見究めることは不可能であり、 從つてその意義を完に理解することも困であらう。しかし、日本の大陸政策がどのやうなも のであり、またどのやうなことになるにしても、この事變と共に日本が世界的にならねばならな くなつたことは明かである。爾後、日本の政治は世界的にならねばならないし、日本の化も世 界的にならねばならぬ。かやうに日本が世界的にならねばならぬ必はもちろん支事變以に おいても存在しなかつたわけではないが、今度の事變を機會としてその必が一段と現實的にな つたのである。支事變の一般的意義はそこにある。いはゆる日本とは世界の舞臺に出た日 本のことであり、世界的になつた日本を意味してゐる。この事實は同時に求であり、また責任 である。日本がこの責任を十に盡すのでなければ、日支間の問題の發展的解決も望まれない であ ら う 。 七一 かくの如く日本の政治も日本の化も世界的にならねばならぬとすれば、日本にとつて最も必 新日本の指力としての宗 七二 なのは世界的な思想である。思想のない政治も化も今日考へることができぬ。思想は政治や 化の指力である。ところで日本の傳統的思想のうち世界的性格を最も明瞭にへてゐるの は、何と云つても佛である。佛がキリストなどと並んで世界宗であることは世界的に められてゐることである。尤も、これまで日本においては佛の世界的性格はあまり問題にせら れなかつた。從來の日本の國際的地位に從つて、その必があまり存在しなかつたからである。 佛は日本においていはゆる大乘相應の地を見出したと云はれるが、に、その日本の佛の世 界的性格は根本的に問題にせられたことがなかつた。しかるに現在支事變を機會として、日本 の政治も化も世界的になることが現實的に必になつた場合、日本の佛はまさに自己の世界 的性格を徹底的に問題にすることを求されてゐる。佛は如何なる意味において世界的である か、佛が世界宗である本質は何處に存するか、といふ問題は、現在佛の究に課せられた 新しい問題である。この點について佛の本質が新たに究明され、それをじて佛は今日我が 國の政治や化を指してゆかねばならない。佛が世界的であることは誰も漠然とは感じてゐ ることである。けれどもその世界的性格の本質が何であるかについての根本的な體系的な識は これまで存在しないやうに思はれる。 去一二年の間、團は佛の日本的性格を明かにすることに努めてきた。この努力の政治的意 味は別にしても、それが佛自身にとつてく無意味なことであつたとは云はれないであらう。し かし今日、日支親善の基礎となるべき思想が現實的に問題になつて來ると共に、從來の日本主義 とか日本とかいふものについても新たな原理的な反省が求されてゐるのである。單に日本 的であつて世界的な意味を有しない思想は日本においては用しても支においては用しない であらう。日本の指力としての佛の指性は、佛の世界的性格、に今日の世界化 に相應したその現代的性格についての根本的な識の中から出て來なければならないのである。 それでは世界的とは一般に如何なることを謂ふのであるか。またそれは民族的といふことと如 何なる關係にあるのであるか。 いま先づ、世界的といふことは單に地域的に考へられてはならない。それは單に地球上の地域 の體を意味するのではない。民族といふものは地域的であり、一民族は集團的に一定の地域に 根をおろして生活してゐるのがつねである。民族は單に地域的なものでないと云つても、それは 地域と同樣の自然的なものを基礎として立してゐる。血は地と同じく自然的なものであ 七三 る。世界がかくの如く地域的に考へられるものであるならば、一民族の思想が世界的であるとい 新日本の指力としての宗 七四 ふことは不可能でなければならぬ。その場合には、シュペングラーの考へたやうに、一定の化 はそれの生れた土地に固着し、その土地において生長し、開花し、やがて落してゆくと云はね ばな ら ぬ で あ ら う 。 日支間の問題についても今日なほ種々の地域的な考へ方が支配してゐる。日本と支とは隣國 である故に親善の關係を結ばねばならぬといふやうな考へ方はその一つである。なるほど隣國が 親密であることは確かに望ましいに相ない。けれども二つの國の間の親善の基礎は單にそれら の國が隣同志であるといふことに求めることはできぬ。ドイツとフランスとは隣同志ではある が、久しい間戰爭を繰りして來たのである。隣同志である日本と支とは現在戰爭をしてゐる のであるが、この戰爭の重な目的は今後再び兩國の間に戰爭が繰りされないやうにすること でなければならぬ。それには兩國の親善が單に地域的な考へ方以上のものを根抵として考へられ ることが必である。その基礎は世界的な思想に求められねばならないのであつて、この場合世 界的といふことは單に地域的な意味のものであることができない。 日支親善の基礎は佛に求めねばならぬとするの中にも、佛は日本と支とを括して東 洋的である故にそれにしてゐるといふ風に論ずるが尠くない。確かに佛は、印度、支、 日本の三國に傳統的にじ、その意味において東洋的である。しかしかやうに考へられる東洋的 といふことは矢張り地域的な念である。もし單に地域的に考へるならば、日支親善の基礎とし ては日本と支とに傳統的にずる思想、例へば儒の如きで十であり、或ひはその方が東洋 體に亙る佛よりも一當であるといふこともできるであらう。佛の方が儒よりも地域 的に廣い故に一當であると云ひ得るとするならば、現在東洋にまで擴がつてゐる西洋化の 方がに地域的に廣く、從つてその方が佛よりもに當でなければならぬわけであつて、佛 が最も當であるといふ對的な信念は出て來ないであらう。日本的と云ひ、東洋的と云つて も、單に地域的なことである限り相對的に止まつてゐる。日支親善の基礎は世界的な思想に求め られねばならぬと云つても、單に世界的といふことが東洋的といふことよりも地域的に廣いとい ふことに依るのではない。佛は單に東洋的な思想でなく、まさに世界的な思想である故に、日 本に渡來して榮えることができたのであるし、また將來日支親善とか東洋和とかの基礎をなす 思想ともなり得る可能性を有するのであるが、そのとき世界的といふことは單に地域的な意味の ことであることができぬ。日支間の問題を解決するに當つて最も大切なことは單に地域的な考 七五 へ方以上のものに立つことである。しかるに今日なほ依然として地域的な考へ方が流行してゐる 新日本の指力としての宗 七六 のは、宗が政治の支配下、影下にあることを示すものである。民族的といふことは地域的に 考へられねばならぬにしても、世界的といふことは根本的には地域的に理解せらるべきことでは ない。それでは地域的でない世界の意味は如何なるものであらうか。 凡て生命を有するものは自己を中心として生きてゐる。それはのあらゆる物を中心である ところの自己に關係付けることによつて生きてゐる。例へば、水を飮み、氣を吸ひ、土地から 養をるといふが如きことは、それらのものを自己を中心として關係付けることである。この やうな自己に對してそのは境と呼ばれる。植物や動物はかくの如く自己中心的な生き方を してをり、人間も自然的生命としてはく同樣である。そのとき境は自己を中心として立す るものである故に、ちやうど一つの中心を有する圓のやうに「閉ぢたもの」である。凡て生命を 有するものはかくの如くに生き、民族の如きもその意味において閉ぢたものである。しかるに人 間にとつて特有なことは、かやうな境が同時に世界の性格を有し得るといふことである。世界 は閉ぢたものとは反對に「開いたもの」である。人間にとつて世界が開いてゐるといふことは如 何にして生ずるであらうか。境に對して人間はどこまでも自己が中心であり、そのために境 は閉ぢたものと考へられるのであるが、それが開いたものとなるには、かやうに中心であるとこ ろの自己を離れること、中心的でなくて離心的になるといふことが必である。人間は自己自身 をも對象として見ることができ、自己の心をすらいはゆる界ち一つの世界として見ることが できる。世界が立するためには、このやうに人間の生き方が離心的であつて、自己が境のう ちにおいて中心でないといふことが必である。境のうちには中心があるに反して世界のうち には中心がない。もし世界を圓に喩へるならば、それは唯一つの中心を有する圓でなくて到る 處が中心であるやうな圓である。かやうなものとして世界は閉ぢたものでなくて開いたものであ る。世界を有するといふことは人間に固有なことであり、人間は世界に向つて開かれてゐる。 しかるに地域的に考へられる民族の如きものは閉ぢたものである。その地域を、日本、日本と 支、に東洋、に東洋と西洋といふ風にどれほど擴げて行つても、閉ぢたものはどこまでも 閉ぢたものであつて決して開いたものとはならない。その差異は同じ閉ぢたものの中における相 對的な問題に止まつてゐる。しかるに閉ぢたものと開いたものとの相は程度上のものでなくて 性質上のものであり、それは秩序の相、元の相を現はしてゐる。兩の間の距離はただ飛 によつてのみせられることができる。 七七 人間が世界を有するといふことは人間の存在の超越性に基いてゐる。人間が世界を有するとい 新日本の指力としての宗 七八 ふことは客觀的に物を見ることができるといふ一つの意味を含んでゐるが、このやうに客觀的に 物を見ることができるのは人間が眞の主觀となることができるからである。言ひ換へれば、それ は人間における客體から主體への超越に基いてゐる。眞に主觀的になるのでなければ、眞に客觀 的になることもできぬ。しかるにそのことは人間の存在の超越性によつて可能である。人間が客 觀的に物を見ることができるのは人間が知性を有するからであると云はれるであらう。しかし人 間の超越性は人間の存在の體に關はることであつて、單に知性にのみ關はることではない。 我々の感や意欲の性質も我々の存在の超越性によつて規定されてゐる。人間の存在そのものが 超越的である故に人間の知性も客觀的になることができると云はねばならぬであらう。 かくして世界的と民族的とは元乃至秩序を異にしてゐる。もとより人間は一方においては自 己中心的でなければ生きることができぬ。民族にしても同樣である。スピノザの云つた如く、凡 てのものは自己を保存しようとする根本的な衝動を有してゐる。しかし單に自己中心的に生きる といふことは動物と等しく、眞に人間的なこととは云はれない。我々も民族も世界的にならねば ならぬ。ところで世界は開いたものとして到る處が中心であるやうな圓の如きものである故に、 到る處において實現され得るものである。一個の人間も一個の民族も自己において世界を實現す ることができる。また個人や民族を離れて抽象的に世界があるのでもない。閉ぢたものと開いた ものとの差異は單に地域の廣狹に關することではない。世界が地域的に廣いものと考へられると いふことも、世界は閉ぢたものでなくて開いたものであるといふ世界の根本的な性格の象に ぎないと云はれ得るであらう。そしてかやうに民族的と世界的とはく元乃至秩序を異にする ものである故に却つて民族的と世界的とは結び付き得るのである。一つの民族は地域的に世界 を被ふことをせずして世界的になり得るのである。世界的性格を有する化は、一小民族の作 り出したものであるにしても、地域的にも世界に擴がり得る可能性を有するのである。 宗はかくの如き人間の存在の世界的性格、その根柢としての人間の存在の超越性そのものを 中心的な問題にするものである。そこに世俗的化と宗との差異がある。この超越性は人間の 存在の體に關はるものであつて單に知的な意味のものではないけれども、世界的であらうとす る宗は知性的にも普性を有し得るもの、ち自己のうちに合理性を含むものでなければなら ぬ。宗は人間の世界的性格に最も深く觸れるものとして世界的な化の基礎となり得るもので ある。日本の化が日本的であり、東洋の化が東洋的であることは、人間が境的な生き方を 七九 しなければならぬことと同樣、明かであるが、に必なことはその化が世界的性格を有する 新日本の指力としての宗 八〇 といふことである。世界宗といはれる佛の任務は日本の化に世界的性格を與へることにあ るのであつて、佛自身がその世界的性格を失ふやうなことがあつてはならぬ。日本の化がど れほど世界的であるかといふことにおいて、我々は世界宗としての佛の本質的な力がどれほ ど日本の化に潤してゐるかといふことを量らねばならぬであらう。佛は東洋的であるとい ふ理由のみで東洋の將來の化の基礎となり得ると考へることはできぬ。東洋で生れたものは東 洋にするといふことは確かにある。しかし東洋といつても的に變化してゆくものである。 佛はその世界的性格によつて初めて眞に東洋の化の基礎となり得るのであり、またそれによ つて初めて今日東洋においてもく重な地位を占めてゐる西洋化との關係に入りむことも 可能になるのである。 團は時局に對して協力することを言明してゐる。それはもとより當然のことである。しかし 協力は眞の協力でなければならぬ。時流に隨し、時の政治的權力に合するといふことは眞の 協力ではない。佛は政治に對して指的に働き掛けることによつて時局に協力しなければなら ぬ。世界的に見て今日の不幸は、政治が對的な力としてあらゆる化、あらゆる宗をも支配 し、しかもそのやうな政治の對性の權威が何處に存するかが問はれず、また問ふことも許され ないといふことである。宗は政治と同一の面にあるものでなく、政治と同一の面にない故 に却つて宗は自己の權威に從つて政治を指し得るのである。宗の權威が失してしまつて はならぬ。宗の從ふべき權威は政治ではない筈である。宗が政治的になるとき、宗の指 力は失はれねばならず、宗は宗の本質にることによつて政治に對する指力ともなり得る のである。宗の宗たる以はその世界的性格を離れて存しない。宗は自己の權威に從ひ、 その世界的性格によつて政治を指してゆかなければならない。佛にしても、單に日本的とか 東洋的とかといふことのみを問題にしてゐる限り、實は政治に屈してゐるのであつて、時代を 指してゐるなどとは云へないのである。佛の世界宗としての本質は何處に存するのである 八一 この、これまで理論的にも實踐的にも十に闡明されなかつた根本問題を、現代の世界 か、 —— 化の水準に相應して理論的にも實踐的にも新たに闡明してゆくことが、今日、時代の指力と ならうと欲する佛の任務でなければならぬ。 新日本の指力としての宗 似宗の蔓 ——1939.6.27 『讀賣新聞』 その根據とその克 —— —— 八二 ひとのみち團、大本などの彈壓は我々の記憶になほ新たなことであるが、その後も似宗 は依然として發生し、蔓してゐるといはれる。これはこの時局において一つの重大な問題で ある。殊にそれらの似宗が出征軍人の家、戰歿士の家族等にひ入るといふに至つて は、實に憂ふべきことである。 かやうな似宗の發生、その蔓には、會的と人間的と、二重の根據が考へられ、これら 二重の根據に注意することが大切である。 先づそれが會的原因に依ることは明かであらう。似宗の發生と蔓とは會的不安に基 いてゐる。我々の時代が轉換期であることは疑ひなく、かやうな轉換期の會は、轉換期のつね として、それを欲すると欲せざるとに拘らず、それが善いとか惡いとかといふこととは別に、不 安と動搖とをれない。 今の支事變にしても東洋の、そして世界のにおける轉換期に現はれた出來事である。 この會的な動搖と不安とによつて動搖させられ、不安になつた人心が似宗の如きものを求 めるに至るのである。 いづれにせよ、この時代は轉換期として動搖をれい。從つて必なことは、不安になりが ちな人々に對して、この動搖が單なる動搖でなく、新しいものへの發展のために必然的なもので あるといふ理由を明瞭に理解させることである。言ひ換へると、今日の政治的目標を國民一般に 體的に識させることである。 明確な政治的目標が意識されてゐない限り、今日のやうな時代には人心は徒らに不安に陷り易 く、そこに似宗の如きものの活動の餘地が與へられる。その際、國民の現實の生活不安を少 くすることに努力すべきは言ふまでもない。 しかし似宗の發生と蔓とを單に會的原因にのみ歸することは間つてゐる。宗は根 本において人間的なものに、個人の自己の魂の問題、このく面的なものに關係してゐる。 會的不安が人間に對して何等か宗的に働き掛けるといふことも人間がその本質において根源的 八三 な不安を有するために可能になることである。從つて似宗の發生と蔓とは、今日、人々が 似宗の蔓 八四 眞に的な安らひと慰めを與へられてゐないといふことの一つの兆しにほかならない。似宗 の毒をなくするには、他に眞に人間的な信念の與へられることが必である。 しかるに現代の如き「政治的」時代においては、人間的なものが無され、に抑壓される傾 向があり、この點注意をするのである。 國民總動員が完に行はれるなら、似宗の如きものの跋する餘地はなくなる筈であ つて、その動員が單に外面的な形式を整へることにつて、眞の「」からの動員でない といふやうなことがあつてはならぬ。 もとよりこの人間的なもの、的なものは特に宗家の問題である。宗家はそれについて 會と國家とに對して責任を有するわけである。しかるにその宗家が、今日起りがちなやう に、あまりに「政治的」になつて、眞に宗と信仰とに關はるもの、人間的なもの、面的なも のの問題を閑却するやうなことがあれば、人心は似宗の如きものに誘惑されることになるで あらう。似宗の蔓は宗の根本的な不振を示すものにほかならず、宗家の、眞の宗家 としての奮起が望されるのである。 似宗は信の一種であるから、それを撲滅するには科學的の普及が大切であることは 言ふまでもないであらう。科學的とは單に科學上の知識の有を意味するのでなく、人間の 一定の物の見方、一定の生活態度そのものをいふのである。 八五 從つて一方において非合理主義が唱され、また「話」の名のもとに、宗とさへも相容れ ないやうな非合理的なものが宣傳されるやうなことがあつては、似宗の撲滅も不可能である と云 は ね ば な ら ぬ 。 似宗の蔓 年と宗 ——1941.12.20 『京國大學新聞』 八六 年が宗に關心するといふのは自然である。それは特に今日においては二重の意味を持つて ゐるであらう。先づ一般的にいつて、年時代は人生の悲哀や苦惱を思ふことが多い。そこに 年の感受性と理想主義とがある。物に感じ易い故に人生の悲哀を感じることも多く、理想主義的 である故に現實に對して煩悶することも多いのである。かやうにして宗に關心が持たれるやう になる。しかるに今日の年はに特殊の事によつて宗的關心を喚び起されるやうな態に おかれてゐる。そこに戰爭といふ現實がある。年は特に直接にこの現實の中に投げまれてを り、かやうにして死生の問題に直面してゐる年に、宗的關心が生じてくるのは當然であると いへ る で あ ら う 。 およそ宗に意味がある限り、年時代において宗に關心を持つといふのは善いことであ る。その年時代に何等か宗的なものを味はなかつたは、生涯宗に對して無關心でると いふのが普である。すべての人間の少年時代に家から受ける思想的影といふものが主と して宗に關係してゐるといふ事實は、人生にとつて宗が必である限り、若い時代に涵養さ れねばならぬといふことを示してゐる。 しかしながら眞の宗と單なる宗的氣とを區別しなければならない。ひとは宗的氣を じて宗に入る。けれどもこの關係は單に的でなく、否定を媒介とする辯證法的であ る。宗的氣にひたつてゐるのみで、それが宗であるかのやうに考へるといふことは、年 の感傷的な心にありがちである。宗的氣は大切である。しかし眞の宗をむためには、そ れは一旦否定されなければならぬ。偉大な宗的人間の多くがいはば囘心を二度經驗したといふ 事實は、このことを意味してゐるのである。 宗が氣的なものとして與へられるといふことは、年の心理にとつて自然である。それは 一つの誘惑である。そしてすべての誘惑においてさうであるやうに、宗的誘惑においても、そ れに何等の誘惑も感じないやうな人間は問題にならず、しかしまたそれに誘惑されてしまふこと は 險 で あ る 。 八七 この誘惑は二樣のものであるであらう。一つは學的、他の一つは哲學的と呼ぶことができ る。第一のものは感傷的である。宗的誘惑は感傷の甘さの誘惑である。感傷的であることが宗 年と宗 八八 的であることであるかの如く考へられる。第二の誘惑は、一思想的な形をとり得るだけ險 も多い。これは浪漫主義の誘惑と稱することができるであらう。とりわけ我が國においてはドイ ツ浪漫主義の哲學の影が深いだけ、この誘惑も大きいのである。浪漫的な哲學は一種の宗的 な甘さをもつて年にうつたへるのである。 しかるに今日特に必であると私が考へるのは、甘さではなくて嚴しさである。宗について も、その嚴しさが理解されなければならない。眞の宗は嚴しいものである。例へば、今日元 禪師を口にするは多いが、禪師が時の北條氏に對してとつた態度の嚴しさの如きはどれほど理 解されてゐるであらうか。現實に對する宗の嚴しさを理解することが大切である。宗的とい ふ名のもとに甚だ甘い見方があまりに多いのではあるまいか。今日の現實は決して甘いものでは ないのである。しかるに現實的といふ言葉のもとにさへ極めて甘い思想が流布されてゐるといふ のが今日の實際ではあるまいか。 表面的に見れば、宗は今日一種の流行をなしてゐる。ところが現在宗は現實に對してどれ ほどの力を持つてゐるであらうか。むしろ宗の無力のかれることが久しいのである。眞に宗 を思ふは、この無力が何に由來するかを考へてみなければならない。それは眞の宗が乏し いことを意味するのではないか。或ひは、宗は現實に對して無力である故に眞に有力なのであ るといひ得るほど有力な宗はどこに存在するのであるか。 宗が現實からのであつてならないことは々いはれてゐる。單なる感傷はそのやうな として斥けられなければならない。現實の中に楔を打ちむことが必である。どのやうに美 しい和のある思想であつても、ぐるぐるまはりをして、現實の上を滑かにすべつてゆくやうな 思想には眞の力がない。必なのは、すべりの好い思想ではなく、現實の一點に深く楔を打ち んだ思想である。かやうな思想のみが實踐的な力を持つことができる。的現實は機的現實 であるのである。この機に楔を打ちむものが宗であり、宗の嚴しさでなければならぬ。 宗は浪漫的な哲學的な甘さよりも却つて科學の嚴しさに似てゐるといふこともできるであら う。或ひは今日の哲學は宗的乃至科學的嚴しさを持たねばならないのであつて、宗の嚴しさ 若しくは科學の嚴しさかられるために哲學の浪漫的な甘さが求められるやうなことがあつては な ら な い。 今 日 我 々 が 直 面 し て ゐ る の 現 實 は そ の や う な 甘 さ の 算 を 求 し て ゐ る で あ ら う。 八九 自由主義の化は非宗的であつた。これに對して新しい化は何等か宗的基のものでな 年と宗 九〇 ければならぬと考へられるであらう。もしさうであるとすれば、宗の問題は極めて重であ り、今日の年が宗に對して關心を持つてゐるといふのは意味のあることである。しかしそれ が科學的な物の見方の嚴しさからのになり易いことに對して十に警戒をするのである。 主體の確立は何等か宗によらなければならないにしても、客體に對する實踐はつねに科學を基 礎としなければならない。客觀的な見方を我が物とすることによつて我々は眞に主體となり得る ので あ る 。 養と化(一) 新興科學の旗のもとに ——1928.10.10 〜 『東京日新聞』 14 創的なる識は事實としていつの時においても可能であるやうに見える。ある人が彼の天才 的直觀によつて洞察した事柄にして、その當時は埋れてゐたものが、數十年あるひは數百年の 後、他の人によつて一般的眞理として識され、傳播されたこともある。例へばギリシアのひと りの哲學によつて書きされた斷片がコペルニクスの眼に入つて、彼の地動となつて現はれ たが如きがそれである。創的なる識は孤立した識であることが出來るやうである。 これに反して批判的なる識は特にただ一定の的時代においてのみ可能である。それは、 マルクスの言葉を用ゐれば、ただ會の壞期と共に始まるのである。このとき會は自己に 在する對立と矛盾とを暴露し始める。會は機にする。この「機的なる」ちクリチッ シュなる時期に應じて、それを反映して、「批判的なる」ちクリチッシュなる識は生れる。 マルクスは本主義會の壞程の識を特に批判と名づけてゐる。對立と矛盾との時代は、 九三 にヘーゲルの論理學が明かにしてゐるやうに、渡的なるもの、程的なるものの性格を優れ 新興科學の旗のもとに 九四 て現はす。批判的なる識は一般に存在の程性、それの渡的性質を闡明しようとする。 このやうな時代にあつて批判的識に對立するものの一般的特は、それが何等かの仕方でそ の時代を永化しようとするところに現はれる。かかる特をへる理論を我々は獨斷的として 批判的に對立せしめることが出來る。この獨斷論は、會における對立が激され矛盾が尖化 それはの未來へ向 されるに應じて、いよいよ獨斷的となる。かくして獨斷論は反動思想 —— として批判的識に對抗する つての動を否定するといふ一般的意味において反動的である —— に到る。否、批判論と獨斷論とが相抗爭するといふことがに批判的、機的なる時代のひとつ の特 で あ る 。 現代の永性を立證しようとする、意識的または無意識なる意圖を有する人々の多くは、奇怪 にもの重をいてゐる。眞實をいへばそれはひとつの心理的錯である。彼等によれば とはもはやぎ去つてしまつたもの、いはゆる去である。そこには變革や革命があつたかも 知れない、けれどそれらもするに去のことである、我々のことではない。彼等は囘的なる 觀察に耽ることによつて、まさに現在または未來の問題を見ようとはしないのである。そこには 無限なる料が堆積されてゐる。そして彼等は實證的究、實證的究と叫ぶ。だがとは ぎ去つたものではなくなほ在るもの、單につたもののみではなく却つてりつつあるものであ る。 の本質は程性にある。然るに最も優越なる意味における程は、去からの程の結果 であると同時に未來への程の出發點である。現在である現在は去を含むと共に未來をはらむ とライプニツもいつてゐる。本來のは「現代の」である。現代を永としてでなく却つ てとして把握することが的究の根本でなければならぬ。しかるに反動的なる重 論は、現代が去からの結果であることをもつて直ちにそれが完結、完したものであるかの 如く見なし、それを未來への程として同時に理解しないのである。彼等こそまさにの意義 を否定するである。新興科學は現代の動を把握しようとする。かく動を把握することによ つてそれは未來への展望を有する理論を求める。 學問上におけるいはゆる永の眞理に對して疑ひ深いやうに、我々はいはゆる永の問題に對 しても警戒する。今日學問をしようとするは、彼がその學科に關する書物を開くとき、彼はそ こに學問上の永の問題が陳列されてゐるのを見出す。これらの問題はに古くから傳統され、 九五 この古き傳統の故をもつてなる威嚴をおのづから粧ふことによつて我々を眩惑し、誘惑し、威 新興科學の旗のもとに 壓するのがつねである。 九六 人々はかくの如き問題のみが眞に學問的なる問題であり、それらについてみづからもまた論議 することが眞に學問的なる究であると思惟する。彼等にとつて問題は究に先立つてに豫め 形作られて與へられてゐる。然しながら注意すべきことは、これら永なる問題が多くの場合も はや「問題性」を有すことなき問題であるといふことである。學問上の問題はすべて一定の 的時代においてその時代との必然的なる聯關において、從つて現實に問題性を有するものとして 立したものである、然るにそれがに傳統されるに從つて、それはその立の地盤から離 させられ、かく離することによつていはゆる永性を得たものに外ならぬ。永性の獲得はこ の場合問題性の喪失を意味する。もしさうでないならば、つねに同一であるのは問題の言葉のみ であつて問題の容ではないのである。從つてある種の問題については、それがもはや問題とな り得ないといふことを明かにするのがその問題の正しき解答である。 あたかも數學のにおいてひとつの問題をある人が提出し、それを解かうとして永い間多く のが苦心して無駄であつたとき、ひとりの學が現はれてその問題の解き得ないことを證明す ることによつて却つて數學を歩せしめるのと同樣である。 哲學のにおいてカントもまた從來の形而上學の問題、の存在の證明、その他の問題の解 決の可能でないことを哲學的に證明することによつて、學問としての哲學の發に貢獻した。 このやうにして我々は現實の存在と必然的なる聯關にある問題をみづから求めねばならぬ。然 るに我々にとつてもつとも現實的なるものはいふまでもなく現代である。もちろんここにいふ現 代は單なる現代ではなく、去と未來とにつながる現代である。ところで我々の現代はまさに對 立と矛盾とにもつとも充ちてゐるやうに見える。從つてそれはもつとも問題的である。もつとも 問題的なる現代にあつては、問題そのもの、對立と矛盾そのものの發見こそがあたかも學問的な 九七 る仕事の主事に屬する。新興科學は傳統的な問題を承け繼ぐことによつて自己の學問的威嚴を 粧はうとすることなく、却つてみづから現實の問題を摘發しようとする。 新興科學の旗のもとに 最哲學界の野 ——1929.5.12 『讀賣新聞』 一 九八 最の哲學界に於てしい現象はロマンチシズムの復興であらう。ロマンチシズムの最も偉大 なる哲學はヘーゲルであつた。種々なる程度に於ける、種々なる形態に於けるヘーゲル主義 は、今やひとつの流行を作つてゐるやうに見える。從來主として新カントの傾向に屬してゐた 人々でさへもが、或は徐々に、或はに、ロマンチシズムと結び、またはヘーゲルに媚を呈す るに到つた。我々はこのことをカッシラーの『象的形式の哲學』に於て見ることが出來る。ク ローナーの如きも『の自己實現』といふヘーゲル風な名をもつた書物を出した。 この頃ディルタイの哲學が勢力を得て來たのも同じ傾向に屬してゐる。彼の思想は多にロマ ンチシズムの素を含んでゐる。尤もディルタイは彼の一生をじてロマンチシズムの克のた めに苦鬪をけたのであつて、そしてそこに彼の哲學に於ける最もれたもの、最も貴きものが あると、私は信ずる。然し人々は彼の思想のこの方面に一般に多くの注意を拂ふことなく、却つ てそれをロマンチシズムの方向に再しようとしてゐるやうに見える。いはゆる「科學と しての學科學」を主張するところの、ディルタイの流れを汲む學家たちは、今日ドイツの ひとつの流行を作つてゐるが、彼等もまたしくロマンチシズムのを帶びてゐる。チザルツな どを代表とする學のこの方法は、わが日本に於ても、殊にドイツ科の人々の間に名聲を 獲得し、從を見出してゐるやうである。また嘗て人格主義の哲學であつた阿部氏の如 きが、最ディルタイと友になられるにあたつても、氏は彼をロマンチシズムの方向に完す ることに努力してゐるらしく、これら我々の間に於けるディルタイ崇拜もドイツ本國に於ける一 般的傾向に相應するのである。ちそこにはロマンチシズムの復興がある。 二 ドイツに於けるロマンチシズムの復興は世界大戰の結果に關係してゐるであらう。戰爭の直 ドイツの本主義は目覺しい發展をげた。インテリゲンチャはそこに輝しい希望をもち、從つ 九九 て彼等は實踐的な氣持になることが出來た。然し彼等の見出す希望も、彼等の懷く實踐的な氣持 最哲學界の野 一〇〇 も、本主義會に於ては抽象的であるのほかない。この態に應じて彼等の間には抽象的な然 し實踐的な思想を含む新カント主義が歡された。戰爭に於けるドイツの敗北、その結果として の償金、失業、その他の現象は、インテリゲンチャから希望を取去り、實踐的な氣持を奪ひ去つ た。人々は靜かなる、宇宙的なる觀照と觀想を求めるやうになつた。かくて哲學の領域に於ては 新カントが衰へて、觀想的な世界觀を含む現象學が勢ひを得たのである。 フッサールを代表とする現象學はその本來のに於てカトリック的である。このカトリッ ク的な學問は今もなほ思想界の重な傾向のひとつを形作つてゐる。フッサールの現象學も、新 カントの哲學と同じく、最初ロマンチシズムに對する反抗から出發した。この反抗は思想的に は、哲學に於ける科學性の重として、そしてこのものの抽象的な現はれとしての「科學主義」 的傾向として、表現を見出した。科學主義は哲學を識論、このひとつの特殊な科の領域に閉 ぢめようとする傾きをもつてゐる。現象學はフッサールの方向に於ては容的な世界觀にまで 發展することが出來ず、むしろそれを怖れつてゐる。然るに戰後のインテリゲンチャは世界觀 を求める。ここに現象學の部に於ける轉向が必然的に求されるのである。 三 この轉向のひとつの例はマックス・シェーラーである。彼は最のドイツ哲學界のひとつの兆 を現はした人物であつた。オイケンの弟子として出發したシェーラーは、その後フッサールの 影のもとに立つに到つた。しかし彼は世界觀的な哲學のにまで大膽にきんでゆき、そ の思想のうちに現象學の根柢をなすカトリック的な見方を鮮かに表現した。彼の哲學が第に 括的になつてゆくに從ひ、年に及んで、彼はカトリック主義を打ち破つて、一部プラグマチ ズムとプラグマチズム的に解釋されたマルクス主義とをその思想のうちに取り入れたのである。 かくてなほ動搖のうちにあつたシェーラーは落付くべきところに落付かずしてこの世を去らねば なら な か つ た 。 フッサールの現象學からの轉向の他のひとつのしい例はハイデッガーである。彼もまた最 の哲學のひとつの兆であるであらう。リッカートの弟子であつた彼は、フッサールの影を受 け、にディルタイに刺戟されて生の現象學を打ちてようとする。ところで彼の最も重な意 一〇一 義はロマンチシズムとの訣別にある。そのに於て彼の哲學は、なほロマンチストであつた 最哲學界の野 一〇二 ディルタイ的であるよりもむしろロマンチシズムを克しようとしたディルタイ、殊にまたロ マンチシズムを克するために惡戰した悲劇的なるニイチェやキェルケゴールの系統に屬して ゐる。然るにその昔ニイチェ及びキェルケゴールに就て大きな書物を出されたわが和哲氏の 如きは、最にハイデッガーを用しつつ、しかも彼の思想をロマンチシズムの意味にえず 轉化してゐられる。日本の思想家たちはどこまでロマンチストであり、またあり得るのであらう か。 四 ドイツの哲學界の傾向を識別する最も一般的な標準はそれらのロマンチシズムに對する關係 である。世紀の中葉以後一斉に行はれ始めたロマンチシズムに對する攻はその殆ど凡てが、 或は中にして挫折し、或はに却つて敵に身を賣るにまで到つた。今やロマンチシズムは再び 勢力をりさうとさへしてゐるやうに見える。然しこのことは對に不可能である。本主義 會の部に於ける矛盾が今日の如く顯はになつて來たときこのことは對に不可能である。ロ マンチシズムは現在では白日の如く明かなる事實を見ようとは欲しないところの、却つて現實を しようとするところの、プチブルジョアの自慰にぎない。我々の知る限り、この傾向に屬 する思想は、みづからもはや何等創的なものをもつことなく、昔の夢物語の色ざめた再版であ るに ぎ な い 。 年の日本の哲學界は殆どくドイツの影のもとに立つて來た。わが國に於ける特殊性は、 本店ではえずロマンチシズムに對する克の努力がなされたに拘らず、この支店ではむしろこ の努力をめずして却つてそれをつねにロマンチシズムと和解させようとしたところにある。日 本の科の人はおしなべてロマンチストである。そして彼等のこの傾向はセンチメンタリズム と結び付いてゐるのがつねである。この國ではひとは好んで新カント主義を、否、時としては現 象學をさへ、ロマンチシズムと結合させようと骨折つた。この結合の傾向は、多くのエピゴーネ ンに於ていつでも見られるところの折衷主義的、混合主義的性質の表現ででもあつたのである。 將來の哲學の歩は、私の見るところでは、如何にロマンチシズムが克されるかといふこと にかかつてゐることが多大である。このことは特に、ロマンチックな、あまりにロマンチックな 日本の哲學にとつては重大であらう。然るに我々は現在この克を就したひとつの哲學を知つ 一〇三 てゐる。マルクス主義の哲學がそれである。哲學上はフォイエルバッハのヘーゲル批判から出發 最哲學界の野 一〇四 し、この批判をつきつめたマルクス主義は、ロマンチシズムの克であると同時に、かかる克 を企てたところの新カントその他のものと異つて、それはドイツの古典哲學、殊にヘーゲルの 哲學から辯證法をとして受け繼いだといふ特殊性をもつてゐる。 かくて私はロマンチシズムに對する關係といふことからだけでも、哲學に興味を有する人々が 一多くマルキシズムの究に向ふことを望まずにはゐられないのである。 現象學は明日の科學か ——1930.1 『改』 現象學は明日の科學だといはれる。現象學は今やフッサールからハイデッガーへ轉向しつつあ る。物そのものへといふのが現象學のモットーだ。だが問題は物そのものが何であるかといふに ある。フッサールはそれを純粹意識として見出し、ハイデッガーはそれを現實的存在として把握 する。は意識の本質を究し、後は人間の存在の況を析する。一は理性の現象學であ り、他は理性なき存在の現象學だ。人間的自己の本質を理性として、的な永なものとして 提する多くの哲學に今やハイデッガーの現象學は對立する。だが彼の人間は宗的なそれであ り、いはば「原罪」によつてもともと自己疎外を完してゐるところの、從つて人間種族の始つ て以來變ることなきものと考へられた人間である。だが我々は一現實的な、的な人間の存 在の況の究を求する。それは特に現代的な、ち「品」に於て自己疎外を完せる人間 一〇五 の況の析を求するといふことだ。かかる現象學は明日の科學ではなからう。それは今日の 科學だ。しかしそれは明日のための科學である。 現象學は明日の科學か 特權階級意識の批判 ——1930.3.12 〜 14 「知識階級は何処へ行く 一〇六 」『讀賣新聞』 (10) インテリゲンチアち知識階級と呼ばれるものは、嚴密な意味では、一の階級をするもの でない。それは、本來の意味に於ける階級たるブルジョアジーと、プロレタリアートとの中間 として特色づけられてゐる。彼等のこの存在に彼等の意識が相應してゐるであらう。 知識階級は共の階級的利をもつてゐない。侶と畫家とは如何なる共の利をもつので あらう。醫と辯護士、化學とヂャーナリストとを如何なる共の利關係が結びつけるので あらう。これらの職業に於ては、的利ばかりでなく、物質的利もまたく異つてゐる。 彼等は共の階級的利を知ることなく、知つてゐるのはただ職業的利のみである。この點に 於て彼等は、カウツキーの云つたやうに、中世の手工業職人に似てゐると見られ得る。しかも彼 等の職業的意識は最も多くの場合特權的意識と結びついてゐるのである。例へば、大學は ヂャーナリストを輕と猜疑の眼をもつて見る。官立大學のは私立大學のに對してさへ 自己を特權階級として意識してゐるのである。 同じ職業の部に於ても、インテリゲンチアの間には帶性が甚だ缺乏してゐる。彼等の生活 態並に利關係にしい差異が見出される。高級の官と下級の書記との間にはどのやうな利 が共してゐるのであらう。高級のは下級のに對して特權をもち、且つその特權を自覺し てゐる。從つて誰も一高い地位に到しようとあせる。同一の地位にあるも共同して自己の 地位を高めようとすることなく、却つて仲間を犧牲にして昇しようとする。かくして凡そイン テリゲンチアほど相互の間に嫉妬、高慢、野心、奴隷根性などをもつてゐるはないと云つても よい く ら ゐ で あ る 。 このやうに彼等自身の間にはあらゆる種の差異乃至對立があるに拘らず、しかもなほインテ リゲンチアはプロレタリアートに對しては凡て自己を或る特權階級として意識してゐる。彼等は 自己を上の貴族として意識し、それに應じた貴族趣味をもつてゐる。彼等の貴族的意識は、 それが的なものであるにせよ、彼等を勞働たちから反撥せしめ、少くともつねに或る距離 におく。この事は彼等の實際の生活がプロレタリアとなんらぶところのない場合にもなほさう である。それは丁度、昔、乏士族が町人に伍することをいさぎよしとしなかつたのと同じであ 一〇七 る。彼等は曰ふ。我々は何故にプロレタリアートに從せねばならないのか。我々は彼等よりも 特權階級意識の批判 一〇八 養があるではないか。また彼等は曰ふ。勞働の困に對して我々に一體何の責任があるの だ。我々は彼等を搾取してゐるとはいへないではないか。なるほど彼等は直接には勞働を搾取 してゐないのである。 彼等は又曰ふ。何故に我々はプロレタリアートと結合しなければならないのだ。我々は普の 勞働ではない。我々は多くのものを學び、多くのことを知つてゐる。どうして我々は靴職人と 共同しなければならないのか。我々は彼等よりもに多くのものを求してよいわけである。け れども、昔の手工業時代の職人は皆このやうに考へたのである。俺はただの勞働ではない。俺 は印刷工だ。彼もまた自己の特權を意識してゐたのである。 インテリゲンチアは今や第にプロレタリア化しつつある。彼等の生活の窮乏と低下とは目の に行はれつつある事實である。彼等のこの樣な機はまさしく本主義の行詰に相應してゐ る。それにも拘らず、知識階級の大部は今もなほ本主義に對してプロレタリア的な識をも つことが出來ない、これは何によるのであらうか。 彼等は本主義的搾取には、原則として、直接に關係してゐない。彼等のいはゆる「化生 活」は彼等の知識と特殊な才能によつてあがなはれるのである。いかにも、彼等は本主義から 直接の搾取をうけてゐない。彼等はなほ貴族的勞働であるやうに見える。然しながら、彼等は 本主義が直接の搾取によらずとも、なほ彼等をよくプロレタリア化することを識せねばなら ない。なぜなら本主義會に於てはマルクスが云つたやうに、的な勞働と雖もひとつの 品にほかならないからである。 知識階級が特權階級であるのは智的勞働の熟が筋勞働の熟ほど容易に得られぬこと、及 びインテリゲンチアが機械からの壓をうけぬことにもとづいてゐる。然しながらインテリゲン チアと雖も工場式に生され得るものであり、また、そのやうに生されつつあるのである。今 日中等及び高等の學は實にインテリゲンチアを作る工場としてはたらいてゐる。工場の生 品である限り、それが足袋であらうと、靴であらうと、インテリゲンチアであらうと、本主 義會に於て同一の經濟的法則のもとに立つてゐる。そこには無政府的な生があり、恐慌があ り、市場の法則が支配する。今日インテリゲンチアの間にも夥しい豫備軍があり、失業がある。 それによつてインテリゲンチアは々本に對して奴隷的態におかれる。彼等が自己の特權的 意識を棄てないために、彼等の奴隷根性は々甚だしいものになりつつある。 一〇九 そればかりではない、本主義の發に必然的にふところの、市及び農村に於ける小ブル 特權階級意識の批判 一一〇 ジョアの沒落は、これら小ブルジョアを驅つて、今日、彼等の子弟を特殊な才能のあると否とに 拘らず、その好むと否とに拘らず、どのやうな經濟的擔をもつてしても、何とかインテリゲン チアに仕立て上げようとさせるやうになる。なぜなら、もしさうしないならば、彼等の子弟はプ ロレタリアに轉落してしまふことになるからである。かくして本主義の發と共にインテリゲ ンチアの生剩は自然の勢ひをなすのである。 それにも拘らず、知識階級は自己を特權階級として意識することをやめない。彼等は自己の中 間的な位置をなんらか超階級的な、特權的な位置として意識する。夢幻的なものを實在的なもの として意識することは彼等にふさはしい。本家から直接の搾取をうけず、また勞働を直接に 搾取してゐない彼等は、これらの階級の間の停の師となる。彼等の唱するところは改良 主 義 で あ る。 こ れ ら の 改 良 主 義 た ち は ブ ル ジ ョ ア ジ ー と プ ロ レ タ リ ア ー ト と に 和 を 勸 す る。會正義の觀念、自由主義の思想などが彼等によつて宣べられる。しかもなほ階級間の鬪爭 のえることのないのを見て、彼等はにファシスト化する。 彼等のうち聰明なるは彼等の命を知つてゐる。彼等は傍觀であらうとする。皮と笑 とが彼等の顏に漂ふ。しかしには彼等もひて無頓着を粧ひ得ないであらう。或るは反動化 し、或るは享樂主義になる。 このとき一部のインテリゲンチアは敢にもプロレタリアートの陣營に身を投ずるであらう。 しかし彼等の或るは、なほ彼等の特權的意識を棄て去ることなく、そこに於てもつねに指 であらうとする。これらの人々は彼の野心をただ他の處で滿足させようとするにぎない。英雄 的氣に醉はうとさへも彼等は望んでゐるであらう。從つて彼等相互の間に於て指の特權的 位置が爭はれ、嫉、反目、その他の排他的感が支配する。彼等はまたインテリゲンチアによ くあるやうに、彼等の觀念を現實とすり換へ、かくしてただ焦躁の氣持の虜となるであらう。無 階級の戰列に加はつた人々のうち自己の特權的意識をきれいに算して、自己の命を眞にプ ロレタリアートに結びつけ、現實の動を最も現實的に把握し得る人々のみは、その知識と才能 のために、第一線的な人として活動し得るであらう。 しかしこれは固よりあらゆるインテリゲンチアに出來ることではない。これは望ましいことで あるけれども、現實に於てこのりであることは不可能であらう。もし一廣汎なインテリゲン チアに期待し得ることがあるとすれば、それはのことであらう。 一一一 知識階級は、自己の唯一の武たる知識的能力を今や最もにはたらかせて、の必然的 特權階級意識の批判 一一二 な動を識しなければならない。そしてそれによつて彼等は早く自己の特權的意識を算せ ねばならない。このやうにして彼等は少くともプロレタリアートの同となり、同とな る。そしてかくの如きインテリゲンチアの同と同とはプロレタリアートにとつてもまた必 であるであらう。インテリゲンチアはイデオロギストである。そしてイデオロギストはもとより プロレタリアートにとつても必である。無階級の動の展と共に、その組織の擴大、化 と共に、イデオロギストの必もまたしてゆくに相ない。化的利はプロレタリアートに とつても求されてゐるからである。この意味に於てインテリゲンチアの支持は無階級にとつ て必なのである。無階級はやがてこれらのインテリゲンチアをも彼等の階級的實踐のうちに 組織化し得るに相ない。 もちろんこれらのインテリゲンチアは彼等にふさはしき最大のをつねに忘れてはならな い。現在に於て最も必なのはどこまでも政治的實踐である。また彼等は日和見主義であるこ となく、どこまでも階級的イデオロギストであるべきである。 沒落しつつあるインテリゲンチアを救ひ得るものはプロレタリアートである。そればかりでな く、インテリゲンチアにとつて關心事であるところのイデオロギーの發展そのものもまた我々は この階級をしてのみ期待することが出來る。ブルジョア化はもはや第に生性を失つてゐ る。プロレタリアートと結びつくことなしには去の化の傳統のうち最も貴重なものさへもが 保存され、發され得ない態になつてゆきつつあるのである。プロレタリアートは決して化 の單なる破壞、化の敵であるのでなく、却つて新しい、健康な化の味方であり、且つそれ 一一三 の生であり、設であるのである。インテリゲンチアは自己の特權的意識を算すること によつて、却つて化の擔ひ手としての自己の命を完うすることが出來る。 特權階級意識の批判 古典の究 ——1931.4 『ギリシャ・ラテン座』月報 一 一一四 嘗てツキヂデスはこのやうな言葉をもつ 瞬間の享樂のための見せ物でなく、永久の財 —— て、彼自身の書が人のそのもののうちに於てもつべき位置をみづから指し示したので ある。我々はそこに無氣な誇を見る。しかもこの白の中に現はれた倣慢なとも云はれ得る期 待は、二千年餘の經驗によつて事實として證明された。批判的な學の設としてのツキヂ デスの名は恐らく不朽である。そして我々は彼の言葉が凡ての偉大なる古代人の場合に當てま ることを知つてゐる。 キリストが津浪のやうに世界を席したとき、この新しい宗の火の如き歸依は、從來 の支配的な古典的化の沒落を豫言した。その當時、我々に傳はれる書簡の中で、ギリシアの修 辞學リバニウスは、彼の博識な友人で且つ基督であつたところの、後の父カエサレアのバ シリウスに向つて、この人が書に對して古典的養を輕したのに答へ、のやうに書いてゐ 君の云ふところでは —— より惡い形式のものだがより價値のある る。「君はただ安んじて —— 容をもつた作を守つてゐるのもよからう、誰が君にそれを拒むことを欲しよう。併しつねに私 のものでありそして以にはまた君のものでもあつた養の根は、君のうちになほ持し、君が 生きてゐる限り、持するであらう。そしてたとひ君がそれに水をそそがずとも、如何なる時も それを滅すことがないであらう。」その後のの發展は彼のこの確信に充ちた白を正當なも のとした。固より彼の保護ユリアヌス皇の希望は實現されなかつた。古典的化の最高の價 値の反省によつてローマの國民的再生を計らうとする夢は一の幻想にぎないことがつた。併 しながらこの壞の時に於て、「永久のローマ」の滅すべからざる信仰の中から、古典的養の 復興は生長し、そしてそれがキリスト的・西歐的化の誕生の時となつたのである。會は古 代の的體系を破壞しなかつたばかりでなく、却つてその中へ入つて行つて、千年に向つて 自己の抵抗力ある築を打ちてた。中世のローマ的・ゲルマン的民族の國民的詩及び風の 上に古典的化の伽藍は聳え、ゲルマンの征王は恰も鷲のやうにローマ國の物のうちに 一一五 くひ、彼等の國家を古い國の基礎の上に、ローマ法の體系の容のうちに組織した。 古典の究 一一六 一五〇〇年の頃、キリストと古代との中世的結合がゆるみ、ヨーロッパの大部にとつて再 びそのこれら二つの根源的な素が解した。この解を現はす名は、人主義と宗改革と、 である。ち超世界的な原始キリスト的信仰の復活に對する努力と、古代の世俗的化の再生 と、が行して行はれた。十七 十 —八世紀のフランス的・イギリス的蒙思想、十八世紀のに 於ける古典的ドイツ觀念論並びに新人主義、これが代ヨーロッパの化の發展に於ける二つ の主段階であり、共にルネサンスの子供であると見られ得る。 ここに於て我々は同時にこの方面から現代に於ける化の問題が人々によつて何處にあると考 へられてゐるかを知ることが出來よう。一方に於て代的世界はひとつの不幸な出發點をもつて ゐたと云はれ得る。中世に於けるキリスト的素と古代的素との統一とは反對に、代化 はこれら兩素の離から出發した。エラスムスとルッターとが一つの人格に於て結合してゐな かつたところに代化の悲劇の根源がある。そこで現代の課題はそれら二つの素の統一を再 び復するところにあるとも云はれ得る。最に於ける中世的カトリック的思想の復興のしい 現象はかかるものとしても眺められるであらう。併しながら他方から見れば、代化はいづれ にせよ古典的化の壓倒的利を意味する。蒙思想とドイツ觀念論とがそれの主なる的 物であり、そしてが反キリスト的であることは言ふまでもなく、後と雖もキリストの 根源的な信仰を古代的なもののうちに溶解することによつて發したものと見られ得る。「代 の父」とも呼ばれるシュライエルマッハーがこの傾向を代表してゐる。かくて現代の課題は、 キリストの見地からすれば、自己の根源的な信仰の容がそのうちに沈んでしまつた人主義 の中から再びび出て、これを超越して純粹にその容を獲得することにあるとも考へられよ う。現代の新のうちに於ける新しい傾向、謂辯證法的學はかかる目的をもつてゐる。 二 私はここに現代の化的課題が何であるべきかについて立入つて論しようとは思はない。い づれにせよ古代的化の持性については爭ふことが出來ぬ。單に百年昔の人々、シラーやラ シーヌが我々にとつて何となく古風に感ぜられるに應じて、ホメロスや悲劇詩人が若るのを感 ぜざるを得ないのは、いとも不思議な經驗である。カントがその曲りくねつた章のために蒙 一一七 時代の子供であつたことの感ぜられるのに對して、プラトンの哲學的藝が現代により自由な關 係をもつて現はれるのは、不思議な經驗である。 古典の究 一一八 併るに古代的化といつても、その中にギリシア化とローマ化とを區別することが出來る とすれば、兩の我々に對してもち得べき關係もまたそれぞれに區別されねばならぬであらう。 疑もなく、我々の感覺にとつてローマの家の方が心理的に一面白いのである。時間的に 一囘的なものの、個人的なものの祕密に對する隱されざる感覺、しかも豐かな感の高低をもつ て甚だ特性的に自身を表現するローマの家は、我々に對して的によりく立つてゐる、 それだからまた我々は彼等に對して場合によつてはより容易に厭惡のをかせられるのでもあ る。千々に切れたる心臟の感の深みから生れたカトウルスの詩に現代人は共鳴を感ずることが 出來よう。唯物論的自然觀並びに人生觀のに充ちたルクレチウスの詩は、その藝的效果によ つて、我々の心を捉へて離さぬであらう。今日の藝家と雖もセネカの哲學的論を讀んで一日 を快にすことが出來、また我々は同じ室で卓についてゐる場合のやうに何の窮屈も感ずる ことなしにホラチウスやペトロニウスと談話することが出來るであらう。たしかにローマ人はギ リシア人よりも心理的に一親しく我々に接してゐる。 ローマ人は明かに年代的にも我々によりく立つてゐる。否、彼等はいはば我々と同じ地盤に 立つてゐるのである。なぜなら彼等こそ實際最初の人主義としてギリシア人に對して我々と 同樣な況にあつたのである。彼等の化的綜合の複雜さ、へ推しむギリシアの性と自 身の現實的なの意識及び健な國民的保持力との模範的な混合は人々をつねに新たに驚せ しめるであらう。ローマ人自身或るひとつの典型的な古典の解釋の仕方と吸收の仕方とをもつて ゐた。この特殊な仕方のために彼等はまさにみづから古典的ともなり得た。その仕方が何であつ たかに深く探り入ることは我々にとつて最も興味あり且つ利ある仕事であるであらう。 ローマ化を含め その後の發展に於てそれぞれの時代はまたそれぞれの仕方で古典的化 —— て、なぜならは二つのもの、ローマ的「傳統」とギリシア的「理念」とである —— を解釋し、 吸收した。このやうにしてまた古典の解釋吸收の仕方そのものが的であり、それ自身の をもつてゐる。古典獻學の究はかかるの究にまでんで行かなければならない。 我々は他の方面ではアルベルト・シュヴァイツァーの『エス傳究の』といふやうな好を 一一九 もつてゐる。同じやうに我々は例へばプラトン解釋のといふが如きものが纏められることを 希望しなければならない。 三 古典の究 一二〇 私は今我々の古典解釋の仕方が如何なるものであるべきかについて詳論するわけにゆかない。 ここではただ代に於けるそのクラシシズムとリアリズムとについて一言しておくにとどめよう。 古典解釋のクラシシズムの典型を我々は例へばフリードリヒ・シュレーゲルの『ギリシア人及 びローマ人の究の價値について』なる論のうちに見出すであらう。クラシシズムは古代人の 作品を美の永なる模範として、形式及び容の對的なる規範として見る。それは古代の現 實的生活の學といふ我々の意味に於ける古代學をなほ知らなかつた。それは專ら古代の美 、詩、哲學の偉大なる的物の理念的世界に生き、そして無意識的にこれらの領域の理念 性を古代人の實際的生活について人々が形つた形象のうちへ移入した。それの特はの生 物をこれがその中から生された地盤からく離することであつた。 シュレーゲルは云ふ。古代と代とは二つのく異つた法則の上に立てるそれぞれの體 である。人間性のうちに於ける二つの異る能力、ち表象的能力と努力的能力との何れが養に 對して第一の規定的な刺戟を與へるかに從つて、それが區別せられる。は「自然的な」化 であり、後は「技巧的な」化である。そして時間の順序に於て後がに隨はねばならぬ ことは明かである。シュレーゲルによれば、古代は「圓行程の體系」をなし、從つて「完 性」を表はし、これに反して代は「無限なるの體系」をなす。無限なるといふこと は不完性の象であり、そしてシュレーゲルはかくの如き代化の不完性を就中化の 個々の部の孤立化といふことのうちに見たのである。彼は云ふ、「一民族のはその民族自 身の考へ方に從つて明される、圓行程の體系は單に最も偉大なるギリシア及びローマの 家の見解であつたばかりでなく、却つてその民族の一般的な考へ方であつた。」 然るにかく現實の生活から離して觀念のを理解すること、或ひは後をのうちに移 入してを觀念的に理解することは永くはかなかつた。十九世紀に起つた古代學は深い現實 感をもつて現實の古代を再び新たに發見した。我々はこれを古典解釋のリアリズムの傾向とも呼 び得よう。この新しい見方が同時代の藝家に如何なる影を與へたかを見るのは、興味ある ことである。アナトール・フランスは『エピクロスの園』の中で書いてゐる。「私は時間と間 とから離れて美を理解し得ない、私はの物について、私がそれと生活とのつながりを發見 したとき、初めて喜びをもち始める、且つそれが私をひきつける結合點である。ヒサルリックの 粗野な土が私をしてイリアスを一多く愛せしめる、私は、十三世紀に於けるフロレンスの生 一二一 活を知つてゐるために、よりよく曲を味ふ。私は藝家のうちに人間を、そしてただ人間を求 古典の究 一二二 める。最も美しき詩は物以外の何であらうか。ゲーテは『唯一の永力ある作品は折にふれて の作品である』といふ深い言葉を語つた。然るに結局は一般にただ折にふれての作品があるのみ である、なぜならあらゆる作品はそれが作られた場及び瞬間に依存してゐるからである。ひと はそれを、若しその起原の處、時及び條件を知らないならば、理解ある愛をもつて理解すること も愛することも出來ない。自己充足的な作品を作つたと信ずるのは倣慢なさに屬してゐる。最 高の作品はただ生活に對するそれの關係によつてのみ價値を有する。この關係をよく捉へれば捉 へるだけ、私は作品に對して々興味を感ずる。」ここに十九世紀の古代學のリアリズムの立場 がクラシシズムに對して鮮かに言表はされたのを見る。そして我々はこの二つの立場がクラシシ ズムとリアリズムなる藝の二つの時期に相應し、これに對して古典がそれぞれ特殊な仕方で影 したのを決して忘れてはならない。さて我々自身の古典究の立場が何であるかが最も問題で ある 。 義狂 ——1932.8 『經濟往來』 ドイツ語の一初等義を輯してゐる或る語學の或る時の話に、讀から來る信などを 見ると、其中にはに他の同種の初等ドイツ語義を一つならずとつてゐるが意外に多いこ とがつて驚かされるといふことであつた。さういふ讀はその一つの義でも始からまで 勉したわけでなく、大抵第一卷を、しかも多その三の一ほどをやつて放つてしまつて、何 か新しい義が出るとまたこれを買ふのだらうと思ふ。中で面倒なことに出會つてやめてし まふ、そして他のものに移つてまた始める。然しどれだつて何の面倒もなしにまで行けるもの はない。そこでさういふ讀はドイツ語の初等法の最初の同じ箇を幾度も繰りしてゐるだ けなのである。こんな讀があるので出版屋も賣になるといふものだらうが、當人にとつては 色々な點から考へてずゐぶん不經濟な話である。さういふ人も、もとは或る語學を得する目的 で義をとるのであるが、同じやうなことを繰りしてゐる間にいつのまにか、からへ出 一二三 る義のどれにも手を出すといふ、義ファンといふか、ろ義マニアともいふべき 義狂 になつてゐるのである。 一二四 この種の病氣は決して稀ではない。例へば、哲學をやらうといふので、凡そ「哲學論」とい つた名のつく書物なら何でも買ひんでゐる人もある。つまらぬことをするものだ、と笑つては いけない。自で學をもつて任ずる人でさへ、存外同じやうなことをしてゐるのである。例へ ば、カント究がカント自身の作を繰りして讀むといふことをしないで、カントに就いて の後から後へ際限なく現はれる獻をばかり漁つてゐるが如きはそのである。それが學問的だ といふのなら、學問とはつまらないことではないか。このやうな病氣に羅つてゐる人の最大の不 なぜなら彼が一册の參考書を繙いてゐる間に世界ではそ 幸は、自がそもそも不可能なこと —— を求めてゐること れの幾倍、幾十倍もの同種のものが書かれ、出版されつつあるだらうから —— に氣附かないといふことである。 かういふ病氣は特に好奇心と併發するとき惡化する。好奇心は昔の思想家、アウグスティヌス やパスカルその他によつて、人間の主なる惡の一つと見られたが、好奇心が最大の惡であると いふことはまさに現代に於て最も明瞭である。現代人はこのことに少しも思ひ及ぶことの出來な いほど然好奇心といふものに支配されてゐる。いはゆる知識階級はさうである。パスカルなど は好奇心の根原を生の不安に見出したが、今日知識階級が特に甚しく好奇心に囚はれてゐるの は、この階級の會的位置の不安定、生活の不安にもとづき、それの現はれであると云はれるこ とが出來よう。かくして新刊書の後ばかりつて古典など一向みない學、雜誌ばかり見て單 行本など殆ど手にしない讀書人がある。 我々は新聞を讀む。ヒルティは新聞は讀むべきものでないと云つてゐたが、さういふ我 慢の出來る人は今日極めて稀だらうと思ふ。ところで新聞を見て何も變つた記事がない場合、 我々はなんだかな、つまらないといふ氣持になりはしないか。變つた事件がなければ世の中 は和で喜ぶべきわけであるに拘らず、反對にそれを不滿足に感ずるといふのが今日我々の普 の心理になつてゐはしないであらうか。好奇心は人間の生の不安の現はれであり、不安な心は何 か珍しいこと、變つたことに對して々多く好奇の眼をみはるのである。物を讀むといふことは 現代のインテリゲンチャにとつてかくの如き意味のものとなりつつある。學問でさへもが第に さういふ意味のものとなりつつある。 一二五 一つの語學を得するための路は、相當によく出來た一册の法書にかぢりついて、それを 始からまでやり上げるといふことであらう。學で學ぶことが獨するのにまさると考へられ 義狂 一二六 る理由は、他の點を除いても、學では師が最惡の場合でもとにかく一册の法書を制的に やり上げさせられるやうに出來てゐるといふところにある。幾册もの論に手を出すよりも、立 な哲學の書いた一册の本を出して勉するといふことが、哲學を理解するための路であ る。古典は捷徑である。このことは少くとも哲學や會科學などの場合には云はれ得ると思ふ。 これらの學問に於て新刊書ばかり漁つてゐるのはかの義狂の場合と大差はないのである。 よく云はれる凡な眞理だが、美についてしつかりした鑑定眼を養ふためには、先づ本當の 好いものだけを何も見るといふことだ。さうしておけば、今度僞のもの、惡いものに出會つた 場合すぐにそれと鑑別することが出來る。最初から好いもの惡いものの差別なしに見てゐたので は正確な鑑定眼は養はれない。學問の場合でも古典を勉するといふことは同じやうな意味をも つてゐる。それで「眼」が出來るのである。僞のもの、惡いものが多くなればなるほどさういふ 「眼」が必になる。本が多く出るといふことは或る人々の云ふやうにそれほどくべきことで はない。悲しむべきことは「眼」を失ふといふことでなければならぬ。 現代の知識階級の悲哀は彼等が第に自の本質を失つて無識になりつつあるといふことであ る。なるほど彼等は物を讀む、けれどもそれは彼等の生の不安に原因を有するところの好奇心に 刺戟されてのことであり、さういふ風にして唯新しいものを漁つてゐたのでは好いものと惡いも のとの區別も出來なくなり、知識は結局無識に等しい。否、彼等は新しいものと古いものとの區 別さへ出來なくなりつつあるのである。問題はレッテル、廣、宣傳だけのことになり、いはゆ る判だけのこととなる。會的といふことは今日の合言葉であり、それはく重なことであ るに相ないけれども、さういふ合言葉に威壓されてしまつて、個人があまりに意氣地なくな り、無確信になり、奴隷根性になつてしまひつつありはしないであらうか。自の眼で物を見る ことをやめて世間の判にだけるといふのであれば、知識も學問もないに等しい。然るに本當 を云へば、唯徒らに會に媚びることによつては眞に會的にさへなり得ないのである。 澤山の義に手を出すよりも一つの義にかぢりつくのが語學得の路だ。徒らに新奇 なものを氣にすることをやめて、とにかく自の思想を行きつくところまで發展し展開してみる といふことが眞理への捷徑である。眞理は混亂からよりもから生れる、といふベーコンの語 は正しい。日本の現在の學界や思想界の不幸は、ひとがあまりにを、ろ世間からと云 はれることを恐れて却て混亂をかもしてゐるといふことである。批判があり、批判の批判があ 一二七 り、論があり、論の論がある。「哲學時」まで出來た世の中では批判や論には事を缺 義狂 一二八 かない。かういふ世の中では「われ敢てを意欲する。」といふやうな、確信のあり、度胸の ある、徹底した人間がもう少しあつてもよかりさうに思ふ。 自殺の哲學 ——1933.2.23 『讀賣新聞』 あなたの御質問は困で複雜な問題を含んでゐます。然し私の考へるところを簡單にお答へす るこ と に し ま す 。 或る人は、自殺をするといふことは人間を動物から區別する特であると云つてゐます。實際 そのやうに見られる點がないでもありません。自殺するといふことは、人間が自を主體として 意識するからであり、そして自を客體としてと共に主體として意識することがほんとの意味で 出來るのは人間だけではないかと思ひます。自殺は人間の主體性が意識される限界況であると も云 へ ま せ う 。 このやうな限界況にひ詰められるには色々な原因があることです。然しまたどんな客觀的 原因があるにせよ、もし主體的な意識がなかつたならば、特に自殺といふことは起らない筈で す。そこで我々は、或る自殺事件を會的客觀的原因から明された場合、そのやうな明が 一二九 く正しく、また重なものであると考へながら、それだけでは完になつとくしないのです。人 自殺の哲學 一三〇 間の主體的な意識を私はパトス(パッション)と呼び、そこからパトロギーといふ言葉を用ゐて ゐます。自殺はパトロギー的な方面を多に含んでゐると思ひます。 私は熱、激、等々といはれるものを一般的にパトスと呼んでをり、それは人間の主體性を 顯はにする意識の象面だとします。このパトスが性格といふものの根本をなし、パトス的なもの は性格的なものです。パトスが客觀的な意識に對する特はと云へば、それは主體的に深まるに 從つていはば對象を失ひ、第に無對象になることで、この點、パトスに對するロゴス的意識が 高まるに從つて第にいはば對象を含み、客觀性をすのと反對です。人間を一面的にパトロ ギー的に探つて行くと、そこで、「無」にき當ることになるでせう。この無はそれ自身性格的 なもので、人々によりそれぞれ性格的に解釋されてゐます。ニイチェにとつては、それはもろも ろの星をむべき渾沌であり、キェルケゴールにとつてはそれは「死への病氣」であり、また この無から無主義も出て來ます。然しこの無にき當つて或るはパトスなきこと(アパティ ア)を憧れるでせう。藤村氏の場合はこのやうなパトスなき無を求めての死ではないかと思ひま す。あなたのいはゆる哲學的な死です。 これに反し今の時代のにとつてはこの無はどこまでもパトス的な無で、そこから一種のロマ ンチシズムも出て來ませう。貴代子さんの場合はこの樣なパトス的な無に誘されてゐる樣に思 はれ、あなたのいはゆる學的な死です。無がどこまでもパトス的であるのはロゴスとの對立を やめないからで、從つてそこに自己鬪爭といふこともあるわけでせう。 あ な た が「 自 殺 の 保 證 人 」 と 云 は れ た の を 面 白 く 思 ひ ま す 。 自 殺 の 保 證 人 を 自 己 の イ デ オ ロ ギーに求めるはつまり自殺する他なく、然し自殺の保證人を他の人間に求めるは必ずしも自 殺しないかと考へます。もしこの保證人がほんとにパトスを共にする(シンパサイズといふこと を字りに解して)人であつたなら、そのは救はれるでせう。いはゆる同をして心中する 場合もあるでせうが、それはほんとにパトスを共にするといふよりも、一方が引られるのでは ないかと考へられるのです。 人間はパトスによつて主體的に結合されてゐます。(パトスなき無を求めた藤村氏とひ、貴 代子さんが昌子さんを必としたところに、パトス的な無の性質が現はれてゐます。)ロゴス乃 至理論による客觀的な結合も之に支へられなければ眞の人間的結合とはなりません。パトスは性 格的なものであるにしても、性格的と個人的とは同じでなく、却つて人間は他とパトスを共にす 一三一 ることによつて眞に性格的となることができます。我々はパトス的無のリアリティを求むべき 自殺の哲學 一三二 で、その爲には知性をはたらかせなければなりません。理論の「眞理性」を證明するものは實踐 であると云はれるやうに、パトスの「眞實性」を證明するものは、この場合こそほんとに實踐だ と も 云 へ ま せ う。 パ ト ス は 主 體 的 な 意 識 だ か ら で す 。 人 間 は 主 體 と 客 體 と の 辯 證 法 的 統 一 で あ り、從つて一面的にパトロギー的であることは、普に用ゐられる意味でのパトロギー的、ち 病理的ともなります。そしてまたそのやうにパトロギー的になるのは、その人が會から游離し てゐるからだとも云へるでせう。 [# この論考の元となった質問は後記参照] 自由主義の立場 ——1933.7.13 〜 倉田氏の論を讀みて —— —— 一 『東京日新聞』 15 この頃わが國において注目すべきこととして自由主義の動が指摘される。京大事件、ナチス の焚書に對する抗議、學藝自由同盟の創立、大學自由擁護聯盟の結、等がその候的なもので ある。もつともそれにも拘らずまた特的なことは、そのやうな事件乃至動に關係してゐる も、多くは、あからさまに「自由主義」を唱へ、みづから「自由主義」と名乘るのを好まない といふことであらう。このことは、わが國では從來自由主義といふものが十に發してをら ず、自由主義の傳統が薄であるといふことにもよるであらう。然し一注意すべきことは、今 一三三 日一般的に「自由主義」と呼ばれるものが、やや複雜な事實を一に括し、多樣なる意味を同 時に含んでゐるといふことである。 自由主義の立場 一三四 第一にまづ正統的の自由主義の繼承と見られるものがある。自由主義はもと代本主義 會の生長と共に現はれた思想であるが、それは種々の改訂を經て、現在では、會民主主義とな り、或は一轉していはゆる會ファシズムとなつた。一方が却し、他方が自由主義の反對物と なつたとき、なほ自由主義として殘つてゐるのは、いはば「心からの」自由主義である。 彼等はもはや會民主主義ですらないかも知れない。彼等はただ純眞なヒューマニストであ る。自由主義は彼等にとつては政治的プログラムであるよりも「生きた信仰」である。代自由 主義は、原則的には、あらゆる人間が自由であるべきことをべた。彼等は抑壓されたの解放 といふ一般的原則に、そのヒューマニスト的感から固執する。 倉田百三氏は本紙において「自由主義に訴ふ」といふ一を發表され、自由主義がファッ ショと提携すべきことを勸された。敢て倉田氏の勸を待つまでもなく、多くの自由主義は に會ファシストとなつてをり、會民主主義の會ファシズムへの移行は顯な事實でな いか。今めて勸するの必は毫も存しない。このときなほ自由主義として殘り得るのは、 歩的ヒューマニスト以外のものではなからう。 かやうないはば心からの自由主義が今日の自由主義の一部をなしてゐるとすれば、よ り多く存するのは化主義的自由主義ともいふべきものである。これは特に日本におけるドイ ツ思想の從來の影から見て輕することができないやうに思ふ。もつともドイツではイギリス 乃至フランスの如く自由主義は完に發しなかつた。「ドイツにははれたそして罵られた 色々な原理があるが、然し輕に値するものはドイツの土地ではただ自由主義のみである。」と さへシュペングラーは書いてゐる。 けれども、例へばカントはなほ十に自由主義的であつた。またドイツの浪漫主義はひとつの 特色ある自由動として起つたものである。此動の影のもとに自由主義獻のうちもつとも 異あるもの、フンボルトの『國家の活動の限界』が作られた。そしてこの書を特付けてゐ るのは育とか化とかに對する限りなく深い愛である。新カント主義も自由主義的であつた限 り化主義的であり、このの哲學は人間のうちに存する良心乃至規範意識を「化意識」と して明した。カントに始まる「自由の哲學」はヘーゲルに至つて事實上國家主義と結び付き、 そして今日新ヘーゲル主義は、イタリアのヂェンティーレなどにおいて見られるやうに、ファシ ズムのイデオロギーとなつた。わが國の化主義のうちにもそのやうなを生じたが、然しよ 一三五 り純眞な化主義はなほ自由主義としてとどまつてゐる。化の發のためには人間がその 自由主義の立場 一三六 力を自由に、かつ多樣に發させることが必であると考へられるからである。 日本における最の自由主義の動の特は、ひとつの化動であるといふことである。そ れは化彈壓に對する抗議として現れた。然るに化的にいつても、彈壓されてゐるのは、斷じ てファッショのイデオロギーではない。化主義的自由主義が、倉田氏の勸められる如く、 ファッショと結びつくといふことは理由なきことでなければならぬ。由來、自由主義動はつね に抗議動であつたし、またつねにさうあるのほかない。これが人間の現實なのである。 ところで今日の自由主義の中には、右にべたほかにに他のく新しい種があるのであ りこのものこそ今日の自由主義を特付けるものであらう。 二 右にべた自由主義は、心からの自由主義にせよ、化主義的自由主義にせよ、共に なほ代的原理の上に立つてゐる。その限り、彼等はブルジョワ的自由主義と呼ばれることが できる。例へば、彼等は「理性」の思想の上に立つてゐる。ヒューマニズムの原理は理性の思想 であるが、彼等の立場は、「人主義」としても、「人主義」としても、ヒューマニズムであ る。然るに新しいタイプの自由主義は彼等も自由主義と呼ばれるにしても、もはや其やうな意 味では自由主義ではなく、ヒューマニストでもない。これにも二つの種が區別される。 例へばロマン・ローランを或は最轉向を傳へられたアンドレ・ジードを、自由主義といふ が如き場合がそのひとつである。この種の新しいタイプの自由主義も、或る意味ではもちろん ヒューマニストに相ない。然しながら彼等は理性主義的人主義ではない。彼等はあらゆる 人間の本質としての理性に對する信を有しない。彼等には、從來の理想主義の思想がへたや うに、理性が自由と創との根源であるとは考へられない。この種の自由主義は却て「新しい 人間性」の探求である。彼等の誠實な探求は幾度となく失敗したであらう。そして懷疑と不 安とが彼等をとらへたにしても、彼等の探求はいよいよ激しくなるばかりである。彼等はにた だ大衆のうちにおいて新しい健康な人間性を期待せざるを得なくなる。にドストイエフスキー は、人間性のかかる熱烈な探求として、民衆に對して極めて深い愛をいてゐた。もはや頽廢 したブルジョワにおいてでなくただ新しくり上つて來る大衆をじてのみ人間性の囘復を信ぜ ざるを得なくされたは、また「新しい會」を熱心に待望せざるを得なくなるであらう。 一三七 かやうな特殊な自由主義、新しいヒューマニストのほかに、いはば面を異にして他の一群 自由主義の立場 一三八 がある。この人々は化の從事であるけれども、化主義ではない。然し彼等も何程か化 主義的であるのがつねである。この人々は一般的には化に關する唯物觀的見方をめ、プロ レタリア化の優越を信じ、現在のブルジョワ化において「化の機」を見る。彼等の考へ 方が多くの程度においてマルクス主義的であるにしても、決定的なことは、彼等においてはかの 政治の優位乃至政治主義は現實的において多かれ少なかれ和されてゐる。彼等は極端な政治主 義が化の發のために有ではないかを恐れる。少くとも彼等はみづから政治的實踐に關興し ない。彼等の直接の關心となつてゐるのは化である。其限り彼等はなほ化主義的自由主義 と或る共のものをもつてゐる。 これらの自由主義が、その性格、その思想において、歩的自由主義として、ファッショ と最初から反對の立場にあることはいふまでもない、然し、如何なる自由主義が今日の勢に おいてファッショ反對でないであらうか。 三 自由主義は、自由主義として、少くとも批の自由を求する。倉田氏は、自由主義が ファッショをへてやるやうにと勸められる。けれどもへるためには批をせねばならぬ。然 るにファッショに對する自由な批は許されてゐないのである。例へば、軍部に對する、戰爭に 對する、滿洲事變に關する、等々の忌憚なき批は決して許されてゐない。しかもファッシズム のイデオロギーは容赦なく宣傳されてゐる。自由主義はファッショに對する批の自由を奪は れ て ゐ る が、 反 對 に マ ル ク ス 主 義 に 對 す る 批 の 自 由 の た め に 爭 ふ こ と は 少 し も 必 と し な い。マルクス主義に對する批は却てつねに歡されてゐるのである。自由主義は、彼が眞の 自由主義である限り、今日もはやそれほど自由ではない。自由主義が自由を奪はれてゐると いう事實、しかもそれが特にファッショに對する關係においてであるといふことに、倉田氏は注 意されねばならなかつたはずである。 倉田氏自身書かれてゐる、「もとよりファッショには幾多の缺點があり、も犯し易い。し かしもともと彼等の會的機能は誠と熱と行動とにあつて、知能にあるのではない。その缺陷は 知識階級が是正し、指すべきものである。また彼等の知的が烈な實行意志にはれる時 には、化と自由との轉と破壞とを結果するおそれもある。」ところで、唯「誠と熱と行動」 一三九 だけでは甚だ險であることは、倉田氏もめられるところであつて、それが如何なる方向、如 自由主義の立場 何なる指に從つてはたらくかが何よりも問題である。 一四〇 然るに倉田氏によれば、ファッショの「會的機能は知能にあるのではなく」從つてファッ ショには「幾多の缺點があり、も犯し易い。」いま「その缺陷は知識階級が是正し、指す べきものである」としても、ファッショの行動に對する批の自由はそのもつとも肝な點につ いて許されてゐないといふことが明かな事實である以上、まことに是正のしようもなく、指の しようもないではないか。かくて「彼等の知的が化と自由との轉と破壞とを結果する」 といふことは、決して單なる「おそれ」にとどまつてゐないのである。 例へば、京大事件を見よ。瀧川が何等マルクス主義でなく、ろ單なる自由主義に ぎぬことは、「知能を會的機能とする」ほとんど凡てのがめたはずである。この一事件を 見ても、自由主義にとつて化的自由が奪はれつつあること、その險の大したことは明か で あ ら う。 自 由 主 義 は こ の 點 に 關 し て 今 や マ ル ク ス 主 義 と 同 じ 命 に お か れ よ う と し て ゐ る。このことが、その他の點では互に一致しない種々なる種の自由主義たちを結合せしめ、 そして彼等を、特に化的自由の問題に關して、マルクス主義とも一致せしめた以である。 倉田氏が甚だ奇怪とされるやうに、自由主義とマルクス主義との接があるとすれば、それ を喚び起したのは、實はファッショそのものの仕業なのではなからうか。 種々なる程度の差こそあれ、如何なる種の自由主義もつねに歩的である。歩的でなき が如き自由主義は本質的に自由主義ではない。從つて彼等はプロレタリア化に對する現在 あまりにも不當なる彈壓に對して贊することができぬ。或るは化の多樣性と豐富とを愛す るために、或るは相對立する化の存在はそれの發の動力であると考へるが故に、プロレタ リア化の重であり、また他のはプロレタリア化において化の唯一の可能なる生乃 至發展を信ずるが故にこの化の味方である。けれども單にそれだけにとどまらない、今日の 勢は自由主義をして自己自身の化的自由をも防衛せねばならぬ必を感ぜしめるに至つたの である。最の自由主義の動は、倉田氏の想像されるやうに、マルクス主義が自由主義に はたらきかけることによつて生じたものでなく、また自由主義がマルクス主義のカモフラー ジのために宿を貸すために起つたものでもない。却てファッショ的化彈壓が自由主義をば、 化的自由に關してたまたまマルクス主義と同樣の立場にいみつつあるのである。 一四一 倉田氏はの如くいはれてゐる。「かくして日本のファッショ的勢力が、知識階級部を敵と しなくてはならなくなるならば、彼等は流石に何事もなし得ないが、さうでなければ獨斷的武 自由主義の立場 一四二 斷的となるであらう。しかし何故に日本のファッショをかかる窮地に陷れなければならないの か。」と。そして倉田氏はその罪があたかも自由主義の側にあるかの如く主張されるのである。 決してさうではない。もしも自由主義をマルクス主義と同樣の立場におくことがファッショ 〜 1933.7.5 に 8 掲載された] にとつて窮地に陷れる以であるとすれば、ファッショは今日みづから招いて窮地に陷りつつあ るの で あ る 。 [# この倉田百三の文は、同紙 美時 ——1933.9.5,9,13,17,20 『新聞』 展覽會について 今年もいつしか美の季になつた。いよいよ開かれ始める展覽會をにして、素人は素人な りで、彼自身の感想があるものだ。 現在の美展覽會はどのやうな意義を有するか、といふ質問を私は受けた。これは案外簡單に 答へられることであるかも知れない。今日の會では美も一種の品だ。從つて展覽會は品 としての美の市場であり、もしくは見本市である。そこに入することは或る美家が業的 價値を得るであると考へられる。私はそのことが惡いとあながち云はうとするのではない。今 日の會組織のもとにおいてはそれも致し方のないことである。學にしたつて彼の本の賣れ 一四三 るのを望んでゐる。尤も彼がそれを願ふのは、單に金錢のためばかりでなく、自の作品が廣く 讀まれたいからであらう。我々は同じ心を美家に期待してよい筈だ。 美時 一四四 展覽會は美家にとつて作品發表の機關である。けれども同じ發表機關にしても、美展覽會 と學雜誌の如きとでは大きな相のあることを見せぬ。美品は印刷のできる學作品のや うに同一のものをいくらでも作つて手輕に普及することができない。美寫眞の如きものが發 したと云つても、それが原作の趣きを傳へ得る可能性は蓄機やラヂオが樂における場合に比 してく及ばぬであらう。從つて我々一般人が新しい美品に接する機會は展覽會を措いて先づ ないのであつて、そこに美展覽會のく特殊な存在意義がある。 然しまた美がそのやうな性質のものであるだけ、展覽會と並んで現代美といふものがぜ ひ必なわけであらう。展覽會に陳列された作品が一度賣却されて個人の私有に歸すると、再び 容易に我々の眼に入ることができない。このことは單に金錢のためのみに製作するのでなく、自 の作品が廣く鑑賞されることを欲する美家にとつてはまことに心苦しいことである筈だ。美 は今日品であつて、しかも私有物であることを欲しない、現代の會的矛盾は美の場合に 他の藝におけるよりも明瞭に現れる。とにかく、展覽會が單なる品市場もしくは見本市でな く、作品發表の機關であるとすれば、當然その長として、政府或は共團體の作品買上、その 他何等かの形式によつて現代美の作られることが求さるべきである。美が會的意義を 有するためには、それは始誰でもの眼に觸れ得る處になければならない。一時的な展覽會は恆 常的な美を背後にもつてその意味を十に現すといふものであらう。現代美といふ如き ものがあつて初めて、今年の展覽會の新作品がどのやうな方向に向ひつつあるか、或る美家が どのやうな發展をりつつあるか、などといふことも誰にでもはつきりみ得るやうになる。立 な藝家や美批家が出るために現代美の存在がどれほど必であることか。然るに美 と云へば古い物ばかり集つてゐる處と考へられたり、或は單に常設の展覽會場にぎないも のが「美」と呼ばれてゐるのが今日の態である。化の創と蓄積とが相互に作用し合は ねばならぬやうに、展覽會と美とは密接な關係に立つべきものである。 新作品の發表機關として現在の展覽會はいろいろ問題にされてゐるやうだ。審査のことも大き な問題であらう。然しもつと自由な展覽會、個人展覽會、或るグループの、或る動の展覽會な どが活に、頻繁に催されることを考へるべきだと思ふ。さういふものが簡單にできる組織が作 一四五 られなければならない。現存の大展覽會よりもかかる小規模の展覽會の方が實際において現代の 緊な問題なのではないであらうか。 美時 美批について 一四六 すぐれた美批家が存在しない、美批は一般に面白くない、と云はれてゐる。我々の眼 に觸れる範のものは、殆ど凡てが印象批に限られてゐる。それが必ずしも惡いと云ふのでは ない。唯それが當然のこと、自明のこととされてゐるのに對して疑問をもつのである。そのやうな 印象批の多くはあまりに學的だ。もつと美の固有な原理に深入りした批が欲しいと思ふ。 現在美批を多少とも專門的にやつてゐる人には美家が少くないやうである。然るに、 去の作品の批と現代の作品の批とは同じ機關、同じメカニズム、同じ才能を求するもの でなく、その間にはおのづから差異がなければならぬであらう。「家」と「批家」とは實 際において批の二つのつた範疇に屬してゐる。去の作品の批にすぐれたが必ずしも現 代の作品の批に功するとは云へない。そこで學の如き場合では、學家と藝批家と はおのづから區別されてゐるのが普である。これと同樣のことが美の場合にもあるべき筈で あら う 。 美においてはいはゆる「鑑賞家」といふ特別のものがあり、さういふ人がまた美批家と して現れてゐる。鑑賞家は趣味の人である。然るに趣味といふものはその本性上に在るもの、 完された去の作品に對して、より親和的であつて、新しいもの、生しつつあるものに對し てはあまり親しみを感じないのがつねである。それが主として去の作品に向ふといふ點におい て鑑賞家の趣味は美家の心と同樣である。 かくしてすぐれた「批家」が存在しない現においては、美における新しいもの、飛的 なもの、革命的なものは十に注意されず、理解されず、價値付けられず、そのやうなものが自 然に抑壓されるといふことがあるであらう。蓋し批家の批家としての仕事は、まさに新たに 生しつつあるものに心をくばり、その熱心な、忠實な味方たるところにある。 今日の美批家は作のために書いてゐるか、鑑賞のために書いてゐるか、と云へば、そ のやうなことは恐らく明瞭に自覺されてゐないのではなからうか。もちろんそれでもよいので、 眞の批は兩に共に役立ち得る筈である。然しそのやうな立な批は殆ど見當らない。技 批のみが作に役立つわけでもなく、また技批は鑑賞にとつて役立たないわけではなか らう。學的な批、家的な批、趣味批などに比して、技批が一んになること 一四七 は確かに望ましいことである。それには美家自身がもつと批の筆をとることがよいとも考へ 美時 一四八 られるであらう。學の場合では創作家が批を書くことが多く見られ、あまりに多ぎるほど であるに反して、美家自身が批を書くことは稀である。この差異には當然の理由もあること であるから、どうしてもほんとの美批家が出ることが必になる。それには色々なこともあ らうが、にも云つた如く、現存の大展覽會のほかに、個人展覽會、或るグループの、或る動 の展覽會などがに活になり、美批家の活動が始求されるやうになることなどもその 一つに數へることができよう。 藝を會生活との關聯において批するといふことは、今日學などの場合では殆ど常識的 なことにまでなつてゐるに拘らず、美についてはこのやうな批が殆ど見られない。いはゆる 會的批がよし凡てでないにしても、この方面が特に開發されることは目下の務に相な い。今後どのやうな新しい批の方法が生れて來るにしても、この會的批の方法を無する ことはできないと思ふ。それとも關係して、今日ありふれたあまりに自由主義的な批とは異つ て、一明瞭な立場乃至原理からの批が見られないのも寂しい。 美家の集團について 二三年、壇解論といふものが出て、壇は解しつつあるとか、解せしめてよいもの であるとか、いふやうな議論で賑はつたことがあつた。現に壇といふものは存在しないではな いが、その勢力はもはや昔日の如きものでなく、今日學の方面において脅威を感じられてゐる のは壇といふ存在ではなくて、ろヂャーナリズムの勢力である。 壇にくらべると畫壇といふやうなものは現在も比にならぬほど大きな勢力をもつてゐるや うに思はれる。これには色々理由があるであらうが、その一つとして考へられることは、畫壇と いふものが作品發表機關である現在の大展覽會を中心としてされ、そのの大家や先輩はそ こで審査員としての權威と權力とを有し、そしてそのやうな有名な展覽會に入することが美 家たちにとつて世に出るための唯一の手段と見られてゐるといふことである。そのやうな畫壇は 若い作家に對して、ずいぶん大きな威力をもつてゐる。そして若い作家の殆ど凡てがそのやうな 展覽會を唯一の目標として制作してゐるといふ有樣である。然るに展などを見るに、そこに何 も共の立場の自覺があるわけでなく、一貫した指原理があるわけでもない。畫壇といふもの 一四九 がそれにも拘らず實際に勢力をもつてゐるために、美における新しい、新しい傾向が知ら ず識らず抑壓され、活に伸長し得ない態にあるのではなからうか。 美時 一五〇 私は今の畫壇といふものがもつと化することが望ましいと思ふ。それには展覽會の組織が變 らなければならない。一定の、一定の立場のもとに美家が集つて、それぞれに展覽會をも つやうになることが望まれる。さうすれば、一の集團と他の集團との間におのづから競爭も行は れ、美界に刺とした氣が生じ、新鮮な藝も生れて來ようといふものだ。このやうにして 現在の畫壇が化するやうになると、畫壇といふ特殊な存在を對象とするのでなしに直接に會 に訴へようとする藝も自然に出て來るであらう。初め展が出來たとき、その目的は一般會 に美趣味を普及するといふことにあつたやうである。然るに今日ではそのやうな美育的見 地から云つても、あのやうに綜合的な、ろ混合的な大展覽會はもはや意義が少くなり、却てそ のなりその傾向なりのはつきりした個人的、集團的展覽會がそれぞれに開かれるといふこと が、會の美に對する理解を深める上にも一役立ち得るのではないかと思はれる。畫壇の革 新は手かには展覽會の改革の問題である。 それにしても今日の美家は會に對してあまりに無關心ではないであらうか。その點で美 家は遲れてゐはしないか。その人々にとつては現存の畫壇が會よりも大きな關心の對象である かの如くである。然し單にそればかりではない、現代の會において美家は會のためにでは なく却て少數の個人のために制作してゐるのである。これには美家の生活問題といふこともあ るわけである。美制作が直接に會のためになされたやうなギリシア時代のことをひとは想ひ 起してみるがよい。美が榮えた時代には、それはいつでも會的意義をもつてゐた。今日美 家は自己の作品に會的意義を賦興するやうに努力することが特に大切であらう。そのためには 作家に普見られる非會的な生活態度が改められ、活きた會ともつと接觸し、渉して、物 の新しい見方を學ぶやうになり、また美についての會的批といふものがんで行はれ、 作家の考へ方が變化させられることも必である。これらのことは作家自身の生活問題とも關係 して來ることであらうが、現在の最も大きな問題でなければならぬ。いづれにしても、美のみ が會の變化から超越してゐるといふことはあり得ないのである。 美ファンについて 展覽會に集つて來る觀衆の種について統計をとつて數字的に區別してみるといふことも面白 いであらう。そしてそのやうな觀衆が、その展覽會體についてどのやうな印象を受けたか、ど 一五一 の作品に最も感心したか、或る一定の作品をどのやうに見たか、などといふことについて統計的 美時 一五二 にべてみるのも興味があり、また有なことであらう。かくの如き統計的査が一度は行屆い てもよい。展覽會の觀衆は或る意味では會學的な、統計的な對象であるからである。 この觀衆は種々雜多な素からなつてゐるやうに見える。實際、展の如き大展覽會になる と、何となくお祭の氣がある。それを年中行事の一種の美祭と見れば面白くなくもない。作 品の陳列もお祭にふさはしく賑やかだ。一般觀衆は動的で、その作品受容の仕方も曖昧なもの である。かやうな展覽會にあつては、かの「會場藝」と呼ばれるが如き、展覽會場における陳 列の場合の效果をのみあてこんだ、從つて唯ひとの注意を惹くことを目差したやうな作品が作ら れるといふ傾向が自然に生じて來るであらう。勢ひ質よりも形の大きなものといふことになる。 とにかく陳列の數が多いので、一般人にはおのづから好奇心といふやうなものが先に立つ。尤も デパートの如く、品が多いから人が澤山集まつて來るのかも知れない。制作品の多くは、それ自 身の價値によつてといふよりも、あの展覽會そのものがもつ賑やかさ、華やかさによつて人を引 いてゐるやうにも感じられるのである。 固有の意味における美ファンと云へば、美についてのアマチュア乃至ディレッタントのこ とを云ふのであらう。自でも多少繪筆の心得などがある人である、美書や美寫眞などを好 きで集めてゐるである。藝を鑑賞し享受するのみでなく、自でも多少それにたづさはつて ゐる藝愛好がディレッタントである。さすが日本は美國と云はれるだけに、かかる人間の 數は多く、展覽會の觀衆の重な素をなしてゐるやうである。彼等が現在の美の最も有力な 支持である。たいてい有閑階級に屬し、從つて多くのサロン的傾向をもつた彼等の美的趣味 と美的好奇心とによつて今日の展覽會と美作品とは主として支へられてゐるやうに見える。 ディレッタントは現在の美にとつてこのやうに必な存在であるが、また多少險な存在で もある。ゲーテが書いてゐる、「藝は自自身に法則を與へ、時代に指令する。ディレッタン ティズムは時代の傾向に隨する。」ディレッタントは方を見ることをしないで、自たちの くの出來事ばかりに眼をやつてゐる。彼等は好い藝家を自たちの側に受入れることをしな いで、反對に藝家を自たちの程度にまで引き下げようとする。藝家の人氣といふものは主 として彼等によつて作られる。彼等の間で話される批が人氣の源泉である。また自の判斷よ りも人氣に從ふのがファンの性質でもある。藝家がそのやうなファンに取卷かれて、人氣があ るといふことは、それ自體としては惡いことではないにしても、險なことである。そのとき藝 一五三 家は自自身の上にしつかり立つて藝の最高の目的をめざして努力することを忘れて、ディ 美時 レッタントの趣味に隨するといふやうなことが起りがちだからである。 一五四 現在の美はその觀衆の側から云つて多くは有閑階級的或はサロン的である。そのことは作品 そのものの性質乃至傾向にも相應してゐるのでないか。美は本來そのやうな約束のものなので あらうか。我々はそのやうには信じないのである。 この秋の收穫 この秋での收穫はときかれると、私には答へる格があまりないのである。私の見たのは二科 と院展だけで、それも繪畫の部を一り見ただけである。專門的なことはよくらず、私として はただ二三の感想をべてみるほかない。 二科ではやはり第二室の囘陳列が興味深かつた。記憶に殘つてゐる作品が多かつたが、中に は最初の時ほど傾倒し得ないものもある。取立てて云へば、故關根正二氏の「信仰の悲み」など 今も特に心を惹かれるものである。これは象的な作のやうに覺えてゐたが、今度見るとどうし てなかなかリアルな感じがする。寫實的なものだけがリアルなのでなく、かういふ意味のリアリ ズムといふものがあるのである。考ふべきことだ。 展覽會を一して得た一般的な印象は、現在の畫壇も壇とだいたい同じやうな樣相を示して ゐるといふことであつた。繪畫と學とでは無關係なやうに見えても、同じ時期の藝は相似た 傾向を現すものである。いつたいどうなるのかといふ不安に動かされる。高名な作家はに完 し、と同時に何となく行詰つてゐるやうであり、新しい作家には底力がなく、またこれといふ確 信的なものもまれてゐないやうである。ちよつと目を惹くものがあるにしても、さてこの秋で の收穫はときかれると、結局大家のものを擧げねばならぬことになる。いはゆる「大家」と いふのであらうか。明かに展覽會用の藝といふ感じを受ける作が殖えてゆくやうである。新人 においてさういふ傾向が特に目立つのは自信のなさを示すもので心細いことだ。 安井曾太氏の作品は、去年の「薔薇」もはつきり頭に殘つてゐるが、今年の「奥入の溪流」 も好かつた。囘陳列に出てゐる氏の作にはあの時ほどの感銘は受けなかつたが、氏の年の 作品には敬する。先日も或人が安井氏は日本畫の境地にみつつあると語つてゐるのを聞いた が、筒單にさうとは云へないけれども、安井氏など洋畫をき切つて、固有のものを出すに至る ことのできる人ではないかと思ふ。西洋風のことをやつてゐるも、年齡をとると日本流のもの 一五五 にるといふことは、他の世界でも見られるところであり、それをすぐに歩であるかの如くに 美時 一五六 云ふことが頃特に流行してゐるやうだが、私は必ずしもさうとは考へない。さういふことは却 て作家の生命力の稀薄、發展力の限度を現す場合が多いのである。洋畫家に日本的なものが出て 來るとすれば、それは作家が自を生かし切つたとき、洋畫のをき切つたとき、おのづか ら出て來るものにして初めてほんとに價値がある。安井氏にさういふことを期待するのはよから う。ほかに山下新太氏の「立秋」、有島生馬氏の「晝」など、取り上げればいろいろ議論ので きるものであらうが、いづれにも別々の意味で不滿がある。それらよりも曾宮一念氏の作品「て んしんもも」等の如きが綺麗で印象に殘つてゐる。石井柏亭氏の「二科二十人像」は記念的なも のとして興味があつたが、何でも相當に畫きこなせる石井氏の腕を見せられただけのことで、感 動は な い 。 院展では二科を見たときに感じた不安や焦慮の如きも感じられなかつた。ただ今年は横山大觀 氏の「蟲の」よりも田邨氏の「鵜」が、小林古徑氏の「彌勒」よりも富田溪仙氏の「御 室の櫻」がより好かつた。それにしても日本畫の將來はどうなるのであらうか。この頃のファッ ショ的傾向によつてそれは再びんになるであらうか。私にはどうもさうは考へられないのであ る。本年の官展においては少しはいはゆるファッショ藝が見られるであらうか。 浪漫主義の擡頭 ——1934.11.8 〜 『新聞』 11 さきほどから壇の一角において浪漫主義の叫びがあげられてゐる。林雄氏、龜井一氏 などの名が先づそれに關聯して考へられるであらう。このやうな叫びは今度やや體的な學 動の形式を取らうとしてゐる。『コギト』十一月號にはそれの宣言とも見られ得る『日本浪漫』 の廣がげられた。この宣言の名人、く發刊されるといふこの新雜誌の同志には、龜井 氏を初め、保田與重、中島榮、中谷孝雄、保光太、方隆士の氏がある。あの同人 雜誌『現實』の一部が『日本浪漫』に變るわけであらう。我々はかかる題名變化のうちに最 の壇の動きの一候をめることができる。從來く壓倒的であつたリアリズムに對して、と もかくもロマンチシズムを名乘るが現れて來たのである。 林氏や龜井氏などには左的傾向の人の中でも元來性格的に浪漫的なところがある。またコギ トの基は、唯それがこれまで然と主張されなかつたといふだけで、もともと浪漫主義であつ 一五七 た。時には壇の風に押されて保田氏その他がリアリズムを唱へたことがあるにしても、その 浪漫主義の擡頭 一五八 理論の實質はいつも浪漫主義を多く出なかつたのである。ヘルダーリン、ノヴァリス、シュレー ゲル、シェリング、等、ドイツの浪漫主義の紹介と究とはこの雜誌の特色をなし、その功績 に屬すると見られてよい。然しながらこの系統の浪漫主義と、龜井氏などにおいての如くプロレ タリア學の系統から來た浪漫主義とは、それほど無雜作に結び付き得るかどうか、に一つの 問題 で あ ら う 。 右の日本浪漫の宣言によると、この動は今日彌漫せる「俗低の學」に對する挑戰で ある。それは市民的根性に對する「藝人の根性」の擁護である。また曰ふ、「日本浪漫は今 日の最も眞攣な學人の手段である。不滿と矛盾の標識である。」に曰く、「日本浪漫は、 今日僕らの『時代の春』の歌である。僕ら專ら春の歌の高きべ以外を拒み、昨日の俗を 案ぜず、明日の眞諦をめざして滯らぬ。わが時代の春! この浪漫的なるものの今日の充滿を 心において捉へ得るものの友である。藝人の天賦を眞に意識し、現在反抗をられしの 集ひである。日本浪漫はここに自體が一つのアイロニーである。」と。これらの章のうちに 言ひ表されてゐるのは、一、俗人根性に對する藝的天才性の高揚、二、散的に對する詩 的の、三、浪漫的アイロニーの主張、等々である。然るにかくの如き提唱は實は就中か のドイツ浪漫主義の藝論殆どそのままの繰しであつて、憾ながら新味に乏しいと云はねば ならぬ。それにしても、このやうな提唱にも今日の學の況において何か新しい意義がめら れる で あ ら う か 。 この頃の壇における一つの顯な現象として指摘され得ることは、とりわけ若い世代の批 家たちの間に見られる主觀主義的傾向である。客觀的な基礎付けや論理的な聯關には無頓着に、 ただ自己の「心」を主觀的に語ることが彼等に喜ばれる。この人々の章が解であるといふ のも、彼等が意識的に或は無意識的にアイロニーを好むからにほかならない。アイロニーは諷刺 やユーモアとしばしば混同されてゐるが、夫らは性質的につたものであつて、互に明瞭に區別 されねばならぬ。先づこのアイロニーの本質を究めることが、浪漫主義の意義を明かにするため に必である。主觀性とアイロニーと浪漫主義とは密接につながつてゐる。若い世代の思考のう ちにアイロニーが顯であるところから見れば、今日浪漫的傾向は、理論の上ではともかく、 的態度の上では存外廣く行き亙つてゐるとも云はれ得る。 一五九 諷刺の基礎にはリアリスチックな、客觀的な、會的な見方がある。このことは、少し以 壇においてリアリズムの氣がであつた丁度その時に、諷刺學の問題がたびたび議論さ 浪漫主義の擡頭 一六〇 れたことからも知られるであらう。然るにアイロニーは主觀性の規定である。キェルケゴール、 此性格的には浪漫主義でありながら浪漫主義克の爲に苦鬪した詩人的思想家の言葉によれ ば、「アイロニーは主觀性の最初の、最も抽象的な規定である」。そのことは、あのソクラテス のアイロニーによつて有名なソクラテスにおいて、主觀主義の立場が初めて人思想のうちに現 れたといふことが示してゐる。代哲學においてカントに始まる主觀主義は放膽なフィヒテを俟 つて完され、そしてフィヒテの後、彼の影のもとに、シュレーゲル、ティークなど浪漫主義 の藝家は、アイロニーを一つの立場にまで高めた。かかる的聯關から見ても、アイロニー が主觀性の規定であることは明瞭である。 いまキェルケゴールは種々なる意味で現代人の意識の一標識となつてゐるが、彼がアイロニー の念について書いた章は、最我國に現れた浪漫主義の心理を理解する上にも役立ち得るで あらう。彼はその中で云ふ、アイロニーは否定性である、なぜならそれは唯否定するのみである から。それは無限である、なぜならそれは此のもしくは彼の現象を否定するのでないから。それ は 對 的 で あ る、 な ぜ な ら ア イ ロ ニ ー が そ の 力 に お い て 否 定 す る も の は 實 は 存 在 し な い と こ ろ の、より高いものであるから。アイロニーは無をてる、なぜならてらるべきものは、その背 後にあるのであるから。またアイロニーにおいて主觀は極的に自由である、なぜなら主觀に 容を與ふべき現實はそこにないのであるから。主觀は與へられた現實がそのうちに主觀をる束 から自由である、主觀は極的に自由であつて、かかるものとして動的である。このやうな 自由、このやうな動が人々に或る感激を與へる、なぜなら彼等はいはば無限の可能性に醉つて ゐるのであるから。キェルケゴールがアイロニーを明したこれらの言葉は、今日の日本の年 浪漫主義の心理をかなり切に明してゐないであらうか。 この人々は現に對する反抗である。このことは誰も敬をもつてめなければならぬ。彼 等のアイロニーはそこから生れる。然しながらその反抗は體的な、限定された現實に對するも のではなく、ろ無限定な反抗であるといふことがその特である。それは無限なる否定であ る、なぜならそれは無限定であるから。現實は狹隘卑小なものとして感ぜられるが、如何なる原 因に限定されてさうであるのかは客觀的に考察されることなく、それ故に現實と云つても無限定 なものにぎない。彼らの戰ひは一定の戰線といふものをもたぬ。然しフロントをもたない戰ひ は戰ひと云はれ得るであらうか。そしてこの人々はただ彼等の主觀性をもつて戰ふ。そこでは 一六一 「良心」といふ、この最も主觀的なものが問題にされる。良心といつても客觀的原理としては無 浪漫主義の擡頭 一六二 容であり、從つてこの人々は「夢」について、また「憧憬」について語る。「我が時代の春 の歌」とは「無限の可能性」に對する陶醉にほかならないであらう。無限定な現實に對せしめら れるのは無限の可能性といふ主觀的なものである。 我々の時代は混沌として行方を知らぬやうに見える。其方向を客觀的に指示すると稱した主 義、原理も信するに足らぬかの如くである。しかも現實の態は我々の反抗せざるを得ない ものである。そこから浪漫的アイロニーが出て來る。然し彼等の夢や憧憬が眞に詩的で明であ るかどうか、問題である。 代表的な浪漫主義、十九世紀のドイツの浪漫主義は、詩的浪漫主義、憂愁の浪漫主義、悲劇的 浪漫主義といふ三つの樣相もしくは段階を有すると云はれてゐる。詩的浪漫主義は自己の主觀 性にれ、何等かの部的想像から宇宙を築き上げる。憂愁の浪漫主義は自己の主觀性に引寵 り、一切のもののうちにおける異性を痛ましく體驗する。悲劇的浪漫主義は實存に向つて努 力する、彼は詩的浪漫主義のと憂愁の浪漫主義の受動性とに對して戰ふ。言ひ換れば、 彼は彼の浪漫主義を否定し、彼の浪漫的命を克しようとするのであるが、それが功するも のでない限り、彼は悲劇的浪漫主義たらしめられる。ストリンドベリイも、ニイチエも、ドス トイエフスキーも、キェルケゴールも、このやうな悲劇的浪漫主義の一面を有したと云はれよ う。 ところで今日我國の浪漫主義的現象を觀察するとき、これら三つの樣相は種々なる程度で新し い形態を取つてゐる。ここではもちろんこの國の一般的的況に相應していろいろ混淆して ゐる。然しコギトの人々の浪漫主義はどちらかと云へば詩的乃至憂愁の浪漫主義であり、そして 此頃の若い世代の思考におけるアイロニーといふものに大きな影を與へたと思はれる小林秀雄 氏などは、その浪漫性の方面からすれば、悲劇的浪漫主義にいとも見られなくはなからう。 に新しい傾向としてプロレタリア學から出た浪漫主義は新しい詩的浪漫主義とも云ふべく、殊 に龜井氏の場合の如くマルクス主義の會的階級的見地から離れるとき、それはやや純粹な詩的 浪漫主義となるであらう。 かの「藝復興」の聲によつて藝の解放が求められた。それによつて準備されたのは藝家 の主觀性の解放である。ところが皮にも、或は意味深くも、かかる藝復興の聲と共にリアリ ズムの主張が壓倒的な勢力を占めることになつた。藝復興といふ語がそれ自體或浪漫的なもの 一六三 を現し、それまで支配的であつたところの、プロレタリア學の正統的と稱せられる純粹な客觀 浪漫主義の擡頭 一六四 主義の主張に對して、主觀性の解放を意味するとしたならば、その場合リアリズムは決して單な る客觀主義のことではあり得なかつた筈である。それにも拘らず、リアリズムといふ標語に壓 されてこれまで主觀性は十に主張されず、また重され得なかつた。リアリズムの散的 によつて「詩的」は抑壓され、その寫實的によつて藝の「創性」の理解は制限され、 藝の主的能力が美學第一課のへる如く感乃至「想像力」であることがひ隱され、この やうにして作品は低なものになつて行くやうに感ぜられるところがあつた。かくて今藝復興 の聲によつてその解放を準備された主觀性が一つの立場にまで高められて浪漫主義の提唱となつ たといふことにも理由がなくはなからう。 浪漫主義はかくの如き反動として今日或意味、また或必をすらもつてゐる。然しその意味は 極的にぎぬのでないか。浪漫主義は現に反抗する、そこにその積極性があると云ふかも知 れない。けれども反抗さるべき現實の客觀的識が見棄られる限り、反抗はアイロニーとして主 觀性の部に留まるのほかない。悲慘なる現實の中にあつてなほ夢み、憧憬しようとする心の 美しさを誰も疑ひはしないであらう。然し問題は、この夢の容、この憧憬の方向が如何なるも のであるかといふことである。それが現實の發展の方向と一致しない場合、浪漫主義は悲劇的浪 漫主義とならざるを得ない。また一致する場合、浪漫主義は單なる浪漫主義でなくなつてしまふ であらう。そこで我々はもう少し、新しい詩的浪漫主義と時代との聯關を考へてみよう。 今の時代が轉換期であるとすれば、この時代はそれ自身において或浪漫的な性格をへてゐる 筈である。私は嘗てネオヒューマニズムの問題と學について論じ(『藝』創刊號)、の如 く書いたことがある。「現代はまことに多くのミュトスを臟してゐる時代であり、そこに、あ らゆるリアリズムの提唱にも拘らず、現代のロマンチシズム的性格がある。このことは如何なる リアリズムの唱も見してはならないことである。」ここで云つたミュトスは浪漫主義の 欲するやうに「夢」といふ語によつて置き換られてもよい。ただミュトスは個人的な夢のことで なく、本來會的なものであり、會的ミュトスとして我々にとつて重性をもつてゐる。然る に浪漫主義は藝的天才性をすることによつて、その主張のうちには藝至上主義の傾向 が甚だ濃厚であり、夢とか理想とかもそのやうな立場において詩的個人的なものと考へられてゐ るにぎないのではないかと疑はれる。 一六五 龜井氏は云つてゐる、「ロマンチシズムを妄想であり、觀念の戲であると見做す俗見はに 打破られてゐる。それは深く現實に徹しようとするの熱の方向であり、現實のなかにただ現 浪漫主義の擡頭 一六六 實を見るのではなく、その可能性と未來性とを見る、いはばリアリストなるが故にこその夢であ る。」(『藝』九月號)。然し現實をその可能性と未來性とにおいて見るといふのは現實を發 展的に見ることにほかならず、そしてそれこそマルクス主義の唯物辯證法においてなされてゐる ことではないか、と反對されるであらう。ろ自己の夢を、現實との聯關において規定すること なく、もしくは現實との聯關において規定することが不可能であると考へるところに浪漫主義が あるのではないか。の現實は夢を許すやうなものでなくて、夢をくたたき毀すやうなもの である、けれど我々の主觀はなほ夢みることを欲する、この主觀の憧憬に詩的場を與へるため に現實から主觀のうちへれようといふのが浪漫主義ではないであらうか。 ミュトスといふものは決して單に客觀的にのみ限定し得ぬものである。その限りにおいて浪漫 主義が客觀的現實主義に反對することは正しい。またそれが人間性のうちに含まれる憧憬、エロ スを重しようとするヒューマニスチックな氣持乃至態度も我々の同感できることである。エロ ス、人間のパトスのこの根源的なもののうちから生れるミュトスを單なる妄想と見做すことには 我々も反對する。然しながらミュトスは限定され、形されねばならぬ。そしてそのためには新 しい倫理の確立されることが何よりも必である。ところが浪漫主義はその浪漫的美的態度な いし藝至上主義の自然の結果としてこのやうな倫理の問題を度外することになる。なるほど この人々は「良心」と云ふ。けれども良心とは「心」のことであり、この人々の良心が無限で あるのは、この人々の「夢」が無限であるのと同じやうに、それが無限定であるがためにほかな らない。倫理の問題を單なる客觀主義の立場から見ることはつてゐるとしても、會的現實と の聯關を斷念した良心は結局アイロニーの範に留まるであらう。 それにしても、最の浪漫主義の根柢にもヒューマニズム的求が新たに動いてゐるのではな からうか。私は浪漫的アイロニーが新しい倫理によつて支配されて行動的になることが必であ ると思ふ。ともかく、この頃或は「行動的ヒューマニズム」と云ひ、或は「意志的リベラリズム」 と云ひ、ネオヒューマニズムの問題がかなり力く現れて來たことは注目すべきことであり、興 一六七 味深き事實であると云はねばならぬ。ネオヒューマニズムの原則の徹底的な論究が今求されて ゐる 。 浪漫主義の擡頭 自由主義以後 ——1935.4.26 〜 『讀賣新聞』 28 一六八 最、美濃部學問題を一機として自由主義の再檢討が行はれてゐる。そして「沒落自由主 義」などと云はれる如く、自由主義は無力であり、やがて沒落して行くべきものであるといふの が、一般の意見のやうである。然しながら今日、自由主義の問題はそれほど單純でなく、その複 雜な意味を析することが問題の正當な取扱ひのために必であらうと思ふ。 我々は先づ「自由主義の二世代」とも云ふべきものを區別しなければならぬ。その一つは、こ とわるまでもなく、代會の支配的な原理であつた自由主義ちブルジョワ自由主義である。 これは年齡から云つて、比的古い世代に屬する自由主義によつて代表されてゐるのが例で ある。然るに比的若い世代、特に若い世代のインテリゲンチャのうちにおける自由主義は單純 にこれと同一し得ないものがある。新世代の自由主義は決してブルジョワ自由主義をそのまま めるのでなく、種々の點でそれに反對してゐる。この自由主義と古い自由主義との間には、普 その擔ひ手についても世代の相があるやうに、性質上の相がある。兩を同じに見、自由 主義と云へばブルジョワ自由主義であるとして括論を行ふことは、今日の實にしたものと 云ひいであらう。我々の關心するのは、本主義會の「古典的な」自由主義でなく、ろい はば「自由主義以後の自由主義」である。 沒落自由主義と云はれる場合、それの華かであつた時代の存在したことを豫想しての言葉であ る。かく云はれ得る自由主義は、もちろんブルジョワ自由主義にほかならず、事實、それは沒落 すべき性質のものであらう。然るに新世代の自由主義はそのやうな想ひ出を有することなく、そ のやうな去に束されることをしない自由主義である。特に我が國においては從來ブルジョ ワ自由主義も十に開花しなかつた。このことは、一方、新世代の自由主義がブルジョワ自由主 義の傳統に壓倒されずに新しいものとして立するために好合な事であると共に、他方、そ れがもとより自由主義と云はれる以上ブルジョワ自由主義の一定の素を繼承する限りにおいて もなほ、我が國の化發展に對して重ねて特殊な意味を有することを語るものである。 確かに自由主義は現在無力である。然しそれが無力であるからと云つて、何でも會的に力 なものに從ふといふ態度こそ自由主義の排斥するものである。自由主義に對する批判において、 一六九 それは無力であるから無價値であるといふやうな考へ方が知らず識らず提されてゐる。これは 自由主義以後 一七〇 現代の政治主義的な見方にふ險であつて、とりわけ封的な事大主義の殘つてゐる我が國で は警戒をすることである。眞理は永久に無力である筈はないが、然し必ずしもつねに有力で あるわけではない。現在有力なのは國家主義であらう。然るに世界の各國が凡て國家主義を主張 し、國家主義が世界的になるに從つて、自由主義はろ新しい展望を得るのである。自由主義は 相對立するマルキシズムとファシズムほど有力でないが、然し兩の對立が激しくなるに從つて 自由主義は却つて新しい意義を得るのである。それでは新世代の自由主義とは如何なるものであ らう か 。 新世代の自由主義は現在主としてインテリゲンチャのものである。事實、現在自由主義が問題 にされるとき、たいていの場合、知識階級の問題と關聯させて論ぜられてゐるが、そのことはこ の自由主義が單なるブルジョワ自由主義と同一され得ないことを示してゐる。自由主義につい て論ずる場合、この問題を知識階級の問題と結び付けながら、この自由主義がブルジョワ自由主 義と同じものであるかのやうに議論するのは、自己矛盾であると云はねばならぬ。 インテリゲンチャの特性がそのインテリジェンスに、知識人の特性がその知識にあることは明 かである。そして知識の特性はその國際性にある。ラスキは云つてゐる、「代科學は世界市場 を意味する、世界市場は世界的相互依存を意味する、世界的相互依存は世界的政治を意味する。 この恐しい三段論法の歸結の上に行動することが我々の安にとつての唯一のである。」單 に知識そのものが國際的であるのみでない、かかる知識にもとづく技、かかる技にもとづく 、生等の關係も、國際的な性質を有し、國際的關係を密接にすることに役立つてゐる。 ひとは「政治的」事件の喧噪に心を奪はれて、科學や技が世界における如何に大なる勢力 であるかを忘れてはならない。電氣の發見はアンペールから我々に至るまでに起つた一切の政治 的事件よりも重大な歸結を有する、とヴァレリイも書いてゐる。 尤も、自然科學や技とは異つて、藝、哲學等は、國民的色を一濃厚に有することは爭 はれない。けれどもこのことは、單に國民主義に動機を與へ得るものでなく、また自由主義の動 機となり得るものである。なぜなら、そのやうな藝や哲學にも國際的なところがあるといふこ とは別にしても、それらは單に國民的なものでなく、又個人的色を濃厚に有する性質のもので ある か ら で あ る 。 一七一 なほ知識の國際性は我が國のインテリゲンチャの場合、特殊な意義をもつてゐる。現代日本の 會及び化の重な基礎をなしてゐる科學は、もとより日本傳來のものでなく、西洋から入 自由主義以後 一七二 されたものである。單にそれに留らない。我々の生活や意識においてこのやうに西洋流の科學や 化が大きな位置を占めるやうになつた以後は、我々の藝や哲學の如きものに關しても、日本 の傳統的なものに滿足できなくなり、西洋的な乃至科學的な思想や樣式の取り入れられることが 求されるに至るのは自然である。このやうなことは、日本主義の云ふ如く、決して單なる西 洋崇拜によるのでなく、我々の生活、、生等の仕方が我々の經驗するり西洋化してゐる といふことにもとづく現實的な求に由來するのである。 このやうな事は、我が國においては自由主義の傳統の力でないに拘らず、知識人に自由主 義的傾向を與へてゐる。もちろん、ただそのことからだけでは新世代の自由主義を明すること はできないが、然しまた知識の有する批判的性質を離れてこの自由主義は考へられない。この自 由主義はファシズムに對してはもとより、ブルジョワ自由主義に對しても、マルキシズムに對し ても批判の自由を求する。それでは批判の立場は如何なるものであり、知識人の階級的性質と 如何に關係し、如何なる將來を有するであらうか。 そのやうな自由主義は知識階級のイデオロギーであると云はれるであらう。そして知識階級は 中間階級であり、やがて沒落すべきものであるから、そのイデオロギーたる自由主義も沒落する のほかないと云はれるであらう。知識人が自由主義をき得るのは、ブルジョワジーになほ自由 主義の存し得る餘地のある限りにおいてであると考へられるであらう。 然しながら知識人が自由主義的であるのは、單に彼等が中間階級であるといふ故のみでなく、 知的活動そのものが本性上自由主義的なところを有するためである。そのことは今日、同じ小ブ ルジョワ階級の中でも知識人以外のがファッショ化の傾向を現はしてゐるに拘らず、知識人 が、また同じ知識階級の中でも藝家、學、ジャーナリスト、學生等、知的活動の活なに 比的自由主義が多いといふ事實によつても示されてゐる。知識人の自由主義には單にその階 級の中間性からのみいて來ることのできぬものがある。人間の知的な、化的な活動をしてそ の機能を十に發揮せしめるためには自由がめられねばならず、そのことがまたの發展、 その意義の實現のためにも必である。新世代の自由主義は單なる化主義に立脚するものでは ないが、凡てを政治に從屬させようとする政治主義に贊することができない。或ひはろ、そ のやうな政治主義の缺陷の經驗と觀察とからこの自由主義は生れたのである。 一七三 もちろん知識はその有の會的規定に制約されるが、單にそれのみでなく、自己を客觀的 に、批判的に眺め、かくて自己をも否定することができる。人間が解放を求するのも、人間の 自由主義以後 一七四 本質に自由が屬するからであり、そして自由は否定の機を除いて考へられない。人間性のうち に自由をめない自由主義はなく、そのやうな人間性の把握において、新世代の自由主義は、ブ ルジョワ自由主義の合理主義とも、またマルクス主義とも同じでない。この自由主義は廣義に おいてヒューマニストであると云ふことができるであらう。然し彼等は以のヒューマニズムの 個人主義や合理主義に、人間中心主義にすら反對するであらう。もちろん、彼等はヒューマニス トとして壓された人間の解放の協力たらうと欲するのでなければならぬ。 自由主義の個人的な求も會的な求も、マルクス主義によるのでなければ決して充足さ れ得ない、とマルクス主義は云ふ。よしそのりであるとしても、自由主義は彼等自身であ ることをやめないであらう。單なる統一でなく、多樣の統一が統一をして豐富ならしめ、生命あ らしめる。自由主義はマルクス主義に對しても批判の自由を求する。批判の自由がなければ人 間を動物から區別するものと云はれる知的活動の意義は十に發揮されず、式化、獨斷化、固 定化は歩發展に有である。その發展がマルクス主義部におけるものであるにしても、それ は丁度カントから出たドイツにおける自由の哲學がヘーゲルにまで發展したといふやうな意味に おける根本的な變化を含むものであらう。新世代の自由主義はこのやうに的立場を最も重 することにおいてブルジョワ自由主義と異つてゐる。それはなほ體系として存しないが、この ことをもつて直ちにそれの無意味無價値を考へるのは、に體系的獨斷論の見にとらはれたも 一七五 のにほかならぬ。現在自由主義が左右兩から否定されてゐることは、やがて否定の否定として の自由主義へのを示してゐる。 自由主義以後 新語・新イズム解 ——1935.7.28 『讀賣新聞』 普主義(體主義) 一七六 體主義といふ語はこの頃一般の新聞雜誌でも々見られるやうになつたが、それと同意義の 普主義といふ語は專門家以外の間ではあまりはれてゐない。體主義の代表的思想家オト マール・シュパンは自己の立場を個人主義に對して普主義と稱してゐる。特殊と普とは論理 上相對する念であつて、個人は特殊であり、これに對して國家の如きは普と見られる。從つ て個人主義對普主義の區別がり立つわけである。普に抽象的普と體的普とが區別さ れてゐる。抽象的普は形式論理學でいふやうな普であつて、一群の特殊からそれらに共な ものを抽象することによつて作られる。かかる普は特殊から抽象されたものとして、その容 は特殊よりもでなければならぬ。これに反し體的普といふのは「體」のことであつて、 特殊を部として自己のうちに含む。特殊は體の缺くべからざる素であるが、體は部の 和にぎぬものでなく、却つて體は部に先んずるといふのが普主義の根本命題である。然 るに特殊(個人)に對する普にも、人といふが如きものを考へることもできれば、個々の民 族乃至國家の如きものを考へることもでき、かかる二種の普は秩序を異にするであらう。それ らは論理的には及び種として區別され得る。例へば人と人種(民族)といふが如くである。 種も個(特殊)に對して普であるが、とは區別されねばならぬ。かくて從來の會的存在の 論理が特殊と普のいはば二項からつてゐたに對し、個、種、の三項を考へ、單なる普の 論理に對し「種の論理」を他のものとの辯證法的關係において立てようとするのが田邊博士の最 の會的存在の論理である。 語主義 凡ての判斷が主語と語とからることは論理學の明を俟つまでもなく知のことである。 これを哲學一般の問題に移して、實在を考へるに主語的な考へ方と語的な考へ方とを區別する ことができる。アリストテレスは主語となつて語とならぬものが實在であるとした。例へば 一七七 「人間」といふが如きものは眞の實在でない。人間は、「ソクラテスは人間である」といふが如 新語・新イズム解 一七八 く、他のものの語となり得るからである。主語となつて語とならぬソクラテスといふが如き 個物が實在であると考へられた。西田博士はに、語となつて主語とならぬものが實在である と云はれる。個物は個物に對してのみ眞に個物である。私は汝に對してのみ眞に私である。個物 は働く個物としてどこまでも獨立のものであつて、他の個物とく非的なものでなければな らぬ。しかし個物は個物に對し兩の間に關係が存する限り、そこに何か一般的なものがなけれ ばならぬ。かかる一般的なものは語的なものである。然るにもしそれが「有」であるならば、 それはまた主語となることができ、かかるものによつては個物と個物との非は考へられな い。語となつて主語とならないものは「無」でなければならぬ。無の一般において非の が考へられるのである。このやうにして語的論理によつて考へて行くことが西田哲學の根 本的な特色である。西田哲學と云へば、すぐに反主知主義とか非合理主義とかと考へられるが、 却つて非合理的なものを語主義の論理によつて論理的に考へて行くことが最も獨創的なところ であ る 。 性 格 學 ハイデッガーやヤスパースなどの「實存哲學」は我が國でもかなり一般化したが、それと種々 の似點を有する性格學の根本思想はあまり問題にされてゐないやうである。クレッチマー等の 病學の性格學は醫の方面では知られてゐるが、表現理論から出發したルードウィヒ・ク ラーゲスなどの性格學は哲學の學徒によつてもつと究されてよいものであらう。それは最流 行のニイチェなどとも重な關係がある。その根本思想はガイスト()とゼーレ(心靈)と を區別し、これまでのの哲學、從つてロゴス中心的な哲學に對して、ゼーレを重すると ころにある。ゼーレといふのは身體、從つて自然と融合せるものであるが、これに反し人間にお けるの發は母なる自然に對するを意味し、人間の滅亡へのであると考へられる。こ のやうな世界觀には同意できないにしても、表現理論が現代哲學の重な課題であることは種々 の方面からめられてをり、表現的なものは凡て性格的であるとすれば、その問題を基礎とする 一七九 性格學は注目するに足るものを含んでゐる。私のパトス論なども性格學にいふゼーレの思想を純 化しようとしたものと云つてもよい。 新語・新イズム解 日本化と外國化 ——1935.8 『セルパン』 一八〇 日本乃至日本主義のにつれて外國化もしくは外來思想の排が行はれてゐる。日本 人が日本人としての自覺をもち、日本的なものについて反省するといふことは、固より大切なこ とであり、我々もそのこと自體に對しては何等反對すべき理由をもたない。しかし日本的なもの が何であるかを論ずるためには化哲學的基礎、特に方法論が必である。これらのものを缺く とき、現に多くの日本主義たちにおいて見られるやうに、狹な、獨斷的な排外主義に陷るこ とになるであらう。化哲學及びそれを根柢とした方法論の確立は、我々にとつて現實的な問題 とな つ て ゐ る 。 日本的なものが何であるかを知るには、我々は日本の去の化のを究し、その中から 學ばなければならぬ。日本は極めて古くから支化と渉をもち、また印度思想の影を受 け、儒や佛の入によつて日本化は發した。從つて日本的なものが何であるかを知らう と思へば、日本におけるそれらのものの發をじてそのうちに日本的なものを探らなければな らぬ。日本佛は印度佛とも支佛とも異る特色をもつてゐる。そこに日本的なものがめ られる。佛を外來思想として除いて日本化を考へることができないのは勿論、またそれを除 いて日本的なものを規定しようとしても一面的になることをれないであらう。さうだとすれ ば、日本における西洋思想と雖も單なる外來思想と云ふことができぬ。明治以後の日本化は西 洋化を除いては考へられない。もしそのうちに日本的なものがめられないとしても、それは 一方では西洋思想が移植後なほ日が淺く、傳統が新しいといふことによるのであり、他方では西 洋思想の一特質とされる科學性は普性を特色とするといふことによるのである。しかしこのや うな普性にしても、殊に數學や自然科學以外の哲學、化科學などにおいては、どこまでも相 對的であつて、ドイツはドイツの、フランスはフランスの特色をもつてゐる。西洋思想と云つて も唯一色のものであるのではない。西洋化の重な源泉であつたギリシア化の如きも、フラ ンスとドイツとではそれぞれつた形で繼承されてゐる。日本に移植された西洋化もに日本 的性格を得てをり、今後々さうなるに相ない。儒や佛が日本において單なる支思想で も單なる印度思想でもなくなつたやうに、西洋思想も日本においてもはや單なる西洋思想でなく 一八一 なりつつあるのであり、今後にさうなるであらう。日本的なものが何であるかを知るために 日本化と外國化 一八二 は、日本佛や日本儒を度外することができぬやうに、やがて日本における西洋思想發 を局外におくことが不可能である。 かくの如き方法論を無するならば、日本の問題について、嘗ての廢佛棄釋論などに見ら れる如く、儒佛の間に鬪爭が行はれることになるであらう。今日に我々は、日本主義にお いて一致してゐるのはただ外國思想(西洋思想)の排斥といふことだけであつて、日本その ものについては、家は家で、儒家は儒家で、佛家は佛家で、それぞれ自の立場に 引寄せて日本を論じてゐるのを見るのである。これがもつと激しくなれば、統制の對象は皮 にも、西洋思想であるよりも日本であるといふことにならねばならぬであらう。日本主義 がそのやうに無統制になる險は、や佛、儒ですらもが、單に思想乃至理論でなく、 宗的信仰的のものであるといふことによつて甚だ多いのである。その場合これを統一し得る思 想は存在してゐるであらうか。日本といふものは去に限られたものでなく、將來に向つて 發展して行くものであり、これをその發展の方向に於て把握し、形することが肝である。統 一的な括的な日本的思想はその方向に求められねばならぬ。そしてそれは西洋思想を排斥する ことによつては決して得られないのである。且つ眞に將來を捉へ得るのみがまた眞に去を捉 へ得 る で あ る 。 凡て生命的なものは境においてあり、境によつて限定されると共にみづからも境を限定 する。一國の化もまたそのやうなものである。なるほど儒や佛は東洋思想であつて、西洋 思想ではない。しかし去において儒や佛が入されたのは當時の日本の境の然らしめる ところであり、今日ではこの境が世界的となり、歐米にまで及んでゐるのである。そこに境 の擴大がある。外國化との接觸渉が一國の化の生長發にとつて缺くべからざるものであ り、それが存しない場合にはその國の化も涸し枯死するに至ることは、東西のによつて 證明されてゐる。また外國崇拜を現代の日本人のみの特と考へることも間つてゐる。嘗て佛 渡來以後において宗、藝、學問、政治等、あらゆる方面に外國崇拜の現象が見られた。 そのために川時代の國學たちは佛を排斥したのであるが、しかし佛の地盤におけるさま ざまの優れた化的物はそのやうな外國崇拜によつて可能にされたのである。儒の場合にお いても同樣である。支を崇拜した儒學は惡しき學でなく、ろその反對であつた。かくの 如き外國崇拜が由來日本人の特であるとしても、それが西洋において必ずしも存しなかつたわ 一八三 けではない。却つて中華などと云つて威張つてゐた支は世界の化の大勢に遲れたのではない 日本化と外國化 一八四 か。 外國化の入は單に外國崇拜といふが如きことから明され得るものではない。もつと 現實的な、もつと實際的な必から行はれるのである。今日の日本の經濟的機は大なる程度に おいて西洋化し、それにつて我々の生活はあらゆる方面において西洋化してゐる。子は親より も、孫は子よりもその衣、趣味嗜好において西洋化しつつあるといふのが日本の實である。 現實の生活が西洋化すれば、それに應じて思想も西洋化するといふのは必然でなければならぬ。 現代の日本の會は、業から軍事に至るまで、西洋で生れて日本へ移植された科學の力に依 してゐる。西洋の藝や思想は排斥されてゐるが、西洋的自然科學は種々の必から奬勵されて ゐるのである。西洋化のなかから主として謂物質明の基礎と容とをなす自然科學の方面 をのみ入することに努めてその他の的化の方面の移植において自が遲れながら、西洋 化は凡て物質明にぎないかの如く非するのは、西洋化入における自自身の物質的 態度を嘲笑してゐるに等しい。そればかりでなく、日本の會の現實的求にもとづいて西洋的 自然科學を移入し發させることが必であるとすれば、そのやうな科學と結び付いた哲學、從 つて西洋的思想がこの國においてもんになるといふことは當然である。各々の化は孤立した ものでなく、科學と哲學及び藝等とは相互に密接な關聯を形作り、かやうにしてのみ發する ことができる。西洋的な科學が必とされる會においては、おのづから西洋的な哲學や藝な どが求されるのである。科學は思想に影する。それのみでなく、科學そのものの根柢には一 定の哲學がある。從つて科學を普及させることはおのづと、そのやうな科學の根柢をなしてゐる 哲學的思想を普及させることになり、またそのやうな哲學的思想を普及させるのでなければ科學 そのものも發し得ない。それだから一方では西洋的科學の普及發を必とし且つ奬勵しなが ら、他方では西洋思想の普及發を抑壓する場合には、日本の化は體として有機的な聯關と 統一とを失ひ、不健なものとなるであらう。かかる態においては科學そのものの十な普及 發も期することができぬ。ともかく日本の現實の會の西洋化は動かしい事實であり、その ために化の方面においても西洋的なものに對する求を抑止することは不可能である。かくし て日本主義たちと雖も、今日實際に見られるやうに、何等かの西洋思想に自の主張の根據を 求め、その日本主義と何等かの西洋思想とを關係付けようとしてゐる。さうしないならば、今日 の日本人、殊に年たちの嗜好に投じ、關心を喚び起し、信用を得ることが困な事にあるの 一八五 みでなく、自自身ですらも滿足を感じ、確信を持つことができないやうに見える。西洋的なも のの普及は現代の日本に於いてにその程度にまで到してゐる。 日本化と外國化 一八六 このやうな態の中からやがて日本的なものが生れて來るであらう。しかしこの日本的なもの は決して西洋的なものを排除したものでなく、却つて西洋的なものをんだもの、西洋的なもの をじてもしくは西洋的なもののうちに生れるものである。ちやうど日本儒や日本佛のうち に日本的なものが生れたのと同樣である。しかも西洋哲學と云はれるものは宗や信仰でなく理 論であり科學であることを根本的志向としてゐる故に、もし今後、いな現在、儒佛の如く宗 的信仰的な仕方で對立してゐるものを統一する思想が求されるとすれば、西洋哲學的方法によ つて儒佛の根本思想を究するといふことが方法論的にも切なことであらう。將來の日本思 想を設しようと欲するは、西洋思想から轉し向することなく、ろ西洋思想をき拔け てむことがですらあるであらう。 何故に儒や佛の場合には外國思想の模倣とは考へられず、ただ西洋思想の場合にのみかく の如き非が起り得るかといふ理由として、私はに二つのものを、ち第一には日本における 西洋思想の傳統がなほ淺いといふこと、第二には西洋思想の一特質として科學的普性があると いふことをべておいた。もちろん日本思想乃至東洋思想には普性がないと云ふのでは決して ない。西洋的科學の意味における普性を有しないとしても、それは他の哲學的意味における普 性をへてゐる。もし何等の普性をも有しないものであるならば、支思想や印度思想が日 本に移植され、この土地で同化されるといふこともなかつたであらう。凡て偉大な思想には人 的なところ世界的なところがある。それだから我々が東洋思想を深く究することは人化に 對する我々の義務であると云つてよい。この點において日本人がただ西洋のもののみを知つて東 洋化の寶庫に對して無知であるとすれば、甚だ憾なことである。ところで右にべた第一の 點について云へば、西洋思想が日本において明瞭な日本的性格を得るまでに至つてゐないといふ ことは、單に年月が短いといふばかりでなく、にこの短い年月の間において、特に最におい ては日本の會の變化動搖が激しく、日本的性格を固定させるに不利な況にあつたといふこと が指摘されねばならぬ。化が一定の性格を固定させるためには、會の安定が必である。し かしそれにも拘らず、日本における西洋化もつねに何等かの日本的性格をへてゐる。西洋 化のうち如何なるものが日本人に特に歡され、よく理解されるかといふことがすでに日本的に 規定されてゐるであらう。いな、單純な飜譯の場合においてすら、飜譯は解釋であるといふ意味 において、またく脈の異る言葉に移されるといふことにおいて、すでに日本化が行はれてゐ 一八七 るのである。日本的なものが何であるかを知るために、我々はつねに必ずしも去の化に溯る 日本化と外國化 一八八 ことをしない。日本的なものは到る處に見出され得るのであり、そして現代における日本的な ものを識することが特に將來のために必である。日本的なものの究においてつねに將來の 化の問題が忘れられがちであるのは、最も警戒すべきことである。 西洋化と云つても決して一樣のものでない。そしてまた實際において、今日の西洋思想排 にあつても西洋思想の部が排されてゐるわけでなく、或る特定の傾向のものが排されてゐ るのである。思想問題の背後にある政治的問題を見失はないことが最も大切である。 人間再生と化の課題 ——1935.10 『中央論』 各々の時代の化にはそれぞれ一定の中心問題があるとすれば、現代化の中心問題は如何な るものであらうか。私がここで問うてゐるのは特にいはゆる化についてであり、しかも 種々の化に共の基本的なテーマについてである。かやうなテーマは、種々の化に 共のものであるといふ理由ですでに、我々の生の的聯關の中から生れ、これによつて動機 附けられてゐるのでなければならぬ。哲學や藝の如きものについてその生の動機をたづねると いふことは、或る人々を不快がらせるかも知れない。しかしながら哲學や藝に從事するといふ ことも生のひとつの在り方である限り、それには當然、生の聯關によつて規定された動機がある 筈である。純粹に知識のために知識を求めたといはれるギリシア人においても、この純粹な觀想 (テオリア)が人間的生の最高の形式と看做され、觀想にたづさはることは非實踐的であること を意味しないで、むしろそれが實踐の最高の實現にはかならないと考へられた。アリストテレス 一八九 は政治學の中で、自己目的的な觀想は單にひとつの行爲であるのみでなく、最もすぐれた意味に 人間再生と化の課題 一九〇 おいて行爲するといはれるのは「思惟の棟梁たち」であるとべてゐる。かくて純粹な觀想、從 つて叡智(ヌース)にあづかることが人間の持的な生活形式(ヘクシス)として可能であるか 否かが、アリストテレスの倫理學の根本的なテーマであつた。その生の動機を問ふことは藝や 哲學を不純にすることでなく、その存在理由を自覺することである。しかもそれらにとつて自己 の存在理由を自覺することは今の時代において的に課せられた特別の求となつてゐる。蓋 し時代は行動を必とする、あらゆるものが政治的實踐的であることに關心してゐる。このとき 化に從事するといふことは、およそ如何なる意義を有し得るであらうか。そのレーゾン・ デエトルが問はれなければならない。しかもかやうにそのレーゾン・デエトルを問ふといふこと は、今の時代において哲學や藝の如きものが人間そのもののレーゾン・デエトルとなり得るか 否かを問ふことである。 現代化の課題は明瞭である、化活動は政治鬪爭の一である、化的課題は政治的目的に 嘗てかやうなテーゼがげられた。そして政治と化、特に政治と 從屬しなければならぬ、 —— 學の問題がんな討論の中心題目となつた。當時マルクス主義によつてなされたかやうな問 題提出は、我々の時代における哲學や學、に哲學や學の存在理由をあからさまに問題 にしたといふことにおいて重な意義を有した。政治と學といふ尖化した形で提出された問 題の一般的本質的容は、この時代における學の存在理由にほかならない。ただそれは政治と 學といふやうな特殊の形で提出されるとき種々の向に陷る險があつたのである。化の存 在理由はその時々の政治的任務に從屬することに存するにぎぬであらうか。すぐれた作品は單 に或る時代、或る會の一時的な求に應ずる以上の容をもつてゐる。さもなければ、それが 會時代の變化を越えて永するといふことは不可能である。尤も、かく言ふ場合、解が生じ ないために、あらかじめのことを注意しておかねばならぬ。第一に、作品の永性は、作品が 一個の生命あるものとしてそれ自身の命とを有することを否定するものではない。永的 といつても、それがあらゆる時、あらゆる場合に同じ高さの價を受けるといふことではない。 むしろ種々の命の變化の中で結局自己を維持し自己を主張するといふことが生命あるものの特 である。から抽象された永は眞の永ではない。作品の永性には、それがえず蘇生 し、えず新するといふことが含まれる。「最上の作品とは自己の祕密を最も永く保つてゐる 作品である」とヴァレリイもいつてゐる。第二に、すぐれた作品は或る階級、或る會の一時的 一九一 な求に應ずる以上の容を有するといつても、それがつねにただ特定の的況において生 人間再生と化の課題 一九二 れるものであることを否定するのではない。ゲーテは、「唯一の永力ある作品は折にふれての 作品である」といふ意味深い言葉を語つた。一般にただ折にふれての作品があるのみである、な ぜならすべての作品は、それが作られた場と瞬間とに依存してゐるから。自己の生活する時代 に對して生きた聯關を含まないやうな作品は時代を越えて永する力を有しない。時代とのつな がりが深くすればするほど、作品は永性を有し得るのである。第三に、我々は作品の永 性をいはゆる普人間性から明することに對して注意しなければならぬ。人間は本質的に 的であり、人間性もにおいて變化する。もとよりその變化の中から共普のものを抽象し てくることは不可能でないにしても、かかるものは我々の的生活とはかかはりのないもので ある。眞の永が時間の單なる無際限を意味しない如く、眞に人間的なものは單に同一不變に止 まるものではない。ゲーテが永生の觀念を活動の觀念によつて基礎附けようとした如く、普人 間的なものも的行爲の立場から捉へられねばならぬ。そして的行爲はつねにただ個別的 な行爲があるのみである。 かくて眞の化は單に或る會、或る時代の一時的な求に應ずる以上の容をもたねばなら ず、しかも永的價値とか普人間性とかいふものもから抽象して理解し得ないとすれば、 現代化の課題は如何なるものであらうか。マルクス主義の立場から論ぜられた化の政治への 從屬の思想は、この時代における化のレーゾン・デエトルを問題にしたといふ點においてのみ でなく、また如何なる化もの現實の瞬間と結び附かねばならぬことを自覺させたといふ點 において、重な意義を有した。しかしそれが化の課題を單にその時々に變化する政治的行動 に從屬させようとした場合、政治主義への向に陷らざるを得なかつた。政治的任務は本性上 え ず 變 化 す る。 し か る に 政 治 的 問 題 の 變 化 の う ち に こ の 變 化 を じ て 、 或 ひ は こ の 變 化 の 根 柢 に、つねにより永的な、より人間的な問題が含まれてゐる。このものが化の基本的なテーマ として現はれなければならぬ。ゲーテは事物の永的な關係を取扱ふことによつて自のうち に永を作り出すと語つてゐる。永的な人間的な問題といつても、現在のを、その會的 政治的問題を、離れて存在するのではない。けれどもそれはすでに外面から見ても、政治的問題 に比して遙かに永的な性質をもつてゐる。現代の政治的關係をじて現はれるかくの如き永 的な問題を私は「人間再生」といふことに見出し得ると信じる。ジードは先般パリで開催され た國際作家會議の席上で、「今日は人間を、新しい人間を獲得することが先づ緊である」と 一九三 べた。この言葉は、學はもとより、あらゆる化の今日の課題を切に言ひ表はしてゐる 人間再生と化の課題 一九四 と思ふ。「私はソヴェートの新しい學の中にみごとな作品を見た。しかしソヴェートが目下作 りつつある新しい人間、私の期待する新しい人間が、形をとつて現はれてゐる作品はまだ見た ことがない。今はまだ鬪爭、養、生を描いてゐる。未來をげる作品、大きな飛の作品、 その中で作が現實をひ越し、これに先行し、これを嚮し、を拓くやうな作品の生れるこ とを私は信をもつて期待してゐる。」といふジードの言葉もまた注目すべきであらう。もとよ り鬪爭、養、生などを描いてはいけないといふのでなく、むしろそれは求されてゐる。し かしそれがただそれだけにらないで、その中から新しい人間性が發見され、新しい人間が形 されることが必である。政治的なもののうちにおいて、そしてつねに政治的なものとの關聯に おいて、より永的な人間的な問題をむといふことが化にとつては大切である。この頃プロ レタリア人主義といふやうなことが論ぜられ、新しいヒューマニズムの問題が起つてゐるのも 偶然でなく、我々の立場から見て興味深い事實である。ひとはソヴェートと我が國とでは事が つてゐると言ふかも知れない。なるほど政治的問題は異つてゐるが、政治的問題の根柢に持 する人間再生の問題は同じである。ヒューマニズムといつても、抽象的に普的な人間性が問題 であるのでなく、あらゆる人間において同一不變に止まるものが問題であるのではない。現代 ヒューマニズムの根本問題は、現代といふ特定の的時期に相應する人間再生の問題でなけれ ばな ら ぬ 。 中世から世への推移を劃する時期がルネサンスと呼ばれる如く、現代もルネサンスとして特 附けることができる。或ひはむしろ現代を一つのルネサンスとして意識するといふことが今日 のヒューマニズムの本質に屬してゐる。あの時代に、ルネサンスといふ言葉を最初に用ゐた人々 は、單にギリシア的・ローマ的化の再生を、死んだ化の復興、破壞された世界の再興を考へ たのではなく、自自身のことを、自の現在のことを、自身の人間的再生、彼等の人間性の革 新を考へたのであつた。現代のルネサンス的理念においても、代的化の頽廢を見て、これを 復活させ再するといふことが問題であるのではない。あの時代の人々が中世的人間に代的人 間を對立させた如く、今日の化の課題はその代的人間に對してに新しい人間のタイプを創 するといふことである。しかるに我が國では、マルクス主義によつて提出された政治と化の 問題が、その後の政治的勢の變化のために、また化そのものにおける政治主義的向に對す る反動の結果として、人々の意識の中心からざかるに從つて、もはや現代において化的活 一九五 動に從事することの存在理由について殆ど反省も自覺もないといふ態が來たかのやうに思はれ 人間再生と化の課題 一九六 る。かやうにして、化は第に時代との生命的な聯關を失ふ險にあるのである。 ところであのルネサンスの場合ヒューマニストたちは知の如くギリシア化の復興に熱心に 努力した。しかるに現代においても、少くとも哲學に關していふと、或る意味もしくは或る方向 におけるギリシア哲學の復興が今日の哲學に課せられた一つの重な任務ではないかと私は考へ この主觀 る。代哲學は、代的世界の原理である個人主義と結び附いた主觀主義によつて —— 救ひ が個人的自我であらうと、超個人的自我といふものであらうと、多くの差異をなさない —— い陷穽に陷つてゐる。かかる主觀主義に對立させられた客觀主義も、抽象的に主觀主義に對立 するといふ理由によつて、同樣に缺陷をもつてゐる。代の主觀主義の哲學は自己の立場からギ リシア哲學を單なる客觀主義であるかのやうに非する。しかしながら實をいふと、ギリシアに は代的な意味における主觀主義が存しなかつたやうに、代的な意味における客觀主義も存し なかつた。抽象的な主觀主義と抽象的な客觀主義とは表裏をなし、元來同じ根のものである。今 日ハイゼンベルクなどの新物理學の立場において、代的な自然の念は狹きにぎ、むしろギ リシア的な自然の念にらねばならぬともいはれるやうに、現代哲學もその主觀主義、またそ の客觀主義の立場を捨てて、むしろギリシア哲學の立場にるべきであるともいひ得るであら う。ただギリシア的な自然の念に缺けてゐる時間との見方をその中へどこまでも深くひ ませることが大切である。現代化の課題を新しいルネサンスとして把握するは、人間再生 の問題をこのやうな立場から根本的に把握しなければならないであらう。 新しい人間の哲學は何よりも行爲の立場に立つことが必である。從來は美學などにおいても 藝作品を與へられたものとして提し、それをただ理解或ひは享受の立場から眺め、從つてそ れを主としてその心理的效果の方面から究するといふことに局限されてゐた。フィードレルの 如き稀な場合を除いては、藝も制作ち藝的行爲の立場から見られるといふことがなかつ た。人間の究においても同樣、從來の哲學には人間を行爲の立場から考察する見方が缺けてゐ た。しかるに實際は、人間は與へられたものであるよりも作られるもの、的行爲において作 られるものである。我々の存在は固定したものでなく、我々の行爲においてえず作られ、從つ てまたえず發展するものである。人間が作られるものであるといふには、我々の行爲はすべて 制作的活動(ポイエシス)の意味を有するのでなければならぬ。單に藝的活動の如きもののみ が制作的活動であるのではなく、人間のあらゆる行爲は制作的活動の意味をもつてゐる。行爲が 一九七 制作的であるためには、單に主觀的なものでなく、主觀的・客觀的なものでなければならぬ。 人間再生と化の課題 一九八 物を作るといふことは單に意識の部において行はれ得ることでなく、それには身體が必であ る。しかしまた單に身體的な動は行爲とはいはれ得ないであらう。藝が「觀念の物質化」と して主觀的・客觀的なものであるやうに、人間も主觀的・客觀的なものである。そして藝が藝 的活動において作られるやうに、人間そのものも、制作的意味を有しそれ自身主觀的・客觀的 意味を有する行爲において作られるのである。作品のうちには作の人間がおのづから表現され るといふ如きことも、藝家の人間といふものが制作的活動において作られるものであることに よつて可能であらう。このやうに人間を行爲において作られるものとして考察することが新しい 人間の哲學の立場でなければならぬ。人間再生の問題は、人間を與へられたものでなく行爲にお いて作られるものと見ることによつて初めて、現實的意義を有し得るのである。 いま行爲について考へるにあたり、特に主觀主義的見方に墮することのないやうに注意するこ とが肝である。從來の哲學も行爲の立場をくみなかつたのではないが、その場合多くはカ ント的乃至フィヒテ的主觀主義の見方をとるのがつねであつた。しかるにもし行爲の立場が主觀 主義を意味するならば、人間をその立場から考察することは、少くとも一面的であることをれ いであらう。なぜなら體的な體的な人間はもと主觀的・客觀的なものであるから。主觀主 義の立場において行爲を考へることができないといふのは、行爲には、爲すと共に爲されるとい ふ意味が、作ると共に作られるといふ意味が含まれる故である。言ひ換へると、行爲は「行爲」 であると同時に「出來事」の意味をもつてゐる。もし行爲に出來事といふ意味が含まれないなら ば、行爲が的であるといふことは不可能であらう。はその根源的な意味において出來事 を意味してゐる。は單なる客觀主義の立場からも、單なる主觀主義の立場からも考へられな い。 は ど こ ま で も 我 々 が 作 る も の で あ る と 共 に ど こ ま で も 我 々 に と つ て 作 ら れ る も の で あ る。我々はから作られて同時にを作るものである。 人間を體として捉へるには、人間を生れるところから捉へねばならぬ。人間は、彼が生れる ところから捉へられるのでなければ、體的に捉へられることができぬ。人間はつねに主觀的・ 客觀的なものとして生れるのである。人間を生れるところから捉へるのでなければ、人間再生も 十に問題とされ得ない。自然(ネーチュア)といふ言葉がもと生といふ意味の言葉とつながつ てゐるやうに、物は自然から生れ、人間も自然から生れると考へられる。けれども人間がそこか ら生れる自然は的自然でなければならぬ。哲學が「能的自然」と稱したものは的自 一九九 然と考へられねばならぬ。人間は會から生れる。會といふものは人間に對して外にあるので 人間再生と化の課題 二〇〇 なく、人間をそのうちから生み、そのうちにむものである。人間は主觀的・客觀的なものとし て生れるのであるから、これを生む會は單なる客體ではなく、主體でなければならぬ。しかも 人間は獨立なものとして生れるのである。人間は會から生れたものでありながら、獨立にはた らき、に會に作用し、實に會を作るものである。恰も藝作品が人間によつて作られた ものでありながら、獨立にはたらき、に人間に作用し、實に人間を作るものであるのと同樣で ある。かやうに獨立なものを作る行爲であつて創的といふことができる。私がここで生れると いふのは、單に生理的或ひは自然的に生れることでなく、的に行爲的に生れるといふことで ある。人間は單に在るものでなく、行爲において作られるものであるが、行爲には爲すと共に爲 されるといふ、作ると共に作られるといふ意味があるところに、或ひは行爲は行爲であると共 に出來事の意味を有するところに、人間は會から生れるといふ意味があるのである。言ひ換へ ると、人間の行爲はつねに會的に限定されてゐる。會的に限定されてゐるといふのは單に外 部から規定されてゐることではない。會的限定は外的に、從つて間的に考へられるにして も、間と時間とは一つに結び附いてゐる。時間は面的で、間は外面的であると考へるとこ ろの、カントを初め從來の多くの哲學において、現代ではベルグソンにおいても見出されると ころの見が先づ打破されねばならぬ。さうでないと、ゲーテの自然の如き、およそ生む自然は 理解されないであらう。面的といへば間も面的と考へられることができ、また外面的とい へば時間も外面的と考へられることができるであらう。現代のいはゆる不安の哲學は、間性を 外面的として輕んじ、一面的に時間的であることを特としてゐる。人間はもと會から生れる とすれば、人間を生れるところから捉へる人間再生の哲學が根本的に會的な見方を含まねばな らぬことは明かである。 現代化の課題が人間再生にあるとすれば、その基礎となる哲學は創の哲學であるといはれ るであらう。現代の哲學はフェルナンデスの言葉を用ゐると「識の哲學」でなくて「創の哲 學」でなければならぬ。創の哲學は的行爲の哲學でなければならぬ。しかるに、現代にお ける創の哲學を代表するベルグソンの哲學は、的行爲の立場に立つのでなく、なほ知的直 觀の立場に止まつてゐる。ベルグソンは純粹持或ひはエラン・ヴィタールのモデルを、意識に おいて見た。創的化といつても典型的には面的生活におけるものである。しかるに行爲は 單に面的なものであり得ず、つねに身體と結び附いてゐる。行爲するとは自己を超越するもの 二〇一 に働きかけること、また自己を超越するものから働きかけられることである。ベルグソン的な 人間再生と化の課題 二〇二 在論の立場においては行爲は考へられない。彼の哲學が自の住む世界との乖離を感じるの れてゆく面的生活の不安を現はすものと解釋されるのもこれに依るであらう。身體をもつて外 部のい存在を變化するは幸である。創といふのは單に的な程でなく、自己の外に獨 立なものが作られることである。ところで現代の他の代表的な哲學、ニーチェ、キェルケゴール、 シェストフ、ハイデッガー等において見られるのは、ニヒリズムである。創は「無からの創」 の意味を含まねばならぬとすれば、かやうなニヒリズムも何等か創の哲學とつながりを有する と考へられるであらう。ニーチェはニヒリズムを「デカダンにして同時に端初」といつてゐる。 そのニヒリズムは「能動的ニヒリズム」と稱せられる。能動の端初にあるものは渾沌である。 「我々自身は一種の渾沌である」といひ、かやうな渾沌と無とに落ちむことが新しく生れる ために求される。しかしニーチェのニヒリズムもまた、彼自身の語る如く、人格の解の體驗 から生じたものであつて、眞に能動的、行爲的な立場に立つものではない。彼のニヒリズムも主 觀的な意識生活の部に止まり、超越的なものに觸れることがない。彼が超人の話において 象化しようと試みた人間再生の思想は的行爲の立場に移されねばならぬ。ニーチェは人間再 生の問題に恐るべき眞實性をもつて苦惱した悲劇的ヒューマニストであつたが、ニーチェ主義 として出發したジードが、今日、新しい會から新しい人間の誕生を期待してゐるのは、意味深 いことといはねばならぬ。人間は單に面的に生れるのでなく、會から生れるのである。しか 二〇三 も會から客觀的に生れるのでなく、彼自身の主體的な的行爲において生れるのである。 人間再生と化の課題 現代化の哲學的基礎 ——1935.11 『日本論』 一 二〇四 現代化の問題を論ずるにあたり、先づ我々がそれを考察する立場は如何なるものであるかが 問題でなければならない。現代化の特が、よくいはれるやうに、會の轉形期に於ける化 であることは殆ど議論をしないであらうと思ふ。これは種々の立場、相敵對するやうな立場に 於ける人々もが恐らく一致して承してゐるであらう。このやうな轉形期、ち去の化は にその役をり、もしくはるべき命にあつて、しかもほ新しい化が確定した形態に 於て生されてゐない、もしくはその生が熟してゐない時代に於て、化の問題を論ずると すれば、唯一の可能なる立場として我々は的立場に立つの外ないのである。今日の化がま さに轉形期の化であるといふ事實は、この化を考察する觀點を的見地に置くことを求 してゐる。もとより單に轉形期の化のみでなく、凡ゆる時代の化が的立場から考察され ねばならないのであるが、かかる的立場からの考察が必であるといふことは、今日特に 我々の化が置かれてゐる況によつて明瞭にされてゐるのである。ところで的立場からも のを見るといふことは、ものを發展的に見て行くことである。化は固定したものでなくえず 變化し發展して行くものであり、我々の時代の化もこの儘止まるものでなく何等か新しいもの に轉化して行かねばならず、或ひはにそのうちに新しいものが生されつつあるといふ風に見 て行くことである。その意味に於て現代化を的に考察することは、將來に向つて展望的に 考察することでなければならない。去の化をただ囘するのでもなく、現在の化の態を ただずるのでもない。眞に展望的に見ることは未來から見ることである、創の立場から見る ことである。我々が新しい化を生する立場に立つて見ることでなければならない。これが今 日の唯一の的立場である。的立場といふのは行爲の立場である。かくて現代化の哲學 的基礎が問題になるとき、その哲學は行爲の哲學、しかも的行爲の哲學、創の哲學でなけ ればならぬ。このことはマルクス主義でも考へられることであつて、ちマルクス主義はその經 濟理論に於て的立場、特に生の立場を取つてゐる。我々はこのやうな立場を單に經濟現象 二〇五 の み で な く 凡 ゆ る 化 の 考 察 に 於 て 徹 底 さ せ ね ば な ら な い と 思 ふ。 憾 な が ら こ れ ま で マ ル ク 現代化の哲學的基礎 二〇六 ス主義にあつては、謂的化を會の經濟的基礎の單なる反映にぎないと見るところか ら、この化そのものを眞に生の立場から考察することに於て不徹底をれかつたやうであ る。 二 順序として、今日もはやその命をりつつあるとされるブルジョア化、代市民會の 化の一般的特について簡單にべて置かう。この化の根本原理が自由主義であるといふこと は、誰もめてゐる。この時代の代表的な哲學カントは自由の哲學を樹立した人であつた。カ ントの哲學はもちろん非常に深いものを持つてゐるが、その自由の念は自律を意味した。他に よつて律せられるのでなく自で自を律すること、自が自の行爲の立法であるといふこ とであつた。自律の念に於ては自己を超越した如何なるものもめられない。自が自の立 法と考へられるところから、そのやうな自由な個人主義と結び付く。カントには自由な人格の 共同體としての目的の王國といふ注目すべき思想もあるが、カントですら、一般的に云つて、個 人主義的な考へ方をしてゐない。自由主義は個人主義である。その場合に會が考へられるに しても、會は、代の代表的な會學として知られ、ホッブスやルソーなどに見られる會 約に於ける如く、個々の獨立の個人が謂はば約に依つて相結んだのもの、後から出來た のものと考へられる。會が考へられるにしてもその基礎は依然として個人主義的である。如 何なる時代に於ても會が問題にならないことはない。個人主義だからと云つて會を問題にし ないのではないが、その考へに於て個人を先とし會を後にするといふ原理的な關係が存する故 に、個人主義といはれるのである。に代會の個人主義乃至自由主義はその合理主義と關係 を持つてゐる。カントの自由は自律性を意味したが、その自律性の基礎は理性に置かれたのであ つた。理性的であり合理的であるといふことが代の化の一特であつて、それは合理主義の 化であるといふことが出來る。この合理主義を模範的に象するものとして、マックス・ウェー バーは簿記を擧げてゐる。代的合理主義は簿記的合理主義である。 これらの特は市民的化のあらゆる方面に於てめられる。ひとつの例を科學に求めよう。 人々は科學を考へるにあたつても、何よりも先づそれの自律性を問題にした。例へば、會學は 如何にして可能であるか、と問ふ。この問は、會學は如何にして自律的であり得るか、ち他 二〇七 の科學とはく異る自自身の獨立性を持つた科學として立し得るか、といふことを意味し 現代化の哲學的基礎 二〇八 た。や化に關する科學を考察する場合にも能く知られるリッケルトの理論を想ひ起せば明 かであるやうに、化科學或ひは科學の自然科學に對する自律性が何よりも關心されたので ある。リッケルトは、自然科學は法則の識であり、これに反し科學は個性乃至特殊性の把 握であると考へた。普と特殊、法則と個性をく對立的に離して、科學と自然科學との 原理とした。ここにも見られる如く、物を抽象的離的に考へることが各々の化の自律の思想 の基礎となつてゐる。そしてそれはまたその合理主義の基礎でもあつた。論理的に表はせば、そ の合理主義は形式論理の合理性であつたのである。 三 そこでもつとづいて、我々が現に住んでゐる轉形期の會の化の一般的特を考へてみよ う。今べたり、代的市民的化は合理主義、個人主義、自由主義といふ相互に關聯した三 つの特を持つてゐたとするならば、丁度その反對のものが現代の化、この轉形期に於ける 化の特となつてゐるやうに思はれる。非合理主義、反個人主義、反自由主義、主義とまでなら ない場合にも氣として自由主義反對、個人主義反對、合理主義反對といふことが現代人の一般 の心理を支配してゐる。これは今日、種々の立場の思想に於て見られるである。しかしその現 はれ方もしくはその考へ方に於て必ずしも一樣でない故に、我々はもう少し詳しくこの點に就い て考へて見なければならない。 先づ第一に現代の一つの流行思想となつてゐるファッシズムを見るに、それが非合理主義であ ることはここにべるまでもない。それはまた國家といふものを對的な權威として個人がそれ に對して自己を犧牲にすること、個人がそれのに自己の自由を否定することを求するもので あつて、反個人主義的な、反自由主義的な性質をもつてゐる。ところでファッシズムが自由主義 に反對することは、市民的化の批判として一應正しいとしても、問題はのやうなところにあ る。一般に自由と自由主義とは區別しなければならぬ二つの念である。自由主義は一つの 的な範疇として、一定の的時代つまり代市民會の特を現はすものとして用ゐられる。 しかし自由は凡ゆる人間が凡ゆる場合に求めるものであつて、どのやうな會が來ようとも、自 由に對する人間の求が無くならうとは考へられない。自由主義が否定されねばならぬからとい つて、人間的自由までが否定されねばならぬといふことにはならない。ただ問題は、このやうな 二〇九 人間的自由を實現する爲に、從來の自由主義が考へたやうな思想原理乃至は實行的手段で十で 現代化の哲學的基礎 二一〇 あるかどうかといふことである。我々は自由主義と一に人間的自由までも放棄すべきではな い。然るにファッシズムに於ては自由主義の否定が同時に人間的自由の否定となる傾向をもつて ゐると思はれる。これは我々の承し得ないである。 尤もファッシズムに於ても自由が問題にされてゐないわけではない。自由に對する求が人間 の存在そのものに根差したものである限り、そのやうなことはあり得ないことですらある。團體 主義的なファッシズムでさへ自由を問題にせざるを得ないといふことは、自由に對する求が人 間にとつて如何に根源的なものであるかを示してゐる。しかしファッシズムは、自由がただ團體 のうちにのみ、從つてまた個人の團體への對的な從と犧牲に於てのみ存すると主張する。こ のやうな自由の思想は、個人主義的な自由の思想に對しては確かに正當なものを有してゐる。個 人の自由は會に於て實現されるのほかないであらう。自己をく否定して會のために自己を 犧牲にすることが却つて自己が眞に自由になる以であると考へることは正しい。ヘーゲルは、 自由を「對的否定性」として規定したが、かかる對的否定性を離れて自由は存しない。個人 と會とはどこまでも一つのものと考へることができる。しかしながら他の反面に於て個人はま た會に對してどこまでも獨立なものと考へられねばならぬ。個人は會から生れるものであ る。けれども會から生れた個人は會に對して獨立に働き得るものである。この關係はちやう ど藝的創作に於て、作品は藝家によつて作られるものでありながら、一旦作られると彼から 獨立なもの、獨立に働くものとなり、に彼に對して作用するのと似してゐる。かやうに獨立 なものが作られることが「創」といふことの意味であつて、個人が會から生れるといふこと も、 か く の 如 き 創 の 關 係 に 於 て 生 れ る こ と で あ る 。 獨 立 な も の で な い も の は 人 格 と は 云 ひ 得 ず、自由とも考へられない。從つて個人は單に會から規定されるのみでなく、に自己が獨立 なものとして會を規定しすと考へられねばならぬ。しかるにファッシズムに於てはこの後の 關係が明かにされてゐない。それ故にファッシズムが如何に自由をくにしても、結局個人の奴 隷的な從乃至盲從を求することになるであらう。 このことは現實に於てさうであるばかりでなく、ファッシズムが基礎としてゐる哲學に於てさ うである。ファッシズムの哲學的基礎は、あの普主義もしくは體主義であるが、體主義は 人間的自由の否定にるべき理論的命をもつてゐる。體とは論理的に如何なるものであるか といへば、これまで體的普とか、綜合的普とかと云はれたものである。それは形式論理學 二一一 に於ける普、ち抽象的普もしくは析的普に對して名付けられる。體主義が普主義 現代化の哲學的基礎 とも稱せられるのは、體的普の意味に於てである。 二一二 かかる普は特殊を自己の部として含む體である。體的普の論理は體と部の論理 であり、しかも體と部との關係が有機的關係として考へられることがその特色である故に、 その論理は有機體的論理と呼ばれることができる。もしもブルジョア自由主義の論理が形式論 理であると批され得るとすれば、ファッシズムの論理は有機體的論理として特付けられる ことができる。そこでは自由も有機體のに從つて考へられるのである。この論理の根本命題 は、體はつねに部に先行するといふことである。ところで、體主義の論理によつては、個 人の自由は考へられない。個人的自由といふものがあるのではなく、自由は個人の意志と普的 意志との一致であると云ふのは、確かに眞理であるとしても、それは一面であつて、會と個人 とは一つであるといふのみでなく、同時に他面個人はどこまでも獨立なものであるといふのでな ければ、眞の自由は考へられない。有機體においては個人の會への依存が考へられるのみで あつて、眞に獨立なものとして個人は考へられない。個人は會と一つであると同時にどこまで も獨立であると見るのが眞の辯證法である。個人は民族を飛び越えることが出來ない、とはヘー ゲルの有名な言葉であるが、ヘーゲルの辯證法はなほ眞に辯證法的でなく、有機體にられて ゐたことを示すものにほかならない。 四 ファッシズムとそれに對立するマルクス主義とのいはば中間にある哲學の代表的なものは謂 不安の哲學である。それは現代會の中間であるのインテリゲンチャのイデオロギーである と見られてゐる。不安の哲學に屬する人として、ハイデッガー、ヤスペルス、ニーチェ、キェル ケゴール、シェストフなどが擧げられる。彼等の哲學は非合理主義的であり、また代的自由主 義とは異るところを持つてゐる。もとより彼等の哲學相互の間には種々の差別があつて、一々こ こで論ずることができない。今はただハイデッガーを一例として取り上げるにとどめる。 ハイデッガーの哲學の主題は人間の究であるが、彼はそれを人間學と云はないで基礎的存在 論と呼んでゐる。何故に基礎的存在論と呼ばれるかと云へば、彼によれば、人間學において人間 が究の對象となるにはに私にとつて人間が人間として理解されてゐなければならず、それに はそのやうに理解するものの存在理解が先立たなければならぬ。ダーザイン(現存在)の存在理 二一三 解は人間學よりも先のものである、とハイデッガーは云つてゐる。このことは丁度カントが經驗 現代化の哲學的基礎 二一四 の對象界を究する科學の根據を明かにするためには先づ主觀の問題にらなければならぬと考 へたのと同樣であると見ることができる。ダーザインとは主觀的なものである限りに於ける人間 と言ひ換へることもできるであらう。ハイデッガーの哲學は、カントとは同じ意味でないにして も、主觀主義であることにおいて變りはない。これは彼の哲學が行爲の立場でなく、理解の立場 に立つてゐることにも基づく。單なる理解の立場からいふならば、人間を人間として理解する主 觀ないし主觀的なものである限りに於ける人間が先づ問題でなければならぬとも云はれるであら う。しかし行爲するものとしての人間はそのやうに單に主觀的なものではない。行爲する人間は つねに身體を持つたのこの現實の人間であり、それは客觀的なものである。もとより單に客觀 的なものであるならば、行爲するとは考へられない。行爲する人間は主觀的にして同時に客觀的 なものである。よし理解の立場に於ては主觀主義が可能であるにしても、行爲とか或ひは生と か實踐とかの立場に於ては凡ゆる觀念論、主觀主義は無意味に歸する。ものを理解するには意識 だけで十であるかも知れない、しかし我々が行爲する主體であるといつた場合、その主體とい ふ意味は主觀もしくは意識であることができない。しかし行爲の立場に於て見るとき、人間は單 に與へられたるものでなく、却つて行爲が人間を作つて行くのである。ところが識の立場に於 ては人間はただ客觀的に與へられたものと考へられるのがつねである。 人間を人間として理解するものは人間である。言ひ換へれば、人間は自覺的である。從つてハ イデッガーの存在論は自覺存在論とも呼ばれてゐる。いはゆる實存とは自覺存在のことである。 自覺とは自己が自己を知ること、自己意識もしくは自己理解と解されることが普である。確か に自覺とはそのやうなものである。しかし自覺を單にそのやうに考へることは種々のを惹き 起し得る。そのために自覺は單に意識の立場であると考へられて觀念論ともなり、單なる自己の 立場であると考へられて個人主義ともなる。しかし本當をいへば、自覺とは單に自己が自己の存 在を知ることでなく、ろ自覺とは單に自己が自己の存在の根據を知ることであり、自己を知る ことが同時に自己の存在の根據を知ることであるとき、眞の自覺がある。自覺は自己意識である よりも根據の意識である。單なる自己理解としては自己も知られないのであつて、自己はつねに 他に對してのみ自己であり、自己として知られ得るのである。人間がひとりでゐるとすれば自己 を自己として知ることも出來ない。孤獨といふものは何であるか。孤獨とは自であることでな く、ろ自が無くなる時である。そのとき自は無くなつて、自が謂はば感受性の場にな 二一五 つてしまふ。この場は祕主義に最も親しい場であらう。孤獨からするために言葉が發せ 現代化の哲學的基礎 二一六 られる。しかるに言葉はつねに自己と他との關係を含んでゐる。ハイデッガーのいふ自覺はこ れに反して單なる個人的自覺にぎない。眞の自覺は會的自覺でなければならぬ。デカルトの 如く自覺を單に知的意味に考へるのではなく、自覺も行爲の立場に於て考へられねばならず、行 爲的自覺はつねに會的自覺である。 五 我々はマルクス主義について簡單にせよ論ぜねばならぬ順序となつた。マルクス主義は現代の 重な思想として、市民的化に於ける自由主義、個人主義、合理主義に反對してゐると見るこ とは不當でなからうと思ふ。ろそれらに最も明瞭に反對してゐるのがマルクス主義であると云 ふことが出來る。しかし自由主義に反對するマルクス主義は人間的自由をも否定したのでなく、 却つて人間的自由のための鬪爭であるとさへ考へられる。マルクスは本論の有名な箇に於て 自由の王國といふものについてべてゐる。自由の王國を實現するための自由主義の否定であ る。これが一つの點である。にマルクス主義が非合理主義を標榜せず、却つて合理主義を標榜 し、現代の種々なる非合理主義の哲學を批判してゐることも注目すべきことである。しかしマル クス主義は從來の市民的化に於て云はれたやうな合理主義、ち抽象的な合理主義或ひは形式 論理的な合理主義ではない。これまでの合理主義の立場からいへば、それはむしろ非合理主義で ある。蓋し何を合理性と考へるかは、論理の相に應じてつて來る。辯證法を論理としてめ るならば、マルクス主義は合理主義である。けれども形式論理しか論理はないといふ立場から見 れば、それは非合理主義である。しかし辯證法は體的な論理として、後の立場からは非合理的 と考へられる素をも自己のうちに止揚したものでなければならず、從つてそれは單なる合理主 義から區別されてろ現實主義と云はれるのが切であらう。マルクス主義が今日多く見出され る反科學主義反技主義に反對することは正當である。しかしそれだからと云つて辯證法を單に 客觀主義と見ることは正しくないであらう。ろマルクス主義が果して客觀主義にとどまり得る かどうかが問題である。なぜならマルクス主義が生、行爲、實踐を根本的立場とする限り、そ れは單なる客觀主義ではあり得ない。行爲といふものは單に客觀的に考へて行くことは出來な い。行爲は一面どこまでも主觀的なものである。もとより單に主觀的のものでもない。行爲は 主觀的客觀的なものである。問題はかくの如き主觀的客觀的なものを眞に體的に捉へる立場が 二一七 何であるかといふことであり、それが辯證法であるとすれば、辯證法は單なる客觀主義であり得 現代化の哲學的基礎 ず、ろ現實主義と呼ばれることが當であらう。 六 二一八 さて化とは如何なるものであるか。化は人間の生物であると考へられる。それは人間の 生物として、つねに主觀的なものである。客觀的なものと見えるやうな技的化をとつて見 ても、そこには主觀的の素が含まれてゐる。技は我々が或る目的に從つて物を變すること であつて、單に客觀的な自然法則が行はれるだけでは技的なものは生じない。例へば水が高 から落ちるといふことは自然法則であるが、この法則を利用して水力電氣を動かすといふやうな 場合には、人間の目的設定が加はつてゐる。また技は個々の人間と結び付いて、性格化され、 個性化されてゐるといふところからも主觀的な素を含んでゐる。そして技を廣義に解するな らば、技はあらゆる化にとつて基礎的な意味をもつてゐる。 もし化が主觀的客觀的なものであるとするならば、それを單に客觀的現實の反映であると考 へることはできない。反映といふ場合、客觀的に與へられた現實が基礎となるのであるから、反 映は客觀主義の立場に立つてゐる。しかし他面そのやうな客觀的と考へられるのは、ほかなら ぬ現實であつて、それに對するイデオロギーは單に主觀的なものと見られてゐることにもなる。 反映は化そのものについては却つて主觀主義的な見方であつて、化の有する客觀性の重 さ、嚴しさは十にめられない。に反映は眞に生の立場に立つものとは云ひ得ず、從つ て化の創としての意味はめられない。ひとは藝の如きを創作であると云つてゐる。しか るに反映からは創作といふことは明できず、單に主觀的なものと考へられるのほかなから う。に我々がく新しいもの、未來に向つて、未だ存在せざるものに向つて意味を有するやう かかることこそ今日の如き轉換期に於ては特に求 なものを生することがあるとすれば、 —— されてゐるとしたならば、そのやうなことは反映から考へられないことである。未だ存在せざ る未來の反映が可能であるとするならば、そのとき反映はもはや單に反映といふことであり得な い。化は「反映」にぎぬものでなく、「表現」と考へられねばならぬ。表現はつねに主觀的 客觀的なものである。反映は化の理解ないし識の立場に立つものであつて、それの生、 創の立場に立つものとは云はれないであらう。 二一九 化とは人間の作るものである。しかし我々はそこに止ることができない。言ひ換へれば、 化を考察するに當つてそれを作る人間を提しておいてみないといふのであつてはならぬ。 現代化の哲學的基礎 二二〇 化が人間によつて作られるものであるとすれば、その人間は如何なるものであるかを考へねばな らぬ。人間がまた實に作られるものなのである。人間もまた表現的なものである。人間は主觀的 客觀的なものとして表現的なものである。人間は表現的なものとして作られたものである。人間 は行爲に於てえず作られるのである。このやうに見てゆくことが化を生する立場から考察 する時の根本的な考へ方であつて、それが殊に現代のやうな時代に於ては必である。しからば 主觀的客觀的なものを如何にして體的に捉へることが可能であるか。單なる主觀主義の立場に 於ても、單なる客觀主義の立場に於ても、そのことが不可能であるのは云ふまでもなからう。そ のためにはものが生れるところから捉へなければならない。人間が人間として生れるとき、つね に主觀的客觀的のものとして生れるのである。ところで人間がそこから生れて來るといふもの は何かといへば、それが會であり、ちやうど自然がものを生むものと考へられるのと同樣であ る。「生む自然」と云へば、そこから草や木などの生命あるものが生れて來る自然である。その やうに我々は會の中から單に生物的生命以上のものをもつたものとして生れて來る。人間の行 爲は草や木の生長と同樣の程ではない。後が有機的發展と云はれるとすれば、は辯證法 的發 展 で あ る 。 化は我々の作るものであるが、作られた化が生命的であればあるほど、それは我々に對し て獨立なものとなる。藝家が作つた作品は完璧であればあるほどそれ自身の生命をもつた獨立 なものである。眞に物を作るといふことは獨立なものが作られることである。それが創の關係 である。そのやうな意味に於て人間は會から生れ、會のうちにまれどこまでも會と一つ であり、會から規定されながら、他方會に對して獨立なものであり、に會を規定する。 人間は會に働きかけることに依つて自の生むの會を變化する。さうすることに依つて人 間は新しいものとして生れ得るのである。人間が新しく生れる爲には會を自の行爲に依つて 變化しなければならない。人間は會的行爲によつてのみ現實的に新しくなることが出來る。新 しい化が生されるためには新しい人間が生れねばならず、しかも新しい人間は彼等の會的 行爲によつて會を變化することから生れて來るのである。 かくして現代化の哲學的基礎と云はれるものは、新しい意味に於ける創の哲學であり、そ れは的行爲の哲學にほかならない。マルクス主義經濟の出發點とされてゐるやうな生の立 場といふものをどこまでも徹底し、現實的に考へ直し、化のあらゆる方面に於て擴充すること 二二一 が必である。この問題は主觀主義客觀主義を共にむやうな現實主義の立場に於て、從來いは 現代化の哲學的基礎 二二二 れた合理主義非合理主義を共に含むやうな辯證法、乃至はロゴスとパトスとを綜合するやうな新 しいロゴスの展開にその解決を期待されねばならぬ。 年に就いて ——1936.5 『日本論』 一 最年といふものが重大な問題になつてゐる。年將、年官の問題など、最も注目さ れるものである。年とは如何なるものであり、そしてそれが何故に今日特に問題になるのであ らう か 。 年とはもと人間の年齡を表はす言葉である。人間の年齡は普年に數へられてゆく。しか しそれは本來單にこのやうに直線的に行する時間としてのみ問題になるのではない。直線的に 行する時間が圓的に若しくは間的に纏つて一年代を形作る。それが或ひは少年時代と呼ば れ、或ひは年時代或ひは老年時代、と稱せられる。年齡とは體的にはかくの如きものである。 各人は自己のにおいてそれぞれ自己の年齡、例へば自己の年時代をもつてゐる。人間の 二二三 は一年一年と書かれるのでなく、むしろ少年時代、年時代といふ風に書かれるのが普であ 年に就いて らう 。 二二四 ところで今日年といふものが問題になるのは、かくの如き個人の年齡もしくは個人的意味に おける年ではない。問題になつてゐるのは却つて會的意味における年である。會的意味 における年は世代を表はす。ほぼ同年齡の多數の個人が圓的に若しくは間的に、會的に 纏つて一世代を形してゐる。若い世代といふのがそれである。それは若い世代として直線的に 若しくは時間的により先の世代としての老人に對してゐる。會的に問題になるのはかくの如き 世代としての年であり、しかもそれが問題になるのはの同一時期に單に一つの世代でな く、年と老人といふ風に相異る世代が同時に存在するためである。 人間は會的存在であると云はれるやうに、各人はそれぞれの世代に屬してゐる。個々の年 は世代の意味における年に屬してゐる。個人の存在が會から理解されねばならぬやうに、各 人の年齡も世代から理解されねばならぬ。一つの世代に屬する人間は共の命をひ、共の 問題をもつてゐる。それ故に今日年の問題は年將や年官の問題として特に表面に現は れてゐるとはいへ、彼等の問題のうちには一つの世代に共の問題が含まれてゐると云はねばな らぬ。同樣の問題は年學徒にも、年藝家にもある。固より彼等の問題にはそれぞれ特殊性 がある。その特殊性の識も必であるが、同時に問題の共性の自覺が大切である。年将 や年官の問題は我々にとつて無することのできぬ重性を有すると共に、彼等も自己の問 題を世代の共の問題のうちにおいて自覺することを求されてゐるのであつて、かかる自覺を 缺くとき彼等の如何なる思想も抽象的となり、幻想的となる。年將や年官は自己の會 的地位の特殊性のためにかくの如き抽象乃至幻想に陷り易い險があることに注意しなければな らぬ 。 世代としての年の基礎に人間の年齡としての年が考へられ、そして後は人間の身體とい ふ生物學的なものに元して考へられる。このやうに年といふ念の根柢に生物學的自然的な ものを基體としてめねばならないにしても、年の問題を單に生物學的見地から考察するとい ふことは間つてゐる。かくの如き生物學主義は必然的に單なる非合理主義に陷る。我々は現代 のファッシズムが人種といふが如き生物學的なものによつてを明しようとする生物學主義 であることを知つてゐる。年論も民族論と同樣生物學主義に陷る可能性があり、かくして年 論自體が今日の思想的況においてファッショ的非合理主義の一形態となつてゐる場合が尠くな 二二五 い。そこに年といふ最も魅力ある題目にひがちな險があるのである。我々はむしろに、 年に就いて 二二六 世代といふ本來的會的なもののうちにおいて年齡としての年の問題を考へ、そして人間 の身體といふ生物學的なものをもかやうな的世界から考へてゆかなければならぬ。身體と雖 も單に生物學的なものでなく、的なものである。個人の身體は世代といふが如き會的身體 の一身として的世界から生れるのである。年論において生物學的非合理主義を警戒しな ければならないやうに、また心理學的抽象論が排斥されねばならぬ。年の一般的傾向としてそ の純性、浪漫主義、夢想性、非實際的傾向、理想主義、主觀主義、等々、が擧げられる。確か に年には一般にそのやうな心理的傾向がめられるにしても、現實においてはそのやうな傾向 は種々なる會的條件に制約されて純粹に自由に現はれることなく、却つて隱され、抑壓さ れ、萎縮させられ、無力にされてゐることが稀でない。心理學的な、しかも個人心理學的な抽象 論によつて現實の年の問題を片付けることは許されない。簡 單 に 考 へ て も、 今 日 我 が 國 に お い て「年」として問題になつてゐるのは年齡的にはだいたい廿歳から四十歳までを、場合によ つてはに四十五歳位までを含み、從つて生物學的もしくは心理學的にはもはや「年らしさ」 を越してしまつたをも含んでゐる。四十歳と云へば、昔は初老と呼ばれた。ところが現在では その年齡のも少壯將とか少壯官とかの列に加はり、「少壯」と考へられてゐる。年齡の問 題が世代の問題として會的的に考察されねばならぬことは、これによつて理解され得るで あら う 。 かくて世代の形においては會的素が働いてゐる。ディルタイによれば、世代が形され るに當り、第一にそこに與へられてゐる知的化の、第二にの生活、會的、政治的、 その他種々の化的態、特に新たに加はつて來る知的事實といふ二つの群の制約が存在す る。これらの制約の影のもとに、これらによつて規定された同質的な個人が一世代として 形作られる。一つの世代とは同じ經濟的、政治的、會的態の中から生れ、似の經驗、感覺、 養をへ、同時に生活する個人の集團を意味する。かくの如き見地から現在の日本を觀祭す るとき、そこに三つの世代の區別がめられるであらう。第一には年齡的にはおよそ六十歳を ぎてをり、代的日本の設に直接に參加した人々。最も明確なタイプとしての「自由主義」 はこの世代に屬するに比的多い。第二には、年齡的にはそれ以下の、そしてだいたい四十五 歳乃至四十歳位までの人々。先輩の創始した基礎の上に比的安に立身出世することができ、 殊に日露戰爭後における日本本主義の上昇發展の好況期を年時代に經驗した人々である。第 二二七 三には、今日のいはゆる「年」。ち日本本主義の矛盾或ひは行詰りが漸く顯になつた以 年に就いて 二二八 後に長した人々である。それは大正九年を境として考へることができる。この年は日本會經 濟にとつて注目すべき年であり、その四月、世界大戰以來未曾有の好景氣に惠まれて來た我が 國の本主義は果然大恐慌に襲はれた。日本最初の大衆的メーデーが行はれたのも、日本會主 義同盟が立したのもこの年のことである。その頃からマルクス主義が第に普及するやうにな つた。かくて今日のいはゆる年にとつて、從來の知的化ののほかに、「特に新たに加は つて來た知的事實」といふのは、マルクス主義であり、に最のファッシズムである。これら の思想はこの世代の形に種々の仕方で重な影を及ぼしてゐる。この世代は自己の命とし て本主義の矛盾に最も甚だしく惱まされ、この矛盾を會的にも思想的にも何等かの仕方で解 決することを自己の問題として與へられてゐる。 一七六八 —— 一八四八)は、彼の五十歳の頃、のやうに書いた。「昔の老 シ ャ ト ブ リ ア ン( 人は今日の老人ほど不幸でも孤獨でもなかつた。彼等は、生きながらへて、彼等の友人を失つて しまつたにしても、少くも彼等のの事物は殆ど何等變化してゐなかつた。年時代は離れ去 つたにしても、會に對しては彼等は疎を感じなかつた。今ではこの世の中の落伍は、單に 人間が死んでゆくのを見たばかりでなく、觀念が、原理、風、趣味、快樂、苦惱、感が死 んでゆくのを見た。何物も彼が知つてゐるものに似してゐない。彼は彼がその眞中において自 己の生涯をる人の一つのつた人種である。」實際、革命後の新しいフランスとアンシャン・ レジムのフランスとの間の對照には顯なものがあつた。深刻な會的機を經驗したは誰も シャトブリアンが表白したやうな感をそれぞれの立場から懷くであらう。老人が自を「つ た人種」として感ずるのみではない、年はまた年で、自を「つた人種」のやうに感ずる のである。アメリカの哲學ウィリアム・ジェームズは云つてゐる、「我等の間で六十歳のは 自等のために無數の影によつて作り出された知的風土の捉へい變化を經驗した。それらの 影は去の世代の思想をの世代に對して他の人種の言葉であるかの如く疎に見えるやうに した」。同じやうに現代日本の年も彼等の住む「知的風土の變化」を經驗してゐるのである。 かくの如き知的風土の變化を洞察することなしに、下剋上などといふ言葉を持ち出して彼等に 訓しても、恐らく「他の人種の言葉」としてしか感ぜられないであらう。 二 二二九 すべて世代の形においては人間が特にその年時代に如何なることを經驗するかが決定的に 年に就いて 二三〇 重な意味をもつてゐる。蓋し年時代は一生において感受性の最もい時であり、また最も變 化し易い時である。オルテガは世代の實體を科學、趣味、倫理等の表現の根柢に横たはる根源 的な、されぬ體性における生活感と見做し、これを「生命的感受力」と名付けてゐる。 確かに、一つの世代は知識の方向を意味するよりも感受性や意欲の子を現はすであらう。傳統 に累せられることの少い年は感受性も新鮮で、意欲も活である。同じ事件に對しても、年 と老年とでは、印象されるさも影される仕方も異つてゐる。それ故に世代の實體が生命的感 受力にあるとするならば、年こそ世代中の世代と呼ばれてよいであらう。世代が世代として問 題にされるのは根本においてただ年ち若い世代であり、同時に存在する他の世代もこれに對 する關係において問題にされるのがつねである。若い世代は新しい感覺と新しい意欲とをもつて 現はれてゐる。ここに新しいと謂ふのはもとより單に生物學的意味においてではなくて的意 味においてである。世代の形にあたつて會的條件が重な作用を及ぼすことについては に べ て お い た 。 しかるに世代の實體が右のやうにパトス的な統一にあるといふことは、反面から考へれば、 の一定の時期において一つの世代は必ずしもロゴス的な乃至イデア的な統一を有するものでは ないといふことである。今日の年の如き場合がそれである。現代會の不安、現代化の混亂 の中にあつて、感な年はそれ自身がかくの如き不安と混亂との象である。このことは特に 年インテリゲンチャにおいて甚だしい。若い世代がかやうに不安と混亂とにあるといふこと は、彼等の先輩が嘲笑して或ひは訓して云ふやうに彼等の思想が未熟であるためではない。反 對に早熟こそ現代のひとつの特である。年はその早熟によつて謂年らしさを失ひさへし てゐる。彼等の或るは人生及び會の曲折を經驗し、そのどん底を體驗してゐる深さにおいて 日本本主義の時期に生長した彼等の先輩の想像しいものがあるであらう。世代の人間が 好んで語る深さには底がある。今日の年の見詰めてゐるものには底がない。しかも早熟な今日 の年にとつての不幸は、彼等が眞に熟する暇を有しないといふことである。會的不安と 化的混亂と、一切の物が動搖する度は、彼等にとつて熟することを不可能ならしめてゐる。 熟してゐるかのやうに見える年も、むしろ單にマンネリズムに陷つてゐるにぎない場合が 多く、新しい世代の意欲を體現し、これを思想的に確立し、この世代に對して指力を有するも のではない。このマンネリズムは熟することのない早熟の現はれである。今日の年の任務は 二三一 かやうなマンネリズムから脚して自己の根源的な感覺と意欲にり、自己の世代の問題の解決 年に就いて 二三二 に努力することでなければならぬ。世代の問題といふのは本主義の會及び化における矛 盾である。この世代そのものが發生的にはかくの如き矛盾の中から生れたものである。自己の 世代に的に課せられた問題を提げて起つといふことがこの世代を世代として眞に完せしめ る以である。その問題が大きければ大きいほどその世代は輝しいものとなり得る可能性を有す るのである。すべて偉大な人間は偉大な問題を提げて現はれて來る。問題の偉大さが彼の偉大さ の一つの尺度である。今日の年の多くは自己に與へられた問題のにただ不安と焦躁とに戰い てゐる。問題は彼等にとつてあまりに大きぎるのであらうか。それとも問題解決の條件が未だ 熟してゐないのであらうか。早熟な年が氣力と冒險心とに乏しいことも事實である。 もちろん世代の問題は單に客觀的な會の問題ではない。「世代」の念は本來の主體を 現はし、かかるものとして單に客觀的に考へられる「時代」の念とは區別される重な意味を もつてゐる。世代の問題は主體的な問題である。かやうな主體的な問題として世代の問題は、現 代の不安のうちに自己の人格をも壞せしめた年が新たに生れること、現代の混亂のうちに 熟することを得ないで無性格になつた年が新たに人間の觀念を確立することである。自己の 世代が熟して眞に表現的になり、人間のうちに位置を獲得することは世代の關心でなけれ ばならぬ。現代の年のうちから人間の新しいタイプが作り出されることが求されてゐる。し かるに新しい人間が生れるとして、彼がその中から生れて來るところは會である。人間は會 から生れる。從つて新しい人間が生れるためには會が變化しなければならぬ。人間は新しい人 間として生れるためにみづから會に働きかけてこれを變化しなければならぬ。ち世代が新し い人間のタイプとして自己を確立するといふことと會に働きかけてこれを變化するといふこと とは決して無關係なことではない。一方年は自己を新しい人間として確立するのでなければ 會を變化することができぬ。他方會が變化するのでなければ年は自己を新しい人間として確 立することができぬ。人間は會的に活動することによつてのみ自己を形し得るのである。 「性格はただ世界の流のうちにおいてのみ形される」とゲーテは云つてゐる。會は我々がそ こへ出て來て芝居をして見せる單なる舞臺ではない。この舞臺から場して我々は何處へ行く のであらうか。やはり會である。人間は會から生れて會のうちへ死んでゆく。會を單に 我々に對してある世界と考へることは主觀主義にほかならぬ。我々が主觀として會は我々に對 して立つ客觀にぎぬのではない。人間は單に主觀でなく同時に客觀であるやうに、會も主觀 二三三 的・客觀的なものである。もまたかかるものであり、從つて「世代」と「時代」とも一つに 年に就いて 二三四 考へられる。年にとつての問題は單に彼等のみの問題でなく、また時代の問題でもある。 ところで今日の年にとつての不幸は、その世代が一つの世代でありながら世代として確定さ れてゐないといふことである。そのことは一般には、この世代にパトス的な統一がめられるに しても、ロゴス的な乃至イデア的な統一が未だ形作られてゐないことを意味する。そしてそれは 先づ特に思想と行動との乖離において現はれてゐる。例へば、今日我が國の年インテリゲン チャほど行動について、會について、辯證法について論ずることを好むものは稀であらう。し かも彼等の大多數にとつては結局、行動も、會も、辯證法も、ただ思想において存在するのみ である。これに對して一部の實際に行動力を有する氣力も冒險心もある年は現代の問題を切 に解決し得るやうな思想に缺けてをり、この世代の指となつてこれを統一することができな い。思想と行動とが一定の方向に統一されない限り世代は不確定に留つてゐる。に、この世代 はその年時代に日本本主義會の矛盾乃至行詰りに出會つたといふ事實によつて、根本にお いてはほぼ共の性格を有するに拘らず、上はに多くのにされてゐる。それは年齡 的に見ても、二十歳位から昔は初老と呼ばれた三十歳位に至るきりで、かなり永い期間を括し てゐる。しかるにデュルケームがその『業論』の中にげた法則によれば「會が高度の種 に屬してをればをるほど、それは一に化する、なぜなら統一が一柔軟になるから」。 一つの世代から他の世代へ、會的變化は一になり、世代替の度は加する傾向があ る。實際、今日、我が國において「年」とか「少壯」とか云はれて問題になつてゐるもののう ちには、その二十代に殆ど映畫を見たことのないもあり、彼等と現在二十代の年とは或る意 味ではく異る世代と考へられてよいほどの相がある。かやうに異質的なを括することに よつて今日年と稱せられる世代は不確定にされてゐる。そのうち年長が年少の指とな つて世代を統一して行く力はであり、むしろ年長がえず新たに現はれて來るに引ら れてゐるといふ有樣である。會及び化の動搖のためにこの世代のうちに傳統の熟する暇が ない故である。もとより年が年であるのは未だ完してゐないからであると云へる。しかも 老人には老人としての完があるやうに年には年としての完があると云ふこともできるで あらう。彼等の活動が眞に有意義であるためにはにそのうちに一定の方向が支配してゐるので なければならぬ。完もしくは熟への傾向性の統一が見出されるとき、世代は確定される。そ れ故に今日の年の問題は本質的に世界觀の問題に關係してゐることが知られるのである。自己 二三五 の世代の問題に正確に照應する世界觀の把持が年にとつて務となつてゐる。 年に就いて 三 二三六 しかし年は世代として不確定であるにしてもなほ老人に對しては年として確定されてゐる と考へられる。そこで今日の年の問題は年と老人との問題であるかのやうに見える。實際、 我が國は老人國であると云はれるほど、會において老人の占めてゐる地位は大きい。かやうに 云へば、我が國では老人の方が偉いので、若いは駄目ではないかと云ふもあるであらう。確 かにそのやうに云はれ得るところもある。けれども老人がどれほど偉いと云つても、時代に對す る感覺において年と比することができないであらう。謂時局識の相も單に知識的なも のでなくて、このやうに感覺の相を意味してゐる。また現在の若いが駄目であるのは彼等に 然るべき地位を與へて活動させないといふことにもよるのである。人間は誰でもたいていその地 位に就けばその地位にふさはしい人間になり得るものである。年は輕だとか無謀だとか云は れるけれども、その年も責任のある地位に立てば無謀でも輕でもなくなるものだ。ところで 今日我が國において年が特に問題になつてゐるのは、年官といふが如く、自由に競爭する 餘地が少く、閥とか官學私學の差別とかいふやうな封的な殘存物のが多く存在してゐる場 合である。今日の年官は彼等の先輩たちと同樣の度で昇することができず、先が詰つて ゐる。彼等は個人的利から云つても封的なものが除かれることを望まずにはゐられない。そ してもはや昔のやうな昇を夢みるやうなことができなくなつた彼等はせめて思う存仕事がし たいといふ欲望を感ずるであらう。彼等のの會の勢はまたこのことを求してゐるやう に見える。かくて彼等の個人的利と會の勢とは結合して、彼等に向つて官界の改革を求 せしめるに至つてゐる。 一 般 的 に 云 つ て、 年 が 問 題 に な る の は 封 的 な も の に 對 す る 關 係 に お い て で あ る こ と が 多 い。例へば、について年が問題にされ、現代の年の的頽廢が非される。確かにこ のやうに非されて然るべき點もあらう。けれどもまたそのやうな非が實は封的の規準 からなされてゐることが少くないのである。封的な家族制度や身觀念等は必然的に變化すべ き命におかれてゐる。この變化を代表してゐるのが年である。從つて不として非され てゐることに却つて健康なもの、或ひは眞に健なの萌を含んでゐるものもあるのであつ て、このことは特に今日の人の場合について云ひ得るであらう。尤も、そのやうに舊いを 二三七 破壞しつつある年に新しい倫理が確立されてゐるわけでない。倫理の喪失は年のしい一つ 年に就いて 二三八 の特であり、年の混亂として人の眼に映ずるものの最も大きなものの一つである。しかるに このとき注意さるべきことがある。先づ、封的なものに對する對立は我が國においては東洋的 なものに對する對立を意味する。それ故に西洋的なものに對する東洋的なものの特殊性が何等か の仕方でめられねばならぬとすれば、この問題は複雜妙な性質を帶びてゐる。今日の年の 心理の混亂のひとつの原因がここにある。に、封的なものに對する年は自由主義を代表す るものと考へられる。ところが若い世代のこのやうな自由主義は政治的竝に經濟的自由主義とは 殆ど何等關係のないものである。本主義會の行詰りの物であると云つてもよいこの世代 は、本家的自由主義に對して信用をおいてゐない。若い世代のこの自由主義を化的自由主義 と稱するのでさへ不當である。彼等が化主義であるかのやうに見えるとすれば、それは政 治的關心竝に活動の自由の發現を禁じられてゐる結果生じた極的な化主義である。若い世代 の自由主義の實質はヒューマニズムである。それはヒューマニズムとして東洋古來の自然主義に 對して對立すると見られることができる。若い世代の自由主義は東洋的自然主義との關係におい て年の心理に特殊な陰影を與へてゐる。 さて年が的に意義を有するのは、彼等がまさに年として傳統にられることなく新し い創の主體となり得る爲であらう。世代が變ることは的活動の主體が變ることである。今 日年が問題になるのは、かくの如き會の新力としてでなければならぬ。しかし、このこと 「我々の會の行は本質 は人間の生物學的な誕生と死とがの發展の基礎であるといふ —— が如きことを謂ふのではない。は決して單に生 的に死を基礎とする」とコントは云つた —— 物學的な程ではない。・生物學的な世代理論は、如何に巧妙にされようとも、かの風 土觀と同樣のに陷る。年の革命性を・生物學的に主張する年論は、現代において はファッショ的非合理主義の一形態として現はれ得るものである。に々べた如く、世代と いふものも的會的に規定されたものである。それのみでなく、年といふのは世代のこと であるとしても、この世代といふのはいはば自然發生的な集團であつて、目的意識的に組織され た團體であるのではない。かくて我々は一方、種々なる團體組織をじてそのうちに含まれる 年の世代的統一の重性を察することが必である。かくの如き謂はば眼に見えぬ力として 年があらゆる時代に革新的に働いてゐることに注意しなければならぬ。しかし他方、革新的と考 へられる年も組織に結び付いて初めて重な意義を有するに至るといふことに注意すること 二三九 が必である。右の事を今日特に問題となつてゐる年官や年將といふものが示してゐ 年に就いて 二四〇 る。これらの年はいづれも一定の團體組織に結び付いたものである。この組織は勞働團體の如 きものとは性質を異にするが、官や將は知的ルンペンと稱せられる無組織の多くのインテリ ゲンチャの如きものではない。しかるにこのやうに組織と結び付いて初めて年が現實的なもの として問題になることを注意したは、一歩をめて年論を一體的な會的地盤に移さな ければならない。ち會階級論の立場におかれるのでなければ、年論は抽象的にらねばな らぬ で あ ら う 。 日本的性格とファッシズム ——1936.8 『中央論』 一 日本にファッシズムが來るか。勿論、それはに我が國に現はれてゐるとする見解が有力であ る。ファッシズムが今後日本において出現するにしても、乃至は現在よりも化されるにして も、それが根本においてこの國の會的經濟的事に依存することは云ふまでもない。勿論、そ れは今後の世界勢の變化に依存することでもある。併しに日本的思想の性格とファッシズム との關係を考慮に入れることが必である。例へば假に從來の日本的思想がファッシズムの出現 にとつて好合な性格を有するとしよう。そのときには、現にファッシズムとは關はりをもたぬ 純粹に日本的なものとして唱される思想のうちにおのづからファッシズムがびんでゐると いふことが容易に生じ得る。またそのときには、實際はに日本にファッシズムが來てゐるにも 二四一 拘らず、未だ來てゐないと考へたり、それがに化されてゐるにも拘らず、未だであると 日本的性格とファッシズム 二四二 考へたりするやうなことも起り得るのである。かくの如き解乃至は、勿論、思想の現實的 基礎をなす會的經濟的態の客觀的究によつて訂正されることができ、また訂正されねばな らぬ。併しながら他方例へば日本人及び日本的思想が模倣性に富み、外國の思想に感染し易い性 格を有するとすれば、その現實的基礎の態に相應するよりも先走りしてファッシズムを入し 乃至は化させるといふが如きことも起り得るのである。かくして日本的性格とファッシズムと の關係について考察することが必になつて來なければならぬ。 しかし何が日本的性格であるかを定めることは決して容易でない。年日本主義の流行と共に 日本的なものに關する論議は甚だんであるが、論の間に一致した意見が存在するやうにも見 られない。先づ何よりも注意すべきことは、それら日本主義の議論の多くは方法論的基礎が薄 であり、哲學的反省が缺乏してゐるといふことである。彼等の議論の根柢となつてゐるも のは、おしなべて謂實際主義的觀に屬すると云ひ得る。この觀の特色は現在の行動のた めに有用な訓を引出して來る意圖のもとに去のを觀察するところにある。實際主義的 は訓的である。この種のは支において特別に發をげ、厖大な支籍はその 世界的典型である。我が國の敍は古くから支學の影を受けたといふこともあつて、 を「かがみ」と見る實際主義的傾向をく示してゐる。それは日本的性格の顯なものとし て擧げられるのをつねとする實際主義の一つの現はれであるとも見られ得るであらう。勿論、西 洋にも實際主義的觀、訓的が存在しないわけではない。併し代學はかかるを 非科學的として斥け、それに代へて科學的なち發展と稱せられるものを發させた。我 が國においても明治以後西洋學の影のもとに、獻學的方法、化的方法、唯物觀的方 法等が唱へられ、科學的な、發展的なへの努力がなされて來た。最における國民主義的 はこれに對して反動的意義を有するものである。發展的見方は以の實際主義的見方に 轉し、特殊な事實が體の發展程から孤立させられ、世界的聯關から抽象されて觀察され、 誇張されてゐる。反動思想は反動學を生み、反動學は反動思想に仕へてゐる。自己の主觀的 な目的に利用するために特定の事實、事實の特定の方面のみをの體の發展の聯關から孤立 させて取り出し、これが日本的なものだと云つても、科學的だとはめいであらう。發展的 から實際主義的への反動は、我が國においては、の傳統が若く、後の傳統が古いだ け、人々の注意を惹くことなしに容易に起り得ることである。勿論、實際主義的の動機が凡 二四三 て無意味であると云ふのではない。如何なるも現在の立場から書かれる、これは的識 日本的性格とファッシズム 二四四 の根本的制約であつて、實際主義的觀がこのことを事實においてして行つてゐるとすれ ば、それは理由のないことではない。然るに事實において行つてゐることは理論においてめら れ、科學的自覺に持ち來されることが大切である。言ひ換へれば、考察における自己の立場 が主觀的に陷り易いのを考へて客觀的に反省することが大切であり、そのためにはそれをの 體の發展程において、且つ世界的聯關のうちに眺めるといふこと、ち眞の意味における 的自省が求されるのである。 二 ところで頃日本的なものを唱する多くの人々にはかやうな的意識が缺乏してゐるやう に思はれる。差當つて注意されることは、日本的なものを決定するに際し、それを或るは日本 の上代に、他のは王時代に、に他のは降つて川時代の中に求めるといふやうに、 多くの場合において發展的な聯關が見失はれてゐる。かくの如く人々によつてそれぞれ異る時 期が謂はば特に日本的な時期として擧げられるといふことは、一面から見れば、日本人の意識に とつて古典的時代ともいふべきものが一定して存在しないといふことを示してゐるであらう。い つたい日本の如何なる時代が古典的時代であるかと問はれるならば、我々は西洋の國民と 同樣に容易に答へることができないであらう。少くとも家と儒と佛家とが一致して承 し得るやうな日本の古典的時代といふものを見出すことには困が感ぜられる。我が國の昔の優 秀な儒、佛家の中にさへ、そのやうな古典的時代を却つて支の如き外國において考へた があつた。かくの如き意味において統一的な古典意識の缺乏は、我々がそこに日本的性格の探求 の一つの端をめ得るやうな日本の特殊性に屬してゐる。併しまたそのことこそ、日本的なも のの決定に當つては從來のの體が觀察されねばならぬといふ方法論上の必をしてゐ ることでもなければならぬ。 然るに事實は反對に頃日本的なものを高唱する人々の觀察からは明治時代、恐らく後世の日 本人がこれをもつて日本の古典的時代と考へるであらうとさへ想像し得る明治時代が除外される 傾向がある。明治以後は西洋模倣の時代として、外來思想によつて日本的なものが失はれた時代 として、彼等から排斥されるのがつねである。けれども事實としては、明治時代こそ日本に おいて眞に國民的統一が立した時であり、眞の國民主義が現はれた時である。この點において 二四五 日本も世界のの何等例外をなすものでないと云ひ得るであらう。ヨーロッパにおいても封 日本的性格とファッシズム 二四六 會から代的會へ移つて行つたルネサンス以後の時期は代的國家の立の時期であり、國 民主義勃興の時期であつた。勿論、その場合にも明かに日本的特殊性が存在してゐる。何が日本 的性格であるかを知らうとするは必ずしもつねに昔の日本にることをしない。現代の日本 のうちにも日本的性格は現はれてゐる。或る意味では却つて現代の日本の究が日本的性格の究 明にとつても最も重であると云ふことができる。なるほど明治以後の日本は西洋思想の影を 受けてゐる。併しかかる西洋思想の受け入れ方そのもののうちに、嘗て我々の先が佛思想や 支思想を受け入れた場合におけると共のものが存在しないであらうか。その共性のうちに 日本的性格が考へられねばならぬ。外國思想の入も決して偶然に行はれるのでなく、自國の現 實の發展がそれを求するに至るのである。 右の方法論上の缺陷は今日實踐的な日本主義のみでなく、觀想的な日本主義、世間でも自 自身でも理論的で、學的であると思つてゐる日本主義においても同樣に見出される。後 もまた日本的なものについての彼等の考察から現代の日本を意識的に或ひは無意識的に除外し、 從つて眞に發展的な見方が缺乏してゐる。彼等はといふものが單に去のでなく、却 つて現代のであることを理解しない。ところで特に考慮をする問題は、それら凡ての國粹 主義たちが恰も日本的特殊性であるかの如く主張するものが實は何等特殊性でなく、却つて の一般的な發展段階の異る時期に屬するにぎぬものでありはしないかといふことである。一 體的に云へば、事物の現象形態に囚はれることなくその本質を捉へるとき、彼等が日本的な ものとして唱へるものは封的なものであり、そして彼等が西洋的なものとして斥けるものは 代的なものであり、從つて西洋においても代に至つて初めて現はれたものであるといふこと、 またそのやうにして日本的と考へられるものも本主義以の西洋の會に存在してをり、そし て西洋的と云はれるものも日本の會が本主義的になると共に必然的に現はれざるを得なかつ たものであるといふことがないであらうか。發展段階における相にぎぬものを民族的特殊性 そのものの如くきへることのないやうにすることが大切である。このことも我々が國粹主義 に對してげねばならぬ方法論上のである。このは、我が國においては現在なほ封 的なものが多く殘存してをり、そのために日本的なものと封的なものとが混同されて同じに られるといふことが生じ易いだけ、重である。このやうな混同もまた事物を眞に發展的に見る ことによつてのみ除去され得るものである。 二四七 然るに事物を發展的に見ることは、それを眞に實踐的な立場から、もしくは生の立場から 日本的性格とファッシズム 二四八 見ることにほかならない。日本的性格の究明にとつて現代の日本の究が特に重であると云ふ のも、この立場においてである。今日人々が日本的なものとして擧げてゐるものの多くはに 去のものに屬してをり、現に去のものに屬しつつある。我々と雖も、その美を理解し、享受し、 賞する。併しながら我々がそれに滿足し得るのは觀照の立場においてであつて、ひとたび生 の立場に立つとき、我々はそこに不安を感ぜざるを得なくなるであらう。例へば我々は純日本 築の線の美しさ、木肌の美しさを知つてゐる。けれども今日の會が必とする多數の工場、 共的物、また今日の生活條件に制約されて第に加して行くアパート等をてようとす る場合、西洋式築を排して純日本式をることが可能であらうか。西洋式築が出來れば、そ の裝には洋畫が求されるやうになる。我々はまた例へば日本學の本質が、あはれ、さび、 わび、しをり、幽玄、風等にあることをへられ、そしてそのことを理解する。併し今日多數 の年が映畫へ行くこと、西洋樂のレコードを聽くことに最上の快樂を覺えてゐる場合、創 作に從事する學は、あはれ、さび、風などを自己の學のとして固執することに安心 し得るであらうか。築、美、樂、學、科學、哲學、宗等、會の一時代のあらゆる 化は相互に密接な聯關をなしてゐる。然るに今日人々が日本的なものとして擧げてゐるものに は、現代の日本の會の經濟的、技的、科學的化の聯關から游離し、孤立してゐるものが少 くないやうに思はれる。的に云へば、それらのものは現在の物質的竝びに的化の聯關 から游離し、孤立してゐるが故に、「趣味」として、「養」としてばれるのである。そこに は最早活な創的は存しない。皮にも、人々の謂日本的なものは現在多數の日本人に とつては「趣味」となり、「流行」として感ぜられるやうになつてゐる。かくの如き態に滿足 し得ないは日本的なものを發展的に把握しなければならぬ。單なる享受の立場に立つのでなく て生の立場に立つとき、去の日本的化が如何に美しいにしても、我々は最早それと同樣の ものを同樣の高さにおいてみづから生し得る條件を今日の現實の會のうちに有しないのであ る。勿論、我々は西洋思想の單なる模倣に甘んじ得るものではない。化の創にとつて傳統の 大切なことは云ふまでもないが、去の傳統と如何に結び付くかといふことは現在我々にとつて 特別に困な問題となつてゐる。この困は、右に觸れた古典意識の問題とも關聯し、そのうち に我々が日本的性格を探り得るほど日本において特殊的なものである。に附け加へて云へば、 單なる特殊性はそれ自身無價値である。ただ日本だけで用して支では最早用せず、理解も 二四九 されないやうな原理を日本として高唱するのみでは、昔の日本ならばともかく、今日の世界 日本的性格とファッシズム における日本としては甚だ不十であると云はなければならぬ。 三 二五〇 知の如く、日本には現在なほ多くの封的なものが殘存してゐる。かかる封的なものを直 ちに日本的なものそのものと見做すことのはにべたりであるが、飜つて我々の實踐の 立場から考へるとき、西洋國に比して日本には多くの封的素が現在も存在するといふこと がそれ自身一つの日本的性格を形してゐると考へ得る。かかる意味における日本的性格を問題 にすることは、ファッシズムと日本的性格、乃至はファッシズムの日本的性格について考へる場 合、特に必なことでなければならぬ。西洋は個人主義であつて日本は體主義であるといふの は、頃有名な命題である。それは然理由のないことでない。併しながら西洋においても個人 主義が發したのは主として世に屬し、それ以も個人主義的であつたとは云へぬ。從つて今 日體主義を標榜する西洋のファッシズムの理論のうちには多くの中世主義の素が取り入れら れてゐる。一方日本においても本主義の發は必然的に自由主義、個人主義を發生せしめ、家 族制度等の如きも第に機に瀕してゐることは何人も否定し得ぬ事實である。しかも本主義 は西洋の單なる模倣といふが如きものでなく、遙か明治以から日本の會のうちにそれへ發展 せねばならぬ在的原因が存在した。なほ我が國に比的多く體主義的なものが現存するとす れば、それは我が國における本主義の發が激であり、自由主義や個人主義が十に熟 し得なかつたといふことに基いてゐる。勿論、そこには地理的、政治的等の特殊事がめられ る。日本が島國であること、川幕府が國政策を行つたこと、その他の原因はこの國における 個人主義や自由主義の發を抑壓したであらう。デュルケームも云つた如く、人間の個性や自由 の發には會の範の擴大が必である。日本の會が比的閉ざされた會として存在して 來たといふことは體主義的觀念の發にとつて好合なことであつたであらう。併しながら固 よりファッシズムはその本質において封的イデオロギーそのものでなく、却つて本主義の現 在の段階に相應するイデオロギーである。この點において今日の日本主義も外國の體主義ち ファッシズムに對して例外をなすものでなく、日本における本主義の行詰りから生れて來たも のにほかならない。かくの如き意味において日本主義は何等日本的でなく、世界的である。それ だから他方日本主義のみが日本的性格を有すると誇稱し得ないことにもなる。日本主義が果して 二五一 日本的なものの代表であるか否かも甚だ疑問である。ろ一部の人々がみづから直にめて 日本的性格とファッシズム 二五二 ゐるやうに、今日の日本主義はファッシズムである。ただ現在の日本の特殊性、ち封的なも のが比的多く殘存してゐるといふこと、個人主義や自由主義が十に發してゐないといふこ とは、このファッシズムの日本的性格を規定してゐる。また右の日本の特殊事はこの國におけ るファッシズム的支配にとつて有利な條件の一つであらう。併し問題は、封的なものち日本 的なものでないといふところに横たはつてゐる。 外國のファッシズム、例へばドイツ主義を唱へるナチス等に對してファッシズムとして同一の 性質を有する日本主義も、それが日本で生れたものである限り、勿論日本的性格をもつてゐるで あらう。かやうな日本的性格は單に日本主義にのみ特有なものであるのではない。に々、日 本主義における自己矛盾として、日本主義は自己を理論的に基礎付けるに當りえず外國の哲學 を借りてゐるといふことが指摘されて來た。外國のファッシズム理論である體主義の哲學は固 より、古くはヘーゲル哲學、新カントの哲學、この頃はテンニースの協同會(ゲマインシャ フト)と利會(ゲゼルシャフト)の理論、ハイデッガーの哲學、等々、種々樣々なものがそ のために利用されてゐる。かくの如きことは現代の日本の化、國民の一般的養が決して國粹 主義の欲する如く日本的でなく、また日本的であり得るものでもないといふことを示してゐる のであるが、我々は丁度そこに日本的性格の探求に對する一つの手懸りを見出し得るであらう。 外國思想をもつて日本的なものを規定し、基礎付けるといふことは、たしか長谷川如是閑氏も 注意されてゐたと思ふが、日本的性格の一つに屬してゐる。そのことは今に始まらない。現代の 日本主義と深い關係を有する皇正統記は朱子の綱目の學から多に影され、また水學は一 方ではこの綱目の學、他方では春秋の胡傳の學などから影を受けたと云はれてゐる。このやう な事實は如何にも矛盾である。併しそこに日本的なものがあると云へば云ふことができる。ち 日本的なものは形のないものである。無形式の形式といふことが日本的性格である。日本的なも のは形のないものである故に、その時代において有力とされる養、例へば支の學問によつて 形式を與へられることができたし、また與へられねばならなかつた。現代の日本においてかかる 有力な養が西洋の化、その思想、その科學であることは云ふまでもないであらう。尤も、 川時代の國學は儒や佛を離れて純粹に日本的なものを求めようとした。けれども本居宣長 においてさへもが、その養の基礎となつたのは儒や佛である。田篤胤も同樣であつて、 彼は儒佛のほかにキリストの思想をも取り入れた。その本略といふは、田が當 二五三 時キリスト禁制の時代であつたにも拘らず、キリストの書物を讀み、これをのうちに 日本的性格とファッシズム 二五四 取り入れて、自己のを立てようとしたものである。この本の中にのやうな意味のことがべ られてゐる。外國が日本からるものはないが、日本が外國からるものは多い。日本は外國か らいろいろされるが、外國は日本からされることはない。日本の古からは與へるものがな い、しかも、ここに於てか我がの大なることを知る、と田は云つてゐる。日本の古は一の 無であるが、單なる無でなく、萬物をみ藏する無であり、萬物を生み出す無である。これは村 岡典嗣氏の指摘されてゐることであるが、非常に固陋であつたやうに思はれてゐる篤胤も川時 代における新思想家であつて、そのには儒、佛のみでなく、にキリストまでも取り 入れてゐるのである。 無形式の形式を本質とする日本的はつねに歩的であることができた。それはそれぞれの 時代においてそれぞれの形式をつて現はれたが、本來は形式のないものである故に、その一つ の形式に拘泥することなしに容易に他の形式に移つて行くことが可能であつた。この點において 禮といふものをその最も特色ある化として生した支と日本とは異つてゐる。我々の先は 取的であつて、支、印度、西洋の化を殆どく無雜作と思はれるほど容易に取り入れて、 自己の生活と化との發展に役立てることを知つてゐた。日本人は外國を模倣することを得意と し、流行をふことを好むといふが如きことも、無形式の形式といふ日本的の性格から理解 さるべきことである。かくて去の何等かの形式に固執し、徒らに外來思想を排斥する頃の保 守的反動的な日本主義ファッシズムは、日本的の本來の面目からは離れたものであると云は ねばならぬ。ろ大いに外國に學び日本の化に新しい形式を與へることに努力するのが日本的 なこ と で あ る 。 四 勿論、無形式といつても何等形式がないといふことではない。無形式のうちにおのづから統一 があるのが無形式の形式といふ意味である。形式なき形式、統一なき統一が日本的性格を形作つ てゐると見られ得る。このやうな統一は形式における統一、從つて的な統一でなく、却つて 非的なものの統一であり、相反するものが直ちに一致するといふやうな統一である。日本的 性格として擧げられる歸一性もここに考へらるべきであつて、一定の客觀的な形式に歸するとい ふことではないであらう。 二五五 『日本の科學界』(大日本明協會、大正六年刊)のは、日本においては上「權力 日本的性格とファッシズム 二五六 を以て思想を壓せんとする如き惡は極めて稀有で」あり、政治上ではもとより々激烈なる 競爭を見ることはあつたが、これがために思想の歩を甚だしく妨した例は皆無で、戰爭最中 と雖も、一方の思想が他方に移るには決して困ではなかつたとべ、そしてのやうな例を擧 げてゐる。王衰へて倉幕府の下に封制度が立したのも、元來その案を立てたのは實に に仕へてゐた人々であつた。また蒙古がを我が國にしたのは永五年( 西紀一二六八 年)で、その後十三年を經て弘安四年大軍をもつて我が國に來襲したのであるが、我が國は最初 からこれを敵してくまでその渉を拒し、ひたすら防禦策をじてゐたにも拘らず、その 後弘安二年( 西紀一二七九年)元の元を聘して倉圓覺寺の開となし、時の執權北條時宗 は厚く彼に師事し、後また一をへ同じく厚した。當時一の如きは元の間諜であるとの 風專ら高かつたが、時宗は毫も世を意とせず、自由にその旨を弘布せしめた。かくの如く 相反するものが直ちに結び付くといふところに日本的性格があると考へることができる。かかる 日本的性格は會上竝びに思想上の變革を比的和な形式で行はしめた一つの原因であると考 へることもできるであらう。 併しながら他方から見れば、そこには客觀的な形式における的統一が乏しく、從つてれ た意味における傳統といふものが立するに困であらう。そこではろ凡てが非的にが つてゐる。かく考へるとき、ヘーゲルの的發展の辯證法に對して西田哲學がその辯證法にお いて非觀を徹底させたといふことも興味深い。無形式の形式を性格とする日本的意識にとつ ては的發展としての傳統が發するに困であつたといふことに、傳統そのものが謂はば統 一なき統一に存したといふことに、にべた古典意識の缺乏といふことも關聯してゐる。例へ ば關孝和はニュートンやライプニッツと同時代に生れ、彼等の積學の發見に比して少しも 色のない數學上の發見をなした天才である。然るに孝和のこの世界に誇り得る數學も幸な傳 統において的に發展するに至らず、その眞價がめられるには西洋數學の入の後まで待た ねばならなかつた。日本化は固より外國化の單なる模倣でなく、固有性と獨創性とに缺けて ゐないに拘らず、そのが支化、佛思想、西洋化、そしてそれらの種々異る素の からへの模倣のであるかのやうに見えるといふことも、右の如き日本的性格の然らしめる ところである。に無形式の形式といふ日本的性格のうちに和哲氏が指摘されたやうな日本 化の重性といふものも理解し得るであらう。今日においても崇拜と佛的信仰とは多數 二五七 の日本人にとつて同時に可能なこととなつてゐる。日本畫と洋畫とは一つの展覽會において一 日本的性格とファッシズム 二五八 に觀賞され、讚美されてゐる。それらのものは客觀的な形式としては同一のものでなく、ろ相 反するものである。然るに我々日本人はそれらのものを同時に信仰し、觀賞することにおいて怪 しまず、矛盾を感じないのである。客觀的には明かに矛盾してゐることを心において直ちに一致 せしめるといふことは日本的特性に屬してゐる。それは日本的が無形式の形式であることを 示し て ゐ る 。 云ふまでもなく、日本的なものは無形式のままに留まらず、外來化の刺戟と影とのもとに 種々の形式もしくは形態をつた。そして人間は單に主體的に規定されるのみでなく、また客體 的に規定されるものである故に、それぞれの時代における日本の化にはおのづから一定の客觀 的にめ得る統一が存在してゐる。就中西洋の客觀的化の移植以後、客觀的な形式における統 一、最も廣い意味での合理的な統一に向つての努力がえずなされて來た。併しながら右の如き 日本的性格は少くとも現在に至るまでなほ存在してゐる。このことは日本におけるファッシズム にとつて好合な條件であらう。形のないものは一方あらゆる非合理的なものを容れ得るもので もある。そして他方非合理的なもの、理論上は明かに承しいものが外部からつて來る場 合、そのやうな日本的性格はこれに對して徹底的に抗爭することをしないで、ろあらゆる矛盾 したものを呑みみ得る心にるやうにする。佛によつて養はれた無常觀、あきらめがそのた めに役立つであらう。自己の主張や理論をくまでも固持することなく、反對のものに容易に轉 向し得るといふことが日本的性格のうちに含まれてゐる。また形のない日本的性格は理論に基く ことなしに單なる純となつて直接的に行動することができる。このことが日本におけるファッ シズムを特付けてゐる。尤も、我々は無形式の形式、乃至は無と呼ばれるものをあまりに形而 上學的、祕的に解することを愼しまねばならぬ。古事記や萬葉時代の日本人の現實主義につい ては多くの人々が一致してべてゐる。かかる現實主義が中世においてもそのまま存したとは 考へいにしても、ともかく現實主義的であるといふことは日本的性格の一つに屬してゐる。佛 の如きも日本へ渡つて實際的となり、現實主義的となつたことは、これまた佛學の多數が めるところである。現實が無であるといふ思想は日本においては印度や支の佛においてよ りも遙かに非形而上學的に、現實主義的に考へられたであらう。現實主義或ひは實際主義は日本 人をして極端に趨かしめず、極端なファッシズムを惡せしめるといふことも考へられる。に 形のない日本的性格は他の影を受けることが容易であり、世界におけるファッシズム乃至はそ 二五九 の正反對の思想の動きに極めてに反應するといふことも考へられるであらう。 日本的性格とファッシズム 二六〇 併しながら今日においてはそのやうな日本的性格そのものさへもが動搖してゐるのではないで あらうか。無が現實である、從つて無は本來何等主觀的なものでない。無を主觀的なものと考へ、 體驗することは日本に西洋の客觀的化が根をおろしてから可能になつたと云へるであらう。客 觀的な見方が存在しなかつたところに如何にして主觀的な見方が存在し得たであらうか。然るに それと共に云ひ得ることは、西洋的養が身に着き始めた現代の年にとつては最早傳統的な無 に安住することも不可能になつてゐるといふことである。固より今日彼等の體驗する謂新しい 無に傳統的な無にするものがく存しないとは云ひいであらう。否、傳統の在が怪しくな つてゐるところに現代的日本人の惱みがある。今日の日本主義が彼等の歸し得る傳統を指示し てゐるとは云ひい。我々にとつて傳統の在が怪しくなつてゐるといふことは、日本的性格の 現實主義は極端をふが故にファッシズムの考へるやうな極端な獨裁は日本には來ないであらう といふ推論が怪しくなつてゐるのと同樣である。日本主義においてさへ、傳統的な日本的性格が 怪しくなつてゐるのである。 五 このやうに日本的性格が怪しくなつてゐるといふことは、勿論、日本的性格が一般にく失は れてしまつたといふことではない。日本人が日本人であることをやめることは先づないであら う。併しながら民族は單なる生物學的なものでなく、的なものである。生物の種でさへ變化 するものであるとすれば、まして民族は不變のものではあり得ないであらう。人間は會から生 れるものである限り、この會が封的から本主義的へといふやうに變化するに從つて人間も 變化しなければならぬ。その際日本人が日本人たるの性格、もしそれが右にべた如く無形式の 形式にあるとすれば、このものは一般的には失はれないとしても、それがるべき形式もしくは 形態が新たにならなければならぬ。言ひ換へれば、新しいタイプの日本人が生れ、新しいタイプ の化を生しなければならぬ。そしてに最初に云つたやうに、この場合我々は最早單に去 の傳統的な化の形式を踏襲することに滿足することができないとすれば、西洋化の徹底的な 究と同化を見棄て得ないのみでなく、ろこの方向にき拔けることによつてそれを求めるの ほかないと思はれる。勿論、我々は傳統的な日本化、にそれに影を與へた支や印度の 化の究を排斥するのでなく、却つてその必を十に承する。ここではただ基本的な方向が 二六一 問題なのである。假りに西洋化に對して從來の日本は單に模倣したのみであつて、何一つ日本 日本的性格とファッシズム 二六二 的なものを生しなかつたとしても、そのことは我々に對する反對論としては立し得ない。西 洋化の入以後眞に日本的なものが生れるためには、例へば佛が最初日本に移植されて倉 時代において日本的佛が開花するまでの期間に比してみても、あまりに短時日なのである。問 題は今後にある。且つその佛にせよ、明治以後においては何等新しい經典に値するものを作り 得なかつた。佛が形骸と化してゐる現代において、もし眞の佛復興があり得るとすれば、何 等か新しい經典が書かれるのでなければならず、これを書き得るは恐らく西洋思想を十に把 握したものであるであらう。 去の日本が佛や儒を取り入れて來た仕方のうちにも一定の日本的性格がめられる。佛 は日本においてその思辨的傾向をして宗として純粹化され、實際化され、且つ單純化され たと云はれてゐる。かくの如きことは從來の西洋哲學の移植の場合にもなほ見出されることであ る。西洋人の作つた厖大な體系は一篇の論にそのエッセンスが約され、そしてその小論の うちにおいてさへ何か人生論めいたものが附け加へられる。その哲學的理論が圓熟するに從つて 論は隨筆になる傾向があつた。これはまことに日本的性格にふさはしいことであつた。かやう な純粹化、實際化、單純化にも確かにれたものがある。それは化と生活とを離させず、生 活をおのづから化にづかせるといふところがある。けれどもそれと同時に思想乃至化が 謂心境的なものとなつてしまひ易いといふことがある。心境的といふことがまた日本的性格の一 つに屬してゐる。ところで學の方面でも心境學からの轉換の努力が日本の新しい世代によつ てえずけられてゐる。勿論、思想において單に謂體系とか組織とか、形式のみが問題であ るのではないであらう。かやうな形式的問題のうちには遙かに重な問題が含まれてゐることを 見してはならぬ。それは傳統的な東洋的自然主義に對するヒューマニズムの問題である。この 問題は今日我々にとつて決定的に重な意味をもつてゐる。我々がさきにべた日本的性格の動 搖といふことも根本的にはこの問題に關聯してゐるのである。心境的なものに對する抗爭といふ こともこれに關聯してゐる。それは決して體主義に對する個人主義といふが如き問題と同列の ものではない。日本主義ファッシズムはこの問題の意味を正しく識せず、その重性を正しく 計量せず、恰もその問題が體主義に對する個人主義の問題にぎないかの如く見做し、個人主 義は最早時代遲れであると云ふことによつてヒューマニズムを抑壓しようとする。そこにファッ シズムの日本的性格が生ずるであらう。 二六三 多くの西洋人は日本的性格を捉へて、それは折衷的な點にあると見てゐるやうである。併しか 日本的性格とファッシズム 二六四 くの如きは單に西洋的な眼をもつて日本人を見たものであつて、眞相を捉へてゐるとは云へない であらう。日本人が折衷的であるかの如く見えるといふことは、日本人が現實主義的、實際主義 的であつて極端を好まないといふことの現はれである。またそれは日本化の重性を外側から 見たものであつて、その根柢には無形式の形式といふ、從つて相反する多樣なものを同時的に存 在させ得るといふ日本的があるであらう。日本人のれてゐる點は折衷にあるのではなから それは例へば支において朱 う。我々の先の功績は儒と佛とを折衷乃至綜合したこと —— にあるのでなく、儒や佛のうちに日本的性格を作り上げたことにあ 子學が立に行つた —— る。東洋的自然主義とヒューマニズムとの問題も決して我々が折衷によつて解決し得るものでな い。それは我々が日本化の重性の名目のもとに竝存せしめ得るものではない。ヒューマニズ ムはその本性上どこまでも形式における統一の實現されることを求するからである。よしんば かの日本的性格、無といひ無形式の形式といふものが單に封的なものでないにしても、もしそ れがヒューマニズムを生かし得るものでないならば、ヒューマニズムはそれを封的なもの、乃 至はファッシズムと見做して對立せざるを得ないであらう。 日本的なものは體主義であり、人間を個人としてでなく會的存在として捉へることはその 本來の特色であるとは、頃繰し云はれてゐることであるが、東洋思想のうちにパーソナリズ ム(人格主義)が眞に存在するか否かは疑はしい。そのやうな場合人倫の思想が々持ち出され てゐるが、それをしたのは朱子學であり、そして朱子學は川時代において支配階級の政治 的イデオロギーの組織に役立てられ、禪宗の如きも會の上部にづくために佛儒の綜合 を企てたと見られてゐる。それはともかく、人倫關係においてのみ見られる人間、いはゆる間柄 における人間はペルソーナ(元の意味は芝居の面、役を演ずる人間)であつても、未だ眞のパー ソナリティ(人格)とは考へい。ギリシア人は芝居の役のことをヒポクリテースと稱したが、 この言葉が新約書においてはヒポクリットの現在の意味ち僞善の意味に轉化させられたと いふことは決して偶然ではなかつた。單なる役における人間はなほ眞の人間でなく、いはば僞 善ち假面を被つた人間である。眞の人格はそのやうな役をぎ棄てて裸の人間になつた時 に現はれる。かかる人格の觀念は單なる人倫の觀念のみからは考へられぬ。しかも人格の觀念は 決して個人主義的なものでなく、却つて人格は他の人格に對して人格である。そのやうな人格の 觀念 二六五 固より人間は一面どこまでも役における人間として體的な人間であるのではあるけ —— をめない體主義は、如何に倫理的な言葉で現はされてゐるにしても、ファッシズ —— れど も 日本的性格とファッシズム 二六六 ムの一形態としてヒューマニズムに對立するものである。實際、今日恰もそれが日本的であるか の如く云はれてゐる儒イデオロギーは官僚的ファッシズムを助ける有力な武となり得るもの であ る 。 にヒューマニズムは化に關してそれを客觀的な事態としてめることを求する。このこ とは化が客觀性への轉向、ジンメルの謂「イデーへの轉向」において客觀的として立 するものであるといふことを意味してゐる。かくの如き化の見方は我が國においては現在我々 が普に科學と呼んでゐるものが發してゐなかつたといふこととも關聯してこれまで十に められてゐない。併し言論の自由にしても、言論といふものがそれ自身客觀的なものであると考 へられない限り、重されいであらう。生活と化とを離しない日本的考へ方にはれたと ころがあるにしても、それは一方化を心境的なものに變へてしまひ易いと共に、他方化を實 際主義的にのみ見て、客觀性に缺けたものにする險がある。科學の重、客觀的な形式の重 はヒューマニズムに缺くことのできぬ素である。 併しながらひとは云ふかも知れない、自然主義とヒューマニズムとを對立的に考へることはそ れ自身に西洋的な問題提出であつて、日本においては自然と人間とは元來有機的融合的に見ら れてをり、そこに日本的思想の特殊性があるのである、と。我々もそのことを承する。けれど も自然に對する人間の感も變化する。それは會の變化に應じて人間自身が變化することによ つて變化する。我々日本人が西洋的な科學及び技をもつて自然に働き掛けてこれを變化するこ とを始めると共に、我々は昔のままの自然感にのみ留まりくなるであらう。登山、スキー、 ハイキング、キャンプ等々、西洋的なスポーツを好むやうになつた現代の年の自然感は昔の ままであると云ひ得るであらうか。勿論、日本人が日本人であることをやめたと云ふのではな い。それだからこそ東洋的自然主義とヒューマニズムとの關係が問題になるのである。兩は如 何に結び付き得るであらうか。否、嘗て西洋の哲學がに對して死を宣したやうに、我々は 二六七 東洋的「自然」に對して滅を宣すべきであらうか。かかる問題に對して根本的に對質するこ とに日本的性格とファッシズムの問題は集中するのである。 日本的性格とファッシズム 東洋的人間の批判 ——1936.9 『學界』 一 二六八 ヒューマニズムは固より日本のみの問題でないと共に、それは特に日本に於ける問題である。 この點について阿部氏は正を得た見解をべられてゐる。氏はヒューマニズムがこの國に於て 特別に問題になる理由を、現代日本のひの態に求められる。ち西洋に於てヒューマニズ ムのアンチテーゼとして現はれた種々の思想が日本にも一り行渡つた後にに、この國に於て ヒューマニズムが新たに問題にされるやうになつたところに、日本に於けるヒューマニズムの特 殊な意義がある。そこに、阿部氏によれば、我が國に於て現在なほ、かのルネサンス的ヒューマ ニズム、封的なものに對して人間性の解放と合理性の求とをげたヒューマニズムが最も必 とされる理由が存する。我が國に於ては實際多くの封的なものが今もなほ克されずに殘つ てゐる。勿論、に一旦アンチ・ヒューマニズムの洗禮を受けた人間は、ブルジョワ的・個人主 義的なルネサンス的ヒューマニズムに最早滿足することができぬ。森山氏の力される如く、現 代ヒューマニズムはそれとは本質的につたものでなければならない。かくて一方ルネサンス的 ヒューマニズムになほ現實的意義が見出され、他方にそれを越えた新しいヒューマニズムが 求されてゐるところに、阿部氏の云はれるり、現代日本に於けるヒューマニズムの複雜な、一 義的に限定しい意義がある。 然るに注意すべきことは、今日我が國に於てヒューマニズムの問題が特に主體的な問題として 提起されてゐるといふことである。森山氏が「個人的な」動機について語られてゐるのもそれで ある。それは岡氏が「身邊的問題」とか「一身上の問題」とか云はれるものであり、私自身は從 來それを「主體的」といふ言葉をもつて現はして來た。ひとは主體的な問題をしてアンチ・ ヒューマニズムに對し、或ひはアンチ・ヒューマニズムのうちに、ヒューマニズムの問題を發見 した。體的に云へば、ひとは就中、會勢の變化に基くマルクス主義の停頓によつて、一 切實にはマルクス主義的動に於ける自己の蹉跌によつて、ヒューマニズムの問題に出會つた。 そこに客觀的な問題のほかに主體的な問題が存在することを知らねばならなかつた。かくて一方 二六九 廣義に於ける不安の學、他方また廣義に於ける轉向學がヒューマニズムの問題提出の機と 東洋的人間の批判 二七〇 なつたのである。森山氏は死の思想との訣別について語られてゐるが、訣別があるためには先づ 邂逅があつたのでなければならぬ。ヒューマニズムの問題はかくの如く差當り極的に提出さ れた。けれども、そのことは決してヒューマニズムそのものの極性を意味するのではない。 ヒューマニズムが主體的な問題をして見出されたといふことは、それが何よりもモラルの問題 として現はれたといふことからも知られるであらう。森山氏が地球の死滅といふ限界的な觀念と 對質することによつて學のレーゾン・デエトルを求されてゐるのも、主體的な問題の立て方 である。日本に於てヒューマニズムが特殊な必を有するといふことですら、阿部氏の章から も察せられる如く、主體的な問題の方面から自覺されたことである。ちかかる必の理由とさ れる封的なものの殘存といふことですら、日本の會の客觀的な究によつて見出されたとい ふよりも、先づ「個人的な」乃至「身邊的な」問題として見出され、そこから初めて客觀的にこ の會を觀察するといふ方向に向つたのである。ヒューマニズムは固より單に主體的な問題でな い。併しながら科學的眞理を重し、客觀的なものに殉ずるといふ態度ですら、我々にとつては 新たに主體的に確立されることをする事柄である。會の反動的變化によつてにせよ、一身上 の蹉跌によつてにせよ、自己を反省することを餘儀なくされたは、新しいと思つてゐた人間の うちに意外に多く古い人間の素の存在することを發見せねばならなかつた。ひとは自己のう ちに傳統的な東洋的人間に出會つたのである。科學的識に曇りがないとしても、人間的信念 に搖ぎが生じたのである。かやうにして東洋的人間の批判は我が國のヒューマニストにとつて、 ヒューマニストたるモラリストにとつて今日特に重なテーマである。阿部氏が森山氏の謂死 の思想を傳統的な東洋的自然主義の意味に轉釋されてゐることも、この點から見て興味が深い。 森山氏の云はれる自己の再生と生長とを欲するヒューマニストは、我が國にあつては、死の思想 或ひは不安の思想に對し人間の再のために戰つた西洋の新しいヒューマニストと同じ問題を有 すると同時に、に東洋的人間の批判といふ課題をうてゐる。現代日本に於けるヒューマニズ ムが複雜で、一義的に限定しいのもそのためである。 二 私は東洋的人間の批判と云ふ。それは勿論、日本人の他の東洋人に對する特殊性を無するこ とでないやうに、東洋的人間と西洋的人間との差異を對化することではない。かくの如きは却 二七一 つてヒューマニズムと相容れないことである。併し少くともヘレニズムとキリストとが異るほ 東洋的人間の批判 二七二 ど西洋的と東洋的とは異るであらう。そして例へばジードが讓ることのない誠實をもつてキリス ト的と對質してゐるやうに、我々は東洋的自然主義と徹底的に對質することを求されて ゐるのではないか。云ふまでもなく、我々は傳統的な東洋的人間が變化しないものであるとは信 じない。却つて人間を生するものと考へるところにヒューマニズムの立場がある。阿部氏が引 用された本(『新しき糧』)の中でジードは書いてゐる、「人間は、初めつから今日ある如きも のではなかつたといふ事實が、同時に、何時までも今日ある如きものではあるまいといふ希望を 與へる。……工業の歩だとか、殊に美の歩なぞといふことは何と馬鹿らしいことだ!大 切なのは人智の歩だ。殊に僕にとつて大切なのは、人間そのものの歩だ。」我々は東洋的人 間、我々日本人の新たなる生を問題にし、この生の原理をヒューマニズムに於て見るのであ る。かかる人間の生の思想そのものがに東洋的自然主義のうちには存しないものであらう。 固より我々がく西洋的人間になつてしまふと云ふのではない。西洋的人間と云つても、固定し たものでなくて可塑的なものである。私の意味するのは、我々がヒューマニズムによつて鍛さ れた我々自身の中から新たに生れて來ることである。人間の形式に於ても、その素材である人 間の吟味が大切である。然るに素材としての人間も單に自然的なものでなくて的なものであ る、從つて單なる質料でなく、に傳統の形相によつて形されてゐるものである。我々が東洋 的人間を問題にし、日本的性格を問題にするのはまさにそのためであつて、決して單なる傳統主 義の立場に於てであるのではない。假に民族的性格の差異は將來滅するものであるとしても、 實踐の現實主義は現在それを問題にすることを求するのである。 東洋的と西洋的との差異の多くは封的と代的といふ發展段階の相に元し得るであら う。併しその凡てがさうであるかどうかは、なほ疑問である。そこに西洋のヒューマニズムが 我々東洋人にとつては無限定的に問題になり得る一つの理由がある。ともかく、かのマルクス主 義學の流行期が一先づぎた後に於て、我が國の壇で問題になつてゐる多くの事柄が東洋的 自然主義對ヒューマニズムの問題にその根柢を有することは注目に値する。例へば何故にこの國 に於て學の思想性が特別に問題になるのであるか。また何故に私小が、作品の會性が、短 篇か長篇かといふことが日本に於て特別に問題になるのであるか、また何故に日本にはこれまで 事小はあつても戀愛小はなかつた(中村武羅夫氏)と云はれるのであるか。これらの問題 のうちに我々は東洋的自然主義對ヒューマニズムの問題の自覺をめることができる。に例へ 二七三 ば、浪漫主義の支持萩原朔太氏が何故にヒューマニティの擁護たり得るのであるか。日本 東洋的人間の批判 二七四 には從來純粹な客觀主義もなかつたやうに純粹な主觀主義もなかつたのではないか。客觀主義の 存しないところに主觀主義の生れやうもないのであり、そのも云ひ得る。かくて主觀主義とし てはヒューマニズムを代表し得るのである。日本的思想の特性はろ主觀的客觀的、動靜 といふが如き「」といふ字をもつて現はされる考へ方であり、そこに私はこの自然主義の一つ の本質を見てゐる。ち「」といふ以上、程的でなく、その意味に於て時間的でなく、從つ てまたその意味に於て的でない。東洋的思想のうちにヒューマニズムの思想を敲きんだ最 初の哲學と云つてもよい西田哲學に於てすら、なほ缺乏してゐると思はれるのはかくの如き程 的・時間的・的見方である。 右にべた如く、現代日本のヒューマニズムは岡氏の批判されるり無限定である。岡氏がこ れに對し限定への求をげられることは尤もである。それは限定されねばならぬ。私自身それ を如何に限定するかは、最他の場で詳するつもりである。ただ岡氏が無限定と云はれるこ とのうちには日本の特殊性が無されてゐはしないかと考へる。無限定と見えるヒューマニズ ムも傳統的日本的なものに對しては限定されてゐる。そして兩の對質のうちに日本に於ける ヒューマニズムの重な課題がある。勿論、今日の日本は昔のままでないことはこの國に於け るファシズムたる日本主義そのものですらが事實に於て證明してゐることである。從つて我々は ヒューマニズムを單に傳統的日本的なものに對して限定することのみに留まり得ない。しかもマ ルクス主義にとつてヒューマニズムはその提でなければならぬ。言ひ換へれば、マルクス主義 はヒューマニズムを辯證法の眞の意味に於て止揚するもの、ちそれを廢すると共に保有し且つ 高めるものでなければならぬ。さもなければ、最ソヴェート・ロシヤに於ける憲法改正の如き も單なる後乃至協としてしか考へられないことになるであらう。マルクス主義は單なるアン チ・ヒューマニズムであり得ない。マルクス主義の部に於てもヒューマニズムの力されるこ とが必である。そのことはヒューマニズムの傳統に乏しい日本に於ては特に必である。他方 マルクス主義ですらもが、轉向その他無數の問題をして日本的性格とヒューマニズムの問題に えず出會つてゐるのである。併しヒューマニズムはファシズム及びマルクス主義に對し「第三 二七五 の思想」としての積極性を主張し得るかどうか。現代ヒューマニズムの限定の問題は必然的にこ こまでめられねばならぬであらう。 東洋的人間の批判 二七六 ヒューマニズムの現代的意義 ——1936.10.2 〜 『 3中外業新報』 一 現代におけるヒューマニズムの根本問題は人間再生の問題である。そのことに就いては私はこ れまで々繰してべてきた。新しい會が作られるためには新しい人間が生れねばならず、 新しい人間が生れるためには新しい會が作られねばならぬ。このことは何等い將來の問題で はない。人間の再生は今日において、我々自身にとつて根源的な求である。 かやうにヒューマニズムの問題を人間再生の求乃至課題のうちに捉へるといふことは決して 肆意的なことではない。ヒューマニズムといへば先づ思ひ起されるルネサンスにしても、その 「ルネサンス」といふのは何よりも人間の再生を意味したのである。古代的化の復興といふこ ともこの人間再生の根源的な求の見地から考へられたことであつた。中世會の壞・代 會の立期に當るルネサンス時代におけると同樣の課題が現代の的況において新たに課せ られてゐる。今日ヒューマニストといはれる人は、ジードにせよ、ゴーリキイにせよ、或ひはニー チェの如きにせよ、凡てこのやうな人間再生の問題と眞劍に取組んだ人である。 人間再生の求乃至課題は無制約的である。それは謂はば對的な的命令であつて、これ を無制約的に受取るがヒューマニストである。今日ヒューマニズムといふ語は人々によつて甚 だ多義に用ゐられてゐるが、私は現代のヒューマニズムにとつて最も根柢的な且つ規準的な意味 はこの人間再生の求の無制約的な承に存すると考へる。もとより種々の的附加物を有す るヒューマニズムの思想的容に種々の制限を加へた上でこれを承しようとする多くの人々の 態度はそれ自體としては正當である。併しもしそのことによつて人間再生の根源的な求そのも のを失し、隱し乃至制限してゐるのであれば、それはヒューマニズムと相容れないことにな る。 ヒューマニズムの實體がこのやうに人間再生の問題のうちに存するとすれば、それは差當り理 論や思想以のものであると云ふことができるであらう。實際、ヒューマニズムは理論、思想、 化以のヒューマニティといふものを重する。化も人間再生の問題の見地から、これと 二七七 の關聯において捉へられなければならぬ。この點ヒューマニズムは單なる化主義ではない。併 ヒューマニズムの現代的意義 二七八 しそれは化以のヒューマニティの根源的なものを重んずると云つても、單なる生命主義の如 きものであつてはならぬ。却つてそれは理論、思想、化がヒューマニティにとつて缺くべから ざる重な素であると考へる。非化的な野蠻に對してヒューマニズムは單に化のためにの みでなく、實にヒューマニティのために戰はねばならぬ。かくてヒューマニズムは特に今日の ファッシズム的野蠻に對立せざるを得ないであらう。 けれどもヒューマニズムはいはゆる政治主義をそのままめることができぬ。もちろんヒュー マニズムはヒューマニティの立場から化を見るのであつて化至上主義でないのであるから、 政治に對する考へ方もこれと同一ではない。併しヒューマニズムは、例へば學は何よりも 學として現代のの問題の解決に參加すべきこと、そしてかやうな參加の仕方が決して無力 でも無意義でもないことを信ずる。彼の作品において新しい人間性を發見し、新しい人間のタイ プを創するといふことは、彼自身にとつて大きな喜びであるばかりでなく、人のにとつ ても深い意義を有する事業である。 私はヒューマニズムの根柢的な求についてべた。ヒューマニストはつねにこの基本的な見 地を見失ふことなしに今日の個々の體的な問題を處理してゆくことが必である。 二 ヒューマニズムに關聯した問題は今日我が國において到る處に現はれてゐる。それはひとが一 見考へるよりも遙かに廣汎に亙つてゐる。ここでは先づ最流行の年論を取り上げてみよう。 何故に年の問題がかくも關心されるのであるか。ひとは彼等において新しい人間のタイプを 期待する。然るに年について論ずる立場にあるは彼等年のうちに自己自身と根本的に異る 新しいものを見出すことができない。よし何等かの新しいものを見出したとしても、それは自 己の意欲する新しい人間のタイプでない。しかも新しい人間が期待さるべきであるとしたなら ば、それは何よりも年において形作られなければならない。かやうにして年が問題にされる 場合、意識的であるにせよないにせよ、その根柢に動いてゐるのはにべた人間再生といふ ヒューマニズムの求であると見ることができる。さもなければ多くの年論は無意味である。 ところで年たちは、どれほど多くの年論が書かれても自たちには關はりのないことだ、 と云ふといはれてゐる。もちろんそれらの年論は不十なものであらう。併しながら、彼等の 二七九 そのやうな言葉のうちには凡そ理論に對する無關心が表明されてゐはしないか。理論は抽象的だ ヒューマニズムの現代的意義 二八〇 と云はれる。それはあらゆる理論の本性なのであつて、理論のさもそこにあるのである。そし てこのやうに抽象的なものに對する熱こそ、今日ヒューマニズムがしようと欲するもので ある。年の存在そのものが人生においては抽象的なものでないのであるか。今日のヒューマニ ストが年に特別の關心を寄せてゐるとすれば、そのこと自身がに抽象的なものに對する熱 の現はれである。ヒューマニズムは特に理論への熱として示されねばならぬ。かのマルクス主 義の時代に理論のために身を滅ぼした多數の年は現在の一般の年よりも根本において遙かに ヒューマニスチックであつたと云ひ得るであらう。 今日一般の年の間に第に深く潤してきたのは特殊なリアリズムである。それは凡ての問 題を客觀的會的に明して自己自身の責任において引受けようとはしない惡しき客觀主義であ る。一切の責任は會に歸せられ、問題を主體的に捉へようとはしない。年論に對する輕の うちにもそれが含まれてゐはしないであらうか。かやうな客觀主義は唯物辯證法が常識化され、 從つてまた俗流化されて一般に普及されることによつて甚だしくなつたやうである。惡しき客觀 主義、惡しきリアリズムに對して今日ヒューマニズムが力しなければならないのは主體性の昂 揚 で あ る。 主 觀 主 義 と い ふ 現 在 最 も 惡 さ れ る 言 葉 を 我 々 は 引 受 け る こ と に 躊 躇 し な い で あ ら う。 然るにかやうなリアリズムの傾向が我が國の傳統的なリアリズムと特殊な仕方で合してゐる ことに注意しなければならぬ。一括して東洋的自然主義と呼び得るものはそれ自身の意味におけ るリアリズムである。このものと西歐的な客觀主義との密の結合が現在のリアリズムの特殊性 を形作つてゐる。例へば東洋的自然主義のリアリズムはその生活態度においても日常性を重んず るが、今日の年のリアリズムにもかやうな方面がしく見られるやうである。そこにはいはゆ る明哲保身のイデオロギーがおのづからひ入つてゐる。かやうなリアリズムの立場から見るな らば、日常的なものに對して世界的なものとして區別され得るものは確かに抽象的であるであ らう。然るにヒューマニズムとはそのやうな抽象的なものに對する熱にほかならない。 二八一 ファッシズムと共に第に我々の間に甦つてきた東洋的封的人間に對する批判のうちに ヒューマニズムは現代的意義を見出すであらう。我々はもとより傳統を決して單純に否定するの でなく、傳統はただ創においてのみ眞に活かされ得ると考へるのである。 三 ヒューマニズムの現代的意義 二八二 ヒューマニズムは今日の問題の集合點、統一點をなしてゐる。に年論がさうであつた が、頃の戀愛論、新しいモラルの問題などにしてもヒューマニズムの問題である。それらの問 題において感ぜられるのは何よりもマルクス主義とヒューマニズムとの摩擦である、此の摩擦を じてマルクス主義は從來はれてゐたそのヒューマニズムの素を明かにすることが必であ らうと思ふ。マルクス主義におけるヒューマニズムの素は我が國におけるヒューマニズムの傳 統の乏しさとも關係して、これまで不當に無されぎてゐたといふことがないであらうか。 ヒューマニズムは特に今日の學の問題にとつてもその集合點、統一點となつてゐる。も しも我々のやうに明治以後における日本學の發展を括的にヒューマニズムへの展開と見、 ヒューマニズムと傳統的な東洋的自然主義との接觸・摩擦、對立・統一の程として捉へること ができるとしたならば、この程の飛的發展のうちに現代日本學のあらゆる課題は括され てゐると考へることができる。最民族主義傳統主義の擡頭と共に東洋的自然主義とヒューマニ ズムとの對質を容とする此の課題は第に重性を加へてきてゐる。ここに對質といふのは一 方の單純な否定を意味するのではない。併し傳統といふものが現在のファッシズムの歪曲された 形態において壓制を行はうとする場合、ヒューマニズムはそれに對して鬪爭的たらざるを得ない のである。我が國のヒューマニストは我々の民族的なものと稱せられるもののうち多くのものが 單に封的なものにぎないといふことを摘發すべき任務をもつてゐる。かかる傳統との鬪爭に おいて、我々はかの西洋におけるルネサンス時代のヒューマニストが古代的化の復興といふス ローガンをもつてゐたのと同じ關係にないであらう。現代のヒューマニズムが一義的な意味を有 しないやうに見えるのも、かやうな關係に基いてゐる。我々にとつて差當り必なことは、明治 以後における我が國の學の發展をヒューマニズムと東洋的自然主義との關聯の見地から再檢討 し再價して、そのうちから新しいを求めてくることであらうと思はれる。 行動主義乃至行動的ヒューマニズムと稱する現壇の一の主張には正しいものがあるにして も、それはのやうな點において不十であり、缺陷をもつてゐた。ちそれは先づヒューマニ ズムを壇上の一として主張することにであつて、遙かに廣汎な領域のうちにヒューマニズ ムの問題を探るといふ努力に乏しく、にそれは現代のヒューマニズムの最も面的な求が何 であるかに就いての識において曖昧であり、第三にそれは我が國においてヒューマニズムが有 する意義の特殊性を看してきたのである。 二八三 ところで傳統の問題は今日また特に養の問題として現はれてゐる。養は疑ひもなくヒュー ヒューマニズムの現代的意義 二八四 マニズムの重すべき問題であるが、併し養といふことも根本的には人間再生の問題の見地 から捉へられねばならぬ。ルネサンス時代のヒューマニストにとつては實にさうであつたのであ る。そして彼等は彼等の古典的養において中世的封的傳統に對する鬪爭の武を見出したの である。このやうな態度はまた今日のヒューマニストが養の問題に對する態度でなければなら ない。養が知識階級の新しいの形式になることを警戒すべきである。 かくて我々は人間再生といふヒューマニズムの根源的求において到る處東洋的人間の批判と いふ問題に出會ふであらう。我々はそれをニーチェ的課題と呼んでも好い。ニーチェが西歐的キ リスト的人間を批判したやうな熱をもつて東洋的人間を批判することが求されてゐる。批 判の方法もその歸結も固よりニーチェと同じであり得ないであらう。併し彼と同じヒューマニス チックなを缺くことができぬ。ニーチェ的課題の徹底的な行は今後の我々の化の展に とつて必な提である。 養と時代感覺 ——1936.11.24 『新愛知』 最ヒューマニズムの問題などとも關聯して養といふものが問題になつてゐる。養といつ てもその容はもちろん不變のものでなく各時代においてつてをり、また養の本質について の見方も的に變つてゆくものである。 養は先づ或る時代の化的水準に關係してゐる。一定の時代の化的水準はその時代の養 において示される。從つて養とは先づ自己の時代の化的水準にまで自己を高めることを意味 するのである。かやうな化的水準として差當り考へられるものは時代の常識であらう。しかし ながら常識はいはば養のミニマムであつて、養といはれるものは何かそれ以上のもの、從つ て場合によつては何か贅澤なもののやうに考へられてゐる。 常識があるだけではなほ養があるとは云はれない。けれども時代に必な常識を拔きにした 養は無意味なのであつて、この點、養を重んずるがその時代の、特に會や政治について 二八五 の常識をとかく問題にしないといふ傾向があるだけ、注意することが大切である。養は何か常 養と時代感覺 二八六 識以上のものとして、時代の化的水準の實際のみでなく、それの到すべき理想をも現はして ゐる。養の求は時代の化の理想的態に自己を高めようとする求である。 に注意すべきことは、養はかやうに一定の化の觀念を含んでゐるのみでなく、その根柢 に一定の人間の觀念を含んでゐるといふことである。なぜなら養といはれるものは、專門的乃 至職業的知識であるよりも、人間を眞に人間らしくし、人間性を完するに必な普的知識で ある、養の問題がヒューマニズムの問題と關聯してゐるのもそのためである。如何なる專門家 も人間であり、眞の人間にならねばならぬ以上、養が大切であると考へられる。かくして養 の觀念は人間の觀念を含んでゐる。しかもそれは單にその時代の人間の實際についての觀念に止 まらないで、その時代が到せねばならぬとされる人間の理想に關係してゐる。 時代の有する養の觀念はその時代の有する人間の觀念を現はし、人間の觀念の變化するに應 じて、何が養と考へられるかも變化する。會や政治に關する識が現代の養の重な素 でなければならぬと云ふのも、現代における人間の觀念が個人主義的なものでなく、會的 的人間でなければならぬといふことに基くのである。 養が時代の化的水準を基礎とすること、またそれが時代の化の理想、に人間の理想を 含むといふこと、すべてかやうなことが養と時代感覺とのつながりを示してゐる。それが後に 至つて哲學や會科學などの指を求するやうになり、またならねばならぬとしても、養そ のものは根源的には時代感覺に指されてゐる。一時代の養の容及び方向を決定するのはそ の時代の時代感覺である。 實際、養と時代感覺との結び付きは大切である。養が時代感覺と結び付いてゐない場合、 養は單なる趣味の如きものとなつてしまふ。養を趣味的なものと考へることは養について の舊觀念であつて、眞の養のためには先づかやうな觀念が訂正されねばならぬ。 もとより趣味的なものが養の容に屬すべきでないと云ふのではない。そのやうな趣味も時 代感覺に結び付かねばならないのである。趣味はとかく單に個人的なものになり易い。また趣味 は出來上つたもの、去のものの上に働く。 しかるに時代感覺はその本性上會性を有するものであり、また時代感覺は去のものよりも 現にあるもの、將に來つつあるものに關してゐる。もちろん眞の養にとつて去の古典につい ての養は重な素でなければならぬ。しかし古典を主として養を考へることは見にぎ 二八七 ない。古典も時代感覺に基いて新たに理解されることによつて眞の養となり得るのである。モ 養と時代感覺 二八八 ダンであることが古典的であることよりも容易であるとは云ひ得ない。モダンであることが養 に屬しないかのやうに考へるのは間つてゐる。養のモダニティは時代感覺によつて與へられ る。現在の現實の聯關から游離してゐるものほど養的なものであるかのやうに考へることは間 つてゐる。養について時代性が問題にされねばならぬ。 かくの如きことと關聯して、眞の養はまた單なる博識と區別されることが必である。博識 は却つて々俗物を作るものである。ニーチェと共に我々は養ある俗物を最も輕する。養 はつねに大切であるが、その養のために却つて俗物になる險が存することに注意しなければ ならぬ。時代感覺を持たないでただ養を求めるにとつてこの險は最も大きい。眞の養は 却つて生の發展に有な傳統、無用な博識を拂ひ落しての自由を獲得するところにある。今 日の如き會の轉換期において養を求めるは特にこのことを考へねばならぬ。 時代感覺は感覺の性質上新しいものに向ふのがつねである。從つて時代感覺にのみらうとす る養は單に流行をふといふ結果に陷る險を含んでゐる。これに對して古典的養の意義を くことは無駄でなからう。新しいものに傾く時代感覺に眞に歩的な意義をはせなければな らぬ。そこにこそ眞の養が生ずる。 この場合、現代の新しい養としての科學的養の重性を考へることが肝である。養を 趣味的養もしくは古典的養と解するは科學的養の意義をみようとはしないのが普で ある。科學的養よりもモダンなものがあるであらうか。科學的養を重な養と見做すこと は新しい時代の時代感覺に屬してゐる。 科學はこれまで養的なものとは考へられなかつた。科學は一般に趣味といはれるものから いものである。しかし、それにも拘らず、時代感覺の變化は今日第に科學的養を重な養 としてめるやうになつた。新時代の養は何よりも科學的養でなければならぬ。それは自然 科學はもとより、特に會科學に關する養でなければならぬ。養とは單に物を知ることでな く、自己の人間を形することである。 二八九 しかるに自己はただ世界の中においてのみ形されることができ、人間の自己形はただ世界 形をじてのみせられることができる。しかも世界を形するためには世界に關する科學を 獲得することが必である。 養と時代感覺 二九〇 ひ荒された論壇 ——1936.12.10 コラムすすはらい『大阪日新聞』 論壇は問題をひ物にする、どんな問題、どんなテーマ、どんな思想が出ても、それが一時的 な意味しか持たぬものであらうと、永的な意味を持つものであらうと、差別なしに、皆が寄つ てたかつて、ほじくりし、ひ荒してしまふ、しかも誰も滿腹しない、讀が滿腹させられな いの は も ち ろ ん だ 。 今年の論壇を見ても年論、論、信乃至の問題、ヒューマニズムの問題、合理主義 非合理主義の問題、等、思想に關する方面のみでも實に多くの問題が出た。しかしその如何なる ものが徹底的に及され、發展されたであらうか、また今後その見があるであらうか。 誰かが新しい問題、新しいテーマ、新しい思想を出すと、誰もがそれについては先刻考へてゐ たとばかりに寄つて來てひ荒す。だから論壇はいつも問題饉を感じてゐる。かやうな場合に はどんな問題でも「新しい」もののやうに扮して現はれさへすれば十なのであつて、だから また根本的に新しい問題は結局何も現はれないことになる。問題はひ荒されることによつてな くなる。不幸は、問題をふことは現實をふことと同じでないといふことである。 一度論壇へ出ると、すべての問題は均化される。問題はその固有の價値、固有の性格におい て取扱はれない。そして論家たちは、あらゆる問題をひ荒すことによつて、彼らもまた均 化される、論家たちも第に個性を失つてゆくのである。 問題をひ荒すことなく、もつと大切に守らなければならない。論家たちは他の個性、他の 創意をめ合ひ、重んじ合つて相互に他を長させ、熟させるやうに心掛くべきだ。論家の についての反省があまりに缺けてゐはしないか。ごろ「言論の權威」といふことが問題に 二九一 されているが、言論が權威を有するためには論壇に新しいが確立されねばならぬ。 ひ荒された論壇 哲學の復興 ——1937.1.1,5 正月『大阪日新聞』 一 二九二 來一部で哲學の復興といふことがいはれてゐる。もつともそれは何か限定された事實を指す といふよりも、むしろある漠然とした感じ、または求を現はしてゐる。事實としては、眞に哲 學の復興と呼び得るに足る新傾向、新動、新業績が見られるとはいひいであらう。もちろん 哲學界の大家たちの活動は繼され、發展してゐる。しかし哲學の復興と稱し得るものにとつて 決定的に重な關係のある若い世代に屬する哲學たちのうちに、一般的にいつて、時代に對す るどれほど烈しい意志、哲學そのものに對するどれほど積極的な意欲が存在するか、疑問であ る。 けれどそれにも拘らず、何か哲學の復興といひ得るやうな機、少くとも氣の生じてゐる のが感ぜられるといふことが、今日の會に特的なことである。この機あるひは氣は、 ともかく哲學の復興にとつてその地盤でなければならぬ。しかるに、かやうに會の求の中 から生じた現在の哲學的現象は、この會の態を反映して、極めて複雜な容をもつてゐる。 從つてそのうちに含まれる極的なものと積極的なものとを、死すべきものと生きねばならぬも のとを批判的に析し、これに基いて現代における哲學の命を自覺するといふことが、眞の哲 學の復興のために必である。 先づ、今日の哲學的氣を釀し出してゐるのは、この會に特に知識階級の間に瀰漫してゐ る深いペシミズムである。かかるペシミズムこそ態的に「哲學的氣」と呼ばれるにして ゐる。それが會的不安に原因を有することはいふまでもない。この會の不安は現在多くの 人々をあの新興宗と稱するものに趨らせつつある。しかし一智的な人々、或ひはすでに自意 識の剩に惱む人々は、同樣な理由から哲學に赴くであらう。會の不安は人生についての反省 を促し、人生觀に對する求をめる。そこに今日の哲學的機の一つの素がある。實存哲學、 生の哲學、人間學等が依然として流行のテーマであることはこれを證するであらう。不安の時代 は人生論的哲學の流行する時代である。 二九三 この現象は二つの面をもつてゐる。一方それは、現代會の不安に對して積極的な、實踐的な 哲學の復興 二九四 態度を執らないで却つて現實からし、會から切り離されたいはゆる人生についての思辨に 耽るといふ傾向を含んでゐる。會からの游離によつて自意識はますます剩を來し、知性のペ シミズムはいよいよ深まるであらう。哲學は現實の場となるに特にするやうに見える。 現今の哲學的氣がかかる一面をもちけてゐることは否定できぬ。會的不安の時はまた個 人主義的人生觀の生じ易い時である。われわれはもとよりそこに新時代をげる哲學の復興を見 出し 得 な い 。 しかしながら他方、人生論に對する今日一般の求のうちには、人間再生に對する健康な、能 動的な意欲が動いてゐる。この會の轉換期において根柢から動搖した舊い人間の觀念を打ち破 つて新しい人間として生れるといふことはわれわれの切實な求でなければならぬ。かかる人間 再生の求がヒューマニズムといはれるものの基礎であるとするならば、現今の哲學的機は、 このごろ注目されるヒューマニズムの擡頭と面的な關係をもつてゐる。そこに求められるのは 新しい人間の觀念である。今日の哲學はこの求に應へるものでなければならぬ。あのルネサン スのヒューマニズム時代には「ルネサンス的人間」といはれる新しいタイプの人間が會のあら ゆる方面に輩出し、その時代の哲學はそのやうなタイプに屬する人間であつたが、今日の眞の 哲學といはれ得るものは、みづからこの會における新しいタイプの人間として現はれなけれ ばならない。新しい「哲學」のタイプが生れることなしには、眞の哲學の復興は不可能になつ てゐるのではなからうか。彼がこの時代にもたらすべき唯一の人間の觀念は、いふまでもなく、 的會的な、行動的な人間のそれである。 二 現在の哲學的機は必ずしも眞の哲學の復興にとつて望ましい方向にあるのではない。われわ れはいはゆる哲學の復興とファッシズムとの關係を見すことができぬ。ファッシズムは先づ一 般に非合理主義として哲學に接する傾向をもつてゐる。もちろん哲學は、本來、非合理主義の ものでなければならないのではない。けれども、科學がすべて合理性の立場に立つに反して哲學 には非合理主義をとるものもあり、また哲學は一般に科學とは性質を異にする學問であるところ から、非科學的あるひは反科學的傾向に利用されがちである。哲學は科學からの韜晦の場とな るに特にするやうに見える。ファッシズムは科學的でないにしても哲學的であると稱するであ 二九五 らう。かくしてファッシズム的風は一種の哲學的機を喚び起すことになる。この機のうち 哲學の復興 二九六 に含まれ、隱されてゐるのは、非合理主義、科學および科學的の沒却、いはゆる智育重の 排等であつて、それらが哲學の名において主張され、もしくは容されるのである。 かやうな傾向に屬する哲學の復興は特殊的には日本主義または日本といはれるものに關し て見出される。現在の日本の化がすべての方面において西洋化によつて潤されてゐること は否定しい事實である。西洋化の入は單なる氣れでも單なる流行でもなく、日本の發展 にとつて缺くことのできぬものである。ところで今日、このやうに西洋化してゐる日本の化的 境の中において日本主義が自己を主張し、自己を維持するためには、日本主義にしても、西洋 哲學に自己の理論的基礎を求めざるを得ない。かくして國粹主義と稱する日本主義は、自己に役 立つやうに見えるあらゆる西洋哲學を召喚する。そこから一種の哲學の復興の現象が生ずるであ らう 。 けれどもファッシズムが眞に哲學を復興させるものでないことは、すでにドイツの實例が明瞭 に示してゐる。多數の有力な哲學が大學からはれ、國外に去ることをされた。ファッシ ズム的思想統制は哲學を一定の政治的目的に利用することを欲しこそすれ、眞に哲學の興隆を望 むものではない。哲學の復興はこの場合單に假象的であるにぎぬ。かやうな傾向に對して化 擁護の立場から今日ヒューマニズムが唱へられてゐるのは當然である。批判的なくして哲學 はなく、哲學とは批判的そのものである。 單に假象的に止まる哲學の復興を排して實質的な哲學の復興が來るためには、現在の況にお いては特に、哲學の合理性のされることが必である。哲學は何よりも學問であり、學問と して論理を含み、思惟の合理的求に忠實でなければならぬ。もちろん哲學は學問として科學と 性質を異にするであらう。しかしそのことは、まさに、哲學は科學に代つてこれを不になし得 るものでないといふことであり、科學をそれ自身の領域において、その固有の價値においてめ ねばならぬといふことである。それのみでなく、哲學は學問として科學に對して積極的な關係を 結ぶことが大切である。これまでわが國の哲學に缺けてゐたのはこの科學との關聯であつて、今 日眞に哲學の復興が期待されるならば、先づこの點における歩がなければならぬ。科學の實證 性に基づく「下からの哲學」が求されてゐる。もとより今日の哲學はいはゆる科學主義或ひは 單なる合理主義に止まり得ないであらう。それは單なる自由主義とともに批判されねばならな い。新しい哲學に求されるのは、抽象的な合理主義とこれに對する同樣に抽象的な非合理主義 二九七 とをともに止揚した最も深い意味での合理主義である。もしそれを對的合理主義と名附けるな 哲學の復興 らば、かやうな對的合理主義が將來の哲學の立場でなければならぬ。 三 二九八 ところで今日、哲學の復興の提はさらに一廣汎な事實のうちに與へられてゐる。思想の ない政治はもはや不可能になつた。現在の藝家を惱ます最も大きな問題は思想である。科學、 とりわけ會科學はもはや以のごとく自己の哲學的提をませることなく却つてそれを面 に押し出さうとしてゐる。あらゆる化の動搖の中において哲學に對する求はかくのごとく普 的になりつつある。 この時代において哲學は、從來の專門的乃至職業的哲學の集團の中から解放される。かかる 哲學の解放は哲學の復興にとつて一つの重な提である。丁度あの學復興が叫ばれた時に 壇解論が唱へられたやうに、哲學の復興するためには、從來の哲學の世界における「壇」 に相應するやうなギルド的存在が解され、哲學が廣い會の中へ解放され、そこから生れるこ とが必である。これは單なる求でなく、事實として第に行はれつつあることである。哲學 は壇から出て會の現實に接觸し、そこに新しいタイプの哲學が生れるであらう。今日、學 が第に中世の會のごときものになりつつある時、新しいタイプの哲學はいはゆる哲學界 に屬しない人々の間から現はれ、彼等が眞の哲學の復興の擔ひ手となるであらう。かかる哲學の 解放は、哲學が現實のおよび體的な化領域と密接に關聯した「下からの哲學」として生 れるためにも必なことである。 混亂と動搖とのうちにある現在の我が國の化の態をしてめられることは、個々の化 の間における相互關聯もしくは相互作用が促されてゐるといふ事實である。哲學が科學に影 し、學が哲學に影するといふやうな事實は、誰の眼にも第に明かに見られるものとなりつ つある。かくの如く個々の化の間に作用聯關が打ちてられるといふことは、哲學が不毛性を して生的となるために大切なことである。しかもこのやうに漸く活な相互作用を始めた 種々の化が混沌たる態にあるといふことは、この時代において統一的な化の理念が缺けて ゐるといふことを現はしてゐる。哲學に對する今日の求は、種々の化の相互聯關を設定しつ つ化の統一的な理念を與へるといふことであらう。 二九九 化の相互聯關についての反省はまた最しばしば論ぜられた養の問題のうちにも含まれ てゐる。養といふのは單に個々の專門的乃至職業的知識を得ることではない。養は養とし 哲學の復興 三〇〇 てつねに普性への、普的養への求を含んでゐる。かやうな普的養が意味を有するた めには、その根柢に化の統一的な理念が存しなければならない。從つてこの化の混亂の時代 において必なのは單なる養でなく、むしろ養の新しい哲學的理念である。このものを缺く とき養は單なる趣味或ひは單なる博識、ディレッタンティズムとなる。今日の如き反動期にお いては養もかやうな現實のディレッタンティズムに陷る險が少くない。 しかも化の問題は今日特に人間の問題である。養の觀念の根柢にもつねに人間の觀念があ る。養とは如何なる專門家乃至職業人もが人間として眞に人間らしくなるために求される 化的態に身を高めることである。そこに人間の觀念が提され、このものの變るに從つて養 の意味も容も變つてくる。新しい養は新しい人間の觀念を基礎としなければならぬ。かやう にして養の問題は必然的にヒューマニズムの根本問題に關係してくる。 現代ヒューマニズムはいふまでもなく會的的立場に立たねばならぬ。來わが國でも 會哲學的究の勃興の兆があるのは、ともかく喜ばしい現象である。それらの會哲學的企ての 一多く「下からの哲學」として立することが望まれるであらう。しかも會そのものは 的に把握されることが大切である。ルネサンスのヒューマニズムの根本念が「自然」であつた とすれば、現代ヒューマニズムのそれは「」でなければならぬ。の辯證法について大い 三〇一 なるヴィジョンを有する哲學が、アウグスティヌスの「の國」に比し得る現代の哲學が待 望されてゐるのである。 哲學の復興 讀書論 ——1937.3.1 『日本讀書新聞』創刊号 三〇二 讀書は一種の技である。あらゆる技には一般的規則があり、これを知つておくことが必 である。讀書の規則については多くの人がいろいろ書いてゐる。例へばエミール・ファーゲの『讀 書法』(たしか譯が出てゐる筈だ)など、有なものの一つであらう。しかし凡ての技は一 般的理論の單なる應用といふが如きものでない。一般的理論はそこでは主體化されねばならず、 主體化されるといふことは個別化されるといふことである。これが技を身につけるといふこと であり、身についてゐない技は技とすら云ふことができないであらう。 かやうな主體化を求するといふ點において、手工業的生の技は工場的生の技よりも 遙かに大なるものがあるであらう。まして讀書の如き的技にあつては、一般的規則が各人 の氣質に從つて個別化されることが々必である。めいめいの氣質を離れて讀書の規則はない と云つて好いほどである。かやうに自の氣質にした讀書法を見出すためには先づ多く讀むの ほか な い の で あ る 。 ところが讀書法について書いてゐる多くの人は、讀書の規則としてたいてい多讀を戒めてゐ る。濫りに讀むことをしないで、一册の本を繰して讀まねばならぬとへてゐるのである。そ れには勿論眞理がある。しかしそれは、ちやうど老人が自の去のあやまちを振りながら、 後に來るが再び同じあやまちをしないやうにと年に對して與へる訓に似てゐる。この訓 には固より眞理が含まれてゐるであらう。けれども老人の與へる訓のみを忠實に守つてゐるや うな年は、何等歩的な、獨創的なことができない年である。昔から同じ訓がえず繰 されて來たに拘らず、人はえず同じを繰してゐるのである。 例へば、戀愛の險性については古來幾度となくきされてゐる。しかし年はつねにかや うに險な戀愛に身を委せることをやめず、そのために身を滅ぼすもえないではないか。あ やまちを犯すことを恐れてゐるは何もむことができない。人生は冒險である。恥づべきこと は、を犯すといふことよりも、ろ自の犯したから何物をも學び取ることができない といふことである。は人生にとつて飛的な發展の機となり得るものである。それ故に 或ひは自然は、老人の經驗に基く多くの訓が存在するにも拘らず、年が自自身で再び新た 三〇三 に始めるやうに仕組んでゐるのである。だからと云つて、もちろん、先に行くの訓が後に來 讀書論 三〇四 るにとつてく無意味であるのではない。そこに人生の不思議と面白さとがある。 讀書の場合における多讀もしくは濫讀といふことも、同樣の關係にある。多讀を戒めるといふ ことは固より大切である。しかし我々は多讀の冒險をじてのみ自己の氣質にした讀書法を見 出し得るのである。一册の本を讀せよと云はれても、自に特に必な一册が果して何である かは、多く讀んでみなくてはらないではないか。古典を讀めと云はれても、その古典が東西古 今に亙つてに無數に存在し、しかも新しいものを知つてゐなくては古典の新しい意味を發見す ることも不可能であらう。いつまでも濫讀することは好くないにしても、讀書は先づ濫讀から始 めなければならぬ。そして眞の讀書人は殆ど皆、濫讀から始めてゐるといふのが事實であらう。 現代における多讀のは、多く讀むといふことにあるのでなく、ろ今日印刷物が限りなく 加した結果、多讀が雜誌のやうなものばかり讀んで單行本を讀まなかつたり、やさしい本ばか り讀んで少ししい本は讀むのをけたり等々することにあるのである。 多讀もまた甚だ必であるにしても、もちろん讀書案とか讀書指針とかが必でないといふ わけではない。第一、昔と今とでは出版される本の數がく比にならぬほど加してゐる。從 つて本紙の如き讀書新聞の必が生じてゐる。私はこの新聞に對して、出版書肆の立場でなくて くまでも讀の立場に立つて讀書の指針を與へることを希望する。この新聞が無料で配られる といふのでなく、讀書人にとつて是非なくてはならぬものとして人々がんで買つて讀むといふ やうになつて初めて、この新聞の存在する意味があるのであり、またそれが事業としても立つ ので あ る と 思 ふ 。 人間のあらゆる行爲には氣が必であり從つて讀書にも氣が必である。そこで私の この新聞に對する第二の希望は、單に讀書案に留まらないで、讀書人にとつて必な化的 氣を作り出すことに大いに努力して貰ひたいといふことである。この新聞はに化新聞であ ることを標榜してゐるのであるから、それを實質的に發揮して、眞に化人の侶となるやうに 三〇五 心掛けて貰ひたいものである。これは出版屋で出してゐる新聞だといふ感じがなくなることが出 來れば、この新聞の功である。 讀書論 デカルトと民主主義 ——1937.3.29 『新愛知』 三〇六 ことしはデカルトの「方法論」が出版されてのち三百年の記念の年である。それはフランス人 にとつて國民的祭を意味する。なぜならこの書物は單に哲學の書であるのみでなく、フランス における國民の書であり、その影はこの國の化に滲してゐる。 デカルトの「方法論」はすでにその外形において大膽な革新であつた。それはフランス語で書 かれた。學の言葉と云へばラテン語に決つてゐた當時、哲學をフランス語でべるといふこと は、それだけで革新的なことであつたのである。デカルトのに哲學の中においてフランス語 で書いた人は、あの偉大なヒューマニストのラメー以外に殆んど見當らない。 ラテン語からフランス語へ、そのことはすでに中世の封主義から世の民主主義への移行を 語るものである。デカルトは彼の「方法論」をフランス語でした理由について云つてゐる、「私 が私の師匠たちの言葉であるラテン語でなく、却つて私の國の言葉であるフランス語で書くとい ふ わ け は、 自 の く 純 粹 に 自 然 的 な 理 性 を し か 用 ゐ な い 人 々 が 、 古 人 の 書 物 を し か 信 じ な い 人々よりも一よく私の意見について判斷するであらうことを期待する故である」。にデカル トは、この書物において「私は人でさへ何物かを理解し得るであらうことを、しかしまた最も 明な人も彼等の思慮を費すに十な材料を見出すであらうことを欲した」、とも書いてゐる。 かくて「方法論」の本質的な特は、「古人の書物」もしくは權威にることなく、自然的な「理 性」もしくは「良識」に訴へるといふことである。そしてそれは民主主義のにほかならない。 デカルトによると良識は萬物のうち最も善く配されてゐるものであり、理性は萬人において 自然的に等である。そこでデカルトは從來の學の貴族的な言葉を棄て、市民的生活において はれてゐる言葉で彼の哲學をべた。人の言葉、人の言葉は、今や哲學の言葉となつたの で あ る。 總 て の 人 間 は 自 自 身 で 考 へ る こ と が で き 、 學 の 意 見 を 自 由 に 檢 討 す る こ と が で き る。「方法論」において初めてフランス語はく代的な均衡と和とを得たと云はれ、その 章は今日も散の模範とされてゐる。この書物はそれ故にフランス語とフランス學のにお いてれた位置を占めるものである。しかしこの書物の意味は決してそのことに盡きてゐない。 それは實に會的な、政治的な意味を有する大きな革命を爲した。それはラテン語の、傳統の、 三〇七 權威の「祕を冒した」。サン・シモン、シェイエース等の會學や政治學の的父はデカ デカルトと民主主義 ルトであると云つて好いであらう。 三〇八 普には、デカルトはフランスの政治思想の發展に殆んど寄興するところがなかつたと見られ てゐる。實際、彼は政治學について本も書いてをらず、組織的な意見をべてもゐない。彼の生 活は專ら思索に捧げられた。思索に必な孤獨を得るために彼は知人の來訪をけ、宿を々 轉ずることによつて身をくらませた。「善く隱れるは善く生きる」といふのが彼の生活方法で あつた。もつとも彼は隱栖家といふのでなく、彼が好んだのは大會の中の生活が可能にするあ の孤獨である。彼が行爲の暫定的な規則として書いた有名な章を見ると、彼が極めて穩和な市 民であつて、革命的實踐家の氣質を持つてゐなかつたことが判る。デカルトが政治的であつたと 云ふことはできないであらう。 しかしながら彼の「方法論」に現はれたく革新的な哲學、あらゆるものを疑ふ自由な、 ただ理性の指にのみ從ふ合理的、そして良識はすべての人間において等であるといふ思 想、これらのものこそ實に代民主主義の根本である。デカルトと民主主義との關係は極め て深いに横はつてゐる。 エリザベルトへの書簡の中でデカルトは書いてゐる、「自を衆の一部と考へることによ つて世間の人に對して善を爲すことをびとし、必があれば他人のために自の生命を擲つこ とさへおそれない」、と。また他の書簡の中では、「自の住む國の安と和とのために自 の有するかな手段によつて寄與するといふことは各人の義務である」、と彼は云つてゐる。こ れらの言葉の中からいて來るのは民主主義の思想であらう。傳記の記すところによると、デ カルトは工藝に對して特別の興味を持ち、自で職工となる考へさへあつたといふことである。 彼は職工に學問をける必を考へた。また彼は「會的生活においては友愛よりも大なる善は 三〇九 ない」とも云つてゐる。かくてデカルトが封的貴族的意識から解放された民主主義的な思想を 持つてゐたことは明かである。 デカルトと民主主義 養 論 ——1937.4 「養論の現代的意義」『改』 一 三一〇 この頃また養論が流行してゐる。養といふ言葉が頻りに語られるのを聞くと、時代が再び 大正期の、私どもの高等學の時につたかのやうに感じられるのである。尤も、この頃の 養 論 は 少 し 以 に 流 行 し た ヒ ュ ー マ ニ ズ ム 論 の 繼 と も 見 ら れ る で あ ら う。 養 を 重 ん じ る と いふことはヒューマニズムの傳統である。あのヒューマニズム論において問題になつたのは、 ヒューマニズムの現代的意義を確定するためには、的に多義の容をもつてゐるヒューマニ ズムといふものを限定しなければならぬといふことであつた。そこで今それが養といふものに 限定されたと見る場合、果してそこにあのヒューマニズム論の發展を考へることができるであら うか 。 養の問題は先づ特殊的にインテリゲンチャに關はるものであるといふことによつて特附け られる。從つて養論の流行はインテリゲンチャのインテリゲンチャとしての自覺を意味するこ とになるであらう。しかるにそのことをに言ふと、それは知識人の特殊的關心を現はすもので あつて彼等の會的自覺を示すものではないといふことになるであらう。そこでんで考へる と、養が養として特別に關心されてゐるといふことはインテリゲンチャの會的政治的關心 の後したことの一つの候であるといふことができるであらう。インテリゲンチャが會的政 治的關心を失ひ、大衆から離れて自己自身にまで却したとき、そこに自己の特殊な問題として 見出されるものが養である。あのヒューマニズム論は、假に一部のの批する如くインテリ ゲンチャ的な思想であるとしても、なほ會的政治的關心から游離してゐなかつた。しかるにこ の頃の養論はもはやさうではないやうに思はれる。 もちろん養といふ言葉は形式的にはあらゆることを意味し得るであらう。そのうちには會 的養も政治的養も考へられる。しかしながら我々は養といふ言葉のうてゐる的含蓄 を無することができない。すべて言葉は、單にその念的容に從つて把握されるのでなく、 またそこにつねに附隨してゐる感的價値に從つて理解される。とりわけ或る言葉が合言葉とな 三一一 り、標語となるためには、その言葉の感的價値がく働くものである。例へば、國とか革命 養論 三一二 とかいふ言葉の體的な意味は、その感的或ひは氣的價値を除いては理解されないであら う。そのやうに養といふ言葉も感的價値をつてゐるが、このものはそれのうてゐる 的含蓄と結び附いてゐる。嘗て大正時代に養といふ言葉が流行したとき、同時に合言葉となつ たのは、化といふ他の一つの言葉であつた。しかもその場合、化は明といふものと區別さ れたのみでなく、また特に政治と對立させられた。例へば、當時、學の理念として、政治 か化かといふことが問題になり、そして政治を却けて化をるといふのが新しい傾向 であつたことを私は想起するのである。養といつてもどのやうな養でもが養と考へられた のでなく、明的なものち技や科學に關するものは貶せられ、目標とされたのは主として 的化、特に哲學と藝であり、その際政治に關することがらはむしろ意識的に排除されたの である。このことをに系譜を溯つて考へると、このやうな化とか養とかの理念は特にドイ ツ 的 な も の で あ り、 そ し て こ の ド イ ツ 的 理 念 は 蒙 思 想 の 克 と 稱 す る 立 場 と 密 接 に 關 聯 し て ゐる。蒙思想といふのは十七八世紀の、イギリスやフランスにおいて榮えた代的思想である が、それはこれらの國において本質的に政治的性格をもつてゐた。蒙は何よりも政治的蒙を 意味し、すべての蒙は政治的目的に仕ふべきものであつた。このやうな蒙に對する養は、 政治に對する化と根本的につながつてゐた。そこで養といふ言葉がその的含蓄におい て、從つてまたその感的價値において、政治的蒙或ひは政治的養に對しておのづから反撥 するものを有することは明かであらう。今日インテリゲンチャの政治的關心の衰が語られてゐ る場合、養といふ言葉が一つの流行語として現はれてきたのも偶然でないやうに思はれる。 尤も、養の觀念はそれ自身のうちに普性への傾向を含んでゐる。養は本質的に普的 養を意味してゐる。すでにルネサンスのヒューマニズムにおいて養はそのやうに普的養を 意味したし、また第二のヒューマニズムと呼ばれるあのドイツのヒューマニズムにおいても同じ やうに養は普的養を意味した。それだから今日養といふ場合にも、そのうちには當然、 政治的養や科學的養も含まれるといはれるであらう。しかしながら現實において、誰でもが リオナルド・ダ・ヴィンチやゲーテ、或ひはフンボルトの如き人間であり得るものではない。普 的養といつても、實際には制限されざるを得ないであらう。また普的養といつても、そ こに一定の方向、一定の指的理念がなければならない。養において重なのはその方向或ひ はその指的理念である。ルネサンスのヒューマニズムも、ドイツのヒューマニズムも、たしか 三一三 に指的理念をもつてゐた。しかるにこの頃の養論には果して何か一定の指的理念があるで 養論 三一四 あらうか。むしろかかるものがなくて、無限定無方向であるのがこの頃の養といふものではな いであらうか。それは、「學生はもつと勉しなければならない」とか、「年はもつと本を讀 まなければならない」とかいふ、學師風の訓をただ言ひ換へたにぎないやうにさへ見え る。このやうな訓はもちろん有であり、必でもある。しかしながら養といふ以上、その 根柢には以のヒューマニズムにおいてのやうに一定の世界觀が、一定の化の理念と一定の人 間の理想が存しなければならない筈である。今日の養論は果して何等かの新しい化の理念、 新しい人間の理想を提示してゐるであらうか。その點、むしろ嘗ての日本における養論時代の 思想を無批判にそのまま踏襲してゐるにぎないやうに思はれる。あの養論時代以後、年た ちをえず苦しめてきたもの、彼等の冒險と悲劇の原因となつてきたものは、實にこの新しい 化の理念、新しい人間の理想が何であるかといふ問題であつたのであつて、勉しなければなら ぬとか、本を讀まなければならぬとかいふ單純な問題ではなかつた筈である。そして彼等の冒險 と悲劇の原因はまた實にかやうな新しい化の理念、新しい人間の理想がつねに政治的なものと 結び附いてゐたところにある。しかるにこの頃の養論は、その最も困な問題をけるため に、かやうな政治的なものを振ひ落すことに努めてゐると見ることができるであらう。 二 今日の年・學生の養が劣つてゐるといふことも決して簡單には言へないことである。養 の普性といふ點から考へると、彼等は却つて私どもの時代よりも遙かにんでゐるとさへ言ふ ことができる。問題はむしろ、彼等が何でも知つてゐながら結局何も知つてゐないといふことに ある。彼等は多くのことを知つてはゐるが、なに一つ深く知つてゐず、多くの知識も彼等におい ては統一をもつてゐない。ち問題は、彼等の養に方向がなく指的理念が缺けてゐるといふ ことである。從つて求められてゐる養論は何よりも養に方向と指的理念を與へるものでな ければならぬ。さもないと、「養論」そのものが單に彼等の多くの知識のうちの一つとなるだ けで、何等實際的な效果を生じない惧れがある。そしてまた事實、今日その險が現はれてゐな いとはいへないであらう。年・學生が勉せず、本を讀まないといふことがあるとすれば、そ れは彼等が元來何のために、何を根本的に勉すべきかといふことについて不信になり、懷疑的 三一五 になつてゐるからにほかならない。この頃の養論は果してこの問題に對して明瞭な解答を與へ 養論 てゐ る で あ ら う か 。 三一六 養論は特殊的にインテリゲンチャ的な問題であることによつてインテリゲンチャに媚びるこ とができる。殊にインテリゲンチャの會的地位について、その政治的意義について、これを 少に價するが出た後において、また現在の政治的勢が々インテリゲンチャの無力を證し つつあると思はれるとき、養論は一見インテリゲンチャの特殊的意義を十に示し得るやうに 見 え る と こ ろ か ら、 イ ン テ リ ゲ ン チ ャ に 媚 び る こ と が で き る で あ ら う 。 な る ほ ど イ ン テ リ ゲ ン チャは養によつてインテリゲンチャである。養のないインテリゲンチャはいはば定義的にイ ンテリゲンチャに矛盾する。しかもこの頃の養論は、その求するインテリゲンチャの養を 再び會的に價することをしないのがつねである故に、そこではインテリゲンチャは自己の特 殊的もしくは特權的地位に容易に安んじることができるであらう。かやうにして養論はインテ リゲンチャを自己滿足に陷らせ易い傾向をもつてゐる。 に養は、その根柢に一定の化の理念と人間の理想をもたない場合、單なる博識或ひは趣 味となる。博識は博識としてインテリゲンチャに媚び得る性質をもつてゐる。そのうへ博識の結 果はおのづから的相對主義となるであらう。ところでこの相對主義は現在のインテリゲン チャの多くが陷つてゐるといはれる懷疑的氣と共感することができる。懷疑的氣は的相 對主義においていはば一種の展望を與へられ、そして博識によつて箔をつけられる、養はかく の如きものとなり得るのである。また養は趣味となり得るばかりでなく、特に我が國において は趣味人ともいふべき人間の觀念が養の觀念の基礎であるといへるであらう。この趣味人とい ふ觀念は日本における傳統的な人間の觀念のうち有力なものであり、江化の中において完 されたものである。養は趣味として快く、現實からのの場としてするのみでなく、か かる養は我が國においては特に趣味人といふ傳統的な人間の觀念によつて一種の人生觀的基礎 を與へられるといふ味をもつてゐる。博識な趣味人と結び附く化として存在するのは隨筆で ある。そこで我が國における養人は同時に隨筆人であるといふ特色をもつてゐる。養の觀念 と隨筆の觀念とは結び附いてゐる。かやうな事が見出される點から考へて、この頃唱へられて ゐる養といふものも、すでに數年から、インテリゲンチャの政治的關心の後と共にしく 三一七 現はれてきたところの、隨筆を愛好する趣味に落ち着いてゆくのではないかと思はれるのであ る。養論の險はここにも存在してゐる。 養論 三 三一八 或ひはいふであらう、今日の年・學生に缺けてゐるのは古典の養である、と。かやうに考 へると、養論は一定の方向をもつことができるやうに見える。たしかに、今日の年・學生に は古典の養が乏しいといふことができるであらう。古典を讀む必はどれほど繰していはれ ても宜い。古典といふのはただ古い書物のことでなく、つねに新たな生命に蘇り得る書物のこと である。しかしながら同時に注意すべきことは、自の目標を失つた年には、すでに古典とい つても多數に存在する以上、何を自の古典として學ぶべきであるかがらないのである。古典 も現在の生きた問題をもつてこれに對するのでなければ眞に蘇ることができぬ。從つてもし現在 の問題そのものについて不決定で、懷疑的であるとしたら、如何であらう。古典を眞に活かし得 るものは現代の創的であるが、その創的の何であるかを捉へてゐないとしたら、如 何であらう。かやうな場合、古典を讀むといふことは美しい去へれることにほかならず、そ し て そ れ は ま た に べ た 博 識 と 趣 味 以 外 の も の と は な り 得 な い の で あ る。 古 典 論 も 現 代 の 課題について明瞭な指示を與へ、現代化の指的理念を明確に呈示するところがなければなら ぬ。 他のはいふであらう、今日の日本のインテリゲンチャの養はあまりに西洋的である、この 行きぎに對して日本の傳統的化に關する養を積むことによつて衡をはかることが必で ある、と。この衡論は恐らく最の養論において持ち出された唯一の理論であらう。しかし ながらそれにも我々の遽に贊同しいものがある。たしかに、今日のインテリゲンチャにとつて 養のおもな源泉となつてゐるのは西洋化であるといふことができるであらう。けれどもその ことは先づ、我々の血の中に日本的傳統的なものが存在しないといふことにはならない。むし ろ實際は、頭腦においては西洋的になりながら、血の中には日本的なもの、しかも封的日本 的なものが、もしかういつても差支ないなら、あまりに多いのに苦んでゐる場合が尠くないの である。たとへば我が國の自然主義學は、頭腦的には西洋的であつたにしても、血的には 剩といひ得るほどの日本的傳統的なものを殘してゐたと見られるであらう。それ故に我々の問題 は、如何にしてかにかやうな封的なものから却して、新しい日本的なもの、もしかう言 ひ換へることが望ましいなら、眞に日本的なものにすることができるかといふことである。そ のためにはに激しく西洋的な化ち代的世界的な化と對質することが求されるであら 三一九 う。に日本的なものといつても、眞の養の立場においてはそのすべてのものを身につけねば 養論 三二〇 ならぬわけではない。眞の養にとつてはその容、その化の質が問題である。たとへば江 時代の町人は、今日普のインテリゲンチャよりも養が高かつたといはれる。けれども彼等の 養の容の性質を問題にするとき、それが我々の養の模範となり得るものであるかどうか、 甚だ疑問であらう。ここでも問題は、養の觀念の根柢となるべき化の理念竝びに人間の理想 である。第三に、衡論そのものがいはば特殊的に「養論的な」理論であつて、化の生の 原理とはなり得ない。化の生の立場からいふと、まだしも、東西化の融合とか統一とかい ふ理念をげることが一積極的であらう。衡論は、これを現在のファッシズム的化論の流 行といふ客觀的勢の中で見ると、自由主義の協的な、極的な思想にぎないと考へるこ とができるであらう。いづれにしても、それは化の生の立場を現はし得るものでなく、そし てかくの如く養論といふものは知らず識らず化に關して費的な立場に立つてゐることが多 いのである。これに對して養の問題は化の生の立場から考へられねばならぬことをす べきであらう。そしてその場合、養論はもはや單なる養論にとどまり得るものでなく、現代 において求される化の新しい理念、また人間の新しい理想が何であるかについて答ふべき義 務をもつてゐるであらう。今日、養の問題が混亂し、かくして養そのものがくされてゐる かのやうに感じられるのも、實にこの點に懸つてゐるのである。 にひとは言ふであらう、今日の日本の化における大きな缺陷は、各化領域が孤立してゐ て、そこに相互理解、相互作用がないところにある、養はその本來の普性への求にもとづ いてかくの如き相互理解や相互作用を可能にするものとして大切である、と。この見方はたしか に重な點に觸れてゐる。それぞれの化の領域の間に、たとへば學と哲學との間に、或ひは また哲學と政治學との間に、相互作用が行はれるといふことは、それぞれの領域の化の發に とつて肝なことである。しかるにおよそ二つのものの間に相互作用が行はれるためには、兩 の根柢に或る第三のものがなければならない。この第三のものがはじめて兩の相互作用を可能 にするのであり、またそのものが普的な養に統一を與へるのである。統一のない養は眞の 養とはいはれず、單なる博識にぎないであらう。かやうにして化についての統一的な理念 をもつことなしには眞の養は不可能である。 四 三二一 言ふまでもなく、我々は養といふもの自體を決して輕しようとするものではない。誰も 養論 三二二 養そのものを排斥すべき理由をもたないであらう。我々が注意しようとしたのは、養の觀念は つねにその根柢に或る一定の化の理念竝びに人間の理想を豫想するといふことであつた。かや うな提的理念乃至理想は、會の安定期においては動搖することなく、いはば自明のものとし て默の間に一般的承を得てゐる故に、この場合には、養論はかやうな提をことさら問題 にすることをせず、養を單に養として抽象的に論ずることも可能である。しかるに現代 會においてのやうに人間の觀念、化の理想が混亂してゐる時代においては、いかなる養論も この提的問題を無することができず、先づそれを吟味して掛らなければならない。この問題 について考へることは時代と會とについて考へることである。ところがこの頃の養論は、 養をただ養として抽象的に取上げることによつて、かやうな根本問題をことさら囘する傾向 がありはしないかと思はれるのである。尤も、新しい化の理想や新しい人間の觀念について考 へるためには、すでに養が必ではないか、といふ反駁も生じ得る。この反駁は一面の眞理を 含んでゐる。去の傳統に學ばないで創することはできない。しかしながら新しいものの創 には養が却つて障碍になり得ることもあるといふことを忘れてはならない。とりわけ養は行 動にとつて妨となり得るものである。養が博識や趣味にる場合、かくの如きをひ易 いのであつて、養そのものがむしろ生と行動の立場から考へられることが大切である。養 はニーチェのいはゆる「養ある俗物」を作り出し得るものである。今日のインテリゲンチャに おいて養の乏しいことを欺くは同時に養ある俗物の尠くないことを憂ふべきであらう。 養論と雖も抽象的に見らるべきでなく、それが現はれた的況の中において價されな ければならない。かくて今日の養論が如何なる現實的意義をもつてゐるかについては、すでに べた。そこで我々はかかる養論の險性に對しての如き反省を加へなければならぬであら う。 一、養といふ言葉は我々にとつて大切な理論的意識をひ隱し易い。今日のインテリゲン チャにおいて失はれつつあるのはこの理論的意識であり、それが彼等の眞實の養の困と見ら るべきものである。或ひはんで考へると、現在、理論を喪失し、また理論を求することを諦 めたインテリゲンチャがそこに安心を求めようとしてゐる場があの養である。理論的意識は この場合科學的と言ひ換へても宜いであらうし、或ひは良識と言ひ換へても宜いであらう。 三二三 いづれも批判的といふことを本質とするに反し、養は批判的でなければないほど一養的に 見えることができる。 養論 三二四 二、養について特に現代との關係において大切であるのは政治的養である。養といふ言 葉が化的養を指して政治的養を問はないとすれば、我々はこれに對して蒙といふ言葉を 置き換へなければならぬ。蒙は何よりも先づ政治的蒙である。養論をもつてインテリゲン チャは政治的關心の後と共に大衆への關心を離れて自己に特殊的な見地に立ちつたものとす れば、蒙は彼等が大衆の中で大衆との關係において自己の特殊性を見出す立場に立つものであ る。インテリゲンチャであつて養のないものはインテリゲンチャといひ得ず、從つて彼等が自 己に立ちつて養を求めるといふことは當然である。蒙も先づ自己自身についての蒙から 始めなければならぬ。しかしインテリゲンチャは自己の養を會的に價し、大衆に對する 蒙に從事すべきであらう。養は自己を目的とするところにい反省をもつてゐるが、同時に非 會的になる險をもつてゐる。養の立場は先づ自があつてのち會があると考へる個人主 義的見方を知らず識らず提してゐる。 三、養は單なる知識の問題ではない。ドイツのヒューマニズムがすでに力したやうに、ビ ルドゥングは同時に人間形の意味をもたなければならぬ。しかるに人間はただ會の中におい てのみ形される。ビルドゥングは人間形といふ根本的な意味において、單なる趣味や博識で あり得ないことはもちろん、一般に單なる觀想であり得ず、行爲的でなければならない。人間は から作られると共にを作つてゆく。かかる程において人間自身は形されてゆくので 三二五 ある。人間形の根本的な意味において、養を單にインテリゲンチャに特殊的なものと考へる ことから解放されねばならぬ。 養論 知識階級と傳統の問題 ——1937.4 『中央論』 一 三二六 どのやうな問題を考へるに當つても、その問題が提出されてゐる況に就いて考へることが必 である。ここに況と謂ふのは二重の意味のものである。第一にはその問題が投ぜられてゐる 客觀的勢であり、第二にはその問題が與へられてゐる主體的態である。これら二つの事柄は 固より相關聯してをり、客觀的勢は主體的態に影し、に主體的態は客觀的勢に作用 する。そして問題そのものに就いて云へば、少くとも相對的には、或る問題は謂はば制的に客 觀的勢から課せられ、他の問題は謂はば創意的に主體的態から發するといふやうな區別が め ら れ る。 し か し な が ら の 場 合 に も そ の 時 の 主 體 的 態 に 就 い て 考 へ る こ と が 必 で あ る 如 これが眞の意味における的況である —— の中 —— く、後の場合にもその時の客觀的勢に就いて考へることが大切である。かくして問題はつね に、相關聯する二重の意味における況 で現實的に考察され、客觀的に計量されると同時に主體的に價されねばならぬ。問題そのもの が抽象的であるか體的であるかを議論することは無意味である。それ自體としては體的であ るかのやうに見える問題も、一定の的況においては却つて抽象的であつたり、反對に、そ れ自體としては抽象的であるかのやうに見える問題も、一定の的況においては却つて 體的であつたりすることがあるのである。一つの例を擧げれば、かのヒューマニズムの問題の如 き、抽象的であると云はれたり、限定を求されたりしたが、しかしそれは一見抽象的である故 に却つて日本的現實のうちにおいては體的な意味を有するのであつて、日本的現實といふ 的況から離れてそれが抽象的であるとか無限定であるとかと云ふことはできない。抽象的體 的といふ言葉をもつて物を價するのが自明のこととして慣例的になると共に、何が抽象的で何 が體的であるかに就いての反省が第に失はれて來てはゐないであらうか。 ところで最我が國の知識階級の間においても民族と傳統の問題がしく關心されるやうにな つた。この問題はもちろん重である。民族的なもの、傳統的なもの、日本的なものと云へば、 直ちに反動であるとか復古主義であるとかと云ふ式論に我々は與しないであらう。式主義の 三二七 流行そのものが實は我が國においては理論の傳統が乏しいことを語つてゐる。それは一つの日本 知識階級と傳統の問題 三二八 的 性 格、 ち 結 論 と 實 際 的 歸 結 と を 性 に 求 め る と い ふ 性 格 を 示 し て ゐ る と さ へ 云 へ る で あ ら う。民族の問題は謂はばの問題であるよりも身體の問題である。民族の問題を無する式 論は、それ自身、のみあつて身體のあることを知らぬ一個の主義にほかならない。傳統 主義は主義であると云つて彼等に反對するは、かくの如き式論の別の意味における 主義にみづから陷るべきでない。いま民族と傳統の問題に對して正しい立場を見出すために は、先づこの問題が置かれてゐる的況を觀察することが必である。その際、客觀的勢 に就いて考へねばならないことは固より、特に大切なのは主體的態に就いて考へるといふこと であ る 。 現代の客觀的況から見れば、民族と傳統を力してゐるものは知の如くファッシズムであ る。今日我が國において民族とか傳統とかが斯くも喧しく云はれるやうになつて來たことは、い づれにしてもファッシズムの影に基いてゐる。言ひ換へれば、現在民族や傳統をすること は何等「日本固有」のことでなく、從つてそのことが果して眞に日本的傳統に忠實な以である かどうかといふことさへ問題である。民族主義傳統主義は現代の一つの世界的風であり、それ 故に日本主義そのものにしても世界的に、世界的に考察されねばならぬものである。ともかく 今日かくの如き客觀的勢が存在する以上、民族とか傳統とかを特別に問題にする場合、その主 觀的意圖が何處にあるにせよ、會的にはファッシズム的に受取られ、ファッシズム的に作用す る險のあることは否定し得ないであらう。人間は會的動物であるとすれば、自己の言動の 會的效果を勘定に入れて考へなければならぬ。ただ意志さへ善ければそれで善いといふ「心 」は會人の良心としては不十であることをれない。人間は政治的動物である限り、自己 の言動の會に及ぼす結果に對して責任をはねばならず、それに就いて豫め可能な範の考慮 を拂ふといふ、マックス・ウェーバーの謂「責任」が求されてゐる。何事も人的であ ることを貴ぶ我々のモラルの傳統は美しいものに相ないが、そのために我々には責任の思 想が缺けてゐるとすれば、この傳統もそのまま繼がるべきではないであらう。今日民族や傳統に 就いて語らうとするは、政治的勢力としてのファッシズムに對する責任的問題を度外し ては な ら ぬ 。 固より、ファッシズムが民族の傳統を重んずるといふことと、我々の民族の傳統そのもののう ちにファッシズムになり得る傾向があるといふこととは、別の問題である。そこで先づファッシ 三二九 ズムはそれ自身一個の外來思想にぎないといふことをべ、に日本民族の傳統を論じて、こ 知識階級と傳統の問題 三三〇 の傳統のうちにはファッシズムになり得る傾向が存在しないといふことを明かにし、かくしてこ の國の民族的傳統の立場からファッシズムに反對することも可能である。一部の自由主義がま さにかやうな態度をとつてゐる。それは今日の客觀的勢に對する民族的傳統の一つの價の仕 方 を 現 は し、 且 つ そ れ は フ ァ ッ シ ズ ム の 最 も 重 す る 民 族 的 傳 統 そ の も の を 武 と し て に ファッシズムをたうとする點に特色がある。その方法はファッシズム批判にとつて一見甚だ有 力である。しかし、その際日本的性格として擧げられる種々のこと、例へば、日本人は實際的で あつてつねに中庸を執る故にファッシズムの如き極端な思想は受け入れられないとか、日本人は 唯一つのでなくて多くのに仕へることをつねとする故にファッシズムの如き獨裁主義は しないとか、等々のことがたとひ眞であるにしても、そしてそれが眞である限り日本的性格に就 いてのかかる考察は現在の政治的勢の批判として有意義であることを失はないにしても、民 族と傳統の問題に對するかくの如き態度には理論的にも實踐的にも點がある。ひとはそのやう なに反對して云ふであらう。ファッシストと見做される日本主義自身でさへ、日本主義は獨 特のものであつてファッシズムとは異ると主張してゐるではないか、日本の民族的傳統のうち にファッシズムへの傾向が存しないとべることは却つて日本主義のために彼等が現實に爲し てゐることに對する好合な辯解の方法或ひは辭を提供することになりはしないか。また假に 去の日本にファッシズム的なものへの傾向が見出されないとしても、そのことは現在の日本に ファッシズムが生じないといふ保證とはならない。どのやうな民族も的に變化する、の 新しい條件のもとにおいては去の美しい傳統も破壞される。ファッシズムは去にあつたやう なものでなく、まさに現在のものである。現在の日本の現實のうちにファッシズム的本質のもの が存在することはひい事實ではないか。現在が去と單に的であるかのやうに考へるの は傳統主義の理論であり、その實踐的歸結は復古主義である。しかもそれら自由主義の民族性 格論は極的な復古主義にほかならず、彼等にとつて好ましからぬ現在の現實から眼を外らせ て、去のうちに慰めを求めようとするものである。單に去から現在を見るといふのは惡しき 主義である。かやうな主義は、その本質上觀想的であつて實踐的でないといふことと關 聯して、現實が困になればなるほど、現在から去へのとなつて現はれるのがつねであ る。一見ファッシズム批判的な今日の民族傳統論のうちにも現實囘の傾向がめられるであら 三三一 う。我々はに就いての單なる觀に同意し得ないと共に、は單に去からでなく却つ て現在から考へられねばならないと主張する。 知識階級と傳統の問題 三三二 か や う に し て 右 の 見 解 は そ の ま ま 承 し い に し て も、 そ れ が 現 代 の 客 觀 的 勢 と し て の ファッシズムとは反對の關心から民族と傳統の問題を捉へてゐるといふことに注意しなければな らぬ。そこで我々は我が國の知識階級が現在に他の如何なる立場から同じ問題に關心してゐる かを檢討してみよう。これはとりもなほさず今日の知識階級の主體的態の析である。 二 その一つは謂はば氣的なもの、氣的なものである。現在のファッシズム的な政治的壓力 にひしがれた人々は現實からいて自自身につて來る。ちやうど會における鬪ひの生活に 破れ、傷つき、或ひはみ、疲れ、或ひは望した人間が自の故につて行くのと同樣であ る。現實とは我々がそこへ出て來て鬪つてゐる場である。そこから人々がつて行く故とは そのうちにはファッシズムその —— 民族的なもの、傳統的なもの、日本的なものである。彼 等 が フ ァ ッ シ ズ ム を 積 極 的 に 支 持 し て ゐ る と 云 ふ こ と は で き な い。 ろ 種 々 の 理 由 に よ つ て 鬪 ひ かられてつて來る時、彼等は謂はばく自然的 ものに對する鬪ひさへも含まれてゐる —— に、自の故として、休息として、民族的なもの、傳統的なものを見出すのである。現在の 客觀的勢としての民族と傳統の高は彼等がそこへつて行くのに好合な條件を與へてゐ る。そのうへ、この「る」といふ氣持は日本的傳統的なものである。それは東洋の「自然」の 形而上學に基いた一つの根本的な生活感である。かくの如く傳統的なものへつて行くといふ ことに對して理論的支持物となつてゐるのは、頃の「養」の思想である。ひとは云ふ、自國 の傳統に就いての養は我々の忘れてゐたものであり、少くともこれを補ふことは必である、 と。この養論は直接には右と同樣の知識階級の主體的態の物でないとしても、それが知識 階級の間に擴つて行つた主なる理由が右の事に存することは否定できない。養の必をく ことはそれ自體としては正しいにしても、この養論は現代の客觀的政治的勢と知識階級の 主體的態とを十に考慮に入れてゐないといふ點において抽象的である。從つてこの養論は 方向を有しないといふことを特としてゐる。何が眞の養であるかは現在の行爲の立場から決 定されねばならぬ。その場合、これまで養と見做されてゐたものち傳統的養をぎ棄てる といふことが却つて眞の養であるといふこともあり得るであらう。ところで「る」といふ一 種の感的な態から養を求めるが、おのづから民族的なもの、傳統的なものに就いての 三三三 養に向ふことは當然である。我々はこれを簡單に後とは云はないであらう。東洋的な「る」 知識階級と傳統の問題 三三四 を直ちに後として價することは切でない。しかしそれがでないといふことも確かであ る。それが多くのにとつてかの一部の「轉向」における如く戰敗を記するものでないにし ても、また戰を意味するものでないことも明かである。「る」は東洋的觀照の根本的態度を 現はすものであつて、それが後であるにせよないにせよ、非實踐的であるといふことだけは爭 はれない。にそれはいづれにしても年性の喪失を意味してゐる。その年期に好んで西歐的 なものを求めてんで來た人々が、初老の頃ともなれば、傳統的なもの、日本的なものに興味を 持ち始めるといふことは我が國において々觀察される事實である。それが彼等の知的發展の停 頓、活動性の減の一つの候である場合は尠くないであらう。「る」といふととは日本化 の傳統のうちに存する「老境」へのであり、その態を現はしてゐる。かくして傳統的なもの への歸は、單に實踐の囘であるのみでなく、知識人にとつてはまた知的鬪爭からの撤であ る。彼等はこの十餘年間特にめざましく自己の生活の指原理をねて來た。或る時はそれを得 てゐたし、或る時はそれを失つたにしても再び熱意をもつて探求し始めたし、また或る時はこの 探求の「不安」そのもののうちにさへ留まらうといふ悲壯な決意を示した。然るに今や一方會 的に思想の自由が々狹められると共に、他方そのやうな新しい指原理は得られさうにもない といふ東洋的な諦めが生じ、彼等は知的鬪爭から身をいて故へ歸つて行く。その原因には に、客觀的に「言論の自由」が存在しないといふこととは別に、主體的に我が國においては「知 性の自由」の傳統が乏しいといふことも考へられるであらう。思想上の鬪ひも、鬪ひである限り、 「出て行く」といふ根本的性格をもつてゐる。鬪ひを見棄てたがつて來る場は故であり、 それは民族と傳統である。 にべた如く、民族的傳統に關心するといふことはそれ自體としては反動であるのでなく、 場合によつては後と呼ぶことさへ當つてゐない。しかし右の態度の根本的缺陷は、傳統に對す る關係において自主性がなく、決意が含まれてゐないといふことである。傳統はつねに養とな り趣味となり得るにしても、養や趣味は現在の行爲、會的實踐竝びに化的創にとつて却 つて妨になるといふことも稀でない。傳統も行爲の立場から、從つて現在の立場から捉へられ なければならない。創には固より傳統が必である。同時に創にはまた忘却が必である。 新しい世代が生れるといふことが化の發展にとつて意味を有するのも、それが創に必な忘 却をふ故である。「る」といふ東洋的態度及びそこに現はれる東洋的リアリズムも、例へば 三三五 芭蕉の藝にとつては積極的な意味があつたにしても、現在我々のうちにおいて同樣の生性を 知識階級と傳統の問題 もつて復活し得るであらうか。 三三六 ここに我々は日本民族の傳統に對する一つの他の態度が存在するのを見る。これは浪漫主義的 觀に基礎をもつてゐる。この一はえず「決意」と「系譜」とに就いて語る。ところで彼 等が好んで口にする系譜に就いて考へるならば、彼等の理論の系譜は決して日本的なものでな く、却つてドイツ的であり、ニーチェ、ゲオルゲ及びその一黨、ち今日のナチスにおいて國民 的英雄として崇拜されてゐる人々である。彼等はその理論の傳統を本居宣長その他の國學に溯 つてゐはするが、彼等の英雄的浪漫主義はなんら本居的でなく、却つて明かにニーチェ、ゲオル ゲ、グンドルフその他のものである。彼等もその外觀ほど乃至は彼等自身が信ずるほど日本主義 であるのではない。彼等の復古はニーチェ的なアタヴィズム(先り)の理念をふも のである。彼等の關心するのは嘗てニーチェが爲したやうに自己の英雄たちの(主として學上 の)系譜を求めるといふことである。ニーチェは彼の『ツァラツストラ』の立時代に「私の先 はヘラクレイトス、エムペドクレス、スピノザ、ゲーテである」と書いてゐるが、そこには一 人のドイツ人に對して二人のギリシア人、そしてまた一人のユダヤ人が擧げられてゐるといふこ とは、現在のナチスのユダヤ人排斥に鑑みて注目すべきことである。日本の浪漫主義的傳統主義 も、萬葉の詩人や芭蕉と共に、少くともニーチェやヘルデルリンを自己の系譜のうちに加へる ことを拒み得ないであらう。このことは、言ひ換へれば、化の系譜は決して一民族の部に限 られ得るものでなく、却つて世界的であるといふことを示してゐる。今日の日本の浪漫主義は ニーチェなどと同樣、その的貴族主義の立場から、傳統を個々の「英雄」に求めてゐる。從 つてそこでは「民衆」は問題でなく、民衆的化のうちに民族的傳統を探らうとすると相容れ ない 立 場 に あ る 。 私はかくの如き日本浪漫の動に何等の意味をめないではない。私はそれを何よりも古 典決定の動として價しようと思ふ。實際、日本の如何なる時代が古典的であるかは、從 來多くは曖昧のままに殘されてゐる。我々のにおける古典的時代が決定されるのでなけれ ば、我々の傳統に對する正確な關係は始まらないとも云ひ得るであらう。傳統はただ傳統である 故をもつて價値があるのではない。その或るものは模範として重すべきであると共に、その或 るものはろ敵として拒否すべきである。觀念の立場でなく行爲の立場に立つは審判として に對しなければならない。その時、我々に最もい時代が却つて我々に最もく、我々に最 三三七 もい時代が却つて我々に最もく、は否定され破壞さるべき傳統であり、後は古典的と 知識階級と傳統の問題 三三八 して再生され復興さるべき傳統であるといふことがあり得るであらう。然るにもしの發展が 單に的であるとしたならば、我々がい去を越えてい去に結び附くといふことは不可 能である。そのことが可能であるためには、の一つの時代と他の時代とが單に的でな く、却つて非的であるのでなければならぬ。もし今日の日本主義に、あらゆる西洋的なも のを排斥する一方、あらゆる日本的傳統的なものを重する風があるとすれば、それはを單 に的なものと見ることであり、かくては各々の時代が獨自のものであるといふことも理解さ れず、各々の時代が有する個性をめないといふことは眞にを重する以であり得ないで あらう。ところで去の一定の時代を古典的として發見するものは現在の創的であつて、 懷古趣味の如きものではない。懷古趣味は的相對主義である。西洋におけるルネサンスの創 的が古典的ギリシアを發見した。しかもこの場合ギリシア的傳統の復興は同時に他の傳統 ち中世的傳統の否定であつたといふことに注意しなければならぬ。いま日本化の古典を萬葉 天時代に求め、明治のは萬葉天時代のの復興であると見るには或る洞察が含まれ てゐるとめても好い。しかし明治のに復古的なところがあつたとしても、それは同時に封 的傳統に對して訣別を宣言したのであつた。傳統の否定なしには傳統の復興はあり得ない。そ して眞の復興は去のものの其の儘の復活でなく、却つて新しいものの創となつて現はれる。 明治のが萬葉天のの復興であるとしても、復興されたのはその「化」であるよりも その「」であり、化の復興としては極めて局限されたものでなければならなかつた。化 の意味において古典的とされたのはろ西歐的なものであつた。明治のはんで西洋化に 接觸し、これを攝取することによつて萬葉天の謂「世界」( 保田與重氏)の復興であ り得たのである。かくの如く考へ來るならば、我々のうちになほ最も力く作用してゐる江 化の傳統に對して否定的な態度を取りつつ、一方では日本の古典美に歸らうとする古典的國粹主 義と、他方では直接外國學に救ひを求めようとする直譯的歐化主義とは、今日の日本において 對蹠する別のでなく、く同じ表裏の兩面にほかならないと見る( 萩原朔太氏)にも、 或る詩人的直觀力をめ得るであらう。そこに示された現在の日本化に對する激しい批判の に對して我々は同感することができる。しかし二つの主義が主觀的にその「」において同 じであるとしても、客觀的に「化」を生してゆく立場において我々はいづれの方向に從ふべ きであらうか。この場合、東西化の融合もしくは統一の理念が今日もはや「季はづれ」とな 三三九 つてゐるとすれば、日本的なもののは排外主義にならねばならぬであらうか。私はこの一 知識階級と傳統の問題 三四〇 の人々が決定的に排外主義であるとは信じい。事實はろ、彼等の浪漫的な主觀主義に相應 して、彼等にとつて問題であるのはつねにであり、現代の化が客觀的なものとして如何な る形式において形されてゆかねばならぬかに就いては確乎たる方針があるわけではないのでは なからうか。彼等の立場は根本において的審美主義として特附けられ得るものである。 的審美主義は本質的に觀想的でありまた懷古的である。彼等の古典に對する關係は、實際、か のルネサンスにおけるヒューマニストのギリシア古典に對する關係ではなく、却つてヘルデルリ ンの古典的ギリシアに對する關係に似してゐる。そこからしてまた、彼等に先立つて萬葉の古 典性を價した明治の人が萬葉に對する關係と今日の彼等が古典的萬葉に對する關係との差異 が理解されるであらう。もしも彼等にしてヘルデルリンの生涯の悲劇的結末に或る的象的 意味をめることを拒まないならば、彼等は先づヘルデルリンとゲーテとの的態度の相か ら學ぶことを怠つてはならない筈である。 三 ここに一穩和な、それ故に一見尤もらしい見解が現はれてゐる。ち云ふ、今日の知識階級 における日本的なもの、傳統的なものに對する關心は一個の「衡動」( 谷川徹三氏)にほか ならない、と。蓋し我が國のインテリゲンチャは從來あまりに甚だしく西洋的なものをひ求め て來たのであるが、今やかかる行きぎに對する衡動として日本的なもの、傳統的なものが みられるやうになつたと云ふのである。ところでこの見解は理論としては常識的な均衡論 にほかならず、辯證法的な見方に對立するものであるといふことが注意されねばならぬ。會の 機、化の機が間斷なく叫ばれてゐる今日、かくの如き均衡論は如何なる意味を有し得るで あらうか。それは一種の自由主義的心から發したものであることは疑はれないにしても、かや うな自由主義は現實においては不可能にされてゐる。日本主義は現在、あらゆる西洋的なもの を排斥し、手當り第の日本的なものをこれに對せしめようとしてゐるのである。明治大正時代 の會の安定期においては東西化の綜合といふ、ともかく積極的な、世界的な命をはさ れた理念がげられたのであるが、今や我々は化の均衡といふが如き極的な思想をもつて滿 足しなければならないのであらうか。この均衡論は東西化の綜合的統一といふ理念からの數歩 却である。に重なことは、均衡論はなんら化生の立場となり得るものでなく、たかだ 三四一 か趣味と「養」の立場を現はし得るにぎないといふことである。今日の知識階級における日 知識階級と傳統の問題 三四二 本 的 な も の、 傳 統 的 な も の に 對 す る 關 心 が か く の 如 き 養 に お け る 均 衡 動 を 意 味 す る と す れ ば、我々はここにもまた彼等が現在の政治竝びに化的現實に對して如何に極的になつて來た かを示すに足る事實を見ることができる。 我々は傳統主義のに就いての單なる觀を排斥した。西洋化の性に對して非 性を日本化の特質として擧げるさへ存在する。固よりは單に非的なものでない。 民族的傳統は我々が手に着けたりいだりすることのできる外套の如きものではない。今日ひ とは好んで明治以後における日本の歐化主義を非する。しかしながら、あらゆる現實的なもの の必然の命として、西洋化の入にもがつたとはいへ、まさにこれによつてのみ日本 が世界の國にまで發展し得たといふことは明かな事實であるのみでなく、他方その謂歐化主 義そのもののうちにも日本的性格がなほめられ得るのである。西洋化の移植によつて日本人 が西洋人になつてしまつたとは考へられない、に西洋化の移植の仕方のうちにも日本的性 格が現はれてゐるであらう。西洋の代的化によつて驅されねばならなかつたのは封的な ものである限りの日本的なものであつた。これは當然のことであつて、封的なものは日本化 の發展にとつても制限とならねばならぬものである。我々は日本化の特殊性を疑はないであら う。ただ我々が不安に感ずるのは、日本的と考へられるものが單に封的なものにぎぬことが ないかといふことである。この不安を除く必からしても、我々はえず我々の化を西洋化 と對質せしめなければならない。それは西洋化を單に模倣するためにでなく、我々のうちに殘 存せる封的なものを算するために求されるのである。ヒューマニズムが唱へられる一つの 理由 も そ こ に あ る 。 さて民族といふのは謂はば身體の如きものである。我々の身體は會的身體としての民族の 身と見られることができる。民族は主體的身體的なものとしてパトス的なものである。いまもし 民族と化とを區別して考へるならば、民族の身體に對する化はそのの意味を、從つてま たパトスに對するロゴスの意味を有すると見られることができる。民族は身體としての物質の意 味を有し、物質はギリシアの哲學が考へたやうに可能性の意味を有するであらう。可能性とし ての身體はによつて限定されて現實性にする。しかもと身體とは單に的なもので なく、相對立するものとして非的である限り、一民族はそのを他の民族の化から受け 取ることも可能である。このことが可能であるのは各々の民族が互に異るものでありながら同時 三四三 に人としての統一を有するためである。かやうにして明治時代の日本人は西洋化を移植して 知識階級と傳統の問題 三四四 自國の化を發展させることができた。かくして作られた化と民族との間に何等かの乖離が存 在するやうに感ぜられるとすれば、それは西洋化がなほ身體化され、パトス化されてゐないこ とを意味してゐる。然るにそのことは我が國における西洋化の傳統が日なほ淺く、未だ十に 傳統となつてゐないといふことである。この場合傳統とは身體的になつた化、謂はばパトス のうちに沈んだロゴスである。西洋化の入以來、なんら日本獨特のものが生じてゐないとし ても、永久にさうであるのほかないといふ命にあると考へることはできぬ。我々の任務は今な ほ借衣の感ある西洋化を身體化することであり、それが身體化されて眞の傳統となる時、その 基礎の上に日本獨特のものが生れて來るであらう。民族とはい昔にあるのでなく、我々の身體 が、我々の現在が民族である。しかも民族は、身體的と云つても單に生物學的なものでなく、却 つて的身體であり、において形されたものとして傳統的なものをもつてゐる。日本的 と云はれる傳統は固より單に身體的なものでなく、そのうちにロゴス的なものを含んでゐる。 んで考へるならば、日本的傳統と云はれるものも支化や印度化を身體化することによつて 作られたものである。傳統は謂はば身體或ひはパトスのうちに沈んだ或ひはロゴスであり、 そこからして傳統は身體的なもの、民族的なものと一に見られ、かかるものとしての傳統とロ ゴス的なものとしての化との乖離も考へられるのである。實際は支や印度の化を吸收して ゐる日本の傳統が何か「日本固有」のもの、純粹に民族的なものと考へられるといふこと、かか る民族的なものと西洋化とが永久に乖離すべき命にあるかの如く考へられるといふこと、な どの理由はそこにある。しかしながら民族も的に形されたものであるやうに、傳統はもと 身體ととの、パトスとロゴスとの統一として辯證法的なものであり、辯證法的に發展してゆ くものである。身體的なもの、パトス的なものとしての傳統は新しい化によつて否定されて に新しい傳統が作られる。すべて化はパトスが自己を否定し、ロゴスにおいて却つて自己を肯 定する時に生れるのである。民族の自己否定を媒介とすることなしには眞の民族的化も作られ ない で あ ら う 。 我々は日本人が日本的傳統に就いて自覺することの必を決して否定するではない。自覺は 如何なる場合においても大切である。しかしながら傳統の自覺は同時に傳統の批判を含まなけれ ばならぬ。それのみでなく、今日我々にとつて特に必なことは、日本的なものの特殊性を知る ことであるよりも日本的なものの世界性を求めることでなければならぬ。誰も日本的なものの特 三四五 殊性を否しはしないであらう。問題は日本的なものの世界性を求めることであり、このことこ 知識階級と傳統の問題 三四六 そ從來最も缺けてゐたものである。川幕府の國主義のもとにあつた日本においては、日本 化の世界性に就いて反省することもそれほど必でなかつたであらう。然るに今日、日本が、 國日本として世界の舞臺に登場した時、我々にとつて問題となるのは何よりも我々の化の世 界性である。それは單に懷古的な態度においてでなく、ろ新しい化を生する立場において 問題になつて來ることである。且つまたそれは世界の舞臺へ登場した日本において初めて現實 的に可能となつたことであつて、この自覺こそ我々にとつて最も必なものである。古代ギリシ アの民族的化は同時に世界的化となつた。そのことが單に彼等の民族の優秀性に基くもので ないといふことは代ギリシアの態を見れば明瞭であらう。古代ギリシアの化が世界的にな り得たのは、それが當時の世界のの中心に位し、バビロニア、エジプト、フェニキア、ペル シア、等の化とえず接觸したためである。然るにギリシア化の正統の後繼と自稱するナ チス・ドイツにおいては、かかる的事實を無して、人種主義が唱へられ、一切のユダヤ的 なものが排斥されてゐる。今日我々に必なのは世界の識であり、世界的考察に基いて日 本化の問題を考へてゆかねばならぬ。 日本的知性について ——1937.4 『學界』 これから本誌に書くものは究とか論とかとしてでなく、筆の感想として讀んで戴きたい と思ふ。もちろん、それが單なる感想以上のものになり得たならば、筆にとつても大きな仕合 せであることは云ふまでもない。しかし私はここで何事かを斷定的に主張しようとするのでな く、むしろ假設的なことについてべてみようとするのである。斷定的に書いてゐることも、必 ずしも斷定する意味でないと理解して戴きたい。もし私に何か一貫した積極的な主張があるとす れば、假設的に考へることは意味のないことでなく、そしてそれは、特に我々日本人の場合、今 後哲學をやつてゆく上に、に敢へて云ふならば、學をやつてゆく上にも、大切なことである といふ信念である。いつたい東洋的といはれる思考の仕方と西洋的といはれる思考の仕方とを比 すると、 —— これも實はひとつの假設であるのであるが、 —— 東洋的な思考にはこの假設的に 考へるといふことが足りないのではないか。哲學においても、學においても、そのことが感じ 三四七 られるのである。この點から云つても、東洋的な思考は體的で、西洋的な思考は抽象的である 日本的知性について 三四八 と云ひ得るのであるが、この假設的に考へるといふことが科學的なのである。私は西洋崇拜 を勸しようとするものでなくまた東洋的なリアリズムがもつてゐる好いところを理解し得ない わけではない、併しともかく我々が我々自身の仕方でこの科學的をどのやうに形してゆく ことができるかを試みるといふことは、我々の化の發展の爲にぜひ必なことであると信じて ゐる。日本を愛することと日本の傳統に固執することとは區別されねばならぬ。私は長してゆ くものとしての日本を愛するのである。 ところで私がここでべることは、理論物理學の假設といふよりも實驗物理學の實驗にお けるイデーのやうなものでありたいと思ふ。如何なる實驗家もただ無に實驗するのでなく、つ ねに或るイデーをもつて實驗に臨むのである。このイデーは實驗における假設であり、一般的な ものである。しかしこの假設は或る特定の現象、或る特定の場合に關係して體的な像として彼 の頭に描かれてゐるであらう。かやうに特殊的なものと一般的なものとが結び附いた形が描か れ、かくしてその特殊の現象或ひは場合が典型的なものとして體的に捉へられてゐるといふと ころに、もし理論家と實驗家とを型的に區別するならば、實驗家の特色が存するであらう。し かし如何なる理論も、結局、實驗に落付かねばならぬといふ意味において、理論家と實驗家との 區別は相對的である。實驗とはイデーに基いて典型的な場合をすることである。かやうに一 般的なものと特殊的なものとを體的に結合し、典型的なものをするといふことにおいて、 實驗家と小家とは似してゐる。もちろん自然科學にあつては、そのやうな典型的なものが 「場合」(ケイス)といはれる如くなほ抽象的な意味のものであるに反し、學にあつてはそれ が極めて體的なものであるといふ差異がある。特殊的なものにおいて一般的なものを見、或 ひは一般的なものを特殊的なものにおいて象化して見る能力は想力と呼ばれてゐるが、かや うな想力が作家の能力であることは云ふまでもなく、それは實驗家にとつて、また哲學にと つ て も 必 で あ る。 人 間 の あ ら ゆ る 活 動 に お い て 想 力 が 如 何 に 大 切 な 意 味 を 有 す る か に つ い ては、いづれ後に詳しく書いてみたいと思ふ。すでにべたやうに、私は私の假設が實驗家のイ デーのやうなものであることを望んでゐるわけであるが、實驗そのものは多くの場合において讀 の親切に依せねばならぬことになるであらう。そのうへ、抽象的な思考に慣れぎた私は實 驗家の格すら十にもつてゐないかも知れない。しかし一般的な假設をべるとき、私はそれ から演繹され得る特殊な場合についてできるだけ話したいと思ふ。もし私の語ることがほんとに 三四九 イデーの意味をもたないで單なる思ひ附きにぎないやうなことがあれば、私はただ讀に陳謝 日本的知性について するのほかないのである。 一 三五〇 この頃河上徹太氏などによつて日本的知性といふものが問題にされてゐる。いつたい、知性 に日本的とか西洋的とかといふ區別があり得るか、といふ議論もり立ち得る。知性は人間の能 力のうちでも最も一般性を有するものであると考へられるであらう。しかしながら、身體から離 れたがないやうに、知性といつても、知性そのものが一般にあるのでなく、あるのは或る特 定の人間の知性、或る特定の民族の知性であると云ふことができる。然るに、この人間といひ、 民族といふものがまた的なものであるとすれば、日本的知性といつても一般的に考へること ができないやうに思はれる。一般的に日本的知性といはれ得るやうなものがあるかどうか、もし あるとすれば、それは如何なるものであるかといふやうなことは別問題として、今日我々が自 のうちに生き殘つてゐる傳統をみるとき、日本的知性に關係して最も重な意味をもつてゐる のは心境といはれるものである。心境については、これまで學の問題としていろいろ論じられ てきたが、それは固より單に學にのみ關することでなく、日本的知性の問題であり、そして同 時に日本的モラルの問題である。 心境と云ふと、すぐに何か觀念的なもの、主觀的なものと考へられるが、單純にかく考へるこ とは間つてゐる。多くの人がこれに反對して云ふやうに、心境は或る極めてリアリスチックな ものである。心境のリアリズムは何處から生ずるのであらうか。そしてそれが極めてリアリス チックなものであるに拘らず、しかもなほ主觀主義的なものと見られる理由は何處にあるのであ らう か 。 知性の機能は一般に技と結び附いてゐる。ベルグソンは人間は幾何學として工人であると 云つたが、ともかく知性と技とが本質的に結び附いたものであることは、西洋的とか日本的と かの區別を離れて、定義的に云ひ得ることであると思ふ。ところで技の本質は、主觀と客觀と を媒介的に統一するといふことに存してゐる。技の媒介をじて、客觀的なものは主觀的にな され、主觀的なものは客觀的になされるのである。指物師の技は木材といふ客觀的なものを人 間化し、人間に合したものとなして机を作り、に人間の欲望や觀念といふ主觀的なものはこ の机において客觀化され、客觀に合したものとなされる。このやうに技が主觀と客觀とを媒 三五一 介的に統一するといふことは、西洋的知性に關はると日本的知性に關はるとを問はず、つねに 日本的知性について められることである。 三五二 ところで知性は科學的であり、そして科學は工藝と結び附くと考へられるやうに、技におけ る主觀と客觀との媒介的統一は客觀の側において、言ひ換へると物において實現されるのが普 である。一般に技といはれてゐるものはこれである。しかしながら技における主觀と客觀と の媒介的統一が客觀の側においてでなく、却つて主觀ち人間の側において實現されるといふこ とも 可 能 で あ ら う 。 そして心境とはこのやうに主觀と客觀との技的な、媒介的な統一が人間の側において實現さ れることによつて作られるものであると見ることができるであらう。西洋的知性が客觀的である に反して、日本的知性が主觀的であるとせられる理由はそこにある。が物の技に關はると すれば、後は心の技に關はる。云ふまでもなく、西洋的と日本的との區別はこの場合實驗の 目的をもつて、ただ型的に或ひは典型的に考へられるのであつて、日本においても物の技が 發しなかつたわけではないが、しかしこの國においては心の技が西洋においてよりもれて 發 し、 そ の 代 り に 物 の 技 の 發 に お い て は 西 洋 に 及 ば な か つ た と い ふ 差 異 が あ る の み で あ る。心境にしてもし右の如きものであるとすれば、それが單に主觀的なものでないことは明かで あらう。それは技的なものとしてどこまでも主觀と客觀とを媒介的に統一することによつて作 られるといふ意味をもつてゐる。ただこの統一が主觀ち人間の側において實現されるものであ る限り西洋的な見方からすれば主觀的であると云はれるのであつて、もちろんそれは他面客觀的 技に匹敵するだけのリアリティをもつてゐる人間そのものの側から見れば、西洋的人間がむし ろ主觀的であり東洋的人間が却つて客觀的であると云ふことができるであらう。この場合、客觀 的といふことが西洋的な、科學的な意味において云はれるのでないことは固よりである。それは 主觀的なのであるが、單に主觀的なのではなくて、主觀と客觀との統一が主觀の側において實現 されてゐるといふ意味において主觀的なのである。東洋的人間のかくの如き客觀性は東洋的な 「自然」の形而上學、我々の謂ふ東洋的自然主義によつて形而上學的基礎を與へられてゐる。こ の形而上學を離れて心境といふものも考へられないであらう。 二 三五三 右にべたことが定理であるとすれば、以下べることはそれの系であり、或ひは例題であ る。先づ心境が定理において云つたりのものであるとするならば、それが「人間修業」と云は 日本的知性について 三五四 れるものと密接に關係することは明かであらう。心境とは技的なものである。心境は技的に 作られてゆくものとして單に主觀的なものでなく、却つて客觀的なものによつて媒介されること が必である。「苦勞する」とはこのことである。苦勞するといふことは日本人の知性とモラル とにとつて特別の意味をもつてゐる。その目的は境を變化することにあるのでなく、むしろ人 間を作ること、心境を形することにある。苦勞は外に向つて働き掛けることでなくて、從す ることであるのもそのためである。それはどのやうな境の變化をもそのまま受け容れることが できる心を作ることである。その技は主觀に從つて物を碎いてゆくのとは反對に客觀に從つて どこまでも心を碎いてゆくことにある。碎かれた心はどのやうな物をも自己と統一することがで きる。人間修業は日本的な智慧と倫理とであるのみでなく、心境學と云はれるものの基礎であ る。心境學と人間修業とは不離の關係にあるのであつて、心境學の理念を放棄もしくは克 しようとする學が人間修業について語るのは無意味である。或ひはに傳統的な人間修業の モラルを放棄もしくは克するのでなければ、心境小から客觀小に移ることもできぬと云ひ 得るであらう。人間修業はどのやうな場合にも必なことであるとしても、客觀小と心境小 との場合ではその容がく變つたものとならねばならぬであらう。芹澤光治良氏がのやうに 書い て ゐ る 。 「×さんがお茶に來た。×さんは三四ケ月から日本に來てゐるフランス人である。林閣 の政綱の發表せられたのを簡單に飜譯して話した。×さんは今度の政變について大變面白い 訓を得たと云つてゐた。と云ふのは日本の知人の誰も彼も、日本の政についてよく知らない ばかりか、どうしたらいいか意見を持つてゐるものはなく、皆、上の方でうまくやつてくれる ものと信じ切つて委せてゐる。總理大臣がきまる、その人が持つ政策がどうであるか容が解 らなくても、その人が生命を惜しまず眞劍でありさへすれば、それで信用する。實際、かうし たことが日本的と云ふのであらうか、と數日にアドバタイザーので大體同じやうなこと を讀んだ記憶があるが、外國人は同じやうな感想を持つのであらうか。×さんはそれから話を けて、日本では學でも、容はとにかくとして、その作が眞劍であると、それが單にポー ズだけでも、その作の藝まで信用される傾向はありませんかと質問してゐた。それは日本 人の知性と關係はないかとも。味はふべき質問である」( 『インテリゲンチャ』三月創刊號)。 三五五 この章はまことによく西洋的知性と日本的知性との差異をべてゐると思ふ。心境小とは 人間を信して書かれる學である。人間修業によつて心境が出來てしまふと、どんなに瑣末な 日本的知性について 三五六 ことを書いてもよろしいことになる、その容は西洋のロマンに云ふやうなロマン的であること をしないのである。心境小は人間に信して書かれるのであるから、その形式においても 的であることをしないことになる。心境は純粹に主觀的なものでなく、すでに技的に客觀 との統一が主觀の側において出來上つてゐる態である故に、客觀的にはどのやうに切れ切れの ことでも、矛盾したことでも、すべてを自のうちに呑みみ、主觀的にはそこに何等の不統一 も矛盾も感ぜられないのである。何でもそのまま呑むといふのが日本的知性であり、それの恐る べき現實主義である。 西洋的知性は客觀的なものに向ひ、物の技は客觀的な思想を求し、この技はまたその結 果として人間から離れた客觀的な思想を殘すことができる。然るに日本的知性にとつては客觀的 な思想そのものはたいして問題でなく、問題はつねに人間である。しかしこの人間を單に主觀的 なものと考へてはならない。この人間そのものがすでにべたやうな意味において客觀的なので あ る。 西 洋 的 人 間 は 主 觀 的 で あ る 故 に 客 觀 的 な 思 想 に る こ と な し に 生 き て ゆ く こ と が で き な い。日本的人間は客觀的である故に思想は問題にならず、人間的に一致することができれば、思 想をく異にするも完に握手することができる。あらゆる思想を呑み得るといふことが日本 的である。人間の生活は本質的に技的であるが、西洋的知性と日本的知性とはその技を實現 する場がつてゐる。心の技は一般的な思想をそのものとして外に殘すことなく、却つて一 般的な思想を人間化し、身體化することが日本的知性にとつては問題である。日本人が實際的で あると云はれるのも、東洋の學問は實學であると云はれるのも、そのためである。それは謂 プラグマティズムの如きものでなく、むしろ日本の思想はいつでも身體的であるといふ意味であ る。西洋化は物質的で、日本化は的であると云はれてゐるが、そのが一眞理にい であらう。西洋的知性は身體から離れたものとなることができるに反して、日本的知性は身體か ら離れることができない。しかしまた、この身體のうちへはすでに知性が入つてゐるといふ意味 において身體そのものも的であり、これに反して西洋的人間においては身體はと對立し てゐるといふ意味において彼等は的でないと考へることもできる。思想が身體化されること は個別化されることであり、日本的知性は完になればなるほど、その人にしたものとなつて 一般性を失つてゆく。言ひ換へると、日本的知性は完にすればするほど隨筆的になり、西 洋的知性は的に體系的になつてゆく。西洋の體系的な思想も日本へ來て、日本的知性に吸收 三五七 されてゆくに從つて、隨筆的になつてゆく傾向をもつてゐる。日本的思想においては究極におい 日本的知性について 三五八 て「主義」といはれるやうなものは作られず、またそれを必ともしないのである。 さてかやうな日本的知性、心境と云はれるものが會的に見れば封的性質を有すること、ま た特に國下の日本において作られたものであるといふ特質を有することは指摘するまでもない であらう。これに對する批判はその特附けのうちにおのづから含まれてゐるであらう。しかし 右にべたことが凡ての的時代における日本的知性の本質であると考へることはけねばな らぬであらう。嘗て私がかかる自然主義に對してヒューマニズムとは抽象的なものに對する熱 であると云つた意味もこの小論によつて理解されたであらうと思ふ。 大學とアカデミズム ——1937.4.26 『一橋新聞』 大學がアカデミックであるのは當然であらう。アカデミックであることをやめて大學は何にな るのであらうか。アカデミズムに對する種々の非が存在するにも拘らず、我が國の大學の缺點 はろ十にアカデミックでないところにあるといひ得るであらう。アカデミズムを非する に、ひとは先づこの國の大學が果してそれほどアカデミックであるかどうかを考へねばならぬ。 アカデミズムの特色は例へば傳統の重である。ところが日本においては西洋の學問の移植以 來未だ確固たる學問の傳統が存在せず、從つて眞のアカデミズムは確立されてゐない。アカデミ ズムは學問の傳統の存在を豫想してゐる。今日の我が國の大學の不幸は、漸く學問の傳統を作り 始めようとした時アカデミズムそのものが問題になるやうな會的勢におかれたといふことで ある。かかる一般的な的會的況を別にしても、學問の傳統の立に必な學といふも のが我が國には存在しない。個々の大學は學閥を形してゐるけれども、學を代表してゐるの 三五九 ではない。かやうな態において眞のアカデミズムが發し得るであらうか。一般に學問の傳統 大學とアカデミズム 三六〇 に乏しく、特に學の傳統の存しない現代日本においては、傳統の嚴しさといふものが十に理 解されてゐない。傳統の嚴しさがなくしてアカデミズムがあるのであらうか。 一形式的な方面から見ても、我が國の大學においてはアカデミズムの欲するやうな古典の繼 承といふことが十に行はれてゐない。古典を繼ぎ、古典によつて養はれるといふことがアカデ ミズムの重な意義である。しかるに我々の間では古典を究するよりも最新流行の學に一 多く關心するといふ傾向が甚だい。ジャーナリズムを輕する學が學問の世界においては自 らジャーナリストであるといふこと、ち日々の新刊書や新刊雜誌に憂身をやつしてゐるといふ ことが稀でないであらう。かやうな態が生じてゐるのも、古典を理解し價する地盤となるべ き學問の傳統、特に學の傳統が存在しない故である。 アカデミズムは現實の會に對する關心に乏しいと云つて非される。しかし短は同時に長 となり得るものである。現實に對する關心が現在のジャーナリズムに見られる如くトリヴィア リズムに墮す險を有するとき、アカデミズムが一高い立場から純粹な理論的問題に關心する といふことは意義のあることであらう。しかるに今日の我が國の大學の學問の缺點は餘りに抽象 的理論的であるといふことにあるのでなく、反對に餘りに抽象的理論的でないといふことにあ る。日本ほど純粹な理論家に乏しい國はないであらう。大學は理論の意味を理解せしめ、理論的 意識を養すべきであるに拘らず、この大學においても理論家は甚だ少いのである。 理論を抽象的として輕するのは日本人の惡い癖である。實際的であるといふことは日本的性 格のしいものとされてゐるが、理論が理論として有する意味の重性が理解されないところで は眞のアカデミズムは發し得ないであらう。我が國の大學において非さるべきものは實際的 關心に乏しいアカデミズムであるよりもろ學問に對する餘りに功利的な考へ方である。 今日の大學はもはや理論を與へるものでなく、ただ技をけるものであり、そのことが大學 の唯一の意義であると云はれてゐる。技の完はアカデミズムの特色であり、技を除いてア カデミズムは考へられないであらう。ひとは大學において技を得しなければならぬ。しかし 技には實際的技のみでなく、理論的技もある。そして大學と專門學とが區別さるべきで あるならば、大學は單に實際的技に留まらず、ろ理論的技を與へなければならぬ。今日の 大學に缺けてゐるのはこの後の點である。すべての技は傳統の廣さの存するところにおいて最 もよく學ばれることができる。しかるにかやうな傳統特に理論の傳統に乏しい日本の大學におい 三六一 ては、技的完といふ意味においてもなほ十にアカデミックであるとは云ひいであらう。 大學とアカデミズム 三六二 あらゆる技には形式的なところがある。形式の嚴しさを除いて技はない。そこからまたアカ デミズムの惡い結果として形式主義も生じてくる。しかし技は本來單に形式的なものであるの ではない。技が單なる形式主義に墮するといふことは技がその本來の機能を失つたことを意 味し て ゐ る 。 かやうにして日本の大學においてはアカデミズムが十に發してをらず、アカデミズムを確 立することがろその任務であると云ふことができる。もちろんそこにはアカデミックなところ も存在するが、それは多くの場合瑣末なことに關してゐる。瑣末主義はアカデミズムの陷り易い である。殊に最第にしくなりつつある崎形的な專門化の傾向が指摘されねばならぬ。 專門化すること自體が惡いのではない。しかし專門化は一般的な見しと綜合的な知識とを根柢 として、その上における化として初めて眞の意義を發揮し得るのである。理論と思想との困 に基く崎形的な專門化が現在の大學の學問の第にしくなりつつある傾向である。しかるに大 學とはその名(ユニヴァーシティ)の如く普的養を意味する。知識の綜合性を失ふといふこ とは大學の本質を失ふといふことに等しく、そこに我が國の大學の大きな缺陷がある。 專門の意味を知らない專門化は惡しきアカデミズムである。しかも今日見られる專門化は理論 と思想とを囘するために行はれてゐる場合が尠くない。それは客觀的には政治的壓力に基き、 主體的にはインテリゲンチャの無確信に基いてゐる。アカデミズムは現實を囘するのみでな く、理論をも囘しようとしてゐるのである。 會の發展の方向が明瞭であり從つて一定の世界觀をいはば自明のものとして提し得る時代 においては、專門家は自己の存在の意義について反省することをしないであらう。またそのや うな時代においては、大學の存在はいはば自然的に會と有機的な關係を有し、學問の大衆性に ついても思ひ煩ふことをしないであらう。にそのやうな時代においては如何なる見地から古 典を攝取し繼承すべきであるかもおのづから定められてゐる。ち一言で云へば、會の均衡 期、化の開花期においてはアカデミズムはその十な意義を發揮し得るのである。 しかるに現代の如く會のうちに矛盾が現はれ、世界觀の裂が生ずるとき、アカデミズムの 意義が問題になつてくる。アカデミズムの據つて立つてゐる傳統に動搖が生ずるのである。この ときアカデミズムは第にく形式的なものとなつてくる。大學はもはや世界觀の問題に對して 無關心であることができなくなる。 三六三 批判的は當然起らざるを得ず、大きくならざるを得ない。しかるにアカデミズムそのもの 大學とアカデミズム 三六四 はかやうな批判的に乏しく、却つて批判的を抑壓することになり易い。なぜならアカデ ミズムは傳統的であり、權威主義の傾向を含むからである。 かくして重ねて云へば、現在我が國の大學の不幸は、未だアカデミズムの傳統が確立されてゐ ない時に當つてにアカデミズムそのものが問題にされるやうになつてゐるといふことにある。 アカデミズム以上に出ることを欲することなくしては今日眞のアカデミズムも不可能になつてゐ る。 學生に就いて ——1937.5 「學生の知能低下に就いて」『藝春秋』 一 年慣用される言葉の一つに「事變後の學生」といふ言葉がある。それは云ふまでもなく滿洲 事變後において高等の學へ入つた學生のことである。今年あたりから大學なども殆ど部かや うな事變後の學生によつて占められることになるのであるが、最數年間は事變の學生と事變 後の學生とが第に替していつた時期であつた。その間において滿洲事變を境として學生がか なり明瞭に二つのにれることが觀察され、「事變後の學生」といふ名稱が生じたのである。 事變後の學生はいはば一つの「世代」を形作り、一定の特によつて以の世代から區別され る。この世代の形には滿洲事變、その後における日本の會的並びに政治的勢、國家の化 政策、特に育政策が重な影を及ぼしてゐる。この事を無して今日の學生を論ずること 三六五 はできない。私はいま主として彼等の知能を問題にするのであるが、知能の問題はもとより身體 學生に就いて 三六六 並びにの問題と密接に關聯してをり、それらを離して考へることは不可能である。 滿洲事變後において國家の化政策育政策は第にしく積極化した。この積極化によつて 果して今日の非常時における國家の必とするやうな學生が作られてゐるであらうか。事實はこ の場合最も有力な批である。學生の健康が極めて憂ふべき態にあることは當局ですらめ ざるを得ない事實である。しかし單に健康のみではない、學生の知能も低下してゆく傾向にある ことは彼等の育に從事してゐるの多くが氣附いてゐる事實である。しかも問題はそれに留ま らない、にの方面においても同じことが見られるのではないであらうか。ち國家の化 政策育政策の積極化の結果は、國家の必とする人間とは反對のものを作り出しつつあるやう に思はれる。ひとはそこにファッショ政策の自己矛盾があると云ふであらう。 今日の學生論の多くは一見リベラルな立場から書かれてゐる。けれどもそれが果して眞にリベ ラルな立場に立つてゐるかどうかは疑問である。なぜならそれは殆どつねに「育的」立場か ら書かれてゐる、しかるに育的立場は容易に「當局的」立場になり、批判性を失ひ得るもの である。現代學生の知能の問題に就いても、論は一見リベラルな見方をし、種々好意ある解釋 を加へ、かくて學生をあまやかし、學生に媚びようとすらしてゐる。そこにはもとより年を失 望させまいといふ善い意圖が含まれるであらう。年から希望を奪はないことは大切である。け れども現代學生の態をひて好意的に解釋し、そのために彼等をこの態にくに至つた外的 原因、ち今日の會的並びに政治的勢、特に政府の化政策育政策をみないといふやう なことがあつてはならぬ。學生論が育的見地に立ち、學生にのみ向けられる場合、知らず識 らずかやうな結果になるのである。學生の問題はもちろん彼等自身の主體的な問題である。人間 はつねに自自身に對して責任をもつてゐる。しかし同時に彼等の態は外的件に依存してゐ る。ただリベラルな育的見地に立つ學生論は、學生の現在の態を單に會的原因にのみ歸 し、そのためにまた彼等をあまやかすのと同樣、間つてゐる。 二 私の知人の某は、今日の學は一階級づつ低下し、高等學が中學になり、大學が高等學 になつた、と云つてゐる。かやうな低下は直接にはいはゆる「知識」に關することではないで あらう。低下したのは主として學生の「知能」である。知識と知能とが關係のないものでないこ 三六七 とは明かであるが、兩は一應區別することができ、また區別して考へなければならぬ。 學生に就いて 三六八 例へば今日の高等學の生徒にとつては大學の入學試驗が大きな問題であり、その準備に多く の力が費されてゐる。それはちやうど昔の中學生が高等學の入學試驗に對するのと同じであ る。また以は高等學へ入れば家においても學においても獨立の人格としてめられた。 しかるにこの頃では、息子の大學の入學試驗に對する親たちの態度はちやうど以の中學生が高 等學の入學試驗を受ける場合と同樣であるとすら云はれてゐる。生徒に對する學の干渉はま さに昔の中學以上である。入學試驗準備のために讀書はおのづから制限されるであらう。この準 備勉によつて高等學生としての謂學力は低下しないにしても、それが知能の發にしな いことは々云はれてゐるりである。試驗準備の勉は學問に就いて功利主義的な或ひは結果 主義的な考へ方を生じ、かやうな考へ方は知識慾を減殺するのみでなく、知能をく上に有で ある。昔の高等學の生徒は年らしい好奇心と、懷疑心と、そして理想主義的熱とをもち、 そのためにあらゆる書物を貪り讀んだ。我々の知る限り、讀書の趣味は主として高等學時代に 養はれるものである。この時代に讀書の趣味を養はなかつたは一生その趣味を解せずにるこ とが多い。しかるに今日の高等學の生徒においては、彼等の自然の、年らしい好奇心も、懷 疑心も、理想主義的熱も、彼等のに控へてゐる大學の入學試驗に對する配慮によつて抑制さ れてゐるのみでなく、一根本的には學の育方針そのものによつて壓殺されてゐる。現在の 育政策は年の好奇心や懷疑心や理想主義的熱、すべて知的探求の原動力となるものを抑壓 することに向けられてゐる。例へば年の理想主義的熱はヒューマニスティックな感から發 するのがつねである、それは會のうちに矛盾を見出し、現實に對して批判的になることから出 てくるのであり、そこからこの會に就いての識を深めようといふ知的努力も生じてくる。し かるに今日の學ではこのやうに會を批判的に見ることを禁じてゐるのである。そこでは學問 そのものも批判的であることを許されてゐない。批判力は知能の最も重な素である。批判力 を養することなしに知能の發を期することはできぬ。しかるに今日の育は年の批判力を 養しようとは欲せず、却つて日本や日本化に就いての權威主義的な、獨斷論的なを 詰めむことによつて彼等の批判力を滅ぼすことに努めてゐるやうに見える。日本や日本 化に就いて義することが必ずしも惡いのではない。その獨善主義的な、權主義的な育が 年の知能を低下させてゐる事實を我々が默し得ないのである。 三六九 或る大學生の話によると、事變後の高等學生は殆ど何等の會的關心も持たずにただ學を 卒業しさへすれば好いといふやうな氣持で大學へ入つてくる。それでも從來は、大學にはまだ事 學生に就いて 三七〇 變の學生が殘つてゐて、彼等によつて新入生は育され、多少とも會的關心を持つやうにな り、學問や會に就いて批判的な見方をするやうになることができた。しかるに事變の學生が 第に少くなるにつれて、學生の會的關心も第に乏しくなり、かやうにして謂「キング學 生」、ち學の課程以外には「キング」程度のものしか讀まない學生の數は第に加しつつ あ る と 云 は れ る。 我 々 は 必 ず し も 學 が か や う な 學 生 の 出 來 る こ と を 歡 し て ゐ る と は 考 へ な い。しかし年の理想主義的熱を壓殺することは彼等を現實主義乃至功利主義に化するこ とである。學の課程以外の勉に「無駄な」努力を費すことをなるべくけようとする功利主 義から、或ひは會的關心を持つといふやうな險なことからなるべくざからうとする現實主 義から、彼等は「キング學生」になるのである。彼等の現實主義功利主義から彼等の知能の低下 が生じてくる。學生が理想主義的熱を失つたといふことは、今日の會が彼等に夢を與へるや うなものでないといふことのみに依るのではない。眞の理想主義は人生及び會の現實を直 し、その矛盾を發見するところから生れてくるのである。現實の醜惡に就いての假借することな き批判的識が最も高貴な理想主義の源泉であることはのつねに我々にへることである。 學生の批判力を殺してしまつておいて彼等の功利主義を責めることは矛盾である。日本主義は理 想主義ではないのであらうか。聞くところによると、この頃の學では日本主義を「理想主義」 と考へることすら異端として排斥されてゐるさうである。それ自身は眞に現實主義的である學問 の根柢にはつねに理想主義的熱がある。しかるにそれ自身は理想主義的であることを欲しない 日本主義は現實そのものに就いては架の理想主義的な見方で滿足しようとしてゐるやうに見え る。兩はどこまでも兩立し得ないものであらうか。「キング學生」は必ずしも學の績が惡 くはないかも知れない。現在の學生はむしろ學の績に對して甚だ經質になつてゐる。「高 學生」といはれる種の學生、ち高等官試驗にパスすることを唯一の目的として勉する 種の學生の數は殖えてゐるであらう。しかしかやうな勉は何等批判のはない勉であり、 それによつて知能が向上してゐるとは考へられないのである。卑俗な現實主義は人生においてた だ間ひのないことをのみ求める。詩人は云つた、「人は努力する限りつ」、と。間ひがな いといふことは眞に努力してゐない證據であるとすら云ふことができる。「間ひのない」學生 が第に多くなつてきたといふことは果してぶべきことであらうか。燃えるやうな攻學心は彼 等の間において第に稀薄なものとなつてゐる。 三七一 今日の學生が勉しないのは彼等の將來に希望がないからであると云はれてゐる。彼等に向つ 學生に就いて 三七二 て、もつと勉せよと云ふと、何のために勉するのかと問ひされて困るといふことは、多く の師から々聞かされることである。私はむしろこの反問そのものが餘りに功利主義的である のに驚かざるを得ない。彼等は何故にその「何のために」といふ問をもつと徹底させないのであ るか。勉してもへるやうになれないといふのが今日の態であるとすれば、何故にそのやう な會の態の原因に就いて求することをしないのであるか。そしてその原因がれば、何故 にそれの排除のために鬪ふといふことに意味を見出し得ないのであるか。或ひはその「何のため に」といふ問を哲學的に考へて、人は何のために生きるのであるかといふことを根本的に問はう とはしないのであるか。功利主義ミルでさへ、幸な豚となるよりも不幸なソクラテスとなる ことに眞の幸を見出したのである。學生の知能の低下は彼等に會的關心が少くなつたことに 關係してゐる。會的關心がんであれば究心もんになつてくることは嘗てのマルクス主義 時代の學生が證してゐる。しかるに今日の日本主義的學生はして頭腦も惡く、また勉しない と云はれてゐる。これに反して頭腦の善い學生は功利主義的となり、會的關心を失つてゐる。 かくの如きことは日本主義のためにも決して慶賀すべきことではないであらう。育當局はそこ に矛盾を感じないのであるか。 三 尤も今日の學生の知識は以の學生に比して必ずしも劣つてゐるとは云へないであらう。物を 知つてゐる量から云へば、彼等はむしろつてゐるであらう。しかしそれは彼等自身の功績でな く、却つて會の歩の結果である。新聞雜誌の發、書物の普及、その他によつて、今日の 年は無雜作に、或ひは知らず識らずの間に知識を集めることが出來る。しかしそのために彼等の 「知能」が以の學生に比してんでゐるとは考へられないのである。先が蓄積した財に寄 して豐かに生活してゐるが先よりも優れてゐると考へられないのと同じである。ところが 今日の日本主義といふものは、先の化のに寄すべきことを人々に勸めてゐるのであ る。そこでは新しい化を生することよりも去の化を反することが問題になつてゐる。 そのうへ日本とか日本化とかといふものは學ぶに苦勞をしないもののやうである。日本 主義的學生にとつては頭腦も勉も問題でないやうに見える。カント哲學を理解することは困 であるけれども、今日行はれてゐる日本の話や日本化の義はどのやうな學生にも理解 三七三 し得るものである。ドイツ語で書かれ、しかも解で厖大な『純粹理性批判』を一册讀み上げる 學生に就いて 三七四 ことに比しては、日本に關する現在の書物はもとより、去の日本人の書いた書物を讀むこ とは容易である。困があるにしても、それは主として言語上乃至獻學上のものであつて、理 論的なものではない。いはゆる思想善はこの點から云つても學生に苦しんで思索することを へるものでなく却つて反對である。日本主義はみづから非合理主義を標榜してゐるのである。思 想善の結果が學生の知能の低下となつて現はれても不思議はないやうである。 斷片的な知識をどれほど集めても眞の知識ではない。かやうな知識を積むには多くの知能を しない。眞の知能は理論的なものである。理論的意識なくして知能はなく、また眞の知識もない。 今日の學生は種々のことを知つてゐるが、何事も根本的に知つてゐないと云はれてゐる。彼等の 知能の低下といふのは理論的意識の困に關係してゐる。理論的意識は組織的な體系的なで あるばかりでなく、批判的である。しかるに今日の學生の間に第にしくなりつつあるや うに見えるのは一種の權威主義である。いつたい我が國ほど「權威」といふ言葉が濫用される國 はない。學問のは權威のとはむしろ反對のものであり、權威を承せず、權威を破壞す るところに學問のがあると云へるであらう。現在の權威主義は學問における官僚主義の現は れである。政治において官僚主義が濃厚になるにつれて、學問の世界においても同樣の官僚主義 が濃厚になりつつあり、批判的を奪はれた學生は第にかやうな官僚主義に感染しつつある やう に 見 え る 。 學問における官僚主義の結果は究の自主性の喪失である。かやうな自主性の喪失はまた知能 の低下を結果するのである。例へば今日、「何を讀むべきか」といふ質問がえず學生によつて 發せられてゐる。かやうな質問が今日ほど熱心に發せられたことを私は知らない。この質問に對 して與へられた解答に從つて彼等がどれほど熱心に讀書してゐるのか、私には疑はしい。私の確 實に感じ得ることは、この質問そのもののうちに現はれてゐる權威主義である。今日の學生はそ の讀書に就いてすら自主性を失つてゐるのではなからうか。それともそこに現はれてゐるのは、 讀書において無駄を省かうとする功利主義なのであらうか。自主的な究は自主的な讀書に始ま る。自で究しようと思ふことが決つてくれば何を讀むべきかもおのづから決つてくるのであ る。また讀書においてあらゆる無駄を省かうとすれば結局何も讀まないことになる。學生の時代 はむしろ大いに無駄な讀書をするのが好いのである。讀んだものが無駄になるかならないかはそ の人の知能によつて定まることであるとも云へるであらう。大きな學問とは無駄のある學問のこ 三七五 とである。少しの無駄も書いてないやうな名といふものがあるであらうか。領よくやらうと 學生に就いて することは學問においては禁物である。 三七六 知能の低下の最も大きな原因をなしてゐる批判的の缺乏の原因が今日の學において究 の自由が束されてゐることに存するのは云ふまでもない。從つて學生の知能の低下の問題は根 本的には究の自由の問題から離して考へることはできぬ。究の自由の存しないところに知 能の向上は望めないのである。 もちろん私は今日の學生のすべてに就いて知能の低下を云つてゐるのではない。今日において も眞面目に本當の勉をしてゐる學生の存在することを私も知つてゐる。また私は今日の大多數 の學生がファッシズム的育に心から同意してゐるものとは考へない。不幸なことは、彼等は 自で心思つてゐることとに云ふこととを別にせねばならぬといふことである。そのことは 彼等の良心をスポイルすることにならないのであるか。そしてそのことは眞理にくまで忠實で あるべき學問のをスポイルすることにならないのであるか。かくして學問の問題は必然的に の問題に關係してくる。「知育の重」を排して育を重する論もこの點に就い て深く反省すべきである。 化の本質と統制 ——1937.5.6 〜 『 8讀賣新聞』 統制か自由か —— —— 化の本質は自由であると云つても、單なる肆意を意味するのでないことは勿論である。極め て肆意的であるやうに見える藝的活動のうちにも法則が含まれてをり、藝家はこの法則に從 はねばならぬであらう。しかしこのやうな法則は人間が人間自身に與へる法則であつて、外的 制によつてでなく自律的にそれに從ふのである。この自律性が自由である。自律性は的統制と 見ることもできるのであつて、その意味においては、論理の法則を無してく非合理的な議論 をしてゐるこの頃の統制主義の多くは却つて何等統制主義でないと云ふこともできるであら う。自律性はもとより自發性と矛盾するものでなく、自發的といふことがなければ自律的といふ ことも考へられない。 三七七 かやうに化が自由の物であるといふことは、的に見ても、化の發と個人意識の發 とが關聯してゐるといふことによつて示されてゐる。個人意識が集團意識のうちに埋沒し、吸 化の本質と統制 三七八 收されてしまつてゐる限り、知的な合理的な化は生じ得ないのであつて、個人意識が集團意識 に對して獨立になり、從つて批判的になる場合に化は生れてくる。個人の獨立性をくめ ず、批判的をすべて抑壓しようとするのは原始的なトーテミズムの會にらうとするやう なものであつて、化の否定でなければならぬ。 しかし化が自由な批判的なから生れるといふことと、一旦生れた化が統制的な性質を 有するといふこととは區別さるべきことである。化は人間の自由に作るものであるが、かやう にして作られた化は人間に對して、それを作つた人間自身に對しても、統制的に働き掛けてく る。そのことは個人の作る化が單に個人的なものでなくて個人を越えた意味を有することを示 すものであり、個人を越えた意味を有するのでなければそれは化と云ふこともできない。かや うなものとして化は會的意味を含むと云ふことができる。個人の作る化が會的意味を有 するといふことは個人が本來會的なものであることを現はしてゐる。しかしこれらの事から に考へて、個人が化を作るにあたり自己の自由を放棄して會的に與へられた化の統制に 從つてゆけばよいかと云ふと、さうではない。會とか時世とかに隨してゐては眞の化は作 られないのであつて、化は自由に作つてゆくものでなければならぬ。化を作る立場と作られ た化の立場との間に矛盾があるところに、化の根本問題がある。 作られた化が作る人間に對して統制的に働くといふことは、化が傳統になるといふことで ある。傳統はつねに統制的な意味をもつてをり、統制主義は傳統主義である。これに反して 作る立場は自由な批判的な立場である。もちろん作るも傳統を無することができず、傳統か ら學びまた傳統によつて自を訓してゆくことはどこまでも必であるが、しかし彼は傳統そ のものに對しても自由な批判的な關係に立つのである。統制主義が傳統の重性をくことは 間つてゐるのでなく、傳統に對する自由な批判的な關係をめないところに險があるのであ る。作られた化の立場をそのまま化を作る立場に制することに先づ第一に矛盾があるので ある 。 傳統が傳統として當し、統制的に働くといふのはそれが話化される故である。すべての傳 統は多かれ少かれ話の性質を擔つてゐる。しかし作られた化が傳統として何等か話的に作 用するといふことと、化を作るが話を作らうとするといふこととは區別されねばならぬ。 化を作らうとするはどこまでも話に對立するものとして化を作つてゆかねばならぬ。 三七九 において與へられた傳統がすべて何等か話として作用するといふ理由からまさに、彼は傳統 化の本質と統制 三八〇 に對して自由に批判を行ひ、その合理的核心を求めなければならないのである。かやうなことは 彼の作つた化がやがて一つの傳統として話的に働くかも知れないといふこととは無關係に必 な こ と で あ る 。 しかるに統制主義は傳統主義であり、彼等が自を創的であると考へるにしても、彼等 の創するのは話にぎない。ヒトラーは種族を化創、化維持及び化破壞の三 つの範疇につた。そのうち化創的であるのは唯アーリア種族のみであり、ドイツ人はアー リア種族の最も優秀な代表であると考へられる。この種族的觀はローゼンベルクの「二十 世紀の話」として創されたのである。しかしかやうな話は、實は、何等化的な創物で なく、人間のうちに殘存する原始的な、本能的な感に訴へるにぎぬものである。 種族的話に基いて、一九三三年以來ドイツにおいては化のあらゆる方面に亙り恐るべきユ ダヤ人排斥が行はれた。この年の五月に反ナチス的な書物が焚かれたのを初め、百八十に及ぶ新 聞の發行が禁止され、「單一輿論」のが行された。最には藝批の禁止に關する布令 が出た。このやうな化の統制をじて如何に事實そのものの歪曲が行はれてゐるかは、ナチス 樂の理論家ヨアヒム・モーゼルの樂科書の中ではメンデルスゾーン、マーラー、シェー ンベルク等のユダヤ系樂家の名がく抹殺されてゐるといふ一例によつても知られるであら う。事實に代つて話が支配し始めたのである。 「二千五百年來極めて少數の例外を除いて始どすべての革命が挫折したのは、その指が、 革命の本質的なものは權力の掌握ではなくて人間の育に存するといふことを悟らなかつたから である」とヒトラーが云つたり、ナチスは化の統制に非常な重性をめてゐる。革命の本 質はもとより權力の掌握にあるのではない、それは大衆の解放にあるのであるから。しかしまた 革命の本質は化の統制にあるのではない、それは先づ大衆の生活の向上にあるのである。しか るに化を統制して單一輿論を作らうとすることは、大衆の不滿を隱しようとすることではな から う か 。 化の統制によつて果して「ドイツ國民の面的優秀性を發揮する」やうな化は作られた か。藝批を禁止して批家が「藝審判から藝奉仕に」なることを求するのは、實 は、眞に藝への奉仕を求することでなく、却つて獨裁政治への奉仕を求することではない か。「ドイツ物理學」「ドイツ數學」等の話を作り、アインシュタインの相對性理論を排し 三八一 た彼等は、これに代り得るやうな卓越せる理論を作り出したか。憾ながら我々非アーリア人は 化の本質と統制 今日のドイツ化の寂寞を感ぜざるを得ない。 三八二 化の統制は化そのものの立場に立つといふよりも、政治の立場に立つものである。ライン ハルトやワルターが排斥されたとき、フルトヴェングラーは宣傳相ゲッベルスに開を寄せ て、「藝においては優劣の差がさるべきでそれ以外の、特に人種的差別は取上げらるべき でない。然るに現在々そのの態度が爲政によつて取られ、ために藝の質の低下を招きつ つある。これは一國の化にとつて死活の問題である」と主張した。これに對しゲッベルスは云 つた、「政治も一つの藝である。恐らく最高にして最も綜合的な藝である。現代ドイツの政 治を形する我々は大衆といふ素材を國民にまで作り上げる藝家である。そのために障とな る非國民的素を排除することによつて我々は初めて純粹な國民といふ藝品を作り上げること ができるのである」。 政治を一種の藝と見ることは間つてゐないにしても、それは多くの限定を經た後に初めて 云はれ得ることである。政治を藝と見ることは大衆の生活を想化し、彼等の現實的利を無 することであり得る。また大衆から國民を作り上げるといふことは、大衆の自然的な求を め る こ と な く、 大 衆 を 少 數 の 階 級 の 利 に 奉 仕 す る も の に 作 り 代 へ る と い ふ き を も つ て ゐ る。それはともかく、政治と藝との同一は、藝の獨立を否定して完に政治に從屬させる ことを意味し得るのであり、極端な統制主義が欲するのはまさにこのことである。統制主義は政 治主義である。かやうな政治主義は化の發に障となり得るものである。化の優劣はその 政治的價値には關はらない規準をもつてゐる。 ナチスのクーデターによるアカデミーの改組の際、ナチスから自己のを體現せる詩人とし て讚美されてゐるゲオルゲはヒトラーの親書による懇にも拘らず、アカデミー院長就任を拒 し、「私は獨り行く」と宣言した。我々はそこにヒューマニスチックなものを感ぜざるを得ない。 古來すぐれた藝家や思想家には「獨り行つた」が決して稀でないのである。 作られた化はもとより會においてつねに何等かの政治的意味をもつてゐる。しかしそのこ とからに考へて、化を作る場合に政治的效果を第一に狙はねばならぬといふことは生じて來 ない の で あ る 。 化の統制は、ファッショ的な國においてのみでなくソヴェートにおいても行はれてゐる。二 つの場合は決して同じに論じられないものがある。ソヴェートでは大衆から國民を作り出さうと 三八三 はしてゐない。藝においても大衆の創作、大衆の批に重な價値が置かれ、奬勵されてゐる。 化の本質と統制 三八四 ところでロシヤ學にじた外村氏によると、「一般的に云つてソヴェート學はこの一二 年甚だ不振である」とのことである。批學のみでなく、詩、小、戲曲などの方面も不振で ある。その原因を外村氏は、ソヴェート學がいま世代の替期にあるためであるといふことに 求めてゐる。もしさうだとすれば、そのことは外村氏の解釋とは別に、化の統制下に育され てきた人間の化創の能力を考へる一つの材料とならないであらうか。統制的育によつては 化の興隆は期待され得ないやうに見える。我々は必ずしも化至上主義を主張するものでない が、ソヴェート化にしても、その政治的必から餘儀なくされた統制が第に和されて自由 が與へられるのでなければ、眞に開華し得ないやうに感じられるのである。 困と機 ——1937.6 『學界』 日本のしさといふことが云はれるのは比の問題でなからうと思ふ。比の問題であるなら ば、すべて相對的なことである。例へば、假に日本の化はヨーロッパ國に比してはしい にしても、シャムに比しては豐かであることは確かである。また例へば、日本の部において も、今日の化は十年の化に比して、個々のものに就いて云へば、少くともそのすべてが しくなつてゐるわけでなく、むしろ反對に豐かになつてゐるものが多いであらう。に個々の 化を一々比して見れば、日本の化の中にも西洋に劣らない或ひは西洋以上のものを見出す ことが必ずしも不可能でないであらう。日本の化と西洋の化とを比して考へることが、そ もそも無意味なことであるかも知れない。しかるに現在、日本のしさが感じられてゐるといふ ことは、すべてかやうな比の問題でなく、却つて日本の化が體として、對的にしく感 三八五 じられてゐるのである。言ひ換へれば、今日の化の困の意識はその本質において化の機 の意識である。そこにその意識の根本的な特がある。 困と機 三八六 もしただ一般的に云へば、日本のしさが感じられるのは單にこの數年來のことでなく、明治 大正の時代においてもえずさうであつたであらう。あの時代に洋行したは今日洋行するよ りも遙かに甚だしく日本のしさを感じたであらう。しかしあの時代の人々は決して我々の感じ てゐるのと同じ性質のしさを感じたのではない、彼等には我々にとつてのやうに日本の化の 機といふものが感じられてゐなかつたからである。そこに根本的な相がある。今日では西洋 人自身も、少くとも彼等のうちのヒューマニストは、自の國の化のしさを感じてゐる。彼 等も化の機の意識においてそれを感じてゐるのである。かやうな意味で化の困の意識は 現在の日本にのみ特有なものではない。西洋と比して日本のしさを云つてゐるやうに見える も、今日においては、比的な相對的なものを特に問題にしてゐるのではなく、却つて對的 な機の意識を根抵とし、それに基いていはば第二的に外國と比して自國の化のしさを 語つてゐるのである。從つて彼等と雖も、西洋化をそのまま理想として日本化を批し、日 本はく西洋のりにならねばならぬと必ずしも考へてゐるのではない。そのやうな意味での西 洋崇拜は我が國にはもはや殆ど存しないと云ふことができる。この點、日本主義も安心して好 いと思ふ。西洋と比して日本のしさを云つてゐるやうに見えるも、實は、西洋化をその まま理想として考へてゐるのではなく、何か自自身のイメイジを描いてゐるのであり、もしく は描かうとしてゐるのである。西洋とは彼等にとつていはば一つの話である。そして同じやう に、西洋化の機を叫び、救ひは東洋にあるかの如く云つてゐる西洋人が存在するにしても、 彼等は東洋の現實をよく知つてゐるわけでなく、むしろ東洋の名のもとに何か彼等自身のイメイ ジを描いてゐるのであり、もしくは描かうとしてゐるにぎない。東洋とは彼等自身の感から 生れた話である。それ故に或る種の日本主義のやうに、彼等の言葉を字りに理解して、 日本の、いな、世界の救ひが去の日本もしくは東洋の化にあるかの如く己惚れることは間 ひであると云はねばならぬ。 今日の日本のしさが、淺野氏の云ふ如く、その化に統一的な形態がないところに存するの は事實である。これは確かに、「日本化の重性」などと云つて濟ますことのできぬ重大な問 題である。しかしながら、もし比的に相對的に見るならば、林氏の云ふ如く、かやうに混沌と した化の中にも第に或る形態が生じつつあるのをめることもできるであらう。また淺野氏 の云ふ如く、今日の日本のうちに封的な頽廢的な化が殘存してゐることも事實である。けれ 三八七 どもかやうな殘滓も比的相對的には第に滅しつつあるであらう。中島氏の擧げてゐる日本 困と機 三八八 のしさの樣々は一々尤もであるが、同氏にしても日本が西洋のりにならねばならぬと考へて ゐるわけではないであらう。むしろ中島氏が實際に感じてゐるのは化の機そのものなので あつて、この機の意識に立つていろいろ日本のしさをべてゐる筈である。だから中島氏は 「自由を」と叫ぶのである。困は中島氏もめる如く相對的である。しかし機は對的であ る。或ひはむしろ、化の困そのものが今日においては對的なものとして感じられてゐるの であり、ち機として感じられてゐるのである。かやうな機の意識において我々は林氏ほど 樂觀的になれないのであり、しかも他方林氏同樣に或ひは以上に樂觀的でもあると思つてゐる。 機の意識は單なる望とは區別されねばならぬ。對的な望と同時に對的な希望を含む 末觀的意識が機の意識のいはば原型である。日本のしさを一々數へ立ててみたところで、ま たそれに對抗して日本の豐かさを一々數へ立ててみたところで、また兩を加減乘除してみたと ころで、どうにもならないことである。化の單なる困が問題であるのでなく、化の機が 問題であり、困の意識も今日根源的には機の意識によつて擔はれてゐるからである。 日本のしさに對して我々自身に責任があることは明らかである。この責任は對的である。 自のうてゐる責任を考へず、恰も自はそれに對して何の責任もないかのやうに、ち「ひ とごと」であるかのやうに日本のしさを數へ立てることは愼しむべきことである。批家はと かくかやうな態度になりがちであつて、その點において林氏が「論壇」や「壇」を非してゐ るのには尤もなところがないでない。自が當事であるにも拘らず傍觀であるかのやうに振 舞ふといふことはインテリゲンチャの陷り易い獨善主義である。例へば、現代の學生は駄目だと 云はれる、さう云はれて學生はみな采してゐる、誰も自だけは別だと思つてゐるのであり、 學生が駄目であるといふことを「ひとごと」のやうに考へてゐるのである。かやうな態である 故に、批に積極性が求められない。この獨善主義から却して、日本のしさに對して銘々が 責任を感じ、能動的になることが大切である。 しかしここに困ることは、我々の化意志がどれほど積極的であるにしても、その發現と發展 とを阻止する力が存在するといふことである。淺野氏の擧げてゐる博覽會の會築の例にして も、先般パリの博覽會における日本の築に關して、專門の築家と當局との間に對立が生じ た。また林氏の擧げてゐるメーデーの廢止にしても、なるほどそれは日本的なものであるに相 ないが、日本の勞働の自由な意志に基くとはめく、政府の彈壓によつて生じた「日本的な 三八九 もの」であるのではないか。我々は日本的なものを一に排斥するのでなく、外的制によつて 困と機 三九〇 作られる「日本的なもの」に反對するのであり、かやうな「日本的なもの」においてこそ日本の しさを感じるのである。今日いはゆる思想の統制や言論の自由の抑壓によつてかくの如き「日 本的なもの」がされつつあるといふ事實に我々は化の機を感じるのである。それ故に中 島氏が日本のしさをべて「自由を」と叫ぶのは當然である。どれほど自由にしておいても日 本人の作る化が日本的であることをやめるとは考へられない。我々が自由に作る化のうちに 却つて眞の日本的なものが現はれるであらう。自由に作るといふのは西洋化をそのまま模倣す るといふことでないのは勿論である。日本のしさがこの國の化に「」の存するところに められるといふ淺野氏のも間つてゐない。しかし我々にとつてもつと現實的な問題は化の 機の問題である。この問題から抽象して化の困を論ずることはできない。今日において 化の機を感じないは眞實にその困を感じてゐるとは思はれぬ。化の「」の問題は特に 今日初めて生じた問題でない。一般的な問題にれて現在の瞬間に課せられてゐる生命的な問題 をけることはできぬ。しかし化の機の問題が中島氏の云ふ如く「自由を」といふことだけ で解決されるか否かはもつと深く考へてみなければならぬことではないかと思ふ。 時代の感覺と知性 ——1937.6 『人論』 すでに我々の年配のにとつて今日の年男女の心理を理解することは容易でなくなつてゐ る。我が國においてはそれほど世代の相はしいのである。この一二年の間年に就いて、戀 愛や結婚に就いて、またに就いて頻りに書かれたが、それらの議論が今日の年男女の心理 もしくは生活感に就いてどれだけ深い理解の上に立つてなされたか、疑問である。年男女に 對して上からの議論をすることが今日ほど容易な時代はない。しかし同時に彼等に對して下から の議論をすることが今日ほど困な時代もないであらう。ところでとは何よりも性のこと である。それ故に彼等の心理の理解なしに彼等のをくことは不可能であり、また無意味で もあ る 。 誰も今日の年男女を容易に非することができる。ひとは例へばよく云つてゐる、彼等には 眞面目さが足らない、と。もし實際に、彼等に眞面目さが缺けてゐるとしたならば、それは 三九一 的に根本的な問題である。如何なる場合にも眞面目さを除いては考へられないであらう。し 時代の感覺と知性 三九二 かしながら眞面目といふ觀念そのものが昔と今とでは變つてゐるのであり、從つて今日の年男 女の眞面目さを古い觀念で律することが間つてゐるのではないであらうか。古い觀念に依れ ば、眞面目とは苦行することであり、刻苦勉勵することである。苦しみの刻まれてゐないやうな 眞面目さといふものは考へられなかつた。顰め面が眞面目さの本物の表現であつた。しかるに今 日の年男女はもはやかやうな苦行のイデオロギーを受容れないであらう。とりわけ日本の女性 は永い間封的なにられ、苦行し從することが唯一のであるかのやうにへられて きたのであるが、新時代の女性はもはやかやうなにすることを欲しないであらう。それだ からと云つて彼等は不眞面目であると考へねばならぬであらうか。 スペインの哲學オルテガはの基礎として世代を考へたが、彼に依れば、新しい世代の一 般的な特は「スポーツと明性とに對する感覺」である。これが若い人の世界感覺と生活感 とを現はしてゐる。「十九世紀は徹頭徹尾勞働日の汗のひがする。今日では年は生涯をの んびりした休日にしようと思つてゐるやうに見える」とオルテガは云つてゐる。例へば美的領域 における老人と年との間に存する疎は、手のつけやうがないほど根本的なものである。老人 には新しい藝は「嚴肅」を缺いてゐるといふ理由で喜ばれない。ところが年にとつてはこの 缺陷が却つて藝の最高價値なのである。勞働といふのは、一定の究極目的に向けられた義務的 な勞作である。勞働においては苦勞は仕事の究極目的によつて意味と價値とを得る。しかるにス ポーツといふものは、課せられた命令から生ずるのではなくて自由な浪費的な衝動として生命の 力から湧き出てくる別の型の緊張である。勞働とは反對にスポーツにおいては自發的な力の浪費 が結果を高貴ならしめる。老人の的イデオロギーはスポーツをも勞働にしようとする。これ とはに、勞働をも出來ればスポーツにしようとするところに年の新しい意欲がある、と云ひ 得るであらう。苦行のイデオロギーは取り除けられる。勞苦の眞面目さにスポーツの眞面目さが 代るのである。明性こそ最高の眞面目さである。 また今日の年男女に就いてその功利主義的傾向が非されてゐる。しかしかやうに非する も、若い人の功利主義がそれほど根柢の深いものでないことをめてゐる。そして實は、刻苦 勉勵のイデオロギーがむしろ功利主義的なのである。ひとは最後に至つて漸く到される結果を 目的として刻苦勉勵する。そこには結果をのみ問題にする功利主義がんでゐる。しかるにス ポーツ的な力の行においては、この力の行そのものに魅力があり、價値がめられるのであ 三九三 る。生活に對して多かれ少かれスポーツ的な感覺を持つてゐる今日の年男女の生活態度を單純 時代の感覺と知性 三九四 に功利主義と呼ぶことはできない。なるほど彼等の生活態度はしく經濟的になつた。しかし 「經濟的」といふことと「功利的」といふこととは區別されなければならない。兩を混同乃至 同一したところに、その實は功利主義的でありながら功利主義的であることを極端に排斥して ゐる古いの缺點がある。或ひは、等しく功利主義であるとしても、古いは信用經濟の發 してゐない時代に屬するに反して、今日の年男女のは信用經濟といふ新しい制度に相應 してゐる。言ひ換へれば、功利主義も後の場合にはの場合よりも一「經濟的」になつてゐる。 かやうにして新しいは現代會の中から若い世代の新しい時代感覺に基いて作られる。苦 行のイデオロギーは今日の會的竝びに化的歩のために根柢のないものにされてゐる。例へ ば現在、出版の發、圖書の普及などによつて、一つの語學、一つの學科を學ばうとするは、 以の人に比して遙かに有利な事にある。私が哲學の勉を始めたのはあまり古いことでもな いが、その頃は、外國の哲學書の飜譯の存在するものは稀であり、また日本人の書いた哲學の本 や論も極めて少かつた故に、否應なしに外國の原書に就かねばならなかつた。しかるに現在で は事は甚だ異つてゐる。以の人が苦しんで得たものを今日の年男女は樂に得ることができ る。彼等がそれを樂に得てをり、或ひは得ようとしてゐるからといつて、彼等を叱責し、恰も飜 譯書も日本人の作も存在しないかのやうに、彼等が苦勞するのを求めることに意味があるであ らうか。ところが事實は、今の若い人に眞面目さが足らないと云つて非する年長の氣持乃至 態度には々これにすることが存在するのではないかと思はれる。苦行をもつてと考へる イデオロギーが知らず識らずそのうちにびんでゐるのである。何よりも機械の發が新しい 時代感覺を作り、これによつて現代人の心理や性はしい變化を受けるやうになつた。 苦行のは靜的なであり、不動性のである。堂における生活がこれを象してゐ るであらう。單にのみでなく、これまで幾世紀もの間、世界の印象は不動性もしくは固定性 の感覺によつて形作られ乃至織りなされてきた。しかるに今日我々にとつて世界の印象は一變し た。フランスの學ストロウスキーが『現代人』といふ書物の中でべてゐるやうに、今日の世 界感覺にとつては度といふものが決定的に重な意味をもつてゐる。自動車、飛行機、その他 の發によつて、世界は新しい相貌のもとに我々に現はれるやうになつた。走る汽車の窓に映る 風景、走る自動車の中から見られる街の光景は、坐つて眺め入つてゐる場合とはくつた印象 を與へる。飛行機の旅行が彼の眼の下に展げられた大地を見る場合、彼のめる地球のこの部 三九五 は、地理學のへるやうに凸面に見えもしなければ、また我々の日常の感覺がへるやうに 時代の感覺と知性 三九六 面に見えもしない、それは凹形に見えるのである。かくして「人間は、古い印象を動の印象 によつて置き換へた」とストロウスキーは云つてゐる。そこから今日の若い人にとつて新しい美 學が、そしてまた新しいが生れてくる。スポーツの感覺といはれるものもかやうな動の感 覺と別の物ではない。動の感覺においては、その到點のみが問題になるのでなく、程その ものが重である。坐つて眺め入るにとつては、現象の背後に隱れた何等かの實在を考へるこ とも可能であらう。しかし動の中へび去られた人間にとつては、この動く物の背後に何等か の實在を考へることは不可能である。動く世界のうちに住む人間にあつては彼等の生活そのもの が動的である。昔の人が靜觀において實在に接觸しようとしたのに反して、今日の年男女は 動の感覺なしに生命の感を持つことができない。昔の人が鏡のやうに動かないものにおいて明 性を表象したに反して、今日の年男女は動くものにおいてこそ明性を感じる。彼等は彼等 の新しい感覺に從つて世界のうちに、彼等自身の生活のうちにえずリズムを求める。かやうに リズムを求めるといふことが新しい生活技である。今日の若い人は如何に樂を熱愛してゐ るであらうか。これは我が國においては比的新しい、注目すべき現象である。單に樂のみで なく、映畫の如きも同樣であつて、動の感覺が新時代の感覺であると云ふことができるであら う。靜的なは動的なによつて代られねばならなくなつてゐる。 昔の人から見れば、今日の若い人はみな享樂的であると見えるであらう。苦行のストイシズム から見れば、彼等はすべてエピキュリアンであると考へられるであらう。そして彼等は々その やうに非されてゐる。しかしながら、に功利的と經濟的とを區別したやうに、ここでも享樂 主義と「生のび」とを區別しなければならない。我々日本人は永い間の封的なの桎梏の もとに生のびといふものを知らなかつた。殊に女性においてそれが甚だしかつたであらう。生 を樂しむといふことはそれ自身が何か罪惡であるかのやうに考へられ、少くともそれは然と求 めらるべきことでなく、祕密に求めらるべきことであるかのやうに考へられた。それが却つて頽 廢の原因となつたといふこともあつたのである。生のびが然と求められ、然と表現される 傾向に向つたのは日本においては比的最の出來事に屬してゐる。ここにも我々は新時代の意 欲をめることができる。 かやうにして新しい心理、生活感が生れてゐる。新しいはそのうちに築かれてゆかねば ならぬであらう。この場合、問題は二つの方面から考へられる。一つは自が自自身に對する 三九七 關係において。他は自と會との關係において。そして二つの事柄はもとより無關係ではな 時代の感覺と知性 い。 三九八 古い、何よりも苦行のイデオロギーは破壞され、生のびに對する積極的な意欲が現はれ てきた。それは人間の解放にほかならない。ヒューマニズムといふ言葉が人間の解放を意味する 限り、それはヒューマニズムの基礎である。しかしヒューマニズムといふ言葉は養を離れて考 へることができず、そして養といふことの根本的な意味は人間形といふことである。眞の ヒューマニストは、ちやうど藝家が作品を形してゆくことにびを感じるやうに、人間を形 してゆくことにびを感じるものでなければならない。自を形してゆくといふことは自 に秩序を與へるといふことであり、この秩序を與へるものは知性にほかならない。秩序を求める といふことは知性の訓に從ふといふことである。秩序の知性を除いて眞の明性はない。笑ひ は人間に最も特有な表であると云はれてゐるが、動物とはつて知性を持つ人間にして笑ひを 持ち得るのである。知性の本質は秩序の意識である。知的な女性は最第に殖えてきたと云は れてゐる。しかしながら、もしその知的といふ意味が單に知識をたくさん詰めんでゐるといふ 意味であるならば、それは却つて無秩序を意味し、從つて眞の知性からはむしろいことともな り得るのである。知識と知性とは一應區別されることが必である。知識によつて感を否定す ることが問題であるのではない。いな、人間の感といふものが否定され得るやうに考へること は間つてゐる。知識は感の破綻に對して十な保證となり得るものではないことは、人生の 經驗においてあまりに々示されてゐる。普には知的とは云はれてゐない人のうちに却つ て知性の完な人が存在することを我々は知つてゐる。また知的な女性と云はれてゐる人の中に は、合理的なものを徒らに面へ押し出すことに努め、人間として誰もが持つてゐる非合理的な ものをそのまま隱しておかうとする人がある。しかし隱されてゐたものは何時かは自を裏切る ことがあるであらう。非合理的なものを抽象的に否定する合理主義が必であるのでなく、非合 理的と云はれるもののうちにも秩序を、いはゆる「感の論理」をめてゆくことが大切なので ある。自を知性の訓に從へるといふことは、苦行のとは同じでない。代的なスポーツ も知性と訓とを必とするのを知ることが新しいの端であると云へるであらう。感を 否定する知性、ち剛直な、固定的な、靜的な知性は代的な動の感覺とは相反するものであ る。知性そのものが動的になり、感の隅々にまで入りんで秩序を形作つてゆくといふこと が現代人にふさはしいである。知性を固定的なものと見ることは古い靜的な見方に屬して 三九九 ゐる。若い人は彼等の生活感に從つて知性の新しい活動の仕方を發見してゆかなければならな 時代の感覺と知性 い。 四〇〇 今日の年男女は新時代の感覺、スポーツと明性とに對する感覺、生のびに對する意欲等 を否定することにがあるかのやうに考へることを欲しないであらう。却つてそれらのうちに 現はれた新しい人間性の解放を積極的に求することのうちに新時代のが求められねばなら ない。しかしながらそこにも知性が働くことが必である。勞働をもスポーツの如くにしようと する彼等の意欲に反するものが現在の世の中には存在し、勞働の化は々甚だしくなりつつあ りはしないであらうか。今日の會科學が「勞働」を根本的な問題にしてゐるのは、昔のの やうに勞働を化してゐることによるのでなく、却つて「勞働」を排棄せんがために、いはば 勞働をスポーツ化せんがためにである。それはもちろん働くことをやめようとするのではない。 むしろ働くといふことが「勞働」といふやうな形式から却することを求めてゐるのである。勞 働をほんとに經驗したことのないの陷り易い勞働の浪漫主義、或ひはナチスのいはゆる「鋼鐵 の浪漫主義」等に對して我々は批判的にならなければならぬ。明性に對する感覺を殺してしま ふやうな事が現在の會にはあまりに多く存在しないのであるか。新しい時代の感覺の否定を 命ずるやうな封的なが今日新たに若い人にされてゐはしないであらうか。このやうな 事において我々をデカダンスから救ひ得るものは我々の知性、しかも會に向つて眼を開い た知性である。知性は秩序の意識として自と會との間に正しい秩序を發見しなければならな い。何事も會に歸して自のデカダンスを私かに辯護しようとしたり、また會のことを他 人のこととして極的な獨善主義となつたりすることは、すべて秩序の意識の不足に基いてゐ る。良識といはれるものはデカルトの思考が明かに示してゐるやうに秩序の意識としての知性で ある。けれどもデカルトが知性や秩序を靜的な、固定的なものと考へたのに對して、今日求めら れてゐるのは動的な知性である。動の生活感は會のうちにおいて初めて現實的である。個 人主義的と云つて非される今日の年男女も、古い世代の人に比して遙かに多くの會感覺を 四〇一 持つてゐることを我々は知つてゐる。大切なことは感覺に秩序を與へることであり、それはもは や感覺の問題でなくて知性の問題である。 時代の感覺と知性 世界の ——1937.7 『新』 四〇二 日本の行くは何かと問はれるならば、簡單には、世界のと答へるのほかないと思ふ。 いつたいといふものは、本來、のものであつて、ただ日本だけに用して他の國にはく 用しないやうなものは眞のと云ふことができぬ。もちろん、抽象的に一般的ながあるのでな く、日本は日本に特殊なを歩まねばならぬであらう。かやうな特殊性は日本のによつて規 定されてゐる。しかし如何に特殊なであるにしても、といふ以上、の性質をもつてゐなけ ればならぬ、ち特殊性は普性を含んでゐなければならぬ。言ひ換へると、日本のは世界 を離れて存在するものでなく、日本の行くは世界のでなければならない。そのは世 界の動きのうちにおのづからつてゐるべき筈である。 いつかも一寸書いたことがあるが、田篤胤は『古大意』の中で、眞のといふものは事實 の上につてあるものである、とべてゐる。そして田が云ふには、ところが世の學などは、 盡く訓といふことを記した書物でなくてはは得られぬやうに思つてゐるのが多い、これは心 得ひも甚だしく、訓といふものは事實よりも低いものである。なぜなら、事實があれば訓 はらず、の事實がない故に、訓といふものが生ずる。『老子』の中にも、大廢れて仁義 ありと書いてゐるのである。かやうに田が事實とか實事とかと云ふのはのことである。 田が云ふには、孔子がの書といふものを一部一册も作らず、ただ『春秋』といふ書だけをん だといふことの深い理由も、深い意味もここに存するのである。孔子は、我を知るは、それただ 『春秋』か、とも、我を罪するは、それただ『春秋』か、とも云つてゐる。かくの如く眞のと いふものは訓の書によつてはらず、事實の書によつてその眞意を得ることができるのである。 田が云つたやうに、日本の行くはの事實の上につてゐる。しかしこのは、田 が考へたやうに單に古いをのみいふのでなく、特に現代のをいふのでなければならぬ。 とは歩むものであり、それ故に我々はをの發展のうちに捉へることが必であり、しか もこのは田が考へたやうに單に日本のでなく、日本を含めての世界のでなければ ならない。日本の行くは世界のとして示さるべき筈である。然るに今日は如何に訓が 多いことであらう。政治も祭政一致として化され、この祭政一致閣は議員に訓するため 四〇三 に議會を解散した。擧の結果、國民の總意は政府反對を明かにしたに拘らず、閣は相變らず 世界の 四〇四 屈坐りをけ、衆論必ずしも正しくないと云つて、今度は國民に懲罰を加へさうな有樣である。 彼等がただ訓するのは、田流に云へば、「革新」を稱しても事實が存しないからではなから うか。彼等が訓すればするだけ、我々は彼等に果してその實事があるかどうかを吟味しなけれ ばならぬ。事實が反對に動いてゐる場合、ひとは々訓する必を感じるものである。自の 思想がの現實から離れてをればをるほど、ひとはその思想を訓に化するものである。 今日は思想鬪爭の時代であると云はれる。そして確かに思想は重である。殊に我が國のやう に政治にも學にもこれまで思想が乏しかつたでは、思想といふものがもつと重んぜられ、人 間の生活及び化のあらゆる方面にもつと潤して來なければならない。しかし同時に今日ほど 思想が宣傳的素を多く含み、思想の陰に事實がひ隱されてゐることが多い時代も稀であると いふことに注意しなければならぬ。ドイツやイタリーでも、ソヴェートでも、宣傳が甚だんで あり、極めて巧妙になり、また宣傳の機關も會の發と共にしく發してゐるのである。そ れ故に我々はつねに思想の裏にある事實を注し、事實が果して宣傳のりであるかどうかを見 究めることに心掛けることが必である。思想は化され訓化されるのみでなく、宗化 されてさへゐるのである。今日の人は昔の人のやうに純眞に宗的でないが、その代りに思想が 政治的熱によつて宗化され、新しい形式の似宗が生じてゐる。現在の思想鬪爭は昔の宗 戰爭のやうなものとなる險をもつてゐる。權威主義はおよそ科學的とは反對のものであ る。然るに今日では科學的をする人々の間にさへ意外にこの權威主義が瀰漫してゐるの でないかと思ふ。殊に我が國のやうに嘗て理論のための理論といふ思想が存せず、そのために理 論の有する獨自の意味が理解されず、あらゆる思想が實際的見地から見られることが普であつ たでは、その傾向が多い。科學のは事實のであり、特に今日においては、それは のでなければならぬ。現代の會的な不安と共に主觀的な的な懷疑は我が國においても 人々の心に生じてゐるが、科學ののうちに含まれるやうな正しい懷疑は却つて甚だしく無く なつてゐはしないであらうか。宣傳でなく事實が問題であり、事實の上にはつてゐるので ある。批判とは一定のドグマの上に立つて他のドグマを審判することではない。正しい懷疑を含 まないやうな批判的は存しない。然るに思想の統制は批判的とは反對の權威主義を求 する の で あ る 。 四〇五 日本の行くを世界の歩みのうちに見るといふことは謂國際主義と同じでない。國際主義 は從來の自由主義を基礎としてをり、この自由主義においては個人が先のもので會は後のもの 世界の 四〇六 と考へられるやうに、先づ各々の國家を考へて然る後にそれらの關係乃至結合として世界を見て ゆかうとする。そこでは個々の國家が先のもので世界は後のものである。從つてかやうな國際主 義は勢力均衡の理論に盡きることになる。頃日本においてももてはやされたハウス大佐などの 有國と無有國の理論も結局その範を出ないものであると思ふ。これに反して世界的觀點 といふものは、世界を先づ一體と考へてその中において各國を考へるのであつて、各國の行く は世界のとして決定されねばならない。例へば、日本の將來にとつて極めて重な關係 を有する日支問題の如きも、世界的觀點から見てゆかなければならない。各人が自の命を 會的に自覺することが必であるやうに、各國民が自の國の世界的命について自覺をも つことが大切である。日本の世界的命と云へば日本の特殊性を發揮することであり、それ故 に日本主義もしくは新日本主義に立つてむのが我々の世界的命を果す以であると論ずる があるかも知れないが、かくの如き考へ方は、個人が自の特殊性に忠實であればそれで好い と考へる自由主義的な、從つて個人主義的な考へ方と一致するものである。かかる自由主義が今 日問題となつてゐるのであるが、それを克すると稱するファッシズムの國民主義乃至體主義 は、世界的な觀點に移して見ると、實は自由主義にほかならず、ち自由主義を根抵とする本 主義の現段階としての國主義にほかならないといふことが明かになる。問題をつねに世界的 な見地において眺めることが必である。 はの事實の上につてゐる。然るに今日ではは事實の上に求められず、むしろ事實か ら抽象して、或ひは事實に反對して、單なる訓としてされ、それと同時にそのものの 歪曲が行はれつつある。例へばナチス・ドイツにおいては、ギボンの『ローマ國衰亡』の飜 譯書が禁止されたと云はれ、またゲーテが對話においてスピノザやメンデルスゾーンその他のユ ダヤ人を稱揚してゐるといふ理由で、その對話書の新版が禁止されるに至つたと傳へられてゐ る。の事實に對して眼を塞ぐといふほど險なものはない。はヘーゲル的に云へば理性 そのものなのである。 「彼の生涯のよりほかに何が人間を形するのであるか。そしてそのやうに偉大な人間を 形するものは世界よりほかの何物でもない」と、ランケは云つた。一生のが我々の人間 を形してゆくのであり、生活經驗ほど我々にとつて大きな養はない。人間はの中で 四〇七 的に活動することによつて自を形してゆくのであるが、世界ほど我々にとつて大きな養 はな い の で あ る 。 世界の 彈力ある知性 ——1937.7 『藝』 四〇八 先て「學界」の座談會で、科學主義と學主義といふことが問題になつた。私はその時、 いつたい年、なに主義、なに主義と、カタログでも作るやうに思想をするといふ風があま り甚だしくないかとべた。この傾向は日本人の名目主義とか形式主義とかに關係があり、ただ 結論だけを問題にして程には興味をもたないといふことに關係があるであらう。ただ結論だけ を問題にするといふことは科學のにも學のにも反することであつて、實際家の宜主 義に基いてゐる。實際家のは彈力のあるものでなければならぬとも考へられるのであるが、 我が國のの傳統には名目主義とか形式主義とかが少くない。あらゆる思想をカタログに作る といふことは政治主義の影にも依るであらう。政治にはスローガンが必だ。的に見る と、なに主義といつた名稱は反對によつて附けられた場合が多いのであるが、それに政治主義 の影が加はると、どのやうな思想でもカタログに作らないと承知しないといふことになる。座 談會の席上で、科學主義と學主義が問題になるのは、現在、論が作家にとつても論家相互 にとつても役に立たないものになり、不生的になつてゐるといふ事からである、といふやう な話が出たが、それは事實であらう。しかるにこの事實は、あらゆる思想を何等かの名稱の抽斗 に入れねば氣がすまないといふ傾向に原因してゐる。 我が國においては洗された趣味を有する人は必ずしも稀でない。しかし洗された知性を有 する人に出會ふといふことは極めて困である。知性の洗には、趣味の洗の場合と同樣に、 餘裕が、一種の贅澤が、そして傳統が必である。しかるに我が國においては代的な知性は傳 統に乏しく、餘裕をもたず、贅澤はもとよりない。諷刺學に對する求がに久しく然と叫 ばれてゐるにも拘らず、それが現はれないといふには理由がある。諷刺は知性の贅澤を必とす るの で あ る 。 もしも知性が剛直なものであるとするならば、非合理主義が正しい結論であるかも知れない。 パスカルはデカルトの合理主義に反對して非合理主義を唱へた。しかしデカルトの知性がパスカ 四〇九 ルの考へたやうに剛直なものであつたかどうか、問題である。懷疑を哲學の方法として發見した 彈力ある知性 四一〇 のはデカルトであつた。剛直になつた知性のドグマを破壞したのがデカルト的知性である。 「われは假を作らず」とニュートンは云つた。ところが傳に依れば、このニュートンは林 檎の落ちるのを見て、宇宙に就いて大きな假を懷くに至つた。誰も林檎の落ちるのを見てゐ る。しかし、林檎の落ちるのを見て、に高い、つまりを仰ぎ、何故に星は落ちて來ないの かと考へた點に、科學の想(想力)がある。ちやうどコロンブスの卵に實際家の想力が 見ら れ る や う に 。 知性の彈力は假的に動き得るところにある。この點で知性は想に似てゐると云へるであら う。否、この點で知性は想によつて助けられねばならず、に想も知性によつて助けられる ことが必である。知性と想とをく相反するもの、相容れぬもののやうに考へることは間 つてゐる。想像は「と僞との主人」である、とパスカルは云つた。しかしパスカルほど想 像に豐かな人も稀であつた。「と僞との主人」であるとした想力によつてパスカルは科 學ともなり、思想家ともなつたのである。 知性は假的に働くことができる故に、かくてまた想に結び附くことができる故に、知性は 小家においても缺くことのできぬものとなる。小をフィクションと云ひ、またロマンと云ふ のは何等偶然でない。日本の小には想が乏しいと云はれてゐるが、それは日本の小に知性 が乏しいといふことと無關係でない、つまり我々には假的な思考の仕方が十理解されてゐな いの で あ る 。 今日、知性が剛直になつてゐるとすれば、それは知性の本性に基くのでなく、政治的熱の影 に 依 る の で あ る 。 ジードは、自の書くものが事に喧しく批されることを不快がり、そんなに有名でなかつ た昔を懷しがつてゐる。デカルトは有名になると共に訪問客の襲を怖れて、隱れつた。「善 く隱れるは善く生きる」とは、彼の格言である。 四一一 知識はし、といふことはいろいろな意味において眞理を含んでゐる。しかもきが輕さ れること、今日よりも甚だしい時代はない。この時代において知性は果して重されてゐると云 ひ得 る で あ ら う か 。 彈力ある知性 四一二 批は批を呼んで循する。一つの批が書かれると、それに就いていくつかの批が書か れ、にこれらの批に就いて他のいくつかの批が書かれる。かやうなことを考へると、批 を書くのがになつてしまふ。創作家の特權は、彼が一つの作品を書いた場合、それに就いて他 の創作がなされるといふことがないことである。批の循を好まないは、自の批が創作 を生むやうなものにすること、或ひは自の批を創作にまで高めることに努力するのほかな い。しかるに批が創作的であるためには、批は個性的もしくは人間的でなければならないの であるが、今日の我が國においては個性的な、人間的な意見といふものはあまり重されないや うで あ る 。 昨年あたりから「科學的」といふことが頻りに云はれてゐる。それをすることはもと よりく正しい。しかしこの科學的が「科學主義」といふものになることは險である。嘗 て十九世紀において、科學の實證的が「實證主義」によつて却つてされたことがあるのを 想起しなければならぬ。 最における科學的に就いての議論が主として自然科學の方面からなされ、科學や 會科學の方面からなされなかつたことは、不十であつた。筆たちは恐らく、や會に關 する方面においても同樣に科學的が必であることを示唆しようと欲したのであらうが、 みて他を言ふといつた感があつた。そのうへ我が國には一人のクロード・ベルナールも、ポワン カレも、マッハもゐないのである。眞の科學的が何であるかを、實際に科學に生き、科學の 領域において獨創的な究をなした人がへてくれねばならぬ。「局外批家」たちの科學的 に就いての議論には以の抽象的な合理主義が目立つてゐた。 この頃は、アナクロニズムを感ぜしめるものが多くなつて來たやうである。ファッシズムには アナクロニズムが多いのであるが、このファッシズムがんになつて來るに從つて、それに對抗 するために、一時代の自由主義や合理主義が、十八世紀の蒙哲學や唯物論が頻りに擔ぎ出さ れてゐる。りすることも時には必であらう。しかしりしてゐるうちににつてしま つて は な ら な い 。 アナクロニズムは時間の錯覺であるが、この錯覺が我が國にはいろいろ多いやうである。ヘー ゲルとハイデッガーとが恰も同時代人であるかのやうに我が國には入つてくる。化の混亂、 四一三 の無秩序の原因の一つがそこにある。それは外國の化を後から取り入れねばならぬ國の悲哀 彈力ある知性 四一四 である。そこでは古典と新刊書とがく同じ態度でへられる。從つてそこでは古典が古典とし て取扱はれるといふことが不可能である。我が國のアカデミーにアカデミズムが存しないといふ ことも、かやうな事に基いてゐるであらう。 が何氣なく書き付けておいてくれたことからヒントを得る場合は尠くない。偉大な書物と いふのは無駄のある書物のことであり、しかもその無駄がその書物の體にとつて、また讀に とつて、結局、無駄でないといふ書物のことである。我が國にはかやうな無駄のある書物が極め て稀である。なにもかも綺麗に整理されてゐる。がそれを書いてゆくうちに問題になつたで あらうやうなことが、すべて切り棄てられてゐる。つまり我が國には科書しかないといふこと になる。だから日本の書物には、後から出してみて、自の究の材料に用ゐ得るやうなものが 甚だ少い。我々はただの見解に同意するか反對するかだけであつて、讀めばそのまま片附け てしまふ。化が蓄積されることの乏しい理由の一つは無駄のある書物が少いことに依るであら う。 知性は抽象する。しかし抽象するといふことと問題を切り棄てるといふこととは同じでない。 無駄があつてしかもそれが無駄になつてゐないやうな物の考へ方が必である。それが知性の贅 澤といふものであり、洗された知性はそこから生じる。 四一五 知性の訓の傳統に乏しいでは辯證法ですら化し、年我が國においては辯證法的形式主 義が、辯證法的マンネリズムヘの墮落が見られる。 彈力ある知性 パスカルの人間觀 ——1937.7.26 『新愛知』 四一六 「自己を識らねばならぬ。それが眞理を見出すに役立たないにしても、それは少くとも自己の 生活を規整するに役立つ、そしてこれよりも正しい何物もない」とパスカルは書いてゐる。もし もひとが自己の生活を偶然に委ねることを欲しないならば、自己を識るといふことはあらゆる人 間に必である。自己識或ひは自覺は一切の正しい生活の出發點である。 然らば人間とは何であるか。 「人間は天でもなければ動物でもない」とパスカルは云つてゐる。「人間は自が動物に等 しいとも天に等しいとも信じてはならぬ、また彼はその一方のことにも他方のことにも無知で あつてはならぬ、却つて彼はその一方のことをも他方のことをも知らねばならぬ。」從來の哲學 の或るものは人間が動物であるかのやうに考へ、また或るものは人間が天であるかのやうに考 へ、それぞれ原理として來た。それらはいづれも一面的であつて眞でない。人間の眞はその體 性において初めて捉へられることができる。しかも體性における人間は天でもなければ動物 でもなく、天であると同時に動物である。かくして人間とは矛盾の存在である。 人間に固有なことは彼が自己意識或ひは自覺を有する存在であるといふことである。「人間は ひとつの蘆、自然のうち最も脆きものにぎぬ、しかし彼は考へる蘆である」といふのはパスカ ルの有名な言葉である。人間を壓し潰すためには宇宙が武裝するをしない、一滴の水も彼を 殺するに十であらう。しかしながら、宇宙が彼を壓し漬すやうな場合にも、人間は彼を殺すも のよりも遙かに貴いのである。なぜなら彼は自が死ぬること、そして宇宙が彼に對して壓倒的 であることを識つてをり、しかるに宇宙はそれについては何も識らないから。自覺によつて人間 は動物から區別され宇宙のうちひとり卓する。自覺的であるといふことは人間の偉大を意味し てゐる。しかしかやうな自覺において知られるのはほかならぬ人間の悲慘である。何故に我々は 一つの球を投げ一匹の兎をふといふが如きことにすら熱中するのであるか。かくも小さな事柄 が我々の心をすに足りるといふことは我々の態が如何に慘めであるかを語つてゐる。「か なものが我々を慰めるのはかなものが我々を惱ます故をもつてである。」人間はまことに果敢 無いものであり、人生は不幸に滿ちてゐる。かくも不幸な自己について考へることをけるため 四一七 に人間は樣々な慰戲を工夫する。慰戲の現實の理由は人間の態の悲慘である。パスカルが慰戲 パスカルの人間觀 四一八 といふのは單に戲や樂のみでなく自己の悲慘から眼をそむけるために人間が營むすべての活 動を意味してゐる。世間では眞面目な活動と見られるものの背後にも自己の悲慘について考へる ことから心を轉じようとする無意識的な動機が隱されてゐないと云へるであらうか。そしてあ らゆる騷ぎの後に我々を待つてゐるのは不幸の頂であるところの死である。しかるに人間が悲 慘であるといふことは他方また人間の偉大を示すものでなければならぬ。毀された家は悲慘でな い、なぜならそれは自が悲慘であることをみづから識ることがないから。人間のほかに悲慘な ものは存しない。死も動物にとつては自然にぎない。「動物にとつては自然であるものを我々 は人間にあつては悲慘と呼ぶ。」彼の悲慘を悲慘として感じることはただ自覺を有する人間にの み許されてゐる。「人間の偉大は彼が自己を悲慘なものとして自覺するところに偉大である。」 人間は悲慘であると同時に偉大である。しかも「悲慘は偉大から從つて來、そして偉大は悲慘 から從つて來る。」自己の悲慘を自覺することは偉大なことであると同時に、自己の悲慘を自覺 することは悲慘なことでなければならぬ。ここに我々はパスカルの自覺の性質を知り得るであら う。 自覺は代哲學の大いなる原理であつた。デカルトのコギト・エルゴ・スム(私は考へる、故 に私は在る)といふ命題も自覺を表はしたものである。自覺はデカルトにとつてそれから確實な 明晰判明な他の識がき出さるべき基礎を意味した。デカルトの自覺は知的な直觀である。こ れに反してパスカルの自覺は意的な直觀である。偉大と悲慘とは人間のかやうな意的な自覺 に基いた價値的な規定である。理性は物の價値を定めることができないとパスカルは云ふ。意 的な自覺によつて識られるのは人間の存在の確實性でなく、反對にその不確實性である。人間は 天でもなければ動物でもないといふのは、人間は偉大であると同時に悲慘であるといふことで あり、人間が矛盾の存在であることを意味してゐる。「彼が自慢するならば、私は彼を貶しめ る。彼が卑下するならば、私は彼を賞める。私は彼につねに言ひつて、かくしてに彼をして 自が不可解な怪物であることを知らしめる。」に人間の意的な自覺は理性の客觀的な識 が無用であり不確實ですらあることを識らしめる。「苦惱の時にあたつて、外的事物の知識は の無智について私を慰めないであらう」とパスカルは書いてゐる。彼の人間觀は人間に關する 客觀的な知識であるのでなく、くまでも意的な自覺を基礎とする人間の主體的な自己理解で ある 。 四一九 パスカルは人間を「中間」として規定した。人間は天でもなければ動物でもなく、天と パスカルの人間觀 四二〇 動物との中間である。しかしこの中間といふのは客觀的な量的な意味のものでなく、主體的 な性質的な意味のものである。それは人間が矛盾の存在、辯證法的な存在であることを意味して ゐる 。 パスカルの問題は「自己」である。この自己はまたキェルケゴールの「單獨」の念にじ てゐる。人間が單獨であるといふことは死の不安において最も顯はになる。パスカルは云ふ、 「我々は我々と同樣のの會のうちに安らふことで好い氣になつてゐる。彼等は我々と同じに 悲慘で、我々と同じに無力で、我々を助けないであらう。ひとは獨り死んでゆくであらう。」人 間は死すべき存在である。我々はこの悲慘な自己を見詰ることをけるために、自己から會の うち へ れ て ゆ く 。 悲慘と偉大との矛盾は何處に明と解決とを見出すのであらうか。原罪はそれに明を與へ る。ち人間は偉大なるものとして創されたのであるが原罪によつてこの本性を破壞して悲慘 なものとなつたのである。そしてと人間との統一であるところのキリストは人間の兩重性に對 する象であり、キリストによる救濟に於てこの矛盾は解決を見出し得るのである。かやうにし てパスカルの人間觀はキリストにおける原罪の話に現實的な、體驗的な解釋を與へたもの と考 へ ら れ る 。 デカルトとパスカルとは自覺を出發點とした代哲學の二つの型を示してゐる。もしドイツ哲 學のうちに例を求めるならばフッセルの現象學はデカルト的立場を、ハイデッガーの現象學はパ スカル的立場を繼ぐものと見ることができる。デカルトの自覺もパスカルの自覺も行爲的な、 四二一 會的な自覺でない。そして現代における彼等のドイツ的繼承たちの立場も同樣である。 パスカルの人間觀 哲學と育 ——1937.8.17 〜 一 『夕刊大阪新聞』 19 四二二 哲學と育との關係について先づ考へられることは、科學の一科としての育の基礎附けの 問題である。育の學的基礎附けには哲學が必であり、育學の體系はこの哲學的基礎附け に制約されてゐるのであつて、從つて哲學の究は育家にとつて大切であると考へられる。そ れは就中新カントの哲學、ナトルプその他によつて力されたである。 この識は疑ひもなく正しいであらう。しかし私が今主張しようとすることはその點に關して ゐない。蓋しこの識は現在我が國において十に普及してをり、そのためにろすら生じ てゐるほどである。我が國における哲學の讀の重な部は員であると云はれてゐる。これ は固より喜ぶべきことに相ないが、またその結果、育における方法論の重、從つて育の 形式化乃至抽象化、或ひは育の流行哲學への無批判的な隨(現象學的育學、辯證法的育 學、體主義的育學、等々の簇生)なども見られるのである。 に哲學と育との關係について考へられることは、哲學の一部門としての育哲學の設の 問題である。右の第一の關係が主として育家に對して求されるに反し、この第二の關係は主 として哲學に對して求される。ちこの場合哲學は、法律哲學、藝哲學等を設すると 同じやうに、育哲學を設することが必であると云はれるのである。 この求も勿論理由のあることである。我が國の哲學究の間では最特に體系への意圖が 顯である。これは確かに喜ぶべきことに相ないが、しかしそのために例へば哲學の究の 如きが不當に輕され、專門の哲學の間においてすら哲學については非科學的なディレッタ ント的取扱ひ方が見られるといふ有樣である。しかも體系的と稱する哲學もその容が何等組織 的に化してゐないといふことが、日本の現在の哲學に特的なことである。育哲學の如きは 殆ど眞面目に問題にされてゐない。體系の力は化することにおいて證され、統一の力は多樣な もののうちにおいて示されるのではないか。化しない體系といふものは考へられない。しかし 私が力しようとすることは育哲學の問題に關してゐない。 四二三 私が今主張しようとするのは却つて哲學は育であるといふ單純な命題である。それは哲學の 哲學と育 四二四 一部門としての育哲學の問題でもなければ、科學の一科としての育と哲學との關係の問題 でもなく、却つて哲學が謂はば體として育であるといふことである。從つてそれは哲學の組 織に關するよりも哲學するそのものに關してゐる。この頃我が國においては「科學的」 について種々論ぜられて來たが、「哲學的」については未だ十に反省されてゐない。私が 今取上げようとするのはこの哲學的の問題である。 その際我々は、年民族主義的思想の影のもとに我が國において行はれつつある一つの俗 を拂ひけなければならない。ちそれに依れば、西洋の哲學は單なる「學」であるに反して東 洋の哲學は行動性を含む「」であるといふのである。もしといふことを、それがおのづから 理解させるやうに、宗的意味に取るとき、東洋の佛哲學は固より支哲學の或るものもで あるとすれば、西洋においても中世のキリスト的哲學は勿論、ギリシア哲學の或る部もで あると見ることができる。それはともかく、もしといふことを育の意味に取るならば、で あるのは東洋の哲學のみでなく、ギリシア哲學を端初とする西洋の哲學もであつた。然るに特 に注意をすることは、ギリシア以來「學」であらうとした哲學は「」も學的基礎と學的容 とを有することによつて初めて眞にであり得ることを自覺したといふことである。この自覺が まさに哲學的にほかならない。東洋の哲學はであるに反し西洋の哲學は學であるといふ風 に簡單に區別する俗はこの自覺の重な意味を理解しないものである。それは我が國の現在の 育が智育重であるとする俗論と軌を一にするものと云はねばならぬ。 二 哲學はその端初において育であつた。哲學の端初はギリシアに存し、ギリシア哲學のに おいて、從つて一般に哲學のにおいてソクラテスが比びなき位置を占めてゐるとすれば、そ の最も大きな意義は、哲學は育であるといふことが彼において眞に體現されたところにある。 ソクラテスにおいて哲學は、從來民族的宗を地盤として國民の育を司つて來た悲劇學に代 り、深い自覺をもつて國民の育を身に引受けたのである。ソクラテスの人格には何か豫言に 似たものがあつた。しかし彼はそれ以上のものであつた。彼の偉大さは、自己のを示され たものとして人々に信仰を押し付けることなく、却つて人々が彼等自身の活動によつて眞理を探 るやうに求し且つ指したところにある。エドゥアルト・マイヤーがその名『古代』の中 四二五 でべてゐる如く、ギリシアの發展は新しい宗に至らず、ただ學問の創にせざるを得 哲學と育 四二六 なかつたのであるが、かかる學問の創とソクラテスの人格とは離れく結び附いてゐる。彼の 活動は本質的に育的であつた。そして眞のは眞の學でなければならず、眞の學は眞のでな ければならぬといふ事が彼の發見であつたのである。 かくの如く哲學はその端初に從つて育であるのみでなく、その本質においても育でなけれ ばならない。蓋し端初が眞に端初の意味を有するのは、そのうちに發現した本質の力によつてで ある。哲學は體の學であると云はれてゐる。それは個々の專門的知識でなく、却つて體の知 識であり、普的考察を意味してゐる。しかし哲學はつねに單なる普的考察以上のものであら うとする衝動を有した。實際、もし哲學とはただ體の學であるとするならば、今日學問的宇宙 が個々の特殊科學にされてしまつた後においては、哲學はもはや死んだものとも考へられる であらう。しかも他方、それらの個別科學の識も無數の絲をもつて體にがつてをり、專門 的に特殊領域を究しながらつねに普的考察に向つてゐる限り、それらは哲學であると云はれ ることができる。事實、もし最上の哲學とは普的で同時に體的な知識であるとするならば、 今日における最上の哲學は謂哲學でなく、ろ特殊科學、經濟學や家、物理學 や數學であると考へることもできるであらう。 しかしながら哲學は、古くから單なる普的考察以上のものであらうとした。言ひ換へると、 それは世界觀を與へようとした。世界觀は固より體の把握、普的考察を意味してゐる。しか し世界觀は同時に價値判斷を、價値の體驗された位階の設定を含んでゐる。ち哲學は客體的に 把握された「世界像」を含むのみでなく、まさに「世界觀」として世界の主體的な把握であり、 かかるものとして價値判斷を含んでゐる。新しい哲學の出現はそれ故に世界像の變革であると同 時に「價値の轉換」(ニーチェ)を意味するのである。 かやうに價値の位階の設定、價値の轉換であるところから、カール・ヤスパースは、哲學 は「豫言的哲學」として本來の哲學であり、その點において科學から區別されると見てゐる。 この豫言的哲學の理念は、科學についてのマックス・ウェーバーの謂「沒價値性」の理念に 關聯してゐる、ち一方科學に對して價値判斷から自由であることを嚴しく求するだけ、それ だけ他方哲學に對して價値秩序を決定することが烈しく求されるのである。 然るに的會的實在に關する科學に對して一切の價値判斷からの獨立を求することが少 くとも不可能であるにいと同樣、あらゆる哲學に對して豫言であることを求するのは少 四二七 くとも極端にぎるであらう。科學と哲學とが別の型に屬する如く、哲學と豫言とは別 哲學と育 四二八 の型に屬してゐる。偉大な哲學には固より何か豫言的なところがあるであらう。しかし彼は 哲學として單に彼の信仰を傳へるでなく、くまでも識を求めるでなければならぬ。同 時に彼にとつて學はである。ち我々は哲學の理念を豫言としてよりもろ育として考 ふべ き で あ る 。 三 哲學は責任をはない觀想でなく、世界を動かす、世界を形するでなければならな い。かかるものとして哲學は育でなければならない。なぜなら育の本來の意味は形と いふことであるから、育である哲學の人格のうちには時代と、その動と、その問題とが 現在的でなければならない。彼は時代を曇りなく明かに且つ最も實體的な仕方で表現するでな ければならない。時間的なものを「永の相のもと」に眺めるのでなく、ろ永なものを「時 間の相のもと」に實現するといふことが育としての哲學の理念でなければならない。 云 ふ ま で も な く、 育 と し て の 哲 學 は 學 師 に な る た め の 哲 學 師 用 の 哲 學 の こ と で は な い。今日我が國の哲學はこのくトリヴィアルな意味において育的、餘りに育的であること によつて本來の哲學的を喪失してゐると云へるであらう。職業的な師氣質の制限から却 することによつて哲學は却つて眞に育的な、言ひ換へると、世界を、會を、人間を形する 力としての哲學となり得るであらう。 哲學が行爲の立場に立たねばならぬといふことは今日我が國の哲學の間で殆どく常識化し てゐる。然るに行爲は一般的な抽象的な行爲があるのでなく、つねにただ體的な的な行爲 があるのみである。從つて眞に自己の責任において行爲の立場に立たうとする哲學はこの現代 の、 我 々 の 棲 息 す る 會 の 問 題 に 對 し て 身 を も つ て 解 決 に 當 る 決 意 か ら 哲 學 し な け れ ば な ら な い。時代の問題を囘し、その解決に對して責任をはうとしない哲學が如何にして行爲の立場 に立つなどと云ひ得るであらうか。育はただ現實に存在するものを相手としてのみ行はれるこ とである。かかる相手とは我々が自己のに見出し且つ我々がその中に生活してゐる現實の、 この現在の會以外のものでない。哲學は固より時間のうちに沈沒してしまつてはならない。し かし時間のうちに、時間のうちから輝き出ないやうな永が眞の永と云ひ得るであらうか。 四二九 哲學は育として自己自身に對し、また時代に對し責任をはなければならない。然るに今日 我が國の若い世代の哲學の間においてしい現象となつてゐるところの、マンネリズムに化し 哲學と育 四三〇 てしまつた謂辯證法は、辯證法と稱する抽象的な哲學は、落ちが最初からつてゐる下手な落 語のやうなもので思辨の戲となりり、我々の時代に對する何等の決意を示してゐないのであ る。私は固より辯證法に反對するのではない。しかし、辯證法こそマンネリズムを排斥し、思 惟の限りなき緊張を求するものであるにも拘らず、それが一個のマンネリズムに化してしまつ てゐる今日の我が國の特に若い世代の哲學界に對して不滿と疑惑とを表明せざるを得ないのであ る。それは哲學的の喪失であるとまでは云はないにしてもその沈滯を意味すると云はれない であ ら う か 。 哲學は自己の本質に生きるために端初のにらなければならない。端初が偉大であるのは 單に端初である故でなく、端初が最も純粹に本質を現はしてゐる故である。哲學はその端初的本 質において育である。そのことは今日哲學が謂思想善の哲學となることを意味するのでは ない。ソクラテスは決して謂思想善家ではなかつた。却つて彼は年を誘惑するとして、 傳統的な宗を破壞するとして發され、牢獄において死なねばならぬ命におかれたのであ つた。この謂はば思想惡家がしかし人のにおける眞の思想善家となつたのである。そ こにの辯證法が存在するのであつて、かやうな辯證法を離れて哲學的は存在しないので あらう。辯證法は單なる思惟の論理でなく、實在の動の形式であるとすれば、それは自己の 生活と活動とのうちに表現されるのでなければならぬ。科學の一科としての育と哲學との關 係、また哲學の一部門としての育、哲學の問題が、今日の不毛な非生的な態からすると 四三一 いふことも、哲學的の昂揚を俟つて初めて可能なことである。哲學は政治でないにしても 育でなければならない。 哲學と育 大學の固定化 ——1937.9.25 『三田新聞』 四三二 今日の大學について感ぜられるのは大學の固定化といふことである。この固定化は種々の意味 を持つてゐるであらう。 固定化は先づ團において現はれてゐる。ち現在の大學においては、官立たると私立たる とを問はず、を子ひにするといふことが風となつてゐる。自の學の出身から、し かも卒業と殆ど同時に將來の地位を豫約してをるといふことが一般的になつてきた結果、 大學は固定化した。そこではあらゆる意味で「異子」は排斥される。かくて大學の學問には 新なところがなくなつて來る。を子ひにするといふことは學を作ることにでなくて學閥 を作ることに作用してゐる。今日見られるのは學的發展でなくて學閥的閉塞である。子ひ制 度には我が國の美風とせられる家族主義に似た善いところがないでもないが、しかし家族にして も血族結婚をけてゐては衰亡してゆくのほかない。學閥と學との間には血族結婚とさうでな いものとの間におけるやうな差異がある。 或るアメリカ人の批に依ると、軍需工業その他の新興業が日本においては從來から存在す る大財閥によつて經營せられることが少く、新たに現はれた業家の手に多く歸してゐるのは、 かの大財閥にあつてはいはゆる番頭政治が行はれてゐる爲めである。封的な子ひ制度の はここにも見られるであらう。學問上においても眞の企業家の、ち發明的なところ、冒險 的なところ、取的なところが必である。 大學の固定化は最においては特にいはゆる學主義によつて促されつつある。學主義は 勿論何等新しいものでなく、また日本特有のものでもない。西洋においても封時代の學問がす でにさうであつた。代の哲學や科學はこれに反抗して起つたのであつて、權威主義に對する批 判的をその本質としたのである。學主義の、批判的の後が大學の固定化となつ て現 は れ て ゐ る 。 しかも大學にとつての不幸は、その學が根本においては大學以外から大學に對して制され るものであるといふことである。學問は云ふまでもなく單に批判に止まり得ない。體系を作るこ と、學をてることは、或る意味においてドグマチックになることである。ドグマチックにな 四三三 ることは學問の發展にとつても求されてゐる。私はただ批判のみをすることに贊しな 大學の固定化 四三四 い。えず批判を口にするが、他を攻することにのみであつて自己の立場については無批 判であつたり、徒らに破壞的であることを好んで設的なところがなかつたり、自己の言論の實 踐的歸結に對して無責任であつたりするといふことは、々見られることである。學問にはクリ チックと共にドグマチックなところが必である。しかし一人の體系家、一つの學がドクマを 作るといふことは自己自身によつて行はれることである。これに反していはゆる學はその本質 において大學に對して外部から制されるものである。それは大學の政治化を意味してゐる。 權政治による大學の政治化が大學をして他律的に固定化へのをらせる。 かくの如き大學の政治化は大學自身によつてすでに準備されてゐた。ち官立は固より私立に 至るまで年漸しくなりつつあつた官僚主義的傾向はこの政治化への準備の意味を有したの である。かかる官僚主義的傾向から大學の固定化が生じつつあつたことは云ふまでもない。 ドグマチックであることが必であるやうに固定化も或る意味においては必である。ドグマ チックになることは固定化することの一つである。しかるに今日の大學にとつての不幸は、その 固定化が自己自身の原理によつてでなく他から制されて生じつつあるといふことである。かく してアカデミズムは失はれる。アカデミズムは一種の固定化であるが、しかしその固定化が自律 的に行はれるといふのが眞のアカデミズムである。今や大學はアカデミズムを失つて政治の支配 に委ねられようとしてゐる。アカデミズムを失ふことによつて大學は第に自信を失ひつつあ る。 私はもとより大學が純粹に自律的であり得るとは考へない。あらゆる個體と同じやうに、大學 もまた境から影される。會的境を離れて大學の存在は考へられ得ない。しかし同時に自 己の自律性を失ふことなく、境を自己の自律的行動によつて支配するといふことが、すべての 生命あるものの發展にとつては必である。 今日の大學に向つて希望したいことは眞のアカデミズムの擁護である。私はアカデミズムを決 して輕するものでない。私が悲しむのはろ大學からアカデミズムの失はれつつあることであ 四三五 り、しかも大學の固定化の行にも拘らずアカデミズムが失はれつつあることに今日の大學の矛 盾が感ぜられるのである。 大學の固定化 靈魂不滅 ——1937.10.5 『夕刊大阪新聞』 四三六 高等の學で學生に對して靈魂不滅の思想を吹きめといふ意見が頃あるとのことである。 これはもちろん戰爭に出て命を棄てることを恐れない用意として必だと考へられるのである。 靈魂不滅などと云つても今の世の中では冗談としてしか受取らないが多いであろう。しかし それは決して冗談ではない。今度の事變を機會にして我が國に「宗的な」時代が來ないとも限 らな い か ら で あ る 。 靈魂不滅はもとより眞面目な問題であらうが、學生に對してそれをほんとにへみ得るやう な師が果して幾人あるであらうか。靈魂不滅を專門にしてゐる宗家ですらそれを實際信じて ゐないが大多數なのである。哲學は賣柄、靈魂不滅について種々論證し得るかも知れな い。けれども論證は未だ信仰ではない。 靈魂不滅はともかく今日いはゆる非常時に處しては特に後世の人に笑はれないやうに行動した いものだと思ふ心をしつかり落附けて後人の笑を買はないやうにしなければならぬ。そしてすべ てのが自の力に許される限り後に來る人のために、つまりの眞の歩のために盡すとい ふ覺悟が大切である。かやうな覺悟は靈魂不滅が眞であるとしても、それとは矛盾しないもので あることだけは確かである。むしろその覺悟が我々の理解し得る唯一の靈魂不滅の信仰であら う。しかもその覺悟はの發展についての明確な識を必とするのである。ところで現在、 四三七 靈魂不滅をしたり論證したりしてゐるの中には、後世のことなどく問題でないかのやう に振舞ふが却つて時柄しだいに多くなつてくるやうである。 靈魂不滅 日本の現實 ——1937.11 『中央論』 一 四三八 今度の支事變は日本に新しい課題をはせた。この課題はもちろん架の理想ではなく、現 實そのものの中から生れたものである。しかし課題は課題として現實に對立する意味を有してゐ る、或ひは現實が同時に課題の意味を有するといふことが的と呼ばれる現實の本質である。 現實は課題によつて批判され、課題は現實によつて批判される。の程はそれ自身において 批判的である。我々はの意識的な子としてかやうな批判を理論的に且つ實踐的に行しな ければならぬ。支事變を機に我々のに與へられてゐるのは確かに新しい現實であり、新し い課題である。しかしながら、その新しさをすることによつて、それが從來のの發展か ら必然的に生じたものであるといふことを考へるのを忘れてはならない。我々の直面してゐる事 態をこの際特に冷靜に觀察することが必であればあるほど、そのことを忘れてはならないので ある。興奮にあつてはただその新しさにのみ心を奪はれ易いから。 現在、日本のはされてゐる課題には種々のものがあるであらう。經濟的課題もあれば、政治 的課題もあり、化的課題もある。いま我々が取り上げようとするのは特に日本の思想的課題で あり、從つてまた日本の思想的現實である。しかも思想の問題は決して局部的な問題ではない。 政治、經濟、化のすべてが思想の問題に關係するといふことは今日においては殆ど常識となつ てゐる。今度の事變にしても、一つの重な點は思想の問題である。日本の對支行動の目的は爾 後における日支親善であり、東洋の和であると云はれる。目的は確かにこれ以外にあり得な い。問題は、そのやうな日支親善のイデオロギーは體的には如何なるものであるか、或ひは如 何なる容の思想を基礎にして東洋の和を確立しようとするのであるか、といふことである。 我々はすでに數年からこの問を繰りし問ひけて來た。我々を滿足させ得るやうな答は果し て與へられたであらうか、我々の感ぜざるを得なかつた「思想の困」は果して救はれたであら うか。しかもこの問題は單に日支兩國間の關係にかかるのみでなく、日本の立場を世界に理解さ せる必が々痛切であると云はれる現在、それは國際關係の見地においても重性を有してゐ 四三九 る。日本の對支行動の善意は我が國民の誰もが默解してゐる。求められてゐるのは、この「善意」 日本の現實 の「思想的」基礎であり「思想的」表現であるのである。 四四〇 しかるに我々は今日なほ、民族主義と稱せられる人の口からさへ、のやうな言葉を聞く。 曰く、「今囘の事變が中國共黨を樞軸とする抗日人民戰線の出によつてき起され、わが 國が支のかかる傾向を事に阻止し得なかつたことは、支に於いて………………………こと を意味する。ソヴェートの思想は支民衆を把握し、ここまでひきずることに功したのである が、………化工作はこれに對抗する……………ゐなかつた。否、………支民衆に對して思想 的に…………………持つてゐなかつたとさへ云へるのである。………支に於いて、一部地方軍 閥をその政治…………に置くと云ふ………………、直接支大衆に働きかけ、…………………し てゐないのである。澎湃としてき起つた排日抗日思想に對して、日本はその取締りを支政府 に求した以外、自らこれに對抗すべき思想政策、化政策を…………………かつた。これこそ 重大な問題ではないか。日支事變はソヴェートのボルセビズムと日本の皇がアジア大陸に 於いて爭覇しつつあるのだ、とく論がゐるが、少なくとも事變の第一段階に於いて、日本は 思想戰に…………と云はねばならない。況んや、反動主義が考へてゐるやうな……………… —— 日本人にのみ用して支人や歐米人にはそのままでは理解しいやうな —— が、國的に は兎も角、國際的舞臺に於いて思想戰を演ずるに充であると考へること自身が、すでに大いな る錯なのである。現在の支に於いてソヴェートは思想を與へ、歐米國は化を與へた。こ れが支民衆の間に彼等を××せしめる力となつてゐるのである。………殘念ながら支民衆か ら支持を得るだけの思想も化も與へてはゐなかつた。我々はこれを批判するに臆病であつては ならない。日本は支をめぐる思想戰に於いて先づ敗れたのだ」( 門屋博氏『國民思想』十月號)。 同じ筆はに云ふ、「このことは、‥…………の上では甚だ優秀であるが、………………甚だ ××であることを意味する。思想戰、化戰に於いて………ところを、………に於いて數旬の中 に囘復しつつあるのだ。然し、思想戰が結したのではない。武力戰の後に、に廣汎な、に 熾烈な思想戰が残されてゐる」。かやうな意見はもちろん新しいものではない。それはすでに以 から心ある人々が々云つてきたところである。我々はまた必ずしも筆の意見に部贊す るものではない。しかしながら筆が日本の現實における思想の困について語る點には我々も く同感である。云ふまでもなく、日本の政府はこの數年來、思想の問題に對して決して無關心 であつたわけではない、むしろ熱心ぎるくらゐ熱心であつたのであり、そのために莫大な費用 四四一 も投ぜられてきたのであつた。しかもその今日においてなほ、日本の思想的現實はかくの如きも 日本の現實 四四二 のである。日本や日本化の究は奬勵されてきたに拘らず、思想の困の態は何等改 善されてゐない。いま我々の信念を直にべるならば、日本を救ひ得る思想は支をも救ひ得 る、否、世界を救ひ得る思想でなければならない。最初から「……」といふ限定の附いた思想 は…………をも救ひ得ない。それが現在の日本の現實であり、世界の現實である。 二 支事變は思想的に見て少くとも先づ一つのことを明瞭にへてゐる。ち日本の特殊性のみ を力することに努めてきた從來の日本論はここに重大な限界に出會はねばならなくなつて 來たのである。そのやうな思想は日支親善、日支提携の基礎となり得るものでないからである。 日本には日本があるやうに、支には支がある。兩を結び附け得るものは兩を超 えたものでなければならない。日本は日本人である限り誰もが身につけて持つてゐるもので あり、失はうとしても失ふことのできぬものである。或る思想を取り入れることによつてそれが 失はれたかのやうに見える場合においても、實は、それを失つたのでなく、却つてその思想が眞 に血化されてゐないことを示してゐるにぎない。世界的に見てファッシズムはイタリアに おいて現はれたものであるが、それは單なる「イタリア」といふが如きものでなく、思想的 用語としてもまたかやうに呼ばれてゐるのではない。コンミュニズムはもとより、國民主義を唱 へるファッシズムにしても、世界的なものである。現代において「思想」とは恰もかくの如き性 質のものであり、その意味においては單なる日本………でないとさへ云ひ得るであらう。日 そ 本を擴張すれば世界的になり得ると云ふ論も多いのであるが「思想」の論理的順序 —— はであつて、世界的當性を有する思想が設され、そしてその の發生的順序はともかく —— 中において日本を生かすといふのでなければならない。今日必とされるのはまさにかくの如き 論理的な思想である。それが日本から出てこなければならぬものであるにしても、そこには 自己をも否定する飛的な發展がなければならない。まことに、大思想を有するものにして大國 民と云はれ得るのである。 あの「持てる國」と「持たざる國」といふ議論も現在なほ行はれてをり、………………客觀的 根據をそこに求めようとするも存在してゐる。しかるに、その議論はだいいち日本的なもので ないのみでなく、何を標準として持てる國と持たざる國とを區別するかも、仔細に考へるなら 四四三 ば、容易に決定しいことである。この標準が主觀的なものに陷り易いところから、その議論は 日本の現實 四四四 いはゆる優劣敗、………といふ思想に變る險を有するのみでなく、それは根本において自由 主義思想を一歩も出てゐない。それはせいぜい勢力均衡論にるのほかないであらう。しかも持 たざる國は持てる國に向つてその持てるところのものを直接に求するのでなく、却つてそれ らの國………對して自己の持たうとする物を求するのがつねであるから、その議論は植民地 再論となる。植民地再論の是非は姑らく措くにしても、何等の領土的野心も有せざる日 本の對支行動の目標が支を植民地化することであり得る筈がなく、むしろ歐米の國主義によ る支の植民地化から支を救ふことが日本の目的であるとせられてゐるのである。すべての民 族が各々その生存を完うするといふことは理想であるに相ないが、それは持てる國と持たざる 國といふが如き自由主義思想によつて到され得るものでないことは、自由主義が面的に批判 されてゐる今日甚だ明瞭である。またそのやうな議論は崇高な皇とはすでに氣質的に相容 れないものを有する筈である。然らば、日本は如何なる理論體系によつて世界的當性を 求し得るであらうか。 い は ゆ る 日 本 、 …………、 等 々 が 如 何 な る も の で あ れ、 現 在、 國 際 的 に は 日 本 が 世 界 ……………國の一に屬すると見られてゐることは、好むと好まざるとに拘らず、否定し得ない であらう。國的には日本主義は……………でないと主張されてゐるにしても、それが國際的に は‥…………………であると考へられてゐることはひいことであるのみでなく、そのイデオ ローグたちも日本の現代化に當つては外國の………………………………してゐることは爭は れぬ事實である。そして今日の經濟的、政治的、化的段階において、或る一定の思想について 問題になるのは、その國的意味のみでなくて特にその國際的意味であり、その謂はば祕的意 味であるよりも科學的乃至哲學的意味である。ところで、もし假に日本主義が…………………… ならないとすれば、日本の對支行動の主なる目的の一つは支の赤化を防止することにあること が言明されてゐる場合、いはゆる………………………………も生じ易いことになるであらう。現 在の國際勢において、ソヴェートと世界の民主主義國との提携が々行はれてゐることを考へ るならば、日本の政治の指の意義を祕的にでなくて科學的乃至哲學的に世界に用する 言葉をもつて闡明する必はこの方面からも生じてゐるのである。かくして思想の問題が日本の 四四五 現實に關はる重な課題となつてゐることは明かである。これに對して日本の思想的現實は如 何なるものであらうか。 日本の現實 三 四四六 右の況に應じて從來の日本論は決定的な瞬間に立つに到つたやうに思はれる。それは ファッシズムであることを宣言するであらうか。それにとつてその他如何なる飛的な發展が可 能であらうか。このとき、支事變の影のもとに、「東洋思想」とか「東洋化」とかといふ 問題が新たに日程に上り始めたのも決して偶然ではない。かくて今や「日本的なもの」は「東洋 的なもの」にまで擴大されようとしてゐる。これは思想の見地から云へば確かに一歩を意味 してゐる。しかしすでに東洋的なものにまで擴大された思想は何故に世界的なものにまで擴大さ れてはならないのであるか。「日本の統一」の存在することは明瞭である。しかし同じやうに、 「東洋の統一」は思想上において、化上において存在するであらうか。もしかやうな統一的な 思想が存在するとすれば、それは如何なるものであらうか。東洋を統一する思想は少くとも現在 の段階においては世界的な思想でなければならないのではないか。世界を救ひ得る思想で……… ‥東洋をも救ひ得ないといふことは眞理ではないのであらうか。これらの問題について考察する ことが我々にとつて必になつて來たのである。ここでは簡單にその點に觸れておかう。 先づ日支親善の基礎として持ち出されるものに「……同種」といふことがある。しかるに、 ………………………………………存しないことはめて論ずるまでもない。それは一個の話で あり、話としても何等…………有するものではない。日本人と支人とは同種であるといふこ とは事實に反するのみでなく、同であるといふこともまた眞ではない。日本人は日本語の一 を支の字をもつて書き現はしてゐるが、それは支人が支語の表として同じ字をふ 場合とひ方を異にしてゐる。そして日本語の他の一は支語のままの或ひは支語風のもの を單語として用ゐてはゐるが、かやうな用ゐ方は明治時代になつてからろ多くなつたと云はれ てをり、實際に日本語化した支語であれば、假名で書いてもローマ字で書いても差支へないわ けである。兩がくつた言語であるといふことが一部の同であるといふことよりも遙か に重な事實である。しかもそのしい字のために支の化の發、特に大衆の間における 育の普及が妨げられたといふことは歩的な支人の氣附いてゐることであり、ローマ字動 の如きものも極めて活に行はれてゐるのである。すでにを有する支におけるローマ字 動が功する時が來るとすれば、日支同などとは假にも云ひ得ないことは明瞭である。 四四七 それでは東洋思想の統一といふものは存在するか。專門學のに依れば、元來、東洋とい 日本の現實 四四八 ふ語が一義的なものでなく、においてその意義が變遷してゐる。東洋といふ名稱はもと支 から起つたものであつて、明初または元末の頃、南から船でする地方をその位置に從つて 區別し、東部にあるのを東洋、それより西の方にあるのを西洋と稱したことに始まつてゐる。 ちして云へば、フィリッピン群島方面が東洋、それ以西の群島及び沿地方、竝びにそのさき のインド洋方面が西洋と呼ばれたらしいといふ。やがて西洋はヨーロッパをも含むことになつた が、東洋は後までも狹い範に限られ、ただい頃になつて元來方角ひの日本が東洋と呼ばれ る場合が生じた。日本紙を東洋紙、また日本人を惡口して東洋鬼と云つたやうに、東洋は日本の 異稱ともなつた。西洋はもとより東洋にしても、支から云へば、すべて蠻夷の地である故に、 支自身は東洋のうちに含めて考へられなかつた。日本においては、幕末の頃、東洋といふ名稱 は支をも含むものとして、化的にはろ支を中心とするものとして用ゐられた。この場 合、支人が南からする蕃の地を東洋と西洋とに二したのとはひ、世界の化國を 二大別して考へたのであつて、言葉の意味はく變つてゐる。そのとき東洋のうちにはもちろん 日本も含まれるが、それは日本が支の儒を受け入れてゐることから、西洋の技的化に對 立させて、支と日本とは同じ的化を有するものと見られた爲めであつた。「當時の知識 會に屬するものは、西洋の學藝を學んだものでも、其の思想の根柢には儒學によつて與へられ た養があつたため、かういふ考が生じたのである。だからこれは、幕末時代…………思想家が 西洋の化に對立するものを……みづからのみには求めかね、彼等が××してゐた支の化、 特に儒、を味方とし、むしろそれに……しようとしたところから生じたものである、といつて も甚しき言ではあるまい。少くとも、西洋に對抗するに當つては、日本としてよりも謂東洋 としての方が心かつたのである。さうしてそこに、儒の養をうけたものの有つてゐた思想 上の事大主義とでもいはるべきものがある。此の意義での東洋といふ語が當時の日本人に於いて 始めて意味のあつたもの、日本人によつて唱へ出されたもの、であることは、かう考へると、お のづから明かになる」( 津田左右吉氏「化上に於ける東洋の特殊性」岩波座『東洋思』)。と ころで、日本における東洋といふ語のかやうな用ゐ方は明治以後においても繼承せられた。しか し西洋に對する稱呼としての東洋が支と日本とのみを指すのでは範が狹すぎると感ぜられ、 殊に日本の化に對する佛の意義がめられるやうになつて、インドが重な一として東洋 といふ念の中に含まれることになつた。ただその場合においても、日本と支とインドとを含 四四九 む東洋が果して西洋の如く一つの世界であり一つの化を有するものであるかどうかは深く反 日本の現實 四五〇 省されず、非西洋といふことを東洋といふ語で現はしたのにぎなかつた。そして西洋の化を 早く取り入れることによつて隣の民族に先んじて代的發展をげるに至つた日本におい て、日本は東洋の先驅であるとか盟主であるとかといふ思想も現はれたが、その場合に於ける …………………………のものであることが多かつたといふことに注意しなければならぬ。例へば、 今日なほ唱へられてゐる王政治論などはそれであつて、實行的には日本本位であるが、思想的に は……である。また最我が國において頻りに云はれてゐる「學」思想の如きものも、元來 支的なものであつて、川時代の國學が排斥したのはそのやうな學思想であつたのである。 四 西洋が體として一つの世界を形作つてゐることは一般にめられるところである。それは先 づローマ國において統一され、にカトリック會のもとに中世をじて統一をけて來た。 その化はギリシア・ローマの古典化を基礎とし、キリストによつて普く潤され、またル ネサンス及び宗改革を經て世に至つてはそれ自身本質的に普的な科學の發を生ぜしめ た。東洋化にはかやうな統一がめられるであらうか。津田左右吉博士はこの點について、東 洋においては同樣の統一は何等存在しないとべられてゐる。 先づ支とインドとでは、風土がひ、民族がひ、生活の態がひ、その化はそれぞれ 獨立に發し、それぞれ獨立の性質をへてゐる。それは二つの地域を離する山地と高原と、 竝びにそこに居住する種々の未開民族とが兩のを困にしたのと、支もインドもそれぞ れ廣大にして豐沃なる野を有する農業國であり、いづれも自己の世界において自己の生活を營 むことができ、互に他に依する必がなかつたのとの故である。或る時代から後には兩の間 にかすかなつながりが生じ、佛の如きはもちろんインドから支へ傳へられたものであるが、 しかしインドの方では支から何物をも受け入れてゐないといふことが注意されねばならぬ。佛 は信仰として學問としても傳へられ、その儀禮や團の規律や組織なども學ばれたが、しかし 支に入つたのは佛に限られ、インドの民族的宗として重なブラマ或ひはインドは傳 へられず、ただそのうち佛化されて佛の中に攝取された部のみが、佛として傳へられた にぎない。その佛の與へた感化も局限されてゐて、民衆の生活に對する影はであり、 また佛が入つて來た爲めに支におけるや政治に關する思想が變化したやうなことはな 四五一 い。それは、ヨーロッパがキリスト化され、ヨーロッパ人の思想がキリストの上に立てられ 日本の現實 四五二 たといふのとは、その趣をく異にしてゐる。支において佛がいつのまにか衰へて來たとい ふことは、それが民衆の生活の的求には深い關係のなかつたことを示すものにほかならぬ。 かやうにしてインドと支とを含めた東洋のといふものは立せず、東洋化といふものも ××しないと考へられるのである。すでにこの二つを括するものとして一つの東洋化といふ ものが××しない以上、に日本を加へた意味においての東洋化といふものも××しない筈で ある。それでは日本と支とだけは一つの化世界を形するであらうか。津田博士は此の問 に對しても否定的に答へられてゐる。日本と支とでは、民衆がひ、風土がひ、生活も風俗 も慣も會組織も政治形態も殆ど共のものがない。もとより日本は古くから………化を學 び、これを××することに努めて來た。支の工藝、字、學問は日本に入り、政治上の制度さ へも移植せられたことがある。支化された佛が傳へられたことは云ふまでもない。しかし、 かやうにして支の物を直接に享受したのは主として貴族階級であつて、民衆の生活には關與 するところが少く、また日本と支とのは民衆と民衆との接觸ではなかつた。支から移植 されたものは時を經るに從つて日本人の生活に合するやうに變化され、貴族階級において日本 化されたものが第に民衆の間に擴がつてゆくと共に一日本化されて、もはやその淵源が支 にあることすら明かには知られないやうになつた。そしてそれが民衆の生活の變化として現はれ て來た。かうなると、支化の日本化は單にそれだけのことではなくて、それによつて日本の 化が新しく創されたことを意味する。そしてそこに體としての日本の民族生活の的發 展がある。しかもこの的發展は支とは無關係に行して來たのであつて、日本と支とは それぞれ別の世界であつた。日本のは日本だけで獨自に展開せられたのである。支を學ん だ律令の制度を漸破壞していつた國民の活動、その活動の一つの現はれである安の貴族 化の發とその壞、同じ時代における武人階級の立、その行動の組織化としての幕府による 新しい政治形態の形、貴族化の武士化民衆化、戰國時代の出現、その戰亂の態の固定化と しての世における封制度の大、その制度の下における民化の發、或ひはまた封制 度の自己破壞によつて生じた武家の政權の滅、かやうな日本のの展開は支のの動き とは何等の渉も有しないものである。學問や藝の方面だけを取り出して見ても同じであつ て、日本の學問藝は支のそれらとはく別個に展開せられた。例へば、宋學とか宋元畫 とかのやうに、支の或る時代の學問や藝が或る時間をててから日本において學ばれるやう 四五三 になつたことはあるが、それらの學問や藝の形せられた當時の支の化の動きは同時代に 日本の現實 四五四 おける日本の化とはく渉のないものであり、また日本においてそれらが學ばれるやうにな つたといふことも、支の學問藝にとつて何の意味もないことであつた。するに日本と 支とを括する或ひは兩に共な學問界や藝界は立してをらず、從つてそれらは一つの を有しなかつたのである。日本のの展開が日本だけで行はれた獨自のものであるとすれ ば、そのによつて養はれた日本の化が日本に獨自のものであることは云ふまでもない。 かくの如く東洋化の統一は存在しないとせられる津田博士のには傾聽すべきところが多い であらう。日本の化と支の化とを同一してそれを東洋化と稱するのは、日本人の生活 そのものを直しないからであり、支に對する理解が不足してゐるからであると博士は云はれ てゐる。儒の日本化とか佛の日本化とかといふことも、博士は極めて局限された意味におい てのみめられてゐる。我々はこの專門學の言を信じ且つ重すべきである。世間で漠然と考 へてゐるやうな、日本とインドとはもとより、日本と支との化的もしくは思想的統一の×× しないことは確かである。津田博士が民衆の生活を中心としてを見てゆかれる態度にも學ぶ べきところが多いであらう。實際、今後のこととしても、日本と支との間に眞の化的結合が 生じ得るためには、兩國の民衆と民衆との接觸することが大切である。いづれにせよ、それが日 支親善の基でなければならない。ただ化の問題を考へる場合、博士の方法は民間信仰や民間 の慣などに餘りに重きをおかれぎる傾向がある、從來のにおいては或る一定の時代の 化とはその時代の………………化のことであるとして理解しなければならぬところがあり、さ もないと化の直線的な的な獨立性の方面のみがされて、その圓的な境的な影の 方面が輕されるといふ一面性をれいであらう。かやうに見るとき、支化やインドの佛 が日本化に與へた影はそれほど低く價することができなくなる。津田博士はまたその場 合、同じ時代の化の直接のといふことに餘り重きをおかれぎてゐるやうに思ふ。そして 支の化が、それの形された時代からつた後においてであるにしても、日本に影を及ぼ したといふことがあつたとすれば、支思想と日本思想との間に何か一致するものがあると考へ られないであらうか。自にその何等の素質もない他のものを受け入れることはできない。また 兩が異るとかいふことは兩に共のものがあるといふことを妨げるものではない。西洋化 の統一と云つても、フランス化とドイツ化とがそれぞれ特色を有することを否定するもので はなからう。ただ漫然と東洋の化的統一を考へることに對して津田博士の批にはまことに 四五五 いものがあり、重すべきではあるが、それを承しながらなほ東洋思想に共な特色は存し 日本の現實 ないかといふ問題が提出され得るやうに見える。 五 四五六 ところでインド思想の支思想に對する影は一方的であり、に支思想の日本思想に對す る影は一方的であるとすれば、いはゆる東洋思想を求めようとする場合、それは差し當りイン ドから支に入り、支をじてまた日本にも來たものに求められねばならぬやうである。かや うなものは云ふまでもなく佛である。インドの佛が支や日本に普及し得たといふのは、日 本や支にも佛を受け入れ得る思想的素質があつたからであると考へられるであらう。かくし て東洋思想として擧げられるのは、佛において最も理論的に展開された「無」の思想である。 この無の思想は單にインド的なものでなく、まさに東洋的なものであり、その理論化においては 支がすぐれ、その實踐化においては日本がすぐれてゐたとせられるのである。儒などに比し て佛が日本の民衆の生活の中へ遙かに深く入りみ得たことは津田博士もめられてゐる。し かるにかやうに佛が支や日本に傳播し得たのは、それが「世界的宗の性質を有し」そのう ちには「人一般の宗的求に應ずるもの超民族的世界的素があつたからであり、インド的 特色があつたためでは無い」( 津田左右吉氏)。かくの如くであるとすれば、佛を東洋的とい ふことすら或る意味においてはすでに不當であらう。西洋化を形するに與つて力のあつた キリストも西洋人によつて「東方からの光」と呼ばれたのであるが、キリスト自身は東洋的 でなく、また單に西洋的でもなく、まさに世界的宗である。佛はインド、支、日本の三國 においてそれぞれ特色を有するが、それがかやうにインド的でも、支的でも、日本的でもあり 得たのは却つてそれが世界的である故である。 しかし今日の佛は日支提携の基礎となり得るであらうか。佛は現在の支においてはすで に衰してしまつてゐる。日本は世界最大の佛國であると云はれるが、その日本においてすら 現在、佛は知識階級からはもとより大衆からも見はなされつつあるのである。年わが國にお いて叫ばれた「宗復興」の如きも、實は、似宗の擡頭、の發生以外のものではなかつ た。そして佛家は自己の力によつてそれらを治したのでなく、却つてただ官憲の力のみがそ れらを彈壓し得たのである。かやうな態にある佛に、まして支において、親善提携の原動 力となることを期待し得るであらうか。佛もただ武力と官憲との行く處に蹤いてゆくのみでは 四五七 ないか。そのうへ、今日の佛は實は「…………」に化してしまつて、その本質たる世界性を抛 日本の現實 四五八 棄して怪しまないといふ態にあることを注意しなければならぬ。に不思議なことには、キリ ストは個人主義であるに對して佛は國家主義であるなどとくさへあるのである。西洋の 立なキリスト國の中にも現在、體主義や國家主義を唱へてゐるファッシズム國の存在する ことを知らないのであるか。佛の無の思想にして初めて國家主義を含み得ると云ふもある が、かくの如きは却つて無は無として何とでも合よく時世に應じて結び附き得るといふ點を 現はしてゐるとさへ見られることができるであらう。 「アジアは一なり」といふのは岡倉天心の『東洋の理想』の冒頭にげられた句である。天心 共に無の思想を代表してゐ の傑作は『茶の本』であると思ふが、その中で茶と及び禪 —— との密接な關係を論じ、「先づ第一に記憶すべきは、はその正統の繼承禪と同じ る —— く、南方支の個人的傾向を表はしてゐて、儒といふで現はれてゐる北方支の會的 思想とは對比的に相があるといふことである」と書いてゐる。老子に關する的鑿は姑 らく措いて( 例へば長谷川如是閑氏『老子』參照)、それが後の時代において禪と共に「個人的傾 向」を現はしてゐることは事實であらう。支における宋學勃興の的意義は禪の個人的傾向 を「會的思想」によつて超克しようとしたところにあると見られることもできる。無の思想が 個人的でなかつたとは云ひ得ないことは確かである。少くとも今日、世間一般に理解されてゐる 限り、それは一定の會思想や政治思想を明示するものではなく、從つてそれのみでは會や政 治に關する指原理となり得るものではない。ところで「アジアは一なり」といふ天心の言葉は、 その的眞實はともかく、一つの話を現はしたものである。我々はこの話がく無意味な ものであつたとは考へない。現に天心のこの有名な言葉は、インドの志士の間に流布されて、そ の獨立動のモットーにされたのであるが、丁度そのことから知られ得るやうに、この話はい はゆる白人國主義から東洋の民族を獨立させようとした時代のものとして意義があつたのであ る。それが日本人の口から出たとすれば、そのとき日本は世界の後國として西洋にけないや うにし且つ東洋の先とならねばならぬといふ意識を表現したものであると理解し得るであら う。しかるに今日においては、日本はもはや何等後國でなく、却つて世界の大國の一つであ る。そして支からは、歐米と同じく日本も國主義國と見られてゐる場合、日本が「アジアは 一なり」といふモットーをもつて臨まうとすれば、支人は如何に受取るであらうか。日本の對 支行動の目的が支を「歐米依存」の夢から覺醒させることにあるとすれば、それは體的に 四五九 は…………………………………せしめることでなければならぬであらう。日本自身に何等國主 日本の現實 四六〇 義的思圖の存しないことは政府の累の聲明によつて明かである。それでは本主義のを是 正して日本と支との「共存共榮」を計り得る思想は如何なるものであらうか。かやうな思想が 如何なるものであるにしても、それは單に日支間の關係が求めてゐるのみでなく、日本自身がま た國において、そして世界の民衆が等しく求めてゐる思想、ち世界的思想であるといふこ とだけは明瞭である。かやうな思想を日本は單なる「善意」としてのみでなく、「思想」として、 支人にはもとより世界のすべての人に理解され得る體系として有しなければならない。 ところで他の方面から見るならば、「アジアは一なり」といふことはまさに現代において實現 されつつある。しかもそれは「世界は一なり」といふことをじて實現されつつあるのであると いふことに注目しなければならぬ。ち津田博士の云はれるり、東洋の統一は「西洋に源を發 した現代化、其の特色からいふと科學化とも稱すべきものを領略する」ことによつて第に 實現されつつあるのである。この主張において我々は津田博士の識見にく敬する。先づ日本 については、「昔の日本人が書物の上の知識やいくらかの工藝によつて支の物を學んだのみ であつて、日本人の生活が支化したのでは無かつたのとひ、今日では生活そのものが、其の 地盤である經濟組織會機と共に、一般に現代化せられたのである。(此の差異は日本に於け る現代化の性質を知るについて極めて重であるに拘らず、世間ではともすればそれに注意し ない。)だから今日の日本の化は此の現代化の日本に於ける現はれである。其の日本での現 はれであるところに、日本の風土やによつて生ずる特殊化はあるけれども、さうしてまた此 の現代化が合に短日月の間に行はれたがために、去の因襲と奇異なる合が生じたり民族生 活の深部に徹しなかつたりするやうな缺陷はあるけれども、今日に於いては現代化、ち謂 西洋化は、日本の化に對立するものでは無く、それに在するものであり日本の化そのも のであることに、疑ひは無い。さうして其の意味に於いて日本と謂西洋とは化的に一つの世 界を形してゐるのであり、日本人の化的活動は世界上の活動なのである。」同樣のことは 支においても、もちろんその間にかなり大きな懸はあるにしても、起りつつあり、みつつ あるのであつて、それによつて日本と支とは一つの化的世界を形し得るに至りつつあるの である。多數の留學生が支から日本へ來て學ばうとしたのも、かやうな日本における現代化 にほかならない。……………………目的は、日本にとつて必然的であつたやうに………………… 必然的であるところの、この現代化、この世界化と××するものであることができない。二千年 四六一 も昔の、しかも支で形された政治思想の如きものを現在持ち出すことに多くの意味があるで 日本の現實 四六二 あらうか。××自身のうちに勃然として起つてゐる現代化への傾向を抑止することは、支にと つても日本にとつても有利なことではない。もし萬一、…………復古的になつてゆき、……‥現 代化をめてゆくといふことがあるとすれば、やがて……………代へねばならなくなるであら う。 東洋の統一といふものが考へられるにしても、それも世界の統一の部においてのみ考へられ 得ることである。この統一のために日本や支が各々の個性をく失つてしまふことになるので はない。かやうなことはあり得ないことである。從來の東洋における統一的思想が無の思想であ この統一の現實基礎としてマルクス主義はいはゆるアジア的生方法なるもの るとしても —— 、それが現在において力を有するものであるためには、それは先づ世 を擧げるかも知れない —— 界化されねばならず、特に科學的化と結び附かなければならない。我々は決して傳統の價値を 輕するものではないが、それが科學、このつねに世界的普性を有するものを發せしめ得な かつたところに東洋思想の重大な制限があることは疑ひ得ない。また我々はもとより單純に西洋 思想を取り入れよと云ひ得る態にあるのではない。いはゆる西洋思想のうちにも今日種々の對 立が あ る の で あ る 。 かくてするに、日本の現實、東洋の現實は世界の現實である。…………………………今日に おいては、世界の思想となり得るものでなければ日本思想でも東洋思想でもあり得ない。去の 東洋思想をいくら擴大しても世界的に且つ現代的になり得るものではない。そこには靜止と動 との間におけるやうな、ただ飛によつてのみせられ得る差異がある。日本と支との間に 「東洋の統一」が民族的にも言語的にも存在しないといふ事實を憂ふるに足らない。世界化の 四六三 統一の中においては、日本と支とがそれぞれの特殊性を發揮するといふことが、いはゆる東洋 の統一よりも大切なことである。 日本の現實 技と化 ——1937.11 『科學主義工業』 一 四六四 技と化とは何か別のものであるかのやうに考へるがある。ち技は明に屬し、「 明」と「化」とは區別されねばならぬと云はれるのである。その場合普に、明は物質的で あり、化は的であるといふ風に見られてゐる。かやうにして明に屬する技は化より も一段低いものであるかのやうに考へられるのみでなく、にんで、技は的化をす るもの、とりわけ人間の人格的發展を妨げるものであるかのやうにさへ考へるがある。明と 化とを區別することは固よりく無意味ではない。科學と技とが區別されるやうに、明と 化とは區別されることができるであらう。しかしまた科學と技とが不可であるやうに、 明と化とは不可である。兩の差別における同一を理解することが重なのである。 いつたい化を意味するカルチュアとかクルトゥールとかといふ語の元の意味は耕作といふこ とである。耕作は自然に對して加へられる人爲であるが、すでに技的な程であり、耕作にお ける歩はその技における歩である。そのやうに、あらゆる化は技的である。經濟はも とより、法律や政治の如きにしても、技的なものを含んでゐる。それらを技化することがそ れらの歩であり、それらを技化する求からそれらについての科學は發したのであり、そ れらについての科學の發はそれらの技化を發させたのである。坂潤氏は、科學的と 技的との同一を論じ、その際、反科學的あるひは非科學的なものとして學主義や獻學 主義を擧げてをられるが、これは解を生じ易い。學にとつても技は對に缺くことので きぬものである。アランやヴァレリイなどが力してゐるやうに、學にも職工と同樣のとこ ろ、ち技の得が必である。もとより科學と學とは同じでないやうに、兩の技には 相があるけれども、そのにおいては似してゐる。また獻學に至つては、それ自身一個 の科學として、多くの技的素を含み、かやうな技の發と共に獻學は一個の科學となり 得たのである。もちろん獻學の如き科學もしくは化科學と稱せられるものと自然科學と の間には性質上の差別があるであらう。しかし重なことは、兩の差別における同一を理解す 四六五 ることである。かやうにして、技の意味を廣く取れば、あらゆる化は本質的に技的である 技と化 四六六 と云ふことができ、また云はねばならぬ。政治的技と工業的技、自然科學的技と獻學的 技、にそれらと學的技との間には種々の差異がある、しかしそれらはいづれも技的と 云はれ得る共のものをもつてゐるのである。 なほんで考へれば、すべて生命あるものは技的であると云ふこともできるであらう。生物 のも、ダーウィンなどの考へるやうに、境に對する應の仕方に制約されてをり、かやう な應の仕方はすべて技的であると見ることができる。アリストテレスは自然は技的である と云つたが、自然も「自然の技」をもつてゐる。自然の技と人間の技との差異は、生物に おいてはその技が有機的な「官」と結び附いてゐるに反して、人間の技は機械的な「」 を作り且つこれを用するといふところにある。人間は「を作る動物」であるといふのはフ ランクリンの有名な定義である。かくの如き差異は人間が動物にはない科學をもつてゐるといふ ことに關係してゐる。動物の技が本能的であるに反して、人間の技は知性的である。化は すべて知性的な技を基礎としなければならぬ。 二 ところで人間が科學をもつてゐるのは物を客觀的に見ることができるためである、言ひ換へれ ば、物を距離において眺めることができるためである。しかるに人間がかやうに客觀的であり得 るのは、たとひ的に聞えるにしても、人間が主觀的であるがためである。動物は境と融合 的に生きてゐる、その生き方はいはば純粹に自然的客觀的である。これに反し人間は主觀として 境に對して獨立し、かくしてまた境を純粹に客觀的に捉へることができる。しかるに人間は かやうに主觀的なものであるだけ、客觀的なものとの統一を求めようとする求もそれだけ大き い。この統一は人間においては直接的に行はれるのでなく、技的に行はれるのである。技と は、その一般的本質において、主觀的なものと客觀的なものとの統一である。技はつねに物の 客觀的な識、ち科學を提してゐる。それが技の第一の素である。しかし第二に、技 は人間の主觀的な目的を豫想してゐる。主觀的な目的と客觀的な程とを結合し統一するものが 技である。その新しい統一をえず求めるものとして技の本質は「發明」である。自然法則 は發明されるものでなく「發見」されるものである。自然法則は、それが發見された瞬間から存 在し始めるのではなく、その以からつねにに存在してゐたのであり、ただひ隱されてゐた 四六七 ものがその時初めて顯はにされたまでである。これに反し技は嘗て存在しなかつたもの、新し 技と化 四六八 いものをこの世に齎すことであり、發明的、創的であると云はれる。しかも第三に、技は物 を變化することである。主觀的なものと客觀的なものとの綜合は技において物を變化すること によつて實現される。技は觀想的でなくて實踐的である。物を變化する技は物の法則に從は なければならぬ。ベーコンの云つたやうに、自然は從することによつてのほか征されないの であ る 。 技と科學との關係については色々論ぜられてゐる。兩はもとより抽象的に區別さるべきも のでない。技が科學を豫想するやうに、科學も技と結合してゐる。科學は多くの場合、技 的課題の中から生れる。科學の發は技の發に制約される、顯鏡や望鏡の發明なしには 代科學の發は考へられない。科學は方法的な究でなければならぬといふ意味においてすで に科學は技的である。また科學は實證的であることをし、實驗的に確かめられることが必 で あ る。 し か る に 實 驗 は 一 つ の 實 踐 で あ り、 そ の 大 規 模 の も の が 業 で あ り、 業 は 技 的 である。 かやうにして科學と技とは不離の關係にあるけれども、兩はまた區別されることができ る。科學の求めるものは物の因果關係についての識である。現代物理學は因果律について昔の やうには考へなくなつたにしても、因果性の原理を排棄したものとは見られない。科學の原理は 因果論であるが、技はこれに止まらない。技は物の客觀的な因果關係を人間の主觀的な目的 に結合するものである。從つて技の原理は目的論(テレオロジー)であり、正確に云へば、エ ンゲルハルトもべてゐる如く、因果論と目的論との統一が技の本質である。技の特性が目 的念に存することは多くの人々によつて主張されてゐる。すでにエイトは、「技とは人間の 意志に物體的形態を與へるすべてのものである」、と云ひ、またシュナイダーに依れば、技と は「人間的目的のために自然の形態や素材を工作的活動によつて變化すること」である。クレイ ンもまた技と科學との區別を論じ、用財の生に關はる技の明にとつては因果性といふ 悟性の形式だけでは不十であり、そこではろ目的が第一的なものであつて、目的論は因果 論 の 上 に 位 し、 個 々 の 因 果 的 に 規 定 さ れ た 自 然 程 を 合 目 的 的 生 の 枠 に 嵌 め む と べ て ゐ る。 技は因果論と目的論との統一である。因果論と目的論とは如何にして和し得るかといふこ とは、古來、哲學の最も大きな問題の一つであつた。科學は因果論のために目的論をく破壞し 四六九 てしまふやうに考へられた。しかるに技は因果論と目的論との統一の問題を現實的に解決して 技と化 四七〇 ゐる。技の哲學は新しい哲學の出發點であり、基礎とならねばならぬであらう。 人間は自の作つたものを最もよく理解し得る、といふのはヴィコの識論の根本命題であ る。かくてヴィコは、は人間の作るものであり、從つてについての識は、人間が作る のでない自然についての識よりも一確實である、とべた。しかるに技は物を作るもので あり、自然科學は技の提として技に結び附くことによつて自己の識の確實性を日々に證 しつつあるのである。も化も人間によつて作られるものとしてその基礎にはつねに技が 横た は つ て ゐ る 。 三 かやうにして技が因果論と目的論との統一であるとするならば、その化的意義はおのづか ら明瞭であらう。技は客觀的なものと主觀的なものとの統一であるが、この統一をじてせ られるのは主觀的なものの支配であり、の權利である。この主觀的なものは固より單に主觀 的なものであり得ない。單に主觀的な目的は客觀的な法則によつて直ちに碎され、かくして主 觀的なものと客觀的なものとの統一としての技は實現されることができぬ。技はろ人間が 彼等の主觀的な目的を制御して、これを客觀的な法則に合致させるやうに育するのである。發 明家の天才もこの點において決して肆意的であり得ない。それのみでなく、發明家の立てる技 的目的は單に個人的なものでなく、その時代の會のうちに與へられてゐる技的課題によつて 制約されてゐるのが普である。しかしながら目的は、それが會的なものである場合において も、目的として決して單に客觀的なものでなく、却てどこまでも主觀的なものの意味をもつてゐ る。かかる主觀的なものと客觀的なものとの綜合を求めるのが技であり、しかもこの綜合の 程をじて實現されるのはつねに主觀的なものの支配である。技は自由を實現する。技のイ デーは自由であると云ふことができる。かやうにして技は化のイデーと一致してゐる。 技は自然に對する人間の支配を可能ならしめることによつて、人間を自由にする。技は自 然を變化することによつて、人間が彼等自身の作つた新しい境のうちに棲むことを可能ならし める。眞の自由は決して單に主觀的なものでなく、ろ技的に、言ひ換へれば、主觀的なもの と客觀的なものとの綜合をじての主觀的なものの支配として實現され得るものである。ヴェン トは云つてゐる、「すべての人格的並びに政治的自由は土地有の古くなつた勢力からの解放と 四七一 して生長するものであり、それ故にただ技を基礎としてのみ可能である」。技の發展なしに 技と化 四七二 は政治的自由の發展も考へられないであらう。技は新しい奴隷を生ぜしめるといふ非に對し て、クレインは、勞働においても技はより高い人間的な性質を解放する、なぜなら機械は すべての機械的な仕事を引受け、勞働はには機械の的な、批的な指となるから、 と云つてゐる。かくの如く自由を實現するものとして技は化のイデーと完に一致する。從 つて技が化の手段であるといふことも外面的に考へらるべきではない。主觀的なものを客觀 的なものと媒介する限りにおいては、技は主觀的なものに對して手段であると見られるが、し かしこの媒介的統一をじて實現されるのはつねに主觀的なものの眞に現實的な自由であるとい ふ意味においては、技のイデーは化のイデーである。 技は人間の人格的完に對しても善き育である。それは人間が肆意的であること、單に 主觀的であることを戒める、それはまた人間の誠實を求する、技的程においてはあらゆる は直ちに復讐される。そして誠實に對する育は技的活動とつねに結び附いてゐる責任の 觀念をめるのである。技は人格育にとつても重な意味をもつてゐる。 技は人間を機械的に、從つて非人格的にするといふ非は最も々聞かれるものである。 ラッセルは科學的氣質と科學的技とを區別して、のやうに論じてゐる。科學的氣質は用心深 く、また試驗的である。それは體の眞理を知つてゐるとは考へないし、その最も善い知識です らが完に眞であるとは考へない。それはあらゆるが早訂正される必のあること、そして この必な訂正が究の自由と討論の自由とを求することを知つてゐる。ところが理論的科學 から出た科學的技は理論の試驗性を有しない。物理學は現世紀において相對性原理や量子論に よつて革命されたが、舊い物理學を基礎としたすべての發明が今なほ滿足に思はれてゐる。工業 及び日常生活への電氣の應用は六十年以上もに發表されたマックスウェルの作を基礎として ゐる。かやうにして科學的技を用する技師は、また技師を用する政府や大工場はにそれ 以上に、科學とはく別の氣質を獲得する。ちこの氣質は無際限な力の、大な確信の、そ して人間的材料の操縱すらにおける快樂の、感覺に充たされてゐる。しかしながらラッセルのか やうな非は、技を單に工場的生においてのみ見て、技の本質が發明にあることを見ず、 發明家の心理を考へないことに基いてゐる。發明家は用心深く、また試驗的である。彼は科學 以上に懷疑的になることもあるであらう。工場的生についても「企業家」の純粹なタイプは ラッセルの云ふが如きものではないであらう。そのうへ工場的生は純粹に技的な目的を求 四七三 するものでなく、會的に規定されてをり、從つて本主義會においては利潤の求によつて 技と化 四七四 制約されてゐることを考へなければならぬ。實際、技に對してなされる多くの非は技その ものの制約よりも會的制約に基いてゐる。例へば、技の發は人間を機械の奴隷にすると云 はれる。それは何故であるか。機械の發は業の發を促し、各人は單に部的勞働に從事す ることになり、そのことは人間の人格的な發を不可能にする。確かにそのりであらう。し かし若し各人の勞働時間が短縮されるやうになれば彼等は餘剩の時間をもつて自己の專門以外の 種々なる活動に自由に從事し、自己の好むが儘の養を快に求めることができる筈である。し かも技の發のみが人間の勞働を輕減し得るのである。現在、技の大きな發にも拘らず、 人間が非人間的にされてゐるのは技の罪であるといふよりも、主として技のおかれてゐる 會的制約に基いてゐる。技をかやうな會的制約から解放して、その效果を十に發揮させる ことが必である。しかもかやうな會的制約からの解放は、會についての科學的な究に基 いて、技的に行はれねばならぬ。會的政治的實踐も技を離れることができない。かくて 化はそのあらゆる方面において本質的に技的である。 戰爭と化 ——1937.11.11 〜 『中外業新報』 13 戰爭は化に對して先づ現象的に種々の影を及ぼすものである。否むしろ、化が「現象的」 になるといふことが戰爭の化に與へる最初の影である。これは戰爭とはいはれない支事變 においてすでに見られることである。 化が現象的になるといふのは如何なる意味であるか。現象的といふ言葉は本質的といふ言葉 に對してゐる。化が現象的になるといふのはその本質的なものが隱されること、或ひは失はれ るこ と で あ る 。 日の新聞を見ても、今日ほど新聞が現象的になつたことはないであらう。そのセンセイショ ナリズムは頂點に立つてゐる。しかし我々の最も知りたいこと、事件の最も本質的なものについ ては殆ど傳へてくれないのである。新聞はその本來の機能からして現象的になつてゐる。 四七五 壇や論壇を見ても、從來論じられて來たところの、また新たに現はれたところの本質的な問 題はもはや殆ど取扱はれなくなつてゐる。否、そこにはもはや「問題」といふべきものがなくな 戰爭と化 四七六 つてゐる、見られるのは殆どすべて現象のみである。なぜなら問題は、現象についてその本質が 何であるかと問ふとき、或ひは現象について本質的な批判を行ふとき、初めて現れるのである が、かやうな批判も本質論も戰爭においては隱れてしまふのである。 もちろん戰爭がすべての問題を一時になくしてしまふわけではないであらう。今度の事變にし ても、決して單に發的に起つた現象であるのでなく、問題はすでに以からあつたのであり、 ある意味においては以からの問題の長にぎぬ。戰爭といふ現象の目新しさに心を奪はれて し ま つ て、 そ れ に よ つ て 從 來 の 問 題 が 何 處 か へ 吹 つ 飛 ん で し ま つ た か の や う に 考 へ て は な ら な い。戰爭はに新しい問題をつてくるであらう。しかし我々にへられるのはたいてい現象だ けであつてその本質的なものでない。例へば今度、學が上や北支へ出掛けてルポルター ジュを書いてゐる。それらはなるほど讀物としては面白くなくもないが、そこから我々は何か本 質的なものをむことができるであらうか。學に政治眼や經濟眼などを期待するといふので はない、學は學の眼をもつて普の人間には見えない或る本質的なものを見て來て貰ひ たいのである。しかるに彼等の報もやはり現象的に止まつてゐる。 かやうな化の現象化はもとより單に化從事の眼が戰爭のために眩んでしまふ結果ではな い。その原因はむしろ他にあるのである。それは戰爭にふ統制の化である。如何なる統制に も拘らず事件は取上げねばならない、誰もそれについて知りたがつてゐる。かやうな場合その取 扱ひ方はおのづから現象的とならざるを得ないのである。そこには戰爭によつて不安にされた心 がセンセイショナルなものを求めるといふ傾向も働いてゐなくはなからう、そしてセンセイショ ナルなものは人々の心をしてにセンセイショナルなものを欲するやうにする。しかし化の現 象化の一本質的な原因は、戰爭によつて化される統制がその手段として宣傳を用ゐるといふ ところにある。そこで戰爭と化の問題はに統制の方面から見られなければならぬ。 戰爭が化に及ぼす影のうち最もしいものは統制の結果として現れる。この統制は化の 生にとつて根本的に求される自由を甚だしく抑壓する。戰爭の經濟的影による化的手 段の缺乏と共に究の自由、發表の自由等は極めて制限される。そこで、從來化的に活動して きた優秀な頭腦の多くが第にをしてゆく。 もとより戰爭が化を必としないのではない。代戰は綜合的であることを特とし、それ は思想戰でもあり、化戰でもある。從つて戰爭は一方において一定の傾向の化を壓すると 四七七 共に、他方において他の一定の傾向の化を宣傳する。宣傳は統制の手段であり、何よりも輿論 戰爭と化 の統制を目的とするものである。 四七八 かくして戰爭歌謠、戰爭學、戰爭劇などが奬勵されるやうになる。その中に自由な直接の感 動から發した優秀な作品がないと云はれないにしても、多くは際物に止り、永的價値を有しな いのがつねである。宣傳學のは化を現象的にし、化意識を皮相化する、かやうな宣傳 學は政治學である。戰爭は政治の訴へる一手段にほかならぬからである、從つてこの時代にお いては、自では單純に戰爭を取扱つてゐるつもりでゐても、現實には政治的效果を有する場合 があることに注意しなければならぬ。嘗てプロレタリア主義のんな當時、それは學を政治化 するものだといふ非があつた。しかるに今日、かやうな非をした或ひはその非に々贊 してゐたが、意識的に或ひは無意識的に學を政治化し始めてゐるといふことが見られない であ ら う か 。 すべての統制が惡いとはいへず、すべての宣傳が惡いともいへない。宣傳は大衆のうちに輿論 として生れつつあつたものを統一し、これに力を與へるといふこともあり得る。しかし宣傳は時 として眞の輿論を抑壓して代りに擬裝的輿論を作り出すものである。かやうな擬裝的輿論を眞の 輿論と間へないことが大切である。このことを注意するのは、我が國においては流行といふも のが特別に大きな力を有する傾向があり、何事にも流行をはうとする人々の擬裝的輿論に隨 することが生じ易いからである。 すべての時期の化がさうでなければならぬと云ふのではないが、今日のやうな時代には、 化は批判的素を必然的に含まざるを得ず、批判的素を含むものにして眞の化と云ふことが できる。しかるに統制を目的とする宣傳は批判的を抑止することに努める。そこで宣傳の んな時代においては化は々批判的になることが必である、ところがこの時代において化 の統制は々加はつてくる。かくして化は破壞される險がある。 戰爭は化にとつて有利なものとは云へぬ。戰爭が化を刺戟し發させることがあるにして も、甚だ局限されてゐる。それも己むを得ぬことであるとすれば、戰爭と化の問題にとつて重 なのは戰後の化の問題である。 戰爭の本質的な影が化上において明瞭に現れて來るのは、だいたい戰後のことである。從 つて化的に重なのは「戰後化」の問題である。このごろ我が國では歐洲大戰當時の化の 有樣がいろいろ紹介されてゐるが、あの戰爭中の現象は記的には重であるにしても、化的 四七九 意義から云へば、いはゆる「戰後學」「戰後哲學」等々が遙かに重性をもつてゐる。 戰爭と化 四八〇 戰爭の初めには戰からの化が或る程度繼される。むろん現象的には戰爭の影が大きく 現れて來るけれども本質的なものにおける變化はそれほど顯はでない。戰爭の本質的な影が見 られるやうになるのは戰後化といふべきものにおいてである。戰爭學などにしても、すぐれ たものが出來るとすれば、戰後のことである。それは戰爭の體の經を見しそれについて反 省し得るやうになつた時において、とりわけ戰爭に直接參加して深い體驗をした人々の手によつ て作られるであらう。戰爭學の如きですら戰後化の問題に屬すると云へる。 戰爭中に表面に現れる化は多かれ少かれ國民的性格を有するものである。何事も自國の立場 から論ぜられる。歐洲大戰の時には各國の名な哲學が自國の立場を辯護するために筆を執つ たものである。この頃の支論を見ても殆どすべてが日本の立場から書かれてゐる。これは特 必ずしも 的な現象であり、讀の注意をすることである。戰爭中の化はかやうに國民的 —— 國民主義的といふことでなく、國民主義以外の立場の人々ですら自國の立場からのみ物を見ると であるが、戰後になると、それが方共の問題や樣相を現して來る。 いふことが特的だ —— これは歐洲大戰後の化を見ればることである。戰後化はかくの如く世界的性格を顯にし て來る傾向をもつてゐる。 かくして戰後における會的政治的發展が如何なるものであるかが、戰爭と化の問題にとつ ても重である。戰爭は政治の訴へる一つの手段であるが、やがてに政治に影し政治を變化 させる。歐洲大戰後にロシヤやドイツに起つた革命はそのしい例である。今度の支事變の如 きも、そのために日本の政治には變化がないにしても、少くとも支の政治に大きな變化の生ず ることは想像され得るところであり、そしてそれがやがて日本の政治にも重な作用を及ぼすこ とになるであらう。戰爭について化的には戰後化が問題であるとすれば、戰爭の影から生 ずる會的政治的發展にえず注目してゆくことが大切である。 戰爭は化人を沈默せしめるであらう。戰爭中に戰爭化として現れるものの多くは現象的で あつて本質的なものではない。しかし沈默してゐるも考へることを止めないであらうし、また 止めてはならない。戰爭は化を不不のものにするにしても、化は永久に不不のもの であるのではない。注目すべきは戰後化であり、化人はこれに對して用意しなければなら ぬ。今は我々は戰爭に對して眼を閉ぢこれまでりの仕事をしてゆき得るかも知れない。しかし 四八一 戰爭の歸結は、それに對しては誰も眼を閉ぢてゐることが不可能になるのである。 戰爭と化 技と大學の育 ——1937.11.29 『藏新聞』 四八二 「人間の自然的素質の規整された發展を助ける手工業技が存在するのを知ることが早ければ 早いだけ人間はそれだけ幸である」とゲーテは書いてゐる。かくの如く技に大きな育的價 値をめたといふことは、ゲーテの育思想における優れた特色の一つである。彼が技と云つ たのは、彼の生活とその時代の況とに相應して、主として手工業的なものを指してゐるが、彼 の言葉は現代の工業的技についても眞であることを失はないであらう。 ゲーテは技の得が何よりも人間そのものの形ち今日育とか人格育とか云はれるも のに對して有する重性を力した。實際、誠實とか、客觀的なものへの從とか、その外種々 の人間的なは、技をじて最もよく學ばれることができるであらう。技育は技の有す る育的價値そのものの上からも重されねばならぬ。人格育と技育とが相反するもので あるかのやうに、或ひはく無關係なものであるかのやうに考へる「主義」の育論は間 つてゐる。人間は境を變化することによつて同時に自己自身を變化するのである。境を變化 することをじてでなければ自己自身を現實に變化し得ないと云へるであらう。 我々の生活は技の基礎の上に立つてゐる。技的活動が休止すれば會生活は破壞されてし まふであらう。今日の會生活にとつて技の有する重な意義をみるならば、大學の育に おいても技が重されねばならぬことは明瞭である。從來の人主義的育思想はとかく技 を輕する傾向がある、工科の如きは大學に屬すべきものでなく、專門學に止まるといふ風に 考へたが、かやうな考へ方は、會の發と共にいよいよ重性を大しつつある技の本質に ついての識を缺くものと云はねばならぬ。人間の存在はどこまでも境における存在である限 り境の形は同時に人間の形を意味し、技と人とは離し得ない。新しい人主義は技 についての根本的な識を含まねばならぬ。 しかし大學は技家を養しなければならぬと云つても、技家にも色々ある。そこには先づ 大工と棟梁といつたやうな區別がめられる。普の大工は學理に依るよりもろ經驗に基い て、ルウティヌに從つて、慣的に、技を行つてゐる。しかるに眞の棟梁は技と共に思惟を 有し、技的程について原因結果の關係の知識を有してゐる。これによつて彼は他の技家を 四八三 指することができる。彼の技は技そのものと思惟との二つの部からつてゐる。大學の 技と大學の育 四八四 育においても存の技の得はもとより大切である。技は熟されるのでなければ、謂は ば慣的なところを有するのでなければ、技としての現實的價値を有しない。技には實地の が大切である。しかし、すべての技は自然法則を基礎としてをり、從つてこの法則の識 における歩は技の歩にとつて必である。そして大學の大學たる以は特にかやうな理論 的方面を重んずるところにある。理論と技とは不可のものであるが、殊に大學の大學として の特色は單に技の得に止まらないで、技に關しても理論を重んずる點になければならぬ。 さもなければ、大學と專門學との區別も不である。思惟と理論の缺乏は大學の本質の喪失を 意味 し て ゐ る 。 技の歩は理論の歩にし得るであらう。技の歩から理論的歸結が引き出されなけれ ばならない。に理論の發展は技の發展を促し得るであらう。理論の發展から技的歸結が き出されなければならない。また技の歩のためには理論における歩をするであらう。技 の歩のために理論的究がめられなければならない。大學の育はこれらの任務に對して 行はれなければならぬ。 時局は多數の技家を必としてゐる。そのために年技育は大いに奬勵されてゐるが、 しかしその反面、自然科學においても理論的究が無される傾向が第にしくなつてゐる。 かやうな跛行態がこのままんでゆけば、やがて技そのものの歩も停頓し、には歩し なければならなくなるであらう。に他方において時世は技の求する科學的と相反する 種々の非合理的思想を蔓せしめつつある。その結果は國家に必なれた技家をも作り得な くなるであらう。技的は科學的を離れてあり得ないのである。 右の如き態に對して技家は無關心であることを許されない。あらゆるものが跛行的である といふことは今日の特であるが、技と理論とが跛行的になつてゆくことに對して、大學はそ の本質に從つて當然理論擁護の立場に立たなければならぬ。かやうな現實に對しても理論的究 に從事するは技家の協同に俟つてゐる。 ところでユニヴァーシティといふ語の意味するやうに、大學は或る意味において普的養の 場でなければならない。この普的養はディレッタンティズムと區別されることが大切であ る。 何 一 つ 眞 に 專 門 的 な 養 を 有 し な い は 眞 に 普 的 な 養 を 有 す る こ と も で き な い で あ ら う。普は特殊と結び付き、特殊をじて現れるものにして眞の普である。技家はディレッ 四八五 タントとまさに反對のものである。ディレッタントとは嚴格な技的訓を有しないのことで 技と大學の育 四八六 ある。技家は專門家である。大學の育はどこまでも專門家を作らねばならぬが、しかし大學 の本質においてにそれ以上のことを求されてゐる。眞の技家は單なる技家以上のもので なければならぬ。彼は自己の特殊の仕事の意味を普のうちにおいて自覺しなければならぬ。か やうな自覺にも種々のものが考へられる。ち一つの技を體の技との關聯において識す ることもそれである、また技と理論との關聯を識する事もそれである。それらはいづれも重 である。しかし今日最も重なことは、自己の特殊な仕事の意味を會のうちにおいて自覺す るといふことである。 技はもと人間の生活を向上させるために存するものである。しかるにその技が人間を不幸 にするために用されてゐるやうなことはないか。技は勞働を輕減して、人間が化的に生活 することを可能ならしめるものである。しかし現在實際にそのやうな結果になつてゐるかどう か。技は物を豐富にしてすべての人の生活を豐富にするものである。しかし技の驚くべき 歩にも拘らず今日果してそのやうな態になつてゐるかどうか。これらの問題について現在の 會生活の不幸の原因が技そのものにあるかの如く考へ、そこから反技主義を唱へるといふ が如きことは大きな間ひである。原因は會そのもののうちに、その特定の機のうちにあ る。人間生活の向上に貢獻し得る技がその意義を完に發揮することなく、却つて反對の結果 になつてゐるのは會的原因に基いてゐる。人間はすべて自己の行動の結果について會に對し て責任を有するとすれば、技家として自己の技そのものに對して責任を有することは勿論、 彼は會人として自己の活動の結果について會に對して責任を有してゐる。人間の活動は根本 的に會的である。技家が技の會的意義について反省するといふことは、技がその本質 を制限されることなく發揮するために求されてをり、從つて技家にとつて決して單に外的な ことではない。大學の育は職業に對して準備することを卑しむべきではないけれども、單なる 職業人を作ること以上でなければならぬとすれば、かやうな反省は大學にとつて必である。 かくして大學の育の立つべき新人主義は、技と人との抽象的な離に反對し、そし て.ディレッタンティズムを却けて專門家の意義をすると共に專門家に對して會的自覺、 んで會そのものについての科學的並びに技的識の必を力しなければならぬ。インテ リゲンチャはどこまでも優秀な技家であるべきである。しかし今日の險は、インテリゲン 四八七 チャが專門家として自己の技にのみらうとする傾向が會の困な現實を囘する一つの方 に墮してゆく可能性を生じてゐるといふことである。 技と大學の育 ※字形の統一、「意」「起」「衰」「受」は、旧字と混在していたが新字に統一する。 ※次のカタカナ表記は混在しているが統一せず。「インテリゲンチャ」と「インテリゲンチア」、 「クリチック」と「クリチッシュ」、「ジャーナリズム」と「ヂャーナリズム」、「ヒューマニ スチック」と「ヒューマニスティック」、「ブルジョワ」と「ブルジョア」、「プラグマチズム」 と「プラグマティズム」 ※次の人名は混在しているが統一せず。「ドストイェフスキー」と「ドストイエフスキー」、 四八九 「ニーチェ」と「ニイチェ」、「フッセル」と「フッサール」、「ヤスパース」と「ヤスペルス」、 「ライプニッツ」と「ライプニツ」、「リッカート」と「リッケルト」 後 記 後記 四九〇 第十三巻編集者桝田啓三郎によると、掲載紙誌に従って収録したが、誤植や意味の通じない箇 所などは編者の責任において訂正したとの事である。 「自殺の哲學」は、讀賣新聞の企画で、『女人藝術』派の閨秀新人作家矢田津世子が「死を誘 導するものに就いて —— 三木清氏にお尋ねします」と題して、問うたことに対する回答として書 かれたという。その問いは以下の通り、 「 かつて、ホレエショの哲學を論じて悠久の死の裡に自己を探求していつた藤村操氏は当時流行して ゐたショペンハワア、ニイチェ主義に影された無的哲学だと思ひますが、こんどの三原山噴火 口へ投身自殺した松本貴代子さんは、藤村氏に於けるがやうな哲学的な死ではなく、藤村氏が自然に 対比した人間の無力によつて死へ誘されたのに反し、貴代子さんは、その書によれば、自己闘争、 つまり第一の自我に対比した第二の自我の無力 —— 自我の裂 —— の 問 題 を と り 上 げ て、 そ の 統 一 綜 合へのみちとして死へはしつたものと解釈されます。ち、の場合は、自己の把握したイデオロ ギイを其「自殺の保証人」とせるい統制ある意識をもつてゐたに反し、後の場合は、会的な現 實的な複雑性を反映した矛盾にみちてゐる人間性をくプチブル的に意識することによつてひきおこ 学的な —— はげしい部抗争にたへかねて、死を、それが解手段としてん —— だのではないでせうか。なほ、「自殺の保証人」昌子さんを求めたのも、そのさのためではないで される人間的な せうか。 これを会問題として見る時貴代子さんの方に会的な必然性があるやうに思はれます。藤村氏の 場合と同様、ひとつの流行になるものとしても、そこに本質的な差異があるのではないでせうか。 明徹、三木氏の御批判をおねがひします」 「美時」は新聞学芸部が五つの項目について数人の学に発したアンケートに答えた 章で、その質問の容はのとおりであった。 一、展覧會について。○……現在の會的勢のもとに於てどういふ存在意義をもつてゐるでせう 四九一 か? ○……作品發表機關として、その組織の上に改新さるべき點はないでせうか? 二、美批について。○……現行の謂美批は、何を目標としてなされてゐるのでせうか? 後 記 四九二 技 批、鑑賞批、夫々どれ程の效果があがつてゐるでせうか? ○……新しい會思想、 會生活との關聯に於て、今後どんな形の新しい美批が生るべきでせうか? 三、美家の集團について。○……美家は特殊のサークルをなしてゐますが、その生活意識・ 態度については、何う見られますか? ○……展覧會を離れて、其制作品の持つ會的渉につ いては何うでせう? 四、美ファンについて。○……現在の、美愛好はどういふ會に屬するでせうか? その タイプについて…… ○……美作品は、それらファンによつて何う受け取られてゐるでせう か? 今後の事は何うでせうか? 五、この秋の收穫。○……特に傑出せる作品、及び特に注目すべき傾向について…… 「新語・新イズム解説」は、読売新聞の学芸欄の日曜特輯の依頼により執筆。 「東洋的人間の批判」は、ヒューマニズムのリレー評論で、本稿末尾に、「いろいろ書き足ら なくて前の諸氏にすみませんが、入院中の病人より迎えが来たので、不本意ながらこれで擱筆 に逝去されたとの事。 8.6 して、締め切り時間に間に合わせます。」との附記があるとの事。因みにその病人とは夫人の 事で 、 そ の 執 筆 直 後 「貧困と危機」は、「日本の貧しさ」というテーマのリレー評論で、浅野晃「日本人は何処に 居る?」、中島健蔵「我等に自由を」、林房雄「若葉の心を」の後を受けたもの。 , 19 , 21 , 22 , 23 『讀賣新聞』に発表されたもので、後、 「文化の根源と宗教」は、 1933.9.17 『 神 学 界 』 に 再 録、 そ の 折、 鎌 倉 にお け る 講 演で そ の梗概 と 付記さ れ ている との こと。 1985 年全集第2刷で修正されている。 四九三 「文芸と宗教とプロレタリア 1.1 本巻収録作品のうち、後に単行本に収録されたものは以下の通り、 「如何に宗教を批判するか」と「宗教鬪爭と階級鬪爭」はともに、中外日報東京支局編『マルキ シズムと宗教』( 1930.5.5 刊大鳳閣書房)。なお中外日報紙 運動」(第20巻収録)も同誌に載録されている。 後 記 四九四 「人間再生と文化の課題」と、「教養論の現實的意義」を加筆した「教養論」は共に三木清論文 中央公論社刊) 集『學問と人生』( 1942.3 矢の倉書店刊) 1937.9 「青年に就いて」と、「學生の知能低下に就いて」を改題した「學生に就いて」は共に三木清編 集『 現 代 學 生 論 』 ( なお目次及び標題に初出日を付加する形式にしたのはPDF作成者で、全集版では後記に記されている。 :2008.10.21 岩波書店刊 1967.10.17 作成 日 底本 三 : 木清全集第十三巻 作成 者 石 : 井彰文 修正 日 :2009.4.30; 1字修正「苦」を「若」に。 :2010.11.15; 「技術と文化」 掲載誌不詳を『科学主義工業』。 修正 日