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Summer 1994 No.6

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Summer 1994 No.6
Summer 1994 No.6
ねぶた祭り
青森市の夏の風物詩「ねぶた祭り」には、350万人の観光客が訪れます。幅9m高さ5mの「ねぶた」には、骨組みの
中に600−800個の電球が施され、まわりに和紙が貼られます。和紙の技術の発達が「ねぶた」を支えてきました。
桓武天皇(781−806在位)の時代に坂上田村麿が悪路王を退治したとき使われた大灯籠が起源といわれています。
目次
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オピニオン
核不拡散に「ごね得」を許してはならない
視点
プルトニウムと文明 秋元 勇巳
Letter
国際科学技術センター(ISTC)の現場から 横山 宣彦
プルトニウム8
プルトニウムの国際管理 森口 康孝
冥王星 6
土佐典具帖紙 後藤 茂
サイクルシリーズ
ウラン濃縮
CNFC Infomation
Plutonium Summer 1994 No.6
発行日/1994年7月18日
発行編集人/堀 昌雄
社団法人 原子燃料政策研究会
〒100 東京都千代田区永田町2丁目9番6号
(十全ビル 801号)
TEL 03(3591)2081
FAX 03(3591)2088
会 長
向 坊 隆 元東京大学学長
副会長 (五十音順)
津 島 雄 二 衆議院議員
堀 昌 雄 前衆議院議員
理 事
青 地 哲 男 (財)日本分析センター
専務理事
今 井 隆 吉 元国連ジュネーブ軍縮会議
日本代表部大使
大 嶌 理 森 衆議院議員
大 畠 章 宏 衆議院議員
後 藤 茂 衆議院議員
鈴 木 篤 之 東京大学工学部教授
田名部 匡 省 衆議院議員
中 谷 元 衆議院議員
山 本 有 二 衆議院議員
吉 田 之 久 参議院議員
特別顧問
竹 下 登 衆議院議員
オピニオン
核不拡散に「ごね得」を許してはならない
ここ数年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核兵器開発疑惑が大きな問題となっているが、ここにきて北朝鮮
がIAEA(国際原子力機関)から脱退した。これは、北朝鮮がIAEA査察を拒否して実験用原子炉の燃料棒交換を強行
したことに対し、IAEAが北朝鮮への原子力平和利用のための技術協力停止という制裁措置の決議を行ったことへの
対抗処置である。その後、北朝鮮からの核開発計画を当面凍結するという表明を受け、米朝高官協議再開の検討が行
われており、安全保障理事会における北朝鮮への経済制裁の検討は中断されているものの、このような動きが来年
(1995年)の4月にニューヨークにて開催される核不拡散条約(NPT)再検討・延長会議のゆく末に、微妙な影を投
げかけるだろうと考えると残念でならない。
北朝鮮は、1993年3月にNPT脱退(現在は保留)の発表をして以来、自国に対する核兵器開発疑惑問題を、外交上
の駆け引きの手段に使ってきた。前述したように今回北朝鮮が核開発計画の凍結を発表して米朝協議再開がなされる
ことになったが、北朝鮮の状況は交渉の線上に戻っただけのことである。これから米国と北朝鮮の間ではどのような
やり取りが行われるのだろうか。
北朝鮮が未申告施設に対する特別査察と核兵器開発の永久凍結を受け入れれば、軽水炉への転換支援など経済援助
も米国は約束する、という話もでている。しかしここではっきりさせておきたいのは、米朝二国間での協議におい
て、現在のNPT体制を崩すような条件(NPT加盟国であるのに過去の核兵器開発疑惑は問題としないというようなこ
と)が合意されることは避けるべきである。もしこの米朝協議により、過去の核兵器開発疑惑を解明せずに軽水炉建
設の協力などが合意されるようなことになれば、不平等を承知で世界の平和のためにNPTに参加し、IAEAの包括的
な保障措置(フルスコープ・セーフガード:全ての原子力関連施設を保障措置下におくこと)を受けている非核兵器
国に対して、NPT寄託国である米国はどのように説明するのか。「ごね得」の前例をつくってしまってはNPT体制の
根幹を揺るがすことになるのは自明の理である。北朝鮮に飴を与えることにより国際的枠組みからの離反を阻止しよ
うとすることは問題である。
繰り返すが、北朝鮮の一連の核を背景にした外交交渉に、ほんの少しでも実りを上げてはならない。北朝鮮に、核
兵器開発疑惑は自国にとって何のメリットもなく、逆に国際社会からの孤立がいかに不利益であるかを認識させるこ
とが、今後の核をめぐる世界の新しい秩序にとって大切である。
北朝鮮が国際社会の中で生きていくためには、核兵器開発への疑念を払拭し、NPT加盟国として原子力施設
をIAEA保障措置下に置き、透明性をもたせることが前提で、その後に平和利用への協力についての交渉を行うべき
である。
一方、これら北朝鮮の一連の動きに関連して、日本の立場が引き合いにだされ、日本のプルトニウム平和利用政策
が、各国の一部の関係者に核兵器開発への疑念を連想させている。この疑念に対してわが国はどのように反論するの
か。唯一の被爆国として原爆がいかに恐ろしいものであるかを知っているわが国が、冷静な目でNPTをはじめとする
国際的体制を考え、核兵器国に摺り寄ることなく、国として積極的に核兵器廃絶を主張していくことが第一であろ
う。日本政府が国際司法裁判所へ提出する陳述書に書かれていた「核兵器の使用は違法とは言えない」という記述
が、衆議院の野党代表議員の追求や、内閣内部からの疑問視により削除された。わが国国民の感情、意志からすれ
ば、もし国会でその記述が削除されずに通ったとすれば内閣総辞職レベルの問題である。政府関係者に反省を促した
い。
原子力は軍事利用、平和利用の両面を持つものである。片方は人類を一瞬にして滅亡させるもの、片方は人類存続
のためにエネルギーを供給し続けるものであり、どちらをとるかは現在の私どもの意志にかかっている。核の抑止力
によらない新たな安全保障体制の国際社会をつくることは理想ではない。人類がこの50年の間に開発した核兵器を廃
絶することは、私どもの英知からすればそれほど難しいことではない。 編集長
[No.6 目次へ]
July 18 1994 Copyright (C) 1994 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
視 点
プルトニウムと文明
I.何故プルトニウムか
金とプルトニウム(天使にも悪魔にも)
イオニア都市国家の昔から、金は万国に通用する富の基準として、世界経済を支配してきました。人々は金
を求めて新世界を開き、金のために血と汗を流しました。金の持つ魔力が歴史を作り、文明を開化させたと
いっても過言ではないでしょう。しかし来世紀には、20世紀半ばに発見されたプルトニウムが、人類文明を支
える金にも増して重要な元素となる事を、私は確信しています。
こう申し上げたら、万人を魅惑する金と、万人が毛嫌いするプルトニウムを一
緒にするとは何事だ、とのお叱りが返ってきそうです。確かに現代社会がこの二
つの元素に対し抱いているイメージは、天地の差があります。
秋元 勇巳
三菱マテリアル(株)社長
プルトニウムの不幸は、その巨大なエネルギーの最初の向け先が、長崎の市民
の殺戮であった事に始まります。核抑止力を信奉する人々にとって、プルトニウ
ムは現在でも軍事力のシンボルであり続けています。プルトニウムに血の臭いを
感じとる市民感情も、無理からぬものがあると思います。
しかしアステカやマヤの文明は、それが豊富な黄金の上に成り立っていただけの故に、あっさりと滅ぼされて
しまいました。マルコ・ポーロが、その東方見聞録で、「東の果てに黄金の国あり」と書き記さなかったら、コ
ロンブスの大航海は実現しなかったでしょうが、日本民族にとって極めて幸いだったことに、彼が発見したのは
日本ではありませんでした。コロンブスの新大陸発見以降、中南米には凄絶な収奪と殺戮の嵐が吹き荒れまし
た。これに疫病も加わり、ジャマイカやキューバでは原住民が死に絶えたと言います。人口が不足し始めると、
アフリカ大陸から黒人を移入してまで、過酷な金鉱山の奴隷労働は続けられます。16世紀の非ヨーロッパ人に
とって、金は現代のプルトニウムに増して、恐るべき存在であったことになります。いかなる材料も、それを使
う人間によって天使にも悪魔にもなるのではないでしょうか。
情報革命とエネルギー革命
プルトニウムはエネルギーの塊のような元素です。同じ重さの石炭と比べて、数百万倍のエネルギーを取り出す事が出来ます。百万倍とい
う違いが文明に及ぼす影響のほどはなかなか見当がつけにくいのですが、情報社会では既に実証済みです。1メガのLSIは、今ではあまり珍し
くもなくなりましたが、この小さな部品の中には、昔の真空管に似た働きをする素子が百万個詰まっています。このような技術革新のおかげ
で、われわれは今日、膨大な計算量をこなして複雑な遺伝子構造の神秘に迫り、居ながらにして、しかも瞬時に世界の出来事が判る、情報
ネットワークを持つことになったのです。
プルトニウムは、情報社会が成し遂げた革新を、エネルギーの分野で可能にする物質です。しかし無形
の情報と異なり、人類の生活様式により直接的な関連を持つエネルギーだけに、百万倍がもたらすパラダ
イムの変化を世間に納得し消化してもらうには、大変な努力と時間が必要です。ワットの発明した蒸気機
関は、それまでの動力源であった馬の数十倍の力を出すに過ぎず、理論的にも数千倍が精一杯といった代
物でしたが、それでも産業革命の幕開けをもたらすに充分でした。ここ百数十年のあいだに、日本人の乗
り物は駕篭からジェット旅客機へと大変化を遂げましたが、この二つの乗り物の動力比がようやく百万倍
を越えるのです。
ポテンシャルが大きければ大きいほど、それに抵抗しようとする力も強く働きます。現代文明の進歩が
あまりにも速すぎると感ずる人々や、未だに冷戦構造的な考えから抜け出せない軍事力信奉派の人々に
よって、プルトニウムの回りには多くの悪意ある神話が張り巡らされるようになりました。
II.神話と真実
プルトニウムは人間がつくった元素か
プルトニウムは太陽系の一番外側を回る惑星プルートー(日本では冥王星と訳しますが)にちなんで命名されました。プルートーと聞け
ば、オペラ好きの私などは、すぐ有名なグルックの歌劇の一場面を思い浮かべます。ここではプルートーは、オルフェオの奏でる竪琴の音に
感動して、エウリディーチェを地下の国から解放する、心優しい王の役回りを演じます。面白いことに、ギリシャ神話ではプルートーが支配
する地下の世界は富と豊饒の国で、冥王星の和訳から連想されるいわゆる冥土のイメージとは、かけ離れた存在のようです。プルートーが肩
に掛けた角笛の中には、この有り余る収穫物を、彼が欲するだけ容れることが出来るのだそうです。
プルトニウムは46億年前、金と共に宇宙からやってきました。宇宙に漂っていた破片が渦巻き凝集し
て、地球が誕生したと信じられています。恒星の多くは太陽とおなじく水素の核融合でヘリウムを生成
しつつ、エネルギーを宇宙空間に放出していますが、その寿命が終わりに近づくと、星の温度もますま
す高くなっていき、核融合反応は水素から漸次重い元素へと移り、鉄にまで及びます。金、銀、銅を始
めプルトニウムなど鉄より重い元素は、星が自らの重力に耐えきれなくなり、最後に激しい核反応を起
こし、超新星として爆発する瞬間に生まれるものと考えられています。
放射能は有害無益か(地球は宇宙の放射性廃棄物)
いずれにせよ地球は、今様の言葉でいえば、宇宙における核反応の“放射性廃棄物”が集まって出来
た事になります。私はこの“放射性廃棄物”という言葉が、「電気さえ取り出したら後はみんな廃棄
物」といった、ご都合主義的な考えの産物のような気がして好きではないのですが、この“廃棄物”の
出す放射線エネルギーによって原始地球は熔け始め、中心には重い元素が沈み、外側には軽い元素が浮
かび上がって地核を形成し、現在の地球の原型ができあがりました。
地球なる「放射性廃棄物」は、今なお放射壊変を続けています。46億年の間に、地球誕生時のプルト
ニウムは実質上消滅してしまいました。現在は通常の原子炉反応では生成する事のない、プルトニウ
ム244の痕跡が残っているにすぎません。しかし半減期45億年のウラン238は、誕生時の半分ほどが残っ
ています。原子力技術は、そのままでは使いものにならないこの「宇宙の廃棄物」から、貴重なエネル
ギー資源であるプルトニウムを蘇らせる、現代の錬金術であると言うことが出来ましょう。
地球上の生物は、地球誕生時から生き残ってきた放射能と、宇宙から降り注ぐ放射線に包まれて暮ら
しています。地球上に生命が誕生した頃、環境放射能は、少なくとも現在の3倍以上高いレベルにあり
ました。このような放射線環境下で生命の進化が進行した事実を、放射能を現代の魔女に仕立て上げて
しまった社会は、もっと冷静に見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
生体細胞に放射線が当たると、ある確率で細胞内部に化学反応が起こり、それによって生じたフリーラジカルが、細胞を破壊したり遺伝子
に回復不能のダメージを与えます。これが癌発生のリスクに通じることが、大衆の放射線への恐怖の根元のようです。しかし我々の周辺に、
同じような効果を細胞に与える物質はごまんと存在します。むしろ癌発生のリスクがないと判っている物質を名指すことの方が、はるかに難
かしいといえるでしょう。たとえば我々が普通に呼吸するだけで、空気中の酸素は自然放射能の50倍もの確率で、肺細胞内にフリーラジカル
を生じさせます。
死ぬ機能が失われて、無制限に増殖するようになった細胞がガン細胞であることからも理解できるように、細胞の死は、生体が生命を維持
してゆくために必要なプログラムの一部であり、細胞にダメージを与える原因を、すべて悪と決めつける訳にはゆきません。微量の放射線は
生命体の活性化に益に働く、と考えることも、根拠のない話ではありません。人間の体は50兆の細胞からなり、1秒間に5千万の細胞が死
に、再生されています。環境放射能が引き起こすフリーラジカル数は、この5千分の1、原子力施設などで問題にする公衆被ばく量はこのま
た千分の1以下です。
私は放射線測定器が小型になり、腕時計と同じ程度の値段で気安く買えるようになったらいいなと思っています。気軽に持ち歩いて測って
頂ければ、我々が如何に放射線に囲まれて暮らしているかが判っていただけるのではないか。放射線が太陽光線と同じく我々の生活の一部で
あることが実感されたとき、初めて社会にとって真に実効性のある放射線対策を進める条件が整うことになるのではないかと思っています。
プルトニウムは猛毒か
近ごろはプルトニウムに「猛毒」の枕詞をつけ、恐怖感をいやが上にも増幅させるような報道が流行のようです。しかし世の中には、プル
トニウムより毒性が強く、検出技術や隔離手段の面で・かに問題含みの物質が、これまたごまんとあるのです。
プルトニウムがもっとも危険なのは、1ミクロン程度の微粒子として吸い込まれ、肺に沈着した場合です。しかしこれに似た危険性がある
ベリリウムやアスベスト粉などが、世間に野放しに近い状態に置かれ、吸い込んでも検出が難しいのに比べ、プルトニウムは他の物質には例
を見ないほど厳重に隔離管理されている上、万一漏れたり身体につけば極微量でも検出出来、迅速な対応が可能です。
プルトニウムは通常酸化物の状態で運ばれたり、燃料にされたりしますが、酸化プルトニウムは、セラミック材料の中でも最も水に溶けに
くい部類に属し、その水溶性は我々が日常使う陶器や磁器よりも低いのです。一昨年プルトニウム輸送で世界中が大騒ぎをしたあかつき丸
は、頑丈な二重船腹構造で、しかも注意深く危険な海域を避けて航行を続けました。ごく最近まで、他の物資の輸送にこのような配慮が払わ
れる事は希でした。オイルタンカーによる輸送が如何に事故続きであり、環境に大きな影響を与えてきたかは、アラスカ、ヨーロッパ、そし
てあかつき丸が日本に到着してわずか10日後に起きたシェットランド諸島沖の事件を思い出して頂ければ十分でしょう。一方あかつき丸が運
んだのは、10,000メートルの水深に耐える容器に密閉され、万万が一海に投げ込まれたとしても、海底に沈積するだけで生態系に被害を及ぼ
す恐れもない、酸化プルトニウムでした。
「猛毒」の誤ったイメージ作りに、巧みに利用され踊らされてゆくマスコミの姿には、何度も複雑な思いをさせられたものでした。口当た
りのいいスローガンを安易に受け入れることにより、マスコミはプルトニウムの姿を正しく世間に伝える機会から自らを閉ざしてしまったと
はいえないでしょうか。
原子炉級プルトニウムで原爆はつくれるか(理論と現実)
「素人でもプルトニウムから原爆を作る事が出来る」といった神話もあります。しかし原爆は100万分の1秒レベルの制御を必要とする超精
密装置です。しかも平和利用の軽水型発電炉から得られるプルトニウムの性質
は、原爆用に生産される軍事用プルトニウムと異なり、原爆製造には不向きで
す。世界中で今までに7万発以上の原爆が作られましたが、米ソのような量産
国はもちろん、いわゆる「一発屋」に至るまで、平和利用プルトニウムから原
爆が作られ、あるいは作られようとした例は、わずかに理論的に不可能でない
ことを示すため行われた実験が一例あるのみで、実用的には皆無です。
もちろん軍事転用は理論的には可
能ですから、万が一にもそのような
事が起こらないよう、平和利用プル
トニウムには、他の物質には例を見
ない厳重な管理が施されています。
それでも「“危ない国”が善からぬ
企みをする恐れがあるから、プルト
ニウム平和利用は一切中止せよ」と
言う人々が絶えませんが、これはも
う「気違いに刃物を持たせては危な
いから、刃物をいっさい禁止せよ」
との理屈に通じはしないでしょう
か。こうした議論が、国内で銃を野
放しにして犯罪率増加にあえいでい
る国で特に賑やかなのは、皮肉な感
じさえします。
原爆は国の力の象徴か
昨年春、南アフリカは、かって原
爆を作っていたことを世界に告白し、既に原爆も、その製造施設も、すべて解
体済みである旨公表しました。この決定が、(核大国の圧力があったと
か、IAEAの核査察で秘密が暴露されたとかの理由ではなく、)全く自発的に行
われたことに、原爆をめぐる世界の見方の根本的な変化を読みとることが出来
ます。核兵器を持つことが一流国のシンボルであった時代はとっくに終わり、
原爆は今や、化学兵器や細菌兵器以上に、非人道的で非倫理的な、無用の長物に成り下がってしまいました。湾岸戦争の時でも、イラクに
とって最も脅威だったのは、正確に軍事目標を破壊する制御技術をそなえたロケットであって、使ったら最後世界世論の袋叩きにあうことが
はっきりしている原爆ではなかったのです。
その日のうちに戦場の有り様が茶の間のテレビに映し出される現代では、いかなる理由であっても、またいかなる大国、強国といえども、
世界世論を敵に回して「広島」を再現することはできません。そしてこの原爆を憎む強い世論は、唯一の被爆国である日本がいち早く非核三
原則を確立し、広島、長崎を発信地として、機会あるごとに原爆の非道徳性を訴えてきた、たゆまぬ努力の結果なのです。原爆はもはや、ま
ともな国が関心を持つに値しない、使えぬ武器である。日本はもっとこのことに誇りを持ち、原水爆の全面禁止に向けての働きを強めると共
に、軍事利用の亡霊に煩わされることのない、真の原子力平和利用に自信を持って取り組むべきではないでしょうか。
III.エネルギーと文明:「ヘリオス」の恵みと「プルートー」の恵み
生物としての人類と文明に生きる人類
ところで、地球上に生息している動物の生き方には、その種類を問わず当てはまる一定の法則があります。たとえば、代謝に必要なエネル
ギー消費は体重の4分の3乗に比例するとか、一匹あたりの生息領域は体重に比例するなどですが、この法則に従って、人間を体重60キログ
ラムの恒温動物として計算すると、適正人口密度は0.7平方キロメートルに1人、標準消費エネルギーは1日180ワットという数字が得られま
す。現実の人口密度は、日本では0.7平方キロメートル当たり平均230人、(全世界平均でも30人)、エネルギー消費量も一日4,400ワットと桁
違いの大きさです。人間がもはや生物と同条件では生きられない存在になってしまったことが、この数字からもはっきり判ります。
人類は生態系から出、生態系に属しながら、生態系に埋没しては存
立できない存在です。文明は人間が自然の従属要素であることを止め
た瞬間に始まった、と言ってよいのかもしれません。それでは人類の
文明に、生態系から一歩抽んでるこのような力を与えている、その源
は一体何なのか。しばらくこの問題を掘り下げてみることにしましょ
う。
人類の文明の発達の歴史を辿ってみると、その歩みは決して漸進的
ではなく、突然急激な進歩を遂げたかと思うと、暫く足踏みを続ける
といった、段階的、脈動的な動きをしていることに気がつきます。こ
れは「生きている」システムに共通の特徴なのですが、そのプラトー
を一つ一つの時代として括ってゆきますと、古くは石器時代から、青
銅器、鉄器、更に近代では産業革命に始まる蒸気機関時代、更に自動
車、飛行機の高速交通時代、そして現代の高度情報化時代と続きま
す。産業革命が石炭、高速交通が石油、情報革命がシリコンダイオー
ドの実用化によって、それぞれもたらされた事を考え合わせますと、
時代が次のパラダイムに向けて飛躍するには、新しい地下資源の実用化
が、その必要条件となっている事が判ります。他の生物には許されない
地下資源の有効利用によって、人類は生態系の枠を超えて文明を発展さ
せる鍵を手に入れたのです。
では何故地下資源にはそのような力が秘められているのでしょうか。
天気予報は何故当たらないか(非線形システムの特性)
ここ10年ばかりの間に、複雑で非線形なシステムを取り扱う科学が、
急速に進歩しました。非線形とは、全体の性質がその部分の性質を足し
合わせただけでは表せない、という意味です。宇宙船はいくら構造が複
雑でも、全体は個々の部品から成り立っていて、部品の性質を徹底的に
追及してゆけば全体の姿が判ります。近代科学は我々の周辺の世界をこ
のような線形のシステムと捕らえ、ニュートン、ダーヴィン以来の大発
展を遂げたのですが、最近になって、このようなアプローチでは捕らえ
られない世界が重要な意味を持っていることに、多くの人が気づくよう
になってきました。たとえば生物の脳は、個々のニューロン細胞が外の
世界を認識したり記憶したりするのではなくて、ニューロン同士のつながり、関係の上に外界を認識します。したがって脳を分解してその要
素の性質をいくら追求しても、それから全体の性質は出てこない。これは脳に限らず、我々生命体、それが形作る社会、生態系、地球環境に
も共通して現れる問題です。いくら科学が発達し、計測網が整備されても天気予報が当たらないのは、地球環境が非線形であるからで、予報
官の腕が悪いからではないのです。
最近特に注目を浴びているのは、こうした非線形のシステムが、特定の条件下で示す秩序の問題です。それは結晶体の中の原子の配列に示
されるような硬い固定的な秩序ではなくて、たとえば空に浮かぶいわし雲や、蟻や蜂の作るコロニー、更に根元的には生命現象そのものに示
されるような、柔軟で生成流転する秩序です。
こうしたシステムが、無限のカオスに囲まれながらそこに落ち込むことなく、自らの中で秩序を維持し進化を遂げてゆくためには、絶えず
外部から良質のエネルギーを取り込み、その中から秩序の素(物理学的にはエントロピーの逆数ネゲントロピーという言葉で表しますが)を
吸収しつつ、余ったエネルギーを外界に放出してゆかねばなりません。このようなメカニズムで内部に秩序を形成してゆくシステムを、ノー
ベル化学賞受賞者のイリア・プリゴジンは、散逸構造と名付けています。
散逸構造が外界からの撹乱に対抗して秩序を保ってゆくには、吸収したネゲントロピー
が系内にくまなく行き渡るよう、システム内に相互作用のループが張り巡らされている必
要があります。ループが単純であれば、秩序は空のいわし雲のように、少しの外乱によっ
ても壊れてしまいます。しかし相互作用ループとエネルギーの揺らぎとの関係が適正であ
れば、システムは自らの安定化に向けて自己組織化を始めます。こうしてループの多重
化、階層化が進めば、システムの恒常性(ホメオスタシス)は高まり、エネルギーの揺ら
ぎを積極的に取り込んで、成長、進化する力を備えるようになります。このようにして高
度の自己複製能力を獲得した究極の散逸構造体が、生命体です。
「ヘリオス」の恵みと生態系
地球上の生命体が恒常性を保ちつつ、進化を遂げてゆくために必要な秩序の素(ネゲン
トロピー)は、ほとんど太陽光からもたらされます。太陽光は大層質の高いエネルギー源
で、そのネゲントロピーは光同化作用により有機化合物の形で、地上の植物の体内に取り
込まれます。動物はこれを食べて間接的に太陽光の恩恵に浴し、土壌内の細菌は植物や動
物の死体から、二次的三次的に太陽光のネゲントロピーを取り込みます。生態系では、こ
うした補食関係に留まらず、寄生、共生、或いは蟻や蜂に典型的に見られる社会関係な
ど、多彩なルートを通じて、太陽から与えられるエネルギーとネゲントロピー(舌をかま
ないように、これを擬神化して太陽の神「ヘリオス」の恵みと呼びたいのですが)が、
隅々の生命体にまで満遍なく行き渡るのです。この仕掛けのおかげで、個々の生命体が持
つ恒常性、自己組織能力は、その集合体である生態系に写し取られ、生態系は生命体の上
部の散逸構造として、あたかも一つの生命体であるかのような振る舞いを示すようになり
ます。
こうした関係が生物同士でなく、地球環境のような無生物界との間でも成立すること
に、初めて着目したのはラブロックでした。地上の植物は光同化作用で炭酸ガスを吸っ
て、酸素を大気に放出します。動物は呼吸作用で酸素を吸い、炭酸ガスを大気に放出します。生態系が成立するために大気圏は不可欠の要素
ですが、大気圏はもちろん生命体ではありません。その大気の組成がここ数百万年もの間ほとんど変化せず、しかも生態系がバランスを保つ
に最も都合の良い組成に落ちついているのは何故だろう、とラブロックは考えました。熱力学平衡論の立場から計算すると、地球の大気の組
成は酸素がほとんど無い、火星の大気に似た組成になる筈なのです。
その後の研究で、地球と生態系の関係は極めて多面的、多層的であること、その関係を通じて地球環境自体が恒常性と自己組織性を獲得
し、生態系と相互進化している証拠が、続々と見つかりました。あたかも地球環境が生きているように振る舞う有様を擬人化して、ラブロッ
クは大地の女神「ガイア」と名付けました。「ガイア」は、「ヘリオス」の恵みを直接に受け取るとともに、地上に生を営む生命体からも十
分に吸収して、生態系とともに進化してゆく存在です。我々が地球環境を取り扱うとき、「ガイア」の持つこのような特性を根元から理解し
てかかることが、まず必要なことでしょう。
「プルートー」の恵みと文明
ところで、「ガイア」が散逸構造としての柔軟な秩序を積み上げてゆく上で、「ヘリオ
ス」の恵みとは異なるもう一つのネゲントロピー源が、重要な働きをしていることを忘れて
はいけません。地球の誕生時に地核の深部に閉じこめられた放射性元素から放出される放射
線は、多くの物質にエネルギーとネゲントロピーを与えながら、地熱エネルギーの形で地表
に染みだしてきます。これをギリシャ神話の地下の王者にちなんで、「プルートー」の恵み
と呼ぶことにしましょう。
「プルートー」の恵みは、地表の熱バランスで比較する限り、「ヘリオス」の恵みに比べ
微々たるものですが、地核とのかかわり合いでは圧倒的な力を持ち、造山活動や火山活動を
通じて、長期的に地球の気象環境を支配したり、地表に多量の物質を運んで、地上の生態系
に進化の場を提供したりします。
このような観点から「ガイア」は、「ヘリオス」の恵み、「プルートー」の恵みの両輪の
上に成立した散逸構造と定義づけることが出来ましょう。一方生態系は、ほぼ「ヘリオス」
の恵みの上にのみ乗った散逸構造であり、「ガイア」との相互進化関係を介した極めて受動
的な範囲でしか、「プルートー」の恵みには関与してこなかったと言えましょう。
人類は、「プルートー」の恵みをその営みのために積極的に活用した最初の生物です。地
球深部に広く薄く分布している重金属元素類は、マグマによる鉱床形成活動を通じて、地
・5314内に選別濃縮され、析出してきます。「プルートー」の賜物、鉱物なるネゲントロ
ピー資源は、このようにして誕生します。人類は、他の生物が手に入れることの出来なかっ
たネゲントロピー資源を「プルートー」から授かることによって、新しい散逸構造としての
文明を築き上げ、「ガイア」や生態系と相互進化する地位を確保したのです。
しかしエネルギーに関する限り、従来人類が掘り出して来た地下資源は、純粋な「プルー
トー」の恵みではありませんでした。石炭も石油も、生態圏の生物群によって固定化された
太陽エネルギーが、地・5314深部の高温、高圧によって更に低エントロピー化された資源で、この意味では「ヘリオス」が生んだ恵みであ
り、「プルートー」は育ての親にすぎないということが出来ます。人類が消費した化石燃料の帳尻は、その起源であった生態系で清算されね
ばなりませんが、何分3億年かかって生産されたものをわずか200年余りで使い尽くそうという勢いでは、生態系や「ガイア」に大きな歪みが
生まれるのは当然と言わねばなりません。地球温暖化、酸性雨など、いずれもこのミスマッチングから生じた問題で、扱いようによっては文
明の成立条件を大きく脅かしかねない、危険をはらんでいます。
このような時期に、人類が「ヘリオス」の恵みから独立した巨大なエネルギー源を手にし、原子力平和利用の道を歩みだしたことは、人類
文明にとって偶然以上の幸運であったというほかありません。前にも述べたように、ウラン235やプルトニウムからは、同量の石炭の数百万倍
のエネルギーを取り出すことが出来ます。そのうえ化石燃料が、現在のような使い振りでは、あと数十年の命といわれているのに対し、原子
力は、プルトニウム利用技術さえ確立すれば、現在確認されているだけでも千年以上の資源量を確保しているのです。有史以来初めて与えら
れた、「プルートー」起源のエネルギー資源により、文明は新しい進化を約束されたといえるのです。
再生可能エネルギーの限界
ここでいわゆる「再生可能エネルギー」の文明論的役割について、触れておきたいと思います。太陽光発電、太陽熱利用、風力などの技術
は、本質的に「生態系の知恵」の後追い的性格から免れることが出来ません。豊かとはいえ、気まぐれで薄く分散された太陽エネルギーを有
効に取り込むため、地球上の生物群は数億年をかけて、柔軟で精巧なエネルギー捕集システムを作り上げました。緑葉植物の太陽エネルギー
転換効率は1%にもなりませんが、それによって固定化されたエネルギーの保存性、資源性は極めて高く、また光合成反応は炭素サイクルを
通じてガイアの恒常性保持機能に大きく貢献しています。
一方光転換素子技術の向上により、(あり得ぬことながら)仮に太陽エネルギーが100%電気エネルギーに転換可能になったとしても、植物
との効率比はたかだか100倍程度で、プルトニウムの100万倍には遠く及びません。そのうえ薄く拡がった太陽エネルギーを捕集するためには
巨大な構造物が必要となりますが、その建設、保守に費やされるエネルギーを差し引けば、生物圏の10倍を越える効率のシステムを組み上げ
ることは、現実にはかなり困難でしょう。しかも生態系と太陽光利用システムは、エネルギー取り込み面積の確保をめぐり、(既に文明が生
態系から取り上げてしまったスペースは別として)、競合関係におかれる宿命にあるのです。
もちろんこのような技術も、局所的に利用される、小回りの利く選択肢として開発される価値は十分にあります。しかし次世代の文明を支
えるポテンシャルとの立場からはいかにも不十分であり、これと原子力平和利用技術をトレードオフすることは、到底出来ないのです。
IV.原子力平和利用体系の完結に向けて
100万倍を生かすために
電力中央研究所の内山研究主幹らは、いろいろな発電プラントの、建設運転はもとより、建設資材や、エネルギー資源の採取から後始末ま
でに投入される全エネルギーの総和と、プラントが生産するエネルギーとの収支比を計算しています。図に示されているように、太陽発電は
たかだか投入エネルギーの3から4倍のエネルギーしか生産できないことが判ります。
しかしこの図は同時に、現在の原子力平和利用が抱える問題点を、浮き彫りにしています。現在日本の原子炉で燃やされる燃料のほとんど
は、アメリカかフランスのガス拡散濃縮工場で生産された濃縮ウランを原料にしていますが、その場合のエネルギー総合収支は、なんと石炭
火力プラントより低いのです。これはガス拡散濃縮が、元々核兵器用に、電気使用量には糸目をつけず、開発された技術である事に起因する
問題です。
鯛を釣るために鯛を餌にするような矛盾を解消するため、いろいろな濃縮法が研究されました。たとえば下北の六ヶ所村の濃縮工場で採用
されている遠心法では、ガス拡散法に比べ、濃縮に使われる電気量が大幅に節減できます。しかしこれでもエネルギー収支の最終尻は、石炭
火力の3倍程度の改善です。従来法に比べれば格段の進歩ですが、100万倍のポテンシャルを考えると、まだまだ目標にはほど遠いといわねば
なりません。
この乖離の主原因は、実はウラン235の燃焼に焦点を絞った、現在の軽水炉の仕組みにあります。現在アメリカが採用し、各国にも押しつけ
ようとしている再処理禁止路線では、エネルギー資源の利用率はわずか0.5%程度にしかならないのです。残りはそのまま「高レベル廃棄物」
として処分してしまおうというこの路線は、単に資源の無駄使いであるに止まらず、折角の資源を直接廃棄物に回すことで、社会に二重の損
失を強いることになってしまいます。
「廃棄物」は「資源」である
元来「資源」も「廃棄物」も人間が勝手につくった概念で、天然にそのような区別があるわけではありません。社会が有用性を認め、その
中から価値を引き出そうとすれば「資源」となり、利用する意志を失えば「廃棄物」となります。
軽水炉の中での使命を終えた原子燃料の中に含まれている燃え滓(核分裂生成物)の量は、わずか3から4%で、残り96−7%はプルトニ
ウム、燃え残りのウランなど、立派な資源なのです。当然の事ながら、原子力平和利用は、この使い残しの資源を有効に使い尽くすコンセプ
トをもって始まりました。軽水炉発電は原子力平和利用への入り口であって、決して終点ではなかったのです。使用済み燃料に含まれるウラ
ンやプルトニウムの利用は、当然軽水炉発電に伴うステップであったのです。それが、再処理禁止の使い捨て路線に無理矢理変えられたの
は、カーター政権の時の事でした。核兵器拡散防止のためには平和利用を犠牲にすることも辞さないこうした軍事優先主義は、しかしその後
の原子力平和利用の発展に大きな影を落とす結果となりました。
時のカーター大統領に再処理放棄路線を進言したブレーンたちは、トータルシステムとしての原子力の技術的側面には疎い人たちだったよ
うです。ウランやプルトニウム回収の放棄は、結局肝心の核兵器拡散防止にはあまり役立たず、かえってそれまで原子力平和利用をリードし
てきたアメリカの国際的影響力を大幅に低下させる結果を生んでしまいました。そればかりか、国内のみならず世界の原子力界に混迷を巻き
起こし、ユッカマウンテンの廃棄物処理場問題に象徴されるような袋小路に、米国を追い込んでゆく事となったのです。
今日の原子力発電炉は、エネルギーと同時に不可避的にプルトニウムを生産します。エネルギーだけつまみ食いして、プルトニウムの方は
頬っかむりをするような考えは、元々工業システムとして成立し得ないのです。
プルトニウム無しに原子力平和利用は成立しない
冷戦時代の終結により、世界のプルトニウム観は大幅な変更を迫られる事になりました。大量の核弾頭の解体により、米ロ併せて排出され
る軍事用プルトニウムの量は200トンあまりに上りますが、この取り扱いが大問題なのです。差しあたりは抜き出したプルトニウムの球(これ
をピットといいます)に物理的変形を加えて、貯蔵しておくのだそうですが、これでは最終解決とならないのは自明です。百家争鳴ののち、
アメリカで現在まで生き残っている選択肢は次の三つになりました。第一はガラス固化して長期処分場に埋める、第二は燃料に加工して、特
殊な原子炉で急速に燃焼させる(この際エネルギー効率は問わない)、第三は現有の軽水炉の燃料に加工して燃焼させたのち、再処理或いは
廃棄する、というものです。
この中で有力視されているのは第二、第三の選択肢ですが、このいずれもが、プルトニ
ウムよりエネルギーを取り出すという、アメリカが世界に向かって放棄を要請し続けてい
る路線への回帰を意味する事になるのは、矛盾した話です。更にプルトニウムの燃料加工
技術を育ててきたヨーロッパや日本と異なり、カーター政権の決定により、アメリカがす
べての施設を廃棄してしまっているのも大きな問題です。米国が新たに開発、設計、操業
へと漕ぎ着けるには長い時間が必要とされるでしょう。
皮肉なことに、いま核拡散にとって最も危険な200トンの兵器級プルトニウムの処分の
足を引っ張っているのは、20年前核兵器拡散防止の為として打ち上げられたアメリカの原
子力政策そのものなのです。このような矛盾を引きずっていることは、平和利用一本にプ
ルトニウム計画を進めてきた日本は勿論、フランス、イギリスのような国々にとっても大
変な重荷です。アメリカが冷戦終結の現実をふまえて、一日も早く整合性のある政策に切
り替えてくれるよう切に祈るものです。
「マッチで暖を取る」軽水炉
ところで、今100万キロワット級の発電所を運転しようとしますと、石炭では年間250
万トン必要なところ、原子燃料なら25トンで済みます。しかしこの燃料をつくるには150
トンの天然ウランが必要であり、そのためには5万トンほどの鉱石を掘り出さねばなりま
せん。通常は更に多くの覆土を取り除かねばなりませんから、自然に与える影響は決して
小さいとは言えません。
これだけの思いをして掘り出しな
がら、そのうち本当に燃えてエネル
ギーになるのは、わずか800キログラ
ム程度ですから、残りを使い捨てた
のでは廃棄物ばかりが増えてしまい
ます。ウラン資源もいくら豊富とは
いえ、これでは数十年で使い尽くさ
れてしまう勘定になります。このよ
うな無駄使いは、なりふりかまわぬ
軍事利用の時代であればいざ知ら
ず、いやしくも人類の文明を支えて
ゆく基盤産業の資源利用法として
は、類例のないやり方と言わざるを
得ません。
天然ウランの99.3%を占めるウラ
ンは、そのままではエネルギーに変えることの出来ない、いわば濡れた薪のような存在で
す。薪が炭焼き釜の中で木炭に変わるように、ウラン238は原子炉の中でプルトニウムに
変わる事で、初めて燃料としての価値を持つようになるのです。
現在の軽水炉は、濡れた薪はそのままにして、自然が残しておいてくれたウラン235な
るマッチで暖をとろうとするのに似ています。勿論マッチを燃し続けていれば、まわりの
薪のいくらかは消し炭に変わり、燃えるようになります。事実、軽水炉の中で燃料を燃し
ていると、その寿命の終わり頃には、炉内で生まれたプルトニウムの燃える量の方が、最
初に持ち込んだウラン235のそれより多くなります。原子燃料の全寿命を通じてみれば、
軽水炉からはマッチ役のウラン235に対して、プルトニウム1の割合でエネルギーが取り
出されている勘定になります。しかしアメリカ流のワンス・スルー方式で行けば、結局濡
れた薪の95%以上が、燃え残りの消し炭とともに、「高レベル廃棄物」とされてしまうの
です。
この消し炭を再処理で取り出し、もう一度軽水炉に戻してやろうというのが、いわゆるプルサーマル・リサイクルです。しかし軽水炉は
元々炭焼きには適した炉でなく、燃料の選り好みも激しいので、このようなリサイクルを繰り返していると、プルトニウムは急速に劣化し、
軽水炉では燃せない(従って廃棄物に回さざるを得ない)同位元素が増えてしまうのです。
「濡れた薪」をエネルギーに変える高速炉
高速炉は「濡れた薪」を最も効率よく燃やしてくれる原子炉です。選り好みをする軽水炉では燃えてくれない偶数原子量のプルトニウム
も、高速炉ならうまく燃やせます。それにプルトニウムの劣化も、軽水炉に比べて格段に少なく、自然からの恵みを最も無駄無くエネルギー
に変える能力を備えています。いわば高速炉は「消し炭」ではなく「上質の木炭」を生産し、なおかつそれを効率よく燃やす事の出来る炉な
のです。
このような高速炉の特徴をうまく利用したのが、炉の中心では「木炭」を燃やしながら、外側ではその余熱を利用して「濡れた薪」を乾か
し「木炭」に変えてゆく、二重仕掛けの炉です。このタイプをうまく運転すれば、中心で燃えるプルトニウム以上の量のプルトニウムを、外
側でつくるといった芸当が出来ます。エネルギーを取り出しながらプルトニウムも増やすことが出来るというので、高速増殖炉と呼ばれてい
ますが、これは資源論的立場から見た高速炉の一理想型ではあっても、決して高速炉の総てではありません。
これは世界的に言えることですが、従来の高速炉開発路線では、軽水炉と競合する
炉としての意識ばかりが前面に出て、軽水炉を補完する炉として捕らえる努力に欠け
る恨みがありました。軽水炉は技術的完成度の高い立派な炉です。しかも世界で300
基以上の建設、運転経験に支えられて、その性能は年々伸びています。後発の高速炉
が軽水炉に追いつき追い越そうとしても、複合スキーで日本チームに5分以上のハン
ディをつけられスタートしたノルウェーチームのようなもので、たとえ体力的に勝っ
ていても、簡単に追いつくものではありません。ましてや一方は発電で収益を挙げな
がら着々と経験を増やせるのに、他方はその経験を得るにも開発費がかかるのですか
ら、勝負は明白です。
しかし元来高速炉は軽水炉と競い合い対立する存在ではなく、燃料サイクルの一要
素として、軽水炉の問題点を補い軽水炉と共存する、内包的な存在であった筈なので
す。軽水炉では僅か数パーセントしかエネルギーに変えることの出来なかったプルー
トーの恵みを、軽水炉からしっかり受け継ぎエネルギー化してゆく。高速炉の原点は
そこにあったのです。高速炉は燃料サイクルの前提の上に成立する炉です。増殖率
も、倍増時間も、再処理があって初めて意味をなす数値です。それを単に炉性能を競
う指標としてしまい、サイクル不在のコスト競争を展開しても、高速炉の展望は開け
てきません。
高速炉は本来燃料サイクルのニーズに応じて自在に性能を発揮できる、多面的な器
用さを備えた炉です。プルトニウムを増やすことも、積極的に減らすことも、軽水炉
サイクルでは廃棄物としてしか扱えないTRU(超ウラン元素)を燃やすこともできま
す。このような多面性をふまえ、時代とともに高速炉へのニーズも変わって来ます。
軽水炉が圧倒的な現時点では、プルトニウムは余り気味です。核弾頭解体によって出
てくるプルトニウムも、この傾向に拍車をかけます。このような時代にあっては、核拡散の懸念を払拭するためにも、プルトニウム燃焼炉
や、より広くTRU燃焼炉としての高速炉開発に重点を置くとともに、これに見合った高度再処理技術の開発を並行して進めることが望ましい
と、私は思います。
やがて高速炉の実用化が進んでくれば、プルトニウム不足による建設遅延などの事態が起こらないよう、増殖機能を発揮させる時代もくる
でしょう。しかし無用の疑惑を招かぬ為にも、余分のプルトニウムを抱え込まぬよう、生産と消費のバランスを常に心がける必要がありま
す。時代が要請しているものは何かしっかり見据えながら、燃料サイクルと一体になった炉開発の推進が望まれるゆえんです。
V.21世紀を支える原子力発電
21世紀、人類文明の更なる拡大は不可避です。驚異的な速度で経済成長を遂げつつあるアジア諸国、爆発にも似た人口増加。しかし先進国
並の幸福を求める途上国の人々に我慢を強いる権利も、生まれ落ちる子供らの生活を奪う権利も、我々にはありません。ガイアや生態系との
関係を損なわずに、膨張する文明社会を支えてゆくには、周到な資源、エネルギー計画の遂行と、リサイクル社会の実現が必要不可欠です。
ニュージーランドやイングランドの手懐けられた「自然」や、茶の間のテレビに映し出される演出された「大自然」に馴らされた現代人
に、中世期以前の人類にとっての自然が、いかに苛酷で恐ろしい存在であったかを理解してもらうのは、容易なことではないようです。理性
的な環境保護、資源保護と、心情的な反文明主義、感傷、エゴイズムなどが混線しているところに、現代の環境問題の困難があるようです。
しかし家出少年が故郷を恋うるような、ジャン・ジャック・ルソー以来の、情緒的自然回帰願望や、文明のなかにどっぷり浸かりながら文明
を呪うような、甘えの構造に身をゆだねる暇は、21世紀の人々には残されていないでしょう。
適正なエネルギー量の確保は、人類文明が散逸構造としての柔軟な構造を保持しつつ、「ガイア」や生態系とともに進化してゆくための必
要条件です。途上国が利用しやすいエネルギー資源を残しておくためにも、先進国はより高度のエネルギー資源利用技術の開発に、全力を投
入しなければならないのです。
今まで縷々お話してきたように、原子力発電は、唯一無二のポテンシャルを持った、21世紀の為のパラダイムエネルギー技術です。しかし
全電力量の三分の一を支えるようになった現在でも、トータルシステムとしての原子力はまだ緒についたばかりです。軽水炉技術ばかり進
み、サイクルを積み残した原子力システムは、玄関先ばかり立派な欠陥マンションに似て、人が長く住むに値しません。これを基礎のしっか
りした建築に立て直すキーワードが、プルトニウムです。
原子力が子孫に重いつけを残す束の間のエネルギー技術として、歴史の波の間に消え去るか、21世紀の基盤エネルギーとして文明を支える
重要な役割りを担うか、その鍵はプルトニウムが握っています。そして今後文明が、急増する人口や途上国の伸張を抱えて、なお進化を遂げ
てゆくことが出来るか否かの鍵も、おそらくはプルトニウムが握っているのです。
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July 18 1994 Copyright (C) 1994 Council for Nuclear Fuel Cycle
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Letter
国際科学技術センター(ISTC)の現場から
横山 宣彦 モスクワ・ISTC
旧ソ連時代のメーデーは春の到来を告げる行事でもあったが、ロシア連邦となった現在メーデーの正式行事は一切
なく、連休だけが昔からの惰性で続いている。
しかし、今年はロシア正教の復活祭が5月1日となったため、復活祭を祝うための4連休のような形となった。例
年よりやや早めの春の到来の感じがするが、長い冬を経験するだけに、新緑は制度は変わっても相変わらずまばゆい
ほどの美しさである。吸いがらや空き缶などの投げ捨てが増え、雪どけの後のごみはどうなるのだろうとの心配も
あったが、これはモスクワ市長などのリーダーシップにより市民のボランタリー活動が行われ、約1週間でほとんど
片づいたのにはちょっと驚かされた。これは、昔のようなお上の意向に従ったものではなく、ロシアなりの市民意識
の芽生えと理解したい。
昨年1,000%に達したロシアのインフレーションも、本年はやや鎮静化に向かっている感じであるが、多数に上る
非効率的な国営巨大企業(これには軍需産業の大部分が含まれるがこの点が中国と異なるロシアの経済改革の難しさ
のポイントの一つと思われる)の解体とこれに伴う失業者の発生はこれからの問題であり、改革路線もまた一つの山
にさしかかったと言える。一方ではモスクワの街中、キオスクや立ち売りが並び、商人資本主義の全盛期に入った感
じもするが、花屋や本屋が意外に多く、しかも立ち売りの本屋にはいかがわしい物に混じり、カントの「純粋理性批
判」やヘーゲルの・歴史哲学」が売られているのを見るとロシア版「人はパンのみにて生きるに非ず」の意気を感じ
させられる。
さて、旧ソ連に対する経済支援の一貫として、集中大量破壊兵器関連技術の拡散防止を目的とした国際科学技術セ
ンター(ISTC)設立の構想が出てきたのは1992年の2月、その後5月のリスボンにおける仮調印、11月モスクワで
の本調印、1993年12月末の暫定発行に関するプロトコール調印という諸手続きを踏んで、この3月2日ようや
くISTCも正式に発足する運びとなった。我々にとっては長かった道のりもロシア人に言わせれば「国際機関がこん
な短期間でできたのは信じられないこと」であるし、また「暫定的なものほど永続的なものはない」とのことで、こ
のような発想をもってすれば我々は多大な祝福を受けつつ船出をしたことになる。そもそも暫定発行となったのは、
ロシアの国会であった最高会議(9月にエリツィン大統領により解散させられ、その後武力衝突に向かったことは記
憶に新しい)が必ずしも批准に積極的でなかったことの結果であった。
ISTCの目的とするところは、失業に近い状態におかれているロシア及びその他CIS諸国の核兵器・ミサイルなどの
技術者が、とかくの評判の近隣諸国からの誘いに乗って、その技術の拡散を結果的に行うような行動に走らないよう
にすることである。具体的には現在持っている技術を平和目的に転用するプロジェクトを考案し提出させ、内容的に
優れたものであればそれを財政的に支援し、技術者の定着を計ることにある。このため日、米、欧(EU)の3極が
合計約7千万ドルを拠出することが決まっており、5月初めフィンランドが追加加盟し、さらにスイスなど数カ国が
近く加わることになるはずである。また、当初参加国のロシアに加え、CISサイドからはカザフスタン、ベラルーシ
などが参加申請中である。組織的には独立であり、超ミニ国連とでも言えばご理解を得られ易いかも知れない。現在
詰めているスタッフの母国語は日、英、露、仏、独であり、朝の挨拶も多様である。
プロジェクトの受理は、設立準備委員会の段階で1年以上前から始めているが、これに対応するため、ロシア内部
では原子力省、科学アカデミーなど5部門に委員会が作られ、各プロジェクトはその委員会が予備審査し、それを通
過したものがセンターに提出することになっている。プロジェクトの監査、立ち入り検査などもこの委員会が承認し
たものはロシア政府により保証されることになる。手続き的には、さらに各極の科学諮問委員に対し専門的見地から
の意見を求め、その上で運営理事会にかけられ採否が決められることになる。3月中旬開催された第1回理事会で
は、こうしてまとめられた第1波プロジェクトから23のプロジェクトが承認され、現在事務局は契約書作成に追われ
ている段階にある。5月24日には第1号の契約の調印が行われ、これが刺激となり順次契約が成立していくはずであ
る。
ISTCの定款、組織、人事、当初予算などもこの理事会により承認されているが、なにせモスクワの中心からかな
り離れたところに位置する「暫定事務所」(これも結局は永続性のある事務所になるらしい)の改装工事すら遅れに
遅れている状態であり、満足な机、書棚もなく、各個人が持っているパソコンを動員し、遅くて故障がちなコピー機
をだましだまし使ったりの悪戦苦闘が続いている。人員的にも西側からの派遣予定者は約7割方充足され、3極から
9人が現在派遣されているが、ロシア側は予算措置、その他の問題から5月末現在で若干名を除きまだほとんど決定
されていない。
個々のプロジェクトについては、知的所有権の問題も絡んでくるのでここでは立ち入った事は差し控えざるを得な
いが、ISTCの協定の中で強調されている三分野、すなわち原子力安全、エネルギー生産そして環境問題に関連した
プロジェクトが6割近くを占め、そのほか医療、コンピュータ・通信関連、さらにはロシア固有の問題をロシアの技
術を使うことにより経済的に実行可能な物にしようという類のプロジェクトもある。プルトニウム、高速炉に関する
提案もあるが、これは微妙な問題でもある。また、これまでの廃棄物垂れ流し状態におかれていた環境問題について
も、積極的に対処しようとのアイディアも出てきている。ともあれこれまで西側の世界からは隔離状態にあった人た
ちであるから、何が売れ筋かなどという発想には程遠く、交流を深め、市場経済を肌で感じてもらうのも一つの課題
であろう。大方の意見では実行されるプロジェクトのうち1割前後は市場性のあるパテント、ノウハウにつながるの
ではないかとの期待である。ロシアでも国際慣行に即したパテント法が最近採択されているが、この分野のインフラ
整備もまだまだであり、今後パテント申請などについても西側からの支援を必要としよう。現在300を越すプロジェ
クトがパイプラインにある。あるいは数年後にはこの内のいくつかは我々の生活に身近に関わっているものになって
いるかも知れない、などとたまには考えたくなる。
革命後70余年にわたりボタンの掛け違いを続けてきた国であるから、中には天才的ひらめきを極めた生産技術もあ
るが、これまで実現した新技術の大部分は量的拡大のみをめざしたものに過ぎず、質的な向上を伴う技術は制度的に
排他されるのが常態であり、西側の技術革新から大きく遅れをとってしまっていることはご存知の通りである。電子
技術を中心とするハイテク分野では勿論、重厚長大部門でもたとえば鉄鋼生産で自分が開発した連続鋳造技術をつい
にものにすることができなかったことなど、一つの伝説化されたエピソードである。ISTCの構想には、これまで機
密軍事技術開発を担当してきたトップクラスの科学者・技術者を民需技術分野に「配置転換」することにより、技術
移転を通じロシア及びその他CIS諸国の経済改革、市場経済化への努力への一助とする意図も含まれている。勿論、
このような目的が短期間で達成される事は不可能であり、相当長い目で見ていく必要があろう。
この4月下旬には閉鎖都市の1つであるチェリアビンスク70を訪れる機会を得た。研究所を中心に約7万人が生活
し、現在でも隔離状態にあることは変わりないが、かつてのような潤沢な予算配分は全く期待できず、生き残りをか
けて軍民転換を計らざるを得ない現実があった。特に多くの人々が、住宅を含め生活の基盤をこの閉鎖都市において
いるため、失業問題が発生すればきわめて深刻である。つい最近までは、ほかと比べ極めて優遇されて来ているだけ
に現実の重みを感じさせられていくはずである。それだけISTCに寄せる期待も大きく、熱のこもった視線を感じさ
せられた。
ISTCが発足したことにより、対ロシア支援の選択肢もわずかではあるが広まったことになる。魂をいれる作業は
これからであり、これには皆様からの様々なご意見を取り入れていくことが不可欠と考えている。
[No.6 目次へ]
July 18 1994 Copyright (C) 1994 Council for Nuclear Fuel Cycle
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シリーズ・プルトニウム 8
プルトニウムの国際管理
森口 泰孝
科学技術庁・原子力局核燃料課長
プルトニウムの管理が国際的な関心事となっておりますが、現在、IAEA(国際原子力機関)を中心に、平和利用のプ
ルトニウム、核兵器を解体して出てくるプルトニウムなどをどのように管理していくか、その枠組みを検討する会合
が数回開催されております。プルトニウムの平和利用を進めているわが国としても、今後のプルトニウムの国際管理
のあり方について、科学技術庁を中心に検討し、IAEAの会合にその国際管理の案を提案しております。
今回は、この問題にわが国で中心的な役割を担っておられる、科学技術庁の森口氏をお招きし、研究会を開催しま
した。(編集部)
プルトニウム管理の国際的枠組みが必要
プルトニウムの平和利用に関する国際的枠組みの検討が、どうして始まったかということですが、一つは冷戦が終
わり、核兵器を解体してプルトニウム、あるいは高濃縮ウランが大量に出てくるということが言われております。プ
ルトニウムだけをみましても、核兵器の解体により米国、ロシアそれぞれ大体100トンくらいは出てくるであろうと
言われております。平和利用のプルトニウム、これは原子炉で燃やした燃料を再処理して出てくるもので、日本では
全て原子炉で使っていく見通しがありますが、例えばイギリスとか、ロシアではそのようなプルトニウムに少し余剰
が出るのではないかということも言われております。そのようなことからプルトニウムが余るのではないかとの国際
的な懸念があります。
そういうことを踏まえて、IAEA(国際原子力機関)が1992年の12月に関係国を集めてプルトニウムに関する非公
式の会議を開催しました。関係国といいますのは核兵器国である米国、ロシア、中国、フランス、イギリス、非核兵
器国の日本、ドイツの7ヵ国です。これらの国がプルトニウムを扱うという意味では主要国になるわけです。会議の
結果として、プルトニウムを扱うために何らかの国際的な枠組みが必要であることが認識されました。ただ、アメリ
カ、ロシアは、核兵器から出てくるプルトニウムについて、そのような国際的な枠組みの対象としてほしくない、米
ロの二国間の問題として扱いたい、そういうことを当時は言っていました。
その後アメリカは、昨年9月に、クリントン大統領が新しい核不拡散政策を出しました。そのような情勢の中でプ
ルトニウム、あるいは高濃縮ウランの蓄積は制限する必要があるということを言っています。核兵器を解体して出て
きたプルトニウムについても、アメリカはIAEAの保障措置を受ける用意があるということを言っておりまして、一
昨年の非公式会合に比べますと、プルトニウムあるいは高濃縮ウランについて、何らかの管理が必要という認識が高
まってきたわけです。
そういう状況を踏まえまして、わが国としては、昨年の7月に科学技術庁に非公式の検討委員会をつくり、国際管
理のあり方についての検討を進め、中間的な報告を昨年9月に発表しました。その内容としては、プルトニウム管理
においてプルトニウムの平和利用を阻害することは基本的に好ましくなく、プルトニウムの平和利用がスムーズにい
くという意味でのプルトニウムの管理についていろいろ議論したわけです。そのポイントとして、プルトニウム平和
利用についてその透明性を高める、データを公開することによって、何らやましいことはしていないということを世
界中に明らかにするようなシステムをつくれば、それは一挙両得といいますか、まさしくプルトニウムをしっかり国
際的な監視の目の中で管理したことにもなるし、理解も得られるのではないかということです。
そのようなことを主眼にして、プルトニウムの平和利用活動の透明性を高めるということが一つと、国際管理を行
う以上は、軍事用でないプルトニウムについては核兵器の解体によって生じたプルトニウムも含め核兵器国、非核兵
器国の差別なく平等に管理しよう、データを公開しよう、そういうことを行えば理解が得られるのではないかと報告
書をまとめたわけです。
プルトニウム利用には透明性が重要
IAEAの総会が毎年9月に開かれますが、昨年のIAEAの総会で科学技術庁長官がわが国の政府代表演説を行った際
に、国際的な枠組みの創設について日本としても国際的役割を果たしたいということを言いました。
それを踏まえて昨年の11月に2回目のIAEAのプルトニウムに関する
非公式会合がありました。そこで前回と同じ7ヵ国が集まって議論し
て、日本からは科学技術庁案をベースとした提案をしました。提案内
容はおおむね賛同が得られたと思っております。まず透明性の確保と
いうことが非常に重要で、そのためにはプルトニウムの使用状況と
か、管理状況のデータを公開するということは大事なことだという点
で認識の一致がありました。もう一点は、平和利用のプルトニウムに
ついては、核兵器国であろうと、非核兵器国であろうと平等に扱いま
しょう、そういうことも大体認識として一致しました。また、解体し
たプルトニウムをしっかりとテロから守ったり、あるいは安全性を確
保する、そういう意味でのことも大事だという認識になりました。
こういう枠組みをつくる場合のやり方はいろいろあります。例えば
国際条約や二国間協定といった国際約束の他、紳士協定といいまして
特に法的義務は負わないんですが、お互いの国が共通の政策を宣言し
あってみんなで守りましょうというような、比較的緩い形の枠組みが
あるわけです。実際に始める場合に、国際約束ということになります
森口康孝氏
と、例えば、NPT条約のようなものを期待すると時間ばかりかかっ
て、いつできるかわからないということで、まずは紳士協定的な緩やかなソフトな枠組みで始めましょう。そういう
ことで大体一致しました。
昨年11月の非公式会合で、大体大枠は固まったのですが、その後の検討をどうするかということについて
は、IAEAというのは国際機関で、参加国は百数十ヵ国あって、その内7ヵ国だけがIAEA主催で集まるということで
は他の国に対して問題になります。そこでとりあえずプルトニウムに関係の深い国が集まって議論しようということ
になり、IAEA主催ではなくて、関係国のイニシアティブで会合を開くことになり、7ヵ国にベルギー、スイスを加
えて今年の2月に会議を開いております。
この会合では、参加国の新しい組み合わせということもありましたので、具体的な議論よりは今後の進め方につい
ての議論が中心となりました。そこでは、来年4∼5月に核不拡散条約(NPT)の再検討・延長会議、5年毎の見直
しとちょうど25年で最初の期限を迎えますが、それ以降どうするかという非常に重要な会議があるわけですが、その
来年の会議をターゲットに何らかのものをまとめましょう、その際の一つの成果として報告できるようにしようとい
うことになりました。それまでにはIAEAの理事会が年4、5回ありますから、その前後にウィーンで会合を開けば
いいでしょうということで、今年はイギリスが議長を務めることとなり、次の会合は6月4日に開催されることにな
りました。
プルトニウムの国際管理についての枠組みは、物理的な管理はそのプルトニウムが置かれる各国がもちろん行って
いますし、その管理データを公開し、みんなの目にさらすことによって、プルトニウムが平和利用以外に使われてい
ないということを明らかにしていこうということです。さらに、具体的なデータのチェックは、IAEAの保障措置が
あるので、これをみんなで受けましょう。核兵器国は、今までIAEAの保障措置をボランティアでしか受けてなかっ
たわけですが、今後は平和利用については核兵器国であろうとプルトニウムの保障措置を受けてもらいましょう。そ
ういう保障のもとに各国がデータを公表して、それによって世の中の国際的な理解を得よう、そういう制度を考えよ
うということです。
余剰プルトニウムを持たない
具体的な提案としては、「プルトニウム使用に関する透明性を向上させるための国際的枠組み」をわが国から各国
に提案しております。今後の議論のポイントとして、アメリカは、「透明性を高めるための枠組みは非常に大事だと
思う。ただし、こういう制度をつくってプルトニウム利用がどんどん進むのは困る。そういう意味で少なくとも余剰
プルトニウムは持たないように制限するという趣旨をこの中に盛り込むべきだ。それがないとこの制度はプルトニウ
ムの利用を促進するためだけの制度であるということになる。」と言っているわけです。日本としては余剰プルトニ
ウムを持たないと言っているので、そういう趣旨が入っても構わないのですが、なるべく縛りのないものにしたいと
している国もあります。その辺をどのように調整するかが、この制度がうまくできるかどうかのポイントになってい
るという状況です。
編集長 プルトニウムの国際管理の問題は、相手を信用するという原則を各々の国が守るということ以外には、いく
ら紙に書いてみても、約束をしてみても、国内での管理ですから、国外からいろいろと言いようがないことです。こ
のような問題は、結果として何かが起きたときに問題が出てくると思います。まさに常識を待つというか、紳士的な
遵守義務というものが要求されていることです。この枠組みに各国がどう応えるかという問題ではないでしょうか。
ヨットレースというものはイギリスで始まったものだと思いますが、非常にフェアなスポーツです。あの広い海の
中で、ブイを回るときにヨットがそのブイに接触したかどうかなどは遠くから見ていても判りません。しかし、自分
たちの船が接触したらそこでギブ・アップして帰って来ます。そのようにヨットレースというのは自主規制といいま
すか、セルフ・コントロールを大切にしています。そのスピリットが完全に履行されない限り、このプルトニウムの
国際管理問題は実現が難しい。しかし、人類のために当然やらなければいけないことだと思います。核兵器国と非核
兵器国とでは相当条件が違いますので、日本のような被爆国が特にその枠組みを厳しく考える必要があります。
森口 NPTのような体系では、核兵器国と非核兵器国では言うまでもなく厳然たる差別があります。しかし、プルト
ニウムの平和利用の問題については、平等にやりましょう、そうしないとみんながついてきませんからということで
す。そういうことでプルトニウムの平和利用についてはみんな区別なく保障措置をしっかり受けてもらいましょうと
話し合っています。そこは核兵器国も、それなりに理解は示しているのです。そのような状況にあると思います。
もちろん、この制度自体は透明性確保ということで自主的な制度の下で、自主的にオープンにしてもらいましょう
ということです。その裏打ちとして保障措置が厳然とあります。日本は完全にすべての施設で受けておりますし、北
朝鮮はそれを受けていないわけです。
編集長 国際的な枠組みをつくるのに、案外時間がかかりますね。もっと早くできるのではないかと思いますが。
森口 そうなんですね。参加している9ヵ国はそれぞれ立場も異なっていますし、会議といっても1日とか2日の会
議ですから、その回数を重ねないと進みません。うまくいって来年の5月、それまでに今年の6月、9月、12月と来
年の2月、IAEAの理事会が4回ありますから、その度ごとに開催し、それまでにうまくまとまるかどうか。かなり
厳しいなと思っています。国際会議というのは、そうすぐには結論、合意にまでいかないものですね。何回か繰り返
さないと。
編集部 この研究会の後に、プルトニウム国際管理に関する第2回関係国非公式会議が開催されました。その会合に
参加されました森口氏より、その結果の概要をいただきましたので、紹介いたします。
プルトニウムの使用等に関する国際的枠組みの検討に関する第2回関係国非公式会合の開催について(結果)
1.開催日:1994年6月4日
2.場 所:在ウィーン国際機関英国代表部(オーストリア)
3.参加国:日、米、英、仏、ロシア、中、独、ベルギー、スイスの9ヵ国(IAEA(オブザーバー))
4.わが国から、森口科学技術庁核燃料課長の他、外務省及び通商産業省の担当課長クラスらが出席。
5.関係国間での実質的な検討は今回が初めてであり、議論の中で注目すべき事項として、次のものが挙げられる。
1. プルトニウムの使用計画や保有量を国際的にオープンにして、透明性を向上させることの必要性について
は、前回までの会合で基本的に理解が進んでいたが、今回の会合では、プルトニウム平和利用計画の例とし
て、特に、日本から原子力委員会長期計画専門部会第二分科会報告概要の内容につき紹介した。これに関連
して、各国で利用計画を公表する場合は、どの程度の詳細な内容とするかについて各国間で調整を要するこ
と等の指摘があった。
2. 米国からは、プルトニウムの管理・利用に当たって、使用計画や保有量についての情報を公表することによ
り透明性を向上させることは重要であるが、それに加えて余剰プルトニウムの蓄積を抑制していくとの観点
を、この枠組みに盛り込むべきとする具体的な提案がなされた。
6.その他
次回会合は、今年9月15日(木)にウィーンの英代表部で開催することとし、議題としては、年次公表(使用計画、
保有量等)の項目及びフォーマット、核兵器解体から生じる余剰プルトニウムの取扱い、余剰プルトニウム管理へ
のIAEAの関与及び余剰プルトニウムの削減措置、本枠組みに関する目的の整理、核物質防護措置に関する意見交
換、とされた。
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6
土佐典具帖紙
後藤 茂
兼好法師は「多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)の文」と『徒然草』に書いている。さして多くもない蔵書
を、二階への階段の脇にまで積んでいると、兼好法師ではないが見苦しく積まれた本たちに、申し訳なく思う。
梅雨晴れや手枕の骨なるままに
横光利一の句を思い出しながら、中川一政の随筆集『我思古人』を手にしてみた。戦後間もない昭和22年の発行
で、紙の入手が難しかったのだろうか、今では贅沢な和紙が使われた稀覯本だ。驚くほどに軽い。それに画家自らの
装幀もうれしく、手枕で読むのに好都合である。
この本の中で、著者は、つぎのような挿話を紹介していた。
――――独逸のデューラーは宮廷の壁画をかくに梯子に登った。梯子がぐらぐら動いた時皇帝が思わず梯子
を押へられた。侍従が皇帝に向ってその軽はづみをとがめ申し上げた。皇帝はかう言われた。
朕の如き皇帝はこれからもでるだろう。デューラーの如き畫かきは前にも出なかったし、恐らく今後も出
ないであろう。
中川一政は、「かういふ話をきくと気が大きくなる」と結んでいた。
壁画というと、まず思い浮かぶのはバチカン宮殿のシスティナ礼拝堂の天井画だ。偉大な芸術家であり詩人でも
あったミケランジェロが、4年間かかって描いた傑作である。さらに25年の後、あの有名な『最後の審判』も6年の
歳月を費やして仕上げている。
天地創造から、多くの筋肉たくましい裸像を描いた天井画を依頼したのは教皇ユリウスであった。『最後の審判』
は教皇パウルス3世の依頼であるが、この二人の教皇は、ときに、ミケランジェロの梯子を支えたことがあっただろ
うか。
いましも航海は終わり
かよわきわが帆船は 荒波をこえ
やすらぎの港へ近づく
良きにつけ 悪しきにつけ
そこでは すべての行ないが
正しい裁きを受ける
私にはわかる
長くただ唯一の偶像として 心の王として
愛された芸術が いかに空しく映じるかを
人がこの世で望むものは すべて無であるのを
いまはただ過ぎし日を思いわずらい
せまりくる生の終りと 破滅が
二つに重なり わが心を死の恐怖へつきおとす
絵画にも彫刻にも 心奪われることもなく
はるかな十字架より手をのべる神の愛を
ただひたすら待ち望む
ミケランジェロは、老惨の自画像を『最後の審判』に描きこんでいるが、人間はやがて滅びるという苦悩を、この
有名なソネットにうたいあげたのではないだろうか。
私は、こんな思いにふけりながらシスティナ礼拝堂には、これまでに3度訪ねている。うち2度は修復中であっ
た。いまは修復も終り、450年前の姿を見事によみがえらせたそうだから、また会える日が楽しみである。
システィナ礼拝堂の天井壁画はフレスコ画だ。イタリア美術史家の宮下孝晴氏によると、中世・ルネサンス時代の
フレスコ画というのは、絵具の接着力を漆喰が乾燥する化学変化に求めたもので、現代の化学式にすると
Ca(OH)2+CO2→CaCO3+H2O
「水で溶いた漆喰(消石灰)は、水酸化カルシウム。それが空気中の二酸化炭素と化合して硬化し、炭酸カルシウ
ムになる。炭酸カルシウムは、つまり石灰岩や大理石である」と宮下氏から教えられた。
「漆喰は一日たつとほぼ乾燥する。だから一人の画家が一日に描くことができる面積だけ漆喰を塗り、毎日それを
塗りつなぎながら描写していく」というのだから、気の遠くなるような創作であった。
私は、ミラノを旅したとき、サンタ・デレ・グラーツィエ聖堂を訪ねて、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩
餐』を観たことがある。二度にわたる大嵐や洪水で水に浸かり、第二次世界大戦では空爆さえ受けた。壁画を砂嚢で
保護したものの、壁に描いただけのいわゆるテンペラ画は、湿気と腐蝕作用のある惨出物で、容赦なく破壊されて
いった。
ノン・フィクション作家のロバート・ウオレス氏は、「空気は冷たく静かで、耐えがたい孤独感に満ちている。こ
の部屋にいると、どんな人でも自然に目頭が熱くなるのをおぼえる」(『巨匠の世界』・レオナルド)と語っている
が、『最後の晩餐』の前に立った私も、同じ思いにかられた壁画であった。
ミケランジェロが描いたフレスコ画の技法は「確実にそして迅速に描写を進めないと、あとで修正や加筆が難しい
技法である。描きながら考え、考えながら時間をかけて描いてゆくレオナルド・ダ・ヴィンチは体質的にこのフレス
コ画と合わなかった」(『イタリア修復事情』・宮下孝晴)
崩壊寸前の状態にあったレオナルドの『最後の晩餐』は、大変な苦労を重ねて最近ようやく復元されたそうだが、
ミケランジェロの天井画は、さらにあざやかな甦生であった。その修復のために日本の和紙が使われたというのだ。
美術品の修復技術にかけてはヨーロッパでも高い評価をうけているイタリアで、日本の伝統的な和紙が使われた。
その和紙が土佐の典具帖紙(てんぐじょうし)だと教えてくれたのは、知人の石山博氏である。
つい先日お会いした席で私は、ミケランジェロの壁画修復に使われた和紙の話をした。「それは土佐典具帖紙です
よ」といって、早速、柳橋真氏(元文化庁主任文化財調査官)のエッセイ『伝統文化覚え書き』のコピーを送ってく
れたのである。
この『覚え書き』を読むと、土佐典具帖紙は中世に美濃で生まれた紙で、懐中紙として汚れを拭き取ったり、画家
の下絵用紙などに用いられている。紙の天地左右で強さが等しく、薬品液を十分に吸い込むという手漉和紙の製法や
特色が書かれていた。
大百科辞典を開くと、「和紙は、コウゾ(楮)、ミツマタ(三椏)、ガンピ(雁皮)などの靭皮繊維を原料として
おり、これらの長い繊維を十分にしかも均一に絡み合せるために、ネリと称する植物性粘液を混入した紙料液を調整
して漉き上げる」とある。
日本独自の美術様式である絵巻物は、何度も巻いたり伸ばしたりしても破れない流し漉きの紙があってはじめて成
立したものであり、紙料液の「ネリ」は、ピナンカズラ、ニレ、タブノキ、アオギリ、スミレ、マンジュシャゲ、ナ
シカズラ、キンバイソウ、ヤマコウバシなどの植物の粘液からとるのだそうだ。
つまり、強力な薬品で傷められた木材パルプを原料とし、多量の人工物を加えた洋紙ではなく、植物の繊維と植物
の粘液以外には人工的な夾雑物が混じらない和紙、それも和紙のなかではもっとも薄い土佐典具帖紙が、国際的に注
目されたというのだから嬉しい話だ。
典具帖紙をつくるのは、いまではただの一軒だけ。さらに典具帖紙の漉き簀(ず)用の片子(ひご)がつくれるの
は高橋房美というお婆さん一人だったが、60年間片子づくり一筋に生きたこの老婆も、つい最近他界されたそうであ
る。
ミケランジェロの壁画修復には日本テレビが資金協力をした。文化財保存修理に使用する最上質の土佐典具帖紙
は、ポーラ伝統文化振興財団が助成して一万枚は製作備蓄されたそうだ。しかし、私は、こうした伝統技術保存の行
方が、心配でならない。
1991年9月、東京芸術大学資料館で『甦る仏たち展』があった。この展覧会に出品された鎌倉時代の新薬師寺持国
天立像の修理にふれた小さな記事を、私は、ノートしている。恐らく「原子力導入」の文字が興味をひいたからだろ
う。
――修復にあたったのは、東京芸大美術学部保存修復技術研究室の学生とOBたち、一般にはほどんど知られて
いない地味な組織ながら、ここで育った多くの技術者たちが第一線で活躍しているという。今回の修復作業で特筆す
べきことは、原子力導入――欠損部分と補う新材にガンマ線を当てて、母体と同程度に“古く”した上で、補材とし
て試験的に使ったことである。さらに何百年後の人たちはこの“新古材”をどう鑑定するか。(『芸術新潮』・1991
年10月号)
和紙と原子力――古い手づくりの伝統技術と、現代の先端技術のつながりの妙を思うことしきりである。
(衆議院議員)
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サイクルシリーズ
ウラン濃縮
原子力発電所の燃料であるウランには、“燃える”ウラン235と“燃えない”ウラン238が含まれています。そのうち、“
燃える”ウラン235は天然ウランの中にわずかに0.7%程度しか含まれていないので、そのままでは原子力発電所(軽水炉)
の燃料として使用できません。天然ウラン中のウラン235の濃度の割合を2∼4%程度に高めることが必要となります。その
ための作業を「ウラン濃縮」といいます。
今回は1992年3月より操業が開始された、わが国初の商業用ウラン濃縮事業の現況についてご紹介します。
自立したエネルギー確保のために
わが国で一般家庭用、産業用として供給されている電力の約3割は原子力発電所により賄われています。その燃料である
濃縮ウランのほとんどは、今までアメリカ、フランスに依存していました。しかし、わが国のようなエネルギー資源をほと
んど保有していない国が、多量のエネルギーを将来的にも安定して確保していくためには、国内における商業規模での原子
燃料サイクルの運用が必要となってきます。
ウラン濃縮事業を行う日本原燃㈱は、青森県・六ヶ所村に、1988年10月よりウラン濃縮工場(用地面積50万平方メート
ル)の建設を開始しました。
1992年3月に操業が開始されてから、毎年150トンSWU(SWU:分離作業単位、サービス能力の単位)規模ずつ増設が行
われ、現在450トンSWU/年規模で操業が行われています(1994年4月末現在)。ちなみに、100万kW級の原子力発電所1
基が一年間に必要とする濃縮ウラン量を生産する能力は、約120トンSWUになりますので、450トンSWU/年規模は、約3
∼4基分に相当することになります。2000年頃には1,500トンSWU/年規模の操業を目指しています。これは、2000年にお
ける原子力発電所の年間需要量の約25%に当たります。
同社の操業開始で、わが国でもウラン濃縮ができる体制が整いました。
わが国では濃縮法として遠心分離法を採用
濃縮技術は、“遠心分離法”が採用されています。これは国のプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団が、パイ
ロットプラント、原型プラントによる研究・開発、運転を行い、実証された技術、経験を反映させたものです。この方法は
ウラン235とウラン238の重さの差を利用して、洗濯機の脱水のように遠心力により分離させます。特徴として、遠心分離機
に、超高速回転に耐える高強度材を用いるなど、わが国のハイテク技術が結集されており、品質管理面においても好ましい
こと、複数の分離機を連結して運転を行う設備のため、濃縮ウランの需要の状況に合わせることができること、消費電力が
少なくて済むといった経済性などがあげられます。
実際の遠心分離機は円筒型をしており、内部で回転胴が超高速で回転しています。その中に六フッ化ウラン(ウランと
フッ素の化合物)の気体を入れると、遠心力により重いウラン238は外へ追いやられ、中心部には軽いウラン235が多く集ま
ります。この中心部の気体を取り出し、さらに同じ操作を何度か繰り返し、徐々にウラン235の濃度が高められていきます(
図1)。
図1 遠心分離機とそのしくみ
現在世界で実用化されている濃縮法には、遠心分離法の他に米・エネルギー省や仏・ユーロディフで使用しているガス拡
散法があります。
濃縮ウランができるまで
濃縮の工程は、まず頑丈な鋼鉄製の専
用容器に密封された六フッ化ウランが、
貯蔵庫から搬入されます。暖められた粉
末の六フッ化ウランが気体状になり遠心
分離機に送られます。多数の遠心分離機
により、繰り返し濃縮を行うと、濃縮度
は徐々に高められます。ここで濃縮され
た気体状の六フッ化ウランは、冷却して
粉末状にして集められ、それを容器に詰
めるため、再び暖めて、気体状にしま
す。濃縮の過程で出るもう一方のウラ
ン238の六フッ化ウランは、廃品回収槽
と呼ばれる容器に送られ、回収されま
す。その後、貯蔵庫へ搬送して貯蔵され
ます。
製品として出荷される濃縮ウランは、
サンプル採取をして濃縮度をチェック
後、必要に応じて濃縮度の調整をおこな
い、均一な製品にして容器に詰められま
す。出来た濃縮ウランは、別棟のウラン
貯蔵建屋に搬送され、出荷されるまで貯
蔵されます。
日本原燃ウラン濃縮工場全景
このようにして、昨年11月に濃縮ウランの初出荷が行われました。
安全管理・対策に万全を期している
実際の工場内は無人化されており、中央制御室で訓練を受けた従業員によって、濃縮の工程がコントロールされています
が、扱う六フッ化ウランは低濃縮のため、放射能は天然ウランとほとんど変わりません。万一室内に漏れるようなことが
あっても、室内の気圧を大気圧より低く保つことで、室外に漏れないようになっています。
また、定期的に施設周辺の環境モニタ
リング等が実施されており、その結果は
誰でも見ることが出来るように、県や村
役場に常時表示されています。
わが国の原子力施設は国の研究機関、
民間の商用施設にかかわらず、すべて国
の査察並びに国際原子力機関(IAEA)の
査察を受けています。この六ヶ所村のウ
ラン濃縮工場も同様に国際的約束に基づ
いて管理されています。
濃縮ウランができるまで(工程図)
増設工事中のウラン貯蔵建屋
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プルトニウム平和利用の国際的理解促進のために
−(社)原子燃料政策研究会・第3回通常総会−
(社)原子燃料政策研究会の第3回通常総会を、去る6月2日に東京都千代田区虎ノ門で開催いたしました。議案
は1)1993年度業務報告、収支決算報告案承認の件 2)1994年度事業計画、収支予算案承認の件 3)理事・監事選任の
件の3件で、原案通り承認されました。
1994年度事業計画概要
1994年度の当研究会の活動計画としては、海外諸国の議会関係者、政策関係者などと種々の機会を通して、わが国
の原子燃料サイクル政策、世界の原子力平和利用について相互理解を深めるための意見交換を積極的に行います。
プルトニウム平和利用の問題については、引き続き定例の研究会を通してプルトニウム平和利用の国際問題の研
究、検討を行うとともに、高レベル放射性廃棄物処理処分に関しても新たに検討を実施し、その研究から得られた情
報、成果を積極的に機関誌を通じ、関係者に提供します。
さらに、原子燃料サイクル施設立地地域の関係者との意見交換や、マスコミ関係者との意見交換を実施し、プルト
ニウム利用についての理解促進を図ります。
理事・監事選任
任期満了に伴う理事・監事の選任については、新たに田名部匡省氏(衆議院議員)に理事として就任していただく
ことになりました。
社団法人 原子燃料政策研究会 役員名簿(1994年7月1日現在)
会 長 向坊 隆 元東京大学学長
副会長 津島 雄二 衆議院議員
副会長 堀 昌雄 前衆議院議員
理 事 青地 哲男 (財)日本分析センター専務理事
理 事 今井 隆吉 元国連ジュネーブ軍縮会議日本代表部大使
理 事 大嶌 理森 衆議院議員
理 事 大畠 章宏 衆議院議員
理 事 後藤 茂 衆議院議員
理 事 鈴木 篤之 東京大学工学部教授
理 事 田名部匡省 衆議院議員
理 事 中谷 元 衆議院議員
理 事 山本 有二 衆議院議員
理 事 吉田 之久 参議院議員
監 事 浅野 修一 東陽監査法人代表社員(公認会計士)
監 事 今 正一 (社)エネルギー・情報工学研究会議専務理事
特別顧問 竹下 登 衆議院議員
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編集後記
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1994年4月5日午前10時01分、高速増殖原型炉「もんじゅ」が初臨界に達しましたが、それを記念して郵政
省から記念切手が発行されました。高速増殖実験炉「常陽」の臨界時にも記念記手が発行されましたが、そ
れから数えると17年ぶりのことです。
本誌編集中である通常国会会期末6月29日夜、社会党と自民党の連立政権が成立しました。今までプルトニ
ウム平和利用についてまったく反対の主張をしてきた社会党と自民党の間で、今後その異なる政策をどのよ
うに調整していくのか、興味津々です。
田中真紀子新科学技術庁長官のプルトニウムは安全に平和に利用していくとの歯切れのよい発言は、今後の
プルトニウム平和利用を進める上で大いに期待できます。
(編集部一同)
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