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欧州経済共同体(EEC)とオランダ(上)

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欧州経済共同体(EEC)とオランダ(上)
欧州経済共同体(EEC)とオランダ(上)
~A.S.ミルワードの「国民国家のヨーロッパ的救済」
:事例研究Ⅱ~
白 石 義 樹
はじめに
1.関税同盟の懐胎期:理論、イデオロギー、外国貿易の実際
(1)50 年代の貿易理論
(2)50 年代のイデオロギー
(3)50 年代の外国貿易:新重商主義の欧州化(国際化)
2.経済進歩の要としてのドイツ・西欧間貿易
(1)50 年代ドイツ・西欧間貿易の実態
(2)ドイツ・西欧間貿易に関する諸研究
(3)西欧国民国家の救済としてのドイツ・西欧間貿易(以上、本号)
3.貿易ネットワークとしての6ケ国:関税同盟の経済的基盤(以下、次号)
4.オランダと欧州経済共同体の起源
5.ローマ条約
はじめに
して、欧州統合神話の際たるものであり、全く
誤った見解である、として一蹴する 1) 。歴史的
ミルワードはこの事例研究において、欧州経
事実は次のとおりであった。欧州統合に関して、
済共同体の起源を探ることによって、自らの欧
1950年-54年間、ECSC の加盟国によって、ま
州統合論展開の要である作業仮説、すなわち「国
ず第一の方針として欧州防衛共同体計画、第2
民国家のヨーロッパ的救済」の具体的事例をわ
の方針として関税同盟計画、の2つの方針が交
れわれに提示している。ところで、欧州経済共
渉されていた。だが、第1の方針、欧州防衛共
同体の起源に関しては、欧州統合プロセスは1954
同体計画は伝統的な軍事同盟によって解決され
年8月、フランス議会の「欧州防衛共同体」否
るべき軍事安全保障問題であったがゆえに、予
決によって致命的な打撃を蒙り、一旦潰えたか
め失敗す るこ とが運命 づけ られてい た問 題で
にみえたが、モネとスパークの2人の大物連邦
あった。一方、第2の方針、関税同盟計画は欧
主義者によって、野心的とはいいがたいが、ユー
州の経済安全保障問題として提起されたもので
ラトムと共同市場として再開することになった、
あり、ドイツの経済力を欧州の経済的発展に生
という連邦主義者や政治統合論者の見解が一般
かす枠組みの構築であった。後者の計画は現実
に流布されてきた。ミルワードはこの見解に関
経済の発展につれて、加盟国の支持を獲得して
- 1 -
いたことになる。ミルワードはこの枠組構築に
しかしながら、関税同盟は50年代、伝統的貿
おいて、特にオランダ外相ベイアンの提案を高
易理論(ヘクシャー-オーリン定理)に基づいて
く評価する。そして、ミルワードはベイアン提
いる学会からは殆ど支持をえられなかった。シ
案をメインに据えて、関税同盟計画推進の政治
トフォスキーを始めとする研究者によって、関
的・経済的背景を明らかにするともに、ベイア
税撤廃による貿易増大効果並びに GNP の上昇
ン提案が欧州統合推進の大国、フランスとドイ
率効果に関して予測がなされたが、いずれの予
ツの同調を獲て、最終的にローマ条約に結実す
測もそれほど芳しいものでなかった。また、1950
る経緯を明らかにしているのである。以下、ミ
年、伝統的貿易理論に基づいてヴァイナーが関
ルワードの論述に従ってみていくことにしよう
税同盟の理論を発展させたが、上述の予測を覆
2)
。
すほどの影響を及ぼさなかった。ところが、政
治家や産業人は上述の研究者たちによって展開
1.関税同盟の懐胎期:理論、イデオロ
ギー、外国貿易の実際
されているような厳密な統計上の予測に基づい
ていたわけではなく、当時 ECA やモネらの連
邦主義者たちが喧伝する「貿易自由化の動態的
(1)50年代の貿易理論
な(ダイナミックな)プロセス」に関心を寄せ
西欧関税同盟の諸提案はマーシャル・プラン
ていたが 、そ の論議の 内容 といえば 、当 時の
以前のパリ・プランに発していた。パリ・プラ
ジャーナリズムの論調の域をでるものではなかっ
ンは専ら政治的含意を有していたものであった。
た。特に、産業人は当時のジャーナリズムの論
すなわち、それは今後再生し甦ることになるで
調のキーワードとなっていた「規模の経済」に
あろうドイツに対する安全保障としてフランス
大いに関心を寄せることになった。そして、産
を中核とする西欧政治的ブロック創設を目的と
業人の「規模の経済」追求がまさに関税同盟創
する計画であった。さらに、アメリカ発の諸提
設の動機になったといえるが、この動機が関税
案もアメリカの安全保障体制の構成メンバーと
同盟創設の歴史的解釈とはなりえない。諸政府
して西ドイツを組み入れた西欧の戦略的政治ブ
もまた関税同盟に関心を抱いて、関税同盟の有
ロッ ク 創 設 と い う 政 治 的 含 意 を 有 す る も の で
利と不利に関する助言を求めたが、いずれの助
あった。もちろん、後者の諸提案の基礎には、
言も既存の理論に基づいていたために、諸政府
大市場創設は欧州の製造業の生産性レベルを向
(1945年のイギリス政府や1950年のオランダ政
上させ、欧州の製造品の価格を引き下げる効果
府)は関税同盟創設に支持を与えることはなかっ
をもたらすと同時に、アメリカの援助に依存す
た。
ることもなくなるであろう、という経済的含意
もあった。だが、これら諸提案は必ずしも国内
(2)50年代のイデオロギー
経済利害を反映したものではなかった。50年代
1954年以降の貿易大ブームは理論と現実のく
初めになってやっと国内経済の利害を反映した
いちがいをはっきりと示すことになった。現実
西欧関税同盟の諸プランが提案されはじめた。
は外国貿易の伸び率が急速な国ほど、国民所得
その時には、西ドイツが西欧の経済繁栄の要に
の伸び率も急速な国になった。その代表的な例
なっていた時でもあった。さらに、西欧関税同
がドイツ連邦共和国であった。
「輸出主導型」成
盟の諸プランは関税引き下げのグローバル計画
長を遂げたドイツ連邦共和国の政治的・経済的
である GATT や OEEC の貿易自由化計画が始
成功は政治的礼賛の的になった。外国貿易は大
動しているもとで提案されてきた。
陸の主だった諸政府にとって最優先の政治的課
- 2 -
題となった。さらに、消費社会(物質社会)の
代化・工業化目標を危機にさらさないように、
到来もまた外国貿易を西欧諸政府の政治的配慮
自動車産業、鉄鋼業、石油精製業などの重要産
の最前線に導くことになった。豊かな消費生活
業を様々な非関税障壁によって保護されるべき
は西欧市民の社会的安寧と社会的進歩のシンボ
幼稚産業と位置づけていた。イタリアの産業政
ルとなった。諸政府は豊かな消費生活を願う選
策は鉄鋼業、自動車産業、エンジニアリングを
挙民のニーズに応えることが最優先の政治的課
保護されるべき重要産業と位置づけていた。次
題となったのである。外国貿易はこのような消
に小国諸国をみてみると。ノルウェーとオラン
費生活 を 実 現 す るた め の 必 要 不 可 欠 な 手 段 と
ダは非常に貿易依存の高い諸国経済であったが、
なった。
両国とも国営鉄鋼業を創設するとともに、新規
産業部門を興すために新重商主義的政策を追求
(3)50年代の外国貿易:新重商主義の欧州化
(国際化)
した。オランダは幼稚産業保護のために、非関
税障壁、すなわち輸入制限を利用し、ノルウェー
西 欧 諸 国 の 外 国 貿 易 は 1960年 ま で 、 1925年
はさらに選別的な高関税も利用した。以上のよ
-1929年の期間よりも自由化されていなかった。
うに、西欧諸国間の産業政策は非常に異なって
農業部門は貿易の自由化プロセスから免除され
いたのであるが、それにもかかわらず、50年代
ていたし、工業製品の貿易自由化は非常に選別
後半以降、保護主義論者の輸入代替政策が後退
的であった。それは戦前の保護主義から古典的
し、自由貿易論者の見解が大勢を占めることに
な自由貿易への移行ではなく、政治的条件の変
なっていったのである。それは何故か。ミルワー
化に対応した新たな形態の新重商主義への移行
ドはフランスのケースを取り上げて、その理由
であった。各国の通商政策は産業政策と密接に
を示している。
結びつき、自由主義と保護主義の混合であった。
1952年作成の第2次5ケ年計画はフランス経
とはいえ、各国とも外国貿易の自由化が近代化・
済の近代化・工業化のために、国内経済部門と
工業化と成長のダイナミックな主体と見做して
外国貿易部門両者の安定的成長を目指したもの
いただけに、新重商主義の国際化が必要だ、と
であった。しかしながら、外国貿易部門の計画
考えていた。ところで、西欧諸国の工業化・近
に関しては、50年代の西欧域内貿易の激増はプ
代化政策は非関税障壁、すなわち輸入制限の支
ランナーの予測を遥かに越えるものであった。
援に依存していたがゆえに、西欧諸国は新重商
すなわちプランナーが近代化と貿易自由化とい
主義の国際化を計るために、非関税障壁の撤廃
う保護主義と自由主義の両者をフィットさせる
に関する政府間通商交渉を開始する必要があっ
通商政策を首尾一貫して行使することは不可能
た。この問題に関する政府間通商交渉のフォー
であった。計画によれば、まず輸入の伸びに関
ラムは OEEC であった。というのは GATT は
する予測は基準年の輸入比率と今後の輸入代替
専ら関税交渉に限定されていたからである。し
効果を考慮して推定されたが、それは低めに設
かしながら、OEEC の外国貿易自由化計画は平
定されていた。ところが、プランナーの予測を
坦でない論争的なプロセスであった 。大国小
裏切って国内需要の伸びはいつも予測よりも高
国を問わず、貿易自由化を巡って、保護主義論
かった。次に、輸出の伸びに関する予測をみて
者と自由貿易論者間で厳しい対立がみられたの
みると。それは基準年の外国市場におけるフラ
である。
ンスのシェアーと相対価格一定のもとで外国市
3)
産業政策は西欧諸国間で著しく相違していた。
まず大国諸国からみると。フランスは自国の近
場の需要成長率予測を考慮して推定されていた
が、それは外国市場の輸入需要を過小評価して
- 3 -
いた。このようにいずれの予測もはずれたが、
第 1 表 は1951年- 58年 間 の 西 欧 諸 国 の 地 域
なによりもフランスの見解を大きく変えたのは
別・国別の輸出の伸びを比較したものであるが、
投資財輸入の予測が大きくはずれたことであっ
この表から分るように、デンマークを除けば、
た。第2次5ケ年計画では、フランス経済の投
いずれの国もドイツ向け輸出が最大の伸びを示
資は第1次5ケ年計画のもとで平均レベルを1
している。ミルワードによれば、北アメリカ向
/4だけ上回って上昇すると予測していたが、
け輸出の伸びは1956年前後以降、急速に増大す
フランス経済は実際にはそれだけの投資財を生
ることになったが、ドイツ向け輸出の伸びはそ
産することができず、資本財輸入の増大となっ
れよりもはるかに急速であった、と述べている。
たのである。このことは、フランス経済の近代
次に、第2表は西欧諸国のドイツ向け輸出とド
化の有効な方法がフランス経済を外国市場、特
イツを除く西欧向け輸出の年平均増大率を比較
に西欧域内市場の競争場裡に晒すことである、
している。この表から、ミルワードは西欧向け
という見解を広めることになった。この見解は
輸出の芳しくない諸国にとって、ドイツ市場が
特に OEEC 前総局長、ロバート・マルジョラン
もつ意義を引き出している。代表的な国として、
が強力に擁護した見解であった。
( 彼は1956年2
ベルギー・ルクセンブルク、デンマークとフラ
月外相クリスチャン・ピノの顧問となり、共同
ンスが挙げられるが、これら3ケ国はいずれも
市場の 創 設 に 関 わる こ と に な っ た 人 物 で あ っ
ドイツを除く西欧向け輸出の伸び率と比較して、
た)。このようにフランスの例が示すように、西
ドイツ向け輸出の伸び率が非常に高く、西欧の
欧の他の諸国も近代化・工業化の有効な方法と
他の諸国よりもドイツ市場の持つ意義は非常に
して新重商主義の国際化(欧州化)に向けての
大きい、といえる。さらに、第3表、西欧諸国
道を歩むことになったのである 。
の輸出総額に占めるドイツ向け輸出シェアーか
4)
らもドイツ市場の重要性を引き出している。UK
2.経済進歩の要としてのドイツ・西欧
間貿易
とポルトガルを除くと、1951年以降、いずれの
国もドイツ向け輸出シェアーが持続的な増大傾
向を示しており、しかもいずれも2桁台、10%
(1)50年代のドイツ・西欧間貿易
以上のシェアーを示しているのである。とりわ
50年 代 の ド イ ツ・ 西 欧 間 貿 易 の 西 欧 諸 国 に
け、貿易依存の高い諸国にとってはドイツ市場
とって、自国の工業化・近代化の不可欠な構成
の占めるウエートは非常に高い、といえる(第
部分になっていた。ドイツの外国貿易はこれま
4表参照のこと)。
での諸研究では、1951年-58年間一貫して大幅な
さらに、ミルワードはドイツ市場の重要性に
黒字を記録したこともあって、専らドイツの輸
ついて、北アメリカ市場との比較を通じて確認
出面のみが強調され、輸入面については看過さ
する。北アメリカ市場は西欧諸国にとって頗る
れる傾向にあったが、欧州統合という視角から
不安定な市場であった。北アメリカ市場の不安
ドイツの外国貿易を考察すると、ドイツの輸出
定性は US 通商政策の気紛れさとアメリカの不
よりも輸入がまさに欧州統合への道に導いてき
況によるものであった。西欧諸国は1949年-50
た、という側面にもっと留意すべきだ、という
年、1953年-54年、さらに、1958年と US 向け
のがミルワードの見解である。ミルワードはド
輸出の大幅な減少を見舞われるが、とりわけ1953
イツ市場の重要性について、第1表~第3表に
年-54年のアメリカ不況は欧州の戦後ブーム終
おいて分析しているので、われわれもまずこの
焉につながるのではないか、と懸念されたので
点をフォローしていくことにしよう。
ある。ところが、西欧域内貿易は逆に1954年以
- 4 -
第1表
西欧諸国の輸出上昇率(1951年-58年):地域別・国別
西欧
(ドイツを除く)
オーストリア
102
55
ベルギー・ルクセンブルク
16
8
デンマーク
49
22
フランス
25
10
ドイツ
154
イタリア
54
24
オランダ
67
67
ノルウェー
20
14
ポルトガル
10
1
スエーデン
17
20
スイス
44
39
25
22
UK
(原資料)OEEC, Statistical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ
(出 所)A. S. Milward, The European Rescue of the Nation-State, p.136.
国
総輸出
第2表
ECSC
151
49
96
74
135
75
99
28
60
29
65
59
ドイツ
オーストリア
ベルギー・ルクセンブルク
デンマーク
フランス
イタリア
オランダ
ノルウェー
ポルトガル
スエーデン
スイス
UK
ドイツ
257
121
137
168
185
126
119
82
68
174
147
西欧諸国の年平均輸出上昇率(1951年-58年)
その他の西欧地域
21.3
オーストリア
13.8
ベルギー・ルクセンブルク
13.9
デンマーク
16.2
フランス
16.4
イタリア
12.6
オランダ
ノルウェー
12.7
スエーデン
8.1
スイス
15.7
13.9
UK
(原資料)OEEC, Statisical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ
(出 所)A.S.Milward, op.cit., p.137.
第3表
USAと
カナダ
85
30
317
-11
186
145
71
47
-23
33
21
70
6.7
1.8
3.2
2.6
4.4
7.7
2.7
3.1
5.1
3.5
西欧諸国のドイツ向け輸出の割合(1950年-58年 )
1950
1951
1952
1953
1954
1955
1956
1957
1958
14.3
6.8
17.4
7.8
5.9
20.9
11.3
3.6
12.4
9.3
2.0
14.2
6.1
12.6
4.9
7.7
14.0
7.7
4.7
9.9
8.5
1.9
20.1
9.6
12.5
5.9
10.0
14.0
8.8
6.3
11.8
10.8
2.0
19.6
9.3
11.5
7.4
11.0
14.1
9.1
7.2
11.5
11.8
2.3
23.5
9.6
12.8
8.4
11.2
15.9
10.2
6.9
12.3
12.2
2.6
25.1
11.7
17.0
10.5
12.6
17.1
11.2
7.8
13.2
13.4
2.6
23.4
10.2
18.5
10.5
13.3
18.0
11.9
7.1
13.6
13.9
2.9
23.8
10.2
19.5
10.9
14.0
18.5
13.3
6.8
14.2
14.3
3.2
25.1
11.6
20.1
10.5
14.3
19.0
14.1
7.7
14.2
16.3
3.8
(原資料)OEEC, Statisical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ
(出所)A.S.Milward, op.cit., p.138.
- 5 -
第4表
西欧諸国のドイツ向け輸出のGNP比率(1957年)
オランダ
5.5%
オーストリア
4.6%
デンマーク
4.4%
スイス
3.3%
ベルギー・ルクセンブルク
3.1%
スエーデン
2.8%
ノルウェー
2.5%
イタリア
1.0%
フランス
1.0%
0.5%
UK
(原資料)OECD, National Accounts Statistics 1950-1968; OEEC, Statistical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ
(出 所)A.S.Milward, op.cit., p.139.
第5表
西欧諸国の3地域向け輸出の平均上昇率(1953年-54年)
ドイツ
オーストリア
19.70
ベルギー・ルクセンブルク
-2.24
デンマーク
10.99
フランス
24.89
ドイツ
―
イタリア
15.60
オランダ
14.75
ノルウェー
10.85
スエーデン
3.38
スイス
12.42
9.13
UK
(原資料)OEEC, Statistical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ
(出 所)A.S.Milwaard, op.cit., p.140.
降、力強い成長過程に入った。なかでも、ドイ
その他西欧
USAとカナダ
6.69
-0.81
2.93
12.49
7.08
12.22
6.30
0.77
5.56
6.38
6.92
-9.6
-18.4
+19.8
-14.5
+2.56
-11.2
-7.6
-13.2
-25.4
-24.8
-5.3
(2)ドイツ・西欧間貿易に関する諸研究
ツ市場は西欧経済の力強い牽引力であった。第
ミルワードはドイツ・西欧間貿易が西欧の経
5表をみるとわかるように、デンマークを除く
済的発展の要(枢軸)となった、ということを
西欧諸国はドイツ市場向け輸出によって、北ア
確認しているが、1956年の UK 貿易省・貿易研
メリカ市場向け輸出の減少を大幅にカバーして
究委員会による研究を除くこれまでの諸研究で
いる。ドイツ市場は US 不況を隔離し、西欧経
は、ミルワードの解釈とは異なる経済的・歴史
済のその後の持続的成長をもたらすことになっ
的解釈が行われてきた。その解釈とは、ドイツ・
た。すなわちドイツ市場は西欧諸国にとって、
西欧間貿易におけるドイツの持続的な貿易黒字
輸出のスタビライザー=経済のスタビライザー
が批判の対象として取り挙げられ、西欧諸国が
となったのである。こうしたドイツ・西欧間貿
一方的にドイツの犠牲に供されているというも
易の発展は西欧諸政府がますますドイツとの通
のである。そこでミルワードはこのような解釈
商的絆を強めるように作用することになった。
に反論すべく、これまでの諸研究について総括
このことはまた当時、経済不況の克服もケイン
的な批判を展開しているので、この点について、
ズの需要管理政策によって可能だ、という世論
われわれもミルワードの批判をフォローしてい
の変化をうけて強まることになった。
くことにしよう。
- 6 -
まず、ドイツの持続的な貿易黒字原因に関し
挙げている。貿易自由化計画の各国の評価基準
て、ドイツの輸入サイドに問題があり、とする
は1948年基準の民間貿易の輸入制限撤廃の進捗
諸見解についてミルワードの批判・検討をみて
度によって計ることができるのであるが、ドイ
いくことにしよう。
ツは貿易自由化計画の音頭をとっていたイギリ
まず第一の見解はナチ時代の輸入代替政策の
スやフランスよりも高い進捗度を示していたの
結果、すなわち合成石油と合成ゴムへの産業投
である。例えば、1954年2月時点で、イギリス
資が輸入全体に占める原材料輸入の比率を低下
の自由化進捗度は75%と評価されたのに対して、
させることになった、と述べるのであるが、ミ
ドイツのそれは90%の評価であったのである。
ルワードによれば、その他のあらゆる原材料輸
さらに、次のような反論も加えている。1950年
入は絶対量でも絶対額でもそれほど目だった減
代初め、ドイツの輸入数量はその輸出数量より
少ではないので、原材料輸入の比率低下はドイ
も急速に増大していた、という事実である。但
ツ向け工業製品の増大に伴うものである、とし
し、それが輸入額の増大として現れなかったの
て第一の見解を斥けている。第2の見解はドイ
は原材料価格の下落に伴う交易条件の改善によ
ツが余りにも保護主義的な国である、という批
るものであったが、それは一時的なものにすぎ
判である。この批判は50年代を通じて、工業製
なかった。第3の見解は先の交易条件にかかわ
品の関税が欧州の他の大国諸国よりも低く、さ
る問題であるが、ドイツの交易条件が例外的に
らに割り当て撤廃等々の非関税障壁の撤廃でも
有利であったが故に、ドイツに持続的な黒字を
先頭を切っていただけに、奇異に感じられるが、
もたらすことになった、というものである。ミ
ミルワードはこの批判はかならずしも的外れな
ルワードはドイツの交易条件が著しく改善した
批判でない、という。実際、ドイツ経済の特定
のは、朝鮮戦争ブーム後、価格が下落した年と
分野-農業分野とエネルギー分野-は特に非常
1958年であって、ドイツの黒字が急増した1954
に保護された分野であった。戦後の農業保護は
年-57年の貿易ブーム期にはドイツの交易条件
ナチ時代と同様に、非常に包括的であったが、
は相対的に不変で、1950年-60年の期間中を通
農業地域喪失のために、輸入全体に占める飲料
じても UK とほぼ同じ交易条件であった、とし
輸入の割合は1930年代よりも高かった。但し、
て第3の見解を斥けている。最後に、第4の見
イギリスと比較するならば、ドイツの飲料輸入
解はドイツの高い貯蓄比率がドイツの大幅な黒
が肉消費量の低さもあって低いレベルにあった
字の原因となっている、という見解である。ド
ことは事実である。また、エネルギー分野の保
イツの高い貯蓄比率は通貨・財政政策の引き締
護に関しては、ドイツは石油輸入製品に高関税
めと不公平な所得配分の結果であるが、この点
を課していた。なおこれら2分野以外でも、ド
では、ドイツ市場が内外の供給者にとって狭隘
イツは西欧の他の諸国と同様に、保護主義的な
な市場であったことは事実であろう。だがこれ
分野があった。すなわち、自動車、自動車エン
をもって、ドイツの黒字の基本的な原因という
ジン、タイヤ、紙、磁気製品がそれである。だ
わけにいかない、とミルワードはいう。ミルワー
が、このような保護主義的傾向をもっているか
ドの指摘によれば、この最後の見解はドイツ・
らといって、ドイツが強固な保護主義国であっ
西欧間のダイナミックな貿易構造が見落とされ
た、と断定するには無理がある、とミルワード
る、という重大な欠陥を有しているのである。
はいう。反論の一つとして、ミルワードは OEEC
ドイツ製造品輸出の増大はいつに西欧からの中
の貿易自由化計画での非関税障壁の撤廃を率先
間財輸入にかかっていたのである。すなわちド
して進めたのはドイツであった、という事実を
イツ・西欧間貿易がドイツの工作機械に対する
- 7 -
西欧の金属・機械に対するドイツの需要との絡
結局、フランス政府の要請に若干譲歩して、US
み合いのもとで発展してきた、というドイツ・
政府の設定レートよりも高いレートで決着した。
西欧間のダイナミックな貿易構造が見落とされ
但し、決着したドイツマルクのレートはドイツ
ることになるのである。
政府の設定レートよりは低かった。いずれにし
次いで、ドイツの持続的な貿易黒字原因に関
ても、ドイツマルクのレート設定が最適であっ
してドイツの輸出サイドに問題あり、とする諸
たかどうか、という経済的根拠を示すことは難
見解についてミルワードの批判・検討をみてい
しい、とミルワードはいう。たとえ当初ドイツ
くことにしよう。
マルクの過小評価があったとしても、固定相場
まず第1の見解はドイツの輸出優遇政策に対
制下では、当初の優位は早晩輸入インフレによっ
する批判である。ここで取り挙げられている輸
て浸食されるし、さらに、その後のドイツの賃
出優遇政策は売上高税のリベート問題と輸出補
金レートや輸出価格指数が UK を含む競争相手
助金制度である。前者、売上高税のリベート問
諸国よりも急速に上昇したことからも当初の優
題は1949年-50年のドイツの深刻な国際収支赤
位は喪失されてきた、と判断するのが妥当であ
字改善策として時限立法として出され、輸出売
ろう。後者の問題に関して。ドイツマルクの過
上高3%平均が輸出業者の課税所得から控除さ
小評価が競争相手諸国の輸出シェアー低下をも
れる、というものであった。この問題はイギリ
たらしてきた、というのであるが、UK の輸出
ス政府によって欧州決済同盟の貿易ルールに違
を子細に検討してみると、必ずしもそうとはい
反しているとして批判され、結局後に修正され
えない。成程、UK の輸出は全般的に輸出シェ
ることになった。後者、輸出補助金制度は資本
アーを後退させているが、化学と重電気設備の
財輸出に対する輸出信用機関による財政的援助
輸出シェアー戦前のシェアーよりも拡大してお
であるが、輸出信用機関の役割に関しては、特
り、一方ドイツのそれは戦前のシェアーを回復
別にドイツだけの問題だけでなく、US の輸出
していないのである。それゆえにドイツマルク
入銀行はドイツよりももっと包括的なサービス
の為替相場がドイツに有利であった、と単純に
を提供していたし、フランス政府もドイツと同
はいえないのである。
様な広範なサービスを提供していたのである。
戦後の見解はドイツの工業生産性の著しい回
それゆえに、イングランド銀行もこの点に関し
復がドイツの持続的な黒字原因である、という
ては不公平な競争とは見做さなかった。
ものである。ドイツは1955年には、UK と同レ
第2の見解はドイツマルクの過小評価問題で
ベルの工業生産性に回復するのであるが、この
ある。ミルワードはこの点に関して、次のよう
ような著しい回復は供給と輸送のボトルネック
に問題設定する。
「ドイツマルクが当初、過小評
が解消されたからである。供給と輸送のボトル
価されていたかどうか、また、このことがドイ
ネックは専ら行政的ボトルネックによるもので
ツの輸出にとって有利な推進力を与えたかどう
あった。行政的ボトルネックは占領当局の厄介
か」。まず前者の問題に関して。ドイツマルクの
な行政的手続き、占領地区間の厳しい行政的分
平価設定問題は1949年9月以降の欧州諸通貨の
割、一般法と共通政府の欠如、国境の不確定、
対ドルレート切り下げ後、US、フランスそして
満足すべき交通手段の欠如であった。1955年5
ドイツの3ケ国間で激論が闘わされた。フラン
月5日の国家主権の完全回復はこれら行政的ボ
ス政 府 は ド イ ツ 政 府 の 設 定 レ ー ト よ り も 高 い
トルネックを取り除き、ドイツの工業生産性の
レート、US 政府はドイツ政府の設定レートよ
回復につながったのである。この見解は上述の
りも低いレート、をそれぞれ要請していたが、
2つの見解と同様に、ドイツ貿易の成功を偶然
- 8 -
的、一時的、そして、不公正な物語として描い
の結果として生じたがゆえに、ドイツがUKに
ていることに特徴がありドイツ貿易の真の成功
代わって、欧州の再建投資計画の事業を担うこ
原因を見落としている、といえるであろう。そ
とになった、という解釈を打ち出している 5) 。
れでは最後に、ミルワードがドイツの持続的な
そして、ミルワードはこの解釈こそがドイツの
貿易黒字の真の原因を解明しているという UK
持続的に増大する貿易黒字の真の原因を解明し
商務省研究をみていくことにしよう。
たものだとして非常に高い評価を与えているの
UKは50年代、ドイツの輸出攻勢の前に外国
である。続いて、ミルワードはドイツ産業が1949
市場から敗退するという憂き目にあったのであ
年以降、西欧産業の再建を担うに至った経緯を
るが、UK商務省の研究はまず第1に、ドイツ
説明しているので、この点をフォローしていく
が価格競争力あるいは非価格競争力のどちらか
ことにする。
で、UKよりも優位に立っていたこと、第2に、
西欧は戦後復興のために、US 資本財輸入に
輸出財の構成においてドイツはUKよりも有利
大きく依存していたが、ドル不足のために国際
であったこと、第3に、ドイツの輸出地域は輸
収支危機に陥ることになった。1947年、US は
出拡大に有利な成長市場であったが、一方UK
マーシャルプランによって、ドル資金を供与し
の輸出地域は低成長市場であったこと、の3つ
て US 資本財の継続的な輸入を可能とし、西欧
の仮説に基づいて、UKの世界市場シェアー・
の高レベルの投資・雇用を維持したのであるが、
ロスとドイツの世界市場シェアー・ゲインの原因
マーシャルプランの基金が減少し、ドイツの製
を検証している。検証結果は次のとおりである。
造品輸出が再開すると、西欧輸入業者はこれま
UKの世界市場シーの1/4-1/3のロスは輸
での US 資本財に代わって、ドイツ資本財の購
出の地理的分布と商品構成によるものであり、
入に向かうことになった。ドイツはかってのド
残余は競争上の劣位によるものであった。次に、
イツ帝国が大陸欧州の貿易において中心的な役
ドイツの世界市場シェアーの1/4-1/3のゲ
割を果たしたと同様な立場に立ち返ったのであ
インは輸出の地理的分布と商品構成によるもの
るが、ドイツ帝国とは異なり、保護主義的な立
であり、残余は競争上の優位によるものであっ
場をとらなかったので、大陸欧州の貿易はダイ
た。そして、商務省報告はドイツの市場シェアー・
ナミックな発展をみせることになったのである。
ゲインは世界市場において万遍なくみられたけ
このようなドイツのポジションは US の戦後同
れども、ドイツの輸出の大部分がもっとも急速
盟政策を抜きにしては語れない。US 政府はマー
に成長している西欧市場に向かったという事実
シャルプラン開始以降、ドイツの国際経済への
はUKの輸出の半分が対照的に低成長のスター
復帰を促し、ドイツの貿易に対する占領軍の厳
リング地域市場に向かったために、ドイツに地
しい規制撤廃に尽力したのである。第1次ドイ
理的分布上の優位を与えることになった。それ
ツ政権も US 政府の期待に応えて、速やかに貿
にもかかわらず、UK の世界市場シェアー・ロ
易管理を撤廃したのである。
スの3/4(ドイツの世界市場シェアー・ゲイン
の3/4)はドイツの競争上の優位によるもので
(3)西欧国民国家の救済としてのドイツ・西
欧間貿易
あった、と結論づけている。それではなぜこの
ような結果に至ったのか。この点に関して、商
ミルワードはドイツ産業が西欧産業の復興の
務省報告は UK の世界市場シェアー・ロスが偶
要になったことについて、次の3表で確認して
然的なことではなくて、欧州を第3位の優良な
いる。第6表は西欧諸国の国内資本形成の割合
市場と見做す戦後戦略の意識的追求とその追求
(GNP 比率)と資本財輸入の割合について、大
- 9 -
戦間期と50年代とを比較したのもである。この
割合は1950年-51年の1.7%平均から1957年-58
表からわかるように、西欧諸国は大戦間期より
年の23.85%に高まり、半製造品の割合は1951
も50年代において、いずれも高い割合を示して
年の18.8%から1955年の33.4%に高まったので
いる(なお、大戦間期の国内資本形成の割合に
ある。以下簡単ながら、品目別にドイツ輸入の
は1945年-49年間の戦後復興期の旺盛な国内資
動向を整理しておこう。
本形成の割合が含まれているために、数値が高
機械輸入に関して。ドイツ機械輸入の全輸入
めに設定されていることに留意しておくことが
に 占 め る 割 合 は 1950 年 の 1.5 % か ら 1958 年 の
必要である)。次に、第7表はドイツの貿易構造
4.1%に上昇した。機械輸入の最大品目は繊維機
について、ワイマール時代と戦後の連邦共和国
械で、1950年-58年間に4倍に増大したが、機
時代とを比較したものである。戦後ドイツの貿
械工具の6倍、エンジンの20倍、ポンプ・圧搾
易構造が大きく変容し、資本財である機械輸出
空気機械の28倍、と比較すると、伸び率はそれ
の割合が1925年の9.8%から18.9%と2倍弱に高
ほどでなかった、といえる。地域別には西欧か
まっている。最後に、第8表はドイツ資本財に
らの輸入が半分を占め、1/4を若干上回る部
依存している小国8ケ国の増加寄与率について、
分が US からの輸入であった。なおスイスから
ドイツの貿易再開からマーシャルプラン終了ま
の機械輸入は US と同程度であった。ドイツに
での期間を6ケ月毎の時系列で示したものであ
次ぐ欧州の最大の生産国、UK からの輸入割合
る。これら8ケ国のドイツの輸出増加寄与率は
は低かった。UK からの輸入は繊維機械と農業
平均して、33%-40%間であった。ドイツの経
機械が大部分を占め、品目もこの間、変動がな
済奇跡といわれた1950年1月-6月の期間には
かったが、スイスからの輸入はこの間、農業機
ベネルックス3ケ国だけで44%の増加寄与率を
械が最大品目と変わりがなかったが、機械工具・
示した。50年代には、これら8ケ国の資本財需
オフィス機械の占める割合が徐々に高まった。
要は世界輸出のほぼ1/3を占め、ドイツの資
電気機械輸入に関して。ドイツの電気機械輸
本財がこれら8ケ国の需要に応えたのである。
入は1950年-58年間に9倍に増大した。なかで
例えば、スエーデン、オランダ、デンマーク、
も、オランダが欧州最大の輸出国であった。オ
ノルウェーの4ケ国の資本財(SITC7:機械・
ランダのシェアーは1956年-58年間で、US シェ
輸送設備等)輸入に占めるドイツの割合を挙げ
アーの21%を越える21.5%であった。UK はこ
ておくと。全輸入に占めるドイツ資本財輸入の
の部門において十分な競争力を有していたが、
割合は1959年、スエーデン、45%、オランダと
オランダのシェアーの半分にすぎなかった。UK
デンマーク、それぞれ38%、そして、ノルウェー、
とは対照的に、フランスはこの部門において著
31%、と非常に高い数値であった。ドイツは50
しいシェアー増大を達成した。フランスのシェ
年代、成長著しいこれら8ケ国の資本財供給国
アーは1950年-51年には取るに足らないもので
としての地位を確立するとともに、これら8ケ
あったが、1956年-58年間には UK 並びにスイ
国もドイツ資本財の輸入によって工業化・近代
スのシェアーと同一になった。
化政策を追求することができたのである(第9
表も参照のこと)。
化学製品輸入に関して。ドイツの全輸入に占
める化学製品輸入の割合は1950年の2.3%から
ドイツは西欧諸国にとって、資本財供給国と
1958年の3.7%に増大した。この部門の輸入の
して重要であっただけでなく、製造品輸入国と
55%-60%は西欧諸国からのものであった。最
しても重要であった。ドイツの全輸入に占める
大の輸出国はスイスであり、年平均約12%のシェ
製造品の割合は非常に高まった。最終製造品の
アーを占め、次いでベルギー、フランス、オラ
- 10 -
第6表
西欧諸国の国内資本形成と資本財輸入(1914年-55年)
資本財輸入の割合
国内資本形成(GNP比率)
1914-49
1929c
1950-60
1951-5d
ベルギー
16.5
6.2
n.a.
9.97
デンマーク
18.1
2.7
8.15
12.6a
イタリア
20.8
4.7
9.1
13.5
オランダ
24.2
6.9
10.93
n.a.
ノルウェー
26.4
4.9
11.73
15.4b
スエーデン
21.3
5.5
10.06
15.5
a:1921年-49年
b:1914年-38年
c:機械全て
d:SITC71+SITC72
(原資料)A.Maddison, Economic Growth in the West. Comparative Experience in Europeand North America(New
York, 1964);OEEC, Statistical Bulletins of Foreign Trade, Series Ⅳ; Belgium, Ministère de I’Intérieur
et de I’Hygiène, Statistique Générale, Annuaire Statistique de la Belgique et du Congo Belge; Denmark,
Danmarks Statistik, Vareomsœtningen med Udlandet; Italy, Istituto Centrale de Statistica, Annuario
Statistico Italiano; Netherlands, Centraal Bureau voor de Statistiek, Maandstatistiek van der In- Uit-En
Doorvoer; Sweden, Sveriges Officiella Statistik, Handel
(出 所)A.S.Milward.op.cit., p.156.
第7表
ドイツの主要製品輸出の割合
全輸出に占める割合
ワイマール共和国,1928 年
ドイツ連邦共和国,1956 年
機械
金属
繊維
9.5
18.9
18.1
19.1
16.8
5.9
(原資料) Weimar Republic: Statistisches Bundesamt, Der Aussenhandel Deutschlands; Federal Republic:
Statistisches Bundesamt, Der Aussenhandel der Bundesrepublik Deutschland
(出 所)第6表と同様。
第8表
ドイツの地域別輸出増加寄与率(1949年-51年)
1949年
(6月-12月)
ベルギー・ルクセンブル
ク・オランダ
オーストリア・スイス
1950年
1950年
(1月-6月) (6月-12月)
%
1951年
1951年
(1月-6月) (6月-12月)
17.9
44.0
19.7
12.1
17.9
9.8
4.6
7.8
12.1
9.0
デンマーク・ノルウェー・
12.1
10.0
13.6
11.0
11.6
スエーデン
(原資料)Statistisches Amt des Vereinigten Wirtschaftsgebietes/Statistisches Bundesamt, Der Aussenhandel der
Bundesrepublik Deutschland, Teil 3. The definition of manufactures is groups Iib and Iic of the German
classification, not the SITC classifications used elsewhere and thus not strictly comparable with other
tables.
(出 所)A.S.Milward.op.cit., p.157.
- 11 -
第9表
ドイツ機械製品の輸出先ランキング
<一般機械>
1950
1951
Nether- 11.03
lands
Belgium 9.41
-Lux.
Netherlands
France
France
9.31
Italy
5.57
1952
1953
7.69
8.03
Netherlands
France
Brazil
6.53
Italy
7.37
Belgium
-Lux.
Sweden
6.31
Brazil
7.28
6.05
Belgium
-Lux.
6.60
Italy
5.75
Sweden
5.25
Switzerland
5.72
Switzerland
5.15
10.56
7.51
1954
Netherlands
Italy
8.00
Belgium
-Lux.
1955
8.85
7.91
Netherlands
Italy
9.45
7.21
Netherlands
France
6.41
France
6.65
Italy
7.54
Belgium
-Lux.
Switzerland
6.18
Belgium
-Lux.
Switzerland
6.40
Austria
5.60
5.52
7.64
5.96
<金属加工機械>
1950
1951
Sweden
10.18
Netherlands
1952
1953
1954
1955
UK
13.36
UK
20.31
UK
13.82
France
9.28
Sweden
10.64
USA
9.99
Italy
10.85
Italy
9.66
Italy
8.93
Belgium
-Lux.
8.47
France
8.88
France
8.44
France
10.51
Belgium
-Lux.
8.11
UK
8.79
France
7.89
Netherlands
8.62
Italy
8.41
USA
7.17
UK
7.99
Sweden
6.64
Czechoslovakia
7.67
Brazil
7.41
Switzerland
6.68
Switzerland
6.61
Switzerland
6.71
Belgium
-Lux.
6.34
Italy
7.49
Switzerland
6.95
Belgium
-Lux.
6.01
Belgium
-Lux.
6.41
Yugoslavia
5.68
Switzerland
6.12
Hungary
7.15
Italy
6.90
Sweden
5.79
Netherlands
5.17
Netherlands
5.51
Switzerland
6.05
Brazil
5.63
Brazil
5.15
Brazil
5.13
Netherlands
5.01
11.07
France
12.13
<電気機械>
1950
1951
1952
1953
1954
Netherlands
15.2
Netherlands
11.63
Sweden
9.32
Netherlands
8.82
Netherlands
1955
10.38
Netherlands
11.61
Sweden
8.65
Sweden
10.85
7.81
Sweden
7.48
Sweden
7.40
Sweden
7.8
Belgium
-Lux.
6.69
Turkey
5.81
Netherlands
Belgium
-Lux.
6.57
Italy
6.94
Belgium
-Lux.
6.49
Belgium
-Lux.
5.91
Austria
5.15
France
5.63
Turkey
5.33
6.77
Italy
5.42
Italy
5.27
Belgium
-Lux.
5.03
Belgium
-Lux.
Switzerland
Norway
5.17
5.19
(原資料)UN, Statistical Papers, Commodity Trade Statistics, Series D; Statistik des Aussenhandels der
Bundesrepublik Deutschland, 1951
(出 所)A.S.Milward, op. cit., pp.161-162.
- 12 -
ンダ、UK の4ケ国が8%-9%のシェアーを
になったのである。それゆえにその後オランダ
占めていた。
が関税同盟計画推進の一翼を担うことになった
その他機械輸入に関して。ドイツの金属加工
のも、このようなドイツとの貿易関係の発展を
機械輸入は1952年-58年間に、UK のそれが1
反映していることはいうまでもない。ドイツも
億96万$減であったのに対して、2,540万$増で
また、小国との貿易関係の発展を通じて、関税
あった。ドイツのそれは ECSC の112万$増、
同盟の優位性を認識するようになり、関税同盟
OEEC(UK とドイツを除く)の960万$増と比
が保護主義的な大国、フランス、イタリア、UK
べてもいかに大幅な増大であったか、を示して
にも拡大することを願うことにもなったのであ
いる。ドイツの鉱業・建設・その他産業用機械
る。
(SITC716)輸入は同期間、UK のそれが9,160
万$増であったのに対して、1億4580万$増で
注
あった。ドイツの事務用機械輸入は同期間、2,510
1)最近のミルワードの欧州統合論批判につい
万$増を示し、その増大のうち、67%は西欧か
て は 、 次 の 論 文 を 参 照 さ れ た い 。 A. S.
らの輸入であった。
Milward, The History and Theory of
鉄鋼製品に関して。ドイツの鉄鋼製品輸入は
European Integration, 日 本EU学 会 編 ,
1953年-56年間に、金額で2倍以上の増大を示
「欧州統合の理論と歴史」,『日本EU学会年
した。ドイツの鉄鋼関税は自国の鉄鋼生産の緩
報』第21号,pp.107-125.
慢な回復と国内需要の増大に伴う供給のボトル
2) A. S. Milward, The European Rescue of
ネックによって、ECSC の発足前の1952年半ば
the Nation-State, pp.119-223 (London
に撤廃されていた。主な供給国はベルギー・ル
and New York, 2000)
クセンブルクとフランスであった。ドイツの鉄
3)OEECの貿易自由化計画に関するミルワー
鋼製品は1954年-57年の貿易ブームの時期にも
ド の 文 献 に は 次 の も の が あ る 。 A. S.
依然として供給不足のままであった。このおか
Milward and G. Brennan, Britain’s Place
げで、フランスの第1次プランの目玉であるス
in the World, pp.37-129,(London and
トリップ圧延機投資計画は正当化され、ドイツ
New York, 1996). A. S. Milward, The
自動車メーカー・フォルクスワーゲンに自動車
Reconstruction
用鋼板を供給したのである。
pp.168-211, (London, 1984)
of
Western
Europe,
以上のミクロ経済レベルでのドイツ・西欧間
4)フランスの政策転換に関しては次の文献を
貿易の分析を踏まえて、ミルワードはドイツが
参照されたい。中山洋平,
「フランス第四共
西欧の資本財供給国であると同時に、西欧の製
和制の政治経済体制:二つのモネ・プラン
造品輸入国でもあることを確認するとともに、
と53年危機」,『国家學曾雑誌』第105巻第
ドイツ・西欧間貿易が西欧諸国にとって、自国
3・4号,214-284.古賀和文著,
『欧州統合
の工業化・近代化政策の促進要因として作用し
とフランス産業』,第4章・第5章,122-205。
たことも確認しているのである。なかでも、オ
5)イギリスの戦後通商政策に関しては、次の
ランダに典型的にみられるように、ドイツとの
文 献 を 参 照 の こ と 。 A.S.Milward and
貿易関係の発展は自動車産業を有していないオ
G.Brennan, op.cit., pp.37-77. 服 部 正 治 ,
ランダが自動車関連製品(SITC71;非電気機械、
「帝国統合構想の破綻」,服部/西沢編著、
SITC73;輸送設備)輸出を増大させるなど、自
『イギリス100年の政治経済学』,135-167
国の工業化・近代化プロセスを推進させること
頁。嶋田
- 13 -
巧,
「戦後過渡期におけるイギリ
ス貿易政策論争」,内田編著,
『 貿易政策論』,
121-144頁。
- 14 -
Fly UP