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公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」

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公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」
−保健・医療・福祉と内発的発展−
遠 藤 宏 一
はじめに−問われる公共事業−
1.「維持不可能」な公共事業依存型経済の現実
1.公共事業依存型経済のマクロの構造
−「企業国家」から「土建国家」へ−
2.公共事業依存型「地域経済」の構造と地方財政
−長野県佐久地域の事例調査をもとに−
2.地域づくり「資源」としての保健・医療・福祉
1.内発的発展の必至性とその地域システム
2.福祉のまちづくりとまちづくり産業振興論
3.地域の病院を軸とした「産業コンプレックス」の形成
結びにかえて
はじめに−問われる公共事業−
長良川河口堰建設や諫早湾干拓事業等をあげるまでもなく、わが国で大規模公共事業による
環境破壊への批判や、無駄な投資による浪費が財政危機の元凶となっているとの指摘がなされ1)、
「時のアセス」・「再評価システム」導入といった形で「公共事業の見直し」が叫ばれるように
なってから久しい。最近では、こうした認識が建設省等の政府・行政サイドからの文書(1998
年版『建設白書』など)や財界サイドからでも公然と語られるようになっている2)。また、公共
事業をめぐる政官業の「鉄のトライアングル」といわれる癒着や政治的腐敗の構造、あるいは
「政権再生産」システムについての批判(=公共事業の政治学的分析)も以前から幾多なされて
きた3)。しかし、それにも関わらず、今なお全国至る所で、行政や経済界主導のおびただしい大
小の公共事業プロジェクトが構想・計画され、また長びく平成不況に対し、内需拡大と景気回
復の大合唱のなかで、わが国の大規模公共事業推進の動向はいっこうに止まる気配はみられな
い。
ところで、このようなわが国の政治や経済の特徴は、高度成長期以来の産業基盤を優先した
−89−
政策科学7−3,Mar.2000
公共投資中心の日本財政のあり方がその原因でもあり、またその結果として、わが国の地域・
地方経済における公共事業依存体質や、官庁も含めて肥大化した土木・建設関連技術者群の存
在等々が指摘されており、その総体として政・官・業癒着による公共事業の自己増殖システム
が、極めて強力に機能するようになったことが指摘されている。このため、少子・高齢社会を
迎えたわが国にとって、今日の国・地方を通しての財政危機を克服し、福祉社会を実現するた
めの経済や行財政の構造改革が、次世紀に向けての緊急課題であるとの認識も広がってきてい
る。さて、こうした文脈から、わが国の経済や財政の構造転換を求め、かつそのリアリテイを
論証すべく、従来は公共事業の妥当性をその経済効果によって根拠付けるために一般的に用い
られている、産業連関表に基づく波及効果分析の手法を逆手にとって、「福祉は投資である」、
あるいは「社会保障の経済効果は公共事業より大きい」という論点提起が、最近、積極的に行
われるようになった4)。いわゆる「高齢社会」に対応した保健・医療・福祉の充実を最優先した
「分権型福祉社会」の創造によって、わが国の公共事業依存構造を転換しようというのである。
私もまたこうした今日の公共事業批判と、福祉こそが次代の日本経済の地平を拓くとの問題
意識を共有している。にもかかわらずこうしたマクロの議論が、事態について深く掘り下げた
本質的な認識に到達しているか、従ってまた、現実を転換するにしても気の遠くなるほどの困
難性の認識と、それ故にこそ、長期的な展望の中で新たな地平を切り開く主体と具体的な筋道
を指し示し得ているかについては、なお幾多の検証が必要と考える。とりわけ、わが国の公共
事業依存体質は、単なる「時のアセス」や「再評価システム」、あるいは「費用・便益分析」の
導入といった、公共事業のあり方や施行手続きのシステム転換を求める運動だけで解決できる
ほどなま易しいものではなく、「土建国家」といわれるように、政治経済社会の全体を通してこ
の国の形そのものにまで構造化していると思われるのである。従って本稿は、
「公共事業依存型」
経済の歴史的・構造的本質を、日本経済のマクロとミクロ(地域経済)の両面から実証的に考
察したうえで、この構造を転換して「分権型福祉社会」を目指す具体的な筋道とその萌芽を、
本当に見出しうるのかを、地域における現実の取り組みの中に模索し普遍化する意図をもって
なされる。
!.「維持不可能」な公共事業依存型経済の現実
1.公共事業依存型経済のマクロの構造−「企業国家」から「土建国家」へ−
戦後わが国の財政活動とその過程での経済発展は、社会資本充実政策に始まり、それによっ
て今日、公共事業依存型経済という国際的に見ても独特の、いわば「日本型」の強固な再生産
構造をつくりあげた。すなわち、財政活動の中心を産業基盤整備と都市化のための社会資本充
実政策におくという方針は、「もはや戦後ではない」として、戦後復興から新しい段階の経済発
展を展望する「新長期経済計画」(1957年)がだされてからはじまり、それはさらに1960年の
「国民所得倍増計画」から「全国総合開発計画」(1962年)へと続く、わが国の高度経済成長政
策の体系化のなかで定着した。それ以後、わが国の行政投資はGNPの約10%という高水準を
−90−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
つづけ、さらには70年代後半に世界経済が転換期に入った以降も、時代によりその内容・重点
は変化しているものの、わが国財政で公共投資がぬきんでた比重を占めつづけるという、国際
的にも特徴的な行財政運営がなされてきた(第1図参照)。70年代後半からは、GNP比率だけ
でなく絶対金額の上でもアメリカを抜いて世界一の規模になっており、しかも米国の国防費さ
えも上回っているというが、ともあれ、その中心を道路などの産業開発と都市資本の基盤整備
におく公共投資によって、ひたすら経済発展を促すという方針は、わが国の産業・経済政策と
して変わることなく貫かれてきた。
では一体、社会資本充実政策を始めとする行財政活動は、いかなる意味でわが国の経済成長
に役立ったのか。一つは、「生産の社会化」に対応して財政が企業・産業の生産・営業活動の一
般的社会的諸条件を整備することによって、資本の再生産過程の内部で直接的に大きな役割・
機能を果たしたということがある(=「生産力効果」)。特にその典型が、1950年代後半以降、
石油へのエネルギー転換やわが国産業の重化学工業化を目標にし、高度経済成長の原動力とな
った素材型重化学工業のコンビナートを造成した「拠点開発方式」として定式化された地域開
発政策である。この期の地域開発とは、まさに公権力の財政活動によって工業用地、工業用水、
港湾、交通手段などの社会資本や公共サービスなどを供給し、こうしたいわゆる「外部集積利
益」の直接的・個別的な独占的利用享受(=「地域独占」)を大企業やコンビナート産業に認め
て生産力を高めるという政策であった5)。
第1図 主要先進諸国の一般政府総固定資本形成の対GDP比率
(注) 公的固定資本形成(Ig)には、一般政府総固定資本形成と公的企業の総固定資本形成が含まれる。
(資料)1.一般政府総固定資本形成のGDP比率は、OCED、National Accounts, Detailed Tables, Volume II,
1970-1982(1984)および、同1981-1993(1995)より
2.日本の一般政府総固定資本形成およびIgのGDP比率は、経済企画庁『国民経済計算年報』(平成
8年版)より。
3.日本の1995年度以降(年度計数)のIgのGDP比率は「平成8年度の経済見通しと経済運営の基
本的態度(平成8年1月22日閣議決定)」より。
(出典)経済企画庁“日本の経済構造”東洋経済新報社、1997
−91−
政策科学7−3,Mar.2000
ところで、企業活動がこのような公共投資のありように直接的かつ深く依存するという関係
は、今日では重化学工業コンビナートに限らず、企業の本社、銀行、商社などの中枢管理機能
や第三次産業などの営業活動についてもあてはまり、それらの大都市集中も、こうした公共投
資による「外部集積利益」の独占的利用を求めた行動である。とくに80年代以降の、ハイテク
化・情報化・サービス経済化といった産業構造転換や国際化が顕著になると、大都市再開発、
ウオーター・フロント開発等の都市改造関連の大規模公共投資も重要になってきたのである。
さて、地域開発や大規模公共事業を始めとする政府・自治体の行財政活動は、他方では民間
企業の「市場」として機能する側面もある。これは財政の「需要創出効果」と呼ばれるもので
あるが、それには2つの側面があり、1つは政府の公共事業や軍需支出のもとで発注される資
材などによって追加的需要が直接与えられる場合であり、いわゆる景気変動の調整機能として
ケインズ主義的財政政策で強調される直接的な需要創出機能である。そしてこの効果への期待
が、今日の「平成不況」下で公共事業拡大の大合唱を呼んでいることは周知の事実であろう。
もう1つは、自動車と道路投資の例に典型的にみられるように、公共投資が市場拡張条件を
与えて「需要創出効果」を持つ場合である。この効果は間接的に見えるが(ここでは「間接的
需要創出効果」と呼ぶ)、わが国の経済発展過程で極めて大きな意味を持ってきた。とくに、60
年代後半からの第二次高度成長は、道路建設への公共投資の集中によってモータリゼーション
をすすめ、それにともなう自動車産業の急成長を推進力として、鉄鋼、石油、石油化学、機械
その他関連産業が次々と波及効果を受けることで展開されたといっても過言ではない。そして、
これがわが国における大量生産ー大量消費ー大量廃棄の生産と生活様式の確立に重要な意味を
持ったのである。ちなみに、日本の自動車産業の生産台数は、1965年の187万台から75年には
694万台と3.7倍となり、さらに80年には1104万台と世界一の生産量を誇るまでに急成長するが、
この間、わが国の行政投資全体の約4分の1は、一貫して道路投資にあてられ、住宅や生活環
境整備のための社会開発は後回しにされてきた。
さて、このような経済発展を支えた政府の財政活動の特徴から、戦後高度成長期のわが国は、
「軍事国家」・アメリカ、「福祉国家」・イギリスと対比されて、「企業国家」としても類型化さ
れてきた6)。その結果、高度成長によって達成されたわが国の産業構造を中心とする経済構造は
どのようなものであったか。第1表から第3表は、高度成長期に確立した産業・経済構造の特
徴とともに、その後の変化を示したものであり、第2図はさらに立ち入ってわが国の産業連関
構造を解析したものである。そして、これらで明らかにしたかったことは以下の点である7)。
すなわち、第一にわが国の経済発展は、農業から工業へ、さらには軽工業から重化学工業へ
産業を特化させることで経済成長を遂げてきたことである。製造業の重化学工業比率は、60年
代後半には世界一となり、輸出に占める重化学工業製品の割合は70年半ばには8割にも達した。
第二には、こうしたわが国の産業構造を、さらに素材の流通・連関構造という視点から把握す
ると、1鉄鋼/機械、2鉄鋼・窯業土石/建設、3石油精製/石油化学/繊維及び化学加工消
費財、という3系列の太い展開軸を持つ連関構造として析出できる、ということである。
−92−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
第1表 日本の産業構造の変化
(単位:%)
産 業 構 造
1975年
1980年
1985年
1990年
1995年
農 林 漁 業 1
4.1
3.0
2.6
2.0
1.7
鉱 業 2
0.5
0.5
0.3
0.2
0.2
29.3
30.5
29.9
26.5
22.8
〔65〕
〔69〕
〔69〕
〔69〕
〔68〕
うち、鉄 鋼
6.0
5.4
4.1
3.1
2.2
製 機 械
12.4
13.4
16.1
15.2
13.3
うち、一般
( 3.5)
( 3.5)
( 3.9)
( 3.7)
( 3.0)
造 電気
( 3.2)
( 4.0)
( 5.8)
( 5.8)
( 5.4)
輸送
( 5.2)
( 5.3)
( 5.8)
( 5.2)
( 4.5)
3.5
3.7
3.4
3.0
2.8
3.0
3.3
2.4
1.3
1.1
12.3
10.5
9.8
8.3
7.3
〔27〕
〔24〕
〔23〕
〔22〕
〔22〕
44.8
44.5
43.4
38.5
33.5
〔100〕
〔100〕
〔100〕
〔100〕
〔100〕
製 造 業 4
10.2
9.8
8.4
10.2
9.4
運 輸 ・ 通 信 等 5
5.0
5.1
5.3
6.1
6.9
金 融 ・ 保 険
3.3
2.9
3.6
3.6
3.5
不 動 産
4.5
4.9
5.3
5.7
6.9
教育・研究・医療・保健
5.4
6.0
6.7
6.8
7.9
サ ー ビ ス
6.2
6.9
8.5
11.5
12.5
商 業
9.3
9.5
9.1
9.4
11.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
1部門
業 化学製品
石油石炭製品
1
2部門
その他とも製造業計
その他とも総計
(金額:10億円)
(323,774) (543,061) (670,867) (872,121) (933,740)
(資料)1975、80、85年については、『昭和50-55-60年接続産業連関表』(1990年4月)、1990、95年について
は『平成7年(1995年)産業連関表−速報』(1998年9月)より。
(注)
ここでいう製造業の1部門とは、鉄鋼、非鉄、金属機械、化学製品、石油・石炭製品、窯業・土石、
2部門とは、食料品、繊維、パルプ・紙。また、製造業の〔
と2部門の割合である。
−93−
〕内は、製造業全体に占める1部門
政策科学7−3,Mar.2000
第2図 主要業種の販路構成図(1975年と1985年)
(単位:%)
(注) 数値は1975年と( )内は1985年。
(出所)『昭和50-55-60年接続産業連関表』、及び『通商白書』より
(備考)<輸入比率>は原則として輸入量/(輸入量+生産量)
、<輸出比率>は原則として輸出/生産(数量)
−94−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
第2表 国内総生産に占める製造業と建設業の割合
(単位:%)
製 造 業
1986年
建 設 業
1995年
1986年
1995年
日 本
28.6
24.7
8.1
10.3
ア メ リ カ
19.9
17.6
5.5
4.5
イ ギ リ ス
24.8
21.8
6.1
ド イ ツ
32.2
24.1
5.2
6.5
フ ラ ン ス
22.1
19.2
5.2
4.5
イ タ リ ア
24.3
20.8
6.3
5.0
カ ナ ダ
19.2
18.9
6.2
5.0
(注)
*
5.3
*
**
*旧西ドイツ・ベース、**1994年分
(資料)日本銀行国際局『日本経済を中心とする国際比較統計』1997年版、より作成。
第3表 製造業と建設業の就業者の産業別構成比(1996年)
(単位:%、千人)
製 造 業[千人]
建 設 業[千人]
日 本
22.4
[13,070]
10.4
[5,510]
ア メ リ カ
16.2
[20,101]
6.3
[6,430]
カ ナ ダ
15.2
[2,034]
5.3
[563]
イ ギ リ ス
19.4
[4,775]
7.0
[1,012]
ド イ ツ
27.0
[9,046]
8.7
[2,783]
イ タ リ ア
22.8
[3,959]
7.9
[1,065]*
(注)
1.製造業、建設業の[
*
]内は、雇用者数(単位:千人)。
2.*印のイタリアの製造業、建設業雇用数は、1994年現在の人数である(ただし、構成比は1996
年である)。
(資料)データブック1999『国際労働比較』日本労働研究機構、1998年、70、74、76ページより作成。原資
料は、OCED、Labour Force Statistics。および、ILO、Yearbook of Labour Statistics。
そして第三に、この産業構造の日本経済にもつ含意を、原料・エネルギー→中間財→最終製
品という生産物の流れに即して解析すれば、1つは鉄鋼、石油のどの系列も、その始点=原料
を全面的に海外資源の輸入に依存していることであり、従って、このことは価格や量の点で原
料を必要なだけ確保できなくなると、日本経済は直ちに再生産上の困難を抱えることを意味し
ているということである。いうまでもなく、その劇的な現実が1973年の石油危機にはじまる経
済混乱であった。2つには、これとメダルの表裏をなす問題(外貨獲得の必至性)として、輸
出による市場の海外依存の高さが不可避となることであり、従ってまた、貿易摩擦・円高との
連動が生じやすいということである。そして、3つには鉄鋼・石油化学製品などの国内市場
−95−
政策科学7−3,Mar.2000
(=内需拡大)では、政策的需要である道路を始めとする産業基盤中心の公共投資(/建設)に
依存せざるを得ないものであった。したがってこうした特質から、わが国の経済構造はいわゆ
る「素材加工輸出型」産業構造として規定されるものであった。
この産業構造は、70年代半ばの石油危機を契機として劇的にその矛盾を顕わにし、また国家
財政危機の顕在化の直接のきっかけとなり、それ以来今日まで続く財政ストレスの構造的要因
となった。すなわち、80年代に入ってからの日本経済は、急速な技術革新と先端化が進み、「重
厚長大」型産業から「軽薄短小」型産業への産業構造転換が起こったといわれてきた。しかし
それは、3系列の展開軸の重要性とその輸出依存型の構造に、殆どといって実質的な変化をも
たらしたわけではなく、重点を自動車や電気機械産業に移した「輸出依存型産業構造」の再編
に過ぎなかった。また、その一方で、石油危機を契機にして停滞産業となった鉄鋼などの素材
供給型産業を中心に、関連業界・財界や国の開発関連省庁は新たに「日本プロジェクト産業協
議会(JAPIC)」(1983年)を結成して、過剰資本のはけ口と新たな市場開拓を求めて、民
間資金導入(=「民間活力」活用型)による巨大プロジェクト・公共事業や都市再開発事業を
全国各地で構想・推進した。80年代に一層激しくなった円高・貿易摩擦による「内需拡大」イ
ンパクトはこうした動向の追い風ともなった(その典型が、貿易摩擦と日米構造協議のもとで
の公共投資630兆円の国際協約!!)。そして、その行きついた先が、大規模公共投資の事業カ
タログ集とでも言える「五全総」(『21世紀の国土のグランドデザイン』1998年3月閣議決定)
である。
こうして80年代以降のわが国経済と財政は、<民間企業の「減量経営」による競争力の回
復=外需拡大/円高・国際貿易摩擦の進展/国際的な要請としての内需拡大・規制緩和インパ
クト(「日米構造協議」など)/ビッグ・プロジェクトを始めとする公共事業投資の拡大/絶え
ざる経費膨脹要因の作用と財政ストレス(「財政再建下の内需拡大」要請のもとでの「民活」路
線)>という、いわゆる「悪魔のサイクル」から抜け出せなくなり、いわば公共事業依存型経
済ともいえる体質が構造化して、国際的にみても独特の「日本型」再生産軌道に転化したので
ある。こうして今、わが国の産業構造において、建設業はその急速な肥大化と事業所数、雇
用・就業者数の増大という、国際比較でも突出した特徴を持つに至っており(第2表、第3表
にみるように、現在、GDP比でも、就業構造上でもほぼ1割前後のシエア)、したがってこの
構造を維持するしか、景気回復や経済成長を図ることは望めない体質をもつに至った。
かくして、わが国の経済発展に大きな役割を果たしてきた社会資本充実政策のもとでの公共
投資は、当初の「生産力効果」を超えて、自らがつくりだした産業構造の特質に規定されて、
絶えざる自己増殖を続けざるを得ない腐朽的な存在と化したといってよい。いわば「企業国家」
から、「土建国家」へと変質したというのが今日の姿である。
2.公共事業依存型「地域経済」の構造と地方財政
−長野県佐久地域の事例調査をもとに−
さて次に、公共事業依存型経済の現実をミクロの地域経済の実態に見てみよう。地域経済の
−96−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
第4表 佐久地域町村の産業構造の推計(1990年)
(単位:1000万円、%)
臼 田 町
望 月 町
川 上 村
佐 久 市
長野県の
金額
金額
金額
%
金額
構造(%)
%
%
%
農林水産業
430.9
5.7
481.7
9.2
973.0
43.9
1,006.5
2.3
3.4
うち農業
250.0
3.3
433.0
8.3
939.0
42.4
864.0
2.0
2.7
うち食 料
109.9
1.5
3.9
0.1
χ
χ
264.4
0.6
4.9
製 木材・家具
104.4
1.3
130.2
2.5
16.9
0.8
738.2
1.7
1.1
土 石
69.4
0.9
22.1
0.4
72.0
3.3
189.2
0.4
1.0
造 機 械
776.9
10.3
17.7
0.3
−
−
2739.5
6.2
5.8
電 機
698.2
9.2
402.2
7.7
χ
χ 12,264.2
業 輸 送
243.2
3.2
573.6
11.0
−
−
その他とも 計
2,295.5
30.4
1,508.5
28.9
111.2
1,477.8
19.6
1,343.5
25.8
268.7
12.1
建 設 業
水道・廃棄物処理
27.8
16.9
1,123.1
2.8
2.3
5.0 21,589.3
49.0
44.0
6,372.0
14.5
13.1
44.4
0.6
32.3
0.6
16.2
0.7
244.5
0.6
0.5
商 業
452.5
6.0
312.6
6.0
148.6
6.7
3,702.7
8.4
7.8
金融・保険・不動産
276.7
3.7
228.1
4.4
60.4
2.7
2,895.9
6.6
7.6
運輸・通信
86.8
1.1
96.7
1.8
68.9
3.1
1,495.4
3.4
3.6
公 務
207.0
2.7
194.7
3.7
52.5
2.4
930.0
2.1
2.1
うち教 育
301.5
4.0
173.1
3.3
53.7
2.4
1,244.9
2.8
2.0
サ 医療・保健
1,400.7
18.5
110.9
2.1
20.8
0.9
856.4
1.9
2.4
ー 社 会 保 障
98.8
1.3
33.8
0.6
16.9
0.8
185.6
0.4
0.5
ビ 飲 食 店
88.1
1.2
65.5
1.3
12.6
0.6
745.3
1.7
1.7
ス 旅 館 等
10.1
0.1
76.1
1.5
50.7
2.3
172.5
0.4
1.7
その他とも 計
2,268.6
30.0
954.7
18.3
460.9
20.8
5,771.2
13.1
15.2
その他とも 合計
7,558.0 100.0
5,211.3 100.0 2,216.0
100.0 44,077.8 100.0 100.0
資料と推計方法:「農業」については、平成2年『生産農業所得統計』(農水省情報統計部)より「粗生産
額」をとった。
「製造業」については、『工業統計調査結果報告書(平成2年)』(長野県総務部情報統計課)より「製
造出荷額」をとった。
「商業」については、昭和63年と平成3年の『商業統計表』により、直線補完法で推計した1990年分
「販売額」について、卸・小売業のマージン率(通産省『第6回商業実態基本調査報告』<平成7年3月
刊>による長野県の50人未満従業員規模店の平均率)を乗じて推計。
林業や建設業その他、とくに第3次産業については、基本的には『平成2年長野県産業連関表』の「39
分類表」に対応する業種を基本として、その「生産額」に、各市町村への「按分率」を出しそれを乗じて
推計した。「按分率」の計算は、基本的には昭和61年と平成3年の『事業所統計調査』を用い、直線補完
法により1990年の各町村の就業者数を出し、按分データとした。なお、事業所統計では、町村については
産業大分類までしか掲載がないので、産業中分類の数値は長野県情報統計調べである。なお、就業者数に
よらないデータで按分率を出した業種もある(ex:「教育」は、児童・生徒数、その他「水道」「廃棄物
処理」「飲食店」等)。
−97−
政策科学7−3,Mar.2000
調査で難しいのは、農村部の市町村レベルでは産業構造をトータルに把握するデータがないこ
とである。そこで第4表は、「農村と都市の共生の可能性」という課題の農村地域調査の中で、
私が行った長野県佐久地域の幾つかの類型市町村の産業構造(1990年)の推計である8)。この推
計を行った臼田町、望月町、川上村などは、後述する内発的発展をめざして活動する珠玉のよ
うな人材・組織のネットワークが存在しているが、それぞれいろんな点でその特徴を異にする
類型地域である(その概況は第5表参照)。
第5表 望月町・臼田町・川上村の概況
人 口
望 月 町
臼 田 町
川 上 村
11,108人(1990)
16,328人(1991)
4,722人(1990)
1947年の16,979人をピークに減少。
1953年の6,074人をピークに減少。
1980年の4,632人を低限に微増。
0∼14歳 15∼64歳 65歳以上
0∼14歳 15∼64歳 65歳以上
0∼14歳 15∼64歳 65歳以上
16.9% 60.6% 22.6%
17.3% 63.6% 19.1%
20.8% 60.3% 18.9%
128.64km
83.23km
209.61km2
面 積
2
山林 原野 田
57%
就業人口
農 家 数
経営規模
2
畑
14% 7.1% 11.1%
山林 農用地 宅地
74% 13% 3%
山林 原野 田
66.6%
17.5% 6.6%
畑
0.7%
6,325人(1990)
8,231人(1990)
2,930人(1990)
第一次 第二次 第三次
第一次 第二次 第三次
第一次 第二次 第三次
26.7% 38.2% 35.1%
14% 41% 45%
65.8% 8.9% 25.3%
2,002戸(1990)
1,672戸(1990)
699戸(1990)
専 業 第一種 第二種
専 業 第一種 第二種
専 業 第一種 第二種
18.0% 9.4% 72.6%
18.7% 6.6% 74.7%
約8割が1ha未満
48.5% 34.2% 17.3%
約6割が2ha以上(1985)
農 業
4,044百万円(1990)
2,370百万円(1990)
9,394百万円(1990)
粗生産額
米(26.7%)、野菜(26.7%)
米(34.6%)、花き(15.3%)、
レタス(71.6%)、白菜(19.0%)、
畜産(28.3%)、果実、花き等
畜産(25.8%)、果実、野菜など
キャベツ(3.8%)、その他野菜(5.6%)
1,105人(1990)
1,934人(1990)
97人(1990)
15,085百万円(1990)
22,955百万円(1990)
1,112百万円(1990)
5,479百万円(1992)
5,535百万円(1991)
5,026百万円(1991)
地方交付費 地方税 地方債
地方交付費 地方税 地方債
地方交付費 地方税 地方債
製 造 業
従業者数
製 造 品
出 荷 数
歳 入
41.3% 19.2% 14.2%
歳 出
36.2% 21.1% 11.2%
38.3% 9.5% 9.4%
5,342百万円(1992)
5,368百万円(1991)
4,907百万円(1991)
投資的経費(35.7%)etc.
投資的経費(31.9%)etc.
投資的経費(40.0%)etc.
(出所)拙著『現代地域政策論』大月書店、1999年 p220。
(注)
原資料はヒアリング調査時に収集した各町村の「町(村)勢要覧」をはじめ、町村の各担当者の作
成した説明資料、「決算カード」等による。
−98−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
まず川上村は、貧しい高地寒冷(=「地域資源」?)の山村から、60年代以降に自治体主導
の内発型の施策で、力量の高い「自治体経営」を展開し、日本有数の高原野菜の生産地として
再生している地域である。2つめの臼田町については次節でやや詳しく触れるが、農村医療で
有名な佐久総合病院があり、完備した地域医療体制のもとで、こうした福祉・医療施設のネッ
トワークの存在そのものが、ひとつの「地域資源」として評価できるもので、従来とは違った
視角から内発的発展のあり方を構想できる地域である。3つめの望月町は、佐久地域で唯一の
「過疎地域」に指定されている地域で、またもっぱら各種の公共事業の導入と補助金依存型の町
政運営を特徴としており、現代日本の農村部自治体の内在的な欠陥を端的にみせてきた地域で
ある。その一方、ここには町政のあり方いかんに関わらず、有機農業家や地場産業経営者、そ
の他を中心とする住民主導型の根強い地域づくり運動のネットワークが形成されている地域で
ある。
さて、これらの町村のトータルな産業構造の推計をおこなって、まず驚くのは今日の農村経
済に占める建設産業の比重の大きさである。この推計をおこなった1990年は、長野オリンピッ
ク誘致決定の1年前であり、関連公共事業の影響はまだない段階だが、それでも明らかなよう
に長野県の産業構造での建設業の比重は全国平均より3%弱高く、さらに市町村レベルになる
と、高原野菜で有名な川上村を別にして、地域経済に占める建設業のウエイトは驚くべきもの
がある。特に典型的なのは、北佐久郡唯一の過疎地域(人口1万956人=95国調)の指定を受け
ている望月町である。
望月町の90年の全所帯に対する農家率は64.3%であるが、産業構造上のウエイトでは10%に満
たず、かわりに目を引くのは建設業の桁外れの比重であり(26%弱)、製造業全体(29%)にも
ほぼ匹敵するウエイトを占めている。この町の建設業は、事業所統計によると108事業所(製造
業全体と同数、約18%)、従業者数760人(19%)で、相対的に県や郡部平均よりはるかに高い
比重である。この町内で働く5人に1人が建設業従業者であり、その経済活動の4分の1にの
ぼるという事実は、いわば望月町にのみ特有のことではない。臼田町の場合でも、町経済に占
める建設業のシエアは約20%弱だが、後述するように経済単位としてみた佐久病院の存在によ
る地域経済貢献がないとすれば、その産業構造はほとんど望月町と変わらないものとなる。こ
うした事態からいえることは、長期にわたる農林業の衰退とそれを埋めてきた土建産業の振興
というこの実態こそが、過疎地域等をはじめとする全国の農山村に共通する現実だということ
であろう。
そしてまた、このような農山村の地域経済構造を支えているのが、いうまでもなく公共事業
を中心に運営されている市町村財政である。詳論はしないが、望月町や臼田町の町財政全体に
占める建設的支出(普通建設事業費)は、常時その3分の1以上を占め、庁舎建設やコミュニ
テイ・センター等の大規模施設を建設している年度には5割から6割以上にも達しているので
ある。そして、こうした建設事業に地元の建設業が大なり小なり関わっている。臼田町を例に
とれば、過去9年間(1987−95年度)の大口公共事業(5千万円以上、全体で32件、総額58.7億
円)のうち、町内の大手建設業者のみが関わったプロジェクトは、20件(62%)、25.5億円
−99−
政策科学7−3,Mar.2000
(43%)、JVとして参加したものまで加えると48.6億円(件数で7割、事業費全体の83%)に達
している。こうした事実から推測できることは、今日ではどこの自治体でも余程の大プロジェ
クトや特殊技術を要するものを除いて、市町村レベルで実施されている公共・土木事業の相当
部分は、地元業者が受注しているであろうし、従ってまたこうした公共・土木事業をめぐって
町や村の政治・行政も動いていることが容易に想像できるのである。
ところで、そもそも過疎地域を典型とする農村部に限らず、都市部も含めて全国各地の地域
経済が公共事業依存型経済に転化したのは、国による財政トランスファーのシステムの作用が
大きい。とくに80年代に入ってから、貿易摩擦を背景とする内需拡大インパクトのもとで、政
府は中央ー地方間財政関係の日本的特質(すなわち、「公共サービスの地方による分散型供給と
財政決定権の集権と大規模な財政移転」=「集権的分散システム」9))をフルに活用して、地方
自治体に公共事業を誘導・促進する施策を措置した。具体的にいえば、当初、地域づくりや地
域福祉・高齢者福祉等を推進する事業に対し、これを地方単独事業としておこなう場合に、地
方交付税の交付対象として「基準財政需要額」の中に認定し(いわゆる地方交付税の補助金化)、
かつ地方債許可で優遇・誘導する(後年度の元利償還費について地方交付税・基準財政需要額
への組み入れ)といった、自治体への誘導措置をおいたのである。このため財政力の弱い自治
体でも、競って地方単独事業による公共事業を拡大し、その財源として起債許可(借金)を受
けるという、「ハコものづくり」の財政運営が全国的に顕著になった。そしてさらに90年代には
いると、政府のこの地方債許可と地方交付税措置とを組み合わせた地方単独事業拡大の誘導施
策は、バブル崩壊後の平成不況に対する総合経済対策推進の主役を、地方財政に担わすために
一層拡充された。この措置を受けて、1994年度には秋田県や高知県など4つの県は、歳入に占
める割合で地方債(借金)収入が県税収入を上回るという、県政史上初といわれるような予算
編成をおこない、単独公共事業に走るほどになった。こうして、総合的な「自治体経営」の視
点も欠如したまま、安易に政府の方針に追随して、これ幸いと地方単独の公共事業を拡大して
きた自治体行財政運営の結果が、今日、地域経済の公共事業依存型体質を構造化させ、かつ 地
方財政危機を招く元凶になったのである。だがこれもついに、国・地方を問わず、膨大かつ多
様な借金依存による財政危機の深刻化で、明らかに臨界点に達した。
@.地域づくり「資源」としての保健・医療・福祉
1.内発的発展の必至性とその地域システム
さてこれまで、マクロ・ミクロの視点からわが国の公共事業依存型経済の構造を明らかにし
た。この構造が次世紀にわたって「維持可能な」ものだとは、誰でもとうてい信じられないで
あろう。従って、この産業・経済構造を転換することなしに、廃棄物問題をはじめ足もとから
地球規模に至る環境問題の解決も、また現下の国・地方財政危機の克服もあり得ない。しかし
そのためには、わが国の経済・産業構造を抜本的に転換する国レベルの産業政策や財政改革、
さらには中央・地方を通ずる政治・行政構造の改革までも展望することが必要であるが、90
−100−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
年代後半に展開した日本型「地方分権」や中央省庁再編の帰趨にも明らかなように、そうした
改革はわが国では、なお容易に実現しそうにもないほど大きな壁がある。
したがって、こうした事態に対峙し、必要な構造改革を現実化し促迫するためには、五十嵐
敬喜・小川明雄氏らが精力的に提起しているように、公共事業を推進するさまざまなシステム
を外堀から地道に改善する世論と取り組みが必要であろう10)。しかしそれだけではなく、同時に、
いまこそ各地域の自治体や住民は、地域経済の振興や地域づくりを構想する場合でも、外部か
ら大規模公共事業の導入や政府の財政援助をあてにする、いわゆる「外来型開発」志向から脱
却し、地方自治の力を駆使しつつ自己決定に基づいて、自らカネ・ヒト・情報などの資源を確
保し、これを効率的・効果的に活用して住民福祉の向上をはかるという、いわば「自治体経営」
の努力による内発的発展を具体的に追求する取り組みが重要ではなかろうか。改めてここで詳
論するまでもなく、今日では地域政策や地域づくりの方向としての内発的発展論は、政策論と
しても実践論としても定着してきている。
とはいえ、従来、内発的発展論はややもすると、直接的な産業開発による地域経済振興策を
めぐって議論される傾向にあった。しかし、内発的発展論をそうした狭い意味で理解すると、
今日のようなグローバル化のもとでの厳しい産業経済・経営環境を背景にして、出口のない自
縄自縛的な議論が生まれる傾向もなしとはいえない。もちろん、内発的発展には、農業や地場
産業をはじめとして直接的な産業振興の戦略は重要な課題であろう。しかし、地域の内発的発
展は、経済のみならず環境保全・福祉・文化や人権の確立等も含む総合目的のもとで、多様な
主体による多様な手段・方法によるアプローチの可能性を秘めたものである11)。その意味で大切
なことは、地域住民が、先ず自らの力で地域調査と学習を行い、地域個性とその内発力=「地
域資源」を再発見し、行政・「中間組織(ex:農協、病院、経済団体等)」・住民という3つ
の主体が協力して、それぞれ独自の内発的発展への地域システムを創造することである。した
がって以下では、とくにそうした内発力=地域資源が、まさに今、都市・農村を問わず課題に
なっている「高齢社会」に対応するための保健・医療・福祉の中にもあり、それらが迂回的で
あれ、複雑な地域経済の連関構造を創りだし、地域経済振興に役立つことを、大都市と農村と
いう地域類型にそして論証してみたい。
2.福祉のまちづくりとまちづくり産業振興論
戦後日本の都市づくりの基本前提は、生産性・経済効率の達成を最優先したものであった。
その典型が大都市の持つ集積利益の利用と規模拡大(スケール・メリット)によるコスト減を
追求して、三大都市圏の湾岸部に形成された重化学コンビナート開発であり、その後の中枢管
理機能の大都市集中現象に対応する都市再開発である。そして他方では、そこで必要な労働力
は、地方農村(中小都市)から新規学卒の若年労働者が大量に供給され続けた。日本は天然資
源の無い国であり、全国にいきわたった義務教育・高等教育体制のもとで、地方農村から豊富
に供給されてきた、学力と技術のある優秀で独創的かつ健康な若い人材が勤勉に働いてきたこ
とが、経済発展のもう一つの基礎であった。こうして高度成長期の日本の大都市は、勤勉な労
−101−
政策科学7−3,Mar.2000
働者・サラリーマンが若さにまかせて働く場であり、都市施設整備はひたすら生産性第一にし
て進められた。都市計画は住宅・住環境整備によって人々の住み易さを保障することよりも、
幹線道路網整備や都市高速道路建設が優先され、また大量の財・サービスの物流や通勤・通学
者の効率的な輸送のための大量高速交通体系の整備が進められた。こうして都市の構造は、高
齢者や子供連れの女性、あるいは障害者などの交通弱者や社会的弱者にとって極めて住み難い
ものとなった。また都市勤労者は地価高騰から都心から遠く離れた衛星都市に住み、より多く
の家賃や住宅ローンの返済をしながら、日々長距離・長時間の満員通勤を強いられるという耐
乏生活(都市問題)のなかにおかれてきた。
だがしかし、これまで都市さらには日本経済を発展させてきたこれらの前提が根底から崩れ
た。地方農村では高齢化と究極の過疎化(=「自然減社会」の到来)が進み、かってのように
若く健康で元気の良い労働力の都市への大量供給は望むべくもなくなった。これからは都市の
内部で、自ら労働力を育成・供給することが求められており、わが国の都市政策はそのコスト
の負担が課題となってきたのである。しかしこれまでの経済効率優先の都市政策のツケは、深
刻なしっぺ返しとなって顕在化している。その一つは大都市内部での出生率の急減による少子
化現象であろう。わが国ではいま、合計特殊出生率が人口静止に必要な2.08を大きく割り、1998
年には1.38となった。とくにこれは住宅事情や育児の困難の大きい大都市部の住民に晩婚や少子
化が目立っており、ちなみに93年時点でみると(全国平均1.46)、東京が1.1、大阪が1.31となっ
ている。こうしてわが国では、他方における長寿化と相俟って都市と農村を問わず、超少子・
高齢社会とともに、次世紀には人口減少と世界最高の高齢者国になろうとしている。
かくしていま、わが国の都市政策・まちづくりは、根本的な理念転換が求められている。若
い母親が安心して子供が産め、幼児が戸外で遊んでいても安全で安心してみておれる都市、乳
幼児や荷物を抱えていても楽に歩け移動できる住宅構造や駅、交通機関の設計など、抜本的な
都市構造の転換が緊急課題となっているのである。実はこれは、そのまま高齢者や身体障害者、
車椅子利用者にとってのバリア・フリーの都市づくり、いわゆる「福祉のまちづくり」に通じ
る。周知のように、経済効率を優先した都市構造に対して、社会福祉実践やその研究、あるい
は社会運動に関わる領域では、はやくから高齢者や障害者が自立して当たり前の生活をするこ
とが当然のことであり人権である、というノーマライゼーションの理念の実現を目標にして、
「福祉のまちづくり」が提起されてきた。たとえば日比野正巳氏は近著の『福祉のまちづくり研
究』において、一般的な福祉のまちづくり論ではなく、その出発点を障害者・高齢者の住宅と
その環境におけるあり方におき、同時にそれをつなぐ交通の保障(交通環境)、さらには面とし
ての都市環境(ハードもソフトも含め)のあり方まで包括した視野のもとで、それを総合的・
体系的に展開されることの意味を説き、かつ具体的な実践的・政策的な提言をしている12)。また
いまでは、「福祉のまちづくり条例」を制定した自治体が過半数になり、建設省・厚生省でも
『すべての人にやさしいまちづくりを目指して−福祉のまちづくり計画策定の手引き−』
(1996年3月)を策定するようになっている。その意味で、いわば「福祉のまちづくり」とは、
今後急速に進展する大都市の高齢社会化や障害者福祉にとって必要なだけでなく、すべての都
−102−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
市住民が安心して子供を多く産み育てながら生き甲斐の持てる都市づくりという、次世紀の都
市政策そのものの出発点となっているのである。
さていうまでもなく、こうした「福祉のまちづくり」のための都市政策とは、従来、日本的
特質でもあった産業基盤整備や大規模公共事業優先の公共投資政策を、防災対策も含め住宅・
生活環境整備型へと大きく方向転換させるという課題と重なっている。そしてまた、公共事業
依存型経済からの転換という本稿の主題との関わりでいえば、これにもう一つの論点を付け加
える必要があろう。すなわちそれは、こうした防災型・生活環境整備の公共投資政策による住
民ニーズの充足と、都市・地域産業の直接的振興政策とを結合した「まちづくり産業振興方式」13)
を、今後の自治体政策として意識的に確立する必要があるということである。
改めて云うまでもなく、現在、景気刺激の即効薬という名目で、大手ゼネコンにまず直接受
注され、順次その一部が、下請にまわされてくる大規模プロジェクト公共事業や、中小都市に
は不必要な一点豪華主義の巨額をかけた各種巨大会館・運動施設等の建設事業などは、大企業
への利潤保障効果と、本社のある大都市への所得「濾出」効果はあっても、地域経済振興への
波及効果はごく僅かである。また、今日のように右肩上がりの成長が終わり成熟化した日本経
済のもとでは、公共投資のかってのような「生産力効果」も「間接的需要創出効果」も失われ
ている。いまわが国で景気対策の主流となっている大規模土木型投資は、その多くが社会的使
用価値のない無駄な浪費型投資であり、まさにこれは、かってケインズが比喩的に、景気刺激
には砂漠にピラミッドを建設することがもっとも効果が大きい、と述べたようなことを現実化
しているのである。これに対し、「福祉のまちづくり」のための公共投資のほとんどは、地方自
治体が中心的な事業主体であり、また金額的には小口でもきめ細かい多種多数の建設事業から
なっている。したがって、これらの中小公共事業は地域の中小建設業が直接受注することも技
術的にも可能であり、さらにその波及効果は地域内で循環し、地域内の製造業や中小企業への
仕事と雇用増加に大きく貢献する可能性が極めて高い。
実はこうした視点に立つ「まちづくり産業振興論」の可能性は、すでにかって宮本憲一氏や
木下滋氏らの共同研究グループによってみごとに実証されている。それは1979年に産業連関表
を駆使して、関西新国際空港や高速道路など大規模公共投資中心の「近畿地域産業構造長期ビ
ジョン」(近畿通産局・1978年)にもとづく公共事業(産業基盤投資と生活基盤・国土保全投資
の比は1対1)と、生活環境整備や防災事業を重視した公共事業(同比1対3)の地域経済効
果を比較計量化した、大阪の公共事業のあり方をめぐる研究である14)。これによれば、直接波及
と間接波及をあわせた生産誘発効果は、公共投資1億円当たりで換算すれば、「生活環境・防災
型」が、「近畿ビジョン型」より161万円高くなり、また雇用効果でも5260人多くなる(第6表、
第7表参照)。したがってその結論として、「『近畿ビジョン型』公共投資よりも『生活環境・防
災型』公共投資のほうが生産誘発効果が高く、製造業中小企業及び軽工業により多くの生産波
及をもたらし、雇用効果も高い。『近畿ビジョン型』公共投資は生産誘発・雇用効果ともより低
く、製造業大企業により有利であり、より重化学工業化を促進する」15)ことが明らかにされて
いた。つまりは、「福祉のまちづくり」が、同時に、需要拡大効果と雇用拡大効果や中小企業振
−103−
政策科学7−3,Mar.2000
興効果といった、地域経済への波及効果がより高い経済開発になりうることを計量分析によっ
て明らかにしたのである。
第6表 類型別公共投資生産誘発効果
1975年価格(単位:億円)
直接波及1
間接波及2
生産誘発効果(1+2)÷1
生活環境防災型
17,630
8,107
1.460
近畿ビジョン型
22,040
9,780
1.444
『躍進大阪』自治体研究社、1979年 p219
第7表 公共投資類型別間接雇用効果(1兆7,630億円当たり)
(単位:人)
生活環境・防災型間接雇用効果A
近畿ビジョン型間接雇用効果B
A−B
87,852.2
82,591.5
5,260.7
『躍進大阪』自治体研究社、1979年 p221
3.地域の病院を軸にした「産業コンプレックス」の形成
次に農村部における内発的発展の地域資源という視点から、先の長野県佐久地域の農村調査
から臼田町の事例をあげよう16)。周知のように臼田町には、世界的に有名な農村医療・医学のメ
ッカでもあり、かつ保健・医療・福祉が一体化した佐久地域の総合センターでもある佐久総合
病院が立地している。農協の病院として設立された佐久病院は、1994年に創立50周年を迎えた
が、その独自の医療活動の展開によって、若月俊一氏の名とともに、今日では全国に広く知ら
れている。
「農民とともに」を基本理念とした佐久病院は、この間一貫して地域医療に取り組み、
今ではここは世界の農村医療のメッカとまでいわれるようにもなった。こうした佐久病院の存
在と活動が、この地域の農山村の社会経済構造や農民の意識構造にも計り知れない大きな影響
を与えてきた。
ところで、この「佐久病院コミュニテイ」の地域における役割の重要性あるいはインパクト
を、単なる医療・福祉ネットワークという点からだけでみるのではなく、一つの産業・経済単
位として評価したときどのようなものであろうか。佐久病院を95年時点でみれば、病床数983床、
患者数は外来1日約1700人、入院1日約880人、そして見舞客を含めると1日3ー4千人のヒト
の流動があるという。1221人の職員を擁し、恐らくパートを含めると日に1300−1400人が働い
おり、これらの人々は医療という仕事の性格から、医師を始めとして病院従事者の大部分は臼
田町を始めとする近隣市町に居住している。病院の人件費は月およそ7億円というが、これが
従業員家族の所得として地域内外での経済循環・波及効果をもたらしている。また、産業連関
という点でみれば、施設維持管理(地元業者との関連も強い)、医療機器・医療関連サービス産
業、医薬品関連産業、各種資材・病院食等の納入業者等との実に様々な経済循環が起きている
−104−
公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
のである。そして、これらの病院活動の総体を、医療収入や保健活動・売店その他の事業収入
や、人件費の支払いその他諸経費の支出など、その総体の貨幣量の出入の流れでみると、年間
153億円もの規模(95年度)となり、臼田町の財政規模の2.5倍にものぼっている。従って、先の
第5表の産業構造の推計表で明らかにされたように、臼田町における医療・保健は、臼田町経
済の18.5%を占め、4機械工業と建設業の比重にほとんど匹敵するという特徴的な構造をしてい
たのである。こうしてみると、佐久病院の存在そのものが、佐久地域の雇用創出・増大に大き
な役割を果たしており、そして恐らくは臼田町の過疎化を食い止めてきた力であったことが容
易に推測できるのである。
さてところで、こうした佐久病院という医療・福祉ネットワークの存在・役割を、地域住民
の「生活基盤」として把握する視点を超えて、「産業(雇用)創出」の地域資源という視点から
もとらえ、早い段階から、地域の経済的活性化と再生の方策として「メデイコ・ポリス構想」
を提唱されてきたのが川上武氏である17)。同氏は農村地域再生の基本的な3条件として、1医
療・福祉システムの整備、2教育施設の充実、3住民の生計を確保できる産業振興があること
とされたうえで、第1の医療・福祉を地域振興の軸として、第2、第3の要件もそれとの関連
で考えて地域再生策を構想しようというのである。すなわち川上氏は、佐久病院の存在を念頭
に置いて、これに何をプラスすればメデコ・ポリスに発展するかとして以下の必要条件をあげ
ている。1つは佐久地域への医療技術の短大や看護大学の誘致、2つには佐久地域への大規模
な「シルバービレッジ」、「高齢者の村」の誘致、(但しこれは大企業のシルバービジネスの枠の
中での発想ではなく、地域の農協・住民との共存が前提)、3つは医薬品・医療機器産業、関連
研究所の誘致の検討である。また同時に、これらの計画と並行して、農山村本来の農業・林業
についても新しいあり方の模索が重要であり、商品性の高い農業として、高原野菜や花ばかり
でなく、薬用植物の栽培なども一つの試みになる、とも提起されてきた。
ところで、佐久病院が立地する臼田町のもう一つの顔は、先に見たように「望月町型」の公
共事業依存型の「土建自治体」のそれであった。臼田町のまちづくりの政策(「総合計画」)や
行財政運営において、佐久病院は医療・福祉機関としての機能に関しては、確かに重要な位置
づけが与えられていた。しかし、長い間、臼田町の町政運営で実際に力が入れられてきたのは
「ハコモノ」づくりであった。この結果、92年度に臼田町の地方債残高は町政史上最高の77億円
余(この年の歳入総額の約1.3倍)に達し、その元利償還の影響で94年度の公債費比率は20.3%
のピークに達し、こうして臼田町は、従来の建設投資の累積債務負担のため、長野県下120市町
村のうちワースト・ファイブにはいる財政危機に陥ってしまった。
さて、こうした「ハコモノ」行政のツケによる財政硬直化・危機の顕在化を契機に、臼田町
政の転換が起こり、町当局もようやく病院の存在が佐久地域の雇用創出・増大に大きな役割を
果たしており、そしてこの町の過疎化を食い止めてきた力であったことに気づいた。今、町も
またこの医療・福祉ネットワークの存在を、ハード・ソフトの両面でまちづくりの資源として
評価し、それとの連携を強めながら、行政の側からも、いわば「メデコ・ポリス」構想の具体
化の方向を、佐久病院との連携のもとに展望し模索を始めている。
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政策科学7−3,Mar.2000
さて、こうしたメデイコ・ポリス構想の実現という課題は、佐久総合病院という世界的にも
卓抜した病院だから展望できたわけではなかろう。多くの地域には公立病院や農協・企業・福
祉法人等の設立した総合病院が立地している。少子・高齢化社会に移行し、介護保険導入にみ
られるように、まさに高齢者の自立化や介護のための社会的な支援体制確立が課題になってい
る今日、総合病院などの地域資源を持つ地域に必要なのは、病院はいうまでもなく行政や住民
が協力して、まず地域の病院を核とした医療・福祉・保健のネットワークを形成する実践に取
り組むことである。そして、さらには地域資源としての病院の内発力を展開させて、地域内に
複雑な「産業コンプレックス」を形成するための独創的な取り組みを構想することである。そ
の可能性を現実に出来るか否かは、結局は地域の住民意識や「民度の高さ」によるであろう。
結びにかえて
さて、この他にも保健・医療・福祉を、内発的発展の「地域資源」とした取り組みは、全国
至る所に見出すことができる。紙数の余裕がないため別稿で改めて紹介したいが、私が実地に
視察・調査した事例として、高齢化率が25%を超える過疎地域指定の町ではあるが、国の補
助金を巧みに活用しながら、環境・景観保全、そして何よりも老人の生き甲斐と自立のための
仕事づくり(雇用創出)・福祉事業と観光開発を結合して地域づくりを進めている愛知県足助
町の取り組み18)、あるいは、市の清掃労働者の職場改善活動から生まれたゴミ減量化・再資源化
への取り組みと、ノーマライゼーションの実現を目標に、安定した働く場づくりを求める障害
者の自主的な共同作業所づくりの運動とが結びついて、全国で最初に、ビンや空きカン等の資
源ゴミの選別というリサイクル作業を担う身体障害者通所授産施設「リサイクルみなみ作業所」
を誕生させ、労働・福祉・環境をつないだリサイクルの地域システムづくりを続けてきた名古
屋での「生活圏デモクラシー」の運動など19)、幾つも挙げることが出来る。とくに、この2つの
取り組みに共通する意義は、いわゆる社会的弱者の介護・支援のための単なる基礎的福祉施策
の事業を超えて、よりポジテイブに、「市場」では労働力商品として不十分にしか評価されない
高齢者や障害者の労働力を、「社会的使用価値」をもたらす社会的有用労働の担い手として位置
づけ、人々が誰でも人間の尊厳とプライドをもって自立してゆく条件整備と地域づくりを目指
していることに求めることが出来る。
ともあれここでは、今日の公共事業依存型経済の現実を深刻に認識しつつ、都市と農村とい
った地域類型を念頭におきながら、この構造をどう転換しうるのかという可能性とリアリテイ
を、内発的発展のための「地域資源」の存在(=地域個性の再評価)や自治体の公共政策・自
治体経営の中に、その萌芽・手掛かりを得ようとしてきた。そこで明らかになったことは、「福
祉のまちづくり産業振興」や、福祉・医療・保健が一体化したネットワークの形成、あるいは
ゴミ問題・環境対策(リサイクルの地域システム創造)の展開が、国の補助金をあてにした無
駄な公共事業に依存しなくとも、高齢者や障害者も含めてすべての人々のノーマライゼーショ
ンを実現して、社会的使用価値のある有用労働のための仕事の創出と、そこで働く人々の生き
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公共事業依存型経済の転換と地域づくり「資源」(遠藤)
甲斐をつくり、総体として地域を活性化させる可能性が存在するということである。
その意味から、これからの地域政策論研究に必要なことは、多くのこうした事例や取り組み
の具体的なケース・スタデイによって、主体・目的・手段等の類型化とその教訓を理論化しつ
つ、公共事業のシステム転換を求める運動論とも結合した、経済・財政構造改革の政策科学を
展開することであろう。恐らく農村部では、こうした地道な雇用創設の努力によって、肥大化
した建設業と従業者を、保健・医療・福祉部門の充実から生まれる雇用の場に誘導しながら、
「社会的使用価値」のある新規産業の育成を展望する公共政策の展開はそれ程困難なことではな
い。また大都市の場合には、これから緊急になる母子や障害者・高齢者らの住みよいバリア・
フリーの福祉のまちづくりを目指す都市改造、あるいは防災・生活環境型の公共事業を、地域
の中小建設事業者の手にゆだねながら、環境政策や多様な都市政策の展開の中で、漸次、重化
学工業や建設業が肥大化した産業構造の転換をはかり、新たな雇用・産業の創造を展望する必
要がある。そのためには、自治体が地域づくりのコーデネーターとなり、地域の企業や「中間
組織」、さらには広範囲の住民参加のもとで、地域個性と地域資源を再発見して地域づくりを構
想する内発的発展努力、あるいは自治体経営システムの創造が求められている。
(補注)本稿は、日本地方財政学会(1999年5月29日:香川大学)ならびに韓国地方財政学会
(同8月28日:光州広域市)での報告原稿をもとに、加筆修正を加えたものである。
注
1)青木秀和・河宮信郎「日本土建国家論」、『中京大学教養論集』第35巻1号/五十嵐敬喜・小川明雄『公
共 事 業 を ど う す る か 』 岩 波 新 書 / Gavan McCormack “ THE EMPTINESS OF JAPANESE
AFFLUENSE”,1996, 松村弘道・松村博訳『空虚な楽園』みすず書房(1章土建国家の病理)など参照
2)五十嵐敬喜・小川明雄、前掲書 2頁。ここでは1996年の経済同友会夏季セミナーでのやりとりが紹介
されている。
3)石川真澄「『土建国家』ニッポン」、『世界』、1983年8月号。なお、G.McCormack氏の前掲書にも、日本
の土建国家のトータルな批判が展開されている。
4)岡本・八田・一圓・木村『福祉は投資である』日本評論社、1996年/自治体問題研究所『社会保障の経
済効果は公共事業より大きい』自治体研究社、1998年/「特集:『公共事業』の時代は終わった」、『世
界』1998年11月号。また、平成11年版『厚生白書』でも、こうした議論が取り上げられている(同書、
80−95頁参照)。
5)改めて云うまでもないことであるが、社会資本の再生産過程で果たす役割や公共性との関連の問題を、
最初にもっとも包括的に理論的に解明された画期的な業績は、宮本憲一教授の『社会資本論』有斐閣
(初版1967年)である。尚、戦後のわが国の「高度成長型財政」のもとでの公共投資の役割の実証的展
開については、横田茂・永山利和編『転換期の行財政システム』大月書店、1995年(拙稿 第2章「財
政構造の変容」)も参照されたい。
6)宮本憲一『現代資本主義と国家』岩波書店、1980年、8−9頁
7)そのさらに詳細な分析は、横田・永山編の前掲『転換期の行財政システム』の拙稿、あるいは拙著『現
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政策科学7−3,Mar.2000
代地域政策論』大月書店、1999年の第1章参照。
8)宮本憲一・遠藤宏一編『地域経営と内発的発展ー農村と都市の共生を求めてー』農文協、1998年(拙稿
「公共事業依存型経済と地域の内発力」参照)
9)神野直彦「地方税の現状と問題点」『租税研究』1994年9月号
10)五十嵐敬喜・小川朝雄『図解:公共事業のしくみ』東洋経済新報社(1999年)、あるいはまた前掲『公
共事業をどうするか』等も参照。
11)拙著、前掲『現代地域政策論』第6章参照
12)日比野正巳『福祉のまちづくり』ドメス出版、1997年
13)中村剛治郎「現代日本の地域開発をめぐる理論と政策」、儀我壮一郎・三村浩史・深井純一編(自治体
問題講座第5巻)『国土・都市・農村と地域開発』自治体研究社(1979年)所収。
14)宮本憲一・木下滋・土居英二・保母武彦「公共事業投資はこれでよいのか」『エコノミスト』1979年1
月30日号、ないしは木下滋・保母武彦・土居英二「大阪の産業経済政策として望ましい公共事業は何か」、
『躍進大阪』自治体研究社、1979年所収。
15)前掲『躍進大阪』221頁
16)宮本憲一・遠藤宏一、前掲『地域経営と内発的発展』(遠藤前掲論文、及び平野隆之「佐久総合病院に
おける地域医療と地域づくりの展望」等参照)
17)川上武・小坂富美子『農村医学からメデコ・ポリス構想へ』勁草書房、1988年、「第1章 農村再生と
『メデコ・ポリス』構想」参照
18)さしあたり、野原敏雄「ロマンを現実にしたまちづくり」(東海自治体問題研究所編『むらおこしまち
づくりの検証』自治体研究社、1990年)、同「積極的福祉事業をつうじての地域づくり」(東海自治体問
題研究所編『自立と共生の地域産業』自治体研究社、1998年)、西村幸夫『街並みづくり物語』古今書
院、1997年、「7 住民主体の古くて新しいまちづくり」参照。
19)水野三正「リサイクルで障害者の仕事づくり」(東海自治体研究所編前掲『むらおこしまちづくりの検
証』所収)、同「地域のゴミ減量のエネルギーを発掘して」、鈴木清覚「障害者の手で空きビン・ガラス
を分別」(自治体学校清掃分科会運営委員会編『現場からごみを減らす』自治体研究社、1990年所収)
など参照。
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